満足度★★★★
観客の心構えとして、今作の見方は2つ。(華4つ☆)
ネタバレBOX
1936年~39年に掛けてのアイルランドvsイングランドの歴史・宗教・経済・政治状況総てに通暁しているか、無論、フランコに対して立ち上がった義勇軍の歴史については常識として知っているだろう。もう1つは徹底的にバイアスを排除して観ることの2つである。
描かれている一家は、カソリックだから被差別者である。差別者はアイルランド人口の約3分の2を占めるプロテスタントである。一家が貧乏なのは、無論差別された結果でもある。5人姉妹が未婚のまま一緒に過ごしていることの不自然は、無論狭い地域共同体の中で他人の好奇心の対象とされている。それでも辛うじて体面を保っていられるのは叔父・ジャックがウガンダでハンセン病患者の為に生涯を捧げている神父だからであり、長女・ケイトが教師だからである。然し末の妹・クリスは妻子ある男の子を産み一家で育てている。極めて微妙なバランスの上に成り立つ碓氷の上の生活が淡々と描かれているので、差別・被差別の実態も滲み出るような形で実生活に近い為、日本人には退屈に映るかも知れない。つまり社会に於ける階層分化の内実を普段から見据えようとしない思考法しか採らない主体には、脚本自体は普遍性を具えているにも関わらず本質を捉えるイマジネーションを湧きあがらせることができない。この問題は、日本人の特質である訓練された唾棄すべき白痴性にある。自分の頭で考えることの出来ない人にとっては、唯海外の、ど田舎の日常が淡々と描かれているに過ぎないであろうから。ウガンダのハンセン氏病ケアに人生の殆ど総てを捧げたジャックのアフリカ理解の深さも殆どの日本人には残念乍ら分かるまい。
満足度★★★★★
良いか悪いかではなく、ヨーロッパなどに住みちゃんと住んだ国の言葉ができ、彼らの生活の中に入り込んだ日本人なら誰でも知っていることがある。それは、深さだ。(追記後送 華5つ☆ ベシミル)
ネタバレBOX
ワンツーワークスは古城さんの脚本を基本的には舞台化するが、時折海外の面白い作品を舞台化してきた。今作も翻訳劇である。驚いたのは翻訳劇に良く見掛けるわざとらしさを全く感じなかったことだ。白人、黒人、黄色人種が登場するが何れも頗る自然な演技とメイク、階層分けされた衣装や舞台美術の工夫による差異化、その差異を際立たせる照明などで効果を高めている。また、翻訳が素晴らしい。翻訳でも通訳でもそうなのだが、外国語を他の言語にトランスレイトする作業が上手くゆくには、翻訳者・通訳が、翻訳される原文言語(例えば英語)と翻訳された言語(例えば日本語)双方に対して深い言語知識と文化や習慣、歴史、互いの特徴や相似、相違について知っているばかりではなく、肝心な部分に深く切り込み、考え抜くことが要求されるが、コノタシオンが異なる言語を可能な限り見事にトランスレイトしている。
今作は、所謂ブラック企業に勤めた内気ではあるものの、賢く有能で真面目而も仕事熱心な女性・グロリアが、要領良く立ち回り自分の野心に忠実で他の人の痛みには蓋をし兎に角自分さえ良ければよい、と構える多くの社員にあしらわれながらも、僅かな給料の中から苦労して自分自身の住居を持ち社員全員にパーティーの招待状を出したにも関わらず、片手の指にも足りない人数しか集まらず、最後まで居てくれたのは1人だけ、おまけにグロリアのパーティー及び彼女自身は、物笑いの種にしかされなかった。その結果、惨劇が起こる。僅か15分ほどの間に最後に自殺したグロリアを含め10名が死亡、8名が負傷した。
満足度★★★★★
いい味のハートフルコメディー。
ネタバレBOX
