ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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まつろわぬ民

まつろわぬ民

風煉ダンス

調布市せんがわ劇場(東京都)

2014/10/09 (木) ~ 2014/10/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

怨劇
対絶ベシ観ル! 観なきゃ、わかんにゃいよ!(ちょっとだけ+)

ネタバレBOX

 ゴミ屋敷の歌
棄てられたことばを だれがひろう
置き去りの昨日を だれがはじめる
皺だらけのスナップ、あの日の笑顔、
ひとひらの桜がきみを寿ぐ
宇宙の塵までかきあつめ 袋につめて呼びかける
終わるにはまだ早い 話を聞かせて
果てしなく続く 夢のいとなみを
見えないきみの 声が聞こえる
忘れていた歌を また歌おう(劇中歌から引用)
 こんな歌を歌う老婆が、この塵邸の主人ということになっている。負けた者は埋められる。歴史の屑籠に。そして、忘れ去られる。だが、この老婆と一党は、忘れ去られることを拒否していた。彼らの戦いは必敗。しかし、だからといって彼らは、降参などしない。ただ、生き延びて、散り散りになってしまった仲間を集められるだけ集め、闘う。鬼の誇りを守る為、埋められ、忘れられて無かったことにされない為に。そして、千年前、再び戻ると誓った長、サンベを待つ。
 呪術としての演劇の姿がここに在る。この演劇は怨劇と名付けたい。無論、最高の褒め言葉である。
評論家的な言辞を弄すれば、舞台美術の緻密で見事な猥雑さと演出の手際、生演奏と唄の上手さ、演技と踊りのコラボレーションの良さなどは、当然、最高度のレベルである。意図され、企画され、緻密に計算された演出によって、猥雑が表現されているのである。この快感は堪らない。
痕-KON-

痕-KON-

ピタパタ

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2014/10/10 (金) ~ 2014/10/13 (月)公演終了

満足度★★★★

擬制の終焉はやってくるか?
夏、エアコンが故障した居間に、集まる人々。

ネタバレBOX


実は妾、アキコ宅で、息子が二人。兄、マサヤは結婚しており、妻は5カ月の身重であるが、いつでもトンデモナイ音をしでかしては、女房から逃げている。女房のチェックには中々厳しいものがある。父は現在入院中であるが、本妻の娘、リエコも父とアキコの縁を切らそうと何度も訪ねてくる。そのリエコは主婦で子供が一人。弟のシゲルは、一見、まともだが、先端恐怖症以外にもナーバスな所がある。そんな彼は、母性的なものに対する複合的な意識を垣間見せる。更に、彼らの従姉妹、サキの彼は自分の父親より年上で、どうやら妊娠している。
 この家の中で、最も落ち着きを見せているのが、アキコだが、良くも悪しくも妾として生きて来た女の持つ肯定的な広がりを見るようである。
 因みに狂言回しとしては、エアコンの修理に訪れた電器屋がいて、現代風に見えながら、案外古い劇の構造を保つと同時に、矢張り現代劇であるのは、上記に挙げたようなそれぞれの所作は、所詮、見せ掛けであり、各々が各々の利害に従って目先の利益を図っている点である。マサヤは、ライターを失くしているし、そのライターらしきものが、放火現場である、彼らの家の前に建ったマンションから見付かった。サキは、リエコがアキコに渡した手切れ金を盗む。恐らく堕胎のためだろう、と類推させるのだ。
I LOVE YOU,YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE

I LOVE YOU,YOU'RE PERFECT, NOW CHANGE

Score

d-倉庫(東京都)

2014/10/08 (水) ~ 2014/10/13 (月)公演終了

満足度★★★★

スペードを拝見
 オフブロードウェイで絶賛を博したという作品だが、如何にもアメリカ的だ。というのも、ありとあらゆるレベルで管理された社会だからだ。大分以前にも書いたことがあるが、通常、どんな時代のどんな社会体制でも支配層が全人口に占める割合は5%である。然し、アメリカに限ってはそうではない。2%が残り98%を支配下に置いているのである。(追記2014.10.11)

ネタバレBOX

 恐らく3S政策という言葉を聞いたことがあるという方は多かろう。日本を占領した米軍が、大衆の目を政治から逸らす為に用いた政策だと言われている。3つのSは、Screen,Sports,Sex其々の頭文字である。これらを解禁、流布させることによって、大衆は自らの意志で、それらを選んだと勘違いし本能の赴くままに身を任せる。結果? 明白であろう! まあ、このやり方に似たようなものだ。超管理社会であるアメリカは大衆にそのことを気付かせない方が良いと気を配る。当然だろう。2%では、98%に対抗することはできない。もし本気でマジョリティーが掛かってきたならば、負けるのはいかに権力があろうともマイノリティーである。問題は、マジョリティーに優れたリーダーが居らず、彼らを纏めることができないことだ。そのようにしておく必要がある。マイノリティーがマジョリティーを支配する為には。だから、幻想と快楽もしくは娯楽を与えて大衆の目が決して自分達、為政者の悪事に向かぬよう操っているのである。だが、如何に大衆が愚かであろうが、身体は、押しつけられた軋轢に素直に反応する。今作に評価すべき点があるのは、その視座であろう。即ち体制のイデオロギーを補完する挿話にブラックユーモアを加味しているのである。
作品の作り方としては、各プロットを男と女をテーマとし独立した小品として次々に呈示してゆく手法を採っているが、その根底に広がっているハズの“何故、このような作品が出て来たのか? 成立しているのか?”と言う必然性をフォローする視座が、弱い。演者、演出共に深く考えるべき点であろう。
それを考えた上ならば、男女が避けて通ることにできない性の問題を扱いながら、何故、健康的で、ノーマルなヘテロセクシュアルではなく、ゲイ、レスビアン、SMなど歪んだ性の形ばかりが描かれるのか? 自分なりの解釈ができるハズである。
一遍

一遍

風雲かぼちゃの馬車

相鉄本多劇場(神奈川県)

2014/10/09 (木) ~ 2014/10/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

凱旋で0.5おまけの★5つ
承久の変で朝廷側につき、力を削がれた河野一族の家系に生まれた一遍は、幼名を松寿丸と言う。仏門に在ったこともある父、通広の計らいで10歳で下男(後に念仏坊)と共に仏門に入るが、この直前に母を亡くしている。

