愛、あるいは哀、それは相。 公演情報 愛、あるいは哀、それは相。」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-19件 / 19件中
  • 満足度★★★

    丁寧な作品で好感を持ちました
    丁寧に作られていて良い作品だと思いますが、自分にはあまり響かず…。

    恥ずかしながら、「 木遣り 」という言葉を知らなかった為、その部分だけ知らない方言の言葉だと思って聞き取れず、理解が遅れたのが個人的には惜しかったです。

    下北沢「劇」小劇場は座席列の間隔が狭く、出入りが不自由なだけでなく舞台もあまり見易くないので、少々苦手な劇場です。一列減らしてでも列の間隔を広げたり、雛壇を高くするなど、舞台を観やすくする工夫が欲しいです。

  • 満足度★★★★

    設定や切り口も良い
    再演らしいが、この劇団の近作の中では一番分かり易く考えさせられる良作。
    実験的なアプローチがやや空回り気味なものをしばらく見ていたので好感を持てる作りに満足。光藤さんの気が強そうな相貌もよく合っていた。

  • 満足度★★★★

    答えのない問題を考え続ける
    初演に続いての2度目の観劇。内容は全然色褪せてないですね。初演の時も唸らされましたが、震災から5年たった今の方がより一層考えさせられます。

  • 満足度★★★★

    俳優=人物の実在感。「被災」に踏み込んだドラマ。
    Genpatsujiiko-Banashi。舞台は伊勢。神宮のお膝元、うん年に一度の大掛かりな何やらを翌年(2013年?)に控えて、群舞的な何やらを披露(奉納?)するための地元民による練習も始まっている、そんな田舎町のとある喫茶店にある家族がやってくる。
     劇は喫茶店のみで通す(照明を駆使して別の時空を挿入する等は無かった)。 一場のみ、時系列に沿って進行するリアル系のストレートプレイである所に、「被災」を扱う芝居に取り組んだ作り手の誠実さが感じられた(たまたまかも知れないが)。
     
     原発事故の被災者を取り巻く事情として、忘れてならないのは「放射能汚染」をあげつらう話が地元福島では出来ないこと、除染して環境整備したら地域は元に戻る(住民は帰還する)、というシナリオ以外の可能性は語れないこと、避難した者は裏切り者とされること、間もなく県外避難者への援助が打ち切られること。。。
     この芝居では、(放射能からの)避難を助言したジャーナリストが当事者から「無責任」と非難される場面がある。この背景には、「避難」を妥当な選択とは認められず、公の支えを得られないという理不尽な状況がある。放射能被ばくが認定されない限り、避難を促した者は嘘つきであり、混乱を煽った迷惑な人間だという事になる。 殊勝な記者はその声を黙って受け止めるが、実際のところ避難民を苦境に陥れている張本人は無論彼ではなく放射能被害を認定しない政策担当者(政治家・官僚)だという平易な事実は、霞ヶ関の建物の奥の奥、地下の倉庫にでもしまわれて表に出てこないかのようだ。

     この構図を仄めかし俎上に乗せたことにより、この芝居の価値は相対的に高まっている。非情な社会の現実がある事の裏返しだろう。

    ネタバレBOX

    この本には鋭い示唆が幾つかある。
    「被災者」を前に、恒例の年越しどんちゃん騒ぎをやって良いのか・・ 喫茶店に出入りする人たちが思い悩む場面がある。通常ドラマでは人の判断に誤りがあり、それが波紋を拡げドラマが展開するが、この問いには、有効な答えがない。観客も皆、彼らとどう年越しを過ごすべきか答えられないだろう。で、考える。「真剣に考える」動機を与えている、いたいけな娘二人の存在も脚本的にはうまく利用している。十代の娘はどんな場所でも(田舎町なら尚のこと)「主人公」となる資格を持ち、彼女らのために周囲は喜んで脇役となる。
     ドラマの人物たちが考えて出した結論は劇中盤の盛り上がりを作るが、私には若干、狙いが判りやすい分、入り込めなかった。作り手が「これは良いアイデアだ」と確信しているからか、受け手がそのように受け止める事に(台本が)なっているからか、、リアルな反応の交流がそこにあれば、良いのだ・・と、思うのだが。
     許嫁の遺体のある被災地に帰って行く長女を、母は引き留めあぐね、しかし叫ぶ。「外に出る時はマスクしろ」「玄関で埃を落とせ」「風の日はあまり出歩くな」・・ 芝居では、母は娘に対してそれを言わず、正面芝居で「向こう」に向かって、言わば心の声として、上の台詞を言う。 これは例えば、靖国の母が息子の戦死を嘆く事を許されない時代の、所作である。今の時代はまさにそれに等しい時代だ・・と揶揄する意図が作り手にあったか。
     否私の感じでは、「感動的な場面」の作りとして、「受忍」の姿を見せた、というだけではないかと訝ってしまった。 「受忍」の感動とは、「変えられない状況(悲劇的状況)」の哀れな犠牲者が耐え忍ぶ姿に対する感動だが、もっと言えば、本当は変えられる状況を、「変えられない状況」という事にして、その犠牲者の哀れな姿に「涙」する事で「変えようとしない」己自身を免罪する姿に他ならない。
     芝居の世界くらい(福島でなく伊勢という土地ならなお)、もっと大きな声で、娘に聞こえるように母はその言葉を言い、それに違和感を抱く観客がいたならその違和を目一杯味わうがよい・・・その位のチャレンジはしてほしかった。
     「そこまで自粛するか」という事だが、自覚的であったのかどうか・・いずれにせよ惜しい。

