かずの観てきた!クチコミ一覧

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木のこと The TREE

木のこと The TREE

東京文化会館

東京文化会館 小ホール(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/13 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/07/11 (木) 14:00

座席1階

ペヤンヌさんのご厚意でゲネプロを鑑賞。世代を超えて地域の中で生きてきた大木を守ろうと、生きものたちの視点も交えて語る物語。

作者は、都市計画道路を通すために地元の大木が切られようとしていることを知る。行政はまちづくりのためと言うけれど、それは本当に妥当なことなのか。そんな問題意識からこの物語は編まれ、音楽劇として昇華させている。
音楽劇と言っても美しいメロディーが流れ続けるわけではない。存続の危機に立たされる大木の気持ちを表すかのように、時として不協和音が続いたりする。南果歩演じる主人公の少女はどこまでも明るいが、その明るさも時として物語とは不協和音を重ねるような感じもする。
天井の高い劇場であるがゆえ、舞台にしつえられた大木はより存在感を増して客席に迫ってくる。大木の思いを表す舞踏も効果的だ。おとなから子どもまでが思いを一つにして舞台を楽しむことができる。

神話、夜の果ての

神話、夜の果ての

serial number(風琴工房改め)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/07/05 (金) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/10 (水) 14:00

座席1階

宗教2世をテーマにした物語。キリスト教ふうの「メサイア」がつかさどり、入信した家族は子どもと大人に住居を分けられる。主人公は、幼い頃からこの子ども住居で暮らす少年ミムラ。母親との接触は「愛着は罪。最終的に欲望を生み、世界の平和を壊す」との教えで会うことはかなわない。

俳優は5人だけ。独白が中心となる主人公ミムラのせりふ量がすごい。しかし、よどみなく流れていく物語は、この俳優・坂本慶介の底力を示している。中央に置かれた病院のようなベッドを中心としたシンプルな演出も効果的。主人公が嫌う賛美歌のような音楽も人の心を切り裂くような役割で客席に迫る。

緻密に組み立てられた会話劇で、宗教2世の実態にスポットを当てていく舞台は見事だ。だが、あえて注文したい。宗教2世がテーマなので外れているかもしれないが、人はなぜこのようなカルト宗教に陥っていくのか、この舞台には姿を現さないミムラの母親の物語が少しあってもよかったのではないか。
1時間20分。メリハリの利いた切れのいい舞台で、満足度は高い。

【延期公演開催】エアスイミング

【延期公演開催】エアスイミング

演劇企画イロトリドリノハナ

小劇場B1(東京都)

2024/07/04 (木) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/04 (木) 14:00

座席1階

精神障害者を隔離・幽閉しておくという時代の物語。実話を基に創作されたというが、現在も精神病院に閉じ込めておくという実態を見逃している医療・福祉行政の日本では、ある意味でリアリティあふれる戯曲だ。

妻子ある男性と恋をして子どもを産んだ女性が、「社会的に不適合である」との理由で「触法精神病施設」に送り込まれる。ここで、軍人となって祖国のために戦いたいという願望を持って男として振る舞う女性と出会う。2人はバスルームの掃除を毎日1時間こなすのだが、監獄のような施設の中で一緒に作業し続けることによって、お互いを支え合うようになる。
出演者はこの2人だけ。休憩を挟んで2時間を大きく超える長さで、これだけの台本を身に着けるのは至難の業だったと思われる。イロドリノハナ主宰の森下知香、演劇集団円の研究所にいたという室田百恵。ラストシーンに近いところで森下が思わず重要な言葉を言い間違えたが、そんなアクシデント補って余りある熱演だった。この2人の演技を見るだけでも、下北沢に行く価値はある。
何十年も閉じ込められ、老いていく2人。こうした時間的な経緯をあらわす表現・演技も見事だった。2人の「妄想」は、死刑を言い渡されて長期間収容され釈放された袴田巌さんの拘禁症状を彷彿とさせる。終幕近くで明らかになる時間的経緯は、こうした人権侵害がつい最近まで英国で行われていたことを示唆する。「狂っている」「不道徳だ」と決め付けられ人生を奪われた2人が、いかようにして生き抜いてきたか。森下は「初めて読んだ時に強い感銘を受け、やってみたい、とひたすらこの戯曲と格闘してきた」とパンフレットで書いている。客席にいるわれわれも、そうした思いに共感して舞台を見つめることになる。秀作だ。

子どもと大人と食堂と。

子どもと大人と食堂と。

TOKYOハンバーグ

小劇場 楽園(東京都)

