アキラの観てきた!クチコミ一覧

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その受話器はロバの耳

その受話器はロバの耳

劇団青年座

本多劇場(東京都)

2009/05/23 (土) ~ 2009/05/31 (日)公演終了

満足度★★★

世界の真ん中で、手堅く面白い
すごく大笑いするわけでもないのだが、とてもいい雰囲気の舞台を楽しんだ。

どこか現実離れをしつつも、ありそうな内容をさらりと。

ネタバレBOX

東京の本社にあるということになっている、お菓子メーカー「ミキマツ製菓」のお客様相談室(コールセンター)。実は、「へそ島」という南の島にある。実際にそういったコールセンターは地方にあったり、別会社に業務委託していたりということはある。

そして、食品に関する会社の不祥事により、食べたこともない、お菓子のクレームに対応させられ、リゾート気分のコールセンターが大きく揺れる。

実際に企業の不祥事が続発したときに「コンプライアンス」なんて言われて、社員と会社の関係について、いろいろ取りざたされたりしていたので、ここについては、それほど目新しくはないかもしれない。

ただ、マニュアル通りの対応しか許されず、お客様にホンネを語ることのできないコールセンターなのだが、実は、ホンネを語ることができなかったのは、受話器に向かうときだけではなく、普段の生活でも同じだったのだ。ここがコメディの要素となっていた。

つまり、会社不祥事の騒動の中で、彼らの中にある、ウソやホンネが浮かび上がり、ちょっといい感じのコメディに仕上がっていたのだ。

自分の思ったホンネを言う、正しいことを正しく言う、そんなことにに気づくというような、実に定石的なラストなのだが、別にこの舞台はそれでいいのだ、と思えた。

ただ、本社から来た新しい室長は、いろいろ問題のある人なのだが、善悪の2つしか軸がなく、なんとなく悪者めいてしまったところは、中間管理職の悲哀とは言わないまでも、もうひとつ「何か」がほしかった気がする。
また、へそ島の名前も、もう少し「何か」と絡めてほしかったかもしれない〈中心にいたくてウソをつくという女は出てくるのだが〉。
そして、もう少し笑いたかったし。
泊、

泊、

スクエア

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2009/05/22 (金) ~ 2009/05/24 (日)公演終了

満足度★★★★

面白いなぁ、次回も観たくなったぞ、スクエア!
きっちりと作り込まれているコメディ。

役者は、息もぴったりで、当たり前なのかもしれないが、姿勢や視線、手の動きまでその人物になり切っていた。そうそう、そういう人って、いるいるって感じなのだ。
少々戯画化されたキャラクターながら、見事。
いいテンポで進み、ラストへのテンポアップの速度もいいし、まったく飽きのこない舞台。

ネタバレBOX

高校の国語の教師たちが、冬休みを利用して、勉強会と、さらに自分のところの女生徒と付き合っているという噂がある教師から本当のところを聞き出そうとする温泉旅行。

徐々に、全員が教師であり、かつ国語を担当していることが明らかになっていきつつ、それぞれの心も笑いの中で見えてくるのが楽しい。
国語の先生だけど、なんとなくの関西のイントネーションもいい。

一番驚いたのは、かなり適当な教師たちなのでは、と思っていたのだが、実際に模擬講義を始めてみると、実際は、生徒を教えることに誇りと大いなるこだわりを持っていたことだ。

そのあたりから、ちゃらんぽらんだったり、家庭教師のアルバイトをしていたりする教師たちへの、こちらの見方が変わってくる。
教師たちの真摯な苦悩のコメディだったのだ。

最後まで引っ張った、生徒と付き合っているのではないのか、というのも、教師としての誠実な気持ちからの誤解であることがわかるのだが、ある程度想像のつくラストとともに、さらりとしすぎていたような気もする。もっとコッテコテのラストでもよかったかな。

しかし、先生っていうのは、やっぱりこんなにまじめな人たちなんだろうなぁ、としみじみ思った。
その真摯な姿勢が生徒だった私たちに、少しでも伝われば、学生生活はちょっとは変わったのかもしれない。

現職の教師の人たちが観たらどんな感想を持つのだろうかな、なんて思ったり。
一月三日、木村家の人々

一月三日、木村家の人々

青年団リンク 二騎の会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/05/23 (土) ~ 2009/06/02 (火)公演終了

満足度★★★★★

今日、と言っても1月3日なんだけど、木村さんちにおじゃましました
介護は、先の話ではない、明日、いや今日の話なのだ。
いちいち自分の身に振り返りながら観ていると、いろんなことが脳裏をよぎり、考え込むことしきりであった。
そして、笑ったけど、涙腺を強く刺激された。

多田さんの演出だから、何か仕掛けてくるのではないかと思っていたら、ある一点を除き、かなりストレートだったと思う。
その一点が見事なのだが。

ネタバレBOX

実際に、介護は、私の年齢では、まさに今日の話だ。
友人に仕事を辞めて介護をしている者もいる。自分の親と配偶者の親の4人を看ている者もいる。
彼らを傍目で見ながらも、あまり本気で考えてこなかった、というより現実逃避してきたことなのだが、目前にそれはある。

「家族」「家族愛」という言葉は、便利で万能で、光圀の印籠だ。それを言われたら何も言い返せない。
だけど、現実はその耳に優しく美しい言葉の先にある。

舞台は、客入れのときから微妙に始まっていた。役者さんが、出てきてセッティングするときに、軽く会釈をしたりするのだ。
多田さんも、前説で「あけましておめでとう」の挨拶と真冬の衣装で現れたりする。
また、劇中でも、あきらかに、我々観客に語りかけていたりというように、観客がそこにいることを強く意識させる。

こうなると、よく知らないご近所の木村さんちにお邪魔したら、ご家族が集まってきて、家族間のごたごたを聞かされるはめになってしまった私たち、という雰囲気になってくる。
ピンポーンピンポーンとしつこく鳴るのチャイムは、なんかそわそわしてしまう。すでに家の中にいる気持ちになっている。
帰るに帰れないし、何よりご近所の木村さんちの家庭の事情もよく知らないので、話の中に割って入ることなぞできないのだ。

