うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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うちの犬はサイコロを振るのをやめた

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2016/07/23 (土) ~ 2016/07/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

やっぱりすごい芝居
やっぱりすごい芝居だと思う。
再演で話の筋は判っているのに、同じように衝撃を受ける。
このアイデア、構成、ナンセンスと批判精神、そして被り物の存在感。
増田赤カブトさんの成長と、顔が小さくすっきりしたことに改めて感動する。
相変わらず誰だかわからないぬいぐるみが似合いすぎる加藤慎吾さん、
この芝居のシリアスな重みを一身に背負う横尾下下さんの凄み、
シンプルな舞台でスピーディーな場転と効果的な映像の使い方、
効果音のタイミングの良さ、キャバレーのダンスのレベルアップなど
「ん・・・?」と思うところをチャラにしてしまうパワーとドラマ性がある。
役者さんは大変だろうに、客入れの時間までエンタメに徹するところが好き。

ネタバレBOX

まだ大陸に満州国があった頃のこと、何でもありの中国にはしゃべる犬がいた…。
その犬ゴルバチョフは、旧日本軍の手術によって「未来を見通す能力」を植え付けられる。
この能力のせいで彼の人生は大きく変わり、ついには大きな決断をすることになる。
未来を見てしまった彼が最後に変えたかったのは、一人の少女の運命だった・・・。

「ちょっと、しょう油取って」という犬の第一声がいいんだな。
ニワトリやトカゲ、マッサージチェアがフツーにしゃべって人間と仕事したりする、
この“既成概念を強制的に取っ払う設定”がいい。
世界観が広がってその後の展開は超自由、人間って奴のダメっぷりが際立つ。

いつもながら笑っているうちに怖ろしい事実が明かされ、
ゴルバチョフの苦悩が浮き彫りになる。
幸福な生活がすべて頭の中の世界だったということ、その世界を変えるべく
身を挺してシヅ子を守ることを決める決断。
加藤慎吾さんの台詞は、軽さと重さのバランスが絶妙。
それまで一度も吠えなかった彼が、ラストシーンで一度だけ長く吠える。
その切なさ全開の演出が秀逸。

CR岡本物語さんの芸達者ぶりも素晴らしい。
グレーのカツラが素敵すぎ!(いつもこれでいいんじゃね?ってくらいです)
野口オリジナルさんが惜しげもなく晒す(ほぼ)裸体の美しさ、
ためらいのなさが潔く清々しいので台詞に説得力が増す。

客入れの時のパフォーマンスも(人馬一体のアレも好きですが)力が入っており、
ショートストーリーとしての完成度高し。
いい気になったミッキーマウスがUSJに引き抜かれるという話だが
ブラックな結末など吹原さんらしくて強烈な印象を残す。

吹原さんの作品は荒唐無稽でふざけているが、それはすべて
人間の黒い部分を描くため、その対極に置かれるものだ。
被り物は、手段であって目的ではない。
それがここまで鮮やかな劇団を私はほかに知らない。
だから脱いでもすごいんです。
次はR18に行くぞ。




ただしヤクザを除く

ただしヤクザを除く

笑の内閣

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了

満足度★★★★

ヤクザの人権
ドタバタに笑っていると、結構マジな法律の話になって
「ほう!」「へえ、そーなのか」と感心してしまった。
「人権」に関する解釈など目からうろこの説得力。
底の浅い自己満足の人助けなど何の解決にもならないことを教えてくれる。
社会や政治家の矛盾、そして大衆の感覚にも疑問を呈する
その視点が素晴らしい。

ネタバレBOX

ピザマッチョの広島地区エリアマネージャーの住吉は
呉中央署の巡査部長稲川に呼び出され、
「今後ヤクザにピザを売らないように」と指導を受ける。
だが呉店に行ってみると、既に常連のヤクザから注文が入っており
今日は自分で取りにくるという。
正面からヤクザに話してみることにしたマネージャーだったが、
ヤクザにはヤクザの哀しい事情があった…。

B級のつくりとキャラで展開するのだが、
「ヤクザの人権を守ることが、全ての人の人権を守ることにつながる」
という視点が素晴らしく効いていて、そこがキモ。

誰からも好かれる人の人権は自然に守られるが、
「嫌われ者の人権は法律で守らなければ誰も守ってくれない」というのは
本当にそうだと思う。
容疑者への人権侵害、容疑者の身内への人権侵害、
不倫したタレントへの人権侵害…等々
社会は“好き嫌い”で人権を尊重したりないがしろにしたりする。
民主主義の未熟な社会においては、やはり法律で守る必要があるのだ、
という理論は説得力大。

ラスト、「ヤクザなんか辞めて普通の仕事をすればいいのよ」という皆の説得に
ヤクザが返す究極の一言で芝居は終わる。
「じゃ、元ヤクザを雇ってくれますか!?」
誰も答えられない、誰も解決できない、この問いがすべてという気がした。

アフタートークで高間氏が
「ヤクザという言葉を“演劇”に置き換えても通用するように書いた」
と発言していたのが可笑しかった。



ニッポン・サポート・センター

ニッポン・サポート・センター

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2016/06/23 (木) ~ 2016/07/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

立ち上げる人、近所の人
力まず自然なやり取りに“あるある感”満載の登場人物、
あー、こういうことが日々あちこちで起こっているんだろうなと思わせる。
普通の会話がどうしてこんなに可笑しいのか不思議だ。
「NPOを立ち上げる人々」と「ボランティアする人々」がくっきりしていて
その温度差がリアルに可視化されているところが可笑しいんだな。
俗っぽい会話から日本の社会問題が透けて見えるような構造が素晴らしい。
山内健司さん、あのキャラはアテ書きなんでしょうか(笑)

ネタバレBOX

舞台は駆け込み寺型NPOの事務所。
日々様々な問題を抱えた人々が相談に来る。
受け容れる側は所長のほか、サブリーダーやカウンセラーなど。
事務所には近隣に住む人がサポーターとして待機しており、噂話に花が咲く毎日。
サブリーダーは、夫が盗撮の疑いで捕まり、職場に迷惑がかかるのを怖れている。
インターンの学生が2人来ていたり、DVが疑われる夫が訪ねてきたり、
サポーターの1人が義理の息子の再就職を市役所にツテのあるNPOに頼んだりと
小さな事務所は今日も多くの人が出入りしている・・・。

定点カメラで事務所の一日を撮り続けているかのような淡々とした視点。
時間内に結論を出そうとか、問題を一つでも解決させようとかいう
余計な力を排した結果、ごくごく自然で超リアルな手触り。

リアルなのは登場人物も同様で、NPO立ち上げから関わってきた人々と
サポーターと言う名でボランティアに来る近隣の人々との落差が大きいのも
現実的で“あるある感”満載。
超個人情報を扱う場所なのだが、噂話が飛び交い、噂の情報交換は活発。
客入れの時から、舞台で本を片手に碁を打つ悠々自適おじさんや
人はいいが“知りたがり・のぞきたがり”なおばちゃん精神全開のキャラ、
家業の床屋(?)が暇になるとここへ来て時間を潰す自称「髪結いの亭主」など
そのユルいたたずまいが、所長ら相談員の持つ緊張感とは対照的だ。
そのサポーターに「ありがとうございます」とひたすらお礼を言い続ける職員達。
現場でよく見る風景であり、つくづく“ボランティア”のあり方を考えさせる。

