オフィス上の空プロデュース・トルツメの蜃気楼
オフィス上の空
ザ・ポケット(東京都)
2019/06/19 (水) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
アイドルを目指した女性を通して夢と現実とは、というある意味普遍的な問題を示している公演。すべて女性キャストで描くことで恋愛話を排除し、問題を逸らさず夢と現実に焦点を当てることによってテーマが鮮明になる。
自分はまだ何者でもない、いや、やりたいことすらも定まらず、何となく目の前の与えられた仕事を行うだけ。モヤモヤとした心の内に鬱積してくる不安や苛立ちを、親友の死や職場の状況から浮かび上がらせた心象が観る人の共感を誘う。
(上演時間1時間45分)【Aチーム】
ネタバレBOX
セットは、(木)枠のようなものが重なり合った不可思議な造作。それは不安定であり重なり合うことによって補完(助け合い)するような心の内であり、また主人公の故郷である富山県・立山や今住んでいる東京・高層ビルの風景をイメージすることができる。その意味を持っているのかいないのか分からない後景、一方前景には現実に働くオフィスを思わせる机・椅子、パソコンが四方に配置されている。この舞台美術が物語のイメージを醸し出しているようで面白い。
梗概…編集プロダクション・サニーサイド舎で働く横井ユリ(27歳)が、先輩からアイドルにならないかと誘われることによって物語が動き出す。本人は自分がアイドルになれるのか半信半疑、しかし心は揺れ動く。実は高校時代の親友が自分の名前・横井ユリを名乗り芸能活動をしていたが、TV画面の華やかさの裏にある厳しい現実のため自殺をした悲しい出来事があった。親友の心情を探るため、自分自身も短期間アイドルを目指した時期があったが…。ラスト、誰のためでもない、自分の人生を歩み出す。
現在と自分の心にある親友との思い出・幻影、その交差するような展開は現実的と抒情的といった違いで観せる演出の巧みさ。
登場人物のキャクターと立場をしっかり描くことで、物語の展開とそこで交わされる台詞の応酬に観応えが生まれる。プロダクションで働く取締役は経営責任、一方アルバイトは気楽、正社員は副業や校閲業務に拘りを持つ者。そして主人公は何事にも自信を持てない派遣社員、いわゆる普通の人々を描く。他方、容姿・年齢に関わらずアイドルを目指すユニットは、夢・希望を諦めず信じる道を進むという夢追い人(親友アヤも含め)のような。そして芸能プロデューサーは現実的考え方の持ち主。考え方や立場の違いによって発せられる台詞、それには正解も不正解もなく、あるのは今ある現状のみ。人の生き方は人それぞれだが、自分の意思のようなものが見出せないもどかしさ。何者でもない、それどころか何者になりたいのかさえ見つけられない迷い人...しかし人は皆”明確”な意思を持って人生を歩んでいるのだろうか?
物語の圧巻は、芸能プロデューサーとアイドルユニットの愛梨(通称あいりん)の夢・アイドル議論。醒めたビジネス感覚と熱き思いのぶつかり合いは、どちらの言い分も分かるような気がする。あくまでアイドルを介在させているが、この議論は夢ばかり追い求め、いつまでも現実を見ないという夢と現実の狭間で悩む普遍的なテーマが透けて見えてくる。台詞の応酬、そこで発せられる言葉は鋭く、そして輝いている。それが手の指の間から零れ落ちるようで勿体ない気がしたが、文字で読んでも...。やはり体内から発した言葉には魂、言霊の力があり物語を観応えあるものにしていた。
「好きなことは仕事にしない、でも好きなことからは離れられない」⇒自分にとって演劇は好きだが仕事には出来ない。でも観劇し続けたい...なんて含蓄ある台詞だろうか。
次回公演も楽しみにしております。
ものがたるほしのものがたり
激弾BKYU
駅前劇場(東京都)
2019/06/14 (金) ~ 2019/06/20 (木)公演終了
満足度★★★★
未見の劇団。来(2020)年には創団35周年を迎えるという歴史ある劇団。
さて、本公演は七夕と2020東京オリ・パラを絡めたハートフルコメディ。時節にあったテーマ設定であるだけではなく、登場人物のそれぞれのキャラ、抱えた苦悩等を描きながら物語が展開する。時にファンタジーとして見せつつ、現実をしっかりと突きつける、その妄想と現実を交互に観せるが交わることはない。強いて交わるとすれば、この街に住んでいる爺さんだが…。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは、上手側に2020東京オリ・パラで立ち退きを迫られている街角にあるパブ「パパスママス」。戦前からある店はレンガ作りで、レトロな看板や窓ガラスから明りがこぼれる。下手側は坂になっており街路や山頂をイメージさせる。その後景には高層ビル群が立ち並び、夜は星々が輝くような演出。公演全体を通して照明効果が上手く、現実世界と七夕モチーフの区別がしっかり行われている。
物語は立ち退きに反対する店の人や常連客、立ち退きを迫る役所との対立。とは言っても喜劇ゆえ緩いバトルらしきもの。一方、七夕というファンタジックな物語、それを天界を取り仕切る”西王母娘娘”の登場や織姫が輪廻転生するというスパイラルとして描く。しかしそれは現実世界と接点があるような無いような曖昧な展開である。唯一あるとすれば浮浪者である彦星ジジィの妄想か。
物語は、この界隈を取材するノンフィクションライターの目を通して見た人間模様と彦星ジジィの戯言を交差して紡いでいるが、2つの劇を観ているような感じがする。人々は彦星ジジィの姿を見ており、戦前の生まれでこの地に来るまでの経緯を調べた結果を報告する場面もある。しかしラスト、彦星ジジィの存在自体居(経歴も)なかったという台詞に戸惑う。敢えてファンタジー性を持たせようとしたのか?
