満足度★★★★
母に良く似た妹の愛くるしく人に好かれる顔立ちとキャラに対し、エリの素顔は醜いとは、母のいつもの言葉。
ネタバレBOX
アイドルユニットとしてモデルとして活躍する姉妹ではあったが、エリは整形した顔がスポットライトの熱でぐじゅぐじゅに溶けて正体がバレてしまうのではないか、との強迫観念に苛まれ続けている。
ただし、現在は姉妹だけで生活をしているのだが、エリを可愛くないと言い続けると同時に、女の子は可愛くないとね、とも言い募る母の言葉が、エリに突き刺さって離れることはない。その苦しみから逃れる為か、エリはいつしか麻薬を常用するようになっていた。この薬が効いている間だけは、顔が溶け出す恐怖からも、自分が醜いという観念からも逃れることができる。何だか元気が出て心も魂も落ち着いた気分になれるのだった。
そんな姉の薬物中毒もメディアに知られることとなり、アイドルユニットはスキャンダル騒ぎに巻き込まれるが、メディアの様々な指摘、興味本位の質問に対し、姉を庇い続ける妹の心とメディアの観方のギャップには、今更ながら痛みを覚える。
80分程の尺だが、描かれているのは、メンタルなレベルで追い込まれた少女の不眠や心の折れそうな状況下での痛み。これはこれで良く理解できるのだが、尺を120分くらい迄延ばして薬の入手経路など裏社会のことを描き込んだ方が更に物語は深刻味を増し、深みを増したハズだ。そこまですると取材などが大変だったり、話がややこしくなって収拾が付けられなくまる懼れもあって割愛したのだろうが、取材者の科白の中にそれを示唆する科白を入れて示唆することも含めて大人を納得させる突っ込みも欲しかった。
満足度★★★★
約50分の作品。ファーストシーンでは、非常に中性的な感じのキャラクターが登場する。然し、様々なキャラクターを限られた役者が演ずるので、役柄によるメリハリが余り効いておらず、観客の多くがついてゆけないという印象を持った。
ネタバレBOX
作品の時空設定自体が、不分明なのが一因だ。わざと分かり難くして、迷うことそのものの追体験を観客に強いているのだろうか?
精神病患者の見た夢なのか? それとも女学生の制服を除けば黒い衣装ばかりの登場人物の中で、たった独り白の衣装を着けている登場し、短い科白を吐いた後は赤い風船を抱えて最後のシーン迄眠り続ける男の子の見た夢なのか? 或いはベネトナシュという星から地球へやって来た宇宙人の、地球でのミッションも、宇宙人としての自分の名やアイデンティティーも総て失くしてしまった為、強く地球人になりたく思うのだが、擬態を見破られて自分が地球人に襲われる恐怖や、自分自身の不可解を解決できない陥穽に落ち込んで足掻いた果てに観た幻覚なのか? も分からないように構成されていることと、これらの登場人物に序列の差が無いことが、観客の混乱に拍車をかける。
人物名でも「人形の家」のノラの名を使っていたり、RimbaudのUne saison en enfer中の有名な一行、また見付けた? 何を? 永遠を! というフレーズに対応する科白が出てきたり、更には、作品全体が、象徴性や喩に満ち満ちて居る為に、演じられているキャラが一体何を意味しているのか? 或いは不可解そのものを表現したかったのか? など、作家の意図が非常に分かり難い。
役者の数を役柄分だけ揃えられればそれが一番簡単な解決法だが、劇団のメンバーそのものがそんなに居まい。では、どのようにキャラクターのメリハリをつけるかだが、役者に本当に役を生き切るだけの力があればともかく、学生レベルの人達にそれを要求するのは酷だろう。衣装を変える、という方法も考えられるが、予算やこの尺での早替えは無理がありそうだ。そう考えてくると、作家・演出家が目指したもの・ことは世界は不可解だということだという結論を導き出すことができようが、この結論に達する観客は殆ど0に近いのではないか? 演劇は観客にも分かる形で作らなければ、矢張り弱いのではないか? 無論、それは観客に媚びを売るとか、必要以上にコミットせよということではない。然し、演劇は最も手間暇の掛かるコミュにケーション手段である。苦労して上演に持ち込む訳だから、自分達の意が観客に過不足なく伝わる方がベターなのではあるまいか?
