ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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夜だけが味方

夜だけが味方

GORE GORE GIRLS

北池袋 新生館シアター(東京都)

2012/10/24 (水) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★

記号
 依存症の話である。テーマが依存症であるならば、
もう少しシリアスに扱った方が、演劇的には面白い
ものになったのではあるまいか。依存の対象を
象徴ではなく具体的に余りにもあからさまに扱って
しまったのは、不手際である。同じように、ぬいぐるみを
用いるにしても、依存症の表面をではなく、日常生活の
罅割れに潜む、深く、狭く、果てしない蟻地獄のような物として
扱った方が、その深刻さが伝わったのではないか、と考える。

 新譚サロメ   (改訂版) 

 新譚サロメ   (改訂版) 

ウンプテンプ・カンパニー

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2012/10/29 (月) ~ 2012/11/04 (日)公演終了

満足度★★★★

中々
 ワイルドの「サロメ」が余りに有名な為か、戯曲シナリオというより、
作家性の競争を挑んだ頭でっかちになってしまったようである。
作家として、決して、それが悪いということではないが、ワイルド版「サロメ」が
内包している内容をあたり前の事として受け入れ得る現代ヨーロッパの文化的情況に比して日本のそれは余りに貧弱で殆ど瀕死の状態と言って過言ではない。その分、説明的になった部分を煩いと感じるのだ。演出も、この辺りは、難しい判断を迫られたに違いないのだが、事情が許せば、矢張り演劇の本旨に立ち帰って肝心要の所だけを、象徴を使うなどして、もっと様式的に
作っても良かったのではないだろうか。音楽もサティーの曲を想起させるような生演奏が入るもので、それなりに楽しめたし、役者陣の一所懸命な演技もあるのだから、その辺りを上手く、分解し、余分な所は切り、更に緊密な再構成を図ることで、一段、演劇的に高い場所へ行くことが出来よう。

船虫口説(ふなむしくどき)―オチョロ船・まぼろし画帖―

船虫口説(ふなむしくどき)―オチョロ船・まぼろし画帖―

あくたーず工房

テアトルBONBON(東京都)

2012/10/25 (木) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

オチョロ
正義を標榜する者に差別はないか?

ネタバレBOX

 実際、正義を実現するのは難しい。腐ったものには、利益がついて回るからである。正義や正しさを実践していると自負していた椀屋が、自らの抱える内的差別に気付いていなかったことに気付く所、また、「おちょろが女になる」という科白に込められた恋する遊女が持つ念の純粋性は心を打つ。胡弓の音色は人の声に最も近い音だと聞くがその響きも良かった。効果で使われた音楽は、効果的ではあるが、大河ドラマ風な所に少し食傷気味に感じたのも事実。
トマレギ

トマレギ

ういろっく

しもきた空間リバティ(東京都)

2012/10/26 (金) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★

絶望の中の希
絶望的な状況の中で夢を見続けようとする姿勢がよい。

ネタバレBOX

 地球環境の悪化と戦争による惨禍のため、地球上の殆どの動植物は壊滅的打撃を蒙った。生き残った者他阿智は、若く健康で善良な若者を選んで火星に移住する。
 70年後、火星移住70周年記念事業として、火星で育った若者を地球に送り込む計画が立てられるが、火星でも地球人が犯した過ちと同様の過ちが進行していた。
 これらの弊害を避けるために科学者は人間の悪弊を取り除いた新人類を遺伝子操作によって創り上げる。一方、火星の厚生労働省の事務次官は、新人類を使って地球の支配を目論んでいる。
 火星で生まれ、今は年老いて地球に崇敬の念を抱く第二世代の老人たちと新人類は、地球から訪れた外交官の計らいで地球へ向かうことになる。 が。
リンクス東京 感謝!! 来年も東京で!!

リンクス東京 感謝!! 来年も東京で!!

