墨を塗りつつ
風雷紡
サンモールスタジオ(東京都)
2010/08/11 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★★★
細かい点が気になって
小劇場で久々お芝居らしいお芝居を観た気分です。
戦争が人々に微妙な影を落としている。挿入曲が昔の邦画の音楽のようで、描かれた時代の雰囲気に合っていた。
本格的な座敷のセットも良かった。セットの家の構造上、自分の席の位置からは見切れて、座敷の中がよく見えなかったのが残念。
縁の下に転がる手桶やざる、籠の文鳥など細かいところまで小道具にも気を配った芝居だけに、気になった点もいくつか。それはネタばれで。
ネタバレBOX
お芝居の筋については、既に詳しく触れているかたもあり、重複するので控えます。全体に映画のような作りで、その分、暗転も小刻みなのが、舞台としてはどうなのかと思った。蒻崎さんの好演は評判通り、素晴らしかったです。蒻崎さんが演じる女性を見ていて、何年か前の殺人事件の容疑者の「実の子どもが私にはなつかないので腹が立つときもあった」という言葉をふと思い出した。
いくら殺人現場に幼女がいたからといって、幼女には殺人の動機もなく、犯人が幼女だと周囲が容易に信じ込むのが、私にはよく理解できなかった。
殺人の真の謎がわからぬまま終わるのも、推理小説の書き手の場合は反則で許されないのだけれど、戯曲の場合はかまわないのでしょうか。芝居としてはよくできているけれど、気になった。
あとは、衣裳のこと。細部に凝っている芝居だとなおさら目に付いてしまう。玉音放送のときに、主人側の女性はモンペをはいていないのが時代的に不自然。また、8,9,10月と季節が変化し、この季節、薄物、一重、袷と、和服も変化するが、旧家の人が着たきり雀で夏でも袷を着ているのが気になった。終戦後とはいえ、田舎は都会に比べ、衣服を食糧に代える必要性が少なく、現在も旧家ほど古い高価な着物が残っているほど。質素な暮らしで和服がないという家なら、それなりに粗末な服を着ているのでは?モンペは数が揃わないという劇団の人の声を聞くこともあるが、知り合いに20分でモンペを縫える方法を知っている人がいるので、必要ならご紹介します(笑)。着替えや予算の都合もあるのかもしれないが、凝るなら徹底してほしい。
もうひとつ気になったのは、人物の仕草。使用人は襟にツギなど当てて感じを出しているが、季節が変わっても、仕草がまったく変化しない。つまり、寒くても、暑くても、同じような表情で、薄着でスタスタ歩いていく。刑事が踏み込んだのも、元旦という設定なのに、ただ普通にコートを着て立っているだけで、季節感が役者の演技から漂ってこない。信州が舞台のようですが、季節の差ははっきりしている地域なのでは?
それから、劇団も細部にこだわって作っている写実的な作品で衣裳や所作を重視するのは当たり前で、歌舞伎やシェイクスピアの時代の「正月と言ったら正月」という芝居とはまったく次元の違う話なので念のため。だったら、演劇に衣裳考証という職分はいらないことになります。
昔の武家や格式ある戦前の旧家は、「畳の縁や敷居は主人の頭と同じ」というしきたりがあって、畳の縁や敷居を踏まず、縁に物を置いたり、座ったりしなかった。観察していたら、それができている役者もいたので感心したが、できていない人もいた。
芝居はこういうところに綻びが出るもので、自分はすごく気になる。
express
PLAT-formance
王子小劇場(東京都)
2010/08/13 (金) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★★★
好感のもてるコンビ
予備知識なしの初見だったので、冒頭、前説(?)は普通のお笑いコンビの漫才風のネタで始まったが、中身はコントというより、密度が濃く、奥の深い不条理劇のようで、舞台を凝視してしまった。
鉄道を思わせる凝った美術で、鉄塔にもパンタグラフにも見える装置が目をひき、電光表示も効果的。
TV界の制作費縮小事情の関係でお笑い番組が増え、芸人の持ち時間が短くなって一発芸を狙う傾向が進み、売れた芸人は司会業中心になってしまい、その低調を懸念する声も多い。
そんななか、本物志向の若手に久々出会えたようで嬉しい。
ネタバレBOX
個人的には、からんでくる酔っ払いと、鉄ちゃんが面白かった。
鉄ちゃんが、「嫁です」と言って時刻表を掲げたり、山手線の駅名順序をまちがえたり、愛嬌たっぷりの演出。駅での停車時間を勘違いし、取り残されて「せめて・・」と時刻表を列車に投げ入れるラストに大笑い。しかも、時刻表は3年前の版であることが明かされ、ズレた鉄ちゃんなんですね。ワーカーホリックの男の一人芝居も汗だくの熱演にひきこまれた。
旅のお供・冷凍ミカンを爆弾にする発想も面白いし、オムニバスに見えて、実は時系列の組み立てもさすが。ちょっと難解だったりもする。最後は「銀河鉄道の夜」の世界のように終わり、心憎い。
コントというより演劇ですね。同じような路線をめざす人たちにも見せたい作品でした。
サーフィンUSB
ヨーロッパ企画
本多劇場(東京都)
2010/08/04 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★★★
描かれた世界が興味深かった
今回はセットが大きかったので、芝居と劇場のフィット感は紀伊國屋ホールの「曲がれ!スプーン」のときほど悪く感じなかった。芝居の質そのものはあのときと変わらないのだけれど。
今回、ありがたかったのは、私の観た回は前回のように「笑い屋」のような観客がいなかったことだ。役者が台詞を言う前に爆笑するファンに囲まれて観るのは興ざめだ。
体感上演時間が短く感じられ、疲れない。反面、物足りなさも感じたが、これがヨーロッパ企画の特色なのだろうか。
ただ、描かれた世界が個人的に非常に興味深かった。
ネタバレBOX
舞台美術が空想組曲の「遠ざかるネバーランド」のフライヤーに酷似していたので驚いた。さらにこの芝居の企画が公表されるずっと以前、20年以上前から東京が水没する夢をときどき見る。ビルの窓から外を覗くと、東京の街が水没しており、何台もの自動車が沈んでいくそばで、なぜか楽しそうに人々がサーフィンに興じている夢で、「こんなときにどうしてサーフィン?」とつぶやくと、同じように窓の外を見ていた人が「サーフィンするしかないでしょう」と答えるのだ。今回の芝居の内容をまったく知らずに出かけたので、自分の夢の内容にそっくりで、思わずゾッとした。
発達した現代文明の象徴のような一種の電脳都市「アキハバレ」を臨む、隔絶され、水没した都市の廃墟になったビルの屋上に住み、サーフィンに興じる男たち。実際は悲惨な状況だと思うが、ノーテンキで緩いコントのような会話が続く。自殺しようと「アキハバレ」から来たOLも、彼らの仲間に入ってサーフィンを始める。新参者の彼女に、ハンバーガーやフライドポテトの食べ方を薀蓄を交えて教えるバカバカしい場面は、昔の軽演劇を思わせる。
「アキハバレ」は工業排水をたれ流すなか人魚も生まれ、取り残された者たちの負け惜しみなのか、男たちは「アキハバレ」を軽蔑している。そんななか、「アキハバレ」から、OLが勤めていた企業の男たちがやってきて、個々のサーフィンが記憶できるUSB仕様の特製サーフィンボードを見せ、回線につなぐと、ネットを通じてサーフィンの記憶を不特定多数の人がダウンロードできる仕組みを説明する。協力のお礼として、「アキハバレ」にある焼肉店の優待割引券が贈呈されると聞いて、「その優待のサービスはどの範囲まで適用されるのか」と男たちが細かい質問をする場面もまた、庶民的なせちがらい現実を投影していて可笑しい。
結局、男たちはこのサーフィン・ダウンロードに取り込まれ、自分のダウンロード数にこだわって競い、熱中していく。「好きだからサーフィンしてるんじゃないんですか」とOLが本末転倒を指摘しても、耳を貸さない。このあたり、虚構の中で競争心を生み出すネットの魔力のようなものがわかりやすく表現され、人間の「さが」がよく出ていると思った。また、この廃墟ビルのひときわ高い所に住み、水没し始めたときに果敢に波に挑んで最後まで残ったという伝説のサーファー「エディ」が、実はその人物ではないとわかり、プレッシャーから解放されたと喜ぶ場面も、「作られた虚像のアホらしさ」を象徴している。最後は、企業の男二人も水に入ることになって終わる。虚構が現実に飲み込まれていく皮肉を感じた。話としてはシンプルで、思わぬ方向にころがって気分がどんどん乗っていくコメディーではない。
私が自分の夢との酷似以外に興味をひかれたのは、20世紀末に盛んに使われ始めた「電脳都市」の概念と対比するところの廃墟、そのイメージ構築にかつて自分が仕事で関わっていたが、この芝居はまさにその構図だからだ。その廃墟こそ未来の東京ウォーターフロントだと当時から指摘する識者もいた。
事実、銀河劇場のある天王洲アイルなどは、のちに東京都が中止した世界都市建築博覧会を機に、一大電脳都市に進化する予定だった。バブルがはじけ、ウォーターフロントの開発構想は次々に中止され、周辺には廃墟化した建物もある。地震の際の液状化、地球温暖化など、いまだ都市における「水」の恐怖は去らない。この芝居の「アキハバレ」は電脳都市そのものだし、あながちSFの世界だと笑ってもいられない。