ところで、音楽の使い方などのセンスは抜群で、舞台美術も気に入った。更に深い領域迄言語化できるようになることを期待している。
満足度★★★★★
ストアハウスコレクションNo.9アジア週間はー“私”なるものをめぐってーとサブタイトルが付けられているが、今作は台湾のShakespeare’s Wild Sisters Groupによる2人芝居だ。
ネタバレBOX
但し舞台上には観客席側を底辺とするようなスクリーンが丁度三角を為すように設けられており、舞台上で演じられる演技とバックヤード、ロビー、楽屋、劇場出入り口などに役者が移動して演ずる所作も映し出される仕組みになっている。タイトルのZodiacとはアメリカで60年代に起こった連続殺人事件の犯人が名乗っていた名である。正体は謎に包まれ、犯行予告や暗号文が多くの人々の関心を集めたことでも知られる。
ファーストシーンは、犯人の呟きから始まるが、ロートレアモンの「マルドロールの歌」を彷彿とさせるような残虐性に満ち、その背景に犯人が抱え込んでいたであろう焦躁と苛立ち、アングロサクソン流のロゴス解釈によって割れる寸前の鏡に加わる様々な力、軋轢に対するニヒリスティックであると同時に悲壮な矛盾が見て取れるが、これらが矛盾として顕現してくる背景には、矢張り個々人ではどうにも対抗し切れない状況というものがあるであろう。犯罪者は、この状況を自らを社会の鏡とすることで乗り切ろうとしているように思われる。
今作が台湾の劇団によって演じられている点も重要だと考える。台湾は中国との関係で国際的に困難な立場に置かれ、忍従を余儀なくされていることは周知の事実であるが、個々人の育ってきた環境や家族制度、文化などが危殆に瀕し、自らを形作ってきたもの・ことも崩壊の瀬戸際にある中で、契約を構成するロゴスによって切り刻まれる己は如何様に自己措定し得るのか? という本質的な問題を提起していると取った。
満足度★★★★
Midsummer night’s dreamをベースに近未来のオベロン国VSタイタニア国の戦闘を描いた作品だが、上演形態が若干変わっている。(内容的には面白いが、観劇環境はキツイ。体の弱い方にはおすすめしない)
ネタバレBOX
場面設定は、戦争が休戦状態にあるヴァーチャル空間、東京である。実際には完全に破壊されたタイタニアの元首都を完璧に再現したということになっており、再現したのはタイタニアのマザーAIである。オベロンもタイタニアも総てのインフラ、生活のケアをマザーAIが策定し、その範囲で暮らしており、現実は一切その中で生きる者達には認識できない。唯、ヴァーチャルな社会で互いの意思疎通はこめかみに埋め込まれているチップを指で押さえ、何が必要かを発音すれば、複雑な指揮系統の指定箇所がただちに反応、レスポンスが実行される仕組みである。観客は先ず、オベロンゲートとタイタニアゲートで二分された後いくつかのグループに分けられ、グループリーダーに従って、会場内移動、其処に準備されている様々なアート作品や担当の設定した設問に応える形で、タイタニア或いはオベロンの勝敗に関わる投票権を得たり、スパイの嫌疑を掛けられたりするのだが、その際に用いられる判定用具はスマホである。指定された時、場所でバーコードを読み込むと各観客毎の結果が各々のスマホに示されるということだ。これで観客も観る立場から、物語に関与する主体に変容させられるという点がミソである。
ところで、シェイクスピアの作品にも出てくる「インドの子」というタイタニアお気に入りの小姓が、今作にも登場する。但し、インドの子という表現だけが用いられている為最後の最後まで、男の子であるのか女の子であるのかも分からない仕掛けだ。それに、シェイクスピアから借りているのは、夫婦喧嘩とインドの子、或いは2組の若い恋人同士位のもので、現実に演じられるのはAIやIPS細胞を利用した遺伝子操作等、今後28年程度で理論的には可能になるとされる世界である。当然、量子コンピューターも出現しているし遺伝子操作によって生まれる「人間の子」も現実化している訳だが、これら総てが仮想現実である可能性も捨てきれないのは当然である。何故なら、マザーAIが総てをコントロールしているのだから。今作が極めて面白いのは、早ければ28年後にはAIが、人間の能力を決定的に凌駕し、人間は必要なくなる可能性が出てくることである。生産現場であれ、社会の構成員であれ、アンドロイドやロボット、サイボーグ、遺伝子操作によって生まれた「人間」等々が、自然の働きによって生まれた謂わば現在当たり前と考えられているような人間を不要の物と化す世界への当に過渡期を描いていることである。而も観客をバーチャルな空間である演劇空間に否応なく参加させるシステムを構築していることによって、観客というより演劇というヴァーチャル時空の一要素として機能させる点で、他人事ではない、という切迫感を観客に楽しませる作りになっているのである。
満足度★★★
おばけリンゴは谷川 俊太郎の作品だが、今作に出てくる王様やひみつけいさつ、大臣や博士たちの科白に「鳥羽」の中の余りに有名な一行“本当のことを云おうか”を絡めながら観ると頗る面白い。
ネタバレBOX
