石橋けいのあたしに触らないで!
城山羊の会
小劇場B1(東京都)
2020/12/17 (木) ~ 2020/12/27 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/24 (木) 15:00
石橋けいさん目当てで観劇。って、何で舞台のはがきが来たのだろうと思ったら、以前三鷹で城山羊の会「相談者たち」を観劇したからだった。その時「声がかなり小さいので」とおことわり書きがあったのだけれど、今回はなく(三鷹芸術とB1器の違いからか)、それでも、双方に出ている吹越満さんの声が小さい小さい。
タイトルの「あたしに触らないで」はつまり、「触って、触って」ということで、内容のエグサは、「相談者たち」をかなり上回っていた。まあ、男女の欲望の隠蔽と開示を、他社の目で暴いて見せると、こんな具合?的に描いているのだけれど、それをまじに視覚化してしまうところが奇矯というかあられもないというか。
『ENGISYA短編戯曲集』VOL.2
ENGISYA THEATER COMPANY
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2020/12/16 (水) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/12/18 (金) 11:30
〜色編〜
『月光の娘』
この公演の中心男優は、久留飛雄己と松田周だと思うのだけれど、この2人のコラボがとてもよくなじんだ作品。2人とも、たまに突出するエキセントリックな演技が魅力なのだけれど、相互の出番の使い分けもあって相殺することなく、魅せ切った秀作。その中心でダンサーたる中村なつ美が、過剰にならずにダンサーとして生きる姿が美しい。
となると、『花の子供』の違和感が、何とももったいない気がする。
『宇宙の友達』
つらい人生を女として終えてしまった2人の友情の物語。円盤(?)は魂の憑代か。
再生の物語?なのかな。で、だから何?
『蛍』
観終わって、あれ親子じゃなかったの?と解説を読んで思った。幻想譚なのだけれど、入れないなあ。
〜即編〜
4回公演購入しましたけれど、お休みさせていただきました。
初めての劇団で、いきなり4日連続は無謀だったかな。最後まで食指が動き続けなかった。
『ENGISYA短編戯曲集』VOL.2
ENGISYA THEATER COMPANY
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2020/12/16 (水) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/12/18 (金) 15:30
〜空編〜
『いっそ、生きたい』
1995年初演。初戯曲作品。とのこと。よくできている、話に無駄がない。
おそらくは飲料工場で働く2人の出会い。足に障害を抱える男セイジが漂わせる孤独感は半端ないのだけれど、そこに餌を求めて集まる野良猫たち、そして心を求めて引き寄せられるケイコ。2人の悲劇的な生涯はありがちな設定だが(そして、ちと呆気なさすぎだが)、それを、大地葵 久留飛雄己2人の演技で終始話を引っ張りきって魅せ切る。
ケイコの死後、猫とセイジの道行は、軽快なダンス風だけれど、そこにある喜びや苦難をしっかり感じさせ、軽い落涙。
ただ、惜しむらくは大地葵、猫の演技は抜群に良いけれど、ストリッパーには見えないこと。まるで下手なバレーダンサー。だから、冒頭の部分で何か違和感が残り(ここどこ?)、物語に入りそびれる。
『花の子供』
志や良し!という作品。ただ、もっともっと、演出も脚本も演技も練る必要はないか。解説を読まないと、何をしているかが全く見えてこない。その意味では、まさに分裂症劇。男女で強姦したり、国作ったり、性差を示すための表現は壮大(?)なのだけれど。
頻繁に替わる舞台設定は、演者の力量が試されるところだと思うのだけれど、その切り替えがうまくいっていない。
『歌で伝える人』
世の中には2つの日本人しかいない。ロックを歌えと言われて、RCサクセションを歌う日本人と、ブルーハーツを歌う日本人。忌野は反抗を歌い、甲本は革命を歌う。
そう、カミュかサルトルか、ということ。そう、大村未童はカミュな人なのだ、と思いながら観ました。
『ENGISYA短編戯曲集』VOL.2
ENGISYA THEATER COMPANY
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2020/12/16 (水) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★
鑑賞日2020/12/17 (木) 15:30
〜是編〜
『MIROKU』
ミニ・モーパッサン版「女の一生」うーん、だから?
