untitled 公演情報 untitled」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★

    観劇
    なぜだか睡魔に襲われてしまいました。既成の言葉を発する、身体表現するというのは、個人的に惹かれる要素なはずなんですが。ひとりひとりの役者さんの自己顕示が見え隠れするのが、とても気になりました。 空間が素敵だった。

  • 満足度★★★★

    生であること
    勅使河原さんの舞踏をみているような舞台でした。
    前半は少々間のび感が否めなかったのですが、全体のゆるやかで、でもとても張りつめた間合いはすごく新鮮で、吸い込まれました。
    個人的に衣装の色合いがすごく好きです。

    動きのひとつひとつに生であるが故の美しさを感じて、とてもどきどきした。
    うまい言葉で表現できなくてごめんなさい。

  • 満足度★★★★

    3.11(以降)を巡り、今、何を感じているのか、何を思っているのか
    テキストと役者たちの動きで、舞台を刻む彫刻のような作品。
    3.11を巡る「気持ち」を刻みあげていく。
    張り詰めた気配そのものが美しい。
    わずか60分。
    もっと観ていたいと思った。

    ネタバレBOX

    作者と出演者たちによる、「今」の感情・想いを表現したものであり、これは(たぶん)明日、明後日、1週間後、1カ月後と時間を経るごとに変化していくのだろう。
    受け取る側の観客にとってもそれは同じである。
    流れるテキストと役者の動き、それらを総合した表現は、表現者側の3.11であり、それが観客それぞれの3.11の感情とリンクしていき、作品となっていく。
    もちろん、それは3.11に限ったことではなく、日常や演劇そのものに対する感情でもいい。「日常」というキーワードはとても大切だ。

    「残すもの、残されるもの」がキーワードということだが、「別れ」(その予感も含め)を意識させるテキストで、3.11以降、くっきりと分かれてしまった2者について、具体的な「コトバ」や「形」にできないもの、想いを、具体的な「コトバ」や「形」にできないものとして提示していた。

    正直な想いがそこにあったと言っていいだろう。
    震災の当事者でない者にとって、一体何がわかるというのか、という想い。しかし、わからないからと言って、なかったことにはできない。表現者としてそれに対峙したいという気持ちの発露がこの作品を生んだのではないだろうか。
    つまり、「わからない」が、それを何らかの形に留めておきたいという想いへの正直な結実が、この作品ではなかっただろうか。

    直接的な「洪水」等に触れるコトバがテキストの中にいくつか散見されたが、特にイプセンの『小さいイヨルフ』からの引用とわかるテキストに気がついたときはには、ハッとさせられた。
    それはこの震災で失われた多くの子どもたちと、残された親たちを思い浮かべずにはいられないからだ。その直接的なシーンは今回の舞台にはないものの、『小さいイヨルフ』というテキストには、青く冷たい水底に沈んでいくイヨルフのことと、残された親の嘆きがある。

    役者たちが身体だけで表現する動きは、舞踏のように意味が込められていたのだろう。その解釈は受け取る側の自由だ。
    登場人物たちが、まるでイヨルフのように水面に向けて手を挙げながら、沈んでいくように見えたし、飛び跳ねていた全員が倒れ、1人残されてしまった男は、何を物語っていたのだろうか。残されることの憐れさなのか、滑稽さなのか、哀しさなのか。

    shelfらしい静謐さが支配する中で、限られた(に見える)設備なのだが、照明が美しい。そして、気配のように響く音響も美しい。その張り詰めた気配そのものが美しいのだ。これがshelfなのだ。

    ラストに、舞台に1人残った(残された)男の、子どもたちへの呼びかけは、まるで、亡くなってしまった親から、残された子どもたちへの呼びかけにも聞こえ、同時にそれはまた、震災に遭わなかった人々(未来へつながる人々)への呼びかけでもあった。

    役者は、特に女性が印象に残る。川渕優子さんの絶対的な存在感。小山待子さんも迫るものがあった。あとは名前と顔が一致しないのが残念。今回、役名がないので、名前と顔が一致するような写真を当パンに載せてくれるとよかった。
  • 演劇を拡張した
    コンテンポラリー・アートって感じ。パリのポンピドウ・センターあたりで喜ばれそうな感じ。日本的な「静」の表現と、アシンメトリーな配置が洗練されている。
    観客は、すごくセンシティブな状態に置かれて、絶妙な時に「言葉」が音として出てくる。

    演劇からはずいぶん広がったシアターパフォーマンスアートだね。アートそしてはコンテンポラリーでも、演劇としては前衛・・・ってことは演劇はアートの中では保守的なのか、遅れているのか・・・。

