さいはての街の塵の王
尾米タケル之一座
ウッディシアター中目黒(東京都)
2021/12/01 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
チラシの陰気な絵柄、説明から一見 骨太作品と思えるが、演出には軽妙さもありバランスが良い。
塵も積もれば山となる…意味合いは少し違う喩えだが「塵の王」とはそういう事かと納得。さいはての街とは、時代や場所に関係なく渦巻く人間の「想い」を普遍化するような表現にしている。ただ物語を紡ぐにあたって、場所はある程度 特定した処に設定し、現実(人間界)と異界の中で、自分とは何者なのかを探るようだ。その重い「想い」の裏に隠された感情が「辛い」「消えたい」「会いたい」等といった声になる。その感情を顕わにするのも、させるのも人間である。人は人から逃れられないのかもしれない。
(上演時間2時間30分 途中休憩含15分)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に長方形を刳り貫いた厨房らしきもの。全体的に白くゴツゴツした感じは密閉された空間。大きさ等が異なる箱馬がいくつかあり、情況や場景によって移動変化させる。キャストの衣装は、塵の王(坂口翔平サン)は黒、それ以外は全員白(サリィ役:香衣サンのボンテージ風ファッションも含め)という対比で分り易い。
物語…以前は有名なフレンチ料理店だったが、それも昔のことで今では閑古鳥が鳴く。オーナーのジン(小谷真一サン)は、利き腕がマヒしているようで思う存分腕を振るえない。そんな時、塵の王が現れジンに憑りつく。塵の王が食するのが人の色々な「想い」である。声にならない吹き溜まりのような想いを食らい続け、ある存在になり魂が彷徨する。言葉と料理(嗅覚・味覚)、そこに共通しているものは理屈ではなく感性である。その言うに言えない本音の言葉を求めて辿り着いたのが…。
ここからの場面転換(展開)が急のようで、多少 戸惑いを覚える。この場面の設定が白衣装に結び付き、人の心や感情に色がないという虚無感、浮遊感のようなものを漂わす。声にできない不平不満が充満した空間で、自分の存在をアピールすること、本心の吐露を促す人の温もりをしっかり描き出す。同時にSMっぽい行為で観客を笑わせ、歌で場を盛り上げるサービスで観(魅)せる。
ここは精神病院か?…色々な悩みを抱えた人が入院しており、その症状が本当に精神を病んでいるのか。入院時の乱暴な扱い、それが精神疾患を疑うような台詞になっている。自分の意思に沿わない環境下、しかし、それに慣れ順応してしまう人間の弱さ。さらに「想い」という気持、それを醸成した記憶まで忘却してしまう怖さ。そんな不気味さは自分の身近なところにもあるかもしれないと思わせる。塵の王は人の不幸を集めた魂の結晶。が、人は人のために為す善意があれば救われる。何故 自分(ジン)は料理人を目指したのか、それがラストシーンで…。
演技は軽妙であるが、しっかり観(魅)せる 力 がある。先にも記したが、鞭を使ったり、歌を披露するなどバラエティに富んだ観せ方は観客サービス。もちろん精神を病んでいるという設定であるから奇行や奇声、その他不気味な行動は上手く演じていた。この物語を支えているのは、このキャストの演技力といってよい。舞台技術ー音響と照明は物語の展開を程よく支え、効果的な役割を果たしていたことに好感。
次回公演も楽しみにしております。
飛ぶ太陽
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/12/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
終戦直後を背景にした史実、そこに居たであろう人物像を通して描いた骨太作品。
タイトル「飛ぶ太陽」は、その出来事を象徴した言葉で、重みが感じられる。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、桟敷童子らしくしっかり作り込んでいる。上手下手に白銀の網目のようなオブジェが天井から板まで流れるように設え、舞台中央に工事現場で見られるような足場の木組み、その上部奥に紅葉が色鮮やかに生(映)える。下手に大きな垂れ幕、そこに昭和20年11月12日午後五時十九分と書かれている。その後、物語の状況を演出するため、上手下手に少し高さと大きさが違う平台が2台づつ置かれている。
初日のカーテンコールで、今回のセットは開始12分で崩壊すると。今まで観た公演は概ねラストに魅せてくれたが、本公演はその爆発崩落から物語が動き出す。
物語は、終戦直後の福岡県田川郡添田町の日田彦山線彦山駅近くの二又トンネルにおいて、アメリカ軍が大日本帝国陸軍の隠していた火薬を焼却処理しようとしたところ大爆発を起こし、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人(うち児童29人含む)、負傷者149人、そして多くの家屋が被災した事故というか事件を、復員兵を中心として そこで暮らしている人々の実態と証言を積み重ねて描いている。
事件の特殊性として敗戦国日本がアメリカ軍(GHQ)が原因で起きた事件に物言えず泣き寝入りをせざるを得ない状況、その苦悩に満ちた心情を多方面から点描する。当日パンフで、「この物語は事実を元にした創作で、登場人物は架空の人々です」とあるが、現実には同じような境遇の人々が多く居たことは想像に難くない。中心となるのは、復員兵・松尾与市(吉田知生サン)と母で農作物行商人・トワ(鈴木めぐみサン)親子で、生きて復員してきたことを恥じる息子、一方 帰還を喜び祝賀を開く母の情が肌理やかに描かれる。与市は駐在所巡査部長の奈佐達蔵(原口健太郎サン)から養鶏の世話を頼まれ、その恩義(タバコ1箱支給)に報いるために二又トンネルの作業に応募する。また国民学校教員で現在休職中の澤西文子は担任児童がトンネル近くの山へ…冒頭に事故日時が垂れ幕で知らされているため、その瞬間までの緊張感が徐々に高まってくる。戦時中トンネルに運び込んだのが、事情を知らされていない行商人、それが戦犯への疑い。戦後という背景にも関わらず戦時中の不条理が次々に襲い掛かる。
総じてキャストの演技は重厚。その中にあって澤西姉妹、典子(板垣桃子サン)・文子(宮地真緒サン)の演技は、精神を蝕む心痛な思い、その心情溢れる姿は観ている者の感情を揺さぶる。生前の与市が母・トワに向かって吐き捨てる言葉「あんたなんか大っ嫌いだ!」、一方ラスト、死んだ与市が、爆風で両腕を失ったトワに「あんたの子に生まれて光栄」と呟く姿に涙する。
この史実は知らなかったが、戦時 戦後という時の分断はなく、時間の流れと地続きはいつの時代も人々の暮らしに付き纏う、ということを思い知らされる。そして知らぬ間(戦争)に利用されるという恐怖。当時は大事故にも関わらず、政府はアメリカ軍絡み(復興支援への影響等)ということで対応(補償)しない。マスコミも同調圧力なのか、大手新聞社は記事掲載をしない。今を生きている自分が、この事故を知らない。戦後77年近くなると人の痛みも記憶も風化するのであろうか。
ただ、物語終盤は政府補償を勝ち取るまでの裁判記録(経過)を朗読するようで、事実の顛末を語るに止まったのが少し残念。今まで観てきた桟敷童子公演に比べるとラストの盛り上がりが…レベルの高い願望である。
次回公演も楽しみにしております。
夜半、涔々と。
actors team Re-birth
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
今では「書簡」を用いることが少ないであろう。それを敢えて往復「書簡」朗読劇にした拘りはあまり感じられず、書簡にしては整いすぎた話だ。
他劇団を引き合いに出すのは如何かと思うが、その時は明治から昭和期にかけての作家の書簡を朗読した。昔の書簡は現代の通信手段(メール等)と違い、配達という日数を経て相手方に届くから、リアルタイムでの意思疎通は考えられない。作家の書簡は必ずしも相手の内容に沿った返信ではなく、横道に逸れたり新しい話題を書き記す。そこに時間の経過という往復書簡の面白味が出て、作家同士の機微に触れるやり取りの味わい深さが滲み出ていた。
本「夜半、涔々と。」は、男女の十数年の書簡のやり取りだが、あまりにも相手への直接的な返事や回答で「書簡」としての余白のようなものが感じられない。語りこそ書簡風だが、会話劇のように思われた。話の内容は面白く、役者の朗読力、場面転換の間合いも上手いが、書簡としての構成が整然とし過ぎていた。変な表現になるが”脚本力”があり過ぎたというべきかも知れない。それとも、やり取りした書簡(LINEか? )を纏めた回想劇だろうか。
朗読とは直接関係ないが、「チラシ」に観客(個人)の名前を書き、コメントとサインを記する温かな心遣い。まるで書簡イメージだ。
(上演時間1時間30分) 【真鶴編】
ネタバレBOX
舞台は朗読劇であるから2脚の腰高スツール。その間にユリの花を生けた水盤。実は書簡のやり取りをする女性の名はユリ(漢字表記かは不明)で、シャレた演出である。
物語は、中学3年生の秋頃から受験時期迄の半年余りが第一場。男子生徒(カズ・ニケルソン サン)が学校で苛められており、それを2年生の時に転校してきた女子生徒(笹木奈美サン)が見ており、手紙を出す。郵便ではなく直接 男子生徒の自宅ポストに投函する。2人とも友達と呼べる生徒はおらず、自然と親しくなっていく。チラシには劇中語解説が書かれているが、ロケーションは北海道函館市である。極寒、雪虫、弥生坂そしてクリスマス風景が見えてくるようだ。2人の生い立ちも説明され、女子生徒は神奈川県のヤクザ一家の娘で、一時的に函館の学校へ転校。男子生徒は両親が彼を残し失踪、祖母に育てられている。女子生徒と親しくなったことで、苛めはされなくなる。