ネタバレBOX

今作によれば、母の死は、異母兄、通真の仕業だ。
  何れにせよ、預けられた寺で、彼は早速本領を発揮する。寺の問題児兄妹、大日坊、大月坊と喧嘩したのだ。それはそれとして、その後が、面白い。若い僧の世話役をしている華台が、大日坊、大月坊だけを罰っしようとした時、自分も同じような悪いことをしたのに、片方だけ罰するのはおかしい、と文句をつけたのだ。理屈は無論、一遍にあるので、賢明な華台は、一遍の理を認め、同じ罰を科すことにした。無論、寺を与る聖達にもその旨、報告する。(因みに聖達は、通広の兄弟弟子に当たる)
  一遍のこの真正な態度に大日坊、大月坊は、心を動かされ、友人になった。その後も、4人は、いつでもつるんで悪戯をしていたが、この謹慎期間中は、托鉢に出ることも禁じられていた4人に、兄妹の母が、病に倒れているとの知らせが入った。托鉢から帰って来た仲間が知らせたのである。病が重いのか否か迄は分からなかったが、母を亡くした経験を持つ一遍が一肌脱ぐ。聖達に直訴したのである。聖達は、罰を受けて謹慎の身なのだから、仏門に入った以上、兄妹を里に帰す訳にはゆかぬ、と言い渡すが、華台には、夜、裏口を開けておくよう申しつける。
 さて、病に掛かった母に会うことはできたものの、謹慎期間中に寺を抜けだした罪は罪として償わなければならぬ。罪の詮議をする聖達の前で、互いを庇い合う一遍、大日坊の姿を目の当たりにして、首謀者であると言い張る一遍に対して聖達が言い渡した罰とは、有望な若手僧侶が学僧として全国からも海外からも集まる太宰府へ華台と共にゆくことであった。一遍は、華台と共に、大宰府へ赴くが、ここで生涯のライバルとなる兵部堅者重豪と出会う。
一遍25歳、父の死を契機に還俗して、従兄の超一房と所帯を持ち子を為した一遍であったが、一族の所領争いなどがもとで、再度出家する。(因みに、水軍とは言え、一党は有力御家人の血筋。即ち武士である。武士階級が守るべきは二つ。所領安堵と一族の血を絶やさないことである。そのためにこそ、一遍の父(朝廷方)と実兄は敵味方に分かれて争ったのであり、通真の目の前で、伯父(鎌倉幕府方)が彼の実母を切り殺したにも拘わらず、その後、怨みつらみは、ないことにして、通広と実兄、通久は和睦を結ぶのである。通広にしてみれば、自分の妻をその手で殺した実兄との間のことである。だが、このような経緯が認められる時代であったからこそ、一遍の妻は、通久の娘でありえたのだ。ここで、蛇足を一つ。一生懸命という誤用が、大勢を占める現在だが、正しくは、一所懸命。武士が報償などで、地領を主君から授けられる。それは、何も生産しない武士階級が、生きてゆく為の必要条件であった。つまり、その地に居住する農民から、年貢という形で、収穫を取り上げるのである。その他に、封建制の時代、武士階級が生きる術などなかったのである。つまり自分達が日々生き延びる為には、その生活の糧を生みだす土地が、命賭けで武士が守るべきものであった。だから、自分の所領を守る為に懸命であったのである。そこから一所懸命という言葉がでてきたのであるから、そのような緊張しきった時間を一生続けるとしたら、それは気が触れているとするのが、正当な見方である。それとも、現代では気が触れているくらいで無いと生きてゆけない、とのアイロニーか?)
さて、その後、一遍は、行脚の旅に出、踊り念仏を広めてゆくことになるが、上演中故、ネタバレはこれまで。何れにせよ、一遍の踊り念仏、は生命の炎そのものであり、その純粋性に一点の曇りもない。
  シナリオ的には、一遍がどんどん精神的に成長してゆく部分をもっと作り込んでも良いのではないかと思う。それで、2時間10分位になっても、この内容なら、観客はついてきてくれるだろう。一遍を演じた菅本 生、念仏坊を演じた眞野 基範の演技が気に入った。同時に、一遍がシンドイ時に、彼を支える女(後に女房)の超一坊を演じた庄野 有紀が、可愛らしく、強い女性を演じてグー。
福島真也×ブラジリィ―・アン・山田「酔いどれシューベルト」

福島真也×ブラジリィ―・アン・山田「酔いどれシューベルト」

劇団東京イボンヌ

ザ・ポケット(東京都)

2014/10/08 (水) ~ 2014/10/12 (日)公演終了

満足度★★★★

今作で、更なる雄飛も期待できる
音響効果は兎も角、舞台で使われる音楽は生。ピアノ、打楽器、弦楽器、木管、金管など、技術体にもレベルの高い音楽スタッフの演奏に合わせて、オペラ歌手達が、歌う、演劇とのコラボレーションである。これからの更なる伸びに期待しているので、少々、厳しく★は4つだが、伸びシロ大。演劇好きにもオペラ好きにも楽しめる。無論、クラシック好きにも。(追記2014.10.10)

ネタバレBOX

序盤、役者にちょっと、音楽陣に気押される場面が無いでもなかったが、追々、良くなってゆこう。芸術の中で最も、数学的な音楽家と最も身体的な役者との闘争の場でもあるから、互いにその辺りは頭の片隅に入れておいて貰いたい。
 何れにせよ、作者が悩み乍ら作り上げた、一曲に集約する方法というのは、型としての普遍性を持つ。今作ではそれが”セレナーデ”ということになるのだが、この曲を中心に据える為に、物語は書かれ、他の名曲もセレクトされた上で歌われているのである。それも、生演奏を伴奏にしたオペラ歌手の歌で。音楽好きにも演劇好きにも堪らない。
 無論、ジャンルは異なっても、舞台上で演じ、歌い、演奏するのは、総て、プロの表現者たちである。そして、本物の表現者が、一様に持つ願いは、共通している。それは、一篇でも一行でも良い。自分の表現が百年後、千年後にも、矢張り、人の心を打つことである、表現する者は、何も、時代の偏見との戦いや、政治的イデオロギーや自由だけを追求しているのではない。矢張り、人々の心を撃つ作品作りを目指しているのだ。それえが、千年、2千年後のまるで違う文明の下でも生き抜いて居てくれることを。即ち、彼らは永遠と闘っているのだ。
 今作に戻ろう。今一度、言っておくが、真の表現者にとって、自らの創作が、例え1行の詩にせよ、一篇の曲にせよ、千年の時を越え、場所も越えて人々の心を鷲掴みにすることこそ、望みである。だが、シューベルトは歌曲だけで600曲を超える。その他に交響曲8曲、弦楽四重奏、ソナタなどを残した。31歳で他界するまでに編んだ曲である。無論、並大抵の数でないばかりか、その叙情性に富んだ曲想と多様なイマージュで初期ロマン派を代表する音楽家だが、生前は、今作でも描かれているように、一部に高い評価を与える者が居たとはいえ、長く不遇の時代を過ごした。それも、高い評価を与える者からは、ベートーベンの後継と目され乍ら、世の多くからは理解されなかったのである。その埋もれかけた才能を陰ながら支え、愛したのが、幼馴染でもあったクラウディアだ。無論、シューベルト自身も彼女を最愛の人とし、自分が売れた暁には結婚するつもりであった。然し、彼女には、病身の父と幼い弟、妹があり、稼ぐことができるのは彼女だけであった。而も、彼女は、成り金のバロンから結婚を申し込まれてもおり、生活の為に、いつ売れるとも分からないシューベルトとの結婚を断念する。彼女の窮乏は短い間ではあったものの、街に立つほどのものであったのである。
一方、シューベルトは相変わらず、彼の才能を正しく見抜いた酒場のマスターの温情もあって飲んだくれていたが、終に彼の才能を評価し、楽譜を出版してくれる者まで現れて、クラウディアに指輪を贈ろうとするが、時既に遅く、彼女は、バロンのもとに嫁いだ。こんな時、ハプスブルグ家大公の娘、エリザベスが、彼の曲を聴いてファンになり、場末の酒場に訪ねて来る。これをきっかけに貴族からも評価を受けるようになったシューベルトであったが、書いても書いても売れない彼の曲への世間の冷遇は、彼の精神を追い詰め、終には、バロンがふともらした「金持ちになる秘訣は、悪魔に魂を売ることだ」との言葉の暗示もあり、売れる曲の為に、1曲につき寿命1カ月を悪魔にさし出す、という契約に結実する。従って、シューベルト自身には、自らの作品が悪魔というゴーストライターによって書かれたものとの認識が生まれ、才能の無さを嘆くことになるが、そんな彼が、たった1曲、本当の自分が書いた物として、永遠の恋人、クラウディアに捧げたのが、この“セレナーデ”だというのがイボンヌ流解釈である。
  彼は、死期をさとったのだろうか? 何れにせよ彼の幻想に現れた天使に、クラウディアとの逢瀬を願った。それが叶えられると、クラウディアの為に作った“セレナーデ”を捧げるが、クラウディアは、言う。彼に現れた、悪魔も天使も彼自身なのだ、と。このお告げは、彼の苦悩故に分裂した魂をアウフヘーベンする。当然のことながら、世知辛い世にあって、果たせなかった二人の愛も、求め会う念も、純粋な形のまま天上の愛という永遠に結実。彼は、呼吸を止めた。通い慣れた酒場のカウンターで!
ONE LOOK TWO IN

