夜だけが味方
GORE GORE GIRLS
北池袋 新生館シアター(東京都)
2012/10/24 (水) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
満足度★★★
記号
依存症の話である。テーマが依存症であるならば、
もう少しシリアスに扱った方が、演劇的には面白い
ものになったのではあるまいか。依存の対象を
象徴ではなく具体的に余りにもあからさまに扱って
しまったのは、不手際である。同じように、ぬいぐるみを
用いるにしても、依存症の表面をではなく、日常生活の
罅割れに潜む、深く、狭く、果てしない蟻地獄のような物として
扱った方が、その深刻さが伝わったのではないか、と考える。
新譚サロメ (改訂版)
ウンプテンプ・カンパニー
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2012/10/29 (月) ~ 2012/11/04 (日)公演終了
満足度★★★★
中々
ワイルドの「サロメ」が余りに有名な為か、戯曲シナリオというより、
作家性の競争を挑んだ頭でっかちになってしまったようである。
作家として、決して、それが悪いということではないが、ワイルド版「サロメ」が
内包している内容をあたり前の事として受け入れ得る現代ヨーロッパの文化的情況に比して日本のそれは余りに貧弱で殆ど瀕死の状態と言って過言ではない。その分、説明的になった部分を煩いと感じるのだ。演出も、この辺りは、難しい判断を迫られたに違いないのだが、事情が許せば、矢張り演劇の本旨に立ち帰って肝心要の所だけを、象徴を使うなどして、もっと様式的に
作っても良かったのではないだろうか。音楽もサティーの曲を想起させるような生演奏が入るもので、それなりに楽しめたし、役者陣の一所懸命な演技もあるのだから、その辺りを上手く、分解し、余分な所は切り、更に緊密な再構成を図ることで、一段、演劇的に高い場所へ行くことが出来よう。
船虫口説(ふなむしくどき)―オチョロ船・まぼろし画帖―
あくたーず工房
テアトルBONBON(東京都)
2012/10/25 (木) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
トマレギ
ういろっく
しもきた空間リバティ(東京都)
2012/10/26 (金) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
リンクス東京 感謝!! 来年も東京で!!
演劇ソリッドアトラクションLINX’S
上野ストアハウス(東京都)
2012/10/24 (水) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
『往復書簡』
BASEプロデュース
BAR BASE(東京都)
2012/10/23 (火) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
満足度★★★
脚本
二転三転する脚本の面白さで持った。朗読テキストを見ながらで、これだけカムのは、どうしたわけだろう。明かに、練習不足と粗雑都は「言わないまでも、作品への配慮の欠如である。
チェンジ
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2012/10/23 (火) ~ 2012/10/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
ぶれない舞台
いつもながら丁寧できめ細かな創りには感心させられた。若い役者も基礎がしっかりしていて、科白を音節単位まできちんと発声しているので聞き取り易い。細かい点まで注意深く演じられている。たとえば、妊婦のおなかが大きくなるに従って、歩く時の様子が違ってくるなどだ。
半透明に透かした場面での演劇と、通常の舞台との同時進行なども、大変有効な演出方法で効果的である。
更に、個々の役者陣では、若手を含めて、身体から滲み出るような、演技に向かって日々精進していることが伝わってきた。流石である。
こい!ここぞというとき!(2012年サンモールスタジオ最優秀演出賞、受賞)
ポップンマッシュルームチキン野郎
サンモールスタジオ(東京都)
2012/10/18 (木) ~ 2012/10/29 (月)公演終了
満足度★★★★★
演劇版落語
落ちといい、言葉の崩し方といい、間にあるものの微妙な外し方といい、非常にバランス感覚の優れた、演劇版落語とでも名付けたい作品だ。
間といえば、落語の命であるが、狭間とも読み、アイダとも読む。無論、マとも読むのである。この作品では、これら諸要素が混在し巧みにシャッフルされて、湿りっぽくなりがちな親子関係をドライに知・痴的に舞台化している。