演劇ソリッドアトラクションLINX’S

上野ストアハウス(東京都)

2012/10/24 (水) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

競演
各劇団20分と持ち時間は、やや少ないが、全般的に実りの多い公演であった。

ネタバレBOX

オパンポン創造舎 「王様大脱走」
シナリオ、役者の技量、本質を捉える確かな目、社会階層の差異に因る人格形成を様式化する能力の高さ、哲学的内容を演劇に仕立て上げる腕の確かさ。見事である。
ネタばれ:島国の王が、獄舎に囚われている。罪状は、密入国。強制送還は受け入れ拒否にあって、帰ることすらできなかったのである。然し、王は、民は、自らの子であり、王自ら民を守らねばならぬ、というかたい信念の故に何度も脱走を試み、そのたびに失敗して刑を加算されて、今では刑期も260年に延びている。それでも脱走を諦めない王の獄舎に新たな囚人が送り込まれた。新入りは、当初、先に獄入りしていた者は何者か探りに掛かる。然るにその権威の齎す物腰に圧倒されてしまう。彼は王だと言う。島国の王なのである。で、民を守る為に自分は帰らねばならぬと主張するのだ。だが、王は強制送還すら受け入れ拒否にあっており、彼の主張にも拘わらず帰れる見込みは薄いのだ。それでも、他人を信じようとする王に対して、新入りは、親近感を抱き始める。そして柄にもなくサジェスチョンをしたりするのだ。曰く、何でも他人を信じて喋ってしまっては良くない。弱みを握られ付け込まれるからだ、と諭す。
王は生まれて初めて、世の中の無常・無情に気付き、今度は、多くの国民が他人を信じてしまう者が多い為、ヒトの在り様を知らせる為に、どうしても脱獄しなければならぬと主張する。王は新入りを誘うが、脱獄に失敗し続けている王の情報を看守から得ている新入りは、脱獄成功の確率は非常に低いというより間違いなく失敗すると信じ、親近感を覚えている王にも脱獄を諦めることを勧めるが、王応えて曰く、「パラグライダーが救援に来る」。新入りにも息子がおり、王が脱獄すれば、新入りは自らの刑を、脱獄を権力側に知らせることで軽くなる道を選ぶ、と主張。どちらも自説を曲げずに脱獄の時を迎えるが。
強制送還の受け入れさえ拒否された王は、脱獄後どうなるかも定かでは無い乍ら、脱獄にチャレンジし、新入りは、脱獄だと叫ぶ。警戒のサイレンがけたたましい叫びを挙げる。その緊迫の中で新入りが、鉄格子の向こうを眺めると、悠々と飛ぶパラグライダー、パラグライダーには、王の姿も。

超人予備校
 絶滅動物や危惧種を題材に、その動物に纏わる知識を羅列したような舞台でユニークではあるが、演劇的には如何か。

犬と串 科白を敢えてナンセンスに置き換えた。分からせるものか、との意思さえ感じる劇団。熱狂的なファンがいる可能性を感じる。

テノヒラサイズ シナリオ、役者のレベルで勝負。情況設定の上手さとオリジナルのシナリオの中に仕掛けられたアドリブ部分を実に自由闊達に演じて見せる。実力の確かな手ごたえを役者の技量とシナリオのマッチングに結晶させて見せ秀逸。
 航空機事故で命を落としたクイズ研究会の面々5人は、エースの奮闘で終に最終問題に辿りつく。これまで、破れた者は、皆、地獄へ落ちていった。最後の問いは、人間性に纏わる問いである。五人のうち四人しか天国への門は開かれていない。20分の間に誰を地獄に送るか決めろ、というものであった。
 能力も高く優しいエースが、初め地獄落ちの候補として選ばれてしまう。皆に
見限られた侘しさから、エースは様々な抗議をして抗う。そうこうしているうち、エースの代わりに地獄落ちを選んでも良いという者、が現れる。回答期限の時刻が容赦なく訪れ、最終的に、皆目をつぶって地獄落ちの候補者を指さすことになるが、結果は全員一致であった。神の啓示は正解。
 
劇団ZTON 
 殺陣を中心にした京都の劇団である。上野ストアハウスの狭い舞台上でも、舞台一杯に拡がった殺陣のシーンで互いにぶつかり合うことも無く流麗な剣舞を見せた。無論、ストーリーテリングな要素もある。土方に憧れ、京に上ってきた六番隊隊長の甥が、五稜郭まで随行する中で、京都に入って直ぐの頃のことを中心に描いている。初仕事は、新撰組に長州の間者として入り込んでいた隊士を斬るというものだ。初陣とは言え、彼は、刀の道に掛けては殆ど素人だが、運よく難局を切り抜ける。然し、彼が五稜郭へ辿りつく迄に、彼に関わりのあった叔父を含め、名のみ登場する土方を除く総てが、討ち死に、切腹などで果てている。凄まじい話だが、若く弱い剣士の念が伝わる仕組みになっている。

