満足度★★★★
小さなスペースでの大ネタ
姉妹それぞれの性格の作りこみに
密度と枠を超えたような
表現の広がりがあって。
観る側にシチュエーションが馴染むにしたがって
キャラクターたちの感情の色や起伏が醸し出す
密度の濃淡にがっつり惹かれていく。
小さな空間ならではの
描き方もしたたかで、
時間を忘れて持っていかれてしまいました。
ネタバレBOX
劇場は舞台もそれほど大きいわけではなく
4人がたてば、結構満ちる。
だから、装置にしても
小道具にしても
どこかコンパクトにデフォルメされていて。
その中で演じられる物語も、
流れからすると派手さがあるわけではない。
どこかコミカルさすらもった、
姉妹の姿の描写の態であったりもする。
でも、その土台のなかに組み上げられていく
登場人物の想いの表現には
その舞台の大きさや
様々な具象でのリアリティのそぎ落し方からは
思いも及ばない表現のふくよかさがあって。
シチュエーションの設定や、
会話に織り込まれたウィットを足場にして、
描き出されるキャラクターの内心には
圧倒的な豊かさがあって。
妹やその彼氏、恋の相手・・・、
一人ずつのキャラクターの作り方に
ぶれがない。
だからこそ、姉の心情の閉塞や
箍が外れた時の広がりが舞台を鮮やかに席巻する。
その姉の心情の起伏には、
一色に染まるのではなく
微細に重なり変化していく想いの質感、
さらには観る側にも息を詰めさせてしまう、
半生を背負ったような想いのありようの刹那ごとの豊かさが
紡がれ、織りあげられていて
がっつりと取り込まれる。、
しらっとシチュエーションを組み上げる
作家の技量も実に秀逸だし、
その感覚を場に供する演出や共演者たちにも豊かな技量を感じましたが
なにより、へたることなく貫き演じ上げるこの役者の表現に
直球で心を奪われて。
キャラクターが持つ不器用さが
観る側のいらだちとなり、
躊躇に重なるあやうい解き放たれ感が
観る側のなにかを広げる。
キャラクターの想いに
つぎはぎ感やへたれ感をまったく感じさせない演技は
観る側に、単なる物語の流れだけではない
舞台への肌触りと感慨を残していくのです。
なんだろ、観ているうちに、
脂の乗った噺家が、
どこか脱力感のあるまくらから
大ネタをしなやかな緩急とともに語りあげていくのを聴くような
グルーブ感に満たされる。
観終わって、俯瞰しているものの
暖かさとビターな感触が
どこかコミカルで、にもかかわらず
驚くほどにとても愛おしく思えて。
劇場の風情や舞台美術などからは
とても想像しえないような満たされ感が残り、
作り手や演じ手たちの力量に改めて
舌を巻いたことでした。
満足度★★★★
白Verを・・・
残念ながら両バージョンを拝見することはかなわず、
白Verのみを拝見。
作り手の掌にしっかりとのせられてしまいました。
ネタバレBOX
空間の使い方がしたたかで、
2か所に置かれた舞台空間が
物語の感覚を会場全体にひろげて・・・。
コメディとミステリーのテイストが
バランス良く配されていて、
物語の展開に幾重にも惹かれる。
シンプルな物語のように思えて成り行きを追っていてると
意外な奥行きがあって、
自然に前のめりに観てしまう。
で、解き放たれる状況を追いかけて、
舞台の空気と一体化して
構造を読み切ったと思ったあとに
もう一度様相ががらっと逆転して・・・。
語られ方がフェアなので、
きれいにひっくり返された感が
心地よい。
その後の舞台のペースも
観る側に更なる余韻を創り出して・・・。
ほんと、見事にやられてしまいました。
満足度★★★★
タンサーと舞台美術の相乗効果
舞台美術という建前が
確信犯的に使われていてとんでもなく面白かったです。
ダンサーたちの秀逸さを楽しみながらも、
オブジェ的な舞台美術に強く心を惹かれる。
無機質を装うことで滲みだしてくる
すてきにどこか曖昧で、
人間臭い生々しさにも
やられてしまいました。
ネタバレBOX
STスポットの素舞台、
3人のダンサー達のパフォーマンスの描き出すものには
まがいものではない切れと
圧倒的な豊かさがあって・・・。
コンテンポラリーダンスのメソッドをしっかりと持って
作り手独特のウイットと広がりのある表現に
まずは目を奪われる。
で、舞台美術の皆様も、
オブジェっぽく形を作っていく。
最初は当日パンフレットのクレジットどおり、
体を使った舞台美術くらいの気持ちで眺めている。
でも、そのオブジェたちが
ダンサーたちの動きに対して
だんだん無機質に見えなくなってくるのです。
冒頭に観る側の頭に置かれた、
美術であるという前提を乗り越えて
眼前に広がる個性のようなものが
次第に沁み出し観る側に流れこんでくる・・・。
ダンサーたちの編みあげるイメージが
舞台を満たせば満たすほど
舞台美術諸氏から引き出されてくるものがある。
それが、ダンサーの動きとして定義されていないことで
観る側には多層的な印象が現れる・・・。
こう、上手く表現できないのですが、
ダンサーたちと舞台美術の
それぞれが相乗効果となって、
互いが互いをさらに浮かびあがらせるのです。
舞台美術と称するものが
観る側の視野を遮ることも、
ダンサーたちの動線を阻害することも
あるいはひとつのニュアンスにマージしていくことも
これまでに観たことのないような
豊かさを引き出していく。
気が付けば、
作り手がしたたかに差し込む
舞台美術たちの舞台の外側での素の質感にも導かれて、
観る側の視野は
舞台の編み上げられたイメージの
もう一歩外側にまで広げられていて。
ダンサー達の動きと同じくらいに・・・、
いや、それ以上に舞台美術の皆様の
それぞれの個性が観る側に入り込んでくる。
これ、おもしろい・・・。
ダンサー達の表現のクオリティが際立っているからこそ、
見えてくるものだとは思うのです。
でも、同時に舞台美術の皆様それぞれの
素材を引き出す力が
仕組みに内包されていて、
彼ら一人ずつの個性が素敵に目に入ってくる。
終わってみれば
むしろ、ダンサー達が彼女たちが表現するものを
時には逆転して
オブジェであるべき
舞台美術の皆様の印象の方が強く鮮やかに残ってしまうほど・・・。
それらを見栄えにして、
ニュアンスの塊に仕立て上げる
作り手の慧眼と構成力の秀逸さに舌を巻く。
ほんと、幾重にも惹かれるものを持ったパフォーマンスだったし、、
この作り手だからこその、
さらなる広がりの可能性を持ったメソッドのお披露目のようにも
感じたことでした。
満足度★★★★
物語が場に息づく
シンプルだけれど、
とても豊かな演劇の空間だとおもう。
4つの物語それぞれが
役者達に誘い出されて
場に息づくような感じ。
物語にシリアスな重さは感じないのですが、
時間がビビッドで
光に晒されて見えるものだけではなく
闇の狭間に浮かび上がる感覚があって
浸潤されました。
ネタバレBOX
ひとつのベット、
下手側に古びた小さな木の椅子、
窓のそとからの街頭の光....
