満足度★★★★
匿名の苛め 陰湿そのもの 花四つ星
高校卒業3年の橋本は交通事故に遭ったショックでタイムスリップしてしまう。
ネタバレBOX
事故ったのは66号線。だが、彼は夢現のような死との狭間で高校の同級生に出会う。同級生は言った、お前の選ぶ道はここだ! と。橋本がタイムスリップしたのは、3年前。文化祭間近のクラス。丁度、クラスメイトの財布が失くなった事件現場である。この事件で、真犯人をAとしよう。そして何の根拠もなく疑われたのがBとしよう。そして盗難被害者をCとし、Cに同情して真犯人探しをしようとした成績優秀者をDとし、Dの親友をEとする。この事件が明るみに出たのはCの申告による。担任教師は、手際も悪く無責任で、何の根拠も証拠証明もなくBを被疑者と断定する。匿名性をベースにして飛び交うSNSやラインの影響もあり、事件は当事者たちの手を離れて肥大してゆき、遂には死者を出してしまった。
序盤、上記の事柄をおちゃらけた表現方法で演じているのは無論、匿名性による真の悪の特定し難さを克服し切れなかった自分達へのアイロニーであると共に、何だかんだ言っても未だ権威の象徴ではある教師(為政者)の嘘に対する声なき声へと身を隠した批難であることは明らかである。
だが、この後に続く内容が凄い。陰湿極まる苛め。即ち今作のテーマである。苛めの凄まじさについては、近年ニュースで報じられることも多い。その多くは苛めを受けた生徒が自殺した後に、アリバイ作りをする同級生、PTA、学校、加害者らのエクスキューズである。
今作は、そうした茶番に斬り込んでいる点で着目すべき作品である。苛められているのはDである。苛めの中心はA、悪知恵の働くAは、濡れ衣を着せられたBを言いくるめて苛め実行の主体に仕立て上げ、尚且つ、体の大きいFにお前も疑われていると嘘を吹き込んで苛め仲間に加え、女子生徒も巻き込んで、Dをトイレに連れ込んで便器に顔を浸ける、打擲を繰り返す、言葉の暴力を浴びせる等々を繰り返す。Dは苛めの後やその最中に出会ったEに何度も助けを求めるがEは自分も苛めに遇うのが怖くて、Dとは関わりたくないと宣言する。こんなことの結果、DはAによって撲殺されてしまった。一方、教師がこの事件に関われなかったのには理由がある。彼は生徒の母と不倫関係にあり、その現場をAに撮影されていたのである。自分が教職を失うことを恐れて、この教師は真実に最初から目を向けなかったのである。正義感を発揮して、このいじめグループに抗議した勇気ある生徒も居たのだが、彼は殴りつけられ、初期の目的を果たすことができなかった。これが、実際に起こった事件であった。而も、Cは真犯人を知っていた。だが、彼の暴力性や悪知恵を恐れて真実を言えなかったのである。
さて、タイムスリップした橋本は、同じクラブに属していたBと共にロックバンドで一旗揚げることを夢見ていたのだが、この事件を思い出すと、何とかしたくなって歴史の改竄に挑む。然し、矢張りDは死んでしまう。飛び降り自殺という形ではあるが。そして、Dを救えなかった無惨を抱きかかえたまま、 Bと共に部室に立ち、ガソリンを撒いて火をつける。これで完なのだが、このシーン、照明を使って燃える部屋を見せて欲しかった。BGMはジャニス・ジョップリンのCry Baby辺りで如何だろうか?
満足度★★★★★
企画力
内容はタイトル通りと言ってひとまずかまうまい。
ネタバレBOX
舞台については「アイアムエイリアン」の上演。映像については、アイアムエイリアンに出演していた役者が、再度登場、監督の注文に応じた演技をし、それをカメラが写し、編集したものを映像として時間内に流すという形を採った。
同じシナリオから創られた作品の印象がこうも違う、という事に実際驚かされる。表現方法や表現媒体の差が此処まで観た印象を変えることに対する驚きである。同時に、共通項も多い舞台の演技と映画の演技で、パンやアップ、監督が持っている作品に対するイメージをカメラを通して表現する媒体としての映画が、どのようなセンスで作られるのか? といった創造方法の根っこにあるような問題をも実に良く見せてくれた。イマージュとリアルな身体との差異を実感させてくれる好企画であると同時に、舞台演出家の手法と映画監督の手法で、もちろん、演出家も個々の演出家によって差はあるものの、舞台演出家の仕事が、役者との合議で成立してゆくとすれば、映画監督の手法は、絵コンテによって表現された最初のイマジネーションの完成度と撮影現場でのカット指示、そして上がってきたカットの編集にあるということもよく分かった。
この時期、学習院女子大で継続的に行われている企画だが、企画内容の素晴らしさ、実験的な試みへのチャレンジ、学生さんたちの企画への向き合い方の好ましさ。観客への配慮も有り難い。
満足度★★★★
Aチームを拝見
舞台は町中の大衆食堂のたかまつ。この店にはラジオ番組で人気のパーソナリティー、岬が良く来る。
ネタバレBOX
