太鼓たたいて笛ふいて
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/11/01 (金) ~ 2024/11/30 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/11/06 (水) 13:00
座席1階
放浪記で知られる林芙美子の物語。放浪記では貧乏を売り物にしている、戦時中は軍部の手先となって文章を書いて国民をあおった、とさまざまな批判を浴びている彼女の苦悩や、戦後に彼女が取った行動などをうまくまとめた音楽劇(ミュージカルの要素が強い)。とてもおもしろかった。
こまつ座では何回も上演しているというが自分は初めて。林芙美子役の大竹しのぶ、売れっ子だった芙美子に「流行歌の歌詞を書いて」と登場する加賀四郎を演じた土屋佑壱が特にすばらしかった。二人の歌唱には引き込まれた。
演出もテンポがよく、笑いを誘うシーン(と言うより演出)が随所にあって、まじめな栗山さんとは思えない(失礼)軽快さ。その演出に、6人の出演者が実によく応えていると思う。15分の休憩を挟んで3時間あるが、長さを感じさせない切れ味だった。
戦時中のメディアは特高警察の目も光っていて、結局国民を戦争に駆り立てる記事を書き続けた。それはきちんと罪を背負い、反省し、2度とそのようなことがないように肝に銘じなければならない。林芙美子が後段で見せた反骨は、自分たちにそれを示している。
ユタと不思議な仲間たち
浅利演出事務所
自由劇場(東京都)
2024/10/31 (木) ~ 2024/11/16 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/11/01 (金) 13:30
座席1階
芥川賞作家三浦哲郎が子ども向けに書き下ろした作品。劇団四季や浅利演出事務所が再演を続けている。名曲「友だちはいいもんだ」は小学校の合唱曲にもなっている。
東京から青森に転校した勇太。地元の子に激しいいじめを受けるが、貧しさ故に子守りをしながら学校に通う小夜子と寅吉じいさんだけが勇太を励ます。勇太は寅吉が話をした5人の座敷わらしに会い、友だちになる。ひ弱なところを気に病んで内向きになっていた勇太が、座敷わらし5人との交流で少しずつ自信を付けていく。
全編南部弁で展開されるが、勇太の標準語が浮いてしまっているように聞こえるのが、よそ者扱いされ孤立する勇太を物語っていることで効果的だ。役者たちは浅利メソッドでゆっくりはっきりの発音。ダンスも含めた役者の動きは正確で切れもいい。
ただ、冒頭のいじめシーンは舞台上の演出とは言え激しい暴力で胸を痛めた。小さな子どもも見る舞台だから、少し考えた方がいいのではないか。
チケットはほぼ完売。固定ファンが多いのは分かっているのだが、カーテンコールが一区切り付いたところで一斉に立ち上がってのスタンディングオベーションはお約束なんだろうが、一般客にはやや違和感を感じた。
いびしない愛
(公財)可児市文化芸術振興財団
吉祥寺シアター(東京都)
2024/10/25 (金) ~ 2024/10/31 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/28 (月) 18:30
竹田モモコはしばらく前から注目していた劇作家だ。今作は、2020年の劇作家協会新人戯曲賞を受けた作品。しばらく前に彼女の演劇ユニットばぶれるりぐるの「川にはとうぜんはしがある」をやっていたが見逃してしまったので、期待は膨らむ。高知県出身の新進気鋭の劇作家の受賞作が東京で見られるなんてラッキーと思いながら吉祥寺に出かけた。
これまでの竹田の作品は、自らの出身地の方言幡多弁を駆使して構成したものが多い。「いびしない」とは汚いとか散らかっているとかいう意味だそうだが、その真意はネイティブの幡多人でないと分からないかもしれない。劇中で展開される方言も自分には分からないものがいくつかあった。しかし、劇団普通の茨城弁のように、方言を多用した舞台はどこか生活感があってホッとできると思う。今作も冒頭から結構手荒な場面があるのだが、大ごとにはならないぞという感触がどこかにあるような感じだった。
登場人物は、かつお節工場(ふし工場)の経営を引き継いだ二人姉妹の妹と、離婚して戻ってきた姉、従業員たちという少人数。姉妹の間の「愛」がいびしないかどうかはともかく、この姉妹の間にある微妙な葛藤を追いかけていくことで「いびしない」を感じていけるのだと思う。
今作は、多くの障害がある人たちを登場させている。まず、姉は左手が不自由。一緒に育ってきた妹は姉の障害をカバーするようなところがあるから、いわゆる「障害のきょうだい児」だった。従業員には知的障害と思われる男性がいるし、舞台が始まる前にふし工場の従業員のような出で立ちでお菓子を食べていた男女は手話通訳者だった。これらがごく普通に、自然に描かれているところに好感が持てた。
