タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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方丈の海

方丈の海

方丈の海2021プロジェクト

座・高円寺1(東京都)

2021/03/12 (金) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2011年3月11日の東日本大震災、その出来事を10年後の2021年3月に東京・高円寺で上演する。故石川裕人が黙示録的に描いた遺作、10年ひと昔前と言われるが、決して忘れてはならないと思わせる。被災地域に住んでいないため、日常的には何ら(直接)暮らしに影響を受けることもなく、ともすれば忘れてしまいがち。かと言って毎日意識するといったことは難しい、いや出来ないといったほうが正直だ。日々の暮らしに影響を及ぼす被災地の人々との意識のギャップは埋められない。それでも地続き、記憶にとどめ”何かを”といった思いを巡らせる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、この港町にある映画館がやや上手側にあり、下手側は奇妙なオブジェと出入口。
舞台は東北の港町。⼩さな⼊り江に漁港があり、半農半漁のこの町に200⼈くらいが住んでいた。しかし、あの⼤津波で町は全滅し、1館あった映画館(岡⽥劇場)だけが残った。館主の岡⽥英⼀は津波で⽣き残ったが目を傷めてしまった。岡⽥家族(⽗・⺟・1人息⼦)はバラックと化した映画館で今も暮らしている。そこに同居する震災で⽣き残った漁師の兄妹。

東⽇本⼤震災から 10 年。ひっそりと暮らすこの家族のもとに、遺骨を探す三陸の男、半⿂⼈カイコーを連れた興⾏師、地上げを企む不動産屋と秘書、謎の⽼婆、記憶をなくした伝説のサーファー、精霊(コロス)などが現れる。穏やかな日常を切り裂くように持ち上がった土地買収問題。なぜこの地を買い上げようとしているのか…。

たびたび現れる精霊(コロス)は、東日本大震災で亡くなった人々(亡霊)かと思って観ていたが、アフタートークで、生きていた先祖を表現していると。時代を経ても地続き、そこでの(先祖も含め)暮らしを表現しているらしい。震災があろうがなかろうが生活の場であり、なかなかこの地を離れることが出来ない。事実あった出来事を、特異・特徴ある人々を登場させ、敢えて現実的(リアル)にせず喧噪的に紡ぐ。ノンフィクションでありながら、何故か賑々しい人々によってフィクションの様相をみせる。その演出の柔軟性に驚かされる。しかし、底流には醒めた視点で「時間を記録」し「人々の記憶に留める」ような強靭さがあるのだ。

東日本大震災の黙示録的な本作は、時間を超越しドキュメンタリー要素を垣間見せる、”力作”。舞台終盤、第三暁丸が微かな希望をのせて 10 年ぶりに船出する、は明日への希望と活力を意味する。
次回公演も楽しみにしております。
先の綻び

先の綻び

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2021/02/17 (水) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

犯罪被害者または加害者の観点から描いた物語は観たことがあるし、稀に両方の観点(立場)から描いたものもあった。この公演は単純に被害者・加害者という観せ方ではなく、犯罪の行為そのものに対する憤り、しかし直接的に感情をぶつける相手がいないことへの苛立ちが悲哀となって迫ってくる。
空洞のような家族の空気感と心象を見事に切り取り繊細に描いた秀作。観応え十分!
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、郊外にある小山家のリビング。そこは家族団欒の場所であり、家庭の雰囲気を表すのに最適な空間。物語は小山家の人々の日常生活を淡々と描くが、何かが変である。当日パンフに「とある郊外の一軒家、ある男性がもたらした、今そこにある少し不思議な共同生活」とある。ある男とは小山家の長男・信太である。先に書いてしまうが、この男は既に亡くなっている。が、たびたび登場して物語を傍観しながらも牽引する不思議な存在である。家族_兄弟姉妹と言っても性格が違うように、家族内での役割のようなものをそれぞれ担っている。信太亡き後、家族内の揉め事はなかなか収まらないことから、長男として調整役というか緩衝的役割を果たしていたようだ。それを回想的に描くことによって、幸福だった家族に突然襲いかかった不幸への落差として観せる。

なぜこの男が亡くなったのか、その原因、亡くなって気付く人柄を通して、犯罪の理不尽さを浮き彫りにしていく。暴漢に襲われていた女性を助けるため、自分が犠牲になってしまった。物語に犯人は登場せず、助けた女性のほうが現れる。犯罪(ここでは被害者視点)は被害者本人だけではなく、家族や周りの人々に影響を与える。切々と語られる思い出、その滋味溢れる描き方がこの物語を強く印象付ける。

事件から数年経過しているが、いまだに取材を続けている記者(後にその理由が分かる)、その人物を通しても被害者家族が語られる。信太にしても助けられた女性にしても被害者という立場であるが、小山家の人々にとっては微妙な感情を抱く。一方 助けられた女性も心苦しい思いを抱き続けるという不幸。割り切れない気持ち、その思いの捌け口が見い出せない光景として描く。しかし時が少しづつ心をほぐし、ラストには救いの光がさすような心温まる、そして後味の良い公演としている。

パンフには「思い出と共に訪問してくる人々。繰り返しながらも変化していく」とも書かれている。ゆれる心、流される情、微妙に変化していく気持を実に繊細に演じる役者陣。照明は、水面に波紋を広げるような紋様で、表現し難い内面を効果的に表しており見事。
次回公演も楽しみにしております。
カミキレ

カミキレ

藤原たまえプロデュース

小劇場B1(東京都)

2021/02/14 (日) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日観劇。
藤原たまえプロデュースの公演は、何作か観ているが、いつも不思議に思う。普通の日常を淡々と描いており、劇的なうねりはあまり多くない(←失礼だったかな)。しかし多くの人が観にきている。
そこ(公演)には人の優しさ温かさようなものをそっと掬い上げる、そんな魅力に溢れているからではなかろうか。
本作も多くの人々が何らかの理由で使用するであろう「カミキレ」を題材に滋味ある(一部ミュージカル風?)作品に仕上がっている。自分は好きである。

最近、他で【18禁】公演を観劇したが、本公演、自分が観た回は【18未満】の子供も観劇していた。それだけ親しみやすいもの。
(上演時間1時間15分) 

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

オフィス上の空

シアターサンモール(東京都)

2021/02/07 (日) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「ピーチオンザビーチノーエスケープ」
【🔞】

吊り橋効果を思わせる独特な描き方は、強烈な印象を与える。ノワール劇と言っても過言ではないが、囚われた少女の体と心(精神)、その成長・変化が並行して描かれることによって、別の味わいを持たせている。
説明に”事実をモチーフに”とあるが、事実とフィクションを巧みに織り交ぜ、身も心も全て曝け出し、行き場のない衝動、時には暴力を切り取った衝撃作。
(上演時間1時間55分)

ネタバレBOX

中央に大きなベットが置かれ 周りに飾り箪笥等、下手側に小スペース。この部屋への出入り口は上手側にあるという設定。物語は大別すると、兄弟による反社会的というか悪事で成り立っている。第1に兄がこの部屋(ベット)に監禁している少女との痴態、第2は弟が刑務所から出所し昔の悪友へ脅迫的な行為を行っている、この2つで構成されている。それぞれが独立したように物語が展開していくが、兄弟が久しぶりに再会したことによって転げ落ちるような嫌悪感を増す。

