ミッション女・プロジェクト男
よしもとクリエイティブ・エージェンシー
駅前劇場(東京都)
2010/04/29 (木) ~ 2010/05/03 (月)公演終了
満足度★★★
ダイハードな二人
脚本が上田誠なのでネタ的にはヨーロッパ企画のSFものに近いんだけど、二人芝居なのでネタの濃縮度が高まっている。「一難去ってまた一難」とはまさにこの芝居のための言葉。それに比例するように役者二人の発汗量がこれまたすごい。上着だけでなく、ズボンにまで汗のしみができていた。これもある意味で見所かも。
福田転球という役者は、アドリブ命みたいなところのある人なので、この芝居でもいろいろやっていたし、相方の平田敦子もかつてサモ・アリナンズの芝居で、アドリブが飛び出す雰囲気には慣れている。
上田誠のギャグセンス豊かな脚本と、福田・平田の丁々発止な演技がいい具合にミックスして、汗だくの舞台とは対照的に、客席にはリラックスした笑い声が響いた。
ネタバレBOX
テレビゲームの画面みたいな映像がとても効果的で、空間的にものすごく広がりが感じられた。舞台装置もかなり作りこまれていて、しかも単なる装飾ではなく、どの部分もちゃんと話に絡んでいる。
それにしてもいろんな危機があったなあ。マザーコンピュータとの戦い、多数の小型ロボットによる襲撃、巨大な蜘蛛型ロボットの出現、レーザービーム、バイオタワーの崩壊によるスライム?の流出、核融合なんとかの異常による高熱化、宇宙空間に投げ出され、エイリアンの宇宙船に拾われ、エイリアンの卵を体に産み付けられ、エイリアンの棲む星を目指すべくコールドスリープに入らんとするところで、to be continued だって。
In The PLAYROOM
DART’S
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/04/27 (火) ~ 2010/05/02 (日)公演終了
満足度★★★★
凝りに凝ってる
昨年12月の初演から4ヶ月ぶり。劇場でもらったプログラムの挨拶によると、今回は再演ではなく追加公演だという。そのココロは、劇場も出演者も初演と同じだから。確かに4ヶ月後、同じ会場、同じ面子でやるのは演劇の場合むずかしいもんね。
なにはともあれ、観られてよかった。
DART’Sという劇団の第1回公演。作・演出は広瀬格という人(要注目)。役者の演技もよかったし、なによりも凝りに凝った脚本がすごい。
複雑な設定、不思議な構造、そんな芝居が好物の人にはオススメかも。
具体的な内容に触れるのは体力的、能力的にシンドイので、興味のある人はとりあえず観てほしい。
(観劇上の注意として、トイレが一つしかないので、なるべく外で(別に屋外でという意味ではない)済ませてきたほうがいい。初日は寒い日でトイレ待ちの行列ができて開演がちょっと遅れたりしたので)
ザ・カブキ
東京バレエ団
Bunkamuraオーチャードホール(東京都)
2010/04/24 (土) ~ 2010/04/25 (日)公演終了
満足度★★★★
バレエ忠臣蔵
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」をモーリス・ベジャールが1986年にバレエ化した作品。ドストエフスキーのカラマーゾフさえバレエになっているくらいだから、忠臣蔵がバレエになったくらいで驚いてはいけないのかもしれないが、それにしてもユニークな作品。
3年前にハイライト公演と称する部分上演を見たことがあるが、全幕を観るのはこれが初めて。歌舞伎をバレエにしているのだから、根っからの歌舞伎ファンが見たら目をむくような内容なのかもしれないが、歌舞伎にもバレエにも浅く首をつっこんでいる者からすると、両者の混ざり具合がいい感じで面白かった。
この作品が日本人ではなく、フランス人振付家によって作られたことがちょっと残念というか、悔しい気もする。演劇ではそれほど感じないけれど、バレエ界では西高東低の印象がそれだけ強いということだ。文楽や歌舞伎の名作をどんどんバレエ化するような日本人振付家は出てこないものだろうか。