2024/07/02 (火) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/03 (水) 14:00

児童養護施設を出た兄妹の物語。保育士になった妹と、自動車修理工場で働く整備士の兄が、子ども食堂の手伝いをするまでの心の動きを丁寧に描いている。

児童養護施設に入る子どもたちの多くは、親の虐待が原因だ。この兄妹も、シングルマザーの母親が困窮し、恋人の男に逃げられないようにとわが子を意に反してネグレクトするという場面が登場する。それでも、幼い兄妹は母親と暮らしたいと訴えたが、母親としても児童養護施設に預けるしかもう、選択肢はなかった。
舞台はこの母親が余命いくばくもない状態で入院しているというところから始まる。児童養護施設を出た子どもたちはケアリーバーと呼ばれる。18歳で施設を出ていきなり自立せよと言われてもアパートを借りる、仕事を見つける、などいくつもの高いハードルを乗り越えなければならない。登場する兄妹は何とか自力で暮らしているが、兄は母親と没交渉だが妹は母親のところに通っているという状況が描かれる。この妹の胸の内が、劇の進行に伴い、兄を引き入れて子ども食堂に関わっていくという重要な心の動きになっている。

ネグレクトをする母親でも、子はずっと慕っている。外には出さなくても胸の内の奥深くにしまい込んでいる。今回の舞台が客席の感涙を絞ったのも、やはりこの兄妹の思いである。また、希望を持って劇場を出ることができるエンディングもいい。

下北沢の小劇場楽園は、入り口にドーンと柱があって、どうしても客席は左右のウイングに分ける形になる。演出は非常に難しいと思われるが、今作では柱を挟んで入り口のスペースも有効に使い、照明を駆使して場面を区切っていくなど見事な演出がなされていた。自然な会話劇であるという台本の秀逸さに加えて、舞台を途切れさせない演出。社会的な問題意識も明確で、社会的養護の関係者はもとより、児童養護施設を知らないという人たちにも是非、見てもらいたい。

地の塩、海の根

地の塩、海の根

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/07/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/29 (土) 14:00

ウクライナを歴史的、地政学的、文学的に彩った壮大なる叙事詩のような作品。スズナリという狭い客席でこの難解な戯曲と向き合うのは体力勝負的なところはある。休憩なしで2時間半を超す長さだが、よくこれだけの長さに収めたと思う。

西側の報道だけに日ごろ接していると、ロシアがウクライナの大地を一方的に蹂躙しているのが今回の戦争だ。それはそれで事実なのだが、オスマン帝国の時代から見ただけでも、この地が歴史に翻弄されてきていることが分かる。この土地に生きる人たちのありようをわかりやすく伝えるために、京都大学の講堂の来し方やそこで行われた演劇やから説き起こしたり、物議を醸した通販生活の表紙を寸劇にしたり。なるほどこの戦争を形作っているのはそういうものたちがあるのかと分かる。だが、やはり、ある程度知識を仕入れてから見た方が難解さは薄まるであろう。こうした作品を作れるのはやはり燐光群、坂手洋二のなせる業だとは思う。

戦争は国と国、民族と民族、宗教と宗教の争いであり、先に蹂躙を仕掛けた方が責任を取るべきであるという一般論を超えたエンディングが用意されている。理想論と言われるかもしれないが、やはり人間たちはもうそろそろ、ここで描かれている「海の根」に希望を託すべきではないのか。こんな思いをしっかりと抱きとめたいと思う。

その鉄塔に男たちはいるという

その鉄塔に男たちはいるという

2nd pit

小劇場 楽園(東京都)

2024/06/21 (金) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/28 (金) 14:00

座席1階

東演、文化座、テアトルエコー、グランツ。各劇団から俳優が一人ずつ集まって作ったユニットの旗揚げ公演。「刺激的な場所、実験できる場所」を求めて集まったという。選んだ戯曲は「その鉄塔に男たちはいるという」。劇団MONOの土田英生の名作だ。

舞台が進むと共に、この男たちがなぜこのような場所でキャンプのようなことをしているのか、なぜ、内輪もめのようなことばかりするのかということが少しずつ分かってくる。場所は戦場と思われる森の中で、部隊の慰問のために訪れた演劇団が戦意高揚の出し物を強いられて、メンバーのうち4人が逃走してくる。ここに、部隊の脱走兵も加わって奇妙な人間関係が出来上がっていく。
とにかくそれぞれかなり個性的な俳優たちだから、見ていて切れがあって面白い。小劇場「楽園」は入ると大きな柱があるので、演出はしにくいと思われるが、客席近くの通路や階段まで使って「偵察」などの場面を醸し出していた。
内輪もめの場面が多いのは、人と人との争いの種を連想させるからだ。つまり、戦争も小さな争いの種がどんどん大きくなって殺し合うのだという戯曲に盛り込まれた主張である。この戯曲を旗揚げに選んだこのユニットが、次にどんな舞台を見せるのかが楽しみだ。

