お買いもの
東京タンバリン
駅前劇場(東京都)
2010/10/14 (木) ~ 2010/10/20 (水)公演終了
満足度★★★★
スタイリッシュで楽しめた
初見の劇団ですが、急に観たくなってチケットを予約しました。
テーマがはっきりしていて、ファッションショー会場のような舞台で、照明や音楽もスタイリッシュな印象で、楽しめました。
会場スタッフの対応もきめ細かく、好感がもてました。
ネタバレBOX
何かの行列に並んでいる光景から始まる。
新年の福袋(?)を思わせる。
ベルトコンベアーに乗っているごとく、登場人物が入れ替わり立ち代り出てくるのがスピーディーでよかった。
デパートの店員たちの動作や会話がリアルでよい。
妻には内緒で耳掻きエステにしばしのやすらぎを求める夫の描写に思わず苦笑。
人形のマロンちゃんに感情移入している流行作家メロンの奇天烈さもいい感じ。
ベテラン店員の小金井さんの女優さん、気に入ってしまった!
常連の2人組中年婦人客も面白い。
主人公が買い物した商品たちが擬人化され、お化けのように恨み言を言う妄想場面が面白い。
「ある、ある」とわが身を反省(笑)。
若いほうの編集者が、主人公に以前まつわりついてたのにいまは疎遠で耳掻きエステの常連客になっているということ以外、あまり登場に必然性を感じなかった。
音楽に合わせた俳優の動きなどは世田谷シルクとも共通する演出法。
世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)
2010/10/16 (土) ~ 2010/10/17 (日)公演終了
満足度★★★
面白い試み
市民参加型演劇。3都市で舞台装置も演出も変えるそうなので、面白い試みだと思います。
アフタートークの中学生姉妹の感想がほほえましく、学校や部活では味わえない課外授業のようで、彼女たちにとって良い体験、思い出になったんだろうなぁと思って聴いていました。
ネタバレBOX
個人的には、経済の解説、講座の内容が一番面白かった。
先日の燐光群の芝居「パワー・オブ・イエス」とは別のアプローチながら、経済を視覚的に見せるという点で共通点も感じる。
市民参加型という点では、観ているほうより、演じてるかたのほうが楽しかったんだろうなぁと感じました。観客も出演者の家族がほとんどのようでしたし、市のイベントという印象で、あのパフォーマンスはプロの俳優が混じっているとはいえ、わざわざお金をとって見せるものなのかなぁというのが正直な感想です。
窮する鼠
JACROW
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/10/12 (火) ~ 2010/10/17 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しませてもらいました
3話とも面白く、俳優さんが全員すばらしかった。
やはり、力のある劇団の番外公演はハズレがありませんね。
ネタバレBOX
個人的には第3話が一番見ごたえがあり、描写にリアリティーもあって、好きです。
現実に不動産営業の厳しい実態を自分も知っていますし、本社自動車会社の技術畑から子会社の営業に転属された人の苦労はよく聞きます。
実際にノイローゼから自殺されるかたもいるそうです。
1点、本社社員と名刺交換する際、敏腕なはずの営業マンが2人とも「名刺をきらしてまして・・・」と言うが、これはいくら転属・転職を考えている立場としても、営業マンとして考えにくいと思うのですが、小道具の関係からでしょうか。
第1話の女性のフォーマルウェアのシフォンのたたみ皺が気になりました。実際の結婚式に、あの状態では出かけないと思うので、こういう至近距離で観る芝居の場合、特に衣裳には気を遣っていただきたいものです。
センの風とムラサキの陽(池袋演劇祭・優秀賞受賞)
劇団バッコスの祭
池袋小劇場(東京都)
2010/09/30 (木) ~ 2010/10/11 (月)公演終了
満足度★★★★
生き残った者
「バッコスの祭」の芝居にはいつも泣かされている。今回、ここでも「泣けた」という感想が多く、先に観た友人が「目が腫れるほど泣いた」と言うものだから、ミニタオルを手に観たが(笑)、予想したよりもウェットではなく、抑制のきいた芝居だったので、むしろ好感が持てた。
作者はもとより、出演者らも広島に足を運び、関連資料に当たるなど、時代背景について相当勉強を重ねたと聞く。
4年前、池袋演劇祭にこの作品(初演)で出場し、入賞を果たせず、今回は再演で受賞ということで、まずはおめでとうございます。
池袋も3年連続で受賞しているそうで、着実に実績を積み重ねているようで喜ばしい。
ネタバレBOX
オープニングの「原子」を連想させるボールを使ったパフォーマンスのチームワークの素晴らしいこと。戦争物をやってもこういう演出にやはり「バッコス」らしさがある。
食堂の娘で実は戦争未亡人の雨宮真梨、新聞記者の金子優子、大学の研究者の田仲晶の女性陣が出色。特に金子は、これまでの印象とまったく違い、新境地を開いたのではないかと思う。
核の研究をしていたが、特攻を志願する主役・名越青年の丹羽隆博は、坊主頭もりりしく、相変わらず身体能力に優れ、アクロバティックな演技と共に独特な雰囲気を醸し出す。劇中劇で森の石松を演じるが、かねてより彼には石松が似合うと思っていたので、嬉しいサービスとなった。
辻明佳は名越の姉役。いつもより背がスラリとみえ、別人の印象だった。
海軍少佐の石井雄一郎は、ガッチリと脇を固める。「バッコスの祭」は石井あってこその丹羽である。石井は歌舞伎俳優顔負けのきれいな江戸弁を遣える人で、いずれ、新門辰五郎を演じてもらいたいと思っている。ヘアメークの意見もあり、あえて坊主頭にはしなかったそうだが(どんな理由なのか?)、この時代、入営しなくても男性は坊主頭を強いられたのだから、石井だけでなく、研究室仲間の仁科役・上田直樹も本来は髪を短くしてほしかった。上田は今回、いつもの2枚目ではなく、コミカルな演技で客席を沸かせた。
柿谷広美はバッコスでの母親役が板についてきた。若手の座組みで老け役がうまい客演者は貴重だ。新劇団員の倉橋佐季は元気があってよい。
ほかのかたも指摘していたが、国家機密を、一新聞記者や戦意昂揚のための市民劇団員意倍で、までが知っているという設定は引っかかった。劇中劇の「蒙古襲来」では原子爆弾を名刀に例えているのだが、劇団員は知らずに演じていたほうが哀れさも共感もあったと思うのだが。
また、そういうことで言えば、金子、田仲の好演を貶めるつもりはないが、この時代、政府中枢にパイプを持ち、命懸けで国家機密に関わる記者や研究者が女性であるというのも時代的に無理があり、違和感があった。初演は2役とも男優が演じたので、今回は座組の関係なのかもしれないが。バッコスの史劇は時代考証よりテーマの骨子を重視するので、あえてフィクションで乗り切るという意図なのかもしれない。
丹羽の演じた青年は、日本上空の外でエノラゲイを撃墜させようとして失敗し、生き残る。最後に「平和が来るのがこわいです」と彼は言う。この台詞が重い。終戦を迎えたとき、日本人の何人かはそう思ったに違いないし、そう思わせた国の罪は大きい。
戦争は悲惨だが、生き残った名越がこれから背負う「生の重さ」を思うとさらにやりきれない気持ちになり、そこを描いた点に共鳴する。
『三姉妹の罠』
8割世界【19日20日、愛媛公演!!】
テアトルBONBON(東京都)
2010/10/06 (水) ~ 2010/10/11 (月)公演終了
満足度★★★
千秋楽拝見しました
シチュエーション・コメディーらしく部分的には笑えたのですが、正直満足したとは言いがたかったです。
みなさん軒並み高評価なので、観る前から自分の期待値が高かったのかもしれません。
私みたいな感じ方は例外なのかもしれませんが、気になった点についてはネタばれにて。
悩んだ末の☆3つ、次回作に期待しています。
ネタバレBOX
冒頭、姿の見えない長女(嶋木美羽)の長電話が聞こえてきて、茶の間の人々がさまざまにリアクションをするのですが、観ていてピンときませんでした。
父親が入院した病名の「痔」の話題を延々続けたのが「お尻いっぱいです!」というギャグを生むためだと考えると、ものすごく時間のロスに感じましたし、観ていて退屈してしまいました。
中盤へ笑いのエンジンがかかるまでが長すぎたのです。自分はコメディーの場合、最初にまず笑って「うん、これは面白そう!」と惹きつけられないと、魅力を感じないのです。