例えば現在、国会に提出されている共謀罪についてもハッキリ言って現在施行されている法律だけで充分対応できるということについては、多くの弁護士が指摘してきたことであり、実際にISのジハーディージョンの犠牲になった後藤さん、湯川さんらを救おうとしたフリーのジャーナリスト、アラビア語の達者な大学講師が拘束された際にも、信じられないような罪状によって拘束され、ヌスラ戦線や、ヌスラ戦線からISに移った現地メンバーとの人脈を持っていた彼らの後藤さんら救出計画は頓挫してしまった。結果、IS対策としてISに敵対する国々に対する2億ドル支援(http://toyokeizai.net/articles/-/59008)演説などと共に、安倍の極めて拙劣な判断と世界情勢がまるで見えていないことを露呈したネタニヤフとのイスラエル国旗を背景にした会談、IS空爆に加わっているヨルダンを仲介とした交渉などトンデモナイことばかりやって罪のない日本国民である後藤さんらを死に至らしめた。トルコも多くの人質をISに取られていたが、トルコの人質は解放された。その実績が目の前にあったにも拘わらずである。つまり後藤さん及び湯川さんは、安倍及び日本会議の面々、無能な外務省が殺したも同然であろう。
この事件ではこのように多くの国民もTVやネット、新聞、雑誌で目にしたことをも、ひ・み・つ、というタームで括ってみれば、どうなるか? 日本では至る所で多くの人々がスマホなどを見ながら歩いているが、GPS機能によって、その気になれば位置データは総て盗むことが可能である。スノーデンが「暴露」によって明かしたことは、日本にも基地のあるエシュロンの後継システムであり、全世界から電話・ファックス、あらゆるデジタルデータを盗むことが可能だと言われている。無論、データが膨大なので、必要な情報を選別する為のシステムも構築されている。周知の如く、インターネットの情報の殆どがアメリカを経由する。そこで盗んで来たデータを篩に掛け、大統領のブリーフィングには精選された情報が提供されてきた。
以上のように極めておおざっぱな状況だけを上げても事態は極めて深刻なのである。冒頭に挙げた共謀罪については、何故、現行法で充分対処できるにも拘わらず、自民党はこうまでこの法案を通したがるのか? について各自良く考えてみて欲しい。無論、自分は自分の答えをとうの昔に持っているが。
今作については、ちょっと子供っぽい作りになっていたという気がする。谷川の先に挙げた1行に絡めるだけで、2幕以降は特に日本社会の暗部を炙りだすことができるし、今後、この国の多くの人々が耐え忍ばざるを得ない状況を明示することができたであろうに。
満足度★★★★
Galaxy liveの開催される小劇場には、スポンサーの大手寿司チェーン社長が、株主を引き連れて訪れることになっていたが,
ネタバレBOX
当日開演直前になってもメンバーが現れない。
会場ではプロデューサー、舞台監督、スタッフ、バックステージメンバーらが右往左往の大騒ぎ。原因は、生牡蠣による食中毒であった。だが、そこはプロ意識の高い面々、医師から出演禁止と言われていた者も全員が開演直前に集合。吐き気や下痢に苦しみながらも本番に臨むが、そのドタバタは、映画「しこ踏んじゃった」の名場面を彷彿とさせるオモカッケー形で演じられるばかりでなく、イベントがショー形式の、TVなどでも良く見かける手順の知られている形である所がミソだ。このことを利用して、普段、ショーや演劇の舞台には登場しないプロデューサー、舞台監督、照明、音響、衣装、制作などのスタッフが、メンバーの代役を務める覚悟で舞台上に出てくることによって、観客には普段見えない総合芸術としての演劇やショーのノウハウが示される所にも今作の面白さがあるのである。この面白さを分かり易く而も際立たせる為に、ショー形式の舞台設定になっている所が、今作の作・演出の眼目であろう。
満足度★★★★★
仲の良い母子家庭で38歳になる息子が母を殺した。花5つ星
ネタバレBOX
犯人も母殺害に関しては早くから犯行を認めているが、頗るつきに優しく見えるこの息子が、母を殺害する動機が腑に落ちない。担当する刑事は3人。その誰もが、この点に疑義を抱いているが、登場する役者は3名。総て刑事役である。だが、犯人役として4人目の役者はそもそも存在していないのだ。その代りと言ってはなんだが、犯人の代役として登場するのは、車椅子である。母を殺害した後、心中しようとした男は、足と言わず、腕と言わず、自分で刺して自殺を図った。その所為で取り調べは退院直後の48時間である。警察での留置期限は、通常丸2日と法で定められているからである。
物語はこの48時間の間に行われた犯人と刑事との、また刑事同士取り調べ方法を巡る対立を通しての若手刑事の成長物語でもあるが、実際の取り調べ場面では、刑事2人、犯人1人の構図が最後まで貫かれ、浮いた役者1人が犯人の科白を語る形を採る。が、決して車椅子には座らない。この非在こそが腑に落ちないこと、即ち訳の分からないことXの象徴だからである。別の言葉を用いれば謎ということもできよう。いずれにせよ、刑事たちは真実に至る為に、この尋問と裏付け捜査を進めている訳である。
さて、車椅子には犯人が座っていると想定される中で、劇は進行する訳だが、この非在への集中によって緊張感が途切れることが一切ない。何となれば、この非在こそ、想像力を投影する場そのものであるからである。この演出の素晴らしさは、最初から在った設定で、矢張りこの非在を巡って作劇されたという話も合点がゆく。
