Melody
TEAM 6g
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2017/02/08 (水) ~ 2017/02/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
グリーンフェスタ2017において「BOX in BOX THEATER賞」、「グリーンフェスタ賞」のダブル受賞…その授賞式で涙ぐむ阿南敦子女史の姿が印象的。グリーンフェスタ2017の参加作品は、どの公演も観応えあるものであったが、特にBOX in BOX THEATERは、過去のグリーンフェスタや池袋演劇祭で数々の賞を受賞している実力・実績がある劇団がエントリーしており、実力伯仲といった感があった。
本作品は高校生から40歳位までの時間軸の長い物語であるが、その主人公は阿南女史が演じており感慨深いものがあったかもしれない。
KILL&DAD
劇団ベイビーベイビーベイベー
d-倉庫(東京都)
2017/04/06 (木) ~ 2017/04/10 (月)公演終了
満足度★★★
映画「レオン」(1994年)をモチーフにしたようだが…。設定は似ているところもあるが、物語の世界観はそれほど孤独・悲壮したところはない。
タイトルは父と娘の名前、その2人を中心に無法地帯における殺人請負から足を洗いたいと…。その世界では名の知れた殺し屋が、実はものすごく家庭人のようである。そのギャップが公演全体の雰囲気を中途半端にさせたかもしれない。
描く世界は「非情・無情」なのか、「愛情・友情」なのか判然としない。演出もアクションに非情さ、父・娘の関係に愛情という違いを観せようとしていた、と思う。
さて、映画「レオン」では孤児になった娘を同居させ、殺しのテクニックを教えていく。その目的は娘の家族が殺され復讐を助けるため。和ませるシーンとして、ブタのぬいぐるみが映し出される。
一方、本公演の目的とするところは…どこへ向かうのであろうか。そしてクマのぬいぐるみが出てきた時には笑えた。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは二階部があり高さで見せるシーンの数々。その建物は左右対称に階段を設けたレンガ作りの家屋(時に酒場内)。シンプルであるが、アクションシーンを考えると舞台中央のスペースを確保し、上下空間を空けることで躍動感を演出している。
梗概…ダッド(田村総サン)は赤い銃弾を使う腕利きの殺し屋。その彼が仕事の仲介人であるカラー(長田陽サン)”子育て”のため足を洗いたいと告げる。キル(森崎真帆サン)という10歳の娘がいる。カラーは、娘が20歳になるまでに殺し屋へ育成することを条件に認める。父親に憧れをもつ彼女は喜んでそれを受ける。しかし彼女にも思春期が訪れ…。父との距離感も微妙に変化してくる。
この娘は実子ではなく、妻の元恋人との間に生まれた子であるが、事情があって引き取って育てている。こんなところも「レオン」を連想する。
殺し屋というダークな世界観という印象は弱く、物語のスケールが小さくまとまってしまったようだ。物語の展開は分かり易く、アクションに加え情感・愛嬌に溢れたシーンもあるが、それがダークなのかヒューマンなのか。
全体としては、娯楽に徹した公演で売りは”アクション”と”気の利いた会話”であろうか。白兵(銃撃)戦を随所に挿入しテンポよく観せる。
それでも少し長いような…。
次回公演を楽しみにしております。
座長芝居Ⅳ
ネコ脱出
小劇場 楽園(東京都)
2017/04/04 (火) ~ 2017/04/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
インターネットの功罪、その罪の方はフェイク記事や憎しみ心ない言葉があふれ、政治の世界では嘘でも強く言っ(書い)た方が勝ちという危険な世の中を作り出しているかもしれない。「偽ニュース」が巧妙なのは、いくつかの事実と嘘をうまく融合すること。それぞれ関係ない「事実」の点を「嘘」という線で繋ぎ人を誣いる。
偽ニュースを拡散し、それによって翻弄された人…書店でフィギュアを盗んだ疑いで人生が転落していく。人の心の闇と社会の闇、その隠蔽しようとする問題を鋭く、そして軽妙に描いたブラックコメディ。
映画「すべての政府は嘘をつく」(2017年公開)を連想する。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
各劇団・団体の座長公演で、その表現力(丁々発止)は見事!舞台は素舞台であるが物語の状況・情景はしっかり浮かび上がる。その演技であるが、この劇場は真ん中に柱があり演出が難しいところもあるようだ。舞台上と劇場出入り口を閉じた壁を背に演技するシーンでは、同時に両方を観ることができないのが少し残念。
物語…不都合な出来事は、それ以上のゴシップを大衆に与えることによって、”出来事”が隠せるという、まさに木は森の中といったもの。最悪の隠蔽手段を面白可笑しく観せる。
梗概…失職した男(ネコ脱出主宰・高倉良文サン)は、ナックルパーク編集部にスカウトされるが、そこはダーク・ゴシップにまみれ、偽りまたは捏造する、そんなブラック企業である。彼がフィギュアを盗んでニュースになっていたころ、別の事件が起きていた。その事件を隠蔽するため国・内閣調査室が仕組んだ謀略だということが判る。国(政府)にとって不都合なニュースは、より国民に興味を惹かせるような事件を起こし隠す。この隠蔽(消す魔法)と事実・真実を暴く(出す魔法)との戦いの行方は…。
本公演は、大企業における組織的犯罪や公的機関における隠蔽工作ニュースが日々報道される? 現代社会を生きる今、「個人はどう情報を収集し分析するか」を鋭く問うているようだ。現代は非常時でもないのにデマが世界を駆け巡り、本公演にあるようなウソで人を誣いる。また、”でまかせ”発言、”つぶやき”情報が溢れ、真実より見たままの事実が大事との気分、風潮が蔓延している。そのうち何が本当のことか分からなくなる。
