1
メナム河の日本人
SPAC・静岡県舞台芸術センター
遠藤周作の戯曲を見出した感動、それを具現したSPACの劇場と俳優、スタッフワークへの素朴な敬意。アユタヤ王国を舞台に権力を巡る人間の残酷さを克明に描出した悲劇は、暗き世にあって「人」として慎ましく生きる姿をささやかに照らし、今日に重なる所大であった。
2
野鴨
ハツビロコウ
鐘下戯曲を主に上演するユニットがこの古典戯曲を程よく刈り込み、原作のドラマ性をあます事なく舞台に盛った。唾をのむのも忘れる二時間強。「悲劇」はその存在を主張し、声なき声を上げる者を代弁する。優れて人間的な営為。
3
外地の三人姉妹
東京デスロック
チェーホフの「かもめ」を植民地統治下の朝鮮を舞台に脚色した「カルメギ」のソン・ギウンが再びチェーホフの長編を翻案した新作は、二番煎じに陥らず、日帝時代の朝鮮に住む家族を通して歴史の一断面を描きながら「三人姉妹」のドラマが展開するという、芸術的昇華の見事なモデルと感じた2020年の収穫。
4
花トナレ
劇団桟敷童子
旧習(といっても桟敷童子のはユニーク)が残る九州の山里のを舞台にした「お馴染み」のお話だが、この劇団の芝居には日本の「現在」が巧みに反映する。俳優の演技、空気感にもそれが浸透し、繊細な表現の中に行き渡っている事には感嘆する。今回は言うまでもなく新型コロナで、厄災への恐怖、閉塞、排外の心がドラマの中では阻害要因となる。人間のドラマではそれらは悪しき災厄、その当然の事を思い出させる。
5
掘って100年
さんらん
さんらん自作公演であるが長編を初めて鑑賞。作劇の巧さに感心。人間の信頼とその根底にあるもの、人生とは、夢とは、繋がるとは・・・目が離せない展開の中に様々なテーマや相が織り込まれ、心を揺さぶられ通しっであった。
6
『どんとゆけ』
渡辺源四郎商店
絞り込むのが大変なので普段は「再演」は避けるのだが、、死刑制度というテーマを正面に据えながら濃密な人間ドラマ(エンタメ)を作るこの劇団(書き手)の面目躍如、これは入選とした。
7
対岸の絢爛
TRASHMASTERS
TRASH舞台は題名から内容を思い出せないが、内容を確認してランクイン。IR法に基づくカジノ誘致で揺れる都市をY市(横浜市がモデル)が現代、大規模公共事業(工場誘致)に揺れる瀬戸内海沿岸の80年代、戦争中軍から船の供出を要請されて揺れる40年代と、三時代を跨いで「公」と「個」「市民」のありようを問うた力作であった。登場人物とシチュエーションを巧くチョイスし、議論させる中津留氏らしい芝居であった。
新自由主義が作った常識では、「事業」の本質を問わず「利益」(可能性)を問う議論だけで物事が決定する。これに斬り込む劇作にはただ感服した。
8
ゲルニカ
パルコ・プロデュース
大きなテーマを担う人間ドラマ、マクロとミクロを繋ぐ仕事を劇作家長田育恵が遂げた。ゲルニカがスペインでもバスク民族の自治区にあり、中でも歴史的に特別な場所(爆撃以前から)である事をこの舞台をきっかけに知ったが、フラメンコを彷彿する音楽、絵画や造形のイメージが観客をかの地へ誘い、そこに流れる固有の時間を味わった。エキゾチズムな観劇と言えるが、そこを通過しなければ「大きなテーマ」には届かない、こういう作業(観客にとっての)は芸術の力を借りずに出来るものではない。
9
雉はじめて鳴く
劇団俳優座
大団円を外せない劇作家横山氏のこれも例に漏れないのでランクインは迷ったが、ラストまでにテーマへの踏み込みがあった。十代の生きづらさ、と言ってしまうと過渡期的に捉えられがちかも知れないが、彼は自分の姿でもある。殺伐としたコンクリートの風景を舞台上に見せた美術、音響等が作る世界も忘れ難いものがあった。
10
野兎たち【英国公演中止】
(公財)可児市文化芸術振興財団
迷った10位、忘れていた舞台を思い出すと、中々贅沢な時間であった。不在の者を巡って、ドラマがさざ波を起こす。周囲の者の生活とドラマは進行して行くが、「見えない存在」の影響が見えてくる舞台。