かずの観てきた!クチコミ一覧

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ズベズダー荒野より宙へ‐

ズベズダー荒野より宙へ‐

劇団青年座

シアタートラム(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/09/14 (火) 14:00

座席1階

 科学技術の発展は軍事と切っても切り離せない。宇宙航空産業も例外ではない。特に、米ソの宇宙開発競争は、相手国にミサイルを撃ち込む狙いがへばりついていて、心ある科学者たちを悩ませた。今回の青年座は、2015年の「外交官」に続いての野木萌葱の書き下ろし。ソ連の宇宙開発をめぐる人間模様を描いた。

 野木作品は「外交官」でもそうだったのだが、息詰まるような会話劇が真骨頂だ。今回、登場する女性は一人しかおらず、あとは全員が男性だ。主人公のソ連ロケット開発最高責任者セルゲイ・コロリョフは、世界初の人工衛星スプートニク1号を成功させる功績のあった人だが、死ぬまで存在が西側諸国に知られることはなかったという。この人物を中心に、第二次世界体制敗戦国のドイツから米ソが奪い合った科学者たちを周囲に置いて、物語は進んでいく。その激しい、息詰まるようなやりとりが休憩15分を挟んで3時間、たっぷり楽しむことができる。

 宇宙開発は人命第一で進められたわけではない。アメリカでもチャレンジャーの爆発事故で7人の乗組員が亡くなっている。ソ連は有人飛行の前に犬を載せてロケットを飛ばしたが、その犬も犠牲になった。この舞台では、革命記念日に合わせて成果を迫る政府に翻弄される科学者たちが描かれるが、せりふの端々にも革命政府のために命を捨てて宇宙に行ったというところがあってとても印象的だ。物が違うといって叱られるかもしれないが、旧日本軍の特攻作戦を連想してしまった。

 野木のパラドックス定数の舞台でもそうだが、野木作品を見ていつも感心するのは、歴史上の人物も含めた人たちの激しいせりふのやりとりをどう、想像して書いているのかということだ。その会話劇は非常に説得力があるし、本当にこのような会話が交わされて歴史が動いていった、というように思わせる舞台である。これだけのせりふのシャワーをこなせる役者たちをそろえた劇団は、限られてくるような気がする。
 青年座と野木萌葱のコンビは、まだまだ見てみたいと思う。

うさぎ島霧深し

うさぎ島霧深し

Pカンパニー

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/09 (木) 19:00

 戦前から「うさぎ島」と呼ばれていたわけでない。しかし、旧陸軍の秘密毒ガス兵器製造工場があった当時、ウサギは実験動物として使われていたということだ。今回のPカンパニー「罪と罰シリーズ」の舞台は、いまは「うさぎ島」として世界的観光名所になっている大久野島の物語だ。
 戦争の惨劇を伝える史実では、大久野島の話は知られているので舞台を見る前は脚本に苦労したかもしれない、と勝手に思っていた。しかし、冒頭のシーンで結構、度肝を抜かれる。一見、下級民を見下している上流階級のお食事の様子だと思ったら、実はこれ、島に住む実験動物のウサギの一家であった。舞台はこのウサギ一家、特に姉妹のライフストーリーを軸に展開される。実験の対象にされる、すなわち命を実験に捧げるという立場から客席は島の毒ガス兵器開発を見るので、戦禍の犠牲になる立場からこの島の歴史を洞察することができる。脚本の勝利と言っていい。
 演出も印象的である。このウサギ姉妹、思春期のお年頃で箸が転んでも大笑いという明るさで始まっていく。物語が進むにつれ、この姉妹に断裂が走る。毒ガス兵器製造を真正面から取り上げていないのに、この戦争さえなければ、当時から今のような平和なうさぎ島なのにと痛切に感じられる仕掛けだ。
 ラストシーンでその思いは現実の姿となって登場する。ネタバレになるのでこれ以上は控えるが、ここも脚本の妙だろう。島の土、そして周囲の美しい海に刻まれた「毒」を私たちは語り継いでいかねばならない。そういう意味で、タイトルにある霧が晴れるのはまだまだ先なのである。

2時間というコンパクトにまとめられた作品。秀作だと思う。戦争を忘れてはならないと思っている人は、この舞台、見ないと損するかも。

ネタバレBOX

出演者の中でウサギ姉妹以外にも光を放っているのが、機密施設の所長である。この島では実際に終戦末期に風船爆弾を作っていたという史実があるが、おもしろいのは終盤で、所長が風船爆弾に乗って縞を脱出し、原爆を投下した米軍に立ち向かっていくという場面だ。
ここでも、旧日本軍が行った特攻作戦とか、人命を兵器とした旧日本軍のおろかな戦争の象徴として受け取れる場面である。
戒厳令

戒厳令

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2021/09/03 (金) ~ 2021/09/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/06 (月) 14:00

座席1階

迫力のある舞台だった。「罵りあい」のような激しいセリフの洪水。そして、様々な角度から現代社会を照らすような複雑なメタファー。基礎の出来た実力のある俳優たちだからこそできる、強烈で見ごたえのある2時間である。
平和な街に入ってきて独裁を遂げていく男と女性秘書。ペストをばらまいて市民を恐怖に陥れるのだが、秘書がデスノートを持っていて、狙いを定めた人物を消していくというのは舞台で見る物語の設定とすればよかったと思う。当然、今の時期だからコロナ禍をオーバーラップさせてみるわけだが、このデスノートの存在が、現実と適度な距離感を出して、「これは現実ではないのだ」というような安堵感を観る者に与える。そうでなければ、自宅療養者がバタバタ倒れている現実をストレートにぶつけられるようで、息苦しくなったかもしれない。
愛とは、正義とは、人生とは。そして、生とは、死とは。舞台からは次々に「考えてみろ!」と矢が飛んでくる。市民を代表するように戦うディエゴが、こうした矢が飛ぶ中で苦悩し続けるわけだが、特に独裁者と対決する最後の方のシーンは秀逸だ。
倒れる婚約者のヴィクトリアが美しい。ロミオとジュリエットのラストシーンを連想させるようでもある。
前作の「インク」も面白かったが、今回はその上を行ったと思う。原作をうまくアレンジした脚本の勝利だと思う。さらに、4つの大型モニターを使い、工事現場の階段のようなセットで立体的に役者を動かした演出もよかった。けいこ場の小さな空間で思い切り役者たちを駆け回らせたが、小さな空間だからこそ一人一人の役者の演技に同時に目が行く感じで、それこそ舞台から目が離せなかった。