ONE LOOK TWO IN

株式会社Legs&Loins

Geki地下Liberty(東京都)

2014/10/07 (火) ~ 2014/10/12 (日)公演終了

満足度★★★★

Thank Irish Table, Yummy!
 を拝見。(追記2014.10.14)

ネタバレBOX

 
 呼ばれた後輩が妻の料理を食べて入院!! てな料理を自信をもって作る、100kg以上あった体重が40kg以上も痩せ、今では涙をこぼし、胃薬を飲み続けながら、それでも妻の作った料理を食べ続けている夫。こんな二人を含む料理教室のお話。
 二人は妻同伴で、この料理教室に通っているのだが、共通の悩みから、自然にひそひそ話をする。料理の先生は、味付けだの、調理の仕方だので、時々二人にもアドバイスをしたりするのだが、味音痴妻達も、話が合って会話が弾んでいる。ちょっとした先生の一言が、彼女らの耳に入る。と、それは、浮気ともWミーニングになるような表現! これで彼女らは先生と夫が出来ている! と判断してしまった。
 妻の料理が、問題外だとは言えずに悩む夫達の優しさが、妻達の誤解を生み、誤解が、今度は別の誤解を生んで、という苦笑いの出る作品だが、それらを見かねた大工が、鎹の話をすると、夫婦に子供がない、などの擽りが入る。
距離感を見誤る'14

距離感を見誤る'14

(石榴の花が咲いてる。)

王子小劇場(東京都)

2014/10/06 (月) ~ 2014/10/07 (火)公演終了

満足度★★★

アモルフ
 総てを信用することができず、かと言って、自分の確固たる位置も確立出来ないでいる現代の若者が抱える深い悩みを、エネルギーの解放という形で放出した作品。まだまだ、アモルフなのだが、一所懸命である。(追記後送)
観る人を選ぶ作品かもしれない。従って演劇的評価だけで★の数を決めておく。(追記2014.10.15)

ネタバレBOX

 
 始まりに何が在るかを求めてゆくと、答えが見失われてしまう。だが、問わざるを得ない“謎”という所から始めれば、追い詰められ、矮小化された上で、爆縮することもできずに、只管アナーキーを目指して爆発を求めるのみの彼らの姿が見えてくるような気がする。
 即ち、彼らの体験している状況を、その苦しみと足掻きを描いた作品と解釈した。総てを信ずることができず、未だ社会・経済的自立も果たせぬ者が、何を以て、自己肯定できるかの試みであると見たわけである。

 一方、総てを信じることが出来ないということは、信じることが出来ない自分をも信じることが出来ないのであるから、Cogito ergo sum.とはならないのが当然であり、その意味で、彼らは21世紀日本の住民なのである。結果、精神と肉体とのコラボレーションとしての身体は、ハイデッガー流のSeinの在り様、即ちDaseinの問題をすり抜けることは不可能なのである。だが、彼らは、己の力で実存に目覚めては居ないようである。だからこそ、Seinの生きた集合体の基点である、他の生きた集合体とも共存・共栄する様々な関係を構築しようと蠢いているのである。個性を持つ為に! 即ち真に孤独な主体として、世界に向き合う為に。
 分かったような事を言うな! にゃんちって!!

宵闇に咲く雨

宵闇に咲く雨

GEKIIKE

シアター風姿花伝(東京都)

2014/10/03 (金) ~ 2014/10/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

イケ面だけじゃない、殺陣もスピーディーで華麗
 幕府の首切り役人の圧政の下、村人は追いうちをかける増税と原因不明の流行病に塗炭の苦しみを嘗めていた。そんな折、旅芸人一座がこの地を通り掛かる。(追記後送)

パパのデモクラシー

パパのデモクラシー

劇団 江戸間十畳

ウッディシアター中目黒(東京都)

2014/10/05 (日) ~ 2014/10/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

初見で極めてハイレベルと評価できる劇団が、一つ増えた
 入場して、掛かって居る音楽に驚かされた。何と、演歌なのである。無論、歌謡曲では無い。(歌っているのは、ピーター・ブルックと一緒にパリで仕事をなさっている土取さんか?)

