ソウル市民五部作連続上演 公演情報 ソウル市民五部作連続上演」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
21-40件 / 41件中
  • 満足度★★★★

    『サンパウロ市民』「時代」そのものがくっきりと姿を現す
    戦争は遠い出来事。
    1939年サンパウロにある商家の1日を切り取り、植民地を支配する側の『ソウル市民』とは、また別の「植民」家族と時代を浮かび上がらせる。

    ネタバレBOX

    「あれっ?」と日にちを間違えたかな、と一瞬思った。
    タコの話に、玄関の修理、そして関取の訪問。

    この作品の舞台は、1939年のサンパウロ。
    『ソウル市民』と同じ文房具商の家族とその周囲の人々のある1日を描く。

    第1作の『ソウル市民』を下敷きにしつつ、この作品以前の4部作の、いくつかのパーツを利用して作った作品。
    と言っても、単なる焼き直しというわけではなく、きちんと当時の状況を調べた上での創作であるから、フォーマットを同じにして作り上げたということは凄いのではないかと思う。

    これは、「コロンブスの卵」ではないだろうか。
    出来上がってしまえば何のことはないかもしれないが、その発想は素晴らしいと思う。
    同じ時代あって、同じような家族たちが、同じようことをしつつも、境遇が違うという面白さ。

    『ソウル市民』自体も、1つの家族の歴史になっているが、フォーマットは同じだったのだ、
    しかし、1つの家族の歴史ということで、気がつかなかったのだが、「同じような家族たちが、同じようなことをしつつも、境遇が違う」という作品であったわけだ。
    もちろん、1家族の大河ドラマというような見方もできるのだか、時代だけが違う4本が並んでいるという見方もできるわけなのだ。

    つまり、5作品を観ることによって、「時代」そのものが、さらにくっきりと姿を現してくるということなのだ。

    『ソウル市民』では、日本の植民地であることが、大きな設定であった。そしてこちらの『サンパウロ市民』では、日本人が「植民」するという点では同じようであるのだが、実態は、労働力としての需要であり、ある意味下層を構成するために、つまり、まるで「植民地の住民」になるために地球の裏側にでかけた、と言ってもいい状況だった。

    この1939年という時期は、自らの手で自分の農地や商店を経営する人もいたようだ。
    しかし、戦争が激化しつつある中で、ブラジルはナショナリズムが台頭しており、日本人学校は閉じられ、日本語も話すことができなくなるのではないか、という状況となっている。

    そういう状況の中での日本人たちの心の拠り所は、「連戦連勝」の日本軍の情報だけである。しかし、短波放送は入りにくく、地元の新聞では日本人たちが思い描くような記事はあまり載っていない。
    情報から遠く、母国への想いがさらに情報を見る目を歪めてしまう。

    日本人たちは、自分の農地を「植民地」と呼ぶことで、日本人の誇り(半島や大陸を手に入れた日本国)を誇示しているようで、哀しい。

    そして、「土人」と呼ぶ原住民たちへの見下し方は、さらに日本人が自らの境遇を語っているようなものである。
    実はブラジル人たちに対しても、日本人の勤勉さと比べ、見下そうとしていることが見てとれる。
    さらに、同じ日本人であっても、「沖縄」の人たちに対しても、「暖かいところの人たちは…」というトーンで、やはり無意識に下に見ている様子がうかがえる。
    この構造を作り上げる感覚は、万国共通ではないだろうか。日本的でもあるが。

    また、家族たちの暮らしも同じである。家長が中心にいて、机に付く席次はとても大切である。
    自分より上の者が現れるとすぐに席を空け、自分は次の席次に着席していくのだ。
    これも無意識。

    沖縄、広島という地名にまつわる戦争の影を見つつ、サンパウロでは、バンザイを叫び、そして歌い踊る。
    前の4作同様に、いや、さらに情報の外にあることで、戦争というものがさらにどこか余所事のような市民たちなのであった。