役者達から紡がれるものを
素のままで受け取ることが出来る舞台との距離。
4つの物語それぞれが、
ワンシーンでのシチュエーションのスケッチなのですが、
役者の豊かなお芝居に導かれるように、
滲み、あるいはあふれ出し、
時には垣間見えるものがあって。
そして夜の「百想」の空間には
そのとりどりに置かれたもののありようをとどめる
物語の居場所があるというか、、
観る側が対峙し、
受け取れる空気があるのです。
壁際の客席に座っているだけで
ひとつずつの作品からやってくる印象を
肌触りとともに
とても瑞々しく、と受け取ることができました。
終演後に伺うと
この場所、
演劇公演を行うのはこれが最後になるかもしれないとのこと。
最後のストーリーにに紡がれたものには
この場所への
つくり手の想いを感じることができて。
急な階段を降りながら
観る側にも、
この場所への想いが広がったことでした。
満足度★★★★★
きゅん!とくるにとどまらず
シーンたちから
瞬時のおもしろさと、
胸に染み入広がる感覚が
溢れるようにやってくる
踏み込みと下世話さと洗練をもった印象が重なりあって
時間を忘れて取り込まれる。
初日を観て、
その引き込み力に抗しきれず4日目を再見。
2度目でも飽きることなどまったくなく
むしろ、さらに浸りたいような魅力を感じました。
ネタバレBOX
冒頭のシーンの役者達の登場から
いきなり舞台に引き込まれる。
誕生の表現、
包み込むような歌声に負けない
動きやフォーメーションの広がり。
さらには、
女性たちの母性の密度にしっかりと閉じ込められて・・・。
そこからの展開にも、
ぐいぐいと引き寄せられていきます。
ギターとの出会いや、
少年のころの、
夏休みの自由研究の素敵なうすっぺらさも、
初めての体験のビビッドさも、
幾重にも色をもって、
切っ先を束ねられたり、表現のベクトルを一様に梳かれたりせず、
観る側の内側にあるさまざまな感覚を揺らしてくれる。
しばしば下世話であけすけな表現たちなのに、
そのうぶさや、とても自然な想いの交わりが
観る側に瑞々しい感覚を与えてくれて・・・。
気恥ずかしくなったり、苦笑もするのですが、
一方でまっすぐに胸がきゅんとなる。
中盤から後半の、
大人の男女の表現には
前半とまた違った色合いでの、
圧倒的な洗練があって。
一組の男女が出会い夫婦として歩みはじめる姿が
幾重にも重ねられる他の男女たちの刹那とともに
編みあがっていくのですが、
場のスピード感や、
運命的な刹那の昂揚や、
ほんの少し滑稽さをブレンドした昂揚のルーティンに
単にシチュエーションを語るにとどまらず
その感覚を、繰り返しのなかで研ぎ上げ、
普遍と個のバリエーションの広がりに昇華させていく力があって。
役者それぞれの表現の切れとノリ、
編み上げる密度、
それらが、出会い、歩み始める男女の運命感やときめきを
しなやかに観る側に流し込んでいくのです。
で、その刹那が秀逸だからこそ、
さらに先に描かれる、
夫と妻の浮気心のときめきや夫婦生活の懈怠の
洒脱さやウィットにも
がっちり掴まれて・・・。
後ろめたい楽しさのようなものに
場の空気が染まり、
なにか、人生のちょっとインモラルな踏み外しの
豊かさが際立って映える。
ラスト近くの
したたかにデフォルメされた一人旅の宿での
一夜の風情も、なんともいえず可笑しいのですが、
でも、そのシーンから満たされる
観る側の心のパーツがあって
淡いペーソスに浸されてしまうのです。
エンディングの訪れ方はどこか淡白なのですが、
だからこそ、一呼吸おいて
作品全体とともに、
人が生まれ、いろいろに感じ暮らし去っていく
その質感を感じることができて。
観終わって、拍手をしながら、
シーンたちのニュアンスの重なりからやってくる
生きることの、どこかルーズで、ふくよかて、
でもちょっぴりビターな質感に
浸りこんでおりました。
作品を観始めたときには
どこかヘタウマ的なテイストを感じたりもするのだけれど、
観る側の感覚が
舞台を描く作り手の筆先になじんでくるにしたがって、
個々のシーンや刹那が、
細かく深く描きこまれていることに思い当たる。
具象であっても、デフォルメされたものであっても
表層的な表現のそろえ方や整合だけに囚われない
コアのニュアンスをそのままに舞台におくような画法には、
絵面のピースだけではなく、
1作品全体として包み込むように観る側を
作り手の世界に取り込む力があって。
さらには、舞台美術や振り付けにも
描くもの膨らませるためのぞくっとくるようなセンスを感じる。
人によって、多少好みは分かれるかもしれませんが、
私的には超はまりもの。
何度でもその世界にはまり込みたくなるような
作品の魅力にがっつりとつかまってしまいました。
満足度★★★★★
豊かな劣情の表現
両編を観ました。
男女編それぞれにスケベ心という共通のニュアンスはあるものの、
それぞれに違う引き出しの手法を駆使してのおもしろさがありました。
しかも、両作とも、作り手や役者たちの技量にがっつり支えられて。
たっぷりと楽しませていただきました。
ネタバレBOX
劇団の役者たちを男女にわけて
実力派の客演とともに
それぞれの良さを引き出す2作品、
客席のレイアウトが変わることひとつをとっても
作り手の両作品それぞれの本気が伺える。
「セイなる夜」編
シスターたちそれぞれの体験談のオムニバス的な部分もあるのですが
やわらかい物語の重なりが
単にそれぞれのエピソードを味わうにとどまらず
さらにふくよかな世界観で観る側を取り込んでいきます。
キャラクターの表見と本音の切り分けが
したたかに機能して・・・。
どこか女性たちそれぞれの、
その境地にいたるまでのオムニバス的な側面を持った
物語なのですが、
3組の女性たちの、表と裏を別の役者で演じ分ける仕掛けが
見事に機能していて。
重ねあわされた役者たちが醸し出す空気に
不要な重複がなく、
舞台上でひとりのキャラクターのすがたとして
とてもしなやかに機能していく。
見えない括り糸がしっかりと強度をもっているから
舞台上のキャラクターの内面が複数セットで演じられても
混沌とせず、
むしろ舞台の豊かさやふくらみが乗数でやってくる。
作品のメインディッシュであるそれぞれの
「ムラムラ」も、内に織り込まれる部分が
開かれあからさまにされているから
外連なくまっすぐに表現されて
違和感がまったくない。
そりゃ、隠されているから可笑しいこともあるけれど、
そういうことっていうのはあからさまにされると
下卑さが消え
さらに突き抜けて可笑しかったりもするわけで。