第二場は、二十歳の時に偶然 東京で再会し付き合いだす。ヤクザの娘という世間の冷たい目に晒されながらも必死に生きてきた女性。一方、男性はバイトをしながらバンド活動をしている。2人の慎ましやかな生活が浮かんでくる。第一、第ニ場も2人は直接会って食事をしたり、そのうち半同棲までしている。その感想めいたことを書簡形式にする不自然さ。
第三場、男は音楽業界で売れっ子になり、日本各地でライヴ活動をする。彼女との書簡のやり取りが、彼の音楽活動の源。自分の内省を音楽にしており自分のことだけという狭い世界観に彼女は批判的。もっと広い世界へ羽ばたくように諭す彼女との精神的交感に、結婚を決意する。しかし業界の反社会的風潮の前に彼女は…。
物語は2人の心情はもちろん、風景や季節感も感じられる。何か所かの読み間違えや噛みはあったが、気にするほどではない。時に東日本大震災時の状況も絡め、現実感をも漂わす工夫もよい。それが場面ごとにスーと流れるように紡がれ、言葉(台詞)と一瞬の間合いで時の経過を表現している、が少し無理がある。
次回公演を楽しみにしております。
嫉妬深子の嫉妬深い日々
U-33project
王子小劇場(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/11/30 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
3か月連続公演の締括り。少し教訓臭を感じるが、タイトルから薄々感じられること。
嫉妬深子…もちろん本名ではなく普通の女の子。どうしても他人と比較して嫉妬してしまう自分を内省する。彼女と同様にある渾名を付けられた女の子、こちらは他人を観察し客観視する。この2人の女性の視点を交差するように描いた物語。登場人物は全て女性で姦しく華やかであるが、意識しない棘があるところを上手く表現している。伝えたいことは解るが、その表し方が台詞中心になったのが勿体ない。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、段違いで中央は階段。上段の上手側に色鮮やかな殴り描き絵柄の屏風状、下手側は障子のような規則正しい升目の屏風状がある。板には色違いの箱馬が3つ。全体的にシンプルな造作であるが、そこに心内を表現したと思わせる工夫がある。
冒頭は明子<渾名:メイコ>(鹿角東子サン)が同窓会に参加し、皆と再会するところから始まる。彼女は根暗で存在感がないことから、少しでも明るくという意、そして無色透明という意、両方の意味合いを込めた渾名。本人が知らない性格を見抜かれ、同窓会で真実を知らされる衝撃。一方、25歳A型 嫉妬深子(平安咲貴サン)は何かと嫉妬し地団駄踏むクセがあり、その様子から付けられた渾名。2人は渾名のイメージが先行し、本名で呼ばれることがない。
さて同窓会は、リオ、ノリコ、エリ、チサト、ユカといった面々が集まり近況など歓談が始まる。本名(名前)で呼び合う同級生、そんな中で明子(メイコ)は、自分の立ち位置に違和感を覚えている。一方 深子は、同窓会前夜 興奮して寝付かれず寝坊、慌てて乗ったバスが千葉・館山に到着という敢えての滑稽さ。
再び同窓会へ向かう中で回想や内省をする姿がメイン。あるサプリメント(フリスク?)を口にすると将来の自分・吉野部(細田こはるサン)が現れる怪現象(ファンタジー?)。何故、嫉妬するのか、その理由や原因を探るため、自分が好意を寄せた人、苦手な人、何事にも完璧な人を登場させ心の動きや あり様を描く。物語を紡ぐという観せ方ではなく、深子を囲んでサークルを成す、上段から色紙吹雪といった抽象的表現で心の中や情況を描くといった印象が強い。
キャストの愛嬌や険(ケン)ある豊かな表情は、少し重たい内容を和ませ上手く牽引していく。衣装は、深子は殆どが体操着(皆からはそういうイメージ)、他の女性はカジュアル衣装という違いで際立たせる。名前さえ覚えてもらえない女性…自分は何者なのか、将来どうしたいのか、友達との関わり合い方は、と言った悩みがしっかり伝わる。これをもう少し物語に落とし(台詞や張り紙「なりたい自分になる」ではなく)観せて欲しかった。
ラスト、深子と明子が本名(名前)で呼び合うシーンによって、自分の存在が確認できる幸せな結末。
次回公演も楽しみにしております。
マツバラQ
グワィニャオン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2021/11/24 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い! お薦め。
演劇は、その虚構性の中に時々の社会事情などを鏡のように映し出す、同時に娯楽(性)という愉しみも提供する。この公演は、後者に重きを置きつつも、第二の人生というか遣り甲斐、生き甲斐という”人生100年時代”の喧伝を彷彿させる。可笑しみと苦みが同居し心にしっかり刻み込む公演。しかし、けっして重たくせず、何方かと言えば軽妙な感じで展開していくところがグワィニャオンらしい。
休憩時間含め2時間10分(休憩時間7分)は、飽きさせることなく笑い笑いで演じ切る。もちろん休憩時間7分にも意味があり、役者泣かせの観客笑わせの大サービス。観客が自撮りしたくなる気持も頷ける。それは観てのお楽しみ。
ネタバレBOX
舞台美術は、上手にソファ(場面に応じて移動させる)、下手は階段上に出版社事務所で机や書棚が並ぶ。毎公演ごとにしっかりした作り込み。
この出版社は書籍の売上減少に伴い、倒産寸前のところで買収させ、細々と社内報やフリーペーパー等を制作している。かつて歴史小説で勢いのあった時とは雲泥の差。出版業界の栄枯盛衰の中にいる古参の中年社員(おじさん5人衆)は、ダラダラとした体たらく。一方、女性社員の星野茜子(菜ノ香マカ サン)、淀川晴美(平塚純子サン)、森下あすみ(丸山有香サン)の3人のOLは、新選組の謎多き四番隊長・松原忠司の本を作ろうと意気軒高で奮闘する。しかし、かつて新選組小説でベストセラーを生み出した上司(おじさん5人衆)は乗り気ではない。彼女たちは何故 松原に惹かれたのか…上司たちの新選組愛はもう失せてしまったのか…果たして本は無事完成されるのか….。
2020年11月の「刹那的な暮らしと丸腰の新選組」のカップリング公演のようだ。前作でもOLが新選組の魅力に取りつかれ、現在と過去(幕末)を往還して展開していくが、本作は出版までの過程を業界裏話的に展開していく。さすがに同じような展開ではなく、捻りを利かせた構成は さすがである。また劇中で「血風リトルトーキョー」(愛染終と東京ニューセレクト)を歌い、違う面でも楽しませる。
謎の松原忠司を本にするにあたり、どのような人物であったのか。先人(子母澤寛ー新選組物語:三部作)の焼き直しではなく、独自性を出すため自ら取材・調査する姿。幕末という時代間隔を埋める逞しい想像力。出版に係る大事な要素を次々に繰り出し、制作の苦労や面白さを経験させるおじさん達。想像力喚起のためのシミュレーションシーンに殺陣等のアクションを盛り込み、劇団らしい観(魅)せ方をする。幕末・京都での新選組の活躍、しかし地味な松原忠司(主宰・作・演出 西村太佑サン)をどう魅力立てるか、といった創意工夫が見どころ。それが八千代(関田豊枝サン)との心中事件で、叙情性を売り物にする。官能小説家に執筆依頼、その描写に笑いが広がる。本当に楽しませることを知り尽くした劇団の公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
月の記憶
下北澤姉妹社
シアター711(東京都)
2021/11/24 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「追憶」と「再生」をしっとりと謳い上げた佳作。
コロナ禍という事情があるが、今ではその状況でさえ日常のこと。事件や刺激的な出来事が起こるわけでもなく、淡々とした生活が語られるだけだが、それでも観入らせる 力 のある公演。
夏、人工湖の近くで食堂を営んでいた母が新型コロナウィルス感染によって亡くなる。食堂を手伝っていた長女とその娘は濃厚接触者となり、隔離期間が終わって ようやく葬儀を行う。そこに2人の妹や近所の人が集まり…。
いつかコロナ禍を捉えた公演があると思っていたが、こんなに早く身近な日常の中に描かれようとは。コロナ感染死を通してみる不寛容で疑心に満ちた世間(社会)、そんな中で暮らす市井の人(個人)の悲しみ、嘆きが深く語られる。コロナ禍によって既にあった問題、すなわち労働問題や経済格差(貧困)などが明らかになった。公演に関係するのが非正規雇用の人たちが職を失ったり派遣切りにあったこと。社会的弱者に対する政治(社会)の歪が露呈したのだ。また物語では、テレワークなど在宅勤務形態など労働環境の変化によって夫婦関係にも影響が出たという。何となく「下北澤姉妹社」という団体名から女性に係る問題を浮き彫りにしたようだ。