現実の世界は、2020東京オリ・パラの繁栄とこの街のように立ち退きを迫られる明暗。立場弱き人々、そしてパブで働くオカマとオナベという性少数者、独特な立ち位置の神社の神主など個性豊かな人々が紡ぐ心温まる物語は心が洗われるようだ。同時に芝居的には先にも記した彦星ジジィの妄想話がうまく絡まず中途半端な印象で勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾四『紺情〜こんじょう〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/17 (月)公演終了
満足度★★★★
本公演は近作と違い、歴史教科書で学ぶ人物ではなく、歴史が詳しいまたは好きな人が知る人物に焦点を当てている。物語の主人公は島津豊久、島津家宗家の縁戚ではあるが当主ではない。そのような人物を描くからには何らかの理由(わけ)、例えば人間的魅力などが挙げられよう。説明文には「主を重んじ、忠を尽くし、義に篤く、情深き、薩摩の戦人」とある。そんな男の半生を描いた武骨劇。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、この劇団の基本的な造作(家屋と中庭のような)は変えていないが、その雰囲気は平安時代末期と戦国時代を描いた今作とでは違う。源平物語の時は、寝殿造りのようであったが、今回は書院造りのように思える。欄間には雲形や流水といった形、襖は朝顔の絵柄が描かれ時代感覚の違いを観せるような工夫が好い。
物語は、関ヶ原の合戦を経験した老人の回想話として展開する。老人が仕えた武将が島津豊久で、本公演の主人公である。その豊久の元服時から関ヶ原の合戦で戦死するまでの半生を情緒豊かに描いている。公演は、一武将の生涯を通して当時の封建制度をしっかり描く。封建制度の象徴が”家”であるとすれば、島津家という家(殿)を守るために忠義を尽くす。公演では2度の合戦シーンがあり、初陣の戸次川の戦い、2度目が関ケ原の戦いである。そのどちらの戦いでも大将は死んではならない。大将が死ねば家臣は後追い自害したり混乱を来し多くの兵士が死ぬ、その台詞によって島津”家”を通して封建制度の理不尽さを鮮明にさせる。当時にしてみれば、それが忠であり義であろうが、現代から見れば不条理の極み。また時が前後するが、豊久の父が独断で豊臣方と和議(実質的な降伏)をした際、実兄(当主)に非が及ばぬよう自刀して責任を取る。そこにも島津家という家の存続が見える。
さて、勇猛果敢な武将ぶりを描くだけでは、近作の源平物語の時代という流れに身を投じた武士のスケール的な魅力に及ばない。豊久という武将の魅力は何か?彼にとって関ケ原の戦いは何だったのか?といった「存在」と「意義」が示されれば、物語にある”時代”とそこに生きた”人物(武将)”としてもっと深みが出たと思う。冒頭の老人に対して関ヶ原の戦いは、という問いに豊久の名をあげるだけで…やはり薩摩隼人を伝え続けるためか。観客にはさらに幕末まで思いを馳せさせるのだろうか。
その薩摩隼人の在り方、武将としての心構え、親子の情と非情など人間的魅力をしっかり引き出すところは見事。その場面は情感に溢れ、実に印象的である。そしてこの劇団の魅力である殺陣シーンでは敵味方を区別する工夫を凝らす。例えば関ケ原の戦いでは、目前の敵が赤揃え甲冑の井伊軍、豊久率いる薩摩は黒軍団であることから交戦(殺陣)シーンでは一目瞭然である。殺陣シーンは2度の合戦に絞り、豊久の勇猛ぶりは台詞(例えば「朝鮮の役」は思い出話)で補う。本公演はどちらかと言えば、一武将としての人間的魅力を前面に出し感情移入させるような描き方で観客の心を捉えたと思う。
次回公演を楽しみにしております。
暁の帝〜朱鳥の乱編〜
Nemeton
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/06/13 (木) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
夜明け前、暁に光を照らすことを願った鸕野讃良(うののさらら)、後の持統天皇の苦難とそれを乗り越えていく姿を描いた叙事詩的公演。
(上演時間2時間強)【藍チーム】
ネタバレBOX
セットは中央に斜めに傾いた円形台(八百屋舞台のよう)。表面は板を張り合わせた幾何学的文様のように見える。天井部には暖簾のような紗幕が吊るされ、舞台を前後する。上手・下手側に役者用の椅子が置かれ、舞台に登場しない場面では控えている。
衣装は全員、黒作務衣・道着のような上下に色違いのマントを羽織っている。舞台美術、衣装等は何となく抽象的な感じを受ける。それは飛鳥時代、それも宮中という空間に現実感を持たせない工夫であろうか。
物語は、壬申の乱に勝利し大海人皇子(おおあまのおうじ)が天武天皇として即位し、本作の主人公である鸕野讃良(うののさらら)も皇后となり天武天皇のサポートしている。そして後継者として、讃良は自らが産んだ草壁皇子を推したいが、知力・体力共に優れた大津皇子の存在があった。その大津皇子は後継者として認められたい一心から無理をし貴族たちの反感を買ってしまう。やがて、讃良の願い叶って草壁が次期天皇を約束されるが、天武天皇が病死する。それを機に大津皇子がクーデターを起こそうとし国は混乱していく。その渦中で鸕野讃良が自らの使命を果たすため帝になる決意をする。
壬申の乱という歴史上の大事件後の世を描くことは難しい。大事件という不幸こそ劇的な物語になり、平時は物語にし難いかも。その意味で政治社会として盛り上がりに欠けるのはやむを得なく、どちらかと言えば人間ドラマとして展開させる必要がある。歴史学者でなければ詳しく知らない、飛鳥時代という歴史的事実の真が解りかねる背景、そして宮中というこれまた世間になじみ難い情況下で紡ぐ。だからこそ大胆に解釈しダイナミックに展開することが出来る。
「三種の神器」のひとつである草薙剣は、天皇の”証”として描かれている。平穏を願う気持ちと剣を手放せない矛盾。その葛藤が草薙剣=呪いの剣と言わしめ、宮中らしい描きになっている。
一方、人の感情...皇后として政治社会全般、今後の国運営を思う気持ちと母としての情愛の間に揺れる心。どちらにしてもきれいに描き過ぎで切迫感や母性愛が感じられないところが残念。
本公演の魅力は、不詳のような時代背景、宮中事情を演劇的な想像力で紡ぐ。歴史教科書的な事実とその裏に隠れた真実…誰も知らない世界観を、こうなのではという仮定を上手く溶け込ませ物語を展開させている。本公演はその虚実綯い交ぜの大胆な解釈が魅力的なところ。時代・社会という巨視的感覚の描きは優れているが、そこで蠢く人間模様が表層的な描きで平凡過ぎる。中盤以降、単純な勧善懲悪的な展開で飛鳥時代と宮中という魅力的なバックボーンを活かしきれていないのが勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
五右衛門
弌陣の風
テアトルBONBON(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★
浄瑠璃や歌舞伎で義賊として人気を博している石川五右衛門、時の権力者である豊臣秀吉との騙し合いなど俗説を含め面白可笑しく描いた痛快時代劇。何となく歌舞伎の「見得」を切り、多くの殺陣シーンは大衆剣劇を思わせるような。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
セットは上手側に階段状のスペースが設けられているだけのシンプルなもの。客席側前面を広くしているのは殺陣シーン、階段は上下の躍動感、それぞれアクションをダイナミックに観せるための工夫。照明は多影を演出する照射、諧調させ情景に変化をもたらすなど巧み。
