ふじたんが投票した舞台芸術アワード!

2017年度 1-10位と総評
白蟻の巣

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白蟻の巣

新国立劇場

たいへん満足でした。

役者の演技が、魅力的!
話の展開も、後半
がぜんおもしろくなってきて、あっという間でした。

こんな隠された名戯曲があったのですね。
K子はブラジル生まれの日系である。彼女には,近くにたいへんな富豪がいる。なんとか,その家族にもぐりこむことに成功したが,それは,さえないお抱え運転手の妻という立場。しかし,一発逆転のチャンスがないでもない。

あるとき,K子は,夫と,富豪夫人との不倫なごりを目撃する。そのことは,知っていて運転手の妻になったはずであるが,騒ぎ始める。

K子と,富豪は,次第に共犯関係になり,K子は見事に邸宅をのっとることに成功しそうになる。すでに,富豪ともHをしてしまった。あとは,夫と,富豪夫人が再犯に陥ること。そして,崖から自動車ごと転落して,心中してくれること。そこまで悲惨なことにならなくてもいい。富豪が,二人を,邸宅から毅然として追い出し,自分を後釜に据えてくれることを切望する。

しかしながら,終始一貫して優柔不断な富豪は,いともたやすく,K子を裏切り,元のさやに戻っていく。

これは,一体どういう戯曲なのであろうか?どうせ謀反を起こすなら,確実に敵方をせん滅すべきという教訓なのだろうか。

フェードル

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フェードル

パソナグループ

比較的良い席だったこともあって、広くオシャレな舞台が十分に楽しめた。

多少こみいった展開、やや遠まわしでくだくだしい台詞にめげるかと思うが、気がつけば、話がつながってゆき問題はあまりなかった。

お金のかかった有名人の出演するものも、たまには勉強になる。素晴らしい演劇に、圧倒される。なにに夢中になったか、まだ整理できていない。

フランス古典演劇に、強く引かれる。
テゼーは,たしかに死んだ!そのようなデマがにわかに信じられた。権力構造が一変した。それを利用すれば,不義の恋だってなんとかなる。フェードルは,そう思った。そもそも,イポリットと,アリシーの恋を疑ってみたことなんてないほど,おめでたい女。しかし,腹心の女,エノーヌは,フェードルを奸計でがんじがらめにしていく。恐ろしい女たちの策謀!

ところが,王は生きていた。フェードルは,単なる悪女なのだろうか。それとも,純粋に,イポリットが好きで好きで仕方なかったのか。だとすれば,多少は情状酌量の余地もあるではないか。そもそも,根っから悪い人間なんていない。ただ,いろいろ条件がそろって,気が付くとフツーのひとも悪事をしていく。そして,そこにのめりこむ。

ギリシア悲劇というのはおもしろい。人間関係でおきそうな悲劇的構成要素をほとんど研究し,実験的に,検証させる・・・そんなことをきっと考えた。だから,おきそうもない事件ではあるが,自分の身近にあっても,にたような力学,事実,考え方,そんなものが意外とある。だって人間のやりそうな悪事,そんなのはパターンが決まっているし。

Bukamuraシアターコクーンは,すごい熱気だった。迫真の狂女。罪もない愛する息子をむざむざ,死においやった王の苦悩。それを,周辺で演出してしまう登場人物。素晴らしい。

アテネのタイモン

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アテネのタイモン

彩の国さいたま芸術劇場

当日券を期待して、ハプニングで前の席。オープニングの舞踏会さながらが圧巻でした!内容は、過剰なるあやしげなサービスは、みんなでろくでもない結末など呼び込みます。その責任は、勿論本人なのですが、おバカな愚民はキズを大きく大きくしていくのであった!
毎日陽気にみんなに親切にする。そのことで,彼は人格者だったり人気ものだったりする。だからといって,よく考えたら話がどこかおかしい・・・って,話題になってもおかしくないだろう。そのしあわせな出会い,やりとりを誰かが,まちがっている。だまされるな,あとで仕返しされるぞ!って,どうして言い出さないのか。たしかに,そのような集団催眠のようなゾーンにはいっている。

このシェークスピアの『アテネのタイモン』では,藤原竜也がひとり早いうちから,吉田鋼太郎のあやうさ,偽善性を暴いている。さらに,彼にたかり,コントロールしていく集団というもの,民衆は真の悪党なのかもしれない。ただ,そのような愚民たちに,翻弄された吉田鋼太郎を笑うべきか,彼もまた破れかぶれで破滅への道を楽しんでいたのだ。何が悪い!