しかも、劣情の暴露大会というニュアンスではなく、
物語全体を包み込む時間や場所の世界観も
したたかに作りこまれていて。
2時間超えの上演時間も、
終わってみればあっという間、
作り手の仕掛けと役者たちの緻密なお芝居から
女性の業の質感にまで
取り込まれてしまいました。
「バットとボール」編
高校野球出場チームの宿舎を舞台に
ナインの劣情のありさまや
其々の性格、さらには驚くことに
彼らのどこかピュアな想いまでが
舞台上に浮かび上がっていきます。
二人の女優の空間への刺さり方がとてもよくて、
マネージャーと宿舎のおねえさんというイメージを紡ぐお芝居から
次第に彼女たちの内側を垣間見せるお芝居にシフトしていく
したたかさもあって。
その演技に引き出されるように
男子生徒たちの想いが照らし出され、さらに現わされて
絶妙なデフォルメとともに
舞台を錯綜していく。
しっかりとキャリアを持った役者たちは
もしかしたら自らの半分以下の齢を演じ手はいるのですが、
高校生より高校生の雰囲気を
観る側にがっつりと流し込んでいく。
見栄えをつくる上手さもあるのですが、
なにより、想いにしっかりと
年齢相応の浅はかさや薄っぺらさや
どこか真摯な想いまでが
彩り豊かに作りこまれていて。
演技が実際の高校生の雰囲気を乗り越えてイメージを生み、
その姿がとてつもなく可笑しい。
観ていて、作り手が役者を信じているなぁと思うのです。
物語の展開にも役者がそれぞれの色を作っていく余白が
しっかりと用意されていて。
役者たちも、キャラクターを物語を通して貫いていく。
いろんなうざさや、思い込みや、はみ出した感覚が
丸まって一つになるのではなく
それぞれにエッジをもって場に置かれ、観る側をさらに引き込んでくれる。
だから、ただのとほほなエピソードに陥ることなく、
その時間の瑞々しさすら感じることができるのです。
こちらも2時間をかなり超える上演時間だったのですが、
その時間をまったく感じませんでした。
満足度★★★★
へたれずに解ききる
導入部分の作りこみや
そこに満ちるテンションを観ていて、
物語が解けきるかが不安だったのですが・・・、
杞憂でありました。
へたれずに、したたかに
原作を知らぬ観客にも
物語が降りてきました。
ネタバレBOX
場内に入り、
舞台に施された赤と青の質感に
脳幹と月のイメージの前で開演を待ちます。
冒頭から20分のテンションに
圧倒される。
でも、力技ではあるのですが、
雑であったり荒っぽい感じはしない・・・。
しっかりと抑制された精緻さと、
観る側を凌駕するようなパワーが両立している。
正直言うと、舞台の密度には強く惹かれたのですが、
そこから物語が本当に解けて、
観る側に因果が伝わってくるか少々不安でした。
その密度に目がなれた観客に、
へたれることなく
物語が語られていくのだろうかと・・・。
でも、まったくの杞憂でした。
冒頭のテンションとは異なる
混沌が舞台におかれ観る側をつなぎとめる。
場ごとに異なる物語の表情が、
舞台にはまり込んだ観客を
さらなる展開に引き込んでいく。
中盤以降、
役者たちのお芝居のクオリティに
若干のバラツキがあったり、
一瞬、間がずれたりといった部分はあったのですが、
主たる役者達はがっつりと舞台を支えきり
観る側の意識が
舞台から離れることはなく、
ひとつ間違えばいびつに崩れてしまうであろう物語の骨格が
しっかりと観る側にくみ上げられて。
場面の切り替え方、
変化していくものと貫かれていくもの、
エピソードを膨らませていく語り口などなど、
作り手の絵図がしたたかに描かれているのだろうと思う。
恥ずかしながら、
原作を読んだことがないので
この狂気の肌触りが原作の世界どおりなのかどうかは
わかりませんでしたが、
物語の全容をしっかりと受け取ることができれば
あとの舞台の味付けは作り手次第なわけで・・・。
観終わって、とても90分の尺とは思えないほど消耗しましたが
3分で木戸銭の元をとり
あとは申し訳ないほど
がっつり楽しませていただきました。
よいものを拝見したと思います。
満足度★★★★
ひとつの人生を描き出すセンス
A⇒Bの順番で観ました。
それぞれのバージョンに
物語の繋がりを美しく見せる切っ先があって
しかも、2つのバージョンを観たことで浮かび上がってくるものもある
単純に男女バージョンというのとも
ちょっと違う。
なんだろ、上手く言えないのだけれど、
一つの物語が完全に裏表で表現されているわけでなく
120度くらいの重なりから垣間見えるものが感じられて。
作り手の、物語の質感を磨き上げる
手腕の秀逸を感じました
ネタバレBOX
両作品に共通して
狂言回しを演じる犬の出来が恐ろしくよくて・・・。
芸が立つ、気鋭の噺家の態で
物語の道筋をつける。
彼が切り分けていく物語に、
いくつもの可能性が生まれ、
それぞれのバージョンの主人公が
自らの想いのなかで
物語を置き換えて、
人生を歩んでいきます。
役者達のお芝居には
ロールをべたつかせないような
ソリッドな部分があって、
だからこそ、切り分けのなかで
場の色がスイっとかわる。
演じる場にしっかり刺さる切っ先をしっかりと感じつつ
一方で場の色にしがみつくことのない
強さにとどまらない表現の瞬発力のようなものが
しなやかに舞台に重なり
物語の時間をくみ上げていくのです。
二つのバージョンのそれぞれの主役たちには、
半生を背負いきる持久力をもった
ビビッドさがあって、
犬の語りとともに舞台を貫く。
で、そこに交差していくキャラクターたちの
主人公たちとの距離感のようなものが
とても緻密に作られていて、
その変化が、場の色を買え
シーンというか分岐点ごとのニュアンスになっていく。
そして、二つのバージョン、
そのテイストの違いは
事象の表裏というのとはちょっと違っていて、
同じ部屋の入り口と出口が異なるような感じ・。
両バージョンを観ると
表裏では見えない
ジェンダーの違いのようなものが
肌合いとして伝わってくる。
どちらのバージョンも
観終わって、ちょっとさびしくて
でも、不思議に心満ちるものがあって。
ライティングも美しく、
役者の動きや音にもセンスを感じる。
デリケートな肌触りと
広がる時間の感覚に、
たっぷり浸されてしまいました。
満足度★★★★
様々な視座から浮かび上がるもの
4団体の5作品、
団体・作品ごとに
大震災に対する視座がそれぞれにあって、
終わってみれば、
点ではなく面・空間で浮かんでくるものを感じました。
どの劇団にも、既存の感覚や考え方に捉われない
意思と切っ先をもった表現が編み込まれていて