しかし、この構図は、単に面白いから、というより、介護を巡る家族の話、つまり介護を巡る家族のバトルは、木村家の茶の間だけのことなのではなく、今、そこに居合わせ、そこにいることを意識させられている、私たちの茶の間での話題でもあるのだ、ということを強烈に印象づけているように思えた。
役者の視線は、私たちをその場に縛り付ける強力な力として作用するのだ。
ここが、演出家の仕掛けだっような気がしたのだ。

実体験の重さが込められていると思われる、台詞と登場人物のキャラクターの妙、例えば、直接の家族ではない、いとこやホストの登場による、それぞれの家族との距離感から発せられる台詞は実に見事だった。

中でも「大晦日にも元旦にも来なかった・・・」はかなりキツイ言葉だ。何度も何度も繰り返し叫ぶその言葉は、全身を貫いた。

言いたいことを全部吐き出して、すっきりした後の、少し未来があるラストには救われる想いがした。ただし、明日は我が身であるのだから、そんなにきれいにまとまりはしないのだろう。堂々巡りで結論が出ない、「ゴール」のない、本当は考えたくもない話。
「今日1日だけがんばればいい、そしてまた明日も1日がんばればいい・・」ここに大きなヒントがあり、それを受け取ることができた。

冒頭の、「ダンシング・オールナイト」の歌は、サビの部分だけのしつこい繰り返しは、なんかわかる気がした。

あ、そうそう、今回の照明は、こまかい色の追加やライトの数、角度の微調整などがあったようで、一見、平面的なお茶の間なのだが、よく見ているとシーンの様子ごとに合わせ、細かくニュアンスを変えて、表情を出していたのは、うまいなぁと思った。
JUMON(反転)/便所の落書き屋さん【満員御礼で終了】『観て来た!』に全レス中!(ただいま1/3)

JUMON(反転)/便所の落書き屋さん【満員御礼で終了】『観て来た!』に全レス中!(ただいま1/3)

MU

ギャラリーLE DECO(東京都)

2009/05/26 (火) ~ 2009/05/31 (日)公演終了

満足度★★★★

愛は、思い込みと自分の居場所の欠乏から生まれる
良い短編を読んだ感じだ。読後感がいいというか。

あっと言う間の50分間×2なのだが、中身は結構濃い。
すっと進むけど、台詞がところどころ光る。
出演者も力まず熱演。話も面白いし笑いもいいタイミングで挟さまれる。

休憩10分を含む110分は全然長くない。
とにかく面白かった。
役者さんたちとの近さもいいし。

ネタバレBOX

〈JUMON〉
恋愛ってのは、思い込みとか妄想ではないだろうか。それの強さによって、自分も相手も束縛されてしまうのが恋愛。
そして、自分が必要とされることが一番うれしい。自分の居場所ができた感も恋愛には大切だ。

何かが欠けている(あるいは足りない)男たちが、教祖のような、あるいはマルチの首謀者と思われている女性の、JUMON〈呪文〉と思われている、単なる口癖「愛してる」に惑わされ、自分が必要とされていると勘違いをし、さらに自分の居場所を提供してくれることで、虜になっていく。

ただし、そこにいるのは常時5名だけというのは、JUMONが消えてしまった、つまり、単に冷めてしまうときがいつかやってくるからだろう。
しかし、「何かが足りない」男たちは、街にはいくらでもいるので、人数は一定なのだ。

何かが足りない、胸の奥の空虚感を持っているのは、実は男たちだけではなく、彼らを取り戻そうとする「被害者の会」の女性たちも同じだ。

自分だけにしか笑顔を見せないと信じている女、付き合ってもないのに、取り返しに来る女、自分の腹を痛めたとは思えない〈ですよね〉子を取り返そうとする母親。その「被害者の会」の女性たちにも「何かが欠けて」いるのだ。

ハーレムを「家族」呼ぶ男たち。みんなで撮った写真の笑顔に惹かれる登場人物たち全員。幸せの実感を、写真の中の姿でしか感じることができない人々。
そんな切ない光景が、恋愛のことだけではなく、多くの人が抱えている現実が、舞台では、決して声高にならず、ちょっとした笑いとともに、繰り広げられる。

ラストで一番無自覚な女が、1人辛い目に遭うのは、彼女だけが、お腹の中で大きくなる現実とともに生きているからだろうか。

お母さん役は、登場したときに「飛び道具」的臭いがしたのだが、そうではなく、しっくりはまっていたのには驚き。
そして「どこがメタファーなのかわからない!」の台詞には笑った。

〈便所の落書き屋さん〉
こちらも愛の物語、そしてこちらのほうが笑いの度数は高かった。高校生かよっという突っ込みとともに。

やはり、無自覚な女(女教師〉を取り合う兄弟の話なのだが、便所の落書き屋という設定が面白い。便所に住む男への「みんなネットカフェまでで踏みとどまっているのに」には笑った。本当は怖い設定なのだが。

やはり、恋愛の一方的ともいえる思い込み(外野から応援する女子高生も含み)と、居場所の問題がこちらでもクローズアップされていた。

コメディ的要素が多いのだが、ラスト近くの「混ぜたら危険」からの「なんでもありません」の引き際には戦慄した。

どうでもいいことだが、生徒たちが作る、あのヘンテコな段ボールの作品は、ギャラリーでもあるル・デコへの挑戦・・・ではないだろうとは思うけど、それを思い出し、なんか笑ってしまった。

で、結局、2つの作品とも無自覚で、男を結果的に振り回してしまう女は、同じ女優さんが演じているからだけでなく、ロングヘアーでフェミニンな格好、そして蛍光グリーンのヒールということもあって、同じタイプの女性像に見えた。

両作品ともに、この女性のみが悲惨なラストを迎えるのだが、ひょっとして、こういうタイプの女性に振り回された経験が作者にはあり、無意識のうちに舞台で罰を与えているのではないかと思ってしまった。