ネタバレBOX
キャストが日替わりの2日間公演。その2日目を見る。
プロローグは現代の東京。テレビモニターをたくさん並べる演出は演劇ではちょくちょく見かけるが、こういうのをバレエ作品に持ち込むところがベジャールの斬新さなのだろう。ブレイクダンスを踊るダンサーも登場した。想像するに、ベジャールはこの作品を作るに当たって実際に歌舞伎座で忠臣蔵を見たのではないだろうか。そしてたんに古典作品の観賞だけでなく、現代日本の風景にも同じくらい強い印象を受けたのだろう。忠臣蔵の主人公である由良之助はワイシャツに黒いネクタイの現代青年として登場し、彼が忠臣蔵の世界へタイムスリップするという形で話は展開する。
上演時間は約2時間。プロローグのあと、9つの場によって、忠臣蔵の世界がバレエとして描かれる。場面ごとに振り返るのは骨が折れるのでやめて、とりあえず印象に残った点をいくつか挙げておく。
由良之助の場合は現代青年がやがて古典劇の中にとりこまれていくのに対して、おかる・勘平の場合は現代と過去のダブル・キャストになっている。いずれにしろ古典に現代的な味付けをしているのはもっぱらこの3役で、あとは基本的には忠臣蔵の時代の人物が登場する。
殿中で塩冶判官が高師直に対して刃傷沙汰に及ぶところでは、その動機として、判官の妻、顔世御前に師直が横恋慕して、それで判官に嫌がらせをしたからとなっているところが、いかにもアムールなフランス人らしい(偏見)。
顔世御前とおかるを演じたのは上野水香と小出領子。ふたりとも日本的な丸顔のダンサーなので、意図したものかどうかはわからないが、配役的にはピッタリだった。
刃傷事件のあとすぐに、切腹の場面になる。仕草として念が入っていると感じたのは、腹を切ったあと、さらに喉首をかき切ったこと。確実に死にましたということがよくわかるマイムだった。
城明け渡しの場面では、呉服屋の反物かと思うような横に長~い連判状が出てきたのが可笑しかった。舞台の横幅に匹敵するような長い巻物で、その視覚的なデフォルメがとても効果的だった。
山崎街道の場面もちゃんと再現されている。歌舞伎で見てさえ解説なしではわかりにくいこの場面を、イノシシまで登場させて描いているのを見て、これはやはり「仮名手本忠臣蔵」をベジャールはちゃんと知ったうえでバレエ化したのだと思った。
プログラムを見るまではよくわからなかったが、舞台のあちこちでちょこまかと動くのは判内というキャラクター。由良乃助の行動を監視する幕府の間者だった。もちろん、遊女になったおかるの機転で、秘密をばらす前に由良乃助にばらされてしまう。
南部坂・雪の別れの場面では、赤いフンドシ姿の志士たちが横一列に並び、その背後を顔世御前が下手から上手へと移動していく。ベジャール作品には三島由起夫をテーマにした「M」という作品もあるが、フンドシといい、ハラキリといい、なんだか振付家の趣味嗜好を感じさせる場面だった。
最後はもちろん討ち入り。師直の首をとった後、幕府の詮議などはいっさい省略して、すぐさま全員が腹を切る。いってみればハラキリという名の群舞で終幕。
振付家のモーリス・ベジャールは亡くなってしまったけれど、こうして作品はいまも上演される。いつかまた見てみたい。
背伸び王(キング)
コマツ企画
小劇場 楽園(東京都)
2010/04/21 (水) ~ 2010/04/25 (日)公演終了
満足度★★★
天使はセラピスト
男優による70分あまりの4人芝居。コマツ企画はこれが2度目の観劇。前に見たものよりはだんぜん面白かった。
ネタバレBOX
小劇場楽園という場所には初めて来た。今はなき渋谷のジャンジャンに似た客席の形。ただ、左右の客席を隔てているのは鋭角的な壁ではなく、太い柱1本なので、ジャンジャンとは違って向こう側の客席の様子もある程度わかる。
そんないっぷう変わった場内のつくりを利用して、役者2人が出入り口の階段を上がって外へ出て行き、ぐるっと回って舞台奥の扉から現れたりした。舞台から客席側へ降りてくるときには変な効果音がして、舞台と客席の間にまるで結界が張られているようでもあった。