新人戯曲賞の最終審査を担当したマキノノゾミが自ら演出を切望したという舞台。工場事務所の扉の開け方などの演出が、会話劇にメリハリをつけて一気にラストまで行けるという感じだ。
紙ノ旗
劇団文化座
文化座アトリエ(東京都)
2024/10/19 (土) ~ 2024/10/26 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/23 (水) 14:00
座席1階
久しぶりのアトリエ公演。今作は地方議会で子育て中の若い女性議員が書いたブログの記事をめぐる議員たちの群像劇。結論から言うととても面白かった。国会にも通じる、地方議員たちのメンツのぶつかり合いなどが現実に近い形で描かれている。劇作家の内藤裕子が実によく取材し、練り上げた物語だ。
この女性議員は、子育て期間中に議会を欠席することを容易に認めようとしない保守系会派の長老議員たちを揶揄して「おっさん」と表記し、議員たちの怒りを買う。謝罪と記事の訂正をすれば矛を収めてやるという議員らに、女性議員は「訂正するつもりはない」と突っぱね、代表者会議は紛糾する。
古株の女性議員が上から目線で懐柔しようとするところなど、結構リアリティーがある。これは性別の問題ではなく、世代の問題だ。だから「子育てには代わりが利くが、議員の代わりはいない」という発言を受け入れられない。だが、世の中は既にその方向に流れている。昭和のオジサンたちが置いてけぼりになっているのが痛々しい。いつまでも自分たちの常識で物事を判断してはいけないのだ、つらいことではあるが。
ただ、この女性議員と仲の良いフリーライターが代表者会議を傍聴し、不規則発言をして退場させられるというエピソードは疑問だった。この記者は完全に女性と一体化していてメディアとしては一方的なスタンスだし、そもそもアジテーターのような振る舞いをするなんてあり得ない。同じように記者を登場させるにしても、もう少しスマートにオジサンたちを追い詰めるようなキャラクターにしてほしかった。
また、この女性記者もブログで挑発するような表現、つなり「オッサン」などと揶揄するのはどうなのか。もちろん、言論の自由があるから書くのは自由なのだが、言われた方が激怒して引かなくなるのは目に見えている。
とまあ、突っ込み所はあるのだが、地方議会の実態を舞台で知ってもらういい機会。こうしたテーマが舞台で上演されるのはあまりないし、エンタテイメントとしてもおもしろい。
ジャガーの眼
新宿梁山泊
赤坂サカス広場 特設紫テント(東京都)
2024/10/14 (月) ~ 2024/10/23 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/10/21 (月) 18:30
金守珍によると、赤坂でテント演劇をやるのはTBSの協力があったためという。最終シーンの借景はローマ字の赤坂に梁山泊の?Rの電飾で、花園神社の暗い空間とはまったく違う風景を目撃でき。
寺山修司のレクイエムとして唐十郎が書いたというこの戯曲を唐十郎追悼として新宿梁山泊がやるのは、歴史がつながっていると感じられてとてもいい。最初の数日は若手中心の構成、そしてその後に主要メンバーによる上演。ここでも、寺山や唐の系譜を引き継ごうという意気込みを感じた。
真っ赤なりんごがキーアイテムになっているなど、寺山のオマージュがそこかしこに。そうした小道具もさることながら、やはり楽しいのはメンバーたちの迫力ある演技だ。特に、大鶴義丹は背負うものが違うためか、とても鋭い切れ味。水島カンナも今回、重要な役回りをきっちり務め、歌唱もよかった。
でも、借景は花園神社に軍配かな。
ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~
劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)
サンシャイン劇場(東京都)
2024/10/17 (木) ~ 2024/10/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/21 (月) 13:00
座席1階
スーパーエキセントリックシアターは45周年。カーテンコールのいつものトークで、三宅裕司は50周年まで頑張りたいと宣言した。小倉久寛も70歳だ。ぜひ、頑張ってほしい。
今作は、学生運動とロカビリーブームの時代にタイムスリップする物語。自分から見ると一つ上の世代の話だが、子ども心にもあの激しい安保闘争は記憶に残る出来事だった。客席は比較的高齢者が多かったのですっと理解は進んだと思うが、20代~Z世代などはちょっと感覚がつかみにくかっただろう。ヒロインの女の子は田舎から集団就職で出てくる設定で、そもそも集団就職というワードが分からない。仕方のないことだとは思うが。