現在の悲観(状況)を見据え、過去の悲しい思い出、それら全部をひっくるめての灯篭流し。その演出は、灯篭と心の揺れを重ねるような印象付けで見事。ラストのパフォーマンスは日常の暮らしが戻るような希望も…。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台美術はシンプルで、上手に木製ブラインド、食堂という設定からテーブルと椅子がいくつかある。上演前は休業中ということで、片隅に寄せられテーブルの上に椅子。冒頭、暗がりの中、役者が流木のようなものを両手に持ち、色々に揺らしながらのパフォーマンス。上演前にピアノと水が流れるような音響ー静寂さを感じさせる。人工湖の湖水の流れを連想させるが、同時に葬儀に集まった人々の追憶、その揺れる心をも表現しているようだ。
物語は先に記したように母・時子が亡くなり、焼骨を終えたところから始まる。食堂は母と長女・田中雅美(明樹由佳サン)とその娘・由美(桑田佳澄サンが手伝っていた。葬儀のために二女・久美(松岡洋子サン)、三女・真理(本田真弓サン)が帰ってきて、それぞれの近況や街の様子を回想する。それぞれ抱えた悩みや問題事を打ち明け、そこにコロナ禍の影を落とす。食堂が感染源という悪評が流れ、無言電話が掛り遺族を不安・不快にさせ、今後の営業に差し障りが…。由美はパチンコ店でバイトをしていたが、自治体から休業要請で収入が減少。久美は、夫が自宅待機・勤務で気まずい雰囲気になり家庭内暴力を振るわれ出す。真理はホテルの契約社員であったが、旅行業界の不況で契約解除される。という身近で見聞きする事柄を点描する。何より葬儀が特殊で、遺体の消毒等に手間と費用が嵩む事実と遺族の戸惑いがリアル。
同時に久しぶりに帰ってきた久美が、街の変貌ぶりに驚く。シャッター商店街、コンビニの弁当が早々と売り切れる、ちょっとマスクを外しただけで他の客から苦情を言われるという閉塞感をまじまじと話す。また葬儀に来た近所の人の亡くなった人々の思い出話も尽きない。他愛のない昔話であるが、亡くなった人と今を生きている自分たちの時間繋がりを感じさせるには十分な語り。静かな時間の流れの中に激情が渦巻くような雰囲気が会場内を支配する。それが観(魅)せる 力 かもしれない。ラストシーン、自治会の灯篭流し中止という決定を無視し、「時子」「良一」「光一」と書かれた灯篭が闇の中で揺れ流れる光景は実に印象的で余韻を残す。
3姉妹の流木内でのパフォーマンス・・・表現したかったのは嘆き・悲しみ・怒り・そして祈りであろうか。いずれにしても心象風景は少し唐突といった感じがする。由美は父親を知らないが、何となく貸ボート屋の工藤正(内谷正文サン)の弟であることに勘付くが、そこは触れない妙。
卑小だが、お盆という時季に久美のレザー(ロング)衣装に違和感。真理が毎年帰って来ていたのは、高校時代の恋人のためであり、その弟である佐野順一(小林大輔サン)から兄のことは忘れてほしいと。が、ホテルの同僚(契約)社員と関係し妊娠していることの違和感。
次回公演を楽しみにしております。
女心と関ケ原
SPPTテエイパーズハウス
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2021/11/18 (木) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一見、書けない歴史時代(女好き)小説家、霧島蒼龍の創作活動とそれを手伝う編集社のドタバタコメディのようであるが、そこに登場人物の心情を絡ませ味わい深く描いた佳作。歴史時代小説家シリーズ第二弾ということもあり、前作の創作光景を映像で見せる工夫。それもサイレントで弁士に語らせるという手法が面白い。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
中央に階段状の舞台、正面は映像用の白幕(スクリーン代り)、下手に座敷を思わせる平台に文机。この場所は歴史小説を書くための想像力を喚起するため、劇場を借りているという設定。獏芸社は、やむを得ず物語の構想をシュミレーションしながら創作するという前回に倣った苦肉の策をとる。そして例によって書けない(遅筆)ことから、獏芸社の面々が何とか協力し執筆させようとあの手この手と試みるが、霧島(帆之亟サン)は何だかんだと理由を付けて書かない。
今回は関ケ原の合戦における島津義久と義弘兄弟の奮闘をイメージしているが、それだけでは物足りず女性(奥方)を登場させようと。女性を登場させることによって現代に繋がりを持たせる。恋愛の多様性、セクハラ等の問題提示。この場に来ている編集者にBL(ボーイズ・ラヴ)の関係になっている者、編集長は若い女性・入来林桜(小林加奈サン)だが、霧島と何らかの関係があることが仄めかされる。演技は皆さん達者だ。
物語の展開が、現在と過去(関ケ原の合戦)と行ったり来たりし、それが更にシュミレーションの世界であることから、場面毎に脳内整理が必要。そして関ケ原における島津軍団の武勇が小説の一端として描かれることから、歴史(合戦)情景を思い描けなければ、いつの場面か混乱し足踏みしている感覚に陥る。物語としては面白いのだが…。歴史観の混同がないようにと「忠臣蔵」、それも俵星玄蕃という講談の創作ネタを挿入してくる凝りよう。他にも「江戸っ子」の定義云々など脇道ネタの幾つか。
役者は現代と過去の往還に合わせた言葉遣いに変え、外見も着物姿であったり現代の洋服であったりと楽しませる。サービスとして劇中劇(ショー)として歌(昭和歌謡等)やブロードウェイ・ミュージカル「ムーランルージュ」を観(魅)せる。テンコ盛りの内容はそれぞれの場面においては面白可笑しいが、全体を通して見ると、創作活動支援(試演)の域を超えている、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
優しい嘘
劇団BLUESTAXI
ザ・ポケット(東京都)
2021/11/16 (火) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
我が家の近くにもこんな人情味溢れるスナックがあればなぁ、と思わせる癒しの空間。観る人を笑わせながらも、優しくしっかり包み込む公演。
スナックがある街もシャッター商店街と言われ、コロナ禍という台詞こそないが苦境・閉塞感漂う状況下。それでもスナックに居る女性や常連客は地域に根ざして強かに生きている。
物語は、一見賑やかなスナックの光景を見せつつ、実は3姉妹の確執や出入りする人々の悩み事や問題を丁寧に描き、そこに隠された哀しみで観ている人の感情を揺さぶる。その優しく癒された心情を(ザ・)ポケットにしまい家路につくことが出来る秀作。お薦め。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、本当のスナック店内のようで、しっかり作り込んでいる。上手にボトル棚、カウンター・腰高スツール、下手に少し幅広のソファが置かれ、中央奥が店の出入口。窓にカーテンを吊るし、調度品や小物が品よく並ぶ。一瞬にして物語の世界に引き込まれる。この丁寧な拘りが良い。店名は「消しゴム」、実は亡き母が経営していた店で、その時の店名は「ぼったくり」。汚名というか悔悟の気持から、何とか黒歴史を消したい思いが今の店名。母が亡くなる直前に残した言葉は、長女の鮎川香織(笠井渚サン)だけが聞いており、妹達ー詩織(鈴木絵里加サン)・早織(矢吹凛サン)は臨終に間に合わなかった。母の言葉は姉・香織から聞いたが、それがタイトル「優しい嘘」である。母は奔放な人生を歩んだようで、その生き様を反面教師に育った香織の愛憎は深い。
物語は、近所のコンビニ店長とバイトの男が飲み歌い(カラオケ)の大騒ぎ。それをホステス2人が見事に捌く場面から始まる。また常連客の1人でスナックママ(香織)の一人娘の高校教師(担任)が、ママの妹・早織に恋心を抱いている。また昔ながらの文具店主は一回り年上のママに恋心。10年ほど前に店の売上金を持って失踪した詩織が、胡散臭そうな男・長谷部達郎(三枝俊博サン)を連れて帰ってくる。早織は職場の先輩と不倫をしており…。色々な出来事が起きるが、場面ごとにクスッと笑わせるのが達郎の絶妙なツッコミ。役者陣のバランスが実に良く心地よく観られる。
それぞれの悩みや問題を一気に吐き出し、混迷する姿を面白可笑しく描くが、裏を返せば相談する相手や場所がない哀しさも見えてくる。物語に真の悪人は登場しない、逆にお人よしの善人ばかり。人の感情の起伏(愁嘆場)は見えるが、話としての どん底はなく安心して見ていられる人情劇。やはり心に響くのは、女性として生きるのか、母性として生きるのか…二者択一という追い詰めた「性(サガ)」が物悲しい。そう言えば、店内に「時雨桟橋(市川由紀乃の歌)」のポスターが貼られているが、その歌詞は繊細な女心を歌い上げたもの。
終盤での香織の心情吐露シーンは観応え十分。荒ぶる気持を抑えつつ、それでも言わずにいられない胸の内を情感たっぷりに演じる。そしてラスト、3姉妹でキャンディーズの「春一番」を歌うことによって、取りあえず何かを吹っ切ろうとしている姿がいじらしい。本公演はカラオケシーンが何度となく出てくるが、その都度 観客を物語(話)だけではなく、スナックという仮想世界へ誘い戻す。そこに演劇としての「優しい嘘」という虚構性に酔いしれる。
次回公演も楽しみにしております。
ME AND MY LITTLE ASSHOLE
藤原たまえプロデュース
シアター711(東京都)
2021/11/17 (水) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
普通の人ばかりが登場するが、心の内を見せられると不思議と親近感を持ってしまう。その日常風景は、大いに笑えた!