『神風吹く人』
ちょっと唐突感が凄くて、ついて行けなかった。
『文豪の人』
『かつての文学青年、今は冴えない中年の男はリストラ・離婚と、人生の窮地に立たされ、芥川龍之介に救いを求める。』芥川龍之介という点を除けば、要はダメ男が幻想に助けられるといった定番プロット。ここでは、男のだめっぷりと芥川龍之介の弾けっぷり、その対象がカタルシスになると思う。金子辰一郎 奥田龍平お二方は、巧妙に演じてはいるのだけれど、どうも芥川の弾けっぷりが足りない。なので、男が舞台の上で、徹底して驚き、戸惑い、覚醒するという展開が弱い。これは役者の力量云々ではなく、演出側のふっきれなさではないか。小物や装飾を使わない劇団らしいけれど、芥川龍之介は芥川龍之介然としていなければならない、着物、小物、いかにも偏屈な彼の性格と容貌を一層、それに向かわせる装置が必要だ。それが大前提。もったいない作品。
『エデンの園』
ある意味、典型的なセリフ劇なのだけれど、入っていけない。今回の他の芝居でも見られたのだけれど、人を背負いながらのセリフ、それも背負う側と背負われる側との対話劇、というのは、肉体的にも物理的にも、演劇という生身の空間では無理があるように思われる。
だから、何を喋っているかが聞きづらいし、演者の仕草より大変さに目が行ってしまう。
ガールズ・イン・クライシス
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/16 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/15 (火) 19:00
座席F列11番
まあ表現(舞台装置から衣装、演出)がかなり誇張されているので、何かとんでもない話(不条理劇)のような気がするけれど、主人公の行動原理とその周辺の人物が陥る状況を整理してみれば、かなり辛辣な風刺劇、自己啓発あるいは自立成長礼賛への批判劇と言うか、かなりスパイシーな現代喜劇か。
イプセンの「人形の家」が嫌い、というかノラに何の共感もしない、ただのエゴイストじゃない、という評価の人が割といます。(そう感じます)女性の自律を、当時の封建的な家族関係の中で高らかに訴えかけた、というのが、日本の明治期以降、早稲田演劇を中心になされてきた解釈ですが、本当にそうなの、という素朴な疑問です。
まあ、日本に限らずアメリカでもフェミニズム運動の象徴として、ジェーン・フォンダなどは嬉々として「人形の家」の映画化に乗っていましたからねえ。(今となっては、彼女のフィルモグラフィーとして語られることはまずない)
でも、イプセン自身にそのような意図があったのかと言われれば、これは謎。
この「ガール・イン・クライシス」は、ダーク版「人形の家」あるいは、突き抜けるとこういうことなのよ版と言えまいか。
妄ソー劇場・すぺしゃる
イッセー尾形・ら株式会社
有楽町朝日ホール(東京都)
2020/12/10 (木) ~ 2020/12/12 (土)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/12 (土) 15:00
座席L列13番
なんの因果か、この舞台のフライヤーが演劇関係のフライヤーの束に入っており、おお、
一度は観てみるか、と腰を上げたのが、今回。25歳の息子も引き連れて。
息子には、一応イッセー尾形とは何者かの話をするのだけれど、うまく伝わらない。「お笑いスター誕生」から映画「トニー滝谷」「太陽」、そういえばドラマ「カルテット」観ていたなあと思い。「ベンジャンミン瀧谷」の話をしても思い出せないという。
ただ、父親はこの俳優にちょっと特異な好意を寄せていることだけは、判ってもらえてようで付き合ってはくれた。
いやあ、昔テレビで観ていたまんまというと失礼なのかな。テレビで観ていた時は、ときとして、いたたまれなくてチャンネルを替えた記憶もある。面白くないとかどうかではなく、何かお尻がモゾモゾするのだ。それでも何でも、役者として好きなのだから、出ていれば観る。