舞台に引き寄せられました。
ネタバレBOX
冒頭にちょっとした口上があって
場の雰囲気が少々歪む。
そのなかで、作品が繋がれていきます。
・劇団けったマシーン
「まだ、わかんないの。」/「指」
広田淳一・瀬戸山美咲さんの2人芝居を丁寧に舞台にのせて。
「まだ、わかんないの」では
戯曲に編みこまれた震災後の空気を
役者たちがゆっくりと引き出して。
ダイアログやモノローグの言葉が、
心情に落とされ膨らみ
言葉を想いが凌駕し、
キャラクターの心情の揺れが概念から実存感に変わっていく。
男優が献身的に作り上げた枠組みにたいして
女優の心情の踏み出しに
ひとつの感情でなくいくつものアスペクトを持った想いの質感が
立体的な重なりへと組みあがっていく。
淡々とした日常に内包された揺らぎのようなものが
役者の、クリアでしなやかさをもった表現とともに、
ゆっくりと像を結び観る側に踏み入ってくる・・・
「指」は昨年の日本の問題でも観ている作品ですが、
色の強さは若干押さえられて、
その分非日常の日常感が漂い心が凍る。
やや、淡々と作られている分、
モラルハザードの切迫感の霧散の仕方がナチュラルで、
だからこその痛みを感じる。
そして、二つの作品の重なりからは
震災の外側と内側の想いの色の違いが
大上段に構えることなくグラデーションを持って
かもし出されていました。
・思出横丁
「3.111446・・・」
噺家のように床に座り、
読み語りの態で観る側を惹きつける。
「走れメロス」を芯にして
震災直後の現実を読み上げ、語りあげ、
積み上げていくので
聴く側は勝手知ったる物語の枠とともにやってくるものに
耳を塞ぐことも心を閉ざすこともできない。
しかも、物語と現実の面の出し方の切り替えがとてもしたたかで
観る側が言葉を追ってふっと浮きあがった瞬間に
あるがごとく受け入れざるを得ない刹那が
幾重にも流れこんでくる。
メロスの怒りとその行き場のなさが
震災直後の現実の肌触りと重なって・・・。
読み捨てられていく物の中にこめられた
痛みにまですら緩むことすらない
凍えたようなタイトな感覚は
残らず観る側に引き渡されて
終演後も散ることなく
記憶として残されておりました。
・四次元ボックス
「アカシック・レコード」
アイデアが驚くほど斬新というわけではないのですが、
観る側に世界を紐とかせるための
吸引力が作られていて、
見入ってしまう。
震災との関連という意味では
作品中一番はなれた概念の世界ではあるのですが、
この上演のならびにおかれると
物語が持つニュアンスが
震災の波紋と共振する部分があって・・・。
キャラクターたちの足元がしっかりしていて
そこには観る側がいろいろに重ね合わせることのできる
普遍というか
シチュエーションをとりこむキャパのようなものがあって。
物語そのものに観る側を縛りつけず
上手く機能していたようにおもいます。
・荒川チョモランマ
「止まり木の城」
椅子に書かれた年号で
すっと視座を未来に置いて
子供の視線を作り震災のその後を描いていきます。
子供役の二人の役者のデフォルメがとてもしたたかで、
彼らに置かれた地震の風化の質感が
あざとさを持たず実感として観る側に伝わってくる。
体験や記憶に染まらない視線で描かれれる世界と
小3での体験を持つ先生の精度を持った演技で繋がられた顛末から、
舞台上に
なされていくであろうことと
うみだされるであろうことの因果が
しなやかに浮かび上がって。
どこか、戯画化されたというか
子供語りの世界がおかれているからこそ、
今のあり場所というか座標が、
作品の視座の重なりの狭間に浮かび
観る側に置かれる。
あの日を、そして今を
主観としてではなく客観として眺める舞台、
先生に渡された2012年という時間に今が重なり
視点は再び踵を返して・・・。
その先への一歩のベクトルに想いが巡ったことでした。
*** *** ***
終わってみれば
4つの作品のそれぞれに、
意図を持った視座があって、
それらの震災に対する距離のバリエーションが
1年たっても収まりきれない3.11に対する
俯瞰を創り出していて・・・。
冒頭に問われた観客に対する問いに答えるとすれば
(もちろん個人的な意見ですが)
アフタートークで語られたがごとく、
多分演劇に直接的にできることはないと思います。
でも、その一方で演劇が鏡となって
映し出すものは間違いなくあって。
今回の公演に限らず
震災以降に上演された舞台たちの多くに、
観る側に、
自らや世界の立ち位置や姿を映し出してくれる力を感じたのも事実。
もちろん、作品ごとに鏡として置かれる角度や磨かれ方も異なり
時には恣意的な歪みや虚像が仕込まれていたりもするのですが、
だからこそ見えてくるものも多々あって。
ひとにはきっと自分の座標やありようを知るからこそ
歩み出せることがあるように思う。
別にそのことを知りたくて
劇場に足を運んでいるわけではないのですが、
でも、舞台を見て考えたことは
いろいろにあったように思うのです。
そういう意味では
冒頭からアフタートークも含めて
舞台には、良きにつけ悪しきにつけ、
3.11や今に
何次元にも重なる座標軸の
値を指し示す与える力があることを
実感した公演でもありました。
満足度★★★★★
時代を縫いあげた2本の糸
冒頭から終幕のシーンまで
縫い目のように現れるキャラクタから
過ごした時間の肌触りが導き出されて・・・。
それぞれの作り手が切り取る
シーンの一コマずつに惹かれつつ
終演時には
過ごしてきた時代の束ねられた感覚が
ふくよかなボリューム感とともに
置かれていました。
ネタバレBOX
当日パンフレットにはキャストとともに
それぞれの現わす年代が記されていて、
そこには、その時代の空気を満たす
描き方の確かさがあって。
冒頭のシーンのどこか無軌道な二人の女性、
彼女たちがその距離感のままに
訪れる時間たちに縫い込まれていく。
冒頭とラストのシーンが同じ作家で
冒頭のキャラクターを2本の糸として両端を見る側に提示する役回り、
そして二人の作家がその糸を縫い込みつつ
同じ場所に、時間の変遷を仕立てていく。
個々の物語に冒頭の女性たちが
主人公になっているわけではない。
むしろ、脇を固めるようなロールであったりもするのですが、
彼女たちそれぞれが、
どのようにそのシーン、
もっといえばシーンが具象する時代に刺さり
縫い目を作っていく姿がしっかりと残る。
無軌道で若気の至りのような1997年を起点に
どこかルーズで退廃を感じさせる色の中に
登場人物たちが抱く若さや生真面目さを感じさせる1999年、