七人の墓友

七人の墓友

ラッパ屋

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/06/22 (土) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/22 (土) 14:00

座席1階

かつて別の劇団で上演されたこの演目を見たが、やはり本家のラッパ屋の芝居だ。数多く散りばめられている珠玉のせりふを、客演を含めた座組が自然体で語っていく。この胸に刺さるせりふたちを家に帰って味わい直すために、物販コーナーで台本を買うといいかもしれない。

この台本が書かれた10年前よりも、今はお墓や関する世間の意識は大きく変わり、友人同士で樹木葬をしたり、散骨したりするという「墓を持たない」あり方が多様化してきた。葬式も親戚一族郎党ではなく、ごく小さな身内に友人を加えたコンパクトな葬儀が主流となってきた。
それは、本家とか長男とかという「家」の存在が希薄になってきたからであり、家族のあり方が多様化してきたからだ。この芝居でも登場するが、特に近年はLGBTQへの理解が広まり、性別を超えて家族を持つ考え方に違和感がなくなってきた。この芝居は、世間の風を敏感に受け止めて書かれたものだと分かる。

登場する群像のうち、「家」の象徴であるお父さんは亭主関白で、男は妻や子どもたちのために働き、妻は夫に従って家族を支えるのが当然という考えに凝り固まっている。妻は理不尽なことに不満をためながらも夫に従ってきた。だが、子どもたちは違う。かろうじて長男は家族を持って孫を連れてくるなどしているが、次男はアメリカに行ってゲイの同居人を連れてくる、長女は40歳近くになっても独身で会社の上司と不倫している、という人生。お父さんのせりふには、昭和の時代では当然のように連発されたが今では「不適切」な言葉が飛び出してくる。台本が書かれてから10年、世の中が急速に回転していることもよく分かる。

15分の休憩を挟んで2時間半の上演時間だが、一気に突っ走った方がよかったかもしれない。演出はラッパ屋らしく手作り感あふれる温かな感じで好感が持てる。それよりも何も、登場人物の多くがさりげなく語る珠玉のせりふが、とにかく胸に刺さる。もう一度、客席に足を運んで堪能したい芝居である。

おちょこの傘持つメリー・ポピンズ

おちょこの傘持つメリー・ポピンズ

新宿梁山泊

新宿花園神社境内特設紫テント(東京都)

2024/06/15 (土) ~ 2024/06/25 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/19 (水) 19:00

座席1階

新宿梁山泊は今回、力が入っていた。熱量が違う。花園神社でのテント公演、原作者の唐十郎が亡くなった直後のタイミング、そして、中村勘九郎、豊川悦司、寺島しのぶ、六平直政、風間杜夫という豪華メンバー。超満席のテント内は開幕前から熱気にあふれていた。

唐十郎が状況劇場で展開したすさまじい妄想の舞台。今回の金守珍の演出は歌舞伎テイストで彩られ、昭和の芸能スキャンダルをおもしろおかしく表現し、そしてラストにはお約束の空中戦を用意した。その金守珍が、けがで降板して代役を立てるという衝撃の発表で開幕した。
豊川悦治の「檜垣」はとにかくかっこいい。中村勘九郎はさすがの立ち回り。長ぜりふも流れるようにきっちりこなす。一方で、せりふに詰まった風間杜夫は客席の拍手で立ち直るという場面も。寺島しのぶは単にセクシーなだけでなく、上下の声色を使い分けて「カナ」の七変化を展開し、客席を魅了した。花道を間近で走り抜ける寺島には鳥肌が立った。
チケットは発売直後から売り切れているそうだが、終幕後の役者紹介ではいつも通り「SNSなどで宣伝を」とやって客席を笑わせた。状況劇場で唐とアングラ舞台を作り上げてきた金守珍が梁山泊を引っ張っていっている限り、またこのような見事な舞台は再演されるだろうし、梁山泊の次の世代がまた違ったテイストで再現していくだろう。今回は、いつもの主役級の水嶋カンナなどが脇に回って盛り上げているところも希少だ。令和の時代に息づくアングラ劇を目撃すべきだ。

水彩画

水彩画

劇団普通

すみだパークギャラリーささや(東京都)

2024/06/17 (月) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/19 (水) 14:00

座席1階

マチネの回だったので、隣のカフェは営業中。その店内音楽がちょうどいい具合に聞こえてきて、いいバックミュージックになっていた。舞台は茨城県内のちょっとしゃれたカフェ。ここで、両親と娘夫婦の4人組み、そして若いカップルの双方の会話劇に注目するという趣向。劇団普通定番の全編茨城弁の舞台だ。