初めから、クスクス、ずーとクスクス。ただ、意を得ていない話になると、少しZZZZ。
息子も少しZZZZZだったらしい。同じ作品かどうかわからないが。
ふつ―の人を演じるのが好きなイッセーさんだから、それでよいのだと思う。ラストのフォークシンガー、私はクスクスだったのだが、息子はどうだったのだろうか、帰り道での秋田料理屋、日本酒などを呑んだりするが、気になるけど聞かなかった。
また観るかなあ、フライヤーはタイミングよく手に入るかなあ。
でも、イッセー尾形という役者は、ずーと観ていなあ。
アルマゲドンの夢
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2020/11/15 (日) ~ 2020/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/11/15 (日) 14:00
日本の訳書では「世界最終戦争の夢」、オペラでは「アルマゲドンの夢」うまい使い分けだと思う。(この機に及んで、「アルマゲドンの夢」に直して増刷しないところがよい)
前者のタイトルでないとウェルズ読者は納得しないであろうし、後者のようにしないとオペラファンは食指が伸びないであろう。
世界初公演の初日、まさにまさにの世界初公開。どんな舞台も初日は緊張するのだろうけれど、オペラ新作の世界初演の日というのは、関係者にとってどんな日なのだろう。この日を迎えられたのは私個人にとっても天恵。そう表現するに見合う作品、というか、私のテイストにずばり嵌った。その快感。
演劇を頻繁に観ている者でも、オペラだ、バレエだ、歌舞伎だ、人形浄瑠璃だ、となると、その敷居がどうも気になるのだけれど、新作においてはその敷居自体を感じないことが多く、各表現の枠組みは守られているものの、格式に気圧されるようなことがなく、比較的ストレートに受け入れられるものだ。その典型がここにある。歌曲は人物表現であり、物語の道しるべであり、目に見えない舞台装置で、1時間半を突き抜けていった。
それはスピード感とは異なる、じわりじわりとした得体のない圧迫感の通底で、それを登場人物たちの舞台衣装と配置、動きで、私の神経を蝕むように刺激する。
恐怖のない恐怖(だって夢だから)、しかし確かに存在する恐怖がそこにあり、少しずつ少しずつその渦中に心を引きずり混んでいく。ベラが殺され、クーパーが死んだ時、物語は反転し、世界戦争は夢から現実になり、むしろほっとした解放感まで味わった。
さすがコロナ禍の今、ブラボーの掛け声もなく、熱狂とは言えない終幕に、むしろこの作品の価値を見た。ステロタイプの拍手喝采もなく、そうだよな大騒ぎしないよな、というような雰囲気にむしろほっとする、不気味なオペラだった。
ベラの半身のような役柄インスペクターを演じる加納悦子の存在感がよい。悪魔譚かと思わせるジョンソンや冷笑者の登場。一縷の清冽な子供の歌声の不気味さ。そして、白い仮面と甲鎧をまとった兵士たちの圧巻、迫りくる戦渦の喧騒。繊細さと絢爛さ両立の舞台は見事。
断食芸人
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2020/12/08 (火) ~ 2020/12/08 (火)公演終了
鑑賞日2020/12/08 (火) 19:00
今年度、シアターXの1人芝居試演は2回目、「狂人日記」に続く。
やはり、題名がそのまま原題である作品の方が、観劇の訪れる方にしては、足を向けやすい。
1人芝居でも、相応の名のある方の場合、舞台装置に凝り、舞台美術が絢爛で、シチュエーションに演者が配慮をしない舞台が多いと思うけれど、ここはそれ、自ら場を作り上げる、自己構築芝居。
そうか、1人芝居の魅力は、どの角度から見ても良いことだよ、それなら後ろからもありだ。「狂人日記」でもそれは成立しただろう。1人芝居とは、見世物なのだから。