或る小さな建築事務所という設定が妙。少人数ゆえに逃げようがない人間関係は緊密だが、そこは重くせず軽妙に描く。あるだろう、いや絶対ある 人間の「建前」と「本音」を実に巧みな演出で表現し観客の共感を誘う。
少しネタバレするが、劇中で「神は細部に宿る」という台詞があるが、この公演も舞台美術が建築事務所であり、自身の心の中であり また人間関係の隙間(距離感覚)を表してお洒落だ。またキャストの演技もなかなか細かい仕草があり上手い。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台美術は個人建築事務所内、所長も含め所員は4人。机、パソコンは木の枠だけで中身(液晶画面)はない。もちろんマウスや電話も木製で、所々に観葉植物を置くという拘り。舞台美術の枠だけで中身がないのは、外観から建前と本音を示している。下手の壁に掛けられている時計にも長短針がなく、時間に関係なく感情が揺れ動くと。公演は一見軽妙だが、音響や照明といった舞台技術を駆使せず、人の感情を真摯に捉え 前(全)面に出した力作と言える。
上手の壁には社訓に準えた「鳥・蟻・魚・蝙蝠」を形どった掛物があるが、大所高所からの俯瞰した目、細部を観察する虫の目、時には逆さになり素人目になることも大切だという。毎朝の朝礼は会社組織ではよく見られる光景だが、その朝から建前と本音が強烈に炸裂する。会社、仕事とは関係ない個人的な事柄を引きずり、それを押し隠し仕事人間を演じる狡猾さ。しかしその人間性に何故か滑稽で愛らしくもあり親しみを覚えてしまう。
1役2人で、演じる上で前者の建前と後者の本音をそれぞれのキャストが対になって演じるが、建前はあくまで無難で表面的な台詞だが、内心の本音は罵声・小馬鹿にした毒舌を容赦なく浴びせる。スカッとし溜飲が下がる思いだが、それだけ自分の気持に寄り添っていたということ。
木枠だけのセットだから、相手の顔は見えているはずだが、実物のパソコンが眼前にあるという前提で、少し顔をずらし会話する細かい演技がリアル。
一人ひとりの個人的な事情(背景)もしっかり見せ、物語の土台を築いている。所長は家庭の事情や所員の仕事振りに苛立ちと不満を持っている。お局的女性所員は夫との関係に欲求不満を抱え悶々としている。お調子者の男性所員は女のことで頭が一杯、そして新人所員・純子は真面目だが 自分に自信が持てず悩んでいる。皆が表面的には仕事をしているが、無難にやり過ごす日々に経営を担う所長が怒りを爆発させ…。
実は所長の穏便な なあなあ という態度こそが、皆の本音を引き出せずにいたよう。ここに建前と本音の使い分けの難しさが表れている。
唯一、棟梁だけが1役1人で出番が少ないと思っていたが、まさか あんな応援姿を見せるとは、そして新人の純子に「あんたこの仕事に向いていない」という辛辣言葉の真意が ・・・そこかとツッコミを入れたくなるほど笑えた。
次回公演も楽しみにしております。
たましずめ
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
少し捻りのある叙情的な珠玉作。じんわりと心に響いてくる上質な味わいはSPIRAL MOONらしい。
上演は「まちかど」「西向く桜井」「落花生と柿の種」の3短編作品である。作品を叙情的と思わせるのは、脚本、演出はもちろんだが舞台美術がその雰囲気を醸し出す。場内に入るまでの階段に木の葉、場内には公園もしくは山奥の社といった場所をしっかりと描き出す。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、第1話と第3話は関連しているため基本的に同じ。上手に木立、その下に占い師のテーブル(3話目の時には無い)、下手は大木の枝葉が茂っている。その下にベンチが1つ。地面の所々に草が生えておりリアルな造作。第2話は中央に社と供物、そして錆びて文字が読めないバス停標識。空調の関係であろうか 木の葉が揺れており自然を感じさせ、薄暮を思わせる照明にした時、壁に揺れ動く陰影がなんとも情緒的だ。
①「まちかど」…職場もしくは学生時代の先輩であろうか、好いている男・良男(星達也サン)へ何とかアプローチしたい早苗(道祖尾悠希サン)は占い師(秋葉舞滝子サン)と組んで、自分の意思表示を試みる。それをベンチから見守る女(=魂だけ:石井悦子サン)。その女は良男の亡き恋人か妻のような存在だが、自分に捉われないで新たな一歩を踏み出してもらいたい様子。占い師にはその気持が解るという超常の類。
②「西向く桜井」…母・沙織(矢治美由紀サン)が息子・祥太(渡部康大サン)と共に山奥にいる怪しげなカウンセラー・桜井(牧野達哉サン)に心療相談にくる。祥太は色々な事件に関わり、記憶の隠蔽や外界との関係を遮断している。心の闇の解放治療にやってきたが、それから桜井と祥太の虚々実々の攻防が始まる。桜井はカゲロウ(多咲明美サン)の狐妖しの力を借りて…。沙織と桜井は何らかの関係があるような雰囲気が気になる。
③「落花生と柿の種」…精霊流しの時季。浴衣を着た早苗と良男は出店でビールと つまみを買ってベンチで語らう。良男は、2人の酒肴を落花生と柿の種に準えて、適度に混ざっていたほうが飽きがこなくて楽しめる。何気に早苗の気持を受け入れる、第1話のエピローグ(魂だけの女は登場しない)。
それぞれの話に小難しい理屈があるわけでもなく、まして無理にまとめる必要などない。観たままを素直に心に刻めれば良し、そんな味わい深い公演。楽しめたぁ。
ちなみに、捻りがあると思ったのは、超常現象の類や深層心理の探り方に妖しを登場させ、幻想的、見えない心の在り様を何とか視覚化させようと努めているところ。
次回公演も楽しみにしております。
NEXT STAGE
ACファクトリー
シアターサンモール(東京都)
2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い! 笑えた。
劇中劇「劇団公文式第10849回本公演『時をかけるワイルドキャッツのギャラクシー大冒険』」は、笑劇であり、その舞台裏を演じる-この「NEXT STAGE」公演は更に衝撃的な結末。極上のショーを観ているようだ。同時にシェイクスピアの古典喜劇を彷彿させる場面も盛り込み深味を出す。それは、従来の演劇スタイルだけではなく、新たな演劇の在り方を摸索している、と思わせる手の込んだ描き(観せ)方だ。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
場内の通路を挟んで、前方の客席も舞台として使用する。その中央に舞台監督使用の平台、上手に劇中劇用の音響担当、下手が照明担当のブースが設えてある。後方だけを客席にしており、それも市松(模様)座席にしている。コロナ禍とはいえ、劇場定員の半分にも満たない観客での上演という贅沢な観劇空間。舞台は基本的に素舞台だが、先の劇中劇のセットとして宇宙を表現?する廃墟的な光景や中央に大階段を設える。
物語は「時をかけるワイルドキャッツのギャラクシー大冒険」の舞台監督が高熱のため稽古に立ち会えないことになり、急遽知り合いの男に代役を頼む。しかし頼まれた木下直也は演劇の舞台監督の経験はない。個性豊かなキャスト、スタッフに協力してもらいながら、何とか前に進めようと奮闘するが、問題が次々発生する。そんな時に座長の松本錠二が現れ、脚本や演出の変更を指示する。混乱し右往左往するスタッフ・キャストのドタバタ振りが滑稽で面白可笑しく展開する。この騒動を通してスタッフの協力、キャストのヤル気といった人間模様に変化が生まれる。同時に木下の中途半端な生き方の指摘、更には演劇の新スタイルとして観客参加型を模索していることも…。
公演の魅力は、脚本の面白さはもちろん、演出のビジュアル面も含めた観(魅)せる力。稽古舞台ということもあり何も無い空間に、劇中劇の面白場面を次々に展開させ、後景に宇宙やワイルドキャッツを連想させる映像が映し出される。場当たりという現実場面ではキャスト同士の諍いや体調不良といった急場。展開がアップテンポで観ていて実に心地良い。これら全体が劇中劇であるという結末は、途中から何となく気づくが、それでも最後まで興味を惹きつける。現実、劇場のコロナ感染防止対策として防護服の男が消毒噴射して回る姿がリアル、また、その男は出番こそ少ないがアクションシーンは大迫力。もちろん全登場人物のキャラが立っており、皆 適役と思える。役者の演技力・好演がこの公演を支えていると言っても過言ではない。
制作の女・田之上啓子が、主役ワイルドキャッツに抜擢されて、ミラーボールの光に照らされながら大階段を上る。その時の台詞、人(もしくは物事)は多面性を持ち、矛盾を抱えていることを表す撞着語法(オクシモロン)を用いていたようだ。架空・空想といったファンタジー場面を現実の人々が作り出す、しかし それさえも劇中劇という虚構へ追いやる。色々な世界が混在する何でもあり、それこそが喜劇の醍醐味。シェイクスピアは、機械と違って理屈や論理どおりにいかないのが人間、その矛盾するところが面白いと…。まさに作劇(劇中劇)を通して、それを地で行く。
次回公演も楽しみにしております。
おせん -煎餅の神様-
さんらん
アトリエ第Q藝術(東京都)
2021/11/03 (水) ~ 2021/11/09 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の劇団…面白い!
