白衛軍 The White Guard
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2024/12/03 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ロシアの2月革命終了直後、ウクライナ・キーフを舞台とした白衛軍(第一次世界大戦時の三国協商で手を結んだドイツを
後ろ盾とする旧ロシア帝国の軍人たち)、ボルシェビキ(レーニンをトップとして2月革命を成功させ、ロシア全土における
ソビエト勢力の伸長を図る共産主義者)、ウクライナ人民共和国(シモン・ペトリューラを首班とするウクライナ民族主義者の
軍団)の三つ巴を描いた大河作品だが
実際のところはみんなして農民を中心とする庶民からの略奪、何のために行われるのか殺し合いの意義が分からない戦闘、
移ろいやすくあやふやな人々の支持を後ろ盾にしているという3点で、ほとんど似たり寄ったりの3勢力で、そこがロシア語
圏以外の鑑賞者の分かりにくさを増しているようにも思う。
もちろん、そういうふうにみせているのは、こうした勢力からなるべく中立でいようとしたと公言している作者ブルガーコフ
(白衛軍側の軍医として参戦していた)の意図だし、現にスターリンは本作を赤軍の偉大と白軍の没落として読み取って称賛
していたといい、その意味で読みが重層的な作品だなと思う。
日和見主義的な態度に終始するドイツ軍、大勢を見捨てて逃亡する上層部など、敢えて滑稽に皮肉めいて描いている部分も多々あり、
笑いも多いので事前に配布している人物相関図、またはこの頃のウクライナやロシアに関するwikipediaあたりザラッと見とくだけで
すっと入っていけるかと思われます!
ネタバレBOX
ウクライナ出身で母親もウクライナ人であるノーベル文学賞作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチに「戦争は女の顔を
していない」「ボタン穴から見た戦争」という有名な聞き書き作品がある。
これは第二次世界大戦を舞台にしているので、厳密には本作と直接関係ないのだが、ひとたび戦いが起こると「そこは大人の
男たちの台頭する世界で、女や子供というのはただの添え物でしかない」という現実だけがある、という意味ではものすごく
同じ状況だなと思った。
一番象徴的なのは、トゥルビン家の長女イリーナと次男ニコライ。前者は男ばかりとなった家の中で紅一点となり(当然ながら
戦場で女性が果たす役割はほぼ無い=存在しないようになる)、家の中のことを一手に引き受けつつ、男性たちからひたすら
憧れと詩や歌を捧げられることとなり(おそらくだけどフェミニズム批評では、戦争という男性的なものにおいて、女性は
ミューズ化されるという形で指摘されるのではないかとみられる)、
後者については、ただただ無邪気にロシア帝国の偉大と戦場での活躍を信じていた少年だったはずが、長男の白衛軍大佐
アレクセイの眼前での死、共和国軍を自ら射殺しまた負傷させられたことで、常に爆発音におびえ続けるPTSDで半分廃人
状態となった「抜け殻」になってしまったことが、
古今東西、ありとあらゆる歴史書や文学作品などで数限りなく描かれた戦争の姿をここでも描き出しているな、と。
それはそれはビックリしてしまうほど忠実に。
舞台はすでにいわれているように1F客席の半分を潰して、大掛かりな回転セットを仕込んでいるが、演出自体は
オーソドックスなもので、それが逆に「冷たいリアリズム」を強調していたように思う。
個人的には序盤の家のセットがせり出す前の不穏な脈動音(この作品、先に触れた爆音とともに直接的な残酷描写を
避ける代わりに音の演出がだいぶ使われ、また効果を上げていた)と、氷が吹きつけて凍りついたように仕立てられた
舞台両脇の柱が特に焼き付いています。
セツアンの善人
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2024/10/16 (水) ~ 2024/11/04 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
貧困、犯罪、詐欺、堕落の限りにある地区セツアンで神からも認められた唯一の「善人」にして
身体を売らないと生活できないシェン・テ、という人物設定がすごく皮肉めいている(善い人が
貧民街で一層下の地位にある)のと、
シュイ・タって現代的にいうとシェン・テの“裏アカ”だよね。シェン・テが決して表立ってできないこと、
言えないことを代わりにやってのけることでそのストレスや抱える負担を減らしてるわけだから。
80年前の舞台と聞いたけどイヤにリアルな人物描写といい、まったく古さを感じさせなかったのが凄い。
ネタバレBOX
自らが作った世界にいる「善人」を見つけるべく、長い長い旅に出ている神さま3人組。
自分たちに冷たいセツアンの人々を見て肩を落とすも、唯一宿を与えてくれたシェン・テを
「善人」と認定し、お礼にお金を与えてくれた……
のだが、シェン・テがそのお金で新しい店を開いたところ、セツアンの人々がおんぶにだっこで
自分に「寄生」するため、たまりかねたシェン・テは冷徹かつ感情に揺さぶられない企業人にして
いとこのシュイ・タへと成り代わり、やがては大きなたばこ工場の企業主として辣腕を振るうことになるが……
ブレヒトは生前、アメリカや西ドイツを離れて東ドイツで終生暮した、筋金入りの共産主義者にして左翼
なんだけど、シェン・テやセツアンの人々を社会の底の「犠牲者」「殉教者」として描き切らないのが
いいなと。
セツアンの人々はいい意味でも悪い意味でも考えなしで無邪気でその日暮らしでやっている、善人とみれば
利用することしか考えない性質の人々だし、シェン・テもそうした人に悪態はつくし、「人に施すのは
気持ちいい」と告白することからして汚れなき本心から善行をやっているのとは違って、いかにも現代的な
「承認欲求」が見え隠れする単純じゃない人物だなぁと。
さっき“裏アカ”の話したけど、誰かに貢いじゃって気持ち良くなるタイプの現代人にも通じるキャラ造形なのよな
シェン・テって。そういえば「夢語る系」だけど金の工面も手に汗かいて仕事もできない、ただのパイロット
志望なヒモ男のヤン・スンにハマってる姿とか、お金全然ないソープ嬢や女子大生あたりがホスト狂いする構図と
全然変わらなくって怖い……。現代が80年前と実は同じ、ってことでもあるのだけど。
それでいうと、シュイ・タが仕切ったたばこ工場、使われてる人にとってすれば「搾取」かもだけど、舞台から離れて一連を観察しているこちらからすると、セツアンの人たちもヤン・スンも働く前よりよっぽど生き生きしててどっちがいいのやら、と正直思った。おそらくだけど、8割の人がそう感じたんじゃないかな……?