たとえば、言葉とため息の間、言葉とオノマトペの間、言葉と騒音の間、当然、言葉と静寂の間といった具合だ。また、登場するキャラクターも一風変わっている。おかまにおなべ、幽霊に優柔不断、マゾ教師にサド女王等々。異端や異形の者達は、さながら魔の潜むが如きレッテルを張られがちだが、実際に彼らが紡ぎ出すのは、赤裸々な人間味である。
笑いながら、ほろりと涙に噎せながら、爽やかささえ持ち味に加えて軽みを感じさせる秀作である。
龍神伝2012
音楽劇場 夢
浅草木馬亭(東京都)
2012/10/18 (木) ~ 2012/10/20 (土)公演終了
満足度★★★★
科白なし
非常に実験的な舞台である。音楽と歌唱、役者の身体演技で構成された象徴的舞台だ。リードするのは、バイオリン。出演している個々のメンバーの技量が非常に高いので、アンサンブルが非常に難しい。演出はさぞ、苦労したことだろう。この困難をなんとか破綻させずに引っ張ったのが、ぶれないバイオリンの演奏であった。聞けば、本番前に全員が揃って練習し呼吸を合わせることのできる機会が、極めて少なかったということだ。個々のレベルが高い為に一堂に会するチャンスが無かったということであろうが、日本の演劇事情を考慮しても矢張り、惜しい。海外に今回出演したメンバー全員で出掛け、向こうでも練習をするという条件で契約を結んで公演を打てれば、絶賛されるであろう実力者揃いだ。
当然のことながら、観客にも象徴を見、解釈する力は要求される。歌われる歌詞によって多少の説明が与えられるとはいえ、通常の科白は一切ない。験されているのは、観客の想像力である。その意味で、この作品は、演劇そのものと言っていいかも知れない。
龍神が出てくる以上、自然と人間の関わりである。それも、水を中心としたそれだ。水が出てくる以上、干ばつは想像できて当然、また洪水も然りである。3.11、3.12があってこのかた、人々のエコロジーに対する意識は益々高まったことであろう。だが、都会での、消費するだけの生活に慣れきった人々に、自然の脅威がどれだけ実感できるというのだろうか? エコロジーが悪いと言っているのではない。然し、自然が、猛威をふるえば人力など荒海に翻弄される木の葉に等しい、ということを実感で語れる都会人がどれだけいると言うのか。3.12という人災の絶対悪というよりは、3.11のような自然の厳しさをキチンと描いたうえで、人と自然、人と人との人間的関係の本質的在り様とはいかなるものかを問うた秀作である。
観客としての我々は、3.12の主役もまた水の問題であったという本質にゆき当らざるを得ない。島国である我が国に水はいくらでもあった。だが、これを冷却水として用いるという判断が無かったが故に引き起こされた3.12の取り返しようのない人災についても、我らは、更にシビアな目を、事故を起こした東電ばかりでなく、現在の野田政権、それを操るアメリカの世界戦略にも目を向ける必要があろう。
象徴的な舞台であるから解釈は多様であるが、ハンダラは以上のように解釈した。
FANTASISTA
夢幻舞台
中野スタジオあくとれ(東京都)
2012/10/19 (金) ~ 2012/10/21 (日)公演終了
満足度★★★
若者らしい
感性が、若者のそれである。現代この「国」の若者らしく決してきらきらしているわけではないが、線が細い。不必要な緊張があった。もう少し知的であるべきだろう。知識の量ではない。知恵の領域の話だ。若者は若者で自分達の立ち位置をキチンと把握すべきである。それができれば、無用な緊張はせずに済む。演劇を構築することは、論理である。子供だましの感情論ではない。
殊に、脚本はプロの劇団スタッフが書いたものだと言う。神の扱いが面白い。神は人間の作ったものだから、よほど、ペダンティックな神学論争にならない限り、人間的であるはずだろう。従って、神の神性を保障するためには、対立概念としての悪の権化は必然である。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、神が、総てを創ったとされており、それが、正しいならば、神は悪とその実践主体である悪魔も創ったのだ。何の為に? 馬鹿げた質問だが、応えておこう。自らの存在意義とアイデンティティの為だ。神は自らをアイデンティファイするために、また善を良きものとみなす為に、必然的に悪魔を必要としたのだ。また、神は、この劇の中で、退屈もしている。退屈とは、無論、退廃の臥所である。
だが、太平楽を決め込んだ、この国に生きる、若い演者、演出家にこのようなことを読み取ることは、荷が重いかも知れぬ。然しながら、表現自体が、世界レベルで行き来するのは、文化の必然であり、コミュニケーションを支える技術の発達によって伝播のスピードは、劇的に縮んだ。若い人たちには、そのような時代状況に合った成長を遂げてもらいたい。
夢の星
玉田企画
アトリエ春風舎(東京都)
2012/10/17 (水) ~ 2012/10/21 (日)公演終了