かなりチャラけたギャグや台詞が入るが、院長夫妻、食堂のおばさん、小児科医などを演じるベテランがぶっ飛んだ調子を上手に吸収してバランスの取れた良い作品に仕立てている為、硬軟相俟って脚本内容に相応しいハートフルコメディーとして仕上がっている。
グローバリゼーションという名で呼ばれていることの内実は、力のある者が他の総てから収奪するシステムである。これを縛る法は一般的に独禁法だが、アマゾンを観ても分かるように、日本政府は殊アメリカに関しては大甘だから、油断するとあっという間にやられちまうぞ。彼らは次はリアル店舗を狙っているという話が出てきたし。という状況の中で今作、現代日本及び我々日本人が失ってきた金儲け以外の視座の大切さをそれとなく示している点も評価したい。無論こういった人間的で温かく皆が安心して暮らせるような価値観をやんわり表現し得ているのには脚本がしっかりしていることが欠かせない。
今作も大病院を経営する院長と舞台となる小病院の経理事務がつるんで乗っ取りや横領を画策・実行しているばかりでなく、大病院院長は経理担当女史の色でもあるなどの対比を通して善良で優しい小さな病院の経理以外の人々の持つ人間味が、より明確に効果的に創られ、素敵な大団円に繋がってゆく。
満足度★★★★★
神話というものの凡そは、
ネタバレBOX
その想像力の持つ条件の為なのか、或は人間の中の統べる者が発生に於いて必要とされる為政者自らの正当性を担保する為に作り上げるに過ぎない策術に過ぎない為なのか、或は宇宙にそれを認識し得る知を持って誕生するヒトという生き物の孤独を慰める為なのか、或は仮初に上げた以上のような理由総ての為なのかは、私の知る所ではない、としておこうか。その方が楽しく遊べる。いや~~~~、文句なく面白い。イマージュの美しさ、壮大、飛躍、人と神々の関係、条理と不条理混交のアナーキー、掟と情との乖離から来る様々な運命の持つドラマ、想像力の形が持つパターンが腑に落ちる点等々枚挙に暇がない。コロナで大騒ぎしている我々だが、こんな雄大な世界に足を踏み入れるのも一興だろう。或は仙人になれるやも知れぬぞ!
満足度★★★
歌を聴くだけならお勧め。(追記後送)
ネタバレBOX
非常に立派なパンフレットが用意され、全員音大の声楽科出身? と思わせるほど歌は頗る上手い。然し脚本は、凡庸だ。NYに出て一旗揚げようとしている男女10人の在り様を描いているのだが、ジュリアーニが市長になって以降劇的に治安は良くなったもののNYの闇の部分やソーホー地区、地下鉄で、その直前迄荒れ狂っていた暴力、殺人、恐喝やレイプといった犯罪、麻薬、アル中、ギャングの残滓は、都市の持つ腸として機能していよう。因みに自分がNYを訪れたのは1999年暮れ、中古の拳銃ならSWチーフスペシャルの値段は100$だった。3流ホテル1泊120~140$よりずっと安い。
満足度★★★★★
パレスチナ人の書いた作品2本を上演。(追記後送)
ネタバレBOX
「帽子と預言者」
ガッサン・カナファーニーの作品である。一般にパレスチナ人の表現は、自分たちを洒落のめすような作品が多いのが特質だが、そうでもしていなければ狂ってしまう。それがパレスチナ人が置かれている状況であり、日々彼らが味あわされている日常なのだ。だから、その根底には、凄まじい迄の自嘲が盤踞している。而もこれらの苦境の根本的原因を作ったのは、世界を思うがままに牛耳ってきた英仏米など列強であり、殊に英の有名な三枚舌外交の罪は極めて重い。無論、イスラエルを石油確保の為の橋頭保と位置付けて以降の米のイスラエル優先政策はトランプになって最早なりふり構わぬ癒着レベルに達している。
満足度★★★★★
大阪を本拠地とする劇団だが“殺陣を観て痺れる”という感覚を持たせてくれる劇団は、この劇団くらいではないか?