    前の4作のパーツを利用した作品であるから、「歌」もある。しかも踊り付きで。しかし、これだけは唐突すぎたのではないだろうか。
    サンパウロにいる、という空気感を出すのであれば、ラジオや蓄音機などから、地元の音楽を流しているというような伏線もあったほうがよかったと思うのだ。

    それにしても、『ソウル市民』のフォーマットは、サンパウロで成立するのであれば、日系人の収容所があった『マンザナ市民』や日本人の町があった『サイパン市民』などという設定もあるのではないかと思うのだ。
  • 満足度★★★★★

    『ソウル市民1919』 1919年には何が起こったのか?
    この作品は、とても優れたコメディである。
    …と言っていいかな…。

    と同時に、「笑い」の向こう側(家の外)では何起こっているのか、を知っている観客たちに「考える」機会を与えてくれる作品でもある。

    ネタバレBOX

    この作品はとても優れたコメディでもある。
    (私はコメディとして楽しませてもらった)
    きちんと台詞と、その関係で笑わせてくれるコメディ。

    実はもっと淡々としてものを想像していた。
    それは、時代設定、場所の設定(1919年京城)があるからだ。

    それはともかく、とにかく面白い。
    爆笑してしまうシーンもある。
    相撲取りが出てくるという、飛び道具的なところもあるのだが、それだけではなく、随所に面白さを加えてくる。

    とは言え、そんな面白さの「外」では、三・一運動の気配が家庭内に忍び込んで来る。そういう(日本人から見た)不気味さを、女中がいなくなるというさりげないことで表し、さらに相撲取りという、非現実的なキャラクターと彼がいなくなってしまうという不安感で醸し出すうまさがこの戯曲にある。

    この家では、そんな不気味さの上で、賑やかに歌い、「ここはどこなのか」「彼らはここで何をしているのか」ということとは無縁にいる。
    この「呑気さ」、そして「悪い人たちではない」ということがこの作品の肝でもあろう。つまり、これが一般の人たちの姿だ。
    内(家)の中の小さなさざ波が彼らの最大の問題であり、家の幸せがすべてなのが彼ら(我々)なのだ。
    それによって見過ごしてしまうこともある、というのは深読みしすぎなのと、後知恵によるものであろうか。

    もちろんこれは、「お話」だ。しかし、そのお話は説得力があるので、観客に「考えること」を与えてくれる。
    舞台の上の家族の「外」で起こっていることを、観客は知っているからだ。
    笑いながら、そうしたところに持っていくうまさ。

    そして、今回も役者が皆うまい。
    台詞の応酬の巧みさ、重なり合いは、前作『ソウル市民』ほどは感じないが、それでも自然にそういうシーンがある。
    とにかく面白くってグイグイ引き込まれる。
    こんな面白くっていいのだろうか、なんてこと思ったりもしてしまう。

    こちらも1919年の設定なのだが、現代口語に違和感まったくなし。
    戯曲と役者がうまいからだろう。

    アフタートークは奥泉光さんと平田オリザさんだった。
    奥泉光さんって、こんなによくしゃべり、面白い人とは思わなかった。久々に満足度高いアフタートーク。
    平田さんと奥泉さんは大学の先輩後輩で旧知の仲ということで、トーマス・マンと平田さんなど実に面白い話が聞けた。
  • 満足度★★★★

    上品で
    全てにおいてクオリティの高い作品。
    さすが青年団。
    特に何が起こるわけではないのに引き込まれる。
    とても有意義な時間を過ごした。

  • 満足度★★★★

    ソウル市民観ました
    土砂振りの中、靴もズボンもびしょぬれで、劇場に着きました。

    日本の統治下にあるソウルでの、市井の日本人の日常が静かに描かれていました。世の中が大きなうねりリはじめている社会で、日本人のアイデンティティがどのような変化を受け、また現地の人々との交流を通して、日本人の姿を明らかにされていました。