岬の人気の秘密は、聴者からの悩み事に親身になって応える姿勢とその適確なアドバイスだ。また、たかまつ食堂の女将・百合は、岬の学校時代の後輩に当たる。在る時、岬の下に気に掛かる便りが届いた。無論、番組宛であったから、岬はその手紙を読み上げた。その内容は特異なものだった。何でも友達のできなかった投稿者は、中学時代に初めて声を掛けられたクラスメイトと仲良くなったというのだった。だが、その後、彼からある依頼が来た。それは、他人の人生を壊す依頼であったが、友人を失うことを恐怖した彼は、その頼まれごとを引き受けてしまった。結果、被害者は精神的ダメージから口をきけない状態が続いている。何とか償いたいが、どのように償えば良いかが分からないという相談だった。岬は、生涯を掛けてその人の為に尽くすという案を提示する。ある日、たかまつ食堂に偽名を使ってやって来た男佐藤は、アルバイトとして採用され、この食堂で働きだした。声を失った琴子は彼の余りにもぎこちない言動が可笑しくて笑いを取り戻した。
ところで、主犯の孝道は少年院を出て侘びに来たが、自分が何故、謝らなければならないかに納得ができていない。というのも、彼の家は、琴子らの父の経営する会社の子会社で、仕事を切られて破産、父も失っていたからである。自分の家族をめちゃくちゃにした連中がどんな暮らしをしているのかを観に彼は時々たかまつ食堂に来ていた。そして彼らの温かい家庭や笑える暮らしを心底羨んだ。そこで、琴子を誘拐し自室に監禁したのであった。然し、事件を負うことが恐ろしくなって琴子のバッグをたかまつ食堂からは遠く離れた地元の友人である佐藤に送り、佐藤は、それを愛知県内に捨てて捜査をかく乱したのであった。
当初、主犯が誰であるかは分かっていたのだが、従犯が誰であるのかは分かっていなかった。たかまつ食堂で働き始めた佐藤を謝りに来た孝道が見つけ総てが明らかになったのである。然し、被害者である琴子は、佐藤も許すことができなかった。結果的に彼女の声を取り戻させたのが佐藤であっても、彼女は佐藤にさよならを言わなければならなかった。
それなりに、筋の通ったシナリオだが、現実はもっとシビアだろうと思う。また、孝道は非常に人間的な感情を持っていて、未成年で若い女性を誘拐する事件を起こしながらレイプもしていない、というのは余りにも不自然だ。彼がLGBTという設定なり何なりを入れた方が良いように思う。犯罪が社会を映す鏡であるのは、その犯罪者の持っている歪が時代そのものだからであろう。その辺りで孝道には歪が余りない。犯罪を犯すにはちょっと情緒的に過ぎると感じるのである。取材をもっとしっかりやって欲しい。
満足度★★★★
花四つ星
どれだけの下忍が歴史の闇に沈んでいることか?
ネタバレBOX
かつて大和の地には多くの忍軍があった。江戸時代にも生き残った伊賀、甲賀は無論のこと、真田忍軍、鈴鹿衆、風魔、武田忍軍、雑賀衆、戸隠忍軍等々。今作にも出てくる伊賀三大上忍は、総て実在した人物と考えられており、百地三太夫は実際二つの派閥の領袖であったとの説も残されている。何れにせよ、忍びとは、情報収集を最も基本的な仕事とし、無論、組織の食い扶持の為に暗殺、謀殺、プロパガンダ、城取り、隠密行動等を行った。戦国の世が終わり、太平の世となってからは盗賊に身を落とす者も居たという。だが、長子相続によりヤクザになるしかなかった農家の二男、三男と同様為政者からは冷遇されていたのは事実であろう。まして情報戦に関わる忍軍の下忍の位置は、今作に出てくる以下のような意味の科白「捕まったら己の顔を剥ぎ自決すべし」というのが、その心得であっただろう。
ところで、この科白にはベースがある。映画「忍びの者」である。信長暗殺に失敗した下忍が、捉えられ拷問を受ける。問われても白状しなかった下忍は、その場に現れた信長に「聞く耳を持たぬならいるまい」と耳を削がれるという凄まじい拷問に遇うのであるが、隙を見て縄抜けで自由になって逃げる。押し寄せる敵をなぎ倒すが、多勢に無勢、終には追い詰められ、城の屋根の上で自ら手裏剣で顔を八つ裂きにして飛び降り落命する。このシーンが背景にあるのである。この下忍の無念! 何を措いてもこのような無念だけは晴らさずばなるまい。今作の深い部分には、このような言うに言われぬ地を這う者達の怨念が込められていると言えよう。草莽が自らの志の根本に持つものと言い換えても良いかも知れない。同時に特殊技能者である己の生き様を守り抜く自由を、自らの責任に於いて実践し得ることに対する矜りもまた、認めねばなるまい。更に注目すべきは、五右衛門のみが、これら総てを達観していることである。このキャラクター設定が、物語に奥行を与えている。
さはさりながらこのような草莽の人間らしさ、心根の優しさ、温かさに対峙するように、上忍をはじめ支配する者達のえげつなさ、酷薄、打算、支配力を維持する為だけに用いられる策略・謀略そして為政者最大の武器、嘘を対置し、ワクワクするような物語に仕立てている。殺陣も中々スピーディーで、演技も迫力がある。舞台美術もこれらの所作を表現するに説得力のあるものだ。ラストがあっさりし過ぎたという感じが無いではないが、複雑なシナリオの面白さ、わざとらしさを感じさせない演出の良さ、作品を盛り上げる照明と音響にも拍手を送りたい。
満足度★★★★
中心にもっと収斂させた方が芝居としてのシナリオはよくなる
