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世界はそれをカレーパンと呼ぶんだぜ

世界はそれをカレーパンと呼ぶんだぜ

STAND FLOWER

in→dependent theatre 1st(大阪府)

2024/05/10 (金) ~ 2024/05/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

千秋楽観劇。
不幸についてのナンセンスコント、愉しかった🤩

「きょうだい児」を初めて伺いましたが、それを笑いに変えて、不幸のマウント合戦⚔️
🥤割りすぎ、学費払えない、男運…
何を見せられてるの?なナンセンスコント、面白っ😆

香格里拉 ―シャングリラ―

香格里拉 ―シャングリラ―

早稲田大学演劇研究会

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2024/06/12 (水) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/13 (木) 19:00

110分。休憩なし。

青い!大劇場結婚式(小劇場 楽園)

青い!大劇場結婚式(小劇場 楽園)

藤原たまえプロデュース

小劇場 楽園(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

こういうことをやろうという心意気が面白い。その気持ちにみんな金を払う。

ネタバレBOX

新郎がタキシードを忘れてしまい、慌てたスタッフが本多劇場グループのチラシを見ながらそれっぽい衣装を用意していそうな公演中の劇団を探すネタがある。今まさに本多劇場で公演中の『無頼の女房』、剣持直明氏(医師の役)に狙いを付けて直電でお借りする。このネタが痛快なのだが、本日昼の公演では剣持直明氏御本人がタキシードを持って公演に参加してくれたそうだ。これぞ下北沢の強みだよなあ。

阿達由香さんが右膝にサポーターをしていて、相当キツイんだろう。

正直、こっちだけだとDVD特典程度。もっと別の人間関係を導入しなければ。期待したJURI&JUNAさんネタも序盤だけ。唯一、仲美海さんと閏木(うるき)ときたか氏ネタだけ面白かった。
青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)

青い!大劇場結婚式(「劇」小劇場)

藤原たまえプロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

何となく凄くハイテンションだがつまらない大騒ぎを予想していたらかなり面白かった。
「劇」小劇場で結婚式を行う熟年カップル。理由はそこが二人の出会いの場だったからだ。しかもその模様を生配信するという。自分でも小劇団を主催している新婦(高乃麗〈うらら〉さん)はブライダル会社の演出に駄目出しをし、いろんな突飛な思い付きを入れていく。現場責任者(ジョニー高山氏)とプランナー(阿達由香さん)は引きつった苦笑いで対応。控室として用意されたのは道を挟んだ向かいの地下にある小劇場「楽園」。土建屋社長の新郎(橋倉靖彦氏)がなかなかやって来ないことに腹を立てた新婦は「楽園」へと呼びに行く。次々にありとあらゆるトラブルが降り掛かる地獄の現場、果たして何とか結婚式を遂行することが出来るのか?

面白いのは新郎新婦のキャラ。見事に配役に成功している。高乃麗さんの迸るエネルギーが作品のエンジン。
橋倉靖彦氏の佇まいと口下手で朴訥なキャラもいい。
東京AZARASHI団以来の観劇となる阿達由香さん。流石に腕は衰えていない。こういう喜劇には欠かせない知的な笑いのキャラクター。
沖縄出身の双子ダンサー、JURI&JUNAさんも好演。

伝説の興行師、ウィリアム・キャッスルを思い起こすギミック興行。ウィリアム・キャッスルは下らないB級ホラー映画にギミックを施して観客を呼び込んだ映画プロデューサー。「ショック死保険」、クライマックスでワイヤーに吊られ映画館を飛び回る骸骨の模型、魔法のコインを配る、幾つかの座席に電流を流す、恐怖で退場すれば返金するが臆病者コーナーで晒される、幽霊が見えるセロファン眼鏡、悪役の最期を観客投票で決める、危険の為映画館に看護婦が待機・・・などなど。まさに見世物小屋の呼び込み口上。観に行ってガッカリするのだがそれもまた良いものだ。

今回はキャスト15名に観客19人のほぼ互角の戦いだった。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

「劇」小劇場は二階にある。大きな脚立を立てて外から搬入口へと出入りしたり、セーフティーマットを地面に敷いて飛び降りたり。ハンディカメラを使って「楽園」との行き来の様子もスクリーンで中継される。TVの生中継番組に参加している感覚。