穏やかでどこか教条的な雰囲気のなかに
どこかポップでシニカルで人間臭い嘘がはびこるような2006年、
さらに時代が行きついて、それでも歩みを止めることのない2011年、
そして、最後にたどりついた今、2012年
3人の演出家が紡ぎあげる
5~6年を隔てた時代それぞれの時代に
エピソードや切り取られた時代の面白さたちが満ちて、
自然に取り込まれているうちに
描かれた物語にシーンへの
齢を重ねていく二人の女性の刺さり方や
縫い筋の重なり方が
自然に残る。
糸だけを引き出してみれば
波乱万丈とも思える彼女たちなのですが、
それぞれの時代のなかに
彼女たちのありようの必然があるから
再びラストのパートで彼女たちを見つめるとき
二人の生き方も、腐れ縁のような関係も
日々を重ね人生を過ごすとてもナチュラルな質感として
観る側に積もっていく。
描かれた時代の匂いを自らの風景として体験している
ある世代以上の人間(たとえば私)にとっては
彼女たちの歩んできた感覚に
記憶のベースの部分として揺らされる部分もあり、
そこからも、キャラクターたちがたどった
道程への感慨が満ちてくる。
KAKUTAにとどまらず
桑原さんの関わる作品には
観終わった後の独特で他に類のない
満たされ方があって。
それはこの人の純作演の作品にとどまらず
「グラデーションの夜」のような彼女の演出であっても
「往転」のような、彼女の脚本であってもそうなのですが、
日々を生きることの積み重ねで歩んできた距離と
その先に視線を上げての一歩の感覚が
色をそれぞれにしつつ、
しなやかにまっすぐ降りてくる。
しかも、作品ごとに
一期一会のような生きる肌触りの精緻な描写を裏打ちする
作り手の作劇の新しさが
抽象的でも先鋭的な作品ではなく、
むしろオーソドックな具象に満ちているにもかかわらず
観る者を澱ませない。
今回についても
複数作家と演出家によって編まれた
時代のリアリティに繋ぎこまれた
2つの人生の歩みと交差の姿に
すっかり取り込まれてしまいました。
満足度★★★★
いつもよりくっきりと
男優だけのお芝居だからかどうかはわかりませんが、
独特の突き抜けた訳のわからなさ(褒め言葉)が若干薄れ、
その分くっきりとした質感が生まれていたように感じました。
とはいえ、やっぱりあひるワールド、面白かったです。
ネタバレBOX
社長にしても、宇宙飛行士にしても、
社員たちひとりずつのキャラクターにしても
作りこみや何かの抜き方のようなものが
実にしたたかで・・・。
で、いつもなら、そのベクトルの違いが
舞台を丸ごと染めて
観る側を巻き込むようにがっつりと取り込んでしまうのですが、
今回は、その可笑しさに一種の距離感がおかれて
くっきりとやってくる印象がありました。
社長の置かれ方や
宇宙飛行士の雰囲気の作りこみなどが
とてもしたたかで、
物語全体のベーストーンを創り出し、
キャラクターそれぞれの個性に課せられたバイアスが
ある種の貫きを忘れずにそこに交わっていく。
男女の色でのバリエーションのようなものがない分
いつもの劇団の作品に比べても
目が覚めるような混沌はないのですが、
役者たちが醸し出すロールが具象する雰囲気は
よりくっきりと観る側に収まる感じもあって。
で、気が付けば、
その工場というか喫煙所に流れる時間に
身を置いているような気分になっている。
なんだろ、思い返してみれば
最近の進化したあひるなんちゃらが
最初にこの劇団を観た時の印象に
回帰した感じもして。
初日ということでしょうか、
焦点や咬み合わせが気持ちだけずれたような
間があったりもしましたが
そこは公演期間の作品の育ちどころなのでしょうね。
例のフライヤーやアンケートも含めて
とても良い意味であひるはあひるということで
この劇団の味わいを再認識し
また、広がりを感じたことでした。
満足度★★★★★
美しくクリアで豊か、見応えたっぷり
人の立場、
想い、
あからさまさ、狡さ、まっすぐさ・・・
背負ったものが幾重にも重なりあって・・・。
個々のキャラクターたちが抱くものや、感
情、さらには過去にひろがり繋がる想い達が
とてもクリアに、絶妙な質感とともにやってくる。
観ている間も
観終わってからも
本当に美しい舞台だと思いました。
舞台をみるというよりは、
舞台に運ばれるように
その顛末を追うことができました。
ネタバレBOX
物語の骨格はそれほど複雑なものではありません。
人喰いの熊とそれを巡って訪れるまたぎや里の人間、
さらには海辺からやってきた娘や
山に暮らす家族が織りなす物語・・・。
でも、物語の語られ方がとてもクリアで
舞台に置かれるキャラクターの
物語への刺さり方が一様でないことから
シーンの一つずつに求心力とふくらみが生まれ
あっという間に取り込まれてしまう。
したたかな脚本で、
さして意識することもなく、
キャラクターたちの立ち位置や関係性、
さらには事の成り行きが観る側に建てこまれていく。
だから、漁るように舞台を見詰めるのではなく
舞台の空気とともに、
キャラクターたちの想いに染まりながら
シーン流れやシーン間の推移を
舞台の色で感じていくことができる。
飢えさせて喰いつかせてくれるような感覚ではなく
観る側をいたずらに前のめりにすることなく
時間の歩みと、次第に広がってくる視野のなかで
染め、動かしていく力がこの舞台にはあって、
やわらかく深く魅了される。
とてもしなやかで、
でも鮮やかでクリアな場のテンションの変化とともに
観る側を物語の成り行きへと誘ってくれるのです。
役者たちも上手いのですよ。
シーンや場にただニュアンスを作り台詞を編み込むだけではなく、
場への刺さる深さや角度に全体の印象との絶妙なバランスがあって。
しかも、そこに生まれる質感が、
シーンが連なる中で、
キャラクターを物語に映えさせ、
しなやかに浮かび上がらせていく。
観る側にとって、登場人物たちに捨て役がなくすべてが残る、
そこには、作り手やそれぞれの
舞台の大きさや場の密度にぶれない
圧倒的な演ずる力があって。
だからこそ、息を呑むほどに美しい舞台美術に
演技を埋もれることがない。
森の深さや凍える空気までもが
透明感を持ってキャラクターたちの時間を染める。
終盤の絵面に境地が広がり、
その先への歩んでいく物語を受け止めることができて・・・。
観終わって、物語を追っていたという感覚はほとんどなく
舞台に満ちてきた成行きにそのまま運ばれた感じ。
実はタフな物語、
織り込まれたそれぞれのキャラクターが抱くものや、
それぞれの想い、
