他人
中西崇将
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2021/09/17 (金) ~ 2021/09/30 (木)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★
タイトル「他人」に関する観念、それを独り言のように演じる、まさしく一人芝居。2回(9/25、9/30)観たが、公演は演技というよりは淡々とした口上、そして映像的な観せ方に特徴を求めたようだ。「他人」の捉え方が斬新な切り口であるか否か、映像が正面と天井からの定点撮影で、舞台内で動き回る範囲が決まっているため動作に意味があるか否か、そして言葉(内容)に 力 がないと観ている人の興味を惹かない。全体的にインパクトが弱いといった印象である。特に天井からの撮影は、それだけをもって印象付けた映画があり、映像美学と云われるものもある。
(上演時間13分)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、2021.10.10追記
ネタバレBOX
薄暗い箱の中といった素舞台。黒い壁・幕ホリゾント。演者(中西崇将サン)は赤いシャツ、黒っぽいズボン、白いスニーカーで配色に工夫を凝らしている。
語りは、タイトルにある「他人」について存念を喋る。他人とは、自分以外の人間であるが、知っている人までも他人というか、といった問い掛けから始まる。観念的な捉え方なのか、別視点なのか判然としないが、芝居という括りでの記す。
本人という存在は絶対、芝居の役柄に入った自分は他人になるが、その時に本人はどこにいるのだろう。もちろん身体的なことではなく、概念的なことである。本人と芝居での役者は別人、その時 他人になるのだろうかという自答自問を「他人」という公演にしている。芝居の切り口としては面白いが、1人芝居が独り言になっており、深みに入り込めなかった。
誰もいない空間で語り動き回り、時に寝転がる。その俯瞰した姿こそ他人であり、それをどう表現するかが大切。せっかく、衣装の配色を考えたことから、上部からの撮影はそれだけでインパクトある効果がほしい。例えば、映画で雪降る殺陣シーン、上部からの撮影のため傘をさしている人物の姿は見えないが、白い雪に鮮血が飛び散る迫力は映像美学と思った。
ホシノヒト
演劇企画アクタージュ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2021/09/23 (木) ~ 2021/09/26 (日)公演終了
実演鑑賞
不思議な感覚に陥るサスペンス+SFファンタジー物語。
同心円上をなぞる様にぐるぐる回るが、いつの間にか微妙に歪み、情景が変化していく。螺旋階段を上るにしたがい風景が段々と変わっていつの間にか最上階(ラストシーン)へ、そんな感覚である。
公演では、同じ日(7月20日)の現在・過去を行き来し、ループするが、往還するたびに現在が少しずつ変化する。台詞にも出てくるが、ある有名な映画を彷彿させる。ただし映画は頻繁には往還しないが、この物語では過去に起きた事件を絡めることでサスペンスの様相を呈しており、その解明と阻止のため何度かタイムリープする。そのたびに状況が微妙に変化し、さらに変化を呼び起こす。現在・過去に共通するのが宇宙。そこに介在する不思議なアイテム(7月に関係あり)が、謎究明のカギ。
ただ、1994年夏が始まりなのは分かるが、現在 2021年夏が何故 約束の日なのか、といった理由が弱いように思うのだが.....。
(上演時間1時間40分)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。追記もする。
風に任せて
劇団東俳
座・プロローグ(東京都)
2021/09/17 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了
実演鑑賞
悪天候にも関わらず満席、人気のほどが窺える。交通の利便性、専用の劇場、多くのスタッフという条件に恵まれ、毎年 質の高い公演を上演している東俳。今回のテーマは「生きる」「自然・環境」「絆」といったところ。
コロナ禍では、少人数、短時間の上演がトレンドかと思っていたが、劇場規模のわりにキャスト数は、シングル2名、ダブル(A・Bグループ各12名)、そしてspecial addearanceの新川優愛(TVで観るより背が高い-166㎝)さんの15名と多い。キャストは全員マウスシールドを着け、舞台と客席の間隔をあけ感染拡大防止に努めていた。また、スタッフはこんなに多くいるのかと驚いたが、ダブルキャストのうち出演しないチームキャストが場内案内等を手伝っており、その丁寧な対応に好印象。
舞台は、山梨県の或る村-風穴村の寄合所。富士山の北西に位置する村は標高920メートル付近にあり、周囲も高い山に囲まれ、ライフラインも通っていない。生活するには相当不便な環境の筈だが、この地 特有の恵まれた自然によって村人達はあまり不便を感じず暮らしている。物語は或る夏の日、川の岸辺に倒れていた女性が助けられ、“風穴村”で過ごした七日間を描く。
今まで観てきた東俳の作品は、少し謎めいた設定、そして何故といった疑問を解きほぐすように順々と展開していくというもの。この作品でも同様の手法で観客の関心を引き付け、最後に感動を呼ぶ。また村人1人ひとりの性格等の特徴は描き込まず、あくまで村が主体になり、助けられた女性個人と向き合う構図。そこに夫々の謎と嘘の意味が込められており、展開するにしたがい共有するような悩みが…。
映画では子供や動物が出る作品には敵わないと言われるが、この物語でも転機と思われるシーンで子役が熱演。ずるい(冗談)と思ったが、パンフレットを見ると、東俳であるが、劇・若竹の公演でもあった(納得)。
(上演時間2時間 途中休憩5分-換気)【Aチーム】
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。追記もする。
哲学者の午睡
空間旅団
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2021/09/17 (金) ~ 2021/09/20 (月)公演終了
実演鑑賞
「古代」のギリシャ哲学者の話(論理)と「現代」の弱小プロレス団体の話(経営)を交差させ、独特な空気感(時代間隔が感じられない、いや感じさせない)をもって描いた物語。「論理」話が随所に出てくるのは、哲学者プラトンやその師ソクラテス、直接には絡まないが弟子のアリストテレス(「現代」では週刊誌記者2人のアリスとテレスとして登場)を意識して描いているからだろう。そう言えば、哲学者プラトンも若い時はレスラーだったようだ(冒頭の台詞から)。
「真実」と「虚偽」といった何となく分ったような“イメージ”が出来る話、それをプロレスの「セメント(ガチンコ)」と「台本(ショー)」といった試合(形態)に準えて分かり易く説明、展開していく。どちらが真実で虚偽なのかは容易に想像がつくところだが、さらに人物の衣装が白服・黒服に分かれており象徴的に表す。2つの時代(物語)は、短く響く合図音で1人2役の演技転換で行き来する。その切り替え動作は、実にさり気なく自然だ。また多くの場面で登場人物が半円形に立つ姿は、円形闘技場コロッセウムであり、観衆を連想させ自ずとプロレスとリンク。面白い設定(脚本)、素舞台ながら凝らした観せ方(演出)、それを役者陣がパワフルに体現(演技)していく。と言ってもアクション(プロレスシーン)は殆どなく台詞中心で展開していく。
さて、タイトルの意味はラストに明かされるが…。
(上演時間1時間30分 休憩なし)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。追記もする。
『天国の朴』『MUSE』
ENGISYA THEATER COMPANY
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2021/09/15 (水) ~ 2021/09/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
【天国の朴】(仕事の都合で、観劇演目を変更)