「楽園」の隣りにある「高級芋菓子しみず」が度々スクリーンに映し出されていい味。物語に組み込むべきだった。

個人的には高木稟氏演ずる偽牧師の登場からベタな展開になってスロー・ダウン。(勿論高木稟氏は好演で客席を爆笑させ続けた)。こういうお約束の話で落とすのではなく、もっと誰もまだ見ぬ地平を目指すべきだった。アガリスクエンターテイメントみたいにこの2劇場同時公演でしか成し得ない、オリジナルな新世界へと。どちらを観てもそれぞれ面白いが、2本共観たら全く別の世界が覗けるような志高き作品を。
SF要素があった方が良かったかも。謎の伏線で観客の興味を引っ張る。双子を使って瞬間移動やタイム・リープ、テレパシーなんかも使えた筈。

新婦の劇団主催も謎。そんな女がこんなイベントをブライダル会社に依頼する訳がない。田舎者の新郎の仕切りに我慢しながら苛ついている設定が欲しい。
ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!

本多劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 舞台美術も、脚本、演出、演技、照明、音響何れをとっても高い質を持った舞台だが、余りにもカッチリ組み立て過ぎず、適度な“あそび”を持たせた舞台である点がグー。

ネタバレBOX

 言って見れば「Le Pèse-nerfs」邦題「神経の秤」を書いて最後は精神病棟で息絶えたA.ARTAUDのような、腺病質な迄に繊細な感性を持った無頼派作家を代表する太宰(役名・豊臣)と安吾(役名・塚口)、二人をモデルとした作家を中心に同じく作家業を営む二人の友人文士(役名・谷)、編集者等が出入りする塚口の家を舞台に物語は展開する。時代設定は1948年。敗戦後の1946年には戦中の配給制度が崩れた為、食糧を始めとする必要不可欠な物資が都市部では殊に入手困難という事情があった。とはいえ、かつての臣民は国民と名が変わり、アメリカを中心とした占領軍の価値観に合わせて戦争中に奉じた自らの価値観、行動には蓋をして懸命に生きることを口実にシレっとしていた大多数の大人たちが自らの倫理感を自問することは実に稀であった。それらに反抗し闇市等で幅を利かせた特高帰り、組織力と若い衆の力を動員することのできたヤクザが基本的には仕切る闇市で、それこそ生き残る為に使い走りをする戦災孤児の群れ。カストリが酒の代名詞で在り得、メチルアルコールを用いた粗悪品で目の潰れる者も多かった時代に文字に飢えた人々にカストリ雑誌が飛ぶように売れた時代でもあった。戦争中、特攻による死の恐怖を誤魔化す為に用いられた覚醒剤・通称ヒロポンが流行したのも日本政府が1956年に至る迄法に拠って禁止できなかった背景にも軍が用いていた歴史的事実があった。実際1956年迄覚醒剤はヒロポンという名称で売られ薬局で買うことができたのである。
 こんな時代に若く才能溢れる2人の作家が、戦中・戦後で全く反転してしまった世相と倫理に悩み抜いた果てに自らの精神の平衡を保とうと酒やヤクに頼らざるを得なかった心情と命を賭けたその執筆のパッションには実に深く我らに訴えるもの・ことがあり、その内実が二人のライバル(塚口VS豊臣)の文学談義や各々の念う女性達の反応によって対比されると同時に三人の作家陣、編集者陣というインテリ集団に対するお手伝いさん・多喜子の庶民的価値観、その夫で長崎できのこ雲を見て以来恐らくはぶらぶら病に罹ってそれ迄の働きぶりが嘘のように変わってだらだら過ごすようになり乍ら尚且つ経験の無い文章を書くことにだけは強い欲求を示し而も文字は下手で読みずらいが内容は実に二人の一流作家に互し、而も当時原因が分からずぶらぶら病と呼ばれた被爆者特有の体調悪化で社会的弱者になっていた対照的な視点から実直で不器用極まる庶民の一途な念を凝縮するような力を持つ詩的な文章を提示することで、ここでも演劇的対比のダイナムイムズを見事に溶け合わせている。
 今作の脚本ではこのように深刻な時代状況は表に出されず、観客の持つ知性や感性に評価は委ねられているので、何処まで作品を味わい尽くせるかは観客次第だが、兎に角余り時代背景が分からずに観る観客をも惹きつけ笑いを振りまくキャラとして登場する人物が書生・石原の存在だ。無論彼の役回りは深刻極まる内実を脱臼させる点にある。このアクションが今作をがんじがらめにする可能性のある物語の余りにもカッチリした作り、即ち予測のし易さをも拍子抜けさせてくれるのである。文頭部分でも述べた通り、役者さんの演技も皆さん極めて質の高いものだが、塚口等の治療で活躍する医師・芝山先生役に味のある演技の剣持 直明さんが居るのが嬉しい。
 今作は、上述した時代背景には一切触れていない。また観る者の解釈が尊重されるのは当然のことである。然し乍ら、この作品のように実在したそれも未だに読み継がれる普遍性を持つ作家の作品の背景を為した生き様をベースにした演劇作品を少しでも深く知る為には以上簡単に整理した事情程度の知識を具えていた方が遥かに作品の本質に迫ることができよう。
阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00