ネタバレBOX

板垣退助らの自由民権運動に連座して歌われた壮士演歌を芸域に迄高めた、添田 唖蝉坊・知道らの歌が掛かっていたのである。音階は無論、和音階であるから、ドレミファソラシドではない。長唄、端唄、小唄、三味線等々日本古来、殊に、江戸情緒を色濃く残した音階であるから西洋のものとは根本的に異なる。自分は、国粋主義者でも無ければ右翼でもないから、馬鹿げたイデオロギーにコミットする気は毛頭ないので心情右翼のセンチメンタリズムや決意主義などの不合理なものは、矢張りこの場では論じない。要するに音階として、音の規則が異なるのだ。
また、困窮した元士族が多かったとはいえ、堕落してゆく明治政府に対する当然の批判者として、基礎的な素養を具えた旧武士階級から批判勢力が起こったのは必然と言わなければならない。おまけに、江戸時代の国民の識字率は、当時の全世界比較で日本は飛びぬけて高かった。町方、村方にも有識者は居たし、庶民の知的レベルは世界的にみても非常に高いものであったことは、注目に値する。このような社会に於いて、粋・通とされた文化伝統を担ったものが、演歌の背景にあったことも見逃すべきではない。これらの伝統の上に立った歌が流れていたのだから、そして、それが、自由民権思想に関わり、殊に、政府批判に用いられてきた歴史的事実を知る者にとって、今作の訴えるものの内容とも見事に呼応する必然的なBGMとして、実に粋な、そして知的な迎え方として、耳目をそばだてたのだ。
  オープニング、この認識が間違いで無かったことが、証明された。E.サティーの曲が流れたのである。これ以上のとり合わせがあるだろうか? 自分は、この見事なセンスに感動を覚えて、更に引き込まれてしまった。シナリオも見事である。役者も良い。どの役者も上手いのだが、主役を張った二役(神主役・千代吉役)の辰巳 蒼生の演技が素晴らしい。ラストシーンなど、思わず背筋に電流が走りそうになった程であった。初日が終わったばかりなので、余りネタバレは書かない。基本的に、描かれるのは、敗戦直後の日本の状況だとだけ言っておこう。吉田茂の大衆蔑視と欧米跪拝、伸してくるソ連に対するアメリカの政策転換、敗戦国の実情などは、予め学習しておいた方が良かろう。参考図書として何冊か挙げておく「日米地位協定入門」、「東京セブンローズ」、「検証・法治国家崩壊」、「浮浪児1945」「拝啓マッカサー元帥様」入手可能なら米軍の日本占領マニュアルに類するものなど。自分はまだ読んでいないが「敗北を抱きしめて」は良さそうである。まあ、ご自分でも探して読まれるが良い。最低10冊程度を読んでおけば、可也理解が深まろう。無論、読まなくとも分かる内容にはなっているが、抑制された表現になっているから、それをリアルなものとして感じる為には、最低限、自分の挙げた数冊を観劇後、読んでみると良い。
ラスト、パンパンをやって姑を養っていた望月 ヒサヨが出産する。が、その子は、買春米兵との間にできた子であり、その後の日本を暗示していることにも注意すべきであろう。このことの意味は頗る重い。
シナリオで優れた点を具体的に1点だけ挙げておく。千代吉を少し、足りない人間として描いていることである。戦前・戦中と戦後では価値が逆転したものを含めて価値の大混乱をきたした。殊に、インテリに於いて、その矛盾は激しい。大抵のインテリは矛盾を誤魔化したことを不問に付すことにより、不問に付したことを忘れることにより、生き抜いた。だが、事実は、彼らの恥知らずな行為を観て、叫びもしなければ、大仰に批判もしなかった。唯、彼らの顔を観る度に、うすら笑いを浮かべるのみである。そのような知的選良の裏切りや付和雷同、退廃をものともせず、白痴である千代吉は、己の倫理を全うする。その時、愚か者と言われ続けてきた彼らこそが、賢者に見えてくる。この点も深く考える必要があろう。ムーシュキンを思い出しても良い。

俺たちの劇 ~東京編~

俺たちの劇 ~東京編~

ENBUゼミナール

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2014/10/04 (土) ~ 2014/10/05 (日)公演終了

満足度★★★★

若い時にしか書けない作品
小劇場で活動する小劇団の大変さ、楽しさが描かれてgood! 

ネタバレBOX

ボランティアで学校建設などに2年間携わっていたデブが、矢張りボランティアで同じプロジェクトに関わっていた外国人と結婚することを決め、旅立つ瞬間、彼女の別れの言葉がジェット機の轟音にかき消されて全然聞こえないシーンがあるのだが、ある理由で秀逸である。上演中だから、ネタは明かせない。カンベン! 
 作り方として、総てのプロットが、寸劇化され、それらが合わさることで、丁度、パズルが完成するような作りになっているのだが、このぶつ切り感が、己の思い出をあれこれと脈絡なく思い返し乍ら、全体として繋がってゆくような、それも細かい内容より、高揚感や雲の上を歩いているようなふわふわ、わくわく感が若い感覚に結び付くようでGood! なのであった。
とりあえず、ボレロ

とりあえず、ボレロ

ニトロキュー

Ito・M・Studio(東京都)

2014/10/03 (金) ~ 2014/10/06 (月)公演終了

満足度★★★★

真面目で丁寧な作り だが、世界認識が狭い
余りに有名なシナリオだから、内容解説はしない。ただ、矢張り、清水 邦夫の戯曲を演じる難しさは確実に存在する。役者のポテンシャルが高くないと、完全に外してしまうのだ。

ネタバレBOX

 今作でも、女性にダンディズムを求めかねないような、頗るつきの難しさが、科白の行間を埋め尽している。それを越え得たにせよ、次の難題は、実際には田舎者の集合に過ぎない東京という街が持つ歪を、都会人として生きる田舎者が、内的矛盾を糊塗しつつ、他の田舎出身者に対して判で押したような軽蔑的態度を向ける、そのどうしようもない複合意識としてのコンプレックスを如何に身体化するか。それも極端に高いポテンシャルを保ちながら。存在感と反射神経、適確なアプローチなど、剃刀の刃の上を歩くような注意力と緊張を強いられるのだ。
 大前提として以上のような状況があり、結局は、東京なんぞ、大したことは無い、と見切りをつけるだけの突出部を持つ者は、海外へ雄飛した。名を沢田と言う。無論、このネーミングは、ベトナム戦争の報道でピューリッツア賞を受賞し、戦場で命を落とした沢田 教一への清水 邦夫からのオマージュである。米軍は、カンボジア、ラオスへも猛攻を掛けていた。一応、今作では、カンボジアでトバッチリを受けた時に、頭に爆弾片を受け、記憶障害を起こしたという設定になっている。が、実際、多くの報道カメラマンが、現代世界最悪のテロ国家、アメリカの特意とするマッチポンプ方式のトンキン湾事件を発端とする攻撃によって命を落とした。安倍という馬鹿は、このようなテロ国家と集団的自衛権で恩を売り、自国民の命を餌に、自らの植民地で有利なポジションを得ようとしているに過ぎない。清水 邦夫が認知症になっていなければ、この程度の認識は持つハズである。
 芝居は、時代を呼吸する。今作初演時には、未だ、ベトナム戦争や、カンボジア問題もヴィヴィッドであった。だからこそ、ふーことしーこ二人の魅力的な女性から沢田は愛され、同じ男を愛した女同士が、様々な葛藤を経ながら、尚、三人一緒に暮らしたり、旅をしたりという幻影を見ることが出来たのである。この異様な美しさと幻影にこそ、ボレロが似合う。
露の見た夢

