満足度★★★
芝居というよりも・・
会場はがら~ん。宣伝力が足りないのだ。後援は豊島区、(財)としま未来文化財団、みらい館大明、豊島区舞台芸術振興会だから、まあ、区の税金でもって第三セクターがとりあえず活動してますよー。っていう名目が大切な訳だ。笑
ネタバレBOX
金持ちの女が夫と愛人を殺すのに動機が必要なので、愛人に沢山の告白をさせてから、終いに殺す物語。
椅子を動かしながらの演出にどういった意味があったのかが解りづらい。表現の仕方が曖昧なのと断片的な描写もいまいち乗れなかった。 あまりにも抽象的で芝居というよりパフォーマンス的な要素が強かったように思う。
満足度★★★
「相寄る魂」子どもで大人
会場はがら~ん。宣伝力が足りないのだ。後援は豊島区、(財)としま未来文化財団、みらい館大明、豊島区舞台芸術振興会だから、まあ、区の税金でもって第三セクターがとりあえず活動してますよー。っていう名目が大切な訳だ。笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
ベンチに座るオンナ。そこに近寄るオトコ。オンナは金持ちの王子様が現われてソローニュの城へ連れて行って!なんて妄想にひた走りだす。オトコはそんなオンナの妄想に輪をかけるような話をして夢見心地にさせ、プロポーズまでする。
私たちは幸せの鐘が鳴り響く中、結ばれるのね~(はぁと)!!なんつって幸せ満点で絶頂の中に居たところに鐘の音が響く。工場の始業の鐘だ。しばし現実逃避して妄想していた彼らは「じゃあ、また明日ね。」なんつって作業服の我に返って仕事に戻る。
物語自体はひじょうに面白いがキャストのトチリが目立った。30分の舞台だったがそれでも構成は上手く充分に楽しめた。
満足度★★
それなりに薄っぺら
ロビーに入るや否や、異様な熱気。石川梨華、仙石みなみ(ハロプロエッグ)吉川友(ハロプロエッグ)の出演の影響でまさにロビーは男たちでむせかえっていた。椅子という椅子は男たちでひしめき合い寸分も入る余地はない。しかもツアーででもお越しになったような騒ぎなのだ。それぞれがそれぞれの情報交換でもしているようにぺちゃくちゃとザワツイテまるでレミングスの襲来のような勢いなのだ。
ワタクシはその空気に圧倒され、また異質な匂いにあてられて入ったものの一旦出ようと考えた。紀伊国屋書店で本でも物色しようと思ったのだ。出口の方に向かっていくと食パンマンにスーツを着込んだようなスタッフが「何処に行くんですか?再入場はできません。」とのたまう。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「ロビーの空気が臭いので一旦出て時間になったら入ります。」と答えると、「じゃあ、花の傍にでも居てください。」と食パンマン。
「な、なんだとぉーー!!」と首根っこ捕まえて張り倒してふんずけてやりたい気持ちを抑えて、しぶしぶロビーに戻ったわけさ。
ここで関西人なら、虎がらの毛皮でも着込んで「よっ、にーちゃん、オモロイやないの、いったいそんな口、誰から教わったん?」なんつって5本の指に5個のダイヤモンドを光らせて、更に葉巻でも大砲でも咥えて合いの手を打ちながら目を糸にして笑いかけるのだけれど、残念ながらワタクシ、関東人なので妖術使いのようなマネは出来ない訳さ。
傲慢な食パンマンの殿様態度にハラワタが煮えくりかえったワタクシだったが「をいをい、大人なんだからここはこらえて。」なんて天使の声も聞こえる。体全体から妖気が立ちのぼっちゃったけれど、公演前の時間を無駄に使いたくないこともあって、堪えた。差堪えましたとも。だいいち、「入場する際に再入場は出来ません。」と伝えるべきだよね。
そんなこんなで気分はサイテーのまま、「タイガーブリージング」を鑑賞したわけさ。ところがさ、ところがよ?内容と言ったらまるでショー。
「みんなー楽しいでショー!?」なんつって石川梨華がコンサートみたいに叫ぶと、男たちは「おおぅーー!!」とまるで虎ネコのような雄叫び。雄叫びを吐きながらも猫の手の形に固めた拳は握り占めたままだ。どらえもんじゃあないんだから・・・。やれやれ・・。
「こんな薄っぺらな内容をみせられて楽しいはずないでショー。」と思いながらも、より目になるほど真剣に見詰めたけれど、いちいち石川梨華にスポットライトが当たって「あゆみ(石川梨華)に光がさして・・・。」なんつってセリフの羅列。低俗で幼稚な芝居を観ながらも、それでも何かしら納得のいくステージを魅せてくれるんじゃないか?と期待に胸を時めかせたけれど、最後の最後までそんな場面は皆無で虎の着ぐるみが登場したパフォーマンスには「きゃっ」と声が漏れそうになるほど落胆したのでした。
「当日券完売」との提示がありながら客席は3~4割は空席でした。
いあーびっくり!
耳許に食パンマンのささやき。大人の傲慢 タイガーキャットブリージング。
満足度★★★★
感覚で観る!
