パパのデモクラシー 公演情報 劇団 江戸間十畳「パパのデモクラシー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    初見で極めてハイレベルと評価できる劇団が、一つ増えた
     入場して、掛かって居る音楽に驚かされた。何と、演歌なのである。無論、歌謡曲では無い。(歌っているのは、ピーター・ブルックと一緒にパリで仕事をなさっている土取さんか?)

    ネタバレBOX

    板垣退助らの自由民権運動に連座して歌われた壮士演歌を芸域に迄高めた、添田 唖蝉坊・知道らの歌が掛かっていたのである。音階は無論、和音階であるから、ドレミファソラシドではない。長唄、端唄、小唄、三味線等々日本古来、殊に、江戸情緒を色濃く残した音階であるから西洋のものとは根本的に異なる。自分は、国粋主義者でも無ければ右翼でもないから、馬鹿げたイデオロギーにコミットする気は毛頭ないので心情右翼のセンチメンタリズムや決意主義などの不合理なものは、矢張りこの場では論じない。要するに音階として、音の規則が異なるのだ。
    また、困窮した元士族が多かったとはいえ、堕落してゆく明治政府に対する当然の批判者として、基礎的な素養を具えた旧武士階級から批判勢力が起こったのは必然と言わなければならない。おまけに、江戸時代の国民の識字率は、当時の全世界比較で日本は飛びぬけて高かった。町方、村方にも有識者は居たし、庶民の知的レベルは世界的にみても非常に高いものであったことは、注目に値する。このような社会に於いて、粋・通とされた文化伝統を担ったものが、演歌の背景にあったことも見逃すべきではない。これらの伝統の上に立った歌が流れていたのだから、そして、それが、自由民権思想に関わり、殊に、政府批判に用いられてきた歴史的事実を知る者にとって、今作の訴えるものの内容とも見事に呼応する必然的なBGMとして、実に粋な、そして知的な迎え方として、耳目をそばだてたのだ。
      オープニング、この認識が間違いで無かったことが、証明された。E.サティーの曲が流れたのである。これ以上のとり合わせがあるだろうか? 自分は、この見事なセンスに感動を覚えて、更に引き込まれてしまった。シナリオも見事である。役者も良い。どの役者も上手いのだが、主役を張った二役(神主役・千代吉役)の辰巳 蒼生の演技が素晴らしい。ラストシーンなど、思わず背筋に電流が走りそうになった程であった。初日が終わったばかりなので、余りネタバレは書かない。基本的に、描かれるのは、敗戦直後の日本の状況だとだけ言っておこう。吉田茂の大衆蔑視と欧米跪拝、伸してくるソ連に対するアメリカの政策転換、敗戦国の実情などは、予め学習しておいた方が良かろう。参考図書として何冊か挙げておく「日米地位協定入門」、「東京セブンローズ」、「検証・法治国家崩壊」、「浮浪児1945」「拝啓マッカサー元帥様」入手可能なら米軍の日本占領マニュアルに類するものなど。自分はまだ読んでいないが「敗北を抱きしめて」は良さそうである。まあ、ご自分でも探して読まれるが良い。最低10冊程度を読んでおけば、可也理解が深まろう。無論、読まなくとも分かる内容にはなっているが、抑制された表現になっているから、それをリアルなものとして感じる為には、最低限、自分の挙げた数冊を観劇後、読んでみると良い。
    ラスト、パンパンをやって姑を養っていた望月 ヒサヨが出産する。が、その子は、買春米兵との間にできた子であり、その後の日本を暗示していることにも注意すべきであろう。このことの意味は頗る重い。
    シナリオで優れた点を具体的に1点だけ挙げておく。千代吉を少し、足りない人間として描いていることである。戦前・戦中と戦後では価値が逆転したものを含めて価値の大混乱をきたした。殊に、インテリに於いて、その矛盾は激しい。大抵のインテリは矛盾を誤魔化したことを不問に付すことにより、不問に付したことを忘れることにより、生き抜いた。だが、事実は、彼らの恥知らずな行為を観て、叫びもしなければ、大仰に批判もしなかった。唯、彼らの顔を観る度に、うすら笑いを浮かべるのみである。そのような知的選良の裏切りや付和雷同、退廃をものともせず、白痴である千代吉は、己の倫理を全うする。その時、愚か者と言われ続けてきた彼らこそが、賢者に見えてくる。この点も深く考える必要があろう。ムーシュキンを思い出しても良い。

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    2014/10/06 03:15

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