     示唆深かった別の一つは、ドラマの最終段階に判明する一つの事実から受けたものだ。オチに等しい部分なので具体的には伏せるが、被災者や被災地の支援に携わる人たち・・彼らは一般的な「正しさ」に従って行動しているのだろうか。否、個人的な動機で恐らくそれぞれ関わっており、本当の、というか継続的な行動というものは、「人として関わる」事実からしか生まれず、私たちはその事を問われているのではないか・・ この視点がドラマに組み込まれたのは人物の自然な行動としてだったかも知れないが(芝居としては「符号」による感動演出に流れた嫌いはあるが)、作品の質をぐっと高めた。
  • 満足度★★★★★

    再演について
    この作品の素晴らしさはもう沢山の方々が語っているので僕はあえて再演する意味について言いたい。この作品は再再演、3回目の公演になる。またやるの?前観たからもういい、ただの再演、等の意見を聞く。しかしそれはこの作品の訴えを本当に理解しているのだろうか?キャストは全て一新、演出も変えて一見同じようでも全く別物になっていることを。かつてこの作品に出演したベテラン女優さんも自分の時とは別物になっていると。キャストの中の別の劇団を主宰されている方が言われた。長くやっているがこんなにひとつにまとまった熱い座組は初めてだと。主宰で演出の大西氏の情熱がそうさせるのだろう。今一度言いたい、何度でも観る意味のある作品だと!まだの人は自分の目で確かめて欲しい!

  • 満足度★★★★

    地震は恐い
    改めてそう感じさせていただいた作品でした。

  • 満足度★★★★★

    見逃せない舞台
    ゲネプロを拝見しました。ともすれば忘れそうになる東日本大震災の悲劇を改めて思い起こさせる舞台。そして、原発事故をめぐる色々な悲劇、問題の中で福島を離れることの辛さ、迷いを描いた素晴らしい物語だと思います。劇中、主人公の海咲信子の娘夏帆が言った、「ジャーナリストは危険だから逃げろと言う、市町村は安全だから戻れという。どちらも無責任な発言。私達が大人になってもそんな無責任はなくならない」という旨の台詞が胸に突き刺さりました。危ないから福島から逃れた人の故郷に残した人びとへの思いは長女美帆の言動にも表されていました。「喫茶ホットライン」の人びとがそんな海咲親子のことを思う気持ちが胸を打ちました。素晴らしい舞台でした。

  • う〜ん・・・
    タイトルに違和感があったのですが、こりっち評が良かったので行きました。私にはなんだかな・・・でした。木遣りにやたら力が入っていました。なんだかひと事みたいな印象が強かったのは何故だろう。ただの再演ではなく、その後の事が知りたかったのかも。

  • 満足度★★★★★

    伝えたい
    暗い中の激しい地震とも津波の音。 劇場なのに、「もし本当なら…」
    と心拍数が上がりました。
    戦争にしてもそうですが、恐怖と大切な人を失った悲しみをどう扱うか。辛いから触れないのが一番に感じながらも、時が経てば実体験を伝えていかなければいけなかったと強く思います。
    復興コンサートなど地元のためにと活動が続いていますが、段々行事だけで気持ちが伴わない方々が増えてきています。
    この作品を再び公演することで、今の当たり前を失う辛さといつ起きてもおかしくないことの認識、人の繋がりが支えになってくれること、厳しい言葉も相手を思ってのことは優しさであること、自分にとっての一番が何かを感じること、人は弱いが 強くもなれる、自分の居場所と役割…何か幾つでも感じて欲しいし、大切なことを感じた今の気持ちを忘れず大事にし、後世に痛みも喜びも伝わればいいなと思います。