ミセス・クライン Mrs KLEIN
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/07 (月) 19:00
座席B列10番
メラニー・クライン、この実在の精神分析学者の息子の死をきっかけとする、同業の娘とやはり同業のクラインを尊敬する若い医師の3人ストレートプレイ。
とにかく、濃い。
ストレートプレイ度が強ければ強いほど、登場人物の性格と相互関係を、観客により深く理解させることが必要で、冒頭から綿密に選ばれた仕草・独白、出演者相互の最初の接触からの言葉遣い・態度、ここらが肝となる。
まあ、この舞台のこの辺りの息苦しいほどの重厚さ、まあ、最初の20分くらいで疲れ切ってしまいそう。説明口調の凡庸さを避けるには、演技の練りこみで仕切りとらなくてはならず、3人の「私が」オーラの凄いこと。ともすれば、眩暈さえ誘う熱だ。
3人3様の性格・性癖・思考のコントラストが見事。僅か一夜の出来事を目まぐるしい事実と言葉の分析を応酬することで、お互いの本性を暴き合う展開は、しんどいけれど面白い。ただ、あらゆる分析が1つの事実で解明された時、狼狽するクライン夫人は、まさに葦のごとくの儚さで描かれ、ポーラの恫喝とその後の野心を漂わせる夜叉のような表情は、この物語のその後を暗喩する不気味な象徴として終幕後も強く私に烙印された。
(そういえば、「終夜」と同じような構成だな)
「外の世界を待たせておく」
解決は自らのサークルの中で行う。さて、勝者は?敗者は?得たものは?失ったものは?
去る者は?残る者は?理解者は?誤謬者は?観客それぞれの判断に委ねられるだろう。
時系列で読むギリシャ神話
カプセル兵団
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2020/11/11 (水) ~ 2020/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/11/11 (水) 19:00
まずは、劇場で配られるパンフレットに目を通してみよう。舞台を観る前でも後でもよい。
最後のページに配役があるのだけれど、それを見ただけで感動ものである。よくぞまあ、この配役を考えたものだと。
むろん、ギリシア神話の大要を2時間の朗読劇に、それも即興性の高いエンターテイメントに仕立て上げた労苦は、大変なものがあろうと思うけれど、それを作りながら(あるいは作り終えて)配役を考えた作業こそ、まさに賞賛に値する。数々の神々他を限られた人数に充てるわけだから、ゼウスのような極中的役柄を除いて、1人の役者に複数の役を配することになる。しかし、被ることは許されないので、脚本を作った後も結構、場面作りと配役で苦心惨憺したことは容易に想像できる。
役者さんたちも、役の作り訳に苦労されたと思うけれど、いかが。
この舞台、別の方の意見にもあったけれど、一旦、服装に統一性(朗読劇的な黒統一とか、同じは織物を着るとか)して、ギャグ・アドリブなしで上演してみたらどうだろう。聖飢魔ⅡTシャツで同曲を絶唱するのも、一発芸合戦も、けして悪くはなかったけれど、一旦、この舞台にかけた作者サイドの労力のエッセンスだけを観てみたい気もする。
まあ、劇団のポリシーもあるし、勝手な要求であることは承知しているのだけれど。
ただ、アドリブが求められるたびに、困った登場人物が作る間が、せっかくの芝居のリズムをいちいち壊すのが、どうもいただけない。
結構静謐に演じても、あの人数である、動かし方によっては、結構大がかかりな神話劇になると思うのだけれど。
火の殉難
劇団俳優座
俳優座スタジオ(東京都)
2020/11/06 (金) ~ 2020/11/22 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/11/10 (火) 14:00
