満足度★★★★★
現代風にアレンジしながらも古典を生かす
ひじょうに素晴らしいです。オープニングダンスといい導入音楽といい、そして役者が吐くセリフをエコーするようなセリフの重なり。ノアノオモチャバコ という集団、高度な技を感じた舞台。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
美しい湖のほとりにある伯父ソーリンの田舎屋敷が舞台。
そこへ著名な作家トリゴーリンを連れて、モスクワから有名女優である母アルカージナが華やかな空気と共に帰ってくるところから始まる「かもめ」のストーリーは知らない方は居ないと思うので割愛。
「かもめ」の最大の見せ場は苦悩だ。だから、心理劇にふさわしい物語だと思う。
トレープレフの苦悩は、アルカージナやトリゴーリンが少々の才能で華々しい成功を収めていることに対する不満と、自分の愛するニーナがそのアルカージナやトリゴーリンにあこがれて自分を捨ててモスクワへ行ってしまったことを主な内容としているが、彼は変化のない草深い田舎でこの単純な不幸に繰り返し浸っていただけでこれ以外何も経験することがなかった。
雑誌に取り上げられて小説家として、そこそこ有名になってはいたが、ともかくこういう環境の中で書斎にひきこもり、ニーナに対する愛情だけをたよりに生きていたトレープレフは妄想と幻影の混沌のなかをふらついて、ただただ、出口のない単調な苦悩で神経をすり減らしてしまったのだった。
これらの深くて底の見えないような濃厚な戯曲をドールン(医師)とチェロベーク(少女)がチェスをしながら、物語を昔話として回想するように解説しながら紡いでいくという形をとる。驚いたのは、回想シーンの中の舞台は正当な、本来の古典「かもめ」ではなくノアノオモチャバコ 風「かもめ」だ。
だから、戯曲「かもめ」のストーリーは崩さず、そのレベルの高い演出力で観客を魅了する芸術性の優れた美しい舞台となった。
主軸となる役者の後方から脇からゼンマイ仕掛けの人形が動いてるようなダンスを導入したかと思うと、今度は赤のダンスが投入される。そんな美しさに酔いしれるのもつかの間、今度はビデオを遅送りしたかのようなスローな動きで役者が登場する。舞台は素晴らしい導入音楽と鮮やかで儚い照明とで崇高な芸術をこれでもか!と魅せつける。しかし、それだけではない。
マーシャとトリゴーリンの乾杯のシーンではマーシャがトリゴーリンの衣服にワインをわざとかける場面や手を袖で拭いちゃうシーンも出てクスリと笑う。
なんて美しいのだろう。と感激したのはトレープレフの自殺未遂シーンでの手だ。美しい繊細な白い手に朱色の血が鮮やかに目に焼きつく。白と赤。細くて長い指。その傷つきやすい脆い手は数年後に自分の頭を撃ち抜く手だ。
そして自殺したトレープレフの上から白い雪が舞い落ちるのだった。
どこまでも美しい舞台。
舞台を初めて観る方には、解りづらいかも知れない。
満足度★★★
大笑いするコメディではない
工事現場のようなすんばらしいセット。アートですなっ。
物語はもっとうねりがあると思いきや、案外あっさりと。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
軍事施設で働く面々。しかしここには、そこはかと知れない不穏な空気が漂う。笑
そう、ここには軍事兵器が200体も隔離されてる。しかし、そんな危なっかしい物語なのに登場人物にはあまり緊張感はない。(やれやれ)
キャストがコメディに慣れてるためだろうか。それともこの展開からコメディに持っていくのだろうか・・・。そんな風にワタクシ自身もコメディ感を期待してしまう。その期待に答えたのがオカマ風味のトチギだろうか。
舞台は隔離されて今は動かしてはいけない。と指示されている機体をフライトシュミレーションしちゃったイシカワが小屋に幽閉されちゃってる。要は今回のキャスト・小山茜は顔だけ出演!笑
この機体を動かして飛ばしてみたい派閥と機体撤廃を唱える派に別れ底辺で動き回る。どいつが詐欺師でどいつが本当の事を言ってるか、疑心暗鬼になりながらも、現場は相手の真意を吐かせる為に小細工を仕掛けるも、その殆どを把握していた本社が、シークレットに捜査協力を依頼していたフクシマの動きで想定どおりになる。
現場で騙しあいながら蠢いていた輩がまるで蟻のようにみえる。(苦笑!)結局薬局、スパイも爆破を仕掛けたヤマグチもアキタもみ~んな捕まって現場は平穏な日常へと戻る。
物語の出だしから、もっと大きなヤマがあると踏んでいたが、ちょっと期待はずれ。もっと大きな笑いも欲しかった。相変わらず三谷が可愛らしい。笑
森のゴムドーーン!!三谷にはゴムドンをやって欲しい。
あんなお茶目でバカバカしいブラックコメディはないからだ。
来年こそは「森のゴムドン」上演してください。横山くん!(^0^)
満足度★★★
現実感は殆どない
けれど、その不透明さが案外、ハマル。
世界はオトギナ食堂での事柄が全て。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
『オトナ食道』のほうが面白かったので、こちらを主軸にかきこ。
両親が他界してオトナ食堂をコツコツと経営している安子に不思議なことが起こる。
この食堂には他界したが成仏できない母親と同じく成仏できないユーレイが居座っている。母親は安子が心配なのと、いつまでも安子のそばに居たいという気持ちから成仏しない。
ここでの母親役の落合優美の幽霊っぷりぷりが可笑しい!(^0^)
コミカルな幽霊なのだ。同じく、脇役の幽霊役、柴崎もいい。目立たないんだけれど存在感がある。笑
幽霊たちは安子を差し置いて、すんごく楽しそうにしている。生きてる時と変わらないような情景を写し出す。違うのは掌の垂れ具合!(^0^)
殆どがコメディ。
しかし、そこにはかつて家族だった頃の風景を描写しながら、母が子を思う気持ちや、残されて一人ぼっちで頑張る安子の生きざまが見え隠れして、なんとなく切ない気持になる。
塩見役の大城誉はたくあんを切ったことがないような包丁さばき!