ネタバレBOX
殺陣の見事さという点では、他にもう一つの劇団を観たことがあるが。何れの演者も高い技術と身体能力を持つ優れた集団である。
舞台美術、照明、音響、衣装の見事なコラボと、為政者・佐久間の性質の悪さをしっかり描き込んだ脚本は、正しく政治の本質がキチンと描かれており、ピッカルーンの実に個性の強い7人の強者たちの要として機能する御姫の純粋と対比されるのでドラマツルギーが爆発的な力を持つ。同時に佐久間の手練手管によって好きなように操られる民衆が描き込まれていることが我らの生きる社会の縮図として観る者に迫ってくる点もグー。
殺陣の見事さで特に自分が気に入った方とその魅力の見せ方は、男虎を演じ、作・演、殺陣指導も手掛ける竹村 晋太郎さんの重量感と間合いの取り方、流麗な動き、キャラの作り方、更に袖に付けられた布の効果及び見事に殺陣の効果を高める照明・音響もあって迫力満点。また伊武の闘技用変身体になった時の、黒衣に身を包んだ石黒さくらさんの華麗な空手の技も見ものである。彼女の蹴りや突きの素早さ、的確さ、角度、連続性などまさしく流麗というレベル。見事なものである。
満足度★★★★
現在、日本に生きる若者の生きずらさ、地獄をキチンと描いて見せたオムニバス形式の作品。内容もほぼ同世代に設定しているので演者と役の年齢ギャップを作劇上で感じることもないのはグー。(追記後送華4つ☆)
ネタバレBOX
但し元カノが同じ店に居て「目をあわせちゃった」設定で、今の彼女候補が母親からの電話と言って彼との席を外し、(同じ店内で女子同士の内輪話を、元カノの座っているつまり元カレから丸見えの席でするハズがない。)にも関わらず、観客の視線を無視した矛盾を強いるのは矢張り認めがたい。演劇は論理だ。かなり頭の良い作家さんだから、これだけ言えば充分だろう。これが原因で5つ☆ではない。
満足度★★★★★
野坂昭如の原作を望月六郎さんが脚本化、(追記後送)
ネタバレBOX
原作との大きな違いは雨之雀とうめのの関係及び雨之雀がガンギの録助に取材を敢行する点である。前者は、今作の最も抒情的な神髄を為す部分であるが、実に含蓄の深い而も恥じらいというものの持つ最良の形を演劇化し得たシーンとして心に深く染み入った。後者は、作品が観客に自然な形で届くように演劇的に脚色されている部分で脚本家としての望月さんの真骨頂でもあろう。
雨之雀役の丸山 正吾氏、ガンギの録助役の岡田 梧一氏の魅力的な演技は無論、正岡イルカ役の那須野イルカ氏の品の良い知的人士ぶり、大人の演技が板についてきたうめの役の大岸明日香さん、看板女優という重荷と戦いながら二回り位人間的に成長したと感じさせる茜役・神田川侑希さんらは、無論、全体的に歌も踊りもレベルアップしてグー。
満足度★★★★★
今作の深さを為しているもの・ことは実をいえば現今のグローバリゼーションの根底にあるもの・ことではないか? (追記後送)
ネタバレBOX
設定は住民数200人ほどの山奥の村、独特の言語を用いて対話し仮面を付けて生活するといわれる場所だ。この村に東京のラボで研究医療に携わる三澤という男がやってくる。この村の調査と医療ケアが仕事の内容である。そこで彼の見たものは、美少女・白濱が仮面を付けた村人に紙袋を頭から被せられ、差別・虐待される姿であった。彼女の棲家は焼かれた為、今は野外での生活を余儀なくされていた。三澤は彼女にも人権があることを彼女自身に気付かせ、差別する者たちから護ることで徐々に彼女の信頼を勝ち得てゆく。そこへやって来たのは同じラボで研究に携わる徳永だった。彼は可成り功利的な男で一度期に2人もこの村への派遣が為されたのは、研究だの医療ケアだのではなく左遷だと捉えていた。そして三澤とは異なるアプローチを試みる。彼は村の娘、カノンの顔の左側面の大きな痣を取り除き美しくしてやるという餌で彼女を口説き、村の秘密を暴こうとする。多くのことをカレンから聞き出した徳永であったが、鍵の掛かった、村の金庫と呼ばれる建物の中に一体何が入っているのか迄は掴めなかった。そんな時、ミイラのように顔中を包帯巻きにした男・フィムが現れる。村の中で唯一人顔に傷も痣もなく最も美しいが故に差別され続けてきた白濱と最も醜いが故に閉じ込められ続けたフィムは被差別者同士の本物を見分ける目と感性そして互いの持つ優しさと人間としての尊厳を傷つけられた者同士の共感により互いを人間同士と認め合い、信頼できる友となった。
