溶けるカフカ 公演情報 溶けるカフカ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.7
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★

    ごめんなさい
    自分の頭では理解できない事だらけで・・・。

  • 満足度★★★★★

    空気
    4人の役者さんが それぞれ 語ったり 動いたりするたびに いろんな世界が見えそうな 空間はすごいな と 思いました。

    私が昼間に観たのでして。
    夜に観るんも 良いかもしれないと ここで 見て思いました。

  • 満足度★★

    空気感と俳優陣が素晴らしい
    少し古びた教会の礼拝堂。始まるまでのピアノ演奏で12月の気分が高まる。イエス様(十字架)に対して、どのような向きで舞台を作るのだろうかと何となく気になっていたら、十字架に向かって左半分が右側向きの客席、そして右半分が舞台として使われていた。なるほど、これなら失礼にはならない。
    他の方の「観てきた」を読んでいたので、難解だろうという覚悟はあった。難解は難解なのだが私の場合は、俳優陣の演技や動きが素晴らしすぎるため、目で追うのに必死でセリフが頭に入って来なかった。

    ネタバレBOX

    最後のセリフが膝を打つ「・・・何の話しているんでしたっけ?」
  • 満足度★★★

    余りにもカフカの世界
    理不尽なほど不条理と言うのがカフカの小説の印象だったので、それを芝居にするのだから不思議でイッチャッテるんなんだろうなあと身構えて行きましが、これほど暴力的に不可解とは驚きでした。
    無論カフカの小説自体が娯楽性と合理性が全く無いのでしょうがないんですが、演劇と言う事でもう少し門戸を開いてあげても良かったのかなあと思いました。

    夜の教会は、幻想的な雰囲気で見事に作品にマッチしていました。

  • 満足度★★★★

    カフカはほとんど知らないけれど
    広い教会のスペースに作られていく
    役者たちのさまざまな関係性に目を奪われました。

    カフカの作品とのリンクはほとんどできませんでしたが、
    にも関わらずとても刺激的な舞台でありました。

    ネタバレBOX

    カフカについては、
    はるか昔の高校生のとき、
    図書館で読んだっきりだと思います。
    だから、作品に織り込まれたものがなんであるかについて
    ぴんとくるものはほとんどありませんでした。

    にもかかわらず、
    これ、面白い・・・。
    ロジックとして積み上がるおもしろさとはちょっと違うのですが、
    肌で感じることができるような魅力があって。

    冒頭のキャラクター間の感覚のすれ違いや重なりのようなものを
    息をつめて見つめる。
    そのルーティンのなかでの空気の様々な変化に
    観る側の時間感覚が消えるほどの密度が生まれ
    作り出される距離、表情、苛立ち、
    一つずつの要素が観る側に意味を作り出す。
    そぎ落とされたシチュエーションの中で、
    ひとりの男と順番を待つ3人の表情から
    醸しだされるふくらみがあって・・・。

    やがて、そのルーティンから外れると
    舞台の空気も動き出します。
    壁に貼られたペーパーに歪んだ映像が
    シーンの広がりをしたたかに制御していく。
    役者たちの断片的な台詞に加えて
    様々な身体の表現が
    空気の流れを広げ、あるいはまとめ
    観る側を巻き込んでいく。

    伝わるものと伝わらないもの。
    同期するものとずれるもの。
    感情の露出、あるいは内に統制されていく感覚。
    進んでいく時間、
    あるいは留まり広がる時間。
    それらを演じる4人の異なるタイプの役者たちには
    常に刹那の身体表現があって
    物語の世界と彼ら自身の素の質感を浮き沈みしながら
    途切れることなく観る側を舞台空間にとりこんでいく。

    見続けるなかで、
    気がつけば、
    なにか様々な質感が
    観る側のコントロールを離れてそこに置かれていて。
    噛み合わない緊張と閉塞、ユニゾンが醸し出す実体のない解放、
    ベクトルの見えない動いていく感覚、
    エッジの見えない広がりの肌触り・・・。
    理のない留まる意思・・・。

    そしてそれらが、
    高校生の時に放課後の図書館で読んだ
    カフカの読後感に重なる。
    宿題で書いたありきたりの感想文と
    別枠で残しておいた、というか表現のしようのなかった感覚というか色が
    やわらかく深くよみがえってきて・・・。
    その感覚が、なんだろ、とても刺激的なのですよ。
    内容なんてなにも理解していないのに、
    あっ、カフカの世界だって思う。