演劇の中には,人生がある。ふだんの生活でも見事に同じようなコメディがくりかえされている。そのような嵐の中に自分もよく遭遇する。シェークスピア演劇は,人生の欠陥,人生のおそまつさ,裏切り,憎しみ・・・そういう連鎖を的確に再現していく。恐ろしいのは,冷めた目で,ひとりその痴話騒動を観察していると,たいへんな目に自分もあいかねないということだ。

おもしろい演劇,人生の恥部というか,軽薄な判断,・・・それらをシェークスピアはみんな知っていた。たまには,苦しい,哀しい演劇を観るのもありだ。

二十日鼠と人間

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二十日鼠と人間

GROUP THEATRE

スタインベックには、戯曲としても評判になった名作があった。

レニーという愛すべき大男は、時としてたいへんな狂暴さが出る。最後には、射殺されるがたいへん涙をそそられる。

余生短い老人の悲哀、差別的待遇の中で虐げられてきた黒人、弱者に対するスタインベックらしい優しさがあった。

これは、とても良い演劇。ずっと心に残るだろう。
スタインベックの世界は,素晴らしい。本戯曲には,魅力的な役者が数多く出ている。スタインベックの世界は,『怒りの葡萄』にしても,『エデンの東』にしても,作品の特異性は,群を抜いていると思う。なぜ,かくも印象に残る物語ができたのかと,ずっと考えていた。本日,戯曲『ハツカネズミと人間』を観て,その世界が少し身近になった。背景とか,人物特徴がわかった。

『ハツカネズミと人間』の主役は,まちがいなく,レニー・スモールだ。彼は,図体ばかりでかいが,知的障害があるという設定だ。もっとも悪いのは,女性のきれいなドレスが気になると,触れたくなって,最後には,女性を羽交い締めにしてしまう。また,ネズミやら,生まれたばかりの子犬をなぜ回して,少し噛まれただけで,殴り殺してしまう。

そんな凶暴なレニーであるが,兄貴分のジョージには絶対服従なのだ。最初の頃は,ジョージもバカな相棒をなぶっていたが,きわめて純真なものも残す友に自分の将来を語るようになる。そこで,おまえは,羊の世話をすれば良い。実際にバカなレニーが,なんの役に立つかはわからない。足手まといになり,致命的な失敗をして,なにもかもぶち壊すことになるリスクだってあるのだ。

カーリーの妻は,性悪女だ。どこにでもいる。そんな彼女の挑発にのったために,ジョージとレニーの友情は破たんする。ぼくたちの未来は,山の向こうに見えるじゃないか。どこに見えるの?と,夢の国を想像しているレニーの後ろに回って,ジョージは泣きながら,最愛の幼馴染みを隠し持った拳銃で撃ち殺す。役立たずの老犬と同じで,人間も邪魔になれば,消されるのだ。

杉本文楽 女殺油地獄

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杉本文楽 女殺油地獄

公益財団法人小田原文化財団

作品には印象的な場面が三つあるのかもしれない。

もっとも好きなのは、完全犯罪にみえた事件が天井から落ちて来る古い証文で暴露するところ。

次は、子どもがおもしろおかしく、あたかも母親と男を表現して、不倫の疑惑を発生させるところ。

そして、今回重点となった、おがんで、金はやるからと命ごいをする女を嫉妬もあって油まみれで虐殺するところ。

なかなか迫力のある場面だった。すごい!