今作も踊りあり歌唱ありのSETらしい舞台だったが、これまでより三宅と小倉の掛け合いが少ないような気がした。SETの若手に劇団を引き継いでいくための助走でもあり、70代のメーンの二人の負担を減らしているということでもあるだろう。心なしか、三宅のトークにも切れがないように感じたのは、自分の三宅へのノスタルジーであるかもしれない。
SETが50周年に向けてどんな舞台をつくっていくのか楽しみだ。応援を続けたい。
夢劇アンソロジー『イースト・すみだ・ストーリー6~校外学習とコラボレーション!~』
劇団扉座
すみだパークギャラリーささや(東京都)
2024/10/17 (木) ~ 2024/10/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/17 (木) 18:30
座席1階
扉座が50歳以上を対象に募っている「大人の演劇部」の公演。この前「ご長寿ねばねばランド」という演目を見てなかなかの出来だと思ったことを思い出した。今作はバス停を中心に置いたオムニバス。タイムスリップものや青春時代の回想のような、シニア俳優には演じやすいと思われる筋立てだった。
笑わせる部分もたくさんあって飽きさせないのは、扉座テイストだ。昭和時代の歌謡曲もたくさん使い、ノスタルジーあふれる作り。お客さんも同年代の人が多くそれなりに満足のいく出来栄えだったのではないか。ただ、この前の「ご長寿」に比べると学芸会っぽい感じがしたのは改善の余地ありか。
芭蕉通夜舟
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/10/14 (月) ~ 2024/10/26 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/17 (木) 14:00
座席1階
芭蕉役の内野聖陽が4人の若手俳優を黒子として演じる俳聖の一代記。パンフレットによると「自分は汗かきだから」とは言いつつ、この舞台のために坊主頭にしたことを述べている。テレビなどで引っ張りだこの俳優だが、こんな一人芝居もこなせるんだと新しい顔を見つけた感じがする。
12年ぶりの再演という。奥の細道の旅路が後段のメーンとなるが、俳句が和歌に比べて一段下に置かれていた当時の状況への怒りとか、俳句は天から降りてきたものをいただくという姿勢などは、芭蕉のことをちゃんと学んでいなかった自分には新鮮。内野は冒頭からユーモアを交え、自分がこの役を受けるに当たっての経緯から説明。時に単調になりがちな旅路の紹介を細かく場に分けてメリハリを付け、おやじギャグなどを散りばめた演出で客席を楽しませた。
ただ、あまりにもおやじギャグっぽい笑いが続き、高齢者はともかく年齢の若い観客にはどうだったか。とは言え、内野聖陽という俳優の魅力を再発見できるいい舞台だった。
ビッグ虚無
コンプソンズ
駅前劇場(東京都)
2024/10/16 (水) ~ 2024/10/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/16 (水) 19:00
座席1階
作・演出の金子鈴幸の壮大な妄想ワールドが炸裂する。ラストに近づくにつれ収集がつかないカオスとなり、これはどう幕を引くのかと思いながら舞台を凝視、その結末は。カオスが加速し、幕を無理矢理引いたような状態になった。それが画竜点睛を欠くという感じもした。
ハプニングバーを舞台とした設定が面白い。男3人で訪れ、自称「童貞キャラ」の男がそこにいた女性を口説く場面から始まる。やりたいという思いを見せ隠ししながら男が懸命におかしな言葉を速射砲のように浴びせる場面でまず笑わせる。その後は、時事ネタを絡ませながら爆笑を誘う場面が何度も訪れる。
2時間弱の舞台で思い切り笑いたいという人にはお勧めだ。超絶面白いギャグもいくつかある。そして、舞台は一直線にカオスに向かっていく。
よかったのは、女性俳優陣だ。特に、安川まりと星野花菜里は実直に体当たりの演技を見せてくれる。
若者たちに大人気の舞台。客席と一体になった盛り上がりを体験できる。
兄妹どんぶり
劇団道学先生
新宿シアタートップス(東京都)
2024/10/09 (水) ~ 2024/10/15 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/10/10 (木) 14:00
座席1階
登場人物それぞれがもれなく個性豊かで、一人ひとりに物語がある見事な群像劇。これが作者の中島淳彦の真骨頂なのだろう。そして、歌唱シーンが多いなかで、出演者たちのさすがと思わせる歌の切れ味。シンガーとして活躍する宏菜は文句なしだが、それ以外の出演者の歌唱もとてもよかった。さらに、面白さが途切れることのない演出。これも、青山勝の真骨頂なのでしょう。楽しみにして劇場に来た価値があった。とても満足!