双方のテーブルの会話がクロスするわけでなく、実際にカフェで行われている会話のようにそれぞれ独立している。ただ、双方の会話が重なるところは少なく、話が重なって聞きにくいということはない。
会話の中身は、そのような立場になった人なら一度は経験したことがあるような話で、客席は共感できる。若いカップルは地元で同棲中で近く所帯を持とうとしているが、この二人が、東京に出て行ってしまって愛想がない同級生を非難するような場面もある。首都圏とは言いながら東京の吸引力に翻弄される若い世代の思いが少し、興味深い。首都圏以外から東京に出てきた人には「そんな思いもあるんだ」という気付きになるかもしれない。

劇団の名前の通り、普通の会話劇が進んでいき、盛り上がるところは少ない。だが、普通の会話を会話劇にするのは恐らく、相当高度なテクニックが必要なのだろう。劇団普通も経験を重ね、しっかり若いファンをつかんでいる。普通の会話劇にクスッとしたり、共感したり。こうした演劇体験をさせてくれる劇団やユニットはそれほど多くない。

ただ、工夫が必要と思うところもある。普通の会話劇の締めくくりの仕方は、「普通」では落胆する人もいるのではないか。舞台も後半になると、「この会話劇はどんな終局を迎えるんだろう」とソワソワしてしまうが、そういう意味では肩透かし。劇団普通の作品では、ヒット作「病室」の方が楽しめる(近々再演もあるそうだ)

地の面

地の面

JACROW

新宿シアタートップス(東京都)

2024/06/14 (金) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/15 (土) 14:00

座席1階

今回のJACROWは地面師がテーマ。地面師とは、土地の所有者に成り済まして買い主から売買代金をだましとるグループで、著名な企業も被害者になっている。これは見なければと思い、新宿に出かけた。
自分はタイトルだけをみて、地面師グループたちの群像劇かと思っていた。土地売買に関わるさまざまな書類を巧妙に偽造し、本物の所有者を装う詐欺の手口は実に複雑怪奇である。これをどう描くかと思っていたら、地面師にだまされた大手不動産会社の幹部たちの群像劇であった。それならば、これまで会社を舞台に客席の目をくぎ付けにする会話劇を提供してきた中村ノブアキのフィールドだ。結論から言うと、いつもにまして面白さに目を奪われる出色の出来だった。

この舞台には、おじさんたち男性俳優しか登場しない。ここもこれまでのJACROWと少し違うところだが、違和感を感じないどころが実にぴったりとくる。まず、冒頭がすごい。おじさんたちのダンスシーンから開幕するのだが、これがいすとりゲーム。会社内の派閥抗争のメタファーともとれる。ダンスは劇中、何度も出てくるが、これも意外なほどに違和感を感じない。
大手不動産会社をだます手口とはどんなものかというところに興味を持って見ると、それほど込み入った手口の描写があるわけではないので少し物足りないかもしれない。だが、これが大手企業内部の派閥抗争という視点で見ると、やっぱりJACROWらしくて面白い。

ラストシーンに至るところが最大のヤマ場であり、予想外の展開に刺激される。いつもの強烈な会話劇にダンスシーンが加わってパワーアップした今作。見ないと損するかも。

ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

ハロウィンの夜に咲いた桜の樹の下で

劇団扉座

座・高円寺1(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

座席1階

「桜の樹の下で」というのがキーワードだ。「ああ、今日はいい夜だ」というせりふがあるが、小春日和(夜だけど)の中で、季節外れで咲いてしまった桜が舞い散る。ごちゃごちゃに絡んでしまった複雑な人間関係の糸が、ぱあっとほどけていくような爽快感。そんな思いに共感できるいい舞台だった。

冒頭は結構衝撃的だ。大酒飲んで家に帰ってきて居間で眠り込んでしまった中年男性。目が覚めるとなぜか、全身パンダの着ぐるみでパンダメークまでしていて「なんだこれは」と絶叫する。それもそのはず、前夜の深酒がたたり、たまたま立ち寄ったスナックでハロウィンのコスプレをしたことを全く覚えていなかったからだ。さらに、居間の片隅で見知らぬおじさんが寝ていた。何とこの人、深酒した自分をマンションの部屋まで連れてきてくれたのだという。
そればかりではない。舞台が進行するにつれ、次々に見知らぬ人が訪ねてくる。その人は誰なのか、何で訪ねてくるのか。どうも前夜のことと関係があるようなのだが、はっきり思い出せない。それは恐怖であるに違いない。
しかし、舞台の進行と共に、実はそんなに悪くない出会いであると解き明かされていく。最終的には前向きな気持ちで次のステップを踏んでいけるというところが扉座らしい。もっとも、こうした物語の展開は横内謙介の妄想の産物なのだが、誰もが経験があるような妄想を劇作にしてしまう才能、やっぱり劇作家の思考回路だ。