満足度★★★★
リアリティーが浸蝕するもの
劇の劇的な部分を敢えて批評的に捉えるタイプの作品と見た。演じられてはいるものの、批評のリアルに支えられたドライで強靭なリアリティーが、センチメンタルな感情や心象風景を浸蝕し、感興を削ぐことに成功している。何よりこのドライな批評性が心地よい。
情況設定は、芝居を舞台に掛ける迄の演出家と役者たちの練習風景なのだが、脚本の変更あり、ダメダシの変更ありという中で情況の細部が変わり、その度に、演出家は新たな演出をつけ、役者たちはそれに直ぐ応えて演技の形にして行く訳だが、短時間で想像力を身体の動きや科白回しに変え、役作りの有り様を見せて行く。若い役者たちの演技も基礎がしっかりし、よく考えていることが分かるものであった。惜しむらくは、最近流行りの若者特有の変な日本語の発音を取り入れていることである。演劇は、時代を反映する度合いの高い芸術形式ではあるが、若者特有のおかしな発音を作品に取り込む必然性は無いように思う。
ミュージカル「Do Not!!」
翠組 midori-gumi
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2012/10/16 (火) ~ 2012/10/21 (日)公演終了
満足度★★★
ダンスはまずまず
合格点だったのはダンスとストーリー。シンプルだが、肝心な所を押さえ、筋の通った展開で合格。然し、歌唱力は、もっとつけて欲しい。殊にソロで歌う人々は、もっと基礎からキチンと歌の歌える身体をつくるべきであろう。楽器の演奏も音楽劇なのだから、もう一段や二段は高い所を、最低目指さなければならないレベルだ。また、オフブロードウェイを名乗るのなら、アメリカ流のブレイクダンスやレビューなどではなく、日本独自の身体表現を編み出したり、コンセプトを作るくらいの独自性と知的水準の高さがあって良い。テイストとしては、大人になり切れない日本人には、向くかも知れない。
ところで、照明は中々気が利いていた。
琉歌・アンティゴネー
ピープルシアター
シアターX(東京都)
2012/10/10 (水) ~ 2012/10/16 (火)公演終了
満足度★★★★★
ニライカナイ
物語ではニライは姉、カナイは妹である。無論、沖縄のユートピアであるニライカナイに掛けてある。一方、アンティゴネ-は、ソフォクレスの悲劇、「アンティゴネ-」のことである。つまりオイディプスの娘、クレオンの姪である。今更、芝居好きの前で言う事ではあるまいが、最近では古典を読まないヒトが多いので勘弁して頂く。「オイディプス」も「アンティゴネ-」もギリシア悲劇の傑作中の傑作であるが、この悲劇の因縁を巧みに取り込みながら、蹂躙され続けて来、今また更なる蹂躙に晒される沖縄本島の政治、生活、日常を、分断が、当たり前に行われ、アンチノミーやアンビヴァレンツに苛まれる人々の日々の愛や争闘に描き出して見せた。
武器を持ち、地位協定に守られた、犯罪者上がりの多い米海兵隊、差別剥き出しの米軍、米国人に媚を売ることしか知らぬ大和政治屋と官僚。植民地軍の扱いに抗議することもせぬ腑抜け自衛軍らによって二重、三重、四重に虐げられた人々の魂の傷。血を流し続ける彼らの魂の真上を今朝も、明朝も米軍ジェット戦闘機、攻撃型ヘリコプター、オスプレイなどがお構いなしに飛んでゆく。日本国土の僅か0.6%の空間に日本全国の基地の75%が存在する、海も山も空も、米軍基地に占領された「監獄」、沖縄。蹂躙され続けた魂の誇りは、血を流し続ける魂は、ニライカナイに辿りつくことができるのか? を鋭く問う秀作である。
夢のあとさき
劇団キンダースペース
劇団キンダースペース アトリエ(埼玉県)
2012/10/10 (水) ~ 2012/10/14 (日)公演終了
満足度★★★★
夢現
三席の落語を芝居に落とし込んだが、第一席に「夢の酒」第二席に「天狗裁き」そしてトリに「芝浜」を持ってくる。気の利いた構成であった。夢の酒は、軽め、天狗裁きは、イラク戦争でアメリカがイラクに迫った大量破壊兵器を持っていないことを証明せよ、とのいちゃもんを思い出させて、不条理劇の怖さを改めて見せつけられたような恐ろしさを現前させ、トリの芝浜では、言わずと知れた人情噺の傑作を舞台化した。非常に小さな劇場だが、出捌けは深く切れ込んだホリゾントからで能の橋掛りや歌舞伎の花道が在るわけではないが、上手奥に深く穿たれたホリゾントは、充分にその効果を発揮し、興をそそる作りになっている。舞台美術も三席総てに共通する文様ではないものの、合理的な作りで、観客の想像力の邪魔をしないものであり、照明、音響で一瞬にして場の雰囲気を変える手際も鮮やかなものであった。
演じた役者陣は、全員、和服を着ての演技であったが、歩き方、立ち居振る舞いも和服を着るときのそれで、細かいところへの気遣いが見て取れ、満足のゆくものであった。