  • 満足度★★★★★

    3.11・12人災の背景にあるもの
     2011.3.11以降の福島難民の話である。大切な一行を付け加えておく。2016.4.4:02:41

    ネタバレBOX

    国際原子力(軍・原子力産業のみならず、被ばく医療、マスゴミ、各国政府に研究機関、メディア等が絡みデータ改竄や矮小化、計測のまやかし等々をしている)マフィアと国連安保理、IAEA,ICRP,WHOもグルになって核被害を矮小化していることに加え、日本では、更に自民党の愚かな政治屋や御用学者、マスゴミという名のメディア、最高裁、沖縄を除く電力事業大手、官僚等が、これでもかと被害者分断工作を仕掛け、被害者同志を反目させて差別を更に複雑で耐え難いものにしているので、反対運動すること、憲法に保障された健康で文化的な生活を送る権利を求めるというだけのことが、とんでもなく罪なことででもあるかのような扱いを受ける。おまけにそれを指摘する人間を恰も中世キリスト教異端であるかのように白眼視するのみならず、デマゴギーといい加減な風評で抹殺しようと図る下司で蒙昧な馬鹿が加わる。
     今回の大震災の最大の問題は、それが、今までのように地震と津波だけで済まなかったことにある。最大の問題は、被ばく者を出し続けざるを得ないことである。而も、自民党政府は自らが推進してきたこの暴挙の何たるかを未だ自覚できないらしいと思わせたいのだろう。ホントは、自分達の罪を誤魔化す為に被害者同士をいがみ合わせ、自分達の罪に対して一致団結して立ち向かうことを阻止する為にやっていることなのだろう。だが、補助金名目で出資を受けた者とそうでなかった者達の間には、拭い難い不信の芽が育まれ大きく育ってしまった。下司共の狙い通りである。「おいしんぼ」の鼻血の件は、実際、数々の子供が体験したことであり、数々の家々で起きた事実である。それを恰も無かったかの如く葬り去り、現在も続く汚染や被ばくを無いことにして隠蔽している。公式データとして発表されているものでは、人口密集地域の郡山市、福島市、磐木市のような地域は計測から外してデータそのものを作っていないなど計画的な犯罪そのものが、公式とすることで、恰も総ての地域を計測したデータとして誤解されて受け入れられることを計算していると勘ぐられても仕方あるまい。
     今作を理解する前提条件としてホンの一例を挙げるに留めるが、今作の背景にある事情はこのようなものである。今作でライターはチェルノブイリのことを挙げている訳であるが、ライターでキチンとした仕事をする者は、実際に発表することの何倍もの知識を持っているのが当たり前だし、人口に膾炙しており、良心的な科学者・医学者などの努力により、当時既に英語版ではデータアップされていた客観的なデータを用いて、その被害の大きさを説明として用いているのは妥当な判断だろう。
     感心したのは、被災者たちを励ます為に、受け入れた伊勢の人々がやる“木遣り”だ。毎年彼らが年越しの行事としてやっていることにも合致し、且つ様々な立ち位置に置かれた被災者の何れも排除しないからである。
     もう一つ、更に大切なことは、この木遣りが、被災者たちが独りではないというメッセージを、被災者それぞれが受け入れられる形で発信している点である。このことが被災者にどれほど大きな力を与えるかを非被災者も理解できるだけの想像力は、最低限欲しいところだ。今作に出会った観客はなおさらのことである。
  • 満足度★★★★★

    無題1788(16-078)
    19:00の回(曇~雨)。

    18:35会場着、受付(全席指定、最後列、一番奥の端)。

    13公演目。本作は、初演2012/3@ワーサル、再演2014/7@サンモール、と3回目。

    公演ごとに出演者が代わっているのでずっと出ている光藤さんに目が向きます。「へたくそな字たち(2014/11@サンモール)」以来ですが、「月いちリーディング(2015/10@高円寺) 」に行きました。