露の見た夢

東京ストーリーテラー

萬劇場(東京都)

2014/10/01 (水) ~ 2014/10/05 (日)公演終了

満足度★★★★

砂チームを拝見
 アスカリナの刑場で、今当に処刑されようとしているのは、民衆から崇められているラクサーダ。この地の実質的リーダーである。処刑をしようとしているのは、この地を植民地化した近隣の強国、サラガヤだ。ラクサーダの罪名は、国家転覆・反逆などと呼ばれる「罪」で、この地を収奪しているサラガヤ為政者にとっての都合でしかないことは無論である。

ネタバレBOX

 ラクサーダは、一種の哲学者、宗教家であって、サラガヤの身分制度などを否定するものであり、人種による差別化を否定するものであった為、先ず、軍事的にこの地を制圧したサラガヤが、民の心を完全に承伏させる為に、サラガヤの政治体制を補完するサラガヤ国教を浸透させようとしたことが失敗したことに対する、お門違いの処刑であり、論理的敗退である。何故なら、論理はより優れた論理によってしか越えられないからである。論理に対して物理的暴力で応じた者は、その時点で、己の論理的敗北を認めたに等しかろう。
 こんな訳で、窮地に立たされていたのはサラガヤ王から、この地域の統治をまかされたコンパーレだったが、無論、このようにインテレクチュアルなレベルで政治は動かない。だが、如何にも、政治屋共らしい計らいが、サラガヤの祭司長、ラビナスによって図られていた。盗人、タジムを一緒に処刑して、ラクサーダの名誉を汚そうというのである。
 タジムはこの地の東側にある小高い山のある土地で生まれ育った。父も盗人、当然、盗人になるべく仕込まれ、そのように生きて来た。そんな彼に、罪の意識は無かった。だから、死にたくなかった。それを言葉に出し、泣き喚く。それを聞いたラクサーダが、本当に助かりたいなら、と救いの手を差し伸べた。これが、始まりであった。(上演中なので、ここ迄、後は、観てのお楽しみだ。)
 演技は特に、タジム役、清水 拓蔵とモキ役、中山 祐士が気に入った。
第三帝国の恐怖と貧困

第三帝国の恐怖と貧困

劇団わらく

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2014/10/02 (木) ~ 2014/10/06 (月)公演終了

満足度★★★★

現在の日本と比べよ
 ワイマールから翼賛体制への移行を、ヒトラー存命中にブレヒトは描いていた。
 ところで、情報隠蔽を本質とする秘密保護法は、誰を保護しているのか? 政権や官僚、資本家、御用学者、メディアなどの嘘、不誠実を見えないようにしているだけだろう。そのほか、憲法改悪、教育基本法改悪等々、枚挙に暇が無い。この植民地のだらしない、アホな姿勢と倫理の崩壊を、唯、誤魔化す為の道徳教育なんぞ、糞クラエ! である。

ネタバレBOX

 ナチが政権を奪取するに至る過程で、除々に生きづらくなって行く状況を市井の一般人家庭や、其処に出入りする人々、活動家のアジトなどの対話から、リアルに浮かび上がらせる。その中には、夫がアーリア人種、妻がユダヤ人というカップルもあった訳で、このようなカップルでは、妻の安全の為、ドイツ国外へ避難するなどと言うことがあった。そんな市民の除々に圧迫されてゆく自由や税の増額などと、不平分子、排斥対象者拿捕などに従事する、ゲシュタポ、親衛隊、ヒトラーユーゲントなどとの駆け引きと争闘の結果が、ブレヒト自身の市民への取材を基に構築された作品である。ゲシュタポや親衛隊については、ヒトラーユーゲントよりよく知られているだろうから、説明は割愛するが、ヒトラーユーゲントについては、安倍政権の教育改悪とも密接に絡むので、その危険性を指摘しておこう。これは、子供達を権威である教師の手によって洗脳し、「党」なり「指導者」・「独裁者」なり、彼らが築いた体制なりを批判した場合、例えそれが親であっても公安関係者に密告させ、しょっ引く為に「教育」するのである。現に、現代史にもそんなことが行われていた現実がある。ex.(紅少兵)について調べてみよ。
演技については、演目が急遽変更されたという事情があるにせよ、科白を噛む役者が多かったのには興を殺がれた。残念である。上演中なので、これ以上、細かいことは述べない。更に詳しいことは、キチンと歴史で勉強すべし。
“秋の、死んで貰います祭り!!”地獄の3本同時上演!!!

“秋の、死んで貰います祭り!!”地獄の3本同時上演!!!

good morning N°5

OFF OFFシアター(東京都)

2014/09/26 (金) ~ 2014/10/04 (土)公演終了

満足度★★★★

女は恋 男は遊び
 キャストは女性ばかりだ。秋の死んで貰います祭り!! で上演される三本の内の一本“愛欲の乱”を拝見。

ネタバレBOX

おもてなし精神というと叱られるかも知れないが、そういった精神が随所に溢れている。男性社会の中で従属的な位置に置かれることを拒む姿勢を示しているハズが、単にフリに終わっている所が、日本女性の弱さか? ヨーロッパの女性は、少なくとも、もうちょっと抵抗するよ! それが、女性にとって、ジェンダーのマトリックス内で、最終的にプラスになるか、ならないか、その辺りは、其々の地域の歴史や文化的、宗教的、知的、社会的背景によって違って来ようが。
 さて、本題に入ろう。中心になって演ずるのは、中年の女性達だが、長年女優を続けて来ただけあって、芸に磨きが掛かって居る者、歌の上手な者、役者根性で見せる者等々、各々の個性を知り、自分の強みを活かした舞台作りをしている点は流石である。
 同時に、女優として表現するとはどういうことか? 女性が社会の中で生きるということは、即ち演技することではないのか? との内外への突きつけは、物理的力では、男性より弱いのが通常の、力学的弱者の生き方を問う問題として、国家間の軍事力をも類推させるような指摘であり、現実存在であるハズの我々の当に、刻々向き合っている問題群の根幹に横たわる大問題として捉えるべきであろう。また、これも同時に、産む性として、女性実存としての恋に絡めて、赤い糸を永遠に吐き出し続け乍ら、縫い物を紡ぐメタファーは、カルマを実存との関係で射程に収めながら、あくまで現実問題として自分の生活に取り込んでいようとする。
 自分は、男だから、意識を狂気の没する所迄突き詰めるやり方の方が、好みではあるが、現実と虚構に、このように心配りの利いた橋渡しのできる女性という存在を頼もしくも思い、強いとも思う一方、可愛らしい、との感覚も抱く。
 もう一点、指摘しておくべきことは、今作を含め、三作全体が、単に、演劇のみならず、生きるとは何か? 種族を継承するとは何か? 本能で継承するにせよ、その意味とは何かを潜在的に問うていることにある。
 唯、余りフランクにそれを出して居ないから、星は一つ減じる。狡さだからだ。
vivid contact

vivid contact

WATARoom

劇場HOPE(東京都)