海外赴任から戻ってから会社を辞めた息子の再就職を頼むエピソード、
開発援助という名の下、自分の仕事に疑問を感じて行き詰まった義理の息子が
いかにも生真面目なきちんとスーツを着て話を聞きにくるシーンなど
本人の真剣さと親の期待、周囲の楽観などが
「実は市のゆるキャラの着ぐるみにはいる」仕事だという現実の前で
可笑しいやら気の毒やら現実はそううまくいかないよって感じで笑ってしまう。

舞台奥に3つ並ぶ“カラオケボックスの業者が作った(劇中の台詞から)”という
防音の相談室が秀逸。
渦中の人が中に入り、スタッフがブラインドを閉めた途端、
観客は自然と舞台手前に集中する。
時々相談室のドアが開くと中の会話が漏れ聞こえて、
そこでは話が継続して進行していると判る。
人物の出ハケ、話題の切り替え、話の同時進行という役割を担って
素晴らしく機能している。

真面目なだけに、自分の思いを真剣に伝えようとすると、
人はこんなに滑稽なものだということを、平田作品は示してくれる。
いつもながら役者さんの間の取り方がまた素晴らしくて、
これも笑いの大きな要因だと思う。






CALL AT の見える桟橋

CALL AT の見える桟橋

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/07/01 (金) ~ 2016/07/09 (土)公演終了

満足度★★★★★

見事な台詞の応酬 (Aを観劇)
シンプルだが良く出来たセットと、ユニークな異形の者たちが面白い。
キリマンジャロ伊藤さんと小早川知恵子さんによる
脚本の面白さを100%生かした見事な台詞の応酬が素晴らしい。
笑っているうちに、作者の死生観や哲学に裏打ちされた深い意図が浮き彫りになる。
これが、メガバックスコレクションの最大の魅力であり、強みだと思う。

ネタバレBOX

客席に足を踏み入れると、既に不思議な生き物たちが会話している。
意味は解らないが感情は伝わってくるような不思議な言葉に、
ファンタジックな雰囲気満載。
人間ではない彼らのうち、二人はセットの一部みたいに動けない状態。
檻の中にもひとり、正面には時々動く男が鎖につながれている。
何が始まるんだろう、とわくわくしながら開演を待つ。

暗転の後、この桟橋で4人の人間が次々と意識を取り戻す。
追っ手を振り切りながら車に乗っていた泥棒(キリマンジャロ伊藤)。
恋人を追いかけて時計台から転落したエンターテイナーの女(小早川知恵子)。
鉄棒から落ちて首から下が動かなくなり長く入院していた少女(久下綾香)。
戦場で、故郷へ帰る直前に撃たれた無線兵の男(松尾祥磨)。
ほどなく皆、自分が死んだことに気付いてここがどういう場所なのかを探り始める。
背が高く白塗りの顔をした男が、船で彼らをあの世へ連れて行くらしい。
そして異形の者たちはそれぞれ未練・嘘・夢・罪を主食としていることが分かる。
限られた時間内に戻れば生き返ることが出来ると知って、危険な賭けに出るか、
船の修理が終わったらおとなしくあの世へと旅立つか、4人の苦悩が始まる…。

似たような設定の物語は過去の作品にもあったのに
どうしてこんなに毎回感動するんだろう。
生への執着や、生きる意味を見出せないこと、大切な人を失った絶望、
そしてあと少しで助けられたのに、という後悔の念。
それらを抱えたまま突然命を絶たれた人間の心情が、
威勢のいい台詞の応酬の中に丁寧に織り込まれている。
この期に及んでまだ真実を隠そうとする心理も自然で共感を呼ぶ。

人間って弱い、だけど優しくて素敵だ。
いや、弱いからこそ優しいのかもしれない。
個々のエピソードが良く出来ていて、一人ひとりに感情移入できる。
作者の死生観や哲学が無かったら、エピソードがブレると思うが
生死を俯瞰するような視点が貫かれており、
結果的に一人ひとりの生きていた時間が鮮明に立ち上がる。

泥棒とエンターテイナーの台詞に含蓄とユーモア、
ラブコメのテイストがあって大変楽しかった。
死んだ方が自由に動けていい、と言う少女の本心と
最後の決断に至るプロセスには
説得力と愛情があふれていて涙があふれた。

鎖でつながれて人間の未練を食べる男(奈良勇治)、表情はほとんど見えないが
最初から最後までモンスターらしい言動が貫かれていて素晴らしかった。
死後の世界への案内人(卓巳)が無表情にも関わらず、実は真実を見る目と
温かな心を持っていることが伝わる微妙な台詞が巧い。
上司(?)からの電話に「はい、夫婦なので」と言う台詞には笑った。
紅白の小林幸子みたいに装置と化しているモンスター(鈴木ゆん・本澤雄太)が
異次元の世界観を表していて大変効果的。ころころ笑う声はBGMのよう。
嘘を食べるピンクの女(ザッちゃん)の、嘘の暴き方が痛快。
話を思いがけない方向へと転がすきっかけになるところが面白かった。
船の修理をする男(井上正樹)、人間なのにモンスター達に近しい感じが
良く出ていて面白かった。

改めて「HOTEL CALL AT」をもう一度観たいと思わせる作品だった。
メガバックスが次はどんな世界を提示してくれるのか、もう心待ちにしている。

逆光、影見えず

逆光、影見えず

MCR

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2016/06/24 (金) ~ 2016/07/03 (日)公演終了

満足度★★★★

オサム
主宰で作・演出の櫻井智也さんは20代の頃太宰作品にのめり込んだという。
その正面切って向き合う姿勢が存分に台詞に表れている。
もうすぐ死ぬからって、美しい過去ばかり出て来るわけじゃない、
っていうところがいい。
櫻井さん演じる医師のいい加減さが最高!

ネタバレBOX

ひとりの男が余命宣告されて、否応なしに自分の人生を振り返る。
時代を逆行して過去の出来事が再現されるのだが、
高校時代の彼が鼻持ちならないナルシストだったり、
友人の妻と付き合っていたことがあったりと、
ヤな奴の延長線上に現在があることが分かる。

死を前にした人間に対する周囲の戸惑いと、
「だけど生きてるうちにこれだけは言っておきたい」的な完結願望で
妻も友人たちも彼を囲んでぐるぐる周る。

妥協しないで正面から向き合うと、他者との会話はこうなっていくのだと見せてくれる。
私たちが日ごろ、人間関係の亀裂を怖れて回避していることをずんずんやらかしてくれる。
理屈を手放すことなく、幾重にも重ねてめんどくさい会話になっていくところが面白い。
これこそが“櫻井コミュニケーション”だと思う。

過去のオサムを演じた小野ゆたかさんの振り切れた芝居が面白かった。
堀靖明さんの眉根を寄せた顔と繰り出す台詞が好き。
櫻井智也さんは、お堅い職業ほどその人の本音をえぐり出すので、医師は最高!