梗概…豊臣秀吉が天下統一を果たした時代、富豪等から盗んだ金を貧しい庶民にばら撒き義賊として慕われた石川五右衛門の俗説、そこに五右衛門の隠された素性、生い立ち、恋愛模様を織り込み魅力あふれる人物像として描く。五右衛門が戦災孤児で、忍者の里で育ったという設定。孤児たちに生きる術を与えたのが織田信長であり、信奉している。そのため信長の妹・お市の方の窮地(浅井や柴田といった敗戦武将)から救い相思相愛に。一方、本能寺の変に隠された秀吉の企みを暴き...。
公演の魅力は、五右衛門の素性やお市の方、秀吉との確執など奇想天外(お市の方=娘・茶々、信長殺しは秀吉の仕業、五右衛門は伊賀の里者等)な設定をすることで物語を面白可笑しく展開させるところ。同時にその観せ方は歌舞伎仕立てのような衣装やメイク、所作など演出にも拘りが観える。もちろん殺陣等のアクションも観応えがあり時代劇ファンならずとも楽しめる。五右衛門は浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、創作の中で次第に義賊として扱われ、時の権力者である秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたという。その大筋は変わらない。
伊賀の里を攻撃したのは織田信長ではなかったか?などは卑小なこと。あくまで創作演劇の中のこと。五右衛門の生き様とともに戦国時代という戦乱の世に翻弄された女性の悲哀。生きるためには何でもやるという強かな姿が印象的だ。また庶民の暮らしを脅かす殺戮や強奪、そして年貢の取立ての厳しさ。理不尽な時代に一筋の光明をもたらす義賊・五右衛門の大胆にして痛快な行為は庶民の味方。その娯楽性を十分堪能させてくれた公演。
次回公演も楽しみにしております。
幸せのかたち
+ new Company
調布市せんがわ劇場(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「待つこと」「思いを伝えること」、何となく矛盾したような行動にある共通点...それはどちらも自分の意思表示であり愛を示す行為である。
登場人物全員が善人で、この店に集うことによって癒され優しくなれる、そんな喫茶店フュージョンでの心温まる物語。
(上演時間1時間40分) 【FLOWERチーム】
ネタバレBOX
セットは、客席に対して斜めに喫茶店内を作る。上手側がテラスになっており、この公演のテーマと言えるカランコエの鉢植えが置かれ、その後方に木が植えられている。中央に丸テーブルと椅子、下手側に店の出入口とカウンターがある。全体が2段ほど高く設えているが、店の周りは1段低くして街路イメージ。
物語は店員の まなみ(生粋万鈴サン)の観点で展開する。何の変哲もない暮らしの中に幸せがある、そんな足元を見つめた珠玉作。
まなみは恋人が海外に行ったきり帰ってこない。それでも彼を信じて待ち続ける。一方そんな彼女に思いを寄せる郵便局員ピンさん、それから大学生の愛やすずの切ない恋愛話、地域の話題店を取材する記者等が織り成すヒューマンドラマ。この店に集う人々を優しく見守る店長、その店長にも辛い思い出が…。
この公演に温かみを感じるのは、思いを伝えるのが手紙という手段を用いているところ。現代のインターネット社会では、メールという手軽な手段で伝達できる。送信し一定の時間内に返信がなければ落ち着かなくなり、場合によってはイラッとしたりする。スピードが求められる社会にあって、この公演は待つ=大らかな気持ちでいることの大切さを伝える。一方、身近に恋愛相手がいる場合は、自分の気持ちを素直に伝える。自分の気持ちを押し込め蓋をしない。大学生2人のそれぞれの恋愛模様に まなみが実直なアドバイスをするが、それは叶わぬ自分の身の上の裏返しの行為。またラブラブと思われていたカップルが些細なことで喧嘩別れすることに。そこには相手を慮る気持ちで溢れている。愛、幸せのかたちは人それぞれ違う。
店長は妻に先立たれ、2人の子供(兄・妹)の面倒を見ながら働いている。父に負担をかけないようにしているのか、兄は妹の面倒を見るという建前で小学校に行ったり行かなかったり。この兄・妹が亡き母の思い出であるカランコエの花に水を注す。子供や動物が登場する映画には敵わないと聞くが、本公演も子役の素晴らしい演技が光る。
舞台美術も素晴らしいが、劇中歌や優しく流れる音楽。人物の心情表現としてのスポットライト、暖色彩の諧調照明も心温まる雰囲気を表す。
これら全ての喫茶店での出来事を小説に、その物語を劇中劇にしたような気もするが…。
最後に、カランコエの花言葉...「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」、全てがこの公演に当てはまるような。
次回公演を楽しみにしております。
夜のジオラマ
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
物語としては面白いが、時間軸を想像し整理しながら観るのは少し煩わしいような気もするが…。逆に言えば、脚本が示した時間軸が自分なりに結合し、演出もそのように観せていると納得できれば面白さが倍加するだろう。
描かれた世界観は、家族の視点、社会の視点という、虫が地を這うような観察眼と鳥が大空から見る俯瞰眼を併せ持つような重層的な公演。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは隠れ家的な一室。壁の一部が剥がれレンガが剥き出しになっている。上手側が玄関に通じ、中央にテーブルと椅子、その後ろはキッチンに通じる通路。下手側に引き違い戸、サンルームのようなガラス張り、外に見える蔦とロッキングチェアー。荒廃した人工造作と自然とが調和した空間は、この公演そのものをイメージさせる見事な舞台美術だ。
物語は4つの時間軸(2000年、2007年、2019年、2040年)で構成されている。もっとも2000年は母子手帳+育児日記のようなメモ書きを読み回想するだけである。冒頭2007年、荻野目三果(秋葉舞滝子サン)はこの隠れ家的な一室に引っ越してくる。離婚し2人の子供のうち、娘・アヤは夫が養育している。そして自分は息子・圭吾と暮らしていたが…。物語は、主に2019年と2040年を往還するように展開していく。
2019年、圭吾が2040年から遡行してきて物語が動き出す。社会的な視点...巨視的には近未来は磁気嵐、死に至る伝染病などによって地球的規模で滅亡(既に人口は半減)の危機を迎えている。その時に至るまでの社会不安下にカルト教団が出現、そこに蔓延る悪行がサスペンス風に展開する。
2019年(時間軸の中心)、家族(夫は登場しない)3人は事情により離れて暮らす。三果はジャーナリストとして活躍しており、圭吾は留学中といったところか。アヤはシグマなるカルト教団に属しているが、これには高校時代の親友の死が関わっていることが後々判明してくる。
家族の視点であるが、母は娘でありながらアヤを苦手というか毛嫌いをしているようだ。それは自分が持っている女の愛欲というか性(さが)のようなものが娘も持っており、遺伝、同質”性”のためだと告白する。その娘が所属しているシグマの研修会なるものに潜入し記事を書こうとしていたが、アヤが潜入していた母を見つけ逃すという親子であるがゆえの情。母が断筆した謎が明らかになってくる。
2040年の圭吾と2019年のアヤが邂逅し、母の思い出話をする。その際、圭吾から母はある絵画を大事にしていると聞かされる。それはアヤが小学生の時に描いた抽象画(タイトル「夜のジオラマ」)で、この部屋に飾ってあった。その額裏に母の育児メモが挿まれ、子への情愛が切々と書かれていた。これが2000年の頃の話であり、母・三果がロッキングチェアー(冒頭の台詞で”安楽椅子”とも)に揺られながら薄れゆく記憶を手繰り寄せ回想していく。実に情感溢れるシーンである。