長女が状況をオーバーに分析しながらマンガチックに叫ぶところ。私はこういうわざとらしい演技が好きではないので引いてしまいました。
漫才師の嫁(宮澤ちさ恵)が「灰になる」という言葉の意味が私には理解できず(流行語なのですか?)、フェイドアウトする演出に必然を感じませんでした。「忘れ物しちゃって」と戻ってくる先輩漫才師も、観客にそれとわかる「忘れ物」がないと、説得力がありません。
男性漫才師2人の演技が終始すべり気味なのも気になりました。
編集者、次女のおさななじみ、2人の「パクうちだ」などは面白いキャラクターで好みでした(初代、2代目という表現は、世襲でもないのに配役名としては適していないと思いましたが。謎の男A,Bや1,2ではダメなんでしょうか)。
小劇場系のコメディーの場合、三谷幸喜の東京サンシャインボーイズのように、作者の手腕に加え、チームワークが前面に出る劇団のほうに私はより親近感を感じるのですが、「8割世界」は鈴木雄太さんのプロデュースユニットのような印象を受け、俳優は各自がんばっているように見えました。
台詞のはしばしに作者の笑いの意図のようなものがみえて、お話として浸りきれないものがあったのです。
今回、特に印象に残ったのは小林守(Wキャスト)、高宮尚貴、宮澤ちさ恵のお三方。小林さんは期待どおり。高宮さんはまさに孤軍奮闘といった趣で盛り上げ、演技力がある人だからこそ、お客も笑えるのだと思いました。
宮澤さんもいかにも生活に苦労している女芸人で妻という感じがよく出ていてよかった。本多さんが今回で抜けたのは誠に残念。来年は新生スタートとなりますが、実力のある劇団員を抱えているだけに、客演者も含めたチームワークをもっと感じられれば、さらに楽しめるのにと思いました。
終盤、編集者が次女を諭す場面がとてもよく、そのあとの姉妹の会話の場面、ホームドラマの最終回のような親しい身内同士のちょっと気恥ずかしい会話だけに、引っ張りすぎに感じました。
バニラ
643ノゲッツー
OFF OFFシアター(東京都)
2010/09/29 (水) ~ 2010/10/05 (火)公演終了
満足度★★★★
配役の妙で両組とも楽しめました
643ノゲッツーは2度目。初見のとき、あまりなじめない作品て遠ざかっていましたが、今回は横島裕さんのWキャストを目的に赤(4日)・白(5日)両組観劇。
「世にも奇妙な物語」にコメディータッチとヒューマンテイストを加えた印象で楽しめました。コメディータッチと言ってもわざとらしい笑いではなく、人間らしさからくるものなので好感が持てました。
自分はもともと俳優の動きに注目して芝居を観るほうなので、同じ脚本を異なる配役で観ることができるのはとても楽しめたのです。
赤、白とも解説に書いてあるほど作品としての違いは感じなかった。
現代を反映してか、とにかく女子が強い(笑)。
ネタバレBOX
横島裕と伊藤毅が主役・高橋とその友人・望月役を交替で演じるが、息の合った演技のキャッチボールが楽しい。同じ役を攻守ところを替えての役替わりは俳優にとっても大変勉強になると思うし、ご両人はふだんも親しい間柄だそうで、小劇場ならではの試みとして興味深い。高橋・望月のコンビは草食系男子らしく、とにかくよい意味で気持ち悪く可愛らしい(笑)。
白組で私が観た回、伊藤が勢い余って横島を激しく突き飛ばしてしまい、客席にも一瞬ヒヤッとした空気が流れて芝居が止まった場面があったが、すかさず横島が素に戻ってアドリブで舞台を降りてユーモラスにやんわり伊藤に注意を促した。これはなかなかできないこと。私が子供のころ、舞台で鍛えたコメディアンにはこういう人も珍しくなかったが、横島はやっぱりタダモノではないと感心した。
横島の高橋は、ちょっと神経質なところもあり、きっと仕事でもいろいろあって心底一人で過ごしたいと思っているんだろうな、と思わせた。一方、伊藤の高橋は、マネキンの触り方を見てもちょっとエキセントリックな危うさ(笑)を持つ人に見えた。
赤組は厚化粧のリリー役のこまつざきさちこの怪演がとにかく面白く笑わせてくれる。それも単にヘンテコな人間を面白おかしく演じているのではなく、大真面目なリアリティーのあるおかしさだ。私は実際、リリーみたいな個性的な女性に出会ったことがあるので、思い出して吹き出してしまった。白組のリリー、矢野めぐみは無邪気で可愛い(笑)。
天然キャラの真紀も松村絵梨(赤組)と清水恵理菜(白組)ではボケ具合が違う。野口役は、白組の中橋あゆ美の急病で、千秋楽は赤組の林弥生が演じたが、白では別人に見えたほどまるで違う印象だったのには感心した。キャバ嬢は、赤組のリリーを際立たせるためか、リリーを除き白組のほうが化粧がケバイ(笑)。
重要な役、菊池は、赤組の藤岡勇、白組の熊谷祐弥、それぞれ強く印象づけられた。熊谷はバッコスの森、ノゲッツーで2度観ているが、そのつど印象が違う。
菊池を慕う上田役は青山学院大学の2人、浜崎仁史(赤組)、太田旭紀(白組)でこれまた印象が違い、浜崎は愚直な後輩といった感じだが、太田は要領がよさそう(笑)。
姉妹をめぐるミステリーなのだが、もうひとつ、高橋と生き別れの妹が真紀ではないかという謎が描かれ、ラスト・シーンに含みを残す演出に余韻があって良かった。
千羽鶴
演劇ユニットG.com
BAR COREDO(東京都)
2010/09/25 (土) ~ 2010/10/03 (日)公演終了
満足度★★★★
上質なお芝居でしたが・・・
初見の劇団。芝居としての質は高く、俳優も好演していた。文芸ものに強い劇団のようなので、今後も観続けたいと思う。
今回の芝居はギリシャ悲劇や能とも関連させていたようだ。アフタートークでギリシャ悲劇と能の世界が結びつかないようなことを発言していた人がいたが、いまの演劇人は観世寿夫の活動をご存じないのだろうか。早稲田のかたならご存知かと思うが、観世寿夫は早稲田小劇場とも組んで、ギリシャ悲劇と能楽を結びつけた公演を行っていた。
ただ、今回の公演、観劇環境としてはよくなかったと思う。空調の悪い地下空間で登場人物の少ない緊密な芝居を1時間45分、硬い木の椅子で観るのはきつかった。カフェ公演は1時間半以内に収めたほうがいいと思う(持論なのですが)。
ネタバレBOX
この芝居、能でとらえるとわかりやすい。前シテが太田夫人、ツレが文子、ワキが菊治、後ジテがちか子ということになるんでしょうか。舞台に話の芯ともなるゆき子をあえて登場させないのも、能の手法と共通する。
最初に登場する太田夫人の内海詩野は立ち姿と古風な感じがよかった。女性陣でただ一人洋服姿の文子の高安智実は松下由樹と貫地谷しほりを足して2で割ったような美女で印象に残る。
ちか子の佐藤晃子は演技に迫力はあるが、和服を着ているのにずいぶんと豪快に唾を飛ばすので観ていて興ざめし、閉口した。
アフタートークのゲストは「そこがいい」みたいなことを言っていたが、私はそうは思わない。
花柳章太郎、初代水谷八重子、山田五十鈴、杉村春子、坂東玉三郎、みな名優と言われ、和服の似合う女優や女形だが、いくら熱演しても、傍で観ていて唾なんか飛ばさない。それは女優や女形の最低限の嗜みや心得みたいなもの、しかもここに挙げた人は人一倍衣装を大切にする人です。あんなに大量に唾飛ばしたら、着物にかかって汚れるでしょう。「汚いものも見せるのが小空間のよさ」みたいなことをゲストは述べていたが、そういう問題じゃないんです。和服での演技にはおのずと品や節度が要求されるのです。
ちか子は「女を捨てている」という解釈だが、ちか子は一番女の嫌な部分を持っている、したがって女を捨ててなどいない。杉村春子が映画でこの役を演じているのでお手本に観ていただきたいものです。怖いけど美しいですよ。
菊治の山田朋弘は、台詞が少ない難しい役を巧く演じていた。ラストシーンがアングラ風で面白い。
狭い会場なのに音響が大きすぎて、役者の台詞にかぶせるとまったく聞き取れなかった。
20分のアフタートークがあったが、ゲストが一人で仕切るにせよ、内5分くらいは質疑応答の時間を設けてもよかったのでは。
「原作を読んでいる人は?」というから挙手したが、「いるわけないか」と無視された(笑)。
アフタートークが終わっても、ゲストを囲んで劇団関係者たちだけで引き続き話し込んでいるので、つくづく内輪の公演なのだな、と思った。
ゲストの言動からして私演会みたいだった。
観劇料金としては、ワンドリンク込みであの値段が妥当だと思いましたね。
シダの群れ
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2010/09/05 (日) ~ 2010/09/29 (水)公演終了
満足度★★★
「修羅の群れ」のパロディー?