ブレヒトの批判的な目は、善人を善人のまま生かそうとしない神さま(宗教)、ひいては社会に向けられていて。
神さまや社会は、人々のためを思って善行の限りを尽くす善人を口を極めて称賛するけど、相手が苦しいと知るや
「善人は試練によってさらに磨かれるのじゃ」「手を差し伸べることはびた一文えできないのじゃ」といって
無力な存在を装う。そうした態度をブレヒトは、「何なんコイツら、世界を創造したはずなのに口だけ回って何も
できない連中なんじゃん、そんなの尊重する意味ってあります?」と嘲笑しているようにも思えました。
また、神の調停ですべてが最後に解決する古代ギリシアの演劇と違って、神は「セツアンの善人」でただ舞台を去っていく
存在に過ぎず、シェン・テはじめ街の人たちの問題はノータッチで宙ぶらりんにされる。これは、「神なんてもう
この世界には存在しないも同然なんだよ(=問題解決の最終手段ではない)」という左翼的なメッセージとともに、
「あらゆる問題はこの舞台に立つ自分たちが誰よりも何とかしなきゃいけないのであり、“いい結末”は自分たちの選択と
振る舞いで全部決まるんだよ」という、広くみれば「選挙の一票」にも通じる息の長い「政治劇」だとも感じました。
コインランドリーの乾燥機をデカくしたような舞台装置、いざ暮らすにはせまっ苦しくてこの舞台には合ってる気がした。
そしてヤン・スンは気持ち悪さと痛々しさで本作のMVPといえるなぁと。とにかく男がそろってヤバいやつしかいない(唯一
水売りだけが相対的にマトモ)あたり、ブレヒトが男性なのも併せて考え込んでしまう……。
『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』
Bunkamura
世田谷パブリックシアター(東京都)
2024/09/10 (火) ~ 2024/09/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
2002年発表の「A Number」、2021年発表の「What If If Only」という2つの作品を、20年の時を超えて
ひとまとめに上演しようという野心的な試み。後者の上演時間が20数分しかないため、事実上の
「A Number」への導入として読み取るべきなのかな、と。
「A Number」は3人目のクローンの存在が重要なのは分かるけど、調理の仕方、もしくは出し方を
ちょっと間違った感があって、そのために戯曲のテーマに入り込めなかった感がある。なされる
会話もちょっと意味深で分かりにくいし……。
ネタバレBOX
●What If If Only
とある住居の一室で愛する大切な存在を最近失ったとおぼしき男性の悔いと思慕に満ちた独白で始まる本作。
男性は愛する存在が今ここにいてくれたら……と心より願うが、そんな彼のもとに
「起こらなかった未来の亡霊」(赤いドレスを着込む)
「現在の亡霊」(黒づくめの恰好でやはり黒いハットをかぶる)
「唯一残った未来の亡霊」(赤いカジュアルな身なりの若者)
が次々とやってきて……という話。おそらくだけどディケンズ「クリスマス・キャロル」を下敷きにしていると
思われる。
男性は「起こらなかった未来の亡霊」に愛する存在と会わせてほしいと懇願するが、相手はすでにその未来は死んで
しまった、他の同様のものと同じく決してかなうことがない願いだと告げる。しかし「唯一の未来の亡霊」は自らを
知らず、無限に持つ可能性にも無頓着でただ「(何かが)起きるよ!」と声を上げるのみ。
かなりファンタジックで設定もぼかされている部分が多いので、人はただ不確定な未来にのみ希望を良くも悪くも
見出せる、という話として受け取りました。
●A Number
4歳の息子を亡くしたある男がクローンを作り出すも、医療機関側の違反行為によって20人もの外見が
同じわが子が生まれてしまった。そのうちの1人である粗暴なクローンは父親のもとを訪れ、自分の
不遇さを訴えるとともに、自分と同じ顔をしながら恵まれた生活を送っているかのようにみえるもう1人を
殺す、と宣言する……。
言い回しのせいか登場人物たちが置かれている立場が断片的にしか分からず、あらすじ解説にだいぶ助けられた
感がある……。
あと、3人目のクローンは家族に恵まれ、人生にもさほど苦悩していないようで、「クローンはある人と全員が同じ
見かけをしているけど人生まで同じってわけじゃないんだよ」ということを言いたかったのかもだけど、人が2人
死んだ締めくくりとしてはちょっとなんだかな~って思っちゃったかな。
う蝕
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2024/02/10 (土) ~ 2024/03/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
年始の地震を踏まえて構成が変更されたらしいけど、近くには監獄島である「カノ島」しかない
交通の便もさほど良くなさそうな漁業と観光業で生計を立てている人が主と思われる島で起こった
“う蝕”とされる自然災害によって、数多くの人が一瞬のうちに溶解した地中に飲み込まれた……と
いう設定、かなりの影響を受けている、というかまんまだなと。
”不条理劇”と銘打たれているけど、見る人によっては鎮魂の一作にもなるし、別の側面から見れば
軽くサスペンスにもなるし、単純に俳優目当てであればいい演技とともにハートフルで少しクスッと
できる作品を観ることができた、ってお得な気分になれる。
とっつきにくそうなタイトルとポスタービジュアル、あらすじに反して実は結構間口が広いと思う。
ネタバレBOX
坂東龍汰や綱啓永など若手人気俳優を起用しているので、どうなるんだろうとかなり興味関心
あったんだけど、みんな何気に叩き上げの人たちばかりなので、尋常じゃなくお芝居が上手い。
特に新人医師として「コノ島」にやって来た木頭役を演じた板東が、嫌味にならないレベルの
ツッコミやジョーク、まっすぐしつつもどこか軽いキャラクターで、ぐいぐい作品を引っ張って
いっていたのが印象的。島に移住している医師・根田役の新納慎也とのタッグがカッチリと
ハマっててついつい笑っちゃう。
というか、この劇ウケどころが多いんですよね。めちゃくちゃ引っ張るササキザキさんネタとか(笑
舞台美術もスゴかった。ひび割れた巨大な漆喰壁みたいなのにキラキラとした薄ピンクのきらめく
光が照らされる中、右端に1本だけちょっとした丸太が立てかけてあるという意味深なセットが
組んであるだけで「これどうなるの?」と思った人ほとんどだと思うんですよ。
まさか開幕とともに真ん中から花開くがごとく、上下左右がバッと開いて視界にがれきの山の
新しいセットが奥まって広がるなんて誰も思わないんじゃないですか……? 爆音で響いた
冷たいダークアンビエントや、大きく開いていく漆喰壁セットの向こうに一瞬だけ見えた、
火災を思わせるメラメラとした赤い光とか、不安と期待を煽るの上手すぎだなって。
作品前半の方は、最近の世情を思わせるようなネタをチラチラ挟みつつ、でもそこに作者としての
メッセージを込めないことで、逆にエモくなりすぎるのを避けていた気がする。私たちが今いる
客席と舞台上をリンクさせつつ、完全に感情移入まではさせないようにするというか。
最後の方で木頭と加茂がすでに「第2のう蝕」で亡くなっていることが明言され、物語は一気に
鎮魂的な方向に向かうわけで、加茂の亡くなった後に墓標を立てる静かな終わり方もそれを
踏まえているんだろうけど。
この物語、主要人物以外の第3者の目が入ってこない(「第2のう蝕」以降、ほとんどの住民が本土へ
避難しているという設定)ので、実は死んでいるのは6人全員なんじゃないか?って思ってた。
ササキザキさん最後らへんで消えてたのも「あ、もしかしたら……」って感じたし、根田も災害後に
自分がどう感じ考えればいいか分からなくなったことにひどく苦悩してたけど、未曽有の災害で
心の傷を負ったという見方のほかに、もうすでに死んでいて感情や感覚を失っちゃっているのでは、と
感じた。
地中深く沈んだはずの木頭の遺体だけ見つけられた、というのも不思議なんだよな。死んでいることにすら
気付かないまま、沈丁花手にして慰霊と遺体発見に打ち込んでるんじゃないか……って。こういう読みも
できるので一見の価値はあると思う。ただ前半特に世界観と密接した長尺のセリフが続くので、ウトウト
してしまう危険性はありますが……。
「考えるのが無理だったら祈り続ければいい」というササキザキさん(笑)の言葉すっごく刺さったな。
SHELL
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2023/11/11 (土) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
「青春ファンタジー」と銘打たれてはいるけど、その言葉に当てはまっているのは序盤と終末部のみで
どちらかというと難しいテーマを2時間ぶっ通しで貫く硬派な作品。
どちらかというと観る側に何かを投げかけているというよりは、演じる側がこの作品を通過して何を感じて、
得るのかにフォーカスした潔い作品だと思う。
ネタバレBOX
私立の「静水学園高校」に公立から赴任してきた担任がある時を境に、学校から姿を消してしまい、
クラスメイトたちが今後について話し合っている場面からスタートする本作。群像劇的な要素が
あるかと思いきや、物語の中心は希穂(石井杏奈)と未羽(秋田汐梨)を中心に展開していく。
どうやら担任は私立校の生徒向けの「取り繕った顔」と「本来の自分の顔」のギャップに悩む中、
ある受け持ち生徒からそのことを指摘されたことで消えてしまったらしい。とあるラジオ番組に
投稿された担任らしきメッセージには「今は一人一人に向き合っています」といった意味深な
言葉が書かれていた……。
話が進むうちに、希穂は別の他人と交感し、つながることのできる能力があることが分かってくる。
その事実を知っているのは、誰が希穂とつながっているのか一目で見通せる稀有な能力を持つ未羽
だけだということも分かってきて、さらに物語は難解かつでも大切なテーマに進んでいく。
脚本が倉持裕なのでキュンキュンしたり、切なくなったりするようなエピソードはほぼなく、ひたすら
「他人のことを“知る”もしくは“知った”とはどういうことか」「人と人とはどのような関わり方ができ、
また理想的なんだろうか」という問いかけと仮説じみたものをずっと繰り広げていくタイプのもので
そういうことをずっと、そうでなくてもチラチラ考えているような人にはグサグサ刺さるんだろうなって
気がする。