欠陥人間に寄せる愛情と悲哀がないまぜになっているところ、
太宰とMCRの相性の良さを発見して嬉しくなった。


ルドベルの両翼

ルドベルの両翼

おぼんろ

BASEMENT MONSTAR王子(東京都)

2016/06/28 (火) ~ 2016/07/06 (水)公演終了

満足度★★★★

5人の仲間
キャラに既視感はあるが、設定が新鮮で面白かった。
下僕のキャラが魅力的で、藤井としもりさんの伸びやかな声が快く響く。
場転と出ハケに、的確で美しい照明の効果が絶大。
これは理不尽の海でもがく若者たちの成長譚だ。
冒頭、BGMの音量が大きくて語り部の声が少し聞き取りにくかった。
導入部分の大事な説明であり、ここを聞き逃すとその後が解りにくくなるので
どこに座っていてもクリアに聞こえるといいなと思った。

ネタバレBOX

地下に降りると、そこは時代も国籍も不明なおぼんろワールド。
丁寧に席を案内してくれる語り部たちの顔が、いつもとちょっと違う。
涙のメイクが無くて端正な表情だし、髪の色がみんな違う。
それぞれの髪色が良く似合って美しい。

物語は神話の世界から始まる。
神の怒りに触れて地下深く追いやられた不遇の民と、
地上に残って支配することになった民。
交わることの無いないはずの彼らが遭遇し、互いの歴史と境遇を知る。
双子であったために忌み嫌われ王家を追われた若者と忠実な下僕、
一方地下で過酷な労働を強いられながら、ここを抜け出そうと試みる男二人、
密かに革命を起こそうとたくらむ一匹狼の女夜盗。
この5人が出会って運命に逆らおうと究極の選択をした時、奇跡が起こる…。

5人のキャラがある程度定番化するのは悪くないと思う。
役者の個性とバリエーションという意味で、ピュア系・お調子者系・ひねくれ系等々
物語の展開上必要な役割だと思うから。
今回は登場人物5人の背景がバランス良く語られているが、
逆にバランス良すぎて突出したキャラが存在しないところが物足りない印象。
例えば怪物ゴベリンドンとか、破壊兵器ジョウキゲンのような、
他を圧倒する、強烈で常識を逸脱したキャラがいない。
メンバーの個性ありきになっているところが魅力的でもあり
“薄味”の原因でもあると感じた。

物語の設定はファンタジックで素敵だ。
抗うことのできない神の時代の運命と儀式、
リンリンとタクムが、初めて“ともだち”に出会った喜びが伝わってくるところ、
嘘をついたジュンジュンが仕方なく皆を鍾乳洞へと案内するところ、
“奪ってきた自分”が“与えて来たタクム”と出会って変わったのだと語るトシモル、
革命を起こそうと密かに暗躍するムグの強靭な精神と歌声、
そしてタクムの自己犠牲に次々と仲間が共鳴した結果起こる奇跡…。
忘れられないいくつものシーンがあって、やっぱりおぼんろは素晴らしい。

私は次もまた5人に会いに行くだろう。
5人でどんな世界を創るのか、どうしてもそれを確かめずにはいられないから。







脱出前夜

脱出前夜

The Stone Age ブライアント

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/06/22 (水) ~ 2016/06/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

バス停と線路
登場人物全員に共感するものがあり、観ている私も否応なしに揺さぶられる。
誰もみんな後悔しているし、希望を持ってはその分挫折している。
弱いダメダメな人間同士が幸せになろうともがく姿が愛おしい。
無駄の無い台詞と、役者陣の緊張感あふれる応酬が素晴らしい。
バス停と線路といういわば“人生の点と線”が、巧みな設定となっていて効果的。
アフリカン寺越、橋本亜紀、末廣和也の安定感が光る。
他の役者さんたちもキャラがくっきりしていて魅力的。

ネタバレBOX

バス停のそばには建設途中の線路がある。
その先には観光の目玉となるはずの滝がある。
だがバス会社の社長の“鉄道を走らせる”という長年の夢は、
大雨による滝の崩落により、とん挫している。
その線路を見下ろすアパートの2階に住む時生(アフリカン寺越)と薫(土屋咲登子)、
ある日二人は言い争いになり、薫が窓から飛び降りて半身不随になってしまう…。

トラックの運転手をしながら小説を書いていた時生は、
後悔の念に苛まれながら介護の日々。
介護士を目指していた薫は介護される立場になり、ますます感情的になる。
バス会社の社員鳴神(橋本亜紀)は
介護に疲れて母親を施設に入れたことで自分を責めている。
薫の元カレで彼女を捨ててアパートを出て行った小山田(末廣和也)は
怪しいセールスを転々としながら自分を見失っている。
そんな中、市の職員蟹江(河内拓也)だけは、滝の復活を信じて
もう一度鉄道を走らせようとしている。

みんな現実に溺れそうになりながら苦しい呼吸をしている感じ。
現実を変えたくても、身体は言うことを聞かないし、向き合う相手も思うようにならない。
その閉塞感が痛いほど伝わってくる。
それを打破するのは、淡々と信じることを積み上げる蟹江のような行動なのだ。
最後に時生は捨て身の行動に出る。
それがすべてを変え、薫を変えたのであろうことは、
ラストに一瞬見せる包帯をした薫の表情で何となく察せられる。
鉄道も新しい会社の元で建設が続行されることになる。

鳴神が言うように
「辛いという字に一本棒を引くと幸せという字になる」(相変わらずこういうのが巧い)、
その棒一本が私たちにはとても難しい。
難しいからこそ、幸せを感じて大切にするんだなあ。

あのアパートが2階だということが分かりづらくてもったいない気がしたが
バス停と線路、とりあえず出来上がっている駅のホームという設定が良かった。
人が集まっては帰っていく場所として自然に機能している。

一瞬たりとも気持ちが晴れやかになれない時生と薫の途切れない緊張感が素晴らしい。
小山田のキャラが、よくある“戻って来ためんどくさい元カレ”でなくて良かった。
鳴神のぶっきらぼうな台詞の中に真実を言いとめる重さがあって
説教臭くない含蓄がある。
蟹江の、マイペースに信じることを淡々と行動に移すキャラがとても清々しく
ストーリーの中盤から一筋の明るい兆しになっていた。
時生に“行動することが何かを変える”ことを無言のうちに示しているのがとても良い。

私は「いつも今がピーク」だといいなと思う。
洪水のように幸不幸を味わって、知らなかった時より知っている今の方が
ずっと豊かに違いない。
だから次回公演もますます楽しみにしています。







なだぎ武・山田菜々主演「ドヴォルザークの新世界」

なだぎ武・山田菜々主演「ドヴォルザークの新世界」

劇団東京イボンヌ

スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)

2016/06/07 (火) ~ 2016/06/10 (金)公演終了

満足度★★★★

なだぎ武すごいわ
なだぎ武さんの演技力に圧倒された。
アメリカの太陽を見て一緒に泣けてくるとは思わなかった。
鍛えられた声と台詞の間の良さ、軽快な身のこなしなど素晴らしい。
前半の笑いと後半のシリアスな展開は「クラシックコメディ」という枠を超えている。
ただやはり”芝居を観たい”観客からすると
オーケストラを舞台に上げることで、せっかくのダイナミックな物語が
スペース的に限られてしまうのがちょっと気になる。
演出上スムーズな場転などが今後の課題かなという気がした。