劇団のコンセプト、「セットや小道具を使用せず、抽象的な美術セットの舞台で(中略)見る人の『想像力』で完成する表現芸術の舞台公演」らしく、セットは等間隔に腰高スツール5脚と椅子が下手側に1つあるだけ。演技力(パントマイム含む)を売り物にしているだけあって、ほぼ素舞台だが、人物はもちろん情景が自然と立ち上がってくる。人物1人ひとりの場面を丁寧に設え、役者は人物の性格や立場、そして背景までも見えるように演技する。見事!客席通路も使用し正面(舞台)だけではなく、別景色があることを想像させ物語を立体的に構築する。
その情景描写を支えているのが照明と音響といった舞台技術である。全体的に薄暗い中で、多色照明やピンスポットなど多彩な照射、音響は低重音(歌)が流れ、時にピアノ伴奏だけと言った聴かせ方、これが場面に応じて実に上手く使い分ける。もちろん台詞の邪魔はせず、逆に言葉が音楽に乗って心地良く聞こえる。
物語は、腐敗しきった社会で新たな革命を起こそうと企む若者、先ずは政権与党を牛耳っている権力者(幹事長)をどうにかしたい。そんな若者たちに巻き込まれた初老の暗殺者・朴(ボク)と、その仲間が集まって目指すものは…。
硬質な中に哀愁を感じさせる社会派作品。
(上演時間1時間40分 休憩なし)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、2021.10.10追記。
ネタバレBOX
腐りきった国政を変えたい、議員会館は妖怪ばかりで”人間”がいない。取り敢えず与党の幹事長に話をするが埒があかない。こうなれば自分が何とかしなければ…。何人かの同士で暗殺者・朴に相談・依頼をする。
言うことは理論的、本質的といった単語が大好きで、一見知識人ぶっているが、何事も風呂屋の釜のようで信用できない。見てくれの紳士面は反吐が出る。政治(体制)批判、マスコミ揶揄は大好きだが、なら自分でやってみろと水を向けると、その立場にないと逃げを打つ。大そう御立派なことを言うわりには、いざとなったらダチョウ倶楽部よろしく「どうぞどうぞ」という譲られ言葉に困惑する。ダメダメ要人を何とかしようと目論むが…。結局、自分がその立場(権力者)になったら同じようなことをしている。為政者なんか誰がなっても同じか?権力者も一皮むけば1人の人間、今の世はグローバル化し、その企業群の恩恵に与っている。
前半-昔の仲間集め、後半-事は半ば頓挫か、ラスト-井之頭公園での顛末は如何に。
何年か前、そぅ学生運動が盛んな頃の熱に魘されたような思いを甦らせることが出来るか。力 は 力 での対抗という負の連鎖を生むだけ。そして国内の出来事は国外の思惑が絡んでくる、という壮大な展開になってくる。素舞台だが情景・状況、心象がしっかり立ち上がってくる。それは観客の想像力を刺激し感情を揺さぶるからだろう。
ちなみに劇中であった北朝鮮からのミサイル攻撃は、想像ではなく現実に飛翔体として日本海へ、で現実になったが。
物語は足元にある出来事でもあり、絵空事を交えたフィクション。観るべきは役者の演技力。登場人物は10人で、それぞれの役柄に応じた観せ場を作り、人物の立場、背景等を説明(演じ)させる。もちろん台詞だけではなく、相応の場面設定がそれとなく組み込まれており、違和感なく物語が展開していく。パントマイムやパフォーマンスを含めての体現力は見事!誰もが思い感じていることを皮肉を込めて描いているが、それをリアルにまで追い込まず、あくまで演劇という「見世物」にしているところに知的センスを感じる。また多くが酒場シーンで、アルコールの匂いが漂ってくるような芳醇な、そして大人の雰囲気がある味わい深い作品。観応え十分。
次回公演も楽しみにしております。
野原ニ響ク約束ノ音
劇団宇宙キャンパス
萬劇場(東京都)
2021/09/15 (水) ~ 2021/09/19 (日)公演終了
実演鑑賞
戦国時代に生きる不条理な人間模様、それを劇団宇宙キャンパスらしくハートフルに描く。物語の背景(戦国時代、それも九州地方の情勢)を知らなくても、分かり易く展開するので十分楽しめる。戦国という乱世に生きた2人の武将、当時としては考えられない厚き友情、そして宿命のような悲哀をテンポよく展開。その結末は…。
公演は、どちらかと言えば舞台技術と熱量ある演技で観(魅)せるといった印象が強い。舞台技術、特に照明は暖色照明による平時、照明の交差による合戦時、葉陰の陰影による哀愁など、場面の雰囲気作りは上手い。演技は、あえてデフォルメしたキャラクターで質実、茶目っ気という一見対照的な人物像を立ち上げ、飽きさせない工夫。そして観せ場であろうアクション、それを殺陣・剣舞といった観せ方の変化で緊迫感と様式美をもたせグイグイと物語に引き込む。
(上演時間2時間30分 途中休憩含む)【陽チーム】
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。追記もする。
歌姫・ネバーダイ! in deep
ライオン・パーマ
萬劇場(東京都)
2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
主人公の女性の生き様を瑞々しく、そして切なく描いた物語。それは、小説の連作集のように時代と登場人物を変えながら、人生の荒波風景をカンバスに、まるで歳時記のように描き展開していく。
西暦2118年から始まる終わらない話。主人公の名前は、千年語り継がれる歌手になってほしいと名付けられた「千歌」。人の生と死を見守り看取りつつ、自分の運命と向き合い全うするかのような力強さ。公演の雰囲気は、けっして重たくなく、どちらかと言えば抒情的なように思える。
彼女の旅は悠久の流れ。そう考えたら上演時間2時間30分(休憩5分)なんて…。
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、2021.10.10日付で追記
ネタバレBOX
舞台美術は、中央奥に手摺がある御立ち台のようなものだけ。シンプルであるが、物語の展開によって場面が変化することから固定しない。観客の意識を自由にしておくためにも上手い。
冒頭は滝村家の日常の朝、父親が玩具のようなタイムマシン(ポータブルカラオケ付)を作り、遊び心で設定した年代の国へタイムトラベルした長女・千歌(春木彩香サン)が、辿る年月と場所をオムニバス的に描く。ただ彼女の悠久の旅の途中での出来事をトピックのように挿入しており、大きな時の流れの中にある。彼女にとっては平穏から激動へ、その急変な運命も淡々と受け入れ、何とか我が家への帰還に尽くす。
彼女の持ち物はタイムマシン(カラオケ)と世界史の教科書。
最初のトラベル…年と場所は1790年のフランス。そこで不思議な森、神秘な湖(人魚伝説)がある場所で、不老不死の肉を食したことから、数奇な運命を永遠に背負うことになる。もちろんナポレオンが台頭していることから彼とも会う。1811年戦火の欧州、ある病院で働いている。死期が近い病院長との滋味あふれる会話。ベットが中央におかれ、生きることの素晴らしさ、そして娘やその婿になるであろう副院長への温かな眼差し。1847年騙されて海賊船内、寄港した所で女奴隷競り市。競り市での光景は、一見非情のように見えるが、女1人ひとりに見せる細やかな心遣いが仄々と描かれる。それから漫画ワンピースのモデルになった海賊との出会い。約束を交わして…。彼は言う。「千歌は未来から来たんなら俺の最期は知っているんだろう」、その返答が秀逸。「教科書(表舞台)には載っていないが、別の形で人気者になっている」と。
そして あろうことか2178年に。終わりのない旅、その行く末が気になるところだが、もう1人不老不死の肉を食した人物との邂逅が…。
物語は抒情的な印象であるが、挿話はその時と場所で完結し、夫々に強い関連付けを見せない。時は流れているが、その時・場所はその場限りという骨太で非情な描き。演出はコミカルで観せるといった印象であるが、奥には、生を見て死を看取る、人身売買にみる思い遣り、正史でなくても生きた証を伝える、何かに括ることはせず、色々なテーマを散りばめながら「生きる」ということを心象づける秀作。
不老不死であるがゆえに、自分以外の人生を見つめ続けなければいけない悲しみ、いや恐怖に近い。永遠に歌うことを許された歌姫の無駄な時間…千歌の春木彩香さんの伸びやかで張りのある歌声が要所々々で聴かれ、癒される励まされる。歌う彼女を優しく照らし出した姿はミューズそのもの。照明も実に効果的だ。