家族や友人との関わりといった身近な問題を提示しながら、社会事情や環境状況を鋭く描く重層的な構成。それを時間軸の違いという手法で観せるため、今がどこなのかといった自分(観客)位置を確認しながら観ることになり少し煩雑だ。とは言え、始めのうちは脈略なく繰り出されているような場面も、後々の展開で重要なことを示す巧みさ。またアンドロイドも引き違い戸から登場するが、時に引き違い戸を左・右開けて中を見せるが居ないというマジック的演出も上手い。
突拍子もなく、一見解り難い点は、SFというジャンルの特長であろうか。だからこそ現実離れし、自由な劇的な語りの”力”によって観客を圧倒し魅了する。そこにSFらしい面白さ、醍醐味があるのではないか。その意味で自分の想像力をフル回転させながら観た公演は、実に面白かった。
次回公演も楽しみにしております。
チューボー ~SECOND HOUSE Ver~
SECOND HOUSE
シアターシャイン(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★
夢と仕事の在り方を問う...何もかもが中途半端な(中年)男がもがき苦しみながら人生再出発に向けて頑張る姿を描いた物語。この公演の謳い文句は、池袋演劇祭優秀賞受賞(2012年)作をミュージカル仕立てで再演ということであったが、どちらかと言えば劇中歌といった感じだ。冒頭こそ、韓国のNANTA(ノンバーバルパフォーマンス)を思わせる調理器具等を利用した音楽を披露し、ミュージカル風にしていたが…少し物足りない。
タイトルは「チューボー ~SECOND HOUSE Ver~」であるから、厨房の中から見た世間、一方厨房の外から覗いた料理の世界...その双方向が楽しめる公演は観応えがあった。
(上演時間2時間) 【Aチーム】
ネタバレBOX
セットは中央に大きなデシャップと後壁に棚、上手側は外に通じる出入口、手洗い場。下手側には洗い場と更衣室への出入口があり、全体的に厨房のイメージを持たせる。初演時とはデシャップの位置が違うが、劇場舞台の構造・スペースの関係であのような作りになったのだろう。
梗概…主人公・山辺は、親から受け継いだ店を潰し自暴自棄になっている。以降どこで働いても長続きせず、ハローワークの紹介でこの有名なイタリア料理店にやってきた。自分は長年(中学卒業以降)料理に携わってきたという自負があり、その自分が洗い場担当になることに耐えられない。しかし妻と子のために働き借金を返済しなければという強い責任感、それは別の強迫観念にもなっている。劇中にたびたび表われる、また”アイツがやってくる”という台詞に込められた慄きこそが、自分自身の弱さであり強迫観念の元凶。この店で働くことで徐々に自信を取り戻すが、この店も...。
さて、何故この有名な料理店で働くことができたのか。それは安い時給であり、他の従業員も同様のようである。劇中、アベノミクスという台詞が飛び出し、現在の経済政策・景気対策に対する批判がチラリ。飲食業界に詳しくないため、時給が劇中で示された金額であるかどうかは分からないが、それでも料理に携わった仕事をしたい。そこにこの劇のテーマが観えてくる。夢があるからそれに向かって頑張る、働くことで夢を適えるという相互に密接の関係を料理を介在して伝える。
同時に食は生の根源であり、この店では美味しい料理をリーズナブルな値段で提供する。一方きれいごとでは済まされない現実、そこに経営という壁が立ちはだかる。オーナーシェフ・高林は料理の腕は一流であるが経営には疎いようだ。そこで経営コンサルタント契約をし店の経営再建に努めるが、その甲斐も空しく店は潰れる。コンサルタント曰く、強い意志・信念が重要であると。もう1つのテーマは自分自身の在り方を問う。主人公もこの店のオーナーも仕事に対する自信のようなものが揺らいだ結果、自滅していく。
主人公は中学卒業以来、両親の下で毎日同じことの繰り返しの仕事をしている。両親が亡くなり店を継いだ時、いづれ自分も両親のように暮らし死ぬ。そう思った時、仕事に対する疑問、一生続けていくことへの不安が芽生える。店が潰れたのは近くにできたファミレスの影響ではなく、自分自身がダメになったから店が潰れた。家族を思う気持ちの強さが逆に自分を苦しめる。本音を言えない、一方妻の側からすれば夫は何を考えているのか分からない。それぞれの思いの葛藤、それを激白する場面は圧巻である。その夫婦間の仲立ちをする子、まさに子は鎹(かすがい)を思わせる子役の演技。
冒頭、敢えてデシャップ台に置いたカバンは、仕事(夢)に対する不誠実な姿勢、それが中盤あたりに調理を任されるようになるとサロンの結び(締め)方で仕事への真摯な姿勢に変化を観せる、そんな細かい演出も好い。飲食業界に限らず、仕事に対する生き甲斐、遣り甲斐を感じた時に人は喜びを感じる。夢、仕事、そして家庭という身近な中にある、何の変哲もない暮らしの中にある幸せをしっかり描いた好公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
畏怖(if)
スライディングドアプランニングス
中目黒キンケロ・シアター(東京都)
2019/06/07 (金) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
予知夢を題材にしたサイコサスペンス風な公演。同じ場面をループさせる展開であるが、少しずつ何かが違う。その違いが螺旋階段のごとく同じところを回っているようで、少しずつ観点が異なる。その歪んだとも思えるような夢世界が現実に起こるとしたら...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は某大学の研究室。中央に階段があり上がったところがメイン舞台。上手側にテーブルが置かれミーティングスペース、下手側に実験装置、パソコンが置かれている。中央奥は四角い枠が2つ立っているが、一方は傾いており同型でありながら別なものに見える。また鎖のようなものも見え不安定な感覚にさせる。
同一人物でありながら、その内にある”夢と現実”の似て非なる出来事が畏怖に描かれる。舞台美術はその歪みのような心象風景を思わせる。
梗概…女子大生がある実験の被験者となり体験する出来事が繰り返される。もちろん繰り返しは仮定(=if 畏怖)の連続である。予知夢が現実に起こるような恐怖...その夢の中で出合う女の諦念と狂気が女子大生の思考を混乱させる。運命には抗えない、しかし予知夢の出来事は絶対に回避したい。予知夢の堂々巡りを通して明らかになる逆恨みによる恐怖。しかし別の意味で、目に見えない現代ならではの問題と恐怖も潜む。
予知夢は、この研究室に銃を持った男が現れ、仲間を殺していくもの。始めは全員が殺されるが、2回目.3回目と回(1回10分と仮定)を経ることで助かる術も見えてくるが全員を助けることが出来ない。夢は現実...醒めている時の1/2のスピードで進むとされており、計算上9回目が現実となるようだ。その焦りと緊迫感がよく表されていた。ちなみに9回目(約90分は冒頭とラストシーンを除いた、上演時間に重ねているようだ)
もう1つの現代的な恐怖は、インターネットでの誹謗中傷の類である。銃を持った男は、コンビニ店員で店内で悪ふざけをしているところを写真だか動画で自撮りし、親しい仲間に配信した。それを受信した人物が面白半分に拡散したことから、コンビニ店員はバッシングを受ける。そしてその母親が息子の免罪を願い自殺する。拡散した人物がこの研究室にいることを突き止め殺しに来るという夢と現実が錯綜する。確かにコンビニ店員の悪さが原因であるが、それを面白半分に拡散するというインターネットの怖さ。見知らぬ人からの容赦ない攻撃...そこに真の正義はあるのだろうか?むしろ無自覚・無責任な愉快犯的な不気味さを感じる。その雰囲気を十分漂わせる、そんな演出であった。