杉本文楽『女殺油地獄』by近松門左衛門

文楽に至るまでは,なかなか迷うところがあった。ドナルド・キーン氏も言っているが,子どもぽい人形劇をまじめに鑑賞できるのだろうか。楽しめるだろうか。そういう心配が確かにあったのだ。

結論からいえば,最初は少しなじまない。しかし,時間が過ぎると,映画などでいえばアフレコ,アニメなどの声優などと同じで,さほど気にならない。俳優の個性ばかりを見にいくなら,ときには,文楽・人形浄瑠璃で,近松門左衛門の脚本どおりを楽しむのもいいかもしれない。

あくまで,人形を見に行ったつもりだが,人形なしの導入部分があった。こちらは,二人で,やった。ひとりは,三味線だ。もうひとりが,語る。

古文に強くないと,つまらないかもしれない。どうしても,古語の持つ語りが伝わってこないとおもしろくない。文章そのものは,古文とはいえ,近代に近いものだから少し予習すれば理解できるだろう。

これで,能とか,雅楽,あるいは,歌舞伎が未体験ゾーンだ。宝塚も,そういえば,いまでも見たことがない。

袴垂れはどこだ

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袴垂れはどこだ

劇団俳小

前半部分はやや退屈になったが、後半俄然盛り上がった!正義を振りかざすひとは、義賊になっても心安らぐ場所はない。そういう教訓かと思う。抜群の完成度です。
村にはうさんくさい長老がいた。彼は反骨ではあったが,さりとて建設的な人間でもなかった。そのような長老のおさめる村に事件があった。情け知らずの地頭がいて,そのバカ息子に家族を凌辱された男が,逆上し謀反を起こしたのだ。もはや,村が皆殺しにあってもおかしくない事態で,長老はおかしな提案を始めるのだ。

なにも村から出てどこかでひっそり暮らす選択もあったであろうに,この際伝説の義賊になろうと言い出すのだ。伝説の義賊は本当のところいるのかいないのか,定かではない。本物が出てきたらその配下になればいい。とりあえず旅先で,現地調達の盗賊を始めた。ほどほどの悪事にとどめて,社会改革とは程遠いただのドロボーだ。

あるとき旅人がやって来た。彼は厳しく長老の偽善を暴く。あわてた長老は行き当たりばったりで言い逃れた。旅人も,長老と似たようなインチキ野郎だったので,長老とその配下は旅人をとうとうなぶり殺しにする結末。死に際で旅人は,おまえたちは所詮人殺し集団でしかなかったのだ・・・とつぶやくのだ。

インチキおじさんが仕切る社会がある。そこで老練な手練手管に騙されることがあるのかもしれない。本当の改革者は,不正を指揮したりしないであろうに。

ちはやぶる神の国

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ちはやぶる神の国

演劇集団アトリエッジ

素晴らしい!熱海殺人事件で、見たひとがみつひでを熱演していた。

これは、非常におもしろい演劇でした。はじめから、おわりまで楽しめました。
荒木村重の謀反,これはどこかで聞いたことがある。織田において,重要なはたらきをしてきた人間が,どうにも織田信長についていけなくなった。あのような気性では無理もない。織田側から,村重の説得にあたり,逆に幽閉されて事件後かろうじて復活するのが,黒田如水だったと思う。

前半の見せ場だったのは,この荒木村重を織田方が攻めて滅ぼしてしまう場面だ。実際には,村重自身は命をまっとうして,仏門にはいる。しかし,見捨てられた一族郎党は,無残な結果になる。織田信長の恐ろしい一面である。

もうひとつ印象的だったのは,織田信長の妹,お市の方だ。彼女は,織田信長が,浅井・朝倉を敵に回すと悲劇のひととなる。結局,子どもたちを連れて,夫から離れる。このときの,お市の方の気持ちはいかがだったろうか。劇中の描き方はなかなか素晴らしいものだったと思う。