芝居の表層部分を見ると、サーファーたちの会話の雰囲気は「曲がれ!スプーン」の超能力者たちとあまり変わらず、このメンバーだから面白いのであって、役の面白さとはまた違うような気がする。その点、好き嫌いが分かれるかもしれない。
お月さまの笑顔
経済とH
ザ・ポケット(東京都)
2010/08/11 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★
悪いほうの予感が的中
この劇団のこれまでの公演、CoRichでは同業者以外の一般客には決して高評価とは言えず、自分の知人が公演に関わった際も躊躇して観ていなかったのですが、今回は新克利、新橋耐子というベテラン俳優を招聘したということに惹かれ、初めて観ました。特に、新さんは私の世代にはTVの売れっ子俳優だった時代が懐かしく、「最近テレビではお見かけしなくなったけれど」と消息を気にしていた矢先だったから、その肉声を聞けたのは嬉しかった。この人の声質が好きだったので。今回、最大の収穫はそれ。
しかし、内心では失礼ながら「あれだけの俳優さんたちを使いこなせるのかしら」という一抹の不安が観劇前にあったことも事実。実際に観て、申し訳ないけれど、自分としては悪いほうの予感が的中してしまった感じです。
☆はユニットに参加した俳優さんたちに敬意を表して。
ネタバレBOX
芝居の内容に触れる前に、自分の観劇習慣にも関係してくるのであえて書きますが、エコのためにチラシを最初から配布しないとのこと。これがエコの理屈としてはよくわからなかった。本当に不要な人は手付かずのまま、席に置いて帰る人も多い。エコをうたうなら、回収箱を置くなどして、劇団が資源ゴミに出せばよいのでは?エコのため、他劇団の折込を受け付けていないというのならわかるけれど(そういう劇団もある)、最初に配布しないのが必ずしも「エコ」になるのだろうか?チラシと一緒にパンフも最初に配布されないため、今回のように登場人物の多い芝居の場合、私などはパンフの配役表に目を通して、簡単な説明や人間関係を頭に入れてから観るのが常なので、不自由に感じた。
先日、MOMOでの「父の暮らせば」のように、チラシは事前配布でパンフのみ終演後手渡しという開演前説明のあった劇団もあるが、あれは2人芝居だし、パンフの終演後配布にはちゃんとした理由があったことが、パンフを読むと理解できたのだが、ここは事後配布の意味がわからなかった。
事実、冒頭に新さんの父親の声で、家族関係や喫茶店の常連客の説明をナレーションで入れるが、俳優らの演技力は十分あるから、パンフが配布されていれば、役名もわかり、このナレーションも省けるのでは?チラシの事前配布がない説明はあったが、パンフについては説明がなかったので、もしやパンフは作ってないのかと不安に思い、役名や人物関係を必死で記憶しようと余計な神経を遣ってしまった。観客にはあまり優しくないのでは?劇団が配役表を重視していないようなので、私も今回、あえて詳しい配役説明は書きません。
喫茶店の舞台美術はよい雰囲気だと思ったが、ドアチャイムをつけないなら、もう少しドアを軽くない作りにしてほしかった。内装と不釣合いに開閉音が安っぽく、トイレのドアと同じ程度に感じる。
お月様もいくら芝居のシンボルとはいえ、巨大過ぎて文字通り「浮いていた」(笑)ように思えた。
この芝居で一番不満だったのは、新橋耐子の芸歴だけに頼ったような失礼な遣い方。文学座の人気演目の台詞を言わせたり、夢の設定でお寒い寸劇(?)をやらせているが、取ってつけたようにしか見えなかった。特に無意味な三文芝居的寸劇は、観ていて屈辱的にさえ思え、背筋が寒くなって正視できなかった。稽古場ではどんなふうな演出風景だったのだろう。新橋には「お任せするので、大女優としてのひきだしを見せてくださればいいです」と演出家が言ってるように感じられた(実際はそうでないとしても)。寸劇の箇所に限らず、この芝居全体としても、新橋の役は、昭和のころのテレビの正月コメディーによくあったような、大スターが芸名そのままのゲスト役で出てくるみたいな印象だった。
小劇場に大物俳優が特別出演するなら、新しい一面を引き出すような、大劇場芝居にはない新鮮な体験を観客、俳優ともにさせてほしい。それには作・演出家にかなりの手腕がいるだろうけれど。
あの「ウッホホ、ウッホホ」はどうにも観ていて気恥ずかしく、冗談抜きで一種の自虐ネタなのか?と深読みしてしまいました(苦笑)。
若い編集者が、最初は担当編集者に定着したいという下心からかもしれないが、新橋のライターに近づき、2階で何かあったような設定で、その後、心底惚れたようなそぶりをみせ、直後に簡単に編集部をやめ、妻子もちであったことがわかるのも意味不明。この編集者は女性の40代半ばなんて問題外みたいなリアクションを会話でしていただけに、新橋に言い寄るのがわざとらしく不愉快に思えた。
新橋は孫娘との女同士の会話に、良い意味でのこの人らしさがわずかにかいまみえた。
夫(新)の若い頃の道楽は、妻(新橋)の多情で自由な性格を慮ってのことだったという設定も、「大人のいい話」にしたつもりなのかもしれないが、男性の視点で考えた脚本上の都合の良さを感じ、私にはすんなり受け入れられなかった。せっかく名優2人を招いて、2人一緒の場面が少ないのも残念。
また、長女の夫が長女にじゃれつく場面もやたらいやらしく、私には必要以上に品のない演出に見えて不快だった。Hなシーンの一方で、長男の経営状況や、商店街の景気の話も出てくるので、「経済とH」という劇団名の由来もそのへんにあるのだろうか(マジメにそう解釈した)。
目が悪い私は、後方席しか残っていないというので満月席で観劇。遅くチケットを予約しても、前の席にすわれるのは観客にはありがたいが、俳優さんにとっては前2列や前方センター(つまり満月席)に空席が目立つのは気になるかもしれませんね。昔、芝居では「ヤカン置いてもいいから前の席は埋まってないと気が散る」と言われてましたから(笑)。この座席設定も「経済」の観点からは理にかなってるのかもしれませんが、購入者が少ないというのもまた象徴的ですね。作品の質からいえば満月席の観劇料金は高く感じるが、有名俳優のギャラの点からやむえないのかも。
パンフを見ると、次回公演も新克利氏は出演予定とか。かつてのファンとしては気になるが、次のお芝居もこのクオリティーなのかと思うと躊躇するところです。
父と暮せば
独歩
劇場MOMO(東京都)
2010/08/04 (水) ~ 2010/08/09 (月)公演終了
満足度★★★★★
感動的な最終公演でした
独歩プロデュースは麦人、てらだかずえのご夫婦2人だけの演劇企画・制作事務所で7年間続けられ、今回が最後のプロデュース公演だそうです。井上ひさし氏の「父と暮らせば」は、麦人氏が惚れ抜いた作品でありながら、こまつ座初演のトラウマから長く手をつけられずにいたという。ようやく最終公演として企画を決めた後、井上氏の訃報が届いたとのこと。
原作が素晴らしいことは言うまでもないが、本公演のすべてが素晴らしく、大変感動した。会場スタッフの皆さんの心からの笑顔と誠実な応対も忘れられない。そして、あえて終演後に手渡されたパンフレット。出演者、スタッフたちのこの作品への思いがしたためられているが、どの文章にも胸を打たれた。特に、麦人氏と共に演出を担当された伊藤勝昭氏の文章には涙を禁じえなかった。伊藤氏はこの芝居のヒロインと同じような辛い体験をされている。65年たっても死者の叫びはいつまでも心の奥底に残っているのだということ。
ネタバレBOX
MOMOでこんなに本格的で凝った舞台美術を見たのは初めてで、会場に入るなり、席を決めるのも忘れて見入ってしまった。担当したのは加藤ちかさん。第三エロチカ出身で井上作品に触れる機会がなかったというが、渾身で取り組んだという言葉どおり、素晴らしい舞台美術だった。赤錆びたトタン屋根の下、美津江の愛着ある台所が見事に再現されていた。
映画や舞台でこの作品をご覧になったかたも多いと思うのでストーリーについては詳しくは触れない。
娘の美津江(安藤みどり)が勤務先の図書館で出会った、原爆史料を収集している木下青年へのほのかな恋心を知り、原爆で亡くなった父親の竹造(麦人)が美津江の目前に現れる。美津江の恋を応援したいと言うのだ。しかし、原爆で父を失い、同級生のくれた手紙を拾おうとして灯篭の蔭にかがんだため、九死に一生を得た美津江はショックから抜け出せず、自分には幸せになる資格などないと頑なに思い込んでいる。美津江の野菜を刻む包丁の響き、竹造が擂鉢で作るじゃこみそなどに温かな家庭の雰囲気が伝わり、2人の会話から何ともほほえましい生前の親子関係が伺える。井上氏のことばの響きの美しさに圧倒された。美津江は女学校で昔噺研究会を作っていたが、いまも図書館で子どもたちに昔噺を読み聞かせ、昔噺はできるだけ伝えられているものを忠実に話すことを旨としている。朗読の稽古をしている美津江に、竹造が美津江が木下から預かっている原爆の遺物、熱で溶けたガラス瓶や原爆瓦などを小道具に使い、「広島の一寸法師」を勇ましく脚色して話そうとする場面は、美津江の心情を思うと胸をえぐられるようだった。いまも後遺症と爆弾投下のトラウマにおびえる美津江に、竹造は「ヒロシマの人にはどんなことを言っても・・・」と肩を落とし、美津江に謝る。このあたりに「芸術表現において原爆をいかに扱うべきか」という作家としての井上氏自身の真摯な思いがみてとれ、考えさせられた。直接被爆した世代の人々がこの世を去った時代となったら、はたしてこの真摯な思いは演劇表現の分野においてもどれほど理解されるのかを私は危惧する。「原爆をタブー視してはいけない」という考えだけが独り歩きしない保障があるだろうか。