メイド付きのお嬢様なのだろうか・・?笑
楽しめた舞台。
満足度★★
好みの作風ではなかった。
ほんと、申し訳ないけれど、これを観ながら醒めてた自分がいて、どうしてかな~?と考えたら・・・、
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
考えたら、キャストに演技力のない方が目立ったのと、ストーリーに無理があったからだ。
親子の間にはお互いに傷つけまいとする嘘があった。優しい嘘。相手の期待に答えようとする嘘。それらの嘘はいつしか大きな黒い塊となって自分自身を押しつぶしてしまう。母も娘も相手に嘘をついてることが良心の呵責となって、耐えられない状態になっていたのだ。
物語は母が経営する食堂に勤めるアゲオ自身が作り上げた宗教の教祖として母の知らない間に祭り上げられてしまう。
まず、この設定に無理があると感じた。
そして、心無い近所の噂に対してイキナリ、ヒマラヤに登った母。物語を紡ぐにはこの設定自体ぎりぎりのバランスで危うい。
ちっさい頃に亡くなったアイの姉が幽霊になってこの家に住み着いてる場面は良かったが、この親子の嘘の根源に、なぜ、ヒマラヤと宗教を出してしまったのかが、理解できない。
嘘という身近な問題なら、世界がひっくりかえるような大きな嘘はないだろうし、およそ、家族の中だけのちっさい罪のない嘘のような気がする。
ワタクシ的には家族のちっさい嘘は許容範囲だから、そんなこと、大したことないじゃん!って思ってしまって醒めたのだ。
満足度★★
この際ストーリーはどうだっていい。
観劇後、思い返しても大したストーリーではないからだ。それよりも9000円というチケット代、すんごく高くないかい?
やんわりと言うけれど、出演者は全員がご老体。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
倦怠期に陥った夫婦関係を回復させる為、セラピーと称して徹子ちゃんが夫に刺激を与える為に、ご老体に鞭打って、これまたご老体の管理人や空き巣に自分を襲わせるように仕向けるという喜劇。
しかし、管理人や空き巣にとっては喜劇というより、すんごく悲劇。
実際に劇中でも嫌がってばばりまくる。
それもそのはず徹子ちゃんの身体はモビルスーツを着用してた。(・・!)
最初、徹子ちゃんが登場したときは、あの年齢ではありえない胸の膨らみにワタクシ、仰け反るほどばばりました。
ありえない。ありえないだろ?!4#7&%g☆‘@h)%#(言葉にならない絶句!)
思わず吐く息がヒューーーーー!!となって、泡のような音が喉から溢れそうになっちまいました。
しかーーし、照明が徹子ちゃん全体に当たると、ナニゲニ首下の部分の光り方がオカシイ・・。思わずオペラグラスで見ちゃったわさ。
そしたらさ、そしたらよ?(@@!)
アフリカの種族が着けるような重そうなネックレス、いあ、これは装飾というより、もはや首輪がじゃらじゃらとついてるその下から薄いゴムのような肌色のモビルスーツと黒い網キャミがくっついて、一つのアキバ服みたいになってる!徹子ちゃんはこのアキバ式モビルスーツを装着して、舞台に登場した訳よね。
だからか、動きが妙にぎこちない。しかもモビルスーツのお陰で徹子ちゃんは少し太ったように見える。むしろこれは徹子ロボットだ。
そんなロボット化した徹子ちゃんだけが発声が舞台向きじゃなくて、地声でしゃべってるものだから、聞き取りにくい。
あんた、プロでしょ?少しは発声練習したら?モビルスーツ着るなら、そんなカッコするなよ。しかも演技はヘタ。
あまり言いたくはないけれど、コレだけはやんわりと言いたい。
満足度★★★★
『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』を観た
正直言ってサラ・ケインにはあまり興味がない。読み進めてしまうとこちらの精神が捕り込まれてしまうからだ。笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
しかし、ワタクシの意に反して「4.48サイコシス」を観る機会は多い。(^^;)
たぶん、この戯曲は、読む者を惹きつけてやまないし、演出家をも惹きつけてやまないからだろう。
謎めいた数字を冠した精神病(サイコシス)を表題とするこの作品を観ているうちに、ワタクシ自身がいつしか数字に囚われて100から7を引いた数を数えてたりする。(苦笑!)
原本はわずか数十ページしかない戯曲で配役もなく台詞の振り分けもなく、詩のようなことばが散らばっている。サイコシスな女性と医者と思えるような人物が登場し、そして点線・・・・・・・・・のみ。
作家は4時48分に目覚めてこの遺書のようなものを書いて鬱と自殺願望にとりつかれて自殺した。
そんな危険で奇妙な魅力を矛盾や混乱で表現していた舞台だったと思う。この物騒な戯曲は演出家の感性で表現するしかないのだと思う。そしてその表現が頂点に達したとき鋭利な刃物のように私たちの心に突き刺さる。
今回の登場人物はサラ・ケインとサイコシスな女性と医者と思えるような人物の3人を二人が演じる。
ただ私感だがサイコシスな女性役にはもっと痩せた病的なキャストが欲しかったところ。今回の戯曲はキャストとその空気感で完璧なものになる。
やっぱ、何かに摂りつかれたか・・笑
満足度★★★★
都立青山高校「モンタージュ」~はじまりの記憶~
ある公園で2人の老女が会話をしている。片方の老女は昔の思い出を楽しげに語っていた。しかし、もう片方の老女は語られる思い出すべてを覚えていなかった。それどころか、何を思い出しても嘘のように思えてしまうと言って・・・。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
鈴木瑞穂(1年)と篠本雪乃(2年)の二人芝居。
この二人の会話が絶妙でひじょうに素晴らしい作品だった。
作・高泉順子・伊沢磨紀とあるから、ふたりで本を作ったのだろうか・・?