常打ち小屋であったタイニイアリスが閉めてしまったので、久しぶりの公演になった発条ロールシアターだが、演劇的にテンションを高める糾合的なシナリオは書かれていない。
ネタバレBOX
寧ろ、傾向としてこの劇団のシナリオは、或る時空に様々な要素を散らし、その相互関係は観客の想像力に任せるというものが多いのかも知れない。ただ、このような書き方だと、よほど各要素が必然的に収斂する関係にないと中々物語自体のテンションを高めることは難しい。
さはさりながら、鴎外の「高瀬舟」をベースにしている点があったり、リーフレットで21世紀の「泥棒日記」! と記しているように、サルトルの警句迄飛び出してくる。無論、泥棒日記を書いたのはジャン・ジュネであるが、サルトルが彼を大変高く評価した為に、仏文壇でジャン・ジュネは名声を得たといっても過言ではないほどサルトルの影響力は大きなものである。日本は本当の哲学者は殆ど居ない「国」なので、一時の流行が去ればどんなに偉大な人物も忘れ去られる傾向にあるが、現代フランスに於いても尚サルトルは結構読まれている。
閑話休題。話は、前世とも関わる因縁話である。従って解決策は無い。揺蕩う我ら生命の不可思議な行動の底に蠢く因縁を、女性用下着が繋ぐのだ。それは、母的なものへの思慕かも知れないし、我々一人一人が生まれ出るまでに経験した系統発生を繰り返した体験への狂おしく激しい、眩暈を伴った誕生へのレクイエムかも知れない。今、我々は地球生命の黄昏時に居るのだから。
満足度★★★★
アメリカという金魚の糞たる近未来
憲法記念日に観劇。
ネタバレBOX
が、沖縄は、憲法の精神を守ろうとする人々が、公権力・国家の暴力装置によって日々、蹂躙されている。これは、自民党が国会に招致した憲法学者ら3人が3人とも安保法制は違憲であると表明したにも関わらず、日本会議の面々との共謀で解釈改憲、強行採決を断行した安倍政権の”良識”ある措置なのであろう。イスラエルと並び世界最悪のテロ国家の一つであるアメリカとの集団的自衛権をコアに含む安保法制にせよ、憲法改悪や、国民の自由と権利を情報レベルで簒奪する柱の一つである秘密保護法にせよ、虎視眈眈と狙っている共謀罪にせよ、アメリカのパシリとして機能するアホそのものの安倍の無責任極まる暴走が、我々を何処に連れてゆくのかを想起させるような形にして、ウルトラマン(劇中ではウルターマン以下同)最終話の後の世界を獏天初の喜劇として描いている。
南スーダンでのPKO駆けつけ警護の危険性については、自分は去年秋にコリッチに書いておいたので、興味のある向きはご覧頂きたい。何より今作の優れている点は、怪獣、ウルトラマンを含めて、巨大な生命体の格闘によって実際避難民となった当事者の視点で物語総ての構想が進められている点である。この当事者性なしに、危機を具体的に感じることはあり得ないし、その深刻さを具体的に想像することもできないからである。まあ、アメリカの大統領選がどう転ぶか、土壇場になって混迷を極めているが、日本には、周りに友達と呼べる国家が一つもない。トランプが大統領に就任して米軍が日本から引き揚げることになったら・・・。
喜劇だからウルトラマン(劇中ではウルターマン)や怪獣が出てくるが、これらの圧倒的脅威は、F1人災の原発、即ち核と考えることもできる。つまり喩と捉えるのである。実際、現在動いている原発の数は少ないとはいえ、廃炉が決まっていない原発が殆どであり、20基程度は再稼働へ向けて審査請求途上にあるではないか!? 気狂い沙汰とはこういうことだ。それに引き替え、ドイツは賢明である。原発全廃に舵を切ったからだけではない。第2次世界大戦の戦後処理をキチンとやったからである。その結果、現在EUの動輪であり、敗戦国としてのドイツを敵国条項で訴追しようなどという連中はいまい。それに引き替え日本はどうだ。アメリカの東アジア植民地として、またアメリカの覇権をアジアで確保する為の拠点として、アメリカ人は軍務と言えば出入り自由。日本の何処に国家主権なるものが存在しているのだ? それに引き替え日本人は人質、植民地住民である。おまけに周りの国々から白眼視され、当のアメリカには馬鹿にされているにも関わらず、安保理入りだの戯けたことばかり抜かしている。何と恥ずかしい「国」であることか! そんな戯け共が牛耳るこの植民地で、日本政府は日本国民のことなど考える訳もない。面白いのは、安倍のような独裁狂人だったらという想定が見え隠れすることである。このような射程の中でPKOも絡んでくるのであるし、喩として表現されているウルターマンが、核を超える武器として日本の覇権を担保するのである。無論、現実には現在日本がふんだんに所有しているプルトニウムが、その代替である。無論、これは観客である自分自身の想像力の産物であるが。
満足度★★★★
教師とは 教育とは何ぞや
教職試験に2度落ちた武田 海未は、産休で休暇に入った定時制高校の教師の代わりに臨時雇いで教職に就くことになった。
ネタバレBOX
然し生徒たちの年齢も経歴も様々な定時制で新米の海未にまともな生徒指導ができるのか? との当然の不安があるというのに、クラスには転校、転籍などで一度に4人も生徒が増えたのである。