空想組曲 「深海のカンパネルラ」
 宮澤 賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにした作品だが、賢治作品の本質を見事に捉え、その哀しみのトーンを舞台化して居ながら、内容的には、現代の物になっている。それも、現実と夢幻の間に焦点を当てているのである。
 舞台では、カンパネルラの死を悼むジョバンニの通説な念が「、精神の危機に陥った少女の1年後の姿に重ねて描かれる。彼女は自らの友人の死をカンパネルラの死に重ね、幻想を繰り返すことで辛うじて、この世に命を繋ぎとめている。それは、「永決の朝」でとしに別れを告げた賢治自身の痛烈な痛みにも通じよう。
 然し彼女もこの幻想への逃避を断ちきらねばならない。兄が、精神科医が、彼女の再生を願って様々な支援を試みるが。最終的には、彼女自身が、この試練に立ち向かわねばならない。彼女は、友の死とその思い出に真正面から向き合うことでこの障害を乗り越えてゆく。



『往復書簡』

『往復書簡』

BASEプロデュース

BAR BASE(東京都)

2012/10/23 (火) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★

脚本
 二転三転する脚本の面白さで持った。朗読テキストを見ながらで、これだけカムのは、どうしたわけだろう。明かに、練習不足と粗雑都は「言わないまでも、作品への配慮の欠如である。

チェンジ

チェンジ

劇団芝居屋

ザ・ポケット(東京都)

2012/10/23 (火) ~ 2012/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

ぶれない舞台
 いつもながら丁寧できめ細かな創りには感心させられた。若い役者も基礎がしっかりしていて、科白を音節単位まできちんと発声しているので聞き取り易い。細かい点まで注意深く演じられている。たとえば、妊婦のおなかが大きくなるに従って、歩く時の様子が違ってくるなどだ。
 半透明に透かした場面での演劇と、通常の舞台との同時進行なども、大変有効な演出方法で効果的である。
 更に、個々の役者陣では、若手を含めて、身体から滲み出るような、演技に向かって日々精進していることが伝わってきた。流石である。

こい!ここぞというとき!(2012年サンモールスタジオ最優秀演出賞、受賞)

こい!ここぞというとき!(2012年サンモールスタジオ最優秀演出賞、受賞)

ポップンマッシュルームチキン野郎

サンモールスタジオ(東京都)

2012/10/18 (木) ~ 2012/10/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

演劇版落語
 落ちといい、言葉の崩し方といい、間にあるものの微妙な外し方といい、非常にバランス感覚の優れた、演劇版落語とでも名付けたい作品だ。
 間といえば、落語の命であるが、狭間とも読み、アイダとも読む。無論、マとも読むのである。この作品では、これら諸要素が混在し巧みにシャッフルされて、湿りっぽくなりがちな親子関係をドライに知・痴的に舞台化している。
 たとえば、言葉とため息の間、言葉とオノマトペの間、言葉と騒音の間、当然、言葉と静寂の間といった具合だ。また、登場するキャラクターも一風変わっている。おかまにおなべ、幽霊に優柔不断、マゾ教師にサド女王等々。異端や異形の者達は、さながら魔の潜むが如きレッテルを張られがちだが、実際に彼らが紡ぎ出すのは、赤裸々な人間味である。
 笑いながら、ほろりと涙に噎せながら、爽やかささえ持ち味に加えて軽みを感じさせる秀作である。

龍神伝2012

龍神伝2012

音楽劇場 夢

浅草木馬亭(東京都)

