満足度★★★★★
圧倒的
ジェンダーによって共振するものが異なるのではと思いました。
でも、そうであっても、男性の私が観ても圧倒的な舞台。強く、時に放埓で、あるいは繊細で、しかも気が遠くなるほど深淵で。
3回ぐらいのカーテンコールでは、とても受け取ったものには及ばない気がしたことでした。
ネタバレBOX
きっと、女性だからこそ共振し理解できるものが含まれていると思うのです。もしかしたら、手に溢れるような花びらを抱える女性の感覚にくらべると、男性のコアに降りてくる感覚は、前方に張られた水の底に沈む花びらの重さくらいのインパクトなのかもしれません。
でも、そうであっても、舞台からやってくる物には大きく揺すぶられました。
女性が生まれ、育ち・・・。幼い日や思春期までのルーティンの具象にも思える回転から、やがて、自由奔放な動きに広がっていく姿。そして初めての水とのふれあい。
集められ水に投げ入れられる蒼い花びら状のものは、哀しみや痛みにも思えて。一方で脚に鈴をつけて踊り、水に入るその姿に、女性のときめきを思う。
泣きつづける子供をあやし疲れ、後方の空間が電飾に飾られるほどの享楽に身をおき、或いは再び花びらを水に流すほどに痛みを覚え・・・。生きる悦びと痛みをくりかえしていく姿のひとつずつが、洗練され、しかもあからさまなインパクトをもった刹那として観る側に伝わってきます。
ダンサーがシークエンスで表現する、鼓動を感じるようなひとときの力強さに心を奪われ、被り物によって具象化された世界のどこかシニカルな匂いに、表現の洒脱さを感じる。
その中で、水の底から鈴の鎖をひろい、首にかけて、青い花びらのない胸で
水の中でのダンスを踊りつづける女性の存在にも目を奪われました。女性の悦びや哀しみの時間をいくつもいくつも跨ぐマラソンのようなダンスに、女性の人生分の業ようなものを感じて・・・。
そしてダンスを止めた彼女の躯が、蒼い花びらの詰まった袋で打たれつづけるその響きにも息が詰まりました。
女性の生きる姿が示されて。でもそれだけでは終わらない・・・。
終盤の輪廻を思わせるような、数知れない女性のジェネレーションの俯瞰にも目を見張りました。
誕生し、生きて、旅立つ。その抱えきれない程の刹那の連続が、曼荼羅のように広がっていく感覚に、もう胸が苦しくなって。
終演のとき、
舞台上に具象化された時間の表現の深さと豊かさに凌駕されました。
ダンサーたちの時間を背負いきるパワーと表現の意志に頭が下がりました。
照明(スピンするダンサーが作るシルエットには目を奪われた)や舞台装置にも創意がいっぱい。
でも、これほど強く揺すぶられたにもかかわらず、この作品において、男はやはり観客の位置にいるのだと感じたり・・・。
神が創りし男と女のこと、そしてそれぞれがながめる水の感覚がきっと違うことなど、風に吹かれて歩く板橋駅までの道すがら、ずっと頭から離れませんでした。
満足度★★★★
きちんと怒涛
そりゃ、あれだけ演目があれば
優劣もでてはくるのでしょうけれど、
腰砕けになったものがひとつもないことに瞠目。
色はとりどりでも、きちんと作りこまれていて、
観客を失望させない。
吾妻橋ダンスクロッシングの時の鮮烈さが
少しも失われず、大袋でやってまいりました。
ネタバレBOX
チープな色に演じて見せることはあっても、
クオリティはしっかりキープの31演目。
観る側をお腹いっぱいにしておいて、
それでも、もっと食べたいと思わせるほどの魅力があって。
ひとつずつの演目が
実はきっちりと演じられていて。、
観客に演じる力をあいまいに
ごまかすところがないのがよい。
ちょっとしたタップを踏むにしても、
歌うにしても、演奏するにしても
コントをこなすにしても、
きゅっと締まりがあって、取り散らからない。
演目のそれぞれに、ベースというか下味があって
でも、なにかが突き抜けている・・・。
しかも、演目のきり方にも
未練を持たせないというか、
観客に引きずらない潔さがあって。
あれよあれよと過ぎていく
あまり経験したことがないような
2時間強にどっぷりはまりました。
場内の雰囲気にも、作り手側の美学がいっぱい。
ビールとかお茶とか缶チュウハイがほぼ原価(以下?)で売られているし、
(しかも、バッタものではない)
お菓子がびっくりするような感じでサービスされているし、
カレーの匂いは場内に立ち込めているし、
照明のオペレーションや舞台装置も偽貧な怪しさいっぱい。
でも、それゆえにやっている演目の
洗練すら感じさせるほどに作りこまれた味が
よしんば馬鹿ネタであっても
とても粋に感じられたりして・・・。
吾妻橋でもやっていた、
馬鹿舞伎のようなお家芸があるのも強い。
今回も終盤に登場するや
勧進帳の雰囲気がしっかり醸し出されて。
梨園の匂いがしない歌舞伎テイストであっても
お世辞抜きにこれもまっとうな芸のうち。
芸術的な下世話さで
すでに30演目近く見てバテ気味の場内を
生き返らせておりました。
この雰囲気、本当に癖になる・・・。
次回公演は是非に友人を誘って観にきたいものです。
満足度★★★★★
歴史を傍聴したような・・・
作品が実に緻密に編みあげられていて
台詞の一つずつに質量がしっかりと乗っていて。
よしんば傍聴席から見ていても
感情が舞台上の人物と同化するような
力を感じました。
ネタバレBOX
以前にこの劇場での座席の辛さを体験済なので、
楽をして傍聴席にて観劇。
冒頭からの空気の作り方に
観ている側にすら緊張感が伝染してくるような・・・。
裁判長が入廷してくるときの起立の姿勢や
弁論のタイミング。
主任弁護団の会話のみで進められるシーンの積み重ねが
実に効果的で
裁判長や検察側、さらには判事たちや、
被告たちの表情や気配の描写が
市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂の
その日、その時間の感触を今とするに十分な力をもって