更にこの”場”へのアプローチの仕方が刑事間で問題視されるのだ。というのも3人の刑事のうちの1人が、取り調べ中、己の事件解釈を犯人に強要し、調書をデッチアゲている点があり、先輩刑事が、注意しても中々己の非を認めたがらない。散々、諭しても理解しないので、一番の先輩に当たる刑事が、誘導強要している事例をカマを掛ける形で仕込んで見せ、その結果を証明してみせることで、若手を論破する挙に出る。こんな方法を採りたくないので、それまで抑えていたのだ。何となれば、精神的に傷を負わせることは、暴力的な怪我を負わせるより遥かに重い傷を、肉体にではなく魂に負わせるものであることを先輩は知っているからである。いずれにせよ、後輩刑事も、その後の様々な先輩たちからの働きかけに己の未熟を漸くにして知り、成長してゆく。こんなサブストーリーも見事に織り込まれ、改心した刑事の説得によって初めて犯人も腑に落ちる説明に至るのだが、犯人が、頼ろうとした社会的救済システムでの窓口対応の杜撰さや、認知症に陥ってさえ、残り続ける人としての母に誇りと存在の間の奈落、その奈落を、母を理解するが故に、共に爪を引っ掻けながらずり落ちてゆかざるを得ない状況に追い込まれた、心有る人間(犯人)の苦悩を描いて秀逸である。
満足度★★★★★
11年目に入ったドガドガ+の新春公演。(ネタバレ追記2017.2.21 )
ネタバレBOX
舞台は浅草吉原。時は江戸、五代将軍、綱吉の時代。生類憐みの令をだし、犬公方と呼ばれたことで有名な将軍だ。様々な生き物のうちでも特に犬を大切にしたのは、彼の干支が戌年であったからだという。何れにせよこの吉原に於いては世俗の権力もそのままでは通用しなかった。武士であっても刀を持ち込むことは禁じられていたし、籠に乗って吉原に入ることもご法度であった。この吉原で権勢を揮っていたのが弾左衛門である。弾左衛門とは、亡八者、六道の外れ、河原者など士農工商に属さぬ被差別者を牛耳っていた統領である。この弾左衛門には、女信長と仇名される美しく強い娘、じゅりえが居た。一方、赤穂浪人、毛利 小平太は赤穂家中最強の武士であった。この二人が運命的な出会いをするが、郭の者が武士に懸想することはご法度であった。これを破れば傾城の世界と尋常な世界との黙約が破れる為、弾左衛門は断じてこの恋を許す訳にはゆかないのである。だが、障害があれば恋が増々燃え上がるのは必定。運命は、この二人を見逃さなかった。然し、恋を成就させれば恋人を奈落に着き落とすことになるのも必定。二人は悩みに悩むが、討ち入りまでの間はじゅりえが小平太に技を伝授するという形で夜毎会う。然しながら、いざ討ち入りとなれば、小平太は武士の本懐を遂げ、成就すれば切腹は免れない。闘争の過程で火が付けばその目が狼の目と変じる所から人呼んで狼目男(ロメオ)とは彼の通り名であった。一応、今作でメインストリームを形成する二人の名が、若い恋人の悲恋を描いた「ロミジュリ」に関連付けられているのみならず、今作では多くの登場人物名が、様々な文化的遺産、歴史などと密接に絡んでいる。弾左衛門の姓は、今作では犬神だが、歴史的には浅草である。だが、犬神となっているのは、犬公方との関わりを表していようし、サブストリームで自ら破瓜を為す気の強い女郎を演じる品寅はその気性の気高さを表す品に東洋の猛獣の王、虎を掛け更にフランク・シナトラを掛けている訳だし、品寅の先輩格に当たる看板花魁大鳥居(オオドリイ)はヘップバーン、後輩でライバルでもある花魁は得比寿(エルビス)プレスリーに掛かっていると同時に浅草寺の弁財天の七福神仲間である寿老人や恵比須とも掛かっていよう。大鳥居にした所で、神社の鳥居に掛かっていると読める。更に、この朝日楼の女将は、その名を毬鈴(マリリン)という。無論、モンローだ。朝日楼は名歌に出てくる女郎屋の名である。また深読みすれば、虐げられている女郎たちの名は、日本の宗主国であるアメリカに対する庶民の歯軋りと取れなくもない。まして、ここは吉原である。権力が無暗に手出しできぬエリアでもあるのだ。そこで、最も虐げられた者達が自由の声を挙げることは必然である。
女の意地や差別・被差別と弱者たちの置かれた立場をさらりと忍び込ませることで作品は、単なるエンターテインメントに終わっていない。先ず、赤穂最強の武士狼目男に剣技の手ほどきをするのが、じゅりえであること。小平太より強いじゅりえが恋の炎故に心中の道行を選ぼうとすることが若く美しい二人の恋に似つかわしく、故にこそ、この愛は実に美しい。この美しい恋が、狼と犬の遠吠えで象徴的に表現され、一幕と二幕の印象的なシーンと交感すると同時に、ファーストシーンと二幕の頭のコレスポンダンス(交感)も歌って踊れる劇団というコンセプトを目指すドガドガ+のコンセプトに見合う所迄若手が成長していることを作・演出が認めたということでもあろう。
満足度★★★★
香港に在った九龍城塞は僅か3ヘクタールの土地に推定5万人の人間が住んで居たとされる巨大な建築蝟集体である。
ネタバレBOX
土地が狭い分、上へ延びて行った。結果、至る所継ぎ接ぎの蝟集体になった訳だが、独特の水配給システムが構築され、上層階へも給水が為されていた。ジャンボジェット機が、この蝟集体の真上を低空で通過し、水は、温度の変化に応じ固体の氷、液体の水、気体の蒸気と三体に変容するが、タイトルの昇華といい、スチームパンクに絡めた物語の展開といいジェット機の騒音といい、曖昧化する要素の中にある法則性を見付けることで、本筋を見つけ出すことは容易いのだが、狭いエリアに非合法、権力も容易に立ち入れない治外法権的エリアでもあったこの地域でも、治安維持や外敵んい対する防御の必要から自治組織が生まれてくるのは必然であったし、その中で恋が生まれることもまた必然であった。そこに、インフラ基盤の王とも言える水が絡んでくる。当然、地域で暮らす人々の心象変化や口コミによる情報伝達中に仕掛けられた罠などによる情報操作もある。為政者サイドからの分断、破壊工作も警戒レベルを超えて喫緊の問題になっている。これらの諸要素をどこか廃工場を思わせるような混沌たる舞台美術が見事に形象化している。小屋の形状から、座る位置によって物語の見え方がかなり変わるだろう。この点も押さえて早目に席を確保することをお勧めする。
満足度★★★★★
花5つ星 必見!