いつもながらの手の込んだ手作り舞台美術の中で繰り広げられる濃密なドラマ。
劇中の赤紙が来る場面がちょうど放映中の朝ドラとも重なって強い反戦の意志を感ずる。そして悲劇的な展開ではあるものの僅かな光明が見えるラストに救われる。そう言えば2年前に音無さんが客演した「夏至の侍」もソフトランディングだったっけ。
あと、クライマックスの装置のギミックに「あ、あのパターンね」と思ったが前回観たのは何の時であったか?

白き山

白き山

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

芸術家の、晩年を迎えた人の、再生プロセスを目撃したような感覚。
カギを握るのは、普通の人々の痛みを伴う素直で繊細な心情だった。
柿丸美智恵さんが読む短歌にボロ泣きする。
誰かが短歌を読むのを聴いて泣いたのは、初めての経験だ。
緒方茂吉、その後の人生も観たくなる。

ネタバレBOX

窓の外には山影のような風景が見える。
簡素な田舎家の一室、斎藤茂吉(緒方晋)が文机に向かって背を丸めている。
終戦後も引き続き疎開している茂吉は、以前のように歌が作れなくなっている。

訪う者と言えば賄いの農婦守谷みや(柿丸美智恵)一人だったはずが
まず父の様子を見に次男宗吉(西尾友樹)が来て、
次に長男茂太(浅井伸治)と茂吉の一番弟子山口(岡本篤)が来て
この疎開先はにぎやかになっていく。
癇癪持ちの”お父様”が怒らない、という異常事態に息子ら3人は異変を感じる・・・。

歌が作れなくなった理由はひとつではないだろうが、
戦争詠み(戦争を賛美するような歌)を強要され、不本意ながらそれを受け容れたこと、
自分の衰えを自覚せざるを得なくなる絶望感などがあるかもしれない。

そんな茂吉を腹の底から揺さぶってガツンと来るような出来事が起こる。
なんと賄いのみやさんが「赤光」の初版本を愛読していたというのだ。
茂吉に「好きな歌はどれか」と問われて彼女が口ずさむ「死にたまふ母」数首の温かさ。
「自分の母はまだ健在だが、戦死した3人の息子たちが生きていたら、こんな風に
見送ってくれるのか・・・と想像してしまう」と語る切なさ。
茂吉が改めて読者の心情に思い至り、歌を詠む意味をもう一度見いだすきっかけとなる。
この「死にたまふ母」を読むシーン、出色の場面である。
一瞬主役が入れ替わるかと思うほど柿丸さんが素晴らしい。

みやさんはまた「山はずっと昔から同じはずなのに、それを見る自分の心持ちによって
見え方が変わる」とも語る。
自然に自己を投影させる、まさに茂吉が提唱する「実相観入」理論である。

これを機に茂吉の様子は一変する。
蔵王と鳥海山が見える場所へ移り住み ”疎開延長” することを決める。
冒頭のシーンと同じく文机に向かう姿勢で終わるが、ラストの背中はその力強さが全く違う。

作品全体の台詞のテンポが素晴らしい。
次男が初めて戦地での体験を語る場面、観客の想像力をかきたてるに十分な間。
緒方さんの茂吉は、怒鳴っても優しくても、悶々としていても台詞が無くても
佇まいが「斎藤茂吉」で本当に素晴らしかった。