さらにはくろちゃん(熊)が具象するものにも想いを馳せ、
終盤近くの男女の機微の描きっぷりに舌を巻く。
行き場をなくした心情のその先にまで至る
芝居の踏み込みは
ラストの緋の色からしっかりと渡されて・・・。
思い返してみれば、
これほどまでにしなやかに、
しかも、舞台丸ごとという感じで
お芝居や役者に運ばれるj感覚って
そんなには経験がないかも・・・。
初日からぞくっとくるほどの完成度を持った秀作。
あまりにもべたな言い方かもしれませんが、ほんと、
「良いものをみた」と思います。
満足度★★★★
踏み越えの果実
ある意味露骨でありながら
終わってみれば
そこに留まらない女性の奥行きのようなものが
即物的な感覚ではなく印象の広がりとして残る。
えぐささえ醸し出す表現の踏み込みがあるのですが、
それを昇華させる作り手の手腕があって、
強い印象が残りました
ネタバレBOX
物語を追うというよりは
心象のスケッチを
眺め続けているような感じがしました。
舞台のトーンにただよう
不思議なリアリティのなさ。
即物的ではあっても、
踏み越えたようなあからさまさや
剥ぎ出された強い下世話さが訪れても、
そこにはガラス張りにした心情の移ろいを
客観視する視座があって、
観る側を劣情や猥雑さに塗りこめない。
だから、
心情の渦中からは抑制できないような想いも、
そして具象され
リアルに渡されたら
持ち切れないほどのインパクトを持った表現も、
観る側として自らの好奇的な気持ちに後ろめたさを感じることなく
すっともらってしまう。
そりゃ露骨な踏み越え感に目を奪われたりもするのですが、
その踏み越えがなければくもってしまうニュアンスがあって
また、その表現への作り手の執着の果実が
描く物の奥行きとなって
観る側自らが絵面に身を置いての
下世話で平板な解釈に落とすことを許さず
生々しい心情の質感だけを残していくのです。
正直なところ、エロい部分もあるし
たとえば自己中心的な思い込みの滑稽さなどに
笑ってしまう部分も多々あるのですが、
でも、その表し方にたしかな演劇的手法が裏打ちされていて、
なおかつコアの表現へのためらいやまやかしを排しているからこそ、
踏み越え、観る側のフィルターまでもそのままに透過し
至ったであろう世界があって。
実は極めてデフォルメされた
したたかな内心描写なのだと思う。
作り手が演劇の中に切り出した物の
精製された生々しさが五感の先に置かれ
強い印象として残ったことでした。
初日観劇で、
役者に若干の力みのようなものを感じたりもしたのですが、
これはまもなくこなれていくようにも思えて。
久しぶりに観た公演でしたが
作り手の創作からますます目が離せなくなりました。
満足度★★★★
舞台を追って舞台に追い込まれる
閉塞感の中で
前半、場のシチュエーションを求めて前のめりになり、
後半は、そのシチュエーションからさらにあふれ出すものに
追い込まれていく。
で、終わってみれば
キャラクターたちそれぞれの
想いがぞくっとくるような質感で残る・・・。
作劇のしたたかさと、
物語を空気の緩急に変えていく役者達のお芝居に
どっぷりと浸されてしまいました。
ネタバレBOX
会場に入ると古びたマージャン台がおかれていて、
開演を待っている中で
その場の設定について
想像をめぐらせてしまう。
開演すると
外気の凍えた質感がまずやってきて、
場の空気のメリハリに変わる。
やがてすこしずつ場の事情がほどけて見える感じに
さらに引き込まれていきます。
役者達のキャラクターの作り方や
出し方がそれぞれにうまいのですよ。
ロールたちの異なる温度が
ぶれることなく場におかれて
閉塞感とともに全体の空気の肌触りになる。
それは、時にユーモラスであったり、高揚したり、
沈みこんだりもするのですが
場の事情がわかってくるとともに、
その中に置かれたキャラクターたちの個々いろいろが
観る側に強い個性として置かれていく。
携帯電話などのトリガーというか道具立ても上手いなぁとおもう。
中盤になると、ふっと押し出されるように
何かが歯止めを失い
その閉塞感の箍がすっとはずれて
それぞれから溢れだしてくるものに
観る側までが巻き込まれていく。
犯人探しというか魔女裁判的な仕掛けから
滲みだしてくるそれぞれの過去、
表面張力いっぱいのところに一滴たらされて、
支え切れなくなる感じ。
それも一気に崩れるのではなく、
緊張と弛緩が振り子のように訪れ、
常に戻るベクトルとそこでは収まらない想いが交差し、
再び一線を踏み越えてしまうなかで、
キャラクターたちの抱えるものが
滲みだし、重なり、場から捌けていく。
その先に、ブスというより
なにかの歪みを抱え、平衡があやしい姿となり、さらには飢え、
あるいは固まった女性たちの感覚や想いが
にび色の、でも密度をもった感覚で浮かび上がり、
抑制を失い、突き抜けて、互いに切っ先を向け合い、
解き放たれていくのです。
登場人物それぞれの抱えるものを
べたにすることなく
コアのさらに内側の姿までも含めた生々しさとして演じ上げた
役者たちの力量にすっかりやられる一方で
作り手の、想いたちを描き出すしたたかさと
物語ることへ手腕にも
強く捉われたことでした。
しかも、私が観た回には
初日の硬さというわけでもないのでしょうが、
もっと深く組み上げる余白もほんの少しだけ感じて。
公演の後半には、どのようになっていくのか
空恐ろしくなった(褒め言葉)ことでした。
満足度★★★★
サスペンスで誘い込んで・・
時代の色や、雰囲気、
さらには時間のコントロールもしたたかで
サスペンスの世界に惹かれたりもするのですが・・・。
でも、その裏側に具象されたものの顛末にこそ
心を奪われました。
ネタバレBOX
一人の女性の失踪の顛末としても
サスペンスとしての枠組がしたたかに作られているから
ちゃんと引き込まれる。
観る側の興味を手放さない力があって、
ずっとその物語を追いかける。
ちょっとレトロな筋立て、
一応ひねりもなんとなくあって・・・。
学生運動等の左翼的な活動の色濃い時代でもあり、
そのトレンドを映して物語は進行していきます。
組織が育てようとしている植物は
放射能を浄化してしまうのだという。
その植物はなかなか芽が出ずに
すぐ枯れてしまっていたのだけれど、
たまたま撒かれたお茶の葉っぱに反応して
急に育っていく。
どこか怪しげな刑事や
科学者、さらには学生新聞の記者たちも巻き込んで
ミステリーの窓の外で、
世界を覆いつくしていくのです。
茂りあっという間に成長する植物に具象される
思想的なトレンドやブームの質感が、
すっと今の時代の、