観る側にしっかりと伝わってきます。
レシーバーから伝わってくる同時通訳を繰り返す声や、
舞台上の弁護人一人ずつの返答、
裁判の雰囲気が歴史の縛めを解かれた
リアルタイムな臨場感を持ってやってくるのです。
彼らの会話や弁論の中で、個々の弁護人たちの
個性や抱えているもの、さらには裁判に対する想いが
滲むように浮かび上がってきます。
史実を借景にした物語のダイナミックさと、
弁護人ひとりずつの繊細な想いの質感が重なるとき
舞台には高い密度が醸成されていきます。
重箱の比喩、
検察にニュルンベルグ裁判を持ち出させるための苦闘、
歴史の足跡としてすら刻まれていく
ひとつずつの言葉が持つ人間臭さ・・・。
それぞれに戦争での痛手を負いながら
一方で戦勝国の正義に噛み付くように
たとえば戦争は政治の一手段であって犯罪はないという理論を盾に
その戦争を導いた被告たちを弁護していく姿。
5人の弁護人の想いに心を震わせ、
目頭を熱くしながら
一方であたかも歴史のひとこまを目の当たりにしたような高揚に
身を任せておりました。
劇場を離れてからも、いろいろな思いが去来して・・・。
本当に見応えのある作品だったと思います。
満足度★★★★★
気持ちよく洗練された連作
観ていて
肩が凝らずに楽しいのですが
それだけではないものが
ちゃんと伝わってくるのがすごく良い。
書き手と演じ手双方の力が
互いにうまく生かされていて。
場所・雰囲気・中身も含めて
口当たり良く深い。
この作品を見て
お芝居好きになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ネタバレBOX
そんなに複雑ではなく
観る側がうなずけるようなお芝居なのですが、
その風景を窓にして、
キャラクターたちの感覚や日常が
しなやかに浮かび上がってくるのです。
その20分から見える
登場人物のうちにある感覚のようなものが
ある種の臨場感をもって伝わってくる。
観客の感覚との接点の取り方というか
すべてが観客の手のうちにあって、
そのうえで、さらに「あっ」と思えるような
感じがやってくる。
しかも3作品それぞれの色に
異なった豊かさがあるのですよ。
限られた場所であるはずなのに
小道具の使い方に絶妙なセンスがあって。
呑み残したグラスの中身から
ブーケのリボン、さらには
会場に上がってくる階段まで・・・。
さすがに2番目の作品の冒頭、
ザンヨウコ嬢の力技には驚きましたが
そういうけれんでもウィットとして感じられるほどに
作品が洗練されていて。
3作品それぞれに、良い意味で優劣をつけられない
クオリティがあるのです。
役者もうまいよなぁ。
個々のキャラクターの作り方も実に秀逸なのですが
それに加えて、二人の役者の息遣いが
微細なところまでしっかりとかみ合っている感じがして。
芝居の密度が気持ちよくしっかりと醸成されている。
作品の共通した背景となる結婚式との距離感の取り方も
絶妙で・・・。
いやぁ、
この公演の魅力にとりこまれてしまいました。
こういう作品、大好きです。
この企画、もっと見たい。
前回分を観ていないことが切に悔やまれたり・・・。
満足度★★★★
理解できていないのにヴィヴィド
何層にもなった世界の空気を感じながら
それぞれの層に浮かぶものが
そのままの風情でとても瑞々しく
観る者を取り込んでいきます。
作者の意図を理解できたとはとても思えないのですが
にもかかわらず、強く惹きつけられ心を奪われました。
ネタバレBOX
それは作り手の心に去来するものの
とても緻密なスケッチのようにも思えて・・・。
作者のイメージのなかにカップルがいて、
作者が向き合った
「あの人」の内側に去来する
さまざまなテイストや想いが
具象化されて伝わってくる感じ。
爽快にというか心躍るイメージ。、
夢を観る。
ビラの女性を探し求める。
忘れないでいようとする欲望。
ピュアなものと汚れたもの。
捉われていく感覚。
遠くから投げ入れたものがその場所に収まる確率。
失われていくものへの感情。
繰り返し・・・。
などなど。
舞台の上部のブリッジ部分が
次第に舞台の世界とリンクしていきます。
冒頭の端正な墓参りのシーンとは裏腹に
表層と深層が次第にボーダーを失って
渾然一体と描かれていく。
その奥のスクリーンに映し出される女性が
「あの人」一番外側にあたる源モラルのようにも思えて。
示唆に溢れた山ほどの表現たち。
あやふやなミュージカルの完成。
ビラを配ること。
首輪で互いにつながれた目隠しの嫁と姑は
男の家庭らしい
結びつきながら互いにコントロールしあえない姿に
女性の生活感が垣間見えたり。
時間の経過の中で捨て去られたものと
吊るされたそのぬけがら。
そして痛み。
多分作り手が精緻に描きこんだ絵面の半分も
理解していないのだと思います。
もしかしたら1割以下かもしれない・・・・。
にも関わらず、時間を忘れて
心を強く繊細に共振させる実感を伴った風景が
恐ろしいほどくっきりと舞台上に見えるのです。
一番近いのはダリの絵を見たときの感覚でしょうか。
かかわりのないいくつものイメージがゆるく重なり合い
一つの形に積み上げられていて。
気がつけば絵の前で何十分も立ち止まってしまっていた時のような
あの感覚。
それはたぶん「あの人」の心に
日々映し出されている風景の
模写にすぎないのでしょうけれど、
そこから見えてくる「あの人」自身には
自らが「あの人」に置き換わったと錯覚してしまうほどの
リアリティがあるのです。
役者たちの動きには切れがあり
伝わってくる感情がすごく良質。
満足とか不満足というような切り方で表現できないような
不思議な満たされ方に
終演後もしばらく立ち上がることができませんでした。
満足度★★★★
その視点へのデフォルメが秀逸
いやぁな感じが積みあがって
憂鬱な気分にもなりましたが
舞台上の出来事が