冒頭、兄・藤谷ミキオがベットが置かれている部屋に来て、1人の女の子と性行為をする。そのベットを囲むように他の女の子が凝視している。この部屋の壁や床はペンキで青く塗られていて、誰が名付けたのかこの部屋は《ビーチ》と呼ばれていた。
《ビーチ》にはセーラー服、ナース服やミニスカポリスなど、安っぽいコスプレをした女たちが共同で生活している。毎日夜になるとミキオがビーチにやってきてランダムに女を呼ぶ。実話をモチーフに、狂気とエロスをどぎつくプンプンさせながら描いている。

観せ方は妄想のような描き方であるが、実は1役8人(多重人格風)で演じることで(監禁)年数を刻む。少女のコスプレ風の衣装は、彼女の年齢やミキオの趣向を表現している。一方、ある小物を利用して彼女の精神的な成長―自分による構築した他者(人格)との交流が垣間見える。それは日記を記することによって更に自己との対話を図り記憶の底を探る行為のように長じていく。だから物語の進展とともに少女の心の深淵が浮かび上がる。
一方、弟は直接的な(暴力)行為はしないが、精神的な圧迫・脅迫によって相手にダメージを与える。この兄弟が交錯することでノワール感が倍加する。何より この兄弟の生い立ちはどうなのか気になるところだが…。

この公演、色々な意味で刺激的であった。概観は嫌悪感あるように思える。が、それでも醜悪で汚らしく、猥褻で退廃的、残酷で倒錯的という、反良識、反社会の芸術(もちろん演劇も含まれる)は、世の中の反発や弾圧に遭いながらも一定数の愛好者を獲得し、連綿と支えられているのも事実ではなかろうか。その作品は悪趣味だと思いながらも、なぜか強く惹かれる。おぞましいけれども否定しようもなく、人の心の中にある歪みと狂気をこっそり覗き確かめたくなる。まさに本公演の真骨頂を観たようだ。自分の中の”狂気じみた”何かが蠢いたような気がした。
次回公演も楽しみにしております。
三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

国産本マグロ

高田馬場ラビネスト(東京都)

2021/01/02 (土) ~ 2021/01/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三国志は学生時代に読んだ。公演の前説では横山光輝氏の「三国志」(漫画)を紹介していたが…。映画「レッドクリフ」(partⅠ、partⅡ)も観ているから、内容の面白さは十分理解しているつもりだ。2人だけで三国志の主要人物を演じ、特に「赤壁の戦い」はその中でも有名な人物が登場し、よく知られた8場面を持って分かり易く展開していく。2人だけと記したが、正確には案内役2人と舞い手(ダンサー)2人がおり、物語を立体的に構成していく。芝居だけではなくコント的要素も取り入れ笑いを誘い、観客を飽きさせない工夫もある。なにより2人だけで三国志という時代絵巻の壮大なスケール感を出そうと試みているところが魅力的だ。
(上演時間2時間 途中 換気の休憩あり)

ネタバレBOX

セットは可動式の衝立2つ、箱馬2つというシンプルなもの。もっとも合戦劇であるからアクションスペースを確保する必要があるため理に適っている。物語は西暦180年~280年頃の中国ということで、中国歴史に詳しい人でなければ背景・状況が理解し難い。その分かり難さを補うために案内役(雰囲気ある衣装と髪型)が適宜登場し、上手・下手側にそれぞれ立ち第1場から第8場を要領よく説明していく。
またダンサー2人が合戦時における雑兵役を担うが、赤壁に因んだのだろうか、真っ赤な衣装を纏っている。そして音響はもちろん照明も凝らしている。例えば第3場で諸葛孔明が曹操軍から闇夜に10万本の矢を奪うシーンでは暗転しレーザービームライトで矢を射ているような効果で観(魅)せる。

基本的には2人だけで演じるから現在の会話劇にならざるを得ないが、身体を回転させることで人物が変わったイメージを持たせる。オーソドックスな方法であるが、そこに人物風貌を面白可笑しく加え説明することで取りあえず物語を進める。物語に登場する人物はもちろん、本公演の副題ーたった2人の赤壁の戦いーというキャッチコピーからすると、役者2人もアヴァンギャルドな漢(おとこ)という印象を持った。

最後に、物語を知っているか否かで観客の興味・理解度合いも異なると思うが、時々に入るコント的な妙味とダンスパフォーマンスが公演を盛り上げる。新年早々とても面白い「三国志」を観ることが出来た。
次回公演も楽しみにしております。
ダンスミュージカル『お私立 花村学園』12月公演

ダンスミュージカル『お私立 花村学園』12月公演

総合エンターテイメントショー『ダンスミュージカル お私立 花村学園』実行委員会

滝野川会館 大ホール(もみじ)(東京都)

2020/12/26 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

典型的なエンターテインメント公演。第1部のミュージカルと第2部のダンスパフォーマンスという2部構成。ミュージカルの内容はオーソドックスなハッピーエンド。場面ごとに演じられるパフォーマンスはキレがあり見事なもの。第2部のダンスパフォーマンスは個人もしくはグループの演技発表の場といった感じだ。
(上演時間3時間5分 1部:1時間45分 2部:1時間 途中休憩20分)

ネタバレBOX

1部:ミュージカルの舞台後景は映像で情景(学園内など)を映し出すことで雰囲気を出す。そこに学園一の色男:二階堂龍平(如月蓮サン)を始めとする生徒達のキレのあるダンスや歌が繰り広げられる。チラシの出演者(顔写真)だけでも30人(ほとんどが若者)で華やか。彼ら彼女らが舞台いっぱいに繰り広げる芝居、歌、パフォーマンスはコロナ禍という疲弊した状況を吹き飛ばすような明るさ元気があって、2020年の観納めとしては好かった。

花村学園の紹介に「皆の笑顔がみたい。一緒に楽しい気持ちになりたい。そんな幸せな瞬間は、やりたい事ができている瞬間。そんな瞬間をお届けしたい、それが私達花村学園の思いです。観る側も演じる側も幸せになれる場、それが総合エンターテイメントショー『ダンスミュージカル お私立 花村学園』です。」とある。そして「こんなの今まで観た事ない、がキャッチフレーズの息をもつかせないスピード感のステージが繰り広げられます。」と結んでいる。その思いが十分伝わる内容であった(部分的に啓蒙的な場面もあったような)。

卑小と思いつつも、1部ミュージカルのラストはニューヨークへ旅立つもの。であれば2部のダンスパフォーマンスの後景(映像)はニューヨークの街や風景、または生活場面を映し雰囲気作りをすることで、何となく1部と2部の繋がりが出せるのではないか?
次回公演も楽しみにしております。
世別レ心中

世別レ心中

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2020/12/26 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

落語から演劇の中に入るのか、または落語噺の前後に物語を加え、動作を交え演劇として膨らませたのか、いずれにしても「落語」と「演劇」を融合させた作品は面白かった。
(上演時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、金屏風を背に落語の高座そのもの。まず役者(前田隆成 氏)が下手側に立ち、落語「鰍沢」の説明をする。そして中央の高座で落語「鰍沢」を噺だす。この時点で着物の羽織を脱ぐあたりは落語スタイルの所作を感じさせる。