とにかくものすごい才能だと思った。
舞台の始まりは椅子に腰掛けた老女2人のシーンから。
この設定でも篠本の老婆っぷりが板についてる。笑
老女1は老女2に昔の記憶を話しかけるところから物語は始まるが、自分たちが住んでいた細い裏路地のパン屋の話は実におとめちっくだった。まるで絵本を読んでるような世界。
そのパン屋は狭い路地をカニ歩きでメロンパンを抱えながら入っていく。そんな歩き方をしないと狭い路地に入ることが出来ないからだ。メロンパンの入った箱を両手で持って顎で押さえながら入ると、パン屋は自分の周りにメロンパンを20個置いただけのちっさなパン屋だった。狭い路地でパンを売っているけれど誰も気がつかない。
この話を老女1は老女2に「先に私が貴女に教えたのに他のみんなに自分が見つけたみたいな話をしたでしょ?どうして貴女はいつもそんななのよ。昔っから貴女はそうだったわね?」と、かつての少女だった頃の回想シーンに移る。
その回想シーンではお互いの写真のこと、缶けりをして遊んだ記憶、少年と少女の淡い恋物語、お互いの家族のことなどを子供のようにお互いをいぢりながら描写していく。この二人の関係がいい。
少年と少女の恋物語では老女2は少年を好きだったのに、少年の気持ちに正直に答えられなかった記憶が蘇る。老女2は自分の気持ちとは反対に少年に『老人になったらここで逢いましょう。』と約束してしまった自分がいた。「何故あのとき、少年を好きだって言えなかったのだろう。ずっと後悔してた。いつも片意地張って素直になれない。そんな自分が嫌で嫌で、嫌なことはすべて嘘にしてしまいたかった。すべてを嘘にしてしまったら、そうしたら、自分が何処にも居ないんじゃないか?って思ったの。」と老女1に告白する。
そうして場面は最初のシーンに伏線を繋げ、お互いに老女たちは「貴女が必要なの。」とちっさい頃から友達でいた事に感謝する。そうして記憶を失ったこのように思えた老女2はかつて埋めた写真を掘り起こして、最初のお互いにお互いを楽しくいぢり合うシーンに戻る。
脚本も素晴らしいことながら、演じた高校生2人のタッグがよかった。
この年齢で老女独特の持つ風景や世界観を上手に描写し、また、過去に遡っての少女たちのシーンが素敵だった。
まるで映画の中のワンシーンのよう。
セットの配置を自分たちで配置していた為、暗転のなかバタバタと少し中断したが、それでもそんな事を払しょくしてくれる舞台だった。
お互いを楽しくいぢり合う姿はほのぼのとした空気感を演出しながらも笑いどころも満載で、セリフのセンスが良かった。
素晴らしい芝居をみました。
来年はもっと沢山の高校演劇を観たい。
案外、レベルが高いのにびっくりした一日でした。
余談:インフルエンザの為、学校閉鎖で公演中止が相次いでいます。ひじょうに残念!ちなみに評価は大人が公演してる舞台と同じように評価しております。ワタクシの中で高校生も大人も演劇人として同等と考えています。
満足度★★★
目黒高校演劇部「ザ・ヒューマンリニューアル」
2100年くらい、世界中の人々はあAタイプ・Bタイプに分かれる。
Aタイプは遺伝子操作による社会の中枢を担うエリートが人口の20%
BタイプはAタイプの下でおとなしく働く歯車、人口の80%
ちなみに2:8の法則はパレードの法則による。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
上記に記載したパレードの法則は優劣をつけると、例えば企業で働く社員の2割は有能で他の8割の無能な社員の給料を稼いでいるという仕組み。
だから、この2割のうち誰かが働かなくなると、代わりに8割のうちの誰かが有能ぶりを発揮して、この法則の数値は変わらないという。
世界の中枢にいる更生センターはBタイプの人々を管理していたが、近年、Bタイプの中でも特に落ちこぼてしまう人々が目立ってきた。センターでは落ちこぼれを更生させてうまく働かせようと、落ちこぼれの一人・只野を更生させる場面から始まる。
その更生の方法は「只野さん歌手デビュー」とか「只野さん2年計画」とかギャグみたいな計画。笑
しかし、演じてる彼らは大真面目で完璧なプログラムによる再生計画だという。劇の半分以上がコメディとして笑わせる、という様で、最後に只野さんと一緒にセンター職員アダチが同調してセンターを脱出する「脱出計画」も実はセンター側の只野更生計画の一つだったことが分かる。
この脱出計画でアダチはセンター側に捕まったと見せかけて、只野一人を逃がしたと思い込ませる事によって、センターを脱出できた自信と勇気を植え付け、ついでにアダチへの恩も植え付けた。というオチ。笑
舞台慣れしてないせいか、一部の生徒に棒読みセリフな演技があった為、ちょっと世界感に入れなかったのと、コメディとシリアスの境があいまいだった。
高校生がパレードの法則を引用するあたり・・どうよ?笑
余談:インフルエンザの為、学校閉鎖で公演中止が相次いでいます。ひじょうに残念!ちなみに評価は大人が公演してる舞台と同じように評価しております。ワタクシの中で高校生も大人も演劇人として同等と考えています。
満足度★★★★
都立駒場高校演劇部「告白」
とある高校の定時制に通う元いじめられっこ、柴田俊也。全日制に通ういじめられっこ、宮崎南。
偶然再会する二人を中心に、日常は少しずつ動き始める。個性豊か過ぎるクラスメイトと共に、彼らは励ましあい笑いあい、言えなかった隠し事を告白する。
以下はねたばれBOXにて。。
ネタバレBOX
舞台は同校の定時制に通うかつてのいじめられっこ柴田俊也と現在のいじめられっこ宮崎南を軸に教室での風景を描写する。
定時制高校に通う柴田のクラスメイトは現代の社会をそのまま表現したような多様な面々。特にオカマの美しさには驚愕!笑
そんなクラスに詩織らにいじめられて泣きながら日誌を探していた全日制の南は中学の同級生だった柴田と遭遇する。南は定時制に通う面々に関わりながら、人生の機微を学んでいく。
いじめっ子のリーダーの詩織らをはじめ、高校生の演劇のレベルの高さに圧倒される。大人顔負けでした。そういえば・・昨年の「転校生」の演技力にも仰け反るほど驚いたものだった。ただ、芸術劇場のキャパでの役者の声出しに問題があってちょっと不満が残ったものだが、今回のアゴラのキャパは丁度いい。
担任が生徒の顔も名前も覚えていなくて、いじめを訴える生徒に対して、話も聞かず「お前誰だっけ?」発言には笑うしかない。(苦笑!)