    平田さんの脚本・演出は文句のつけようがありません。また役者さんも力のある方々ばかりで、すばらしい作品でした

  • 満足度★★★★★

    『ソウル市民』
    ソウル市民5部作の1作目。

    家族の物語であり、歴史が主人公でもある。
    逆に歴史の物語であり、家族を含む日本人の物語でもある。

    台詞の重なり方が見事で、エレガントですらある。

    この作品は、ずっと後世にも残っていく作品になるであろう。

    ネタバレBOX

    先に観た『1919』に比べると実験的な印象がある。
    『1919』がとてもよくできたコメディな印象もあるので、こちらの台詞の重ね方や間が、そう感じさせるのだろう。

    しかし、台詞は重なっていても、聞こえるべき台詞(単語)は、重なっていても観客に届くのが見事だと思う。
    声の張りというだけでなく、声音のアンサンブルが見事だということなのだろう。オーケストラの演奏で、ここぞという個所ではある楽器の音がきれいに耳に届くのと似ている。
    つまり、演奏者(役者)だけの力でもなく、作曲者&指揮者(戯曲&演出)と演出の設計とコントロールもうまいということだ。

    そういう気持ちのいい会話の「音」は、単にストーリーを語る以上の効果を演劇に与えている。
    さらに「自然な振る舞い」と感じさせる役者の演技がそれに加わる。
    その融合は、「エレガント」と言ってもいいほどだ。

    『ソウル市民1919』とは、構造的(組立として)な共通点があり、それを見つけるのも楽しいのだが、あらためて平田オリザさんっていう人は凄いなと思った。

    この5部作は、家族ドラマであり、その「外」で流れる時間(歴史)も主人公である。
    それは、学校では学ぶ時間すらなかった近代史 - 特に日本と朝鮮(韓国)など、アジアとの関係 - を知るきっかけともなる。
    さらに言えば、史実(何が起こったか)を知るという一面だけでなく、「外で流れる時間(歴史)」が主人公であると同時に、「家で流れる時間」- それは、日本人の意識の歴史でもある - も主人公であるという、先程の逆の関係でもあることが重要になってくる。
    すなわち、「その時代に人はどう感じていたのだろうか」ということにつながる。それが本当の歴史というものではないだろうか。

    つまり、(戦争の)「被害者」「加害者」という白黒ではなく、どう考えて、どう思ってその時代を生きていたのだろうか、ということに思いを馳せることも可能だ、ということ。
    過去の誰かを断罪するのではなく、その前に少し考えてみよう、ということが、家庭の物語を通じて見えてくるのではないかと思う。

    そのための情報としては、この『ソウル市民』では、日本人と朝鮮人の女中がいるが、朝鮮人の女中は、民族衣装だ。そして、その30年後の『ソウル市民1939・恋愛二重奏』では、彼らは同じ制服を身にまとっている。そういう流れを感じる。
    台詞の中でも、この『ソウル市民』では、日韓併合は翌年であり、日本人の家族もおっかなびっくりな様子であるが、30年後の『ソウル市民1939・恋愛二重奏』では、「文化を伝える」のような意識や八紘一宇思想が、日本人の中に根付いている様子がうかがえるのだ。それを信じ込んでいる、あるいは信じ込もうとしている、のかは、とらえ方次第ではあるが。

    1909年が舞台ではあるが、会話は現代口語であり、動きも現代人風である。あえてそうしたところが、「昔」の話ではない感覚として観客に伝わるということで、それはうまい。
    衣装等については、考えられているようで、特に「二百三高地」の髪型は、時代を感じさせ、また、それが板についていて、とてもよかった。

    この作品は、モノの考え方、とらえ方という、ことについて、歴史という面から考えること(学ぶこと)のできる作品であり、後世にも残っていくであろう。
  • 『ソウル市民1939恋愛二重奏』
    拝見しました。ザラリとした手触りに驚きました。