悪妻の存在、昆虫大好きな変人の次男、律儀な長男、茂吉に人生を捧げる一番弟子と、
取り巻くキャラの豊かさもエピソードに事欠かない。
チョコメンバーの個性がぴったりとはまって、悩める老人の周囲を大きく動かす。
客席がどっと沸くようなユーモア溢れる場面も多く、シリアスなテーマとのバランスも良い。
向き合うべき「白き山」を得て、茂吉は今後どんな創作活動をするのだろう。
茂吉再生の糸口となった、柿丸さんの「死にたまふ母」を私はずっと忘れないと思う。

阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
昔、捨て子・孤児等が寺に集められ、民衆のために死んでゆけと教えられ、人柱・生贄として育てられた子供たちがいた。民間信仰のようなことから材を得て、地続きの今に警鐘を鳴らすような公演。愛情も学問もなく、ただ人身御供のためだけに生かされた童の存在ー「阿呆丸」と呼ばれた。物語では名前が付けられたのか否か、数えるだけの、ひい・ふう・みい という三婆にその役を担わせる。

本当にそんな伝承・風習があったのか。時代の流れ 大きな渦の中に、その存在は形を変えて浮き上がってくる。時代は昭和初期、物語は昭和12年から始まり日中戦争へ。上演前には、HP説明にあるような「明治政府は…生贄・人柱を殺人罪として禁止 時は流れ 昭和の時代、戦争の足音が近づく頃」と書かれた立板。勿論、生贄・人柱は戦時における出征を示唆している。時代に翻弄されるのは、当時に限ったことではなく、「阿呆丸」は決してあってはならないこと と思う。

公演では、主役で阿呆村の女頭目を演じた 音無美紀子さんの存在感が凄い。彼女を中心とした役者陣の熱演が、公演を支えているといっても過言ではないだろう。物語の世界観が緊張・緊迫をもって語られる。桟敷童子らしい舞台美術・装置がラストを印象付ける。そう言えば 「獣唄2021-改訂版」(主演:村井國夫サン)の時と似ているような…。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定

朗読劇「混血脈 - MIXSEED 覚醒 - PLUS+」

朗読劇「混血脈 - MIXSEED 覚醒 - PLUS+」

WizArt

Duo STAGE BBs(東京都)

2024/05/31 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

レトロだったかなぁと
朗読劇ながらも役者さん皆
登場人物の衣装等でキメてて
作品世界を作っていました

舞台背景にイラストや
場所などの風景等を投影して
理解に貢献していました

長大な物語の
いちエピソードという感じで
完結はしていたが
食い足りない感じがしました

ネタバレBOX

背景での登場人物イラストが
自分的に80年代の
同人ソフト風に見たかなぁ

古典SFとか
ダイジェスト風にしたら
上手かなとかも思えました
かれこれ、これから

かれこれ、これから

ONEOR8

新宿シアタートップス(東京都)

2024/05/31 (金) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/04 (火) 19:00

価格4,800円

 笑いあり、涙あり冒頭からカーテンコールまで、「時間が経つのを忘れたい」ぐらい面白かった‼️「もう一度見たい」と素直に思ったし、出来れば同じメンバーで再演してほしい‼️そうそう「ネタバレ」は見ないでスーッと席に着いてご覧になる事をオススメします。当日いきなり行って、ドタキャンのお陰で入場出来た‼️最高のひとときをありがとう‼️笑って、笑って、ホロッ、笑って、笑ってまたホロロ。演出さん、演者さん、スタッフさん全てに感謝❗️この劇団にハマりそう。再演を強く強く望みます。
カーテンコールの際、恥ずかしくてスタンディングオーベーションしなかったことを悔いてます。また観たいよー。ありがとう😊

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!