2011年中津川での初演から毎年朗読形式で上演されてきた今作だが、
ネタバレBOX
今回は、初めて台本を持たず、演劇形式での上演である。構成・演出・美術は、遊戯空間を主宰する篠本 賢一氏。シンプルだが、工夫の行き届いた美術に、今回は下手に和楽器、上手に洋楽器のチェロを配した生演奏で、実力のある演奏家たちの作品内容に合った音曲を聴きながらの観劇である。今回は、声の良い役者を集めることにも意を用い、シンプルな舞台装置故に、多彩な彩を盛り込み、象徴や観客のイマジネーションを生み出す種を提示することで抽象的でありながら、実に雄弁な舞台を作り出している。役者陣のレベルが高いこともあり、武士道の理の持つ残酷さに対して、人の情の多用な襞が浮き彫りになり、いやがうえにも観客の魂に食い込んでくる。音曲・照明の効果的で頗るセンスの良い演奏・技術が更にこの効果を絶大なものにする。
オリジナルテキストが人形浄瑠璃の為に書かれたものであり、史実としての赤穂浪士の討ち入りがあった約50年後に、本当は武家体制批判として書かれた作品であるから、わざと時代をずらし、場所も鎌倉に移してあったりするし、登場人物の名なども無論、史実を類推できるが、実名は使われていない。まして、歌舞伎の演目として全十一段のうち、演じられる段は、実は余り多くなかった。全段通しは、遊戯空間が朗読形式で毎年演じてから、少しずつ広がってきているのだ。更にジャニーズではないが、歌舞伎の場合は、時代、時代の花形役者を引き立たせる為に、実に多くのアドリブが入ってしまって、全体としての統一に問題が生じることが多い。これらの弊害を避ける為に、遊戯空間では人形浄瑠璃オリジナルのテキストを用いているのである。実際、江戸時代の科白で語られるので、最初は少し戸惑う向きもあろうが、ついつい引き込まれて見ているうちに、数百年の時の差が言葉に与えた変化は問題でなくなる。そんなことより描かれている内容の普遍性が、演者・演出・効果などの統合によって観る者の内部にカタルシスを起こし、実に感動的な浄化を成し遂げてくれる。必見の舞台だ!
満足度★★★★★
古希野球というものがあるという。
ネタバレBOX
今作はそんな古希野球の選手たちを中心にした話であるが、そこはラビット番長の作品だ。野球を通して人生の楽しみ、人間関係の機微、苦しみや苦労、そして傍から見たら苦労と思えることであっても本人が納得づくでその苦労を引き受けたなら、そこには苦労とは別の価値観が生じているという、人間としての深さなどが、作演出を担当し、キチンと人生を生きている座長の懐の深さ、温かさをも表していると言えよう。この劇団の長所は座長のみならず、劇団員が皆成長・進化・深化を遂げていることだろう。その結果、作品にどんどん深みが増していると同時に、古希を迎えた人々の日常に否応なく潜む、“死”を通してみてさえ“生きていて良かった”との感慨が観る者にも与えられるという演劇の王道を歩み始めた。今後もますます成長し続ける劇団だろう。
褒められたからといって良い気になる劇団ではないが、今後ますますの精進と人間らしさをキチンと生きるという難題に向かってチャレンジし続けて欲しい。
満足度★★★★
垢抜けない所が魅力になっている不思議なグループ。
ネタバレBOX
オムニバスに近い挿話の全体が緩やかに一作品を形成しているように感じさせる点でもユニーク。
主人公は、とし・ゆう・しんの仲良し三人トリオだが、いつも授業などそっちのけで、自分たちがビッグになる夢を追っていた。が、3人が3人とも夢を夢見るばかりで、その夢を実現する為に具体的な努力もしたことが殆ど無いので、夢の根拠を一切持たぬまま社会人となった。然し、当然のこと乍ら挫折する。人の良い者は、詐欺商法に引っかかって言われるままに要りもしない物を高額で買わされ続ける。一人は、器量の悪い女性がタイプなのだが、そういう女性に出会うと、歯止めが効かなくなって、通常男女間にある暗黙の了解事項を飛び越えて、いきなりキスに走ることが災いして彼女を作れないことがトラウマになっている。最後の一人は、夢見ていた自分の実力が幻影でしかなかったことを、どんどん後輩に追い抜かれて、己はシュレッダー係に迄落ちることで納得させられ、プライドも人間性もズタズタに引き裂かれてしまう。そんな中、学級委員をやっていた早弁だけは商社マンになって輝いていた。3人が3人とも何か困ったことがあった時に、自分達を助けてくれたのは早弁だと思っていたのだが、実は、互いを利用したりもしてエゴイスティックな行動などもありはしたが、互いに互いを助け合って来た側面もあったことが明かされる。まあ、置いてきぼりを食った3人の人生のペーソスと情けなさを、泥臭い手法で描く作品だが、この内容にこの手法がマッチしているのがグー。最後には3人にも一抹の光が示されるが、それは観てのお楽しみだ!