物語の主軸は舞台の真ん中にデン!と居座るテーブルだ。なんじゃそりゃあ?なんつって驚愕に恐れおののいて仰け反る輩もいてるかも知れないが、テーブルは家族の象徴のような気がするのだ。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
めくるめく舞台の端っこで「めくるめく」という名の少女は家族らしい家族の形を望む。いったい家族らしい家族とはどんなだろう?なんて考えると、たぶん、きっとそれは、昼ドラやファミリー向けに作られた、にぎにぎしくテーブルを囲んでごはんを食べるシーンだ。
だから、めくるめくは、家族みんなでフランスに行ったり、温泉に行ったりしたい。場所は何処でもいいのだ。家族全員一緒に!これが一番大切な要素だ。しかし、めくるめくの家族はそれぞれが個々の主張を押し通し、個々が勝手にしたい事をする。だから全員がまとまって何かをすること自体が難しい。
めくるめくはそんな思い通りにならない家族を家族じゃない!なんて考え「家族みたいなことをしてよ!」と叫んでも家族という形態は喧嘩したり、おばあちゃんが死んだり、赤ちゃんが生まれたりと、どんどんどんどん変形していく。一人居なくなって一人増えるみたいに、結婚して別れて恋人にフラレテ傷ついて・・。それでも家族は「さあ、ごはんよ~!」なんつって昨日と同じようにテーブルを囲む。
家族がそれぞれ描く夢想の中の家族の理想と現実は違うけれど、やっぱり家族というパレードは違った歩調でマーチしながらも、全員が決まった時間に食卓を囲むのだ。
だから・・・、家族の個々はばらばらで好き勝手なように見えるけれど、それは離れたりくっついたりと磁石のように+とーを繰り返しながら確かな地盤を築く。ワタクシは目の前で繰り広げられた舞台が愛しいと思った。なぜって、本来の家族って、こんな感じだからだ。笑
音楽といい、訳のわからないダンスといい、ちんどん屋みたいなナリだ。サーカスほど大げさじゃあない。だけれどちんどん屋の音楽は楽しくて物悲しい。そんな温かい家族がベースな物語。
満足度★★★★
美味しい芝居!
芥川の作品は魂を盗られない程度に好きだ。だから、今回の公演は芥川の短編を繋ぎ合せたもので、それだけに何粒ものキャンディを一度に口に放り込んだような楽しい味だった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
ワタクシ的には「楽しい芥川」もありだ。はちゃめちゃだけれど、「不思議な国のアリス」に登場するようなうさぎのキャラクターも立ち上げちゃって、とことん突き抜ける。
「桃太郎」は実は侵入者だったとした芥川の短編をコミカルに描く。放つセリフはひじょうにセンスがいい。コメディ仕立てだった。
「二人小町」では二人の女人にしてやられたうさぎは、「男は常に女人に騙される。理性ではナンジ女人を近づくなかれ。と囁き、しかし本能ではナンジ女人を避けるべからずと囁く。女人は男にとって諸悪の根源だ。」と結論付ける。
確かに女は世間ではか弱い者、優しい者なんて言われているが虎よりも強い夜叉のようだ。男の心も身体も自由にすることが出来るのは女だ。しかしそんな女を心から憎む事は出来ないという男心の心理をついた作品(笑)
「羅生門」でも音楽といい、演出といい、勢いがあった。全体的におとぎ話のような芥川作品に仕上げてあって、おどろおどろしくない。コミカルでお茶目な舞台だった。お勧め!(^0^)
満足度★★★★
コメディです!(^0^)
我侭で能天気で楽天家でちょっとおバカなヴィクトリアが自分の贅沢を満たす為に男をたらし込む物語!笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
夫を戦争で失った妻・ヴィクトリア(松たか子)は戦争未亡人となったが、彼女は夫・ビルの親友・フレディ(渡辺徹)の求愛を受け、めでたく再婚する。再婚したものの、フレディはヴィクトリアの我侭し放題になんとなく「こんなはずじゃあなかった。」と彼女との結婚に後悔し始める。手に負えないのだ。戦争の為に満足な物資も手に入らなくなった矢先、ヴィクトリアはレスターという独身豪富をあの手この手でたらし込み、貢がせてしまう。
こんなふうに書くと、ヴィクトリアって女は狡賢くて魔女のような女だ!と思ってしまうが、これがまた、憎らしいほど自己中で可愛らしいのだ。笑
こんな女性っているよね?我侭し放題で「貧乏なんか出来ないわ。だってお掃除も料理もしたことないんですもの!」なんてのたまいながらも、エロバカな楽天っぷりぷりが可笑しくて、つい笑ってしまう。って感じ。
そんな状況下、戦死したはずのビルがひょっこり生還したから、さあ大変!
しかし、ここから奇妙な三角関係ならぬ2人の夫と暮らす事になったヴィクトリアは、やがて先にキープしておいたレスターと結婚する事を決意する。メイドも居ないここで暮らすより、大富豪と結婚し贅沢三昧に暮らす方をチョイスしたヴィクトリアは早速、弁護士に相談して二人の夫と離婚するような手筈を進ませる。
二人の夫はヴィクトリアを持て余していたものだから、勿論二つ返事で同意するも、ここでの作戦が見事にコミカルで楽しくて仕方がない。男を狂わすも可愛らしい仕草と愛らしいヴィクトリアの突き抜け方もいい。ここまで、はちゃめちゃなら、むしろ感動してしまう。バカで厭らしくて小悪魔的な女性の魅力で翻弄された二人の哀れな夫の結託さも見もの!(^0^)
楽しい舞台だった。3列目という絶好のシートからはキャストらがたまに素で笑ってる様子も手に取るように解って、楽しんで演技してるさまも素敵だった。
満足度★★★★
カクメイ、トーソー、恋愛!