陽気な群舞、渡世人風に仁義を切る、人妻と元プロレスラーの格闘といったバラエティな笑い観せ方、何より驚かされたのが、タイトルにもなっている煎餅の神様・おせん が、ある飲み物を一気飲みする、それも2回。「♬芸のためなら女房も泣かす」(浪花恋しぐれ)という歌があるが、ここでは「劇のためなら喉も鳴らす」といったプチ サービス。もちろん表層的な面白さだけではない。物語の根底は、東京・葛飾区堀切という下町の人情、それを情感豊かに描いている。そこには家族や地域との絆、さらに人の再生と(煎餅)技術の継承、そして新たな工夫が…。
おせん は、推定700歳という設定であり、時空を超え現在と過去を往還し、自身が存在する理由を説く。
もちろん商売を扱っているから、コロナ禍の状況を揶揄・諷刺し、演劇へ昇華させている。ただ物語は、2022年という1年後の設定であることから、新たな展開を模索しているようにも思える。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
客席はL字型、舞台セットは、中央にテーブル・丸椅子、その横に煎餅を焼く火鉢、業務用冷蔵庫、2畳ほどの座敷、座蒲団といった簡素なもの。しかし物語を紡ぐには十分な作り。
冒頭、若い女性が店内を掃除する場面から始まるが、この女性が主人公・おせん(高橋みのりサン)で、推定700歳の神様にはとても見えない愛らしさ。団子頭、柄のある赤い袖無羽織(ちゃんちゃんこ)、白いもんぺ姿は、確かに現代では見慣れないファッション。彼女は煎餅店が無くなると居場所がなくなり消えてしまうらしい。
物語は地元で愛された手焼き煎餅の高野屋が舞台。主人・高野華吉が亡くなるが、この店の跡取りであった長男・柾(中村有サン)は5年前に失踪。無責任で覇気の無さを見事に体現。それが葬儀後、突然帰ってきて煎餅作りをするが、父親みたいに美味い煎餅が作れるはずもない。そんな時に おせんを引き取りに来た埼玉県草加市の立花製菓店と神様の居場所を巡っての綱引きが始まる。
何となく、同名の漫画「おせん」を連想する。こちらは料亭という設定で、普段は天然の姉さんだが鋭い感覚で料理をする女将「おせん」こと半田仙が繰り広げるグルメ人情ドラマ漫画。下町の風情にいなせな職人気質の大工や極道の親分など多彩な人物が登場する。本公演も多彩な人々が義理と人情をたっぷり観せてくれる。
なぜ草加(有名ではある)が突然出てきたのか不思議だったが、現在のような煎餅は、草加宿で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、「団子を平らにして焼い」て売り始めたのが起源らしい。勉強になった!
物語では、1567年加賀、1594年京都伏見(映写説明)といった戦国時代に貧き人々と話をする場面があり、煎餅に歴史があることを表す。そして、おせんが戦国時代に会ったのが、立花製菓社長・輝虎であり五郎太(2役:久手堅優生サン)。因縁めいたものを感じた おせん は草加に行く決心をする。高野煎餅店は立花製菓店の協力を得て、再び商売が出来るようになる。地域が違うから商売敵になるか分からないが、手焼き煎餅の技術を継承させる、そこにコロナ禍における業界の団結を見るようだ。以前は店内で食べ飲んでという商売も出来たが、今のご時世と柾の腕前では叶わない。そこに今事情の悲哀を見ることが出来る。
役者は個性豊かな登場人物を生き活きと演じている。突拍子もない人物ではなく、そこに居そうな、地に足をつけた人々ばかり。おせん・高橋さんは瓶コーラの一気飲みを2回もした。途中で咽たりゲップがでないかハラハラしたが、見事に飲み切った。愛くるしい神様を好演。下町らしく煎餅生地を卸す薮島 父の喜十郎(若林正サン)・娘の伊都子(上野恵佳サン)の人情味、柾の妹の赤羽楓(小島奈緒実サン)の格闘(空手?)も迫力があり力演。その夫・一(渡辺恒サン)はギスギスする雰囲気を和らげる緩衝的役割を誠実に演じる。弟で人気俳優の高野桂(小林大斗サン)は実直な青年を好演。立花製菓製造部長・太刀洗舞子(竹中友紀子サン)は仁義を切る、土下座といった男勝りの活躍。出番は少ないが、立花製菓社員の柴田竜童(前野強サン)は楓と戦うが負けてしまう。ボソッと「あんた強いな!」は親しみある声掛け。全体的に繊細な人物描写が素晴らしい。あぁ遠くで電車が走る音が聞こえる。ほんと下町風景だな~。
次回公演も楽しみにしております。
黄昏川を渡る舟 ―甘寧と凌統―
ワイルドバンチ演劇団
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2021/11/03 (水) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
千穐楽観劇。
公演の魅力は物語の分かり易さ、それをアップテンポにして観せる。その中心が殺陣シーンで迫力があった。三国志と言えば「赤壁の戦い」が有名であるが、もちろんその場面もあるが、そこはサラッと流し、タイトルにある2人の武将の因縁と葛藤を心情豊かに描く。物語に芯を持たせた展開が、複雑な史実に一本筋をつけた。
なお、千穐楽のため多少疲れたか、台詞の噛みが気になった。
芝居以外で良かったのが、当日パンフに甘寧と凌統をはじめ登場人物、用語の紹介、関係図を配付し上演前に目を通すことができる。それが物語の展開を補足し分かり易くしている。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手・下手にそれぞれ1台ずつ低い階段台が置かれており、後方上部に破けた布(旗のイメージか)が掲げられているのみのシンプル(ほぼ素舞台)なもの。大きくスペースを確保するのは殺陣シーンを存分に楽しませるため。階段台は国であり陣地、城をイメージさせるが、同時に高い場所(権威であり睥睨姿)からの武威を表す。
物語は、中国の三国(魏・呉・蜀)時代、海賊上がりの甘寧(東條瑛サン)は、武将として生きる道を志し、江夏太守の黄祖に仕え、呉軍と戦った。その時、呉の武将・凌操(凌統の父)を討取った。しかし黄祖は甘寧に恩賞を与えず、一兵士として扱う。江夏の都督である蘇飛の計らいで呉へ仕官する。そこには父を殺された凌統(髙木陵斗サン)がいる。
この時代、国家統一を目指す覇権争い、国の存亡を掛けた戦いで私情は許されない。呉の君主・孫権はまだ若く国内情勢は不安定なまま。そんな国情の中で有能な2人の武将の争いは避けたい。迫る魏との戦いを前に、中華統一までは何とか友好関係でいるように説得するが…。
衣装はソレらしく、殺陣で使用する武器も半月刀、戦斧、弓矢等と多種、視覚で楽しませる。もちろん武器が違えば攻防(アクション)も違い、場面毎の変幻自在な殺陣シーンはスピードとパワーに溢れ舞台狭しと躍動する。同時に台詞も付くので役者の演技は大変。殺陣シーンは相当稽古したと思われるほど 長く観せる。史実にも記載があるようだが、江夏太守・黄祖との戦いに勝利した時、戦勝祝いの宴で凌統が剣舞を舞い、その中で甘寧を殺害しようと企てる。敢えて剣技(戦闘)と剣舞(様式美)という違いを観せる演出も巧い。史実を上手く織り込み、物語の観せ場を次々と挿入し展開させる。2時間10分はそれほど長く感じない。
舞台技術…音楽は上演中の殺陣シーンではアップテンポなピアノ音、そして和太鼓等で戦意の高揚を促す激しい音が鳴り響く。もちろん刃音の効果音と相まって迫力を増す。逆に休憩時には胡弓の静かで優しい調べが流れ、心を落ち着かせる。照明は強調場面ではスポットライトで人物の心情を照らし、殺陣場面では点滅照明で慌ただしい戦場を映し出す。物語の要所要所をしっかり支える舞台技術も見事だ。
次回公演も楽しみにしております。
三人姉妹
劇団つばめ組
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2021/11/04 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
海外古典戯曲を上演し続けている 劇団つばめ組の「三人姉妹」、よくまとまっていると思う。確かに登場人物、特に三姉妹の性格や立場といった表現は堪能できた。しかし、その人物たちが描く物語への集約というか集中が弱いように思われたのが勿体なかった。人物描写がしっかり出来ているから面白いはず、その先入観の外にあった印象だ。