誰の感性を通しての表現かが明らかになるにつれて
一気に面白くなりました。
ネタバレBOX
なにか気色が悪いのですよ。
夫婦の会話にしても
ご近所との距離感にしても
なにかしっくりと馴染まない感じ。
それが積もって溢れそうになったころ
飛行機の轟音がやってきてクリアされていく。
観る側にとっては
尺の合わない服を着せられて
じわじわと神経をいたぶられるような感じのなかで
物語が進んでいきます。
夫の突然の死と、それらが移植のドナーとされたこと。
夫の勤め先の同僚や親戚たち・・・。
でも、ランダムに現れるように感じられた居心地の悪さたちが
次第に夫の死の前後の時系列として実体化してくるにつれて
物語のトーンが誰の感覚を映しているのかがはっきりと見えてきて。
そこからは、一気に惹き込まれました。
妻にとっての感覚にデフォルメされた
舞台上の人物たちの姿がとても秀逸。
同時に、もし、この物語が会社の同僚の視点で描かれたら
妻はどうにも神経質な女性として舞台上にあったかもしれないし、
夫の姉妹の視点から物語が作られたら
妻は自分たちが愛するものの色を変えてしまうものとして
浮かび上がったかもしれないとか思ったり。
絶対的な軸が無い中での、相容れない感触たち。
そして、切り捨てられない滓のようなものが
腐敗していくがごとき感覚。
騒音のなかでの感情の突出でなければ吐き出せないものが、
さらに強く伝わってきて・・・。
ラストシーンも凄く衝撃的でした。
なにか体にまとわりついていたものを
全て振りほどき投げ捨てる快感が
やってきたり・・・。
まとわりつく汚物を一気に洗い流すような感じ。
この感覚、とてもいやなのに、どうしようもなく惹かれてしまう・・。
見終わって、自分の内にある爽快感を
一方で底知れず恐ろしく感じたことでした。
満足度★★★★
シーンのくっきり感に惹かれる
ひとつずつのシーンがくっきりとしていて
それが物語のメリハリにつながっているような感じがしました。
劇場の広さを味方につけて、見応えがあるお芝居だったとおもいます。
ネタバレBOX
舞台美術がすごくよくて。
吉祥寺シアターの大きな舞台空間を全くもてあますことなく、段差をしっかりとって奥行きを味方につけて・・・。
で、物語に骨があるというか、シーンそれぞれの意図がしっかり伝わってきて、観る側が安心して物語のふくらみに身をゆだねられます。
土台がきちんとあるから児玉などの飛び道具的演技が凄く効果的に思えて。
他の役者達も出来がすごく良かったように思います。村上のパワーに加えて玉置の切れもに改めて舌を巻きました。川村も大健闘かと。
なんというか、それぞれの役者さんの良い面が一杯出ているというか、芝居が舞台の大きさに薄まらずそれぞれの手練が気持ちよく広がっていく感じがして、見ていて楽しかったです。
まあ、物語の収束のさせ方については、もう一歩突き抜けてもよかった気はしましたが、素直に楽しむことができるお芝居だったと思います。
満足度★★★★
なにかを超える力がある
冒頭の動きですでに体を前方に引き出され
そのまま、心地よく見入ってしまいました。
観ているだけで息が乱れるほどの
圧倒的な力に押されて・・・。
しかも、さらにソフィスティケイトされるであろう
余白があることにも瞠目しました
ネタバレBOX
前半、前方の光で演じられる動きに取り込まれて・・・。
車の音なども聞こえてくるその場所は
都会の広場のようにも思える・・・。
仲間たちが序列でも作るように絡まり合っていくj。
互いが動きをからめ合うようにして
関係性が生まれていきます。
これががっつりと見ごたえがあって。
シーンが進むにつれて、パワーが大きく広がっていく。
まるで空間に流星の絵を描くようなシーンがあったり
よりスピード感をもった開放感のあるムーブメントが出現したり・・。
まるでパチンコにはじき出されるように空間を疾走していく。
その動きの鋭さにはぞくっと震えがきました。
私をつなぎとめている何かを凌駕するような力があって。
しかも、ただ圧倒的によいだけではないのです。
ダンサー間にはそれなりに優劣があったり
見ていて素人目にもユニゾンの力がもっと引き出せるなと思ったり・・・。
これだけの力に触れて
これが頂点であるというような感覚がないのもすごい。
完成したダンスではなく、さらに埋められる余白を感じるところにも
魅力を感じて
あれやこれやで、観終わった後、良い意味でぼうっとしてしまいました。
万人向けかといわれると、ちょっと違う気もするのですが、
十分すぎるほどの見ごたえのあるパフォーマンスでありました。
満足度★★★★★
やわらかく倒されるドミノの秀逸
登場人物たち自身の感覚が伝わるだけでなく
それぞれが自ら観ることの出来ない姿が
浮かび上がってくるような・・・。
幾重にも倒れるドミノから
それこそ滲みだしてくるような
キャラクターたちの想い。
息を呑み、
舞台に釘付けになってしまいました。
ネタバレBOX
リラクゼーションの場ということで
従業員同士にしても、
そこにやってくるお客様にしても
ある種の気遣いに満ちた空間。
しかし、舞台上の雰囲気に馴染んでくるうちに、
そこから浮かび上がってくるキャラクターたちの
生々しい想いから
目が離せなくなります。
過去の恋人たちの再会や移植手術のことなどが、
あざとさを持たないのは、
そこに描きこまれた当事者たちの思いの質感が
観る側にそのまま入り込んでくるほどにナチュラルだから。
たとえば男の手が汚れたときに
石鹸だと肌があれることを心配をする元彼女の雰囲気から
二人が過ごした時間がすっと浮かび上がってくる。
あるいは顧客への対応や店長のこだわりから
ベテランのスタッフにやってくるいらだちが
少しずつ満ちてくるのが
言葉にならない積み重なり感をもってやってくる。
報われなかった募金活動の苦渋から生まれた
常連客の「正義」の鎧が
ロミロミの癒しとかさなりあうことにも
息を呑む。