而も、この学校の校長は、少子化の波を乗り切る為に、受験校として生き残るべく定時制潰しを画策していた。偶々苛めに遇っていた全日制の生徒が暴発して傷害事件を起こすと、事件を揉み消す一方、この少年をスパイとして定時制に転入させ定時制のクラスで門題を起こさせ、それを事件化したうえでPTAや教育委員会を利用して定時制廃止をもくろんでいたのである。海未を雇用したのは、以上のようなパースペクティブの下で担任として彼女に責任を取らせる為であった。着任直後に教育委員会からの査察が入るよう仕向け、実際に委員会から派遣された人物が授業参観をすることになったが。
無論、様々な人間関係が錯綜している。新米教師、海未はこのピンチを脱することができるか? がお楽しみの一つ。また、この作品の展開の中で、教育とは、産業ではなく教師と生徒が共に考え、共に成長してゆく過程を描いている点で温かく、展望のある作品になった。また、様々な噂やイメージによって実態を知らずに無責任に判断を下し冷酷な選択をしてゆく世間の弊害にも目を向けている点が良い。
まだこの先の公演回数が多いので余り個別のエピソードについては書かないが、親方役の役者さんの演技は流石に年期の入った良い物だ。
序盤、新任の不慣れを出す為か、やや全体にぎこちない感じがあったが、中盤以降は様々な事件や、人間関係の展開でぐいぐい引きずり込んでくれる。楽しめる。
満足度★★★★★
必見 花五つ星
初日を拝見。何度褒めても褒めたりない。必見の舞台。
ネタバレBOX
えんやこら、ヨイトマケ。掛け声は様々であるが、工事現場で地固めをする時に使われた掛け声である。太い丸太に何本もロープがついて、それが組まれた櫓の中央にいちしているのだが、この太くて大きな丸太をこの掛け声と共に皆で引っ張り上げては落とす。これを繰り返して地固めをしたのである。綱を引くのは殆どが女性だ。自分もガキの頃、港湾で荷役のアルバイトをやっていると矢張り港湾の建築現場で働くおばちゃん達に良くからかわれたものである。結構若くて綺麗な人も居て、その色気に圧倒されながらからかわれていたことを懐かしく思い出した。
丸山 明宏が歌った“ヨイトマケの歌”もこの土方のお母さんのことを歌った歌だった。シナリオが素晴らしいし、演技が自然で深みがあり、チームワークも実にいい。人情の機微と人としての佇まい、女の意地と戦争の齎したどうにもならない現実を凌ぐ姿の痛々しさ。それら総てを秘めて去って行く男の後ろ影。深い余韻を残す名舞台である。
満足度★★★
シナリオ自体は花四つ星
だが、残念な点が2点。詳細は下記で。
ネタバレBOX
A.R.ガーニー原作の今作、アンディーとメリッサの幼年から壮年、メリッサの死までを手紙の往信、返信を介して描いた朗読劇。シナリオは、WASPの傲岸を描き、アメリカ人にとっては良いのだが、有色人種に対して非常に差別的な表現が為されているにも関わらず、その点に留意しているとは思えないプロデュース・演出であった。プロデューサーや演出家自身何か勘違いしている「バナナ」*なのかも知れないが、こんなことだから、アメリカになめられるのだ。文化人であるなら、少なくともインターナショナルを気取るなら、inter とnationalの間位は考えておいて欲しいものである。
また、朗読という形式を採っているので、シナリオを持っているのであるが、女優は噛むシーンが多かった。観客をなめているか、演劇そのものをなめてかかっているかどちらかであろう。それとも、その両方か? だったら演劇は止めてしまった方がよかろう。静かな劇だということで遅れて来た観客は2幕迄待たねばならない、ということだったので、もっと緻密な舞台を期待したのだが、この2点では裏切られた。
*バナナとは、肌が黄色い癖に精神は白人だと思っている日本人に対して、アメリカ人が用いる蔑称である。
満足度★★★★
花四つ星
韓国の劇団コロモッキルが今年3月に韓国で初演した作品の上演である。
ネタバレBOX
作家のパク・ウォニョン氏は、現在韓国政府から最も睨まれているアーティストの一人だが、その原因は彼の創造する作品群が、朝鮮半島の歴史を多角的且つ当事者的な視点で見つめ表現しているからだと思われる。国家というものは、その正当性を神話の上に打ち建ててきた訳だが、少なくとも近代以降このような幻想はあっけなく崩されてしまった。何の前に? と問うのか? 愚問である。無論、合理性と力の前にだ。そして近代国家は新たな神話を生み出したのである。それは、合理性と軍事力を持てば、世界の覇者となれるという神話であった。なんだかんだ言っても現代の地球上で覇を唱え得るのは米国と中国であろう。何れも宗教色の強い国家である。アメリカはキリスト教原理主義の国民が人口の40%を占め、中国の一応マルキシズムを継承したとされている共産党の一党独裁がずっと続いているのは、無論本来の社会主義などではない。現代中国のそれは科学的社会主義などとは全く異なる。一党独裁の頂点に神格化した独裁者を頂いた宗教的組織にすぎまい。だから意見の異なる者を異端者として始末・処罰しているのだ。