たとえば原子力に対する感触に重なる。
時代を過去に設定したことで、
たとえば学生運動で求められた理想の顛末が
放射能に対して誰もが神経を尖らせ理想を語る
今の時代と同じ空気を醸成させていく。
そして、同じように日本がどこか騒然としていた
過去の物語として舞台が描かれることで
窓の外で成長し覆いつくしているものの、
外側からの姿と
その先行きがすっと浮かび上がっていく。
役者達が絶妙なバランスで物語の密度を作り出しているからこそ、
したたかに織り込まれた作り手の意図への気づきが降りてきて・・。
ラストシーンの醒めた感覚にも
心を囚われたことでした。
満足度★★★★
歪に見えるからこそ伝わってくるもの
実の事件がベースにあることで
作り手が描き出したい感覚が、
拡散することなく、
より深く観る側を浸しているように感じました。
正直なところ、観ていて消耗するお芝居ではありましたが、
これまでの作り手の作品のなかで
一番フォーカスを絞ってつたわってくる感覚がありました。
ネタバレBOX
元になった事件については、
それなりに知っていたのですが、
作品を観て、ふっと視野が開けたような感じがしました。
事件の顛末を語るということであれば、
現実をトレースしているとは言いがたいし、
たとえば、新聞などで語られた事実からも
不器用に乖離したプロットが組みあがっていく・・・。
でも、もし、事件が理路整然と語られているだけならば
この舞台はとても薄っぺらなものであったはず。
作り手は、
事件の断片を借景や踏み台にしつつ
キャラクターたちの囚われ陥っていくような感覚を
ある意味淡々と剥ぎだし、舞台に積み上げていきます。
違和感があって、
でも、観ていてそれを違和感と捨てきれず、
次第に膨らんでいくものがあって。
だから、舞台の出来事に向かい合っていく中で
本来、観ることをしないであろう感覚に
次第に支配されていくのです。
冷静に考えれば入り込み得ない感覚が
すっとしみこんできて、
観る側を捉える。
そうなると、やってきた感覚をそのままに出来ずに
さらに見つめ目を見開いてしまうわけで・・。
そして、そこには、
事件の醜悪さにまみれることのない
ブラックホールのような想いの構造というか理が
作り手の独特の切り口で
くっきりと紡がれていて。
観終わって、素に戻れば
舞台としてのいびつさを感じることは事実。
でも、そのいびつさをゲートウェイにしなければ
伝わりえないものが、
作り手の瞳にはしっかりと剥ぎだされ
映り込み、表現されているのだろうなぁとおもう。
その世界を
実在の事件を下敷きにすることで
観客の無意識の領域だけではなく、
あからさまな位置にまでにじませる手段を
作り手は身に着けたようにも思えて・・・。
作・演の次の作品がそら恐ろしく、でもとても楽しみになりました。
満足度★★★★
印象が沁み入り刺さりこんでいく
観終わって、頭では飲み込めた物語があって
このように感じたというのはあったのですが、
それとは別の色の強さのようなものが
あとからどんどん沸いてきて・・・。
記憶におかれたものが
薄れていくのではなく
広がっていくような舞台でありました。
ネタバレBOX
真冬の公演なのに
冒頭の日差しが印象に残る。
男とそこに現れる女性、
それぞれに場の熱をすっと立ち上げる技量に溢れていて。
そこからの展開たとえば汗臭さのようなもの、
あるいは男たちの無骨さや純情さが
観る側を違和感なくその世界に引き込んでいく。
それぞれに「訳あり」であることは
容易に想像できるのですが・・・、
そのほどけ方がなかなかにしたたかで・・・。
でも、そのトーンにゆだねて舞台を見ているうちに
気がつけば
ある種の歪みというか狂気のようなものも
したたかに場に織り込まれていく。
鉄パイプの無骨な仕切りのニュアンスが
男の内心の切り分けとして浮かび上がって
物語の輪郭が観る側を閉じ込める。
それぞれの役者たちの描き出すものに
行き場を見失い
現実と妄想の端境を漂う感覚に
観る側が流されていく・・・。
うまく言えないのですが、
記憶のなかに現実と妄想が重ねられる中、
舞台からあふれ出すさまざまな質感があって・・、
その中に
抜き身のまま刀を包んだような危うさと
息が詰まるような重さと、
寄る辺を失ったような軽質さと
流浪感、
さらにはどうしようもない閉塞感などが
とても繊細かつ傍若無人に
乗せられていて・・・。
そして、それらは、
この座組みだからこそ表しえる感覚にも思えて・・・。
観る側を縛りつける力も強いのですよ。
女性の存在からあぶりだされるもの、
場を引き寄せるだけ引き寄せての
ぞくっとくるような啖呵の切れに
息を呑む。
男が幻覚のように観る同僚との空気に
釘付けになる。
狂気の果てを通り過ぎての
ラストシーン、
冒頭に戻っての強い光、そして役者達がかもし出す熱、
ループしていると思った刹那に、
さまようような
行き場のなさに取り込まれる。
観終わった直後よりも
時間がたってからのほうが
その感触の記憶は強くなって・・。
多少、間のとり方や、
会話のかかり方にラフな部分もありはしたのですが、
それらを一笑に付すほどに
強く、でもしなやかに
観る側に焼きつくような何かを持った
作品でありました。。
満足度★★★★★
ハードとソフトの融合感
主人公のスペックの表し方と
その枠のなかで動いていくものの事象が
非常に良く作りこまれていて・・・。
企画展とされているし、
確かに態は展覧会の様相を呈してはいるのですが、
そこには極めてまっとうな
演劇の世界がありました。
ネタバレBOX
開演時間の15分くらい前に劇場に到着、
すでに開場していて。
ドリンクチケットとトークンを2枚もらって
春風舎のスペースに足を踏み入れます
様々な展示のなかでも
場内にたくさんぶら下がっている紐にまず目が行って。
紐につけられたタグから
それらが一人の女性のデータをデジタル化したものであることが
わかる。
たとえば「鎖骨の長さ」といった身体的なスペックから
「私のことを好きって聞いたときの反応、両手を広げた長さを1cmとする」
といったかなり凝ったものまである・・・。
かと思えば彼女の重さを実際に持って体現できるものや
彼女の頬の柔らかさを実感できるものから
彼女の家のカギ、
抜けがらなんていうものまでが置かれていて・・・。
そして中央には彼女自身の部屋があり
静止した彼女自身が置かれている・・・。
会場をめぐりそれらを観た段階で
すでにひとりの女性が
不思議なリアリティをもって観る側にあって。
心拍を定義したメトロノームの音が