人はデマやウワサに惑わされやすい。その根っこにある人間の弱さに警鐘を鳴らすような公演、観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
「凹⇔凸」
teamキーチェーン
遊空間がざびぃ(東京都)
2017/03/30 (木) ~ 2017/04/03 (月)公演終了
満足度★★★★
2人の作・演出家による2つの物語であるが、それを見事に融合した内容になっており、観応え十分であった。タイトルもシャレており虚実の世界を凹凸という表現を用いている。当日パンフの並びから言えば凹が虚で、凸が実であろう。その間に⇔があるが、その異空間のようなところを”往還”する訳ではない。ただ、その間にあるのが”人間の意識・行為”という事実が存在する。だから「一つの出来事」から成るのである。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台はほぼ素舞台から始まる。冒頭配置されていたのは立方体のカラー椅子と同じ色の額枠(縁)が6つ。この世界は「www(world wide web)」(作・演出:Azukiサン)でパソコン画面のイメージ。もう一つの話「あれから 此れから」(作・演出:岡田奏サン)は、喫茶店という現実の世界。
「www」ではインターネット上の見知らぬ者がいろいろな悩み、相談事をしている。
一方、喫茶店は夫婦で営んでいるが、その妻の妹が亡くなって3年が経つ。その死に際に間に合わなかった父を怒り責める次女(18歳)。この次女が先のインターネットの住人であり物語を繋ぐ人物になる。困った父は偶然にも同じインターネットで相談を始める。その和解の相談に次女が協力し始めるという仮想世界ならではの滑稽さ。
この物語では、人と人の感情、それも父と娘との関係は微妙のようだ。
人間関係は面と向かって話をすると本音が言えないが、インターネット(仮想)だと相手が見えないだけに気軽に言いたいことが言える。しかし、仮想であるがゆえに混合玉石の情報、清濁、真偽さまざまな思いが渦巻く。そんな不安定な状況を確かな歩みがある喫茶店・接客業で繋ぎ偶然であるが父と娘の蟠りを氷解させていく。2人の作・演出家の異なる世界観が一つに結実する巧みさ。
ネット上の危うい社会性も垣間見えるが、それよりもヒューマン性を選択したようだ。
1つ気になるのが年齢設定の違和感。喫茶店を営んでいるのが次女の伯母・朱美(Azukiサン)にあたるが、見た目も若い。何よりも長女・琴美(夕貴羽サン)が28歳という台詞があり、そう考えるとこの伯母は50歳前後と推定。その伯母がこれから不妊治療を始めると…厳しい現実があるな~。
次回公演を楽しみにしております。
「泣いた紫の花」「43回混ぜても灰色」【ご来場いただきありがとうございました!】
劇団えのぐ
高田馬場ラビネスト(東京都)
2017/03/29 (水) ~ 2017/04/02 (日)公演終了
満足度★★★★
【泣いた紫の花】
観劇した4月は別れと出会いの季節。チラシの「もう一度、あなたに会いたい」というフレーズがピッタリの公演であった。この劇団のチラシはタイトルに合わせた色彩で漫画風に描かれているが、本公演は「紫」と「灰」の2色をうまく使い分けている。さらに「泣いた紫の花」は物語に出てくる原稿用紙が涙で滲んだ絵柄で印象的である。
誰にでも訪れる大切な人との別れを決して悲観的な視点ではなく、受け止めながら思い出を胸に前向きに生きていく家族の姿、そんな愛情物語である。
さて、物語の展開としては理解しつつも感動という感情の扉が全開にならないのが少し残念な…。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは居間・渡り廊下、中庭がある一軒家。庭(上手側)には紫陽花が咲いている。居間の中央にテーブル、上手側にラジカセや父親の位牌等がある。下手側に低収納棚、電話子機がある。
ある年の6月下旬から7月1日迄、その一週間程で家族の思い遣りを再認識するような物語。目の前(傍)にいる自分の大切な人をもっと愛おしみたくなる、そして自分自身の人生を見つめ直す。その新たな思いを胸に旅立ちを後押しするようだ。
梗概…篠崎家の4人の姉・兄・妹・弟とその周囲の人々の日常を切り取った物語。父は亡く母(登場しない)は単身赴任のキャリアウーマンといった感じである。些細なことで言い争いをしているが基本的に仲が良い。兄・律(松下勇サン)は小説家であり著作が出版される7月1日を目前に事故死する。同じ1日は大好きな弟の17歳の誕生日でもある。その伝えたいこと…その思念が強かったのだろうか。現世に未練が残りその姿が弟だけに見える。
気になったのは、母が息子・律の葬儀後1週間もしないうちに仕事先へ行ってしまうこと。確かに紫陽花の花言葉を引用して家族への想いを描き涙を誘うが、その感情、感覚にしっくりこなかった。子が生まれ寝返り、掴り立ちし、少し前に流行った「保育園落ちた、日本死ね!」にある保育園・幼稚園へ入園する。初めての親離れ、子離れは旅立ちと言えるだろう。親・子ともに嬉しい様な不安な様な複雑な感情。親の感情は子の成長過程にある、喜び楽しみや難しさや苦しさの中にあると思う。
そんな思いをめぐらせると、この母親の行動があまりにアッサリしているようで釈然としない。もう少し母親の事情、喪失感を上回る使命感のようなもの(勝手な設定→海外の紛争地域または国内僻地の医療など留守が気になる等)が解ると…。
次回公演を楽しみにしております。
あるいは友をつどいて
ハツビロコウ
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/03/28 (火) ~ 2017/04/02 (日)公演終了
満足度★★★★