また時と場所そして描く内容が異なるが、役者は1人何役も担うが、違和感なく感情移入できる力技。見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
沙也可
(株)フリーハンド/(有)Yプロジェクト
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
史実(豊臣秀吉の朝鮮出兵)に恋愛物語を織り交ぜた壮大な歴史絵巻。主人公・沙也可はもともと日本人であったが、生きるため、愛する人のために終の棲家を朝鮮に求め、子孫(遺伝)を絶やさなかった。
終演後、その末裔に当たる方が舞台挨拶に立った。沙也可は韓国の歴史教科書にも載るほどの有名人物で、鹿洞書院に奉られ、その隣に友好記念館が建てられているという。
遺伝と言えば、主人公を演じた田村幸士さんは、祖父が阪東妻三郎、伯父が田村高廣・田村正和、そして父は田村亮という役者一家。やはり血は争えない見事な熱演であった。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
高さの違う平行舞台。そこに分割・可動できる階段をかけ、情景や殺陣シーンに応じて左右等に動かす。階段の昇降によって躍動感が生まれ臨場感が増し、同時に殺陣空間の確保もする。後景には荒海の映像や旋風イメージの照明が色彩豊かに映し出される。衣装は日本武士は武具を身に着け、朝鮮女性は色鮮やかなチマチョゴリで照明に映える。
物語は豊臣秀吉の朝鮮出兵(日本では文禄・慶長の役)に加わり、後に沙也可(日本名は雑賀孫六)と名乗る男がこの戦いへの大義の疑問、彼の地における朝鮮人との恋愛や親交を通じて朝鮮人として日本側(同胞)と戦う決意をするもの。民族とは?悲しみの先にある負の連鎖、その(思考)過程における苦悩や葛藤を情感豊かに紡いでいくのだが…。まさしく「海峡を越えた愛と慟哭の壮大なドラマ」だ。
朝鮮の人になる過程(描き方)の多くが、朝鮮人女性・金美姫(夕貴まおサン)を助けた時に負った傷を治すため留まった村の人々との触れ合いによって心が動かされた(恋愛中心)もの。結末はタイトルから そうなるんだろうな と いう予定調和であるが観(魅)せるような美しさはある。
当時、日本の出兵事情は秀吉と家康の会話から、天下平定後の論功行賞としての知行地がないことから、明(中国)攻めを考えた。手始めに朝鮮出兵をするということが、台詞でサラッと語られるだけ。
登場しない人々を想像してしまう。雑賀孫六は雑賀衆の統領(近畿圏出?)で この出兵した武士以外、日本に老人、女、子供が残っているのではないか。出兵した男たちは朝鮮人女性との幸せが待っているようだが、残された者は秀吉の怒りにふれ残党狩りされそうな…。冒頭で、信長の命により侵攻した秀吉軍に抗し敗れ、長い年月を経て流れ着いたのが九州肥後の国(今の熊本県)と説明。朝鮮出兵に加わったのも、一族の再興を図るため。苦難を共にしてきた一族郎党との決別、その苦悩・葛藤がもっと深く描かれても良いのではないか。苦悩はあるが、それは一緒に出兵した者たちとの関係がほとんどだ。朝鮮人として生きるための決意をもっと強く描きこむ必要があった。
ただ、上演時間が2時間30分と長丁場であるから、どこかの場面を割愛する必要があるかも。であれば、この男が寝返った時に秀吉と家康が相談するところ、または小西行長と加藤清正が城攻めの先陣争いの諍いをするところかな~。いずれにしても少し整理をして日本側との関りを丁寧に描く必要があるのではないか。
次回公演を楽しみにしております。
ぼくらが非情の大河をくだる時
オフィスリコプロダクション株式会社
テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)
2021/09/10 (金) ~ 2021/09/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
半世紀ほど前に書かれた戯曲…「岸田戯曲賞受賞」(1974年度)
社会情勢・世相を陰影のように漂わせながら、人の生と死 さらに生者の心の深淵を覗き込むような物語。抽象度が高いから難解とも思えるが…。
公演で注目すべきは演出である。説明でも「銀ゲンタの新たな演出で旋風を巻き起こす」とあったが、その意気込みは十分感じられた。少なくとも自分は好きである。
(上演時間70分)
ネタバレBOX
舞台美術、上演前の上手・下手側にあったブルーシートを捲ると、そこには男便所の便房と汚れた小便器2つと手洗い場。
物語(説明参照)…深夜、公衆便所は男が男を求めて集まる場所となる。その猥雑な場に詩人が現れ、便所の壁や柱を愛撫し始める。彼は夢なのか愛なのか、いずれにしても朽ち敗(破)れた無名戦士たちが公衆便所の下に埋められていると信じ、毎夜探し歩く。父と兄は白木の棺桶を持ってその気狂いの弟を追う。2人は何度も彼を見捨てようとする。しかし兄はかつて弟を裏切ったことを悔やみ、弟の描く兄の役を演じ続ける。その偶像が壊れたとき、詩人は兄の持つナイフで自らの命を絶つ。兄は父を見捨て、背に荒縄で詩人の死体を括り付け、夜の町に消えてゆく。公衆便所に渦巻くそれぞれの思いと淫猥な男たちの終わりなき彷徨と咆哮。詩人は名も無き戦士を象徴し、父と兄はそれぞれの観点から冷徹に見詰めているようだ。
上演(一応 暗転を目安)前、すでに舞台上では上下黒服(Tシャツ、ポロシャツの違いあり)の男たちが、エアカードゲーム、スケッチ、談笑等をしており明るい雰囲気。暗転時には街中の雑踏、人の会話といった効果音が流れる。それが明転後、雰囲気が一転する。そしてラスト近くで、冒頭の男たちが白塗顔にブリーフだけの裸体で現れた時に、上演前の光景の意図が氷解した。因みに詩人は白シャツで次元の違いを表す。
書かれた当時の社会情勢、その下敷きになっているのが学生運動。今の時代とは比較にならない過激さがあり、それが らしい風潮でもあった。そんな時代背景を現代において描き出すのは難しい。しかし公演では戯曲の真(芯)を損なわず、描かれている「名もなき戦士」を70年代から、なるべく現代に引き寄せて描いていた。自分が何者なのか、そして何が出来るのか、そんな曖昧、悶々とした感情はいつの時代でも持っている。その何者でもない人々が、例えば経済成長期(バブルという幻もあった)に企業戦士となり過労死していく。この世は、名もなき人々の無念も含め色々な屍の上に成り立っている。
詩人の意識は社会という見えざる敵に対し、人(老若男女)という戦士が必死に戦い、やがて死んでいく。訳が分かったような分からない混沌とした世界の中にある。公演では若者(詩人)だけでなく幅広い世代に問題を負わせ、生きることの困難さを格調高く描いている。
時代を半世紀遡れば、赤い薔薇は死のイメージかも知れない。しかし生死は表裏の関係のように、見方を変えれば薔薇の花言葉は「愛」であり、人間の愛おしさを噛みしめた表現とも言える。だから(見)捨てたくても出来ないのだ。上演前が生の世界であれば、上演後は死の淵、もしくは死そのものである。男たちが白塗顔で彷徨う姿は、見た目は滑稽だが不気味な情景だ。
雰囲気は、男だけの出演だが不思議と美しく妖しげ。そして退廃・虚無といった感じが漂い始める。それは単色照明をスポットまたは広角度から照射し協調を拒んでいるからのようだ。ラスト…詩人が兄に背負われている時に流れる音楽が良く、思わず終演後に曲名「PRAY~あなたがいるから」を聞いてしまった。演出の拘りであろうか、変形様式美と言うか ある統一性(黒服や裸体パフォーマンス)と歪さ(棺桶の傾斜置き)のアンバランス(=とらわれない自由)を意識・強調した観せ方のよう。それによって魂が思い思いに昇華していくイメージ。
脚本が書かれた時代状況等、そこに描かれた内容が理解しにくく小難しいと思えても、演出はそれを補って余りある見事なもの。
一言いえば、冒頭の衣装は黒統一ではなく、自由(普段着、スーツなど)にし、生を象徴。後に黒服(死の淵)、裸(死)とメリハリがあっても良かった(ネタバレが早くなるが、今の時代には分かり易いかも)
初日終演後でお疲れのところ、社長の北田万里子さんに挨拶、銀ゲンタ氏とは話をさせていただいた。感謝。
次回公演も楽しみにしております。
オペラ「フィガロの結婚」
豊島区オペラソリストの会
南大塚ホール(東京都)
2021/09/04 (土) ~ 2021/09/05 (日)公演終了
実演鑑賞
ソリストの熱唱!