落語噺は面白いが、やはり情景ー厳寒、寂寥感という描写が弱く、その状況から主人公の心細さが十分伝わらないところが残念。落語家と比べるのはどうかと思うが、この後に続く芝居の内容からすると、もっと”鰍沢”の雰囲気をしっかり受ける必要があったと思うからである。落語から一人芝居へ転ずるにあたり、着物姿から部分的に毛皮が付いた衣装へ早変わりさせ、観せるという型へ変化させる。同時に座って話すから、舞台上を動き回るという躍動感ある演技で観せる。落語と芝居という噺(話)を連携させ、それぞれのスタイルの違いを巧みに演出し、工夫して観(魅)せるところに好感。

芝居は落語噺の前段として人間と子狐との触れ合いと悪意なき騙し(結果的にそうなった)を付け加える。落語噺「鰍沢」のサゲは念仏「南無妙法蓮華経」というお題目だったが、芝居におけるサゲは人に関わることだったような…人間からみた狐は獣、逆に狐からみた人間も野蛮な獣というわけで、それぞれから相手を獣(ノケモノ)と見做している。その化かし合いの根底には、人の存在がある。「仏」と「化」は似ているが非(旁も違ったと思う)なるもの。しかし、この公演は、「落語噺」の”生きたい”という気持と、「芝居話」では 九尾の狐 をイメージさせるような子狐が登場し、有限の”生命”に対し、というかその更なる延長のような無限の”不死”という悩ましい結果(サゲ)を用いるところが巧い。なかなか面白い趣向で楽しめた。
次回公演も楽しみにしております。
“真”悲劇の生物兵器2367号

“真”悲劇の生物兵器2367号

空想実現集団TOY'sBOX

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/12/23 (水) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

山奥にある元製薬会社研究施設で起こる物語は、徹底的に娯楽を追求しようとした すれ違い、勘違いのドタバタ・コメディ。この公演は多少のオーバーアクションとテンポの良さで観る者を心地良くさせる作風。それはコロナ禍で鬱積した気分を吹き飛ばすような…。
(上演時間1時間50分)「哀」チーム

ネタバレBOX

舞台セットは中央に応接用のソファとローテーブル。奥に暖炉が見えるだけのシンプルなもの。普段利用していないという設定であるため、ライフラインは通じているが、時々電気を消す。暗闇という状況下で動き回るためには家具類は少ないほうが都合がよい?また客席も含め花・蔦が絡まり山奥という雰囲気作りをしている。

「“真”悲劇の生物兵器2367号」というタイトル、そして山奥で人が居ないという設定は、当初 不気味さを漂わせていたが、某雑誌社(記者とカメラマン)、駆け落ちアベック、詐欺師とそれを追う刑事という、大括りで3組が登場するに至って、サスペンス調が一種のサイケデリックに陥るような感覚へ?

何か(人間の)根源を見つめる、または社会的な批評(判)を成すといった作品ではなく、大いに笑って楽しむ、同時にこの世はすれ違いや勘違いの連続で、そこで暮らしている人々の可笑しみを敢えてデフォルメして見せているように思える。演出は、誰かが隠れ誰かが追いかける(出ハケ)、まるで子供の頃の”鬼ごっこ”(観せ方含め)のような遊び心に満ちた作品。先にも記したが思索を伴うといった煩わしさがなく、年末の慌ただしい時にホッと一息つけ心が休まる。
さてタイトルー悲劇と内容ー喜劇のギャップは意図的なものだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
絶対、押すなよ!

絶対、押すなよ!

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2020/12/22 (火) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

冒頭、客席通路から登場し、舞台上で見せた後姿のシルエットはサスペンス・ミステリィを思わせたが、それは始まりだけ。物語の大半は笑いである。しかしラストはそれまでのコメディから一転滂沱を誘うような結末。”笑劇”から”衝撃”的な結末へ導く。その感情の落差というか振れ幅が凄い!
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、中央台に何やらボタン、その周りに椅子が10脚。正面には段差ある舞台という極めてシンプルな作り。それゆえ何処かの室内であることは一目瞭然。同窓会という触れ込みで集まった中年(50歳代)の男4人と自衛隊員と称する若い女1人。物語の展開を書いては、これから観劇する人の楽しみ 面白さを奪ってしまうため書けないが、人生の軌跡を辿りながら奇跡的な思い、その心温まる結末が今年のコロナ禍(時事ネタとして盛り込み)という暗い世相を吹き飛ばしてくれそうだ。ボタンは「絶対、押すなよ!」でも、人生の背中は「絶対、押せよ!」友達なら…そう、この公演は人生の応援歌である。

物語は、期待を裏切ることなく何事も完璧にこなす事を良しとした男。不満を残し後悔するような事はしない。何事にも真摯に向かい合う。それが小学生時代からの信条で、友達間ではリーダー的存在。その生き方は正論であり、一方 見方によっては一定の殻で身を守り、周りに息苦しさを感じさせる。登場人物は、そんな身近に居そうな人物。その中年男4人が馬鹿話や他愛のない行動、チョットした仕草を面白可笑しく演じ、劇場内に失笑、小笑、爆笑を巻き起こす。

舞台の段差を活用し、そこを上らせながら小学校以降の人生を語らせる。定番的な演出だが、味わいと雰囲気は伝わる。ところがこの場面にもツッコミを入れて笑いを誘う。どの場面も、そして どこまでも笑いを引っ張り、ラストはどうなるのか興味を引き付ける。が、この人生の歩みと言うか軌跡(心)あたりから、ラストに向けたスパート的展開が見事。観応え十分だ。もう相当ネタバレしてしまったか?

もちろん中年男4人の演技は素晴らしいが、紅一点の自衛隊員が笑顔もなく淡々と話す姿が、男たちの対比として面白い。そしてこの娘が重要な役どころになっているとは…。出来れば観客の雰囲気を含め劇場で生(ナマ)で楽しみたい作品である。
次回公演も楽しみにしております。
エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 この公演の優れたところは、時代背景の説明と人物造形の多角性にある。物語は1920年代から1945年までを順々に展開し、その時代に生きた人々の性格はもちろん、立場や状況を実に巧みに描いているところ。また国家・人種観という大局観から人の感情という生活や内面まで取り込んで観客を魅了する。国家(体制)その時代にその地で暮らす人々を巧みに描くことで、物語に厚みを持たせている。この骨太・重厚感は一見難しい内容に思われそうだが、一人ひとりの人物像を魅力的に描くことによって、物語の世界にグイグイと引き込む。
 タイトルにもなっている主人公エーリヒ・ケストナーは、ナチズム台頭と同時に創作活動(少なくとも発表禁止)は行わないという抵抗をしたらしい。閉塞した現況という点(物語背景の状況とは全然違う)において、コロナ禍にも関わらず、当日パンフに脚本・演出の鈴木アツト氏は早くこの作品を上演したかったと記している。観客として自分もこの作品を今観ることが出来て嬉しく思う。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術…冒頭は1920年代ワイマール期のカフェ、テーブルと椅子のセット。2場以降はナチズム下のケストナーの自宅リビング。調度品等をしっかり配置し、特に本棚は彼の職業を意識させる。ラストは某所宿舎といったところで、簡素な作り込み。セットは場面転換によってその時々の状況を分かり易く説明する役割を果たす。また1923年から1945年ドイツの敗戦迄を時間と場所を下手側にスーパーとして映し時代の流れと人々の意識変化を分かり易く補足していく。舞台技術である照明は全体的に昏く、時に焚書を思わせる本棚へ朱色照射など状況を効果的に観せる。また音響では飛行音、爆撃音をいった状況の緊張感を意識させる。そうした演出を背景に熱い議論を展開させるあたりが実に上手い。