ところで、このような覇権国家の植民地として暮らすのが、日韓の民衆である。日本人の中には、地位協定の現実もアメリカの日本侵略も全然見ようとせず、唯々諾々と従う自民党、公明党等、「保守」と呼ばれるA級奴隷の更に下位のB級奴隷として搾取されることに満足している腐れ切った下司共がうようよいるようだが、このような奴隷には元々プライドなどというものが無いらしいので、何も見ず、何も聞かず、何も言わなくても大丈夫なのだろう。どうやら正常の振りをするのは得意なようだ。まあ、底が浅いからすぐ抜けて、何れ露頭に迷い乍ら、負け犬の遠吠えたる愚痴を垂れ流すことしかできまい。
何れにせよ、今作は1945年迄日本の植民地であった朝鮮半島と其処に住んだ朝鮮の人々が、受けた辱めを何とか返そうと奮闘努力する姿が描かれる。その当事者性が役者達の卓抜な演技で迫ってくる。無論、演出は力のある役者達の力を引き出すように働いていて観易い舞台になっている。時代はこればかりではない。つい最近2010年に起こった北朝鮮軍による魚雷によって沈没させられたことが疑われた韓国哨戒艦の犠牲者達について。
更には米軍のファルージャ攻撃などイラク「戦争」とそれに派兵した韓国軍によって、韓国民間人が処刑された件などは、現在、囚われている安田 純平氏や、殺害された後藤さん
湯川氏などのことと、それに対応した日本政府のアリバイ作り見え見えのアホな対応。そして彼らの命を救えなかった我々自身の不如意を如実に思い出させるものであった。
更には2015年除隊間近に脱走した韓国軍兵士についての、極めて興味深い動機とそれが齎す結末については大いに考えさせられた。
いくつもの時代を交互に描き、その各々のストーリーで犠牲になる最も弱い者達が現実に生きてゆく中でのアンビヴァレンツを表現することで、現代の治世への強力な異議申し立てとなっている点で、また兵役義務を課せられている韓国の人々の休戦当事者としての緊張感なども実によく表現されていた。自衛隊では、こうはゆくまい。未だ実戦経験がないのだから。但し、日本の軍隊(現在は一応、自衛隊という名であるが)が、一度走り始めたら、また、勝負の終りまで盲進し続けるだろう。アホな国民の持つアホな軍隊にならなければ良いのだが。現在、「最高責任者」を務める安倍がアホを絵に描いて壁に貼り付けたような鉄壁のアホなだけに猶更心配なのである。
満足度★★
発想が甘い
お伽噺というものは、洋の東西を問わず、原作に当たってみると驚くほど残虐な話であることが多い。
ネタバレBOX
このことは、恐らく以下のことに起因する。支配体制が現在より遥かに苛酷で、タブーも多かった。その苛酷な現実をうっちゃる為にこそ、残虐なもの・ことを登場する悪の化身たる存在に負わせ、それを退治することでカタストロフを得ていたということなのであろう。近代以降、国家も基本的には生まれ変わったハズである。少なくとも理念の上ではそうだ。そして近代国家は、その基本に民衆の自由を保障するから、法理体系に於いても国家権力を縛るべき法が含まれている。だが、実際にそのような権利が主張されそれが素直に通る社会や国家ばかりではないことは、己の国をちょっと振り返ってみれば一目瞭然である。長期政権となった2次以降の安倍政権のしていることといえば、日本会議メンバーを大量動員した愚民化政策とアーミテージレポートによって命じられたことがらの実行ばかりではないか!? 民意は届かず、政府は嘘ばかり垂れ流してF1人災を風化させようと躍起だし、自由への様々な弾圧も頗るつきで酷い。民主国家とは名ばかりのアメリカの植民地が日本の実相である。こんな世相を目の当たりにしながら、反逆的表現としてのオトギを作るのでなければ、余り意味が無いように思われる。もっとラディカルな作品が作れるハズである。奮闘して欲しい。
シナリオにエッジが効いていない点は上記で指摘した通りだが、演出、演技にも感心させられるものはなかった。
満足度★★★★
花四つ星
危ないシチュエーションや、際どいすれ違いを巧みに描いていて楽しめる。
ネタバレBOX
「ホンバンの前に」「メキシコ」「楽しい家族計画」「後戻り出来ない女」「クリーブランド」という作品構成だ。「ホンバンの前に」は、Wミーニングで、にゃにと劇の本番とを掛けてあり、実質前説なのだが、完全に芝居仕立てになっていて粋な悪戯に思わず笑ってしまう。見事なセンスである。
舞台装置は変わらない。舞台を逆くの字で観客席が囲う形になっていてWベッド、二段のサイドテーブル。一段目にはティッシュ。二段目には真っ赤な電話機とコンドームの入ったクリアケース、ミニスタンド。その横には冷蔵庫。部屋の奥には、赤いソファ。出入り口の横にシャワールーム。そしてベッドの反対側の壁際にラウンドテーブルと椅子。テーブル上には灰皿が置いてある。ラブホの基本セットが揃っていて、無論、カラオケも使える。
「メキシコ」は、彼に飽きられて振られた女が、逆上して彼を刺し殺し、街中で逆ナンした男をホテルに連れ込むが、彼は人が良過ぎて、彼女と寝ることを拒否、挙句財布から金を抜くことを示唆して彼女の逃亡を助ける話。メキシコは良くアメリカ映画に出てきて、国境を越えてしまえば、捜査権が及ばないので自由の身、というアレである。