同級生は惨い姿で亡くなっており、その母から生き残ったことを責められたとき、美津江はどんなに辛かったろう。木下から預かっている部屋の時計や瓶などの原爆の遺物、庭の焼け爛れた石地蔵の頭も、我々は「そういうものか」と思って見るかもしれないが、美津江にとっては辛い記憶そのものなのだ。自分も現地の平和資料館で遺物の現物を見ているが、「物」が伝える力というのは凄い。
親子の別れは普通でも辛いものだが、「こうような別れが末代まで二度とあっちゃいけん」と言う竹造の台詞にテーマが集約されている。父との対話を重ね、美津江は明日に向かって歩き出すことを決意する。史料を運んできた木下のトラックの響きに心に灯がともるような明るさがあった。
安藤さんの美津江役がとにかく素晴らしい。俳優座にこういう若手女優が育っていることが嬉しくなった。若い頃の有森也美に似た雰囲気で、本当に戦時中の娘さんに見えた。中学のとき広島に住んで原爆について話を聞いた経験があるそうで、やはりそういう経験は役を演じるにあたって重要だと思った。竹造を熱演した麦人さんは、生前そうであったと思わせるひょうきんさや洒脱味がよい。
<世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふりをする」ことは、なににもまして罪深い。>という井上氏のメッセージを重く受け止めて、この作品に全力で取り組んだという麦人さんに大きな拍手を贈りたい。もちろん、公演にかかわったすべての人に。とても小規模な公演だけれど、観終わって心から「ありがとう」と言える公演でした。
楽屋
The30’s
小劇場 楽園(東京都)
2010/08/04 (水) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★★★
ユニット結成15周年
初日に観るつもりが完売していて千秋楽の観劇となった。The30'sは30代でフリーで活動する4人の女優で結成したユニットで、今回は結成15周年記念公演。階段部分の壁にこれまでの公演の舞台写真が展示されていたが、最初は白黒写真で、当然のことながら全員若い!歳月を感じた。
実際にはメンバーは40代を迎えたわけである。オリジナル以外の原作のある芝居は今回が初だという。「原作の4人の女優」プラス6人の女優を加え、柱のある「楽園」の舞台構造を生かした演出。女優が演じたがる人気作品だけあって、演出や俳優によってまた趣が変わり、魅力的な作品で私はとても好きだ。
ネタバレBOX
「楽屋」のあらすじは、最近、別の劇団のレビューに詳しく書いたので、今回は省略します。
この公演は鏡を使い、劇場構造を生かしたセットで、さらに6人の女優を登場させたので、「楽屋」にいる女優がA(春日亀千尋)以外、実はもう亡くなっていて、姿は見えていても実は亡霊なのだということが伝わりやすかった。
女優C(松永麻里)は「斬られの仙太」の場面を笑いを抑えて演じ、むしろ首にためらい傷がいくつもあり、いつもは凄惨な影のある印象の女優B(深水みゆき)のほうに明るいバイタリティーが感じられたのが、面白かった。
女優D(越智絵里花)は、Aと争って倒れる場面で血糊を使うことで、より負傷の重さが伝わり、次に出てくるとき、亡くなっていることがわかりやすかった。ほかの演出で観たときは昏倒しただけなので、亡くなったかどうかが初見ではわかりにくかった。もっともこの芝居は、事前にあらすじを読まなければ4人の女優が亡くなっているかどうか気づきにくく、そこが面白いところでもあるのだが。女優DはAのプロンプターを務めていた後輩の若手女優という設定で主に若い女優が起用されるが、越智の場合は年相応に見えるし、声は若くつくっているが堂々としているので、安定感がある反面、多少違和感があった。
女優Aが女優という職業への心情を吐露する場面は、さすがに年輪が出て、言葉の重みを感じた。今回はこの場面で赤い照明を使い、清水邦夫作品らしい雰囲気が感じられた。帰るときにドレスに着替える場面は、どの公演でも女優Aの艶やかさを見せるところだが、今回、かなりセクシーな衣裳で背中のファスナーが長いためか閉まりにくく、何度も閉め直したあげく、上が少し開いたままで出て行くが、これなどは演技ではなく、本当に閉めにくかったようにみえてハラハラした。
ラストの「三人姉妹」の台詞を言う場面を3組9人で演じることにより、自然、台詞も長くなってインパクトがあり、「楽屋」が女優の亡霊たちのいるべき場所ということを印象付けた演出。森川真己子の澄んだ声と明瞭な台詞、ひときわ輝く美貌が目をひいた。さいたまゴールドシアターでも活躍している渡辺杏奴は「こういう年を経た亡霊もいるだろうな」と思わせるが、声量のないモタモタしたしゃべりかたが個人的には気になってしまう。
「亡霊たちはもし鏡に映った自らの姿に気付けば、その時にようやく、同じものを見ることができるのかもしれない」というパンフにある今回の演出家・原田一樹の言葉を表現したかのようなラスト・シ-ンだった。
15年も活動を続けているせいか、終演後の様子では観客のほとんどが劇団員の知り合いのようだった。当日は満席。開場前に受付を済ませてスタッフの指示通り劇場外の列に並んだが、開場されると受付を済ませていない客が列を無視して先に階段を下りて受付に行き、「○○さんに券頼んであるわよ」とか言って清算してそのまま入場してしまう。整理券を配るかどうかは未定との事前の話だったが、列に並ばせても清算・未清算を分けないなら、整理券を配ったほうが良いと思う。この受付入場法には疑問が残った。入場すると後から来る知り合いのための荷物による席取があちこちで行われ、目の前で席がたちまち埋まっていき、戸惑う。能楽の会なども身内客が多いため、不在者の分の席取は主催者が禁じているというのに。アンケートも配布されるが「筆記用具お貸しします」の声掛けもなく、「今後の活動にさせていただくのでアンケートにご協力ください」というアナウンスもなし。身内しか来ないのでアンケートは重視していないらしく、会場を最後のほうに出るとき、スタッフの手元にも2枚程度しかなかった。たまには外部の客も来るのである。身内の常連客が多い劇団のスタッフワークの悪い面が出ていると感じた。
通りゃんせ
ユニークポイント
座・高円寺1(東京都)
2010/08/05 (木) ~ 2010/08/10 (火)公演終了
満足度★★★★
縁(えにし)-演劇を通した日韓交流
韓国語学校の韓国人男性教師と日本人の教え子女性が結婚することになり、箱根の温泉宿で親しい人たちを集めてパーティーを披く。登場人物が多いが、広い舞台を効果的に使い、立体感があった。
観客も参加した気分で、心温まるひとときを過ごせた。
ネタバレBOX
開演前から舞台にいて、いろんなしぐさを見せている2人の少女(宮嶋美子/金恵玲)。子どものように短い着物を着ているが、しごきの結び方を工夫し、宮嶋は和服、金はチマチョゴリ風に見せている。何度か見ている女優・宮嶋だが、小柄なので、一見、本物の子役かと思い、宮嶋だと気づかなかった。劇が始まると、黒子役になったり、登場人物と会話したり、この2人の遣い方がとても面白い。
物語が始まる前に、登場人物全員で「はないちもんめ」を始める演出がいい。会場となる箱根の温泉宿の主人・武田(平家和典)は新婦・知美(洪明花)のいる劇団の元劇団員で元カレ。宿の料理人の「鈴木さん(登場せず)」が体調を崩して急に来られなくなったので、女将の明子(高木直子)は対応に追われる。ピンチヒッターとしてアルバイト土屋(安木一之)の知り合いの自称「伝説のシェフ」星野(こちら役者名が鈴木義君 笑)が手伝いに来る。このシェフが怪しげで、化学調味料を平気で使うと言うので、鈴木さんの素材を生かした自然な料理に慣れた経営者夫婦は困惑する。
知美が若い娘ではなく、離婚歴があることから、新郎キム・ソンホ(金世一)の姉ミョンヒ(金泰希)は快く結婚に賛成したわけではなさそうだ。姉が「最初の結婚はどうして失敗したのか」と知美に面と向かっていきなり理由を尋ねたため、気まずい雰囲気になる。「思ったことはすぐ口に出し、疑問点をうやむやにはしない」という韓国のお国柄が出て、新婦より新郎が腹を立てる。
知美と同じ韓国語学校生徒で韓流ファンの香織(鈴木カンナ)は、新郎の友人で新郎の姉の夫と軍隊で一緒だったパク・ビョンホン(パク・ヨンホン)を見て、韓流スターとは似て似つかぬ容貌にガッカり。ハンサムなミョンヒの夫
(ホ・ジョンギュ)のほうにモーションをかけてミョンヒがヤキモキする。いまの日本にはない徴兵制度での絆が3人の男の会話から浮かびあがる。
もう一人の生徒・彩(久保明美)は、もうすぐソウルに帰るという韓国語学校教師ドンジュン(金成太)に好意を抱いており、ソウルでの再会を約す。劇団内恋愛禁止という劇団仲間たちの藤原(泉陽二)、小島(宍戸香那恵)楓(北見直子)の微妙な男女関係。子どもがなく、いまだに恋人気分の妹夫婦(古市裕貴・石本径代)。妻は夫のちょっとした行動にイライラするが、不妊治療にもう一度挑戦することを姉の知美に告げる。