当事者、関係者、第三(傍観)者という視点がいつの間にか緊密になって行く。その視点が目まぐるしく変化させることで、物語を重層的に観せる。室内劇であるにも関わらず、当時の社会状況・情勢が浮かび上がってくる秀作。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にテーブル・椅子というシンプルな作り。それにもかかわらず室内という限定空間に「時間」と「状況」が移り変わる様をしっかり見せる。一方、時として自己内面と対話し物語を深化させる。その観せ方はドキュメンタリー要素(時間経過)を取り入れつつ、全体をフィクションとして包み貫く。
当時の日本社会に対する不満、鬱積が爆破行為という蛮行(手段)を実行させた。犯行グループの主義・主張を誇示するような行為は、多くの死傷者を出し、経済街の中心を恐怖に陥れた。使命に従った先にある「罪と罰」という大きな代償、その表現は「手記(手紙)」というシンプルな媒体で著す。
登場人物は6人…事件が起きた時代、現在という時間軸を往還する。事件を起こした背景、その時代の閉塞的な状況の打破する場面、現代という視座から当時を俯瞰した分析、その醒めた場面が対照的。しかし現在の自分が当時の人との繋がりを知らされた時のザワザワした気持の変化。時代は常に繋がっており、そこで生きる人々も何らかの関係性があるかもしれないと覚悟させられる。外的面(社会)と内的面(人間)を絶妙な構成で描いた力作。また沈鬱した雰囲気で時代背景や追い詰められた人を表現する演出も見事。
役者は、それぞれのキャラクターを立ち上げ、その佇まいは重厚感に溢れ、物語の雰囲気にマッチしていた。少人数だからこそ関係が緊密さを持たせ易く、話の中にグイグイと引っ張り込まれる。もちろん役者の演技力、バランスの良さがそう観せるのである。さらにプラットホームの喧騒、駅アナウンスなどの効果音、薄暗い照明による閉塞感などの照明効果も良かった。
国際テロの脅威が世界中に広がる中で「事件を過去の遺物と考えてはならない」と。
次回公演も楽しみにしております。
『上野パンダ島ビキニーズ』
ネルケプランニング
クラブeX(東京都)
2017/03/30 (木) ~ 2017/04/02 (日)公演終了
満足度★★★★
無人島に漂着した個性豊かな7人の少女が、時に反目し助け合いながら成長していく物語。映画「十五少女漂流記」(1992年吉田健 監督、喜多郎 企画・音楽担当)やジュール・ベルヌの「二年間の休暇(または十五少年漂流記)」を連想する。
公演は2部構成で、第1部は劇、第2部は歌になっており、アイドルのイベントを兼ねたような華やかさが魅力であろう。
タイトル通り女性が始終水着姿で躍動する姿は、魅惑的であり清々しくもあった。
第1部:1時間45分、第2部:15分)
ネタバレBOX
舞台を半円形に囲んだ客席。正面上部映像スクリーン、両側に熱帯樹のような木々が生い茂る。メインの盆舞台を所狭しと動き回り、時に歌う。
少女たちは、アイドル「TAKURU」のファンとして知り合ったが、その性格は個性豊か。
そのメンバー…地味だが好きなものへの愛は貪欲な 暁島朱里(西川美咲サン)、悪気なく人を見下すプライド高きお嬢様 紫岡スミレ(矢萩春菜サン)、一見ヤンキーだが実は寂しがりの 柿次橙子(小瀬田麻由)サン、大家族の長女でギャルの 雛菊りん(水原ゆきサン)、特技は黒魔術、無口で冷酷な 蒼井雫久(石原千尋サン)、手先と舌先が器用なお色気(レズビアン)桃山つき乃(松岡里英サン)、超スーパーネガティブガールの 金平もえぎ(小田切瑠衣)サンという面々。
個性派だらけの彼女たちが無人島で反目し和解し成長していく姿…。無人島と思われしところに中年の男(野添義弘サン)、さらには猿ボス(小野寺ずるサン)が登場する。そして何故か監視カメラのようなものが…。
キャスト7人は、それぞれの性格・立場をしっかり体現しており、個性豊かな少女たちが織り成す”思い”と”行動”に成長…という物語が面白く見られる。また中年男の少女たちとの絡みが小気味良いアクセントになっている。また猿役の小野寺サンの少し悲哀のある表情が印象的。
演出として、個人ごとのキャラを丁寧に描き人物像を立ち上げる。一方、利便性に溢れた生活から何も無い現実を突きつけられ、戸惑いながらも知恵を絞り、協力するという関係を築いていく過程が可愛らしくも力強い。そこに生きて行く、友情と命の大切さを見るようだ。
次回公演を楽しみにしております。
マークドイエロー
もぴプロジェクト
王子小劇場(東京都)
2017/03/29 (水) ~ 2017/04/02 (日)公演終了
満足度★★★★
日本の3大奇書(黒死館殺人事件、虚無の供物、ドグラ・マグラ)、その最後の小説に着想した本公演は、その世界観の魅力を引き出していた。
着想した小説の難解さ、それは周知のことである。この公演は、あえてその世界を描こうとした野心作のようにも思える。戸惑うような雰囲気は、客席内に入ってすぐ実感できる。囲み舞台のどこに座るか?けっして凝った作りではない、むしらその逆のシンプルな設営。しかし何となく”あやしげな”空間、その視覚から様々な感覚が目覚め、開演までを楽しませてくれる。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は真ん中に細長い台座空間。その周り(客席と台座の間)を回廊のように使用する。台座真ん中、そこに上から四角く囲うように幕が垂れ下がる。
冒頭は、この幕内での若い男女の泣き嘆きから始まる。直ぐに出演者全員による怪しげな足取りのパフォーマンス。序盤はその雰囲気作りに腐心しているようだ。物語はストーリーテラー(さひがしジュンペイ サン)が観客に話し掛けながら物語へ誘う。その俯瞰した立場から実際物語へ溶け込んで行く。また現実と過去(3年程前か)とを往還するような回想シーン。その多重層な演出は、混乱・錯乱に満ちた舞台をしっかり観(魅)せる。