つまり、家族と呼ばれるハーレムにいた男たちも、女教師を取り合った兄弟もすべて作者の分身ではないのかと思ってしまったのだ。

もっとも、同時に彼らは、私〈たち〉でもあるのだけれど。
Romeo. シンガポール&ジャパンツアー (盛況にて終了!ご来場ありがとうございました)

Romeo. シンガポール&ジャパンツアー (盛況にて終了!ご来場ありがとうございました)

冨士山アネット

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/05/22 (金) ~ 2009/05/24 (日)公演終了

満足度★★★★

幻を求め右往左往するロメオ(たち)
動きがとにかく素晴らしい。
演じているのが、女性の方は別として、すべてダンサーではなく、役者である、ということには驚いた。あれだけキレがあり、動きが大きく、運動量のある動きを最後まで緊張感が途切れることなく見せてくれたのだから。

肉体的な会話の応酬は濃厚であったり、暴力的であったりとコトバがないだけに、逆にストレート。

結局、男は、女に振り回されるということなのか。しかも、それは自分の中にある幻の女に。

内容(ストーリー的なもの)を理解した上で見たいという方は、開幕の前に渡されるパンフレットを読んだほうがいいかもしれない。各登場人物の役割が書いてあるので。
ただし、何も情報がなく、舞台で起こることを素直に感じるのも面白いと思う。

ネタバレBOX

恋をしているときは、やはり前しか見えず、しかもかなり狭い範囲でしか物事を見ることができない。
というより、現実を見ているのではなく、特に男は、目の前にいる現実の女に、自分が思い描く幻のようなものを重ね合わせてしまい、その幻に恋をしてしまう。

男たちは、自分の幻に現実の女を縛り付けておきたいのだが、それは無理である。幻は幻でしかないからだ。

恋する男たちも、いつか幻は幻でしかないことに気がつくときがやってくる。
それでも幻から目覚め、現実の世界に戻ってきて、目の前の現実の女を愛することができる者は幸いだ。・・・それを妥協と言う者にはそう言わせておけばいい。

舞台の上では、幻が消えてしまったことで、自分の恋する女は「不明」や「不在」になる。それに焦り、男たちがあたふたと右往左往する。
そして、さらに迷宮(砂漠や荷物の)に迷い込む。幻の女を求め、自分が壊れてしまうまで。

どこまでいっても掴むことのできない幻を探し求める男たちが、ロメオなのだ。

ラストが、最初のシーン、つまりライターがパソコンで何かを書いているところに戻ってしまうというのは、今までの舞台上での出来事が「お話の中の出来事」のように見えてしまい、そのあたりはどうなのかな、とは思った。
鴨川ホルモー

鴨川ホルモー

アトリエ・ダンカン

吉祥寺シアター(東京都)

2009/05/15 (金) ~ 2009/06/07 (日)公演終了

満足度★★★

青春成分増量中(当社比)
ファンタジー系の原作ありの舞台というと、この舞台と同じチラシになっていた『夜は短し・・・』が思い起こされる。
『夜は短し・・・』の舞台は、原作の主要なエピソードやシーンをほとんど盛り込んだ内容となっていたのだが、この『ホルモー』はそうではなく、元々原作も青春モノではあるのだが、舞台ではさらにその部分が広げられていたように感じた。

「ホルモー」とはなんぞや? 原作を読んでない方はそう思うであろうが、舞台では簡単に説明するだけで、さらりとしたものである。
それだけで、観客は理解できたのであろうか。
原作を読んでいれば(あるいは映画を観ていれば)、その省略は脳内で補完できるのだが・・・。

ネタバレBOX

4つの大学のこともオニのことも、ホルモー自体の様子もさらりとしているのだ。

その分、原作ではあまり語られることのない登場人物を含めて(設定まで変えて)、恋愛だったり、恋愛だったり、恋愛だったり、若者特有の悩み(アイデンティティ)だったり、恋愛だったりが、群像劇的に、やはりさらりと語られる。
ただし、青春群像のそれぞれが、ぼんやり始まってぼんやりしたままの感じで、少々締まりがないように思えた。

ホルモーというのは、日常の延長にあるのだから、さらりとしていいのだけど、やはり、オニを使って争うという、奇妙奇天烈なものであるのだから、ちょっとした非日常感というか、違和感を観ている側が感じるられるようにしてほしかった。

それは、例えば、観客に向かって話かけるところで、脇にいる別の人が「誰に話しているの?」というギャグがあるのだが(もちろん苦笑)、その舞台と観客の関係をバラすような奇妙なことを仕掛けてくるのならば、そんな仕掛けでもいいから、ホルモーと日常との関係のほうに振り向けてほしかったのだ。「オニは、我々役者には見えるのですが、お客さんには見えないんですよ」とかね。

こうなると、ホルモーである意味がイマイチないような気がしてくる。別に卓球部の話であっても違和感がなかっただろう。ホルモーを行っているシーンもそれほど盛り上がらないし。
例えば、原作にはないのだが、青春群像を軸にするのならば、せめてホルモーを何かの象徴にするとか、というテはなかったのだろうか。

観る前に一番気になっていたのは、小さな無数のオニをどうやって登場させるのか、ということだったのだが、一番簡単な方法、つまり、そこにいるように演技する、で切り抜けていた。
しょうがないと言えばしょうがないのだが、であれば、オニの容姿(サイズとか数)について、丁寧な説明がなされていないので、観ている側としては、具体的にイメージできず、「今そこににいる」ようには感じとれなかった。確かに原作を読んでいれば、わかるのだけど。

とりあえず、退屈しなかったことだけは確かであり、高村役の存在が全体の救いだった。
Little Eyolf―ちいさなエイヨルフ―

Little Eyolf―ちいさなエイヨルフ―

shelf

atelier SENTIO(東京都)

2009/05/20 (水) ~ 2009/05/25 (月)公演終了

満足度★★★★

哀しく美しい夫婦の物語
ほとんど身じろぎもせず、見入った60分。
あとからじわじわと胸に迫る端正な舞台。

あとはネタバレで。

ネタバレBOX

夫婦間にちょっとした隙間が生じたとき(と妻が感じたとき)に、妻は、その原因を夫そのものではなく、もちろん自分でもなく、仕事や夫の妹、さらに息子エイヨルフにまで見出してしまい、言葉によって、それらを攻撃する。
何とも言えないような、そんな「もどかしさ」のようなものは、誰にでもあるのではないだろうか。