個人的には、自分に告白してきた咲斗に、希穂が恐れていることとして「自分が咲斗のことをどんどん
隙になっていった場合、自分がどの位まで変われるのか不安がある」と言っていたけど。
これは半分正しくて半分違っているなと。おそらく希穂は「自分が他人との関わりによって自分ではない
自分に意識的無意識的に書き換えられてしまうことが恐ろしい」んだと思う。この感覚ってすごく良く
分かる。大人でもそう理解できるので、自分というものを考える時間が多い高校生には切実な予感はしてる。
自分の中にどの位他人を受け入れるか、これは結構難しい問題で。
盲目ゆえに人を徹底的に拒絶する長谷川や、人当たりは一見よさそうだけど「現代社会って“関わり”を強制的に
押し付けてくる」とラジオで放言して炎上した陸は、第三者的に見て「自分の理想ってなんかこれじゃないな」
感がすごい一方、
希穂みたいにいろんな人を受けいれちゃって、あげくに自分を失ってしまうタイプにもあんまり共感はできない。
なんかこの作品は中心にいる子たちより、恋に青春に遊びにと卒業までの残された時間を謳歌しきってる子たちの
方がすごい幸せそうにみえる……。それも含めて「見えちゃう」子ってやっぱり周囲とどこか浮いちゃって
生きにくいんだろうなって感じた。
イエ系
北九州芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/11/04 (土) ~ 2023/11/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
国内外、そしてドラマや映画で取り上げられる「家族とはいかなる存在なのか?」を正面から
取り上げた作品。作・演出の「サンプル」松井周らしい奇妙な部分はありつつも、物語的には
結構ストレートでかつ笑いの要素も強いのでかなり入りやすい作品になっているかと思います。
ネタバレBOX
近未来の北九州では、独身の老若男女を集めて「父」「母」「息子」「娘」などといった
疑似家族を構成し、経済活動を行わせるというプロジェクトを行っていた。
プロジェクトは、少子高齢化そして人口減少が進む地域の経済発展に寄与する代わり、独りで
生きていくにはちょっとワケありな人たちが孤独死、または防犯治安上の問題にさらされる
ことなく、一定程度安全に生きていくことを保証される形なため、もしメンバーが
ねんごろになって子供ができた場合、コミュニティを追い出されるという罰則があるとのこと。
三上家もそうした疑似家族の1つであり、一家の大黒柱と目されている「父」和也のもと、
「母」真希、「長男」頼人、「長女」弥穂、「次女」つくし、「祖母」景子の総勢6人で
ラーメン店のオープンを1週間に控えている。
店はラーメン屋の親族を持つ市広報課・田中のバックアップを受けつつ、旧来の父親像に
こだわりがちな和也に各人が思うところありつつも、表向きは順調にいっている「家族」と
して順風満々とみなされていたさなか、お隣にやってきた大木家の「母」と「娘」が、なんと
和也が20年前に捨てた実の家族だと判明して……。
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大木家のことが家族にバレ、今までの各種ハラスメントも影響して、最終的には「父」から
家の「ペット」「置物としてのマスコット」まで転落した和也だけど、「和也に父親を辞めて
もらうか」の決では半分賛成だったのが、「和也に辞めてもらって、ラーメン屋はそのまま
続行する」ではほとんどの人が手を挙げていたのに笑った。和也嫌われ過ぎ、そしてみんな
ちょっと打算すぎるでしょ(笑
大木家の「娘」杏は血縁関係を持つ者こそが家族である、意味なす関係であるという立場を
変えず、自分の実の父が「父」を降ろされて、頼人が新しい「父」として店を
立派にまとめているのを知って家を捨てて出奔するの、ヘンなところで血って争えないなと
思ったし(作品のテーマじゃないんだろうけど意識はされているはず)、
父親もいる疑似家族コミュニティから出ていったの、「家族」って血筋とかじゃなくただの「役割」と
「コミュニティ」の複合物なんだな、って、子どものころから抱いてた思いが確信に変わったな。
「万引き家族」でも同様のことがあったと思うけど、血縁を逃れても今度は「役割」から逃れられず、
別の地獄に転がり込んじゃうことある……。本当の家族じゃないはずなのに、本当の家族並みの
息苦しさと不満が渦巻いてるの、どうしようもできない、と。
ただ、一家を束ねるには明らかに古臭くって不適格な和也が降ろされて、物静かだけど人を尊重する
ビジョンはちゃんとある頼人が新しい「父」になったとたん、店の雰囲気が良くなったのみると、
血縁の家族でも疑似の家族でも、その役割に向いてない人が長期間居座って権力を持っちゃうことが
問題なのであって、前者なら離婚や逃走、後者なら多数決での解任や役割移譲させることが最善で
ベストな解決法なんだろうか……?
家族ってポジでもネガでも特別な地位を与えられてるけど、ここまでいくと同じコミュニティである
「会社のメンバー」とあんまり変わらない気もしてきちゃって、あらためて考えさせられる作品
だったなって。
余談ながら頼人、口数少なすぎるから元引きこもりで自立した生活の一歩として疑似家族プロジェクトに
参加したのかと思いきや、途中でチラッとのぞかせる腕の入れ墨に「あ、修羅場をくぐってきた結果、
物静かな人になったルートなのね……」と違う意味でハッとした。各人の半生にいろいろ思いを寄せる
2時間でもあった(中には児童養護施設を卒業して行き場がないまま成り行きで参加したつくしみたいな
人もいる)。三上家や大木家以外にもアンティークショップやソバ屋もあるらしいけど、どんな家族なんだろう。
そして真希はヤバいよ……。「夫」の和也が無理だから家出て大木家の手伝いすることになって、でも「妻」で
「母」の間隔が抜けないから、新生三上家のラーメン屋の接客に理不尽な難癖付けて……。「あなたたちが
私を追い出したんだから」って言ってたけど、都合のいい風に事情を解釈することも含めて、「家父長制」って
なにも男性だけじゃなくて、「家婦長制」としての危うさも当然あるなって感じた。
よくよく考えたら男女で権限や権力握った後、対応や態度が性差で変わるってことあんまりないよな。個人の素質の方が大きいような気が。
そこ描いてくれたのも問題の根深さを理解しているようで良かった。
柔らかく搖れる
ぱぷりか
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/09/20 (水) ~ 2023/10/04 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
依存し合う家族が一家の大黒柱であった父親の一周忌に顔を合わせる、と聞いて、
正直なところ「なんかいたたまれないようなシーンが出てきて、みんなで感情
ぶつけ合って、それで最後はちょっと前向いて終わるような作品でしょ」と
思ってたんですけど。
3割当たっていて、7割不正解といったところの、最後まで怖い作品でした。
ネタバレBOX
・精子に異常があって、生活を改めないと何ともならないけど、ブラック仕事で
何日も帰れないような毎日が続き、最後には子供が欲しいのかも分からなくなって
妻と離婚して出戻ったアル中の長男
・実家を「楽な方を選んだ人たちの吹き溜まり」と称して嫌い、同性パートナーと
1年以上同棲している売れてる美容師の長女
・広島の実家の家事を一手に引き受けているストレスか、パチ狂いがひどく、姉に
30万円もの借金を抱えている次女
・家が火事になって娘と実家に居候することとなったシンママで調子のいい従姉妹、
地元をさっさと離れたいのか朝から勉強漬けになっている死んだような表情の娘
・完全な「田舎の無神経なおばあちゃん」といった風情の亡夫の妻
こうした人たちが何も変わらない、あんまり変えようという気持ちもなく、問題は
うっすらと分かってはいるものの「でもどうしようもないよね」といった形で
やり過ごしていく姿をそのまま描いた話です。
驚いたのは一周忌そのものよりも、一家の中心だった父親が死んでから一周忌
までの各人のエピソードを断片的に描いていく方に時間を割いていること。
全体の8割ぐらいじゃないのかな?
人の気持ちを逆なでする癖に「大きな声出さないで落ち着いて話してよ!」
「すぐ怒る!」と言い返してくる妻、周囲にそういう人いるし、なんなら
言動がトレスしているかのように全く同じなので、作者の観察力にビックリ
しちゃいますよね(苦笑
みんな基本的には声を荒げたり、怒ったりすることはなく、笑顔で機嫌よく
切り抜けていくんだけど、それだけにもうどうしようもない状況に対する
末期的な諦念、くすぶり切ったような押し殺した闇の感情がじんわりとのぞいて
くるのが怖い。
一番うげっとなったのは、娘が家の引き出しからためらいなくお金盗む場面。
家に特に思い入れとかないから何も葛藤なくお金盗っていけるんだろうなぁ。。
田舎とか閉塞空間のイヤな感じを描いた作品は多数あるけど、これは
そういうのでは片付けられない人間が集まって暮らす上で堆積してくる
「澱み」のようなものなんだろうなと。作中でも「手キッドに距離を取って
生きていればみんないい人なのにね」みたいなセリフがあって、さっきの
妻ではないけど、人が生きていく上での感情の解像度が恐ろしく高いなぁと。
夢がなく父親の仕事を継いで、亡夫にはいいように使われてた農協の
気前のいい笑顔な兄ちゃんがめちゃくちゃに怖い。
普段は人を装ってるのに、誰も見てないところではそおっと不気味な姿を
さらけ出してくる怪物みたいで、娘が部屋で寝てる場面に出くわして
すうっと近づいてく姿が「え?」と思った。結構な年で結婚せず、微妙に
娘に執着してるように匂うところとか、「もしかして……少女趣味の人……
だったりしますか……?」とぞおっとした。娘が起きてるのに気づいて
スマートに返してるのもうん、なんだかなって。
妻と農協兄貴が暗い闇の河原を前に話す場面も気味悪いよね。何も知らないし
何も聞こえなかったという相手の言葉を聞き飛ばして(農協兄貴は溺れ死んだ
夫が見つかる直前、河原にいた第一人物)、「あの人の最期はどんなんだった?」と
何気なく聞く妻に、農協兄貴が苦いような顔で「最低な最期でしたよ」と返す姿、
ラストシーンで暗闇の中みんなが雑魚寝してる中、妻が「遠くん方で聞こえとった
水を弾く音がフッと消えたよ」とぽつり漏らして誰も返すことなく明かりついて
終わるのとか、誰が何を知っててでも言わないのを考えると、本当に気持ちよく
観て帰れないいい戯曲だったな。
……やっぱり農協兄貴が夫を溺死させたんだろうか?