元彼女のいるその店につれてこられた男に降りてくる
フィアンセの「正義」やコアに対する戸惑いは
解像度を持った
すくみ上がるような女性の実在感とともに
観客をも圧倒していきます。
ゆっくりと倒れていくドミノがそこにあって
キャラクターそれぞれの埋もれていた想いが
やわらかく溢れるように現れて
観る者を浸潤していく。
同じその場所の朝なのに
前半のシーンと終幕間際では
全く違う色が浮かぶ。
しかもそれを破たんではなく
続いていく日常の一コマへと収束させていくところに
作者の視座や作劇の秀逸を感じて。
終盤の手のぬくもりのエピソードで示す
ベテランスタッフの今の姿にも瞠目。
役者の演技も実に丁寧で安定感があり
浸透力をしっかりと内に秘めていて。
一つずつのシーンに
吸い込まれるような奥行きが生まれていました。
やわらかいタッチのお芝居なのですが、
やってくるものはとても強い。
拍手をして客電が戻ってもしばらくぼぉーっとしておりました。
べたな言い方ですが
前回公演に続き
がっつりとはまり込んでしまいました。
満足度★★★★★
密度が高まるほどに和らぐ空気
エピソードの一つずつから感じられる
家族それぞれの視点。
物語の仕掛けにも気持ちよくやられて。
丁寧に描かれるが故の軽さと
淡々とした色に
ゆっくりと深く心を染められました。
ネタバレBOX
物語の筋立てがとてもしたたかだと思うのです。
ごく前半のシーンで、
まるで舞台装置を見せるように家族を紹介し
さらには、飼い猫のたまの姿を暗示。
そのスキームで物語を見せることで
日々の生活描写だけでは見えない家族の心情が
手に取るように観る側に伝わってきて。
少しずつ崩れるように残った男たちの心情が
お試し家政婦との会話の中からやわらかくあぶりだされてくる。
お試し家政婦というか、たまに残された時間がなくなり、
舞台の密度がじわりと高まっていくなかで、
かえって家族の過ごしてきた「いつも」の和らぎのようなものが
増してくる不思議・・・。
見よう見まねの碁のエピソードから伝わってくる
にゃんとも秀逸な視線の作り方に、
観る側の心がやさしく満たされて。
お坊さんを登場させてからの、
物語の膨らまし方なども本当にうまいと思う。
別れを悟った上でのわがままとその答え方から、
一緒に暮らしたものへの惜別の気持が、
きちんと描きこまれたが故の軽さで伝わってきて、
なにかが降りてくるような感じで、目頭が熱くなってしまいました。
カレーの匂いに、
ふっと夢から醒めたような
いつもの日曜日の夜がやってくる。
同じ色の時間のなかで
少しずつ変わっていくものへのいとしさや切なさが
深く伝わってきたことでした。
満足度★★★★
甘さのいろんなアスペクト
キャラクター達を癒す甘さと傷つける甘さ、その安定と危うさの双方に取り込まれて、見入ってしまいました。
ネタバレBOX
冒頭のイメージがすごく効いていて、
実は崖っぷちを歩いているような危うさが
キャラクターたちには内包されていて・・。
それを包み込むような雰囲気が
甘い匂いとして舞台からやってきます。
甘さって、薄ければ物足りないし
同じ甘さだと飽きるし
強い甘さは甘美ではなく、逆に苦痛になったりもするわけで・・・。
その甘さに慣れる気持ち
甘さから離れられない気持ち、
さらには甘さから逃げ出したい気持ち。
キャラクターたちの抱えた想いが
実は素の素材として冷徹にそこにあるから
それらを包み込む「甘さ」の吸引力と嫌悪感に
テイストの違いがしっかりと感じられる。
去り際に男が工場の匂いが嫌いではないといい、
そこには女たちの匂いがあるからとつなげるくだりには
物語が持つ空気感が凝縮されていて
鳥肌が立ちました。
役者たちのお芝居のクオリティにも惹かれましたが
なにより桑原戯曲・演出に込められた
彼女の臭覚の切れのようなものに
瞠目したことでした。
満足度★★★★
ずるおもしろく、したたか。
世間が多少揺らぐ昨今、
まともにぶつかれば
それなりにリアルな匂いが付きかねないような内容を、
ずるおもしろく茶番に仕立て、
作り手の時代に対する醒めた達観を見事に観客に提示しておりました。
ネタバレBOX
戦後の学生運動がずっと左っぽかったのは確かで、
それが戦前っぽいの右に揺れもどるという発想が、
舞台上では、ある意味とても新鮮かと。
まあ、ネチズムなどの世界では
それなりに当たり前のトレンドなのかもしませんが。
しかも、この手の話をすると、けっこうついてくる
思想の臭みをたっぷりの茶番で抜かれているところが
とてもよい。
右であろうが左であろうが
肯定しようが否定しようが、、
臭みが出やすいことに変わりはないわけで・・・。
思想が人をひきつける力と危うさを
教条的にならず
しっかりと見据えて、逃げずに表現するあたりに
「キャバレー」や「サロンキティ」といった映画での
ナチの匂いの描き方のしたたかさを
思い出したりもして。
歴史的な事実は、ただ事実として存在し、
それにかかわった人間は人間臭くそこにある・・・。
Part3のカセットテープの裏表に重なった。
その表現のアイデアにはちょいと舌を巻きました。
事実をあるがままに受け止めるのは当たり前の話なのですが
それを、ありのままに表現し受け止める意志や力って
具象化するのがけっこう難しいように思うのです。
事実を公表する理をしっかりと説いて
それを方便と言い切る編集者の持つある種の健全さには
かなり魅せられました。
こういう、しっかりとした力を持って逃げない中庸さの表現って
がっつりしたしたたかさがないと
できないことだとも思うのです。
それにつけても、山口百恵ですよ。
その取り入れ方にはやられました。
あまりといえばあまりなあからさまさ。
引き倒されるように笑ってしまいました。
奥行を持った作品だからできる荒技なのでしょうけれど・・・。
前述の匂い消し効果も抜群で
薄っぺらさが浮くことなくスパイスのように