この理不尽な夢を通して、愛情・友情・嫉妬・妬み・疎ましさ・裏切りなど人間が持つ色々な感情が見えてくる。恐怖による極限状態で冷静な判断が出来るか、最後は自分の身を守るという当たり前の行為が、なぜか卑怯に観えてしまう悍ましさ。
宿命、未来へ備えることは出来ない。宿命に逆らえないという諦念に立ち向かうにはどうすれば良いのか…自分の信念を持つこと。そんな成長譚を思わせる公演。
次回公演も楽しみにしております。
「話してくれ雨のように」
劇団夢現舎
新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)
2019/06/09 (日) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
説明にある「都会ノ片隅ノ家具付キ貸間デ、雨音ヲ背ニ男ト女<ふたりぼっち>ガ劇シク話シ続ケル…」の都会とは、マンハッタンのミッドタウン。そこのあるアパートの家具付きの部屋での会話劇。
何の変哲もない、むしろ心も物もなく袋小路を彷徨う男女の姿が描き出される。諦念とも思えるような状況下にあって、女が語る妄想話は奇妙だが一筋の光が射すような…。
同じ脚本を2組の役者が演じて観せる試みは、自分好み。
(上演時間1時間50分 50分×2組 途中休憩10分)
ネタバレBOX
セットは、上手側にベット、下手側にテーブルと椅子、そして窓がある。
梗概…ベットで寝ていた男が、溜め息まじりに眠りから覚める。女は、窓辺のイスに座り、水の入ったタンブラーを持ってちびちびと口をつける。惰性のように一緒に暮らしており、2人の言い争いは何回となく繰り返され、感情の内実が欠落し変わる見込みは微塵も感じられない。その冷え切ったような関係、男女の複雑もしくは屈折した思いの物語は取りたてて何も起こらず、ただただ男女がぼそぼそと喋っているだけ。2組の演者はどちらもその体現がしっかり伝わる。
演出も極力抑え、時折、外の雨音や落雷の轟音が響くという音響のみ。
2組の役者が同一の脚本を演じるが、物語に特別な出来事が生じる訳でも、ましてや2人に特別な感情が芽生えている訳でもなく、惰性的に繰り返される会話。それも狭い室内であるため仕草や行動が制約された演技に成らざるを得ない。しかし、その限定空間にも暮らしの息遣いは伝わる。乾いた関係、何かを諦めた空虚感、成り立っているのかいないのか定かではないコミュニケーション等、奇妙な感覚に捉われる。その営みを表現するには削ぎ落した自然な演技、シンプルにした上で内実を豊かにするという極めて高度な演技力が求められる。それもベットとテーブルの間という狭い空間で...。
1組目(大星響サン、三輪穂奈美サン)は、どちらかと言えば心情表現に近いようだ。それは身体的表現を極力抑え、室内に漂う雰囲気に身を任せるような、そんな受動的なイメージであった。
2組目(益田喜晴サン、小玉陽子サン)は、どちらかと言えば身体表現のようだ。女が座っていた椅子の背もたれに寄り掛かる、窓に向かう動線も大きく回り込むようだ。そんな動作を少し変えるだけで能動的に観える。
狭隘な室内に、どれだけ濃密な雰囲気を漂わせ、空間的な広がりを取り込むことが出来るか。それが物語(脚本)の底流にある2人の思いを表現するようだ。同一脚本、演出でありながら、演者(技)が異なると物語の雰囲気が違って観える。その意味で演劇-ライブ-としての面白さ醍醐味を改めて感じた。この Simple is bestのような脚本を試作上演するという試み、その向上心に感心する。
次回の公演も楽しみにしております。
ONとOFFのセレナーデ
ことのはbox
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
「生・死」と「存在・不在」を交差させ絡めた感動作。生死は主人公の職業が葬儀屋であり、存在・不在はタイトルのON/OFFがインターネットでの繋がりを暗示している。もちろん生と存在、死と不在の掛け合わせも意味する。
物語も面白いが、「ことのはbox」らしい演出...阿佐ヶ谷アルシェという比較的小さな劇場に、人生の喜びと最期を思わせる舞台美術を出現させる素晴らしさ。
(上演時間1時間45分) [葉チーム]
ネタバレBOX
暗幕の間に白布を巻いて垂らした形が神殿柱のようで荘厳なイメージ。同時に後景全体が鯨幕といった感じにする。暗幕を刳り貫き(PC画面イメージ)チャット仲間を登場させることで遠隔地(北海道・大阪と某所)を演出する。舞台は病院内にある葬儀屋であり、上手側に机やパソコン、中央にソファー、下手側にTVモニターといった作りである。そこで展開する物語は、生と死に関わる仕事を生業とする人々を交錯させることで浮かび上がる矛盾。
生まれ出悩み...人は生まれた時から死に向かって歩み出す。何のために生まれてきたのか、などと哲学的なことは描いていない。むしろ生きるために人の死を待ち望んでいるような仕事-葬儀を通して見る”人の最期の遺志”とは...。
死者の弔い方について、葬儀屋と遺言バンク屋との遣り取りを通して、死んでも自由にならない自分の思いが切なく描かれる。葬儀費用は、その時になって初めて知ることが多い。相場があるような無いような、気が動転している遺族にとって葬儀屋の提示額はそのまま受け入れる。そこには死者の弔いと同時に親戚も含め世間体を気にすること。一方、遺言バンクは生前遺書により死者の遺志を伝える。時に散骨(法的なことには触れていない)を希望する場合もある。劇中ではその遺志はほとんど無視され、遺族の世間体が優先する(葬儀は死者が主人公だと思うが、実際はそうではない)。死んでも自由にならない故人の遺志をあざ笑うかのように...。
物語は、葬儀屋...ハンドルネーム「ヤリタイ」がチャット仲間の「小夜子」「天涯孤独」と交信しているところから始まる。ある夜、4人目の仲間「シタイ」から全員に謎の電子メールが送られる。[最寄りの交番に出向き「小野」と名乗り、黒いセカンドバックを受け取ること]。3人は訝しみながらもその指示に従うが…。
それまで葬儀屋「シタイ」は、その生業から死(者)に対して乾いた感情で接していたが、あるビデオメッセージを観て動揺する。そして死者の遺志の想いと重みを知ることになる。そうした心情になるまでの過程(死=金儲け、遺言バンクを通じて遺志の存在、仲間の死で思う尊厳など順々)が実に細やかに描かれる。舞台美術が鯨幕のようなモノトーンな雰囲気の中で、チャットの快活な会話というアンバランス。そこに死と生の在り方を表現する巧みさ。そして時々交わされる天気の話題...雪が舞っている状況と散骨の話の後、上手側で白いものが舞い落ちる絶妙さ。
さて疑問が1つ。シタイは「ヤリタイ」「小夜子」「天涯孤独」の素性や住所を知っているようだが、どのようにして知ったのか?またヤリタイが葬儀屋と知っており、自分の葬儀の段取りが「ヤリタイ」に委ねられるよう仕組んだように思える。オフ会を楽しみにしているチャットの中だけの知り合いのようだったが、実はシタイは皆のことを知っているようだ。どのようにして知りえたのか。自分はそのシーンを見逃したのか、気になるところ。
次回公演を楽しみにしております。
タイムトラベルアイドル 時空少女ピピ
タイムトラベルアイドル 時空少女ピピ 実行委員会
シアターブラッツ(東京都)
2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
この公演は歌ありダンスありで、アイドルのライブそのもの。そこに劇を落とし込んだようなイメージである。もちろん衣装も宇宙をイメージさせつつ、艶美なものである。