満足度★★★★
原作は女子高生が書いた作品だ。
ネタバレBOX
身体が劇的に変化し、自分でも何が何だか分からないというような戸惑いを抱える時期にある少女たちと言い換えることができるかもしれない。何れにせよ心理学者の祖父を持つ少女と姉の首枷から逃れてきた少年が六本木で邂逅する、という設定で始まるのだが、様々なサイズの楕円が、彷徨う子供達、人々に投影される演出は、時に天使の頭上に掛かる輪のようにも見え、とても美しい。流石に女子大のセンスを感じる。
ところで、物語のテーマは、不安定な少女たちの想像力が生み出した幻影を心理学者が繙き、現実に対峙させて大人への一歩を踏み出させるという内容だと捉えられるが、こういう通常の論理は幾度もひっくり返され、遂には姉と六本木少女の母子関係が語られたり、母と子の入れ替わりに至ったりもするので、姉弟を六本木少女の幻想が生み出した想像上の存在と看做すこともできよう。ただ、この幻影が想像妊娠を契機として成立する幻影だとすれば、生み出された幻影もまた幻想によって実際には居ない父親を理想の存在として造形したりと、冒険譚や未だ見ぬ国への旅などではなく、産む性である女性の、人間の創造に関わっている所に、女性が自らの身体をうざったく感じる視座があるのかも知れない。
満足度★★★★
なかなか考えさせる、期待以上の作品であった。
ネタバレBOX
表現することの意味は何処にあるか? 無論、受け手に楽しんでもらうということがある。だが、それ以外にもいくつものことがある。その一つに、自分の問題として考えて貰う、ということもあるだろう。今作、そういう部分も含んだ作品だと考える。というのも自分自身考えさせられたからである。
いくつかとても大切だと思える科白がある。「この街で指を落とす人間は二通りある。ヤクザと工員さんだ。ヤクザは騒ぎ立てるが、工員さんは偉い。黙って痛みに耐えている」旋盤工が親指を落とした、その指は結局くっつかなかった。その時、ヤーコーの多い蒲田の医師が言った言葉だが、当時その工場に勤めていて、現在はヤクザの少ない地域に就職し労組に参加しようとしていた社員の証言である。
自分自身、蒲田の隣の糀谷に何年か住んで居た。髪を長くしていただけで、スナックに行けばからまれた。風呂屋へ行けば風呂桶は、油が沁み込んで到底使いたいとは思えない代物だった。そんな町でヤーコーとは不思議に喧嘩にならなかった。自分に金が無かったせいもあるかも知れぬ。それに自分が当時遊んでいたのは、新宿だったということもあろう。だが、蒲田が身近な街であったことに変わりはない。そして当時、街場の飲食店が新宿に次いで多かったのが蒲田である。新宿は、堤が稲川会を使ってのした街の一つ、蒲田は覇権を堤と競った五島が、東急系列の電車を通した街でもある。渋谷に事務所を構えていた安藤昇が五島を脅迫した廉でパクられたことも忘れてはなるまい。安藤組は大幹部の花形満が、素手で敵対していた組事務所に交渉に赴き銃殺された事件を契機に組を解散したが、渋谷に本拠を持っていた関係で東急とは縁が在ったのかも知れぬ。(これは地縁の関係という意味だ)
何れにせよ、現実にはこのように様々な関係が交差してくるのが世の中なのである。そして、この関係には命が掛かるのも事実である。だが、殆どの日本人が、この程度の基本的事実を事実として認識することができない。この事実こそ重大である。話が逸れた。追記は後送する。
満足度★★★
輪廻する場は、ピタリと重なっているという前提で永劫回帰論が展開する形。
ネタバレBOX
偶々何かの偶然で二つの世界が交差した瞬間、異世界のカメラマンをしている男と娼婦を生業としている女が邂逅する。一瞬の出来事であったが、男は女を写した。女も男を見、何かを感じた。
ところで、この男女には浮浪者身を窶した神と堕天使が異次元通信の可能なノートと筆記具を渡して、ノートの性質と用い方、それぞれのプロフィールを教えた。ノートは1日に1ページしか書くことができず、書かれた文字は相手に届くと同時に書いたノートからは消える。また、文字数を勝手に増やすこともできない。必ず一マス一文字。而もページは日を追う毎に小さくなる。二人はこの通信を通じて互いの世界を知ってゆく。が、男の世界は平和ではあるものの、平和の毒が蔓延しており、麻薬を常用する者、嫉妬や劣等感に狂い他人の破滅を画策する者、何事も無いかのように傍観する者たちで溢れており、この現実に絶望した者たちは、負のスパイラルに陥って、明日を夢見ることもできない。