観る側に効いてきたことでした。
満足度★★★★
いろんな距離感
群像劇でもあるのですが、
一人の人物にたいする距離感が
結果的にとてもしっかり表現されていて
その描き方が印象に残りました。
最初の部分には
戸惑うような役者たちの空気があるのですが、
それが後半になると物語の質感にしっかり効いてくる。
終わってみれば人のつながりの感覚が、
細かく伝わってくる作品でありました。
ネタバレBOX
冒頭のシーンはともかく
その後の時間帯は、
観ていてもあまり居心地がよくない。
舞台にいる役者が、空間を作ろうとしているように
思えないというか・・・。
しかし、舞台の人数が増え
シチュエーションが観る者に伝わってくるにつれて
最初のシーンの空気にしっかりとリアリティが感じられるようになるのです。
死んだサークルの友人に対する、一人ずつの距離感が
とても細かく伝わってきて、
その中で、いろんな角度から死んだ友人の一面が浮かんでくる。
しかも、同じような距離感の中で、
生きている人間どおしの、つながりがそれなりにありながら、一方でどこか希薄な空気感がじわっと感じられてくる。
その「じわっ」感が最初からずっと貫かれていることに気がついた瞬間、冒頭の空気に感じたとまどいや平板な感覚が、物語の質感としてすごくヴィヴィドに広がってきて。
しかも、死んだ人間との関係だけではなく、友人や男女の関係の肌触りにもしっかりと実存感があって、観る側がどんどんと取り込まれていきます。
終盤、サークルのメンバーが見ていなかった彼の姿が、他のサークルの人
間や、女性、さらには死んだ友人の父親から、彼らが見ることのなかった人物像が提示されて。
生きていくライブ感の密度のようなものに、役者に加えて作・演出の秀逸を思ったことでした。
満足度★★★★
修羅場の不思議な透明感
非日常の世界どころの騒ぎではない修羅場なのですが、
時間に不思議な透明感があって
ずるずると惹きこまれてしまいました。
ネタバレBOX
先に同じ色をした別の物語(生きているものなのか)を観ているので
物語の行く先へのドキドキ感はやや薄れてしまったかも知れません。
それでも死から浮き出してくるような
人の根源的なものに目を見張り続けることになりました。
突然やってくる死のシーンの驚愕から、
次第に死が確実にやってくるように場の雰囲気が変化していくところに
凸凹感がなく、
エピソードが織りあげられていく中で、
修羅場に変わっていく舞台の変化が淡々とやってきます。
恐怖で舞台上のキャラクター達を観る観客の目を曇らせることのない、
苦痛に達観をさらっとひと振りしたような死に方の設定が実にしたたか。
前半と後半の死から生まれてくる感情の共通な部分と
後半の死に付随する諦観から見える死への理性のようなもの。
死にゆく人々それぞれが抱える
生のトーンの違いのようなものまでがしっかりと見えてきます。
実は結構笑ってしまった。
思わず声が出るほどに笑ったシーンもあって。
でも、新作側でもそうだったように
それらのシーンは、笑いが過ぎた後、すっと心に入ってくるなにかに、丁寧に裏打ちされているのです。
死に際して人を抱きしめようとする仕草の説得力。
よしんばなにかを伝えたい人や支えてほしい人がそばにいても、
死のその時には伝わらない姿がおかしく悲しい。
喫茶店のマスターが女性との距離を測るところから生まれてくる小さな慰安も秀逸。
その女性が首を絞めるシーンには驚きはあっても違和感がなくて。
この世の終わりと騒ぎ立てるのではなく
ゆっくりと崩れ落ちるように死に絶えていく世界・・。
修羅場にある人々に漂う
純粋な部分の不思議な透明感にやわらかく漬け込まれたような感じを、
たっぷりと味わうことができました。
戯曲が持つ広さや重さが、終幕の暗転とともにどーんとやってきて、愕然とする。
たっぷりと戯曲の世界に取り込まれていることに気がついて。
質量を感じさせずに観客の内側に積んでいく、前田作劇にやられてしまいました。
満足度★★★★★
するっとせつない
日程の都合で
旧作を後回しにしてこちらを観たので、
旧作の予備知識はあったものの
最初ちょっとわかりにくかったのですが・・・・。
法則がわかってからは舞台にしっかりと入り込むことが
できました。
ネタバレBOX
時間の流れのルールというか
塊で少しだけ前に進んでまた戻るというリズムに
慣れてくると一気に面白くなりました。
逆引きの伏線からみえてくる物に
すっと視野が開けたような感じを何度も味わって・・・。
先に結果が置かれていることで
観る側には舞台の出来事が
時を待たずに響いてきます。
平家物語よろしく
冒頭に諸行無常の結末を叩きこまれているから
一つずつの出来事が
どこか滑稽で、でもべたべた感がなくすごく瑞々しく思えてくる。
想いの変化や、感情の流れ、
いろんな出来事への一喜一憂が、
すべて消えてしまうことを知らされているから、
舞台上に表わされる言葉や動作の一つずつに
べたな言い方だけれど、生の息吹が感じられるのです。
戻ってはシーンの時間だけ前に進み、
また時間が戻っていく。
スイッチバックのように細かく物語を戻していくそのやり方に
作・演出のしなやかな相違を感じて。
多分、旧作側を観てから新作を観る方が
より短い時間で新作側の時間の流れに入り込むことが
できたのでしょうけれど、
舞台の時間が進むのと反比例して
高まった不安感がだんだんに薄れていくことへのやりきれなさなどは
いきなり新作から見たことでより体験できたのではと思います。
戯曲のしたたかさに加えて、繋がりや感情を細かくつなぎながら時間を戻っていく役者たちのお芝居の緻密さにも瞠目したことでした。
ほんと、たっぷりとおもしろかったし、笑いに含まれる切なさが心を満たしていくような作品でありました。
満足度★★★★★
沁み入るどうしようもなさの先
どこかチープな内輪もめ感に
人生の重みがすっと乗って。