この戯曲は、表層的には帝政ロシア末期における没落家族、その三人姉妹の悲しい運命を描く暗い憂鬱な物語だ。人が持つ夢や希望が、時々の状況によって日常的な現実のなかで次第に萎んで枯れてゆく。他方では、単なる暗く悲しい物語ではなくて、悲劇を基調としつつも喜劇的な要素も取り込んだ、それこそ人間の悲喜交々を描いた人生劇でもある。その基調である悲劇的な雰囲気が弱く、惰性的に現状を受け入れるしかない、といった喜劇性も感じられない、無色透明感で被われていた。
この戯曲を現代日本で上演するには、コロナ禍での日常の暮らしにみる社会的な閉塞感を背景に取り込んで、今上演する意味があることを示して欲しかった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台美術は変形した衝立(室内の壁を想定)を八字型に設え、その中を一段高くし室内を表現。所々に二人掛けソファや椅子が置かれている。先の衝立には歪な三角形をした窓のようなものが刳り貫かれている。そこから見える外景は上手が紅葉、下手が新緑といった季節感の違いを同一舞台で表現している。基本的には室内の会話劇であるため、時間(期間)の経過を表すことは難しい。それを一場面で表現させる工夫であろう。
梗概…色々な劇団で繰り返し上演されてきた戯曲。改めて粗筋を描く必要もないだろうが、簡単な概要だけ押さえておく。田舎町に赴任した今は亡き軍人の父、その三姉妹を主人公に、ロシア革命を目前とした帝政ロシア末期の知識階級の閉塞感を嘆きつつ、再び彼女達はモスクワに住むことに憧れている物語。長女は学校の教師をしているが仕事、生活に疲れ切っている。後に校長になり、家を追い出された老婆の召使いを引き取ってオールド・ミスで過ごす。ニ女は結婚したことを後悔し、夫を軽蔑しているが離婚はせず、駐留している軍人に恋をする。やがて軍人は部隊の移動でこの地を去っていく。三女は仕事をすることに憧れていたが、いざ勤め人になるとイメージ通りの労働ではないことに幻滅する。男爵でもある軍人と結婚をしようとするが、フザケタ男も三女を愛しており、決闘で男爵を殺してしまう。三女は一人で働きだす。幻滅とそれでも続いていく日常に満ちていて、哀しくもあり、可笑しくもある。
今、この戯曲を上演する意味として、人の明るい未来への確信を謳う、閉塞する社会(=今)とどう向き合うかを考えることではないか、と思う。コロナウィルスの感染拡大が社会に大きな打撃を与え出したのが2020年初春。コロナ禍によって既にあった問題、すなわち労働問題や経済格差(貧困)などが鮮明になった。また非正規雇用、自営業、サービス業を営む人たちが職を失ったり派遣切りにあう。社会的弱者に対する政治(社会)の底が抜けたのだ。現代日本の閉塞的状況だ。一方、通(痛)勤や長時間労働からテレワークなど、在宅勤務形態など労働環境の変化をもたらした。この戯曲が創作された帝政ロシア時代…人が身分や土地などの束縛から解放され、人間の意志と選択により社会をどう構築するかが模索され始めた。人は自らの判断で自身の人生を決定することは社会に対しても責任を負う。演劇は「物語の主体である人物」と「現実の世界(状況)」を描き出し、観ている観客に「現代」を提示してこそ(海外)古典戯曲に寄り添い、共感出来るのではないか。何も直截的に重ね合わせる必要はないが、背景なり状況が連想出来れば…。
三姉妹を演じた役者、それぞれの性格や立場が立ち上がり、そうなんだと納得の演技。
・長女オーリガ(吉田直子サン)、姿勢正しく、その外見から芯の強い人物を思わせる。長女という立場から責任感が強く、何でも自分で抱え込むような損な役回りの人生、余裕のないギリギリ感が十分伝わる。
・二女マーシャ(那須野恵サン)、しなを作り感情を込めた姿が艶っぽい。いつも何かに不平・不満を持っているが、自分では何もしない。誰かが何かをしてくれるのを待つ女を好演。
・三女イリーナ(杉崎智子サン)、一見、明るく楽天的な性格を思わせるが、何となく小心で堅実な生き方を選択する。誰からも愛されそうだが、裏を返せば八方美人タイプをメリハリのある演技で観(魅)せる。
・他の役者も、しっかり人物を立ち上がらせ演技としては安心して楽める。
次回公演も楽しみにしております。
どっかこっか
URAZARU
ウッディシアター中目黒(東京都)
2021/11/03 (水) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
笑って泣いて、感情の振幅に懐かれて幸福なひとときを過ごしたい人にお薦めの公演。
チラシから分かるが、北海道帯広市の愛国町にある愛国駅が舞台。そこに集う地元の人々と東京から来た 鉄ちゃんと謎の女性が巻き起こす青春群像劇。もちろん広尾線は既に廃線になっているが、一時は同線に幸福駅もあり、「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズで話題になったこともある。鉄道は止まったが、時間は止まらない、そんな想いがじっくりと描かれた感動作。
(上演時間2時間 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台美術は下手に当時の愛国駅 駅舎を再現したと思わせる外観、中央にホームと駅名板、上手に駅近くの土産物 中村商店(「宿泊できます」の案内が笑える)、周りに何もない田舎町を思わせる紅葉樹。会場入り口近くに別スペースで幸福駅のベンチらしきもの。会場内に入ると一瞬で旅情豊かになる。
物語は主人公・高木正志(早戸裕サン)と幼馴染、そして彼の妹が騒がしく燥いでいる。今日は旅行に行くために駅に集まっているが、正志が遅れているため、服部司(山崎真由子サン)を残し、他のメンバーが先に出発。いつもやっている遊びのようなことに、お題を決めて砂時計を逆さにして、砂が流れる間に自分の思いを話す。1人ひとりの夢が生き生きと語られる。そこでは自分らしさや地元愛に溢れたことを熱く語る。
そんな田舎町に東京から鉄ちゃんが毎年やってくる。鉄道好きという写真や珍パフォーマンスで笑わせる。中村商店の御隠居・中村茂道(若林哲行サン)は記憶が断続的になってしまう病で、常連客の顔・名前を覚えられない。この役どころは重要で、記憶は忘れ物を探すに繋がり、話の観せ場である思い出へ導く。そしてもう一つの物語が、東京から来た女性・堀口ひさと(山田奈保サン)の不審な行動が絡んで、物語の核心へ…。
観せ場は、正志とひさと が砂時計を逆さま(「ひっくり返す」という遊び名)にして、苦しい胸の内を打ち明けるシーン。正志の件は劇場で観てほしい(「さるしばい<2014.3>」でも観劇しており、また再演するかもしれない)。ひさと の悩みは学生時代からの苛め。親しいと思っていた友人から遺書まで作成される。それでも頑張って学校は卒業したが、我慢した後から苦しみが追いかけてくる。死に場所を求めてこの地まで来た。それまで場内は笑い笑いで穏やかな空気が流れていたが、2人の心中、その吐露した言葉で場内はシーンとなり空気は一転する。驚愕の事実に今度は涙が止まらない。先ほどまでツボにハマって笑っていた観客がハンカチを手放せなくなる。悲しい出来事を思い出という楽しさを後景に従えて観せる演出は実に上手く、最大の効果を発揮。冒頭、観客自身も幼馴染として同化・感情移入しているから、楽しかった思い出がまざまざと甦る。芝居か と思わせるような自然体の演技、そこにリアルな日常の遣り取りが観える。そして何といっても早戸裕さんの1人漫才的なボケとツッコミの笑わせが見事だ。
舞台技術ー照明は、状況や1日の時間の経過(日中・夕暮れ)を明暗で、後景の紅葉等を意識した色彩照射も効果的だ。音響は優しいピアノの旋律が場内に響きそっと心を抱きしめている、そんな感覚にさせる。主題歌の「♫大丈夫だよと一歩を踏み出す・・・」は苦しい時に口遊む応援歌。
卑小かどうか…廃線なのにどのようにして死のうとしたのか。来るにあたって時刻を調べるだろうし、そもそもどうやって来たのか、といった疑問もあるが…。
次回公演も楽しみにしております。
廻る礎
JACROW
座・高円寺1(東京都)
2021/11/04 (木) ~ 2021/11/11 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い!