本多劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いや~見事な舞台ですね。グッときました。

野がも

野がも

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2024/06/07 (金) ~ 2024/06/21 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ドロドロの昼メロのような話である。イプセンの作品が書かれた1880年代で、その時代にはまだ世間のスキャンダルが演劇の素材にはなっていなかった。離婚、妻の家出、妻の不倫、婚外子、相続問題などなど、(まだ上流階級が主だったとは言え)一般市民のトラブルを素材にして舞台の上の人間の真実を描いて「近代劇の父」と言われている。
今回の俳優座の上演は「築地小劇場百周年記念上演と角書きれているように、日本でも新劇が始まった頃から数多く上演されている。随分昔に見た記憶では、暗い室内会話劇で人生の真実の発見と言うよりは、暴露ものという感じだった。五幕の舞台は殆ど主人公の家の中、「野鴨」というのは家で飼っていた家鴨である。長いという記憶もあったが、今回は、全体を二幕にまとめて、時間経過を音響効果の音と、並行してシーンを進めるという処理で、複雑な人間関係のドラマがどんどん進む。このテキストレジの旨さが第一だろう。
俳優たちが上手い。俳優座でいつも感じるのだが、端役まで、なぜそこにいるかが解る。ドラマの世界を支配する財産家(加藤佳男)のお手伝い(清水直子)で、お手つきとなって、かつての共同経営者の息子(斉藤淳)に下げ渡しになって、今は一人娘(釜木美穂・新人)をもうけ、財産家が与えてくれる捨て金で写真の店を妻がやりくって暮らし、本人は発明の夢にすがって生きている。親に反発して山の中の鉱山で労働者の待遇改善に努めている財産家の息子(塩山誠司)が戻ってきて、かつて親しい友人であった息子同士がそのパーテイ出会うところから舞台は開く。
このパーティのウラの近代社会の生んだ歪んだ人間模様が次々と暴かれていくドラマである。筋はよくわかる。俳優も的確に演じていて、清水直子など、まぁ、むちゃくちゃに上手い、よく客演で呼ばれるのも頷ける。再婚をもくろんでいる財産家の妻となる女(安藤みどり)も、カモを飼っている一人娘も、ベテランから新人まで、揃って上手い。しかし、いまは市井では見つけにくくなった日陰の身で暮らす子供たちを巡る葛藤にリアリティを出す演技はかなり難しく(コミカルな選を狙ったのは冒険だった)苦労しているが上滑りしてしまうのは時節柄やむを得ない。この俳優たちの大健闘が第二。
イプセン劇をいま、その原作に忠実に生かすとしたら、良い出来だった、と言うことになるだろう。しかし、巧妙に組まれた物語は終わってみれば古めかしいし、俳優たちの旨さも、一昔前に、役者の揃った時代の新派の舞台を見るようである。
そこをいささか知っているものには現代新派も悪くないと楽しめるが、結局は日活映画を支えた新劇団黄金期の俳優たちとおなじ役割を果たすだけになってしまうのではないか、とも思う。築地百年、劇場消滅の時期である。そうなると、これはまさにリアルな俳優座が支えた新劇そのもののドラマと言うことになってしまう。時代の転換点を感じさせる舞台でも会った。zそれはどうなんだろう。15分の休憩を挟んで1時間25分と1時間の二幕。稽古場劇場は老人客で満席。

ネタバレBOX

ここで言う「日蔭の身」というのは、昨今はどこにでも見られる「母子家庭の親子関係」や「契約で暮らす第二夫人」とは、ぜーんぜーん違う。そこが明確になっていないとこの芝居なんだかいまの人には訳がわからないだろう。。真鍋さんのお近くにはそんな方がいないのは残炎だった。、
心は孤独なアトム

心は孤独なアトム

“STRAYDOG”

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2024/06/05 (水) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

とてもパワーのある作品でした!!
笑あり、涙ありの超良作!!
ダンスの躍動感や、登場人物一人ひとりが生き生きと描かれていました✨
Dogさんの作品は、また必ず次回作も観たいと思せてくれる魅力があります^ ^
新作も楽しみにしています♪

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!

本多劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

昭和23年の日本、武骨で破天荒な男達
作家だから、というエクスキューズがあったとしても現代の作家さんはもうちょっとスマートに生きているのではないかと
それでも強烈な生き方に惹きつけられるが故に実在した作家さんを描いた作品には名作が多く、本作も唯一無二の傑作
熱い血の流れる演技をされるゴツプロさんと脚本との相性がとても良かった

笑いに溢れた舞台であったけれど、皆が必死に生きている姿そのものであり決してコメディー的な笑いでは無い事がポイント
作家たちの壮絶な生き様に加えて腰の低い編集者たちも中々の狸
とても一般人が入り込める隙などないのだけれど、どうにも惹きつけられる男達、女達
そう!3名の女優さんが出演されていますが三者三様の立場で凄く良い味が滲み出ていて作品に何とも言えない深みが
ずっと受け継がれた伝統料理みたいに日本人に合った味覚で心に深く染み込み、後に複雑な苦味が広がる大人の舞台でした

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!第九回公演『無頼の女房』

ゴツプロ!