笑って、外されて笑って、巡って突き抜けてさらにおかしくて。
その、一番奥にある正直な感覚に、
深く浸潤されて。
MCRの世界を堪能しました
ネタバレBOX
多分、物語のプロットだけを聞いたら
とても笑えるようなお話ではないのですが、
そこに、櫻井流の切り取り方や
人の表し方が重なると、
絶望感を蹴飛ばすような絶妙なおかしさがはぐくまれ
心をすっと浸潤するような軽さと深さが生まれる・・・。
ガンの告知の場面にしても、
両親のことにしても、
お姉さんの恋のことにしても、
1万円の巡り方にしても・・・・・。
厳然とした事実があって、どうしようもないようないき詰まりが生まれても、その先の時間が普通にやって来て、物事が糾える縄の如く進んでしまうことのおかしさ。その突き抜けた感じや、受け入れるしかないことへのペーソスがたまらなく良いのです。
痛みは包丁を振り回すほど深い痛みとしてそこにあって、でも、過ぎ去ってしまった時間や過ぎ去る時間の感覚がその色をしなやかに変えて。
キレよく突んでおいて
その突っ込みを打ち砕くようなぼけの説得力にやられたり、
しっかりと絞り取ったように見えたエピソードがさらに膨らんで
深く取り込まれたり。
借金取りの「実は良い人」ぶりや、終盤に現れる幼いころの姉のイメージから、物語の世界観がしっかりと固まって。うまいなぁと思う。
役者たちも、ゆとりを持って絶妙な間を作っていきます。客席対面の舞台もすごく良く機能していて、腰の入った役者どおしの絡み方をとても自然な感覚で味わうことができて・・・。
パンとミルクセーキが醸し出す、逃げられない・・・、逃げたくもない、その時間のいとおしさに目が潤んでしまいました。
力むことなく深く、さらに磨き上げられたMCRの世界にますます惹かれてしまいました。
満足度★★★★★
IN&OUT
半日がかりでKorea VersionとJapan Versionを観ました。
Korea Versionは戯曲の世界にどんどんと取り込まれていく感じ、一方Japan Versionは戯曲の世界からの広がりを深く感じる作品でした。
ネタバレBOX
Koreaバージョンは、さまざまな手法が駆使されながら、戯曲の流れを押し広げるように物語が膨らんでいきます。
多田手法というか、舞台に人と人との関係性が生まれる冒頭から、観る側が物語の世界に包まれて。
表現の豊かさ、与えられたメソッドを武器に変えていく役者たちのパワーは、それなりに大きさのある空間をもはちきれんばかりに満たしていく。舞台後方に張られたスクリーンに映し出される文字や影が、さらに舞台を膨らませていきます。
役者たちの韓国語は当然に理解できず、頭のなかにある戯曲の流れと、スクリーンに映し出される日本語訳を頼りに物語を追っていくのですが、スクリーン上の訳の提示も単純なプロンプターからの情報というよりはひとつの表現になっていて、マンガにたとえると人物についた吹き出しというより、背景に描かれるさまざまな効果のような感じで観る側に入ってくる・・・。このことが、観る側を一層強く物語にのめりこませていきます。
それにつけても輪郭の太さに目を見張る舞台。一つずつのシーンがメソッドを武器に深く強く心を揺らしてくれる。ジュリエットの想いを女優達でガールストークのように編みあげていく部分のヴィヴィドさや、両家の争いのシーンの洗練。
初夜が開けた朝の二人の想いの質感や、ジュリエットの死を何倍にも重く背負うロミオの心情、さらには自ら死を選ぶジュリエットの愛に殉じる高揚・・・。良く知った物語でありながら、さらに一歩引き入れられて、自分が頭のなかに持っていたロミオとジュリエットの物語がとても陳腐なもののようにすら思えてきて。
観終わってしばらく舞台の世界から抜け出せませんでした。
終演時の2度のカーテンコールですら足りないような気がしたことでした。
Japan Versionは、まず、スクリーンに「Text」と表示されたとおりに、戯曲の紹介から始まります。ショーアップされた形でちょっとクロニクルっぽくスクリーンに戯曲の一部を提示して観客に読ませる・・・。
坪内逍遥訳の提示が効果的で、戯曲そのものが観客に表わすもの、台本に書かれた言葉が見る側に発するニュアンスや色が抽出され伝わってきます。ライティングや音楽から生まれるコンサートの直前のような高揚感がなにげにしたたかで。
次に「Human」と表示され、素のライトの下、役者が舞台上に並んで順番に自分の恋愛体験を語り始めます。すごくナチュラルな語り口で、虚実はよくわからないのですが、観る側が心をすっと開くような雰囲気が醸し出されて。そのトーンというか流れのままにでキュピレット家のジュリエットさんの話を・・・、聞いてしまう。戯曲のお仕着せを脱いで私服で楽屋口から出てきたような、素顔で等身大のジュリエットの心情に、笑いながらもなぜかうなずいてしまって・・・。
そして「Text&Human」、前の二つの要素が重なる中、作り手側の目隠しでの物語の模索が始まります。
何から目をふさいでいるのか・・・。周りというだけでなくかつてのロミオ&ジュリエットの作品のイメージまでリセットされるような印象。
舞台の上ので探りのなかで語られる台詞は、やがて見えない者どおしで絡まりあい膨らみ始める。そこから少しずつ動作が生まれ、スクリーンの文字が遊び、音がやってきて戯曲から溢れ出てくる感覚がどんどんと具象化されていく・・・・。
観る側からすると、戯曲が作り手たちの創意にふれて線描として次々に描かれていく感じ。そして、手で周囲を探り足で舞台のエッジを確かめながら、台詞を頼りに模索し徘徊する役者たちの姿に、作り手たちの創作の苦悩を感じて・・・。でも、芽生え、揺らぎながら膨らみ、舞台上に形となり、そこから舞台を超えて施設全体にまで広がる表現に、雛鳥が貪欲に餌を啄ばみ、羽根を広げ、やがて羽ばたき始めるような、ぞくっとするような創意の飛翔への過程を感じるのです。