旅館の料理は好評で、鈴木さんの引退の意向を受け、武田は正式に星野に料理人になってくれるよう頼み、星野は快諾する。武田は親から受け継いだ旅館の建物が老朽化し、思うようにいかない経営に嫌気がさしていたが、改めて経営に本腰で取り組む決意を固める。
このパーティーに参加していない知美の弟(中村祐樹)と恋人(生井みづき)の会話場面が挿入され、スパイスになっている。
舞台中央奥に天井から吊るされた色とりどりの紐が結ばれた美しい舞台装置が、多くの人間の「縁(えにし)」を描いたこの芝居のシンボルにもなっている。最後に前方に出てくるような仕掛けがあるのかと思っていたらそれはなかった。
正太くんの青空
Wit
サンモールスタジオ(東京都)
2010/08/04 (水) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★★
秀作ではあるけれど
Witは高橋いさを(劇団ショーマ)の作品を上演していこうという目的で結成されたプロデュース・ユニットで、高橋氏の人気が凄いためか初日終わった時点でチケット完売状態。
パンフにWitのメンバーの1人であるIKKAN(オフィス怪人★社代表)が「この準備期間で、書き下ろし作品なんて間に合うかどうか難しいですよ」と高橋氏が言ったことを明かし、しかし稽古初日の1週間前には脚本が出来上がっていたから、「感動です。天才です!」と絶賛している。実際に観てみると、なるほどその証言を裏付けるような作品だった。確かによく纏め上げられた秀作ではあると思うが、魚の小骨が喉に引っ掛かったような印象が残り、準備期間が短かったのではないのか?手放しで満点はつけがたいというのが正直な感想だ。
ネタバレBOX
パンフに高橋氏が映画「十二人の怒れる男」のファンで実際の裁判もよく傍聴するので、「裁判劇もどきが作れてうれしいです(原文のママ)」と書いてあるのを開演前に読み、大いに期待した。
いじめを受けたとされる児童の正太の母(永澤菜教)と、いじめたとされる側の2人の男子児童の両親、綱取夫妻(康喜弼/虹組キララ)と藤枝夫妻(IKKAN/四宮由佳)が学校に呼ばれる。正太の母は離婚して弁当屋で働いており、綱取は産婦人科医、藤枝はタレントでNHKの教育番組にも出演しているという設定。綱取の妻や藤枝の夫は、正太の母の境遇を蔑視するようなそぶりを見せる。
学年主任の杉山(杉田吉平)立会いのもと、いじめが疑われる状況説明が担任教師・内堀(ウチクリ内倉)によって行われ、綱取、藤枝側は否定する。気弱で頼りない内堀に代わり、生活指導教諭の井上(おーみまみ)が弁護士並みの弁舌をふるって正太を弁護する。井上は子どものころいじめを受けた経験がある。いじめを裏付ける現場を目撃したと言う用務員の福田(ロッキー)が呼ばれ、証言を行うが、綱取・藤枝側は認めようとせず、両者の主張が平行線をたどり、綱取は正太の母に金を渡して納得させようとまでする。正太の母が教育委員会に訴えると言うと、綱取の妻は教育委員たちは自分の息がかかっているので、正太の母の言い分など信じてもらえないとせせら笑う。絶望した正太の母はカッターナイフを持って綱取と藤枝の子どもが待機している校長室にたてこもる。校長は入院中で、「開かれた学校」を目指して校長室の鍵を廃棄したため、内鍵はかけられるが、外からは開けられないという状況の中、綱取・藤枝家の家庭の事情が明らかになっていく。綱取家は夫の浮気により離婚話が進んでおり、息子の中学入学と同時に離婚することが決まっていた。藤枝の妻は臨月だが、後妻で生さぬ仲の息子に遠慮があり、甘やかしている。監禁中、正太の母が2人の児童に話をして、2人がいじめを認めて謝り、正太の母も出てきてメデタシ、メデタシ。
正太の母がたてこもった時点から設定の都合のよさだけが目につき、失望してしまった。校長不在で内鍵しか掛からない校長室、正太の母が隔離された状況で夫妻が本音を明かす。藤枝の妻の気分が悪くなっても、綱取の夫が産婦人科医なので対応できる。
「十二人の怒れる男」が秀逸なのは、密室状態の中、誰一人席をはずさないで討論が行われ、それぞれの個人的事情や人間性が明らかになっていくからで、この作品にはそういう緊迫感がない。
校長室が空というが、こういう場合は教頭が代行するので不自然だ。しかもこの校長はモンスターペアレンツの問題で心労から入院しているという。現在の学校制度は校長不在を認めず、長期入院などの場合は教育委員会からしかるべき人物を派遣している。
また、この会議にはオブザーバーとして同じような状況を経験したことがある近くの学校教諭が同席している。この役は日替わりゲストで、自分が観た日は矢吹卓也だったが、石川英郎、高橋いさをも配役されている。負担が少ない役ということで設けられたのだろうが、「飴食べます?」と「勉強になりました」いう台詞は言うものの、ほとんど必要性を感じない。「決して発言をしないように」と杉山が最初に釘を刺すが、だったら同席の必要があるのか。それでも途中で発言して会議の方向が変わっていけば面白いと思うのだが。用務員の福田のロッキーのわざとらしい表情も気になったが、ボケの行動が作為的で「お呼びでない?こりゃまた失礼しました!」という植木等のギャグに至っては客席がシーンとなった。学童保育士の佐藤(高円寺モテコ)をヘルパーみたいに遣い、児童たちの世話をさせるが「仕事ですから」と常にふてくされた表情をする。児童の前では愛想のよいお姉さんを演じているらしく(聞こえてくる声で表現)、そのギャップがこの役のミソらしいが、注目する客が少ないのか笑いが起きなかった。佐藤のことを藤枝の夫が「更年期障害だよ」と言う場面があったが、佐藤は若いし、それはないだろ(笑)と思った。
印象に残った俳優を挙げると・・・。声優として活躍する永澤は、声にけなげさと生活感がにじみ出ていてよかった。正太が別れた夫に似てお人好しだと話す場面に胸打たれた。虹組は厚化粧で高慢ちきな教育ママを好演。和服姿も美しいが、着付けで帯のたれが短すぎて隠れ、帯締めの位置も高すぎるのが気になった。IKKANはいかにもいそうな勘違いしたタレントという感じが出ていた。杉山役の杉田も自然な演技で場を引き締める。ただ、最後の杉山と井上の「バカヤロー!」と叫ぶシーンは、ベタすぎて個人的には背中がモゾモゾした。
冒頭、諸注意を3人の母親役女優が人形劇で演じ、この人形が児童役という設定のようだが、最後に校長室の窓に青空をバックに3人の人形が踊る演出がよかった。
ニコニコさんが泣いた日
演劇企画ハッピー圏外
TACCS1179(東京都)
2010/08/06 (金) ~ 2010/08/09 (月)公演終了
満足度★★★★
じんわりハートフルな反戦ドラマ
作品説明文から戦時中、上野動物園の動物が当局の命令で殺された史実をもとにした話だとは想像がついたが非常に良質な心温まるお芝居になっている。派手な演出はないけれど、小学校高学年以上なら親子で観られる作品だと思う。
ネタバレBOX
表題にある「ニコニコさん」は純朴な象の飼育員で、作・演出の内堀優一が演じている。
ある街の動物園には、仲良しの象のトリオ=女の子らしくやさしい花子(山岡祐子)、頭の良いトンキー(中川敏伸)、負けず嫌いで活発なジョン(北上智子)、ちょっとシニカルなワニ(高橋雄一)、おっとりしたライオン(井上玲央人)らがいる。動物たちの擬人化した演技が楽しい。
飼育員のミツ(藤田みか)とヤエ(植草美帆)は姉妹。美術学校の生徒で画家志望の大介(飯田真二)は動物好きで毎日動物園にやってくる。学生たちの赤狩りを目的に特高の刑事塚田(矢野平祐)は大介を尾行している。
戦争の影響で動物園の入場者が激減したため、園長(青木隼)を中心に飼育員たちはアイディアを考え、野球が得意で豪球を投げるニコニコさんと象のトリオで子どもたちに野球を見せて大人気を得る。しかし、戦況が進み、街中の動物園に動物を置くことは治安上よろしくないとの当局の命令で、飼育員の小林(家紋健大朗)は動物たちの移送受け入れ先を地方に求め東奔西走する。ヤエは大介の勧めで動物園のことで力を貸してもらえないかと左翼活動に参加し、逮捕されてしまう。特高の拷問は厳しく、大介は目を潰され、ヤエは衰弱して獄死する。やっと受け入れ先を決めて小林が戻ったときには、既に当局の命令を受け、断腸の思いでミツが決心し、動物たちは餓死や薬で殺されてしまったあとだった。小林にも赤紙が来ていた。そして終戦。盲人となった大介が動物園を見学に来ている。傍らには復員してきた小林が。「私の目には象の野球が焼きついています。絵描きになる夢は絶たれたけれど、象の野球を絵に描いてみたかった」と大介は語り、ニコニコさんは「動物を殺さないですむ戦争をしてください。そうしたら、僕はお国のためにどんなことでも一生懸命に働きます」と訴える。
終戦の8月、声高に反戦を訴えるのではないが、動物たちと飼育員の交流を通し、じんわりと観る人の心に戦争のむごさがしみてくる。
動物園の柵と獄の柵を兼ねたゲートの置かれたシンプルな舞台装置も心に残る。
ノクターンだった猫
ニットキャップシアター
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/08/06 (金) ~ 2010/08/09 (月)公演終了
満足度★★★
不条理劇風ファンタジー?