自分も含め、なぜか最前列は中年以上の年配者ばかりが座っていたのは偶然か? 「タイムトラベルアイドル時空少女ピピ実行委員会」としては1回目(旗揚げ?)の公演であり、その実力・魅力は未知数である。ということは魅力的なキャストが多数出演しているということだろうか(アイドル事情に疎くファンの人には申し訳ない)。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
セットは奥を2段ほど高くしただけのほぼ素舞台。左右にはピンクの紗幕のような飾り。後壁は映写幕代わりとし、宇宙空間を映写し雰囲気作りをする。素舞台であるが、キャストの登場で一瞬にして華やかな舞台になる。
梗概…惑星「ビヤシリ星」から地球へタイムトラベルして来た「ピピ」「ポル」「ペル」、地球人的には”彼女達”である。降り立った場所には「アイドルグループ」のライブ映像が映し出されいた。彼女達は見たことも無い「歌」「ダンス」の光景を見て「興味」を持つ。そして新アイドルユニット「アポロ」メンバー募集の張り紙を発見して...。そこで巻き起こる地球人との恋、マネージャー同士の争い等々。「アポロ」は地球でアイドルとして活躍できるのか? 物語としては勧善懲悪も含め分かり易い展開になっている。
表層的には異星人と地球人との交流を通して”人”の愛情を描いた公演。しかし、少し理屈を言えば自分には異星人=移民であり、異国との文化交流を通じて人と人の関わりを見つめた作品に思えた。異国に住みついた不法滞在者を連れ帰る役目の彼女達。同時に異国の文化(アイドルとしての歌やダンス)に刺激を受け、それを体験してみたいと思う願望の実現に向けて努力する。何となく身近にある社会性のようなものが垣間見える。その稽古過程を実際のライブ形式にして観(魅)せる。この公演は若い女性が多く出演しており、艶美な姿態の踊りは眼福。
眩い照明の下、若い女性が躍動感溢れるダンスを披露し、それがアイドルの稽古風景に連動する構成という巧みな演出。物語としては、「ピピ」が恋心を抱いた男性マネージャーを蘇生させたことから、ビヤシリ星のルールに違反した罪により自星に強制送還?または宇宙に漂わせるような罰を受ける。また人の将来が分かるような話の流れから、この先のマネージャーの人生に暗雲が…。
「ピピ」の運命は、そしてマネージャーの暗雲とは、という次回公演に続くような結末である。
次回公演も楽しみにしております。
あの鐘を鳴らすのはあなた
Pave the Way
萬劇場(東京都)
2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★
劇団「あの鐘」の公演後の後日談といった物語。その物語は、タイトルの情緒的な印象とは違いコメディであるが、何を伝えたいのか、どのように観せるかが上手く伝わらないのが残念なところ。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台は、冒頭は劇団「あの鐘」公演の打ち上げのため、居酒屋で宴会が始まる場面。暗転後はそれから3カ月経った劇団の稽古場である。主人公の古町キョウヤ(崎嶋勇人サン)が劇団公演後にこのままではダメだという強い危機感を抱く。何を根拠に何が不足しているのか曖昧なまま、劇団員それぞれが考えてみることになった。
3か月後、次回公演に向けて集まったが何か様子がおかしい。まず脚本家が台本を書けない、制作サイドの宣伝活動にやる気が見られない等々。そのうち劇団を解散してはという話の流れ、この際、劇団員が思っていることを吐露していく。実はヤクザの娘、SM倶楽部でバイトしている、劇団の金を使い込んでいる等、赤裸々な話や不始末が露呈する。何となく内輪話のような気もするが、そこに居る人の性癖・性悪な面を見せることによって劇団内の不協和音を浮き彫りにする。身近な題材であるが現実味がなく、距離を置いた描き方になっているため”笑い”が醒めているようだ。
物語は稽古場に集まった一夜を中心に展開するが、ラストシーンを除けば、ほとんどが大声というか怒鳴り声に近い話し方である。そのため一本調子になり、メリハリが欠けたように感じる。
また、キョウヤは3カ月前...つまり公演打ち上げ後に交通事故死をしており、この稽古場に居るのは幽霊である。その幽霊が、他の生者の動線を気にするような動きをしており不自然に思える。
冒頭、キョウヤが力説していた”このままではダメだ”という思いは、この公演そのものを暗示している、そんなブラックな感想を持ってしまう。公演のテーマは何か、それをどう観せたかったのかが伝わらない。折角、稽古場に集まった団員の話をするのであれば、冷静な人間観察を通して劇団内の人間関係に観る狂気・狂喜・驚喜を巧みに駆り立てた(喜劇でも悲劇)作品に…ぜひ”鐘を鳴らして”ほしい。
次回公演を楽しみにしております。
なんてったって
青春事情
OFF OFFシアター(東京都)
2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団「青春事情」が楽屋裏の”アイドル事情”を謳い上げたような…アイドルとしての心構え、人間らしい生き方という一見相容れない生活スタイルの悲喜交々が観てとれる公演。主役のアイドルグループと別のアイドルを対比するような観せ方が緩い寓話のようにも思える。
物語はアイドル狂騒曲のようなコメディタッチの描きであるが、その展開はいたってシンプルで新鮮味が感じられないところが少し残念。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
セットは、ほぼ素舞台。デニム生地 が付いた箱馬が数個あるのみ。
梗概…男3名のアイドルユニット・ゴットチャイルドは、10代でデビューして以来20年間キッズと呼ばれるファンに支えられ活動してきた。その3人のコンサートシーンから物語は始まる。さすがに40歳が近づいてきた今日この頃、中年太りや薄毛などアイドルらしからぬ外見的問題が表れる。それでもファンを大切にするという気持と具体的な行為が長年アイドルを続けてこられた理由である。
しかし、そんな努力が無駄になるような出来事が発覚する。アイドルとしてしてはならないファンとの恋愛沙汰、ましてや女子高生との同居写真が週刊誌に...。未成年との淫行が表沙汰になればアイドル失格はもちろん社会的に糾弾されるという窮地に追い込まれる。
一方、公演が終わったらファンの彼女とデートはする、自らの公演に対する姿勢の甘さなど我儘し放題のアイドルを登場させ、”アイドルとは?”という偶像性を鮮明に際立たせる。アイドルの「自覚」と「責任」がファンを獲得し長く支持してもらえると説くような、そんな寓話性を感じさせる。また簡単にアイドルになれると思っている人物を登場させ、アイドルへの道は自惚れと自我で叶えられるかもという安易さ...その錯覚を面白可笑しく描く。
物語はアイドル(グループ)、所属事務所の人たちという業界側の観点で描いている。一見ファンの側が見えてこないが、ラストの姿なきファンのアンコールがゴットチャイルドの今後を暗示する。その予定調和のような結末は、何となく先読み出来て物足りない。
とは言え、もう2度と戻らない青春が舞台というフレームの中で熱くそして郷愁を帯びて語られる。その延長線上にある現在、中年になってもアイドルが続けられる有難さ、その思いが舞台の外に溢れるぐらい輝いて観える。それはアイドルという偶像性からファンを失望させるという側面、同時に人並みに恋愛をし子供を授かり育てるという側面、その両面を併せ持つ人間そのものの面白み、それを可笑しく観せている公演...楽しめました。
次回公演も楽しみにしております。
怪盗協奏曲
ZERO BEAT.