  • 満足度★★★★★

    恋愛二重奏、観劇
    もう見る前から、前3作見てきて「篠崎家」の歴史はこの作品で終わってしまう、って思って観てしまったので見る前も後も寂しい。素晴らしいものを見せてもらった、なにしろ壮大な一家の一代史だ。何しろ重い時代を生きている。特に4作目の今作は、重たい空気を感じた。恋愛で浮かれた空気も、僕はあまり感じませんでした。個々の作品は独立しているものの、今作から見始めると「ソウル市民5部作」への印象も変わるのかな、ってくらい雰囲気が違う。重たい。だから、出来れば別の作品から観て、見比べた方が楽しいのかなって思いました。観劇から一週間掛かって、尚うまく思いがまとまらないです。圧倒。

  • 満足度★★★★★

    昭和望郷編、観劇
    「ソウル市民」「1919」に続いて3作目の本作見てみて、改めて現代口語演劇と「ソウル市民」の持つ史実の相性は良いなと感じる。でも、自分の知識の足りなさから「圧倒された」としか言えない語彙能力の浅さが悔しい。「ソウル市民」「1919」と比べると、重たい空気が増すのは時代性なのだろうか。その息苦しい空気さえも伝わってくる感じが魅力だ。「占領された韓国の人への「無関心」に加えて、日本人としての居心地の悪さが印象深い快作。

  • 満足度★★★★

    『ソウル市民1939・恋愛二重奏』
    「ソウル市民・5部作」の4作目。
    面白い。
    が、広げすぎではないか。

    つまり、「恋愛」のバックミュージックとしては、「1939年」は音が少々大きすぎたのではないか、ということ。

    ネタバレBOX

    1939年は舞台として設定するには難しい年だと思う。
    つまり、何をどう表現するのか、ということはすなわち、どこに立っているのか、となるからだ。
    そこで、当パンにある、平田オリザさんの「当時、(朝鮮人の)志願兵制度には20倍もの応募があった…だから植民地支配は哀しい」に、なるほどと思う。

    個人的には、1909年が舞台の『ソウル市民』、続く1919年が舞台の『ソウル市民1919』と観てきて、この『ソウル市民1939・恋愛二重奏』となるのだが、先の2本に比べると、否応なしに、日常の生活(空間)に外の空気が入り込んできている。
    つまり、戦争の影が濃くなっている。それだけ時代が逼迫してきているということなのだ。

    もちろん、そうした世界(社会)の中にあっても、日常は日常であり、登場人物たちも「内地では…」と言うものの、別世界の話をしているようで、日本軍は連戦連勝で、何の憂いもないのだ。
    内地でそういう状況ならば、どんな事態になっているのか、と想像できそうなものでもあるのだが、それに思いを馳せるのは、よほどの悲観論者であったのだろう。
    帰還兵や出征、ヒトラーユーゲントに、業の中心になっている慰問袋などの戦争の空気が、家庭のあらゆるところに現れてきており、しかし、それがあまりにも緩やかなので、危機感はない。
    それは、今の世の中を見ても同じだ。今が最悪の事態になる前兆を見せていることに気がつかないことは、あまりにも多くの事例がある。
    考えたくない、考えるのが怖いということもあるだろう。

    そういう状況下にあって、戦争神経症のような症状を見せている、帰還兵の婿とその妻や、使用人などの「恋愛」感情を交えながら描かれていく。

    当時の人が考えていた(当時の人にとって普通のことだった)だろう、中国や半島の人々との関係や、ユダヤ人に対する感情など、彼らに対する発言は、とてもセンシティブなものであるのだが、(今の尺度に持ってきて変な弁明をさせることなく)それを語らせることのうまさを感じる。すぐに「右」「左」と色分けしてしまったり、「言葉狩り」の世の中にある者にとって、それは刺激的でもある。