パレードを待ちながら

パレードを待ちながら

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/09/04 (土) ~ 2021/09/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/09/04 (土) 13:30

座席1階

カナダにも国防婦人会があるとは知らなかった。「銃後の守り」として夫や恋人を戦地に送り出した女性に愛国心を強いていた国は、日本だけではなかった。カナダでは何回も再演されているというこの演目は、国を、国民の心を滅ぼす形で作用する戦時の愛国心が、万国共通でいかに愚かしいものかを教えてくれる。

民藝の舞台には珍しい、五人の女性だけによる舞台だ。いずれも個性的な女優たちで、それぞれの銃後を時には美しく、時にはかなりの迫力をもって演じている。日本の銃後の女性たちも、おしゃべりや小さな楽しみを見つけて笑いあう日常があったというのは想像できるし、ドラマや映画でもそのように描いたものがある。だが、この5人、カナダの女性たちはおしゃべりに加え歌やダンスでとにかく明るい。ある時は密造酒でパーティーを開き、泥酔したりする。カナダでは、ちょっと派手な格好をしたり敵性語のレコードを聴いたりすると「非国民」だと憲兵に告げ口されるようなことがあったのだろうか。そんな息の詰まるような度合いは、「連帯責任」という言葉が今も生きている日本の方が強かったのだろうかと想像する。

さらに、この舞台が教えてくれるのは、軍人になって命を懸けて戦うという価値観、つまり戦争に行くという男としてのある種の「優越感」が実は独りよがりではないのか、ということだ。愛する者を守るために俺がやってやる、といういわばマッチョの思想が、守られる立場から見るとかなり空虚なものだということである。
男が一切出てこず、女性だけの視点で語られる舞台だからこそだろうが、それだけに、この「愚かしさ」を示唆するような空気が、舞台からガンガンと伝わってくる。

男たちは何のために、命を投げ出して戦ったのか。国を守るためか。愛する妻や子を守るためか。この舞台の5人の女性から見れば、そうした「男らしい」価値観がまったくかすんで見えるからおもしろい。例えば映画「永遠の0」を見れば、男である自分はそれなりに感動するのだが、その感覚と今回の舞台とは交差するところがまったくない。

「国を守る」だとか、「愛する人のため」だとか。政府がそんなことを言い始めたら、この舞台をもう一度上演してほしい。女たちがその誤りを見事にさばいてくれるだろう。

おとうふ

おとうふ

劇団道学先生

OFF OFFシアター(東京都)

2021/08/27 (金) ~ 2021/09/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/08/30 (月) 14:00

座席1階

劇団道学先生は、座付き作家の中島敦彦さんが亡くなってから活動を休止していた。主宰の青山勝が選んだ復活作がこの「おとうふ」だ。中島さんが得意としていた会話劇で、「女3人の芝居を書いて」と座員に言われて1993年に作った作品という。

物語はテレビのバラエティー番組の舞台裏。番組の進行に従って客席で笑い転げる「笑い屋」の女性3人が主人公である。この3人、大道具倉庫のような狭い場所で待機させられ、時間を持て余しておばさんトークを続けるのだが、その3人それぞれに人生の光と影があり、泣いたり笑ったりなのである。どうにもならない人生の変転がおばさんトークで交差する。チラシにある「おかしくなくても笑います」というのはなかなか鋭い一文だと、舞台を見れば分かる。

この女性3人はいずれも客演なのだが、3者3様で非常にすばらしいキャスティングだ。3人ともおばさんトークの「あるある」を存分に表現・体現していて、とにかく笑える。劇団桟敷童子のもりちえ以外はダブルキャスト。両舞台を演じるもりちえは、期待通りというか、期待をはるかに上回るマシンガントーク。結婚4回でそれぞれ父親が違う子供がいるというプロフィールで、噂話と他人の悲劇が大好物のおばさんを演じたが、この早口でセリフをかむことは全くない。また、こき使われているADの青年など、舞台を盛り上げるキャラクターもしっかりそろっていて、最初から最後まで飽きることはない。

小劇場でこそ味わえる会話劇の迫力。緊急事態宣言下、しかも猛暑日のマチネだが満席だ。やっぱりみんな「おかしくなくても笑いたい」のである。

病室

病室

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2021/07/30 (金) ~ 2021/08/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/08/04 (水) 14:00

座席1階

価格2,500円

病室という閉鎖空間で繰り広げられる人生模様。病室は日常生活から見ると異空間のはずだが、この異空間をホームグラウンドにして、それぞれの患者がこれまで暮らした家、畑、そして家族に思いをはせながら繰り広げる会話劇を、客席はひたすら追う。

劇団主催の石黒麻衣の出身地の方言、全編が茨城弁でつづられている。茨城弁というのは女性が話すと何となく平板な感じがするが、男がしゃべるとかなり攻撃的な印象だ。四人部屋の主のような患者は脳卒中だけでなくがんもみつかったらしい。「俺は車いすで歩けない」などと同室の患者や見舞いの家族に無遠慮に話しかけるが、これが何か攻撃されているような感じだ。しかし、話を合わせる見舞客らはすんなりと流していて、茨城ではこのような会話スタイルが日常的なのか、と想像してしまう。