ネタバレBOX

報酬に惹かれてチェコからアメリカへやって来たドヴォルザーク一家。
にぎやかな都会暮らしに、つい故郷の豊かな自然を思い出すドヴォルザークだったが
アメリカに相応しい交響曲を作るため日夜悩み続けていた。
そんな時、ふとしたことからインディアン居留地で彼らの歴史や価値観に触れた彼は
その素朴な力強さに感動して交響曲の想を得る。
しかし原住民を一掃して新大陸を我が物にしようとする政府軍がついに居留地を攻撃、
ドヴォルザークは彼らの凄惨な最期を見届けることになる…。

偉大な作曲家の人間臭い面をコミカルに演じる一方、シリアスなインディアンの歴史には
真摯に向き合い敬意を表する、そんなドヴォルザークのキャラに親近感がわく。
なだぎ武さんの緩急自在な演技に惹き込まれた。
声の滑らかさ、動きの柔軟さ、そして姿勢の良さが素晴らしい。
大きな太陽に感激して泣きだす場面では、思いがけなく私も涙がこぼれた。

歌の分量は以前より少し控えめな印象を受けたが、唐突感がなくとても自然に感じた。
インディアン達の踊りが類型的なそれではなく、工夫があった。
銃で攻撃されながら生まれ変わりを信じて身一つで立ち向かう壮絶な場面、
迫力と同時にインディアンの精神が際立って忘れられないシーンだ。

クラシックと物語の融合である以上、そのバランスは永遠のテーマだと思うが、
舞台の使い方は工夫の余地があるかもしれない。
頻繁な場面転換に伴うセット移動が気になったり、スケール感がイマイチだったり
ちょっともったいない印象を受けた。
ストーリーの核が壮大なインディアンの原風景であるだけに尚更そう感じるのだろう。
次第に公演の規模が大きくなっていく東京イボンヌが、
今後どちらの観客にどうアピールする舞台づくりをするのか
そのバランスとセンスに注目していきたい。





義経千本桜—渡海屋・大物浦—

義経千本桜—渡海屋・大物浦—

木ノ下歌舞伎

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2016/06/02 (木) ~ 2016/06/12 (日)公演終了

満足度★★★★

イマジン
見やすい舞台のつくり、生者と死者の象徴的な衣装替え、ロックなテイストが効果的。
復讐という名の殺戮を繰り返す、今も昔も変わらぬ負の連鎖を断ち切る
双方の葛藤を鮮やかに浮き彫りにする。
選曲がいかにも多田さんらしく、直球ストレートで
「これでいいのか、日本は」と投げこんで来る。
しかしあの音量はちと大きすぎやしないか?


ネタバレBOX

客席に向かって斜めに傾斜した舞台だから隅々まで見渡せる。
知盛が碇を身に巻き付けて海へ身を投じるシーンなど、あの奥行きが
あればこその迫力。

兄頼朝に疎まれた義経一行は九州へと都落ちの途中である。
一方、死んだはずの平知盛は典侍局と共に安徳帝をお守りしつつ
船宿渡海屋を営み、復讐の機会を狙っていた。
そしてついに義経一行が、その渡海屋に宿を取る…。

見せ場は歌舞伎の台詞で、ストーリーの大きな流れは現代語でというメリハリで
スピーディーな展開。
壮絶な源平の戦いの場面では、討ち死にすると
羽織っていた着物をはらりと落とし白装束になる。
生者と死者のコントラストが鮮明になり、無常観が漂う。

“生きていて欲しい歴史上の人物”は常に「生存説」を伴うものだ。
彼らの無念な思いを想像して様々な物語が生まれたのだと思う。
この物語は単に「無念さを晴らす」だけでなく、復讐の連鎖を打ち止めにするという
未来への選択で終わるところがすごい。
今世界中で繰り返されている“大義名分を掲げた復讐”を
知盛のように受け容れ、終わらせることが出来る人間がどれほどいるだろうか。

多田さんの演出は、ラスト清志郎の「イマジン」が象徴するように
「もう止めようよ」と呆気にとられるほどストレートに訴えてくる。

どこか雅な義経や、コミカルな弁慶のキャラに囲まれて
知盛の壮絶な最期が強い印象を残す。
確か碇を巻き付けて三度海に沈んだと思うが、その三度とも
緊張感あふれる場面だった。
木ノ下歌舞伎でベテランの域にある武谷公雄さんの台詞回しに
安定感とゆとりが感じられた。

ただBGMの大音量で台詞が聞き取りにくいのはいかがなものか。
歌舞伎の音楽的な台詞をBGMと闘うように怒鳴るのはもったいない気がする。
現代人はロックで大声でスピーディーでなくても、
歌舞伎の良さを感じることは出来ると思う。



最悪な大人

最悪な大人

劇団献身

OFF OFFシアター(東京都)

2016/06/03 (金) ~ 2016/06/12 (日)公演終了

満足度★★★★

ストーリーとギャグ
“りゅうちぇるを普通にしたような”26歳の奥村徹也さん率いる劇団の勢いを感じた。
若いが力のある役者陣の“全力でやってる感”が清々しい。
ナンセンスコメディと謳っているが、ナンセンスなだけではなく、
コントのようにガツガツと笑いをとりに行くだけのノーテンキな作品でもない。
ストーリー性とギャグが共存する作風は大好物だ。
アフタートークでビチチ5の福原充則氏が言った言葉が、
現在のこの劇団を的確に言い表していると思った。

ネタバレBOX

冒頭、大家に見つかって泣く泣く猫を捨てに来た夫婦が登場。
猫を捨てに来たのに人間の赤ん坊を拾って連れ帰るところから始まる。
父親はフードファイターだったが、あるトラウマから食べられなくなってしまい、
その後夫婦の間に亀裂が生じて母親は出て行ってしまう。
拾われた息子はかつてヒーローだった父親の面影を探し続けるが
現実は上手くいかず引きこもりになって10年、
今は父親の勤める運送会社の営業所で仕分けのバイトをしている。
その営業所に、ある日客のひとりが怒鳴り込んでくる…。

アフタートークで奥村さんが
「ギャグだけの作品でなく、何か1本ストーリーを持たせたい」
という意味のことを仰っていたが、そこがただのナンセンスでないと感じる所以。
親子の物語があって、そこからギャグの枝葉が伸びている印象だが
特に、引きこもりでコミュニケーションが不得手な挙動不審息子が
ほとんど笑えないほど痛々しくリアルだったからだ。
(これは演じた東直輝さんが上手かったから)

ストーリー性とギャグ、この両極端な二つを併せ持つスタイルが好きなので、
個人的には評価したい。
ポップンマッシュルームチキン野郎みたいに、衝撃的なほどシリアスな部分と
役者がすっぽんぽんになるようなおふざけが同居する劇団はすごいと思う。

あとはバランスの問題で、ビチチ5の福原氏が“個人的好み”として言ったように
「途中挿入される妄想シーンで話を止めない、そこで勢いも止まってしまうから」
という意見に賛成する。
もっと削ればストーリーが浮き彫りになる反面、笑いのパターンは絞られる。
やりたいことをどこまで絞れるかが今後の課題かなと思った。
今回の親子の物語は、時間の経過と変化が良く出来ていると思う。

役者陣の力加減が上手く、キャラの立った登場人物も面白かった。
「ストライプ」のはるはるさん、新卒総合職の二見香帆さん、
チンピラの高木健さんらに存在感があって素晴らしかった。

次の作品も楽しみにしています。
進化する献身をまた見せてください。




悪名 The Badboys Return!

