ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇 公演情報 ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★★★

    音楽朗読劇『宮沢賢治のイーハトーボ』
    音と朗読とお芝居が見事にマッチしててすごい。ゆったり劇世界に没入。幻想的なのに現代に生きる人達へのメッセージに満ちていて再発見も多かった。宮沢賢治、再熱だなぁ。

    ネタバレBOX

    シンバルや鉄琴をバイオリンの弦でひくの初めて見た。不思議な音色だった。生演奏、本当にぜいたくな空間だった。

    小さい頃に宮沢賢治の作品見た時には、幻想的でワクワクした。大人になって、改めて見ると、現実への風刺があって、メッセージが詰まってるんだなと気づく。特になめとこ山の熊は、資本主義について考えてしまう。朗読劇だけど、役者の演技や、佇まいそのものが物語を多面的に見せているなと思いました。
  • 満足度★★★

    「想稿 銀河鉄道の夜」
    「想稿 銀河鉄道の夜」を観劇しました。

    ラストのシーン、八代進一さん演じるカムパネルラがジョバンニに別れを告げるシーンが印象的でした。
    銀河鉄道の夜、実はきちんと読んだことがなかったので、読み直してみようと思います。
    他の作品とも見比べたかったのですが、一度しか伺えず残念…!

  • 満足度★★★★

    『想稿 銀河鉄道の夜』観ました
    再構成された「銀河鉄道の夜」、多少の違和感がありましたが、シリアスと笑いがうまくブレンドされていて、視覚的にも面白く、堪能できました。

  • 満足度★★★★

    リーディング『睡稿、銀河鉄道の夜』 を観劇
    リーディング『銀河鉄道の夜』(脚本:平田オリザ)に、リーディング公演の可能性を感じたので、私が何にそんなに魅かれているのか考えるためにこちらも観劇した。

    今作では、観客参加の手法がとても上手く使われていた。

    脚本も演出も演技も、『銀河鉄道の夜』(脚本:平田オリザ)と違わず素晴らしかったが、その手法がリーディング公演の特性と響き合うということはなかったため、満足度は☆4にしましたが、これはこれで面白かった。

    ネタバレBOX

    倉迫演出のリーディング公演について、私なりにその可能性を検討しました。

    コリッチ用に書き直すのが大変な為、facebookのリンクを張るので、よかったら読んでみてください。


    『銀河鉄道の夜』(作:平田オリザ)について

    https://www.facebook.com/kazuki.okamoto.12532/posts/564409877005409?stream_ref=10

    『睡稿、銀河鉄道の夜』 (作:泊篤志)について

    https://www.facebook.com/kazuki.okamoto.12532/posts/565153760264354?stream_ref=10



  • 満足度★★★★

    【リーディング『睡稿、銀河鉄道の夜』】観劇
    客いじり型と言うか、客参加型でした。

    ネタバレBOX

    やはり演劇公演『想稿 銀河鉄道の夜』の舞台装置はそのままに、リーディングが行われました。

    授業シーンの始まりでは観客も立つように促され、役者さんたちと一緒に礼をしたり、ジョバンニの簡単な台詞をお客さんが代読するなど客いじり型と言うか、客参加型でした。

    化石を掘り続けている人たちは、洞窟で化石を掘っていて岩が崩れて死んだこと、カンパネルラのお母さんは既に死んでいたことなどを知りましたが、客いじりや客参加もあってでしょうか、バタバタしてテーマについてはあまり伝わって来ませんでした。

    ただ、客参加型の場合は仕方ない、乗ることが大切でと思い、ジョバンニが級友から、「ラッコの毛皮はまだかよー」みたいにからかわれるシーンで、みんなで言うように促されたので、つい良かれとしゃべってしまいましたが、しばらくしてあまり深く考えずにいじめっ子に同調する行動がいじめを定着させる原因になるんだと思うに至り、演出家にしてやられたと少し気持ちが落ち込みました。