物語に抑揚はなく、それぞれの家族の内幕が4人部屋の中で語られる。ある患者は訪ねてきた娘に泣かれるのだが、この娘は離婚して実家に戻ろうとしていてそれを病床の父に打ち明ける場面だった。結構深刻な内幕だが、隣のベッドの患者に話はみんな聞かれていて、娘が帰った直後に「誰が悪いんだ」と部屋の主の患者からいきなり話しかけられる。結構シュールな場面が次々に登場し、新手の不条理劇かと思ってしまう。

介護施設はこのような四人部屋はなくなる方向だが、病院では個室は差額ベッド料がかかる特別な療養環境だから、こうした四人部屋はまだまだ続くだろう。劇団普通は会話劇を身上としていて、この本領を発揮する舞台設定では病室というのはある意味、ぴったりの世界だ。ただ、もう少し演出上の工夫があるとよかったと思う。だが、総じて、猛暑日の中もうろうとして劇場まで歩いた頭がシャキーンとする、面白い舞台だった。

ネタバレBOX

脳卒中で倒れて療養するお父さんたちが病室のメンバーで、それぞれ妻や娘、息子たちから距離を置かれていたりする。隣同士のベッドの患者が、退院したら一緒に暮らして楽しくやろう、という会話が出てくる。「老老介護じゃないか」と冗談も出たが、入院して知り合った患者同士が暮らす物語というのも、あれば続編を見てみたいと思った。
29万の雫-ウイルスと闘う-

29万の雫-ウイルスと闘う-

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/07/15 (木) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/21 (水) 14:00

座席1階

2010年の宮崎県での口蹄疫(家畜の伝染病)拡大をワンツーワークスや宮崎県の演劇人が取材し、古城十忍が構成した同劇団ならではのドキュメンタリーシアター。畜産農家、市職員、獣医師などから徹底的に言葉を集め、その言葉を紡ぐようにして戯曲に仕上げる。当時、宮崎で何が起きたのか、宮崎の人たちは何を考えていたのかを鮮烈に描き出した。

口蹄疫をテーマにしたのは、新型コロナウイルス感染症が日本、いや世界を覆う今だから客席にさまざまな思考を促す。これぞ、ジャーナリスティックな切り口で舞台を展開する古城の得意とするところだ。最初に出演者全員がコロナが怖いか、怖くないか、感染するのは時の運か、という質問にそれぞれ答えるところから始まるが、この部分がなくても、客席は新型コロナに翻弄される今と自分に登場人物を重ね合わせて見ることになる。

ウイルスを封じ込めるために感染した牛、豚を殺処分する口蹄疫と、ワクチン普及が切り札とされる人間の感染症である新型コロナとはその教訓は違うかもしれない。しかし、ウイルスという見えない敵におびえ、疑心暗鬼となり、口蹄疫を運んではいけないと家に閉じこもり、友人との交流も断念していたという当時の宮崎県の状況が舞台で再現されると、それは新型コロナによる状況に通じるところはあるし、さらに、宮崎での教訓が今回のパンデミックに生かされていないという忸怩たる思いが沸きあがってくる。

牛や豚は人間に食べられることで畜産農家の生計が成り立つのであるが、やはり生き物の命をいただく(食べる)というのと、ウイルス感染のため殺す(処分する)というのでは天と地の差がある。宮崎県で当時起きていたことは東京のメディアでは遠隔地で起きていることという距離感のせいであまり詳しく報道されなかったので(この距離感はメディアのいつものニュース判断の一つであり、反省すべき点である)、「飼っている牛や豚を処分するのは農家の人たちにはせつないだろうな」と何となく思っていたことを覚えている。今回の戯曲では、その点も農家の生の声をもってして鮮明に再現される。宮崎県に行って話を聞かないと描くことができない部分だ。ここが、この劇団のドキュメンタリーシアターのいいところである。

この舞台を見て「宮崎の人たちはたいへんだったんだねぇ」と振り返るだけでは不十分だ。自分の身に降りかかって気づくのでは遅い。世の中で起きていることを「自分のこと」として受け止められる想像力が問われている。

コメンテーターズ

コメンテーターズ

ラッパ屋

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/07/18 (日) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/20 (火) 18:00

座席1階

劇作家の妄想の世界なんだと思うが、この妄想はリアリティーがあって単なる妄想ではない。事実が先か妄想が先か。同時進行でパンデミックの中の五輪の行方を楽しめる、笑えるし笑えない鮮烈な舞台に仕上がっている。
設定が優れている。リアリティー満載だからだ。主人公は定年退職して年金受給までには早いおじさんで、退職後に勤めた会社がコロナ禍でつぶれてしまい、ネットで仕事を探すというところから始まる。口から先に生まれてきたようなおしゃべりで明るい妻は家計を助けようとスーパーのパートに出る。一人息子は見た目引き込もりだが、観察眼が鋭く家族との関係は悪くない。このおじさんがネットでの就活に飽きて暇を持て余してユーチューブを始める。ひょんなことから大当たりしてしまった結果、テレビの朝ワイドのスタッフの目に留まり、おじさんユーチューバーとしてコメンテーターに登用される。

コメンテーターはキャラ付けされていて、本音とは違う役割を演じるという「あるある」設定だ。コロナ報道で欠かせない女性医師とか、いつも政府の味方をする政治評論家、それに対抗して野党的立場から厳しい言説を展開するジャーナリスト。とまあ、現実のワイドショーを地で行く展開である。そこに「視聴率が取れそうだから」という局側の理由で起用されたおじさんコメンテーターは、庶民的目線とおやじギャクで人気が定着するのだが、ある時、自らの立ち位置と全く逆の意見を言ってしまう。