戦後の総理大臣として必ずと言っていいほど名前が出てくる「吉田茂」が主人公。JACROWらしく骨太作品だが、進行役が吉田の三女、麻生和子が実に生き生きと そして朗らかに語る口調が心地良く観(魅)せる。出来事はノンフィクションであるが演劇という虚構の中に上手く取り込んで、日本の戦後史であり政治劇を観るようだ。しかし描かれている問題…「憲法護持」か「憲法改正」は過去のこのではなく、現代に続く課題として観客に鋭く問いかける。そこに本公演の真骨頂をみる。
もちろん登場人物は知った名の政治家ばかりで、改めてその関係性を知ることができ興味深かった。また吉田といえば「バカヤロー解散」で有名だが、口癖であろうか随所にその台詞が発せられる。「バカヤロー」は”紳士”な言葉ではないが、何故かその裏には”真摯”が隠されているようで、人柄が察せられる不思議な感覚。
少しネタバレになるが、”棒”を持った(暴力を伴う)喧嘩は法度だが、議論という希”望”は歓迎といった度量の深さで物語の核心に切り込む。これが今の政治家にも…と思ってしまうのは自分だろうか。
タイトルは「日本国憲法」と「演出」の両方に掛けた妙あるもの、上手いなぁ。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 後日追記
「戦争童話集」〜忘れてはイケナイ物語り〜
椿組
雑遊(東京都)
2021/10/28 (木) ~ 2021/11/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
野坂昭如の「戦争童話集」の収録…実は本で読んだこともなく、本公演で初めて知った内容だが面白い。椿組では昨年も上演しているらしく、今年は構成・脚本・演出を今井夢子さんが担当。「野坂(原作)作品4編」、それを椿組オリジナルの「歌劇団な二人」が野坂作品の夫々の編を繋いでいく。
説明にあるとおり、日本各地に戦渦の爪痕は残り、人々の心に深 く刻まれている。しかし、その記憶も失われ、もっと言えば風化しつつある現在、この作品の問いかけている問題は「現在」 の課題として考えなければならないテーマでもある。 今回は、朗読、演劇、ダンス等・・様々な表現方法 を駆使。
内容的には重たいが、観せ方は軽妙で楽しんで観られる。逆に、その楽しんで観られることに危惧を感じた。全体的に漫画風のようで、軽い楽しさに重い内容が流されてしまったように思う。楽しみながら”想い”を知る…が、自分の想像した「戦争童話集」とはイメージが少し違った。
当日パンフに今井夢子さんが、「・・忘れてはイケナイ戦争の物語を、悲惨さを伝えるのではなく、別の角度から伝えてみたい。椿組の愉快さや多種多様さと通して描いてみたい」とあったが、その想いと自分の想いがフィットしなかっただけ。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
野坂昭如4作品は、「アメリカひじき」「僕の防空壕」「ウミガメと少年」「像のいる動物園」、そして劇団オリジナルの「歌劇団な二人」。
舞台美術はそれぞれの編によって変化する。冒頭(上演前)は野坂昭如のファッションを思わせる山折れ帽子、スーツを吊るした傀儡人形。それを野坂に扮した外波山文明氏が摑まえようとするが、動いて捕まえられない。野坂がスルッとすり抜け容易に本心が解らないといった意味か。
「アメリカひじき」(俊夫:田淵正博、京子:山中淳恵、他)
少年又は青年時代に敗戦を経験した男、妻がハワイ旅行中に世話になった初老のアメリカ人夫婦を自宅に招くが、敗戦直後の占領軍に対する一種のコンプレックスを呼び覚まされる物語。ひもじさで米軍捕虜の補給物資をくすねたブラックティー(紅茶の葉)を「アメリカのひじき」だと勘違いして食べた惨めで恥ずかしい思い出など、後年時のアメリカ人への複雑な心理と重なる様を描く。
「僕の防空壕」(父:趙徳安、少年:長嶺安奈、他)
出征する前にお父さんが掘った防空壕の中で、少年は何故か戦場のお父さんと会う。お父さんと伝令にでたり、戦闘機に乗ったり…お父さんといっしょに戦争をする楽しい時間を過ごす。現実ではお父さんの戦死報が届き、終戦を迎えて防空壕は埋められ、少年はお父さんに会えなる。実は、少年は防空壕の中でお父さんの戦争はまだ続いているんじゃないかと考えている。
「ウミガメと少年」(映像と2人朗読ー外波山文明、長嶺安奈)
終戦年、夏の沖縄の浜辺。 アメリカ軍による激烈な艦砲射撃の中、産卵のためやってきたウミガメ。 戦火を逃れて1人彷徨う少年が見つめるウミガメの産卵。 産み落とされた卵を迫撃砲の着弾から救い出し、洞窟(ガマ)で、ひもじさに耐える少年。 或る日、 誤って踏みつけた卵の白身と卵黄を口にした少年は、守っていた卵を次々と飲み込む。それを知らないウミガメはまた海の中へ・・・。
「像のいるどうぶつえん」(横一列に被り物の出演者全員)
森田芳光監督の映画「家族ゲーム」のように横一列に並んで食事する動物たち。映画は斬新な表現手法と評価されたが、この物語では互いが生きていくためには弱肉強食の世界。上手から水牛、熊、鰐、象、キリン、山羊、ライオンが各々話をしながら食事をするが、ここにいるメンバーの肉ではない。想像するに段々とこの動物(仲間)が姿を消し、最後に残った象はどうなるのだろうか。想像の先は知れている。
「歌劇団な二人」
宝塚歌劇団の代表作「ベルサイユのばら」を思わせる衣装と歌「🎶椿の花咲く~」はもちろん替え歌。先の野坂作品をそれとなく繋ぐ寸劇のようなものを挿入するが、それは平和な時代だからこそ出来る。この公演も原作「戦争童話集」の話を解体し構成し直し、現代版として挑戦している。
最後に「これは忘れてはイケナイ物語り」を繰り返しておく。
次回公演も楽しみにしております。
海と日傘
KUROGOKU
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2021/10/28 (木) ~ 2021/11/01 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
叙情豊かな感動作。
物語は、残された時間が僅かな妻との日常を淡々と描いたもの。劇的な刺激は少ないが、人生の儚さをしみじみと紡いでおり、味わい深い。第40回岸田國士戯曲賞、第2回OMS戯曲賞特別賞を受賞した松田正隆氏の初期の名作。作者32歳の作品、夫婦のこんな情愛が書けるとは、何て早熟なのだろう。公演は、佐藤一也氏(パンドラの匣)の手堅い演出で繊細な心情、情景を描き出しており、観応えは十分。
ただ、この夫婦(物語)、自分に置き換えてみた時、残された夫の観点に立つことも、もちろん妻の観点で観ることも出来なかった。第三者(客観)的な観方であったため、それほどの感情移入は出来なかった。何となく、逝く妻が衰弱(看護)していく過程があって、そのかけがいのない日々を観ることによって、当事者になっていない、もしくは不幸にして当事者になっている観客の感情が揺さぶられるのではないか、と思う。物語に、その機微に触れる場面がなく、自分の想像だけでは補うことが出来なかった、と言うのが本音。
(上演時間1時間40分) 2021.11.3追記
ネタバレBOX
舞台セットは小さい空間の中にしっかり家屋を作り込む。上演前は中央奥に障子戸、座敷に丸卓袱台や茶箪笥、上手に寝間へ続く襖、客席側に縁側と樋がある。上演後は障子戸が開けられ上手が玄関に通じ、下手に珠暖簾を潜り台所へ通じる。
また衣装は季節や状況に応じて着替え、生活感を表す。季節は夏終わりから晩秋、ラストは雪降る冬。半袖・作務衣からベストを着る。また女性は着物、時に絣着物で生活感を出す。状況としては運動会用のジャージや葬儀の喪服など丁寧に観せる。
物語は佐伯夫妻の淡々とした日常を、周りの人々との関りを通してしっとりと描く。夫・佐伯洋次(高野力哉サン)、妻・直子(倉多七与サン)は、何かの理由で直子の両親に結婚を反対されていたようだが、それはラストになってから分かる。洋次は作家兼学校の講師をしていたが、今は解雇になって家でブラブラしている。家賃も滞納しているようで隣家で大家の瀬戸山夫妻ー夫・剛史(春延朋也サン)、妻・しげ(金子圭子サン)の好意に甘えている。或る日、病弱であった直子が倒れ、洋次は医師・柳本滋郎(中山夏樹サン)から直子の余命はあと3か月だと告げられる。
ドラマ的にさざ波が立つのは、洋次が雑誌社の前任編集者・多田久子(かねさき麻衣サン)と深い仲であることを直子が知り、逝く妻の心中が穏やかではなくなる。直子がいつ知ったか気になるところ。洋次が現編集者・吉岡良一(今和泉克己サン)と庭で話している時か? 吉岡は洋次のことを「先生」と呼んでいるが、多田は「佐伯さん」と親しげだった様子。それとも うすうす勘づいていたのか。直子が寝間にいた時、洋次と吉岡の会話で知ったのであれば場面が前後しているようだ。寝間では会話が聞こえない。吉岡が帰った後で、布団を座敷に運び入れており、そこならば庭の会話は聞こえても不思議ではない。
看護師の南田幸子(植松りかサン)が直子の外出許可を知らせにきた時、直子は幸子に向かって独身かと尋ね、そうだと答える彼女に向って、これからも宜しくと意味深に頼む。一方、多田が転勤の挨拶に来た時、すぐ帰ろうとする彼女を引き留め、お茶を出すが、自分の湯呑み茶碗を落としてしまう。溺れたお茶を拭けという洋次、半ば放心した直子に代わって洋次が拭くが、直子はその手を自分の膝へ押し付ける。その様子を見ていた多田は居た堪れなくなり帰る。その後、2人は雨上がりの庭に出て、直子が洋次の胸で「私のことを忘れないで」と…。親の反対を押し切ってまで結婚した夫への「愛」の言葉。しかし、その事情は後から知る。
暗転後、遺骨を抱えて座敷に入ってくる洋次、出迎えるのは吉岡と瀬戸山夫妻のみ。ラストシーン・・洋次が卓袱台に座って食事を始めた時、雪がちらつく。「おい、雪が降ってきたぞ」と呟くが返事はない、そこで1人になったことに気づく。丸卓袱台を刳り抜くような照明の中に浮かぶ洋次、突っ伏して嗚咽する姿が涙を誘う。
全編、方言での語り、地域の特徴をしっかり盛り込み身近な日常生活を現す。地域の運動会、年配者でも青年団や消防団の活動に駆り出される。その人集めの苦労を通して隣近所との付き合いに親しみを感じさせる。演出では下手の出捌けでも隣家である瀬戸山家と吉岡とでは微妙に異なる。照明は時間の経過を表す明暗による諧調、ラストのようにスポットライトでの強調など巧みに使い分ける。音楽は、劇中で倉多七与さんが「もみじ」を歌って聞かせる。劇中優しく流れるピアノの旋律が叙情的な効果をもたらす。ほんとうに丁寧な演出だ。
欲を言えば、寝間で洋次と直子が話す場面は、舞台上誰もいなくなる。できれば夫婦で話す姿、寝巻姿の妻がシルエットで映れば看護・看取りの経過を表す事が出来たと思う。寝間は紗幕などで区切り見せることができたのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
音楽劇 百夜車
あやめ十八番
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2021/10/29 (金) ~ 2021/11/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
まず驚かされるのが舞台美術。この作りの意図するところは と考えを巡らせたが、観終わって そういう解釈なのかと…。冒頭は、説明にある小野小町の伝説「百夜通い」を、あやめ十八番らしい能楽のような様式美で観せているが、内容的には現代の或る事件の顛末を連想させる。だだ、前作「江戸系宵蛍」に比べると、そのパフォーマンスの意味(表したい内容は理解)するところが弱いようだ。二部構成、休憩をはさんで160分の上演時間。一部は三人称、二部は一人称のように視点を変え、物語というか人の心の深淵を覗くようだ。理屈では言い表せない人の心の複雑さ、そこに舞台美術の雑然とし整理できていない様を観る。
全体的には音楽や中世古典文学といった魅力ある演出で観(魅)せているが、自分的には、物語のベースになっているであろう事件が禍々しく、そこに現代社会(マスコミ等)の毒々しさを絡ませたため、演劇という虚構を超えて現実(想像)が勝ってしまった。リアルな重しに対し音楽や中世古典文学といった情緒的な演出、事件(現実)と演劇(虚構)の ある程度の融合は観て取れたが...。とは言え、ミュージカルとは違う音楽劇の魅力、その劇に観入らせる力は見事!