公演は人物の生い立ち、立場・状況を確立する。その人物量感と時代感覚・間隔を浮き上がらせる。主人公とその周りの人物を特徴的に造形、表出することで時代に抵抗するか迎合するか…しかしそのような単純な描き方はしない。そこには人の”生きる”という根源的な問題が横たわるから。それぞれの人物に生き方の違い、選択肢を背負わせ、ケストナーという人物の生き様が鮮明になる。その意味では彫刻でいう 浮き彫り といった印象の群像劇だ。

ドイツ人、ユダヤ人といった民族性を強調して描くことで、なぜケストナーが亡命せず、故国に居続けたのか。この地で無言の抵抗を続けた思いが伝わるようだ。国(体制)と個人(ここでは芸術家)、現実(支配)と理想(抵抗)が衝突し、その矛盾は簡単には解決出来ない。登場人物の葛藤を通して むき出しの人間存在や不条理が露わになる。国家を成す人間社会の醜さや残酷さを思い知らされるが、同時に人間の切ないまでの生命力も感じる。民族性に差別と偏見の歴史を見るようだが、ケストナーにそれに抵抗する精神を象徴させたかのようだ。

ドイツ敗戦後、レニ・リーフェンシュタールとケストナーとの激論は時代を超えた芸術家(表現者)としての生き方そのもの。後の時代(人々)によって検証されるであろう覚悟も含め、その応酬は緊張感あるもの。またレニの「女には権力にすり寄るしか映画を撮る道はなかった」「あなたは私を見ると、鏡のように自分の姿が見えて苦しい」などの珠玉の台詞は、現代日本にも通じ心に響く。ケストナー役(玉置祐也サン)とレニ役(今泉舞サン)の激論は、2人の口跡もクリアーで確固たる論理の展開、格調も高く心魂揺さぶるものだった。この公演は、まさに自分の思考を…。
次回公演も楽しみにしております。
[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率

[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2020/12/03 (木) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

「言葉」という 力 を舞台_その構図と構成に巧みに取り込んで描いた詩×劇。語られる内容は、現実に起ったこと、現在進行形で起きている試練を時間の流れの中で具象・抽象を混在して観客の意識を刺激する。焦点は現在の状況であるが、この作品が不透明な現代において普遍性を確認するのは、もう少し時間がかかるだろう。
和合亮一氏のテキストを篠本賢一氏の構成・演出によって、舞台ならではの美術・技術で視覚・聴覚に印象付ける。まさに演劇の面白さを再確認させられたようだ。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

暗幕で囲った舞台美術はシンプルで上手・下手側にそれぞれ4つの白い箱馬が並び、上手側の演じ場と区切る形で演奏(キーボードとチェロ)ブースがある。演奏といっても音響鐘に続いてスタッカートで効果音を奏でる、その響きが物悲しく思えるのは錯覚であろうか。天井からは目に見えない放射能、ウイルスをイメージさせるオブジェが吊るされている。下手側には誰も座らない椅子が一脚置かれ、時々 暖色照明を照らす。フクシマという遠隔地にいる人との語らいか、または行方不明者や死者との魂の共鳴をイメージさせるのか。
出演者の衣装は男性1名が黒、女性8名が白で、何となく防護服を連想させる。舞台全体がモノトーン、出演者は客席後方から静々と歩いてくる。その姿は重厚感と同時に悲愴感を漂わせている。

語られるのは、2011年3月の東日本大震災(原発汚染)、現在も収束していない新型コロナウイルス・covid-19、さらに九州地方を断続的に襲った豪雨による災害。特に原発と新型コロナは、目に見えない不安・脅威に脅かされている人々の苦悩と悲哀を”言葉”と”パフォーマンス”で印象深く伝える。しかし、その描き方は世情の委縮や閉塞といった静観するものではなく、役者が次々に箱馬の上に乗り飛んだり跳ねたりといった動作。さらに舞台中央でサークルを成し、上衣を振り上げる動作が不安・不満を表すと同時に、それらを払拭しようとする。その動態が生きようとする人間の逞しさを表現している。さらに三者の声…男優・女優そしてナレーションはそれぞれの内なる思い、本音(主観)と現実(客観)を表現する。冒頭にある「言葉を失う」「言葉が見つからない」といった詩ならではの台詞が重く、終始 圧迫感ある雰囲気を漂わす。
が、苦悩等は弱いもの者から顕わになる、しかし明けない夜はないと救いもある。その意味で、この公演は人間賛歌を謳ったものと言えるのではないか。

最後にこの作品は、現代において観るべき”価値”が発揮される。時代を経ることによって、例えば10年後に観た時は、また違った印象を持つのではないか。そこに演劇の特長的な魅力があると思う。違った印象=変化とは、我々の「現実生活」であり、新しい形と内容の”現代”に直面しているであろう。だから観るべき時は今が一番よく解るであろうから。同時に現実の帰結を洞察しつつ、未来をも見据えようとするベクトルも感じられるところが素晴らしい。
次回公演も楽しみにしております。
サンタクロースが歌ってくれた

サンタクロースが歌ってくれた

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2020/12/03 (木) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

銀幕から抜け出すという設定は、2~3年前にあった映画「今夜、ロマンス劇場で」を思い出す。もちろんこの公演「サンタクロースが歌ってくれた」の方が先に世に出ている。映画を引き合いに出したのは、映画(映像の編集)に比べ舞台という空間において時代という次元演出が難しいであろうが、実に上手く観せているところに感心するからである。
説明にある通り芥川龍之介と江戸川乱歩が登場するが、現実に出会ったかは疑問(フィクションだと思うが)である。しかし、それぞれの代表作を絡めた物語であるところが興味深い。
(上演時間2時間 途中休憩あり)
【B】柳瀬演出チーム

ネタバレBOX

舞台セットは真ん中に階段を設え段差を設けただけのシンプルなもの。真ん中の上部と上手・下手側にある六角形窓が館の雰囲気を漂わす。

梗概…現代-ゆきみはクリスマス・イブに友人のすずこに電話をかけ、映画『ハイカラ探偵物語』を観に行こうと誘う。以降、彼氏がいない女性2人の妄想のような…。
映画の中-「ハイカラ探偵物語」の舞台は、大正5年のクリスマス・イブ。華族の有川家に怪盗黒蜥蜴から宝石を盗みに来ると予告状が届く。警察(警部)が来るが何となく頼りない。そこで有川家の令嬢サヨが友人フミに、フィアンセである小説家芥川に探偵役を依頼できないか相談する。依頼を受けた芥川は友人の太郎(後の江戸川乱歩)と共に有川家を訪れ、黒蜥蜴と対峙する。そして映画は序盤のクライマックスシーンへ、そして芥川は犯人の名前を言おうとするが…。本来ならその場に居るはずの黒蜥蜴が、忽然と居なくなった。突然、芥川は黒蜥蜴が「銀幕の外」に逃げたと言いだす。そこで芥川・太郎・警部の三人は銀幕から飛び出し、ゆきみと共に黒蜥蜴を追いかける事に。