都市近郊のマンションの一室をアジトにした過激派グループが航空突入と大使館襲撃を計画する為の座談会!(笑)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
ワタクシは集団が嫌いだ。会社という組織に席を置きながらそんなことを思う。だから休みの日ぐらいは誰とも群れずに独りポツネンと芝居を観たいと願う。組織から逃れたいという、そんなワタクシの願いと相反するような光景が目の前で座卓を囲みながらにぎにぎしく「トーソー、カクメイ、占拠!」なんつって言葉が乱舞する。
革命家たちは空港の管制塔と大使館を占拠すれば、国家の中枢機能を麻痺させることが出来るとの考えから、その計画を実行すべくリーダーが士気を高める。しかし、立花は「闘争の為の要員も揃ってないし、資金もないのに、安易だ」と主張する。しかし、佐々木は革命理念を強引に押し通し、「安易な路線の変更は出来ない。我々は組織の中の兵士だ。」などとのたまう。
そのことで口論になった立花と佐々木は勢い余って怒鳴りあいののしりあうも、一向にお互いの考えは接点がなく平行線をたどる。そんな中、立花は「帰る。帰って料理を作るから。」と帰ろうとするが今度は増田典子に「帰って桜井とセックスがしたいって事ですか?私たちは兵士なんだから生活を革命化、武装化していかないとダメでしょう。私たちは革命の為に生きるんだから。」と意見される。
革命家たちにとっては重要な会議なのだが、そんな場面に隣人やら組織のシンパたちやらの闖入者がまるでコメディアンのごとく勝手にやってくる。特に隣人の二人が見事なまでの話術とユーモアで増田の意見をうまくさばき、端から受け付けない。聞き入れるつもりなど毛頭ないのだ。「お願いします。」と言葉では柔軟にコンニャクのように言いながら、全身に媚びをたたえているが、裏を透かしてみると人差し指を増田の鼻先にくっつけながら「良くお聞き!」と猛獣使いが鞭を持って脅してるかのようだ。笑
そんなだから滑稽というかコメディというか、革命家も所詮一般人には勝てないようで、結局のところ、トーソーもカクメイも同志との恋愛感情も「井の中の蛙」で井戸端会議みたいなものだ。笑
鄭亜美が頑張った!(^0^)
満足度★★★★
キャストが素に戻るとき
前作の公演があまりにも幻想的で素晴らしかったので、今回はどうしても前作と比較されてしまうのは否めない。それでも、どう甘く捉えても今回は一部のキャストの演技力がイマイチだった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語は説明にあるようにシュシュの生い立ちから、シュシュがまだ生まれる前に、半ば与えられた使命のごとく父・ペンネと母・アリアを結ばせるキューピット役を担う。やがて二人は結婚してシュシュが生まれ、ペンネは絵を描くことに専念し、時は幸せの絶頂の中だった。しかし、世の中は黒い雨雲がニョキニョキと不気味に広がりを見せるように隣町との不穏な空気が流れだし、いよいよ戦争は始まってしまう。
そんな折、シュシュは病に倒れ入院し、余命を宣告される。悪い事は重なるものでペンネは王の命令で広場に「平和と自由の象徴の絵」を描いていたが未完成のまま、召集されてしまう。暗雲に囲まれたような広場はかつての楽しい広場ではなかった。こうして人々は希望や夢を失い、ダンサーになる夢を持ったラッパは挫折し絶望し自害してしまう。
その一週間後、戦争は中断され広場に再び陽が射し始めたとき、ペンネは帰国し広場の絵を完成させる。しかし、シュシュは絵の完成と同時に永遠の眠りについてしまう。ペンネはシュシュと会うことが出来なかったが、シュシュは亡霊となってペンネのもとにやってきて、完成した絵を観て満足そうに微笑む。
絶望の淵から這い上がった人々の力強さや友情、希望を描いた作品だったが、物語についぞのめり込めなかった。見事に結末が解ってしまうこと。物語のテンポがややスローだったこと。前作と比較してちょっと雑だったこと。ララの演技が時々、素に戻ってしまうこと。これはキャスト自身も解ってるはずだと思うが、自分の役になりきってないものだから、目が時々、泳いでいたり、素に戻ってしまう。観客はそういうところは決して見逃さない。見逃さないから、こちらもソッチの世界に入れない。入れないまま時間だけは過ぎていき、結果公演時間が長く感じてしまう。そのうちお尻も痛くなってモゾモゾ動き出し、時間ばかりが気になってしまうのだった。
相変わらず衣装、セットは南欧の風情を醸し出し、パナが演奏するシーンは美しく酔いしれた。だが、そこまでだった。初日ということもあって緊張してたのかもしれない。しかし、プロはプロなのだ。だからワタクシもそれなりの芝居を要求してしまう。それでも鼻を啜ってる観客はいらして泣かせてたのだった。たぶん・・・後半は良くなると思う。
満足度★★★★★
コメディかと思ったほど
笑いが満載。その笑いの殆どを佐藤優こと工藤貴樹がかっさらっていた。しか~し、しかし、本来の物語の内容は「人魚物語」みたいなさま。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
場面は青森のホスピス。毎回の如く青森弁が心地よい。死を待つ老人・ヤナギダアキラ(87歳)とその面倒を診るアキラの孫・チエのホスピスに突然、暴力団の親分・村岡とその妻・真由美、下っ端の優が台風の如くやって来る。ここでの暴力団一家が実にコメディなのだ。前半は観客を笑わせ割りにゆるりとした空気が流れる。