ドンパチ場面が嫌いなわりに、東映の仁侠映画は数多く見てきた。
仁侠映画でありがちな設定が出てきて、いつもの岩松作品よりは普通っぽくてわかりやすいと思ったが、やはり、岩松さんらしさはあった。
ラストは「え、これでおしまい?」とややあっけなさも感じた。
風間杜夫はさすが名人芸というか、芝居を自分のものにしている。言い換えれば、風間で成り立っているようなところがあり、それだけに他の俳優には物足りなさを感じた。
ネタバレBOX
病床にいる組長の本妻の息子ツヨシ(小出恵介)と、愛人(伊藤蘭)の息子タカヒロ(江口洋介)を巡る跡目問題。愛人の息子は刑務所でのおツトメを果たしてシャバに戻ってくる。ムショに入る段階でタカヒロの跡目相続は決まっていたようなのだが、組長補佐の風間杜夫は、筋目を通して本妻の息子ツヨシに継がせるべきでは、と考えているようだ。ツヨシには本妻(江口のり子)との間に1人息子があり、さらにツヨシの愛人ヨーコ(黒川芽以)のお腹にも子どもがいる。まさに連鎖である。いかにも極妻シリーズに出てくるようなシチュエーションだ。岩松作品にしてはふつうの会話が多いように見えても、やくざファミリーの会話は微妙にズレていき、そのズレはやがて大きなキレツと悲劇を生むのだ。
やくざ社会、とにかく下の者の上の者に対する気働きがものを言い、空気を読むことが要求されるが、不器用な若いモン森本(阿部サダヲ)はタカヒロを慕う自分の本心と、組の意向との板ばさみになって「空気の読み方」に苦悩し、爆発する。タカヒロがムショに入る前、将来を誓った女ヤスコ(舞台には登場せず)が行方不明になり、タカヒロは喫茶店でヤスコと旧知のヨーコと会っていたところを森本に見られて誤解される。
冒頭、対立する組がなぜいきなり自動車に発砲してきたのか、ラストでお腹に子どもがいるヨーコまでがなぜ自決しなければならないのかよく理解できなかった。「ヨーコが実はヤスコと同一人物で、ヨーコのお腹の中の子が実はタカヒロの子であった」とかいう展開ならともかく(笑)。
風間杜夫は、前半のんびりしていて、やくざというより中間管理職のおじさんみたいだ。新聞の劇評でも、本作がサラリーマン社会の縮図のようだと書いている演劇記者がいたが、日本の企業と政治の世界はやくざ社会と酷似しているとはよく言われているから無理もない(笑)。
風間の懐の深さ、演技の「間」のすばらしさは抜群である。伊藤蘭は江口洋介の母親には見えなかったので、最初のうち江口洋介は舎弟の一人かと思い、関係がわからなかった(笑)。もともと私は女優としての伊藤蘭をあまり評価してないが、今回も極妻役ということでドスをきかせたつもりの演技が岩下志麻の下手なコピーにしか見えず、感心できなかった。風間を誘惑して2人でコーヒールンバを踊る場面はご愛嬌だが、まるで彼女が準レギュラーだったドリフの全員集合時代の寸劇みたいだった。
阿部サダヲ、江口のり子の演技にはよくも悪くも小劇場の匂いが染み付いている感じ。
江口のり子は人気深夜ドラマ「時効警察」で岩松の部下役だったし、NHKの「風のハルカ」では、岩松、黒川、近藤公園は舅、嫁、夫というファミリーだったせいか、配役も岩松色が濃い。
好んでチョイ役に出演するという岩松了の俳優としての存在感も私は好きだ。俳優として出演しながら、共演者を自分の芝居に上手にさらってくるようだ(笑)。
黒川は女子高生役からずいぶん大人の女に成長した。
小出の関西弁のアクセントがまったくなっていない。変な関西弁ならしゃべらせないほうがよい。
この芝居、目新しさはないし、役者たちが演じる人物にカッコよさはないのだが、時折芝居の隙間に流れるやるせない空気がジーンと響く。
それはまちがいなく岩松了がつくりだしたものであり、彼の芝居に流れる厭世観のような気がする。また、数年前、自分が花火を見上げながら自殺を覚悟した夜に、忍び寄ってきた厭世的な匂いの夜風にも似ている。私が岩松の芝居にひかれているのはそういう言葉でうまく表現できない点だと思う。
何度かのカーテンコールのあと、客席に明かりがついてもアンコールを促す手拍子が鳴り止まなかったが、なんだかシラケて私は劇場をすぐに出てしまった。正直、そんなにいつまでもカーテンコールを求めるほどの芝居には感じられなかったし、求めることで「通」ぶっているような昨今のシアターコクーンの客席の雰囲気に私はどうにもなじめなくなっている。
嘘臭いスノッブさというか・・・これなら、小劇場の会場のほうが数段心地よいと思う。
ジーンズ -gene(s)-
劇団銀石
ザムザ阿佐谷(東京都)
2010/09/29 (水) ~ 2010/10/03 (日)公演終了
満足度★★★
鼓動
毎回、個性的な舞台表現が楽しみな劇団銀石。今回は生命の誕生、遺伝子、人類の起源に迫った“異類婚姻譚”。
壮大なテーマをどう見せるのか注目したが、、舞台美術、俳優の身体、言語、音楽(鼓動のようなリズムと言うべきか)が一体になったような表現に感服。
来年は吉祥寺シアター進出ということで、期待しています。
ネタバレBOX
長方体を分断した大道具のパーツを巧く使っていた。冒頭、影法師のような黒いケープをまとった登場人物たちが、近くにいる人の肩をポンポンと叩いて振り向かせ、手と手を重ねていく繰り返しの表現にひきつけられた。
やや単調で切れ目なく続く言語の洪水のためか、上演時間1時間45分がいささか長く感じられ、1時間を過ぎた時点から疲れてきて、何度か時計を見てしまった。1時間30分以内ならもっとよかったと思う。満席で背もたれのないベンチシートで長時間集中して観るのはやはり辛い。最前列、体育座りの人はより負担があったのでは。
私などは門外漢だが、同じく演劇をやっている人たちにはとても刺激的な芝居だったらしく、アンケートを書く間聞こえてきた範囲では、好評のようだ。
毎回恒例のアフタートークがなかったのも残念。ずっと続けていくとのことだったが方針を転換したのだろうか。
ЖeHopмan【シャハマーチ】 下北盤
電動夏子安置システム
Geki地下Liberty(東京都)
2010/09/21 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
下北盤も両バージョン観劇
日程の都合で偶然、今回もMバージョンが先となり、24日M、25日Kバージョン観劇。池袋盤同様、両バージョン、ストーリーは同じでK、Mそれぞれのチームの視点で描かれる。
このシリーズ、自分は池袋盤が初体験だったので、池袋盤の段階ではゲームの特性を把握し、対戦過程に気をとられた。今度の下北盤では脚本的にもより一歩進めてあり、このゲームの本質や矛盾、人間の本性の問題にも踏み込んで描かれている。2公演、4バージョン全て観たことになるが、全部観たぶん、それなりに深く楽しめるようにできていて、この芝居、本当にいろんなことを考えさせられ、怖ろしくも興味深かった。
竹田哲士の作劇術には毎度やられてしまうが、観れば観るほど虜になっていく。
加えて、やはり澤村、なしおが復帰した電夏は一味違う。
ネタバレBOX
今回のほうが池袋盤より職業の特性が役に多少は反映されていたように思う。緻密な女性棋士・城戸(小舘絵梨)とプログラマー加納(じょん)が組んだMチームはやはり手ごわく、序盤で大きく水をあけられながらも猛追するKチーム。
城戸の棋士としての対戦成績が気になるところ。実生活で案外あまり強くない分、このゲームの勝利に賭けているのかな、などと考えてしまう(笑)。
根原の用松亮の人間くささと、人間離れした(?)魅力を持つ門倉の渡辺美弥子が2公演通じて印象に残った。「自分のチームのノルマを最後まで信じる」という門倉のひとことにハッとさせられた。
池袋盤を戦った経験により、室尾(岩田裕耳)の人間観察力、奥羽(小原雄平)のゲームへの疑問、城戸の勝利への執念などが浮き彫りになる。
劇中、伊豆井(なしお成)の体型をからかい過ぎなのが気になった。なしおは演技力もあるコメディエンヌだから、ほかのことで目立たせてほしい。
終盤近くの澤村一博の演技にリアリティーがあり、目を見張った。
比較的従順だったMチームのノルマ・江利(池田葵)の大胆な決断が生んだどんでん返し、皮肉な結末には唖然とした。
気になった点としては、ゲームのルールで、ポイントを獲得してノルマが移動できるマス目の数=歩数というのが台詞以外、演技上ではわかりにくいと思った。マス目が足りないと言いつつ、「回り道していきましょう」などと言っているので。もちろん、そんなこと関係なく楽しめるが。
また、池袋、下北両公演を通じて、今回コント部分の面白さがイマイチに思えた。
電夏の「Performen」も「家」シリーズも行動が自分の意志に関係なく制約されていく話なのだが、作者の竹田という人は「操られる人」がよほど好みらしい(笑)。
次のシャハマーチはゲームとして芝居としてどのような進化を遂げていくのか期待される。
生きる。【全日程 終了致しました。】
神と仏
明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)
2010/09/24 (金) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
演技派によるコントが面白い!