    ところで、このリーディングシリーズの中で、よりSF的であろうと思われる成井豊版『光速銀河鉄道の夜~賢治島探検記より~』のチケットが早々と売り切れていたのが何とも残念でした。
  • 満足度★★★★

    テーブルの上の銀河鉄道
    劇団単体で宮沢賢治演劇フェスティバルを行うという企画もユニークだが
    切り口を「銀河鉄道の多様性」と「賢治の言葉の音楽性」の2つに絞ったのが鋭い。
    演劇と宮沢賢治の関わりを端的に表していると思う。
    白木の長テーブルに並んだ食事の支度が美しい。
    ミートローフやマッシュポテト(に見えた)、水、りんご、ミニトマト、皿とナイフとフォーク。
    その周囲にレールがめぐらされ、おもちゃのSLが、かたかたと小さな音を立てて走る。
    三方から囲んだ舞台奥には天井から白い布が流れていて、
    まさに天の川という見立てに相応しい。
    東北の豊かな恵みを食卓にのせ、自分はそこを鉄道で走り抜ける…。
    死を問い続ける賢治を乗せた、はるか銀河への旅である。

    ネタバレBOX

    「青森挽歌」が挿入されたことで、“友人の死を受け入れる”ジョバンニの苦悩に加え
    “死を選択した”カンパネルラが、死とは何かと問う悩みが深くなった。
    ジョバンニを演じる八代進一さんのすっきりとした軽い立ち姿が
    シリアスな命題を際立たせてとてもよかった。

    “カンパネルラは君を助けるために死んだ”と級友から言われたザネリは
    “彼は力がなかったから手を離してしまったんだ”という意味のことを平然と答える。
    「最後にお父さん、お母さんと言っていた」とまでザネリに言わせている。
    カンパネルラの犠牲的精神と、ザネリの利己的な態度を対比し強調することで
    作者の北村氏自身が「本当のこと」を突き付けてくる。
    この創作を喚起するのは、やはり原作の豊かさ大きさという気がする。

    鳥捕り(舘智子)とサソリの話をする女(藤谷みき)が面白くて良いバランス。
    客席の近くまで来て演技することが多かったので
    全員衣装の布の美しさがよく見てとれた。
    照明もドラマチックできれいだった。

    「カンパネルラ!」とジョバンニが叫ぶと、やっぱり泣いちゃうんだなぁ。
  • 撃沈
    二演目ほど観劇したが、作品の出来、役者の力量、その他もろもろ言う事ないのだが、自分自身が全く宮沢賢治にのれずに撃沈してしまった。
    感想が全く書けないというのが正直なところだ。

  • 満足度★★★★

    広がる世界のメリハリに引き込まれる
    プログラムA( 『想稿・銀河鉄道の夜』とD(4 リーディング『銀河鉄道の夜』 )を観ました。

    どちらも役者たちを楽しんでいるうちに気が付けば宮沢賢治の世界にどっぷりと浸されていて。

    それぞれの作品が描き出す世界の余韻がしっかりと残りました。

    ネタバレBOX

    A:4月6日

    観終わって、なんというか滋養豊かな舞台だなぁと思う。
    テイストの異なる役者達それぞれのお芝居の確かさが、
    織り込まれた遊び心で場の空気を解き、束ねていく。
    役者達が幾つもの色で織り上げる刹那が本当にふくよかで楽しいのですよ。
    でもそのことが、人が直面し、想い、やがて受容する死のありようとそれを抱きながら生きることに瑞々しい感覚を織り込んでいきます。
    舞台が密度をもっても物語の広がりを縛ることなく、
    密度が解けても戯曲の世界をあいまいにすることなく、
    物語に戯曲への新たな実感に導き作り手の世界に血を通わせていく。
    気が付けば大きな机は宇宙となり、Nケージの汽車の動きが
    そこに流れる時間や人のの美術や照明もそれらにしなやかな座標と俯瞰を与えている。