本多劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

登場人物が誰がモデルだか分かれば、もっと楽しめたんだろうなあ。

ネタバレBOX

中原中也はわかる。
豊臣は太宰治がモデルか?
持っているイメージとかなり違うけど。
あとは分からないなあ。
かれこれ、これから

かれこれ、これから

ONEOR8

新宿シアタートップス(東京都)

2024/05/31 (金) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白かった!
笑いながらも考えさせられる芝居をいつも魅せてくれる

ネタバレBOX

途中で「え??」となった。たぶんお客さん全員がww 面白い演出。
でもそれが逆にメッセージのようにもなっていた。見た目が若い2人が恋仲になることに、何の違和感もないで見ていた。それは年齢の違いだけで、あとは何も変わらないことを逆に印象づけてくれていた。
白き山

白き山

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ネタバレ

ネタバレBOX

劇団チョコレートケーキ『白き山』を観劇。

あらすじ:戦後を故郷の山形で迎える斎藤茂吉だが、新しい短歌を書けずに苦悩している所に息子たちと弟子が東京から駆けつけてくる。どうやら戦時中に戦争賛美歌を作り続けたのが原因のようで、彼の戦争は未だに終わっていないようであったのだ…。

感想:斎藤茂吉の生き様と戦後に生き残った日本人がどのようにして新しい価値観の下で生きていくか?というのが根底に流れている内容だ。
癇癪持ちで鰻好きな斎藤茂吉のキャラクターに憎しみと愛すら感じてしまうが、彼の人生を表面にして、裏面では日本人の在り方が問われている。戦後と現代では全く環境は違うが、語り継がれるテーマとメッセージに時代錯誤すら感じないのは、己のアイディンティーをどのようにして見出していくかが生きる上での鍵になると明確に言っている点だ。それこそが戦後の混乱期から復興を遂げた理由であり、時代を超えてでも掴み取らなければいけないのだろう。そしてそれは「とても美しいものなのだ!」と斎藤茂吉の心の短歌が叫んでいるのである。

斎藤茂吉役の村井國夫の降板は残念であったが、代役に緒方晋が来たのには感慨深いものがあった。彼の芝居をたっぷり堪能したい小劇場ファンはどれだけいただろうか?
そう、この日を待っていたのである。
ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

劇団扉座

座・高円寺1(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

座席1階

「桜の樹の下で」というのがキーワードだ。「ああ、今日はいい夜だ」というせりふがあるが、小春日和(夜だけど)の中で、季節外れで咲いてしまった桜が舞い散る。ごちゃごちゃに絡んでしまった複雑な人間関係の糸が、ぱあっとほどけていくような爽快感。そんな思いに共感できるいい舞台だった。

冒頭は結構衝撃的だ。大酒飲んで家に帰ってきて居間で眠り込んでしまった中年男性。目が覚めるとなぜか、全身パンダの着ぐるみでパンダメークまでしていて「なんだこれは」と絶叫する。それもそのはず、前夜の深酒がたたり、たまたま立ち寄ったスナックでハロウィンのコスプレをしたことを全く覚えていなかったからだ。さらに、居間の片隅で見知らぬおじさんが寝ていた。何とこの人、深酒した自分をマンションの部屋まで連れてきてくれたのだという。
そればかりではない。舞台が進行するにつれ、次々に見知らぬ人が訪ねてくる。その人は誰なのか、何で訪ねてくるのか。どうも前夜のことと関係があるようなのだが、はっきり思い出せない。それは恐怖であるに違いない。
しかし、舞台の進行と共に、実はそんなに悪くない出会いであると解き明かされていく。最終的には前向きな気持ちで次のステップを踏んでいけるというところが扉座らしい。もっとも、こうした物語の展開は横内謙介の妄想の産物なのだが、誰もが経験があるような妄想を劇作にしてしまう才能、やっぱり劇作家の思考回路だ。

テーマソングは「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。かまやつひろしのこの曲を座高円寺で聴けるとは思わなかった。この曲が流れていたとき、自分もまだ、この曲のいい味を分かる年齢ではなかったのだが、若き扉座ファンにとってはムッシュと言われてもピンとこないであろう。