初見です。「深夜のレストランを舞台にしたファンタジー」ということで、幻想的なお洒落な内容を想像したが、だいぶ違っていた。当日パンフに「ごまのはえ結婚決意記念作品」となっており、内容も主宰のごまのはえさん(凄いネーミングですね 笑)の結婚決意?記念公演になっていました。
この劇団の公演を何度か観ているファンはツボにはまるのか大笑いしていましたが(アフタートークで経験者に挙手させてわかりました)、ポカンとしてる人が大半だったような・・・・。
ネタバレBOX
「ごまのはえ」さんの婚約と、殺人事件に発展して新聞の社会面を騒がせた「別れさせ屋」の話がモチーフになって展開。2つの話は直接関係はないが、微妙に絡まりながら行方不明の「猫探し」を挟み、妄想のような夢のような様相を示していく。
再現ドラマで「ごまのはえ」を高原綾子が怪演(笑)し、ご本人のナレーションも入って笑わせる。「ごまのはえ」ご本人も本人役で登場し、「どうして私のことまで出てくるの!」と「彼女」にさんざん責められる場面が可笑しかった(お笑い芸人が私生活をトーク番組でネタにして、奥さんに責められるというエピソードを思わせる)。
出演者たちが「愛してる!」を連呼しながら舞台をのたうち回る場面がクライマックスだが、これが延々続くのでいささかクドく感じられ、観ていて飽きてしまった。
劇中出てくる「海底」を思わせるブルー系の濃淡の床や、水の入った透明な天球が照明によって美しく変化する舞台美術は素敵だった。
関西公演の横長舞台に対して、こまばアゴラでは中央舞台に集約した演出にしたそうで、両袖にも椅子が置かれているが主に俳優の待機場所になっているのがちょっと残念だった。
最初は劇らしく始まり、終盤はパフォーマンス色が濃くなっていくせいか、私個人の感想としては、終盤は置き去りにされてしまった感が強かった。この内容で1時間40分は少々長く感じられ、あと20分くらい短縮できるように思えた。
新明治仁侠伝
劇団め組
吉祥寺シアター(東京都)
2010/08/04 (水) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★★
時代に殉じた男たちだけれど・・・
「め組」初見です。「任侠伝」といっても博徒の話ではない。悲劇的な時代劇の場合、優れた脚本・演出だと俳優が好演すれば否応なく感情が高まって泣くまいと思っても泣けてくるものなのだが、残念ながら私はこの芝居ではワクワクもできなかったし、泣けなかった。歴史ものは俳優のルックスがカッコ良いだけでは感動できない。
観終わってスッキリできなかった。これは自分の中ではかなりのマイナス点。
ネタバレBOX
「徳川への郷愁、明治への恨み」というのが平板に語られるだけで、士族側の描写が希薄。廓の主人になって大久保利通(酒井尊之)暗殺を企てる利通の庶子・義明(新宮乙矢)の人物像に魅力を感じないのが私にとっては最大の難点だった。利己的で私憤で動いているせいか見ていて同情できない。父の利通や使用人の左助が斬られて目が覚めたと思いきや、「もう利用価値がない」と言って仲間に刺客を差し向ける心境も理解できない。義明が操ろうとする徳川慶喜のご落胤、狂四郎(入木純一)も名君タイプとは言えず、眠狂四郎を真似たようなニヒリストで、よくわからない男だ。
幕末は「蔭間茶屋」が繁盛したが、義明も蔭間だったことが明かされ、義明と狂四郎の間にそれを匂わせるものがあるようだ。
近年、伊藤博文や大久保利通については従来とは違う角度から政治手腕や人物像を再評価する一般向けの書もいくつか出ており、本作でもどのように表現されているか期待したが、そういう解釈の工夫はわずかながらも見られなかったのが残念。「新政府でまだまだやらねばならぬことがある」と通りいっぺんのことを繰り返すだけでなんら政治ヴィジョンを語らないから(現代の政治家のよう?)、士族側も不満を解消できないはずだ(笑)。あの世から西郷(渡辺城太郎)や龍馬(藤原習作)が常識的に解説する場面も多く、劇的に盛り上がらないこと甚だしい。渡辺の滑舌が悪いのも気になった。
小鉄(井上真一)が「けりをつけなきゃならねぇ」と狂四郎と切り結ぶのもよく意味がわからない。その前の段階で納得していたから結婚も決めたのではないのか。それを翻意する必然性が劇中で感じられないので唐突な印象を受けた。
この芝居の中で一番面白かったのは岩倉具視(藤原習作の2役)。幕末に貧乏公家だった男の本音が出ており、スイスイと危難をくぐって生き延びていく男のしたたかさが伝わってきた。岩倉は肖像がお札にもなったせいか、かつては公にあまり悪く言えない雰囲気があったようだが、亡き母が戦前の京・大阪に伝わっていた岩倉具視像について話してくれたのはちょうどこんな感じだったのでふき出してしまった。難点は「あんさん」のイントネーションが一定せず台詞によって違うこと。京阪言葉の語尾の音下がりが不安定。
評判に聞いていたほど殺陣も巧いと思えず、ぞくぞくするような緊迫感がなく、いち、に、さんとテをつけているのが見てとれてしまうのが興ざめ。特に狂四郎の入木はかたちにこだわっている段階のようで、技量がいまひとつ、斬られ役との息が合っていないので、剣が強く見えない。
長刀で切腹しようとする場面が2箇所ほどあったのも考証上違和感があった。明治でもこういう場合は脇差(短刀)でないと。
野村貴浩の勝海舟には存在感があり、好演。それに対する旧幕派の若者たちの魅力が薄過ぎた。晋之介(秋本一樹)は薩摩っぽらしさがあって良かった。中性的な牡丹(菅原貴志)は面白いキャラクター。本来は太鼓もちのような役柄なのだろうが、扮装は太鼓もちではない。鼓を打つ場面が、武士の嗜みのはずなのにまったく鼓の音が出ていないのにはガッカリ。生で打つなら音がきちんと出るようになってから舞台で使うべき。時代劇はこういう小道具が重要なので、疎かに扱ってほしくない。
女性陣は椿(武田久美子)と楓(高橋佐織)が過去を引きずる守旧派で、小菊(松本具子)と、椿の妹・茜(稲垣納里子)が明るい現実派。徳川の世に幻想を持たない現実派の2人の台詞には説得力があった。武田は滑舌が悪い。
音楽で雰囲気を盛り上げようとするのが露骨で浮き上がり、芝居の力が足りないと感じた。やたら登場人物にピンスポットを当てる演出の多用もいただけない。ラスト・シーンで全員が並ぶと、本来ならグッと感情が高まるところだが、それまでにさんざんスポットを当ててきたうえ、人物描写が薄っぺらなので際立ってこない。
女性にはかなり人気のある劇団のようだが、新派や新国劇で腰のすわった本格的な芝居を見慣れた大人向けではないなと感じた。
日常茶飯事
スミイ企画
アトリエ春風舎(東京都)
2010/07/27 (火) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★
実験的パフォーマンス?