犯人・黒蜥蜴の名は江戸川乱歩の代表的な探偵小説。その謎解きに芥川龍之介の短編小説「藪の中」を連想させる。証言と告白という手法、しかもそれが曖昧で信憑性に欠ける、いわば途中経過の不完全さが次シーンへの興味に繋がり最後までストーリーに集中させる。犯人は推理小説らしく意外と言えば意外かもしれないが、それでも何となく想像が及ぶ範囲ゆえ少し新鮮味がない。犯人の犯行動機は芸術家らしい嫉妬心というところに上質性を感じる。架空の存在の銀幕の人々、現実世界の女性2人が交流するファンタジー。まさしくクリスマス・イヴらしい物語。
ちなみに先の映画も、結末は予想がつきそうな展開で独創性や目新しさみたいなものはなかった。しかし、この嘘くさい世界観にはまって幸福感を味わうのも事実だった。

演出はアップテンポに観せようと工夫しているが、逆にリズムが単調になり、全体観として場面が流れてしまったように思われたのが少し残念。もう少し緩急を付けて状況・情景と説明・解説シーンの違いを強調してもよかったのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
歌わせたい男たち

歌わせたい男たち

劇団おおたけ産業

新宿眼科画廊(東京都)

2020/11/27 (金) ~ 2020/12/02 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

喜劇との説明であるが、確かに表層的には喜劇かもしれないが、物語の根底はなかなか考えさせる重厚なもの。観応え十分な作品である。
さて、この「歌わせたい男たち」の初演は2005年らしいが、自分は観ていない。しかし、1999年に東京にある公立小学校の入学式で国歌(君が代)のピアノ伴奏するよう命じられた職務を拒否した教師が、それを理由とする処分の取消を求めた裁判があったのは覚えている。何年後かに最高裁判所の判決が下された。物語の台詞にもその引用があった。それは憲法(憲法19条)に規定されている「思想及び良心の自由を保障」を巡ってそれぞれの理屈を主張する骨太論議が見事。同時にそれを実に印象深く演出しており、比較的小さい新宿眼科画廊だけに密室、登場人物の接近した濃密、緊迫した議論の緊密(コロナ禍の3密とは違い)、そして白熱した論議が素晴らしい!。
(上演時間2時間 途中休憩含む)

ネタバレBOX

舞台は都立高校の保健室。上手側に事務机・電話、下手側に窓、そして保健室らしく健康に係るポスターが貼られている。中央に横長ソファー、後ろはカーテンで仕切られ その奥はベット。

梗概…都立高校の保健室、卒業式を数時間後にひかえた わずかな時間の物語。
校長が花粉症の薬を求めてきた時、新任の音楽講師が半裸に近い格好で休んでいる。彼女は、卒業式での校歌や君が代のピアノ伴奏をすることになっていたが、初仕事のため緊張し練習中にめまいを覚えてコーヒーをこぼす。養護教諭に服を乾かしてもらっている。彼女、シャンソン歌手の夢を諦め、教師の職に就いたばかり。そして よろけたときにコンタクトレンズも落とす。楽譜が見えなければ演奏は危うい。自分と同程度の視力の社会科教師の眼鏡を借りればいい思っていたが、何故か校長と養護教諭は思案顔。この社会科教師は国歌斉唱に反対で、卒業式にも一人不起立、不斉唱を貫こうとする。そして僕の眼鏡で演奏してほしくないと…。

「君が代」論議は、何となく扱い難さを思わせる。それは戦後日本で「君が代」は、多くの公立学校における入学式や卒業式で、教職員や児童生徒は起立して「君が代」を歌うべきか否か、の歴史にある。台詞にもあったが、自分の第二の故郷である広島県では、国歌斉唱を巡る対応を苦に高校の校長が自殺した。かつては教職員らが「君が代」斉唱に抵抗したという報道が繰り返されていた。その結果であろうか、1999年に「国旗及び国家に関する法律」が制定された。本公演は憲法に謳われた「思想・良心の自由」を侵害するのではという問題提起、そして日本の教育現場を揶揄した舞台コメディとしている。

物語は”歌うべきか、歌わないべきか”という二者択一という選択肢のなさ。そこに To be, or not to be, that is the question. というハムレットの悲劇性を連想させる。その意味で表層的には喜劇に描いているが根底には悲劇性が透けて見える。国家と個々人、現実(権力)と理想(抵抗)が衝突し、その溝は埋まらない。登場人物の立場や主張の葛藤を通し、むき出しの人間存在や尊厳の不条理さが露わになる。校長という立場、体面を守る管理者として責務を果たそうとする依田と、個人的信念を貫こうとする拝島との対決が鮮烈に描かれる。「君が代」わずか40秒間、辛抱すればという台詞…たかが歌、されど歌である。この公演の見どころは、単に2人の激論ではなく音楽講師の仲に代表される曖昧な態度である。自分意思が第三者の意見によって揺らぐ、その付和雷同的なところに主義主張を貫けない個人の弱さ脆さが見えるところ。

演出は、保健室という限定空間であるが、窓の外の状況と情景を巧みに組み込み、内・外に問題の広がりを持たせる。また卒業式までの数時間という緊迫感も伝わる。ところで卒業式だから日中に行われるであろうが、ラストは何となく黄昏時を思わせるような照明が寂寥感を漂わせ、余韻を残す。
書くべきことは多くあるような気がするが、取り急ぎここまで。見事な公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
刹那的な暮らしと丸腰の新選組

刹那的な暮らしと丸腰の新選組

グワィニャオン

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2020/11/26 (木) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

歴女の回想形式で展開する幕末伝_新選組の人間模様を中心とした歴史と今の出版業界の在り様、過去と現在を往還させ軽妙洒脱かつ鋭く描いた好公演。”生きてこそ”をしっとり感じさせる物語は、その後の新選組(隊士)と定年後の第二の人生を…生き様に悲哀も付きまとうが、それ以上に力強さを思わせる人間賛歌。実に見事な公演であった。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)
2020.12.1追記

ネタバレBOX

舞台セットは劇団らしくしっかり作り込む。上手側に和室、二階を設え上り下りの動作に躍動感を持たせる工夫。下手側は黒板塀と出入り口。和室には「差し向かう心は清き水鏡」の横軸。場面に応じて和室が池田屋になったり新選組の屯所だった八木邸を思わせる。先に舞台技術にも触れておくが、幾何学的模様を描く照明(何となく落ち葉の重なり合い)が、表現し難い心の在り様に代わって照らしているようだ。また音響は重厚とポップな音楽を場面ごとに使い分け、場面の演出効果を高める。

説明から、某出版社に入社した新人女子社員が一冊の本に目を通していた。それはその出版社によるベストセラー・新選組本である。内容は新選組隊士たちが抱える苦闘と知られざる日常を章立てに描いた短編。新選組のことに全く無知な新人女子は、ページをめくりその世界へ...。新選組の日常を描く短編と新選組歴女たちの溺愛妄想が爆発するオムニバス舞台。
現代から幕末を回想というか夢想_新選組が時代の奔流に立ち向かった状況を、隊士の日常を通して人間臭く描く。描く人間も新選組でも有名な近藤局長、土方副長、沖田、永倉、藤堂などの各隊長だけでなく、無名の平隊士の言葉をもって紡ぐ。