最後に,本能寺の変。もともと,桶狭間で不意打ち的に今川義元を殺害した織田信長が,今度は自分が落とし穴に落ちるなんてなんて間抜けなんだろう。

本作品では,明智光秀にむざむざと討たれたのは訳ありという設定。たしかに,そこまでいかなくとも,少々齟齬はあったかもしれないが,光秀に反旗を翻されるとは思っていなかったとは思う。むしろ,信頼していたから,無防備だったのかもしれない。そこを,狙い撃ちにされた。

演劇の中で,信長小姓衆,森蘭丸・力丸がおもしろかった。織田信長は,美少年が大好きだったのか。そして,一方で,羽柴秀吉・柴田勝家・前田利家・徳川家康などの総出演で舞台は盛りあがっていく。なんと,楽しい演劇。

一番光のは,やっぱり,明智光秀,に尽きる。
あと,「どけえ!」濃姫の腰元・葛。
面白い作品。そういえば,武田勝頼も出てきた。武田家は,家康に救済された。

ある苅屋くんの人生

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ある苅屋くんの人生

LIVEDOG

同じS席だが、なんかやや違うところにすわっていたような気がする。たまたま来ない人がいたのかも。でも、自分の席には、誰かすわっていたかも。

内容的には、応援のつもりでいったのでそんな期待はしていなかった。しかし、人生というものを、なかなか的確に把握しているわけで楽しめた。

たまには、こんなオシャレな演劇も体験するべきなのだろう。
本作品は,とても楽しい演劇だった。二時間の中に,構想をうまくまとめていた。これまで,似たような趣向は見たことなかったというわけでもない。作品の作り方,演出の方法など,どこかで体験したようなものが確かにあった。しかし,その中でも,無駄もほとんどなく,軽快に最後まで話は進んでいった。とても楽しい,良い演劇だった。

人生には,シナリオみたいなものがあるとか,運命論みたいなもので支配されているって,そんなことを誰でも感じるものだ。そのあたりが,この作品のテーマであった。しかし,垣間見る会話には,興味深いものが混じっていた。幸せって呼ぶものは,本当のところ,お金とか,地位とか,長生きとか,いろいろ思うが,きめては意外とない。

最近は,演劇・ミュージカルに対する情熱がめっきり落ちた。おそらく,世の中には,もっとおもしろい企画があるかもしれないが,それを探しまくるには何か新しいきっかけでもないと無理だ。で,昔ながらの知った顔でもながめに新しいで劇場とかに足を運ぶ。また,そこで演劇が楽しくなって来るかもしれないし,マンネリに思えたりもする。

そのようなモヤモヤした気持ちで,訪れた新宿村ライブだったが,これはいい感じだった。

【ご来場ありがとうございました!】熱海殺人事件「売春捜査官」

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【ご来場ありがとうございました!】熱海殺人事件「売春捜査官」

稲村梓プロデュース

この作品は、ほかの二劇団で鑑賞して内容がよく理解できていたこと。会場が引き締まっていたことなどでより感動できた。珠玉の名作には、まだなぞも残っているかもしれない。

しかし、笑いあり、涙ありの小劇場での到達点かと感じられるもの。素晴らしかった。なにか足りないもの、それは私にはとても見つけられそうもない。
『売春捜査官』は,2010年の62歳でなくなった「つかこうへい」のずば抜けて有名な戯曲である。韓国人であることは,この作品が,知名度があがるたびに注目されていくが,当初は知る人も限られていたようだ。

つかの作品は,無理やりのことばのやりとりが,いつのまにか収束していく中で,大事なメッセージが伝わっていくような演劇である。パワーは半端でなく,血管がブチ切れそうなやりとりは,役者の寿命を縮めてしまうだろう。

一番前の中央ですわっていた私は,前回,すぐ隣の観客を演じていた役者が,すくっと立ち上がって,劇に参加してクレームを出したのに驚いた。今回は,女性だから大丈夫と油断していた。彼女が,伝兵衛につかみかかられた!