白き山

白き山

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり」
アララギ派(正岡子規の信奉者)の師である伊藤佐千夫が脳溢血で早逝。「師匠の照らした遠く続くこの一本道を魂の極わるまで歩き続けなくてはならない。」との覚悟の歌。
正岡子規の掲げた写実(写生)主義とは、絵画の方法論と同じく現実をありのままに写すこと。
更に斎藤茂吉はそれを深め、『実相観入』という造語を生み出した。自然と自分とを同一化し、対象に観察者である自己の存在をぶつけて生命そのものを写すこと。

1945年9月、敗戦してまだ一ヶ月、混乱の世相。郷里の山形県金瓶(かなかめ)村で妹の嫁ぎ先の離れに疎開していた斎藤茂吉(緒方晋氏)、63歳。精神科医で歌人。戦時中に「戦争詠み(時局詠)」と呼ばれる戦意高揚の短歌を詠んだことで、敗戦後「戦犯歌人」と罵られることに。近所の農婦(柿丸美智恵さん)が賄い婦として食事の世話をしてくれている。様子を見に東京から立ち寄った次男(西尾友樹氏)は手紙で兄である長男(浅井伸治氏)と斎藤茂吉の弟子である山口茂吉(岡本篤氏)を呼び寄せることに。

MVPは柿丸美智恵さん。実質、彼女が主人公なんだろう。凄腕。
西尾友樹氏は非常にコミカルな役を怪演。異常にどったんばったん地面に転がり、全身を使って笑いを取る。肘上に痣が見えた。かなり身体を酷使した役作り。煙草やマッチが散らばり、土塊が散乱。
緒方晋氏は大御所役者の風格。体調不良で降板した村井國夫氏の代役なのだがそれを全く感じさせない。彼以外考えられない。

戦後の松竹映画の雰囲気。淡々とした描写を重ねて内面を風景で補完させる。
観れるのであれば必ず観ておくべき作品。
是非観に行って頂きたい。

ネタバレBOX

岡本篤氏がやたら咳き込むので、体調が悪い中の出演か?と思って観ていたらそういう役だった。
西尾友樹氏の演じた次男は後に作家として大成功する。精神科医の傍ら北杜夫のペンネームで作家となり、旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ』シリーズはベストセラーに。芥川賞も獲り順風満帆だったが、躁鬱病を発症し狂乱の株取引で自己破産。周囲から借金を繰り返し準禁治産者宣告を受けることに。
浅井伸治氏の演じた長男・斎藤茂太も精神科医、随筆家として名を残す。日本旅行作家協会を設立する程の旅行好き。

物語はただの農婦キャラだった柿丸美智恵さんが実は短歌好きで正岡子規や斎藤茂吉の『赤光』を発売当時から買い求めていたことを告げてから動き出す。言葉に出来なかった自分の気持ちを作家が代弁して形にしてくれたように思えた嬉しさ。名もなき自分の誰にも伝えることの出来ない想いが作品として刻印されること、その瞬間を封じ込めた一冊の本。
山形県と宮城県の境として屹立する蔵王連峰。その峻厳なるフォルムは古来より人を本能的に畏怖させる。戦争に息子達を取られてからというもの、蔵王を眺めれば恐怖と苦しみ、痛々しい悲痛な想いしか感じられなかった。息子を全て失って、今蔵王を見遣ると、何故だか「頑張れ!頑張れ!」との励ましの声が聴こえてくる。何故だろうか?

その話をじっと聞いていた斎藤茂吉(緒方晋氏)ははっと気付く。自分が歌を詠めなくなったのは自分自身の心の問題であった。自分が『実相観入』によこしまな意識を入れたせいだ。間違っていた。自然は常に「生きろ」と告げる。「死にに行け」なんて言う筈がない。その声が聴こえなくなったのは自分の心の問題だ。彼はまた自分の中に歌を見付け出すラスト。