悪名 The Badboys Return!

ココロ・コーポレーション

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2016/05/09 (月) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

貫禄の朝吉親分
沢田研二の親分、ってどんなんかしらと思ったがこれがドハマりで素晴らしかった。
流れるような河内弁の侠客、八尾の朝吉のキャラが魅力的で、会場の盛上りも納得。
音楽劇としても声量ある歌声が力強く、ラストの「河内音頭」の熱唱が泣かせる。
座長としての貫禄あふれる舞台だった。

ネタバレBOX

冒頭、復員して来た朝吉と、死んだものと思って再婚していたお絹の再会から始まる。
人の女房になったお絹の前から潔く姿を消した朝吉は、その後侠客として名を上げる。
ところがその後、お絹が女郎屋に売られ、ある男と足抜けして逃げていることを知る。
縁あって二人を探し出すことになった朝吉は、その訳を知り二人を助けようと奔走する…。

戦後はこういうこともたくさん起っただろう悲劇、それをぐだぐだ引っ張らずに
冒頭からテンポよく見せて、朝吉の潔いキャラに惹き込む。
その後の彼の行動が自然と納得のいく展開になっていく。
情に厚く弱い者を放っておけない、逆に強い者に対して一歩も引かない親分肌が
今の時代に照らしても“理想のヒーロー”として描かれる。
朝吉が非常に魅力的なので、お絹が心の支えとし、子分が運命を共にする
といった心情に自然と共感できる。

お絹役いしのようこさんのたおやかな女房ぶりがとても良かった。
役名と俳優さんの名前が判らないのが残念だが、達者な役者陣で隙の無い安定感。
演奏がパーカッションとギターの2人だけとは思えない迫力でこれも良かった。
各地を回り最後が東京公演とあって、歌・ダンスも乱れ無く、完成度の高い舞台だった。

ラストの河内音頭の力強さは圧巻。
元女房を汽車で見送る切なさと、お絹はきっと戻ってくるという希望溢れるラストだった。
人生の後半にぐんと幅を広げ、こんなに豊かな世界を創る沢田研二という表現者に
改めて凄さを感じる。
“ジュリーが侠客”ってこれだけでも極上のエンタメだが、この貫禄ある親分ぶり、
Vシネでシリーズもいけるんじゃないか(笑)

シュワロヴィッツの魔法使い2

シュワロヴィッツの魔法使い2

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

140年目の決断
たった1回しか使えない魔法を、いつ、誰のために使うべきか
140年間悩み続ける魔法使いの話は、以前その1を観た時に
その哲学的な問いかけにたじろぎ魅せられた。
死者を生き返らせるとその力が受け継がれ、同時に自分の命が終わる、
という設定が深い。
生まれつきではなく、前任者の魔法使いから継承させられた(?)ゆえの疑問の末に
魔法使いが出した答えは意外なものだった。
キリマンジャロ伊藤さん演じる思慮深い魔法使いが魅力的。
それだけに彼の決断の理由をもっと聞きたかった。

ネタバレBOX

マグ(キリマンジャロ伊藤)はトロイとエバの兄妹と共にりんごの木を育てて暮らしている。
そこへリージャ(未悠)という少女が死んだ妹を抱えてやってくる。
彼女は、疫病が流行ってほとんどの住民が死んだり逃げ出したりした島から船で来た。
妹をよみがえらせるため魔女に心を売ったリージャは、魔女に言われるまま
毎日1つずつ生きた人間から心臓をえぐり取っていた。
魔女の本当の目的は、マグの魔法と永遠の命を自分が受け継ぐことだった。
そのためにマグの周囲の人々を殺し、決断を迫る。
マグと魔女の思いがけないつながり、そして最後にマグが下した決断は…。

一度死んだ自分を、魔法使いの妻が蘇らせた、それでマグは魔法使いになった。
それから140年も、大勢の人間から「助けてやってくれ」と乞われる度に
「今魔法を使うべきか、この後もっと必要な時が来るのではないか」と迷い続けている。
誰とも共有できない思いを抱えてひとりぽっち、何という孤独だろう。

その彼が最後に決断したのは、魔女の策略で殺されたエバを蘇らせることだった。
そして蘇ったエバはマグの思いを受け継ぎ、島の男たちによって磔になった
リージャを蘇らせる。
ラスト、リージャの長台詞で「この魔法を永遠に使わず、愚かな人間どもを
見届けてやる」と宣言するが、それよりマグの言葉で心情を聞きたかった。
多くを語らない彼が、一度は兄の願いを断ったのになぜエバを蘇らせたのか。
そのエバは冒頭リージャに対して「私の心臓が役に立つなら喜んで差し出す」と言ったが
出会ったばかりのリージャにそう言えるのはなぜか?

たぶん「他者のために自分の命を差し出す者」を蘇らせ、永遠の命を授けるのだと思う。
だからエバを選んだのであり、エバはリージャを選んだのではないか。

個人的にひとつ気になったのは魔女のキャラ。
あんなに酔いどれのぐだぐだ魔女でなく、クールで計算高い魔女でも良かったと思う。
見るからに怪しすぎるキャラでは、人を騙すのに説得力が弱い。
普通の人に見えて、マグの心情につけ込み目的を果たそうとする魔女でも良かった。
もっとも、彼女の熱演で舞台に強烈なスパイスが効いたのは確かだ。

メガバックスの4作品、堪能させていただきました。
芝居の醍醐味のひとつは、普遍的な人間の心理を際立たせる
様々なシチュエーションですが
そのバリエーションの豊かさが大変楽しかった。
滝さん、これからも素晴らしい作品を見せてください。
とんでもない企画、本当にありがとうございました。

青森に落ちてきた男

青森に落ちてきた男

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2016/05/03 (火) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

”鬼”はそこら中に居る
当日パンフの作者ご挨拶によれば
“青森という町の記憶を、「現代」もしくは「未来」の「世界全体」に置き換え、
より多くの人に伝える”ために作ったという作品。
1945年7月28日の空襲で青森市はその88%が焼失した。
同じ年の5月5日には熊本県阿蘇地方にB29が墜落してアメリカ兵11人が
村人と遭遇している。
物語はこの2つの歴史的事実をもとに、人は憎しみを超えられるのかというテーマを
観る人に問いかける。
ソフトな津軽弁で語る男たちのキャラが生き生きと立ち上がって
流言飛語や無責任な情報に踊らされる人々がリアルに動き出す。
出征した夫を待つ妻役の三上晴佳さんの繊細な表現が上手い。
台詞の無い“鬼畜”である鬼がたった1回高笑いをする場面が強烈な印象を残す。
青森に落ちて来た男は、全てを見ていたのだ。