    観終わって、強い疲労感を感じて、
    初めて恐ろしいほどの集中を強いられていたことに
    気がつきました。
    著しく好みが分かれる表現なのかもしれません。
    でも、私にとって、
    その消耗感は決して不快なものではなく
    むしろ、ある種の心地よい高揚がのこったことでした。

  • 満足度★★

    難解
    カフカは嫌いじゃないですよ。何作品も読んでるし。ただ,それを芝居となると難しかったなぁ。恥ずかしながら自分の理解力が及びませんでした。カフカだなぁってことはわかったくらいで。それでも芝居は教会にマッチしていたし,中村さんのひょっとこらしい動きには目を引かれたし,役者さんの演技は見応えあった事は収穫でした。

  • 満足度★★★★

    無題217
    9月、「母語を醸す」をみたので今回も…カフカは殆ど知りません、役者さんは公演をみたことがあります。特に予習などせず、教会という場所にひかれてやって来ました。13:30開場とあったものの初めなので早目に到着、受付は1時間前だったそうです。靴を脱ぎスリッパを履いてなかに入ると鳴海さんがいらっしゃいました。先日、学習院女子大で、それ以前にSENTIOでよくお見かけしました。会場は2階、入って正面奥に十字架、会場を横に使って、一番前が座布団、その後ろに長椅子の席。ピアノがあって男性の方が(開場前から)弾いています。下手、椅子2脚、上手、木製ベンチ。床には白い紙が散乱、白い壁にも貼られています。十字架の前に大型のスピーカ。手元の当パンをみると「構成・演出」は鳴海さん…ここで今日は普通の(何が普通かは、人それぞれとして)お芝居ではなさそうな予感。教会でのお芝居は2回目(「シルシルシ」根津教会)でした。

    ネタバレBOX

    正面壁に映っていたのは何処なんでしょう。映像が薄くぼやけているので…東北かな…。

    こういった雰囲気好きですよ、なんででしょうね。言葉で理解できなくても映像、音像として捉えたものがからだを素通りしなければ面白かったというのだと思います。映画を観ていてたまーにこんな感覚の作品に出会います。感覚に対して☆4。

    待っている時間でも役者さんが普通に出入りするしドアを開けてくれる。
    劇場ではない「場」に入ると、周囲に何があるのか開演までの時間そういったものを眺めています。エアコンは新しそうだし(寒くはなかったです)、、観葉植物、網入りガラス、カーテンで中が見えないけど控室かな、聖書などの本がたくさん、トイレは1階、駅から歩いていると曲がるところにお一人案内の方、

    全くもって自分には上面しかみえていなさそうな気がしますが、仕方がない、勘違いも人生。SENTIOでみたものは本作以上に「わかりにくい」ものでした。でも感覚のセンサーを少し切りかえれば楽しめたのではないかと思い始めています。

    これを機にカフカを…読まないですね、きっと(すみません)。
  • 満足度

    教会って独特の雰囲気でいい
    なにか新しい試み?と思えば次回が楽しみになって。。。
    だって鳴海さん演出は好きなんだもの。

  • 満足度★★★

    演出で魅せる
    たしかに万人受けする作品ではなかったと思う。
    でも、カフカの様々な作品の文章を継ぎ接ぎして、また大きな一つの作品として成り立たせる演出の技量には感服。
    また何より役者が全員良かった!
    難解な演出を演出家の希望通り体現させていたと思う!