話題転換とか場を鎮めるためにと登場するミュージシャンの歌とダンスがライブで展開され、これがまたコロナ禍をうまく歌った秀逸なメロディーだ。政治評論家とジャーナリストのバトルもおもしろい。本物のワイドショーを皮肉っていることに加え、そのシュールな展開が笑いを誘う。だが、おじさんコメンテーターが思わず選択したコメントは、この世の中を鋭く突いていて、笑いながらも笑えないのだ。

どんな展開で締めくくるのか、妄想の終着駅を妄想してみたのだが、これが意外なラストシーンだった。あまりにもベタな、というと身もふたもないが、このベタさ加減に思わずウルっと来てしまう。久しぶりに聞いたこの言葉、70年代、懐かしのキーワードだ。ああ、あの頃はまだ、日本は右肩上がりで五輪を開く意味もあったなあ。帰りの電車で思わず、こんな妄想を繰り広げたのであった。

この舞台はおもしろい。劇作家鈴木聡は「この一年、こんなにも家にいてテレビのワイドショーを見た一年もなかった気がする」と書いているが、そのお陰でこんなシュールな妄想がさく裂した。十分、家にいた価値はあったのではないか。

いのちの花

いのちの花

劇団銅鑼

練馬文化センター(東京都)

2021/07/13 (火) ~ 2021/07/15 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/07/15 (木) 14:00

座席1階

脚本の畑澤聖悟さんは秋田県出身で、青森の県立高校の教員だ。今ではもう、教員というより脚本家と言う方が名高いが、この舞台は彼のホームグラウンドの青森県。三本木農業高校は実在の学校である。

畜産や動物飼育を専門とする女子高生たちが、ある日先生に連れられてペットの殺処分の状況を施設見学する。鶏を絞めてから揚げにして食べるという「命をいただく」という授業を経験している生徒たちだが、二酸化炭素ガスで安楽死させ、焼却して残った骨をごみとして捨てているという現実にショックを受ける。そこから生まれた彼女たちのアイデアが、この舞台のメーンテーマである。

沿岸部ほど大きな被害がなかったものの、東日本大震災を経験した生徒たちの胸の内もしっかり描かれる。全編「命の授業」というだけに、小動物から人間までその命が持つ意味を問いかける舞台に仕上がっている。全国の小学校で公演したとあって、舞台は学校演劇の香りが濃いが、この日の客席は若い世代も含めて大人たち。時折涙も誘う感動の舞台になった。

シンプルな演出だが、映像をうまく使っている。特に終盤、植木鉢を持った人たちの笑顔がいい。女子高生たちが「受け入れられるだろうか」と悩んでいたことが杞憂だったと雄弁に物語る。
登場人物たち、つまり銅鑼の俳優たちの写真も出てくるが、撮影場所は銅鑼のけいこ場がある敷地内だろうか。どこかで見覚えのある背景だった。

今回は、劇団が力を入れているバリアフリーサービス付き。音声ガイドやタブレット端末による字幕、車いす対応、そして女子高生たちと同じ衣装(高校の作業着)を着た女性が舞台下手で役者たちが使っているのと同じ椅子に座るなどして手話通訳をしている。この通訳は女子高生たちのクラスメートという雰囲気がうまく醸し出されていて、手話通訳を見ない人にとっても演劇としての違和感はとても少ないと思う。「舞台手話通訳」は通訳が役者の一人として舞台に溶け込むスタイルを指すようだが、今回はそれに近い感じだ。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下につき、客席は一人おき(自由席)。外は真夏なのに、空調が効きすぎて寒かった。
母と暮せば

母と暮せば

こまつ座

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/07/02 (金) ~ 2021/07/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/07/07 (水) 14:00

座席1階

 ついこの間の「父と暮せば」に続き、今度は「母と暮せば」の再演。それぞれ広島と長崎と場所は違うが、原爆で命を奪われた最愛の家族が登場し、生き残った家族とかわす会話劇である。「父と暮せば」は亡き父が娘に、そして「母と暮せば」は亡き息子が母と会話をする。死者が生きる者と会話に入る冒頭も、会話から抜け出ていくラストも極めて自然で、それぞれ客席に強いメッセージを届けるという舞台だ。連続しての上演は、井上ひさしの魂というか、こまつ座の平和への執念を体現している。
 医学部の授業に出ていて被爆した息子(松下洸平)。助産師だった母(富田靖子)が陰膳を供える場面から始まる。会話の中では、息子とその婚約者との微笑ましいヒトこまや、息子が被爆した瞬間の様子など、隠されたお話が次々に明らかになる。母がなぜ、助産師をやめていたのか。医学を志していた息子が母に助産師を続けるように説得する場面など、死者と現世に残された者との迫真の会話劇が続く。
 そこには、原爆投下による死亡からは免れたものの放射線の後遺症で次々に死んでいく人たちや、放射線を浴びた者へのいわれなき差別・偏見の場面もつづられる。客席はその会話を聞いて、あまりの理不尽さに怒り、涙する。
 再演ということもあるかもしれないが、役者としての迫力が前回より増しているためなのだろう。松下洸平も富田靖子も明らかに前作より強烈な熱波を発して客席を震わせた。また、二人芝居ゆえの長せりふを難なくこなしていく様子は、感動ものだ。
 終演後のスタンディングオベーションもむべなるかな、である。思い起こすことが今、必要な多くのことを舞台から受け取った。迫力のある、いい芝居だった。こうなると、やはり数年度の再演も期待したいところだ。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下ではないので、本日の紀伊国屋ホールは満員御礼だった。マチネの舞台が理由ではないかもしれないが、客席の年齢層は高い。絶対に若者に見てほしい舞台なのだが。
七祭〜ナナフェス〜この夏、胸アツ!演劇2本に映画だ、わっしょい!