「クラスに生徒が40人もいるだろ?先生、そんなに覚えきれないだろ?」みたいな発言にも苦笑!(^0^)
「あいつ暗いよね。」
するとまわりは、とりあえず「ん、そうだね。」
すると誰かが、「なんか変だよね。」
するとまわりは「ん、そうだね。」
こんな些細なことがきっかけで集中的にいじめが始まる。
「告白」は、かつていじめられっこだった俊也が頑張って登校していた姿に南が憧れていた事を告白するシーンと柴田の高校選びの告白シーン、それぞれの好きな人に告白するシーンを織り交ぜて完結した本だった。もうちょっとひねりが欲しかったところだが、制限時間内での描写はここまでなのだろう。
余談:インフルエンザの為、学校閉鎖で公演中止が相次いでいます。ひじょうに残念!ちなみに評価は大人が公演してる舞台と同じように評価しております。ワタクシの中で高校生も大人も演劇人として同等と考えています。
満足度★★★★
受け入れて生きる
オープニングのダンスと音楽に見事に引き込まれ独特な世界への入り込みはすんなりと。舞台セットの演出も流石!白い布を客席まで敷き込みその上に白い砂を降らせて、どこまでも広がる白い砂浜の風景を演出していた。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
そんな美しい砂浜に突如として突き刺さったように現れる鉄塔。その名も13。アポロ13の残骸を思わせるようなその鉄塔は、かつて罪人の流刑地だった島に住む人々の見張り台としてシンボル化していた。しかし、このシンボルは放射能を放出しており、そのせいで島の住民は「子供を生めない」という島独自の法律に縛られている。
そんな孤島にある目的を持って漂流してきた男は島の住人をF2型日本(ヒモト)ウイルスの人体実験として利用しようと企んでいた。
このウイルスは本土で流行し感染すると死亡率100%という恐ろしいものだったのだ。漂流者はウイルスの研究者だったことから、政府の命令で島の住人にウイルスを感染させて経過を見るためにやってきたのだった。本土から見放されたこの島全体を研究の材料とするために・・。
研究者はウイルスの元・蚊を数万匹と島に放し、島の住民はそれに対抗する。銃を持って脅す研究者に対して自分の愛しい人を守ろうと、とっさに体が動いて愛する人を庇う住人たち。
そんな感動のシーンから物語はクライマックスを迎え、やがて島の住民は自分たちがどのようにしたら幸せに生きられるか、を重点とした法律に改正していく。結果、研究者の他に弧島にやってきた夫婦は無事に子供を生む事が出来る。一方で島で育てているハマレンゲにワクチン抗体があるという事実が解り、島の未来は愛と希望に満ちて終わるかのように魅せる。
終わるかのように・・・。
そう・・、鉄塔は彼らの島にいつまでも不気味に突き刺さっているのだった。
遠藤大地(賢茂エイジ)の愛を貫く姿勢と独特のゆるいキャラがいい。コメディな部分を一身に背負っていたように思う。舞台は中盤、暴音によるアクシデントの為20分くらい中断したが、物語の流れに特には支障がなかったように思う。今回の物語はテンションが高くなるような壮大なスペクタクルでもコメディでもサイコホラーでもないが、どうしようもない不条理に島民全員が受け入れ共存し、その中で確かな愛を貫く、という覚悟のような物語だったように思う。
今回の悪役・鮎川楓(佐藤健一)が中々の存在感を出す。
彼の胸膜を食い破って恐ろしいケモノが飛び出したかのような演技。しかしこのケモノはべつに珍しいものではない。昔も今も誰の胸にだって住み着いてるものだ。それは人間の胸の底で、いつも胎児のように身体を丸めて息づきながら成長せずに寿命を終えるのをじっと待ってる。ただ、時折その口許に不運という餌が落とし込まれてしまう。ケモノはぱっちりと目をひらき、その餌を齧り齧り、齧り、齧り、全身に黒い毛を生やし、ついには四つ足で立ち上がる力を身につけてしまう。
痩せた佐藤の身体がその演技に見事にマッチして悪役に磨きをかけていたのは言うまでもない。
満足度★★★★
やっぱ、おっぱいだよね♪
ちょっと前から思ってたっ!観客は「ふれる」だけじゃあ、納得しないだろうって(笑)
だから、+「おっぱいファミリー1,2,3」なんだろうけれど、このおまけがおまけじゃあない本編みたいな催し!
まあ、要するにはちゃめちゃ!(^0^)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「ふれる」は、案外まともっぽい芝居かな~と思いきや、まともじゃあない木村さんと、まともじゃあない依子と容子の2人。
依子が木村さんをあっけなく殺して炬燵に隠しちゃうのもまともじゃあないし、炬燵に死体が隠れてるのになお、姉に借金を申し出る容子。容子の男ってのも、まともじゃあない。笑
唯一、「その男に騙されてるんだ。」という姉の台詞がまともすぎて可笑しい!(0^)
「にんにくたたきん」の発明で人生がばら色になるかと思いきや、「にんにくたたきん」で人生が終わってしまった姉は刑期を終えてまともに社会復帰しようとした矢先、妹もまともになって真面目に働いてテレビを姉にプレゼントする。というまともな終わり方!(^0^)相変わらず、江本純子の作る本はセリフの妙技が楽しい。
「おっぱいファミリー1,2,3」
サプライズとしておまけ公演らしいが、この公演こそが本編か?!と思えるほどのはちゃめちゃぶり!(^^;)
ファミレスに集まるファミリーのお話。
ここでのファミリーとはどうやらマフィアのファミリーらしい。
風景は大層な様子だが言ってる内容はブラジャーのサイズ。
出だしがブラだから、トーゼンのごとく脱いじゃう?(*^^)なんて期待に胸はずませちゃってワクワクドキドキ状態!
そしたらさ、そしたらよ?!(@@!)
おっぱいが・・・、おっぱい機関銃と化して撃ち合ってるではないですかっ!
こりゃあ、この世のものではないな。アニメだ!架空だ、妄想だ!・・・と、しばしファミリー抗争の様子を窺う。
世の中にこれほど偉大な抗争があるだろうか・・。笑
何が偉大っておっぱい機関銃を撃ちながらも駆けずりまわるおっぱいたち・・。なぜか偶数!(笑)
これだけは男性では撃てない弾なのだ!しかも、しかもだよ!江本純子の乳首を隠してた筒がポロリ・・・。
ポロリ・・。と取れちゃったではないですかっ!