    面白い、というより大変興味深いと感じた作品でした。

    チケットプレゼントありがとうございます。

  • 満足度★★

    好奇心は止まらない
    ジャンル的には朗読劇に近い。カフカのテキストの概説。作演出担当者の解説のようにはなっていないと観客は大半感じたかも。構成力と題材咀嚼力、再構成センスが不足だ。演劇としてやるかぎり、いかにわかりやすくつたわるように造るのは仁義だし、カネをはらう、遠方からつらい労働のあと観劇に時間かけてきてくれる観客にたいする義理がある。演劇というのは造ってみてわかりにくいところ、不明な構成はクリニックしながら初日をむかえるものです。一粒のギモン、一滴の関心、こだわりに執着することがいけないとは云わないがこの公演は「主催者の好奇心は止まらない」公演でした。人間に生と死があるかぎり、人間の葛藤は不変だ。叫喚も絶望も自殺も原始共産制の社会でも不変だ。あと2億年後もそれは消えない。たとえ、人間から絶望や叫喚が失せたとしても、当然のように新しいアンチテーゼが生まれるわけだし、永遠にくりかえされる営みだ。一般民衆は作家や文芸アナリストと心中はしない。民衆がもとめるのは「救済」「救い」である。中身のない作家、表現者、アナリストと心中しないかわり「救い」をもとめている。現代作家、アナリストには民衆を救済するコンセプトが無い。その作品のストラクチャーにもアンチとなる呼びかけも無い。当該公演はカフカテキストの概説、アナライズだったが、一般民衆に「死ね」か「たちなおれ」かつたわらない。伝わらない芸術家か?態度を決めてほしい。こういった覚悟を決めていない作家やブンガクもどき、小劇場がはびこる平成日本が気になる。私は日本人は世界にさきがけて、大戦被曝国、施政権植民地状態から独立再出発した民衆民族だという自覚をもっている。世界に「平和と救いを発信する推進力」の文化形成の義務を忘れてはならないとおもっている。日本民族の失地からの推進力という視点が全表現者的に欠如しているところがむなしい。世界の恥だ。がんばれ小劇場。

    ネタバレBOX

    シャドウは多いが、ヒントくらいはいれていかないと、折角の舞台美術がむだになる。
  • 満足度★★

    感性とか文学性とか
    チケットプレゼントにて鑑賞。

    カフカ作品はろくに知らない。そのせいかわけわからんかった。序盤と終盤はおっと思わせるところもあった。

    ネタバレBOX

    A4白紙が敷かれた舞台。十字架の前にはスピーカー。教会の雰囲気にあってるんだかあってないんだか不思議な感じ。

    カフカ作品の言葉を体現した舞台だったのか、理解の範疇をこえていた。舞台と観客の橋渡し的ななにかがあるとうれしい(あったのだろうけどそれがなんだったのか)。序盤の「しょうがないじゃないですか」のシーンに漠然とした期待を抱いたけど、中盤集中力がきれた。

    演技は皆良かった。特に中村早香。
    森田の「おっぱらっても帰ってくる」の台詞が「酔っ払っても帰ってくる」に聞こえてしまった。声をもう少し通してほしい。


    舞台中央の非常階段表示は隠してよかったのでは。
  • 満足度★★

    可?不可?
    正直言って、内容はよくわからないし、面白さのツボもわからない。好きな役者さんのパフォーマンスを見れたのはよかったかな。1時間で終わってホッとしました。会場の雰囲気はいい。

  • 満足度★★★★

    「孤独」に「福音」が降り注ぐ--「現在進行形」の未完
    カフカの小説から、再構成された舞台。
    台詞と演技と空間から、観客は「どのキー(鍵)」で読み解いていくのか。
    それが楽しみのひとつでもある

    ネタバレBOX

    「プロメテウス」「幽霊」「バベルの塔」など、短編小説のキーワードが聞こえてくる。
    ああ、これは、そういう「構成」の作品なのだと理解した。
    (つまり、地点の『――ところでアルトーさん、』 http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=17564 や『あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-』 http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=12633 に似た感じな)
    さらに「変身」「審判」「城」のテキストも聞こえる。

    つまり、1つの方法として「カフカを(あるいはカフカの作品を)粗く削り出す」ということではないか、ということだ。
    「作品=カフカ」であるかどうかは別にして。


    さらに、それは「カフカを削り出す」ことで、「観客の中に何を生み出すのか」ということでもある。聞こえてくるキーワードと演技(動き)(空間)を通して、観客が「何をつかむのか」ということだ。
    作品としては、「観客との関係」があるということは当然だが。

    もちろん、「テキストを選び」「演出している」のだから、「何を知らせたいか(感じてほしいか」という、)「用意された作品(公演作品)の読み方」はあるのだろうが、それは観客の手元に届いた時点で変容するのは普通だ。