それは、何に対して感じているのかわからないような「もどかしさ」であり、それを晴らすため、相手が家族であっても、言ってはいけないことを、つい、あるいはわざと言ってしまう。

言ってはいけないことと知りつつも、妻が発した言葉は、結果、息子エイヨルフの溺死という事実となって、自らに降り掛かる。
息子を失い悲しむ姿は、母の姿であり、言い放った言葉は別のものであった。悔やんでも悔やみきれない自分の過ち。責める夫。

さらに、その事故がきっかけで、今まで夫婦間で(たぶん)触れてこなかった、パンドラの箱を開けてしまったのか、もともとエイヨルフが障害を持つことになった出来事までも夫婦でののしり合う姿は、哀しい。

それまでは、言葉のやり取りはあるのだが、互いにその姿を見るわけではなく、「会話」ではない。台詞はすべて正面を見て発せられるだけ。そこには空しい空気だけがフィヨルドの冷たさのようにあった。
断絶しかけていた(していた)人間関係。
そして、ラストに夫婦が互いに手を握り、文字通り肌で感じて同じ方向を見つめる姿には、夫の気持ちや妻の気持ちで観ていたので救いを感じた。

それは、夫婦で一番言いたかったことを言い尽くしてしまったことにより、目の前の霧が晴れ、現実と、パートナーとしての互いの姿に改めて気づいたためなのだろうか、少し光の差すものであった、この大切な分岐点は、もっと明確に示してほしかったように思う。

ただし、手を握り合う夫婦の姿が、暗転しかけるところで、同じ方向を向いていた妻が顔を背けたように見えたのは、演出家のホンネなのだろうか。その姿はシルエットになって、心に何かを置いていった。フィヨルドの冷たい海に目を見開いたまま沈んでいくエイヨルフの姿とともに。
容疑者χの献身

容疑者χの献身

演劇集団キャラメルボックス

サンシャイン劇場(東京都)

2009/04/30 (木) ~ 2009/05/24 (日)公演終了

満足度★★★★

あの「容疑者Xの献身」が舞台の上にあった
時間や場所が多様に交錯するミステリーを、一体どうやって舞台にまとめ上げ、原作を知らない人にも理解してもらえるようにするのだろうと、興味津々ででかけた。

見事だった。脚本も演出も役者も一体となって、まさに、あの「容疑者Xの献身」がそこにあった。
ここまでできるとは、さすがに思ってなかったので、本当に驚いた。
しかも、途中だれることも、飽きることも一切なく、全編をスピーディに突っ走っていたのだ。

カーテンコールの惜しみない拍手がすべてを物語っていた。

ネタバレBOX

この舞台を観に来るお客さんの多くは、原作を読んでからか、映画を観てから来ているのではないかと思う。

そうするとストーリーは当然知っていつつの観劇だろう。

原作ありで、このように再現性の高い舞台だと、ついつい、「原作との答え合わせ」的な見方になってしまいがちだ。

今回は原作に忠実に、ということであるらしいのだが、できれば、ここまでできるのならば、もっとキャラメルボックスならではの解釈、視点がほしいと思うのだ(もちろんストーリーを変えてくれというのではない)。

原作と唯一異なるのは、チョイチョイ挟まれるお笑いの部分だ。これは、どれもいいタイミングでうまい具合に挟まれているので、とてもいい効果を生んでいると思う。
だけど、それが劇団の「容疑者Xの献身」に対する答えであるとは、もちろん思えない。

せっかく原作のある話を取り上げるのならば、取り上げた理由があるはずで、そこを掘り下げて、観客に提示してほしいと思うのだ。
感動したから取り上げた、のならば、どこにどう感動したのかを劇団の独自性で示してほしい。

例えば、話の軸にある、石神の内面をもう少しじっくり見せるなどのシーンが、全体のスピード感を殺してしまっても、また、あと15分上演時間が長くなったとしても(これだけ見事なのだから、もう少し長くてもまったく苦痛ではない)、是非ほしかったと思う。
立ち止まって、観客も考えるところ(あるいは、帰り道でふと思い出すようなひっかかり)がほしいのだ。

とても、よかっただけに、そう思った。

また、笑いのシーンなのだが、保険的な意味合いなのか、太ってるとか顔のことなど、容姿に関する笑いは、確実に笑いをとれると思うのだが、なんかベタすぎて、この話の全体から受ける印象と比べて、いかがなものかと思ってしまった(周りは大笑いしてたけど)。
なんか無理矢理感もあるし(そんなに顔でかくないし、とか)、そのいう笑いを選択しなくても、笑えるシーンは、十分、笑えるし面白いと思うのだが。

次回は、再演でオリジナルらしいので、原作からの呪縛もないし、こんなに素晴らしい舞台ならば、是非観たいと思う。
きらめく星座 ~昭和オデオン堂物語~

きらめく星座 ~昭和オデオン堂物語~

こまつ座

天王洲 銀河劇場(東京都)

2009/05/06 (水) ~ 2009/05/24 (日)公演終了

満足度★★★★

素直に「とてもいい舞台を観た」と言える
戦争というのは、ある日突然やってくるのではなく、日常とつながってじわりとやってくる。

舞台となるオリオン堂にも戦争がじんわりとやってくる。
歌好きで明るい家庭がどうなっていくのかを悲壮感なしで描いているだけに、哀しみは増す。

台詞1つひとつが、それこそきらめいていたり、ずっしりとした重みがあったりするのだ。

かなり大げさに書けば、舞台の、芝居の楽しみというものが、すべてそこにあるようにすら感じた観劇だった。

ネタバレBOX

明るい家族(同居人を含め)なのだが、ことさら母親が明るく、けなげである。
実際は、舞台の裏ではため息をついているのではないのだろうかと心配するほどだ。

脱走兵の息子もあまりにもノー天気すぎて、どうやらこれは寓話なのだろうと思うのだ。
堅物の傷病兵の元軍曹も、その描かれ方は、徹底的に戯画化されているし、その元軍曹と結婚する娘も、かなり酷い話なのだが屈託はない。
寓話にしなくては描けないような話なのかもしれない。