切り裂かないけど攫いはするジャック
ヨーロッパ企画
本多劇場(東京都)
2023/09/20 (水) ~ 2023/10/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
時代設定として「切り裂きジャック」がロンドンを恐怖に陥れる少し前にし、都市の一角で「人攫いジャック」なる
人物が街の人々を、そして警察や探偵たちを大いに騒がせる……といった話になっています。
おそらく劇団初の“ミステリーコメディ”という野心的な内容になっているのですが、笑いの部分は巧みなものの
ちょっとハンドル操作を間違った感がして、最後に無理やり風呂敷をまとめたような雰囲気が、う~んという
評価になりますね。
ネタバレBOX
”ミステリー”部分は中盤にサラッとギャグ展開込みでタネ明かしされてしまうので、あとは“コメディ”部分を
楽しむべきなんですけど、コロナ禍が明けた後に後半の展開はちょっと鬼門じゃないかなぁと。
ネタバレすると、“ジャック”というのはあらゆる才能を持った人々の結社であり、その構成員1人1人であり、
地球の中心にあるという「ジャックランド」を拠点に各政府機関などで暗躍しており、今作の登場人物が
その「ジャック」だったというオチなんですけど。
ただ、コロナ禍で散々シャレにならないレベルの陰謀論がまことしやかに語られるようになり、一定程度
受け入れられるようになっちゃうと、今作みたいなノリってどう受け止めていいのか分かんないんですよね。
登場人物の1人が割とガチで陰謀論を吹聴するタイプのキャラで、見ようによっては現代の風潮ともかこつけて
一種の風刺として機能させてるのかもしれないんですけど、上田さんまさか……じゃないですよね? って
正直感じちゃったんですよね。この手の話でよく出てくるキーワードの「フリーメイソン」飛び出してきたし。
もっと言っちゃうと、地球の地下深くに国とか大陸があるというのもちょっとソッチ系の匂いがそこはかとなく
するというか。
キャラは相変わらず立ってるんですけど、上記に加えて「俺たちの戦いはこれからだ」エンドにしたのもなぁ。
終わらせ方分からなくなって、秘密組織っぽいのも絡めて幕閉じるとしたらコレしかない!みたいな感じ
かもだけど、終わった時ちょっと虚無になった(苦笑
掃除機
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2023/03/04 (土) ~ 2023/03/22 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
俳優がいきなりステージに現れて、ひたすらとりとめのない日常語りを長尺で
展開する「チェルフィッチュ」スタイルを序盤こそ持て余している感あったけど
まさかの「父親」3人登場以降は舞台の主導権を演出家が取り返してそのまま
ゴール決めた感あり。
基になった作品のホンを読んでいないので、セリフがどのくらいまんまなのか
分かりかねる部分があるけど、本谷有希子の暴力的で荒々しい側面とシンクロ
することが後半多くてスリリングだった。
ネタバレBOX
舞台の作りからしていいなって。ベッドとテレビが大きく湾曲化した左右に取り付けられ、
正面と後方は大きく開いて役者が出入りできるという。
引きこもっている人にとって家は一種のすり鉢状の「アリ地獄」みたいなものである一方、
別に家族などに捉われてない人は正面からさっさと外界に出て行っちゃうというメタファーに
なってそうだなと感じました。
この作品のMVPは音楽監督だけでなく、「熱帯雨林」の仕事4日でバックレた労働者役で
キャスティングされた環ROYかと。ひねくれてて楽しいことならオールオッケー!みたいな
軽いノリを崩さない半面、何度か核心を突いた発言を飛ばしてくる「道化」にして「キー
パーソン」の役割を立派に果たしていたかと。
「熱帯雨林監督」にみんな爆笑して、「世界中がクソだらけだったらぁ、どこにも飛び込まないで
その場にじっとしとくのが正解なんすよ!」的な、世界の理を動物的本能で見抜いてるのすごすぎる。
この人を連れてきただけで半分成功してるようなもん。
80代の父、50代で数十年引きこもってる娘、環ROYの仕事仲間で家出たがってる息子のリチギ家に
物語を回す役目の「掃除機」と主要4キャラで「引きこもりを抱えた家の時間が止まったような、
外界から隔絶しちゃってるような状況」を意図的に笑いをきもち多めかつ感情むき出しな調子で
演出してるのが新鮮。
好きな場面、娘がアリ地獄みたいな舞台端の部分に必死にしがみつきながら、「私の人生はずっと
平坦で他の人に比べて平坦だけど」「それでいいんだって思いたい」みたいなことを絞り出すように
独白するあたりかな。娘が引きこもったの、自分の亡くなった妻のせいにする高齢親父に比べて
ちゃんと生きてるよな……。こういう部分あるから、岡田脚本&本谷演出でも不思議と重くならず
どこか前向きに、そして時にはクスッときちゃう感じの作品になってる気がする。
岡田利規の演劇、ダンスの要素とか社会の空気を入れ込んだ難解なもの、というパブリックイメージが
広く共有されていて、「批評」的な側面で語られることが多い気がするけど、
今回の作品のあいさつで「自分が書いた戯曲は演出するのは基本的に自分だけ、つまり他の演出家には
扱ってもらえない、それを常々さみしく思っていました」「本谷有希子さんに演出してもらえる機会を
いただき、まずはそのことがとてもありがたいのです」と書いているあたり、そういう文脈から
逃れたかったのかな?という気もする。
本谷自身もインタビューで、自分とは真逆だと言っていた気がするし、全然タイプ違う作家がコラボ
するの面白いよね。
凍える【10月24日、10月30日公演中止】
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2022/10/02 (日) ~ 2022/10/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
捕まるまでの20年間に7人の女児を誘拐、性暴行、殺害して小屋に埋めていた男・ラルフに、
彼に研究対象として関心を抱く精神科医・アニータ、ラルフに娘を殺された主婦・ナンシーの
3人だけで繰り広げられるヒューマンドラマ。
最後のあたりは解釈が大きく分かれるところだと思う。
ネタバレBOX
最初の登場時からどうも様子がおかしいラルフ。
話が進行するうちに、彼も父親や母のボーイフレンドたちから性的虐待や暴力を常習的に受けていた
だけでなく、母親から浴槽に叩きこまれた際に頭をけがしていたこと、またこうした経験から前頭葉
その他に障害を持ってしまい、マトモな善悪の判断がつかなくなっているのではという報告がなされる。
アニータの「悪意による犯罪を罪とするなら、疾病による犯罪は症状である」という、作中最も大きい
インパクトを与えるセリフはこうした文脈から出てくる。この考えに基づくなら、ラルフは罪に問われず
おそらくは精神病棟で自分のなしたことの重大さを知ることなく一生を送ることになるけど、もちろん
ナンシーとしてはたまったものではないわけで。
アニータの諌止を振り切って、ナンシーがラルフと面会を果たす箇所が2幕後半の、そして作品全体の
ハイライトにあたることは全員一致するかと。
罪の意識というものから全く無縁なラルフに、ナンシーはありし日の娘ほか家族の写真を見せる一方、
ラルフが過去に受けた虐待や暴力の記憶を呼び起こし、「娘も怖かったに違いない」「苦しかったに
違いない」と追及する。
自身が過去に受けた体験と、そんな自身が女児へ起こした残虐非道な振る舞いが全く一緒だという
(当然な)事実をいまさらながら自覚し、良心の呵責で千々に乱れるラルフ。ナンシーの「あなたを
赦します」という言葉もさほど効果を発揮せず、とうとうナンシーに宛てた懺悔の手紙を引き裂き、
「悩んだからじゃない」という不可解な言葉を残して首吊り自殺を図る……。
この場面って2通りの解釈ができると思う。
1. ナンシーが遺された年長の娘のアドバイスを聞き入れ、本心からラルフを赦そうとした
この場合はラルフを赦そうとしたけど、ラルフが自分の弱さに耐え切れず「楽な逃げ」の
ために死を選んだということになり、ナンシーは間接的にラルフを殺したという罪を抱える
ことになる。
ラルフの葬儀の場面で、ナンシーがアニータに言い放った、「生きて苦しみなさい」というのは
この場合自身にも跳ね返ってくる言葉ということになる。
2. ナンシーがラルフの性格を把握した上で、赦すふりをして自殺に追い込んだ
ナンシーはアニータの研究発表を読んでいたそうなので、シリアルキラーのキャラクター性に