オムニバス・コント7本。場内は爆笑の渦。学生たちにも大ウケだった。
「アドリブクイズ」はエチュードや大喜利のようでもあるが、他の6本は多分に演劇的要素が濃い。
パンフの挨拶文によると7本中3本を「声を出すと気持ちいいの会」主宰の山本タカが作・演出したそうだが、どれがそうなのかは記名がないのでわからない。山本はシリアスで幻想的な作品で注目されている学生作家だが、コメディアンとしても魅せ、こんなに面白い俳優とは知らなかった。
草野峻平、中島綾香、宇高大介、米澤望と、明治大学の演劇で活躍している演技派の面々が汗だくでコントを演じてくれるのが嬉しい。宇高と米澤のリラックスした表情を初めて見たので新鮮だった。
次回公演の企画も決まっているようで楽しみだ。
ネタバレBOX
「幼稚園」
「グーチョキパーで何作ろう」で無邪気にお遊戯する園児と保育士。園長先生が帰ったのを見計らって保育士たち(草野峻平・宇高大介)が園児たちに「大人教育」の特訓を始める。
幼稚園バスの中での年長さん(山本タカ)が年少さん(米澤望)にレクチャーする大人顔負けの現実的な会話が可笑しい。
「年長になるとスイミングスクール行かされたりして自由時間が少なくなるからいまのうちいろんなことやっておけ」とか「初コーラ、刺激的だったぜ」、「いまの世の中どうなるかわからないし、先のこと考えとかないと老後のお金とか心配だろ。親の前では将来の夢はニンジャとか言ってあるけどさ」など。
停留所にお迎えに来たママ(中島綾香)の前でふだんのあどけない幼児に戻った年長さんはおもらしをし、泣きじゃくる。バスの中から呆気にとられて見守る年少さんへ送る年長さんの鋭い視線が印象的。
「死者への手向けⅠ」
電車に乗っている男女社員(中村優作・中島綾香)の会話。上司が急死したらしく「部長も本望だったでしょう。大好きな埼京線で轢かれたのだから・・・」。
変だな、と思っていると告別式が始まる。
受付で渡す香典は乗車券。「電車葬」なのだ。和尚さん(草野峻平)が会場の優先席に案内され、ケータイが鳴って通話し、大顰蹙。和尚の読経も鉄道に関すること。遺族の妻と息子が山手線の駅名を順に暗証し、ラブホ街の駅名で妻が反応するという解説が入る。後ろから和尚がまったく関係ない「ススキ野」なんて囁くと、妻(山本タカ)は激しく動揺する(笑)。
網棚の上の棺に向かって、読み終わりの新聞やマンガ雑誌を放り投げる参列者たち。
棺は列車ごと燃え盛るトンネルの中で荼毘にふされるため、参列者は列車を降り、ホームで黄色い線まで下がってお見送り。さらに白線の内側まで下がってそれぞれの人生を生きるのだそうだ(笑)。
「死者への手向けⅡ」
今度は母(山本タカ)も亡くなり、一人残された息子(宇高大介)を喪主とするミュージカル葬。いかにもミュージカルナンバー風に歌い上げたり、間で台詞をつぶやいたり、パロディーが笑える。
「打ち合わせ」
プライドの高い有名シナリオライター(草野峻平)とフジテレビの若手プロデューサー(山本タカ)の会話。プロデューサーが中座してケータイで部下に「そんな作家契約切っちまえ!」と怒鳴っているのを聞いて弱気になったシナリオライターはTV局の条件を呑むことにする。それはスポンサーの意向を汲んで商品名を台詞に入れたり、フジテレビの“反戦特集企画”に協力して台詞に反戦色を盛り込むことなのだが・・・。
シナリオライターが言う「私は自分の作品の中で“企業の犬”みたいなマネはできんよ」がキーワードとなる。
「企業の犬」
前のコントの打ち合わせの結果、放送されることになったTVドラマが演じられる。不自然なほど企業名が出てきて、広報資料のように商品の特徴が俳優の台詞によって説明されるのが可笑しい。
果ては男友達(宇高大介・米澤望)が喧嘩を始めると、ヒロインのみどり(中島綾香)が「喧嘩しないで!いまも世界のどこかで戦争が起こっている。戦争なんて大嫌い。戦争反対!」と叫び、全員でフジテレビの「戦争反対特集企画」の番宣をする(笑)。フジテレビという実名を使う必要はなかった気もするが。
「アドリブクイズ」
TV番組という設定。3人の俳優(中島綾香・草野峻平・宇高大介)がコントをする中、司会者(山本タカ)が途中で動きを止め、「ここから彼らはどういう行動をとるでしょう?」という問題を出し、ゲスト回答者2人(中村優作・米澤望)が答え、採用された答えをコントで演じる。
森進一と川内康範の作詞騒動や狂言の大笑い、EXILEのチューチュートレインなどが採用され、最後に全部通してコントを見せる。中島の変わり身の表情が秀逸。
「死刑」
囚人1743号こと三ケ日みかん(中村優作)の死刑が執り行われるまでを描く。死刑台というのは鏡餅で、みかんはそのてっぺんに「橙」として登るのがオチ。ナンセンスなのだが、途中がシリアスな展開。死刑台が運ばれてきて「この鏡に・・・」と囚人が言った段階でオチが予想でき、そのうしろで死刑執行人(山本タカ)が緑色のハチマキを用意するので早々とわかってしまうのが残念。死刑執行が決まったみかんの前に和尚(草野峻平)が現れ、みかん農家の母親(中島綾香)の切々たる手紙が読み上げられ、囚人が死刑台に登る残酷な場面に向かって客席の笑いは高潮していくという仕掛けが逆説的で面白い。
私の好みは「幼稚園」と「死者への手向けⅠ」だった。
淑女冥利
多少婦人
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2010/09/22 (水) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★
面目躍如、ひと皮剥けた感じ
私は渡辺裕之、酒井雅史、2人の作・演出家の作品を大学生時代から観てきた。作風のまったく異なる2人が旗揚げした「多少婦人」の第1回公演を観たとき、大学のときの作品とはかなり違っていて、「なるほど、こういうものがやりたいのか。これなら大人の観客も楽しめそうだな」と感じて、今日まで観続けてきた。
2人の作・演出家の短編作品をオムニバス形式で並列上演するこの劇団のスタイル、短所が勝つと、時に中途半端な印象も感じられ、昨年の前回公演には私は心苦しくもかなり辛い点をつけて奮起を促した。そして今回の公演で現時点で最大限持てる力を発揮し、立派に“面目躍如”を果たしたと思う。
今回は劇団カラーが鮮明で、自分の好みには合わない作品も含まれていたが、作品的には完成度が高く、ここ2年くらい感じていた“隔靴掻痒感”が見事に払拭され、観終わってスッキリした。
当日会場に来ていた若い女性が題名の漢字、「淑女」も「冥利」も読めなかったらしく、隣の男性に訊いていた。「レディ」という単語は知ってても、「淑女」なんて言葉は耳慣れないのだろう。そもそも半裸に近い格好で往来を闊歩する最近のギャルは「淑女」のイメージとは程遠いもんなぁ(笑)。彼女は読みを教わったのち、「ねぇ、しゅくじょってどういう意味?みょうりって何のこと?意味、わからないよ」と言っていた。
そう、「淑女冥利」とは、はたして何なんでしょう?(笑)
スタッフワークについてはどの劇団にもお願いしてるのですが、雨の日は取り違え予防のため、ぜひ傘札を発行してほしいと思います。
ネタバレBOX
登場人物の女性たちはコーラスのサークルに所属しているらしい、というところからこのオムニバスは始まる。
各編の詳細については既に述べているかたがおられるので、感想のみに絞らせていただく。
「減らす女」
渡辺はロジカル・コメディのようなゲーム的作品が得意。大学の先輩劇団である電夏の竹田哲士とも共通するが、電夏がコントに比重を置くのに対し、よりシリアスで心理的で論理性が強いのが特色。
冒頭の本作は不条理劇ホラーといった趣で、4作中でも異彩を放つ。表現を巡って賛否の分かれる作品だとは思う。
グロテスクでリアルな残酷表現がどこまで観客に許容されるか、という問題も含んでいる(私個人的はこういう表現の作品は大変苦手、好きではない)。
最初にこのショッキングな作品を持ってきたことは、渡辺にとっては一種、賭けでもあったと思う。インパクトは抜群で、その勇気と決断を評価したい。
黒服が酒井の頭を何度もパシッと叩く場面、笑いが起こっていたが、表現的にはいただけないと思った。
石井千里の怪演が強く印象づけられた。こういう役をやらせたら格段にハマる女優だ。石井の夫役、ヨロレイヒー♪に不条理劇の不気味さがある。
「あなた好みの。」
ありえない極端な状況の職場なのだが、どこの職場でも内包していそうな問題を描いている酒井の視点がいい。