元軍曹が違和感を感じると吐露するあたりから、舞台の様子は、ぐっと緊迫してくる。彼の手の痛みも象徴的だ。こういうあたりの表現はさすがだと思う。

まるで、あるいは当然のように戦争というものがあり、近所の目を気にして生きている、徐々に悪い方向に進んでいるのに、その状況にうまく対応して、そのことに気がつかない、そんな(たぶん)どこにでもあるような家族。

そうやって生きていた家族は、結局バラバラになっても、強く嘆くことなく、あくまで前向きで、生きようとする力は強い。

ただし、長崎に帰る夫婦と満州の開拓団へ教師として赴く男の行く末は、あと数年で、さらに過酷なものになるのだが。

ラストのポスターにもあるガスマスク姿の不気味さは、強烈だった。

そして、明るく、生きる力溢れる家族が最後に歌う歌に、ピアノの不協和音が激しく重なるラストは、家族の行く末を暗示して、鋭く心に突き刺さった。
それを反芻しながらの帰り道であった。
朝霞と夕霞と夜のおやすみ(ご来場ありがとうございました)

朝霞と夕霞と夜のおやすみ(ご来場ありがとうございました)

FUKAIPRODUCE羽衣

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/05/09 (土) ~ 2009/05/20 (水)公演終了

満足度★★★★

熱い恋愛をどこかに置き忘れてしまった人に、熱く熱く声張り上げて届ける妙ージカル
レンアイってのは、他人様から見れば、バカみたいだったり、単に恥ずかしいものだったりするのだが、バカになれるほどのレンアイっていいな、というかバカに見えてもレンアイっていいものだよな、としみじみ思う。
渋茶を啜りながら縁側でそう思う。そんなこともあったなあ、なんて。

とにかく汗びっしょりの熱っぽさがたまらない。性愛にのめり込んでしまったときのような熱さだ。
この舞台の熱っぽさも、クセになりそう。
たしかレンアイの熱さもこんな感じだったよ。
レンアイって、確か恋愛だったよね・・・。

全員が目一杯動いて叫ぶというのは、美しい姿なのかもしれない。
そんなことを何ためらうことなくできるのは、まさに恋愛時代の真っ直中だ。
「青春」なんて言葉は使いたくないけど、恋愛して、叫んで、走って、踊って、そんな真っ直中にいつまでもいられる劇団なんだろうな。
・・・ちょっとうらやましい(笑)。

ネタバレBOX

最初は、えっと、これって1人ひとりが同じパターンで出てくるわけ? そこに見えてる全員が? うーん、それはちょっとなあ、と思いつつも、徐々に、というより、ほぼ無理矢理連れて行かれた感じ。

深井さんの挨拶的な台詞からスイッチが入って、テーマを歌い踊るあたりから、一気にターボ全開で、こちらのテンションも上がってきた。
テーマは、声でかすぎ、ガナリすぎ、と思ったのは、少しだけで、後は、心も体も弾んできた。

山登りのシークエンスは、本当に面白く、ずっと笑顔で見ていた。ちょっと哀しくもおかしい。

ちょっと哀しくと言えば、まどろみながらギターつま弾くシーンは、かなりしんみりした。
まどろみの中で(過去に出会った)いろんな人たちに囲まれる、小さなアパートの一室(風呂付き)。その語る内容とストーンズの歌。今手にしているものは、コンポやパソコンやギターで、ちょっとずつステップアップしているんたけれど、どこかに置いてきたものを、眠る寸前のまどろみの中で反芻する。そのまま寝て起きたら、また忘れてしまっているのだろうという哀しさ、せつなさ。

意外と、男女の役割的なものは、古いタイプのように見えた。例えば、ラスト近くで、男性が延々女性を持ち上げて歩くというところにそれを感じたのだ。
男女の会話においても、男女の役割がいにしえから続く感じのままだったような。男女だけで、男男、女女というカップルもなかったし。
あまりいろいろ盛り込みすぎるとわかりづらくなるからかな。

しかし、深井さんって凄いと思う。全員で歌っていても、1人その声に存在感が響く。
チェリーボーイ・ゴッドガール

チェリーボーイ・ゴッドガール

ゴジゲン

OFF OFFシアター(東京都)

2009/05/02 (土) ~ 2009/05/10 (日)公演終了

満足度★★★★

童貞をこじらせるのはよくないぞ(と作者に伝えたい)
前作『犯人は・・』、前々作『モンチャン』に比べて、役者と同年代の設定のため、無理なくのびのび演じていたのが好印象。

もはや「手堅く」と言っていいほど、間違いなく笑わせてくれる劇団である。
今回は、下ネタの大爆発なのだが、笑ってしまう。

いくらなんでもそこまではないだろっ! と言いたくなるほど、異常なほど極大化したそれぞれのキャラクターがとてももいい味を出していたし、極端なほうへ進んでしまう話自体も笑えるからOKだ。

でも・・・

ネタバレBOX

よくよく考えると、彼らと合コンをし、結果的にメンバーに好意を寄せる「ミューズ」と呼ばれる、黒木メイサ似をはじめとする女性陣は、舞台上に姿を現さないのだが、彼らの様子と、この極端な話の流れを考え合わせると、そもそも、筑波の街にそんな美女4人が現れて、彼ら童貞軍団と絡むということは、どうもおかしい。変である。

ひょっとして、その女性たちは、童貞をこじらせてしまって、現実と夢とが不明確になってしまった彼らの妄想の産物ではないのか、と思えてしまう。
というか、どう考えてもそうとしか思えない。
今までこんな生活をしていた彼らに、こんな急に降ってわいたような話があるわけがないからだ。