ついて把握しているはず。ナンシーの言葉も振る舞いもラルフを自殺させ、復讐を成し遂げる
ためのものでしかなく、当然この場合は良心の呵責はほぼないだろう。
これどっちなんだろう。自分は最初前者かと思ってたけど、ネット上では結構後者の見方も
多くっていろいろ気付かされる感じだった。
あと、ラルフは結局自分の自覚した罪の重さに耐えきれず、苦しさからおさらばするために
死ぬことになったんだけど、「悩んだからじゃない」を最期の負け惜しみと捉えるか、
本心からの言葉と捉えるかでも解釈が変わってくるんだよな。
セリフを追っているだけで、物語を必要最小限理解するための手がかりは与えられるんだけど
よくよく追っていくと、3人それぞれ肝心な部分も含めて観客サイドには明かされていない
情報があるので、見る側に委ねられている範囲が大きい作品だなって感じました。
住所まちがい
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2022/09/26 (月) ~ 2022/10/08 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
一言でいうと「不条理コメディー」の範ちゅうに入る作品なのかなと思う。
笑っちゃう部分もあるんだけど、議論の内容が錯綜しつつ、途中で結構難解になったりも
するので、単調で眠気を感じるパートがあることは否めないかなと。
塩野七生と宇野千代の箇所には笑った。小ネタがイチイチウケる(笑)
ネタバレBOX
登場人物は以下。本人の性格を反映しているのかは不明。
ナカムラ(仲村トオル):小さな会社を経営している人物。作品舞台をゲストルームとし
フミカなる女性と密会するために来たとする。非常に気が短く、かつ「神は信じてこなかった」と
言いつつ、かなり迷信を信じる部分もある。
ワタナベ(渡辺いっけい):元警部で現在は警察絡みのシークレットサービスに勤める男。作品舞台を
練り歯磨きを取引する会社だとし、その担当者と待ち合わせしていると主張する。冗談と悪ノリが
大好きで「失敬、失敬」が口ぐせ。
タナカ(田中哲司):文学系の教授。作品舞台を最近引っ越したばかりの出版社だとし、自身の本のゲラを
取りに来たのだと語る。不合理かつ超常的なことを信じておらず、何事にも合理的な説明を求めようとする。
長椅子、雑多に物が置かれた机、小さな冷蔵庫がおかれた建物の7階にある1室を、それぞれが「ゲストルーム」
「メーカーオフィス」「出版社」だと言い張り、全く違う住所を口にする。それだけでなく、冷蔵庫からは
取り出す人に応じて、「コーラ」「オレンジジュース」「暖かいコーヒー」果てにはなぜか「洗剤」まで出てくる。
いったいこの部屋は何なのか、どうしてそれぞれ違う住所を求めて来たのに同じ部屋に着いてしまったのかを喧々
諤々で脱線込みの議論する中、この場所が「この世」と「あの世」の間にある、いわば「最後の審判のための
待合室」なのではないかという話に発展し、ナカムラがいきなり部屋の四隅に塩を盛って柏手を打ち始める(笑)
ここまでで分かるように、3人のそれぞれ環境が異なる中年男性がひょんなことからよく分からない1室で一夜を
明かす羽目になる……という設定こそ単純なのですが、3人の意味があるのかないのか、議論なのか雑談なのかも
あいまいなやり取りでほぼ2時間を消費するので、見ている側としてはさすがにしんどいかな。
かなり工夫されて笑いどころも役者陣の演技込みで用意されてるんだけど、「神」とか「生死」という形而上学的な
(かつ欧米の舞台ではしばしばみられる)ディスカッションを大々的にフィーチャーした演劇はやっぱ文化の違いを
感じる。
あと、部屋の不思議を延々時間を尽くして議論するわりには、いきなり部屋の床から出現退場する謎の女(朝海ひかる)に
誰も疑問を抱かず、「彼女は我々を裁きに来た神なのか、否か」を話し合い始めるところには笑った。いや、そこじゃない(笑)。
たぶんここはそのズレにツッコミ笑いするパートなんだろな。
2時間弱ひたすら言葉を交わし続けて、翌朝を迎えたところでいわく「ムダな話」を辞めて3人家路に帰っていく……という
結局何かを得るとかそういうことはない物語なんだけど、3人とも「家の扉に鍵がかかっていて入れない」ということで
またワンルームに引き寄せられるように戻ってきてしまったのは、あれは何かの象徴?
貴婦人の来訪
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
フリードリヒ・デュレンマット(1921~1990)の代表作を新国立の企画モノのラストと
して演出。本作は「悲喜劇」として広く捉えられているそうなので、“喜劇”の側面を
押し出したポップでカラフルな見せ方は、登場人物や出来事のグロテスクさを強調してて
個人的にはかなり好感。万札が吹き出されるレプリカの銃がインパクトデカくて面白い。
ネタバレBOX
過去の栄光ははるか昔、衰退一方のデュレンの雑貨屋にして人望厚いアルフレッドこと
イルと若い頃に深い仲だったクララが45年ぶりに故郷を訪れたことから始まる物語。
クララはイルの子を身ごもったことで、半ば追放されるようにして故郷を離れ、遠く
ハンブルグで娼婦に。そこでわらしべ長者よろしく7人の金持ちや著名人との結婚離婚を
繰り返して、いつしか世界的なレベルの富豪(10兆払ってまだ手元には20兆あるらしい)へ。
クララは乗っていた急行列車を金の力で停止させたり、ルーブルから持ってきた駕籠を男
たちに運ばせたり、歓迎会の席では食べ物にフォークをぶっ刺したりしたままだったり、
あり余り過ぎる資本をバックにした絶大なパワーと、上流階級とは程遠い粗野で無邪気な
性格とが同居している複雑なキャラとして成立してて。なんか悪意のない傍若無人さが
まんまキム・カーダシアンなんですよね…。
初演当時の1950年代はまだナチスの影が色濃いだけに、小さな共同体の中にはびこる
ファシズムの影を暗示していたのだろうけど。
金融危機を経た現在だと、クララはグローバル資産家&インフルエンサーで、正義も
倫理も金の力で蹂躙される新自由主義(といってしまえば楽だけど、国家間の成長率や
GDPにみんなが一喜一憂するあたり、もう新自由主義といって非難してれば済む話でも
なくなってる気がする)的な現状を表現しているような読み方もできて怖い。
実際問題として、とんでもないレベルの資産家なら、ちょっとした国とか市町村レベルなら
意のままにできそうだよな…。クララの「ヒューマニズムは資産家の財布のためにある」と
いう身もふたもないセリフもそうした作品の一側面を見事に打ち出してるな、って。
クララはイルを裁くというより、イルを手にかけさせることで、自分を捨てた街の人たちに
永遠に消えない罪を負わせて裁くことが目的だった気がする。きっとイルが(街の長の思惑通り)
自殺でもしてたら、10兆円の話とか無いものになってたんだろうな。
そう考えると、クララは永遠にイルを自分のものにして、「過去を取り返した」わけで、
ちょっと歪んだ愛の形を描いたホラーとしても見ることができるんだなって今気づいた。
アンチポデス【4月3日、4日のプレビュー、4月8日~13日公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/04/03 (日) ~ 2022/04/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
「物語というものの本質とは?」というテーマと、フェミニズム的な要素とが劇の中で
主導権を争った結果、どっちつかずの(作中でいわれる)「キメラ」的作品に着地して
しまったような気がする。
皆が語ることができ、聞くことができるとされている「物語」も、性差や人種などで
見えない制限がかけられてしまう…っていう話に落ち着けた方が安易だけど良かった
ような。
ネタバレBOX
あるビルの一室と思わしき場所に8人の男女。というか、男性7人に女性1人。
彼らの目的は「クリエイティブの手で誰も知らないような偉大な物語を
作ること」。
といいつつ、場を取りまとめるリーダー・サンディの上には、「マックス」と
いう“偉い人”がいる他、「ジェフ」や「ヴィクター」というプロジェクトでは
同格と思われる人間との暗闘もあったりで、崇高なはずのクリエイティブは既に
マウンティングと足の引っ張り合いなど、どこかの会社でまんま見られる風景が
展開されてしまっている。
サンディを筆頭に、各人が物語作りのたたき台となる「個人的な話」を披露する形で、
プロジェクトは幕開けするものの、どこかで聞いたような下ネタトークに続いて、