同期の秘書・山本しずかを先輩みたいに扱うみかんのヤンキー風金髪秘書。こんな秘書、いるわけない!から笑える(笑)。みかんの新たな一面が伺えた。一見しとやかでノーマルな山本のハズレっぷりも楽しい。社長の息子の芝田遼がよかった。筑田大介(社長)や酒井(課長)は見た目平凡そうでおかしな人物が巧い。
「増やす女」
冒頭の「減らす女」と表裏一体、内容が対になっている。
まるで艶笑コントのような場面が続くこの物語の裏では血も凍るようなドラマが展開しているのだと思ってこれを観ると、また違った味わい方ができるわけだ。
セックスレスの主婦を演じる國枝陽子がチャーミング。青☆組での客演経験が生きたのではないかと思う。渡辺イチ押しの明大が生んだイケメン俳優尾崎健太郎が、瑛太のような雰囲気を醸し出す。ご難続きの夫役、芝田も前の役とは違う面白さを見せた。筑田のマーラーに彼の持ち味がよく出た。
「いま、ついに私の番。」
本心をなかなか言えず、何とか本来の自分らしく振る舞おうともがく女性の葛藤を描く。遠藤夏子にピッタリとはまった佳作。
前回公演までの酒井の作品は言いたいことはわかるのだが、観客にとって消化不良気味の点があったが、本作ではその殻を破った感がある。
ヒロインの女友達を演じる市野々はる果が好演。こういう色がついていない役は彼女が演じなければ「ただの平凡な友人役」で終わってしまうところだ。男性ファンが多い市野々だが、今回つくづくいい女優だなぁと思った。
コーラスの場面もきっちり聴かせるところがよかった。
唯一の心残りは、劇団創設メンバーで演技派女優の阿部恭子が今回裏方に回り、出演していなかったことだ。この劇団にはもう一人、最近は制作に専念している中川由紀子という超個性派女優もいるのだが・・・(笑)。
ともあれ、池袋演劇祭に参加し、シアターグリーンで上演するだけの価値のある作品に仕上げた全員の努力に拍手を贈りたい。
ラチカン
黒薔薇少女地獄
中野スタジオあくとれ(東京都)
2010/09/17 (金) ~ 2010/09/20 (月)公演終了
満足度★★★
強烈な印象
エムキチビートの太田守信が「作りたいものを作る」というプロデュースユニット。あまりにも公演内容に合致しているので、こういうシリーズのためのユニット名なのかと思ったら、今回はたまたまであって、前作は違う内容の作品を上演したのだそうだ。ラチカン、拉致監禁された女性たちの物語。女優10人を集めての話題の公演なだけに、小劇場の女優マニアにはたまらない作品だろう。ふだんの小劇場より男性客の姿が目立ったし、スタッフがメイド喫茶のウェイトレスの扮装で「いらっしゃいませ、ご主人様」と出迎え、男性客も嬉しそうに後に付いて入場していた(笑)。PVをネット公開したり、会場で女優の写真物販があったり、かなりそのへんのファンを意識していたようだ。
個人的には好きな系統の作品ではないけれど、強烈な印象が残った。俳優としての仕事しか知らなかったが太田守信は作・演出家としてもなかなか手腕のある人だと思った。
狭い会場で、チラシも簡素なコピー、大道具もないシンプルな平舞台、衣裳も女優の私物だろうし、入場料はもう少し安くできたのではないかと思う(前売り2300円、当日2500円くらいが妥当に感じた)。
小劇場の常連向けなのか、役名がついているが名前で呼び合う場面はほとんどないので、知らない女優はPVで照合確認しなければならない(それでもわかりにくい人もいた)。カーテンコールで役者紹介するか、もしくは、パンフに写真を載せてほしかった。
ネタバレBOX
全員黒い衣裳に、包帯姿、その種のマニア垂涎物で、ビジュアル的には危ないイメージ(笑)。
収監部屋での会話が映画の「女囚」ものみたいな雰囲気。“性奴”にされた女性たちが脱出をめぐって話し合う場面は、今年観た角角ストロガノフの「精跡」とも共通している。人物の背景がほとんど描かれず、「脱出」に会話の重点があるので、単調に感じて途中、少々退屈した。
ただ一人抵抗を続けるヒロインの藤村あさみは独房に入れられるが、殺されずに生きながらえる。ここへさらわれるまでの少女たちは、「生」に意味を見出すことができず、漫然と日々を生きてきたようで、すぐに生活に順応し、ここを出ても戻る場所がないという現実が重く胸に迫る。犯人が警察に逮捕され、建物が火事になるが、ヒロインの説得も空しく、少女たちは手をつないで建物から飛び降りて死んでしまう。
1人生き残った藤村が、事件後、何年かして、現場を訪れるという場面。蝉しぐれの真夏、トレンチコートというのが不自然に見え、「暑い」と言って脱ぐのだがあまり意味を感じない。日記に声を出して心情を書きとめる場面、手元がもたついて声と合わず、不自然に感じた。ヒロインを出すとしても、本人の独白ナレーションをかぶせたほうがよかったのではと思った。
全員が「美少女」であるとは言いがたいが(笑)、とにかく贅沢な布陣。鈴木由里は女性でハムレットを演じたほど演技に定評があるだけに、今回はちょっと役不足の感もあり、もったいない。人形のようなすずきぺこが不気味な存在感。監禁犯人役が登場しなくても、太田守信を思い浮かべてしまう(笑)ほど、彼は存在感のある俳優だ。
照明との兼ね合いで、ファンデーションの明度をある程度そろえたほうがよかったと思う。角田紗里の肌色がほかの女優に比べてかなり地肌に近く、素顔にゴスロリの衣裳を着たみたいに見え、違和感があった。
避暑に訪れた人びと
東京演劇アンサンブル
ブレヒトの芝居小屋(東京都)
2010/09/11 (土) ~ 2010/09/20 (月)公演終了
満足度★★★★
厚い役者層、観ごたえがあった
かつて俳優座が上演した「別荘の人びと」とは戯曲として別物らしい。カーテンコールでの伊藤克の言葉、「ゴーリキーとチェーホフとの出会いによってこういう素晴らしい芝居が生まれた」にすべてが集約されていると思う。劇団の財産ともなる素晴らしい作品で、観られてよかった。何年かに一度は上演してほしいと思う。
パンフに人物相関図がなかったため、登場人物の役名の照合がしにくかったとのご意見があった。実はチラシには俳優の写真と役名が書かれていて、劇場ロビーにも自由に取れるよう置かれていたのだが。私は他劇場のカンフェティのチラシの束の中に最近では珍しくこの公演のチラシを発見したものの、今回ご覧になったCoRichのユーザーは小劇場ファンのかたが多く、たぶん手に取る機会がなかったのではと思う。小劇場公演の場合は当日パンフと共にその公演のチラシが添えられていることが多い。常連客以外のために今後当日パンフと共にチラシも添えていただけないだろうか。当劇団の場合、チラシには俳優写真が載っているので、パンフと照合すれば俳優と役名が一致しやすい。
今回、有料プログラムも読み応えがあったが、女優陣、男優陣分けての座談会企画など載せてほしかったと思う。
結婚していまの住居に移転しなければ、地元、東京演劇アンサンブルの芝居は一生観ないで終わったと思う。広渡常敏氏の名も劇団の存在も知ってはいたものの、何となく先入観があって足を運ぼうという気が起きなかった。「日本の気象」を初めて観て、久保栄の戯曲の力にも圧倒されたが、劇団員たちの演技力にも目を見張った。人それぞれ感じ方の違いや好き嫌いはあると思うが、半世紀に及ぶ自分の観劇歴から公平に見て、この劇団の層の厚さ、演技の質の高さはかなりなものと判断せざるをえない。これはやはり長年にわたる広渡さんの薫陶の賜物だろう。私もこの劇団を初めて観たとき、他の新劇の劇団とも違う独特な個性を感じた。自然な演技の中にも格調があり、その格調にひかれて観続けているともいえる。
「自然な演技」というと、最近の人は平田オリザの現代口語演劇のような芝居を連想すると思うので、この劇団の俳優の演技には違和感があるかもしれない。私は新劇の芝居はそんなに多くは観ていないのだが、昭和20年代に封切られた新劇俳優中心の古い邦画を勉強のために集中的に観るようにしており、今回、Coichのユーザーの方々による「演技が棒読み」とのご指摘は彼らの演技の質を理解するうえでも重要なヒントになったので、個人的なことだが非常に感謝している。
ネタバレBOX
オープンスペースという「ブレヒトの芝居小屋」の特徴を生かした舞台美術。他劇団で見られるように、樹木に葉があったほうが私は好きだが。
冒頭、全員が舞台面に並ぶ場面は絵画のようで、期待感に震えた。花道の脇の席に座ったので、俳優の演技をま近で観ることができ、歌舞伎では慣れていて何とも感じないのだが、今回はわくわくした。
女性陣。マーリヤの原口久美子は静かな口調の中にも強固な意志が感じられた。ただ、この劇を見る限り、マーリヤの性格が私にはよく理解できない。アンサンブルの場合、役が違ってもイメージが固定している俳優もいるが、原口は役によって声の高さや印象がまったく違う七変化女優である。