一方、現代の出版業界の変容_本が紙媒体から電子媒体へという変化の中、紙の感触やページを前後させることで時代の流れを感じる、憂いにも近い描き。同時に先の新選組本の編集に携わった編集者(現幹部)の諦念⇒定年後の心配をする現実感を皮肉、ユーモアをもって語る。大政奉還後の新選組隊士の生き方と出版者の幹部連の行く末に重ね合わせる。
公演の魅力は、先に挙げた有名人物だけではなく、むしろ歴女が好意を示した平隊士の視点というユニークさ。多くの人物が出会い交流し、それぞれが幕府に忠義を尽くす。この一点に収斂する。一方、現代では燃え尽き症候群のように怠惰な状態を対比する。新選組に興味もなかった新人女性がその歴史の面白さにハマる、その状況や立場等の違いを書の章立てーオムニバス的に描く構成の巧みさ。

群像劇であるが、1人ひとりの人物像がしっかり描かれ、脚本は現在への時間続き(経過)の中で物語を過去・現在を巧みに繋ぐようなシンボライズの上手さが真骨頂。演出はアップテンポ、軽妙洒脱なシーンとシリアスなシーンを描き分け、物語に緩急と硬軟を巧みに組み合わせ、観客の意識を刺激し続ける。
物語の底流には、人の優しさ温かさを感じさせる。そんな時代を超えた人間賛歌…見事でした。
次回公演も楽しみにしております。
月曜日の朝、わたしは静かに叫び声をあげた

月曜日の朝、わたしは静かに叫び声をあげた

甲斐ファクトリー

王子小劇場(東京都)

2020/11/25 (水) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

人間心理の残酷さ脆さを掘り起こすタブーを描いた異色作。心・脳内ーその記憶喪失と記憶再生を斬新に”視覚化”した異色のサスペンス劇といった印象である。多くの文学作品を思わせる台詞、例えば「今日も太陽はムダに輝く」等は有名な小説を示唆している。ある指向性を思わせるが、表層的には若い女性の心象風景_毎日変わらない当たり前の暮らしが一変する。この変化も有名な小説をイメージさせる。公演は、2つの物語を並行と交錯によって重層的に描こうとしているが、その関連性が少し弱いような…。
それでも根底にあるのは、「人間」への限りない興味、そのことを十分に思わせる作品だ。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台は大小4つのBOX、それを場面に応じて配置や向きを変えることで情景や状況の変化を表現させる。物語はコロナ禍のオフィス、そこで働くベテラン営業社員が突然他の女性に自分の人生を奪われる。自分の名を名乗り、会社同僚を始め恋人にまで無視される。自分は何者なのか?アイデンティティを奪われた悲哀、喪失、絶望が記憶の扉を閉じる。

同時(並行的)に、自分らしさ、性癖(女装趣味)や性好み(同性愛等)などマイノリティの課題を描くこと、この2つの物語は自分自身と向き合う といった共通項は観られるが、その関連性というかストーリーの絡みが、互いを支え合ったように思えない。それぞれが独立した2つの物語という印象が強く、重層性を抽出しきれなかったのが残念。とは言え、物語るサスペンスフルな描き方は巧みだ。イメージの喚起力ある構成だけに、2つの物語が有機的に関連付けできれば もっと印象深い作品になっただろう。

物語は学生(小学生か中学生?)時代、何気なく発した言葉によって傷つけられた女性が恨みを晴らすため、当人の人生を奪うといった復讐劇であるが、何となく逆恨みのような展開_過剰反応、ナルシスト的な思いが暴走し…。
コロナ禍の職場状況を垣間見せ、従来の半拘束的勤務形態(通勤時間む含め)と今 ソーシャルディスタンスという名目でテレワークが導入。今までの不自由さから解放され、ある程度自由度が広がった現況、自由時間が多くなった分、いろいろな事を思い巡らす。その中には嫌な思い出等、嫌悪・非情が露出する、ある種のノワール劇といったところ。

キャストは総じて若いが、その中に時代劇であれば口入れ屋的な存在の男が実に飄々とした振る舞いと とぼけた味わいが印象的であった。登場人物は個性豊かに演じており、全体的にはバランスよく表現していたと思う。
次回公演も楽しみにしております。
You'll Never Walk Alone

You'll Never Walk Alone

青春事情

ザ・スズナリ(東京都)

2020/11/26 (木) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

観客を楽しませよう、応援しようとする、そんな温かみを感じさせる公演。まさしく”僕らはひとりぼっちなんかじゃない”が実感できる好公演。
「サッカーのサポーター達の悲喜こもごもを、実際にスタジアムで歌われる応援歌(チャント)に乗せて贈る、青春事情的ミュージカルコメディー!!」の謳い文句通りの面白さ。

この公演の観せ方は、サッカー観戦を通じて三方向の観点を思わせる。第1は物語としてサッカーフィールド内への応援風景、第2は、舞台のスタジアムスタンドから客席に向けた応援、第3に物語にも出てくる街興し。物語としての観せ方は当たり前かもしれないが、第2の観点は、サッカースタジアム、通称:味スタのスタンドで応援するサポーター、その姿を通してコロナ禍の疲弊、閉塞した状況を少しでも明るくしようとする熱狂ぶりが客席への応援歌に思えたこと。第3の街興しは、2011年_第2回せんがわ劇場演劇コンクールのグランプリとオーディエンス賞のW受賞との説明。たしか第3回目までは「調布」という地にちなんだテーマを持つコンクールであったことから、本公演も登場人物の前向きな姿と同時に地域の街興しを思わせる場面があったと思う。コンクールは、上演時間40分内という制限があったと思うが、本公演は新たなシーンを加えての再演だ。コロナ禍での再演は、いろいろな意味での応援歌として意義あるもの。
理屈抜きに楽しめる、まさしくエンターテイメント作品の本領発揮といった印象を持った。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは極めてシンプルで3段程度のミニ階段状の置台が3つ。もちろんサッカースタジアムの観客席をイメージさせる。そうなると観劇している客席側はスタジアムのフィールドとなり、観客が応援されている構図にも受け取れる。

物語は4組(保険会社の先輩後輩、ライブハウスの男・女従業員、姉と弟、そして理容院の夫婦と客)のサポータを緩い繋がり、いや繋がりと言えるほど顔見知りではなく、単にサッカーの試合チケットをもらい、何の気なしに出かけた。しかし熱狂的なサポーターの真剣(時にはヤジも)さに いつの間にか影響され興奮している自分がいる。同時にスタジアムには行けないが、店(理容院)の営業そっちのけでTV観戦している夫婦の会話を通して、商売ではライバル店であっても、サッカーサポーターとしては仲間だ。そう言い切るところに、街興しを思わせる。まさしく”せんがわ劇場演劇コンクール”の地域性ある作品を思わせる。サッカー観戦の過程で、各人が抱えている漠然とした不安や悩みが自然と昇華(消化)していくような…。まさしく僕らはひとりぼっちなんかではなく、何かに夢中、熱中することで日頃の憂さを晴らすことができるのかもしれない。試合結果によっては、翌週の気分の良し悪しに影響するというオチも描く。

コロナ禍…上演することが難しい状況下だけに、劇場で観られたことは嬉しい。それゆえ、先に記したが劇場客席をフールドと見なし、コロナ禍の萎縮・停滞・諦念といった暗い状況、やるせ無さを共有している観客への応援歌(チャント)にも聞こえ、元気付けされた気分である。
キャストの豊かな表情、見知らぬ にわかサポーター同士の絶妙なタイミンングの呼応台詞が笑いを誘う。大きな劇的結末はないが、仄々とした余韻が心地良い。
次回公演も楽しみにしております。
生き辛さを抱える全ての人達へ

