避暑に訪れた人びと 公演情報 東京演劇アンサンブル「避暑に訪れた人びと」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    厚い役者層、観ごたえがあった
    かつて俳優座が上演した「別荘の人びと」とは戯曲として別物らしい。カーテンコールでの伊藤克の言葉、「ゴーリキーとチェーホフとの出会いによってこういう素晴らしい芝居が生まれた」にすべてが集約されていると思う。劇団の財産ともなる素晴らしい作品で、観られてよかった。何年かに一度は上演してほしいと思う。
    パンフに人物相関図がなかったため、登場人物の役名の照合がしにくかったとのご意見があった。実はチラシには俳優の写真と役名が書かれていて、劇場ロビーにも自由に取れるよう置かれていたのだが。私は他劇場のカンフェティのチラシの束の中に最近では珍しくこの公演のチラシを発見したものの、今回ご覧になったCoRichのユーザーは小劇場ファンのかたが多く、たぶん手に取る機会がなかったのではと思う。小劇場公演の場合は当日パンフと共にその公演のチラシが添えられていることが多い。常連客以外のために今後当日パンフと共にチラシも添えていただけないだろうか。当劇団の場合、チラシには俳優写真が載っているので、パンフと照合すれば俳優と役名が一致しやすい。
    今回、有料プログラムも読み応えがあったが、女優陣、男優陣分けての座談会企画など載せてほしかったと思う。
    結婚していまの住居に移転しなければ、地元、東京演劇アンサンブルの芝居は一生観ないで終わったと思う。広渡常敏氏の名も劇団の存在も知ってはいたものの、何となく先入観があって足を運ぼうという気が起きなかった。「日本の気象」を初めて観て、久保栄の戯曲の力にも圧倒されたが、劇団員たちの演技力にも目を見張った。人それぞれ感じ方の違いや好き嫌いはあると思うが、半世紀に及ぶ自分の観劇歴から公平に見て、この劇団の層の厚さ、演技の質の高さはかなりなものと判断せざるをえない。これはやはり長年にわたる広渡さんの薫陶の賜物だろう。私もこの劇団を初めて観たとき、他の新劇の劇団とも違う独特な個性を感じた。自然な演技の中にも格調があり、その格調にひかれて観続けているともいえる。
    「自然な演技」というと、最近の人は平田オリザの現代口語演劇のような芝居を連想すると思うので、この劇団の俳優の演技には違和感があるかもしれない。私は新劇の芝居はそんなに多くは観ていないのだが、昭和20年代に封切られた新劇俳優中心の古い邦画を勉強のために集中的に観るようにしており、今回、Coichのユーザーの方々による「演技が棒読み」とのご指摘は彼らの演技の質を理解するうえでも重要なヒントになったので、個人的なことだが非常に感謝している。