こういう一連の度肝をぬく演出は,二時間ずっと続く。今回,伝兵衛は,もの真似あり,カラオケありの,ぐっとお色気路線だった。

五島列島の無垢な中卒の少女たちは,いったい誰に騙されて落ちていったのか?いずれにしろ,落ちていった女の象徴である「コケ」の女が熱海で死んだ。熱海にいくと,幼なじみ「大関」は,彼女と故郷をなつかしがる。そこに,女の顔を知っていた客が,彼女をいたぶる。すべては,李大全が悪いのだ。いや,村長だってグルだったのだ。真実もわからぬままに,女は絞殺された。

伝兵衛は,腐れ縁のあった(かつての恋人だった)熊田刑事と,もっとも異彩をはなつ存在のホモ刑事を交えて,罵倒しあいながら,事件の真相にせまっていく。

このようなバカげた事実,シーンは,フツーではない。とんでもないことばかり口走る連中は,日本の警察組織を愚弄しているだけなのか。とはいえ,そんなことも頭の中から消えていくのは,自分のあたまに,伝兵衛が割った大根が飛んで来るからだ。

なんだ。この演劇は,いや,小劇場のつか作品はどこもこれが定番なのだ。

岡田以蔵

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岡田以蔵

劇団め組

幕末維新は、かなり勉強した。その中の実際の事件が頭のなかで整理されていく。演出家が、詳しいのだろう。

焦点となっているのは、人斬り以蔵はなにゆえのに天誅で、暗殺に狂っていったのか。あるいは、たけちという恩師をどう認識して生きていたのか。

ありふれた観劇でも!と思ったが気持をぐっとつかまれた。め組の中央線のカンバンは、さらに心に残っていくだろう。

劇団め組『岡田以蔵』

岡田以蔵は,人斬り以蔵と呼ばれ幕末に,とりわけ幕府側の要人を殺害したようだ。実際には,京都では,ある時期恨みをかったもの,目立つもの,社会改革を阻むもの,そう思われたら,尊王攘夷派に闇討ちされた。それは,安政の大獄のことを覚えていた連中は確かにやりかねなかった。

それにしても,土佐勤王党の立場はややこしい。武市半平太は,吉田東洋を殺害してのしあがっていく。そのことは,攘夷派が勢いのある間は,お殿さまも苦々しくおもえど,黙認していた。が,時代が,一時逆流する。薩賊会奸ということばに象徴されるように,こともあろうに,薩摩は,長州最大の敵と通じてしまったのだ。この事件を背景に,お殿様は,公武合体を阻むような連中の粛清を始める。

劇団め組『岡田以蔵』に出て来る,岡田以蔵と,武市半平太は,最初は,土佐での尊王攘夷をリードするわけだが,終盤には,そのこと自体が重罰の対象になった。

岡田以蔵というひとは,実際には,どのような人間かわからず,京都での暗殺の一部にしか関係していないかも。しかし,学問がないし,足軽の出身であるにかかわらず,異彩を放つ。おそらく,剣の達人というだけの存在でもなかった。というのも,人斬りマニアの気ちがいでありながら,坂本竜馬を通して,勝海舟とも顔なじみになっていく。

岡田以蔵は,武市半平太に可愛がられ,用心棒のようでもあり,鉄砲玉のようでもあり,気心の知れた友人・子弟でもある。そんな岡田以蔵は,悪行の数々もあるから,いずれは裁かれたと思うが,お殿さまから拷問を受ける。その酷さに耐えられず,愛する師をお殿様に売ってしまう。八つ裂きにされても当然な人間であって,ロマンチックに語るべきではないかもしれない。

というわけで,劇団め組『岡田以蔵』像には,冷静に考えて,首を傾げざるを得ない点は多い。描かれる,以蔵は,人格破綻者に持つ同情やら,一匹狼であることの孤独感が切ない。不器用な生き方であるが,師・武市半平太を父親のように慕う。なぜか,ある種の人間が持つ哀しみが表現されていた点が殺人者を美しく,はかなげに見せてくれている。

総評

たくさんの感動をありがとう。アクト青山とか,小劇場も良かった。

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