しかーし、さすがは江本純子です。なんら動揺もみせず、落ちた筒を拾って指で押さえながら続けて機関銃ごっこしてたっ(^0^)
いあいあ、こんなにおっぱいだらけなのに全く厭らしくないですわ。
たぶん、騒ぎまわって機関銃ごっこしてるせいでしょか?
もう、いいんじゃね?乳首に何ら細工しなくても。
次回からモロ乳首出しちゃっても。
きっと違和感なく特にエロも感じず、アニメっぽくコメディとして見られると思う。むしろアニメの世界をほーふつとしちゃったよ!(0^)
おっぱいランド!ぼんそわーる、フランスめていてそう・・笑
満足度★★★★
語りの戯曲
前作であるイプセン作「Little Eyolf―ちいさなエイヨルフ―」は昨年、名古屋市民芸術祭の審査員特別賞を受賞し、主演の川渕優子は利賀演劇人コンクールで最優秀演劇人賞を射止めた経緯を知り、今回の舞台はワタクシにとって、ひじょうに興味深いものとなった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
今回の芝居はきっと劇評が割れる!そんな予感を残した舞台だった。
この戯曲を芝居にするということ・・、それはひじょうに難しいことであり、チャレンジだったはずだ。舞台の殆どが「語り」のみ。解説と語りから舞台全体のエネルギーを発散させるような演技手法だった。この手の手法が苦手という観客には受け入れられないだろうし、ストレートプレイの醍醐味と受け取れた観客には魅了されたはずだ。
ルーベックは自分よりもずっと年下の女マイアと結婚しても尚、今でもイレーヌを愛していた。彼にとってイレーヌは高貴な清純な存在であり特別だった。
イレーヌを想像の源として崇拝していたからこそ彼は俗世界のように彼女を現実の女としてみられなかったのかもしれない。自分の魂が汚れてしまう、という理由で。
一方でイレーヌは裸の体をさらし続けているのにも関わらず自分の体に触れようともしないルーべックに希望を失い落胆してしまう。そして彼の元を去ってしまうが、ある日、偶然にも彼らと会ってしまう。
マイアのルーべックに対する心の襞。忘れようとしても尚、忘れられないルーべックのイレーヌに対する想い。ルーべックに仕える為に全てを捨ててしまったイレーヌのルーべックに対する感情。これらを見事に表現した舞台だったと思う。役者の技量もさることながら、マイアの赤とイレーヌの白という対照的なドレスのカラー演出も良かった。
一見して、清純そうな白・イレーヌには内に秘めた凛とした強さがあり、何者にもぶれない一貫した強さがあった。対照的に赤には、情熱的でエネルギッシュな感覚があったが、ここでのマイアは情熱的だけれどモロくもありそれなりの弱さもあって女性として魅力的だった。そんな情景を織り交ぜながらも、舞台はウルフハイム(山田宏平)とマイアの語りの部分でも魅せる。山田宏平がいい。ひじょうにいい!
イプセンがこの作品に「エピローグ(終幕)」という副題を書いたのは、『人形の家』から始まった一連の戯曲が、『私たち死んだものが目覚めたら』で終幕としての役割を果たしているから物語は一貫しているらしいが、この一貫という部分が解らない。
イレーヌのセリフ、「そういえば、私たち一度も生きた事がなかったのに気が付いたわ。」が印象的!
満足度★★★★★
証明の意味
狂気と正常の狭間の瞬間が素敵だった。
空気感がいい。
以下はねたばれBOXにて。。
ネタバレBOX
天才数学者だったキャサリンの父・ロバートは1週間前に亡くなった。気が狂っていた父を一人で看病していたキャサリンは抜け殻のようになってしまった。小さい頃から数学に親しみ数学を究めようとしているキャサリンにとって父は師でもあったからだ。人生を見失いかけたキャサリンの元に父の教え子のハルがやって来る。
ハルはロバートの残した103冊のノートに新たな業績が書かれているのではないか?と希望をもっていたのだった。
いつしかキャサリンとハルは愛し合うようになるが、彼女がある1冊のノートをハルに託した時、すべてが一変する。そこには世紀の大発見、数学の「証明」が記されていた。
キャサリンはそれを証明したのは父ではなく自分だと主張したのだ。しかし、ハルも実の姉・クレアも信じない。信じないどころかクレアはキャサリンも父のように「気が狂ってる」と思っていたのだ。
姉ばかりか愛するハルにも信じてもらえなかったキャサリンは、もう二度と立ち上がれないほど深く傷ついてしまい、姉の住むニューヨークに旅立とうとする。しかしその直前に、ハルが訪れる。「この証明は先生が書いたものではない。」と証明する。
本来ならここで数学の証明の謎を解く過程がもっと詳細なら、戯曲「プルーフ」の“誰が証明したのか”という謎解きサスペンスの醍醐味だったのだが、残念なことに謎解きが浅い。時間の制限もあるからここまでなのだろうか・・?
「プルーフ」は、傷ついたヒロインが悲しみを乗り越え、愛によって再生していくキャサリンの魂の物語だ。
証明とは生き方の証明であって、その響きは希望に満ちていた。
4人のキャストの実力には大満足!
中田の落ち着いた演技にはオーラを感じるほど。中盤、本屋のセリフがあったが、あれはアドリブだろうか?同じテーブル座っていた清水と小栗の表情がそれを臭わせた。笑
木下が脇をしっかり固めその実力を見せつけ魅入った。
素晴らしい!この一言でした。
満足度★★★★
ゆるゆるな不思議感!
「多少婦人」 の芝居は案外好みだったりする。何故ってそこには「隙間」があるからだ。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
第一話 「帰郷のすすめ」作・演出 酒井雅史
出て行ったきり音信不通だった娘(長女)が二年ぶりに突然帰郷してみると、赤の他人が自分の部屋に住んでる。しかも家賃も取ってなくて家族のようにふるまってる。自分の居場所がないと怒った長女は出て行こうとするが、話をよく聞くと、長女の部屋は居間に移したという両親。両親は長女が居なくなった心の隙間を埋めるために二人に間貸しした、というお話。
両親も間借りしてる二人もなんだか違う世界のような人たち。ゆるゆるで呑気な会話が面白い。心の隙間がテーマ。
第二話 「無節操にひっくり返る。ならばせめて美しく。」作・演出 酒井雅史
インタビュー調査で集まった5人。この5という数字が実に微妙なのだ。奇数だから割り切れない。割り切れないから多数決が成立しちゃって既に戦いのゴングは鳴っていた。笑
インタビュー調査のマニアらしき女二人が司会者そっちのけでグループアンケートを支配しようと勝負する。「このアンケートは勝ち負けじゃあないんです。」と司会者が説得するも、多数決に拘る二人。笑
勝ちそうな意見のほうに付きたがる女が風見鶏のように向きを変える時の言い草が面白い!