七祭〜ナナフェス〜この夏、胸アツ!演劇2本に映画だ、わっしょい!

On7

シアター711(東京都)

2021/07/02 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/07/06 (火) 14:00

座席1階

チョコレートケーキの古川さんによる「その頬、熱線に焼かれ」以来のオンナナ舞台。「七フェス」と銘打っているから底抜けに明るいお祭り騒ぎかと思いきや、映画は「その頬」にも負けるとも劣らずシビアな内容に少したじろぐ。ただ、舞台の方は、別役実かと思う場面もある不条理劇ふうの作品で、最後は歌やダンスもあって明るい舞台に仕上がっていた。

短編映画「うまれる」と二本の演劇で構成される約2時間の舞台だ。

まず、短編映画。下北沢の小劇場で映画を見るとは思わなかったが、この映画は強烈だ。いかにもありそうなシチュエーションとともに、「うまれる」というタイトルによる、「女」をテーマにしたかなり厳しい内容である。生まれる子ども、いじめで奪われた子どもの命。女には月に一度の出血があり、それは子どもを産むための生理であり、苦しみの末に生まれた子どもが血を流して亡くなる、そして女である母親はー。
この一本だけでもかなり見ごたえのある中身である。

5分間の換気休憩を挟んで舞台となるが、何の脈絡もなく映画から舞台へと移行したかのように見えるが、そこにはやはり、「女」としての血が流れている。青年座の尾身美詞の甲高い声がとても印象的だ。7人がそれぞれ、うまく持ち味を発揮している。

終演後「面白かった」の声が客席のあちこちに出た。「七祭(ナナフェス)」というタイトルの意味はやっぱり少し不明瞭だが、新劇の老舗劇団出身メンバーで作っているだけに、演技の迫力が違う。それは短編映画でも舞台でも違った角度から楽しむことができる。

お菓子放浪記

お菓子放浪記

チーム・クレセント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2021/06/24 (木) ~ 2021/06/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/06/28 (月) 13:00

座席1階

チームクレセントが演じ続けている、西村滋作品。以前のミュージカルではなく、ストレートプレイで行われた。新聞用語では使えない「みなしご」であるシゲル少年の戦中戦後を描いた物語だ。

甘いものが大好きなシゲル少年は孤児院からの脱走の途中、空腹のあまりお菓子を万引きしたところを刑事に目撃され、捕まってしまう。その刑事は、シゲル少年に菓子パンを買って与えた。恩を忘れないシゲル少年は、そのパンの味をずっと胸に秘め、教官らの暴言と暴力にさらされた感化院での生活を耐え忍ぶ。
だが、感化院には富永先生という音楽好きの女性がいて、この先生が歌う「お菓子と娘」というフランスの歌をシゲルは覚える。この先生の存在と歌も、感化院を耐え忍ぶ力となった。やがて、身寄りのない老女が養子に迎えたいとして感化院を出たが、この老女は子どもを働き手としてこき使うのが目的の人だった。さらなる苦難が続く中での心の支えはやはり、あの菓子パンの味と、先生の歌。やがて日本は太平洋戦争に突入し、シゲル少年は老女の元を飛び出す。

テンポよく進む舞台。シゲル少年があざとく汚い大人たちに虐げられながらも真っすぐ生きる姿がとてもけなげだ。やはりミュージカルよりストレートプレイの方が感動できると思う。
劇中、シゲル少年が加わった旅の一座の女形に召集令状が届く場面がある。性同一性障害で女として生きることを決めて女形として舞台に立つ彼女だが、戸籍は男性のため召集されたのだ。あの時代、召集令状は絶対逃れられないものだった。「人を殺すなんてできない」と悩んだ彼女は、送別会を抜け出して首をくくってしまう。シゲル少年の物語であるのだが、彼を取り巻く多彩な人たちの物語も、この舞台を盛り上げてくれる。

千秋楽の観劇だった。小劇場を埋めたのは比較的若い世代。読書感想文の定番だった「お菓子放浪記」を読んだ世代よりもずっと下だろう。西村作品の心が、この舞台によってしっかりと引き継がれていったと思う。

インク

インク

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2021/06/11 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/24 (木) 14:00

座席1階

何よりも演出がすばらしい。狭い俳優座けいこ場をうまく使っている。四角の角を挟んで客席を2ブロック配置し、残りの二等辺三角形のようなスペースを縦横無尽に使う。さらに、すだれのような幕を使ってその前後を分けたり、文字などを映写したり。ルパート・マードックのテレビインタビューの場面で、マードック役の俳優はそのカーテンの後ろにいて演技しているのだが、そのテレビ画面でしゃべるマードックを同時に幕に映しているという高等テクニック。近年の小劇場では出色の演出であり、舞台を盛り上げた。

物語は、英国の新聞業界が舞台。部数が低迷していた日刊紙「ザ・サン」を買収したマードックが指示して編集者たちを一新し、徹底的な大衆紙路線を推進する様子を描いた。
現代から見ると、日本でも日刊ゲンダイや夕刊フジなどのタブロイド判の「面白ければウソでもいい」、いや、言いすぎか、「裏が取れなくてもいい」というセンセーショナリズムと、お色気路線は珍しくない。だが、当時のイギリスは高級紙と言われるインテリ読者が読むような新聞が普通だっただけに、大変な反響を巻き起こし、それが部数の飛躍的増加につながっていく。