「家族計画」息子の宿題にパパのお仕事、というテーゼを出されたラブホオーナーが、他の人々の楽しく過ごせるような仕事をしているという印象を持たせるべく、ラブホ改修の見積もりを一級建築士に依頼。建築士は内寸を取る為、ホテルにやってきたが。様々な提案の中に夫婦のセックス頻度やセックスレスの問題などが入り込んで際どい会話の連発で楽しませてくれる。無論、時代の移り変わりの中で、今までにも改装はしてきたのだが、そんなホテル史の一面も出てきて楽しめる。
「後戻り出来ない女」は、上司の仕事に対する厳しいプレッシャーから逃れる為に出会い系で憂さを晴らしていた若手社員が、出会い系で連絡を取り合い、ラブホで合流することになったのだが、やって来たのは、当の上司。20歳ほども年の違う部下と、ヤバイ状況であればこそ、関係して秘密を保持したい上司と、何としても逃げ出したい部下との葛藤が描かれる。追い詰められた部下は直属の上司に連絡、話は増々こんがらがってゆく。
「クリーブランド」は、明日にも結婚という情況の女が心を寄せている男を誘って飲みに行き泥酔してホテルに泊まる話だが、女の入れ込み具合が真剣で哀れを誘う。彼も良い奴で、好かれるのも当然というキャラではあるのだが、彼には彼女を抱いてやれない事情があった。人生の皮肉を表して素敵な作品。
満足度★★★★
Aチームを拝見
基本的には征服者と被征服者の話である。
ネタバレBOX
但し、今作で特記しておくべき点は、征服者サイドが1枚岩ではないこと。被征服者の闘争形態が非暴力、話し合い路線を採っている点。更にTVクルーというメディアが関わっている点である。
一般的に国家というものの本質は空虚である。その本質を隠す為に為政者は様々な手管を用いる。例えば秩序とその手続きである法、例えばこれらを維持し続けるための強権としての軍などである。無論、これらの実質的手続き以外に領土だの国民だの通じる言語だの、通底する風俗習慣等によって、そしてこれらの幻想を繋ぎとめる幻想としての歴史などによって補完されているのである。
ところで、これらは、本来人間が持って生まれた自由を束縛するものとして機能する。而も、自由を知り且つ実践する者こそ、国家にとって最大・最強の敵なのである。ここに暮らす原住者達は、この自由を知り且つ実践してきた民であるから、かつては存在した村長すら必要とすることのないほどの民主制を実現してしまっている。言い換えれば、イスラムのロヤジルガのような民主制と言い換えても良かろう。日本でもかつて、このような自治を持つ村が存在したし、基本的には村民の衆議一決を問題解決の条件としていたのである。
だが、現在のイスラム圏が欧米の確たる敵と看做されてその自治を破壊され、抵抗する者達はテロリストのレッテルを貼られて惨殺されている実態は、今作のような解決は極めて難しいということをも示しているであろう。また、欧米の介入が彼ら自身の勝手な論理に従って為され、最初からイスラムに対するバイアスを梃に論理が組み立てられている為、誤った方向に歴史を動かしてきたことは、アフガニスタン、イラク、パキスタン、アルジェリア、リビヤ、シリア、トルコなどの実情を見れば明らかである。そしてこれら諸問題の原因もまた、欧米が作ってきたという史実を見れば、決して一部イスラムの過激化ばかりを責める訳にも行かないのである。
演劇的には、様々な所で踊られる踊りに必然性が感じられなかったり、踊りとテーマとの密接な関係の出し方に難が在ったりと突っ込むべき点はあるものの、権力と対峙する方法としては寧ろ最強の方法を描いている点、国歌と自由市民との対立を描いている点、即ち力と自由の根本的問題に竿差している点を評価したい。
満足度★★★★
また東京へも来てね!! 花四つ星
「同窓会白書」「サッカー」「愛の宇宙」「恋のピンチヒッター」「ファンファーレと熱狂」「大事件」というショートストーリーのオムニバスである
ネタバレBOX
。個々の作品それぞれの関連は余り無く、一話一話の独立性がかなり高い点に特色がありそうだ。その分バラエティーに富んでいるという事もできるが、各ストーリーに対する観客の好みは分かれそうだ。「同窓会白書」 では引き籠りだった男が同窓会の案内状に釣られてやって来たのだが、同級生の誰一人からも覚えていて貰えなくて、何で来たの? との禁句を発されからかわれる話なのだが、何故、彼の引き籠りが治ったのかを入れるともっと良くなる。
「サッカー」は実に面白い作品だった。オフサイドトラップなどの様々なテクニックが非常に巧みに織り込まれバランスの良い心憎い作品に仕上がっている。因みにサッカーという呼称は世界標準ではない。世界標準はフットボールで、サッカーという言い方はアメリカと日本だけではないか? この辺りの事情も取り込むと笑いを一つ、二つ増やせるかも知れない。然しサッカー(フットボール)ほど面白くエキサイティングな球技が他にあろうか? 自分はかつて世界最高レベルの選手たちと1か月を共にした関係で、サッカーの面白さを知った。Jリーグのようなプロフットボールチームを日本にも作ろうと言い出した人間の一人である。
「愛の宇宙」は女性的な視点が多く観られ、恋する相手との距離が遠のいてゆく寂しさを表した作品と理解したが、センチメンタル嫌いの自分の感性とはかなり違っていたので評価できない。悪しからず。