後半から物語りは大きなウネリを見せ始める。ヤナギダアキラは戦友の木崎をフィリピンから呼びよせる。木崎に頼みがあるという。訪れた木崎は若い。ここでも木崎の孫が祖父の代わりにアキラに会いに来たという設定だったが、戦時中フィリピンでの体験をもとに過去が暴かれる。物資が届かない現地での戦いの中、生きてるものは何でも食べたという。
あるシレーナの村でのこと、木崎は不老不死という伝説の人魚の肝を食べた。その人魚は名をペドロといい、既に800年も生きながらえていた。人魚は「自分は死なないが肝臓を取ってお前が喰え。そしたら自分は死ねる。」との言葉を受けてそうしたのだった。その肝の半分をヤナギダアキラに分けたが、アキラはマラリアを患って死にそうだったチエにその肝を食べさせた。それからというもの、木崎とチエは歳をとらずに死なないという。アキラの孫だと思っていたチエはアキラの妻だったという筋。そして木崎もアキラの戦友。
アキラは自分が死んだ後のチエが心配で木崎にチエを託したかったという。しかしチエはそれを拒絶する。「私は私が死ぬまで貴方の妻です」と。
木崎は木崎で死なない自分に対して苦悩していた。木崎はラバオでファームを営み結婚し子供も授かった。しかし、妻も子供も歳をとっていくのに、自分だけがいつまでも若々しかった。妻は言う「気持ち悪い、バケモノだ。」
「俺もそう思う。その後、何度か結婚したがどれも上手くいかねぇ。したって俺、バケモノだ。この先100年経っても、200年経っても500年経っても、一万年経っても十万年経っても、ず~~っと一人で生きていかなきゃなんねぇ。」と真由美の前で愚痴る。そんな木崎の苦悩をここぞとばかり、ふって沸いた幸運のごときと、シメシメみたいな表情をした真由美は木崎を誘うように何処かへ行ってしまう。しかし、戻ってきた真由美の手には新聞紙に包まれた肉の塊があった。どうやら、木崎を殺して彼の肝臓を半分喰らったらしい。
こうして物語は眠るように亡くなるヤナギダアキラの最後で終わる。本の筋としてはファンタジーホラーのようなさま。限られた命があるから、幸福を感じるのか、それとも限られた命だからこそ不老不死を求めるのか、「火の鳥」みたいな永遠の問題だけれど、人魚の肝は食べてみたいとも思う。
満足度★★★
なんとなく「深海魚」を観た
いあ、大したことはない。ちょっとは面白いかもしれないけれど、絶賛するほどではない。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
たぶんこういったパフォーマンスは好みにもよるのかと思うが、ワタクシにはピンとこなかった。
物語は深海魚なるものが、といっても深海魚には全く見えない。だいたい魚には見えないのだから感覚的にのめり込めない。深海魚もどきなるものが、恋をして『ラブストーリーは突然に』をバックに、告白をして、ついでに合体なんかしちゃって、超スピードの勢いで妊娠しちゃう。メデタイはずなのに、その妻の目をかすめて深海魚の夫は浮気をしちゃったもんだから、さあ、大変!
人間の世界も深海魚の世界も感情的にはなんら変わらなくて、ついでに男女の上下関係もどうやら変わらない。深海魚だからって、女性は神秘的なんじゃないか?なんて空想するのは絵空事で、妄想なのだった。
それらをななんだか良く解らないパフォーマンスで表現するも、オモチロおかしい箇所はそんなにない。そんなにないくせに1時間で終わってしまうのだから、「なんすか?ソレ!」の世界なのだ。
まあ、ワタクシには合わなかった。
満足度★★★★
笑と涙!
この物語をどのジャンルに属するのかひじょうに迷うところだが、きっとコメディなのだと勝手に思う。公演前に注意事項と称して「携帯電話うんぬん・・」から始まり「上演時間は1~2時間」と曖昧な説明をする。曖昧というより物凄く大雑把なのだ。その理由は公演中に披露される劇団員イビリのような「観客を笑わせろ!」コーナーがあるからだ。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語は一人の中年男が入院した先で妻からは離婚を突き付けられるは、抱えてるプロジェクトからは外されるは、そのうちガンの宣告をされるはで、泣きっ面に蜂どころか獅子の子供が崖っぷちから突き落とされました!みたいな命がけの、息の根絶え絶えの展開なのだが、そんな状況でも院内は暗くない。
登場するキャラクターらがアニメっぽくインパクト満点でコミカルだからだ。中盤に物語をストップさせてまでも強引に始める「観客を笑わせろ!」コーナーでは、ミニミニ寅さんみたいなお菓子屋のダンナが登場し、「俺の作ったプリンをマズイって言ったオトシマエを付けやがれィ!」と怒鳴りながら入ってくるも、その登場の仕方はシャボン玉と空気ハンマーを抱えて登場するあたりで、観客は「お笑いネタをやるつもりだな。」とこれから始まるイベントの予想はバレばれなのだけれど、そこは観客も大人だから、黙ってにやにやしながら観ることにする。