散漫な話が続き、「偉大な物語」が立ち上がる気配は一向にない。
「個人的な話は個人的な話だからこそ誰にも聞かせたくない」と振り絞るように
言い放ったダニーM2はサンディに呼び出され、翌日以降は姿を見せなくなり、
外国籍と思しき参加者の1人は(おそらく)産業スパイを疑われて、IDを3か月も
発行されず困窮、
あげくの果てにはサンディのミソジニー、ゼノフォビア、ハラスメント気質が徐々に
明らかとなっていき、自由で闊達なはずの現場は完全に停滞しきってよどんだ空気が
ぷんぷんとなっていく。
…多分だけど、後半で言われてたように、「サンディを喜ばせるため」が参加者全員の
隠れた目的になっちゃってるから、プロジェクトが死産してしまったように思える。
個人的なはずの話が誰かのための話になってるというか。
サンディもプロジェクトより、外部や家族など個人的な折衝に忙殺されるようになり、
残された(というか完全に遺棄された形の)メンバーたちは帰ることもできずに、
ただただイミフな呪文を物語として発明したり、朦朧とした意識の中で1人がテキトーに
口ずさみはずめた物語を絶賛したりする。
書記係のブライアンが体調不良で部屋を去った後は、世話係のサラを代役に立てて、
物語作りは紆余曲折を経て進むも、久しぶりにやってきたサンディは「現代は物語を
新しく作り出せるような時代じゃない」という理由からプロジェクトの無期限凍結を
宣言する(というか権力争いに負けた果ての帰結な気がするけど)。
夢破れて呆然とする皆の中で、紅一点のエレノアが子供の頃に作った、分量にして
ノート販ページほどの“物語”を慰みに披露し、「みんなこういう話好きだったでしょ?」と
呼びかける形でいきなり幕を下ろす…といった話。
これ、劇中では議論も対話もないんですよね。それっぽい形をしたものはあるけど。でも、
プロジェクトが終わるまでにいい感じにまとまった物語っぽいものは萌芽してた。という
ことは、物語は「議論」や「対話」を通じて効率よく生み出されるものではない、あくまで
個人的なところを出発点にしないといけない、って感じ?
でも、ダニーM2が言ったように、本当に「個人的なもの」は物語として物語られないんだよな。
あくまで個人っぽいものが物語として扱われるわけで。エレノアの個人的な感性全開で書かれた
幼少期の物語は物語の体を成してなかったしね…。
そしてサンディがいなくてもプロジェクトは(ある意味ではかえって円滑に)回ったし、
ブライアンがいなくてもサラが役割を埋めたし、物語の中では個人が誰かというのは
究極的には関係ないのかも。個人がある、それだけで自然と物語は生まれてくる、そして
それは資本主義的なもの、そして芸術的なものとも離れたものな気がする…。
と感じたんだけど、そこまで考えないといけないのもなんかなって感じたりした。あと、
閉鎖空間での同調圧力とか排除って、日本だけでなく世界的にみて普遍なんだなって何か
おかしい気持ちにもなった。舞台や映画見るのってそういうの確認する作業の意味合いも
あるよね。
アルトゥロ・ウイの興隆【1月13日~14日公演中止】
KAAT神奈川芸術劇場
豊洲PIT(東京都)
2022/01/09 (日) ~ 2022/01/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
主に1930年代、ドイツが隣国オーストリアを併合(1938年)するまでの“ナチス前史”を
シカゴにいる架空のギャング団の“発展史”になぞらえて描いていく作品。
ブレヒトといえば「異化効果」で有名だけど、この作品は成立した時期が時期(ドイツから
亡命していた1941年)なだけに、メッセージ色がかなり強めなエモい作品になっている気が
しました(セリフも煽っていくスタイルに近い)。
見てて思ったのはトランプ当選もだけど、「トランプが出たから社会が悪くなった」という
より、「社会が既に悪くなっていたからトランプが出てきた」という、
原因と結果が一般的に感じられているものとは得てして反対なのであり、そこを読み違って
しまうと、「第1のウイ」を排除したことにすっかり満足して、迫ってきている「第2のウイ」を
防ぐことはできない、ということ。
ネタバレBOX
もともとウイのギャング団は、14年たってもメンバー30人ほどの「少なくはないけど、とりたてて
注目すべきほどでもない」存在だった。
しかし、社会が混乱し、それまでの秩序が全く成立せず、みんなが私利私欲にかられて画策するように
なると、そこにつけこんでたちまちコミュニティを侵食してしまう。風邪の菌と一緒で、人体が健康な
場合には全く何もできないけど、一度弱ればどんどん勢力を拡大していく。
だから、「独裁者の登場」というのは、そのまま社会のたちいかなさの指標になっているのだな、と
感じた(そういう意味では、アメリカはもうかなり「末期状態」になってる感ある)。これは民主
主義がいいとか悪いとかそういう前提の話ではないですね。
街のただの輩でしかなかったウイが、野菜のトラストの用心棒、元締めに始まって、議会や司法を
乗っ取ってのし上がっていくさまは、なまじテンポよく歯切れよく進行していくだけに、痛快さすら
覚えるほどなのだけど、
隣町のトラスト合併に邪魔だからというので、数十年来の相棒ローマをほぼためらいなく粛清する
あたり(これは1934年の「長いナイフの夜」におけるエルンスト・レーム暗殺をなぞっている)
から、ウイが得体のしれない化け物に見えてくる。ローマ粛清前とは違って、誰にもはかりごとの
裏を明かさなくなったため、言っていることが本心からなのか、それとも悪事の一環として吐かれた
与太なのか全然分からなくなってくる。
いわゆる「独裁者」とされる人物の本質ってだいたいこんなもんなんだと思う。粛清に次ぐ粛清で
本音を話せる人間が周囲から消え去り、イエスマンが持ち上げる通りの人間を演じていくという。
草なぎ剛、煮ても焼いても食えない、後半にかけてどんどん不気味さが増していくウイの役、ホントに
当たり役でした。ジェームズ・ブラウン使いといい、いい感じにゴージャスで、チャラくて、現実と
リンクし過ぎで怖い舞台でした。
あーぶくたった、にいたった
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2021/12/07 (火) ~ 2021/12/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
今から約45年前の別役実作品を新国立にて上演。「タバコ」とか時代を感じる言葉も
チラホラありつつ、大体の部分は令和の今でも通じるものばかりで、少しいじれば
まんま新作という触れ込みでいけそう。
男1と女1のやり取りとか間とか、「キング・オブ・コント」かと思った。笑いのエッセンス
かなりあるよな。
ネタバレBOX
ある夫婦の結婚時から「死」(?)までの流れを全10話の連作で描くというのが
大まかな流れ。
さっきも書いたようにさまぁ~ずか、おぎやはぎばりのトボけた男女のやり取りが
繰り出される中、2人の子は高校で悪い仲間に入り、ある女の子を妊娠させたあげく、
殺害したため、一家が破滅するという暗い未来を(妊娠はおろかまだ結婚してない
にもかかわらず)心配し出すという滑稽かつ不穏な未来話がなされ、
観客を爆笑させるとともに、どこかいたたまれない気持ちにさせるという、抜群な
つかみを展開。
その後夫婦は結婚し、子どもができるものの、ありし日の「予言」をそのままなぞる
形で非行に走り、手を付けた女子を殺害し、一家は破滅する。夫婦は雨の降る公園で
毒を飲んで心中しようとするも果たせず、
そのまま年老いた末に神へ「雪に埋もれて誰にも知られずに消えてなくなりたい」と
懇願し、舞台上方から大量に降り積もる雪に飲まれるという…ギリシア悲劇ばりの
悲しさと空虚さで幕を閉じます。
「かみさま、私たちはふしあわせでした」「でも、そのことを誰にも言われたくは
ないのです」「かみさま、雪を降らせてください」「わたしたちはこのまま、
いなくなってしまいたいのです」
切々と天に向かって紡がれるセリフに猛烈に胸打たれ、神がどうかこの最期のお願いを
聞き入れてくれないだろうかと心の底で思っていました。結果的にその願いは成就した
わけですが、別役の分かりにくい「やさしさ」をひしひしと感じましたね。
あそこで雪が降らないなら、救済をもたらすべき「神の不在」が作中で確定しちゃうわけだから。
劇場側がいうような「昭和の小市民の閉塞感や苦しさ」というよりは、国とか時代とかを超えて
人が人として死に至るまで生き続けることのやりきれなさ、「もう終わってしまいたい」と思うような