縁あって久し振りにオペラを鑑賞。以前はオペラやクラシックコンサートにも出かけたが、最近は観劇の方が多いかもしれない。そう言えば、もう数十年前になるが某合唱団で歌っていたことを思い出す(もちろんソリストではない)。今では声量もなく音程も取れないだろう。当時の会場は、東京文化会館や東京(新宿)厚生年金会館(今はもう無い)等といった、音響構造の優れた(クオリティの高い音楽専用)ホールであった。今回は南大塚ホールという音楽系を専門にした会場ではないことから、その点を考慮しなければならない。
なお、コロナ禍における感染防止対策として、客席1~3列目は使用しない。また「ブラボー!」など言わないようにとも…少し寂しいがやむを得ない。
さて、公演では歌唱と演出(むしろ舞台技術といった方が適切)で気になったところが…。
(上演時間4時間 45分休憩含む、15分×3回)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。
ネタバレBOX
舞台美術は大きな絵画風の後景が場面ごとに張り替えられる。場面に応じて仕様が異なるテーブル、椅子等を搬入するといった手作り感があり微笑ましく思う。だからか 何となく温かみのある雰囲気が好い。
キャスター付の衝立が舞台真ん中にあり、歌い手のコロナ(飛沫)感染防止対策のようだ。歌い手は、ソロの時はマスクをしないが、花娘の合唱のように3人以上で歌う時は、それぞれ絵柄が違うマスクをする。衝立は感染防止と共に、フィガロと結婚相手のスザンナ、または伯爵と伯爵夫人など、相手との関係で上手・下手側に押し動かす。それによって空間に広狭ができ、相手への圧(迫)を演出する。つまり愛が強ければ押し勝ち、広い空間が確保でき、疚しい事があれば押し負け、自分のエリアが狭くなる。なかなか上手い観せ方である。
下手側に指揮者とピアノ伴奏者。
ソリストの会だけあって皆さん上手であるが、特にスザンナ(5日:川井愛永さん)と伯爵夫人(5日:松本明子さん)の歌唱力は素晴らしかった。
有名な「フィガロの結婚」であるが、概要は次の通り。
物語はたった1日の中で起こること。 そしていくつかの要素が複雑に絡み合う。
フィガロとスザンナは、婚礼の準備をしている。 スザンナは伯爵のお気に入りで 、伯爵はスザンナを我がものとするために、「初夜権の復活」(字幕では別というか曖昧な表現)を企んでいる。 フィガロとスザンナはそれを阻止しようとする。他方、伯爵夫人は、伯爵の愛が冷めてきたことを悲しんでいる。 伯爵夫人、フィガロ、スザンナは、伯爵に改心してもらう、伯爵の反省を促すことを計画する。最後にフィガロとスザンナは無事結ばれる。 伯爵は伯爵夫人に謝罪し、これまでの行いを悔いる。 物語はハッピーエンドで終わる。
気になったところ。
〇第4幕でのフィガロ歌唱のところ。長丁場で歌うことが多いフィガロ、しかし見せ場であろうスザンナとの競演箇所で息継ぎが出来なくなったのか声量が低下し、ついには…勿体なかった。
〇会場の問題かも知れないが、字幕を天井(少し傾斜した)部分に映していた。自分は中央真ん中に着座(しかも前は通路)していたから見難いが何とか読めた。「フィガロの結婚」を何度も鑑賞しており、内容を知っている人、またはイタリア語が堪能(といっても歌詞表現は違うであろう)ならば、気にしないかも知れない。念のため1場と2場の休憩時に、前と後の列に夫々座ってみたら前列=天井を見上げるか、後列=文字が半分隠れた状態。もう少し映写角度を工夫し字幕が読めるようにしてほしかった(上演前に確認が必要だろう。何らかの指示・指摘があったのか、4場には改善したが…)。
初めて「フィガロの結婚」を鑑賞した観客にすれば、酷だったかもしれない。
次回公演も楽しみにしております。
タージマハルの衛兵
東京演劇アンサンブル
野火止RAUM(埼玉県)
2021/09/04 (土) ~ 2021/09/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
東京演劇アンサンブルの新拠点・埼玉県新座の野火止RAUMで観劇。新座駅から少し距離(約2㎞か)があるが、事前に予約しておけば送迎車を出してくれるのでありがたい(毎公演かは要確認)。
初日観劇。劇場はひな壇(当日は4段)型で、少しであるが市松模様的にパイプ椅子を配席し観やすく配慮。観た回、それも1列目に小学生と思われる子供が観劇していたが、衝撃的なシーンがありトラウマにならないか心配になった。また同シーンで この劇場では可能な(目測であるが奥行きがある)演出が他の劇場で出来るか気になるところ。
(上演時間1時間55分。前半1時間 後半40分 途中休憩15分含む)【Aチーム】
野火止RAUM劇場は対象外だが、第33回池袋演劇祭参加作品(シアターグリーンBOXinBOX THEATER)になっているため、☆評価は2021.10.10日付。
ネタバレBOX
舞台は5つのキャスター付の衝立(ガラス板)が等間隔に並んでいるだけ。その前(客席側)に薄暗い闇の中に立つ幼馴染の衛兵が2人。衛兵の名はフマーユーン(雨宮大夢サン)とバーブル(和田響きサン)。2人の衣装は、頭にはターバンを被っているが、服装はスーツに棒ネクタイ、革靴である。もちろん手には剣を持っているが第一印象は違和感。が、物語の内容から或る意図が読み取れる。衛兵という規律の厳しい組織人、現代の勤務(仕事)服がスーツ(職業によって制服)であり革靴の象徴であれば、組織という枠に縛られた衣装と言えるかもしれない。しかし観た目の第一印象も大切なんだが…。
1648年。インド、ムガール帝国の首都アグラが舞台。彼らの任務はタージマハルの警備。 背後にこの世で最も美しい存在があるのに、振り返ってその姿を見ることが許されていない。建築家、ウスタッド・イサの細やかな願い、だが皇帝の「これ以上この世に美しいものを生み出さないため」の計画は残酷なもの。 私語厳禁のはずが、いつの間にか2人のダイアローグが進み、日の出とともにタージマハルの方へと振り返った2人が見た光景。
明転後、「これ以上美しいものが作られないよう、建築家や関わった人間2万人の腕を切り落とす」任務を遂行した。2人の姿と血で汚れた床、積み上げられた多数の人々の腕。狂乱しながら自分たちがした「任務」=「仕事」について話す。フマユーンは皇帝命令の「任務」 、パープルは「美を殺す」といった解釈。しかし作業は逆、器具を使って2万人の腕を切り落としたバーブル、切られた4万の傷跡に焼き鏝をあて治療したフマユーン。2人は血を掃除しながら空想した乗り物「エアロプラット(=始め 星へという台詞からロケットかと思ったが、後に飛行機、それも軍用機のイメージ)」や「持ち運び式抜け穴(=ドラえもん の どこでもドアのイメージ」の話を続ける。 この腕を切り落とすシーンが凄惨だ。2人の心情が鬼畜(別 組合わせの2人が黒子役、半裸で顔には墨)となって現れ衝立板に血の手形、血しぶきを思わせる赤塗噴射は顔を背けたくなるほどだ。そして事後処理を淡々と行わなければならない虚無感か虚脱感が痛いほど伝わる。空想した自由の産物「エアロプラット」はいつの間にか戦闘機に変わり、攻撃目標にしやすいタージマハルを目指す。それをどこでもドアから布を取り出し覆い隠そうとするが、それを行う人々の手がないという皮肉。
