ソウル市民五部作連続上演 公演情報 青年団「ソウル市民五部作連続上演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    『ソウル市民』
    ソウル市民5部作の1作目。

    家族の物語であり、歴史が主人公でもある。
    逆に歴史の物語であり、家族を含む日本人の物語でもある。

    台詞の重なり方が見事で、エレガントですらある。

    この作品は、ずっと後世にも残っていく作品になるであろう。

    ネタバレBOX

    先に観た『1919』に比べると実験的な印象がある。
    『1919』がとてもよくできたコメディな印象もあるので、こちらの台詞の重ね方や間が、そう感じさせるのだろう。

    しかし、台詞は重なっていても、聞こえるべき台詞(単語)は、重なっていても観客に届くのが見事だと思う。
    声の張りというだけでなく、声音のアンサンブルが見事だということなのだろう。オーケストラの演奏で、ここぞという個所ではある楽器の音がきれいに耳に届くのと似ている。
    つまり、演奏者(役者)だけの力でもなく、作曲者&指揮者(戯曲&演出)と演出の設計とコントロールもうまいということだ。

    そういう気持ちのいい会話の「音」は、単にストーリーを語る以上の効果を演劇に与えている。
    さらに「自然な振る舞い」と感じさせる役者の演技がそれに加わる。
    その融合は、「エレガント」と言ってもいいほどだ。

    『ソウル市民1919』とは、構造的(組立として)な共通点があり、それを見つけるのも楽しいのだが、あらためて平田オリザさんっていう人は凄いなと思った。

    この5部作は、家族ドラマであり、その「外」で流れる時間(歴史)も主人公である。
    それは、学校では学ぶ時間すらなかった近代史 - 特に日本と朝鮮(韓国)など、アジアとの関係 - を知るきっかけともなる。
    さらに言えば、史実(何が起こったか)を知るという一面だけでなく、「外で流れる時間(歴史)」が主人公であると同時に、「家で流れる時間」- それは、日本人の意識の歴史でもある - も主人公であるという、先程の逆の関係でもあることが重要になってくる。
    すなわち、「その時代に人はどう感じていたのだろうか」ということにつながる。それが本当の歴史というものではないだろうか。

    つまり、(戦争の)「被害者」「加害者」という白黒ではなく、どう考えて、どう思ってその時代を生きていたのだろうか、ということに思いを馳せることも可能だ、ということ。
    過去の誰かを断罪するのではなく、その前に少し考えてみよう、ということが、家庭の物語を通じて見えてくるのではないかと思う。

    そのための情報としては、この『ソウル市民』では、日本人と朝鮮人の女中がいるが、朝鮮人の女中は、民族衣装だ。そして、その30年後の『ソウル市民1939・恋愛二重奏』では、彼らは同じ制服を身にまとっている。そういう流れを感じる。
    台詞の中でも、この『ソウル市民』では、日韓併合は翌年であり、日本人の家族もおっかなびっくりな様子であるが、30年後の『ソウル市民1939・恋愛二重奏』では、「文化を伝える」のような意識や八紘一宇思想が、日本人の中に根付いている様子がうかがえるのだ。それを信じ込んでいる、あるいは信じ込もうとしている、のかは、とらえ方次第ではあるが。

    1909年が舞台ではあるが、会話は現代口語であり、動きも現代人風である。あえてそうしたところが、「昔」の話ではない感覚として観客に伝わるということで、それはうまい。
    衣装等については、考えられているようで、特に「二百三高地」の髪型は、時代を感じさせ、また、それが板についていて、とてもよかった。

    この作品は、モノの考え方、とらえ方という、ことについて、歴史という面から考えること(学ぶこと)のできる作品であり、後世にも残っていくであろう。

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    2011/11/21 07:54

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