すると大迫力とはほど遠いミニミニ寅さんはサングラスに鉢巻きに腹巻にステテコみたいないでたちで、本来の気の弱さとテレをひた隠しに隠しながらも、大げさに虚勢を張って劇団員を次々と指しながらネタ披露の要求をする。こういった催しものほど、劇団員のネタに明暗が左右される舞台はないのだけれど、今回はどうやら、このイベント自体が役者は知らなかったようで、誰もネタを仕込んでない。仕込んでないから彼らの実力がこんな時に発揮されて、緩くてバカバカしい催しだった。調布に至っては全く技がなくて、本人もほとほと困り果てたようだったが、彼は「おぼっちゃまくん」に似てるのだからそのネタが欲しかった~(^0^)
そんなこんなでキャストらもやっとの思いで解放され、ストップされた物語は続くのだが、余命半年から1年と宣告された一郎とその妻の郁子を長男・一輝が父母を説得するシーンに泣かされる。父親・一郎が離婚を承諾した直後、一輝は「逃げんなよ。逃げないで戦えよ。母ちゃんとも仕事からも逃げんなよ。偽善者ぶって逃げんなよ。本当は離婚したくないんだろ?だったらそう言えよ。」
そうして母親・郁子にも「母ちゃんだってそうだ、被害者づらしやがって。正面きって話そうともしねえだろ。父ちゃんがこうなるまで気がつかなかったんだろ。」と。
一樹の言葉に弾かれたように二人はお互いに歩み寄って修復するが、ここでの大人は一輝なのだ。年をとってるというだけで一見大人にみえるが人間、そうではない。人間として成長してない夫婦は世の中に沢山いるのだと思う。「そっちがその気ならそれでもいい」とか「それで君が幸せならば」とか解った風な事を意識して別れる男女は山ほどいる。そうして大抵は話し合いで修復できる男女がほとんどだとも思う。更に誤解の原因のほとんどは説明不足という蚊帳の外に弾きだされて、たった一言の説明もない状況をどうとらえていいのか解らない、のだとも思う。
だからこうしてすっきりと終わらせてくれる展開は疑心暗鬼なる想像や相手に対する不信感や疑惑がないだけ心が傷つかない。
満足度★★★
キャスト設定に無理あり
開演時間が30分遅くなっていて、しかもそれを知らない観客が結構いてスタッフにクレーム出しちゃってるご婦人がいらした。どういったミスなのか存じ上げないが観劇前から愚痴が飛び交ってました。苦笑!
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
さて、物語は岡田茉莉子演じる大女優にスカウトされた少女(西条美咲さん)が女優へと変貌していく物語なのだが・・、設定年齢に無理がある。大女優・夏木なながひと目見た瞬間に気に入った少女・朝倉きょうこは実は夏木の実の娘だった。という筋だが、どう転がって観たってなつき役の岡田は朝倉の祖母にしか見えないのだ。個人的に思うのだが・・推定年齢と実年齢にはそれなりの隔たりは付き物だが、これだけ違和感のある設定には少々どころか片目をつぶっても瞑れきれない見た目という実像がそこにあった。
芝居は虚構なのだが、虚構にも虚構なりの枠組みというものがあってなぜ岡田をこの役付けにしたのかが理解できないのだった。そうして肝心の物語だが、ありきたりの物語でべたといえばべた。解りやすいといえば解りやすいのだが、今回の芝居を観劇してしみじみ思うことは俳優というものは、つくづく自分の意思で船をこげない豪華客船のようなものだと感じた。
ワタクシは年間、相当数の小劇場の芝居を観る機会に恵まれてはいるが、そこで演じる役者らの夢はきっと映画や大きな舞台で演じられるような役者になりたいと思ってるのだと勝手に決め付けている。やはり役者をしているからには、そこそこ有名になりたいと思うのが自然なことだし、またそういった野心がなければ大成はしない。時代を捉える千里眼と才能と努力とチャンスと図々しさがなければとても俳優なんてやってられないのだ。
それでもいつしか徐々に知名度が株式のチャートのように上昇気流にうまく乗っかったとしても、有名になれば成る程、今度はまわりにマネージャーやらスタッフやらがゾロゾロゴロゴロと馬鈴薯の子供みたいに本人の知らぬ間に大所帯になっていたなんてことが多い。そんな大所帯を養っていく為に俳優はあくせく働いて更に1年先のスケジュールまでも組まれてしまう。到底、自由も意思もへったくれもあったもんじゃない。
だから夏木ななを演じた岡田は岡田の意思でなかったにせよ、受けていい役とダメな役はやはり、まわりが見極めて欲しいものだと思う。それでも芝居は充分に楽しめた。筋は完璧に予想はついたけれど、これを観劇してワタクシは幸福な自分を再認識出来たからだ。普通で居ること。普通に自由があること。そして、そこそこ自分の意思を通せるという感覚は最大の幸福なのだと思えたからだ。
満足度★★★★
誰もが欠陥を持ってる集団
とでもいおうか、ここに登場する全部のキャラクターが何かしら問題を持っていて、分かり合えない。そんな感じ。家族って集団は一人でも常識ハズレが居たなら、家族というダムはあっけなく決壊する。
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
ママが出て行ったけれどとりあえず、家族をまとめようとするパパは次男の誕生日祝をいつものように家族全員で祝おうとする。しかしそこには肝心のママが居ないから味気ないし楽しめない。母親が居なくなった寂しさに心が壊れそうな子供たちはそれでもそれぞれのテリトリーで踏ん張る。ママが出て行ってしまった元凶はパパだったが、そのことに抗議できない3人の兄弟たちは、少しずつ穏やかに崩れていく。自分にとって良い事が家族にとっても良い事だと勝手に信じ込んでしまう父親。対比して兄弟の胸にわだかまっている重苦しい霧は晴れることはない。