    少し前、95/1/17を組み込んだ芝居を観ました。別の視点から3/11の今を伝えるものを観ました。

    誰にでも等しく時間は流れますが、時間を引き戻そうとすると痛みを感じます。常に時間は切り裂かれ破れ元には戻らないように感じることがあります。

    18:45/19:00前説(アナウンス、光藤さん)、19:05開演~20:59終演、外は雨。

    先日、何回も通ったみそじんのロングラン公演が幕を下ろしました。次回、初の劇場公演は9月、「地を渡る舟(2015/10@イースト)西山さんのお名前もあり、楽しみ。

    石本さん「ヴォイツェク(2015/2@かもめ)」「さくらんぼ畑(2014/9@しあん)」。横山さん「退カヌコビヌカエリミヌヌ(2013/11@サンモール)」。

  • 満足度★★★★★

    悲しかったです
    心臓がドキドキするほどの地震の音、緊張しました。
    大切な人、場所をなくしたのに、更に悲しくなる出来事がある。
    人間の強さを感じました。
    応援の木遣、とてもよかったです。
    風化されていると感じる今でも、こんなに涙が止まらないのだから、震災の一年後に観なくてよかったと思ってしまいました。

  • 満足度★★★★★

    考える事をやめない
    薄れゆく記憶とともに、怒りや悲しみも時と共に昇華する。
    人間の性として、
    いやな思いや悲しみは記憶から徐々に消える様になっているのだが、
    忘れてはいけない、考える事をやめてはいけない、
    人智を超える事が起こった3.11。
    作り手、演じ手、様々な思いや考えがあるはずだが、
    あえて観る者に考えさせる様な投げかけ。
    答えを行ってくれた方が気楽に楽しめるが、
    そこはあえて観る者が試行を始める
    トリガーポイントとして存在しているようだった。
    身体の芯まで揺さぶるオープニングの地鳴り、
    思いやりが詰まった木遣り、五感を揺さぶるステージは
    何気ない喫茶店の日常を切り取ったホームドラマを、生と死、
    人間の在り方を考えさせる深い人間ドラマとなる。
    骨太な物語に明日を考える。

  • 満足度★★★★★

    人間て素晴らしい
    ゲネプロを拝見した。未曾有の災害に見舞われた日本。誰もが流れてくる情報や報道の信憑性に疑心暗鬼なった。安全と危険を判定する基準は誰が決め、それに誰が照らして判断するのか。使用したデータは正しいものなのか。それが怪しければ、判断自体の意味が失われる。●被災者、被災地へ向けられる言葉には、愛あるものも無責任なものも混在する。それを見極めるのは難しく、図らずも傷つけられる。ましてや報道に作為的なものがあるなら最善策を探すのは困難を極める。親なら誰だって、ウミガメのように、我が子を安全な場所でと願う。●杜甫が社会や政治を嘆いて詩を詠んだように、この作品にも人々の苦しみや悲しみがある。国家、政治という化け物に翻弄され、怒りと不安をぶつける矛先も分からずに苦しむ人たちがいる。救いは、疎開先の人たちが人間味があって…「世の中そんなに捨てたもんじゃない」と思わせてくれる。そう、この作品を観て、悲しみを包み込み浄化させてくれる『人の温もり』がある。たくさんの人に、寂しさに凍えている人に、この作品を観て欲しい。きっと、生きる希望と勇気を持ち帰れるはず。●喫茶店で飛び交う「hot(珈琲)くれ」が「放っといてくれ」にも聞こえる。人の心に立つ壁。HOT LINEは紛れもなく温もりが繋がる場所。年越しパーティのやり方に悩む人たちが出した結論に涙を堪えるのは至難の業。それで心を洗えばいい。●家族の繋がりを考える。子は鎹とはよく言ったものだ。子の親思う心に胸打たれるが、それを承知している親心は、全てを包み込んで温かく尊い。ウミガメにも負けない慈しみに溢れていた。●人見知りで拗ねてもいた二女が、あの男に何気なく言う「おかえりなさい」が胸を打つ。なんて優しい言葉なのだろう。自然な挨拶に勝る優しい言葉は無い。帰る場所のある幸せと、人に受け入れられている安心と喜びが詰まっていた。●魅力的な人物がたくさん登場する。中でも二女の友人役の永田涼香さんが初々しくて涼風を届けた。喫茶店店主の弟の彼女役の鷹野梨恵子さんがいい。そこに生きていた。柔らかく、そして力強く生きていた。こういう役者さんに出会うと本当に幸せな気持ちになる。●責任て何だろう。あまりにも巨大な力に、人間の無力さを知る。そして自然に刃を向け、未来に刃を立て続ける人間の愚かさについて考える。