ラストの、とんでもない破綻は、そんな妄想と現実がぶつかることによる歪みが、彼らの精神を蝕んでしまった結果と思えるのだ。

そんなラストなのだが、『モンチャン』のときにも感じたのだが、なんで、そんな救いのないラストにしなければならないのか? と思ってしまう。誰もがそう思うだろう。
せっかくそこまで笑っていたのに、それは凍り付くようなラストなのだ。

さて、ラストにもうひと笑いしようと、口を開けかけた観客の、その口の中に、まさに粉洗剤のアタックと液体のカビキラーが注ぎ込まれるようなラストがやってくる。

鍵を握るであろうゆうちゃんの病と、彼らになんとなく蔓延している「自殺願望」。
童貞云々は、死ぬための理由づけのひとつ、というか、童貞という現象が彼ら閉塞感を象徴する大きなモノであり、それを旗印に死んでいくという話だったら、救いがないかもしれない。おいおい、それじゃあ、笑って観てられないじゃないか!

ひょっとして、作者の中には、「幸せになることの恐怖」または単なる卑屈(劇中で繰り返し表現される「童貞」的な卑屈)が支配しているのだろうか。
そこには、何か根深いものがあるのではないのだろうかとも思ってしまう。

こういう不条理的なひっかかりがゴジゲンがゴジゲンたる所以かもしれない(そう言えば、『サムライキッチン』でも腕が落ちたりしてたなあ)。

それと、ついでに書くと、彼らには筑波にいる理系の学生または研究者(?)という設定があり、それは冒頭では使われるのだが、あまり活かされてないのが少々不思議。
夢花火

夢花火

悠遊庵

調布市せんがわ劇場(東京都)

2009/05/02 (土) ~ 2009/05/06 (水)公演終了

満足度★★★

お話はなかなかよかったのだけど
2時間ちょっとの舞台が、長く感じてしまった。
みなさん熱演ではあったのだけど。

ネタバレBOX

長く感じてしまったのは、主人公の玉屋の主人に魅力を感じなかったことによると思う。
まじめ一本の腕のいい職人が、人の上に立つということを学んで成長していくさまが演じられたのだが、どうも、その主人公の人としての魅力がイマイチ伝わってこない。
玉屋の奉公人の女性関係のエピソードをもっと短くしても、主人公を浮かび上がらせるエピソードを盛り込むべきではなかったのかと思う。
話がだらっと広がってしまったように感じたので、よけいにそう思った。

また、人情話なのだが、「笑い」の要素がまったくなく(1つあるにはあったが、不発)、一本調子で進んでしまったところも、長く感じてしまった要因だろう。

和太鼓=花火は迫力があったのだが、舞台の冒頭に和太鼓を出さずにラストだけだったほうが効果があったかもしれない。

ミュージカルなのだが、肝心の歌の部分(特にソロ)で、音程を外していたり、音程が不安定なところがあっりしたのが、結構気になった。
すご、くない。♥KR-14【白神ももこ】

すご、くない。♥KR-14【白神ももこ】

キレなかった14才♥りたーんず

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/04/18 (土) ~ 2009/05/06 (水)公演終了

満足度★★★

笑える人には幸い
なんだか奇妙な人たち(というより不気味な人たち)が、現れたり、隠れたり、ぼんやり佇んだりして、カーテンコールやラグビーみたいなこともあり、つかみどころ、シーン、シーンのつながりが希薄な中、浮かび上がってくるのは、「人は、思うようにならない(動いてくれない)」ということ。

演出家が、常日頃感じていることなのだろうか。

ネタバレBOX

客席では、何人か、ずっと声上げて笑っていたのだけど、正直、自分もその人たちのように楽しめたらよかったのにな、と思った。
だって、ほんのちょっとは笑ったりしたけど、全体的には、そんなに笑えなかったもの。
不気味さのほうが強く感じてしまったのだ。

後でわかったんだけど、妖精だったんですね、あの舞台にいた不気味な人たちは。
アントン、猫、クリ♥KR-14【篠田千明】

アントン、猫、クリ♥KR-14【篠田千明】

キレなかった14才♥りたーんず

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/04/16 (木) ~ 2009/05/04 (月)公演終了

満足度★★★★

街は音に溢れているから、それで楽しもう
インダストリアルとかノイズとか呼ばれる音楽を聴くようになったとき、街には音楽が溢れているように感じた。
特に工事現場の横を通るときには、杭打ち機は、素晴らしいメタルパーカッションとなった。
雑踏に溢れるあらゆる音は、一体になったり、ソロを奏でるよう突出して聞こえたりするのだ。

この舞台では、開幕から強迫観念のように吐き出される言葉(台詞)がある。
最初は、その言葉の意味を追っていたのだが、どうやら「それだけ」ではなく、音を楽しめばいいのだ、と感じたときにこの舞台の印象はがらりと変わった。
それは、後半において、そうだったのだと確信をした。

ノイズミュージックの感覚だが、これはさらに役者がいて実際に動き、演技をしている。
つまり、音と場面を楽しむということ。
さらにこれにはストーリーまであるのだ。

ラストにかけては、ちょっとした(ほんのちょっとしたものだけど)カタルシスさえ感じた。

ネタバレBOX

音楽の世界では、. ジョンケージとかスティーブライヒなどが始めた(たぶん)テープコラージュのような作品がある。ラジオを楽器に見立てて、演奏するというものもある。

映像や音をカットアップして、見せることは、普通に行われており、それに対して今や違和感はない。
(映像と音をコラージュして、さらに音楽に引き込んだものとしては、ドラびでおのライブがあり、舞台を見ながら、それを思い出していたりした)

演劇でこれをやることは、どうなのだろうか、という答えがここにあった。

映像や音(フィルムやテープ)などを物理的にカットしてつなぐということは、AからBへそしてまたAへと直接つなぐことができるのだが、生で演じている舞台ではそうはいかない、AからBにつなぐ際には、A点からB点につなぐまでの動きがどうしても出てしまう。当たり前だが、それをカットではない。
ところが、これが面白い。
その「余分なモノ(間)」にもう1人の役者の動きを重ねたりずらしてり、さらに、左右前後の動きも加えることで、立体感や別の効果が生じてくる。