知人のある新聞記者が「面白ければウソでもいいんだよ」と言っていたことを思い出す。もちろん、大半の記事はきちんと裏がとられているはずなのだが、この言葉はある意味で、かなりいいところを突いている。一般の読者が求めているネタは何か、ということを新聞社の経営陣が考えた場合、そういう記事を読みたくてもなかなか言い出せないようなゴシップ、男性にしてみればエッチな記事が手っ取り早いということになるのは容易に想像がつく。面白いことが最も重要で、それが真実なのかどうか、さらに言えばそれを書くことで関係者が傷つくかどうかの検討などはおそらくなされない。
舞台では「女性にも性欲があるのよ」、と女性向けの性的記事の掲載の論議が行われる。容易に想像がつくと書いたが、大衆路線の導入は、当時のイギリスのメディア界では想像もできないような、時代を一新する出来事だった。

休憩を挟んで3時間の長丁場だが、演出の妙とテンポよく進むので楽しむことができる。圧巻は第二幕。当初はマードックの方がイケイケで、ヘッドハントした編集長の方が慎重だったのに、やはり編集者の性なのだろう。読者がガンガン増えると自らの編集に自信を持ち、その路線で突っ走る。そのため、サンを次々に悲劇が襲う。
ラストシーンが象徴的だ。開幕直後に出てくる5W1Hの一つ、Wに注目しよう。最終幕でこの文字が再び登場し、観ているものの心を貫く。

インターネットで自分に必要なニュースだけを拾うような時代になり、総覧性・一覧性が最大の特徴である新聞の衰退はどの国でも激しい。この物語は、ある意味で新聞に力があった、古き良き時代の物語であったと言えるかもしれない。

第70回公演「ベンガルの虎」

第70回公演「ベンガルの虎」

新宿梁山泊

花園神社(東京都)

2021/06/12 (土) ~ 2021/06/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/19 (土) 19:00

座席1階

新宿梁山泊の神髄である、唐十郎の演目。もちろん、状況劇場のころの舞台は見ていないけど、パンフレットで風間杜夫が語る「踏み込んだら危険な場所。怖いもの見たさでテントに入った」という言葉を想像しながら今回の舞台を楽しんだ。

平成、令和の世での梁山泊のテントは何度も見ているが、やはり最終幕のテント外の借景を舞台に取り込んだシーンが楽しみで足を運ぶ。前回は(前々回?)は下北沢で、背景の「スーパーオオゼキ」のネオン看板がちょっと残念だっただけに、今回は暗い花園神社の境内。今度はネオンに邪魔されず楽しめるぞと意気込んだ。結果はネタバレになるので書かないが、壮大なスケール、度肝を抜くアイデアとその美しさに体が震えた。

さて、物語は第二次世界大戦での悲劇の地であったインパールの白骨街道をモチーフに進む。客演の風間杜夫が、ビルマの竪琴で現地に残った水島上等兵がいた隊の隊長役。年齢を感じさせないパワフルでユーモアあふれる演技で感動した。風間杜夫は途中の換気休憩2回をはさむ3時間出ずっぱりで熱演し、これぞ役者魂!かという舞台だった。

梁山泊のお約束の若手女優人らによる歌とダンスは「うっせえわ」。この大熱唱がテント外の歌舞伎町に響いたかと思うと、それだけでおもしろい。今回の選曲は冒頭の曲がナンバーワンだと思う。

やはり観客を楽しませる仕掛けは満載で、その一つは、競輪の実演である。花月園の舞台設定で、「場外」を駆け回る競輪選手たちにはラストシーン同様、驚かされる。テントでしかできない演出だ。

さて、物語はビルマなど東南アジアと日本(錦糸町と鶯谷というちょっと猥雑な街)を行ったり来たりして進む。水島上等兵と水嶋カンナという名字の一致が時空を超えていろんなことを想像させる。カンナの母、ミシン売りの男。金守珍演じる産婆のお市など、多彩なキャラクターに彩られるが、何といっても白骨の化身で全身をくねらせて舞台を盛り上げた奥山ばらばはすごい。また、入谷の朝顔市の婆ァを演じたのぐち和美に開演前、客席へ案内され、間近で見る迫力にちょっとたじろいでしまった。

3時間はお尻もいたくなるし長いが、価値ある時間だ。コロナ禍ゆえ、終演後にゴールデン街でこの舞台を肴に盛り上がることができないのがいかにも残念である。

JACROW#30『鋼の糸』

JACROW#30『鋼の糸』

JACROW

駅前劇場(東京都)

2021/05/26 (水) ~ 2021/06/01 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/06/01 (火) 14:00

座席1階

田中角栄など自民党政治家の栄枯盛衰を描いた作品など、社会派劇で名高いジャクローが、今度は企業合併や出世競争だけでなく、働き方改革まで取り込んで、見ごたえのある2時間にまとめた。

昭和から平成にかけて、右肩上がりの経済成長とバブル崩壊、その後の長期不況という歴史の中で、日本企業は様々な姿を見せてきた。「出世争いは企業の活力」というセリフも出てくるが、今も基本的には変わっていない男社会の感覚かもしれない。
その競争社会では、「24時間働けますか」という、ジャパニーズビジネスマンをたたえるような流行歌に乗せて、栄養ドリンクが売れまくった。それが時を経て令和の世となり、残業などもってのほか、ワークライフバランスという印籠でもってして働き方をお上が中心になって変えようとしている。働く女性たちも男性とともに世の中を支える時代なのだから、男社会の感覚はお上に言われなくても払拭しなければならない。私見だが、この舞台はそうした時代の変化への対応にあえて真正面から取り組まず、バブルのころに入った新入社員の出世や人生を中心に置いて描き、昭和・平成時代の企業社会を生き抜いた観客の共感を得ている。