    観終わってその舞台の楽しさの先に、やわらかく深い切なさが心に満ちいつまでも残りました。

    D:4月11日

    なにか即興的な側面も随所に垣間見える舞台で、始まってしばらくは役者たちが互いに自らのトーンを探り、間を取り合い、時にちょ、っとはみ出しながら物語を編み上げる感じがなんとも面白かったです。
    時にお芝居が脱線してしまうような部分もあったのですが、
    でもその解け方の強さが、そのまま作品のメリハリになり、
    やがてロールたちの色が定まり、リズムや息遣いが束ねらると、それまでの良い意味でのぐだぐださが、振り子のように整えされた世界を際立たせ、役者たちひとりずつの力量が舞台の柔らかさを次第に戯曲の世界の広がりに変化させていくことに舌を巻く。

    Aと同じ舞台が使われていて、気が付けば汽車の動きが時間と宇宙をめぐり、物語がその上に刻まれみるがわに置かれていて。

    そのテイストがとてもキャッチーで面白かったです。
  • 満足度★★★★★

    無題1064(14-103) 「想稿・銀河鉄道の夜」
    19:30の回(やや曇り)。会場に着くとシャッターが半分おりていて、18:50受付(整理券あり)、19:10開場。

    コの字型の客席、やや斜めに長い白木のテーブルと椅子(6脚)、テーブルの向こうにも1脚。テーブルを挟んだ両サイドは床面と1段上がった作り、入口側は1段高くなったところから2列。テーブルには食事の用意。リンゴ、パン、ミニトマト、水差し、グラス、皿、フォークにナイフ、サボテン…違和感を放っているのは、手前にポータブルプレイヤー、LPが乗っています。奥にタイプライター。テーブル面をぐるっと、回っているのは1本の「レール」。天井から棚(照明が組み込まれています)が吊らされています。

    19:28、下手、男が一人登場、続いて数名。19:30前説(90分、ここでめちゃくちゃ笑ってしまう)〜20:58終演。

    ようやく、この作品を観ることができました。85年、「劇団21世紀FOX」による北村作品「月夜とオルガン(@旧タイニイアリス)」が初めてで、ここから小劇場に通い始め、「日曜日ナビはオルガンを弾いた」まで全て北村さん。この劇団が本作を上演したのは1994年のようで、その頃は芝居を観なくなっていました。

    そこからも時が経ちました。

    今もって原作は読んでいませんが、他の劇団で何作か観ていたこともあり、楽しく観劇できました。

    ネタバレBOX

    雑記

    前説…もちろん芝居が始まったと思いましたし、その後のおちゃらけぶりが最高でした。

    白いカーテンは天の川(Milky Way)、本は洋書(一つは聖書?)、蒸気機関車が走る(客車3両)、ポテトサラダ、スープ、ミートローフ?、ビスケット。

    客席とのやりとりも楽しい。

    テーブルの上、下、天の川、照明はどれも綺麗でした。
  • 満足度★★★★★

    【リーディング『銀河鉄道の夜』】観劇
    昨年の平田オリザ演劇展でも演じられた演目ですが、今回、自己犠牲と孤に関する考えが印象に残りました。

    ネタバレBOX

    平田オリザ作の『銀河鉄道の夜』が、同時上演中の演劇公演『想稿 銀河鉄道の夜』の舞台装置をそのままに、テーブルのところの椅子に座ったり、席を移動したりしながらリーディング形式で演じられました。

    カンパネルラは、人間として成すべきことをしたまでであっても死んでしまったことを母は許してくれるだろうかと心配していました。自己犠牲という大義を前にしたとき、身内としてはいいことをしたと誇りに思うしかありません。人命救助であろうが戦争であろうが、そういうことです。

    ジョバンニとカンパネルラは先生の質問に仲良く答えないほどの親友でしたが、カンパネルラはジョバンニに対する級友のからかいに加担することはなかったものの、かと言って積極的に止めることもありませんでした。今日的な微妙な人間関係だったことが分かりました。

    人間は一人です。一人が助かるときに、例え仲の良い友だちであっても二人が一緒に死ぬのはナンセンスです。大災害時における人間の行動について考えさせられます。過度に自分を責めることはない、悩み過ぎることはないのだと言っているようです。