    今回の公演では、演技だけでなく、舞台となる場所が、「教会」である。さらに「震災被害の後」のような動画が、舞台後方に流れる。

    こうなると、「教会」は「鎮魂(の場)」として、床にばらまかれた「紙」は「瓦礫」に、「プロメテウス」や「バベルの塔」は、たちまち「近代化の歪みとその滅亡の象徴」となってくる。

    そういう「キー(鍵)」で読み解いていくことも可能だし、またそう読み解けていく。
    すべての(芸術)作品が、そういう「観客の持っているキー(鍵)」によって開かれていくものである。
    (あたり前すぎる話ですみません)

    カフカの不条理は、とても否定的な不条理という印象がある。
    理由もわからぬまま否定されてしまうということで。

    ここに「震災」を結び付けるのは当然だろう。

    舞台上でしつこく「繰り返される」演技やパターンにも、それが見て取れる。

    しかし、そこに見えて来るのは「疎外」と「孤独」だ。
    真面目そうな男と、それに絡む3人の男女たちは、最後まで誠実には交わっていかない。ちゃかすような、ふざけるような。
    さらに彼らたちも、実は一体感があるようでない。

    否定的な空気の中にいて、さらに常に自己否定されているような感覚が襲ってくる。
    そこには「絶望」は感じないが、「孤独」はある。

    舞台後方に流れている「災害後」とどこかの「街」(ニュータウンみたいな)の画像は、同じ空間に前後するのだが、交わっていかない。
    どちらが「前」で、どちらが「後」なのか、ということもある。
    つまり、「再生」なのか「滅亡」なのかは判然としないわけだ。

    しかも、その中に、なぜか「孤独」が見えてしまう。

    まあ、結局、それが「震災」というキーよりも、「私がこの作品の見るためのキー(鍵)」であったということなのだろう。

    今回の作品には、「鳥籠が鳥を捕えにでかけた」とある。そこがキーになったと言ってもいいだろう。
    「不在」「空白」そういうキー(ワード)だ。
    失ったモノを「求めて」なのだが、すべては「投げっぱなし」で「答え」などない。それがこの作品ではないだろうか。

    と、書いたが、本当は「宗教」が語られているのではないか、とも思ったのだ。
    それはつまり、祭壇にスピーカーが置いてあるのだ。何かの信仰の象徴のように、だ。
    音(楽)の出るところ(スピーカー)が、神の居るところ。
    そこから「音(楽)」が教会内部から外へと響く。

    まるで、「孤独」と「不在」と「空白」の地に、「福音」(音!)が響くようにだ。
    意図していたのかどうかはわからないが、実に「宗教的」。間違っているかもしれないが、「すべては神の思し召し」「神に包まれている」、がひとつの答え、今の答えなのかもしれない。

    そうなると、「場」が「舞台」と「観客」とに2分されていたことに違和感を感じてきた。
    それは、そこ(舞台)にあるのは、「展示物ではない」ということだ。「体験」であり、「今」なのだ。
    だから、「福音」はすべての人の上に降り注ぐべきであり、観客もカフカに溶けていくべきではないか。

    つまり、客席は、会場の隅に追いやるのではなく、会場全体に、デタラメに散りばめてあるべきではなかったか、と強く思った。

    まあ、この作品自体は、完成型ではなく、カフカの『城』や『審判』同様に「未完」というところではないだろうか。
    「現在進行形」の未完として。

    公演の内容として、付け加えるとすれば、とても良かったのは、ビジュアルだ。
    「画」として。

    この公演は、ビデオ収録していたが、「まさか役者のアップとか撮ってないだろうな」と思った。とにかく「引いた画」、視野を「常に」広くして、全体をいつも見ていたいということ。すべてのバランスが、つまり、「非常口」や「ピアノ」、「つり下がる電灯」、そして役者の「形」と後ろに映し出される画像のすべてが美しいのだ。
    インスタレーションってな感じでもある。
    それを、ぼーっと、見ているだけでも楽しい。

    あと役者の佇まいが面白かった。キャラが(本人の?)滲み出てくる。

    URという企画は期待したい。今回のように、(たぶん)重なり合うことのなさそうな、作・演と役者のコラボが楽しめそうなので。
  • 満足度

    カフカだから。
    わかり辛いです。というか、よくわかりませんでした。こういう難しいのを好きな方もいらっしゃると思いますが。。。

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