1
カーテン
日本のラジオ
ドラマティックなはずの題材を、少人数の会話を中心に淡々と描いた、余白の多い芝居である。観終わった後いつまでもいろいろと考えてしまうのは、そこにこめられていた情報量がとてつもなく多かったからかもしれない。
何も起こらない芝居だった、という感想を目にした。そういう意味では、出来事の前後や外側(あるいは内側)の「会話」を綴った物語だと言えるかもしれない。非日常の中の日常的な会話を淡々と描写しながら、事件が起こるまでの過程や人々の辿ってきた道を想起させる中で、奥行きのある人物描写に15人のキャストの魅力が充分に生きた。
90分の時間とホールの空間を満たした濃密さと空虚さが、遠い国の歴史を聞かされたような儚さに似た余韻を残した。
2
三英花 煙夕空
あやめ十八番
東京公演は、彫刻家のアトリエだった場所で、観客は三方の壁に張り付くように並べられた椅子に座った。下町の墓地に近いロケーションも、大きな窓をふさいだその部屋も、演じられる物語にぴったりで、我々は古物商の倉庫の壁の一部にでもなったように成り行きを見守った。
大阪での公演は、浄土宗應典院というお寺であった。墓地を見下ろす廊下を経て入った本堂はホール仕様で、「シアトリカル應典院」と名付けられ、演劇や音楽など様々なジャンルの催しが開催されているとのこと。
会場が変わり、音の響きや照明が変わり、キャストが変わって、東京公演の濃密な仄暗さとはまた違う、エッジの効いた明暗を感じさせる物語となっていた。
東京と大阪、両方でこの作品を観られたのは稀有な経験だったと思う。
3
アンネの日
風琴工房
生理用品開発に携わるチームの奮闘を通して描かれるそれぞれの人生と、研究の苦労やマーケティングや環境問題まで含めた幅広い問題提起。
観終わって、ああ、元気出た!!と思った。登場人物がみんな愛しいし、それを演じるキャストがホント素敵だった。弱さも迷いも、それぞれの真実の中で美しい。それはたぶん彼女たちが前を向いて生きているからだ。
女でも男でも、それぞれが生きていくことをまるごと愛せるような、そういう舞台だったように思う。
4
15 Minutes Made Anniversary
Mrs.fictions
公演チラシの裏面や公式サイトに記載された上記の文章中に「予告でも試食でもない15分の可能性」というフレーズがある。Mrs.fictionsが継続して主催してきた15分の短編で綴るショーケースイベント『15 minutes made』。観に行けば、まさに『予告でも試食でもない』独立した作品としての15分を堪能できるだろう。
加えて今回は10周年の記念公演とのこと。それにふさわしい素敵な団体が集まり、15分の作品1つ観て帰っても満足できる顔ぶれとなった。そしてそれを6本詰め込んだキラッキラの約2時間。
美術やその他さまざまなスタッフワークも含め、アニバーサリーにふさわしい素敵な公演となった。
5
「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演
庭劇団ペニノ
面白かった……というより、懐かしい遠い記憶のような、あるいは迷い込んだ夢の中の景色のような不思議な体験だった。
美術や演出の緻密さと大胆さはもちろん圧倒的だったが、それ以上に、奇妙なくらいリアルなのに現実感を欠くような、どこへ向かうのか息を詰めて見つめずにいられない物語と、それを成立させるキャスト陣の演技が凄まじかった。
6
ブッダ
わらび座
手塚治虫さんの『ブッダ』を、齋藤雅文さん脚本・栗山民也さん演出で舞台化した作品の再演。
言葉による説明はほとんどないまま物語は動き出す。登場人物それぞれの過去や想いは鮮烈だけれど断片的で、時間の経過にも飛躍がある。けれど気がつけばそれらはひとつの流れのように、シッダールダの人生を映し出していく。後半になるともう怒涛の展開だ。目に見えない渦が会場を満たし、理屈を超えて観客を巻き込み押し流していく。
客席の人々は、息を呑むように静まり返って舞台を見つめている。人々の嘆きや苦しみが渦を巻く終盤の場面はやはり圧巻であった。
7
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』
オペラシアターこんにゃく座
繊細ないくつものパーツを、音楽が1枚の大きなタペストリーへと織り上げていく。生の楽器の音色が耳よりも先に肌と共鳴し、澄んだ歌声が胸に響く。
半円形の会場と舞台の奥の大きな輪を生かした美術が銀河系や時間を象徴し、その中で少年たちが探す「ほんとうのこと」「ほんとうのさいわい」は孤独と自己犠牲を経て、永遠へと変わる。
若々しい顔ぶれのキャスト陣にベテランがそれぞれの味わいを加えた座組は、少年たちが主人公となる作品によく似合っていた。
8
炎 アンサンディ
世田谷パブリックシアター
レバノンでの内戦を背景に、母を亡くした男女の双子が、自らの家族のルーツを解き明かしていく物語だ。麻実れいさんがその母として、1人の女性の10代から60代までを演じる。
世界はこんなにも残酷なのか。生きることはこんなにも過酷なのか。誰かを断罪して済むのなら、その方がよっぽど楽だと思えるのだけれど。しかし彼女はそれを乗り越えて、彼女自身に戻ったのだ。双子もまた真実を知り、真実を乗り越え、彼女をも乗り越えて、生きるだろう。
観終わったあと、胸の痛みとともにある種のカタルシスを感じたのは、そのためかもしれない。
9
エンドルフィン
モノモース
一台のスマートフォン。そこに録音された音声を男が再生する。どうやらある会議の席上のようだ。聴こえてくる声の主は、ゴミの島に捨てられた少年。「旧・希望の島」あるいは「絶望の島」と呼ばれるそこは、合法非合法の廃棄物におおわれた場所であった。捨てられ、傷つき、飢えた少年の生きるための戦いが始まる。
語られる出来事は無惨だけれど、舞台上での描き方はむしろ抑制が効いている。血糊が飛び散ったりしないし、たくさんの布が重なり合う美術はどこか寓話めいているし、照明も音響もむやみに感情を煽るものではない。
わずか85分の中に、切り取られ鮮やかに浮かび上がるひとつの生命。ひとつの世界。言葉にできない確かなものを受け取った気がした。
10
子午線の祀り
世田谷パブリックシアター
プロローグで語られる星の運行。『平家物語』に題材をとり、天の視点で観る叙事詩劇と言われる作品である。源平合戦のダイナミックな展開は『平家物語』から引いた語りによるけれど、それについての心理描写はきわめて現代的だ。
この舞台の特徴としてよく言われるとおり、「語り」や「群読」による日本語の響きの美しさを堪能する。同時に、語られる言葉には意味だけでなく身体性が加わっていくのも興味深い。そうやって語る人びとの中には伝統芸能の担い手もいれば新劇系や小劇場出身の俳優さんもいて、それぞれの持ち味を生かしつつ、この世界観を支えていく。
そうして描かれるのは、「運命」というより「天の運行」あるいは「歴史の流れ」のようなどうしようもないものに流されていく人びとの悲劇。それは単純な喜怒哀楽を超えて、名付けようのない透明な感情を引き起こした。