    ネタバレBOX

    オープンスペースという「ブレヒトの芝居小屋」の特徴を生かした舞台美術。他劇団で見られるように、樹木に葉があったほうが私は好きだが。
    冒頭、全員が舞台面に並ぶ場面は絵画のようで、期待感に震えた。花道の脇の席に座ったので、俳優の演技をま近で観ることができ、歌舞伎では慣れていて何とも感じないのだが、今回はわくわくした。
    女性陣。マーリヤの原口久美子は静かな口調の中にも強固な意志が感じられた。ただ、この劇を見る限り、マーリヤの性格が私にはよく理解できない。アンサンブルの場合、役が違ってもイメージが固定している俳優もいるが、原口は役によって声の高さや印象がまったく違う七変化女優である。
    ヴァルヴァーラの桑原睦も期待に応えて、魅力的に演じた。「人形の家」のノラを彼女で観てみたいと思った。
    洪美玉のユーリヤは芝居好きという設定で、女優のように妖艶。もっと奔放に演じてもよいと思うが、この劇団ではこれが限界かも(笑)。
    オーリガ(奈須弘子)は、育児など日常に追われて目先のことしか考えられず、神経質で傷つきやすい半面、鈍感でもある。奈須の棒読みが際立つとの指摘があったので心配したが、適度に抑揚もあり、特にいつもと変わった点は感じなかった。ヴァルヴァーラに絶交を告げる場面では、劣等感や嫉妬、心の揺れを見事に表現していた。オーリガは同性から見ても苛立つような女性だが、現代の主婦にもいそうなタイプ。夫婦ともども俗物だからこそ幸福でいられるのかもしれない。
    自然な演技という点では、清水優華のカレーリヤが一番自然だったと思う。臆することなく伸び伸びと彼女らしく演じていて、「銀河鉄道の夜」のジョヴァンニともまったくイメージが違っていて、改めて注目した(ちなみに、桑原睦はカンパネルラ)。
    サーシャの冨山小枝に、先ごろ亡くなった北林谷栄を久々思い出した。サーシャは分を心得て家族の内面には立ち入らず、ひたすら幼子のようにバーコフを扱う。サーシャには人々の心情の複雑な部分はわかるまい。彼女の役目は「家庭内での目配り」であり、あえて抑揚の少ない冨山小枝の演技に、演出の入江さんの意図が読み取れた。演技が稚拙な俳優の棒読みとは明らかに違うことを記しておく。
    男優陣。バーソフの松下重人には、こういう難しい役が多く回ってくるが、彼らしく咀嚼していた。
    伊藤克のドッペルプンクトは、この物語の中に息づいている。この劇団でこの役には彼しかいないだろうし、音楽のような演技に感心した。
    ドゥダーコフ浅井は人畜無害の小市民的夫を好演。
    シャリーモフの公家義徳は爽やかな持ち味のせいか、ヴァルヴァーラが幻滅するほど通俗的な正体が感じられなかったのが難点ともいえる(笑)。新世代の台頭に追われ、物書きとしての焦燥感を吐露する場面に共感した。野の花を一旦手帳に挟み、ヴァルヴァーラへ返す場面に何ともいえない余情と色気がある。
    ヴラースの本多弘典はベテランに混じり、大抜擢。この人の目の鋭さは、20代のときの加藤健一を思わせる。演技はまだまだだと思うが、将来、どんなふうな俳優になるか楽しみだ。
    スースロフの松本暁太郎。彼は芝居の中で粗野な役が多く、いつも怒っている印象がある(笑)。
    尾崎太郎のリューミンは恋を演じることでしか自分を見出せない。感傷的だが幸福な青年。文学座なら渡辺徹に似合いそうな役どころか(?笑)。
    ザムイスロフ三木元太は口跡が良い。
    別荘番の竹口範顕と三瓶裕史がすべてを見透すシェイクスピア劇の道化のようで面白い。
    終幕近く、女たちが去り、バーソフと2人のシーンで、シャリーモフが笑い、「何で笑うんだ」とバーソフが咎める。このときの公家の内側からこみあげてくるような笑いが台詞よりも何十倍も心情を物語るほど効果的で、強く印象に残った。今回の場面は少し違うが、私は大作物のときの松下と公家の男同士の友情を感じる場面に両優の互いの信頼感が感じられて、個人的に好きだ。
    ストーリー上、ラブシーンが多いのかと思ったがそうでもなく、抑制のきいた演出だったと思う。キスシーンも私の観た回ではごく自然で、へっぴり腰の俳優は見受けられなかった。
    気になった点。「植物の「蔓」を鳥の「鶴」のアクセントで発音していた俳優がいたことと、たぶんユーリヤの台詞だったと思うが「目線(めせん)」という単語が発せられた時は驚いた。最近、ある高名な言語学者が新聞のコラムで「最近耳障りな単語」の代表に、この「目線」を挙げており、「視線や視座という単語があることが忘れらているのではないか。TVの業界用語から出たこの単語の濫用が私には許しがたい」と書いていて、まったく同感である。東京演劇アンサンブルの舞台でこの単語を聞いたことが私にはかなりのショックだった。台本にある台詞ならぜひ「視線」に言い換えていただきたいとお願いする。
    舞台衣装について。休憩を挟んで2部構成だったので、着たきり雀ではなく、衣裳替えがあればよかったと思う。
    避暑地なのに、男性のスーツやジャケットがシャリーモフとリューミン以外、冬服なのがいかにも暑苦しくみえた。また、マーリヤとカレーリヤがブラウスにスカートという衣裳でベルトをしていないのが気になった。スタイリストで服飾評論家の原由美子さんも「日本人は無頓着だが、洋服においてはスカートのベルトは不文律のようなもの。スカートにベルトをしないのは、日本人が帯に帯締めをしないように不自然でだらしないものだと考えてほしい」と著書に書いている。ましてや、この時代は、くつろいでいるときでも衣裳考証上もベルトは着けるべきである。