数日後、この「任務」によってバーブルの念願であったハーレムの皇帝警備という、新たな「任務」に2人が就く直前、彼は突然 皇帝暗殺の計画を語りだすが…。
台詞にあったかどうか定かでないが、たぶん数年後、同じようにフマユーンは衛兵の任務を続けている。そこに現れたバーブル(スーツ、革靴ではない)の幻影は悲しくも美しい。照明で輪郭を抜き取ったジャングル光景で戯れる2人の姿はあまりに無邪気で幼気だ。
個人の集合体としての組織、そこに形成される「権力」、これ以上を作り出さないという傲慢な「美の定義」、極限状態に置かれた「心理」……様々な視点を錯綜させ、舞台美術として存在しない「タージマハル」や姿を現さない皇帝や建築家、そしてフマーユーンの幹部軍人(警備隊長)である父が自然と立ち上がってくる。
ラスト、少年時代の2人の笑い声まではっきり聞こえてくるようだ。 フマーユーンとバーブルのダイアローグが限りなく想像の翼を広げ悠久の旅をしている、そんな印象が後味をマイルドにしている。
次回公演も楽しみにしております。
『演劇×オペラ フィガロの結婚・令和版』
若い演奏家の為のプロジェクト
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2021/09/02 (木) ~ 2021/09/03 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新しいスタイルで楽しませる好公演。
演劇とオペラの異色のコラボという謳い文句であったが、基本的に演劇チームが始めに台詞で演じ、続いて同じ場面をオペラチームが歌って聴かせる。今まで観聴きしていたオペラは、多くは原(イタリア)語で歌い、目で字幕を追っていたが、本公演は演劇・オペラという観せ聴かせる特長を活かしたもの。同じ場面でありながら、やはり違いは明白であった。演劇チームは演じるが、特に表情が豊か。一方 オペラチ-ムは聴かせる力は圧倒的で心地良い。もちろん演劇チームは歌わず、オペラチームの魅力を損なわない演出。逆にオペラチームの時にはピアノ伴奏があるが、演劇チームの時には台詞の じゃま をしない配慮。このピアノの伴奏が実に上手い。
さらに、それぞれのチームに相応しい演出で観客を魅了する。例えば、ラストの披露宴会場の空に花火が打ち上げられるシーンは、演劇チームは照明の変化、オペラチームは全員で熱唱する。
物語にはコロナ禍を反映させた台詞もあり、時に観客を笑わせる。冒頭、主人公のフィガロと結婚相手であるスザンナがフェイスシールドを着装して登場。それで歌うのか一瞬驚いたが、すぐにそれを外し、出演者がPCR検査を行い全員が陰性であったこと、三蜜にならないことは大切だが、八(蜂)蜜の甘い心情は必要などと駄洒落に近い台詞がポンポンと飛び出す茶目っ気が…。
(上演時間2時間50分 途中休憩15分)
ネタバレBOX
2幕。1幕が2場の計4場。
基本的には椅子があるだけの素舞台に近い。しかし、照明効果で場景の違いを判らせる。例えば、1幕目の1場は変化のない単色と2場は格子状の照明にすることで、1場の部屋と違うことをイメージさせるなど、ちょっとした工夫で観客の想像力を膨らませる巧みさ。
どうしても同一シーンを演劇・オペラチームが演じ歌うのは分かり易いが諄(くど)いという表裏の関係を払拭できない(冗長になる)。公演は両チ-ムの特徴を十分活かし、逆に相手チームの特長のじゃま をしないという徹底した拘りが成功していた。先にも記したが、演劇チームは歌わない、オペラチームは過度な演技(顔の表情作り等)はしない。だから自分たちの本来の持ち味を発揮することに専念できた。
端的に言えば、融合的なコラボではなく、それぞれの魅力の観せ、聴かせ合う違いの分かる「演劇×オペラ フィガロの結婚」であった。終わってみると、真の狙いもそこにあるのかな、と思ってしまうほどだが…。
当日パンフに演出の高橋正徳氏が「・・・濃密な異文化交流?」と書いていることから、確信したところ。
次回公演も楽しみにしております。
チーチコフ
劇団俳小
萬劇場(東京都)
2021/08/27 (金) ~ 2021/09/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
表層的な面白さだけではなく、意味深な公演。
原作はゴーゴリの「死せる魂」であるが、公演タイトルは原作主人公の名前「チーチコフ」にしており、上手いネーミングだと感心というか納得してしまう。物語は小役人の詐欺旅(狂奔)を描いているが、この物語全体がフェイクではないかと思わせる。同時にコロナ禍における或る出来事を連想させ、揶揄というか皮肉たっぷりに描く。
物語は複雑ではないが、その観せ方が凝っており、公演自体が詐欺に絡めた騙し絵のようだ。だから原作名を付けない、そしてチラシデザインが「👅あっかんべー」なのだろう。事実は小説より奇なり というが、19世紀中頃に書かれた原作を後追いするような事件が日本で起きようとは…。舞台の雰囲気は軽妙洒脱であるが、描かれている内容は極めて辛辣だ。
(上演時間2時間 途中休憩15分)
本公演は第33回池袋演劇祭参加作品のため、☆評価は後日付。
ネタバレBOX
舞台美術は、形・色違いの可動式ジャングルジムのようなオブジェが幾つか重なり合っている。場面に応じてテーブルや椅子が持ち込まれ情景を作り出す。上手側奥にピアノ伴奏の上田亨 氏。
冒頭は、切込みの入った幕に煽情的な影絵シーン。官能的なダンスを観(魅)せた後、幕が切って落とされ、セクシー衣装を着た3人の女性(コーラス・ガール)が現れ軽やかに踊り歌い出す。
原作は、19世紀の帝政ロシアの某所で詐欺事件が起きる。戸籍だけが存在している死んだ農奴(死せる魂)を買い取り、生きている農奴として登記し、彼等を担保に銀行から多額の貸付金を騙しとろうという大胆な事件。その犯行の首謀者がチーチコフ(大川原直太サン)。貧しく育ったが、努力を重ね小役人の地位を得ている男。今はブリーチカで召使いを連れ、将来は大地主となり幸せな家庭を持つことを夢見て、「死せる魂」を買い集める旅を続けている。
公演自体がBarかPubでのショーのように思える。そう考えると、原作にあった貸付金を騙し取るような台詞はなく、ラスト近くでチーチコフの上前を撥ねる(もっと大金を脅し取る)ような台詞に違和感を覚えたから。
チーチコフを捕らえた或る県知事が「釈放」と今まで買い取った「死せる魂の名簿」と交換に多額の金銭を要求する。その際、「例の支給金ですな」とニヤリとする。人の欲は際限がなく、せっかく集めた「死せる魂」を大悪党である県知事等に交(買)わされるという皮肉。この件が、日本のコロナ禍における事件を連想させる。コロナの影響による企業への経済的支援(補助金)の施策を悪用し、ペーパーカンパニーを利用し補助金を詐取する事件に酷似している。
人の欲は、ちょっとした落とし穴で行き詰る。公演でも欲深い老女が、「死せる魂」の相場を知りたいと疑問を持ち、わざわざ県知事の社交場まで来る。また悪友・ノズドリョフの執拗な詮索(「死せる魂」を買い集める目的)がチーチコフの癇に障る。その欲に対する凄まじいまでの貪欲さを滑稽に描く。