テーマソングは「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」。かまやつひろしのこの曲を座高円寺で聴けるとは思わなかった。この曲が流れていたとき、自分もまだ、この曲のいい味を分かる年齢ではなかったのだが、若き扉座ファンにとってはムッシュと言われてもピンとこないであろう。

その先の凪

その先の凪

チーム・クレセント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2024/06/06 (木) ~ 2024/06/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/08 (土) 15:30

座席1階

病気で亡くした息子の生きた証を、とある喫茶店を舞台に老夫婦が少しずつ取り戻していく物語。起伏があったり悲劇的な出来事が起きるわけではない。淡々と進む会話劇に、客席は劇の途中から涙が止まらなくなる。見事な舞台だった。

女子高校生やその先生など、客席には日ごろ演劇とは無縁そうに見える若者たちがたくさんいた。出演者の関係者なのだろうか。その女子高校生たちはハンカチを握り締めながら食い入るように舞台に見入った。それほど強い力を持った演劇だった。
物語は、ザムザの客席入り口から夫婦が喫茶店に入ってくるところから始まる。そこで待ち合わせしているのは、特別な人のようだ。明らかに緊張している夫婦。遅れて現れた女性は、夫婦の息子と23年前に別れた恋人だった。
息子が電話でどんなことを話していたか。夫婦は亡くなった息子の面影を追うように質問を重ねる。女性は真摯に質問に答えていく。だが、聞いていると夫婦の方が明らかに少し「うしろめたさ」のようなものをまとっていることが分かる。劇中でそれがどういうことだったのかが少しずつ明らかにされていく。
コロナ禍の最中に亡くなった場合、コロナウイルスが直接の死因でなくても、遺体は防護服のような袋に詰められ、遺族は火葬場にも行けず、遺骨が戻ってくるだけだった。この息子もそのような形で両親の元に帰ってきただけに、やり場のない怒り、悲しみが夫婦を包んでいた。それだけに、恋人であった女性の語りは老夫婦にとってとても大切なものだった。
つい最近のコロナ禍を私たちはもう、忘れているかのようだが、コロナ禍が大切なものをたくさん奪っていったことを舞台は静かに記憶していく。23年前の悔恨が決定的なことであっただけに、コロナ禍最中での息子の死は、両親には堪え難き経緯だったのだ。
この脚本は、「逆縁」を描きながら先に旅立っていった息子の知られざる思いを浮き彫りにしていく。息子がいかに彼女のことを思っていたかが会話が進むごとに色濃く客席に届いていき、涙が止まらなくなる。
とても静かであるが効果的な演出が、見事な脚本を際立たせる。本当にすばらしい会話劇だった。



阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00

座席1階

客演の音無美紀子のための舞台であるといっても過言でない。それほど全編にわたって圧巻の演技、存在感だった。彼女の求心力に触発されたかのように、脇を固める劇団員たちが輝いていった。

今回は、日本の民俗伝承、逸話に出てきそうな生け贄・人柱伝説がテーマ。地域の平穏のために、親亡き子や障害を持つ子らを生け贄として育てるという伝説で、サジキドウジはこれに「阿呆丸」という名を冠して物語にした。戦争の足音が近づいている昭和初期が舞台だ。
音無はこの「阿呆村」の女頭目の役。山の神様から動物の命をいただいて生計を立てている九州の山村で、女頭目の息子、その孫という家族、狩猟をなりわいとする村の男たち、隣町からやってくる火薬問屋の娘など、村を舞台にした人間関係が、山深き地に計画された戦争物資の輸送のための鉄道建設をきっかけに大きく変化していく。
舞台が進んでいくと、「生け贄」は古き時代の民俗伝承などではなく、まさにお国のために命をささげる戦争のことだと分かってくる。直接それに言及するような場面があるわけではないが、メタファーとして物語を支えている。ここがサジキドウジのすごいところだ。
もう一つ、いつも注目の舞台美術。今回は派手な演出ではないものの、十分に客席を満足させる出来栄えだ。そのテーマカラーは赤。舞台が真っ赤に染まる中で、役者たちの絶叫に客席の目はくぎ付けになる。
今作も、ファンとしては見逃せない仕上がりだ。サジキドウジの世界観に没入できる秀作と言ってよい。

デンギョー!

デンギョー!