ライバルに勝つ営業成績を上げろという経営陣と、働き方改革だから残業はさせられないという所属長の板挟みになって咆哮する役員手前の部長が悲しい。「クライエントの秘密情報を取ってこい、それが営業成績向上の決め手だ」との𠮟責は、それが会社のためであり、自分のためであるという彼らの共通認識である。そういう昭和・平成の企業戦士の常識が、部下である所属長の抵抗によって打ち砕かれる。もちろん、所属長たちはその常識を分かっているのだが、自分の立場上、部下を残業させてまでその仕事を命ずるわけにはいかない。それこそ、部下の離反を招くどころか責任を問われることになろう。部下をがっつり働かせてなんぼの世界は終わり、部下をうまく休ませるのが優秀な管理職なのだ。

この舞台でも「じゃあどうすればいいのか」という答えは出ていない。会社の経営陣は「働き方改革の中で、成績を上げるやり方に知恵を絞れ」と言う。だが、その経営メンバーは24時間働くような従来のやり方で成績を上げてのし上がってきた連中だ。答えなど持っているはずはない。知恵を絞れという号令は無責任そのものであり、できもしないことを部下に押し付けている最悪の上層部である。「やればできる」という精神論で前線の兵士を破滅に追い込んだ旧日本軍の精神構造と全く同じである。
非常に面白い舞台だった。が、欲を言えば、そこまでつっこんでほしかった。

ネタバレBOX

上にも書いたが、前作で出色だった田中角栄役の狩野和馬のイメージが強烈で、それが色濃く残っている自分にとっては、角さんがサラリーマンの出世競争をしている、という感じにどうしても見えてしまう。田中角栄が抜けないのだ。そのイメージを一生懸命わきに押しやりながら舞台に没頭するのは疲れてしまった(笑)
獣唄2021-改訂版

獣唄2021-改訂版

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2021/05/25 (火) ~ 2021/06/07 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/27 (木) 14:00

座席1階

前回も☆5つを付けた感動の舞台。今回は2021年改訂版と銘打っている。やっぱり足を運んでしまった。
国家総動員法が制定され、戦時色が濃くなっていく九州の山村。ここの断崖絶壁に咲くという、幻のランを追い求める「ハナト」(ランを取る人)一家の物語だ。
ハナトである村井国夫の低くてよく通る声に舞台は引き締まる。その3姉妹は前回と同じ顔ぶれだが、明らかにパワーアップしていた。
断崖絶壁を登り、珍しいランを取ってくるという物語の筋を追っていくだけでも、この3姉妹のきびきびとした演技で、舞台から目が離せない。さらに今回、自分の胸に刺さったのは、戦争に対する憎しみをぶちまける一言だ。前回もこの場面はあったと思うが、思わず体が震えるような感覚だった。
客席は熱い。3姉妹を次々に襲う悲劇に、涙が止まらない女性も複数いた。舞台装置は前回の方が派手だったように思えるが、山の猛吹雪などは相変わらず迫力満点だ。
映像で見ても味わえない迫力と、それとは別にガンガン伝わってくる何かがある。やはり、舞台でないとだめなのである。予約で満席の客席がその答えだ。

いい舞台である。再演、ありがとうと言いたい。

父と暮せば

父と暮せば

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/05/21 (金) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/24 (月) 14:00

座席1階

1994年の初演以来、コンビを替えて上演し続けている。こまつ座のDNAとも言える代表作だ。本日は幽霊の父親役が山崎一、広島の原爆から「生き残ってしまった」娘を伊勢佳代が演じた。

理不尽な戦争、災害。その惨禍を生き抜いた人はよく「自分だけが生き残ってしまった」という言葉を絞り出す。死んだ者は、「生きているだけで幸せ」と生き抜いてほしいと願う。だが、生き残った者は生きているという「罪」を悔い、重荷として背負う。

この舞台では、死んでしまった父親が幽霊になって娘の元に顔を出し、その恋を応援する。相手はとてもいい人のようで、娘も好意を抱いているのだが、「自分だけが幸せになってはいけない」と相手を避けようとする。それをユーモアたっぷりに諭しながら応援する父の姿がとてもいい。実際に父と娘が生きていたらそういう家族関係にはならないのかもしれないが、包容力豊かなお父さん、というキャラクターで、客席をほっとさせる。

二人とも再演の舞台だけあって、切れ味があるというか、緩急をつけたテンポのいい見事な演技だった。息がぴったり合っていて、原爆投下での惨状の場面などは、客席の感涙を誘う。

いい舞台というのは、何回見てもいいものだ。こまつ座おすすめの通り、続いて上演される「母と暮せば」とセットで観劇したい気持ちになる。

アルビオン

アルビオン

劇団青年座

俳優座劇場(東京都)

2021/05/21 (金) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/21 (金) 18:30

座席1階

事業に成功し、かつて叔父が住んでいた広大なイングリッシュガーデンがある大邸宅を買って移り住んだ女性と、それに従う夫。娘も出版社に就職して自分の人生を歩み始めていたが同居を決めた。古き良き庭を再現したいと強い意志で周囲を引っ張る女性、オードリーを中心に、個性豊かな友人や庭師たちが繰り広げる人間模様。わりと硬派な劇なのかなと思ったが、この人間模様こそが見事で、3時間にも及ぶ舞台をけん引し、客席をくぎ付けにした。
 冒頭に、戦場で理不尽な死を遂げた青年がこの庭をさまよう。荒れ果てた庭は戦場に通じる。人間関係のもつれはまず、オードリーの長男であったこの戦死した青年の遺骨を母であるオードリーが独り占めし、青年の恋人とぶつかるところから始まる。オードリーの願いは、美しい英国風の庭を再現して家族と楽しんで暮らすというものだが、その夢は、すでにこの地で生活を営んでいるメンバーや、家族間のあつれきで思うように進まない。
オードリーのやや強引とも思えるやり方が障害になっているのだが、彼女は自分のやり方を変えようとはしない。人間、譲れない一線はだれも持っていると思うが、もう少し柔軟に生きられたら、オードリーも楽だったかな、と思う。その硬直したとも言えるオードリーは、英国のEU離脱を思わせる。
登場する人物の人間模様を庭の手入れが進み、衰えていくその移り変わりで表現をしている。また、雨が降ったり晴れたり安定しない英国の天気でも、表現されたりする。物語の空気がこうした演出の妙で、ストレートに客席に伝わってくる。
最後まで舞台にくぎ付けになる物語だった。それをしっかり支えた俳優たちの力に拍手を送りたい。