ネタバレBOX

青森市内の大半を焼き尽くした空襲の翌日、山の中にB29が墜落して
生き残った“鬼畜米兵”(鈴木シロー)がひとり捕えられる。
頭には2本の角が生えている。
ハツコ(三上晴佳)は、舅で獣医のタロウ(長谷川等)の助手をしながら
出征したタロウの息子で、夫のマサフミの帰りを待っている。
ハツコの妹ツグミ(夏井澪菜)は知的障害があり、嫁に行ったハツコと共に
タロウの家で世話になっている。
“鬼”の処遇をめぐって村の者の意見が対立する中
オハラショウスケ(工藤良平)が思い通りにならないツグミを死なせてしまう。
彼はそれを目撃した“鬼”をも突き殺し、「もう1匹鬼が来た」と言いふらす。
70年後、今度は核兵器の使われる戦争が起こり、青森市は再び攻撃を受ける…。

角に象徴される“異なる者”への恐怖と差別は、容易に暴力へとエスカレートする。
少数派の正論はそこでは排除されてしまう。
例えば北朝鮮が正確に日本へ核兵器を打ち込んで来たら
日本人は冷静さを保てないだろう。
日本のあちこちで韓国人も朝鮮人も迫害され、
彼らをかばう日本人は同じように攻撃されるだろう。
“鬼”は敵であると同時に身の内にもいる。

ツグミだけが、角のある“鬼”を「牛だ」と喜んで可愛がる。
国際法で定められた捕虜の扱いなど無視して残虐な方法で殺せというタロウの幼馴染、
戦地へ行きたくないばかりに自分の指を傷つけて家に帰って来たオハラショウスケ、
愛のない結婚をして戦地にいる夫が帰ってこなければいいと思っているハツコ、
ハツコはまた、妹が殺されても泣けない自分を責めている。
みな胸の内に“鬼”を棲まわせている。
夫が戦地で死んだという知らせを受け取ったハツコに
大学の研究所へ送られる鬼が振り返って、初めて感情を露わにする。
「良かったな、嬉しいだろ?」と言わんばかりにただ高笑いする鬼が強烈。
本当の鬼はどっちだ?という場面だ。

時は流れて70年後の青森で、また冒頭のように市内が爆撃を受けている。
ヘルパーが車椅子のハツコに昔話として「妹さんはオハラショウスケに殺された、
捕虜を虐待した罪で死刑になる前ショウスケが告白したんですよね」と語りかける。
オハラショウスケの告白は、リアルタイムで明らかになるところが見たかった。
その時のハツコや村の人々の反応を見せて欲しかった。
また2匹目の“鬼”が出現した意図が私には良く解らなかった。

“人に記憶があるように町にも記憶がある。それを可視化するのが劇作家の仕事である”
というこの作者の姿勢に敬意を表すると共に、
可視化された記憶を自分の記憶にとどめることは観客の仕事であると思う。

愚かな人間は周期的に「戦争したっていいじゃないか」という政治家を生み出し
それは目的のない人生を送る人々をたやすく集結させる。
“鬼”はパイロットなんかではない。
“鬼”はそこら中にあふれている。




AQUA

AQUA

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

小出しにする狂気
巧みにちりばめられた小さな伏線が見事。
所々で小出しにする狂気が絶大な効果をもたらしている。
それによって最初から最後まで緊張感が途切れない。
キリマンジャロ伊藤さんはもちろん、アクア役の杉坂若菜さんも素晴らしかった。
それにしてもこの企画で、構想・脚本共、作者の引き出しの豊かさに
改めて驚かされる。

ネタバレBOX

舞台は森の中の山小屋のような家。
ロックウェル(キリマンジャロ伊藤)は、借金の取り立てに追われていた15年前
当時3歳のアクアを教会の前に置き去りにした。
その後アクア(杉坂若菜)は母親に引き取られたが、その母親が病死したとの知らせに
ロックウェルは15年ぶりで娘と再会する。
嘘をついたことが無いという純真なアクアは、新しい家族と一緒に暮らそうという父に、
ここで二人で暮らしたいと訴える。
アクアの心情を尊重したロックウェルだったが、次第にアクアの感情の起伏は激しくなり
やがて、想像を絶する真実が明らかになる…。

冒頭間に入った女性弁護士から、この後再会する娘について説明を聞く場面で
既に小さな疑念が生じる。
母娘がどうやって生活していたのか、この窓の鉄格子は何のためなのか、
弁護士は基本的な、そして肝心なことについて「さあ、解りません」としか答えない。

再会した18歳のアクアは素直だが、幼児が喜ぶような遊びに狂喜し、
仕事の電話をする父親を許せずスマホを床に叩きつけるような激しい一面を見せる。
捨てられた物に執着し、カメラやビデオデッキなどを拾って来ては“直している”と言う。
また時折過呼吸のような発作を起こして父親を驚かせる。

アクアの生い立ちに何か大きな秘密が隠されていることは容易に想像がつくが、
それが教会で神父から性的虐待を受け、母のもとに戻っても
母親の心臓の具合が悪くなれば客を取って生活費を稼ぐという事実は衝撃的だ。
この事実にたどり着くまでに少しずつアクアの異様さをチラ見せしていく手法が巧い。
人間も時計と同じように“直してあげる”と父親の遺体にナイフを突き立てるラストまで
彼女の狂気がエスカレートしていく様に釘付けになる。

ロックウェルの、父親としての負い目から来るアクアに対する“甘さ”がリアル。
弁護士の汚いやり方を見破る冷静さを持つ彼が、娘に対する疑念からは目をそらす。
またアクアの振れ幅の大きい性格は、再会した父親への甘えに見せつつ
実は巧妙に父親を追いつめるしたたかさを感じさせてこれも巧い。

あまりに悲惨な人生に絶望して、頭の中で別の世界を創らなければ
生きていけなかったのかもしれない。
もう二度と自分を捨てることが出来ないように、母親を閉じ込めるために作った鉄格子、
その鉄格子の中で、本当はアクア自身が、一歩も出られずにもがいていたのだ。



慙愧

慙愧

643ノゲッツー

OFF OFFシアター(東京都)

2016/04/26 (火) ~ 2016/05/02 (月)公演終了

満足度★★★★

あの時あれさえしなければ…
良く出来た会話劇で大変楽しかった。
役者さんが皆揃っており、畳みかけるような台詞の応酬も滑らかで素晴らしい。
人は誰も大なり小なり痛恨の失敗をしでかすものだ。
それをほろ苦く、優しく描いて、笑いのタイミングもGood。

ネタバレBOX

大人気テレビドラマのロケ地だった教会へ定期的に集まる熱烈なファンたち。
今日もお気に入りのシーンを再演して盛り上がっているところへナイフを持った強盗が…。
取り押さえて尋問をするうち、次第にメンバー同士の秘密や嘘、軋轢が暴露され始める。
SNSでつながるだけの、この会を主催しているのは一体誰なのか、
自宅に直接届けられるお知らせや写真はストーカーの仕業なのか、
疑惑が疑惑を呼び、思わぬ展開になっていく…。

下着を拾っただけなのに下着泥にされてしまった男とは、哀れな強盗のことだった。
大手出版社に勤めていた彼は、この一件で職を失い、警備員のバイトをしながら
父親の介護にも疲れて、発作的に強盗を思いつく。
そして入ったところが今は使われていない、定期的にファンが集まるだけの教会だった。