    ところで、アドリブ的に噛んだり、冗談を言ったり、台本で頭を叩いたりするシーンがありましたが、そういった小細工は嫌いです。
  • 満足度★★★★★

    リーディング『銀河鉄道の夜』を観劇:<追記あり>
    ※最初のコメントには私の誤認もあったようなので、「ネタバレ」に追記しました。 (誤認したことも劇体験の内と考え、最初のコメントは訂正していません。)

    リーディング公演と言っても、練られた演出が素晴らしかった。

    どこまでが演出で、どこまでがアドリブなのか、キワキワの感じもとても刺激的だった。言葉に詰まったり、読み間違えそうになったりするのは、ミスなのか、それともミスを演じているだけなのか?
    また、そのミスにフォローしたり、ツッコミを入れるのは、アドリブなのか、その対応すらも決まっていたことなのか?

    いずれにしても、すべてが計算されているようにも、すべてがアドリブのようにも見えるというのは、出演者の皆さま一人一人の演技力のなせる技だと思う。
    全員が、本当に素晴らしかった。
    中でも、ラストシーンの平佐喜子さんに強く惹きつけられた。

    今公演の中にある、ある意味でのジャズのような在り方(偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方)には、
    演劇の未開の可能性があるように感じた。
    (実験演劇における偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方とは別の、役者の演技力に裏打ちされたそれらの取り込み方という意味で。)

    満足度:☆5を付けたのは、
    素晴らしい作品を観て満足したというよりは、
    この作品にしかない可能性を見せてもらったという意味あいが大きい。

    ネタバレBOX

    <追記>2014.4.12.

    指摘をいただいて判ったのだが、どうやら、今公演は割と脚本に基づいているものらしい。私はまんまと騙されたという訳だ。
    それを知って、尚更、役者さんたちの演技力と、倉迫康史氏の演出力に驚いた。
    前提として、平田オリザ氏の脚本の上手さがあるのは当然だが、フェイクドキュメンタリー的な手法は、殊更真新しい手法でもないし、ヘタな演技や演出では、観ていられない程、嘘くさくなる。それを「アドリブかもしれない」と思わせてしまうというのは、相当な力だと思う。

    一般的な「演劇」とは、嘘を観客に信じさせるものである。そこでは、事実がどうかではなく、そこで観客に受け取られたものこそが真実となる。
    そういう意味では、私が最初に書いたコメントに間違いはないし、
    この公演の嘘のつき方は、ある真実を起ちあがらせていたということになる。

    私が「ジャズのような在り方」と書いたことも、単なる誤認でもないと確信している。勿論、それが偶然性やドキュメンタリー性の取り込み方の問題ではなかった点は明らかな私の間違いだったけれど、脚本や演出の手を離れて、役者さんたち1人1人の個性が舞台上で輝いていたという点は、楽譜や指揮者を離れて演奏者の個性が噴き出すジャズの在り方のようであったと今でも思う。
    もはやそれがアドリブによるものか、計算されたものかどうかは、どちらでもいいのだ。

    このような芝居の在り方を、やはり他で観たことがない。どうしても、脚本や演出に役者が従属してしまう舞台が多いからだ。
    それを壊そうとすると、実験演劇のような構造自体の破壊(反転)を計るしかなくなる。それはジャズで言えば、フリージャズがそうしたように。
    だが、今作は、ある意味では、極めて芝居らしい芝居だったという訳だ。

    裏を知ったら、むしろ、この作品の質感がどこから来るのかの謎が増した。
    そのことによって、この作品の可能性を、更に考えさせられてしまう。

    いずれにせよ、素晴らしい作品だった。


    <「追記」の「追記」>

    この作品の可能性を、再度考えてみた。
    この作品では、「偶然性」を取り込んではいなくても、観客に「偶発的に起きているのかもしれない」と思わせる「ドキュメンタリー性」が場に成立していたと言える。