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    2010/09/20 07:41

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  • >tetrapackさま、きゃるさま
    どうもありがとうございました。
    チェックできました。

    ご本人からも、劇団に感想が届いていたので、
    内容も確認しました。

    次の作品でも、
    また感想を聞かせていただければと思っております。

    どうもありがとうございました。

    2010/10/12 01:29

    tetorapackさま

    ありがとうございます。横からすみませんでした。個人のかたのサイトなので、ここで返答しようかどうしようかと迷ったのですが、ネットで公表されてる劇評なので、お名前を出しても問題ないと判断しました。
    もっとも、teeakiraさんも回答には気づいておられないようで、お知らせしても意味なかったみたいですけど(笑)。

    2010/10/04 03:30

    teeakiraさん、きゃるさん

    だいぶ遅れて済みません。こちらで私宛のコメントがあったとは気付かなかったもので。

    でもって、きゃるさんが書いてくれた通り、
    「井上理恵の演劇時評」
    http://yoshie-inoue.at.webry.info/201009/article_3.html
    の井上さんという方です。私も自分の「観てきた」を書いた後に何日か経って、本当に印象に残った芝居だったので、いろいろネットをサーフィンしてみたのですが、たまたま見つけた劇評で、これまた印象に残ったので、きゃるさんの中で触れさせて貰いました。もちろん、この方については何も存じていないので、お名前を出さずに触れた次第です。

    2010/10/02 22:01

    teeakiraさま

    横からすみません。

    >ぜひ、その方の感想も読みたいのですが、
    サイトのアドレスなど教えていただけませんか?

    tetorapackさんの読まれた劇評と同じものかどうかはわかりませんが、tetorapackさんと同様の趣旨の指摘をされていたものがWEBにありましたので、ご参考までにお伝えしておきます。


    「井上理恵の演劇時評」
    http://yoshie-inoue.at.webry.info/201009/article_3.html

    ちなみにこのかたは今回の翻訳の難についても厳しく指弾されていますので、私も大変興味深く読ませていただきました。

    2010/09/24 13:45

    >tetorapackさま
    横からすいません!
    ぜひ、その方の感想も読みたいのですが、
    サイトのアドレスなど教えていただけませんか?
    ちょっと検索してみたのですが、わかりませんでした…。

    よろしくお願いします。

    2010/09/24 13:11

    >きゃる様
    軽いお返事に聞こえてしまったようで、
    すいませんでした。

    言葉のチョイスに関しては、
    ちょっと確認しようと思います。
    軽く返事してしまったのは、
    僕の悪い癖ですね。

    ただ、衣裳に関してですが、
    この辺は、シャウビューネ上演を踏襲したものであることを書き添えておきます。
    当時の上演では、
    ほとんどすべての俳優が、出入りせずにその場に居続けながら上演をしたと聞いております。
    当然衣裳替えもありませんでした。
    また、わずか一晩限りで変わってしまう人たちのお話でもあります。
    短い時間の経過を象徴的にあらわす意味でも、
    衣裳を変えずに通したとも言えます。

    まぁ、この辺はいくら理屈を話しても、
    どう見えるか、ということに変わりはないのですが。
    上演した作品は、
    ご覧頂いたお客様のものだと思うので。

    ただ、
    おそらく再演する際にも、
    衣裳を変えることはないだろうと思うので、
    そのことはお伝えしようと思います。
    いろいろご指摘ありがとうございました。

    2010/09/24 12:59

    tetorapackさま

    >ほー、奈須さんは、いつもあんな感じなのかな、と。私が観た回と変えたかどうかは分からないけど、私には舌をかみそうな刮舌の悪さと、他の主な女優陣の口調との違いからも、やはり役柄の違いは分かった上で、首をかしげましたけど(笑)。