第三話 「ガネーシャ・トランスポート」作・演出 渡辺裕之
医療ミスで脳死状態になってしまった妻の臓器移植をめぐって医療現場で起こる黒い戦い。臓器移植コーディネータと一部のドクターたちが妻の臓器移植を積極的に行おうとする。その裏にはさまざまな思惑と贈収賄があるが、一方で妻を生き返らせようと胸に張った3文字の言葉遊びによって「起きる」までを完成させる。
ヒンドゥー教における象の頭部を持つ神ガネーシャ役に喜屋武由美子。
喜屋武が鼻に付けた象の鼻と耳がお見事!(0^)
この物語が始まる時、会場全体を真っ暗にしてホラー的に観客を怖がらせるシーンがあって、「皆さん、右側の暗い端っこの方に何かいませんか?」なんて凄ませる言葉には、「こりゃ、面白くなるぞっ!」なんてホラー好きのワタクシなんか卒倒しそうなくらい、ドキドキワクワクしちゃったわさ。
も、もしかしたら・・薄いゴム膜の向こうからトカゲの顔が押し付けられてるんじゃ・・(・・!)とか、そのうち、急にゴム膜を突き破っていきなりトカゲが顔を出し、三角の両目が獲物の虫(観客)を見つけて光ったり・・たり。。なんて想像したけれど、始まってみるとホラーではなく不条理劇に近い。
それでも白いベッドを囲んでブラックジャックの如く6人の医師が歌を歌うシーンは非現実的だ。現実と非現実の隙間みたいな設定が面白いし、その光景を見ながら楽しむわんぱくガネーシャ神の仕草もいい。
ただ3文字をはめ込みながら無理に繋げていく言葉遊びの場面は退屈だった。そんな事をするなら思いっきりホラーにしちゃってよ。と言いたかった。笑
最後に妻の為に自分を犠牲にした夫は妻が見守る中、白いベッドに横たわっているという現実。
ガネーシャ神が幸福をもたらしたのはどっち?
満足度★★★★
笑った!笑った!
お腹を抱えるほど笑った!
この芝居は前の方で観ないと舞台の醍醐味が味わえない。
何故か?
それは付けまつげが目の下にこびり付いて主張している様が見えないからだ。笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
職員室でのドタバタシチュエーションコメディ。
キャストの設定は生徒が一人。掃除婦が一人。他は全員が教師。
職員室では教師2人がこよりを一人の教師の鼻に入れてからかってるシーンから始まる。
このシーン、関東ではウケそうもないが関西ではウケルのだろうか・・?
こりゃあ、ダメだなー(。。”)と感じたのもつかの間、芝居は観客を力でねじ伏せるごとく自分たちのコメディに引っ張り込む。
こういう技は流石!
職員室ではイッチャッテルキャラの先生方が後から後から登場し、観客を飽きさせない。そんな中で職場恋愛じゃあないけれど、誰々先生が誰々先生を好き!みたいな青春真っ盛りな空気が広がっていくわけよ。
ああ、夏の太陽じゃあないけれど・・熱いぜ!みたいな・・。笑
その恋愛ごっこの主役である池田先生のクラスの生徒・山口が友達と喧嘩をしたことから、教頭の耳に入り親を呼び出すという大騒ぎに発展してしまう。これを食い止めようと池田先生たちは必死になりながらもドタバタドタバタと大げさな経過を見せながら笑わせるという舞台。
一方で池田先生が常にイジッテル岡町先生は原西先生に好意を寄せていた。岡町はラブレターを手渡す決心をしていたが、中々チャンスがない。それを後押しする池田先生。
しかし、岡町は見事にフラレテしまう。「忘れられない人がいる。」という理由から。
池田は岡町の為に原西を説得する。「生徒は友達、先生、家族・・いろんな人たちに支えられて大人になる。大人だって誰かに支えられてもいいんじゃないか、人は一人では生きられない。一人で頑張ろうとせず、しんどいときはしんどいから助けて。っていいましょうよ。忘れられない人がいたら、乗り越える努力をして誰かに支えて貰っちゃ駄目ですか?」なんつってクサイセリフを吐いた矢先、原西先生の忘れられない相手は父親だと解る。ファザコン!(苦笑!)