小松台東

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2024/05/31 (金) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/05 (水) 14:00

座席1階

小松台東で作・演出をする松本哲也は宮崎県の出身。パンフレットには電気配線工事会社の広告がさりげなく載っていたりして、これと松本の関係が気になる。彼はここで今作の取材をみっちりしたのだろうか。全編宮﨑弁で構成された今作は3度目の再演。小松台東のヒット作だ。

宮崎県にある小さな電気配線工事会社「宮崎電業」。現場に出る作業員たちの控室が舞台だ。冒頭、ここに現場上がりの営業部長が背広の男を連れてくる。東京で銀行に勤めていて故郷に戻った男だが、執行役員として迎えるという。下請けを含む作業員たちは「聞いてないよ」というけげんな表情で険悪なムードになる。
この物語の陰の主役は宮崎電業の社長だ。人情に厚く社員と意思疎通をし、とても慕われていることが分かる。そして、今は入院中とか。これについても、作業員たちはきちんと伝えられていないようで、営業部長への不満が際立つ。特に、同期である現場主任は面白くない。
「陰の」としたのは、この物語で社長は舞台に登場しないからだ。社長を中心に人間関係が続いていたこの小さな会社が、社長の入院という事態に少しずつひびが入ってくる。作業員同士の関係、営業サイドとの溝、社内結婚をしたベテラン女子社員と、ひとり親でぐれかかっていたところを社長が入社させた若い女子社員。それぞれの登場人物のつながりやお互いの感情が、縦糸になり横糸になり編み合わさっていく見事な会話劇が楽しめる。

社員のプライベートなことを堂々と先輩社員が詮索して語らせるなど、今ならパワハラかセクハラみたいになる昭和の雰囲気がとても温かく感じる。執行役員として入った男は暇を見ては控室に来て人間関係を結ぼうとするが、職人かたぎの作業員たちには「元銀行員=エリート」という先入観や、何といっても「宮崎✕東京」という都会への怨嗟の壁がある。だが、執行役員の男は何回もぶつかりながら壁を壊そうとする。その愚直な行動が、とても感動的で胸に刺さる。

現場を抱える小さな会社の本格的な会話劇は異色であろう。だから、3演でもお客さんは満足する。今日は平日の昼間、しかも三鷹という少し足場の悪い(劇場には失礼だが)ところだからかもしれないが少し、空席が目立った。だが、この芝居は三鷹からバスに乗っても見る価値がある。お勧めだ。

スマイル フォーエバー

スマイル フォーエバー

熱海五郎一座

新橋演舞場(東京都)

2024/06/02 (日) ~ 2024/06/27 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/03 (月) 13:30

座席1階

公演中に87歳になる伊東四朗が登場。NHKドラマ「老害の人」でも見事な主役を務めた印象が強く、そのレジェンドを生で見るだけでも行く価値があるのかも。三宅裕司が若手に見えてしまい、いつもと違う熱海五郎一座を楽しめる。

サブタイトルに「魔法」とあるが、舞台美術など「ハリーポッター」のパクリというのがまず、目を引く。前段から魔法学校のシーンが登場するが、一座のやや高齢の役者たち(渡辺正行や小倉久寛ら)が学ぶのは「定時制」となっていて、これが秀逸なパクリなのである。では、校長先生はダンブルドアかというと、これが若い女性なのだが、せりふの端々に昭和でないとわからない単語が登場し、若返りの魔法を自らかけているという落ちも強烈だ。
ゲストの松下由樹は都知事の役。役名からして小池百合子のパクリであるのは一見で分かるが、都知事室のツタンカーメンの飾りは何だ。これは小池知事の「カイロ大学卒業疑惑」を笑っているというのも一発で分かる。この舞台で笑い所の数は星の数だが、一番笑えるのは小池知事を揶揄したギャグであるのは間違いない。現実世界では都知事選も近い。はたして本島に出馬するのか。最後の方は、松下由樹が小池百合子に見えてくる。ここはさすがの名女優と言わざるを得ない。

主役の伊東四朗は冒頭から登場し、いつものゆっくりとした調子で立ち回る。突然黙ってしまうところが何度もあるが、これはせりふが飛んだのか、あるいはそういう台本なのかは見ていても分からない。仮に飛んだということだったとしたら、周囲の役者が絶妙にカバーしているからである。喜劇のレジェンドへのリスペクトがあふれている。
老齢をギャグにしたところはあまりなくて、そこは少しホッとしてみていたら、後段でちょっと驚かされる場面もある。本人がどう思っているのかは分からないが、死ぬ瞬間まで喜劇役者でいるぞという決意表明にも見えた。