  • 満足度★★★★

    3.11
    〔プレビュー公演〕を観劇。
    深いテーマの本作、必要以上に重くならずに描かれているのだが、
    登場人物の“その一言”に、心揺さぶられ、そして考えさせられる。

    シリアスなシーン、コミカルなシーン、
    何れも、押し付けがましさがなく、ナチュラルな描写がいい。

    シンプル(ストレート)な表現が、物語に入り込める要因になっているかも知れない。

  • 満足度★★★★

    正解の見えない問いを投げかける話かな
    良く練られた物語に
    上手な役者さん
    人のやさしさが沁みこむ約2時間の作品

    プレビュー公演観劇なのですが
    気持ちの悪いくらいに観客みんながマナーが良い(^^)
    緊張感も薄っすらと感じました
    こ~ゆ~環境=方々と観劇を楽しみたいなぁと個人的感想♪

    ネタバレBOX

    次代を生み出す女性を主人公に据えた分
    考え深さも増したんだよなぁと分析できた物語

    亡くした相手が恋しいから故郷を離れたくない

    ”子供”が大事だから危険な可能性のある故郷から離れざるを得ない

    悲しんでる人を・・・
    騒いで楽しくさせるのか
    そっと寄り添い悲しみを分かつのか

    考えさせられ=ともに考えましょうという姿勢が好ましい作品であります

    今回は三女の夏帆には転校先の高校で出来たのは同性の親友でしたね~
    (前回再演時は彼氏みたいな異性の友人(^^)

    舞台セットは喫茶店(ビル店舗=3階の部屋はマスターの秘密基地=プラモ置き場だったトコに疎開してくるのが主人公家族)の内部を再現=テーブル3つに、花札のテーブルTVゲーム筐体を配し右側がカウンターで飲み物等リアルに提供され。卓上固定の電動コーヒーミルでリアルにコーヒーを入れたりもしましたね。ブレンドコーヒー¥350 (コーヒー券11枚つづり3300円)

    来年は伊勢神宮の「式年遷宮」がある=舞台時間は西暦2012年(平成25年)9月からの開始で翌年の03/11に避難音等で暗転しての終劇です

  • 満足度★★★★★

    ゲネプロ
    まず出だしのインパクトがあまりにも凄くすぐに引き込まれていった。
    音、温度、匂いがとてもうまく使い分けられている舞台だなぁと。
    2つの方言も心地よく、少し悲しい内容ではあるのに、言葉のせいかほっこりとなった。何度も泣きそうになり、終わってみるといい舞台だったなぁと思いながら帰路につく。次の舞台が早く見たい!

  • 満足度★★★★★

    劇小劇場に満ちる不穏な効果音
    で始まるこの劇、再再演だったんですね。バカバカ、二回も見逃すなんて、間抜けすぎる私・・・・。で、まず、音響に驚きました。この劇場、音響のシステムを替えたのか、あるいは元の音源が余程良いのか、効果音もアコースティックな音楽も素晴らしく、すべての音が胸に響く。この哀しく苦しいお話に、せめて音楽だけでも美しく響いて欲しいという願いが込められているかのようだ。
    お話は故郷を失った人と、確固たる文化共同体の中にある人々との対比が
    鮮明で、私たち日本人がこの時代になってもどれほど自分が属している
    社会に守られ、その中で包まれて生きているかを思い知らされる。被災者が無くしたものの大きさ、大切さをこれほど分かり易く、直接話法で語りかけてくる演劇も少ないと思う。そして彼らのこれからの生活基盤の不安定さ、無分別な情報の錯綜による足場の頼りなさを訴える演劇を他に知りません。ゲネプロ観劇。

    ネタバレBOX

    福島南相馬市の被災者の疎開先として伊勢神宮の氏子(でいいのかな)の家庭を持ってくるとは・・・・・。それだけでも唸らされました。関西弁ともまた少し違う独特な訛りなどもかなりよく研究されていたと思う。和歌山弁、阿波弁などに似ていますね。
    氏子の伝承唄なども、さすが役者さんらしく豊かで素晴らしい発声で聞き惚れました。この劇、本当に細かいところまで神経が行き届いていて、リアリズムに溢れ、若干の台詞の噛みなどものともしない力強い脚本だったと思います。(そうそう、飲み物を運ぶ時はああやってテーブルをぐるりと回ってから運ぶのがプロのやり方だ~とか思って見てました)どの俳優さんも素晴らしかったですが、JKのほとみの猫舌の演技は、ほんの一瞬なのに暖かい演技で心に残りました。花札がこちらの知識が無く、よくわからなかったのが残念。
  • 満足度★★★★★