やはり舞台表現の限界は、映画やドラマのような映像や紙片一つに落とし込む文学と違い、場面転換の限界と挿画・挿話ができないことにある。新聞記者が、高橋是清宅に来て話を聞く、あるいは過去の盟友達との邂逅や対立などを描いてばかりでは、その外で何が起こっているのかが判らない。これがドラマなら、日露戦争、原敬暗殺、血盟団事件や五一五事件、満州事変の関連映像などを挟むことで、高橋是清が戦った時代の空気感、つまり切迫感や緊張感がもっとわかりやすく伝わり、最後の悲劇へ観客の気持ちを強く繋げることができただろう。
是清を描くとなると、当然、殉難となる二二六事件が最後の山場になるのだけれども、是清が戦ったのは、事件を起こした青年将校ではなく、その上にいる軍閥やそれを後押しする財閥であって、彼等ではない。むしろ彼らの敵と是清の敵は、同じ存在であって、青年将校は、その純朴さ故に敵を見誤ってしまった、ある意味悲劇的加害者なのである。
だから、話の進行に付随して描かれる、上官を待ちわびる2人の将校の場面は、物語の説明にはなるけれども、ある意味、全く是清があずかり知らぬところで行われていた別次元の話なのであり、是清を描くことに何の寄与もしていない。
むしろ描くべきは、政敵である当時の陸海軍大臣や、その取り巻き立ちと是清の対決であろう。正直言って、金輸出の禁止や解禁、金融恐慌を舞台で描こう(説明しよう)としても、それには無理があるので、はっきり人物として軍事費増大・大陸での戦線拡大を企む人物を登場させる方がよかったのではないか。
ただ、さすが俳優座、是清を演じる河野正明以下、原敬、犬養毅、井上準之助らの重鎮を演じる加藤佳男、島英臣、谷部央年等の配役は見事で、さすがと言わざるをえない。こういう配役も想定しながら作劇できる古川健は、劇団チョコレートとは別の作品を書ける喜びをかみしめていることだろう。
嘘 ウソ
俳優座劇場
俳優座劇場(東京都)
2020/11/07 (土) ~ 2020/11/15 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/11/09 (月) 14:00
座席2列12番
舞台を観終わって、「設定が似ているなあ。2年前に観た文学座の芝居「真実」と」、と思った。調べたら作家がフロリアン・ゼレールで同じ、2組の親友夫婦の話。何と、登場人物名も同じなのだとか。
ゼレールは同じような設定で、新たなアイデアでも浮かんだかな。「真実」は2011年作、「嘘」は2014年作。
手紙
劇団キンダースペース
劇団キンダースペース アトリエ(埼玉県)
2020/10/31 (土) ~ 2020/11/08 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/11/06 (金) 15:00
コロナ禍以降、古典劇を観たいと思い続けてきた。コロナ禍の現状を反映した新作や、福島禍と結びつけるような作品、うんざりだ。もう十分に疲れた、まだ疲れさせるつもりかと。
モームの作品、十分だ。「手紙」、イプセンほど堂には入っていないが、人間の愚かさを諦観するよい作品だと思う。
人の愚かさを描こうとするときに、共感や同情は無用だ。どうしても、情緒に流れてしまいがちになるし、悲観や哀感は下げすみを伴う。ただただ、冷徹であること。
主人公レズリーの行動に、弁解の余地はないだろう。パンフレットにて原田一樹氏が、恋愛の幻想性に触れている。が、それを説いたうえでも、その幻想性は、理性に対する感情の詐
術でしかなく、その詐術に意識無意識にかかわりなく乗っかってしまうことに、人間の愚かさを観ることになる。
「獣の時間」「少年Bが住む家」
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2020/10/23 (金) ~ 2020/11/02 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/10/30 (金) 14:00
