「話してくれ雨のように」 公演情報 劇団夢現舎「「話してくれ雨のように」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    説明にある「都会ノ片隅ノ家具付キ貸間デ、雨音ヲ背ニ男ト女<ふたりぼっち>ガ劇シク話シ続ケル…」の都会とは、マンハッタンのミッドタウン。そこのあるアパートの家具付きの部屋での会話劇。
    何の変哲もない、むしろ心も物もなく袋小路を彷徨う男女の姿が描き出される。諦念とも思えるような状況下にあって、女が語る妄想話は奇妙だが一筋の光が射すような…。
    同じ脚本を2組の役者が演じて観せる試みは、自分好み。
    (上演時間1時間50分 50分×2組 途中休憩10分)

    ネタバレBOX

    セットは、上手側にベット、下手側にテーブルと椅子、そして窓がある。

    梗概…ベットで寝ていた男が、溜め息まじりに眠りから覚める。女は、窓辺のイスに座り、水の入ったタンブラーを持ってちびちびと口をつける。惰性のように一緒に暮らしており、2人の言い争いは何回となく繰り返され、感情の内実が欠落し変わる見込みは微塵も感じられない。その冷え切ったような関係、男女の複雑もしくは屈折した思いの物語は取りたてて何も起こらず、ただただ男女がぼそぼそと喋っているだけ。2組の演者はどちらもその体現がしっかり伝わる。
    演出も極力抑え、時折、外の雨音や落雷の轟音が響くという音響のみ。

    2組の役者が同一の脚本を演じるが、物語に特別な出来事が生じる訳でも、ましてや2人に特別な感情が芽生えている訳でもなく、惰性的に繰り返される会話。それも狭い室内であるため仕草や行動が制約された演技に成らざるを得ない。しかし、その限定空間にも暮らしの息遣いは伝わる。乾いた関係、何かを諦めた空虚感、成り立っているのかいないのか定かではないコミュニケーション等、奇妙な感覚に捉われる。その営みを表現するには削ぎ落した自然な演技、シンプルにした上で内実を豊かにするという極めて高度な演技力が求められる。それもベットとテーブルの間という狭い空間で...。

    1組目(大星響サン、三輪穂奈美サン)は、どちらかと言えば心情表現に近いようだ。それは身体的表現を極力抑え、室内に漂う雰囲気に身を任せるような、そんな受動的なイメージであった。
    2組目(益田喜晴サン、小玉陽子サン)は、どちらかと言えば身体表現のようだ。女が座っていた椅子の背もたれに寄り掛かる、窓に向かう動線も大きく回り込むようだ。そんな動作を少し変えるだけで能動的に観える。
    狭隘な室内に、どれだけ濃密な雰囲気を漂わせ、空間的な広がりを取り込むことが出来るか。それが物語(脚本)の底流にある2人の思いを表現するようだ。同一脚本、演出でありながら、演者(技)が異なると物語の雰囲気が違って観える。その意味で演劇-ライブ-としての面白さ醍醐味を改めて感じた。この Simple is bestのような脚本を試作上演するという試み、その向上心に感心する。
    次回の公演も楽しみにしております。

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    2019/06/09 23:50

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