2012/10/18 (木) ~ 2012/10/20 (土)公演終了

満足度★★★★

科白なし
 非常に実験的な舞台である。音楽と歌唱、役者の身体演技で構成された象徴的舞台だ。リードするのは、バイオリン。出演している個々のメンバーの技量が非常に高いので、アンサンブルが非常に難しい。演出はさぞ、苦労したことだろう。この困難をなんとか破綻させずに引っ張ったのが、ぶれないバイオリンの演奏であった。聞けば、本番前に全員が揃って練習し呼吸を合わせることのできる機会が、極めて少なかったということだ。個々のレベルが高い為に一堂に会するチャンスが無かったということであろうが、日本の演劇事情を考慮しても矢張り、惜しい。海外に今回出演したメンバー全員で出掛け、向こうでも練習をするという条件で契約を結んで公演を打てれば、絶賛されるであろう実力者揃いだ。
 当然のことながら、観客にも象徴を見、解釈する力は要求される。歌われる歌詞によって多少の説明が与えられるとはいえ、通常の科白は一切ない。験されているのは、観客の想像力である。その意味で、この作品は、演劇そのものと言っていいかも知れない。
 龍神が出てくる以上、自然と人間の関わりである。それも、水を中心としたそれだ。水が出てくる以上、干ばつは想像できて当然、また洪水も然りである。3.11、3.12があってこのかた、人々のエコロジーに対する意識は益々高まったことであろう。だが、都会での、消費するだけの生活に慣れきった人々に、自然の脅威がどれだけ実感できるというのだろうか? エコロジーが悪いと言っているのではない。然し、自然が、猛威をふるえば人力など荒海に翻弄される木の葉に等しい、ということを実感で語れる都会人がどれだけいると言うのか。3.12という人災の絶対悪というよりは、3.11のような自然の厳しさをキチンと描いたうえで、人と自然、人と人との人間的関係の本質的在り様とはいかなるものかを問うた秀作である。
 観客としての我々は、3.12の主役もまた水の問題であったという本質にゆき当らざるを得ない。島国である我が国に水はいくらでもあった。だが、これを冷却水として用いるという判断が無かったが故に引き起こされた3.12の取り返しようのない人災についても、我らは、更にシビアな目を、事故を起こした東電ばかりでなく、現在の野田政権、それを操るアメリカの世界戦略にも目を向ける必要があろう。
 象徴的な舞台であるから解釈は多様であるが、ハンダラは以上のように解釈した。

FANTASISTA

FANTASISTA

夢幻舞台

中野スタジオあくとれ(東京都)

2012/10/19 (金) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★

若者らしい
 感性が、若者のそれである。現代この「国」の若者らしく決してきらきらしているわけではないが、線が細い。不必要な緊張があった。もう少し知的であるべきだろう。知識の量ではない。知恵の領域の話だ。若者は若者で自分達の立ち位置をキチンと把握すべきである。それができれば、無用な緊張はせずに済む。演劇を構築することは、論理である。子供だましの感情論ではない。
 殊に、脚本はプロの劇団スタッフが書いたものだと言う。神の扱いが面白い。神は人間の作ったものだから、よほど、ペダンティックな神学論争にならない限り、人間的であるはずだろう。従って、神の神性を保障するためには、対立概念としての悪の権化は必然である。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、神が、総てを創ったとされており、それが、正しいならば、神は悪とその実践主体である悪魔も創ったのだ。何の為に? 馬鹿げた質問だが、応えておこう。自らの存在意義とアイデンティティの為だ。神は自らをアイデンティファイするために、また善を良きものとみなす為に、必然的に悪魔を必要としたのだ。また、神は、この劇の中で、退屈もしている。退屈とは、無論、退廃の臥所である。
 だが、太平楽を決め込んだ、この国に生きる、若い演者、演出家にこのようなことを読み取ることは、荷が重いかも知れぬ。然しながら、表現自体が、世界レベルで行き来するのは、文化の必然であり、コミュニケーションを支える技術の発達によって伝播のスピードは、劇的に縮んだ。若い人たちには、そのような時代状況に合った成長を遂げてもらいたい。

夢の星

夢の星

玉田企画

アトリエ春風舎(東京都)