みささんがお書きになっているように、私も演劇というよりはパフォーマンスのジャンルだと思った。佐々木透さんの作品を読んでいないので、正直、この劇で演出家の澄井さんが何を言わんとしているのか、自分にはよくわからなかった(言葉を知るために、あとで台本を買うべきだったかな)。
これを演じた俳優さんは、身体的にも精神的にも大変だったろうなと思った。どうやって演出家の意図を自分の中で肉化し、表現しようとしたのだろう、ということのほうに興味がある。青年団での若手自主企画デビュー作に澄井さんがなぜこれを考えたのかも、知りたいところだ。
上演時間1時間5分。「頭で理解するというよりは、観た人個々に感じてもらう」といった一種の実験劇みたいで、プレビュー的なものに思え、有料公演に適しているとは思えなかった。それだけにPPTがあればよかったと思う。
ネタバレBOX
うーん。どのように感想を書いたらよいのだろう、と会場のアンケートを手に迷った。劇が終わると、首をひねって苦笑して去る人が視界に入った。ほとんどの人はアンケートを書かず、出て行った。そんな中で、私の連れは最後まで1人会場に残って熱心にアンケートに感想を書いていた。その内容は知らないが、いろいろ感じることがあったらしい。「後半から面白くなった」そうだ。
3人の女優が、あるときはひとりごと、あるときは会話らしき、とりとめのないことをつぶやきながらさまざまなポーズをとっていく。
衣裳は宇田川千珠子、木引優子が、共に上はラインストーンを散りばめたグレーのカットソー、下は宇田川が緑のレギンスに緑と白のストライプのバイアス仕立てのミニのラップスカート、木引が青のレギンスに、宇田川と色違いの青×白のスカートをはいている。鈴木智香子は、黒のカットソーとレギンスに赤と白のストライプのロングのラップスカート。最後に、宇田川、木引がラップスカートを脱ぎ、鈴木の頭から襟飾りのように掛ける。宇田川、木引はレギンスの上にショートパンツをはいている。これらの衣裳が広告美術のようで、なかなか可愛く、ファッションの視覚的要素の占める割合が大きく思えた。
木引が自分のラップスカートの中に宇田川の頭を隠したまま長い台詞をつぶやいたり、鈴木は倒立を披露したり、黒のマットに簀巻きにされて舞台の隅に転がされ、そこから1人で脱出したりする。ただ、それがどういう意図なのか見ていてまったくわからない。
澄井の演劇活動は大学時代からずっと観てきた。「言葉と身体の融合パフォーマンス」というのは、以前所属していた害獣芝居時代、澄井自身も女優として演じている。今年の春に、害獣芝居で浅沼ゆりあも久々に実験劇風パフォーマンスを発表していたが、澄井もこの方向が好きなのかもしれない。
本作で女優の発する言葉を聞いていると、澄井のブログの文章のテンポとどこか共通性があると思った。彼女の文章は、日常の出来事を書いていても、どこか浮遊感があって、読んでいて「なるほどね」みたいに容易に共感できないところがあるのだ。
パンフの挨拶文に「それぞれ個々人がちょっとした希望と絶望を抱えて毎日毎日、海に逃げ込む前のたいやき君さながらやっていっているところに、演劇を差し込める余地があるんじゃないか」と書いてあり、何となくわかるようなわからないような(笑)。終演後、「よく理解できなかった」と澄井本人に伝えると、「あれは水の中、水面下で起こっていることなので・・・」という言葉が返ってきた。「水の中でしゃべっているという意味?」「そうです」。もっと質問したかったが、ほかのお客さんもいたので遠慮した。すると、あの3人の女性は「海に逃げ込んだ後のたいやき君」ということなのだろうか。
澄井はすぐ次に利賀での演劇コンクール参加が控えているようだ。今後も彼女の演劇活動を見守っていきたいと思う。
廃墟ブーム
サイバー∴サイコロジック
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/07/28 (水) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★
劇団の特徴は掴めたけれど
初見です。劇団紹介に「ナンセンスとミステリを基調とした作品を創作している。異常な建築美術で繰り広げられる、シュールな方言会話が特徴的」とあり、「盤外の公演」ということでしたが、その特徴は感じられました。
ルデコの空間をうまく生かした劇だったと思います。
アンケート用紙にあった過去公演記録を見ると、コント公演も何度かやられてるようですが、そのわりに会話があまり面白く感じられなかった(あくまで個人的な感想ですが)。
もちろん本作はコメディではなく、いちおうシリアスな劇だとは思うのですが、さりげなく笑いの場面はあり、そこが自分にはピンとこなかったです。
登場キャラクターもいまひとつの感で、劇団としての特徴はつかめたのですが、焦点がぼやけているような印象は拭えませんでした。
東大の学生劇団、Radishや劇工舎プリズムあたりで出そうな演目だなぁと思って観ていました。
ネタバレBOX
中性的な白井肉丸(凄い芸名ですね。痩せていらっしゃるけど 笑)演じる田嶋岬に付いて、岬の父が残した廃墟にやってきた友人の士度(辻貴大)と悠理(栗原香)の役にこれといった特徴が感じられなかったのが残念。辻は、東大のシアター・マーキュリーで好演しているだけに、もったいなかった。
廃墟プロデューサーの日窒(下野友也/「日窒」というのも変わった役名ですね)のヘラヘラした感じが面白かったが、これは下野の表情が面白いのであって、役としての面白さではない。
過去の場面の人たちは、岬の父、馨(平平平平)、機械工学博士のDr.小百合(正木英恵)、馨が雇った派遣社員の江崎(駒橋誉子)らが開演前から客席に紛れてすわっている。暑いといって上半身ブラジャー姿になる小百合、電卓よりソロバンが得意なメガネっ子江崎は、そのちょっと変な行動がとってつけたようで全然面白く感じなかった。武子太郎は死後復活したアインシュタインを大真面目に演じていて、藤村俊二みたいな飄々とした味が出ていた。
一番面白かったのは、過去と現在をつなぐキーパーソンとなるホームレス女(定塚由里香)。奇妙な存在感、得体が知れない可笑しさがあり、個人的なことで申し訳ないが知人にそっくりな風貌なのでふきだしそうになった。その知人も芝居好きで、いくら好奇心が強くてもまさかブルーシートのセットの中にまでは隠れていないだろうと思ったが、ほかの役者のように客席にすわっていたら見まちがえたかもしれないほど似ていた(笑)。
ブルーシートが核シェルター並みに放射能も透さないという強引な設定には笑ったが。
過去の研究者の一団をNHKの「プロジェクトX」になぞらえるオチがつくが、これが残念に思えた。それなら、その前に中島みゆきの主題歌は流さないほうがよかったのでは。
細かい点では岬が士度に命じて図書館の産業年鑑を持ってこさせる場面があるが、普通、年鑑類は性格上、館外持ち出し厳禁なのでは?しかも、岬は該当ページを破ってしまう。ヒドイ(笑)。
終演後、アフタートークで、主宰の松澤孝彦と出演者の下野友也が「90年代ホビー」について語り合った。スーパーファミコン、ミニ四駆、ポケモンなどの話題で、自分はちょうど90年代に「子どもの消費行動」を仕事で取材していたのでまったく興味がないわけではないけれど、どうせアフタートークをやるなら、芝居についての対談をやってほしいと思う。大学のサークルのイベントではないのだから。
モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー
架空畳
テアトルBONBON(東京都)
2010/07/24 (土) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★
心に響かない言葉の洪水
12回も公演を打ち、それなりに支持されている劇団なのだとは思うが、自分の好みには合わなかった。
既にごらんになったかたがたの感想を読み、覚悟して行ったものの、全編、言葉の洪水で息つく間もなし、疲労感ばかりが残り、正直、久々に途中退出したくなる芝居だった。当方、言葉の聴き取りのほうには自信があり、言葉の意味や語呂合わせは理解できたけれど、だから楽しめたかと言うとそれは別問題。
個性的なスタイルを貫いているとは思うが、作者の自己満足的要素が色濃く感じられた。若い観客たちが多く、終演後「まったく何言ってるかわかんねぇー、わかった?」という声もあり、笑いが起きていたのは俳優の他愛ない動きに対してのような印象だった。どれだけ内容が理解されていたかは疑問だ。
☆は1つは長い台詞を書き連ね脚本をまとめた作者へ、1つは膨大な台詞を覚えた俳優へ、それぞれのご努力に対して。
ネタバレBOX
プロの覗き屋(意味不明。プロって何?笑)で10年留年中の高校生・三鷹ロダン(岩松毅)。デパートのモデルショウのリハーサルを覗き見していて、修学旅行から置いてけぼりをくらい、担任教諭(加藤愛子)に謹慎させられ、理科室の人体標本模型のハリコ(斉藤未祐)と出会う。ショウの美人モデルのモダン(加藤景子)のためにデザインされた羽衣のように薄いオーガンジー風の透明ドレスをハリコに着せるロダン。世界的人体デザイナー(赤城智樹)、マネージャーらしき男(山本駿)らが入り乱れてのドタバタ劇が展開。ロダンが以前、入浴中を覗いて忘れられなくなった美女の背中が実はロダン自身の背中であったというオチがあり、結局、自己愛が強い若者ということになるのだろうか。
言葉の洪水は心に響かず、劇としての感動は自分は体験できないままに終わった。やたら「ヨダレ」という単語を多用するので、聴いているだけで気分が悪くなる。言葉の洪水がテーマと効果的に結びついて、初めて観る人にも理解できるような形であればと思うが、最初からそんなことは意図していない劇なのかもしれない。
俳優は膨大な台詞にがんじがらめになっている感じで、滑舌も悪いからよけいに観ていてイライラする。
カラフルな宣伝美術、ハリコとモダンの美しい舞台衣裳や、菱川師宣の見返り美人と月に雁がね(?)、いろは文字とあいうえお50音を描いた墨絵の屏風ふうパネルやデパート建築のファサードの舞台装置はなかなかよかった。
人体模型のハリコの内臓が説明文どおり半身だったら、もっとよかったけど。
パンフレットの活字が極端に小さく文章ギッシリ、配役表も載っていない。とことん旧世代の観客に優しくない(笑)。
少女仮面
座・高円寺
座・高円寺1(東京都)