舞台は美空ひばりが生きていた昭和の時代、東京の下町にある居酒屋。主人はレコード会社の金を使い込んでヒットメーカーの立場を棒に振った元プロデューサー(佐藤達)。趣味で始めたような店を、しっかり者の妻(かんのひとみ)が切り盛りしている。そこに、大阪から上京してきた演歌歌手志望の若い女性(宏菜)と義理の兄(佐藤銀平)が「働かせてほしい」と乱入してくる。その直後には女性の姉(山像かおり)もさらに乱入。話は序盤から大変な騒ぎとなる。
複数盛り込まれた、宏菜の演歌歌唱は見事だった。そして、今作が舞台初出演とは思えない落ち着いた演技は次につながりそうだ。そして今作では、かんのひとみが頼りないだんなをしかり飛ばしたり、泥酔したり、多彩な演技を見せてくれる。特に泥酔シーンは恐るべき色気が漂い、迫力があった。
昭和の人情豊かな戯曲は数あれど、中島淳彦ならではの味わいはやはり格別。自分にとって、終幕後に「もう一度見たい」と思わせる舞台は数少ない。今作はその一つとなりそうだ。
灯に佇む
加藤健一事務所
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/10/03 (木) ~ 2024/10/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/04 (金) 14:00
座席1階
いつもの加藤健一事務所とは少し趣の異なる会話劇。喜劇ではないから笑わせるところも少ない。加藤ご本人が「これをやりたくて温めていた」という戯曲という。
舞台は宮城県の小さな診療所。医師である父(加藤健一)は息子に院長を譲って今は土曜日だけの診療をしている。患者1人に30分も1時間もかけて話すという診療で「そんなことをやっていたら、クリニックはつぶれてしまう」と息子にしかられている。ある時、古くからの患者で家族ぐるみの付き合いになっている男性が、何だか上の空で訪れる。胃がんの告知を受けたばかりだという。この男性の妻もがんを患い、抗がん剤の副作用に苦しんで亡くなった。男性はそのことも胸中にあり、抗がん剤と放射線による積極的な治療を望む男性の息子と本音では意見が合わず、昔からのかかりつけに相談に来たのだ。
多くの患者をこなさないと経営的に安定しない地方の診療所。だが、病気を診るだけでなく患者の人生までも受け止めて診療に臨む姿勢で地域で信頼されている診療所も多い。加藤健一演じる医師はこのような医師であり、テキパキと診療して休診の午後は野球を楽しむというスタイルの息子の医師とは世代間の相違もある。こうしたテーマだけで亡く、この台本はがん治療の在り方までに切り込んでいく。
がんについては保険診療によるゲノム医療も始まっていて、治療の選択肢は少し広がってはいる。ただ、手術や化学療法などの標準治療を行ってもうまくいかないケースは多い。もう、次の手段がないという場合は急性期病院は退院を求め、緩和ケアを勧めるのが定石だ。どんな治療を選ぶのは患者や家族の判断であるから、徹底的にがんと戦うのか、戦うのをやめて痛みを取るだけの治療に切り替えるのか、それこそこの舞台のように患者と家族の意見が食い違うなどしてとても難しい。どんな治療を選択するのか、そこでは誰の意見を大切にしなければならないのか。この舞台が一つの答えを出している。
今作では加藤健一は群像劇の一人であり、前には出てこない。長く続いてきて本人も年を重ねてきた今、このような戯曲を加藤健一事務所はもっともっと取り上げていってくれたら、と思う。
広い世界のほとりに
劇団昴
あうるすぽっと(東京都)
2024/10/02 (水) ~ 2024/10/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/03 (木) 14:00
座席1階
あうるすぽっとという比較的大きな舞台を使って、頻繁に行われる場面転換を舞台の各所にスポットライトを当てることでうまくカバー。さらに、出番の役者とはける役者のつながりも、例えばビールを飲むという行為を同時に行わせることでスムーズな動きとして描いた。演出はよかったのだが、この物語の筋立てにはあまり共感できなかった。特にラストシーンはとても性急に感じた。