満足度★★★★★
タイゼツべしミル。華5つ☆。3回目公演で満席だけのことはある。作・演、演技、照明、音響、スタッフの対応何れも素晴らしい。(追記後送)
ネタバレBOX
タイトルは西行の名歌から採られている。これは~取りという日本の詩歌の伝統を踏まえた表現技法のひとつであることは言うまでもない。内容的にも北面の武士としてエリートの街道を驀進した西行が何故、仏門に入ったのか? という西行ファンならずとも多くの人々が興味を示す史的事実を遠い木霊として、浦島伝説の在り得べきバージョンを制作している。
満足度★★
演劇まつりと題されたコンペに参加している団体総数は8団体。うち2つを本日拝見。
ネタバレBOX
1本目は「張り込み」というタイトルの作品であるが、どうも若い人達の作品には、書く必然性を作家が自分の内部に持っていないようなものが多い。これもショウアップされ、スターシステムによって資本の論理を隠蔽した上で形成されている現代の収奪形式の形態の一つではあるのだが、その結果は惨憺たるものであると言わざるを得まい。残念だ! 今作には、矛盾と取れる部分があった。
2本目は「恋の守り犬」というタイトルの作品だが、今作も、作家の内面にホントに表現したい何ものも無いことを如実に示した作品で、その空疎を誤魔化す為に犬は殆ど人間として描かれていて、その描き方によって観客を迷わせようとの狙いがあるようには思ったが、2人称の世界だけが作用し合う、自分たちの生きている世界を全く視野に入れようともしない現代の日本の若者像が結果的には描かれているようで深刻な危機感を持った。夜は大学の演劇部の公演を拝見したのだが、2作品共に学生演劇の足元にも及ばない。
満足度★★★★★
前説でかなりイケメンの役者さん2人がお茶らけたべしゃりから始めたので、ミスったか! と考えかけたが、これも良い意味でのケレン。大切なことはキチンと論理立てて述べているのを観て、しっかりした劇団だと判断した直後、別の前説が出てくるに及んで、この劇団、何かしらかなりおもろいことやらかすで、という確信に変わった。そして、この期待は裏切られなかった。お勧めである。(追記後送、おもろいで!)
ネタバレBOX
エンタメの形式を採っているから、ギャグレベルもグラデーションがしっかりつけてあり、観客の知性に応じて笑える場所が異なる。何れにせよ、総てのギャグを理解できる観客にとっても、別次元の社会的、社会科学的、そして政治を如何に哲学するか? といった非常に本質的な所に棹差した作品なので深読みができる。受け手に応じて様々な位相の解釈ができる点は、恰も芭蕉の句のようである。
満足度★★★★★
韓国の現代作家による中編、短編各1篇の上演。この尺でこれだけ深い人生を描き得る日本の現代作家を自分は知らない。この企画での作品上演、極めて優れた作品群と観た。(追記2020.2.23 )
ネタバレBOX
韓国映画「パラサイト 半地下の家族」がアカデミー賞の作品賞など4部門を制した。実際、韓国演劇のレベルの高さは多くの人が認めるであろうし、TV番組(この数年自分はTVを全く見ないが)でも未だに高い質を保っているのであろうと想像する。受賞作でも格差社会が問題となっているそうだが、自分が今迄拝見した来日韓国劇団の演劇作品にも貧困が扱われている作品が多く、今回拝見した作品も2作品のうち1篇はこの問題を扱っている。韓国作品の多くが当に同時代の人々の生活感覚を写し取るような作品が多いのに比べ、日本の演劇界は、そういった生の感覚を削ぎ落とし、真正面から体当たりで表現する作品が少ないように思う。そのせいで作品から受けるインパクトの強度も弱いものが多いのだ。