    演じている俳優さんの身体は個性的だった。識別しやすくてよいけど。

    使われていた小道具も抽象的だけれども、たぶんそれぞれ意味のあることなんだろうと思う。
    その中で、くだらないことかもしれないけれども、FOCUSって廃刊になってたよなぁ、と思いだしながら、あの劇中の雑誌はなんだったんだろう、記事はなんだったんだろう、3.11の記事じゃなかったのかな、とかひょっとしたら意味があったのかな、と今更思ったり・・。

  • 満足度★★★

    静謐な60分
    雑誌や瓶などいくつかの小道具が置かれた素舞台で8人が静かに動き、雑誌や戯曲から引用された断片的なテキストをモノローグとして語る、心地良い緊張感が漂う作品でした。

    冒頭に読まれるテキストが福島第一原発周辺のルポルタージュで、劇場で行われていることも現実の一部であることを印象付け、その後に現れるイプセンやベケットのテキストも「洪水」や「水葬」といった単語が出てくる箇所を抽出していて、東日本大震災との関連を考えさせる構成になっていたように感じました。

    台詞を語る時間と語らない時間が同じくらいの分量で、身体表現が重視された演出になっていましたが、日常的ではなく、いわゆるダンス的でもない、能の所作のような非常にゆっくりとした動きが多用されていて、時間感覚が麻痺するような感じを受けました。出演者の身体表現のレベルにかなり差があり、特殊な動きから立ち上がる緊張感があまり出ていない役者がいたのが残念でした。

    台詞回しに関してはテキストに合わせて日常的な発話法から、いかにも演劇的な発話法を使い分けていましたが、役者の力量もあるのか、手紙や記事を読むシーンでの口語体での発話はあまり印象に残りませんでした。
    戯曲のダイアローグの場面を1人で演じるというか語ったり、戯曲を読むパートが終わるときに「はい」という掛け声で一気に空気感を変えたりする仕掛けによって物語の世界に没入しないようにするテキストとの距離の取り方に清々しい印象を持ちました。

  • 満足度★★★

    挑戦的試み
    まずワタクシには解り辛かった。さまざまなテキストから抽出しそれを断片的に繋げて一つの作品に構成したものだったから、全ての本を読んでるならば容易に解釈出来たのだろうが・・。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    引用文献として「FOCUS]、「小さき者へ」有馬武郎著、「小さなエイヨルフ」イプセン著、「しあわせな日々」「ロッカバイ」サミュエル・ペケット著、「欲望という名の電車」ウィリアムス著だったが、これらの著書の一部分をキャストらのセリフで吐かせ、静寂なうちにスローモーションで動かせる、という演出方法だった。

    「FOCUS]ではまさに原発のネタだったし、「小さき者へ」では、お前達の父なる私が未来の君達に向けて吐くセリフが神がかりだったし、「小さなエイヨルフ」でも前公演を彷彿とさせる記憶の蘇りもあった。

    しかしながら、それらはほんの断片に過ぎず、こちらの感性に訴える何かが不足していた。今回の舞台は演出家・矢野の言う「素直に今の想いをかたちにしたい結果の積み重ね」らしい。しかしそれらはあくまでも演出家のしたいこと、見せたいことであって、観客が観たいものなのだろうか?

    演劇の基本に戻って考えたとき、やはり観劇後、観客に満足感がなかったなら、それはただの自己表現のみの場となってしまう。個人的に矢野の演出は高く買っているが、今回の舞台に関しては理解の範疇を超えていたのだった。つまり、ワタクシには短編集の名ゼリフの羅列としか見えなかった。断片の繋がりは身体表現でカバーしていた。

    初心者向きではない。
  • SENTIVAL その4
    雨の板橋、SENTIO4回目です。今夜はお客さんがたいへん多いです。開場時間となり靴を脱いで入ってみると、すでに8人の演者が壁に沿って佇んでいます…立っている人、座っている人、横になっている人。開始時間まで動きません、そのままの姿勢です。レコードのスクラッチノイズのような音がずっと流れています。さて、ゆっくりと不思議なお話が始まります。ちなみに、チラシ写真(表)のイメージとは全然ちがいます。

    ネタバレBOX

    4回目なのでこちらもすこし学習しました。舞台中央にフォーカス(震災の特集でしょうか)、ハードカバーの書籍、文庫本、時計、空き瓶などが並べてあります。ひとりゆっくりと近づき、フォーカスの記事を読みます。続いて壁沿いの役者さんは、ゆっくりゆっくりと中央へ。おおよそこんな感じで展開します。パフォーマンスと台詞(既存の文献から)。照明もシーンによって切り替えられます。よくわからない、というのはその通りですが、気がついたのは、わからない=つまらない、ではないということでした。つまらない(あわない)お芝居は苦痛。
    約60分という、普通のお芝居の半分の時間ではありますが、かなりの緊張感。お客さん50人として、スタッフ含め60人が物音ひとつさせずに演技を注視します。私も、目で見て、耳で聞いて、混乱しそうな思考を解放します。次回公演はイプセンとのこと。時間がとれるようでしたらまた観に来ます。

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