一方、女の暮らす世界は、為政者の腐敗に抗した民衆が革命を目指して内戦状態が続いており、政府、革命勢力双方権謀術策が、更に相互不信を起こし始めていた。女は足の悪い母や革命運動リーダーらの生活費を捻出する為に身をひさいでいたのである。
こんな状況の中、政府サイドの殺し屋が女に懸想、子を産ませようとする。彼は種無しと考えられていたのだが、彼女だけは妊娠させることができる、と好都合なことになっている。何れにせよ、異なる世界で生きるこの男女は母子だった、ということになっており、妊娠中に、足の悪い母の企みによって胎児は殺されてしまった。その生まれ変わりが件の男であり、現在は成人してカメラマンになっているという訳だ。
何れにせよ、この男と同じ世界の彼女が、嫉妬心に駆られて、異世界の彼女が書いた文章を読み、恋人を刺してしまう。これらの狂言を仕組んだのが、浮浪者に身を窶したサタン、神はいつもの如く、人を生かすべきか滅ぼすべきかの判断をする為に観察しており、サタンにしてやられる。
物語として、以上の説明は自分が想像力で補った部分があるのだが、それぞれの挿話を更に徹底した方が面白くなるだろうし、カメラマンが女の写真を撮った時、目が合ったと言っている科白自体おかしい。何故ならカメラマンはファインダーを覗いているのであるから、一瞬の邂逅の際にはファインダー越しに彼女を見ていたのであり、彼女が消えた後裸眼で彼女を探した訳で、その時、彼女は異世界へ戻ってしまって見える訳もなければ、目と目が合うことも在り得ないからである。このような細部をキチンと無矛盾で書き込まなければ良いシナリオにはならない。
演技に関しては、序盤・中盤の求心力が弱い。これは、浮浪者達の性格づけが、暗示されていないことにもあろう。こういう超常的存在をそれとなく感じさせることや、終盤の展開への布石としておけば、舞台が締まるのである。
また、二つの世界の住人達の棲み分けを明かすタイミングと仕掛けについても、神・サタンとの関係と絡ませて更なる工夫が欲しい所だ。
満足度★★★★★
メインストリームにいくつかのサブストリームが自然な形で合流し、巧みな伏線の用い方や、演技力の高い役者陣の好演で、丁寧で印象的な舞台に仕上がっている。舞台美術もしっかり作られており、会場に入った途端、劇が良いものだというのが分かる。一例を上げれば、上手側の壁に丸窓が切ってあるなどである。四角い窓に比べて遥かに手間暇と高い技術が必要な洒落た形なのである。
シナリオが良く練れており、演技、演出、舞台美術、照明、音響何れもグー。スタッフの対応も親切で、チケット処理も合理的である。
初日を終えたばかりなので、ネタバレは後で発表するが、観に行って損の無い、心に沁みるいい舞台だ。
満足度★★★★
1911年4月9日に発生した吉原の大火に材を取って描かれた今作。
ネタバレBOX
吉原と根岸を対置する構図で持たざる者と物持ちを対比した作品だが、無論、鏡花らしく人の創る憂き世の哀れ、儚さ、酷さを堪えて生きる吉原の人情や、男女(浦松重太郎・お柳)の深く真摯な愛と重太郎の実母、重太郎の妹樫子とその婚約者、岩造など根岸の傲岸不遜で近代かぶれ、体裁と家紋にがんじがらめにされながら、エリート気取りで軽佻浮薄、而も冷酷な屑どもを比較して描く。
第一の見所は、お柳が、吉原の花魁たちの墓に乱暴狼藉を尽くした岩造一味に鉄槌を下した頭たちを宥める場面で啖呵を切るシーンか。当に江戸っ子の心意気ここに在り、と思わせる名台詞。すっとこどっこいをぎゃふんと言わせ、心が晴れると同時に男社会で女伊達を張るお柳の覚悟のほどを見事に見せつけるシーンである。第二に、重太郎の妻となっていたお柳が、根岸を離れる際にもう一度啖呵を切るが、惚れた男の為に我慢に我慢を重ね、高いプライドを折って土下座して迄頼んだ願いを無下にされての無念、観ている観客の腸が煮えくり返る思いになる。終盤、浦松の婆と吉原を焼き尽くした赤い老魔者とが、人界と魔界で交感し合いながらお柳と重太郎を責め苛むが、鳶の頭らの助けもあり、遂には魔物に打ち勝つ大団円に持ち込み幕。
トランプの差別的発言や、沖縄に対する或いは、在日の人々に対するヤマトンチューの差別発言が問題になる昨今、差別・被差別、強者・弱者をバイアスの無いというより弱者の側に立とうとし続けた鏡花的視点で見直してみる必要があろう。
満足度★★★★
JKから25歳までの素の女の子たちの物語。花四つ星
ネタバレBOX