    素晴らしい!【ゲネプロ】
    東日本大震災から5年を経て、被災地を舞台に震災をテーマにした映画や小説が増えてきた。直後であれば現実味があるが、近視眼的になる。今であれば切実・切迫感は薄れるが、もう少し客観・巨視的に見られるようになるだろう。
    この公演は、再々演ということであるが、東日本大震災3.11を思い起こすには優れた内容である。少しずつ設定や演出を変えているが、その根幹は揺るがない。脚本・演出が優れていることは言うまでもないが、その描く内容に相まった舞台技術(照明や音響・音楽)が印象的であった。

    何をどうしたらよいのか、その出口はもちろん糸口さえも見えないようだ。その解決すべきことが人それぞれの思いと状況によって異なる。感情表現の言葉にすれば、悲しみ、嘆き、落胆であろうか。この作品は、被災した家族の心情を推し量り、葛藤や限界を感じて創っているという、作り手の心優しさが見えるところが素晴らしい。
    (上演時間1時間55分)

    ネタバレBOX

    東日本大震災で被災した人々の形態や状況は様々。そしてその人達の立場によって発せられる言葉は違う。この家族(初演は観ていないが再演時は姉妹という設定)は、親戚を頼り、伊勢市に身を寄せている。このように身を寄せる先がない人々もいることを説明する。

    舞台セットは、HOTLINEという喫茶店内...上手にカウンター、中央にテーブル席(1つは花札ゲーム盤)。その店内は細かいところまで細工が施されている。福島県相馬市から親戚を頼って引っ越してきた母、娘2人の家族。この被災者を中心に描いているが、実はこの家族を取り巻く人々を描くことで、この家族の在り様が浮かび上がるという巧みな演出がよい。所在無い家族を気遣う人々...例えば、例年であればこの喫茶店で賑々しく年明けイベントを行っているが、震災があった年越しは自粛するかどうか。家族にとってはどうしたら良いのか、元気付になるか、無神経と受け止められるか、その判断が難しいという。この公演のいたるところで、思いやることの難しさが垣間見える。また娘の高校生活を通して、放射能汚染に対する危惧について説明する。経済的な面も含めて、被災者に対する補償で生活している人々との対比。しかし、それは是非という短絡的な見方ではない。被災した方々の思いや生活状況などは様々であろう。少なくとも、人の感情と暮らしという両輪をしっかり見据え、飽くまで客観的に捉える。そこから観客が自分で考えるという、問いかけがされている。観客の受け止め方も違うだろう。人は自分が見てきた、または経験してきたことでしか現実を判断できないだろう。だから同じ社会に生きていても切実感は異なる。しかし、他者に対する痛みの感覚を無くした人間が、淡々と傍観者になっていることはできない、と自分は思う。

    日本は有数の地震発生国という。それゆえ天災と復興を繰り返す歴史の中で、災害慣れしているかも...。災厄に見舞われても”仕方がない”という諦めというか割り切りをする意識もあるのではないか。しかし、今回は地震という天災と放射能漏れという人災が重なっている。この後者の影響により復興が進まないばかりか、将来に対する不安を払拭できない。

    震災年(2011.3.11)を軸に、当時は社会をよりよくしたいという雰囲気があったが、災害時だけのユートピア幻想にしてはならない。そういう意味では、再々演ということであるが、何回も繰り返し上演してほしい公演である。

    脚本が優れているのは、この土地の伝統、それも遷宮という行事を通して家族への思い遣りを描くところ。日本の良き伝統・風習が、お仕着せの励ましではなく、この地で暮らしていく家族への繋がりが見えてくること。この木遣りの伝承を、役者陣がしっかり演じていた。登場人物のキャラクターがしっかり立ち上がり、実に自然体である。

    そして舞台技術の音響は、冒頭の地響き・轟音を始め、素晴らしい音響効果。照明は、季節感(例えば雪景色、春桜舞い)がしっかり出ており、時の移り変わりが体現できるようだ。そして全体的に余韻と印象をしっかり残す見事なもの。

    できれば、震災直後の描きとともに、5年経過しても復興の道は険しいと思う。その思いを描いた続編的な内容を描いてほしいような...。

    次回公演を楽しみにしております。

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