2014/10/01 (水) ~ 2014/10/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

芸人というものは 大したものだにゃ
ネイルサロンでの客と店長、店員たちの話。

ネタバレBOX

序盤、所謂イマフウの店員と真面目を絵に描いたような店長との、間の悪い関係を描いていて、観ているこちらでも、イルカもな、と共鳴してしまって余り楽しめなかったのだが、梶原 雄太が出て来て、流れが変わった。おまけに、アクシデンタルなことがあったのだ。飛行機の話をしている時に、ジェット機の操縦士なんかは、Gが掛かるので虫歯はあかん、とかやっていたら、彼の下顎から差し歯が見事に放物線を描いてダイブしたのである。これホンマに起こったんやで! すかさず、梶原はアドリブで笑いに繋げていく。余りの見事さに、アクシデントはそっちのけで受ける受ける。会場は爆笑の渦と化した。いや~、ホンマに生はおもろいわ! 梶原氏に敬意を表して★5つ。但し、ゲストは日替わりのようだぞ。
老人が海

老人が海

演劇集団 座・シトラス

明石スタジオ(東京都)

2014/10/01 (水) ~ 2014/10/05 (日)公演終了

Barでの会話
 急用ができたせいで、10分近く、遅刻してしまったし、帰りも急いでいたので、頭を確認することも出来なかった為、今回、星は遠慮する。

ネタバレBOX

 Bar,Old Man the Seaで起こる客とバーテンダーとの会話をベースに、所謂カウンターの内と外、の微妙でお洒落な関係と恋を絡めた人間関係の機微を淡々と描く場面、それをスラップスティックな科白と挙措で完全にぶち壊す場面が入り乱れて、劇としての収束には失敗した作品と観る。
 きちんとしたバーの雰囲気は出せるのだから、それで推した方が良いように思う。ミリオンセラーを出した作家、田町が書けずに悩む所で、ヘミングウエィが、「老人と海」を執筆して以降書けずに悩んでいたこと、キューバに渡って、毎日、バーと自宅と海を行き来し、最後は愛用ライフルで自殺したこと、その彼が、毎日、飲んでいたカクテルのことを話すあたり、バーテンの五反田の親友、大塚と二人の幼馴染の恵梨香との恋と友情のもつれをカクテルで表現する辺り、中々、渋いのだが。(恵梨香は霊かも知れない。この辺り、始り部分を観ていないので何とも言えないのだが)
 大久保という雰囲気ぶち壊しのキャラクターを作って居る為、完全にバーの微妙でセンシブルな雰囲気をぶち壊している。芝居として、全体のバランスを壊していると感じるのだ。何故、こんなキャラを入れるのか? 必然性が分からない。もし、若い世代に受けようが為なら、ちょっと違うのではないか、と思うし、実際、多少、名の知れたバーで飲む連中なら、こんなキャラが居たら、二度と入らないのは必定。入っても直ぐ気分を害して出て仕舞って、二度と戻らない。
本間さんはころばない

本間さんはころばない

九十九ジャンクション

小劇場B1(東京都)

2014/09/30 (火) ~ 2014/10/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

人間という生き物
九十九ジャンクションという演劇ユニットで5年間限定、と銘打っている。大竹 周作と原田 大輔のユニットだ。円や民藝が協力している。ところで、これだけの作品作るなら5年と言わず続けて欲しい。

ネタバレBOX

 タイトルから考えれば、転ぶ、転ばないの大人の意味をどう解釈するかである。初日を拝見したばかりなのでネタバレは余りしないでおくが、シナリオの出来が良い。良く練ってある。そして、演出のセンスが抜群である。中盤から、かなりシリアスな展開を見せるのだが、携帯電話の着信音をベストタイミングで鳴らしたり、その着信音が何とも言えぬユーモラスなものだったり、笑いの要点を良く捉まえて、瞬間で深刻な空気をひっくり返す手際は大したものである。無論、役者の演技も良い。自分は、特に天野役の大竹 周作の演技が気に入った。人生の機微を知った大人が楽しめる内容である。
黄金のコメディフェスティバル2014

黄金のコメディフェスティバル2014

黄金のコメディフェスティバル

シアター風姿花伝(東京都)

2014/09/18 (木) ~ 2014/09/29 (月)公演終了

満足度★★★★

殿はいつも殿を拝見
公開録画を拝見した。最初に通しで上演してくれたので、通常の公演を観るのと同じ感覚で拝見できた。TVプロデューサーの暖かい配慮というべきだろう。グランプリは予想通り、昨年の「死が二人を分かつまで、愛し続けると誓います」に引き続き、ポップンマッシュルームチキン野郎が獲得したが、実力から言って妥当な所だと見る。(追記2014.10.1)