    確かに、今回、舌を噛みそうにつっかえそうになりながらたどたどしくしゃべっている感じに受け取れたというか、私もそう感じたので理解できます。彼女は元来滑舌が悪いのではなく、今回あえてああいうふうにしゃべっていたんです。私の知っている女性でも、自分の意見を言うときにああいうたどたどしいしゃべりかたになる人がいるものですから私なんかは、オーリガの性格を巧く描写していると感心したのです。オーリガは夫へと、ヴァルヴァーラとでは、しゃべりかたを変えていました。「いつもと変わらない」と言ったのは、「彼女の演技がいつもあんな感じ」という意味ではなく、彼女の演技を「下手な俳優の棒読みと感じたことはない」という意味で、です。私が観たかぎり、今回も棒読みではなく、きちんと抑揚をつけていました。

    俳優の演技については好き好きあると思いますが、制作のかたにも伺ったところ、今回の劇場アンケートでも彼女の演技への評価は高かったそうです。長く観ているアンサンブルの常連客には人気のある女優なんですね。「銀河鉄道の夜」をご覧いただければ、彼女の青年役のしゃべりかたは今回とはまた違うことをわかっていただけるでしょう。制作が「ほかの舞台もご覧ください」と言ったのもそういう意味からだと思います。
    ちなみに、私は若いとき舞台の三田和代を観て、どうして舌を噛みそうにたどたどしくしゃべるんだろう、ととても違和感がありましたが、NHKの「おはようさん」で立て板に水でしゃべるのを観て、舞台のあれは演技なんだな、と理解しました。そういえば奈須さんを初めて観たとき、三田和代と雰囲気が似た人だなーと思いました。
    俳優の演技には個人的な好き嫌いがあって当然ですよね。映画監督は新劇の俳優を「クセがあって、台詞が棒読み」と嫌う人が多く、小津さんはその代表で、杉村春子に出会って、新劇俳優への偏見を捨てたと言われています。私の父なども、宇野重吉、市原悦子、岸田今日子の平板なしゃべりかたを「棒読みみたいなクセが気になって好きになれない」と言ってました。市原さんは昭和40年代にはすでにああいうしゃべりかただったんですが、昭和30年代前半、若手のころ映画でチョイ役で出てるのをチェックすると、いまとは全然違う、抑揚のあるふつうのしゃべりかたなんですね。私は自分が生まれる前のDVD化されてない、フィルムでしか残っていない古い小品の映画をここ何年か舞台俳優の演技の参考のために観ているんです。芥川比呂志と仲代達矢はNHK大河に出たとき、「何故に棒読み」との指摘の投書が殺到して、NHK広報部が必死に弁護してたことを覚えています(笑)。

    >うん、これは全く同感。これからの成長が楽しみに思わせる器ですね。

    本多さんは小学校からずっと優等生で京都大学建築学科を出て、俳優の道に進んだ変わり種らしいですね。舞台の彼を観ていると、何を考えてるのかわからない感じがして、面白い俳優さんだと思います。アンサンブルには珍しく、癖のある個性的な俳優。実は、私は若いときの加藤健一さんが苦手で、当時は売れっ子でけっこうTVにも出ていたので、高校時代クラスでも人気があったのですが、あの鋭い目にどうもなじめなくて(笑)。

    >私は、森の散歩時とパーティーの際の衣装が同じな点の方に違和感を感じましたけど(笑)。

    そう、衣裳換えというのはそれも含めて、です。ラフな服装とフォーマルっぽいのと、場面によって変えてもよいと思いましたし。ヴァルヴァーラの衣裳は豪華で素敵なんだけれども、一点豪華主義という感じで、今回の衣裳プランには少なからず違和感がありました。