梗概は、警察病院・精神科医療室内と主人公の兄・妹が暮らしていた部屋を同一空間で表す。その違いは同一登場人物を2人1役で分かり易くすること、状況に応じて登場する周りの人物で区別させる。犯罪を犯したであろう男、その男の記憶を呼び起こすことで事件の解決を…。なぜ事件解明にその必要があるのか、その混乱・錯乱に満ちた舞台は観応え十分。正気から狂気へ変質していく兄と妹の関係。その”血”の繋がりがなければ、単なる若い男と女という生身の異性という存在になる。その人間の性(さが)が純粋であるがゆえ異常な行為へ…。その描き方が虚実の世界(俯瞰)、時間のズレ(回想・往還)として表す。
また舞台技術が巧み。舞台上の照明は上から照射し幾何学的な文様もしくは文字を映し出し精神の不安定さを表す。音響は阿呆陀羅経に木魚の音・不気味で不安を煽る。全体的にサイコ・サスペンスというジャンルであろうが、その雰囲気作りは上手い。舞台上に絞った照明と客席も巻き込むような照明、その使い分けが観客の集中力を物語に向ける。
気になるのが、物語の意外性があまりなく、ラストは大方の観客が思い描く結末だったと思う。警察のプロジェクトの意味合いが不明確で、その国家的視点がどう絡んでいたのか?警察側が記憶を教えないのは自白の強要にならないため。その一事件のためのプロジェクトとしては壮大過ぎないか。
物語の意外性は、公演そのもののテーマになり、より面白さが増すと思うのだが…。
次回公演を楽しみにしております。
家族の神話
劇団 でん組
ザ・ポケット(東京都)
2017/03/28 (火) ~ 2017/04/02 (日)公演終了
満足度★★★★
切美な毒を盛り込んだ悪魔的虚心犯、まんまと騙されるような。
物語の展開は分かり易いが、その心の奥底まで届くような印象付け。そのトラウマが生んだものは…。
本公演は、母親からの虐待を受けながらも生き抜いた兄妹が、新たな悲劇と闘い、家族の絆を自らに問い力強く生きていく、そんな物語。その展開はサイコサスペンスのようでラストまで目が離せない。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央奥に古い大きな机、その前(客席寄)に応接セット、上手側に別空間(警察取調室イメージ)としてスチール机とパイプ椅子。物語が動く程度の作り込みで、観客が色々想像しやすいような心象形成に優れている。
梗概…4歳の最愛の娘が死んだ。その死が殺人であると主張する父親。それも自分の妻(死んだ娘の母親)だと言い、警察に訴え続ける。その挙句、妻に脅迫状を送りつけるという常軌を逸脱した行動をし逆に警察に事情聴取されるはめになる。
この父親、男の妹が弁護士で事件、事故を調査し始める。実はこの兄・妹は実の母親から虐待された過去を持ち、兄の庇い立てもあり生き延びてきた妹。頑なに、妻が娘を殺したと信じる兄が妻を追い詰めようとする。兄の異常な行動に不安と恐れを感じ始め、心の傷と闘いながら、虐待の連鎖に苦しむ妹。兄の頑なさが、妹の日常生活を侵食し、家族が崩壊するようだ。二転三転しながらも事件の真相に迫っていく母と娘。次第に明らかにされていく驚愕の真実は…。
母と子、家庭内という一種の密室で行われる虐待という悲劇。その問題に真っ向から向き合い、人間の尊厳と希望を謳いあげた感動作。物語は表層的には溺死したのは事故か事件かというミステリーと、兄妹が親から受けた虐待による人格崩壊を思わせるようなサイコサスペンス、という2つの構成で成り立っている。妹の娘(姪っ子)が母親と対立するような意見(伯父の子は「事件」)を述べ、兄の主張に肩入れする。この娘の存在が物語の鍵となり…。
ミステリー部分は、順々に「事故」か「事件」なのか謎解きを行い、納得性を持たせる。一方、サイコサスペンスは急転直下の展開で衝撃的なラスト。その見せ方はとても印象的である。物語は二分割するような構成に思えるが、根底には人の心に棲む魔物を観るようだ。親からの虐待で居場所がない兄妹が、寄り添い生きてきた過程。そこには怒りの捌け口のない無情さだけが残る。妹は自己防衛のための別人格を作り出す。遣る瀬無い思いを漏斗から狭めて悲しみの泪と血を注ぎ込むように収束を見せる秀作。
次回公演を楽しみにしております。
青春の延長戦
冗談だからね。
王子小劇場(東京都)
2017/03/22 (水) ~ 2017/03/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
物語は、3つの時代(1998年秋、2008年冬、2018年夏)という10年間隔を往還して展開する。その時代は役者の控え位置、舞台上部の幕(スクリーン)への年代映写によって分かる。
登場するのは演劇(小劇場)に携わる人々、その等身大の姿を通して自らの状況(総じて若い役者であるから青春真っ只中)を投影させているようである。全体としてテンポをよく観せようと努めているが、少し時代の往還(場面転換)が慌しく余韻が感じられないのが残念。舞台上にある色々な(小)道具を引っ切りなしに使用するため、その可動なりに意識がとられたように思う。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台をコの字で囲み役者控席とし、残りの一方向が客席になっている。それぞれの時代・季節ごとに座る場所が決まっている。舞台上にはテーブル、TV、旅行鞄という比較的大きな物から灰皿、クッション、クマのぬいぐるみまで様々なものが雑多。場面転換によってそれらの物を中央に運び、片付ける。
物語は演劇に関わる人々の暮らしや思い入れ、演劇を続けていく経済的・精神的困難さを思わせる。日常の安定した生活と好きな演劇活動との間に揺れる心。その状況変化を3つの時代から眺めているようだが、過去から近未来へ時は流れているのか、はっきり分からない。切り取ったシーンから断片的な状況が観てとれるが…。物語の関連性をもう少し意識して描いてほしいこと、キャストの個性的キャラクターを丁寧に演出できていれば面白かったと思うだけに勿体無い。