ザムザ阿佐谷(東京都)
2019/05/28 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★
タイトルから想像できると思うが、ミステリーである。そして協奏曲であるから異なる怪盗が登場して共鳴していく。その姿が気障で滑稽な...そんな人物たちの協奏曲ならぬ狂騒曲のような物語。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは、上手側から下手側に向かって下がるように設え、中央やや上手側に喫茶のカウンターがある。このカウンターは場面に応じて変化させることで、空間の広がりも変わる。
物語は、自称ルパンとゴエモンをリーダーとする怪盗2グループの暗躍を中心に、それを捕まえようとする警察、2グループの目的は違うが同じターゲットの人物を陥れるための共同作戦など、ミステリー要素を取り入れ軽快なテンポで展開させる。リーダー2人のそれぞれの過去と拘り、仲間の特技等を面白可笑しく描き、さらにアクションなどで観せる工夫を凝らしている。
物語は面白いと思うが、肝心の謎解きが粗く勿体ない。ラストがもう少し丁寧に展開、説明できていれば...。ターゲットの人物の屋敷に忍び込むが、セキュリティ装置に感知し不法侵入で警察に逮捕されそうになる。しかし実は忍び込んだと思わせたフェイクという謎解きである。映画ではよく見かける手法であるが、それを芝居で観せるには難しさがある。それゆえ謎解きが台詞のみで説得力に欠ける。ミステリー作品の醍醐味は謎解きの過程と納得性、結末の意外性だと思うが、そのどれもが弱いのが残念だ。
さらに登場人物の関係性を安易に付け過ぎたように思う。ルパンの父は行方不明という設定であったが、実は行きつけの喫茶店のマスター、そしてルパンを捕まえようとしている警察の担当者が実兄など、あえて関連付ける必要があるのだろうか。ルパンの亡き祖父への思い、しかしそこに父が介在してこないにも関わらず、喫茶店のマスターとして見守るという不可解な存在として登場する。本来の謎解きよりも散りばめた疑問の回収が出来ていないように思える。物語としては、面白く観せようとしている熱意が伝わるだけにもう少し丁寧な展開と説明があればと思う。
公演内容ではないが、主役の男優(ルパン役:森田晋平サン、脚本・ゴエモン役:足立英昭サンの2人)が終演後1時間ほど経ったころ、自分が先にいた飲食店に入ってきた。観てきたことを伝えたところ、丁寧な挨拶をしていただいた。この対応がファン(特に女性)の心を掴んでいるのかもしれない。
次回公演も楽しみにしております。
ひまわりの見た夢
雀組ホエールズ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/05/29 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
司法では裁ききれない心の罪...それを死者の視点で冷徹に見詰めた感動作。
兄・妹が加害者であり被害者という家庭内殺人、その重く苦しい心情を重厚に描いている。
(上演時間2時間)【ひまわりの見た夢~re-act】
ネタバレBOX
セットはダイニングでテーブルと椅子が置かれている。全体は上手側と下手側に衝立風の壁、上手側に2~3段の階段があり別室への通路、下手側は玄関といった造作のようだ。この舞台美術と衣装が物語の沈鬱な雰囲気を醸し出す。まず白い壁、白いテーブルクロス、この家の両親、姉、弟の上下服は白色。一方、後景が暗幕、床は黒で室内全体が鯨幕のようだ。
この公演は舞台美術や技術に工夫が施され、例えば暗転時に不気味な音-水に石を投げ入れた時に聞かれる”ポチャ”、不安を煽るような波照射など落ち着かない雰囲気を漂わす。
物語の結末は”そんなこと”という理由で終えるが、そこに潜む家族と本人の問題。それはどこの家族でも在りそうな、そんな身近で些細な事が大事になるという危うさ怖さを垣間見せる。知らず知らずに刷り込まれるような、そして本人はそれが自らの夢と思い込む。その錯覚は真面目なほど強迫観念になる。案外良い子になりたい-両親の期待に添いたいと思う気持ち、一方両親も自慢の我が子になる。そこに解り合えたと思う錯覚、思い込みが家族ゆえに表面化せず悩ましい。そこのところを実に上手く心情描写しており見事だ。
殺された末妹は、家族の期待に背き自分の好きな道(大学)に進み、兄も自分の好きな夢に向かって歩くよう説いている。それが煩わしくなり、自分自身を見失いといった衝動殺人(事後は冷静に切り刻む?)のようであった。それを兄(生きている者)の将来を慮かり末妹の素行の悪さを司法の裁きで陳述する。その結果、懲役12年の判決、服役し出所してきた。加害者家族になるか被害者家族の立場になるか、その二者択一を迫られた家族が選んだ道は…。
物語は末妹と付き合っていたジャーナリストが、事件に潜む闇、家族の娘に対する仕打ちを糾弾するような形で心の闇、事件の真相(原因・理由)を暴く。恋人(娘)生前は向日葵の髪飾りを付け、生死の区別をする。好きだった花-向日葵は「自由と正義」の象徴としてラストシーンに引き継がれる。そして真相(深層)が明るみになった時、家族の衣装が色彩あるものへ変化するという細かい工夫も好い。そして過ちを犯した者は紙屑になり、皺くちゃになった紙は元に戻らない。食事シーンや心の在りようを”紙”を利用して表現するところも上手い。役者陣は熱演、ほとんど室内という空間における濃密な会話劇は観応えがあった。
いくつかの疑問は、次公演(次週)で明らかにするという興行的?な観せ方か。上手いな~。
次回公演を楽しみにしております。
自由を我らに
カプセル兵団
ワーサルシアター(東京都)
2019/05/28 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
現代向けの内容。
文字で書かれた憲法を芝居として観せる、そうすることでより分かり易くなる、とは形を変えて公演の中で言われたこと。テーマである”憲法論議”をする前から、すでに権利に関する伏線があり、劇中で民主主義の根幹ともいえる多数決に潜む問題指摘をする等、色々な形で憲法にある条文をしっかり描き出す、その構成は巧みである。
丁々発止の会話劇、その内容は極めて現代に向けて発信し改めて考えさせるもの。物語は、新たな「日本国憲法」の発布にあたり、国民に新憲法を理解・浸透させるため政府は小説家、歌人、新聞記者、劇作家、随筆家、広告文案家、等の言葉の専門家を集め文語で書かれた憲法を口語に直す作業を依頼したが…。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、上手側奥に軽食・飲み物が置かれたテーブル、客席側に司会者用の演壇が置かれている。あとは会議出席者分の椅子があるシンプルなもの。もちろん椅子は始まるまでは客席側を向いており、その後議論の展開によって出席者が動かし向きも変える。
さて、文語体を口語体へ変更する期限は、翌朝の新聞朝刊に掲載するまでの時間。しかし印刷等に掛かる時間を除けば、実質2時間しか議論できない。これは上演時間2時間に重ね合わせ臨場感を持たせたもの。
政府によって任意に選ばれた文筆業等の専門家が集まってくるところから物語は始まる。1幕劇らしく、登場人物の人柄なりが分かるような紹介場面があるが、その中で女流作家が書いた心中物の小説を同じ会議に出席している劇作家が無断で上演している。周りは(著作)権利の侵害だと糾弾するが、女流作家は劇化することでより小説が分かり易くなると喜ぶ。”権利”の判断基準はどこにあるのか?小説家が書いた文章の”責任”とは?あれ、これって小難し憲法を劇化して観せるこの公演そのものでは?
さて口語体への論議は、第1章(天皇)、第2章(戦争の放棄)、第3章(国民の権利及び義務)を通して、解り難い言い回しを国民が理解でき新憲法が浸透するようにするもの。しかし議論が色々派生し漂流し出し、考えの違いによって纏まりが付かなくなると如何様にでも解釈できる曖昧な表現にするいう矛盾した結論へ。ここに”日本人らしい”という言葉に集約される無責任な姿が浮き彫りになる。
圧巻は、現代の改憲論議の中心であろう憲法9条「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」についての議論である。特攻帰りの小説家と政府役人(3人のうちの1人)による戦争・戦力・交戦権を巡る議論は、日本国内のみならず国際情勢に鑑み海外派兵云々はという現代的論争に通じるもの。この会議では日本が他国に攻撃(例えば、一時あった米ソ冷戦時代の仮想敵国等)された場合の自衛権の必要性が持ち出され、会議出席者の多くが賛同しそうになるが、頑としてその考えを受け入れない。民主主義の多数決に則れば…しかし自分の信念を貫き通す、多数決とは完全一致ではなく少数意見をも尊重する。憲法論議に絡めた民主主義の捉え方も鋭い。
全体的に憲法議論を通していろいろな日本人”的”な発想(アメリカに対する根拠ない妄信等)が観えてくる快作。
いくつも笑いの場を設けながら、しっかり憲法の曖昧さとそこに潜む危うさを垣間見せる。当時の状況に応じた憲法を取り合えず制定(曖昧に)して、後世の人々が時代に即して改憲すれば、という件はまさに現代へ問題・課題の先送り。政府役人(生粋万鈴サン)は力説する…10年後、50年後、100年後も戦争がない世であること。同感である。
次回公演も楽しみにしております。
REizeNT ~霊前って...~
junkiesista×junkiebros.