劇団昴の役者たちの責任ではなく、劇作のサイモン・スティーブンズの描き方なのだろう。タイトルとのつながりもよく分からない。イェルマとかラビット・ホールとか、とてもいい海外作品を選んできた過去作に比べると、ちょっと物足りない気がした。
3世代の家族の物語。祖父と祖母、父と母はそれぞれ夫婦関係に微妙なすきま風が吹いている。10代の2人の息子のうち、兄に彼女ができて家に連れてくる。その彼女に事前に会った弟が一目ぼれして横恋慕しようとする。当然、彼女は拒否する。こうした微妙な人間関係の亀裂が、ある事件を境にとても大きくなる。どこの国にもありがちな、家族関係のほころび。父と母は不倫ではないけれど他の異性に引き込まれる場面があるのだが、この展開にもちょっと理解に苦しむ筋立てがあった。
途中の休憩は、舞台美術に手を入れる大きな場面転換があるためだ。これがなければ、一気に行ってしまった方がスッキリする。
演出はとてもよかった。ただ、劇作には言いたいことがいっぱい。
ミツバチとさくら
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/09/28 (土) ~ 2024/10/07 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2024/10/01 (火) 13:30
座席1階
4人の娘がある夫に先立たれた女性の家族の物語。ハッピーエンドが約束されているような流れで進んでいく。サプライズがない戯曲だが、民藝らしいホッとした感じであるとも言える。
父親の7回忌を前にして、2人の子がある次女、離婚して出戻ってきた薬剤師の3女、そして昆虫の研究をしていて結婚しそうもない4女が集まる。そこで、次女は母親が高齢となってきたので、実家の維持などをどうするか「将来のこと」を話そうと持ちかける。ところが、母親の面倒を見るのと引き換えに実家を乗っ取り自分たちを追い出そうとしているのではと、3女と4女は勘繰る。こう書くと険悪な姉妹関係とも見れるが、実はそうでもない。長女はシングルマザーで既に20歳近い女の子がいるが、実家にはあまり寄り付かず、7回忌も来るかどうかわからない状態だった。
こうした話し合いが子どもたちの間でなされることはよくあると思うが、問題なのは母親の意向を聞かず秘密裏に話し合いがもたれていることだ。この舞台でもこれが問題になって、次女が責められる場面もあった。
結局は、母親の意向が物語を決していくのだが、残念なのは、こうした物語の筋書きが読めてしまったことだ。サプライズがないというのは、舞台を見ていて物足りないものだ。あと、長女の娘が大人びているというか、ほとんど4女と同じような年格好に見えてしまっているのは、ちょっとしたミスキャストか。(設定では10歳以上年が離れているはずなのに)
高齢の客が多いためか15分間の休憩があるが、この戯曲は休憩せずにそのまま終わりまでいった方が舞台に集中できる。民藝を背負って立つ樫山文枝にあて書きしたような脚本だなあ、と思った。
VOGUES
good morning N°5
ザ・スズナリ(東京都)
2024/09/27 (金) ~ 2024/10/07 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/09/30 (月) 14:00
座席1階
これで2回目のgood morning N5だ。今作は絶望のふちに立たされても立ち直っていくぞ、というような感じの舞台だが、物語はあまり重要ではない。その場面場面でいかに客席を引きつけるかという熱量が最大の見どころだ。
いつも通り、観劇中の飲食、多少のおしゃべり、携帯電話の操作、劇場への出入りなどは自由。小学生以下は無料で、子ども連れの人もいた。また、2万円のVIPシートが一般客席より舞台に近い高台に設けられており、専用のコンシェルジュが何でもご用聞きをしてくれる。今日は女性2人が座っていた。
舞台も客席も真っ白なシートで覆われ、独特の雰囲気だ。開演前は主宰の澤田育子の強烈トークで思いっきり引っ張る。強烈なダンスで幕を開けると、終幕まで1時間半、誰ひとりお隣としゃべっている人はいない。視線を舞台にくぎ付けにする仕掛けが次々に登場するからだ。