2010/07/24 (土) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★★★
カッコよかった伊東由美子
劇団離風霊船の伊東由美子が「念願の唐十郎作『少女仮面』で、主役・春日野八千代を演じながら、この作品の一つのテーマである「老いていく肉体」を、今だからこそ身を以て表現する」とのことだが、皮肉にも50歳の伊東さんはじゅうぶん若くて魅力的(笑)。昨今の宝塚の男役にはすっかりなくなっている正統派タイプで懐かしくさえある。「老いへの執念と哀惜」には程遠い感じがしたが、その演技にすっかり魅せられてあっというまの1時間30分。「少女仮面」は何度観ても見飽きない面白い作品だということを実感。唐作品の中では比較的わかりやすい作品だと思う。
ネタバレBOX
「少女仮面」は昨年春のF/Tトーキョーの近畿大学版の際に詳しくストーリー解説をしながら書いたので、今回はあらすじは省略させていただきます。
冒頭の老婆(朱源実)と少女貝(浅田より子)の会話は高所で風に吹かれながらの場面で、なんとなく「離風霊船」というイメージ。これから「大人の門」をくぐるといった趣は薄らいだ。腹話術師(柴田明良)と人形(京本千恵美)は、柴田が二枚目のせいか近畿大版より哀切さがあり、人形の京本は宙吊りになってとても不気味(この人形、往年の宝塚トップスター、真帆しぶきに似ている)。水道飲みの男の荒谷清水は南河内万歳一座でもお得意の身体能力を生かす。春日野はあくまで本人だと思い込んでいる狂人だから、かつて白石加代子や渡辺えりが演じたように、本物の男役スターに見えなくてもかまわないのだが、伊東は60年代の男役スター古城都を髣髴とさせる美形で、登場したとき「嵐が丘」の「ヒースクリフ」そのものに見え、声もハスキーで魅力的だ。今回は「若さ」の象徴である少女貝が稽古の途中から高圧的になって立場が逆転し、春日野が打ちのめされる演出ではなかったので、腹話術師と人形との対比は生きてこない。満州の幻影場面でも軍隊の行進は出さず、防空頭巾にシャンシャンを持った乙女たちの可憐さが印象に残り、原作のもつ「虚構性」や「苦悩」は感じられなかった。原作のおどろおどろしさを体感したい人には不満が残ると思う。
演出は唐組の久保井研。意外にアングラのコッテリ感がなく、おしゃれな感じでまとめてある。それにしても、老婆が言う「なれるよ、お前なら。ステージに立てる。バリッとした宝塚スターに!なれないとしたら、女々しい組織のせいさ」という台詞、まさにそのとおり宝塚の実態を表していて(笑)、唐さんはよくご存知だなぁと別の意味でも感心した。
ディナーショー
もざいく人間
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2010/07/26 (月) ~ 2010/07/27 (火)公演終了
満足度★★★
いちおうミュージカルでした
野仲真司、横島裕、2人の俳優への興味だけで、どんな内容のものかまったく知らないまま出かけた。「ディナーショー」というから、小劇場俳優たちが次々出てきて面白おかしく歌うのかしら、と勝手に想像していたが、いちおうミュージカルになっていた。何年もユニットとしての活動を休んでいた人たちの小規模な公演だから、会場は99%くらいの確率で友人、身内である。私のように、出演俳優の顔は知っているが、個人的な知り合いでも何でもないのに観に来る物好きな人間はたぶんいなかっただろう。
でも、観た収穫はそれなりにあった。
ネタバレBOX
幕開き、ロミヲ(岩田裕耳)とジュリエ(酒井杏菜)が森の中で愛の言葉を囁きながら「アハハハ・・・」とノーテンキに笑っている。岩田は芝居心のある人だけに独特な雰囲気を作っており、こちらが本編でも楽しめそうだった。
しかし、主役は農村青年たちである。彼女もできず、毎日畑で作物を黙々と作っているポプキンス(横島)、ロブソン(野仲)、アリス(中村圭吾)が夜の都会に出てくる。歌姫バーバラ(柴原麻里子)のマネージャー、デミグラス(中込恭史)の目をかすめて、3名までご招待の「ディナーショー」の招待券を手に入れた3人は会場に潜入。
アリスはバーバラと出会って恋に落ちる。バーバラは憧れの人気歌手タカオ・ホリウチに瓜二つのアリスに夢中になるが、バーバラを愛するデミグラスは2人の仲を引き裂こうと画策する。ポプキンスとロブソンはアリスの恋を応援する。
落雷事故の後、不思議な感電パワーを身に着けたデミグラスは、博士(アリスインワンダーランドのジョニー・デップそっくりの扮装をした野仲の2役)によって改造鉄人となり、バーバラを襲って感電死させてしまう。自分の意思で動かなくなったバーバラをディナーショーに誘ったアリスは、空想の中でバーバラとダンスを踊る。
アロハシャツ姿のアリスと白いドレスのバーバラを見て、「ハテ」と思い当たったのはレオナルド・ディカプリオとクレア・デーンズが演じた現代風「ロミオとジュリエット」の映画だ。
アリスとバーバラはシェイクスピアの台詞で愛を語らう。劇中の歌もしっかりミュージカル仕立てになっていて、大真面目で歌う出演者を見ながら客は爆笑していた。
野仲と横島のボケとツッコミのようなコンビの掛け合いも面白いが、劇中、TVの音楽番組の場面で踊る横島のダンスにキレがあってなかなか魅せてくれる。横島はミュージカルの勉強をした経験があるそうで、今回、振付も担当しているが、やはり俳優というのは自分に投資した分、成果が現れるものだなぁと感心した。横島の演技というのは、以前からアメリカのホームコメディーの登場人物のようだと思って見ていたが、中込の演じるデミグラスにもそういう雰囲気があった。
劇中劇で、マグロ(ウーザチャン)とハマチ(横島)が水槽を抜け出そうとして失敗し、料理人(中込)に捕まる場面は、デミグラスに捕まるバーバラを暗示しているようで切ない。
「もざいく人間」の次の公演は、来年の冬だそうで、まだずっと先の話。ミュージカルの要素を取り入れたものをやりたいとは考えているらしいが、その間、両人は客演で腕を磨くことになるようだ。
今回の公演、昭和30年代初めのTVの音楽バラエティーみたいな雰囲気もあり、なかなか面白かった。「もざいく人間」、長い目で見ましょう。
公演CDを1枚500円で「買ってください」と売り込んでいたが、活動再開のご祝儀公演の要素が濃いのだから、チケット代込みでお土産に付けてもよいのではと思った(笑)。
お茶を一杯【当日券若干枚数あり!開演の45分前から販売開始!!】
浮世企画
APOCシアター(東京都)
2010/07/22 (木) ~ 2010/07/25 (日)公演終了
満足度★★★★
「友達の友達」の先にある闇
「友達の友達はみな友達だ」という言葉が流行ったことがあるが、意外なところでつながっている人間関係のお話。
旗揚げ公演の前回作品より今回のほうが断然面白いと思った。今後、どんな作品が出てくるか楽しみだ。
ネタバレBOX
フリーライターの奈々(長島美穂)はバイセクシャルで、仕事先の出版社社員氏家千里(今城文恵)とレズビアン関係にある。カミングアウトはしているものの、千里との関係だけは秘密にしていた。奈々はそのことに苛立っている。奈々と親しい出版社のアルバイト朝倉(金沢啓太)は、彼女の多恵(鈴木アメリ)公認でもうひとりの彼女(登場しない)と付き合っており、交互に女の家に遊びに行っていた。朝倉の幼馴染の遼(楚本幸良)は多恵とも同僚。千里の同僚、宇佐見(赤崎貴子)は昔、売れない絵描きの横川(信國輝彦)と付き合っていたが、横川は奈々の兄で、実家への無心が頻繁なので奈々は兄を疎ましく思っていた。千里にアタックしてもまったく相手にされず悶々としていた同僚の平田(岩田裕耳)は、帰宅する千里を尾行し、奈々との関係に気づく。平田は歩いていてすれ違った多恵を攻撃しようとしてかわされ、次に奈々を刺そうとして、奈々と立ち話していた宇佐見を誤って刺殺してしまう。平田役・岩田の根暗な不気味さ、奈々役・長島の的確な演技、優柔不断な関西弁なまりの朝倉・金沢が印象に残った。朝倉が遼に悪事をそそのかしていた小学生時代の回想場面、金沢・楚本の子役演技がともに自然で、一見ソフトなのに人を支配しようとする朝倉の一面を見せるのが上手い演出。千里と別れを決意した直後の奈々が宇佐見との交流を予感させる場面で宇佐見が殺され、2人の人間関係が突然終結させられてしまう虚しさも何が起こるかわからない現代の危うさを象徴していた。
「お茶を一杯」は、宇佐見が横川に入れてくれたお茶の思い出からきている。
複雑な人間関係だが、現代の断面を切り取ったような作品で興味深かった。ときどきケータイ画面のツイッターの文字が舞台スクリーンに投射されるが、文字が小さく、近視がひどいこともあって、私の座っている位置からは、
まったく判別できなかった。そのため、最後のオチがケータイ画面に映し出されたとき皆が笑っていたが、何のことかわからず、終演後、出演者に教えてもらったという次第。スクリーンを使用するときは配慮してほしいと思った。開演前、「中央部分で喫煙シーンがあるので、タバコが苦手な方は奥のほうにお座りください」という注意があったが、当方、気管支が弱くタバコの煙にむせてしまうので有難いと思った。
百年時計【公演終了!】
声を出すと気持ちいいの会
演劇スタジオB(明治大学駿河台校舎14号館プレハブ棟) (東京都)
2010/07/24 (土) ~ 2010/07/28 (水)公演終了
満足度★★★
期待しすぎたかも・・・
「百年時計」というタイトルから物凄く期待して観たのだけど、自分の理解力が足らないためか、全体の構成がわかりにくくて感動にはいたらず、あまり楽しめなかった。
音楽と、俳優たちの動きはとても良かったと思う。「声きも」は、自分の中ではいまだ「黒猫」を超える作品に出合っていない。あの斬新な演出法に大いに期待したのだが。
何度もこの会場で芝居を観て来たが、今回はなぜかとてもカビ臭くて気分が悪くなってしまった。
ネタバレBOX
20年前大鷲にさらわれ、行方不明になっていた人間の女性の間に生まれた青年の短くも凶暴な生涯が印象的。父親の鷲が自殺した過去を持つのに、自らも崖に身を打ち付けて死んでしまうなんて悲しすぎる。
語り部の老婆を明大学生演劇の名物男・草野峻平が演じるが、別の役も演じているためか、いま、どの話をやっているのか場面転換がわかりにくく混乱してしまう。また、老婆の喫煙場面は必然性を感じない。ただでさえコンディションの悪い密室の空気が濁り、息苦しくなった。
[※25日(日)13:00追加公演決定!!] 脳内TRIPアルゴリズム!!