昨日が初日。千秋楽は今月27日で連日のように公演がある。この長丁場をレジェンドが無事に駆け抜けていくのかどうか。お体を大切に、頑張ってください。

ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中

ケエツブロウよ-伊藤野枝ただいま帰省中

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/05/30 (木) 14:00

座席1階

大杉栄とともに憲兵に殺害された伊藤野枝を描いた舞台や映画は多数ある。だが、故郷の福岡県の海辺にあった実家を舞台にした演劇はあまりないだろう。マキノノゾミの脚本は、全編実家を舞台にして野枝の人生を描いている。

地元の資産家に授業料を出してもらって東京の女学校を卒業したが、決まっていた地元男性との結婚が嫌で実家を飛び出し、身を寄せた女学校の恩師と結婚してしまう。2人の子どもに恵まれるもこの恩師を捨てて、大杉と一緒に暮らし始める。大杉との間には5人の子どもがいる。男の浮気は甲斐性なのに、女は姦通罪で処罰という理不尽さに全力でぶつかっていく野枝。女性は貞淑な妻として男性の陰で尽くしなさいという家制度に立ち向かい、自由な恋愛で人生を生き抜いていく。実家が舞台であるので東京の青鞜社とか無政府主義とかいうところに強くスポットが当たらない分、野枝の女性としての人生がクローズアップされている。

パンフレットの見開き写真には、丘の上のような山中に巨大な石が横たわっている。写真説明には「故郷を見下ろす山に置かれた伊藤野枝の墓石」とある。木の墓標が嫌がらせで倒されたり引き抜かれたりしたので、義理のおじさんが「これでも倒せるならやってみろ」と言わんばかりの巨石を墓標にしたとのこと。こんなエピソードがあるとは知らなかった。舞台でもこの巨石が登場する。極めて印象深いシーンだ。

伊藤野枝という人は当時の常識に真っ向から歯向かったのであるが、エキセントリックな物の言い方をする人だったのだろうか。舞台を見ていて一番気になったのはこの点だ。怒鳴る、叫ぶ、大声でののしる。そういう人ならいいのだが、伊藤野枝の印象操作になっていないか、疑問に思わないでもない。

ネタバレBOX

巨石はラストに登場するのだが、そのバックミュージックはレッドツェッペリンの「天国への階段」だ。とてもいい選曲だ。野枝の人生を締めくくる葬送の曲をじっくりと聴いた。
マーヴィンズ ルーム

マーヴィンズ ルーム

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/05/28 (火) 14:00

座席1階

メリル・ストリープ、ダイアン・キートン、レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロなどそうそうたるメンバーが出演した映画「マイ・ルーム」の原作。マーヴィンというのは、認知症とみられる症状で寝たきりの父親の名前。この父親と、同居する伯母を一人で介護する姉と、若いころに家を飛び出して結婚し、今はシングルマザーとなって2人の息子を育てる妹の心模様を主に描いた名作だ。

劇団昴は、これを田中壮太郎による新訳・演出で2時間余りの舞台に仕上げた。田中は「ラビット・ホール」でも昴とタッグを組んでおり、ラビットホールがすばらしい出来だったので期待して出かけた。
妹の2人の息子は、上の子が家に放火をしたとして少年院に入り、下の子もひ弱な感じがする少年。何年も連絡を取っていない妹一家に連絡したのは、姉が白血病と診断され、骨髄移植のための検査を受けてもらうためだった。だが、妹一家も問題を家庭内の問題を抱えて行き詰まったところがあり、姉との確執もある。こうした複雑だがどこにでもある家庭の問題を、舞台は丁寧に描いた。

舞台の中心は姉妹の関係性の変化だ。骨髄移植のドナー探しは簡単ではない。「自分は検査を受けるとは決めていない」とうそぶく(妹の)上の息子だが、姉との会話を重ねるにつれて少しずつ心を開いていくところがいい。大きな盛り上がりとか情勢の変化がない物語を新たに翻訳して練り上げていった試みに、拍手を送りたい。

まほろばのまつり

まほろばのまつり

劇団匂組

座・高円寺1(東京都)

2024/05/22 (水) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/05/26 (日) 14:00

座席1階

舞台の案内には「平家落人伝説の残る、信州・木曽の架空の村」とあった。平家落人伝説と言えば、長野県最南端、飯田市の遠山郷。急峻な山あいにへばりつくようにしてある村で、さまざまな神事が今に伝わっている。作者である大森匂子がどこの村をイメージして書いたかは不明だが、自分はこの遠山郷を連想しながら見た。

冒頭に出てくる踊りはおわら風の盆を思わせるような感じだ。旅芸人の一座で身重の女性がこの山村に捨てられ、村の名家の男が嫁として「拾って」、生まれた娘を育てる。この女性、娘、そして男の母親。3世代の女性をめぐって物語は展開する。東京の大学から学術調査に来たという男を狂言回しに、焼け野原の東京が五輪を開くまでに急成長して地方の人々を引きつける時代を表現する。さらに、東京に出るということと、信州の山深い集落に生きるということを対比させ、3世代の女の胸の内を描いていく。