「少年Bが住む家」
よい舞台だなあ。ここには、悩んだり、失望したりしながらも、どうにか一筋の光明を見出そうとする、強靭というわけでないけれど、けして失われない幸福への意志がある。
デファンが一四歳の時に犯した殺人の背景については、あまり描かれないが、それはそれとして彼の贖罪意識を軽微なものとさせない。むしろその事件の深淵を漂わせるように繰り返される暗転、暗闇の描写が、何物かに囚われたこの家族の悲劇をひどく私の皮膚感に刺激として残させるのだ。
「獣の時間」「少年Bが住む家」
名取事務所
小劇場B1(東京都)
2020/10/23 (金) ~ 2020/11/02 (月)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/10/29 (木) 14:00
座席I列3番
「獣の時間」
この役者陣ならば、ちょっとやそっと脚本が拙くとも、相応に魅せてしまうのだから、評価はそう悪かろうはずはない。煽情的なタイトルも、内容と相まって、よいセンスだなあとと感心する。
ただ、私がびっくりしたのは、これが新作で、日本でのこの時期、公開前提で作られているということ。何か、はあ?となってしまった。日本帝国主義批判ですか。朝鮮植民地支配下の朝鮮人差別への断罪。まあ、それもよいだろう。あるいはプロデューサーかシライケイタ自身が選んだ脚本であるとすれば、それはそれで納得したと思うのだけれど。
こうした作品は、もっともっと昔に書けたはずであり、より生々しく精緻な心理描写が観客を引き付けたのではないかと思うのだ。今これ、わざわざ書いてくる?という感想。
シライケイタの、パンフで前向きな海外舞台人との現在の交流を語っていることからして、
ホントにこの本でよかったのかな?と心配になる。別に、日韓の明るい未来を、何ていうつもりもないけれど。
朝鮮人差別も、純粋な青少年たちの心を蝕むものではなく、その純真無垢な心が融和と相互理解を進めていくのだ、という主張。その通りかもしれません。
忖度裁判
ワンツーワークス
シアターX(東京都)
2020/10/31 (土) ~ 2020/11/08 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/11/05 (木) 14:00
座席F列3番
おそらく、観劇に赴いた割と多くの人が、かの「12人の・・・」怒っていても、優しくてもよいのだけれど、を期待していたのではないかと思う。まあ、そうした法廷劇、サスペンスやミステリーではないにしても、題名からして司法制度を皮肉ったりしたコメディや風刺劇。
と、結局どちらでもなかった。何だったんでしょう。時の流行語にもなった(それで、初めて、私はこの漢字を知りました)「忖度」、裁判所が検事や世論に忖度したということは明快なのだけれど、それを皮肉ったり批判したりするのでもない。
検事側に殺人罪の適用が難しいからと予備的訴因を付けることを示唆する(敢えて、顔を立てて命令ではなく、検事側が自発的に行ったとする意図で)ところで、そうした配慮に裁判官の1人が、感情的な対応をする場面があるが、そんな目づらしいことでもないだろう。
題名や題材の解題はともかくも、観客はこの芝居をどう見ればよいというのだろう。はっきり言って、事件についてはわかるが、そこのまつわる情報量があまりに少なすぎで、裁判員の視点で観劇もできないし、裁判員たちも没個性で魅力を感じない。1号や、4号、7号のようなにぎやかしの存在も必要だと思うので否定するものではない。けれど、2号が語る「孤独」、8号が述べる「驚き」は、おそらく加害者の量刑をはかるうえで、重要な展開だと思うのだが、事件そのものが全く見えてこないので、どう受け止めてよいのか戸惑うばかりだ。3号と5号が進行を仕切るのだが、訳ありげな5号が訳ありげなままで、彼女の科会社の心情に対する共鳴が、どこから来るものやらさっぱり?