    そこで重要なのは、「リーディング公演」という要素。
    この形態によって、多少の嘘くささも、ミス(読み違え)かもしれないと観客に思わせることができる。普通の公演よりも、観客側の意識の中に、現実と虚構との間のノリシロができているのだ。このノリシロが時にクッションとなり、時に想像力を刺激するものとなっている。

    「リーディング公演」というと本公演を打つのには、お金も時間もかかるから、料金も下げて、番外公演とするというものが多いが、この公演では、リーディング公演そのものの可能性を追求しえていたと言えるだろう。

    そういう意味で、倉迫康史氏の演出能力(この脚本を選んだということも含めて)も凄いと思う。
  • 満足度★★★

    花巻
    面白い。60分。

    ネタバレBOX

    歌と朗読と芝居と音楽で魅せる60分。宮沢賢治の世界というものがよくわかってないけども、不思議と楽しめた。「月夜のでんしんばしら」とか「ポラーノの広場」とか。構成・演出が素人でも楽しめる作ってあったのがよかったのかな。

    なにげに衣装・照明・美術が好み。単純に美しいと思った。
  • 満足度★★★★

    演劇公演『想稿 銀河鉄道の夜』観劇
    「銀河鉄道の夜」は稿を重ねたことを知りました。

    ネタバレBOX

    犠牲的精神を讃える話。

    溺れかけてジョバンニが助けようとした少年は実は泳げて、二人がブイにつかまって重みで沈んだときもジョバンニが自己犠牲故に手を離したであろうに、単に手が滑って離れていっただけと言い放つ子供の悪びれない言動は残酷です。

    赤く燃えるサソリが、どうせ崖から落ちて死ぬのなら六尺の大板血ならぬイタチに食べさせてあげれば良かったと後悔する様子も、火の中に飛び込んだうさぎの自己犠牲の話のようでした。

    出演者が食していたコンビーフのような食べ物のぐちゃぐちゃーっとした形状と漂ってくる匂いはあまり心地良いものではなく、elePHANTMoon『業に向かって唾を吐く』の口に入れて皿に戻す気持ち悪いシーンを思い出してしまいました。
  • 満足度★★★★

    銀河鉄道の夜の謎はヴァリアントの豊富さから?
     1974年、天沢 退二朗、入沢 康夫らが中心となって行われた原典批評による宮沢 賢治全集は、徹底的なテキストクリティックによって一時期を画した。筑摩書房版である。この全集のテキストクリティックの過程で「銀河鉄道の夜」オリジナルには、大きな改稿だけで初稿に対して3回の改稿が行われたことが判明した。初稿が書かれたのは1924年と推定されるが、第4稿が書かれたのは1931年頃と推定されている。殊に、3稿迄と4稿には大きな差がある。
     今作は4稿をベースに北村 想が脚本を起こしたものだ。そして今作の特徴は、賢治が妹、トシを失った後の喪心の旅の中で書いた「青森挽歌」が挿入されていることである。

    ネタバレBOX

     本編、「銀河鉄道の夜」では、カンパネルラが原作者、賢治に向かって本当のこと、本当の幸せとは何かに就いて質問を発する天がユニークである。北村の到達点としては、弱者、ジョバンニにとって、他人が総てカンパネルラであるよいうな高く遠い倫理的到達点を示したことだろう。無論、現実の中で、この決意が揺らぎ、失われてゆくことが大方のパターンである。然し乍ら、今作によってこのように高い倫理的宣言が為されたこともまた事実である。できれば、この事実を観客である我々一人一人が己のものとして実践して行きたいものである。
     因みに賢治自身、結核という業病を抱えながら、農業技術者として、また教師として農民や子供達の為に高い倫理と知を発信し続けた実践の人であった。
     蛇足ながら、賢治が教師をやっている場面で跳び撥ねたり音楽的にリズムを取り入れたりしながら授業を行うシーンがあるが、あれは実際に賢治の授業を受けた生徒達の証言を基に作られているのであろう。
     演出的にも様々な工夫が凝らされていて楽しめる。

このページのQRコードです。

拡大