ブリッジで語られる台詞に文字がクルっとひっくり返るようなシンプルな遊び心から現れる質量を持った何か。朝を告げるひばりの声はずるいと思いながらも個人的にツボで、こういうウィットが作り上げる舞台のニュアンスがどんどんと世界を豊かにいくようにも思えて。コインを危なっかしく投入して「毒薬」を手に入れる姿に薬入手の不思議なリアリティを感じたり・・・。カメラを使ったライブ感(館内の道程をしめすグラフィックもよい)や、スクリーンに映像として具現化される霊廟のシーンにも瞠目・・・。
そして、いったん目隠しを取った役者が、再び目隠しをつけて手探りを始める姿に、限りのない演劇の深淵を思ったことでした。
戯曲にひたすら惹きこまれていくKorea Version,戯曲から次々となにかが現れていくJapan Version。戯曲に対してのIn&Outを半日で体験したよう。観終わって、なにか抱えきれないほどに満腹なのですが、その感覚には演劇という筋がしっかりと通っているから、すっと心に吸い込まれていく感じがする。
そして、劇場を出るとき、満足感だけではなく両Version(特にJapan Version)のさらなる広がりの予感とそれを観たいと渇望する気持ちがやってきて・・・、自分の貪欲さに驚愕したことでした。
満足度★★★★
それぞれの作品が何かを超えているから
確かに4時間でしたが、時間はそんなに感じませんでした。
終演後立ちあがって、初めて腰の感じに座り続けていた自分を自覚した・・・。
それぞれの作品が、戯曲の設定やせりふを超えた何かを作り出しているから
観ていて飽きないのです。
開放的な会場の雰囲気も、うまく機能していたと思います。
ネタバレBOX
長編二つに短編が三つ。
長編についてはWIPを拝見していました。
・星々を恐れよ(長編)
主人公を演じる佐野功のお芝居が淡々とペースメークをして、他の出演者たちが彼のリズムをベースにお芝居をしていく感じ。登場する個々のキャラクターの想いが佐野の色の上でしなやかにくっきりと浮かび上がり、そこから今度は佐野のキャラクターが緩やかに強く伝わってくるのです。
ある種の達観がもたらす不思議な軽さがすっと作品全体の色を染めて、義父の死にも説得力が生まれて・・・。
キャラクターたちの表現にもぞくっとくるほどに瑞々しく秀逸なところがありましたが、それらがすうっと消えて一つの色に変わるような終盤にも瞠目しました。
WIPの時と比べて、統一感が作品にあって、それゆえ個々のキャラクターにしっかりした実存感が生まれていて・・・。その密度の高まりに目を見張りました。
・工場でのもめごと(短編)
冒頭の押さえた感じや雰囲気作りがしっかりと効き、後半の力技に圧倒的なグルーブ感が生まれました。
大川と百花の相性が凄く良いのでしょうね・・・。互いが互いの力をぐいぐい引き出すような感じ。完璧に決まっていく台詞が観ている側はもちろん演じている側にとってもすごく心地のよさそうな熱を醸成していく。
この境地まで演技が磨きこまれているからこそ、戯曲に内包しているニュアンスがパンチラインで解放される。戯曲が求める「演技の卓越の領域」に二人ががっつりと足を踏み入れて・・・。
なかなか体験できないような突き抜け感に、観終わって拍手をしながら心が躍っておりました。
・熊 (短編)
境宏子が冒頭からしっかりとキャラクターを演じ上げます。自らを律し支える女性がひとけた違う解像度で現出した感じ。ロシア人女性の自尊心がしなやかな演技から沸き立つよう。そこにやってくる白鳥の愚直さや頑固さも筋金入りの感じ。そして二人のお芝居にはキャラクターの内側に満たされた資産家としての教養や知性がしっかりと折り込まれているのです。
それぞれの言動が相手の触媒となり怒りが膨れ上がっていく姿にぐいぐいと惹きこまれました。舞台のテンションというか質感がしなやかに増していく感じ。で、観る側が頂きまで連れてきてもらっているから、怒りの対象が憧憬に変質してく終盤にも不自然さがない。チェーホフの面白さってこの質感のクオリティが前提なのかも・・。
双方の中間にある戸谷のお芝居の間が、随所で場の雰囲気に豊かさを付け加えて。
ほんとうに面白かったです。
・かんしゃく玉(短編)
百花がいきなりロシアから日本に舞台をトリップさせてしまいました。
この人がつくる、その時代の色が本当に秀逸。観る側が何かを考える前に、舞台の雰囲気に染めてしまうようなしなやかな力を感じました。で、貞淑さにちょこっと世渡りの器用さを持ち合わせ、でも、その気持ちが揺らいだ時伝法な気持ちをかんしゃく玉にゆだねる空気がすごくよい。その、ちょっと息詰った内心の色にかんしゃく玉の炸裂音がほんとうにあうのですよ。
主人や主人の友達との関係にも、暖かさとペーソスがバランスよく配されて、ヘチマコロンの瓶の使い方が絶妙におかしい。
かんしゃく玉の破裂音から伝わってくる溢れそうな想いから、夫婦間の機微を演じる役者の繊細な表現力を感じて。
その空気感に浸り、物語の肌触りに魅了されてしまいました。。
・奴隷の島
実は、WIPを観た時にはけっこう不安を感じた作品。
その時には、なにか箍を失ったような印象があって、
なんというか個々のお芝居が、キャラクターの個性を頼りに、あちらこちらに観客を引っ張っているようにすら感じて・・。
パーツの良さはあったのですが、物語全体を包むだけの膨らみが決定的にかけている感じがしました。
でも、本番では、作品に物語の枠組みと広がりがしっかりと生まれていて。
本番を見て感じた一番の違いは大川の突っ込みのよさ。WIPの時にあったためらいが消えて、抜群のクオリティとタイミングで突っ込みを差し込んでいきます。それが、大川演じるお姫様がもつある種の無神経さというか傲慢さを現わすだけではなく、他のキャラクターの独善性を際立たせていくのです。