毎回、VIPの席が売れるとは限らないと思うからこれは売れた時だけの演出かもしれないが、イマージョン、すなわち舞台への没入体験をVIPはすることができる。今日の女性2人はイマージョンで舞台に上がってもおじけづくことなく立派に役目を果たしていた。これこそイマージョンだ。
今回は、役者たちのコスチュームがドキドキである。また、冒頭のダンスの中では秀逸な演出もある。思わず見とれてしまった。
これほどまでに客席を楽しませようという熱量を持った集団はなかなか珍しい。異次元の演劇体験をしたい人はお勧めの舞台だ。
舞台版 嫌われる勇気【9/23公演中止】
ウォーキング・スタッフ
紀伊國屋ホール(東京都)
2024/09/23 (月) ~ 2024/09/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2024/09/29 (日) 14:00
座席1階
自己啓発などでよく登場する、アドラー心理学「嫌われる勇気」の舞台化。自分の課題と他人の課題を分けて考える「課題の分離」など、アドラーの概念を取り上げながら舞台は進んでいくが、この物語がアドラー心理学を分かりやすく示しているかというと、そうは言えないのではないか。スクリーンに示されるアドラーの言葉との遊離を感じた場面もあった。
冒頭、男女の惨殺事件に臨場した刑事たちの場面から始まる。若い女性がすぐに自首し、犯行を認めるが、すぐに黙秘してしまう。殺害されたのは彼女の両親。この事件がどう、アドラー心理学と結び付くのかがスッと頭に入ってこなかった。もう一つは、事件を捜査する中年の刑事。娘が事故死したことが引っ掛かっており、ある大学教授を訪ねる。彼女は生前に、教授のアドラーの講義を聴講していた。彼女と大学教授との対話、そして彼女の父親である刑事と教授の対話。双方の会話劇を見ても、自分は「嫌われる勇気」とのかかわりをすぐに理解することはできなかった。
今起きていることを、過去の問題が原因と考えてはいけない、と説明される。では、この事件の容疑者はそれに当てはまるのかと考える。舞台が進行し、事件の背景が分かってくると、この事件がアドラー心理学の説明とは逆に解離してるんじゃないかとすら思えてくる。
ただ、アドラーは人が幸せを感じるための3つの条件として、自己を受容する、他者への信頼、他者への貢献と教える。これについては、この舞台を見終わった時に、確かにそうかなという感想を持てる。
私には難解だった。
諸国を遍歴する二人の騎士の物語
劇団青年座
吉祥寺シアター(東京都)
2024/09/28 (土) ~ 2024/10/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/09/28 (土) 14:00
座席1階
別役実の著名な作品。いかにも別役作品という簡素な舞台美術と演出がスタンダードのような気もしていたが、青年座は違った。吉祥寺シアターの天井までの高さを有効活用し、2階部分を舞台の袖に設けてドラムなど効果音奏者を配置した。これがいかにも効果的。臨場感を盛り上げ、別役劇に新たな彩りを添えた。
二人の騎士を演じたベテランの山路和弘と山本龍二はさすがの安定感。新劇の各劇団女性俳優がユニットを組んだオンナナのメンバーである安藤瞳の看護師役は光っていた。この人、こんなに大きく目を丸くすることができるんだと驚いてしまった。
別役作品はなかなか縁遠い側面もあるかもしれないが、この舞台はとても分かりやすい作りで、作品のメッセージもよく伝わっていたと思う。近年ではPカンパニーがこの戯曲を扱っていたが、客席を面白がらせるマインドがあふれているという点では、青年座に軍配かな。
食わず嫌いで別役を見ない人に、是非お勧め。
リビングルームのメタモルフォーシス
Precog
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/09/20 (金) ~ 2024/09/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