会場内に響いていることにも気づき
ふっと彼女の内側に置かれているような気分になる。
展示会場の中央で
彼女の一日が繰り返され始めます。
2月3日の日めくり、
目覚めて、化粧水を塗り、
ベランダに出て窓の外を眺め
マグカップの飲み物を口にし、
日記を書き、眠りにつく。
そのルーティンは、博物館の動く展示のごとく、
なんども繰り返されます。
で、次第に展示されている
彼女のハード的なデータや記録が
観る側にとっての彼女の一日とリンクしていく。
最初は漠然とその姿を眺めていたのですが、
そこに
他の役者たちの様々なパフォーマンスが重ねられ
彼女の内外の景色になっていくなかで
次第になにかが広がってくるのがわかる。
男たち、
制服の女子高生、
足ひれをつけて徘徊する女性・・・。
ふっと展示と彼女の動きの内外が逆転して・・・。
唐突に思えたそれらのことが徐々に変化して
彼女の内なる記憶や想いの具象として
一つの世界に取り込まれていく。
そして、客観的に彼女に属するものを観ていたはずが
夢と現のそれぞれの中で彼女の内側に去来するものを
観ることに世界が置き換わっている。
彼女自身の情報とそれらが機能して観る側に映し出されるもの。
準備されたハードウェア上でソフトが稼働して
会場全体が、
一つの演劇空間として機能していく感覚。
でも、そこから生まれ伝わっててくるものは
イメージを創り出すロジックが
実験的に示されるというような感覚を乗り越えて
人が日々を営むことのビビッドさの実感として残る。
デジタル化された表現やデータには
ハードウェアがソフトによって起動しているような
醒めたドライな感覚がありながら、
そこから浮かび上がってくるものには
時間の繰り返しと表現の拡張によって膨らんだ
豊かなリアリティをもった
一人の女性の感覚があるのです。
終盤日めくりが一日進み、
彼女が入籍をしたこと、さらには引っ越しをすることが示されます。
留まって展示されていた時間から抜け出して
すっと時間軸が伸びていく。
会場を去る前に
もう一度ぐるっと場内を一回り。
ガチャガチャとトークンや
冒頭には奇異に感じた
抜けがらと表示されているもの、
展示されているものそれぞれから
改めてニュアンスを感じることができて、
この表現、
本当にしたたかに作りこまれているなぁと再び感心。
もう、がっつりはまってしまいました。
満足度★★★★★
完成度が高いし・・・
エピソードの広がりとそれぞれの個性の露出の仕方が
絶妙なバランスが作られていて、
とても自然にその場所に流れる時間に
染められてしまう。
その先にある
いろんな尺での
生きる感覚にまでたっぷりと浸されてしまいました。
ネタバレBOX
比較的大手の印刷工場の事務所。
その職場の空気の作りこみがとてもしたたかで、
観ていて違和感がない。
だから、場を染める個々の感覚も
見る側の意思を超えるように
伝わってくる。
言葉や態度に表すことや
黙々と存在していること、
さらにはあからさまな感情や
ふっと裏を見せる思いが
作り手の秀逸なさじ加減で
本当にしなやかにやってくるのです。
絶妙なバランスのなかに
バランスに埋もれない一人ずつの素顔が
しだいに浮かび上がってくる。
両側におかれたモニターに映し出された
それぞれの日常や
抱き枕から入り込んでくる夢が
会社の外側にある個々の世界を垣間見せる。
組み合わせを変えて重なっていく会話の
緩さを細微に描き出す密度や
実存感に満ちた苦笑系のエピソードにも
細微に研がれた空気があって。
役者たちの出来が抜群によい。
自然さのなかに中庸な機微や
感情の色を無理なく織り込む絶妙な力加減があって
だから、見る側も状況に染められるのではなく、
その刹那の舞台の空気の揺らぎに取り込まれる。
観終わって、その刹那の肌触りと
さらにそこから俯瞰される過去と未来の姿に
ふっと登場人部のひとりとして
立ちすくみ、思いをはせるような感覚すら
訪れてきて。
派手さはないのに、
でも、心につもり散らない感覚が残る。
秀逸な作品だと思います。
満足度★★★★
寓意の先に浮かび上がる感覚
シンプルにおかれた設定の中に、世界を俯瞰する寓意が宿る・・・。
切れを持った役者達がくみ上げていく物語には
世界を纏う間口があって・・・。
そのたどり着く先までを描ききっているからこそやってくる
ラストのシーンからの
俯瞰に深く心を奪われました。
ネタバレBOX
物語自体はそれほど複雑なものではありません。
人物相関図が配られていましたが、
そのヘタウマなイラストがきちんと機能するようなフィールド。
でも、そこに描かれる小さな村の物語が
国の発展や、その中での人々のありようを
見事に具象していきます。
風見鶏をまわしての物事の決め方から
とある国の物事を決める感覚がやってくる。
総意でないものが
そうなるしかなかったと決まっていく感触・・・。
ものしりを受け入れること、
金融がうまれ、
効率や生産性が重視され
となり村との関係が築かれ社会は豊かになる一方で、
職業に貴賎の感覚が生まれ
社会に歪みが生まれていく必然。
役者たちは、切れを持った緻密な演技で
シーンごとのなりゆきにとどまらない
個々の心情や感覚のありようを浮かび上がらせていきます。
それは社会の変化の骨組みにとどまらず
ともに歩み、とまどい、あるいは抗う人々の感覚や思惑すらも
観る側にしなやかに伝えていく。
たとえばグローバリゼーションに巻き込まれていく姿、
貧富や優劣が生まれていく構造、
さらに社会の揺らぎや破綻の構図、
偶然から生まれたものとその先にさだまったもの、
立ち位置での思惑と崩れていくことの必然、
そして散らばっていく感覚までも・・・。
それは
たとえば戦後のこの国の歴史や
先進国と途上国の関係などが内包するものへの
したたかで間口の広い具象にも思えて。
しかも、舞台自体に顛末を物語るしなやかな力が宿っていて
しっかりと惹きこまれ見入る。
そして、その終焉までを見届けたからこそ、
再びそこに集うことや生きようとすること、
さらには風見鶏が回る感覚、
知ることや定まることまでが
人が生きることそのもののありようとして感じられて。
タイトルのごとく
バックギャモンのロジックとサイコロの目の定まりのなかで
それでもフィールドを歩みつづける人の営みの感覚に
愕然とし、
でも閉塞や絶望とは少し異なる
醒めていても温度を失うことのない肌触りに
深くとらわれたことでした。
初日ですこし硬さもある舞台でしたが、
回をかさねるごとに
シーンのニュアンスがさらにひろがっていく予感もあって。
受け取った肌触りがずっと残る帰り道でした。