「恋のピンチヒッター」は、かつて同じチームの大の仲良しとしてチームメイトだった2人の選手が、今は、日本一を争う敵味方の四番打者とキャッチャーという位置づけだ。2人の名選手の恋にも似た感情のぶつけ合いと試合の趨勢を決める対決場面の緊張感とそれを崩すような四番打者の振る舞いが、脱落や脱臼そして互いの心理戦との乖離と脱線を経つつ最終局面に至り、さよならホームランで幕を閉じる展開も素晴らしい。
「ファンファーレと熱狂」は、競馬の話でこれも実に面白く拝見した。馬たちの恋の季節は、初め人間の恋話として始まるのだが、これが馬の話に転化してしまうシュールな点や、恋の季節に牝馬を追いかける牡馬の有様が実に巧妙に描かれていて笑いを誘う。牝馬の後追いをする行為をフケと言うのだが、この有様に、タイプの正反対なジョッキーが騎乗してのG1重賞レースの実況も含めて競馬ファンには堪らない作品に仕上がっている。
「大事件」は、抱腹絶倒。胃腸の極めて弱い男が気の強い彼女の両親に呼ばれて、結婚受諾を願い新婦(候補)の実家を訪れるのだが、内容は余りに尾籠な話なので、流石に差し控えるが、開高 健の名言にこんなのがあった。水上生活者が、食べた物を体内から排出すると、魚共が寄ってたかってその“極上のフォアグラ”に喰らいつく、という内容であった。この一行を思い出してしまったほどだ。
普段関西で活躍している劇団だが、またぜひ東京へも出張して公演して欲しい劇団である。パンフレットも手が込んでいて中にはペーパークラフト迄入っており帰宅後迄楽しめる内容だ。色々な仕掛けがしてあって遊べるのが楽しい。
満足度★★★★
祭りに参加できる者は参加すべし 花四つ星
今作の内容については、終演後アップする。純な思いで観れる人には
ブーケを差し上げたいような。赤心に帰ってみるべき作品。
ネタバレBOX
自分の年になると流石に祭りに参加して積極的に騒ぐ主体にはなれない。醒めてしまうのだ。かつて祭りの王と自他共に認めた、隠れラテンの自分にしてそうである。祭りに参加できる間は参加しておいた方が楽しい。こんなことを述べるのも今作のような路上で行われていたバージョンは祝祭の雰囲気が濃厚な作品だからである。実際、序盤から中盤に至るまで筋書は極めて単純である。無論、伏線は潜ませてあるし、その潜ませ方にも無理はない。これはシナリオ作家の体質と才能を示しているのは事実である。但し、この段階では、乳離れしていない少年の無垢やその無垢の夢見る幻想は表せても、それ以上年齢層が高くなると共感を得るのはかなり難しくなるのも事実である。現在、おぼんろのファン層は若手の女性陣がマジョリティーだろう。無論、祭りに参加できる傾向を持った若い男の子もいる。だが、ホントにコクーンを目指すのであればもっと幅広い層に受け入れられるファンタジーを紡ぐ必要がありそうだ。
現代日本では、普通の人が普通に生きること自体容易ではない。互いにしたくも無い競争と競合を強いられ、上層部からの評価が低ければ、例えその人が人並以上の能力を持つが故にし得た提案であっても否決され、上司に胡麻をするだけが取り柄の下司共が、勝ち組として生き残る。結果、日本はガタガタである。無能を絵に描いたような連中が権力の中枢を占めるようになったことが原因である。従って窓際族、左遷組の中には気骨も能力も高い士が埋もれていることも多い。当然、彼らの心中には様々な思いが去来する。そういった人々の興味も惹ける大人のファンタジーも紡ぐ必要があろう。時にそれがダークファンタジーという体裁を取っても構うまい。作家、演者(語り部諸氏)、観客何れもが少しずつ成長してゆきたいものである。
満足度★★★
特異な世界観ではあるが
世界を普通でない色に染めることは?
ネタバレBOX
共犯と、愛の間の勘違いに竿さして他人を壊してゆく男のダークファンタジー、だと考えたということか? 即ち、生きるとは、自分の色に世界を染め上げることだと。それが、例え不幸で、反社会的であるにしても。
両親の行為を押入れの中から覗き見るしかなかった兄妹の傷は、妹が思春期を迎えるに至って頂点に達する。だが、兄はそれを認める為には、余りに理が勝る年になっていた。一方、傷は兄、妹それぞれが担うことによって軽減するしかないと二人は考え実践する方向へも動いた。ある朝、燃え上がる朝焼けの只中に母がぶら下がっていた。
彼らの抱えたカルマは両親のカルマ、兄妹間の禁じられたセックスによるカルマであった。いつしか彼らの業は、他者を食い物にし、他者を破壊することで転化し得ると幻想されるようになった。両親のカルマが如何なるものであったかについての具体的描写はなかった。両親も兄、妹だったのかも知れぬ。何れにせよ、自らが自らを呪う為には充分なカルマであろう。総てが朧な中で展開してゆく物語なので、様々な解釈が成立する。作者の狙いもその辺りにあるだろう。霊界にあるのであろう妹の出現も、ホントに霊なのか否かはハッキリしないし、登場する人物各々が抱える闇もハッキリしているようで殆ど謎であるように作られているので、醸し出されるダークな雰囲気を自分に引き寄せながら面白いと思うか否かで評価が分かれそうだ。で、ホントのことはどこにどのようにあるんだろうね?