思っていることをストレートに表現しているようだが、その気持に客が”観劇”しているという点をもう少し意識すれば…。青春(若い)の思いを勢いよく表現しているところは魅力的。それだけに観客を芝居の中に引き込むような観せ方に工夫があればと思う。
次回公演を楽しみにしております。
BANRYU<蟠龍>
世仁下乃一座フェアアート/岡安伸治ユニット
d-倉庫(東京都)
2017/03/22 (水) ~ 2017/03/26 (日)公演終了
満足度★★★★
2008年初演、その間に起きた東日本大震災をしっかり本公演(2017年版)へ取り込んでいると思う。その観点の違いを意識させるが、その状況変化もさることながら、本公演は人間の欲望…その普遍的なテーマを役者の演技力で魅力的に観せているところ。常時、役者は舞台におり一人ひとりの演技力と豊かな表情が素晴らしい。
物語は、青森県下北半島の六ヶ所村にほど近いご在所村の奉納祭へ…。
(上演時間1時間30分:ぼたんチーム)
ネタバレBOX
舞台セットは、冒頭(上演前)は中央に賽銭箱、奥に神棚イメージ。さらにその奥に衣装や小物を収納してある箱が置かれている。ほぼ素舞台であるが、ダイナミックにして華麗な演技を披露するためのスペースを確保する。上手に太鼓、下手の客席側に三味線奏者が座り、状況に応じて三味線を使い分け生演奏で魅了する。
この村では年に一度、小さな龍神様の社を奉る奉納芝居が行われてきた。今年の出し物は、十二支に数えられた龍(蟠龍)が鼠にそそのかされた物語…。本公演は3つの話をヒントに物語を紡いでいる。 その1.龍には天に昇れないタツノオトシゴのような龍(蟠龍)もいたという。 その2.その昔、天空と守敏という二人の僧の法力合戦で生き残った西の蟠龍。都の人間にすかされ騙され落ち込んで、流れ着いたのが下北半島。 その3.自分に嫌機がさした西の蟠龍は、神様に願って役者・龍之介(幕末の頃、病で足を失い義足で舞台に上がった歌舞伎役者・沢村田之助をモデル)にしてもらう。そして人気欲しさに願掛けをする。欲が講じて東の蟠龍に…。
さて、東日本大震災を挟んだ前後の視座として、原発誘致やその後の事故補償交渉の金額まで台詞で喋らせ、人間の強欲を表す。西の蟠龍・龍之介の芸道への貪欲さを重ね合わせ、その行く末を暗示させる。その表現、冒頭の消防団による消化訓練、それは見事な消火活動をイメージさせるが、震災後はその消化活動に支障、空回りするような滑稽さ。人間の欲が村を衰退させるようなイメージ、そして賽銭箱が廃れが…。
この人間の欲…普遍的なテーマ(当日パンフで、秦の始皇帝の不老不死を引き合いに記載)を大震災を挟んだ視座で明確に表現する巧みさ。社会状況・情勢を背景とし、人間の深奥を生身の人間が体現(パフォーマンス)する面白さ。震災後の混乱、混沌を感傷に溺れさせることなく、演劇として”観せよう”と構造的に捉えているところ魅力を感じる。
次回公演を楽しみにしております。
夢見る乙女じゃいられない
たすいち
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2017/03/23 (木) ~ 2017/03/28 (火)公演終了
満足度★★★★★
たすいちの初期の出世作、満を持しての再演…その謳い文句通り、観応え十分な作品。最後まで目が離せない素晴らしい展開である。
主人公の漫画家、その人の内面を少しダークファンタジーという観点から描いているが、単に人間性という描きだけではなく、社会性に切り込む鋭さも垣間見える。
初日、アフタートーク時にネタバレに配慮とのコメントあり。(2017.4.1追記)
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
舞台美術がすでに漫画の世界へ誘う。壁面には漫画のコマ割、吹き出しなどを作り、中央にテーブル・椅子、下手側は机、大きなエンピツ立、その中に鉛筆が立っている。段差を設けてあるが、雑誌頁をイメージさせると共に、異空間(現実の仕事場、大学サークル室と漫画内の世界)を演出している。
梗概…原作が苦手な漫画家が連載の打切りをされた。そこで原作は面白いが作画が下手な新進漫画家と組ませ、新たに「夢」をテーマに新作ファンタジーを連載し始めた。その連載は好評であったが、読者が意識不明になる奇妙な出来事が…。
漫画世界の登場人物と漫画家や読者と同化したように描き、対象になっている人物の内面を暴くよう。その観せ方は2役1人という自分の分身を鏡像として映し出し、序々に自分自身を曝し出す。自分が知らない自分の心内、その心理的な見せ所が、ジョハリーの4つの窓のうち、第4窓(自分も他人も知らない未知の領域)を連想してしまう。
漫画テーマ「夢」ということもあり、「獏(バク)」が現れ人物の夢を食べてしまう。その際、ミニ和傘を翳し”バク”という音響効果が印象的。漫画世界をさらに漫画的に描く、そのパラレルワールドをフラッシュ・バックさせるような演出は、少し混乱しそうになるが、それはラストシーンへ帰結させるための印象付のようである。
登場するのは人間、妖怪(メイクが愛らしい)と異なるものであるが、そこにも平等・差別がない、そんな台詞をサラッと言う。くどい説明にすれば教訓臭になるところを抑えるところも巧い。そして「漫画を描くのは読者に夢と希望を与えたい」というメッセージを伝える。その精神は、当日パンフの目崎剛 氏の「どれだけ嫌なことがあっても(漫画)一冊読み終わる頃には嫌な気持ちがどこかに行く」に通じ、「それを目指している」と…。
次回公演を楽しみにしております。
ダンデライオンII~飛龍伝より~
ThreeQuarter
JOY JOY THEATRE(東京都)
2017/03/19 (日) ~ 2017/03/20 (月)公演終了