裁判官同士の確執も何に起因しているのか判らないし。
痴人の愛 ~IDIOTS~
metro
ザ・スズナリ(東京都)
2020/10/22 (木) ~ 2020/10/27 (火)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/10/26 (月) 13:00
延々と痴話げんかを見せられてもなあ。というのが感想。場面毎に過去に遡っていく展開は、確かにラストのシーンに、おそらくは現在の譲二の追慕として結実し美しい。だけれども、だからといって第一場の譲二とナオミの諍いは、何かに昇華するということでもあるまい。15歳の娘を引き取って、自分好みの女性に仕立て上げるという、現在では実現不可能な夢も、戦前ならありうるなという納得だけで、ことの結末は男女の心の行き違いで別れが訪れたということと何が違うのだろうか。
もっとだらしなく、みじめたらしく、不道徳に描けなかったものだろうか。第三場目ナオミが自我の目覚めをとうとうと主張するくだりでは、ついおまえはノラか?!と突っ込みたくなった。もっと自我とは違う何かが主張したいのではないか?なぜなら、君はすでに自由なのだから。
月船さららのお嬢は好演。これくらいは当然か。何となく抒情的にまとめられてしまった「痴人の愛」
人形による進行説明は、ちょっと反則、芝居の矮小化を招かないか。
狂人日記
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2020/10/15 (木) ~ 2020/10/15 (木)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/10/15 (木) 19:00
はっきり言って、予備知識がないとちょっと戸惑う作品だ。
タイトルが「狂人日記」なので、主人公の一人称がそのまま日記の形態をとっていると思わざるをえないのだけれど、場面の変遷を想定した舞台上は、テーブルと椅子しかない。
だから、彼がどの段階から狂人なのか、今どこにいるかからも想像ができず(まあ、間違いなく、犬のラブレターのやりとりくらいからは、おかしいと思うのだけれど)、割と序盤は気を遣う。
ただ、そこを抜けると、1時間力感溢れる松田崇ワールドに巻き込まれる。ポプリーシチンは、自らの解放のためにただただひたむきに己の人生を邁進する。たまに疑心暗鬼と屈辱にまみえることがあっても、彼は決して挫けることはない。ましてや松田氏の演技は、観客の懐疑や不信を次々に打ち消していく。ただ、物語の不安な縦糸はそのままに。
主人公が、終盤自らをスペイン国王と思い込んで、精神病院へ入れられる過程の悲惨さと、
最期に自らを犬だと信じ、舞台から飛び出していく姿の自由さは、共にうら悲しくもあり、また解放感を湛えてもおり、力強い演出(演者=演出家なのだが、これらの場面では演出家の視点が勝ったという意味)が光った。
1回上演というのはもったいない。
ただ1つ言わせてもらうと、やはり小道具は小道具だ。登場時には何の主張もなかった衣装が、話の進展とともに、驚くほどポプリーシチンの心情と境遇を表すまでに巧妙に設定されていたのに対し、やはりペットボトルとi-phoneはどうだろう。
『嵐に咲く白薔薇』『Over the wall』
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2020/09/26 (土) ~ 2020/09/27 (日)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2020/09/26 (土)
マレーネの作品はなるほど、という感じでした。
彼女全体を描き出そうとすると、やはり時間的に短すぎるし、もっと断片を切り取るような作品にするか、テンポアップして場面転換を意識した作品にしないとメリハリがない感じがします。
一方、春日野八千代はとてもよかったなあ。
警官が職務質問したら、怪しげな変装用具を持っていたという掴みはよいですし、取調室で彼女の役者としての信念を音楽に絡ませて表現する展開は、ある意味王道ともいえる(戦後という時代やタカラジェンヌとしての矜持を感じさせる)ものです。
そうか、春日野八千代はあの「少女仮面」の「カスガノヤチヨ」ですね。(月船さんので観た)
ただ、ラスト戦時中の軍需工場の友の話で終わるのは、実話かもしれませんがあまり好きにはなれません。湿っぽい。もう少し軽妙洒脱に、力強い女性を描き通して終わって欲しかったなあ。
福麻さん、さすがタカラジェンヌ、足の挙げ方からステップまで、高音がまだまだ出るし、何と言ってもスポットライト映えしますわ。
氷の下
うずめ劇場
仙川フィックスホール(東京都)
2020/10/14 (水) ~ 2020/10/15 (木)公演終了
満足度★★★★
余談:仙川フィックスホールは基本コンサート会場で、舞台上にグラウンドピアノが常設となっている。どうするのかな、と思っていたら、あれ、弾いている。「ヒュードル」でもピアノ演奏があったので、そうした才に長けている役者がいるのだな。でも、演奏は、元本それとも演出?
役名は「居内陽子」飛行機搭乗に送れることに快感を覚える女性、つまり「居ない様子」
となると「仰木待町子」は、「奥義数学」?勘違いかもしれないけれど、判る気がする。
では「光広太」は、うーん。今度、ゲスナーさんに聞いてみよう。