七年ぶりに集まった元演劇部員の面々は恩師の葬礼に来ていたのだった。今でも女優をやっているマイマイが、自分の思念をJK時代の自分に具現化することでJK時代女子高の演劇部顧問であった新卒イケメンの教師への報われなかった愛や、他の部員とのドロドロした関係が露わになってゆく。
然るに、マイマイ以外の女子は、彼女の入っていけないお祭り騒ぎを演じており、挙句の果ては、顧問とマイマイ以外の総ての部員はセックスをしていたという話迄出てくる始末、更に果てしのないのは、この期に及んで尚女の子同士が誰が一番の勝者であるかを争っていることであった。こんな喧噪の中、未亡人となったのは19歳の演劇部後輩。而も彼女は夫のそのような性癖を知っており妻以外とは最も長く顧問と付き合った女が総てを告げても「知ってます、それが何だと言うんですか」と切り返されてしまう。当然、妻には夫と一時的に関係してもその恋が結婚という果実として稔らなかった先輩たちへの侮蔑がある。その事実を認識するが故にマイマイの幻想は増々強固に、妄想を収斂させ現実の妻を否定し、自らが妻の位置を得るまでの幻視に陥るが、同時に25歳すねかじり、ヴァージンの自称女優と自らを茶化してみせる。(作品中では、これは他の部員が彼女を茶化す形で表現されているのだが)
演劇が歌舞くことを本義とする以上、演劇作品としてはまだこれからという点もあるが、歌舞く為には先ず己を知らねばなるまい。旗揚げ公演でこういった作品を作れることは、その意味で極めて大切なことだと考える。こういう勇気を今後も持ち続け、まっすぐ観、噂話に右往左往する人々とのギャップを正確に知って絶望せず、バイアスなしに自らの掴んだものを原資に表現に携わってもらいたい。
満足度★★★
倉庫のような空間での上演である。
ネタバレBOX
一人はダンサー、一人はマイマー、そしてもう一人が作・演出で多少身体パフォーマンスもやる。宮澤 賢治の三作品(「ガドルフの百合」「雨にも負けず」「四又の百合」)をコラージュして出来上がった今作、科白部分は当然あるのだが、マイマーの発声は滑舌が悪いばかりでなく、至る所怒鳴っているだけのような発声でげんなりである。作・演出担当は流石に身体表現が若干他の二人に比べて劣るものの、まずまずの出来。作・演をやっているのならプロデュースもやっているのだろう。キャスティングをしっかりやること、それをしないなら発声練習をキチンとやらせるべきだし、しないならば科白はつけるべきではない。少なくとも演劇情報サイトに載せているのだから。如何にボーダーレスとは言っても、安易に垣根を取っ払って異なるジャンルの表現者が集まって一緒に何かを作りました、では通らないことくらい分かって当然である。デルモをやっているメンバーが居たり、子供にパフォーマンスを教えたりするメンバーも居るようだが、余りにカルチャーセンター的ノリで、マジに演劇をやっている人々に失礼である。
一応、時間論を持ち出して哲学的なポーズをとっているが、身体に落とし込む葛藤も感じなければ、彼我の差の中で針金状になるような実存や虚体の深刻さなども一切ない。
満足度★★★★★
Gチーム2度目を拝見。無論ハナマル5つ星!! タイゼツべし見る!
ネタバレBOX
それにしてもチャイコフスキーの曲の使い方が上手い。オープニングでは徐々に盛り上げてゆき、明転した所でマックス。その音響に負けない部長刑事の迫力とテンション。熊田、大山、万平役も其々役を生きた。殊に初日未だ表現の難易度の高さにやや役に入り込んでいなかったように見えた大山は、格段の進歩を見せた。この4人の素晴らしい連関を通してつかの描きたかったこと、人間の地を這うような生き様の中でも、人は矢張り幸せを求め、日々の営みが例えどのように苦しくても、明日に繋げていこうとする健気な傷つき易い心と魂を抱えた存在を見事に映し出して普遍性に到達し得たと考える。
ところで、役を生きることができる役者は役者として一流だろう。その意味で今作で重要な役を演じている4人は総て一流の仲間入りは果たしたのではないか。然し次のステップもあろう。それは超一流である。では超一流の役者には何ができるのだろう? 現在、自分にも一つの回答はある。だが、他にもあるだろう、否あって欲しいと考えている。今回Kチームは残念乍ら拝見していないのだが、力のある役者揃いだと思う。こんなに良い役者さんたちと観客の一人として有り得べき役作りを考えていけたら幸いである。
蛇足:チャイコフスキーの使い方終盤も勿論素晴らしいことは言うまでもにゃい! 蛇とにゃこの戦いでは、どちらの勝率が高いのかにゃ?