ショー仕立てにした公演(劇中劇)は、小悪人の必死さと大悪党が悠々とその上前を撥ねる皮肉、原作の非現実的な出来事が現代の日本で類似事件として現実的になる皮肉、それを小気味よく観せる。コーラス・ガールの煽るような「チーチコフ!」の掛け声、出ずっぱりの大川原さんを休ませ、他の登場人物が揃いミュージカル風に歌うという演出的工夫も上手い。そしてコーラス・ガール等への歌唱指導、同時にキャバレーのママ・プリューシカとして登場している片桐雅子さんの魅惑的な存在も印象的だ。ショーという虚構の中に落とし込んだ虚・実の世界観を堪能した。
次回公演も楽しみにしております。
神様はつらい。 ご来場ありがとうございました。
演劇ユニットG.com
アトリエ第Q藝術(東京都)
2021/08/25 (水) ~ 2021/08/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
雰囲気のある会場(初めてだが、気に入った)を活かした感覚劇。色々な意味で間口も広いが奥行きも感じられる内容。
脳損傷で15年間眠り続けていた「無動無音症」の男が、ある治療によって出現し出したインナートリップの世界観。設定はアメリカ映画「レナードの朝」に似ている。その世界観は会場アトリエ第Q芸術の構造を上手く活用した「こっちの世界」と「あっちの世界」を行ったり来たりする不思議な感覚。
登場人物は、主人公の男を中心に「こっちの世界」と「あっちの世界」の意識の変化によって、周りの人物が表裏関係として現れるが、そのイメージは地上と空中といった独創的な空気(浮遊)感で観客の意識を不思議と刺激する。しかし油断をしていると、そっと絡むような寓話性を持ち込み、立ち止まり考えさせる手強さもある。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
場内は舞台側と客席側を二分するようにアクリル板で仕切る。少し揺れるたび、角度によって客席側が映り込むと不思議な感覚になる。舞台は病室内、ベットに寝ている男(古口圭介サン)のところに医者、看護師、マスコミ=「ザ☆密着」の人(インタビュアーとカメラマン)が来るところから始まる。先に記した「無動無音症」の医学的説明を映像で表す。この映写、後々 会場の庭を利用した世界観の広がりにも利用する。それは病室という閉鎖的な空間と外の広く自由な世界を対比するかのような効果を示す。
ある覚醒実験(成功率7%)によって、男は短時間だが眠りから覚める。「10000年後の世界で神々と宇宙滅亡の危機を救う実験をしていた」という妄想のような言葉に驚く病院関係者。夫々の世界観(「こっちの世界」、「あっちの世界」)で登場するのが医者=コルネイ(佐藤晃子サン)、看護師=ダンプ運転手(園田シンジ サン)、インタビュアー=イエス(根本こずえサン)、カメラマン=ブッタ(辻井彰太サン)で1人2役を演じる。時に「EXILE」の「Choo Choo TRAIN」のイントロ部分での振り付け(タイミングをずらして上半身を螺旋階段状に回すパフォーマンス)を見せるなど、緩い笑いを誘う。
物語は、漂流しながらも「こっちの世界」と「あっちの世界」で生きるのか、男の生き方を巡る選択の問題へと流れていく。10000年後の世界は滅亡の危機と言いつつも、終わりはないという。しかし、看護師から「こっちの世界」は「終わりがあるから、生き甲斐も遣り甲斐も感じられる」、一方 「あっちの世界」は「永遠ならばモチベーションが保てるのか」といった問い掛けをする。何でもありの苦労なしは、生きている証をどう捉えるのか、と言った寓話的な問答。男の下した判断とは…。
本筋に関係が有るのか無いのか、さり気なく面白可笑しいネタを入れてくる。イエスとブッタ(衣装もそれなりに着替え)が大道芸人といったフェイク(「あっちの世界」にもコンビニがあるのか)、先に記したパフォーマンス等は小難しくなりそうな内容の箸休め的な演出。役者がシーンに応じて庭で演じる時には、映像で見せるか、中扉を開けリアルに見せる。会場を実に上手く使い、浮遊感(あっちの世界)を額縁演技として切り出す。一方、場内は地に足がついた現実が現れ、空気感の違いを際立たせる。
あと謎の女(酒井実鈴サン)は…男の潜在意識を性差の違いで表現したのであろうか、疑問だぁ。
次回公演も楽しみにしております。
丘の上、ねむのき産婦人科
DULL-COLORED POP
ザ・スズナリ(東京都)
2021/08/11 (水) ~ 2021/08/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
客観性ある内容を役者が熱演で体現する力作。
公演の魅力は書籍や映像資料だけではなく、実際に約30名弱の経産婦や夫婦へのインタビューを行い、収集したエピソードを再編集して演劇化しているから、説得・納得感に力がある。もちろん描かれた7場(2場は上演時に削除)だけではなく、端的に言えば人の誕生(出産)数だけドラマがある。それを演劇化することは出来ない、というか不可能であろう。だからこそ、取材等を通してある程度類型化が出来そうな場面を描いている。公演は出産の観点で描いているが、生があれば死も表裏のような関係にある。当日パンフに作・演出の谷賢一氏が「生の背景に一体どんな思いと考えがあったのか」と書いているが、むしろ描かれなかったが、流産・死産といった悲しみを経験する場合もある。それゆえ、その不安を乗り越えた先の喜び、無事に産まれた安堵が倍加して描くことも出来ると思うが…。
(上演時間2時間)【Aチーム=男女の性別のままの普通版】
ネタバレBOX
舞台美術はシンプルで、上手・下手側に椅子が並べられ、7つの場面に応じて移動させ情況や情景を表現する。後景は照明効果を利かせるためガラス仕様の壁面を幾つか組み込み、彩光の美しさを強調する。また各場の上演前に状況を説明する字幕が映し出され、物語の概観(プロフィール等)を示すので、結婚前カップル、もしくは夫婦の心情が何となく解る。
物語は7場面あるが、その中で2つの場面について。
1つ目は、若いカップルが出産に対する不安や悩み(どちらかと言えば出産費用、今後の生活といった経済面)といった、生まれるが前提の話。
2つ目は、不妊治療に時間や経済的な負担を感じている夫婦(本作は女性側が対象)。産めないが前提の話。
どちらも切実な問題意識であるが、その悩みの前提になる事が違う。その違い夫々で悩む過程が実にリアル。もちろん、取材等で得たエピソードが基になっているだろうが、舞台化すれば間接的な話(客観的)。それを役者が対象者の不安、悩みを受け止め、リアルにその人物像を立ち上げていたからこそ取材等が生きてくる。役者陣の熱演、全体のバランスが良かった。
公演で演じられた場面…出産(流産、死産等含む)や不妊治療は、人の数だけドラマがある。演劇によって、ここで描かれた体験はもちろん、これから経験するであろう人の想像力の馳せる範囲まで広がる。その意味では考えさせる内容だ。
観終わってみれば、脚本・演出・演技そして舞台美術の総合力を十分発揮した力作だ、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
げんせんじゃ~!