2012/10/17 (水) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★★

リアリティーが浸蝕するもの
 劇の劇的な部分を敢えて批評的に捉えるタイプの作品と見た。演じられてはいるものの、批評のリアルに支えられたドライで強靭なリアリティーが、センチメンタルな感情や心象風景を浸蝕し、感興を削ぐことに成功している。何よりこのドライな批評性が心地よい。
 情況設定は、芝居を舞台に掛ける迄の演出家と役者たちの練習風景なのだが、脚本の変更あり、ダメダシの変更ありという中で情況の細部が変わり、その度に、演出家は新たな演出をつけ、役者たちはそれに直ぐ応えて演技の形にして行く訳だが、短時間で想像力を身体の動きや科白回しに変え、役作りの有り様を見せて行く。若い役者たちの演技も基礎がしっかりし、よく考えていることが分かるものであった。惜しむらくは、最近流行りの若者特有の変な日本語の発音を取り入れていることである。演劇は、時代を反映する度合いの高い芸術形式ではあるが、若者特有のおかしな発音を作品に取り込む必然性は無いように思う。

ミュージカル「Do Not!!」

ミュージカル「Do Not!!」

翠組 midori-gumi

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/10/16 (火) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★

ダンスはまずまず
 合格点だったのはダンスとストーリー。シンプルだが、肝心な所を押さえ、筋の通った展開で合格。然し、歌唱力は、もっとつけて欲しい。殊にソロで歌う人々は、もっと基礎からキチンと歌の歌える身体をつくるべきであろう。楽器の演奏も音楽劇なのだから、もう一段や二段は高い所を、最低目指さなければならないレベルだ。また、オフブロードウェイを名乗るのなら、アメリカ流のブレイクダンスやレビューなどではなく、日本独自の身体表現を編み出したり、コンセプトを作るくらいの独自性と知的水準の高さがあって良い。テイストとしては、大人になり切れない日本人には、向くかも知れない。
 ところで、照明は中々気が利いていた。

琉歌・アンティゴネー

琉歌・アンティゴネー

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2012/10/10 (水) ~ 2012/10/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

ニライカナイ
 物語ではニライは姉、カナイは妹である。無論、沖縄のユートピアであるニライカナイに掛けてある。一方、アンティゴネ-は、ソフォクレスの悲劇、「アンティゴネ-」のことである。つまりオイディプスの娘、クレオンの姪である。今更、芝居好きの前で言う事ではあるまいが、最近では古典を読まないヒトが多いので勘弁して頂く。「オイディプス」も「アンティゴネ-」もギリシア悲劇の傑作中の傑作であるが、この悲劇の因縁を巧みに取り込みながら、蹂躙され続けて来、今また更なる蹂躙に晒される沖縄本島の政治、生活、日常を、分断が、当たり前に行われ、アンチノミーやアンビヴァレンツに苛まれる人々の日々の愛や争闘に描き出して見せた。
 武器を持ち、地位協定に守られた、犯罪者上がりの多い米海兵隊、差別剥き出しの米軍、米国人に媚を売ることしか知らぬ大和政治屋と官僚。植民地軍の扱いに抗議することもせぬ腑抜け自衛軍らによって二重、三重、四重に虐げられた人々の魂の傷。血を流し続ける彼らの魂の真上を今朝も、明朝も米軍ジェット戦闘機、攻撃型ヘリコプター、オスプレイなどがお構いなしに飛んでゆく。日本国土の僅か0.6%の空間に日本全国の基地の75%が存在する、海も山も空も、米軍基地に占領された「監獄」、沖縄。蹂躙され続けた魂の誇りは、血を流し続ける魂は、ニライカナイに辿りつくことができるのか? を鋭く問う秀作である。

夢のあとさき

夢のあとさき

劇団キンダースペース

劇団キンダースペース アトリエ(埼玉県)