繰り返しや前後の入れ替え、役者間のバランス&アンバランスが後半にかけて疾走する感覚がいい。
しかも、その隙間から、確実にストーリーが見え、駆け足で迫ってくる感じがとてもいい。

ありそうでなかった、そんな新しい舞台に出会えたと思った。
学芸会レーベル♥KR-14【中屋敷法仁】

学芸会レーベル♥KR-14【中屋敷法仁】

キレなかった14才♥りたーんず

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/04/20 (月) ~ 2009/05/05 (火)公演終了

満足度★★★★★

中毒になるほど、面白いったら、面白い!!
とにかくテンションがいい感じに高いまま、流れるように見事に疾走していく。
それに振り落とされないようについていく感じの私。
最初から顔がゆるみっぱなしで、だらしない笑顔で観劇。

セリフも佇まいも物語そのものもキレがいい。

ネタバレBOX

禁じられた学芸会の「禁じられた」は、演じるということの楽しさが強すぎるってことなんだろう。
だって、舞台の上では、とにかく楽しそうなんだもの。
学芸会へいざなう、みゆき先生の目は、怪しく輝いていて印象的だったし。

ミもココロモも、取り込まれてしまってこそが「学芸会」。

これは禁じないと、誰もが中毒になってしまうのだ。

でもって、見ているこちらも「もっと見たい」「もっと見たい」と呻いて、中毒になっている。

・・・・ん、14才・・・それはまあいいや。
少年B♥KR-14【柴幸男】

少年B♥KR-14【柴幸男】

キレなかった14才♥りたーんず

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/04/19 (日) ~ 2009/05/06 (水)公演終了

満足度★★★★

僕って宇宙人だったらいいなと思い続ける、ちょっと哀しい物語
自分の妄想に囲まれて、自分だけは周囲の奴らとは違う特別な存在であると思っている(と思いたい)中学生の頃。
それは、中学生のときだけのことではなく、今も、ずっと続く想いなのかもしれない。
素晴らしい役者になって、とか・・・。

ただし、中学生のときには、かなり本気でそう思っていたのだが、今となっては、なんとかその想いを捨てようとする気持ちも働く。どこか恥ずかしい気持ちがあったりするからだ。
もういい歳なんだから、そろそろ・・・なんていう気持ちだ。

ネタバレBOX

宇宙人のグレイとは、特別な存在を具現化したもので、そして、本人も宇宙人であることを忘れかけている。つまり、まだ表には現れていない特別な僕。

そのグレイは、徐々に宇宙人ということを忘れていく。そして、表面にかぶった人間の姿は、グレイと一体化していくという。
それは、時間(年齢)とともに特別な存在だった(はずの)僕が消えていく様子なのだ。

成人したクラスメイトの、そんなはずじゃなかった姿を見るにつけ、それをストレートに感じてしまう。
で、今の僕はどうなのか? と主人公自身に問いかける。
まだ、宇宙人だと思っているのかという問いかけだ。

いつまでも秘められた宇宙人であり、それがいつしか現れてくることを、どこか、やっぱり信じている作者の姿が投影されていた作品だったと思う。

学ランを着た30代の役者の姿は、中学生を演じているのではなく、今の正味の30代を見せていたのだ。

ラストは、作者が自分から自分へ向けたメッセージであり、少々甘くて、前向きな(ある意味普通な)のは、そういうことなのだろう。
そういうこととは、これからも、特別な自分をなんとかあがいて目指すという宣言だと受け取った。

女生徒の井上さんは、舞台の他の役者さんたちを中学生につなぎ止めるためには、まさにうってつけであり、その効果は、かつて男子生徒だった自分にとっては抜群のものだった。自分の昔の記憶にちょっとリンクしたりして。
テンリロ☆インディアン

テンリロ☆インディアン

劇団6番シード

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2009/04/18 (土) ~ 2009/04/26 (日)公演終了

満足度★★★★

物語も演技もお見事!
(BOYS バージョン2)
会話の応酬や物語の展開が面白く、観る者を飽きさせないのはさすが。
物語の進行につれ、登場人物たちのいろいろな状況やバックボーンなどが見え隠れしていきつつ、それが物語にうまく絡んでくるところ、さらにその登場人物たちの気持ちが現れる会話が、実に面白い。

いつもながら熱い舞台(少々テンション高すぎだが)で、前回の海賊たちと同じ俳優が演じているとは思えないほど、それぞれの役になり切っていたのは(それは当たり前なのかもしれないが)見事。気合いが入っている。

観る前までは、BOYS バージョン、GIRLSバージョンっ言ってもなあ、と正直思っていたのだが、これは両方、というより役者違いのバージョンまで見比べる価値があるのだ、と思ったときにはすでに遅く、スケジュールを調整して、別バージョンを観るべきだったと反省した。

ネタバレBOX

密室的なトリックは半ばでわかってしまうものの、それはまったく気にならず、それにどう近づくか、離れていくのかといった話の膨らませ方は、本当に面白い。
中でも言葉の取り違い、聞き間違いに関する考察には、なるほどなぁと。

ただ、ラストのどんでん返し的なオチは、言葉のみの説明で、「あっ」というふうにはならず、どんでん返しのためのどんでん返しになっていたのが、わずかながら残念。

最初から全体のテンションが高く(もちろん、そうではない配役もあるのだが)、実際、海外で警察署に逮捕・勾留されたときに、みんながあんなにテンション高くなるのだろうか(なんで逮捕するんだ! と叫んだり)、日本人的なメンタリティとしては、もっと逆にテンションが低くなるのではないだろうかと思った。
そして、徐々に日本人が拘置所に集まりだしてから、(内輪の中だけで)テンションが上がっていくのが自然なように気がするのだが。
男の60分 -東京場所-

男の60分 -東京場所-

ゲキバカ

【閉館】江古田ストアハウス(東京都)