中目黒キンケロ・シアター(東京都)
2019/05/24 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
設定は葬式なのに喜劇という祝祭性で描く奇知のようなセンス...まずは「楽しい!」の一言。脚本や構成も然る事ながら、とにかく役者が個性豊かに活き活きと演じていた。
説明ではミュージカルとの謳い文句であったが、どちらかと言えば演劇(ストレートプレイ)の中に演出として劇中歌が入っていたように思えた。それだけ物語性があるということ。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セット...冒頭は誕生日パーティ会場であるが、衝立で仕切ってあるだけ。物語の中心は葬儀であるから、衝立の後ろには祭壇が…。その祭壇は花壇のように華やかで、ラストは電飾が点滅するほど鮮やかなもの。
物語の展開は分かり易く、金と欲に目が眩らみ富豪の女社長を毒殺するが…。
女社長は家族、交友関係者の中に犯人がいると睨み、死んだふりをして警察に捜査を依頼する。自らは棺桶の中で弔問客や家族の会話に聞き耳を立て情報収集をする。時に棺桶から抜け出し様子を窺う。一方、実妹、学生時代からの友人、自称隠し子、葬儀社員、同性愛者等色々な人々の思惑が飛び交い、誰が何の目的で社長を殺したのか。その緩い謎解きも物語の進展とともに明らかになるが…。
公演はミュージカル仕立ての喜劇として観せているが、その構成はしっかりとしており、物語の中で歌い踊っている。その意味で、純なミュージカルではなく劇中歌であり、物語の魅力付けとしてのダンスパフォーマンスといった印象である。
登場人物のキャラクターは面白可笑しくするため、相当デフォルメしている。また利害関係・恋愛関係を奇妙に絡め、展開に幅を持たせ観(魅)せ場を作る。
役者陣の演技は確かに面白く、物語に引き込まれる。逆にその面白さ力強さによって歌とダンスの魅力がかすんでしまったように思う。もう少し歌やダンスのシーンを多くし、その魅力が引き立つように工夫し、芝居・歌・ダンスが協調し劇的効果を高めるといったエンターテイメントな公演を期待しております。
次回公演も楽しみにしております。
かさぶた式部考
劇団櫂人(解散しました)
上野ストアハウス(東京都)
2019/05/29 (水) ~ 2019/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
タイトルは恋多き平安時代の歌人・和泉式部が「恥多きかさ病み」となり各地を漂白したという伝承に基づくものだという。「かさ」とは社会の理不尽により民衆が受ける痛みを象徴するものであり、血膿のフタはその下にある病巣が癒えない限り無くならない。
本公演は1969年に初演されており、いま上演する意義は当時の時代背景と現在が奇しくもオリンピック開催という高揚時、その影(下)で苦しみ悩む人々への鎮魂歌のように思える。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台は1967年の九州の農村。セットは中央を階段状にし、左右も段差高が違う階段があるだけのシンプルなもの。それを農家、公民館、本山宿坊、嶽薬師寺境内という情景を小物を置くだけで表す。例えば農家には井戸や茶器、公民館では蒲団、境内には賽銭箱や休み処の箱馬を置く。
梗概…炭鉱へ出稼ぎに行った男・豊市(高橋知生サン)は落盤事故で一酸化中毒による重い後遺症を患い帰郷する。母・伊佐(村川玲子サン)が献身的に庇護・介護をし、妻・てるえは別の形で夫を支えている。しかし中毒による耳鳴り、頭痛、錯乱は日に何度も繰り返し、暮らしは困窮を極める。ある日巡礼団と関わり、その一行を率いる尼僧・知修尼(佐藤陽子サン)に豊市は心惹かれる。そして母と共に九州日向の本山まで同行することになるが…。
脚本は秋元松代、日本各地に伝わる「和泉式部伝説」を基に社会の底辺に生きる人々の哀しみと魂の救済を描いており、その劇風は土俗的でありどこか日本の原風景を思わせる。それゆえ、今から半世紀以上前の物語でありながら色褪せることなく観ることができる。
一酸化炭素中毒という社会問題を軸にしつつ、別場面でカドミウム(環境汚染で発生したイタイイタイ病)という別の中毒も出し、時代と所を変えても至る所に病巣があることを暗示する。1967年といえば、1964年に開催された東京オリンピックから1970年に開催された大阪万博などによる特需などもあり、高度成長期の只中である。しかしそうした社会背景にありながら、本作のような社会の歪みもあった。
公演は社会問題と同時に、母子、夫婦、嫁姑という日常に潜むのっぴきならない関係も濃密に描き出す。また知修尼と信者たちとの性愛、そこに宗教と本能という建前と本音、ここに和泉式部の「恥多きかさ病み」が透けて見えてくる。そして脈々と受け継がれる修行中の秘匿、そこには式部の末裔「68代和泉式部」の”かさぶた”が隠れているようだ。それらも含め、登場人物全員=民衆の苦悩とその先にある光明が現代に通じる説話になっている。
演出は、緞帳代わりの紗幕に、冒頭は1964年時の東京オリンピックの写真、ラストは2020年開催予定の東京オリンピックの会場建設写真を映し出す。半世紀という時を隔てても、なお残酷な現実(原発事故等)が横たわることを提示する演出は巧みだ。
演技は、豊市の狂気と正気を行き来する端然な演技、母の執着と哀願に見える悄然した姿、妻の愛情と生活の中に見える凛然とした逞しさ、そして知修尼は法衣の下にある美しさと淫情といった凄みが出ていた。全編にわたっての方言・肥後弁は土着感、地に足を付けた民衆といった印象を持たせる。またセットのシンプルさと同時に衣装のモノトーンは、色彩=活気というイメージを持たせない工夫であろう。
最後に卑小とは思いつつも、豊市を渓谷に吊るすシーンは全編の硬質感ある雰囲気とは異質のようで、違和感を覚えたが…。
次回公演も楽しみにしております。
ロミオとジュリエットたち
劇団おおたけ産業
新宿眼科画廊(東京都)
2019/05/24 (金) ~ 2019/05/29 (水)公演終了
満足度★★★
そういう結末か~、なるほど劇的と言えるような展開である。本公演ではネタバレを書いては面白くないだろう。
説明文を引用した梗概…高校の演劇部の部室。 男子部員1人と女子部員9人たちは、今年のオープンスクールで上演する「ロミオとジュリエット」の配役会議をしている。ロミオ役は「唯一の男」という理由で部長に決定した。 ジュリエット役は 「やはり副部長がジュリエットをやるべき」という意見が大勢を占めたが、当の副部長が 「絶対にやらない」と宣言する。 この言葉をきっかけに、会議は紛糾し始めた。
展開は面白いが、その結末に至るまでのテンポが緩く、時に間延び、気まずく、そして微妙な雰囲気のようであった。結末のインパクトを意識した演出にしても、公演全体の流れはもう少しアップテンポしてもよかったと思う。同時に台詞もボソボソとした小声が停滞感に拍車をかけているようで勿体ない。さらに部長に対する行為があそこまでエスカレートするか?という疑問等、いくつかのツッコミ所はあるが、それは卑小なこと。
公演は、気まずくなった会議をどう収拾するのか心配したが、劇的な結末によって無事「ロミオとジュリエット」が上演できそうになるが、また新たな暗雲が…。
次回公演も楽しみにしております。
(上演時間1時間)