最後の最後まで彼らは父とは分かり合えないんだろうか・・・?なんて考えながら観ていると、家族の崩壊の原因は父のせいだと思い、父は子供たちが悪いんだと決め付けて「わかりあえなかった」ということすら、彼らはわかりあえないようだった。
ママが出て行った理由は、パパとママがママの書いた小説のことで喧嘩して、パパがママを殴ったからだという。しかし、こと夫婦に関してはそれだけではないような気がしてならない。沢山の我慢の積み重ねが、「もうこれ以上重ねられません!」といってピコピコ赤信号が点滅する時には修復不可能なことが多い。
父親と子供たちの関係だって、言葉では言い表せない。知っている言葉をどんなに組み合わせても気持ちとぴったりにはならない。辞書をひいても、本を読んでも、ああこれなんだ、という言葉には出会えない。だから説明するのは勿論の事、彼らの気持ちを言葉では覆いきれないところが必ず残って、どうしても言葉が届かない。この物語は他人を省いた家族の部分はノンフィクションだという。
当時の松居の心境を思うと、いたたまれなくなる。逃げたくなくて負けたくなくて、誰にも何も話さなかった末に、もっと深いところで逃げてしまう。だけれど、逃げていいのだと思う。逃げられる場所のあるうちは、いくらでも逃げていい。負けてもいい。ずうっと勝ちっぱなしの奴なんて世界中どこにもいやしない。みんな、勝ったり負けたりを繰り返しているのだから・・。
それでも舞台は終盤、迷惑な他人を追い出すことで家族の結束や絆をも表現して終わらせる。そうしてどうやら3人は母の元へ行ってしまうようだ。考えさせられる物語だったけれど、それぞれのキャラクターの立ち上がり方が絶妙で、案外、笑えた。パパ役の島田の狂言のようなセリフとダンスが良かった。シリアスコメディとかブラックコメディみたいな協奏曲!(^0^)
満足度★★★★
滑稽なまでの大芝居!(^0^)
宮澤賢治の「ビヂテリアン大祭」を実に忠実に滑稽に描写しながらも、客席全体を大祭の会場と化すことで観客を強引に巻き込んだような面白い舞台だった。
当初、観客の誰かが、意見を述べたのだろうか?とあっけになったほど!笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「ビヂテリアン大祭」とは菜食主義者たちの世界大会の報告という形で発表された作品。作品には賢治の独特の生命観、宗教観とともに滑稽なまでの畜産組合との演説合戦、論説闘争での言葉の魅力を伝えています。 セリフの一つ一つにユーモアが溢れており、愛しくなるほど。
ビヂテリアンらは菜食主義者(菜食信者)と肉食異教徒の論争を通して肉食の是非を議論するも議論の相手を論破するために選ばれたテーマは多種多様で、相手を負かしてやり込める為に、ない知恵を絞る。一見、難しそうにみえる論理もよくよく聞くと小難しい言葉を並べただけのマインドコントロールというマジナイみたいなもの。笑
そんなだから力で相手をねじ伏せるのではなく、難しそうな言葉の羅列で相手の頭脳をこんがらがらせて、その隙に自分を優勢にしようとする、一見にも二見にも卑怯な手法だ。笑
ビヂタリアンらは肉類と野菜の消化率、味覚の比較に始まって、さらに殺生の是非、人口増加と食糧資源の問題、動植物を区別することの是非、キリスト教と仏教の見解の相違、輪廻の問題とどんどん、どんどん推移して、がんがん、がんがん敵を錯乱させる。笑
やがて、迷える子羊にはこれしかあるまい。と言わんばかりに赤の野球帽をちょこんと乗っけたジッチャマが登場する。山伏のようなそのナリはどこをどーみたって、霞を喰って生きてるような老衰手前の白装束の老人で、「よっ!翁!」なんつって合いの手を打ちながらついでに願もかけちゃうと恵がありそな雰囲気。その名をヨハネ・マルコ・ペテロルカ16世などと美味しそうな名前で襲名披露みたいに呂律しながらも、その白っぽいジッチャマは大層偉そうな事を民衆に向かって演説する。笑
そんな中、フランドル農学校のヨークシャヤなどというヨークシャテリアのような愛くるしい名前の豚さんを主役に引っさげて一発こっきりの大芝居を打つ。この芝居たるや、人間よりも演技が上手いのだから「恐れ入りました。」と慇懃に頭を垂れるほかないのだ。そんな主役級のヨークシャヤをブクブクと太らせ終いに喰っちまおう!ってんだからフランドル農学校のヤツラと来たら鬼のような輩たちだ。
その鬼にも「鬼に金棒」のようなお上からの命令が下る。「家畜特別同意調印法」なる、豚さんにもト殺する際には拒否権がありますよ。ですから「死亡承諾書」を貰ってくださいね。なんつー、豚さんにとっては黄金の金棒を手に入れたようなものだ。しかーし、フランドル農学校だって、そんなアホではない。言いくるめて強引に豚鼻なる印を押させ、書類には赤々と輝く豚鼻の朱肉が自慢げにどっか~んとハートのような形でのさばってるではないか。
ビヂテリアンたちは一斉に「可愛そうだ!、可愛そうだ!」を羅列し叫びながらも、そこにはおおまじめな議論とともに、全てをビヂテリアンのビヂテリアンによるビヂテリアンの為の大祭だった事を知らしめ終わらせる。
ユーモラスで人間味あふれる反応も見られて、尚且つ怒涛の勢いでまくしたてる論説に大いに笑った。とにかく飽きない。色んな要素がギュッと詰まったお祭り騒ぎ!(^0^)
楽しかった。滑稽な大祭。
満足度★★★★★
終盤に襲われる悲しみ