奴隷たちと島の住人を演じる3人には、独演会に近いシーンが用意されていて、役者たちもすべてを解き放ったような大迫力のお芝居を展開していきます。これらが圧巻。ついひと膝前に乗り出してしまうほど。伊沢の王子様がもつノーブルさや若さというかひ弱さにもだっぷりの実存感があって。
それぞれのお芝居が枠を外れて突き抜けそうになるところを、大川が突っ込みでうまく一つの箍の内側に収めるから、ラストの大団円の常ならぬ高まりが唐突にならないで、まっすぐに膨らんでいくのです。
もっと昇華させることのできる部分もあるとは思うのですが、それでも、黒澤演出がこの古い物語をよくここまで運んだなと思うし、それを具現化させる役者の力もそれぞれに半端じゃない気がするのです。
******** ********
観ているときには疲れなど感じなかったのですが、6時に始まったお芝居が終わってみれば10時近く。作り手の真摯さが、観る側の時間間隔を失わせたような舞台でありました。
満足度★★★★
みせる力を見せつけられた
マヤコフスキィを借景にしたという側面も
伝わってきましたが、
何よりも「芝居」そのものへの
ぞくっとするほどの鋭さをもった表現に、
何度も目をみはりました。
劇場の大きさを味方につけて、
たっぷりと劇団の力を発揮していたように思います。
ネタバレBOX
私自身もあとでWebの検索をして得心がいったのですが
マヤコフスキィの知識を少しでも入れておくと
舞台の骨格がより鮮やかに浮かび上がってくるかと思います。
まあ、当日パンフにはフィクションであると明記されているのですが
「借景」を「借景」として利用するための一助になるような気がします。
前半の舞台の表裏を描くシーンにまず瞠目、
同一キャラクターの入れ替わりやプロンプトの扱いなどから
舞台という表現の構造や舞台が動いていく仕組みや
表現が時代を染めていく姿が
浮かんできます。
時代や表現の停滞や活性化、物語の整理、役者たちがどのようにして舞台上に物語を紡いでいくか・・・。さらには時代が物語を、あるいは物語が時代をどのように変えていくかまでが、舞台上に具象化されていきます。
最初の演劇が高い評価を得た後の演劇の停滞のシーンがなにか暗示的。
日本の小劇場の流れを示唆するような舞台表現が差し込まれるのですが、これも絶品。体制を納得させうるようなお芝居をさらっと具現化してみせるシーンの鮮やかさにも息を呑みました。
作り手側の苦悩や人生の顛末、さらに彼の作品が現代に残っていく感覚の差し入れ方もとてもしたたかに思えて・・・。
舞台空間の高さや間口の広さを生かした巨大なパネルの使い方や、劇中劇の表現がすごく効果的でした。また、また空間に負けないというか、空間をしっかりと使った演技をしている役者たちにも付け焼刃ではない芝居力を感じて。古い役者たちや客演陣の底力に加えて、数年前に入団してきた辻沢、浅田、青戸、河野、熊懐といった役者たちが、存在感をしっかりと作り分厚く舞台を動かしておりました。
一つずつの場面の秀逸さに目を奪われて、全体を貫くものがいまひとつ見えにくい感じはあるのですが、でも、一人の作家の演劇に対するかかわりを俯瞰するような感覚はあって。
劇団のみせる力がとても印象に残ったことでした。
満足度★★★★
とても豊かなお芝居
したたかに組み上げられた物語の肌合いと
がっつりとした会話に取り込まれ、
役者のとても秀逸なお芝居に惹きこまれて・・・。
エンタティメント性もたっぷり。
そして切なさがすっと心に残る
本当に豊かなお芝居でした。
ネタバレBOX
脚本がすごくしたたか。
駄弁のように思える会話に
実は無駄がなくて
まるで種から芽が出て成長するように
舞台上に自然に物語がひろがっていきます。
そこにはあざとい説明なんてひとつもなくて、
でも、ウィットに満ちたシーンの積み重ねから
すらすらと物語が観る側に入ってくる。
この物語の広がりが、べたな言い方なのですが
すてきにおもしろいのですよ。
どこか嘘っぽかったりスパイシーな部分もあるのですが、
それがまた、すごく良いのです。
キャラクター達のちょっと癖のある設定も
抜群のセンスに裏打ちされていて。
で、終盤には観るものをすうっと染める別の色があって。
しかも、そのキャラクターを背負う役者が本当によくて・・・。
客入れ時からずっとでずっぱりの服部弘敏さんがとにかく圧倒的。
どこか荒っぽさを秘めたキャラクターを凄く緻密に演じきって
観客を最後まで導いてくれました。
他の役者たちも役柄の個性をくっきりと浮かび上がらせて、
しかも本当にお芝居に心地よい締りとゆとりがあるのです。
シーンの目鼻立ちがはっきりとしていて
よしんばだらだら感に満ちた時間にすら
ある種の切れを感じたり。
そうそう、新谷真弓さん、
あらためて、この人は凄い。
ふつうの役者さんと排気量が違うというか・・・。
一瞬ごとにくっきりとしたお芝居というか、
刹那ごとの切れが恐ろしいほどの解像度でやってくる。
でも、舞台上をいたずらに凌駕し尽くすわけではなく、
存在感をもって舞台にすっと収まって、
演技の円熟とはこういうことなのかとひたすら瞠目。
また、この人が歌う終盤の一曲にもやられました。
特徴のある声にまず魅せられて。
しかも歌の入り方に探りがないというか
すっと聴く側に色が生まれるのです。
生で伝わってくる不純物のないボーカルからは
不要な力みや重さが美しく削ぎ落とされて
ピュアなスピリットと浮き立つような「歌う楽しさ」が伝わってきます。
目の前でその歌を聴く・・・、まさに極上のひと時でした。
おまけの次回予告も絶品。
主宰の方に次の公演が2011年といわれてちょっと悲しい気持ちになり
でも出来れば2010年にはやりたいと言われてなんかうれしくなる。
観る側にとってそこまでのクオリティを持ったお芝居でありました。
ちなみにちょっと早めに劇場について
ふっと座った席がトイレへの通路付近の前列、
お芝居がはじまってみるとこの辺がまさに特等席。
常ならぬほどのお芝居の豊かさを体感できます。
ご参考まで。