ヴァルヴァーラの桑原睦も期待に応えて、魅力的に演じた。「人形の家」のノラを彼女で観てみたいと思った。
洪美玉のユーリヤは芝居好きという設定で、女優のように妖艶。もっと奔放に演じてもよいと思うが、この劇団ではこれが限界かも(笑)。
オーリガ(奈須弘子)は、育児など日常に追われて目先のことしか考えられず、神経質で傷つきやすい半面、鈍感でもある。奈須の棒読みが際立つとの指摘があったので心配したが、適度に抑揚もあり、特にいつもと変わった点は感じなかった。ヴァルヴァーラに絶交を告げる場面では、劣等感や嫉妬、心の揺れを見事に表現していた。オーリガは同性から見ても苛立つような女性だが、現代の主婦にもいそうなタイプ。夫婦ともども俗物だからこそ幸福でいられるのかもしれない。
自然な演技という点では、清水優華のカレーリヤが一番自然だったと思う。臆することなく伸び伸びと彼女らしく演じていて、「銀河鉄道の夜」のジョヴァンニともまったくイメージが違っていて、改めて注目した(ちなみに、桑原睦はカンパネルラ)。
サーシャの冨山小枝に、先ごろ亡くなった北林谷栄を久々思い出した。サーシャは分を心得て家族の内面には立ち入らず、ひたすら幼子のようにバーコフを扱う。サーシャには人々の心情の複雑な部分はわかるまい。彼女の役目は「家庭内での目配り」であり、あえて抑揚の少ない冨山小枝の演技に、演出の入江さんの意図が読み取れた。演技が稚拙な俳優の棒読みとは明らかに違うことを記しておく。
男優陣。バーソフの松下重人には、こういう難しい役が多く回ってくるが、彼らしく咀嚼していた。
伊藤克のドッペルプンクトは、この物語の中に息づいている。この劇団でこの役には彼しかいないだろうし、音楽のような演技に感心した。
ドゥダーコフ浅井は人畜無害の小市民的夫を好演。
シャリーモフの公家義徳は爽やかな持ち味のせいか、ヴァルヴァーラが幻滅するほど通俗的な正体が感じられなかったのが難点ともいえる(笑)。新世代の台頭に追われ、物書きとしての焦燥感を吐露する場面に共感した。野の花を一旦手帳に挟み、ヴァルヴァーラへ返す場面に何ともいえない余情と色気がある。
ヴラースの本多弘典はベテランに混じり、大抜擢。この人の目の鋭さは、20代のときの加藤健一を思わせる。演技はまだまだだと思うが、将来、どんなふうな俳優になるか楽しみだ。
スースロフの松本暁太郎。彼は芝居の中で粗野な役が多く、いつも怒っている印象がある(笑)。
尾崎太郎のリューミンは恋を演じることでしか自分を見出せない。感傷的だが幸福な青年。文学座なら渡辺徹に似合いそうな役どころか(?笑)。
ザムイスロフ三木元太は口跡が良い。
別荘番の竹口範顕と三瓶裕史がすべてを見透すシェイクスピア劇の道化のようで面白い。
終幕近く、女たちが去り、バーソフと2人のシーンで、シャリーモフが笑い、「何で笑うんだ」とバーソフが咎める。このときの公家の内側からこみあげてくるような笑いが台詞よりも何十倍も心情を物語るほど効果的で、強く印象に残った。今回の場面は少し違うが、私は大作物のときの松下と公家の男同士の友情を感じる場面に両優の互いの信頼感が感じられて、個人的に好きだ。
ストーリー上、ラブシーンが多いのかと思ったがそうでもなく、抑制のきいた演出だったと思う。キスシーンも私の観た回ではごく自然で、へっぴり腰の俳優は見受けられなかった。
気になった点。「植物の「蔓」を鳥の「鶴」のアクセントで発音していた俳優がいたことと、たぶんユーリヤの台詞だったと思うが「目線(めせん)」という単語が発せられた時は驚いた。最近、ある高名な言語学者が新聞のコラムで「最近耳障りな単語」の代表に、この「目線」を挙げており、「視線や視座という単語があることが忘れらているのではないか。TVの業界用語から出たこの単語の濫用が私には許しがたい」と書いていて、まったく同感である。東京演劇アンサンブルの舞台でこの単語を聞いたことが私にはかなりのショックだった。台本にある台詞ならぜひ「視線」に言い換えていただきたいとお願いする。
舞台衣装について。休憩を挟んで2部構成だったので、着たきり雀ではなく、衣裳替えがあればよかったと思う。
避暑地なのに、男性のスーツやジャケットがシャリーモフとリューミン以外、冬服なのがいかにも暑苦しくみえた。また、マーリヤとカレーリヤがブラウスにスカートという衣裳でベルトをしていないのが気になった。スタイリストで服飾評論家の原由美子さんも「日本人は無頓着だが、洋服においてはスカートのベルトは不文律のようなもの。スカートにベルトをしないのは、日本人が帯に帯締めをしないように不自然でだらしないものだと考えてほしい」と著書に書いている。ましてや、この時代は、くつろいでいるときでも衣裳考証上もベルトは着けるべきである。
『笹の音の小夜曲~セレナータ~』
劇団40CARAT 【第36回公演『ダーリン×ダーリン×ダーリン』9月15日[金]~9月17日[日]阿佐ヶ谷アルシェ】
シアター風姿花伝(東京都)
2010/09/17 (金) ~ 2010/09/19 (日)公演終了
満足度★★
アングラ+市民ミュージカル?
初見です。詩情あふれるファンタジーミステリーを想像していたのですが、アングラ+市民ミュージカルみたいな印象でした。バンド生演奏は幕開きはいい感じだったのに、途中、音が大きすぎて、役者の声がかき消されてしまう場面があったのは残念。
ネタバレBOX
何もかも中国人の仕業にして終わってしまう雑な筋書きと謎解きにはがっかり。
押入れから刑事が登場したり、母親が姥捨て山志向で自らダンボールに入ったり、姉娘の葵(ミヤタユーヤ)を芸能界にスカウトしようと怪しげな「ギョーカイ人」たちがやってきて安っぽいお笑い場面を演じたりする場面は、どこか唐十郎のアングラ劇を思わせるが、新鮮味に欠ける。
舞台後方が開いて竹取物語のような場面が出てくる終盤もアングラっぽい演出で、さんざん音楽や照明で盛り上げたあとに、定年退職の日、姉娘(実は青年)に刑事の流石が刺殺されてしまう場面が続き、これもクライマックスとなるため、全体的なインパクトが弱まってしまった。
渡辺勝のすすり泣くような歌唱もアングラ風味。それに比して、「笹音のかげぼうし」のコロスが出てきて、「地上の星」を大合唱する場面は、市民ミュージカルのようで素人くさく、ちぐはぐな印象。
俳優では、意図的に棒読みで台詞を言う母親役の鈴ノ木まろが唯一女優らしく、印象に残った。刑事の流石(鹿又隆志)は安定感ある演技だが、「情熱大陸」「プロジェクトX」「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」などのTV番組名を連呼して、「憧れだ」と言わせる場面は不要に感じた。刑事コンビの流石の相棒・亀有役のヴィンは意図しない棒読み演技で台詞もとちるなど、鹿又の足を引っ張っていた。芸能事務所の社員の山田香が声量がないためか、大声を出しているのに、音楽や他人の台詞がかぶると聴き取りにくかった。女社長をオカマの俳優、天海朋に演じさせるのは笑いをとるためなのだろうか。「白い白馬の王子様」と台詞を言い間違え、あわてていたのがご愛嬌。
HPを読むとコンセプトが明確に思えたが、実際に観た芝居は雑駁な印象で、目指す演劇スタイルがよくわからない劇団だった。
アイツは世界を変えるらしい
けったマシーン
しもきた空間リバティ(東京都)
2010/09/17 (金) ~ 2010/09/19 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しめる社会派サスペンス
「小さな街のおとぎばなし」というより、社会派サスペンスとしてなかなか楽しめました。真相がすべて明らかにならずに終わるのですが、謎は謎として肝心な部分はもう少し丁寧に描いてほしかったという気がします。サスペンスでも、伏線を重ねるよりも会話を中心に人物に注目させながら淡々と進行する点で小劇場に適したお芝居だと思いました。
この脚本家の一番良いと思う点は、日本語がきちんとしていて、言葉を丁寧に扱っていること。サラッと流す会話でも、それがきちんと守られている点に好感が持て、最近の小劇場芝居では稀少だと思います。
役名に名古屋方面の地名がさりげなく使われていました。
パンフに顔写真が載っているのも親切。次回作、次々回作まで公演予定が載っていて、なみなみならぬ意欲を感じました。書きたいこと、やりたいことがたくさんあるのでしょう。