    『ソウル市民』シリーズの特徴の1つには「歌」がある。

    今回も、何曲か歌があったが、特に「東京ラプソディー」を替え歌で合唱する「京城ラプソデー」は、その歌詞があまりにも美しく、つまり逆に虚しく聞こえ、今ここで歌う彼らの今後のことを思うと胸が熱くなった。

    また、書生だった朝鮮人が志願兵となって出征するのを、同じ朝鮮人の社員が1人「愛国行進曲」を大声で歌うシーンにもぐっと来た。
    この歌の歌詞には、「八紘一宇」が込められており、「軍隊では朝鮮語は話せない」「手紙は朝鮮語で書くと届かない」という台詞があっての、この歌であっただけに、その意味がとても重い。

    日本と朝鮮の関係は、「相思相愛」になっているのか、ということをタイトルをふと思い出し、このシーンでは考え込んでしまうのだ。

    そして、帰還兵の夫とその妻の関係は、当分は埋まりそうにない。夫は、もがき苦しみながら、かつて持っていた「日常」に戻ろうとしている。それが見事に現れている幕切れの台詞はあまりにもキマっていた。
    婿の昭夫を演じる、古屋隆太さんが舞台に現れることによる不協和音は、素晴らしいと思った。ビリビリ感は、彼の力だけでなく、それを受ける側のうまさでもあるのだ。

    また、「津山30人殺し事件」を引き合いに出し、「それだけ殺せるならば戦争に行けばよかったのに」と言わせる。それは、いわゆるチャップリンが『殺人狂時代』の中で「1人殺せば殺人だが、100万人殺せは英雄だ」に通ずるニュアンスもあり、さらりと言わせるのは巧みなのだが、それをあえて言わせなくても、と感じてしまった。

    さらに、ヒトラーユーゲントのくだりは、あまりにもドタバタが過ぎて、どうかなぁ、と思わざるを得なかった。笑いがそこまでしてほしかったのか、と思ってしまった。

    とにかく、そんないろいろな事象を盛り込みすぎて、私の観た他の2作と比べると、やや広げすぎの感がある。もちろん、それが収まってないか、と言えばそんなことはないのだが、結局、「恋愛」のバックミュージックとしては、「1939年」は音が大きすぎた、というところではないだろうか。
  • 満足度★★

    「サンパウロ市民」初日は芝居が緩かった
    芝居のディテールを作り込むことができないまま、初日を迎えてしまったという印象でした。演出が行き渡っていないため、会話劇の密度が薄い。
    戯曲も話が間延びしている感じで、役者がそれを補おうと、時に観客の笑いを取りに行くような大げさな演技に走ってしまったのが残念です。総じて、青年団の普段の本公演レベルに達していなかったです。
    ホンはともかく、日にちが進むと演出・演技は改善する気がしました。あと、作品のモチーフは面白いと思うので、再演を期待したいと思います。

  • 満足度★★★★

    ソウル市民昭和望郷編
    平田作品のすっとはじまりすっと終わるさりげなさが発揮され、タイムスリップのような違和感を感じずにその場に居合わせたような感覚におそわれた。

  • 満足度★★★★

    :
    後日記載予定

  • サンパウロ市民
    どう評価していいか分からない。

    先に「ソウル市民」「ソウル市民1919」「ソウル市民昭和望郷編」見ておいた方が良い。

  • 満足度★★★

    ソウル市民1919
    前日、「ソウル市民」を観た時は、現代口語演劇についていけず、消化不良に終わってしまいましたが、さすがに2日目ともなるとだいぶ現代口語演劇にも慣れてきて、とっても楽しめました。

    なんだか、とても温かい気持ちになりました。
    三・一独立運動という歴史的な出来事が起きているにもかかわらず、篠崎家では日常のどうでもいい滑稽な風景が繰り広げられていて、公式な歴史と対比することによって日常性ということが鮮明に描き出されていたと思う。