満足度★★★★
JOYJYO…初めて行く会場であるが、要所要所にスタッフが立ち、道案内をしており分かりやすかった。また場内は乾燥しているのでアメを配っており、制作サイドの気配りが嬉しい。この劇団「スリークウォーター」は、「4分の3」の意味。劇団員以外も客演、スタッフ、そして観客と「1」になることを目標に活動しているという。その思いがしっかり伝わる対応であった。
物語は、つかこうへい の有名な作品。それを清水みき枝女史の演出で「卵」「雛」「鶏」チームのバトルロイヤル公演第十弾として上演した。
【鶏チーム】を観劇したが、1960年安保反対学生運動の熱量が役者の演技の熱量を通して伝わってくる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は、いくつかの平箱(赤が印象的)を積重ね貼り合わせバリケードをイメージさせる楯が左右に2つ。それは可動するもので、その配置によって闘争状況を演出する。赤は赤旗、故郷のリンゴを連想させる色として使用している。細かいことだが、学生側は、大学名が書かれたヘルメット、大学(法政、早稲田)校歌、角材を用意し、機動隊側は警棒、制服など舞台技術も良かった。
梗概…1960年安保反対学生運動を指揮した全共闘委員長・神林美智子と第四機動隊隊長・山崎一平の間に生まれた子「勝利(かつとし)」は国会前である男と会う。この子の俯瞰するような回想を通して、二人の馴れ初めから別れまでを緊迫感溢れる物語として描き出していた。
つか作品らしく、学生運動をしている学生の方が機動隊の給料より仕送額が多い。学歴にしても然りである。国家権力の象徴として登場する機動隊、革命を叫ぶ学生の暮らしが、その生活レベル(貧富)において逆転しているアイロニー。
”革命”とは人と人が信じ合い赦し合うこと、と叫ぶ。その信念のためには体も…その哀しいまでの行為。立場が人をつくるというが、その典型的な展開に抗うことができず、運命(さだめ)に翻弄される切なさがしっかり伝わる。
演技は、鶏チームということもあって、迫力、緊迫感に溢れていた。この劇場は後部が一段高くなるが、ほとんど段差がない。それゆえ後部座席から伏臥、横臥したシーンが観えただろうか。特に客席寄りで演技をした場合、最前列の人の体で遮られてしまうので、演出上の配慮が必要になると思う。
「やってられねえよ」ということを言わなくても済む世の中…そんな台詞があったが、本公演は「観られてよかった」という素晴らしい世界を観(魅)せてくれた。
次回公演を楽しみにしております。
「谷のかげ」「満月」
劇団俳小
d-倉庫(東京都)
2017/03/15 (水) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★
アイルランドの近代劇一幕物。どちらも翻訳は松村みね子女史、上演台本・演出は松本永実子女史である。「谷のかげ」は短編であるが物語性が伝わる。一方「満月」は比喩なのか、錯覚なのか、その混沌とした展開が抽象的のようで難解であった。
「谷のかげ」(35分) 「満月」(55分) 途中休憩(セット転換)15分
ネタバレBOX
「谷のかげ」(ジョン・ミリントン・シング作)
山に囲まれた谷間にある小屋…レンガ作りの重厚感がある。上手側に暖炉、中央にテーブルと椅子、下手側はベットが置かれている。
この家には、年老いた主人・ダン(勝山了介サン)と若妻・ノラ(吉田恭子サン)が住んでいる。ノラはダンが亡くなり、その始末に困っている。そんな雨の日に旅人(斎藤真サン)が一夜の宿を求めて現れる。彼はノラが「死体」の始末のために近所の人の助けを借りに行く間、小屋の番をすることになる。しかし、その間に死体は起き上がり…。
風が不気味な音を立て吹く音響効果。それが寂寥感を際立たせるが、別の視点から観れば人の孤独な心情を表しているようだ。毎日繰り返される平凡な暮らし、そこへ旅人が現れ、少しの変化が見える。財産目当ての打算による結婚生活。そこから女性の自立が芽生える。一方、高齢・孤独への不安。人間(男女)の嫉妬と打算、夫婦の普遍的なテーマが垣間見える。
「満月」(グレゴリー夫人作)
「谷のかげ」から一転して、簡素な舞台。上手側に木箱2つ。下手側には片輪が外れた荷車。奥は閉ざされた扉があり、時々、町の外が見える。
クルーンの町の人々から尊敬されているハルヴィー。しかし、神父の迎えに乗じてクルーンの町を逃げたいと思っている。満月の夜に、狂犬が町に現れ町の人々が大騒ぎをする。そんな時、突然クルーンに戻ってきた狂人のメアリ。いつしか物語が歪みだし、住民たちとメアリのどちらが正常で狂人なのか…。
序々に自分以外は変人、狂人という意識に変わっていく。その歪で錯覚するような感情が精神を病んでいるように思える。また町の内・外という観点からみれば異次元とも受け取れる。彼岸と此岸の世界を往還しているのか、正気と狂気の交感か…人は自分こそが絶対正しいと信じている、その傲慢な感情が透けて見える。その感情が顕わになるのが「満月」の夜だという。
登場しない神父の存在は、登場人物の由り立っている場所、世界はどこか。そもそも生存しているのだろうか。狂人の女性の白い衣装が病院着のよう。物語のシーンは分かるものの、全体の流れが難しい。
次回公演を楽しみにしております。
うつろな重力
シアターノーチラス
RAFT(東京都)
2017/03/15 (水) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
人が持つ嫌らしい面、嫉妬、妬み、虚栄など心の奥底蠢く感情を覗き、時にそれを刺激する。そんな心理劇のようであった。