2012/10/10 (水) ~ 2012/10/14 (日)公演終了

満足度★★★★

夢現
 三席の落語を芝居に落とし込んだが、第一席に「夢の酒」第二席に「天狗裁き」そしてトリに「芝浜」を持ってくる。気の利いた構成であった。夢の酒は、軽め、天狗裁きは、イラク戦争でアメリカがイラクに迫った大量破壊兵器を持っていないことを証明せよ、とのいちゃもんを思い出させて、不条理劇の怖さを改めて見せつけられたような恐ろしさを現前させ、トリの芝浜では、言わずと知れた人情噺の傑作を舞台化した。非常に小さな劇場だが、出捌けは深く切れ込んだホリゾントからで能の橋掛りや歌舞伎の花道が在るわけではないが、上手奥に深く穿たれたホリゾントは、充分にその効果を発揮し、興をそそる作りになっている。舞台美術も三席総てに共通する文様ではないものの、合理的な作りで、観客の想像力の邪魔をしないものであり、照明、音響で一瞬にして場の雰囲気を変える手際も鮮やかなものであった。
 演じた役者陣は、全員、和服を着ての演技であったが、歩き方、立ち居振る舞いも和服を着るときのそれで、細かいところへの気遣いが見て取れ、満足のゆくものであった。
 演出家の謙虚で真摯な態度も、役者陣の気を抜かない演技もレベルの高いものであったが、噺に忠実に作り込んでいる分、落語の本来持つ、狂気が出ていたのは「天狗裁き」を第一に、「夢の酒」を第二にという感じであった。芝浜は、人情噺の代表的な作品だから、狂気のようなものを取り入れるのは容易ではないが、立川 談志の噺のような切れと激しさを入れるともっと良くなるように思う。何れにしろ、謙虚で真摯な劇団と見た。これからの更なる研鑽に期待して、今回、星は4つ。

柳亭市馬独演会

柳亭市馬独演会

市川市文化会館

市川市文化会館(千葉県)

2012/10/12 (金) ~ 2012/10/12 (金)公演終了

満足度★★★★

構成も良い
独演会とはいえ、前座もあり、休憩を挟んで曲芸もありという構成で、様々な層の観客に対して細かい配慮が見受けられる。落語が庶民の芸能である所以であろう。師匠は、各々の芸(前座、曲芸)を噺の枕に取り込んで、自然体で自らの噺をしている。出のシーンでの歩き方、裾捌き、着座、挨拶する時の位置なども、マイクのある位置からお客に対して不自然にならないような位置に座を占め、おじぎが丁寧に見えるような計らいも見受けられる辺り、流石の感を抱く。出からして前座とは格が違うというのが、ハッキリ観てとれるのだ。決して歩き方が美しいとかではない。ただ師匠の生きている環境の中で自由にしていられる。そういう歩き方、登場の仕方なのだ。その辺りを流石だと思う。流石、流石のオンパレードだが、それだけ引き締まった土台の上に成り立っているという、芸事の基本を思い出して欲しい。落語は演劇で言うと一人舞台に似ている、言い方を変えると共通項が多い。実際、高座での師匠の噺には、形態模写もたくさん出てきて、上手いのだ。

いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

MU

BAR COREDO(東京都)

2012/10/01 (月) ~ 2012/10/08 (月)公演終了

満足度★★★★

思春期
 微妙な時期のメンタリティーを舞台という形で現前させたことを評価したい。このような形で表現できる所に演劇という表現媒体の特徴もある。教師サイドの反応も愉快だ。

ズーキーパーズ ★第24回 池袋演劇祭「優秀賞」受賞作品★

ズーキーパーズ ★第24回 池袋演劇祭「優秀賞」受賞作品★

マグズサムズ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2012/09/27 (木) ~ 2012/10/01 (月)公演終了

満足度★★★★

面白い
よんどころない用事があって、大幅に遅刻をしたので、中盤迄は見ていないが、リズミカルでテンポの良い科白回しや、次々に襲ってくる難題、事件をコミカルに且つしっかりしたリアリティーを持たせて見せる辺り、力のある劇団とみた。大幅に遅れたので、細かい点は、他の方にお任せする。