漠然とした滅びを望む心(西洋ではタナトスですかね)を描いてるように思いました。頭上の万国旗って
そういう意味かと思ってた。
ちゃぶ台とか結婚式の屏風とか、あの辺の昭和日本のクリシェを全排除して、海外で上演した場合、
この作品がどう評価されるのかめちゃ気になる。別役自身は日本の観客に向けて書いてるはずだけど
他の文化圏でも通じる普遍性はありそう(言葉の微妙なニュアンスをうまく伝えられれば、だけど)。
ザ・ドクター
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2021/11/04 (木) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
カトリックと国教会、白人と黒人、ユダヤ教とキリスト教、男性と女性、性的マジョリティとマイノリティなど3時間余りの戯曲にありとあらゆる立場の対立が描かれており、イギリス社会の複雑さがあらわれていました。
「日本の極端とも思える同質性」と比較して語る向きあったけど、討論番組のパートでのパネリストたちの会話見ていると、各自が各自のアイデンティティを背負って話しているのにちっとも前向きじゃなくって、
コミュニティが多様なのも一長一短だなと当たり前のところに落ち着いた気がする。
ネタバレBOX
国立最高の医療機関の所長を務めるユダヤ人白人女性のルースは、自身が受け持つ中絶失敗で死の瀬戸際にいる「形だけ」カトリックのティーンエイジャーが特に秘跡を望まなかったことから、
その両親が送り込んだ黒人牧師・ジェイコブを押し問答の末、病室から排除。
しかし、カトリックコミュニティの中でこの一件が大きく知れ渡った結果、世間の一部は沸騰し、
ユダヤ人が医療機関内部を支配してキリスト教徒を追いやっているのではないかという陰謀論じみた話まで飛び出す中、ルースは機関内のキリスト教徒メンバーの策謀もあって所長の職を追われることになる…。
イギリス社会の難しさは、各人の持つアイデンティティがそのまま「政治」「陣取り競争」につながっていることで、日本で考えられているように「相互理解」「配慮」で済む話ではなく、ある陣営の失点がそのまま別の陣営にとっては勢力拡大と発言権強化になるので、みんな必死だなと。
コメントで触れた、ルースを囲んで各市民団体の代表(中絶反対の右派からカトリック側、果てには黒人やユダヤ教のマイノリティなど)が問い詰めに走る場面、「こんなことして1人を論難して何になるんだろう?」と思ったけど、
これテレビ放送されてるから、ルースに頭を下げさせることが自分たちの陣営の「勝利」「布教」になるんだなと気づいた時、正直なんか冷めたのは否めないかな…。
同性愛者のルースがトランスジェンダーのサミを指して、「ある時は女の子で、今では男の子です」「新しい世代の生き方ってこんなに縛られず、自由なんですよ」みたいな文脈で話したら、討論から帰宅した先で激怒したサミに「私はそんな洋服を替えるみたいな感じで自分の性自認をやってるわけじゃねぇ! 知った口利いてんじゃねぇ!」と絶好状態になるの、この作品では一番刺さった。
マジョリティはマイノリティのことを理解できない、とは昨今よく言われるけど、「マイノリティもマイノリティのことを理解できない」という一歩踏み込んだものを提示しているな、という意味で。
ルースが「私は医師です」とかたくなに言い張るの、自分のアイデンティティをそこに一つ置いているというだけでなく、その言葉を外部からの「強固な鎧」にしているんだなと感じました。
登場人物の1人から言われたように、「医師」も広い意味では幅広くあるアイデンティティの一つに過ぎないんだけど、ルースにとっては「誰かのための利益を代表しない」「純白清廉な」唯一の証何だろうなと思うとグッときますね。。。
外の道
イキウメ
シアタートラム(東京都)
2021/05/28 (金) ~ 2021/06/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
本来なら2020年上演予定だったが、コロナ禍で中止となった本作。
WIPなどを挟んで、満を持してのリベンジとなりました。
コロナの影響で考える時間が増えたせいか、以前にも増して哲学的、
スピリチュアル的になっており、主に安井順平さんが繰り出すギャグ的
せりふ回しや動きがないと突拍子もなさすぎる話になってきてる気がする。
「少し不思議」の中で繰り広げられる、人間のどうしようもなさの描き方が
好きなんだけどな。
ネタバレBOX
都心から遠く離れた町で、20年以上ぶりの再会を果たした寺泊満(安井)と山鳥芽衣(池谷のぶえ)。
与党政治家の変死を追ううちに、常人離れした「手品」の使い手であるマスターに頭をいじられた
ことから、人とは違う世界が見えるようになってしまった寺泊、
「無」と書かれた宅配物を開けたことから、部屋を真っ暗な“無”に侵食され始め、やがて闇の空間から
得体のしれない少年を見つけ出した山鳥。その少年はいるはずもない「山鳥の息子」と捉えられ始め
あろうことか存在するはずのない証明写真や戸籍などの記録が出てくるようになる。
入り口は違えど、「世にも奇妙な世界」にいつの間にか入り込んでしまった2人。お互いだけがよき
理解者で、周囲は完全に気の狂った「病人」としかみなさない世界の中で、2人がいつの間にか
落ち着いた空間にまでも真っ黒な「無」が迫りくるようになる…。
最近のイキウメの作品に顕著だけど、回収されないというか、本筋から外れたエピソード多すぎる
感じがする。与党政治家の死の真相とか、山鳥母の話とか、本筋にガッチリ入り込んでいたわりに
結局何だったのか、よく分からなかったし。話を進めるためのマテリアルだったのかな?
「無」に侵食されて真っ暗な世界に飲み込まれて、自分を失ってしまう恐怖というのは分かるけど、
三太が出てきた時点で「あ、新しく、というか、どこか別の空間に出てくる可能性あるんだな」と
感じちゃって、いまいち深刻に考えられなかった。「有」のことは触れない方がよかった気がする。
総じて、興味深い話とか見方とかあったけど、本筋が弱くなっちゃってて「いい話」「うまい演出」の
話どまりになっちゃった感。魂とか、ここではない世界とか、昔はもっとテーマに絡めて現実的に
扱えてた覚えがあるんだけど…。
『迷子の時間』-「語る室」2020-
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2020/11/07 (土) ~ 2020/11/29 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/11/15 (日) 14:00
座席S列19番
佐々木蔵之介さんたちが出演して以来の、パルコ×前川のコラボ作品。
前回と同じく、SFやサスペンスめいた部分はほぼなく、「ちょっと不思議」で
「ちょっとしんみり」する感じの作品でした。
亀梨和也さんはじめ、みんなとにかく芸達者だなぁとほとほと感心しました。
ネタバレBOX
メインとなる舞台を「2005年の地方都市の片隅にある交番」に据えた上で、「1978年」「2000年」「2022年」と
合計4つの時間軸を縦横無尽に登場人物たちが行き交うという物語。
2000年、白い霧に飲み込まれて忽然と消えた男性と近所に住む子供は、1978年に時間移動して現地で新しい生活を開始。
男性は戸籍のないまま死去し、子どもは結婚相手と養子縁組することで何とか事なきを得る。
消えた男性のフィリピン人妻は、近所の白眼視に耐え切れずに男性一族の戸籍から離脱。その幼い息子は成人そこそこの
2022年に故郷へ戻ったことをきっかけに、これまた2000年に時間移動してしまい、児童消失事件の参考人として逃げ惑う
はめに。
養子縁組を果たした男とその義理の妹、自動消失事件に携わった警官、消えた男の弟、消えた児童の母で警官の姉、逃亡を
続けている青年とひょんなことで知り合った占い師の7人が、本当に偶然かつ一瞬の間、「2005年の地方都市のはずれにある
山間の交番」ですれ違う、という
今あらすじ書いてるだけでも複雑だなぁと思うような話です。最近の前川作品っぽく、戸籍ネタとか、社会問題っぽいのを
織り交ぜてるけど、複雑な作品により一層要素(ただあまり深掘りはされないので、「かわいそう」「ひどい」レベルの
感想で終わってしまう)が入っちゃって、どこを見ればいいか分からないきらいはあった。感動した方がいいのか、ほろっと
した方がいいのか、部分部分で出てくる理不尽にムッとすればいいのか、情報量が多すぎて見終わった後何かが残る感じでは
なかった気がする。
イキウメでの公演で出てきた「中絶少女」の話もそうだけど、何か物申そうとして、でもうまく動かせず、「パーツ」で