昨年の公演の「続編」とも言えるべき作品。東京拘置所内にある死刑囚舎房に収容された南と他3人の囚人たちは死刑執行の日を待つ日々を過ごしていた。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
囚人たちはそれぞれ220号、570号、150号、210号と番号で呼ばれる。一桁の数字に「ゼロ」が付いている理由は「お前たちには未来がないからだ。お前たちにあるのは過去と今だけだ。」と古木看守長はなにかと囚人たちをいびり抜く。
正義感溢れる小松刑務官は看守長が囚人たちに対して執拗なまでの目に余る行為に対して、何か原因があるのかを探った結果、古木は犯罪被害者の遺族だったことが解る。何の罪もない家族を殺された古木はやり場のない憎しみを囚人たちに向けていたのだった。しかし南やすしも古木と同様、犯罪被害者の遺族だったことを藤原刑務官は古木に告げる。南は肉親を殺した犯人への報復殺人を実行してここに収容された旨を説明する。
それを知った古木は南に接していた態度を改めるも、間もなく南は死刑執行の日が確定してしまう。いよいよ、南の執行の日、仲間の囚人たちの身を引き千切られんばかりの絶望の叫びの中、南は執行室へ向かう。古木は「出来るならおれも同じことをしたかった。」と南に囁くも「よく解らないけれど先生が正解だったと思いますよ。」と今度は南が古木に伝える。そうして「最後に言いたいことはないか?」の問いに南は「570号を助けてあげてください。」と言い残して執行される。570号は再審請求をしている無罪の囚人だった。
死刑囚達らが何故、事件を起こしてしまったのか、また無実の罪で入獄させられた570号の再審請求のゆくえ、俳句を詠む210号の様子を織り交ぜながら一方でその死刑囚達を監視する刑務官達の心理状態をも見事に描写した舞台だった。南の死刑執行の日の看守たちの苦悩に満ちた表情や囚人たちの心の叫びを思うと涙なしでは見られない舞台。目の前のキャストらが涙ぐむシーンと同時進行でこちらも号泣。感動にうち震えた秀逸な舞台だった。ああ、舞台って素敵!
満足度★★★★★
あまりにも秀逸な舞台に感無量!
スタインベック「はつかねずみと人間」を舞台化した作品。初観の劇団だったが、舞台セットといい、キャストの演技力といい、非の打ちどころがなかった。いあ、それどころか終盤の悲哀には号泣したほど。
完全無欠のストレートプレイ。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
純情で白痴の大男レニーと目端が利く小男ジョージは幼馴染の季節労働者である。二人は貧困に苦しむが、奇妙な、それでいて暖かいお互いの友情に支えられる。彼らの夢は、金を貯めて自分達の小さな農場を持つことであった。叶う望みの薄い夢に向かって現実の厳しさに耐えてきた二人であったが、ある日、レニーの過ちが元で夢は破れ、悲劇が訪れる。
舞台はアメリカの農場労働者の夢と現実の悲哀が見事に描写されていた。苦しい状況の中でも夢をみることでお互いを支える友情。しかし、その友情さえも奪ってしまう現実の厳しさ。そのことを感じ取るだけでも、本公演は観劇に値する。
舞台はメイに関わったレニーが些細な誤解や不運で起こった悲劇だったが、この物語の特徴は悪役らしき人は出てくるが、そういう人達もどことなく同情を誘うように描かれている。結果、悪人はいないのに些細な誤解が元で悲劇的な結末を迎える。「しかたがねえよ、ジョージ。まったく、しかたがなかったのさ」というスリムの言葉がすべてを語っているという気がした。「しかたない」だけに非常に悲しい。
終盤、メイを誤って殺してしまったレニーをカーリーと農場労働者が射殺しようとくまなく探すが、その前にジョージがレニーの後頭部を打ち抜く場面でのジョージのセリフが胸を打つ。舞台はこの二人の悲劇で終わるが、この二人の演技力あってこその感動だった。観客の感情をうまく高めて芝居に感情移入させてくれる。見事な舞台だった。どのキャストも見事な演技だった。
ああ、素晴らしい舞台を観ると満ち足りた幸福感を味わえる。
満足度★★★★
蟻協奏曲
60年安保闘争をモチーフにした「トーソー」と「トツニュー」をめぐる不毛かつ不条理な茶番狂騒劇。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語は高い壁の中央に位置する扉のコッチ側でコンドーさんを待つホームレスの男女、買出しの女、ホームレスをペット化して世話を焼く鈴木、近隣の人々、アンポテンツ反対!と叫ぶたった3人のデモ隊らを絡ませながら、バカバカしくも緩いコメディだった。
壁のアッチ側では銃撃戦のような音が響き門番がコッチ側を守っていると言いながらもアッチ側に位置する。アッチ側が現在どんな状況になってるかも解らないコッチ側の人間はコッチ側のマスコミの情報とコッチ側の味方だとホザク門番の言葉だけを鵜呑みにしてただただ蟻のように騒ぐ。まるで蟻協奏曲だ。無知な人間ほど無謀で、だけれど無知ほど強いものはない。
やがてリュックの男が真実は見てみなければ解らない。と壁を乗り越えようとするも、高すぎてどうにもならない。男は門番だってコッチの敵かも知れない。アッチ側の新聞にはコッチ側の新聞と全く反対の事が書かれてあると言い出すが、その実、男はアッチ側を観た事がない。だから真実が見えない、思うだけの不条理はどうやら走れメロスのような不条理と同一なのだ。物語はナンセンスコメディのようでもあり、ブラックコメディのようでもある。登場する人間は巨大な壁に太刀打ちできない無力さが、やはり蟻のようで、蟻協奏曲さながらの舞台。笑