満足度★★★★★
アンチセム
の中で生きるということ。
ネタバレBOX
舞台は1937年、アメリカNYのブルックリン地区。下層中流の人々が暮らすブライトンビーチ。この街に住むユダヤ系一家の物語を中心に描かれた作品だ。作家は優れたシナリオ作品を多く書いたユダヤ系作家ニール・サイモン。NYブロンクスで1927年7月4日に生まれている。今作は、1983年の作である。
この時代、TVAで何とか大恐慌を凌いだとはいえ、アメリカの民衆は、決して楽な暮らしをしていたという訳でもない。ましてWASPでないこの一家は働けど、働けどといった状態であり、夫を亡くした体の弱い妻の妹が、娘二人と厄介になっている他、この家の息子も二人が同居、都合七人の所帯である。思春期の従妹同士には、微妙な感情も芽生えている。家庭としては何処にでもありそうな家庭である。無論、ユダヤ系であるということはあるのであるが。シナリオ自体、個々のキャラクターを極めて個性的かつ自然に描いている点、その個々人に社会と時代の荒波が嫌も応もなく押し寄せ、砕こうと襲い掛かってくる様を、それぞれの抱える事件・事情と個々人の悩みとして見事な対比させて描きつつ、各々が決断してゆく過程を具に描いて見せている所にこのシナリオの極めて優れた普遍性を見ることができる。同時にこのように選り抜かれたシナリオを演目として選び、舞台化したシアターグスタフの見識の高さ、これだけのシナリオを自然に見えるように演出し、演じた演劇の総合的な力もまた確かなものである。ベテランは無論のこと、若手もいい演技をしている。
作品の完成度は以上述べた如く素晴らしいものである。が、作家50代半ばに書かれた今作でさえ、シオニストがパレスチナ人に行っていた、ナチがユダヤ人にやっていたと同じような行為が(これは現在も続いているのだが、)作家と今作に影を落としていないことは残念である。
実演鑑賞
満足度★★★★
花四つ星 干支めぐり
男がビルから飛び降りた。
満足度★★★★
傷 花四つ星
新宿歌舞伎町からゴールデン街、2,3丁目までは言わずと知れた歓楽街
ネタバレBOX
。シノギが良いから世界中のマフィアの狙う街でもある。殊に中国が国力をつけるに従い中国系マフィアの中でもこのエリアに目を向けたのは上海系と福建省系である。上海は戦前から魔都と恐れられた世界の悪の巣窟の一つ。そして福建省はやり手として知られる中国華僑の中でも最も結束力と実力に長けた客家(正しい表記は客の辺として口が付く)を生み出した省であり、中国国内でも最も土地が痩せ昔から他に移住しなければ生活が成り立たないような風土のエリアである。
無論、この界隈には台湾14Kの縄張りもある。国内の組織も多くの組織が各エリアを自らのシマとして仕切っている為、ヤクザ者が大手を振って歩けるエリアは案外少ないのも事実である。だが、トンデモナクオイシイ話が転がり込んだ。時代はバブル真っ最中、チャイニーズマフィアが大挙乗り込んできた時期とも重なる。無論、チャイニーズマフィアの装備とその手荒さ、大陸黒社会の実態を知らなかった日本のヤクザも対抗し、あっさり殺された。当然である。日本の基本的に戦わないヤクザが、マシンガンを日本に持ち込み、狙いを付けたこの辺りの拠点に、こういう武器を大量に隠していつでも敵対する事務所ごと簡単に潰せるばかりでなく、チャカを躊躇なくぶっ放し、四の五の言わずに殺害現場から姿を消す、実践慣れしたチャイニーズマフィアに勝てる訳が無い。
何人かの組員がいとも簡単に殺害されるに及んで、日本のヤクザは、直ぐ金を彼らに渡すようになっていた。先ほど、上げたようにこのエリアに目をつけたチャイニーズマフィアで日本で今も活動している有名どころは、大陸系2つと台湾系1つであるが、14Kはとっくの昔に棲み分けができているので問題ではない。今作の時期設定が厳密でないので、上海系、福建省系何れとも現実との対応では判断しかねるが、日本のヤクザを手玉に取った彼らは、大陸系同士でぶつかりそうになったこともある。それを収めたのが、在日の中国人でどちらにも顔の利く人物であった。その人物は、新宿の直ぐ傍に同じように大きな街があり、そこでのシノギも良い。それぞれが、新宿、池袋のどちらか1つを取れば良い、と。そんな経緯があって、このいざこざは片が付き、上海系が新宿、福建省系が池袋ということになったと言う。
何れにせよ、物語の展開するエリアは、トウシロウが入り込むにはリスクの高いエリアだったのである。この物語は緑苑街、ゴールデン街、三丁目界隈の何処とも知れぬ場末の路地を中心に展開する。職安通りや新大久保の話も出てくるが、無論、店(聖亭)の常連の徘徊エリアでもある。座長の森井 むつみ氏の拘るエリアでもある。実際、地上げが散々行われた当時、大企業は都内でやくざとつるんで土地を取得していった。自分の知っている限りでも、森ビル、住友不動産などがあり、ゴールデン街にも彼らの魔手は延びて、立ち退かない者にはやくざ者による嫌がらせや恫喝が相次いだ。自分が昵懇にしていた店も何度となく嫌がらせ、恫喝を受けて頑張りぬいた。今でこそ、女子大生やヨーロッパ系の連中が結構平気に飲めるようになったが、自分達が毎晩入り浸りになっていた頃は、表現する者の集まる店の常連であった我々のような人種以外は怪しい連中しかいなかったし、トウシロウは怖がってこのエリアには入ってこなかった。入った以上、とんでもなくぼったくられるか、命を含め、危険な目に遇わない保障が無かったからである。“いつ、どこで、どんなくたばり方をしようが関係ねいや”と居直ることのできる人間だけが入れた街だった。
背景は記した。後は舞台を観て欲しい。
満足度★★★★
パトスに宿る知性 花四つ星
組織解体の在り様と女の業、男の業を絡めて描いた興味深い作品。
ネタバレBOX
複合意識の複雑さを極めて分かり易く描いた。結果、それは、複合意識を持つが故に疎外される日本の個性と、その構造を見抜いた上で利用せんが為に入念に練り上げられた罠に絡め取られ、自分と自由を失ったハズのメンバーにバグが出たことから、狭いキャパシティーしか持ち得ない組織とその論理を構築していたリーダーというものが破壊されてゆく様を描いた。恐らく、際どい綱渡りを通じて。その緊迫感が堪らないという人々が居そうである。自分は、総てを喜劇として楽しませて頂いた。人間の世の中、この程度の遊戯に勝ち抜けなければ生きてゆけないのは、必然だろう。最後の最後に梯子を外した判断が面白い。