ただ自分が物足りなさを感じたのは脚本の密度なのかも知れない。歌人の再生物語としては弱い。

太平洋戦争開戦は日本国民の大多数が支持していた。米英の経済封鎖に我慢に我慢を重ねて来た日本が到頭怒りの鉄拳を振るう時。国民は往来で口々に万歳を叫び、士気を鼓舞した。自国が戦地でなければ戦争はオリンピックのようなもの。国民的歌人の斎藤茂吉が戦争詠みをするのは至極当然の事。誰も日本が戦争に大敗し無条件降伏を呑んで占領されるなんて想像していなかった。
1945年9月18日、朝日新聞に載った鳩山一郎の談話が問題になり、GHQは発行停止処分にした。原爆投下や市街地への無差別空襲は国際法違反であるとの内容。この日から米軍批判は絶対的タブーとなり、言論統制が始まる。GHQは「ウォー・ギルト・プログラム」という計画を立て、「戦争の有罪性」を日本国民に知らしめていく。全国紙に連載された「太平洋戦争史」とラジオ・ドキュメンタリー番組「真相はこうだ」の放送。続く戦犯認定と東京裁判、左翼活動家達の釈放。日本人の価値観はたちまち引っくり返り、自分達は軍部の恐怖政治に支配されていた無辜の民、被害者であったことにした。

実際の斎藤茂吉は「戦争詠み」に全く恥じてなどいなかった。国民の思いを代表して詠むことの何が悪いのか?逆に敗戦で価値観が簡単に引っくり返ることの方が恥ずべきこと。戦争を起こしたのは無辜の民で、自分達自身であることに向き合うべき。自分を断罪せず、他人のせいにしていてはこれからも何も変わらない。

※ここから余談、黒澤明の『醜聞〈スキャンダル〉』の冒頭、画家の三船敏郎が山を描いている。地元民がその様子を眺めているが、現実と絵の山とは全くの別物。そのことを訊ねると「目だけではなく自分の心全体を使ってこの山を受け止めているんだ。」的な言葉を返す。(うろ覚えなので全然違ったかも知れない)。元々画家志望だった黒澤明、こんなふうに考えているんだなあと参考になった。
そして晩年の『夢』の第5話『鴉』。美術館でゴッホの絵を眺めている黒澤明。そのうち絵の中に入り込んでその景色の中を歩き回っている。随分と彷徨うと作者であるゴッホを見付ける。黒澤明にとって絵を観るという行為は、魂のレヴェルでそれを描いた作家と会って対話することであったのだ。当時驚いた記憶がある。
まるは食堂2024

まるは食堂2024

Nana Produce

座・高円寺1(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

何度目かこのタイトルをチラシで見て(「続」が付いたのも同じデザインらしく)、「では一度観てみるか」と足を運んだ(正に宣伝効果)。

実話に基づく芝居であり、知多半島で夫婦で漁師をしていたおかみが夫の若死にから紆余曲折を経て食堂そして旅館を経営するようになった一代記なのだが、脚本・演出は佃典彦、恐らく中京文化圏における「郷土史の宝発掘」の趣きである。従って「いい話」という大前提がある。何しろ女将は近年まで実在したのである。
これは演劇が一つの「歴史」を描く際にどういうスタンスがあり得るかを考えさせる。

私はこの舞台に物足りなさを感じたのだが、その大部分は竹下景子の演技であった。女将という既に大きく認知された存在、その評価の量的大きさに、竹下景子というタレントのタレント性の量的大きさを当てている、その企図だけが私の目に入って来る。特に鼻に付く演技をしているわけでも目立ち過ぎといった事でもない。一見普通にお芝居をしているのだが、その演技の根底に、「俎上に乗る」覚悟がない。女将という存在は大きく、その大きさを体現できるわけではない自分を、彼女はどう処しようとしたのだろうか。シリアスな場面も無くはないが、基本コメディタッチである。これは演出の意図に違いないが、そこに乗っかる主役として、何らかの人物像(決して本人にはなり得ないが俳優なりに作り出した)を果して提示しようとしたのか・・そこに大きな疑問が残る。その作業を「敢えてしなかった」のかも知れず、演出のリードではその余地を見出す契機を捕えられなかったのかもしれないが、私には「さぼった」としか思えない。つまりそこがボッカリ穴になって見えた。
感情を露わにする真剣な演技が出る場面もある。だが、他の場面になると「戻って」しまう(そのように見える)。
一つの人生を描いてはいる。だがこの女将でなくても良かった。全く架空の人を描いた事にしても良かった。何だかそう思えてしまった。酷評であるが、私がこだわる部分に「抵触」してしまったようである。

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