鑑賞日2024/09/21 (土) 14:00
座席1階
男性1人、女性5人が暮らしている家のリビングルームが「変態」を遂げていく。「何か異様な空気を感じる」というせりふをきっかけとしてリビングルームは得体の知れないものに破壊され、形がなくなっていく。
手前にアンサンブル・ノマドの演奏スペース、後ろ側に俳優たちが動くリビングルームという簡素な演出。リビングルームの「変態」をアンサンブルが奏でる不協和音が彩る。チラシにある「フィクショナルな劇空間に音の粒子が混ざり合う」とはこういうことか、と理解する。
これが「物語と音が溶け合っていく」芸術だと言われるとそうなのかと思うが、個人的には「劇空間」とは言いづらい。物語性が決定的に欠けていて「だから、何なの」という気持ちで終幕を迎える。せっかくのアンサンブルなのに、最初から最後まで一貫した不協和音ばかりで、いい気持ちはしない。美しい弦楽四重奏に乗って、リビングで繰り広げられる家族劇という展開なら、希望が持てたのだが。
失敗の研究―ノモンハン1939
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2024/09/13 (金) ~ 2024/09/23 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/09/18 (水) 14:00
座席1階
結構ハードな会話劇である。歴史や戦争に関する劇作では名高い古川健らしい緻密な物語だった。テーマは「なぜ、戦争を止めることはできないのか」。歴史上、最も困難であると思われるこの命題に若き女性編集者が挑んでいく。その材料となるのが、太平洋戦争開始直前の1939年にあったノモンハン事件だ。
劇中でも出てくるが、ロシア軍と衝突した現場の国境地帯は湿地と草原が広がるエリアで、軍事的な要衝ではない。「どうしてこんな場所を巡って」と後付けでは感じるが、それだけにこの戦闘で失われた両軍の何万もの命は「何のために」というむなしさが残る。日本軍にとってはもちろん「失敗」であったが、当然、ロシア軍にとっても「失敗」であっただろう。
戦争の教訓を学ぶ、特に先の戦争での「失敗」を学ぶことは平和な未来を築くには不可欠だ。特に日本では、失敗を学ぶという取り組みに欠けている。劇中でも当時の作戦参謀の生き残りが語るが、辻政信というエリート参謀が暴走した、誰も彼を止められなかったのが失敗だったと一定の結論が出されている。
だが、なぜ辻を誰も止められなかったのか。それは、勇ましい作戦を「無駄だ」と反対する、戦わない選択をしようという主張を周囲ができなかった「空気」なのではないか。戦わないとの決断はひきょう者の考えであり、日本男子としては、天皇の軍隊としてはあり得ないという空気だ。辻を止めようとして自らの出世を棒に振る恐怖もあったであろう。でも、戦争を止められない本当の理由は、周囲の空気を読んで行動する同調圧力ではないのか。
この舞台では、失敗の教訓は同調圧力だと匂わせる場面もあるが、はっきり言っていない。関東軍の暴走、陸軍の東京の司令部が何もしなかったこと、勇ましい進軍のニュースを垂れ流したメディア。それを推した国民。いろいろな要因がせりふの中で指摘される。だが、そうした要因ももちろん「失敗」なのだが、失敗を失敗だと言い出せない同調圧力が関東軍にあり、陸軍にあり、国民にあったからだ。だから、その直後、外交的な失敗とされる日独伊三国同盟につながり、国を破滅させる「失敗」となる太平洋戦争につながっていく。ノモンハンを止められる空気がすこしでもあれば歴史は変わったかもしれない。いや、もっともっと前、明治維新から列強に追いつこうと富国強兵を重ねてきた日本が、欧米列強に伍するとしてアジアの国々を次々に侵略していくのを当然だという「空気」を変えられていたなら、というところにまで行き着く。
古川らしい脚本であったが、で少し物足りなさも感じた。もう一つ、演出に招かれた鵜山仁は客席の目の前とか舞台のあちこちに戦車や軍艦の模型を配置して、「何が起きるのだろう」と期待を抱かせたが、結局これらの模型は装飾のような感じで終わってしまったのは残念だった。
