満足度★★★
若者らしい
感性が、若者のそれである。現代この「国」の若者らしく決してきらきらしているわけではないが、線が細い。不必要な緊張があった。もう少し知的であるべきだろう。知識の量ではない。知恵の領域の話だ。若者は若者で自分達の立ち位置をキチンと把握すべきである。それができれば、無用な緊張はせずに済む。演劇を構築することは、論理である。子供だましの感情論ではない。
殊に、脚本はプロの劇団スタッフが書いたものだと言う。神の扱いが面白い。神は人間の作ったものだから、よほど、ペダンティックな神学論争にならない限り、人間的であるはずだろう。従って、神の神性を保障するためには、対立概念としての悪の権化は必然である。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、神が、総てを創ったとされており、それが、正しいならば、神は悪とその実践主体である悪魔も創ったのだ。何の為に? 馬鹿げた質問だが、応えておこう。自らの存在意義とアイデンティティの為だ。神は自らをアイデンティファイするために、また善を良きものとみなす為に、必然的に悪魔を必要としたのだ。また、神は、この劇の中で、退屈もしている。退屈とは、無論、退廃の臥所である。
だが、太平楽を決め込んだ、この国に生きる、若い演者、演出家にこのようなことを読み取ることは、荷が重いかも知れぬ。然しながら、表現自体が、世界レベルで行き来するのは、文化の必然であり、コミュニケーションを支える技術の発達によって伝播のスピードは、劇的に縮んだ。若い人たちには、そのような時代状況に合った成長を遂げてもらいたい。