演出の力量だろう。この舞台はシンプルで美しい。よく取材されている信州弁も効果的だ。山深い地域の方言のためか、信州に少し暮らした経験のある自分も何を言っているか分からないところが多々あった。しかし、この舞台はやはり、信州弁でないと美しさが表れてこない。

この舞台が信州のどの地域をモデルにしたのかは、あまり重要でないのかもしれない。「木曽路はすべて山の中」と島崎藤村は書いた。山の中で生き抜く人たちに思いをはせる、いい舞台だった。

オットーと呼ばれる日本人

オットーと呼ばれる日本人

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/05/17 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/05/21 (火) 13:30

座席1階

休憩を挟んで4時間近くに及ぶ3部構成の大作。1962年に木下順二の本作が宇野重吉の演出で初演されて以来、四演となる。劇団民藝の歴史を裏打ちするような作品だ。

ゾルゲ事件で死刑となった元朝日新聞記者であり、近衛内閣の嘱託という顔も持つ尾崎秀実(ほつみ)の物語。コードネームがオットーだった。尾崎がジョンスンと呼ばれていたゾルゲの名前を知ったのはかなり後になってからだったというし、当たり前かもしれないが尾崎自身もスパイであることを「略奪婚」までした妻にも打ち明けておらず、スパイというのはこういうものなのかと考えてしまった。

長編ではあるがとても興味深い物語であり、初見の自分はずっと食い入るように見てしまった。まるで大河ドラマを見ているような感じがした。コードネーム「スン夫人」のアメリカ人ジャーナリスト、「ジョー」というアメリカ帰りの日本人画家。ユニークな登場人物が多く、満州事変後の歴史を思い起こしながら、表裏のある人生を歩んだ人たちに何だか親近感を覚えた。
特に第一幕の上海編だが、登場人物たちは潤沢な資金でリッチな生活をしており、彼らが目指した共産主義も結局は庶民のためのイデオロギーではないな、と痛感させられる。政治の舞台とは、そういうものなのだ。

劇団民藝のDNAともいうべき作品だが、高齢者が圧倒的に多い客席にはこの長編は体力勝負でつらいところが多い。会話についていけず眠り込んだり、幕間の休憩で携帯の電源を切り忘れて第三幕ではあちこちで呼び出し音が鳴ったり。この名作を次世代にどうつないでいくか。前回の上演から20年を超えての再演だが、次の20年越しの再演はあるのか。客席と共に頑張っていかねばならないな、と劇場を後にした。

略式:ハワイ

略式:ハワイ

劇団スポーツ

OFF OFFシアター(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/05/19 (日) 13:00

座席1階

パンフレットによると、元は「劇団スポーツ」がまだ学生劇団だったころの2017年に、本公演で発表した3人芝居だったという。今作はそのタイトルを借りて新たに創った舞台。ハワイというのは修学旅行の行き先だが、今作のメーンではない。舞台の中身は、パワハラ顧問教師の暴力から逃げたいと剣道部からの退部を決意した男子高校生とその同級生たちの物語。

まず、秀逸なのは舞台の小道具だ。開幕前からしっかり公開してあるが、黒板を横に切った板にチョークでさまざまなことが書いてある。例えば上演時間とか、携帯の電源はオフに、とかなのだが、舞台が始まるとこれらが重要な役割を果たすようになる。黒板というのが高校生らしくていい。
しつらえた舞台セットは運動部の部室で、部室によくあるアイテムが棚に並んでいるのが楽しい。その中でも一番下にお汁粉缶がたくさん並んでいて変わってるなと思ったら、これも劇の中で重要アイテムとして脚光を浴びる。同じようなことはウクレレも。タイトルがハワイなのだから置いてあるかと思いきや。。。
さて、物語の構成は、少し前の人気ドラマ「ブラッシュアップライフ」を彷彿とさせる。つまり、あの時はこういうふうな状況を選んで失敗して後悔したから、それを回避するためにこっちの状況を選んでやり直そう、という展開だ。これが果てしなく繰り返されてきて見ている方は最後、何が何だか分からなくなるのだが。
とにかく笑いのポイントはしっかり埋め込んであって、結構大声で笑っている客席のおじさんもいた。「後悔してやり直す」ことができないのが青春、学校生活なのだが、やり直しを何回も成し遂げてしまっているというところはもはや、妄想だ。そしてこの妄想の展開が爆笑の連続という寄せては返す波のように客席を沸かす。そう、波である。なんてったってハワイなのだから。

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