自分の気持ちの中ではいま一歩、☆3.5という感じで大変迷ったのですが、今後への期待と“敢闘賞”という思いを込めて☆4つとさせていただきました。
ネタバレBOX
TV局のADをしている主人公金山(坂本真太郎)には同級生の元カノ・矢田(大平桃子)に対する自分の過去の心のわだかまりがあり、番組VTRの編集のように記憶まで「編集」しようとしていた。それを小さな“改竄”とすれば、大きな“改竄”は市長を巡る一連の事件かもしれない。金山の心象風景として、踏切での彼女との別れ際のやりとりの場面が再三繰り返される。学生演劇を含め小劇場系の芝居に最近よく見られる手法のようだが効果的に感じる例が少なく、自分はどうもなじめない。映像ならさほど気にならないが、演劇はやはり俳優により生身の会話がなされるから場面として注目する分、印象が強すぎてくどく感じるのかもしれない。
元戦場カメラマンとして働き、現在は言葉がしゃべれなくなっているというTV局カメラマン(益岡幸弘)、復興支援を行うNPO団体の代表を経て市長に当選した東別院(小野寺駿策)、その秘書・本山(望月智和)、市長を刺殺する日比野(小泉美果)、彼らの背景をもう少し描いてほしかった。通り魔事件も真犯人は別にいるのか、すべて日比野の仕業なのかがよくわからない。市長がTV局ディレクターの茶屋ヶ坂(高山五月)と高校で同窓だったことも、会話に匂わせるので何らかの意味があるのかと思ったら、舞台上では関係なかったようで、伏線と紛らわしい描写は省いたほうがいい。
俳優は個々に力演しているが、技量の差もあるためか演技のキャッチボールがうまくできずに会話のリズムが崩れてしまうところもあり、この辺は演出の力でもう少し何とかなったのではないかと思う。
市長と秘書の会話は、ハイテンションな秘書と冷静な市長のつぶやきの対比がコントのようで面白い。望月は、若い頃のとんねるず・石橋貴明を思わせる熱演で、終盤への含みもあるのだろうがオーバーアクションぶりが少々鼻についた。いくらハイテンションでも、相手の演技を受けるときはしっかり受けないとひとりよがりの芝居になってしまう。小野寺は「間」がうまく、とても面白いのだが、望月の演技がうわずりすぎて、息が合わない。合っていれば、もっと面白かったはず。
チャランポランで調子のいいディレクター役の高山も、こういう人物にありがちなわざとらしいしゃべりかただとは理解できるものの、台詞を言う前に妙な「間」があくので、いかにもこれから演技するぞ、というふうに見えてしまう。
ファミレスでの同級生3人の会話も、大曽根役の平山紗奈が演技的にいいリードを見せていたが、黒川(平田将希)のテンポがずれるので、本来ならクスッと笑えるところが笑えなかったりする。
金山を演じた坂本はなかなかの美男で、演技経験は浅そうに見えたが、いい演出家にしごかれたら今後良くなりそう。新人AD堀田の宮尾政成は自然な演技がいい。しかし、TV局での茶屋ヶ坂、金山、堀田の3人の会話となると、会話のリズムがうまくかみ合っていかず、スカスカに感じてしまう。
無愛想な日比野役の小泉はパンツスタイルの歩き方が美しくない。見られる立場の舞台女優としては気をつけてほしい。
カメラマン役の益岡は、口がきけない間の演技がいい。本性を見せて言葉を発する寸前の「間」がよくないため、切り替わりが鈍るのが残念だ。
「間」は「魔」に通ず、とは芝居の世界ではよく言われるが、今回、つくづくその「間」の大切さを痛感した芝居だった。
【ご来場ありがとうございました】みんなのへや/無縁バター【全ステージPPT実施】
Aga-risk Entertainment
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/09/14 (火) ~ 2010/09/19 (日)公演終了
満足度★★★★
実験的な面白さ
それぞれ1作品でも題材的にはじゅうぶん成立するものなので、2作品というのは観客にとってはおトクといえる半面、時間的な制約もあり、もったいない提供のしかたもいえる。今回は会場の特徴を生かした実験的な試みで、本公演とはまた違った楽しさがありました。よって、作品の完成度というより、番外企画としての視点で、評価させていただきました。
冨坂友さんは、シチュコメを手がける劇団の中でも、私が最も期待する若手作家のおひとり。まだお若いのにセンスは抜群で、肩肘張ることなくシチュコメの王道を行く姿勢に注目しています。かなり自信はお持ちなのだろうが、悪い意味での頑固さはなく、「観客にどう見せるか」に腐心されているのに好感が持てる。
将来が本当に楽しみです。
ネタバレBOX
「みんなのへや」
当日パンフに、シチュエーションコメディについて、「確かに、広い舞台でしっかりした具象のセットが組まれていれば感心するけれど、それではこの表現が“持てる者”の表現になってしまう。金持ちのコメディになってしまう」ということが書かれていて、すごく共感した。実は、この夏、あかぺら倶楽部さんのシチュエーション・コメディを観劇して満足できたものの、舞台美術の豪華さに、このパンフに書かれていることと同じことを思ったので。
昔、東京サンシャインボーイズの芝居を新宿のシアタートップスで観たとき、衣裳にもセットにも全然お金をかけていないのに、シチュコメとしては非常に精度の高いものを作っていて楽しめ、ああいう面白さをまた味わってみたいなーと思っていた矢先、文字通りシチュエーションコメディのスケルトンを見せてくれたこの企画にとても感心した。
部屋もスケルトンになっていたが、会場の関係からか、玄関が非常に狭いのに比して、お風呂とトイレが広いなーと感じ、もう少し玄関の間口を広くとってもよいし、役者も動きやすいかな、と(まあ、こういうマンションも実在しますが)。
ベッド脇の窓がベランダの設定のようだがちょっとわかりにくい。確かにストーカーの女性が下から登ってきたような仕草を見せたり、「靴が落ちてた」という大家さんの台詞があるものの、そういう表現の問題ではなく、女性が登れるくらいの高さのフロアなら、なぜ、登場人物が脱出を試みるときに玄関にばかり固執するのか、靴を持ってベランダから逃げないのかということが気になった。賢一(千代原徳昭)がベランダに降りる場面もありましたが。
また、クローゼットやトイレ、風呂場での会話の声が大きいということも他の方同様、自分も感じました。
アフタートークの説明によれば、このスケルトン芝居では、役作り以前の素の俳優を見せようという趣向もあったそうですが、携帯電話で出演していない役の俳優と話す場面、相手の俳優も携帯電話を持って奥に立っていたが、声を出さず、口を動かすくらいの仕草はしてもよかったかと思いました。
泥棒の矢吹ジャンプが、ふだんファルスシアターで本格的シチュコメを演じているだけに、こういう実験的な芝居で観られたのが一味違い、嬉しかった。
登場人物のなかでは泥棒が一番犯罪性が濃い人物なのに、弱い立場に追い込まれるのが可笑しかった。ストーカーの大久保千晴も、自分勝手ではちゃめちゃになっていくストーカーをキュートに演じていて印象に残る。
優子の邸木ユカが大真面目に演じていてリアル感を出していた。この後、海賊ハイジャックに出演するというので注目したい。
「無縁バター」
「無縁バター」という題名が目をひく。お菓子やパン作りに欠かせない「無塩バター」を買う機会が多いもので、無塩と無縁をひっかけたこのタイトルに妙に感心してしまった。有名童話に出てくる虎さながら、たった4日間にあとかたもなく死体が溶けてしまったという設定が凄い。大学の考古学の実習授業で発掘作業をしていたとき、「甕に入れて土葬する」という島の出身者が、甕の中で遺体はドロドロに溶けて最後は水になるのだと話していたことを思い出してしまった。
コメディというよりサスペンスタッチで、「真の孤独とは」に迫り、なかなか凝ったシュールなお話。債権回収業者の岩尾(望月雅行)が圧倒的な存在感でひきつける。大家さん役は「みんなのへや」と共通で、宮原知子が演じ、終盤の登場で、一見、荒唐無稽に思えるこのお芝居にリアリティーを与えていた。清掃業者の1人を演じる浅越岳人に若いときの小倉久寛を髣髴とさせる可笑しみがあり、シチュコメ劇団にはこういう劇団員が必要だと感じている次第。
ラストは有名映画のパロディーのようだが、題名は知っていても映画のストーリーを知らない自分には咄嗟に意味が飲み込めなかった。オチは、誰にでもわかるものが望ましい。
*パンフの出演者の今後の予定欄が「みらいのへや」という見取り図に書かれていたのが、心憎い。
ミッドサマーナイツドリーム・イン・インターネット
エビビモpro.
