untitled 公演情報 shelf「untitled」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    3.11(以降)を巡り、今、何を感じているのか、何を思っているのか
    テキストと役者たちの動きで、舞台を刻む彫刻のような作品。
    3.11を巡る「気持ち」を刻みあげていく。
    張り詰めた気配そのものが美しい。
    わずか60分。
    もっと観ていたいと思った。

    ネタバレBOX

    作者と出演者たちによる、「今」の感情・想いを表現したものであり、これは(たぶん)明日、明後日、1週間後、1カ月後と時間を経るごとに変化していくのだろう。
    受け取る側の観客にとってもそれは同じである。
    流れるテキストと役者の動き、それらを総合した表現は、表現者側の3.11であり、それが観客それぞれの3.11の感情とリンクしていき、作品となっていく。
    もちろん、それは3.11に限ったことではなく、日常や演劇そのものに対する感情でもいい。「日常」というキーワードはとても大切だ。

    「残すもの、残されるもの」がキーワードということだが、「別れ」(その予感も含め)を意識させるテキストで、3.11以降、くっきりと分かれてしまった2者について、具体的な「コトバ」や「形」にできないもの、想いを、具体的な「コトバ」や「形」にできないものとして提示していた。

    正直な想いがそこにあったと言っていいだろう。
    震災の当事者でない者にとって、一体何がわかるというのか、という想い。しかし、わからないからと言って、なかったことにはできない。表現者としてそれに対峙したいという気持ちの発露がこの作品を生んだのではないだろうか。
    つまり、「わからない」が、それを何らかの形に留めておきたいという想いへの正直な結実が、この作品ではなかっただろうか。

    直接的な「洪水」等に触れるコトバがテキストの中にいくつか散見されたが、特にイプセンの『小さいイヨルフ』からの引用とわかるテキストに気がついたときはには、ハッとさせられた。
    それはこの震災で失われた多くの子どもたちと、残された親たちを思い浮かべずにはいられないからだ。その直接的なシーンは今回の舞台にはないものの、『小さいイヨルフ』というテキストには、青く冷たい水底に沈んでいくイヨルフのことと、残された親の嘆きがある。

    役者たちが身体だけで表現する動きは、舞踏のように意味が込められていたのだろう。その解釈は受け取る側の自由だ。
    登場人物たちが、まるでイヨルフのように水面に向けて手を挙げながら、沈んでいくように見えたし、飛び跳ねていた全員が倒れ、1人残されてしまった男は、何を物語っていたのだろうか。残されることの憐れさなのか、滑稽さなのか、哀しさなのか。

    shelfらしい静謐さが支配する中で、限られた(に見える)設備なのだが、照明が美しい。そして、気配のように響く音響も美しい。その張り詰めた気配そのものが美しいのだ。これがshelfなのだ。

    ラストに、舞台に1人残った(残された)男の、子どもたちへの呼びかけは、まるで、亡くなってしまった親から、残された子どもたちへの呼びかけにも聞こえ、同時にそれはまた、震災に遭わなかった人々(未来へつながる人々)への呼びかけでもあった。

    役者は、特に女性が印象に残る。川渕優子さんの絶対的な存在感。小山待子さんも迫るものがあった。あとは名前と顔が一致しないのが残念。今回、役名がないので、名前と顔が一致するような写真を当パンに載せてくれるとよかった。

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    2011/06/05 08:46

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