2021.10.31追記
ネタバレBOX
舞台美術は、事務机、OA椅子、ロッカー、キャビネ等が雑然と積み重ねられ、上階部を形成している。その上階部のやや下手側に演奏スペース。上手が主に雑誌社に関わる場面、下手が主人公の清水謠子(金子侑加サン)に関する場面が描かれる。どちらの足場も不安定で乱雑なところを上る。ここに不安・揺れる人間の心情を観る。
冒頭、週刊誌「明朝」のオフィス内とそこに勤め出した新人記者・檜垣純(永田紗茅サン)の出勤風景のパフォーマンスから始まる。文芸部門を希望していたが、もう1人の主人公である実方融(浜端ヨウヘイサン)と千葉連続不審死事件を扱うことになり、清水容疑者が収監されている拘置所へ行く。容疑者(判決後は死刑囚)との接見交通権が制限されていることから、実方が清水容疑者と獄中結婚を申し出る。その回答が百日間通い通したらというもの。これによって小野小町の「百夜通い」の伝説に繋がる。ラストも同じように百日目には、というもの。
雑誌社では清水容疑者の話題をスクープしたい、そのためには命以外は犠牲にする。当初、檜垣はそんな横暴な取材体制(態勢)に批判的であったが、段々とのめり込む。実方には婚約者・松風一美(内田靖子サン)がいたが、婚約破棄までして社命に従う。理不尽を通り越した無茶振りだが、段々と清水容疑者に惹(魅)かれていく。彼女の容疑は複数の男性を死に至らしめたということ。ここまでが第1部。
第2部は、主に下手で彼女の裁判(記憶と記録)に関わる場面へ移る。さすがに具体的な殺害シーンは描かないが、次々に不審死(一酸化炭素中毒死等)していく。例外として、介護していた人物との真情吐露、ビニール縄跳びを使った別れは悲しく、同時にラストシーンへの伏線を思わせる。彼女の生い立ち、幼き頃の両親の性癖を覗き見たことによるトラウマ、夫婦交歓によって父が母を死に至らしめ、以降 父に会っていないことなどが語られる。その父の死と弟の出現。弟の傍聴メモが雑誌社の連載記事となる。裁判では決定的な物的証拠はなく、状況証拠の積み重ねで有罪(死刑)に追い込む、その検察(権力)への批判が鋭い。複数の男性を恋狂わせ死に至らしめた女、それが”魔性”というにはあまりに純粋すぎる。
この裁判は、裁判員裁判で家庭内で夫の精神科医・三井寺康人(谷戸亮太サン)からDVを受けていた妻の由梨(大森茉利子サン)が参加、清水容疑者の弁護士・善知鳥葵(服部容子サン)と精神科医・三井寺の不倫など、いくつかの話を物語に関連付けているが、本筋とは少し別の話。第1部は彼女の事件によって話題と利益を得ようとする雑誌社(マスコミ)の第三者視点で描き、第2部は彼女自身が心情を切々と語るような当事者視点、その異なる視点で物語が立体化して観え出す。
内容的には重くなりがちであるが、音響・照明といった演劇効果、そして和歌詠みで現代と平安期の隔てた時間と空間がゆっくり融合し心を和ませる。また清水容疑者の衣装は囚人服ではなく、主にスウェットファッションで、重々しさよりは見すぼらしく儚さを印象付ける。裁判では死刑判決になるが、本当に殺人を犯したかは…その印象を固定させない巧さ。物語の面白さは、その内容(現実にいくつかあるが、例えば木嶋佳苗死刑囚の首都圏連続不審死事件を連想)というよりは音楽劇(台詞と歌シーンの別)という聴かせ観(魅)せる演出に楽しさと驚きを感じた。まさに極上のショーを観た!それを体現したキャスト陣の熱量・力量がこの公演を成し遂げたといっても過言ではない。当事者を残して事件は忘れ(風化し)ていく、とは劇中の台詞。自分の記憶が薄れ、現実の事件を忘れれば、また違った印象の公演になるだろう。
次回公演を楽しみにしております。
ちーちゃな世界
青春事情
駅前劇場(東京都)
2021/10/27 (水) ~ 2021/10/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
令和時代の新感覚な人情劇…面白い!
都市と地方での暮らしの悲喜交々、そこにみる人の感情を笑いとホロ苦さをもって描いた物語。この公演、37年前の「北の国から」(倉本聰氏)に発想を得たらしいが、昭和時代の泣き笑いで感情を揺さぶる人情劇とはひと味違って、カラッとして前向きな力強さ、そんな青春事情版の人情劇を創り上げた。見事。
(上演時間1時間30分) 2021.10.29追記
ネタバレBOX
東京から5~6時間かかる地方のペンション・BENが舞台。舞台美術がオシャレで菱組み竹垣に木々が絡まり、自然豊かな風景を思わせる。上手が出入口、下手がペンションの外テラスでテーブルと椅子が置かれている。また照明ー日中の暖色、夜の暗さにランプが灯り静寂な雰囲気が漂う、そんな情緒も感じられる。
このペンションは、オーナー・ベン(本折最強さとしサン)と妻・愛美(後藤飛鳥サン)が営んでいる。愛美は最後まで病名が明かされなかったが、(若年性)認知症のようだ。
梗概…
第1に、東京から何となく訳ありの若い女性・吉川(板本こっこサン)が数日の間滞在する。第2に、最近、東京からIT会社の社長・堂嶋(加賀美秀明サン)が引っ越してきて、地元の若い女性・泉(大山麗希サン)と都会と地方(田舎)の便利・不便の会話。2つの話をさりげなく交錯させ、今の社会状況の一端を垣間見せる。
吉川は中学教師(英語)、元カレにリベンジポルノとして恥辱な写真をネット上に流され、学校に居づらくなって休職中。心のケアとして自分のことが知られない場所を求めてやってきた。が、ペンションに宿泊(児童文学作家ー内海詩野サン、編集者ー伊藤圭太サン)または出入りしている堂嶋や泉たちが興味本位で検索したところ…。黒歴史というかデジタルタトゥーは消すに消せない心痛。
第2の都邑の便利・不便について、堂嶋と泉の比較論のような会話が面白い。例として、洋服の購入ー泉は店で選び試着して気に入った物を買いたい。堂嶋曰く、ネット通販でカタログを見て購入できる。サイズも記載されており、返品も可能だと説明。都会の洒落た喫茶店でコーヒーを飲みたい。これに対しても喫茶店で本を読んだりコーヒーを飲むのはどこでも出来る。何となく泉が押し込まれているようだ。が、ラストに逆転のオチが仕組まれているところが愉快。
「北の国から」に、「買い物はパソコンで出来るようになる。」「サラリーマンは会社に行かなくてもパソコンで自宅で仕事が出来る」という台詞があったらしいが、物語ではコロナ禍の今、まさにその内容を盛り込んでおり鋭い。社長のドライな発想は、一見合理的であるが、何となく人間味に欠ける。泉によれば、すでに地元の人達の間では悪い評判が立っているという。ネットではなく狭い田舎町ながらのリアルな悪評は怖い。
吉川にしても地方に来れば知られないと思っているが、逆に関心を持たれてしまいネット検索という現代・利便性の罠に掛かる。東京という地方出身者が多く、関心がなければ知らん顔という、都会ジャングルに居たほうが安全かもしれない。便利であるがゆえの不便というか不都合が姿を変え絡み合ってくる。チラシにある、過ちによって全てを失い、東京にいられなくなった人、全てを手に入れ、東京にいる必要がなくなった人、は2つの物語。いや、このペンションで働いているシェフ・小見山(ナカムラユーキサン)も居られなくなった人。ギャンブル狂で破綻したが、ベンさんに助けられた。が、売上金と共に本人も姿を消して…。
この公演は個性豊かな人々の善意溢れる物語、終始一貫その雰囲気で描き切った。愛美の不始末によってペンションが全焼してもベンさんは泣き言ではなく前向きな発言。幸せは、自分の気持の持ちよう次第だ。吉川のデジタルタトゥーについて、当初 堂嶋はドライな発言(こうなることの想像力が足りない)も、削除してくれそうな会社を紹介する。吉川に対するオーナーの必死な慰め、小見山の持ち逃げを疑うこともせず、敢えて観客の心情を揺さぶらず淡々と時に熱く描く。そこにブレのない令和時代というか青春事情版の人情劇を観た。
最後に、タピオカ店(大野ユウジサン)が持ってきたタピオカを堂嶋が飲んで、「美味い!」は、ネット情報だけで実際飲んでいないから、本当の味が分からないというオチ。全てが明るみになってしまう情報(ネット)社会への皮肉、便利・不便に多少の差はあるが、都会も田舎もそれぞれの良し悪しの暮らしがある。それがチラシのボヤカシと箱庭のような絵柄かなぁ。
次回公演も楽しみにしております。