生き辛さを抱える全ての人達へ

HIGHcolors

OFF OFFシアター(東京都)

2020/11/20 (金) ~ 2020/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

「『人の葛藤』をテーマにした三作。 この三作を見終わった帰り際、よしもう1日生きてみるかと思って頂ければ幸いです。」…という謳い文句通り、生きる”力”を感じさせる好公演。
2人芝居「隣人のおっちゃんと、」1人芝居「負組」朗読劇「45歳の青春」という構成で、すべての作品が熱演、力演といった感じで、まさに”生きる”を力強く訴える。簡素な舞台(セット)に人生の断面を切り取り、生きる辛さを抱える人々を優しく包み込むような公演、自分は好きである。
(上演時間1時間50分 途中の舞台転換等を含む)

ネタバレBOX

第1話「隣人のおっちゃんと、」
セットはドア(衝立)があるだけ。その前に隣人のおっちゃんが座り込んでいる。部屋に入りたい女性(34歳)との押し問答。妻の帰りを待つおっちゃんと女性(独身、彼氏なし)の同心円状を描く会話の繰り返し。何となく同心円の軸が微妙にずれ、いつの間にかおっちゃんの心情を理解しようとするが…。おっちゃんは自分の部屋と勘違いし、妻の帰りを待つというが、すでに妻は亡くなっている。が、数分後には妻を待っていると言い張る。妻の後を追って死にたいと言っているが、それを聞いている女性は逆に”生きたい”を強調する。死・生がコインの裏・表とすれば、それを宙に投げた結果は運任せだが、生死は自分の意思で決められる。そんな恐怖(死)と現実(生)の精神構造をコミカルに具象化した力作。これは絶対に劇場という空間で観るべき作品だと思う。

第2話「負け組」
セットは、第1話のドア(衝立)を裏返し、今度は室内を思わせる。座卓のようなテーブルとその上にあるパソコン。
生活保護を打ち切られ、途方に暮れた男がコンビニで働くために電話を掛けている、その電話口への激白。サッカーワールドカップ(ベルギー×日本)の中継を通し、試合の状況を自分の生活に準えて、刻々と電話口に語り掛ける。生活を”守り=弱者”社会状況の荒波を”攻撃=強者”と見立て、試合の一進一退の攻防と自分の生活実況を中継という客観的な新視点と角度をもって描いた斬新作。
会話の中に何故、生活保護が打ち切られたのか、その原因をおばあちゃんとの触れ合い-カーネーションの思い出話をエモーショナル的に挿入し、一服の清涼剤的効果を持たせるあたりが巧みだ。

第3話「朗読劇~45歳の青春」
セットは、真ん中に仕切りのようなドア、挟んで両側に応接用ソファ。そこに上手側に45歳元女優(=女)、下手側には元夫(=男)が座り朗読が始まる。女の20年後、老後を考えた時の恐怖・不安・焦燥等を、ある女性に宛てた手紙という形の回想劇仕立て?
物語は5年前に離婚した夫と、東京・青山の高級レストランで偶然再会した。元夫は再婚し幸せな結婚生活を…女は内心、穏やかではない心を平静に保ちつつ、自分たちの夫婦観、それから振出しに戻るように恋愛観、男女関係を話すうちに、次々に男と女の心情の違いが鮮明になる。
青山のレストランという解放空間にありながら、濃密で張り詰めた密室劇の雰囲気が漂い出す。女の迷心理、愛に燃える情念、それらを精緻で優雅な口調で語る。ある種の格調高さを感じさせる。最後にレストラン内にも関わらず大声で「ガンバレ ガンバレ-女」…自分自身への応援歌のようなメッセージが印象的な作品。

三作の共通はドア。ドアを隔てて室内・室外がある。居る場所を「立場」や「状況」に置き換えて、どこにいても生きている。今、コロナ禍にあって「生き辛さを抱える全ての人達へ」というタイトルは、そんな状況下にあっても一生懸命に生きる人々へのメッセージ…そんな思いが強く伝わる公演だった。
次回公演も楽しみにしております。
ぼくの好きな先生(2020再演)

ぼくの好きな先生(2020再演)

enji

現代座会館(東京都)

2020/11/21 (土) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

テーマは「いじめ」である。その問題は今だけではなく、時間(過去)の経過の中に存在する。教師である「ボク」が好きな先生方との語らいを通して教育とは?を ゆっくり 優しく温かく描いた作品。何度か再演している、劇団の自信作だけのことはある。
(上演時間1時間45分 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

劇団の特長であるが、舞台セットをしっかり作り込み、さらに印象付ける仕掛けもある。今回はタイトルの言葉にもある「先生」から、壁面をほとんど本棚で囲い、中央にテーブル、上手にベット、下手にハンガーが置かれている。壁には映画などのポスター…「いまを生きる」「コルチャック先生」、そして「アメニモマケズ カゼニモマケズ」と書かれたものが貼られている。
中学教師・河合優(千代延憲治サン)、その部屋に居る学生服を着た馬場翔太(真田たくみサン)の2人が主人公。この少年の台詞が「いじめ」の本質を抉り心が痛む。

中学教師が尊敬するジョン・キーティング先生(いまを生きる)、ヤヌシュ・コルチャック、アニー・サリバン、宮沢賢治、金八先生、坊ちゃん(小説に名前はない)が、始めは世界教育者会議参加のため架空世界や時空間を越えて登場する。そこで中学生・馬場のいじめをテーマとし教育談義を始める。しかし、少年の心は氷解することなく、逆に各先生の問題を暴き出す。実は、この少年は既に亡く(この中学教師の同級生で中学2年の時に自殺)なっており、この中学教師が親友であったにも関わらず助けられなかった、という自責の念が生み出している妄想(亡霊)である。

既に亡くなったという設定は、他でも見たことがあるが、そこに直接関係のない”ぼくの好きな先生”たちが登場し、それぞれのスタイル(例えば机⇨テーブルの上)で諭そうとする。教育は一様ではない、だから古今東西の好きな先生を登場させ教育談議をさせる。人物の仮想に対し、「いじめ」問題は現実という設定がユニークだ。「いじめ側」と「いじめられた側」という両面だけではなく...解決策が見つけられない難しい課題を、今実在しない人物の言葉を借りて問題提起する。それは観客である自分に投げかけられたものとして受け止めた。あくまで、そして敢えてコミカルにテンポよく見せることを意識した公演。セットの仕掛けという見せかけの奇抜さもよいが、出来ればもう少し各先生との突っ込んだ話し合いを聞きたかった。
ラスト、自殺した中学生が未来(20年後)の自分にあてた郵便物(テープ録音が少し小さいかも)。それを持って訪ねてきた父親の慟哭。生きている時の親子の距離は永遠の難問であるが、亡くなってからの距離は縮めることができないだけに悔しい、その思いがよく現れていた。そして翔太のことは忘れないでほしいと頼む姿が痛ましい。一方、翔太は20年後の自分へのメッセージ、描いた夢に照れ笑いをしているが、もはや叶わぬこと。そこに命の尊さが描かれる。