ネタバレBOX


 彼はその素性を妻にさえ明かしていなかった。その為、妻は自分が本当に愛されていたのか否かさえ覚束ないのだ。彼は、小説家であった。息子が一人居るが、息子は父を蔑ろにしていた。小さな賞一度取っただけで、後は売れもせず、気難しい、作家肌の父を。そんな彼が、急逝した。妻と息子は、遺品を片付けていた。すると、妻宛てにと認められた長い原稿が見付かったのである。
 物語は、この原稿が劇化され、父の謎の人生がひもとかれるという形で紡がれてゆくが、この原稿の内容は奇妙奇天烈、父は、何万年も生きた人間だったと言うのである。或る時、彼の生まれた星は、敵味方に分かれて争い、彼と妹を除いて絶滅した。彼らは、長い宇宙の旅の果てに、故郷の星の住環境にそっくりな星を見付けた。其処に定住し何万年もの間過ごした。彼らの過ごした星は、生命エネルギーを全宇宙に振り撒いている謂わばマザープラネットだった。
そう言えば奇妙なことが起こったのだ。彼らの乗った宇宙船が、この星の影響下に入ってからは船内の薬缶、テーブル、観葉植物、ぬいぐるみ総てが生命を宿し、喋ったり動いたりするようになった。そして、彼らは、マザープラネットに着陸する際、強烈な閃光を2度浴びた。その後、兄妹は、不死身の体を手に入れていた。同時に、永遠に生きるという宿命を。長い長い時を経て、兄は、殿さまになってみたい、と考えた。そして、下剋上の頃、実際に小藩の殿さま、宗肉になった。彼は家康と気脈を通じ、数十年の付き合いを続けるうち、肝胆相照らす仲になったが、家康は征夷大将軍となり、宗肉は小藩の殿のまま。それでも家康にとっては、心許せる数少ない友故、ある時、城へ呼ばれ無礼講となったが、初老を迎えて家康のつむりに白い物や抜けが目立ち始めたことをからかった所、切腹を命ぜられた。然し、宗肉は不死身故、死ぬことは不可能である。だが、切腹しなければお家断絶。これは死ななければと家臣一同、必死の努力をし、予行演習をするが、総て試みは無駄に終わる。折も折、切腹見届け仕る、とばかりに目付けが派遣される。当日には家康本人がやって来た。然し、家康の眼前で介錯も含め何度もトライした切腹は総て失敗。挙句、業を煮やした家康は、宗肉の家臣共々全員の殺害を命じたから、自分だけなら死んで事態を収拾しようとしていた宗肉も反旗を翻すこととなった。結果、家康は討ち取られ、宗肉が家康になり済ますこととなった。その後は、史的には、1605年に将軍職を息子の秀忠に譲って駿府に戻り大御所として二元政治を執り行ったが、今作では楽隠居を決め込んだことになっている。
ところで、息子は、父の出生等に関しても調べてくれるように手配していた。その結果は、父は、林業を営む両親のもとに1954年に生まれた。妹が一人の四人家族であった。決して裕福ではないものの、取り立てて貧しい訳でも無く、一家は平穏に暮らしていた。父が10歳の時、出先から、戻った彼の眼前にあった物、それは、両親と妹が無残に殺され血だらけになった家であった。強盗に襲われ、家に居た全員が惨殺されたのである。父は、孤児院送りとなって院を出る迄を過ごした。辛い過去から立ち直る為だったのか否か、小説を書き出し、母と出会った。その後は、母の知る通りである。不思議なことに、丁度、母と出会った頃から父も、普通の人と同じように年をとり、老けるようになった。きっと、かつて浴びた強烈な生命エネルギーが尽きたのだろう。何れによ、母と出会って、死ぬことが出来る生を得たのであり、息子を設け、小さい乍ら賞を取ることもできた小説を書くことも出来た。それは、総て、妻に読んで貰う為であった。
こんなことが、この手記には記されていた。
ゲキ★BAR

ゲキ★BAR

世の中と演劇するオフィスプロジェクトM

タイニイアリス(東京都)

2014/09/18 (木) ~ 2014/09/24 (水)公演終了

満足度★★★★

テロ国家
「コカコーラソルジャー」bを拝見
 テロ国家アメリカの下級兵士の話。もう1編は、高校野球を通して。人生の噺と言いたい所だが、自分には、余り興味のないジャンルであった。コカコーラソルジャー、4.5、汗3.総合4.

ネタバレBOX

 現在、アメリカは徴兵制を敷いていないから、軍のリクルートは、嘘や嘘すれすれ、契約書を交わしていなければ口から出まかせでターゲットを引っ張ることが多い。実際、引っ張られるのは、金もない、最初から抜群の成績だから、返還義務のない奨学金を貰ったり特待生になる能力もない、ノンエリート。おまけに宗教国家アメリカ人口の4割を占めると言われるキリスト教原理主義のイデオロギーでキリスト教シオニズムで凝り固まっている連中も多い。更に、正義とやらを矢鱈振りかざす単純馬鹿共だから始末に負えない。何より救いようが無いのは、チキンゲームで負けたくない、というのが、アメリカ流の生き方だから、本人達が、自分達の愚かさを自覚して居ても出せない点である。アメ公が世界中から嫌われ、馬鹿にされる原因がこの辺りにある。ハッキリ言って、アメリカの大衆はアメ公と言われても仕方のないレベルにしか居ないであろう。日本人はアメリカナイズされてアメ公以上に馬鹿になった連中がたくさん居るから気付かない連中も多いのだが。そして、それが、日本の問題でもあるのだが。
 まあ、悪口は、品が無いからこれくらいにしておこう。何れにせよ、そんな平均的アメリカ人の話である。主人公を演じるのは、1人だ。一人芝居である。相棒の名がどんどん変わる。ダニー、ジョニー、ジョージ、エリック、セルゲイ、リー、ケン、アンジェロ、マルコ、ジュリアン、フリードリヒ等々、まだまだ出てくるのだが、アングロサクソン系から始まって、ロシア系、中国系、日系、中南米ラテン系、イタリア系、フランス系、ドイツ系とここに挙げた名前だけでそう判断できる。多民族国家を浮き彫りにしたシナリオである。そんな、アメリカの中以下の社会階層に属する人々が、兵士として駆り出され、世界最強の軍として機能する。相棒の名がどんどん変るのは、死んでしまうからか、単に、相棒が変るだけか定かではないが、自分達の為には体を開いてくれない女性達や、年端もいかない子供達を唯、其処に居るから、自分達が兵士にされたからという理由で惨殺してゆく彼らの、他人を殺すということの重大性を想像することの麻痺、唯、アラブ系だから、殺すという彼らの論理と実践。或いは、赤だから殺すというより、アメリカ人でないから殺すという彼らの論理と実践は、世界中にアンチアメリカの種を撒いてきた。この事実を知らないのは、愚か極まるアメリカ人とアメリカのイデオロギーを支えるアホな為政者である。だが、さしもの馬鹿も、血糊で汚れ、DUの被害としか言いようのない子供達の被災の姿を見れば、己の内面に問うものも出てくるようだ。自分に嘘が吐ききれなくなるのだ。だから、相棒の面を見るだけで反吐が出る。それは、自分自身の鏡だからだ。何の罪も無い女、子供を手前が面白くないだけで虐殺しまくってきたのだから、当然だろう。時には、それを楽しんでいたハズである。敗戦に向かう日本でも、そのような米兵の姿は多数目撃されているし、戦後でも、米兵が遊び半分に日本人を射殺した事件の記録は何件も残っている。また、イラク、アブグレイブ刑務所でアメ公がイラク人に対して行った辱めや拷問、虐待を楽しんでいた様子は、ウィキリークスによって世界中に暴露された通りである。ところで、こういったやり方自体に、イスラエルが噛んでいる。イスラエルの軍事顧問が、イラク戦争のファルージャ攻撃などで、アメリカ軍にサジェスチョンを与えているのである。無論、為された作戦は、多くの国際法違反を犯している。そればかりかイラク攻撃で多くのDU弾が使われた為、半減期44億7千万年のウラン238他の放射性核種がイラクの大地を、空気を、水を汚染し、永遠に等しい害悪を与えた。無論、人間にだけではない。汚染地域にある、或いは生存するありとあらゆる生物に取り返しのつかない被害を与えたのだ。即刻、アメリカ、イギリスを、国際的に断罪できる裁判所に告訴し、彼らの地球上のありとあらゆる生物に対する罪を断罪すべきである。現在、それが機能し得ないなら、機能する新たな裁判所を作り、国連のマヤカシも含めて断罪すべきなのだ。このような作業なしに地球生命の安穏はあり得ない。(尚、DU被害に関しては、パレスチナ、アフガニスタンもその被害を精査する必要がある。ヨーロッパではコソボだ。その上でDUをその地域で使った英米、イスラエル等を断罪すべきであるのは当然である)彼らの国家など破綻しても良い。因果応報だからだ。自らの撒いた種は自らで刈らせるべきである。その結果、餓死者などがでたとしても、それも応報である。彼らは、世界中に害悪を流してきたのだ。罪を償うのは当然である。とディレッタントに言わしめるような罪を犯して来た米兵の甘えを最後に述べて終わる。故郷へ戻りたいだの、彼女の唇に触れたいだの。イッパシの人間面下げて言えるのか? 本当に! アメ公!!!
「汗」
高校野球の話。こちらは、得意ではない。実際、スター選手だの、スターだのに、自分自身が駄目だから、夢を仮託する連中の卑劣さが、自分には、矢張り薄汚れて見える。
あの空の向こうへ