面白いと思う。ワタクシは好みの舞台で弾けるように笑った。
満足度★★★★
藤みねつこ・・笑
個人的に藤みねつこ先生の授業はマニアックでサイコーだった。(^0^)
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大学時代ボーリング部の仲間だった5人は1通の手紙によって呼び出され同窓会のような感覚で集まる。そして彼らのマドンナだったフナレも彼ら同様に呼び出された。この時に岬が記憶喪失になっていると知った残りの4人は岬の記憶を回復させようと思い出めぐりを始める。
この思い出めぐりの中の一つにボーリング部で公演した学芸会「メカロメオとジュリエット」のイングリィッシュ劇の再現があるのだが、もうこれは笑劇そのものでメカロメオがロボコップならぬロボブッチャーのナリでおよそヒーローとは名ばかりのイカレタサイボーグなのだ。緩い喜劇のさまでアニメを見ているような気分になる。笑
そんな学生のころの風景を織り交ぜながらかつての5人は全員が真剣にマドンナに惚れていたにも関わらず誰もが打ち明けられなかった心理をも映し出す。その中で暗黙の掟を破ったかのように岬がマドンナに宛てた匿名の手紙を書いてしまう。書いたもののその事に後悔した岬は自分が記憶喪失になったフリをすることでその手紙そのものを打ち消し忘れてしまったことにしようと企み今西の協力を得る。
一番好きな人に10年経った今でも告白出来ない心理を甘く切なく魅せる。告白してしまったら最後、気まずくなって離れるかそれまでの友情めいたものが無くなってしまうかのように思われ恐いのだ。それらの感情は錆付いた匂いとともにカラカラと空回りして収まりようがないのに、それでも変わらぬ心でフナレを想う。
だが、時として人生は絡まりすぎた糸が容易に解けないように、違った方向をめざして急速に流れて行ってしまう。フナレはその手紙を気にしながら引っ掛かったまま別の誰かと結婚が決まる。
喜劇でもあり青春の1ページでもあった。やがて5人とフナレはそれぞれの「思惑」という心に蓋をして明日という人生に船出するのだ。いつものように・・。
満足度★★★
「モダンガール版」を観た
野村文香が書いた小説を柳原まやこに聞かせる終盤のシーン、この部分のリーディング「飾り職人の物語」がひじょうに良かった。本編より感動して思わず泣いた!(苦笑)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語は野村文香の家に集まった4人の小説家の情景を描いたもの。文香は悩んでばかりで書けない作家。まやこは批評家だったがある日、風俗小説を書いて「ベルレットル」に掲載されることに・・。また、すえは猟奇小説を得意とする作家。薫は結末がないが型破りな小説を易々と書いてしまう作家だった。
この4人が集まってはお互いを慰めたり励ましたりしながらも、それぞれの生きるべく道に収まっていく。非凡な才能を持った薫は突如、小説家を捨ててブラジルに行くと言い出すが、その決断に凡庸な才しかなく小説を書くことに苦悩しながら喘ぐ文香は異議を唱える。ちょっとしたいざこざもみせながら4人の友情を描いた作品だった。
殆どが会話劇で日常を描いた作品。解り易いストレートプレイ。物書きって誰でも非凡な才能があってスラスラ書けるのかと思っていたら違うって事に激しく驚いた。書くことが好きじゃなかったら書かなきゃいいのに・・。って凡庸で楽な生き方しか出来ないワタクシはそう思っちまった!笑
満足度★★★★
コメディとしてサイコー!(^0^)
青年団リンク・二騎の会での二人芝居 『F』の端田新菜も良かったが今回の端田もひじょうにいい。実に魅力的な女優だ。物語は「四谷怪談」とは程遠い内容だから「四谷怪談」を観たい方には会わない。2部の落語は落語というよりやっぱり演劇で、すんごく楽しくてオモチロ可笑しかった。殺されるかと思うくらい笑った笑った!(^0^)
以下はネタばれBOXにて。。
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当日パンフには「四谷怪談」のあらすじが載ってるが、これを題材にした物語だったが、序盤に見せた筋を後半は角度を変えて前半のあらすじの種明かしでもするかのようになぞっていく。この伏線を辿るような手法が実に面白い。ああ、そうだったのか!と納得して笑っちゃうのだ。キャストらの表情も角度が違ったことによって見えなかった部分が露呈されて人間の表裏が可笑しいのだ。
2部の落語「男の旅・大阪編」は3人の男たちが女を買いに行くお話。大阪の有名な売春宿、つまりはソープランド(大人のディズニーランドともいう)でのお話なのだけれど、このキャストら3人が売春婦になったり、お付のオババになったり客になったりしながらのコメディばりばり!これだけ面白いと行って見たくなっちゃうような情景だった。とにかくエロくてバカバカしくて面白いのだ。
猪股俊明は「ハイバイ」の公演で必ずといっていいほど出演する役者だが、中々アホらしい役もお似合いで、山内にいたっては、そんな演技をしている猪股がとてつもなく可笑しいようで自分の出待ちでニヤニヤしてたほど!どっちも岩井らしい作品に仕上がっていた。もう一回観たいなぁああ。。