SNSだけではない、人はどこまで本当のことを話しているだろうか?
学歴も勤務先も、年齢も結婚も、それ全部信じてよいのだろうか?
疑われては必死に誤解を解き、疑っては説明を求め、カッコ悪い自分をさらけ出して
メンバーと強盗はぶつかりながら少しずつ距離を縮めていく。
結局、こういうリアルなぶつかり合いなしにつるつる交わすコミュニケーションなど、
所詮表面的なものにすぎないということを強く感じさせる。

話がテンポ良く、しかもまんべんなく転がって、次第に核心に触れる辺りが上手い。
よどみない台詞が共感を呼び、“多数を相手にわかってもらおうとするしんどさ”が
リアルに伝わってくるところが秀逸。
この点で下着泥の永山盛平さん、教師の音野暁さんが素晴らしかった。

この“等身大のうじうじ”を共有しようという作品、私は好きです。
で、私のような小心者は、こういうベタなラストを見て安心して帰りたいのも事実です。
ガイラスと6人の死人

ガイラスと6人の死人

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

死人のキャラ
連続殺人鬼のガイラスが、自分が殺した6人の死人と同居生活を送っている、という設定がすべてと言ってよいほど効いている。あとはもう何でもありな展開で死人のキャラもバラエティに富んでいて楽しい。自分のことをあまり語らないガイラスがラストに放つ真実がまたフルっていて、良かった。

ネタバレBOX

狂気の連続殺人鬼ガイラスの住む山小屋には、6人の死人が同居している。
彼らは皆ガイラスの手によって殺された被害者たちだ。
殺す時に「心配するな、お前の分まで俺が人生を楽しんでやる」とガイラスが言ったので
彼らは毎日わいわいと彼を見守り、人生を楽しむ様を見届けようとしている。
この山小屋へ頻繁に来るのが保安官のレディ、彼女はガイラスを殺人犯とにらんでいる。
ただし、もっと大勢殺して歴史に残る殺人鬼になって欲しいと願っている。
そしてそこへガイラスの妹ニコが転がり込んできて、話はますますややこしくなっていく…。

保安官が「被害者の数が足りないわ、もっとやらないと」と言うのは
「熱海殺人事件」みたいだと思った。
カップルの被害者のうち女房の方がガイラスと浮気するというのも可笑しい。
6人の死人のキャラがくっきりしていてわかりやすい反面、ひとりガイラスだけは
いつまでも謎のまま話が進んで行く。
ガイラスを演じる三村慎さん、ラストまで謎をキープするタメの演技が良かった。

やがて最後の最後にガイラスの口から心情が吐露され、全てが腑に落ちる。
ああ、これは不器用な男の純愛ストーリーだったのだ。
あまりに手段を知らない男の…。



Hit or Miss

Hit or Miss

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

圧倒的な台詞術
キリマンジャロ伊藤さんの圧倒的な台詞術が舞台を牽引する。自分の人生を「行き当たりばったり」と称する自由奔放なイメージとは裏腹に、鋭い洞察力と冷静な分析で事態を把握する大企業の社長を演じて大変魅力的。惜しいのは、他の役者さんが伊藤さんのテンポについて行くのに精一杯で、ちょっと余裕がないこと。しかし社会派のテーマをこんなエンタメにするセンスは素晴らしく、ラストも余韻を残して考えさせる。

ネタバレBOX

大企業の社長とその片腕となる有能な社員2人。
その3人が誘拐されて監禁状態になる。
犯行グループの2人が「ボス」と呼ぶ主犯格は、何と社長の実の娘だった…。

怒涛の台詞を繰り出しつつ論理とユーモアがきちんと伝わる社長のキャラが素晴らしい。
途上国の資源に群がる大国・先進国の経済論理がいかに身勝手なものか、それに反発して闘いを挑む娘の正義感はたぶんまっとうなものだ。
ただその方法は幼稚で拙速。
父親は娘の荒っぽい要求を受け容れる一方で、本当にその方法で途上国の人々が幸せになるのかと疑問を呈する。
大国アメリカの論理だが、きれい事でない途上国支援の現実を端的に示していて
説得力ありまくり。
脚本の持つ論理の正当性と現実とのギャップを巧みに伝えるキリマンジャロ伊藤さんの台詞を堪能した。

行き詰まった娘は最後の手段に出るが、それは流石の父親にも予想できないものだった。
ラスト、父親の痛切な思いが伝わって来て思わず涙がこぼれた。

メガバックスの豊かな発想と脚本を伝えるためには、キリマンジャロ伊藤さんの台詞を
受けて立つ役者さんが多く育つ必要があるだろう。
それは課題だが同時に可能性でもある。
今回は1日4作品というスケジュールの都合上、セットにかける情熱を抑えているが
それも含めて、メガバックスにはやはり期待せずにはいられない。

レドモン

レドモン

カムヰヤッセン

吉祥寺シアター(東京都)

2016/04/06 (水) ~ 2016/04/10 (日)公演終了

満足度★★★★

対象を見る目
異物を排除し差別する人間を描いたSF作品だが、
台詞に繊細な人間関係がにじむところがリアル。
例えば厚労省の女と新聞社の男、夫と妻、親と子、そして少年少女・・・。
ただ差別の根深さは解るが、設定があいまいな伝わり方だったのではないか。
最後の小さな台詞に決壊した如く涙があふれた。

ネタバレBOX

舞台上高い位置に宇宙空間が広がるようなセットがあり、暗転の時が美しい。
中央のスペースのほか、両脇の舞台下も上手く使っている。
送電線のようなロープとそれを結びつける支柱のようなH鋼は
人間関係の距離感を表すのかもしれないが、無くても十分表現できている。
流れるような場面転換が素晴らしく、尺を感じさせないスピーディーな展開。

しっぽがあるということだけが人間と違う地球外生物「レドモン」。
排除しようとしたり、共存しようとしたり、紆余曲折を経て
ようやく今は混血である「マジリ」を法的に認めようという声も上がって来ている。
今はまだレドモンであることが露見すれば強制送還(?)されてやがては死ぬ。
だが現実的には、密かにレドモンと結婚している人間も多い。
新聞記者立川もその一人だが、思春期にある娘のルルカをめぐって悩みは尽きない。
そんな時同僚の男が不正な方法で国の情報を入手、
そこから社会も立川も大きな変化に飲み込まれていく…。

「マジリ」の子どもはみんな「ひかり学習会」という塾に通っている。
それは社会的に秘密裡ではなさそうなのに、
レドモンと結婚していることは職場に隠す、という設定が良く解らなかった。
マジリが法的に市民権を得ても尚、親であるレドモンが強制送還される、
という結末もイマイチ心から納得できなかった。
“差別なんてしない振りして、実は差別する”人間の本性を描いているのか?