満足度★★★
表層をさらうだけなら演劇的には☆4つ、然し社会や歴史の見方という点では☆3つと評価したので評価は華3つ☆。なぜこう評価したかについてはネタバレ参照のこと。
ネタバレBOX
タイトルは漢字では「継走」、リレーのことだ。9人編成の輜重兵小隊が中国戦線で自軍の前線兵士に輜重{とは、糧食・衣料・医薬品(当然麻薬を含む)・武器・弾薬を始め作戦遂行に必要なありとあらゆる軍事関連物資のこと、これを運搬する役目を負わされた兵士が輜重兵である}を届ける為に奮闘する話とこの作戦中に亡くなった祖父・孝次を持つ短距離走日本代表走者・憲治が、祖父の戦友で生きて帰れた人物・庄司につばさと共に取材を申し込み、孝次・庄司が共に同じ小隊に属し従軍した時の話を訊きたいと掛け合う。今はフリーランスのライターとなった憲治と仕事に繋げてくれたつばさに対し「22歳時に庄司は同じ小隊で孝次と輜重兵として行動を共にした」と答え、逆に「22歳の時に憲治は何をしていたのか」を尋ねる。この質問が敗戦直前の日本軍の対中国戦線と現代のリレー走者を演劇的に無理なく繋いでいるが、イカンセン日本の軍隊の描き方が余りに実際のそれとは異なっている。先ず、伍長、古年兵と新兵らとの差が小さすぎる。こんなに民主的だったハズが無い。マルタと呼ばれた捕虜を用いた毒ガス、細菌兵器の為の人体実験、南京虐殺、中国人女性レイプや性奴隷化の他、所謂三光作戦、即ち焼光(焼き尽くし)、殺光(殺し尽くし)、搶光(奪い尽くし)を実行した訳であるから憲治が調達した様々な物も総て“三光作戦”の搶光に当たる訳だ。また、初年兵が中国人捕虜らを刺し殺すことによって戦争で侵略先の人々を殺すことに痛痒を感じなくなっていくような方法が積極的に取られていた。この余りにも惨たらしい所業故に中国人からは「東洋鬼」と呼ばれた日本兵の在り様が殆ど示されていない所に現代日本の「民主主義」の根本的弱点、即ち加害者責任無化問題があると思われる。
一方、この部隊に対する作家の「優しさ」は、上に挙げた様々な事例は、登場する兵士たち自身が、同時に被差別者としての自らの鬱憤を転嫁していたこと、即ち9人の兵全員が東北の出身であることは“白河以北一山百文”の差別が続いていたことの例証であろうことに注意を払った為と考えることができる。が、矢張りこの日本自体の内的差別問題だけでは、史的事実の重さに対して表現として拮抗しえない弱さは否めまい。
南が譫言にまで復唱する軍人勅諭五ヶ條(一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし 一 軍人は禮儀を正くすへし 一 軍人は武勇を尚ふへし 一 軍人は信義を重んすへし 一 軍人は質素を旨とすへし)と略しているが原文はタイトルなどを含めると2700字を超える文章だ。(演劇作品として尺の問題があるので致し方ない部分があるが、これが上官の命令即ち天皇の命令であるとされ、而も軍隊教育の中で徹底的に人権思想、自由、信教の自由などが弾圧された為、西洋では成立し得た市民という個人意識が育たなかった、恐らくそれが原因で日本人の大多数が己の加害者性を認識できずに今も生きている)。
意地悪な見方をすれば福沢諭吉が欧米の民主主義の意義を充分承知の上で唱道した天皇を中心とした「強兵富国」策、「天賦国権」「国賦人権」論を踏襲することになりはすまいか? だとすればこれは河上肇がヨーロッパ近代を総括して「天賦人権」「人賦国権」と断じたのとは正反対の差別構造そのものの所業を温存することになりはすまいか?