オッセルズ
シアター711(東京都)
2010/07/21 (水) ~ 2010/07/26 (月)公演終了
満足度★★★★
暑気払いに最適
前回の公演は番外企画ともいえるバー公演だったので、新作を並べた今回の公演をとても楽しみにしていた。
「VACATION!」の曲が流れ、暑気払いにちょうどよい企画で楽しめた。コメディやコントが好きなCoRichメンバーにもオッセルズを気に入る人がきっといるはずと確信していたが、実際、初めて観て楽しめた人もいたようで、ファンの一人として今後リピーターが増えていくといいなーと思っている。
ネタバレBOX
夫婦で社長と専務を勤める中小企業の会社が夏の社員旅行に海外リゾートのオッセリア島に出かけるという設定でオムニバス・コントが始まる。
一番好みだったのは、さる高貴な方々がアウトレットショップにやってくる話。アルカイックスマイルを浮かべ、一列になってしずしずと進む様が可笑しい。あれこれ商品を見て試着し、浮世離れした質問をぶつけて女性店長と男性店員を困惑させる。ご次男が高貴な色の「紫」の服にこだわって無理難題を言い、ご長男が涼しい顔で大胆な値切りに出る。これ、シリーズ化してほしいなぁ。とても気に入ったので。
ヒストリー・ミュージアムの人形歴史劇も面白い。迫害されるケンタッキー一派と追い詰める官憲マック。マックがカーネル・サンダースの踏み絵を迫り、タイムリミットがフライドポテトの出来上がり電子音というのが笑えた。悲惨な弾圧の架空話を大真面目な悲劇として演じているのだが、マックとケンタッキーの話なので思わず笑ってしまう。
黒づくめのボンデージ風衣装の女性をバイクに見立てて男性陣が疾走する一場面(警官と白バイもいる)も往年の映画「イージー・ライダー」をモチーフにしていて、なかなかスタイリッシュでよかった。
セレブな奥様たちのエロチックなアニメ話は、アニメに詳しくないので、イマイチ面白く感じなかったが、アニメ好きな人なら楽しめるのだろう。できれば、アニメを見ない人にもわかるネタのほうが好ましいが。
そういうことで言うと、最後の場面はTVの「アイノリ」のパロディーであり、「アイノリ」を見たことがない人にはピンと来ない部分もあるかもしれないが、話の流れそのものが面白いのでTVを見てなくても楽しめる。しかし、社員旅行に来たのに、「アイノリ」のように意中の彼女にノーと言われて1人島に残るなんて「何でよぉ?」と笑ってしまった。
個人的に、私は下ネタのお笑いというのが好きではない。今回も下ネタはあるのだが、河野さんの笑いというのはネアカであっけらかんとしているせいか、あまり不愉快な感じがしない。笑って許せる範囲というか(多少クドイけど)、演じている俳優さんに下卑たいやらしさがない、ということもプラスになっていると思う。
次回公演の時期は未定だそうだが、河野さんには頑張ってまた面白いものを作ってほしい。期待してます。
朝までは
ボールベアリングドラゴンズ
東京アポロシアター(東京都)
2010/07/23 (金) ~ 2010/07/25 (日)公演終了
満足度★★★
究極の脱力系
ユルユル、ダラダラの不思議な魅力に惹かれてずっと観続けてきたプロデュース・ユニット。ひとつの節目となる10回目公演はいままで一番の脱力度で、慣れている私でさえギョッとした。今回初めて観た人は「何、これ?」と誤解してしまうんじゃないかと心配になった。
ボールベアリングドラゴンズの場合、観客はほとんどが東大駒場の観客だと思う(私の前方にすわった知人いわく、「知らない顔の人が来てない(笑)」。終演後は久々の同窓会状態で盛り上がっていたようだ)。最近でこそHPの体裁も整ってきたけれど、以前は期間限定ブログしかなかったし、これといった宣伝もしない。「このお話は、明かりがついたら始まって、消えたら終わりです。終わったなと思ったら、拍手の用意をよろしくお願いします。」というシンプルすぎる挨拶文もいつも同じ。
演劇をやる以上「観てほしい」という気持ちはあるようだが、「意欲」というものを感じさせない。田岡美和、本当に不思議な人だ。
ネタバレBOX
フライヤーやポスターにある美しいスイーツの写真。女性4人が集まって、スイーツ食べながらの恋バナの芝居かな、と想像してしまう。しかし、お話の中心に出てくるのは、スイーツじゃなくて飾りに置かれている「色紙で作った鎖」のほうだ。
ヨシノが黙々と色紙で鎖を作っている。そこにシバという黒いスポーツジャージ姿の女がやって来て、鎖を作り始める。2人でだらだらしゃべりながら作っていると、部屋の隅でダウンコートにくるまって寝ていたオオヤマが目を覚ます。オオヤマも赤のジャージ。会話の中で、蛇山、牛山、犬山、熊山といろんな動物になぞらえられて呼ばれる。そこへ喪服のジョンコが帰って来て、これまたグレーのジャージに着替える。ごく普通の女の子らしい服装はヨシノだけ。「ウメは岡山のマリーズに行くらしいよ」「あそこ丼飯1日3杯がノルマだって」「あ、3杯は無理だわ」 。どうやら4人は何かの球技チーム「チームストイック」にいて、メンバーの1人が亡くなって、ジョンコが告別式に行ってきたらしい。で、チームは解散の危機にあり、ウメというメンバーだけが岡山の強豪チームに移籍が決まったらしい。2人はジョンコに命じられて鎖を作っていたようだ。シバがお金を立て替えて工作用糊を買ってきてそれとなくレシートをテーブルの上に置いたのだが、ジョンコは見もしないでゴミ箱にポイ。「オオヤマのために作った塩やきそばがある」と言って出してきたのは、塩をかけただけの具のないやきそばで、ヨシノとシバは食欲をなくす。で、その鎖は「湿っぽくならないようにライトにいこう」というジョンコの発案で作ったもので、追悼式をやるようだ。4人は鎖を首にかけ、「YMCA」を歌おうとするが、「C」の字が作れず、動きもバラバラ。途中から振りはラジオ体操になっているし、歌詞をよく知らないので、同じところしか歌えないのだ。「YMCA」を終えた4人はまた、とりとめのない会話を続け、何も起こらないまま、芝居は終わる。
田岡の芝居は、ゆったり、のろのろと時間が流れ、会話が進むにつれて少しずつ事情がのみこめていく不条理劇ふうの作品が多いが、今回ほどユルユルの内容も珍しい。女子4人もいて、およそ華やぎを感じさせず、ノーメークでジャ-ジのふだん着で「女捨てちゃった」雰囲気。最近TVで綾瀬はるかが演じてヒットした「干物女」みたいな格好で無気力な会話を延々と続けるのだ。芝居から人生の機微を感じ取りたいと思っていたり、本格的なお芝居を期待する向きには、腹立たしくあきれかえる内容かもしれない。長く見続けている者にとってはあまり驚くこともなく受け入れられ、現にクスクス笑いがあちこちで起こっていた。10回目という節目にあえて演劇らしさを排したこういう全く力まない芝居を作ったのも田岡の確信犯的発想なのだろうか。
ともあれ今回のような芝居は彼女の作風をよく知る「駒場の観客」を対象にしてこそ成り立つかもしれないが、外向きにはいかがなものかという戸惑いはあった(笑)。田岡自身の考えは知らないが、ボールベアリングドラゴンズはいつまでも仲間内の同じ観客の前で公演してないで、そろそろもっと多くの人に観て貰い、鍛えられたほうがよいのではないか。11回目の公演はおそらくまったく違うものを出してくるとは思っている。
登場人物は名前がついているのに、配役表にはおそらく登場順だと思うが女1,2,3,4とだけある。これなども仲間うち感覚で、外部の客を意識していない配役表記だ。一考されたし。