演出家の謙虚で真摯な態度も、役者陣の気を抜かない演技もレベルの高いものであったが、噺に忠実に作り込んでいる分、落語の本来持つ、狂気が出ていたのは「天狗裁き」を第一に、「夢の酒」を第二にという感じであった。芝浜は、人情噺の代表的な作品だから、狂気のようなものを取り入れるのは容易ではないが、立川 談志の噺のような切れと激しさを入れるともっと良くなるように思う。何れにしろ、謙虚で真摯な劇団と見た。これからの更なる研鑽に期待して、今回、星は4つ。
柳亭市馬独演会
市川市文化会館
市川市文化会館(千葉県)
2012/10/12 (金) ~ 2012/10/12 (金)公演終了
満足度★★★★
構成も良い
独演会とはいえ、前座もあり、休憩を挟んで曲芸もありという構成で、様々な層の観客に対して細かい配慮が見受けられる。落語が庶民の芸能である所以であろう。師匠は、各々の芸(前座、曲芸)を噺の枕に取り込んで、自然体で自らの噺をしている。出のシーンでの歩き方、裾捌き、着座、挨拶する時の位置なども、マイクのある位置からお客に対して不自然にならないような位置に座を占め、おじぎが丁寧に見えるような計らいも見受けられる辺り、流石の感を抱く。出からして前座とは格が違うというのが、ハッキリ観てとれるのだ。決して歩き方が美しいとかではない。ただ師匠の生きている環境の中で自由にしていられる。そういう歩き方、登場の仕方なのだ。その辺りを流石だと思う。流石、流石のオンパレードだが、それだけ引き締まった土台の上に成り立っているという、芸事の基本を思い出して欲しい。落語は演劇で言うと一人舞台に似ている、言い方を変えると共通項が多い。実際、高座での師匠の噺には、形態模写もたくさん出てきて、上手いのだ。
いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)
MU
BAR COREDO(東京都)
2012/10/01 (月) ~ 2012/10/08 (月)公演終了
満足度★★★★
思春期
微妙な時期のメンタリティーを舞台という形で現前させたことを評価したい。このような形で表現できる所に演劇という表現媒体の特徴もある。教師サイドの反応も愉快だ。
ズーキーパーズ ★第24回 池袋演劇祭「優秀賞」受賞作品★
マグズサムズ
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2012/09/27 (木) ~ 2012/10/01 (月)公演終了
満足度★★★★
面白い
よんどころない用事があって、大幅に遅刻をしたので、中盤迄は見ていないが、リズミカルでテンポの良い科白回しや、次々に襲ってくる難題、事件をコミカルに且つしっかりしたリアリティーを持たせて見せる辺り、力のある劇団とみた。大幅に遅れたので、細かい点は、他の方にお任せする。
あずき
CHAiroiPLIN
相鉄本多劇場(神奈川県)
2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了
黒い花の咲く山
劇団演奏舞台
上野ストアハウス(東京都)
2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了
満足度★★★★
この国
発声法が独特なこの劇団であるが、生演奏が入る為に楽器の音に負けない発声で演じているためだろう。非常に人工的な発声の為、良く通りはするが、シチュエイションによって煩く感じたり、また発声法に戸惑って間を外すケースがあるので、この辺り、根本的な演技方法レベルで考えてみる必要があろう。
今回の舞台は、戦争と支配・被支配、人の紐帯とそれを破壊する競争原理や効率化の問題である。実際に、それがどのように機能し、人々のコミューンはどのようにして崩壊してゆくのかを描いていると言って良い。当然、現実に我々の生活の中で起こっていることとも関係している。観客は、自らの国の政治屋等を頭に思い浮かべながら観劇するのも楽しかろう。それに充分耐える内容である。勿論、デフォルメはされているが。
「みごとな女」「妹の着物」
劇団グスタフ
シアターグスタフ(東京都)
2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了
若手VSベテラン
時代背景を考慮した演出だろうか? 古色蒼然たる音声案内。これには、流石に驚いた。まるで、数十年前の浅草に迷い込んだような錯覚さえ覚える。今回は、森本 薫の「みごとな女」と川端 康成の『掌の小説』から「妹の着物」を舞台化した二本立てだ。
「みごとな女」では、若手が中心の舞台作りで、看板女優の渡邉 宰希が胸を貸す、といった舞台作りになっていたので、こちらはエチュードの仕上がりを見る、という感じであった。
が、休憩を15分挟んで演じられた「妹の着物」は、殆ど渡邉の一人舞台という形式で演じられるのだが、実に上手い。演出、照明、効果音も適切である。