    「目線」の件は、細かいことなのだけれど、凄く気になりました。一般の小劇場劇団なら目クジラ立てませんが、アンサンブルは学校巡回劇団で青少年への演劇教育にも携わっているのですから、言葉には気をつけていただきたいです。古典的な作品に「目線」なんて使う必然はないと思うし、全体で現代語を取り入れてるならともかく、あそこ1箇所で言われると、よけいに気になります。人気翻訳家を起用したからといって、おもねることがあってはならないと思います。
    学校巡回公演で思い出したのですが、ネットで「学校に巡回してくる劇団は、台詞が棒読みでヒドイ」という意見を読んだことがあり、今回、ここでの若い世代のご意見と、つい重ね合わせてしまいました(苦笑)。

    2010/09/22 10:29

    きゃるさん

     楽しみにしていたので、刮目して読ませていただきました。この劇団の芝居に惚れこんでいるが故の親心のようなメッセ0字や指摘の数々、いやー、驚きました。

    >劇団の財産ともなる素晴らしい作品で、観られてよかった。

     はい、私も観ることができてよかったです。

    >私もこの劇団を初めて観たとき、他の新劇の劇団とも違う独特な個性を感じた。自然な演技の中にも格調があり、その格調にひかれて観続けているともいえる。

     たしかに他の劇団とは違うベクトルの強さを感じました。「格調」という言葉は言い得て妙です。

    >「自然な演技」というと、最近の人は平田オリザの現代口語演劇のような芝居を連想すると思うので、この劇団の俳優の演技には違和感があるかもしれない。私は新劇の芝居はそんなに多くは観ていないのだが、昭和20年代に封切られた新劇俳優中心の古い邦画を勉強のために集中的に観るようにしており、今回、Coichのユーザーの方々による「演技が棒読み」とのご指摘は彼らの演技の質を理解するうえでも重要なヒントになったので、個人的なことだが非常に感謝している。

     平田オリザ氏の現代口語演劇理論は本でも読んでいますし、私は好きですが、アンサンブルのような独自性もまた良いものだと思います。そう、格調があって。まあ、私も年代的な事もあるのか、「えっ、どうして、そんなに全台詞をがなり立てるの」とゲンナリしてしまうマスターベーション的なキンキン・ハイテンションはどうしても好きになれないけど、こちらはOKです。
     
    >冒頭、全員が舞台面に並ぶ場面は絵画のようで、期待感に震えた。花道の脇の席に座ったので、俳優の演技をま近で観ることができ、歌舞伎では慣れていて何とも感じないのだが、今回はわくわくした。

     そう。ほんと、絵画のようでしたね。ライトの使い方も上手かったし、印象派の絵画のようでした。

     ここから先の各出演陣の分析は読みごたえがありました。多くの部分では同感です。ただ、やはり、感想ですから当たり間ですが、私が感じたのとは違う点も。

    >オーリガ(奈須弘子)は、育児など日常に追われて目先のことしか考えられず、神経質で傷つきやすい半面、鈍感でもある。奈須の棒読みが際立つとの指摘があったので心配したが、適度に抑揚もあり、特にいつもと変わった点は感じなかった。

     ほー、奈須さんは、いつもあんな感じなのかな、と。私が観た回と変えたかどうかは分からないけど、私には舌をかみそうな刮舌の悪さと、他の主な女優陣の口調との違いからも、やはり役柄の違いは分かった上で、首をかしげましたけど(笑)。

    >ヴラースの本多弘典はベテランに混じり、大抜擢。この人の目の鋭さは、20代のときの加藤健一を思わせる。演技はまだまだだと思うが、将来、どんなふうな俳優になるか楽しみだ。

     うん、これは全く同感。これからの成長が楽しみに思わせる器ですね。

    >ストーリー上、ラブシーンが多いのかと思ったがそうでもなく、抑制のきいた演出だったと思う。キスシーンも私の観た回ではごく自然で、へっぴり腰の俳優は見受けられなかった。

     そうでしたか。少し変えたかな?(笑)。へっぴり腰は言いすぎだったかもしれませんが、けっして、それ以上の情交シーンではないので、もう少し、しっかりとキスしてもいいかなと感じたのですが。そういえば、つい一昨日に読んだのですが、ネットである方がこの劇を論評していたのですが、そこでは、このキスについて、私と同じように感じたことが出ていたので、ああ、こう感じた方もいるんだ、と思いました。