ネタバレBOX

緊急事態宣言下の上演ということもあるが、30分でもいいので今よりもう少し早い開演時間が設定されるといいと思う。劇場を夜9時30分に出るということになると、田舎に住んでいるものとしては少し厳しい。
みえないランドセル

みえないランドセル

演劇集団 Ring-Bong

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/17 (月) 14:00

座席1階

テーマは児童虐待。重い話になりそうだと思っていたが、多彩な登場人物を配置し、押さえるべきところは押さえてハッピーエンドに仕上がっている。
前回の緊急事態宣言で上演が延期になった。その時も申し込んでいたので、期待を膨らませて久しぶりのアゴラへ足を運んだ。
この物語が秀逸なのは、主要な登場人物の女性にそれぞれ「過去」を持たせているところだ。生まれたばかりの娘を放置して男と出て行ってしまう主人公・遥に寄り添い続ける助産師の雪だが、彼女は専門職としての倫理観からだけで「特定妊婦」であった遥の支援をしていたわけではなかった。(特定妊婦は、妊婦検診に訪れないなど、出産や子育てに課題があると思われる女性のこと。保健師などによる支援の対象になる)。ネタバレになるので詳しくは書かないが、遥が雪に「子供を産んだこともないのに、私のことなんかわからない」と言い放ったところから、一つの糸がほぐれて物語の幅を広げていく。
同様なことが、赤いランドセルを背負って夜間中学に通う84歳のみどりの過去でも明かされる。彼女も赤ちゃんの泣き声を聞きつけて何度も遥の家のドアとたたき心配をするのだが、彼女にとっても「子供を育てる」というキーワードに絡む一本の糸が舞台に絡んでいく。
いい脚本だと思う。すすり泣きをしている人が客席のあちこちにいた。自分も最近、NHKの「透明なゆりかご」の再放送で見たケースと同じような場面が出てきて、思わず感涙を誘われてしまった。
山谷さんの前回の上演延期でのメッセージなどから、コロナ禍と深く関係している物語かと思ってしまったが、そうではない。コロナ禍の生活という設定だけに役者さんは皆、マスクをつけている。マスクなどに絡んで笑いを取るようなところはあったが、この物語はいつ上演されても客席の心をしっかりとつかむ力があると思う。もちろん、コロナ禍での子育てがお母さんをより孤独にし、虐待を生むという背景は示唆されているのかもしれないが。

最後にもう一つ秀逸な点を。この物語の舞台であるパン屋さんの近くの広場に児童相談所の建設が計画されていて、登場人物の中にも「迷惑だ」という気持ちを述べた人がいたというところだ。子どもや年寄りのことなど日ごろはあまり関係がないと思っていると、児童養護施設や特別養護老人ホームなどによくない印象をもって「うちの近くにできるのは嫌だ」と感じる人は少なくない。この舞台では、最後は子どもの笑顔によって救われるという物語でありながら、児童相談所が迷惑施設だという会話を出しているところに、この物語を貫く作者の強いメッセージを受け取ることができる。

いい舞台だった。みどりが背負っていた赤いランドセルが、遥の娘・初音ちゃんに背負われる日が来ることを祈りたい。

雨が空から降れば

雨が空から降れば

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/05/12 (水) ~ 2021/05/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/05/13 (木) 14:00

座席1階

 昭和を生きた人なら口ずさむことができるだろう小室等さんの歌「雨が空から降れば」は、元々は別役実さんの戯曲の劇中歌だったという。その戯曲とは別に、1997年に別役さんが曲と同名の戯曲を文学座に書き下ろした。Pカンパニー代表の林次樹さんは別役作品に没頭して芝居の道に入ったという(パンフレット)が、この戯曲を2016年に上演している。今回は別役さんの追悼公演としてコロナ禍、緊急事態宣言の中をいつもの池袋の劇場で上演した。
 別役さんの不条理劇の中でも分かりやすい展開だけに、面白さ抜群である。流しの葬儀屋という発想がまず、ものすごい。何といっても最初のシーンがすごい。
 別役作品にはおなじみの笠のついた電球がぶら下がる「電柱」に、首をくくるロープがついている。そこに棺桶など葬儀一式のアイテムをリヤカーに積んだ葬儀屋が通りかかる。葬儀屋は死んだ人を探していて、別の葬儀屋との縄張り争いがあるというのも強烈な発想だ。
 ほかの別役作品がそうであるように、物語は次々と意外な方に転がっていく。生きていても仕方がないから死ぬのか、死んでもどうしようもないから生きるのか。電柱がある街角に続いて舞台は病院に移るが、縄張り争いをしている葬儀屋が院内を徘徊して「お客さん」を奪い合っている。医者は「あんたらは霊安室にいなさい」と命令するところなど、場面ごとにシュール感があふれる。
 「死を笑う」というのは当然、不謹慎ではあるのだが、ここで笑うのは死だけではなくその裏返しである生をも笑う。人間が心の中に隠している、いや、隠しきれない嫌味な部分を容赦なくさらけ出し、舞台は笑いに変えていく。
 別役作品だからか客席は高齢者が多かったが、若者が見ても絶対面白い。別役さんの追悼芝居はほかの劇団も行うであろうが、Pカンパニーのこの舞台はぜひ見ておきたい。一度見たらやめられないような「中毒性」がこの芝居にはある。見ないと損するかも。

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