王子小劇場(東京都)
2010/09/08 (水) ~ 2010/09/12 (日)公演終了
満足度★★★★
仮想世界の恐ろしさ
ミュージカルとは書いてあったけれど、想像していた以上にミュージカル仕立てになっていたので驚いた。コーラスもそろっていて美しい。
実生活でひどく傷ついた男女がインターネットの世界で出会い、再び傷つきながらも真実の愛をつかむまでの物語。育児ネグレクトや中絶・子殺しの問題も扱う。インターネット社会は互いの顔も見えず、相手のこともよく知らずに交信するのだから、思いがけないことにも遭遇する。他人事とは思えない身につまされる内容だった。
ネタバレBOX
人気ゲームの開発者として一世を風靡した男(古山憲太郎)は、自分のゲームに熱中して健康を害した少年が死んでしまったことにショックを受け、仕事を辞め、インターネットの仮想世界で「神様」として生きている。彼は妖精の世界と、生かされなかった子どもたちの世界を作っている。生かされなかった子どもの世界では、親の都合で生まれなかった子どもや殺された子ども、病気や事故で死んだ子どものキャラクターを再合成して成長させようとしている。
妖精の世界では、実社会でさまざまな問題を抱える大人たちが、妖精となって楽園で生きている。
そこにマミ(角島美穂)という若い女性が現れ、ティンカーベルの案内でインターネットの世界へ案内される。マミの願いは真実の愛を探すこと。mixiや2ちゃんねるを経て、妖精の世界にやってきて、そこで愛をみつけようとする。
2ちゃんねるの場面は仮面だけでなく、用語を取り入れるとかで、もう少し面白く説明できたのではないかと思う。
マミは優れた音楽の才能を持ち、留学から帰ってから誰の子とも知れぬ子どもを産んだ。ピアノのレッスンに熱中したさなか、エアコンのスイッチが切れていることに気づかず、赤ん坊を熱中症で死なせてしまった。深く後悔したマミは、自ら耳の鼓膜を破ってしまった。音のないインターネットの世界で真実の愛を探そうと、最後の望みを託していたのだ。やがて神様はマミを愛するようになり、実生活でマミを幸せにしてやりたいと思い始める。神様を愛するラナンシー(色城絶)はさまざまな罠を仕掛けて、2人の愛を妨害する。信用して心情を打ち明けている途中で別のキャラクターがなりすまして入れ替わり手ひどく傷つけたり、ウィルスを感染させる霍乱目的の妖精がいたり、役目を終えた妖精のキャラクターが抹殺される場面が、現実社会でも起こりえる場面だけに、恐ろしく感じた。
マミは妖精の世界で実の兄のグレムリン(橋本考世)と出会うが、互いの正体はわからない。兄はやはり音楽の才能を持っていたが、両親はマミの才能のほうに注目し、集中して才能を伸ばしてやろうとしたので、兄は音楽の道をあきらめていた。
「真実」の精(矢ヶ部哲)が神様の前に現れ、エアコンのスイッチを意図的に切ったのは兄であると神様に打ち明ける。神様はマミの子どもは兄との間の子であったと言い、自分は傷を背負ったマミを現実の世界で愛し抜くと誓う。
古山は、傷を背負った男だからこそ持てる包容力を感じさせ、芝居を引き締めた。
フィナーレで、妖精たちが現実の姿で現れ、並ぶところが印象的。妖精を演じていたときは、一種みんな化け物のように胡散臭いが、妖精の仮面を脱げば、みな、普通の人間なのだ。
マミを助けるティンカーベル(でく田ともみ)と神様を助けるランプの精ジーニー(宮本翔太)だけは本物の妖精のようだが、するとネットでの存在の意味がわからなかった。
死んだ子どもたちの世界の仕組みがいまひとつよく理解できず、「ロード・オブ・ザ・リング」のパロディのようだが、このキャラクター、フロド(しゃなちひろ)とサム(熊坂四歩))の存在が何なのかわからなかった。
ムーミン(永田歩)が音痴の設定で大声でがなりたてて歌う場面が聞き苦しく、永田を見ていて気の毒になり、不要だと思った。
最後に、ピアノを弾き続けていた死の妖精・バンシー(海ノ幸子)こそ、マミの傍に常に寄り添っていた「音楽」であったことが明かされる。
出会ったのが仮想世界であっても、人は生身でなければ真実の愛や友情を育むことはできない、ということをこのお芝居は教えてくれている。
「マミ」は「真実」の意味も含んでいるのかもしれない。
にねんいちくみ保護者会≪ご来場ありがとうございました!≫
クロカミショウネン18 (2012年に解散致しました。応援して下さった方々、本当にありがとうございました。)
Heiz Ginza(東京都)
2010/09/11 (土) ~ 2010/09/20 (月)公演終了
満足度★★★
クロカミの別な一面が魅力
銀座でのクロカミの番外公演も3回目。舞台装置や売店など、アットホームな手作り感が温かい。
毎回、出演していない劇団員が調理したフード販売が名物企画で、今回は作品にちなみ、久米靖馬による「給食風大学芋」。
毎回、購入してきたが、今回の大学芋もあっさり味でオススメです。
番外では外部作家の脚本を野坂実が演出し、ユーモラスな要素はあるが、本公演のコメディーとは違う面を見せている。
今回はフライングステージの関根信一の書き下ろし。
なお、休日のオフィスということで、セキュリティを心配する書き込みもあったようだが、会議用のレンタル・スペースであって、企業のオフィスを休日に借りているわけではないので、ご心配なく。
ネタバレBOX
2年1組の保護者懇談会が舞台。担任教師・榎本(ワダ タワー)と算数教師・二階堂(加藤裕)と8人の保護者たちが話し合ううち、それぞれの家庭環境や親子関係が浮き彫りになっていく。
遅刻してきた平山(小濱晋)が、偶然二階堂の高校時代の同級生であることがわかり、平山に対して旧知なだけにタメグチで二階堂が怒る場面が可笑しい。加藤は劇団員の中ではただ一人番外初参加で、硬派で生真面目な教師役が似合い、温厚な榎本との対比がよく出ていた。ワダと加藤のコンビの演技が観られるのも今回の楽しみのひとつだった。
疑問を感じたのは平山がキャバクラ勤務で、休憩時間に店の名刺を親たちに配って宣伝する場面。女性なのでキャバクラには行くはずもない教育熱心な母親たちがそれほど嫌な顔もせずに名刺を受け取るのに違和感があった。また、「酒を飲むのは仕事」と言っていたが、キャバクラなら男性従業員まで酒を飲む必要はないのでは?平山がゲイバーのホステスかホストという設定なら、男女の別なく名刺を渡したり、「酒を飲むのが仕事」というのもわかる。今回、関根はフライングステージの芝居とはまったく違うものを書きたかったのだとは思うが、「水商売」の描写については意識し過ぎたのか、逆に不自然さを感じた。
障害物競走で保護者の参加者を前もって決めようという教師側の提案から事態が変化していく。フライヤーにあった「パン食い競争」の話は出てこなかったが、無難な方向で事態が収束し、親たちが童心にかえるラストシーンがさわやかだった。
番外公演は、毎回、客演者も適役がそろい、クロカミが爆笑だけを狙う劇団でないことを証明してくれている。今後も続けてほしい企画だ。
先日、高橋いさをの「正太くんの青空」を観たとき、クロカミの番外公演にも適した作品だと思ったが、今回、小学校の保護者会ものだったので、改めて「正太くんの青空」のことを思い出した。
奇しくもこのところ、謀略めいた殺伐とした作品の観劇が続いたので、こういうほのぼのとした作品に出会うとホッとする。
F.+2(エフ プラス ツー)
ジェイ.クリップ
赤坂RED/THEATER(東京都)
2010/09/09 (木) ~ 2010/09/16 (木)公演終了
満足度★
不愉快さだけが残った
主役の加藤虎ノ介は、NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」の落語家・四草役を演じ、女性ファンからは「四(ヨン)様」と呼ばれるほどの人気を得た。
この四草という役、嘘つきでがめつく、屈折した性格で悪い先輩だった。この芝居でも加藤の役は四草以上にひどい嘘つきの先輩で、大学でも映像学科、オートバイが趣味など、加藤の経歴に重なる部分はある。
だが、これまでの観劇人生の中でも味わったことのないほど、非常に不愉快な芝居で、生理的に自分には合わず、途中退出したくなった。
加藤がもともとは舞台中心の俳優だったというので期待して観に行ったのだが、この作品はひどい。もっとよい企画はなかったのか。
ネタバレBOX
大学時代、映画の脚本を書いていた粕谷(加藤虎ノ介)は卒業後、教師になったが「合わない」とやめてしまい、ゼミの後輩で渡米の夢に向かって頑張っている中山(RON×Ⅱ)と、ガソリンスタンドでアルバイトしている。
粕谷は毒気の塊のような男で「お前、オレのこと嫌いだろ」というコピーだが、中山でなくても粕谷を嫌わない人間などいるだろうか。
粕谷は悶々とした気持ちを同棲相手のアヤコにぶつけているらしく、DVの傾向を匂わせる。
「異邦人」ではないが、「物凄く暑かったから・・・」とアヤコを撲殺してしまったかのように思わせることを中山に言って、部屋を見に行かせ、その間、舞台上で綿々と自分の暗い性格や挫折感、悔恨を語り続ける。内容は粕谷が脚本家として考えた嘘なのだから、どんなに美辞麗句で語られようが感動はない。
プロローグも恐ろしく長い独白で始まったし、粕谷の独白も長い。終始聞いていてイライラした。終盤の20分が1時間にも感じた。中山がタップを踊りながら、粕谷の顔に水を吹きかけるなど、汚らしい演出も好きになれない。
自分の場合は、お金を払って芝居を観る以上、感動だったり、楽しさだったり、ポジティブな意味で何らかの得る物がほしいと思う。しかし、本作は、「世の中には嫌なやつがいるものだ」という以外何も残らなかった。
RON×Ⅱは本業はタップダンサーだそうだが、台詞の間がよく、2人芝居の部分を巧くこなし、舞台俳優としてもなかなかだと思った。
一服の清涼剤として、サーファー(山口龍人)に付いて海を見に来たという無防備な女(根岸つかさ)が時々登場するが、狡猾な粕谷との対比で出しているのだろうか。女の役は、当初の高藤真奈美が体調不良で降板し、根岸に代わったそうだが、むべなるかなと降板理由も勘ぐりたくなる。
長台詞をこなした加藤には「ご苦労様」と言いたいが、作品としては入場料を返してほしいと思うほど失望した。
カーテンコールでは、俳優の努力に対して、かろうじて拍手を送ったが、女性ファンたちが要求したアンコールでは、もう拍手する気持ちにならなかった。
「弘前劇場」という劇団は観たことがないが、この作者とは相性が悪いことはよくわかった。加藤が演じた粕谷という脚本家の趣味の悪さは自身がモデルなのかと疑いたくなるほど、救いのない芝居だった。