実演鑑賞
満足度★★★★
水野小論さんは観る作品、観る作品、ずば抜けたセンスのキャラ造形で感服した。この圧倒的才能の女優が主催する初プロデュース公演、一体どんなものになるのか?
今作の真矢ミキさん主演版を2019年東京グローブ座、『正しいオトナたち』のタイトルで観ていた。(出演・真矢ミキさん、岡本健一氏、中嶋朋子さん、近藤芳正氏)。
四人芝居なのだが高度な言論プロレス。攻守目まぐるしく入れ替わりタッグパートナーだった筈が裏切り裏切られ一体自分は今誰と戦っているのか訳が分からなくなる。このスラップスティックの疾走感が客席をどっと沸かせる。名勝負だったと思う。キャスティングの時点で勝負あり。笑いのセンスの高さ。脚本を読んでここの何が笑えるのか肌ですぐに解るのだろう。これは天性のもので努力で身に付く訳じゃない。スピード感、タイミング、リフレイン、この小屋がジャスト・サイズ。
舞台はフランス、ヴェロニク(水野小論さん)とミシェル(小林タカ鹿氏)夫妻の家。11歳の息子、ブリュノが公園で前歯を折られて帰って来る。やったのは同級生のフェルディナン。彼の両親であるアネット(伊東沙保さん)とアラン(小野健太郎氏)を招いて話し合いを持つことに。アランは急ぎの仕事を抱えていて常に携帯が手放せない。
凄く面白いので是非観に行って頂きたい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日を拝見。面白い。見応えあり。ナイロン100℃水野小論が思い立っての初プロデュース、海外戯曲をアトリエ第Q劇場で、とだけで未知数だが(否未知数だけに)興味津々であった。
この劇場ではしばしば「劇場」という場(ロケーションを含めて)を意識する観劇体験になる事が多いのだが、本作では開始から劇世界に引きずり込まれる。ソファ、椅子、花を活けた器、電話台といった室内の具象アイテムが飾られてはいるが、(人を超えない存在感で)芝居の進行を支える。これらがタイトな盛りに見えるのはタイトな台詞劇が出来ている事の投射だろう(途中「消え物」を用いるが得てして散漫になりかねない所それさえも計算の内に処理されている風に見えるのを感心しながら見ていた)。
今思い出すに・・2組の夫婦、フランスで、と言えば、ゼレール作品「嘘」があった。ワン・シチュエーション(コメディ)の範疇と言って差支えないが、警句が辛辣で安易な笑いを許さないものがある。攻めた会話が役者個々によって十分に咀嚼され吐き出されているように見える快感。
初日ゆえネタバレは控え、我が注目の一人伊東沙保はやはり秀逸だった、と申すに留める。
後日追加したし。
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
初めて観る演目、映画「おとなのけんか」(邦題)としても上映されたそうだが 観ていない。舞台は、虚構の世界を空間と時間を使って どう描き出すか。しかし この劇は、現実の出来事をその時間の中で紡ぐ、言い換えれば 現実を舞台という虚構の世界で描くといった感覚だ。敢えて空間を作らず、時間も流れない。今そこにあるリアル、その漂流するような会話や行動を覗き観るといった楽しさ面白さ。
舞台はフランス、登場するのは二組の夫婦、その4人が 子供の喧嘩の後始末を話し合うために集まる。中流階級でリベラルを自認する人達が、いつの間にか本質からずれた話し合いになり、だんだんと興奮し我を忘れる。リアルな空間と時間、その中で役者陣の自然な演技が臨場感を増していく。自然(体)という確かな演技、それが異様な雰囲気を漂わせていく。喧嘩の当事者である子供は登場しないが、会話の端々からどのような子供で親子関係なのかが垣間見えてくる。色々なところに飛び火した会話を通じて、一人ひとりの人物像が立ち上がる。いつの間にか(リベラルという)化けの皮が剝がれ 本性剥き出しの激論、それがどこに辿り着くのか目が離せない。少しネタバレするが、この舞台をひっ掻き回す者でありモノが肝。
舞台美術は、話し合いが行われる家のリビングルーム。その光景がさらに現実味を帯びるような錯覚に陥る。どこにでもあるような空間だが、工夫も凝らしている。それは劇中でトイレ、洗面所に行く場面では、ある舞台セットを回り込むという動作が加わる。その動線が同一空間の中で別の意味合い(廊下)を表しているようだ。細かいところだが、これによって居住空間の広がりを的確に表現している。実に丁寧な演出で巧い。
(上演時間1時間25分 休憩なし) 追記予定