閉塞感に満ちた部屋でむき出しの感情をさらけ出し、ぶつけ合い、滑稽にも思えるような登場人物。人を赦すこと、分かり合うことが苦しく困難になっている。人の心に巣食う闇の部分を抉り出しながら、その先にある幸せを掴もうとする。鬱積した気持を抑えきれず溢れ出す不平不満、出口が見えない濃密な会話が繰り広げられる。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットは、高瀬夫妻のリビング…当初はテーブルと椅子2脚のみ。極めてシンプルで、白基調であるため余計な生活臭がなく、人物にフォーカスした物語に徹したところが巧み。
客席は2方向(L字型)、どちらに座っても舞台に近く濃密な会話が堪能できる。
ポルノ小説家の夫と結婚した元雑誌編集者・姉(木村香織サン)の負の感情を中心に、彼女に関わる周囲の人々の思惑などが揺れ動く。
梗概…結婚をして荒んだ生活を送る姉(木村香織サン)、幸福な結婚を目の前にした妹、境遇が高校時代とは逆転している姉と妹は複雑な感情でつながっている。姉がネズミ講を行っており、その関係で姉の目の前に、高校時代のクラスメイトが現れる。呪術研究会に所属していた彼女は秘密を明かす。「高校の時、あなたが不幸になるように呪いをかけた」。最初は信じていなかったが、少し不気味な感情に囚われ始める。その呪術をかけた動機…驚愕なラストシーン。
呪いとは違うが、願掛けという神頼みの行為がある。こちらは事の成就を願うものであるが、人知れず行うお百度参りなどは、呪いの藁人形とは対極にあるよう。人の心の持ちようは、きれい事を言えば自分の心をどう操り、他の人をどう思い遣るか、その心の動き次第といったところ。このあやふやな心の動きこそタイトル…うつろう重力のようである。
役者陣はそれぞれのキャラクターを立ち上げ、その関係性を十分認識した演技である。しっかりした適材適役で、それぞれの言葉(台詞)の応酬が物語の流れを作っている。
次回公演を楽しみにしております。
その先にあるモノ
デッドストックユニオン
ウッディシアター中目黒(東京都)
2017/03/14 (火) ~ 2017/03/20 (月)公演終了
満足度★★★★
知っているようで案外分からない日本有数の歓楽街・歌舞伎町。その裏社会で蠢く人々を生き活きと描いた、群像劇のようであった。
(上演時間2時間15分)
ネタバレBOX
舞台セットは、歌舞伎町にある探偵事務所。しかし表向きの稼業とは別に不動産仲介、派遣風俗を行っている。上手側には事務所応接スペース、バーカウンターが設えてある。下手側は和室、押入れがあり二面分割したような作り。中央にトイレドアがあり他の空間があることをイメージさせる。
上手側壁には、額縁に入った「死して屍拾う者なし」というTV時代劇「大江戸捜査網」で有名なナレーションが掛かっている。
登場するのは、フィリピンのハーフ、タイ、モンゴル、在日韓国人など東南アジア系の訳あり人物。そして日本人のヤクザ、アイドル追っかけ、占い師など、こちらも一癖ふた癖ある者たちばかり。多くの登場人物のキャラや立場を鮮明にするためこのような出色にしているようだ。
日本のそれも闇社会の中で翻弄され彷徨い漂流している人々。しかし明るく前向きな姿が救いであり、全体として喜劇風に仕上がっている。特に日本への出稼ぎ外国人は、誰もが精一杯生き、遠く離れた異国故郷へいつか帰り夢(親孝行など)を叶えたいと。
物語は、訳あり女性の依頼ごとから、そこに居る外国人たちを巻き込んで泣き笑いの人情話へ展開して行く。前半は登場人物や事務所の生業を紹介し、中盤以降に主筋として展開する女性からの依頼を契機に騒動が起きる。分かりやすい展開であり、物語を牽引するモンゴル人の思惑も何となく理解出来そう。
ラスト…以外な展開、盛り上げのため警察機構が登場する。視点は違うが、昨年(2016年)公開された映画「日本で一番悪い奴ら」を思い出した。違法捜査、覚醒剤密売・同使用で逮捕された現職警部の事件を題材にしていた。裏社会との癒着などが扱われていた。その意味で題材としては注目度も高く興味深いが、それゆえ、ありきたりで表層的な描き方では物足りないと思った。
次回公演を楽しみにしております。
快楽の谷
劇団 背傳館
王子小劇場(東京都)
2017/03/08 (水) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★
同人サークル、エロゲーを作っている集団における人間関係や運営を巡る思惑などが歪んで描かれる。チラシの冒頭に「あらすじなんかありません」という卑下か挑発か分からない刺激的な文が記してある。それでも一生懸命制作したと続けている。
テーマは、オタクカルチャー、サブカルチャーという”文化”の創り手、その若者たちが苦悩する様が描かれる。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットは、エロゲーサークル事務所内。上手・中央にスチールデスク2つ、その上にパソコン。下手側奥は喫煙スペース、客席寄は応接ソファー、椅子が置かれている。いくつかの本棚には雑誌類。全体的に雑然とした感じがよく出ている。
社会、それもインターネットという姿が見えない相手からの評価に一喜一憂する重圧が彼らの精神を蝕んでいく。言葉の不安と行為(タバコを腕に押し当てる自傷-焼)の怖さも見える。彼らが耐えるためのアジール(避難所=サークル)がさらなる重圧を生み出していくという矛盾。その後は戦線を縮小し守勢することに汲々とした姿になる。エロゲー本がだんだんと整理されていくに従い心が解放されていくようでもある。
物語としては面白いが、いまひとつサークル内の人間関係や立場が掴めない。そもそもどんな不始末があったのか、状況が説明不足の感がする。それゆえ物語の妙味となる人間関係の歪み不気味さなど、心に抱える問題が登場人物の視点ごとに変わり薄い印象になったのが残念である。
演技はバランスあるようだが、せりふが被り(喫煙スペースと執務室)聞き取り難い。ラスト、エロゲーを創っているのは、SEXが苦手だから…生身の人間と向き合えないような印象を受けるが、そこに真のサブカルチャーが生まれるのだろうか?