そんなこんなでとにかく、めい一杯走ったりわめいたり、被り物を被ったり、パンツ1枚になりながら見た目も体を張って勝負に出たコメディでした。
いあいあ、これはとにかくおもろい!(^0^)
満足度★★★★★
夢のようなファンタジー
演出、照明、衣装、舞台装置、キャストの演技、音楽、どれをどーとっても素晴らしい!と一言に尽きる。プロの技を確認した。
ルドルコという劇団、今回で5回の公演だったが、本当に素敵でした。
本の練りも抜群で、ひと時の夢を頂きました。
感謝感激あめあられっ!(^0^)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
ロミオとジュリエットを題材にした物語。
2012年12月、マヤの予言どおり世界は闇に包まれろ。そして2100年、黒空国は存在した。
ジュリエットを失ったロメオはもう一度ジュリエットに会いたい一心で、闇の王子・メフィストと自分の魂を差し出す代わりに、ジュリエットに会わせて欲しい、と契約を結んでしまう。メフィストは早速午前0時の真夜中のカーニバルにロミオを招待し、今後666年間、契約は持続すると承認する。
しかし、契約にはソレ相応の見返りがあったのだった。
それはこの世に生かしたジュリエットをロミオが666年の間に見つけられなかったら、その見返りとしてロミオの体の一部を少しずつ頂いてしまい、やがてロミオの魂は粉々になって散ってしまうというものだった。
メフィストはロミオにぴったりと寄り添い、そのものに望みを叶えながら、ロミオを蝕んでいったのだった。
一方でジュリエットの婚約者・パリスはこの世の闇を無くす為に17歳の乙女の生贄を捧げていた。それによって光を操るパリスは光の王子と呼ばれていたが、実は力のある悪魔によって支配されていた。その力は絶大だったため、パリス自身も人間を意のままに操ることが出来るという不思議な力があった。
これらの内容を絡ませながら、ロミオは本物のジュリエットを探しながら、やがて最終年の666年目に本物のジュリエットを探し当てるという筋だが、な・なんと、そのジュリエットこそが、いつもロミオの傍に居たジャンという大根泥棒の可愛い少年だったのだ。笑
ロミオがジュリエットを探せなかった為、お互いの記憶が蘇らなかったのが原因で、こんなに長い間ジュリエットの存在に気が付かなかったのだった。
しかし、今やボロボロになってしまったロミオを助ける為に、ジャンは殺されてしまう。悲劇は繰り返し続くのだ。
ジャンが大根を抱えて逃げる仕草がコミカルで可愛い!(^0^)
そうして後ろ向きで大根をかじるシーンも!会場内でも笑いが起こる。
笑いどころは満載で、トドリエの一身に背負ったコメディは流石プロです。
レベルの高いミュージカルに感激し、キャストやその他のスタッフのプロとしての技量にふれ、幸せなひとときでした。
5500円という価格、決して高くない。むしろ安い。ひじょうにお勧めの舞台です。
満足度★★★★
強い女性たち
女性が積極的に関わる「忠臣蔵」です。
森山は強くて気丈な女性が好きなんでしょか・・。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
舞台はハイテンションな音楽tと共に始まるが、「吉良邸にもし討ち入りしたなら・・。」という仮定の下、赤穂浪士のリーダー大石内蔵助らが討ち入りした場合のシュミレーションを演じる。これがどーにもこーにも可笑しい。
それでも全体的には内蔵助の臆病ぶりを露出した作品だ。
浅野匠内頭の無念を晴らそうとする心意気はあるのだが、内蔵助の左腕に腫瘍があると判明してからはいじけて塞ぎこんでしまう。そんな内蔵助のシリを叩きながら励ます妻・りく。しかし、一度弱虫になってしまった内蔵助の心は中々立ち上がることが出来なかった。
ぐだぐだする内蔵助の様子をみていた同士は呆れて討ち入りのメンバーから内蔵助を外してしまう。そんな折、ダメ人間の内蔵助にもやがてチャンスが訪れる。道場主の小林平八郎に稽古をつけてもらうことになったのだった。
腕を上げた内蔵助はかつての同士に「頼む、俺を仲間に入れてくれ。」と申し出て、主君の仇討ちを成し遂げるのだが、そこに物語が進む間にも女性の企みでしてやられたり、とにかく女性を中心にした「忠臣蔵」なのだ。
本当の「忠臣蔵」のイメージが強すぎて受け入れられない観客も多いかも知れないねっ。特に男性は。笑
そして今回はギャグの連発の多さがこの物語の重厚さを軽くしちゃったかも知れない。そう考えると、どの程度笑いを盛り込んだらいいのか、どの程度シリアスを盛り込んだらいいのかを探るとき、本を作るってやっぱり難しい。
相変わらず丹羽隆博の動きは素晴らしいです。森山もチャンバラを習ったらしく、魅せました。
吉良が殺されるシーンがあまりにもあっけなくて(@@!)でした。笑
リピーター割引は1000円だって。
満足度★★★
栄光と破滅
ジュリアン・ソレルを演じた木村了がとにかく美しくてキュートです。
男子なのに出演者の誰よりも美しいって、どゆこと?!笑
まるでベルバラ並みのオスカルレベル!
女性客が多いのも頷けちゃう。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「若き栄光と破滅」を描いた赤と黒。
貴族社会が戻ってきた頃のフランスっていう設定なのだけれど、舞台上にはポールに吊るした無数の衣類が目の前にどっか~ん!と設置してあるから、舞台は上品さを感じない。むしろ、庶民的な空気が漂っていて、この感覚は、これから始める上流階級のシーンを壊してしまうのではないか、と案じる。
どうやら、赤澤ムックのお話では「ファッションショー」という意味合いもあったらしいけれど、この舞台でこの吊るし方はどうかと思う。
小劇場でこんな演出の仕方を観る機会は多い。以前観たハイバイの「リサイクルショップ」もそうだった。それ以外にも、数多く観てるが、それはあくまでも庶民レベルの内容だから、ごちゃごちゃしていても納得するんだよね。
ジュリアン・ソレルは、ラ・モール侯爵令嬢マチルドの愛をも勝ち取り、結婚にむけてラ・モール侯爵の承認をとり、身分や財産、肩書きを貰ったことから「神父としててっぺん取って見返してやる」というもう一方の野望はあっさりと諦めてしまう。ここまでジュリアンの鏡(もう一人のジュリアン)がジュリアンの心の友だったが、有頂天で傲慢になっていくジュリアンは彼の「司祭になる夢はどうした!」と司祭に拘る彼の導きや言葉が疎ましくなって、捨ててしまう。
トントン拍子にジュリアンのサクセスストーリーは完結したかにみえたが、レナール婦人との過去を暴露されてしまう。そしてレナール婦人からの手紙には「他人の家庭に入り込んで、その家庭の女性を誘惑してる。」と書かれてあった。
手紙は婦人が若い神父に無理に書かされたものだったが、経過を知らないジュリアンは絶望してしまう。それはジュリアンの心にはいつもレナール婦人の美しく上品な笑顔があったからだ。
ラ・モール侯爵は「結婚を許さない。ナポレオンも100日天下だった」と言い、ジュリアンの結婚は破棄されてしまう。
ジュリアンは自暴自棄になって教会でレナール婦人を銃で撃ってしまう。私を撃って!とまでに両手を広げるレナール婦人に「どうしてこんな時まで美しいんだ・・。」と言いながら・・。
裁判の当日、ジュリアンは「後悔しています。平民があつかましくも上流社会に入ろうとしたから。神様ってなんですか?神よりも自分のプライドとか自分の野心を信じてやってきました。」と言い放つ。
これによって彼への評価は悪くなり小さなヨットが濁流に呑まれるごとく死刑判決が下る。
世の中で一番難しい事。それは自分に正直に生きる、ということだと思う。
「すべて良し!」 ジュリアンが最後に放った言葉。
メインキャストの実力のある演技力は流石!