あの空の向こうへ

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2014/09/26 (金) ~ 2014/09/28 (日)公演終了

満足度★★★★

他人ごととは思えない
1945年4月7日12時42分、大和に対して最初の米軍攻撃が行われた。鹿児島県坊ノ岬沖合90マイル地点である。(追記2014.9.30)

ネタバレBOX

無論、米軍は大和の弱点をリサーチしていたから、主砲が、真上からの攻撃に弱いことも重々承知していた。更に、護衛する航空機の航続距離の計算も事前に済ませていた。当然のことである。既に戦闘機自体が少なくなって居た上、燃料も枯渇、更に悪いことに連合艦隊参謀であった神 重徳の強硬で拙速な海上特攻作戦が強行された為と他の参謀らのセンチメンタリズムに、裕仁が絡んで余人は口を挟むことが出来なくなった。結果、本来護衛につくはずだった航空機の援助も充分に期待できぬまま、坊ノ岬沖合に艦隊が到達する時点では、護衛機が帰投していることを米軍は読み、ウォッチした上で攻撃したのである。この時、大和を襲った米軍機の数は諸説あるのだが、今作では367機説を採っている。うち、撃墜は僅か6機。これに対し日本側の損害は、大和以外に、護衛についていた軽巡洋艦、駆逐艦等5艦が沈没、1艦が大破している。その他の艦からも死者は出た。護衛艦全体の戦死者は981名だから、大和が編入された第二艦隊の戦死者の総数は3721名に上る。受けた魚雷の数に関しても、被弾した爆弾の数にしても、米軍サイドと日本側での食い違いの他、日本側証言にも数に違いがあり、定説は無いようである。何れにせよ、魚雷の多くは左舷に命中、艦はバランスを崩し、操舵が不可能になり、終には航行も出来なくなって横転仕掛けた所を、船底部に魚雷を受け急速に沈降したようである。大和沈没時刻、これにも複数の証言がある。軍艦大和戦闘詳報などでは、14時23分。第二水雷戦闘詳報では14時17分。何れにせよ、14時20分前後ということだ。大和の戦死者2740名、生存者269名乃至276名。
現在、進行中の原発評価にしてもそうなのであるが、この国の為政者の馬鹿さ加減というものは度を越えている。事実を事実として観ることが出来ないのだ。第二次大戦の敗戦理由の第一が、この事実を事実として受け止めることが出来ない点にあると考える。ちょっと振り返ってみよう。
アメリカは曲がりなりにも、合理的に戦いを進めている。それに対して大日本帝国軍隊のやり方はと言うと、特攻だの、神風だの訳の分からない茶番であった。無論、狂気ではない。何故なら意図的に為された自滅作戦だったからである。何故、それを狂気でないと言い得るか? 答えは簡単だ。為政者共はくたばっていない。
為政者共の茶番を強制されて、シャブを使って恐怖を忘れさせられ、特攻機に乗り込み、或いは、回天に乗り込み、(最近、シャブを使ったのが嘘だと言う馬鹿がいるが、ではなぜ、昭和31年迄、ヒロポンが町の薬局で買えたのか?)或いは水杯を酌み交わして万歳突撃を繰り返したのが、ミッドウェー以降、太平洋戦争の趨勢であった。だからこそ、米軍は硫黄島での日本軍の強硬な反撃に驚いたのである。
ところで、自分が他人ごととは思えない、とタイトルに記しているのは、自分の従兄子が何人も太平洋戦争に引っ張られて戦死しているからである。靖国に祀られているが、親族が何度分祀を願い出ても分祀されない。分祀できないの一点張りである。しかも、天皇一族だけは分祀されているのだ。靖国を美化する風潮があるようだが、糞喰らえ! だ。
 という、自分の歴史認識とポジションを示したうえで、この作品のアウトラインを書いておこう。
 大和の生き残りとして、生き残ってしまった男には、強い後悔の念があった。親友と言っても良い戦友を自分のせいで死なせてしまったとの痛恨の念である。帰国した彼は、何かというとこの話をしたそうである。それを聞いて育った子供が居た。彼は長じて、タイムマシンを発明する。そして、小さな頃から聞いていた悲劇の親友を救う為に、このマシンを使うことを思いつく。彼は、第二次世界大戦のさなかへ飛ぶ。そして、その親友と会い、彼に現代へ飛び、大和もしくは彼自身を救えるかも知れないプロジェクトに参加するよう説得した。彼が到着した現代には、大学の研究室と提携したプロジェクトチームが集めたメンバーが待っており、彼と共に、大和の最後の戦いをシミュレートすることになった。メンバーは、ゲームの達人達、大和の実際の戦闘データをベースに、本当に神参謀のようなアホが計画した夢想が実現し得るか否か、制空権、制海権をアメリカに牛耳られた中、尚沖縄迄到達した上で、わざと座礁して砲台になる計画迄は無理だとしても、実際に沈没させられた坊ノ岬沖の戦いで、艦を救うことが出来るか、或いは、親友を救うことが出来るかのシミュレーションをした訳だ。結果は、NO.だが、できれば乗員の命は救いたい。そのことで、歴史をゆがめることがあったにせよ。彼らはチャレンジした。そして、軍の規律にも、時代の精神にも、また、人としての誇りにも恥じることなく親友の命を救うことが出来たことが、シミュレーションで艦長を勤めたゲーマーの葬式に、親友の孫が訪れてくれることで分かる。
まあ、★4つとしたのは、一応、歴史を変えてはいけない、ということになっているSFの原則を破った後の、複雑系に関する答えが無いことだが、これは誰にも答えを出すことはできまい。5に近い4である。また、急遽、代役で大野役を演じた古山 彩美さん、流石にプロである。自然に演技が出来ていた。

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