人間であろうがレドモンであるが、描かれるキャラクターがリアルで身につまされる。
出来過ぎない父親立川(辻貴大)、おおらかに受け止めるその妻(宍泥美)、
そしてピュアで利発なルルカ(ししどともこ)が秀逸。
塾の先生も人間味があってとても良かった。
帯金ゆかりさんは出てくると場をさらうようなその破天荒なキャラが
もう一人の教師である温厚な渡邊りょうさんと絶妙なバランス。
立川家とママ友の笠井里美さんが、潔く温かい母親を演じていて素敵だった。
差別する側の代表である公安の男(小林樹)のいやらしさが光っていた。

妻の命を守るため、市民権を得た娘を置いて両親は逃げる。
「お前は大丈夫だ」と父が繰り返せば繰り返すほど、その根拠のなさが心細い。
ラスト、ルルカは大好きな少年(橋本博人)に「どんな食べ物が好きなの?」と聞かれ
「お母さんのお弁当」と答えながら涙声になっている。
それを聴いて私も一気に涙があふれた。
物語の冒頭、反抗期のように母の作ったお弁当を拒否してみたりしたルルカが
両親と別れた今、どんな心細い気持ちだろうと想像するとたまらなくなる。

対象を見るとき
「違いを数えるより、同じところを見つけよう」
そんなメッセージが伝わってくる作品だった。






兄弟

兄弟

劇団東演

あうるすぽっと(東京都)

2016/03/30 (水) ~ 2016/04/03 (日)公演終了

満足度★★★★

隣国
“現代中国で最も過激な作家”と呼ばれる余華の長編小説の舞台化で
休憩15分を挟む2時間45分の作品。
尺の長さを感じさせないテンポの良い展開で、
怒涛の流れに揉まれながら生きる市井の人々が生き生きと描かれている。
良くも悪くも極端な中国という国にあって、人々もまた共産主義から爆買いへと走る。
ただ、極端から極端へと大きく振れ、モラルをかなぐり捨てるのもまた
“成長のエネルギー”と呼んで肯定する、その国民性にはどうしても距離を感じる。
が、それこそがこの作品の真価なのだと思った。

ネタバレBOX

舞台正面奥には階段、左右には黒っぽい抽象的な壁が1枚ずつ立っている。
時が移って資本主義流入後になると、その壁がくるりと回って裏を見せるのだが
生活感・雑多なイメージが、一転してシャープでモダンな柄に変わり効果的だった。

リーガンとソンガンは、親同士が再婚したため、兄弟となった。
互いを尊敬し合って再婚した両親のもと、二人は貧しくとも仲良く暮らした。
ところが文化大革命の波が押し寄せ、父は反革命分子として撲殺されてしまう。
失意のうちに母も病死、兄弟はその絆を一層深めつつ成長する。
控えめで口下手、理知的な兄ソンガン、対照的に商売上手で行動的なリーガン。
リーガンが見初めた女リンホンが、実はソンガンを好きだったことから
兄弟は初めてぎくしゃくする。
そして常に弟に譲って来たソンガンが、初めて自分の気持ちを表明し、押し通して
リンホンと結婚する。
時は流れ、リーガンは商売が上手くいって大企業の社長となる。
一方ソンガンは、盤石なはずの国営企業が倒れてから人生が傾いていく。
健康を損ね、家を出て一儲けしようとするが詐欺に遭って帰るに帰れなくなってしまう。
そのころリーガンは、ついに憧れていたリンホンを自分のものにする…。

冒頭の悲惨さから、大河ドラマのようなイメージを持ったが
やがて歴史は”兄弟の絆の強さの理由”を示す背景であって、テーマではないと判る。
奔放で自己チューな弟のリーガン(南保大樹)がいかにもおおらかでのびのびしている。
対する兄のソンガン(能登剛)は常に弟を守ろうとするが、
結婚だけは譲らない芯の強さがあり、ラストの悲壮な決意を予感させる。
冒頭の“8歳”という設定が若干苦しかったが、それはいつの間にか忘れて
二人のメリハリの効いた台詞に惹き込まれた。

「兄弟じゃないか」「兄弟なんだから」という言葉が、
時に支えとなり、時に枷となるのも、血のつながりが無い分哀しく切ない。

この強大で矛盾だらけの大国では、即座に対応してうまく立ち回る者が成功するのだ。
その陰でソンガンのように実直で優しい人間は生きるのが苦しくなる。
ラスト、ソンガンの選択は何かを変え得るだろうか。
号泣はしても、すぐにリーガンとリンホンは自分を責めることに飽きて
また歩き出すだろう、自分の欲望の方向へ。
自己の欲望を他者の心情よりも優先させる瞬間に、ためらいと罪悪感が薄いことが
違和感の理由であると思う。
原作はその違和感を容赦なくさらけ出したからこそ自国でも物議を醸したのだろう。
脚本・演出はそこを忠実に、ストレートに舞台化していると感じた。

中国という国をテレビのニュースとは違い、裏返して内側深く見せてくれた舞台だった。




ドロボー・シティ

ドロボー・シティ

あひるなんちゃら

駅前劇場(東京都)

2016/03/25 (金) ~ 2016/03/28 (月)公演終了

満足度★★★★★

楽しいドロボーライフ
キャスティングの妙と、“笑いのバリエーション”が豊かで素晴らしい。
メリハリのある会話がとても面白かったが、中でも
堀靖明さんの、噛まずに滑舌良く機関銃のように台詞を繰り出すところにクラクラきた。
また、こんな“大人の間”を醸し出すのは山田百次さんと根津茂尚さんのコンビくらいだろう、
という台詞と演出が私的にどストライクだった。

ネタバレBOX

客入れの音楽は駆け出しアイドル風、それなりの歌だが
どれも「あひるなんちゃら~♪」という一節で、オリジナル曲だと判るほど良く出来てる。
テーブルと椅子4脚、スカスカの棚以外、これといって家具もないさっぱりした部屋。

ここは女ドロボー4人のアジト(家と言わずに敢えてアジトと呼んでいる)である。
このアジトに2組のドロボーが入るというお話。
一つは3人組、もう一つは男2人組。
3人組のツッコミが堀靖明さんでハイテンションをキープするエネルギーは
さすがMCRで鍛えられている。
放たれる怒涛の台詞が気持ちよく、他のボケぶりが際立つから余計可笑しい。

堀さんのテンションは、2人組の「かっこいい」ことにのみこだわる渋いオジサン2人をも
劇的に際立たせる。
用もないのにかっこいいというだけで「タイガー」「ドラゴン」と
互いのコードネームを呼び合うオジサンって(笑)
スーツを着ても私の腕くらいしかない細い脚で、ゆっくり歩く百次さんが最高!
根津さんとの掛け合いのあの“間”は、堀さんの機関銃との相乗効果で絶妙な味わい。
あのテンポに耐えられる役者さんは、そういないだろう。

女ドロボーが色鉛筆で盗みの「予告状」を手書きしていたり、
メンバーの日記を読むのを楽しみにしていて、裏切りを知ったり、
キャラにメリハリがあって楽しい。

あひるなんちゃらってこんなにバリエーションのある笑いだったっけ?
ここしばらくチラシの関村さんの文章だけ読んで笑って、舞台観たような気になっていたら
いつの間にか進化・深化・真価してすごいわ。

ちなみに「タイガー&ドラゴン」は、私がカラオケで最初と最後に必ず歌う歌である。
それだけに深い思い入れがあったのは確かである。
でもだからって★5つをつけたわけではない。
脚本・演出・役者さん・制作の皆さんに敬意を表してのことであります。



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