東京印
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2021/08/11 (水) ~ 2021/08/15 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
♬げんせんじゃー…思わず口ずさんでしまうノリのいいメロディ。
舞台は或る温泉街、百年続く老舗旅館「宝や」…スローガンは「愛と情熱の宝や旅館」。この旅館の従業員の休憩室兼事務所がセットとして組まれているが、それは実に見事であった。また、登場するキャスト以外の案内スタッフも揃いの法被で会場全体を旅館に見立てようと雰囲気作りに努めていた。この団体のスタッフワークは良いなぁ。
物語は、その旅館が不況のあおりを受けて客足が途絶え経営難に陥っていた。これを打開すべくある行動を画策するが…。まさしくコロナ禍を地で行くような話。「ご当地ヒーローを作りこの旅館を盛り上げよう!!」…問題山積みの老舗旅館従業員たちがゲンセンジャーに変身&温泉の源泉を守る、は智恵と勇気(心が折れない)が求められる今にピッタリの好公演。
キャストにイケメンが揃っていることもあり、前方列は大多数が女性客だ。公演は観客の協力によって成り立つ場面もあり、さすがにファンは心得ている(感心)。音楽もノリノリであるが、劇中シーンに応じて三味線やギターといった和洋の楽器を使い分け、観せ聴かせる魅力を十分に引き出す演出の上手さ。
少し緩いようにも感じたが、1時間50分の公演を観(魅)せてしまう独特な世界観、雰囲気があった。
ネタバレBOX
経営危機を乗り越えるべくある秘策を考えていた...それは温泉街の最大イベントのパフォーマンス大会で優勝し、それを目玉として集客しようというもの。その出し物が”戦隊もの”である。そのため東京からアクションスターを招聘するということであったが、同姓同名の大部屋アクションスター(自称)の「フジオカ ヒロシ」であった。このいい加減な設定は笑いネタであるが、少しくどく感じられたのが残念。
一方、旅館で働くジュンは耳が聞えないため話もできない。このジュンの健気な仕草と優しい心が観客の胸を打つ。どうして耳が聞こえなくなったのか、その生い立ちが兄のマサルによって語られる。旅館の窮状と重ね合わせるかのように、現状を受け入れている。聞こえないのは当たり前のことになっている。それでも生きていくことの大切さを淡々と話す。この感動的なシーンと先のアクションの笑いネタを峻別し場面ごとのメリハリが効く。だから観(魅)せるシーンの余韻が強調される。
笑いネタは、楽しませるサービスとして盛り込みつつ、物語の本筋を大切にした公演。ラストは戦隊ものらしく、色鮮やかな衣装を着て踊るパフォーマンスであるが、ここでも遊びというサービス精神を発揮する。
ちなみに優勝出来たか否かは明らかにせず、単純に予定調和にしない。ただ子供に受けたようで予約電話が入る。だけど経営難と言いつつも、新たに従業員を採用するとはなぁ。
公演全体を通じて温かい雰囲気、そして観客を楽しませようとするサービス精神が感じられ、最後まで観させる独特な世界観を持っていた(一方、緩い展開でもあるが)。
次回公演も楽しみにしております。
Who’s it? 〜ニューヨークの日本人〜
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2021/08/05 (木) ~ 2021/08/10 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
アメリカ・ニューヨークで英語禁止!…たかが言葉、されど言葉である。言葉の底には文化が透けて見えるという奥深さ。公演は「ニューヨークと歌舞伎町って似てる」みたいなところから始まったらしいが、物語の随所にそのようなシーンが登場する。
ニューヨークにあるアパートに闖入した日本のヤクザとこの部屋に出入りする人々の会話を通して浮き彫りになる居心地の良さ、自由な雰囲気、そして自分らしさ とは…笑いと苦みと少し切ない物語。短編だからこそ早い段階で引き込む興味・魅力付は上手い。
(上演時間70分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ベースを四角に区切り部屋を出現させ、そこにソファとテーブルを置いたシンプルなもの。客席はL字で、2方向から観劇可能であるが、舞台と客席が対角に設えているため、どちらから観てもあまり変わらないと思う。
日本のヤクザ・輪島真司(長野耕士サン)がソファに座り、このケイ(寺園七海サン)の部屋に居る人々を制圧しているところから始まる。自分は英語が話せないため英語禁止ルール、そして外部との通信手段である携帯電話等をテーブルへ出させる。にも関わらず次々に友人等が訪れるため、手負いヤクザの苛立ちはピークへ。
2021年、ニューヨーク州での大麻合法化を背景に、その社会的なことを日本(人)との対比を意識して描く。輪島は対立組織と大麻を巡って諍いを起こし、銃で撃たれこの部屋へ。ニューヨーク州では、合法化以前の大麻取締まりにおいて人種差別(白人と黒人等)が著しく、それが検挙率に表れていたと。台詞にもあるが、警察での取調べでも差別的なことが多い。日本では描きにくいことをニューヨークに設定することで大麻に絡めた問題(差別)意識を描く。もちろんニューヨーク州における大麻合法化は、雇用・税収の拡大や人種差別の縮小といったメリットの説明も忘れない。
また、この部屋の住人達、集まってくる友達の言葉から、アメリカと日本の生活、文化、そして暮らし方そのものの違いが吐露されていく。例えば、日本人留学生はネイティブでない(英語)発音に悩み、意思表示・疎通に支障をきたす。一方、日系3世ともなれば、同じ日本人でも意識がアメリカに近い。日本人は仲間意識、協調性の重視という雰囲気にホッとする、など異国という設定だからリアリティを感じさせる。
先の社会性に日本人という個性というか特徴を さり気なく描き込み笑いの中に「意識」という問題を潜ませる巧みさ。
ラスト、輪島がケイに英語で「さよなら」は何て言うのだっけ?というのに対し「see you again」と回答。輪島曰く、自分でもそれくらいの英語は解る。そしてケイに改めて別れの言葉を英語で言わせる洒落たシーンが印象的だ。
次回公演も楽しみにしております。
愛でる心
劇団龍門
シアターシャイン(東京都)
2021/08/04 (水) ~ 2021/08/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
大きな愛で包まれ、温かい心持にさせる好公演。
物語は大きく2つの流れがあるが、その底流には共通した思いがある。それは人の再生というか育成という「愛情」が仄々と、しかし確りと描かれている。まさしくタイトル「愛でる心」である。
コロナ対策として役者はマウスシールドを着用しており、今では当たり前のようなこと。それでも一瞬、見た目と台詞音声がどうなのか気になったが、全くの杞憂であった。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
上手・下手側に屏風のような衝立、パソコン ソファ(置く位置によって場景が異なる)といった簡素な舞台美術。といっても基本的には2か所であるから、しっかり作り込むと視覚的に場所・情景が固定され、物語の面白さに追いつけないかも知れない。物語の場所は警察署内とその部署に配属された新人刑事の自宅。この部署は何らかの理由によって刑事としての再育成が必要になった者が配属される。この統括責任者が前田本部長(村手龍太サン)で、2つの物語に共通した愛情を渋く演じる。
物語は刑事部署内に新人が配属され、その担当者になったのが水野淳之サン。彼は10年もこの部署に居るベテランで何故か異動できない。実は10年前、犯人逮捕時に誤射し、それがトラウマになっている。もう1つは、前田本部長は既に妻は亡く、2人の子供(兄・亮介、妹・彩子)がいるが、兄の方とは音信不通の状態。家庭内に波風が立っている。本部長の口癖は公私混同するなであるが、若い女性を署内に連れてくるなど、言っている事とやっている事が違うが、何故か飄々とした態度で誤魔化されてしまう。兄は妹とは連絡を取っており、オカマbarで働いている。妹は売れない劇団員(アンサンブル)でバイトと掛け持ちする忙しさ。2人とも孤独で認められたいという欲求がある。が警察幹部の父としては容認しがたい。親子の相容れない生き方は、どうその人の人格を認めるか。寛容・不寛容は心の持ちようと言えば簡単だが、現実はそう簡単ではない(割り切れない)。その微妙な空気感の演技は上手い。