2009/04/22 (水) ~ 2009/04/29 (水)公演終了

満足度★★★★

文字通り汗飛び散る暑っ苦しさなのに、爽やかでナイス!
「男の60分」といいながら、それでも70分の短い上演時間に、いろいろなものが詰まってグイグイ押しまくる舞台で、観ていて楽しかったし、笑ったりした。

普通このストーリーだったら、(たぶん)それをちょっとした人情コメディにしたりして、各登場人物のもう少し深いところを掘り下げたりするのだろうけど、「えっ! そっちをそんなに広げるの!」と、面白いほうをしつこく広げて行くあたりが、個人的にはとても好ましい。

舞台で演じていた「仲間・友だち」は、この劇団そのものの姿とタブって見えた。
そんな役者が見事にまとまっていて、舞台の上での一体感は実に爽やか。

ネタバレBOX

兄弟にとって、一番の思い出のひと夏から、なくなった母をすこしだけ浮かび上がらせたり、死と生の対比など、ストーリーはわかりやすく、かなりベタながら、好感が持てる。

ダンス的要素がいくつかあるのだが、そのダンスは、単に上手い下手ということではなく、全員が全身を使って、とにかく動き切るという姿勢と意気込みが強く感じられ、観ていて気持ち良かったのも好印象。

今回の舞台全般的な印象としても同様であり、ひたむきさ、一生懸命さがよく現れていた。
本当ならば、汗がしたたり、見るからに暑っ苦しいのだが、爽やかに見えてしまったのだ。

スズキのオチが直球ストレートすぎ(野球だけに・笑)、いろいろな伏線みたいなエピソードがありつつの、なんだそっちかい、というようなオチのほうがよかったような気もするが、たぶん、好みの問題なんだろう。

個人的には、前作よりもこっちのほうが好きだ。
Princess Collection

Princess Collection

JMS

吉祥寺シアター(東京都)

2009/04/17 (金) ~ 2009/04/19 (日)公演終了

満足度★★★★

暖かいミュージカルを楽しんだ
歌もうまいし、話もなかなか面白い。

誰が見てもわかる「オチ」的な登場人物がいたり、設定などはベタながら、一体どういう決着をつけるんだろうか、と引き込まれたり、ウルッとしてしまいそうだったりした。

生演奏もよかったし、ミュージカルとして十分に楽しめたのだ。

大人数で、この内容、あのセット、チケット代は決して高くないと思う。
HPに「JMSでは日本ではなかなか観られない小劇場サイズのミュージカルを なるべく低価格でみなさまに提供していきたいと思います」と書いてあったことは、本当だったのだと確認できた。

スタッフも丁寧で好感が持てたし。

曲ごとに拍手が起こったりして、劇団を支持しているお客さんも優しい。

ネタバレBOX

で、ちょっとだけ気になったところがある。

それは、フリやダンスにキレがなかったことだ。
全員がそうというわけではないのだが、ダンス以外の部分でも、例えば、手足の伸びとか、トメとかがきちっとしていないのではないだろうか。
また、何人かが一緒に動くときに、動きのリズムが揃ってないように感じた。結果、ドタバタした、地球の重力を感じざるを得ない雰囲気になってしまった。

また、4、5人が舞台上にいるときはいいのだが、大人数が舞台にいるとき、そのシーンの中心となる役者の演技やセリフに、観客が集中しきれないことが気になった。

それは、そのシーンでは、どこに中心があるのか、ということを、観客に意識してもらうためにも、他の役者さんたちが、視線や動きや意識などで指し示すことがあまりされていないからではないだろうか。

観客の意識がきゅぅっと中心人物に集まり、中心人物が切り替わったら、そこに観客の意識をまたきゅぅっと集めさせるということが、そのシーンでは脇となる役者さんたちによって、醸し出されることがもっと必要ではないかと思う。

それがあまり感じられないから、大人数のシーンではどうもバタバタした感じがしてしまうのだ。
グァラニー ~時間がいっぱい♥KR-14【神里雄大】

グァラニー ~時間がいっぱい♥KR-14【神里雄大】

キレなかった14才♥りたーんず

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/04/17 (金) ~ 2009/05/05 (火)公演終了

満足度★★★★

異文化からやって来る14歳
『リズム三兄妹』を観た私としては、なんていうか、もっともっと過剰に変な感じを予想していたのだが、それはいい意味外されて、普通に見入った(普通・・・ではないかもしれないが)。
最初は、一体どうなるものかと、ちょっとハラハラしたのだが。

結果、作者の自伝的要素が練り込まれた舞台になっていたようだ。

「14歳」という共通テーマから受けるインスピレーションは、たぶん、作者たち個々人の14歳に光を当てることになり、他人事では済ますことのできない内容になっているのではないだろうか。

ネタバレBOX

パラグアイに住んでいたときの思い出、そしてパラグアイから来た少女、それらを通して語られるのは、異文化からやって来るときに訪れる、コミュニケーション・キャップ。それは、言葉が通じるだけに、逆に深いものがあるのだろう。

コミュニケーション・キャップは、他の国との間だけに起こるモノではない。
つまり、14歳ぐらいというのは自意識過剰だったりするので、ある意味、個々人の中にある「異文化」から、世の中にやって来ることになるとも言えるだろう。
14歳ぐらいのときは、同じ場所に住んでいたり、同じ日本人だったり、もっと言えば、家族だったりするにもかかわらず、コミュニケーション・キャップが生じたりする。

それを解きほぐす方法は、自らの熱心な働きかけしかないのだということを改めて見せつけられた気がした。
とても真っ当なすっきりした内容だったと思う。
しかも、希望さえちょっとある。

ま、14歳頃の自分を考えると、そんな前向き、外向きな考えには絶対になれないし、なろうとすら思わなかったけどね。

だから、
勝手な想像だが、作者自身の体験としては、ラストの母親の言葉のように、そんなにうまくコトが運んだわけではないのだろうと思う。
「あのとき、ああすれば」「もっと早く気づいていれば」という後悔の念がこの舞台を作らせたように思えるのだ。すっきりしているだけに。

舞台では、パラグアイから来た母娘、結婚してパラグアイに行く花嫁の3人の演技が心に残った。

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