また、河合先生が同僚の田中光一(足立学サン)先生に諭す。かつて自分がいじめたであろう、友人に謝罪の電話を掛けたり、手紙を出す、または直接謝って回わらせる。確かに いじめた側はその行為を忘れているかもしれないが、いじめを受けた側は忘れはしない。しかし、いじめる側はいつもいじめる側なのだろうか。いじめられた、だから今度は自分が弱いものを探しいじめる。そのいじめという不幸の連鎖になっているのでは...。そう考えた時、謝罪を通して受けたいじめの思い出(傷)は、何故自分だけが、という歪な感情に捉われないだろうか。さらに忘れていたかもしれない いじめ の記憶を呼び戻し改めて悔しい思い出に立ち向かわなければならない。その意味では謝罪の時期とタイミングは重要かもしれない。謝罪が上手く効果を発揮することが望ましいが…。もしかしたら自分の了見が狭いかもしれない。

この公演では理想形のようで きれい事に思えるが、それでも積極的にいじめに加担しなくとも、何もせず傍観していることは いじめていることに等しい。その”無視”した態度も糾弾する。「いじめ」に対する特効薬は、個々人の良心にある、ある種の俯瞰者である「ぼくの好きな先生」はそう語りかけているようだ。
役者陣の演技は素晴らしく、そのキャラクターがしっかり確立していた。主人公の少年のコミカル、シリアスな演じわけが実に魅力的であった。
次回公演を楽しみにしております。
江戸系 宵蛍

江戸系 宵蛍

あやめ十八番

吉祥寺シアター(東京都)

2020/11/12 (木) ~ 2020/11/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

表層的には、国家(権力)を悪とした勧善懲悪的な物語のように思えるが、もう少し間口が広く奥深い公演だ。もちろん成田空港建設反対闘争を巡る事件(内容)で、その背景になった1964年東京オリンピック-その光と影、どちらかと言えば”影”にスポットを当てることによって、その事件だけではなく現代にも通じる出来事を連想させる。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

ほぼ素舞台に段差を設け、テーブルと椅子を配置し、それを移動させることによって情景・状況を出現させる。下手側に楽隊(ピアノ、パーカッション、ユーフォニアム)スペース。さらに劇場の特徴を活かし上部の別スペースを用いて別次元、別場所を演出する。
梗概…1960年代の第二東京国際空港(通称:成田空港)の建設を巡る社会的問題と現在もその空港の滑走路の延長線上にある一軒家(千年<ちとせ>家)の現状を前回(1967年)東京オリンピックを絡めダイナミックに描いた秀作。

冒頭は東京オリンピックの入場アナウンスと入場行進のシーンから始まる。この入場シーンは、今まで あやめ十八番 では観たことがない様式美、いわゆる全員が隊列を成し整然と歩く分列行進を思わせる。
物語前半は、2020年_現在の千年家を市広報誌や大手ではないマスコミが取材を意図するところから始まる。この大手マスコミではないところに反権力的視点を思わせるあたりも上手い。物語は破格の買取価格を提示されても立ち退かない。一方、千年家の主人は空港のクリーンスタッフとして雇用されているという一見相容れない不自然な状況、そこに今を生きる術としての苦慮が表れている。

後半は千年家の祖母-元空港建設反対同盟代表の妻-の回想というスタイルで紡がれる。1960年代、成田空港建設を巡り、国家等から買収が始まり、その地で生活している農民の暮らしを圧迫し始める。緊急国家事業として強制的な立ち退き、そのためには反対同盟へ介入し分断する、国家権力の発動として強制収用法を適用する暴挙。実行行為として機動隊まで使い死傷者、逮捕者を多く出した。農民側の抵抗運動に新左翼が加わり暴力性が過激化し…。そんな中に1964年東京オリンピックのマラソン銅メダリスト_出雲幸太郎が最初は友人の誘いで加わっていたが、次第に身を寄せている家族(千年家)やこの地の人々との交流を通して抵抗運動にのめり込んで行く。もちろんこの人物は実在したマラソンランナーを意識しており場所こそ違うが自殺している。上部の別スペースで「○○様○○様 美味しゅうございました」は有名な遺書の一節、それを台詞としていることから誰であるか容易に分かる。また彼自身の栄光と不遇という、ある種の「光」と「影」を物語に重ね合わせたかのように思う。

2020年(延期?)と1964年の両東京オリンピックの繁栄(光)とその影響で辛苦(影)を強いられる、2つの時代の社会状況を背景にその地で生きる人々の立場や心情を活写するように描く。2つの時代を前半・後半として描き分け(あえて往還させないから休憩時間が活きる)、全体を巧みに構成し休憩を含め2時間30分という長さを感じさせない、観応え十分な作品。ほぼ素舞台だけに、役者は状況風景を作り出し、登場人物のキャラクターや立場、その心情を実にうまく演じており、演技力・体現力も見事だ。

最後に、現在の東日本大震災における復旧の遅れ、豪雨による地域社会のダメージを思った時、この公演は単に成田空港建設反対闘争に止まることなく、現代に通底する思いのように感じた。国家都合の緊急事業は強権発動してでも迅速に行うが、先に挙げたような”市民のため”の復興・救済事業は遅々として進まない、そんな理不尽さへの批判が透けて見える公演。
次回公演も楽しみにしております。
時系列で読むギリシャ神話

時系列で読むギリシャ神話

カプセル兵団

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2020/11/11 (水) ~ 2020/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

ギリシャ神話の神々_オリンポス十二神が時空を超越し、現代に舞い降りた。そして神々と言いつつも浮気、嫉妬という あまりにも人間臭い面を際立たせ面白可笑しく語った朗読?劇。
「神話の世界が立体的に理解できる圧倒的エンタメ朗読劇」…まさに謳い文句通りの内容であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

朗読劇らしく横一列に椅子が置かれている。始めは座って朗読するが、興に乗ると立ち上がり歩き、または歌い出すという(一見)自由奔放な演出。しかし役者の個性を十分に知り尽くした放任的朗読は、”楽しい”と思わせる雰囲気作りへの緻密な計算があってのことだろう。

十二神の主神はゼウス、その両親、祖父母まで遡ってタイトルにある時系列を分かりやすく解くような展開。その時系列の中に有名な「パンドラの箱」や「ノアの箱舟」といった事柄を挿入し物語の興味を持たせ続ける。さらに神との関わりを示す星座にまで言及し何となく関係性が分かったような気にさせる。神話という堅苦しいイメージを払拭、そう思わせる自由な演技(朗読)、それらが奔流すればするほど物語の虚構性として突き放す。一方で観客の興味を引き付ける娯楽性も重視。一見、真逆のような演出が物語の妙味を引き出している。
この会場という空間だからこそ体感できる、だから演劇は劇(会)場で観たくなる、そんな典型的な文化を描き出したといえる。

さて気になるところが…。
確かに役者の自由度が大きく、それが魅力ではあるが、1人ひとりのパフォーマンス(一発芸)の時間が長く、また人によってはフルに歌い上げており面白さと しらけ が半々だ。一発芸らしくパッと決めて本筋に戻ってほしいところ。またその芸にしても全員が順々に行っていたこと、それを何回か行うことによって”時系列”を寸断し、逆に素の役者を観る時間が長くなる。できれば一発芸も物語-神話のワンシーンとして組み込んで公演全体の流れの中にあって欲しかった、のが少し残念なところ。
次回公演も楽しみにしております。

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