次回公演を楽しみにしております。
ルート67
劇団あおきりみかん
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2017/03/10 (金) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★★
人生になぞらえたロード・ムービならぬロード・ライブのようであるが、そこには人の深い思いが込められており観応え十分であった。
少しネタバレするが、パンフに主宰・鹿目由紀女史が「好きな道というものがある。高校の頃好きだったのは並木道の向こうにピンクのネオンが美しい宝飾店がある道だった。夕方、自転車でさわやかな木の間を抜けていくと、ピンクのネオンが夕闇の中に光っていて、なんだか外国に来たような気持ちになった」とある。この情景が舞台そのもの。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
日本ではないであろう、ルート67という道を巡る物語。物語の本筋は間違いなく「ルート67」であるが、この道は取り壊される(廃道)になるという。一方、脇筋としてこの道を守ろうとする動き(1人の女子高生)があり、いつの間にか本・脇筋が相互に侵食するように関わりあって行く。
舞台は日本以外の異国または架想国に設定することで、さまざまなルールに捉われない自由な発想で描いている。基本になる舞台美術は、両側に傾斜のある平台スペース、中央奥にポールが数本立っているのみのシンプルなもの。
物語はタイトルにあるルート67という道が無くなる。それを何とか阻止したいと思うランナーたちの奮闘劇。いろいろなランナーが登場するが、道を守るために立ち上がる姿を喜劇的に描いている。各々のランナーのラン・スタイルに潜むエネルギーを登場人物に豊かに発散させている。その観せ方は、とにかく走る、その姿をいろいろな角度(傾斜台を利用し後方からの姿、ポールを使い真上からの姿など)で演出し躍動感という印象付をしている。
一方、この道の景色が好きで毎日眺めている女子高生がいる。その親友が何とか道が無くならない様、工事現場へ日参する。この場面はオー・ヘンリー「最後の一葉」を連想してしまう。風景の移ろいに人生の足取りを重ね、走る早いテンポと抒情が感じられる緩いテンポという緩急が心地よい。
このシーンへの転換は薄明の中で、ベンチ、並木などが配置され、パンフにある鹿目女史の高校時代の風景を彷彿させるようだが…。
このルート67の存続をめぐり、民主主義の原点は個人の思い覚醒と連帯だという向日性をしっかり描いた秀作。
次回公演を楽しみにしております。
Rabbit Hole
Rabbit Hole
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2017/03/09 (木) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★
平凡と思えるような夫婦の暮らし、確かに数ヶ月前までは幸せな家庭であったが、ある出来事を境に変わってしまう。過去に囚われた妻、未来に思いを馳せようとする夫、その心の持ちよう、葛藤が周囲の人々との関係の中で澱のように沈殿していく。
ピューリッツァー賞受賞、ブロードウェイでトニー賞受賞した原作、その日本初上演の翻訳劇は日本の情景・状況へうまく取り込むには難しいようだ。
(上演時間2時間 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、神戸夫妻(原作はコーベット)の宅内。上手側はリビングルームでソファー、TVがあり、その奥に子供部屋のような別空間。下手側はダイニングキッチン、冷蔵庫が置かれている。全体的に白基調の調度品のイメージから空虚な感じが漂う。
梗概は、4歳の一人息子が8カ月前に交通事故で亡くなった。その息子(事故)が忘れられない妻、何とか前向きに生きようとする夫、その悲しみに対する夫婦が持つ感情に違いがあり、捩れた関係になる。それを修復しようとお互いを思い遣るが、その行為が自分本位になるところもあり、より深く相手を傷つけてしまうという悪循環に陥っている。
1部で妹の妊娠が発覚、自分の兄の死を巡り、亡くなった息子への思慕はより鮮明になると同時に、悲しみの感情をコントロール出来ない苛立ち。
2部で交通事故の加害者少年(高校生)を自宅に招き、その胸中を聞く。少年も事故のとこを苦しんでいたようだが…だんだん高校生活の楽しさも語り出す。
息子の思い出を仕舞い込みたい思いと、そう出来ない行為(子供が映ったVTRを観るなど)の矛盾。そこに2人の心の悲しさを埋めきれないやるせ無さが見える。
原作、アメリカという国を舞台に絶望と喪失感をリアリティに描いているが、人間ドラマの嘆きは国が違っても普遍的なものである。しかしその観せ方、演劇という見世物になれば文化の違いを意識させても良いと思うが…。描く内容は理解できるが、その感情表現としてはどうか?日本人の感情として数ヶ月でここまで露骨な会話が成り立つか。その話題に触れないよう気を使う。その重圧・閉塞・絶望・喪失感が先に立つような気がする。
また視覚として、加害者の衣装「学生服」が端的に違和感を覚える。
次回公演を楽しみにしております。
STORE HOUSE Collection No.9 アジア週間
ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2017/02/24 (金) ~ 2017/03/05 (日)公演終了
満足度★★★
台湾 『Zodiac(ゾディアック)』
八の字にした二面映像幕に客席、ロビー、バックヤード等を後景として映し出している。その世界観はどちらかと言えば非日常空間・宇宙を思わせる空想空間を投影しているようだ。そして、その幕を捲り上げると….。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、映像幕があるシーンと幕を捲り上げたシーンとでは違う。
幕を捲り上げた奥スペースには、日常という平凡な空間(机、扇風機、雑貨等のパーソナルスペース)が出現する。
説明によれば、「Zodiac」とは、1960 年代アメリカで一人の連続殺人鬼が名乗っていた“名前”である。その正体は謎に包まれており、送られてくる犯行予告や暗号文も人々の関心を集め、大きな話題となった、という。
Shakespeare's Wild Sisters Group の『Zodiac』はこの人物に着想を得た二人芝居だ。一人は殺人鬼を、もう一人は彼の周りの様々な人間を演じていく。多くのやりとりが組み合わさり、まるでパッチワークのように“彼”という存在が浮かび上がってくる。彼は“現実”と“想像”、“正常”と“異常”の境界線を飛び越え逃げてゆく...というもの。
時間と空間の隙間に落ち込む、もしくは挟まった人々を描いたもの。その表現は少し抽象的であり、分かり難い感じがする。
次回公演を楽しみにしております。