球体の球体
梅田芸術劇場
シアタートラム(東京都)
2024/09/14 (土) ~ 2024/09/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/09/17 (火) 14:30
座席1階
岸田國士賞を受けた池田亮が作・演出に加え美術まで担当した舞台。開幕前に、舞台中央に鎮座する「ガチャガチャ」ボール(球体)がたくさん詰まった塔を間近で見学できる。
舞台は日本近海の火山爆発でできた島でレアメタル発見され、世界中から多くの資産家が移住し、その利権を独占した日本人が独裁国家を作った、という設定。その国家の現代美術館のロビーにガチャガチャの塔「sphere of sphere(球体の球体)」が展示されている。なぜ、作家がこのようなオブジェを制作したのか、なぜ、ガチャガチャなのかというところも物語が進行すると明らかになってくる。
日本近海の日本人による独裁国家という設定がおもしろいが、この会話劇は結構難解である。作者の頭の中の妄想がかなり高度なのだろう。ついていくのにやっとという感じだ。人によっては「分かりにくい」と感じたかもしれない。
大統領やキュレーターをホログラムとして描き、指先の動作で早送りや巻き戻しをする場面が続くところがある。巻き戻しや早送りに対応して動く役者が、ストップモーションも含めて非常にそれらしい動作を披露して笑いを取っているのはさすがだと思った。冒頭とラストシーンのダンスもよかったと思う。
数十年後の未来を描いているが、このような世の中が来るのかどうかは分からない。物語の中身に文句を付けるわけではないが、生命の誕生を手玉に取るような世の中にはなってほしくない。
三人吉三廓初買
木ノ下歌舞伎
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/09/15 (日) ~ 2024/09/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/09/15 (日) 13:00
座席1階
歌舞伎の現代劇化に取り組む木ノ下歌舞伎の長編代表作。20分の休憩2回を挟んで5時間を優に超える超大作だが、東京芸術劇場・プレイハウスの大きさに余裕のあるシートも役立ち、疲れることなく舞台に没頭できる。何よりも、歌舞伎を身近なものにという台本、演出、舞台美術に共感し、好感を覚える。歌舞伎の演目がベースであるものの、躍動的、そして人情味あふれる現代劇として十分に堪能した。
初演から10年、今作も新たな修正、演出を盛り込んだという。おそらく、開演前の立て看板「TOKYO」もその一つだろう(終演時にはこれが白紙に。未来の東京へ続くという意味だと受け取った)。三人吉三廓初買が演じられたのは明治維新直前の幕末だが、当時の江戸が現代都市・東京と地続きの場所、そして当時の人たちが今につながる舞台上にいるという作家の意図を強く感じる。この点は、物語とは全く関係のないシーンがあちこちに息抜きのように挿入されていたり、現代東京の若者文化の象徴が盛り込まれているところからも推察できる。
当時は男女の双子が不浄の子とされるなど、確かに、ジェンダー平等が叫ばれる今とは感覚が全く違う。推察だが、庶民の思いを描いている歌舞伎が、特に近年の時代の流れで「不適切なもの」として否定され、演じられなくなるのではないかということを強く拒んでいる。だからこそ、東京と江戸がわずか百数十年の距離しかなく、ジェンダー的に問題があっても、避けられない運命を背負わされた者たちが今も昔もどう生きていくのかを、東京の香りをにじませながら客席に提示したのだと思う。
登場人物が和服なのに靴だったり、それどころか洋服を着ていたり。岡っ引きが今の警察官の姿だったり。でも、全然違和感を感じないところがすごい。ただ、せりふは歌舞伎に忠実であるようだ。
ラストシーン、花魁の一重が果てる場面では客席のあちこちで感涙を絞った。ああ、すごいな、この舞台は、と感じ入る瞬間だ。木ノ下歌舞伎初出演の役者も多いが、スタンディングオベーションを見れば、きっちりと仕事をこなしきっていたのがよく分かる。