    ただ、現代口語演劇に特有な同時多発的な会話風景を観ていると、演劇というよりテレビドラマを観ている気分になる。

    演劇においてどのような形にリアリティを感じるかは人それぞれだが、現代口語演劇というのは演劇の手法としてはかなり特殊でリスクが大きいということは言えると思う。

  • 満足度★★★★

    ソウル市民1939・恋愛二重奏
    最初のうちは演技のレベルが低い。兵藤公美、佐山和泉は良い。古屋隆太が出てきて満足。古屋は、水素74%といい、普通じゃない役やるとすごく良いね。戯曲が分かりやすい。歌あり。サービス過剰になるぎりぎり?まで色々やってくれる。おすすめ。

  • 満足度★★★

    ソウル市民昭和望郷編(工藤倫子汚名挽回)
    「DAIKAIJU EIGA」に出演していた工藤倫子が、良い演技をしていた。作、演出が変わったとはいえ、短期間にこれだけ違うと、どっちが本当の工藤なのかと驚く。昭和望郷編自体は先の2作品より役者のレベルが明らかに低い。

  • 満足度★★★★

    ソウル市民1919
    戯曲、演出、役者の演技、全て文句無し。
    とてもレベルが高い。
    おすすめ。
    歌が入っていて楽しめる。
    というか、すごく分かりやすい。
    かなり笑えるし。
    この平田戯曲なら、私にも全部分かる。
    お客さんにすごくサービスしてくれる。
    少し、やり過ぎな気がする。
    また、大人数をすごく上手く活用している。
    朝鮮人女中2人の歌は、すごく良い。
    私が能島瑞穂ファンだからか、終盤、ちょっぴり感動してしまいました。
    最後の歌に、登場人物たちと観客が、ちょっぴり浄化されるような気がした。
    5作品とも、このレベルでいくのか。
    平田オリザと青年団のすごさを認識した。
    おそれいりました。

  • 満足度★★★★★

    ソウル市民
    戯曲、演出、役者の演技、全て文句無し。
    とてもレベルが高い。
    おすすめ。

    年上の役者たちに交じって、井上みなみちゃん、頑張っている。

  • 満足度★★★★★

    「ソウル市民1919」
    時間の感覚を忘れるほど見入る、現代口語演劇の魅力っっ。3・1独立運動の喧騒を余所に内輪で笑い合う、この間抜けさ。こうまで無関心でいられるものかと、呆れるほどずれている登場人物達の世界観。あまりにも平和ボケなブルジョアジー的な観点で起こる笑いに腹を抱えて笑う。そして見えないから、余計想像してしまう舞台外の風景、その歴史的瞬間、それを思うとやはりゾッとする。

    5作品は独立してる、は本当にその通りで。5部作どれから観ても大丈夫そう。むしろ昨日観た「ソウル市民」と「1919」で同じ役者さんが違う役をやっていてちょっと混乱してしまった。でも作品を重ねる毎に「ソウル市民」の世界が広がっていく。残り3作品、予定は未定だが是非見たい。

  • 満足度★★★★★

    ソウル市民,、初日
    教科書には決して載らない、市井の人達の営みをのぞきみる不思議な感触。歴史を動かすのは教科書に載る様な知名度の高い有名人ではなく、圧倒的多数の市民なのは自明の理で。当然史実があって作品が生まれる訳だけど。作品はあまりにも淡々と日常で、10代の頃学校で習った「日本は当時こんなひどい事をした」と比較するとあまりにも違う。でも違うからこそ、「悪意なき市民たちの罪」という視点で見るとゾッとする。人間は弱い、でも歴史に学び市井の力で同じ過ちを繰り返さないよう努力するんだ。アフタートークも刺激的。芸術の持つ力強さを実感っっ。解決しないことも含め、複線なのか、複線じゃないのか、その後の物語が気になるエピソード満載で、広がり続ける各人物の魅力もたまらないなぁ。明日も続けて行くぞ~。

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