登場人物は12人であるが、その1人ひとりの場面を実に丁寧に描く。それによって物語における人物の立ち位置が確りし流れも分かり易い。2つの物語は、付かず離れず最後まで「愛でる心」の核心を包み込んだままであるが、全体の雰囲気が愛情に溢れているのは一目瞭然。この不思議と温かみのある感覚というか雰囲気が公演の最大の魅力ではないか。
警察署内の新人配属は、実はその育成過程を通じてベテラン刑事の再生を行うというフェイク。一方、自分の子供たち…妹の公演は必ず観に来て、どんな端役であろうが満足して帰る、その見守りが優しい。そして妹がそっと父と兄を自分の公演(指定席で隣り合わせ)に招待する優しい配慮。この父と兄の気まずい様な表情が最高。このワンシーンだけで愛情の深さが解る。確かに「人生はドタバタよ!思った通りなんかいかないし、伝えたい言葉だって届かない。」かも知れないが、少なくとも本公演はドタバタは魅せる力はあるし、設定は在り来たりのようだが、先に記した通り最後まで核心を明かさない。ハートフルでドタバタ人情系エンターテイメントは面白かった。
次回公演も楽しみにしております。
犇犇
TAAC
駅前劇場(東京都)
2021/07/30 (金) ~ 2021/08/08 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ラストは唐突という印象。
加害者「家族」の苦悩を描いた話であり、確かに軋んだ緊張感は漂うが、物語性が観えてこない。どちらかと言えば、演出や舞台技術によって犇々とした雰囲気(空気感)を醸し出している。しかし家族内における痛みのリアリティがなく、どうしても家族外_社会・世間を意識した描き方をしないと難しいのではないか。
加害者本人(長男)が服役(12年間)を終え、家に帰ってからの1年近くを描いているが、時の経過なり、家族内の雰囲気の変化は自然と流れる。例えば、アフリカの諺、自分の肘は舐められない等を挿入することで、少しづつ軋みを和みへという変化を表す。このアフリカの諺…すべての物には終わりがある。ただしバナナにはそれが2つある、はラストにおける意識の根底を示していたのであろうか。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、鳥飼家のダイニングキッチン、上手側にソファーとミニテーブルのリビング。本当に生活していると思わせるくらいに作り込んだセット。5人家族であるが、父の説明はなく、母は手紙を残し出て行き、劇中で手紙を朗読するという形で表現。長男・傑(西山聖了サン)は殺人事件を犯し服役中、次男・望(鈴木勝大サン)は宅配の仕事をし生活を支え、妹・朝未(永田紗茅サン)は引き籠りという状況をサラッと説明。加害者家族を支援する男・鮫島今日矢(大塚宣幸サン)、隣家で幼馴染の小早川隼(清水尚弥サン)を加え、登場人物は5人のみ。各人がそれそれの思惑で蠢き出す。
日常のちょっとした仕草に性格や置かれた状況が見えてくる。例えば、望はコロナ禍を思わせるのか分からないが、帰宅後、手洗いうがい、また分別ごみの徹底など、何かしら強迫観念のようなものに取り付かれている。苛立ちと鬱屈の毎日だ。朝未は自宅内でも携帯電話を媒介しないと話が出来ない、それも隼だけという対人恐怖症のようだ。傑は、家族に迷惑をかけた思いでドギマギした態度、反省としての土下座。当初3兄弟妹はよそよそしく ぎこちない素振り、その微妙な距離感というか空気感を実に上手く表現している。そのバランス感覚が好い。そこに鮫島の色々な諺などが入り込み、時間をかけて ゆっくりとという言葉が時の必要を示す(例えば、朝未が直接会話出来る、傑からの差入れを受け取る等)。またアフリカの諺の意味は、結局解らないが、同様に傑がどうして殺人を犯すことになったのか、本人も判らない心持を示唆している。
子供が玩具売り場で泣いているのは、買ってもらえなくて泣いているのか、買ってもらいたくて泣いているのか、過去(原因)と未来(目的)に準えて説明する。後者によって傑が犯した事件の概要は省略し、現在以降に焦点を当てた内容にしている。テーマの「加害者家族」視点を暈けさず、過度に加害者本人を描かない説明・工夫か。
鮫島の加害者本人は弁護士が付き、人権は守られるが、その家族の苦悩等は守ってもらえない、という言葉は重い。実際、加害者家族としての重荷は生涯背負うことになるだろう。また朝未に対して、同じ血は流れていても人は1人ひとり違い、決して兄が犯罪を犯しても自分(妹)も同じ行為をするわけではない。
物語は望の解雇によって動く。世間の厳しい目に晒されながら何とか生活を支えてきたが、傑の犯歴が原因による解雇。一方、傑は淡々と平穏な暮らしを享受している。望は何となく理不尽に思える蟠りと不満が噴出。決して抗うことが出来ない現実は、いつも家族外による(無言の)圧力。朝未の誕生日ケーキを傑が買いに出かけ、帰宅が少し遅れただけで何か起きたのではないかという疑心暗鬼。社会という「分かったような分からないようなもの」を対照に置くことで家族の苦悩(物語性)が鮮明に出来たのではないか。
アフリカの諺_物には終わりがあるが、バナナにはそれが2つ…始まりがあって終わりがある、が終わりは始まりでもあると…それは負(不幸)の連鎖を意味するのであろうか。ラストシーン、その伏線があったのか、それとも誤刺だったのか?唐突だ。
公演は、母親(手紙)の朗読(声=美津乃あわサン)に不穏、悔悟(末期癌のため慟哭イメージ)を思わせる音楽を重ねているが、少し音量が大きいのが気になった。照明は時季による外光や1日の時間経過による諧調も巧みだ。その色調が家族という空気感と人物の心象をうまく表現していた。
次回公演も楽しみにしております。
中年の歩み『侘しい星、寂しい星』
第0楽章
SPACE EDGE(東京都)
2021/07/21 (水) ~ 2021/07/24 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
中年だけが侘しく悲しいかは分からないが、多くの人が味わうであろう感情、それを娘の視点から描いた回想もしくは幻想劇。タイトルにある星の在り方は、自分の感情に流されないという客観性を保つための強がりに思える。物語は主に母、娘のそれぞれの観点と親子という関係を描いた3場面を娘が集約する。舞台美術は左右対称で、上手・下手側に場を移すことで それぞれの観点が変わり、それに伴い時々に居たであろう人物が登場してくる。その変幻自在な演出と多様な人物を表現する演技力は見事。但し、技巧的になりすぎた印象もあり。
(上演時間70分) 【A=女性チーム】
ネタバレBOX
セットはベットと窓カーテンというシンプルなもの。基本的に上手が娘(今井美佐穂サン)、下手が母(中村真季子サン)の世界(都邑)。違うのは娘の方に母からの仕送りであろうダンボール箱が1つあること。そこから取り出したのはミニ卓上灯とランタン。
物語は、場所や時を特定させないが、時々に時事ネタを挟み足元を見せ観客の感情を放さない。娘は、ベットの中から ここはスカスカ星、おはよう こんにちわ こんばんわ と言った挨拶をする。一般(抽象)的な言葉で始まるが、すでに空虚、諦念といった感情が溢れ出す。
冒頭、母が声掛けし娘を起こすシーンは、自分にも記憶があり懐かしさが蘇る。郷愁を思わせるシーンから、突然、特別定額給付金(コロナという台詞があったか分からない)の申請をしたかという現実を入れる。娘は声優になりたくて上京したが、夢は叶えられていない。母は娘を思い、郷里での職探しをするが、その相手が今井サン(2人芝居ゆえ、色々な人物を入れ代わり立ち代わり演じる)。
また、物語には父はもちろん、”男”の影さえ出てこない。逆に母・娘に”女”の顔がのぞき出し、母が股を広げ太腿を露わにするなど、何かに未練がある若しくは懇願するような仕草。色々な場面が次々に現れるが、後々、それが走馬燈のように巡る思い出だと解る。
母・娘(関係)と一概に言っても、その間にある感情などは千差万別で、描くのは容易ではない。だが、現実と虚構を混在させることで、身近(主観)と世間(客観)を上手く表出させ、部分的にでも共感を誘う工夫は巧い。既に母は鬼籍。生きている時には、色々な出来事があり感情の行き違いもあったが、亡くなってみると何て思い出深いのか、そんな侘しさと寂しさが こみ上げてくる芝居である。
娘の手元にあるミニ卓上灯とランタンは、照明効果だけではなく、母との語らいの媒介ーマイク仕立にし照れ隠しのための間接話法ーとして利用しており、手の込んだ観せ方だ。
次回公演も楽しみにしております。