あずき

あずき

CHAiroiPLIN

相鉄本多劇場(神奈川県)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

レクイエム
 大人から子供まで楽しめる。実に多様な解釈のできる作品だ。と同時に深いレクイエムでもある。

ネタバレBOX

 
 この作品の意味を解釈するのは尚早、との批判を覚悟で意味に挑んでみよう。冒頭、飛び出すのは座敷わらしである。わらしは、自分はこの家の妹で生まれて直ぐに死んだ、と自己紹介する。一方、家族はあずきご飯を炊き掛けており、祝賀の際に供される小豆ご飯で祝うもの・ことについて多くの質問を出すが、その問いは悉く否定されてしまう。それでもあずきご飯を炊く準備は総て整っているのである。おかずに掛ける調味料の好みについてさえ多くの質問が為され、各々の好みに応じて調味料は人数分用意されているのだ。
 而も、その後、家族は離散の憂き目に遭い、捜索願が出されるが、出したのは死んだ妹、わらしである。更に家族の居ない邸には、毎日、一通ずつの手紙が届く。家族から家族へ宛てた手紙は、郵便配達によって毎日読み上げられる。言の葉が、誰に伝えられることも無く、意味の埒外で死んでしまわぬように。手紙は、再び家族が見出された時に終わる。366通目だ。その日、集まった家族は、出来上がった赤飯をこぞって食べる。これは舞台上で現実に為されることにも注意を喚起したい。次に最後の儀式が待っているからである。最後のシーンで家族の一人一人が笊を頭上に掲げる。何が入っているか察しの良い読者には既にお分かりだろう。小豆である。それを全員頭からかぶる。当然、小豆は床に落ちて音を立てる。実は、この音こそが狙いである。かつて飢饉で命を落とす農民の間には竹筒に玄米を入れて振り、瀕死の者に米の音を聴かせる風習があったと聞く。周知の如く封建体制下にあって人口の95%を占めた農民の常食は、粟、稗などの雑穀であった。経済の指標であった米は、生産者の口には入らない高嶺の花であった。当然、死にゆく者に聴かせる米の音はレクイエムである。ChiroiPurinは、小豆でそれを為したと言わねばなるまい。作者の鈴木氏は、3.11、3.12以降、甚大な被害の前で演劇やパフォーマンスに何ができるかを深く考えただろう。その答えの一部が、この作品として形象化された。

黒い花の咲く山

黒い花の咲く山

劇団演奏舞台

上野ストアハウス(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★

この国
発声法が独特なこの劇団であるが、生演奏が入る為に楽器の音に負けない発声で演じているためだろう。非常に人工的な発声の為、良く通りはするが、シチュエイションによって煩く感じたり、また発声法に戸惑って間を外すケースがあるので、この辺り、根本的な演技方法レベルで考えてみる必要があろう。
 今回の舞台は、戦争と支配・被支配、人の紐帯とそれを破壊する競争原理や効率化の問題である。実際に、それがどのように機能し、人々のコミューンはどのようにして崩壊してゆくのかを描いていると言って良い。当然、現実に我々の生活の中で起こっていることとも関係している。観客は、自らの国の政治屋等を頭に思い浮かべながら観劇するのも楽しかろう。それに充分耐える内容である。勿論、デフォルメはされているが。

「みごとな女」「妹の着物」

「みごとな女」「妹の着物」

劇団グスタフ

シアターグスタフ(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

若手VSベテラン
 時代背景を考慮した演出だろうか? 古色蒼然たる音声案内。これには、流石に驚いた。まるで、数十年前の浅草に迷い込んだような錯覚さえ覚える。今回は、森本 薫の「みごとな女」と川端 康成の『掌の小説』から「妹の着物」を舞台化した二本立てだ。
 「みごとな女」では、若手が中心の舞台作りで、看板女優の渡邉 宰希が胸を貸す、といった舞台作りになっていたので、こちらはエチュードの仕上がりを見る、という感じであった。
 が、休憩を15分挟んで演じられた「妹の着物」は、殆ど渡邉の一人舞台という形式で演じられるのだが、実に上手い。演出、照明、効果音も適切である。

ネタバレBOX

 幾つか、例を挙げておこう。開演早々、姉、妹の早変わりを演ずる場面があるが、一瞬部屋の隅に身を隠しただけで、玄人と素人の本質を演じ分けるのだ。更に病み衰えてゆく妹の顔が痩せ、目が大きく見えるようになり厚化粧をすると崩壊の美を彷彿させることなどを話しながら、口紅を引くシーンでは女そのものを感じさせる。
 また妹の亡くなる晩、危篤状態の妹を夫に託し医者を呼びに走る途中で、妹の結婚前の恋人に呼び止められ、妹と間違って為される恋人の呼びかけ、嘆願の言葉から、妹が大恩あるあねに義理を立てる為に、気の進まない結婚を承諾した事情を知るが、妹の着物を着、髪型も妹と同じに替え、体つき、顔立ちもそっくりな姉は、そのまま妹を演じその男と情を通じるのだが、川端の筆の冴えをきちんと受け止めて伝えてくる。
 他にも印象的なシーンは多々あるが、見る時の楽しみを殺ぐのは本意ではない。伏せておくとしよう。評価は二本合わせて★4つとした。

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