満足度★★★★★
この劇団、全員が一般の社会人として働いている。(追記後送)
ネタバレBOX
それだけに社会に対する普通の感覚、普通の判断をキチンとベースにしながら作品を組み立てているので、本来為政者が持たねばならないような健全な社会意識とバランス感覚で社会に実際に生きる人々が何を望み、何を不安として抱えているかを見事に抉った上で舞台化している。演技は自然だからリアルであり、切実で社会の本質を上手に掬い上げている。
今回は、小劇場劇団ならどんな劇団も実際にぶつかり悩む問題、即ち劇団存続を巡る様々な問題、どんな演劇人にも必ず訪れる劇団員の加齢による身体性の問題や、才能のレベルの問題以外に、生活し続けていけるか否かの問題、家族(親のアルツハイマーや子の病気、教育問題を始め本人の結婚、出産、子育て費用を含め生活費の深刻な悩み等々)の事情も絡み、劇団を続けてゆくことには多くの困難が伴い、才能はあっても諸事情から止めなければならない状況もあるという現実を背景に、座長の失踪と劇団崩壊の危機に対し、失踪前に座長が10年後の公演を予約した劇場での公演が為される。
満足度★★★
開園前には、えらくセンチな感情表現を予見させるようなBGMが流れて、
ネタバレBOX
舞台美術は恰も寺社の本堂内面を映したような印象の見事なもの。然しファーストシーンに出てきたのは現代のクリエイティブな職業に携わる人間が着るようなファッションの中年の男が上手から、外は雪が降るほど寒いのに薄手の生地のミニスカートの若い女がこの建物(温泉旅館)の下手アプローチから歩いてくる。これだけ舞台美術に金を掛けながら本来の用途では使わない和太鼓が正式のぶっちがえにした台に載せられてではなく、皮の張られた片面を床に接して荷物置きとして用いられているなどの不自然が重なる。これらのちぐはぐは中盤迄ずっと続くので、これを観ただけで演出家は何をやっているんだ? と思わざるを得なかった。伏線も下手だ。中盤、教師の川西とアイドルグループのメンバー、マリとの対話から漸く芝居らしくなった。
満足度★★★★★
史実とフィクションを綯い交ぜにし、差別とは何か? それを克服することは可能か? などを提起した問題作!(華5つ☆ べしミル)
ネタバレBOX
歴史の現実を見る限り、数百年単位の月日を通して差別自体は緩和をみてきたと言えよう。然し時にはより陰険、陰湿に目立たぬように実行されるケースも多い。今作でもヘレンの実母、ケイトは障害児であっても自分の娘であるヘレンには夫と対立してでも現代流に言えば健常児に対すると同じように人間として基本的に接しようとしているが、接し方が合っているのかいないのかが良く分からないことで悩んでいる優しい母である。が、有名になったケラーの家に同居することになったヴィニーと同じ手洗いを使うことに対して殆どパニックに陥ったような差別感情を爆発させる。差別の根深さが良く出たシーンである。また腹違いの兄、シンプソンが今作の登場人物中で最も差別的であるように見えるのは、単に彼がKKKの頭巾を被ったりするからではない。寧ろそのような恰好を選ぶ原因にこそ、我らの視点は向けられねばなるまい。結論から言えば恐らくシンプソンにはアイデンティティーの危機感がある。そしてこのことが差別が根深いことのもう一つの大きな原因だと言えるであろう。腹違いではあっても妹、本来は可愛がるハズだ。南部の男のプライドにかけても。だが恐らく事実はそれほど単純に働かない。自分にとっては継母であっても、女の子に比べて遥かに甘ったれなのが男の子というものだ。母には余計甘ったれていたい。然し三重苦を背負ったヘレンに母は掛かりっきりになることが多かったであろう。甘えたいのにそれが実際にはできない。そのことが、ヘレンに必要以上に辛く当たるように観客には見える原因であろうが、恐らく本当の男の子の反応に近い。このような精神状況を抱えながらシンプソンが育っていたとしたら? 古い帽子が度々出てきてシンプソンは異様にその帽子を大切にしている様が描かれているが、帽子が彼にとって何を意味するか? 考えてみても面白かろう。またアイデンティティーの危機からくる差別は、現在のネトウヨ等とも共通する心理であろうなどということも考えさせる。