終わってしまっているケースが多い。何かを持ってこなくても深刻さが伝わってくるのが前川作品(図書館での吸血鬼の
話とか)なので、そこはホント再考願いたい。
脚本が凝っているにも関わらず、凡庸に終わってしまった一方、役者陣の健闘がすごい。
亀梨さんの「面倒ごとはなるべく避けて、でも情にはそれなりに厚い田舎の警察官」(警官って人に物を説いて聞かせる
とき、あの間延びしたような話し方するよね)感うますぎて、思いっきりなでつけた髪型もあいまって最初全然
気づきませんでした。テレビはもちろんのこと舞台映えしそうなのでもっと挑戦してほしいですよね。
あとは、いかにも胡散臭いけど、いろいろ見通せてる占い師を演じた古谷隆太さんや、自分の状況をすんなり飲み込んで
「ま、しゃーねーや、これからどうしようか」みたいな感じでいろいろやり過ごしてる青年役を演じた松岡広大さんも
印象に残りました。松岡さん、身のこなしすごすぎでしょ…。
語る室、どっちかというとアイデア一発過ぎるところあるので、奇想天外かつそこそこ重厚なテーマを次回期待したいな。
inseparable 変半身(かわりみ)
有限会社quinada
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2019/11/29 (金) ~ 2019/12/11 (水)公演終了
満足度★★★★★
「サンプル」の松井周さんが、『コンビニ人間』などで知られる村田
沙耶香さんとタッグを組んで制作した作品。台湾などで一緒にフィールド
ワークなどを実施した上での成果だそうです。
後半はサンプルらしさがにじみつつ、世界や日本を今取り巻いている問題を
さりげなくぶち込んでいたり、かなりアクチュアルなだなと思いました。
誰が良い悪いとか、誰が正しい正しくないと言い切れない、余白の多い作品。
ネタバレBOX
舞台は日本のどこか架空の島。「海の人」と「陸の人」、いがみ合う2つの
人たちが住む島は、高品質のゲノムが採取できるということで、ゲノム販売
業者の下請けやもずくの販売で何とかやっているよう。
そんな島の伝統的な祭が近づいたある日、2年前に死んだはずの「陸の人」の
主人公の弟が、なんとゾンビ状態でひょっこり姿をみせる。それをきっかけに、
島に潜む諸問題が徐々に浮き彫りにされていく…。
最初、「クニウミ」神話を解説していることから、架空の島=現代日本という
ことはほぼ明白で、
扱われる問題も「海の人」と「陸の人」の間の差別、ゲノムを採取するために
働かされている技能実習生、ゲノム盗掘を防ぐ監視隊に属しているシングルマザーの
困窮、経済的に衰退し一発逆転的な町おこしを狙う地方、都市の巨大資本に資源を
まんまと搾取される弱者、LGBT、ゲノムの登場で揺らぐ生命倫理、新旧移民の対立、
時代や歴史の変化に乗る人と取り残される人の軋轢
と多岐にわたります。「よくこれ、2時間ちょっとでうまく交通整理できたな」と、
松井さんの作劇力にビビりました。
この作品、観客の多くが生き返った弟や、主人公の妻の掲げる「闘い」「解放」に
共感しそうな気がしたけど、いろいろ背負った主人公の「差し出された選択の
どっちにもいけなさ」もかなり分かるんだよな…。
背負うものが多くなってくると、美しく語られる理想も「本当にそんなうまく
いくのかよ?」とかどうしても感じちゃう。
最後、生き残る、進化を遂げるためにイルカのゲノムを投与して言語も姿もどんどん
イルカ化していく人間を見てると、「釣りして」「山菜取って」「普通に生きてる」
主人公の「何が悪い」という言葉がすごく刺さるんですね。
最初、「ノーモアゲノム!」とか言ってたのに、イルカのゲノムなんか入れて
おかしいと思わないか、と難詰する主人公の思いは正しいし、「いや、これで
よかったんだよ」とか答える弟もそんなんでいいのかよ、と。
イルカ人間になったとしても、その先の未来が必ずしも明るいわけではないのにそこに
しがみつく人たちが単純過ぎて、主人公の変わらなさが逆にこの場合正しいのかな、
と感じてしまいますね。弟を食べ始めるのに、何の躊躇も感じてなさそうだった
ところに、「人間以外の何か」になってしまったことをまざまざと知ってしまい、
でもそれってイルカとか他の動物と何が違うんだろう…って首をかしげちゃう。
イルカ人間たちが主人公に向かって、「未来で待ってるから」って言ってたけど、あの
ラストも含めて、両者の未来は絶対交錯しないんだろうなぁ。
終わりのない
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2019/10/29 (火) ~ 2019/11/17 (日)公演終了
満足度★★
2020年から、1000年以上経った未来へ、宇宙や空間をまたいで旅をしていく
ハードSF、という紹介でいいのかな? 後述の理由でなんかちょっと無理
だった…。メッセージが前に出過ぎて、もっと足元の大事な問題を流して
しまっているように思えて、気になって仕方なかった。
ネタバレBOX
舞台は2020年8月の湖のほとりにあるキャンプ場。18歳の悠理は幼なじみ2人と、高名なダイバーと
物理学者の父母とともに避暑に来ている。
悠理には高校受験前、親密だった杏を妊娠させ、流産という結果に至らせた過去があり、その体験を
きっかけに進学に失敗。フリースクールに通うも、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか
分からないまま、学校にも通わないニート状態になっている。
もちろん、キャンプ場には杏の姿は、ない。私立の進学校に合格後、先述の一件もあって
完全に交流が途切れているからだ。
そんな悠理に突然両親の離婚の話が。なんでも父親は現在危機的状況にある地球温暖化を解決すべく
政治家を志す一方、母親も政府系機関の量子コンピューター研究者の筆頭となり、互いに立場を
考えた上での決断だという。「地球環境を真に解決しようとしている国はどこにもない」「自分たちの
利潤のためなら未来なんてどうなってもいいと考えている」「資本主義を修正しないといけない」、
演説じみたコメントを続ける父親を尻目に進むキャンプの準備。
その最中、悠理は湖で泳いで溺れてしまう。そして、目が覚めたのは宇宙船の上、1000年以上経った
3585年。地球は21世紀後半に起きた、地球温暖化に端を発する環境の激変による紛争で人類は3000年頃
ほぼ滅亡し、ほんの少し残った金持ちたちの子孫が人類の住める星を探して宇宙探査を続けているという…。
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なんだろう、上手くハマれなかった…。ちょっと前からのイキウメ/前川作品から漂っていた
メッセージ性強めかつ自然中心的な傾向がここに来てグッと出たことにも違和感を覚えは
したんだけど、それ以上に、杏の扱いはアレでいいのかな、って。
杏って当時は女子中学生だったから、妊娠流産ってこちらが考えているより、ずっと心の傷に
なったと思うんですよね。それをなんか「これでよかったんだよ」みたいな言葉しかかけて
やれず、あげくに「俺はクズだ」って自己憐憫的に言う悠理が正直好きじゃなかった。
でもまあ、それはまだいいんですよね。悠理も当時中学生だったって思えば、まだ飲み込める。
だけど、いろいろと時を超えた体験をしてきて、人類一人ひとりが何とかすれば確定しない
未来から最高のものを選べる、そして自分もその一人であり、「自分の面倒は自分で
みられる」「ひとりでもう歩いていける」と宣言した成長後の悠理が、
「杏に連絡してみたら?」って言われて、「ううん」って答えるのはなんか違うよ。
そこをちゃんとケリつけてほしかった。だって、悠理は杏とのこと何も清算して
ないから。思春期の多感な時期に自分が追い込んだ大事な子の関係を何も意味付け
してないんだよね。
なんかな、と感じた。こちらの目には、勝手に逃げて、勝手に成長して、勝手に
清算した気になっているとしか映らなかった。杏が悠理の成長の踏み台の役割
みたいになっててあんまりいい気はしなかったな。
杏の妊娠流産設定ってこの内容だったら要らないよね。後半全然話に絡ま
なかったし(というか、現実の杏自体、後半全然出てこなかったけど)、
これだったらすれ違いで別れたでよくないか? って。
なんかその後に地球環境のこと持ってこられちゃったから、大きいことを
理由に、自分の向き合うべき問題からきれいに目をそらしたみたいな人に
なっちゃったのが残念…。
来年のイキウメもこの路線なのかな? 個人的には、過去の、人間そのものの
どうしようもなさを描いた感じにしてほしいんだけど。