     この後の「目線」の件、きゃるさんのこだわりの意味がよくわかります。

    >休憩を挟んで2部構成だったので、着たきり雀ではなく、衣裳替えがあればよかったと思う。

     予算面もあるし、大変でしょうが、たしかに女性陣だけでも変われば、よかったですね。私は、森の散歩時とパーティーの際の衣装が同じな点の方に違和感を感じましたけど(笑)。でも、ここまで細部に目を向けられると、劇団側も大変でしょうね(笑)。でも、期待に応えてほしい点ですが。

    >マーリヤとカレーリヤがブラウスにスカートという衣裳でベルトをしていないのが気になった。

     女性のスカートとベルトの関係、いやー、勉強になりました。これは、しっかりインプットしました。

     また、チャンスがあれば、ぜひ観たい劇団です。はい、その「格調」を。

    2010/09/21 23:31

    teeakiraさま

    衣裳換えの件は、スカートは同じでもブラウスだけ替えるとか、ヴァルヴァーラやオーリガ、ユーリヤみたいにドレスの人も、比較的予算のかからない工夫で換えることもできると思うのですが。
    そして、避暑地で冬服というのだけはご勘弁願いたい。そういうところはリアリティーにも関係してくるから気になります。

    >また、翻訳に関しても、
    若い翻訳家の挑戦に敬意を表した、
    と言い訳しておきます(笑)

    「目線」というのは翻訳家が訳し、台本にあるわけですね?
    あそこだけ、TV業界から発した悪しき現代語を使う必然性を感じません。
    「目線(めせん)」は昔から辞書にあった言葉ではなく、最近、芸能人がTVで流行らせたのですから。前述の言語学者は「そのうえ、変な重箱読みであるし」と付け加えていました。
    東京演劇アンサンブルは日本語の響きが美しいだけに違和感があり、残念でした。
    細かいことですがとても耳障りで腹が立ったのです。
    いくら実力派人気翻訳家でも演出家が台本上、翻訳に異を唱えなかったのが不思議です。あの場面、「目線」がキーとなる重要な台詞でもないのですから「視線」としても不都合はないでしょう。
    そんなふうに流行に迎合して崩していくなら、「棒読み」の誤解や謗りを受けてまで、頑なに広渡さんの台詞術を継承していく意義も失われますよ、と入江さんにぜひお伝えください。
    そういうことなら、私があえて東京演劇アンサンブルの芝居を観る理由もなくなります。
    もっと言葉を大切にする劇団かと思っていましたが、笑い事ではなく、本当に残念です。
    学生演劇系のオリジナル芝居なら見過ごしますが、アンサンブルですから。新しいことを取り入れるといってもはき違えてるのではありませんか。
    チェーホフ劇にまで流行語を使いたいなら、アンサンブルもいっそのこと現代口語演劇にすればいいのではないでしょうか。現代口語演劇の代表たる平田オリザさんの青年団の芝居でさえ、「目線」に遭遇したことはありませんよ。彼は日本語にはこだわりのある人なので、変な流行語は使いません。平田さんが文学座に書き下ろした芝居でも若者が登場しますが、きちんとした台詞でした。
    はっきり申し上げて、「目線」のひとことがアンサンブルの芝居の質を低下させたし、こここでの私の評価の中ではマイナス☆1つに値します。

    2010/09/21 14:15

    コメントありがとうございました!

    後半の部分ですが、
    衣裳は知らないことで……勉強になりました。
    プランナーに聞いてみようっと、思いました。
    あとは、予算的な問題も、まぁ…。

    また、翻訳に関しても、
    若い翻訳家の挑戦に敬意を表した、
    と言い訳しておきます(笑)

    過分にお褒めいただき、嬉しい限りです。
    なかなか大掛かりな芝居なので、
    再演は今のところは考えていないです。
    でも、
    そう言う声がまた上がれば、やってみたい大作でした。
    その時には、でも、
    違うキャストでできるようになっていなければ、とも思います。

    いただいたコメントは、
    出演者には読めるようにさせていただきます。

    ご来場、どうもありがとうございました。

    2010/09/21 10:25

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