ただ、ファッションショーに視点を置いたせいか、舞台での慌しさが芝居の優雅さを邪魔したように感じた。貴族社会という場面だけにポールに吊るされたにごちゃごちゃした衣類や、キャストが着替えるさまも同じ舞台で見せる設定は中々、ヨーロッパの貴族という空想の世界に入れなかった。
つまり、常に現実めいたその仕草が空想する余裕を与えなかったのだ。。
追伸:アフタートークはグズグズ。やっつけ本番なんでしょうか?
劇団によっては素晴らしいトークを催すのに、遅くまで残った観客に失礼なトークでした。
満足度★★★
セックスマシーン!
やれやれですわ!(苦笑!)
ワタクシの意に反して2日も続けてエロ観劇ですからねー。。
なんちゅーか、ほんちゅーかっ!
嬉しいというか、そういう舞台にめぐり合うというか・・・笑
ま、まだまだ女子と言える年齢の裸はぴっちぴっちですねん。。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「自分で頭を引きちぎれ
自分の頭を引きちぎれ
人間の逆襲だ!」
こんな文字がスクリーンに浮かび上がったかと思った矢先、舞台はハイテンションな音楽と共にテンポ良く始まる。
ストーリーは工場を営むアキトシの弟・ミチオがサチコを強姦してしまう。
責任を感じたアキトシはサチコを嫁にするが、事実はミチオとサチコは元々出来ていたのだった。
ミチオはプレハブに繋がれて外に出られない暮らしをし、そこにケイコというサチコの元教師が社員として雇われる。
ここから4人の奇妙な関係が始まるのだが、ケイコはどうしようもないクズのミチオが気に入って、彼のマシーンになることを決める。ケイコは何でも命令に従うといいながら、手始めにミチオと四十八手のセックスマシーンとなる。
一方で話し方が曖昧で抽象的なサチコは夫からDVを受けて日に日に傷だらけになっていく。アキトシは自分のペニスに劣等感を持ち、サチコはそんな夫のペニスを気持ち悪がって、ミチオに逃げる。
4人の行動は明らかに狂気だ。ミチオは自分が鎖でプレハブを繋いでるかもしんねえよ。と哲学的なことをいいながら、壁に埋め込まれたハーモニカを吹く。
アキトシは6本の指を持ち奇妙な行動をする。
ケイコは生まれてくるときに難産で母親が死んでしまったという闇を抱える。
サチコはいじめられっこの過去を持ち、10を3で割ったような話し方しか出来ない。
ほぼ松尾スズキの原作どおり、ということだけれど、強いていうならキャストの演技力が今一だった。
裸になったり、太ももを露にしながら体を張って頑張ってたのだけれど・・・まだまだ未熟でした。
そんでもってウケそうでウケないギャグの連発!松尾のギャグってあんなに寒いんでしょか・・(苦笑!)
満足度★★★
赤ちゃんパブのショー
みたいなもの。とはいっても赤ちゃんパブなんて行ったことないんだけどね。
いあいあ、今回ほど、レビューUPするのにテンションが上がりまくったことはないですわっ。危ない言葉には”ピー”を入れます。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
会場に入ったとたん、前列から4列までは全員男!そして全体を見回しても男がうじゃうじゃ。9割は男だったような気がする。
客席がこんなむさ苦しい男ばかりとなると・・・エロをウリにしてる劇団なのだろうか・・?
と考えるのはトーゼンのことで、大抵、こんな風景を目のあたりにすると、決まってダンサーが脱いでくれちゃったりするわけよ!笑
そんな鵜の目鷹の目をした男性陣の中にもちらほらと知った顔がありまして・・普段、小劇場では後列に座るのに、このときばかりはと、前列に陣取るという意気込みで、誰から見ても明らかに本能むき出しで目がギラツイチャッテマス!(フィリピン人ではありません)
コ、コイツ!!!(・・)
前列のちっさい椅子に体がはみ出しちゃってるのに、それでも頑張って、頑張って頑張って、椅子にかじり付いてでも離れようとしないそれらのお陣!
その表情はぽってりと膨らんだほっぺがうっすらと赤くなってるではないですかっ!(==;)
いあいあ、期待に胸膨らます、じゃあないけれど・・、他を膨らませちゃってるんですねー。ピー・・。笑
そんなこんなで舞台は始まちゃったよ、始まりました。
すると・・・ハイハイしたての赤ちゃんが着るような衣装で、ゴロンゴロンと寝そべったり、股を開いたり・・。
ふ?ちょっと下品かしら?
お股を開いたり。胸を揉んだり、コンドームを膨らましたり。
赤ちゃんパブみたい・・。
えっと・・、赤ちゃんパブって客が赤ちゃんになるのよね?いい加減年取ったおじさんや企業のシャッチョさん、はたまた会長さん(地域の)らが赤ちゃんのカッコをして甘える訳でしょ?自分の子供のような年齢の嬢たちに。
いあいあ脱線しました。元に戻そう。
すると、客席の男性陣は開いたお股をじーーっと穴のあくほど見つめる訳よね。まあ、元々、ピーなんですが。
そんでもってコンドームが登場した時には、
「コレをハメたナニがココにアレするわけかーー。」
観客の細い両目の向こうからそんな想像が声になって聞こえてきそうだった。
こうして舞台は終わりに近づくと、お決まりのヌードが登場するわけよ。
しかーーし!諸君!期待は裏切られたのですぞ。
必要以上に照明を落としちゃったものだから・・・暗くて見えへん・・、かろうじて見えたヌードは上半身の逆光から浮かび上がったシルエットだけ・・。
いあいあ、一人南の島に取り残されて、フラッグ振りながら、助けてーー!なんちって叫んでるような気分になりました。
こんなキャバクラみたいなエロを考えたのは、どんな男か?とフライヤーを確認したら、構成演出は深見章代、ではないですか!(・・!)
当のご本人も出演しちゃってるのだから、体張って生きてますわ。
深見章代には感謝ですわね。キャバレーでこのショーを観ると、数万円なのに、ここでは2500円で観られる。しかも出演は素人の女性たち。これは、とんだダンピングでしょう。飛びつかない方がオカシイ。
まあ、拭い去ることの出来ない烙印が自分たちの上に刻み込まれない程度に頑張ってください。
所詮、男は純粋で清楚な女が好きなのです。