アブラクサスが、上演回数を増やす度に、更に多くのファンを獲得し、リピーターが増えるのは無論、作・演出・女優もこなす代表の実力もあるが、彼女の描く世界が持つ普遍的な世界観、その作品群が問い掛ける問題の解決必要性、問題が本質的であるが故に忌避されがちであることなど、実際に我々が生きている社会に対する鋭く、切実な問題意識がある。そういった大切なことが脚本に充分に練り込まれている為、演じる役者陣の役作りもインセンティブが高く、各々の役者が実に良い内面からの表出を舞台で出せている。ピーターの肌は白く白人と見分けはつかない。然しこれは隔世遺伝で肌が白いだけで父、母共に黒人奴隷であった。母系が白人にレイプされて肌が白いだけなのだ。その彼が、KKKに殺されそうになって南部を脱出、白人の振りをしながら北部でメディア関係の仕事をし、記者としても大きな影響力を持つに至っていたが、その彼が、肌が黒い同胞に対し「ここは黒人が来る所では無い」と言わざるを得ない。その彼の苦悩は、他の役者にスポットが当たり、自分のようにひねた観客が気を付けて観ていない限り、滅多に気付かれることのないような隅っこでも、キチンとその苦悩の深さ、辛さ、悲しさが本当に内面からのものとして表現されており感銘を受けた。ヴィニー役も良い。ヘレンの乳母だった彼女は、ヘレンが他の誰にも理解されていない時から、ヘレンが心を開いていた例外的な人間であった。そのことの意味する、雰囲気や人柄のようなアトモスフィヤをも見事に出していた。ヘレンを演じた羽杏さんや、アンを演じた紀保さんの演技の素晴らしさは誰しも褒めるだろうから、自分は余り書かない。分かり切ったことだが、中々実践されていないことに、細部までキチンと疎かにせず作った作品であるか否か、ということが大事だ。無論、今作はそういったことにも細かく配慮が行きとどいている。一例を挙げておくと中盤辺り、上手暖炉の上部辺りに南部連合旗がさりげなく壁に貼られている、流石である。
満足度★★★★
4回目の公演で本田劇場出演という早稲田大学の学生さんの劇である。(華4つ☆)
ネタバレBOX
第1回目公演(初演)も矢張り「粗忽長屋」をベースにした作品だったそうだが、初演の際は、後半部を結構メタ化して作っており今作とはまるっきり異なる作品だったとのこと。今回は落語のオリジナルといい具合に交錯している。
舞台は能を意識したという。奥行きの2倍以上はある横幅の広い舞台がメインで逆凸型に客席側に中央部分が迫り出している。手前は5寸ばかり奥より低い。下と中央に沓脱石が一つずつ置かれ、更に客席側には丁度波打ち際に残る波跡のような塩梅に玉石が敷かれている。上手には生の三味線が入り、終始演奏者が舞台に居る。舞台下手手前は天地を逆にした箒が真っ直ぐ立てられその奥に柱、上手端は柱と箒の位置が下手と逆になっいる。この両端の合間に柱が各々3本、手前から奥へセンターを広く取った演技空間として2か所に並んでいる。これらの柱や箒によって区分された空間中央の天井からは、裸電球が吊り下げられている。このやや昏く侘しい照明の効果もグー。
落語オリジナルに近い部分もあるから、当然死んだ粗忽者の当人は長い間己の死に気付かず、喜劇的言動を繰り返しつつ物語は進行するが、彼の勘違いを正すべく妙齢の女幽霊が現れたり、幽霊の本人と生きていた頃そのままの本人が同時に併存するといナンセンスは如何にも落語ならではの人を食った発想を活かし虚数空間的、或は量子力学的に面白い。
満足度★★★★★
作品タイトル通り正面奥には傾斜角38度、縦の長さ5間(約9m)幅8~9間の傾斜、登り切った所には踊り場があり、傾斜を降りた上手コーナーの窪みには後になって若い男がパフォーマンスを行える空間が設えられている他、傾斜手前には低い櫓の上に床面が設置され、音響操作機器や、今作の重心を務める男の演ずるパフォーマンス上演空間が設置されている。傾斜上部踊り場のど真ん中には大きな時計の文字盤。(無論、これは資本主義による収奪の象徴であろう)追記後送