出だしは薄暗い場所に男がひとり立っていて、床には3人が倒れている。一人が目を覚ましてすでに起きている男と話すうちに残りの二人もやがて目覚める。どうやらそこはあの世とこの世の境目のような場所で、4人は肉体から離脱した霊魂のような存在らしい。
そのあと男たちは寸劇めいたやりとりで自分たちの身の上やら経歴やら家族やらを明らかにしていく。ここは稽古場でエチュードをやりながら作ったような印象を受けるし、日によってはアドリブめいたこともやっていたのではないだろうか。コマツ企画のメンバー3人に対して、客演の佐野功がやや押され気味に見えたが、それが計算の範囲だったということが終盤になってわかる。
実はコマツ企画の3人(本井博之、川島潤哉、浦井大輔)が演じているのは天使の役。序盤で本井の私物が入っているとされた鞄には白い小さな天使の羽根が入っていて、仕事を終えた3人が最後にそれをつけるところで終演になる。彼らの仕事というのはつまり、セラピー的な寸劇に佐野を巻き込むことで彼に自省を促し、再びこの世で生きる決意をさせ、彼をそちらへ送り返すことだったのだ。
天使の人助けというのが話の大枠で、人助けのための具体的なセラピー方法はもちろん脚本もあるのだろうけど、役者がけっこう知恵を出して作ったのではないだろうか。
武蔵小金井四谷怪談
青年団リンク 口語で古典
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/04/17 (土) ~ 2010/04/29 (木)公演終了
満足度★★★
続けてほしいシリーズ
ハイバイの岩井秀人による「口語で古典」シリーズの第2弾。
今回は2本立てで、前半は「四谷怪談」を現代化した4人芝居。後半は落語のいわゆる「廓噺」を、作者が大阪の風俗店(@飛田新地)で体験した話に置き換えての3人芝居。
ネタバレBOX
「武蔵小金井四谷怪談」
四谷怪談のあらすじを奥の壁に映写しながら、それと微妙に対応する現代劇が舞台に展開する。恋人役の古屋隆太と荻野友里。荻野の父親役の猪俣俊明。古屋による父親殺しを目撃して、それをネタに彼を脅迫する端田新菜。古典のストーリーがうまく現代劇に重なっていて、このまま最後までずっとやってくれればいいのにと思ったが、実際には端田に脅されて古屋が第2の殺人を犯すあたりで原作との関わりは消えてしまい、再び最初のやりとりにもどって同じ出来事が別の角度から新たな真相を交えて描き直されるという展開になる。そこはハイバイの名作「て」で使われたのと同じアイデアだなと思う。
個人的には最後まで原作をなぞる形で現代化された芝居を観たかったので、途中から二重構造になってしまったのがちょっと残念だったが、それでも役者4人の演技が抜群に面白かったので別に文句はない。
「口語で古典」の1作目「おいでおいでぷす」といい、2作目の今回といい、父親殺しが作品の重要なモチーフになっているが、これは「て」で描かれた作者岩井秀人の複雑な家庭環境の反映と見なすこともできる。
「落語 男の旅 大阪編」
こちらは山内健司、石橋亜希子、猪股俊明の3人芝居。大阪の風俗店に男3人で訪れた作者自身の体験談という体裁で話が進行する。一応、山内が作者の岩井役。男3人の話なのに、女優の石橋がそのうちの一人を演じるというのが強引というか、人を喰っている。石橋は結婚後初の舞台らしい(おめでとうございます)。出演者は3人だが、風俗店の女の子や付き添い?のおばさんなど、出演者の数を越える人物が登場する。そしてそれを役者3人ですべて演じてしまう。しかもきちんと役を分担するのではなく、かなり恣意的に役をシャッフルして演じる。店の女の子とおばさん、そして客の男。これを二人で演じたり一人で演じたり。この辺の入れ替わりはかなりめまぐるしい。観ているうちに思ったのは、以前、岩井秀人が役者として出演したことのある多田淳之介の「3人いる!」という芝居。あそこでも役者と役がかなり複雑に入れ替わっていた。
落語というのがもともと一人でいろんな役を演じ分ける芸なので、役者3人で役を演じ分けたからといって、それで落語を上回ったとはいえない。個人的な感想としては、落語を演劇化するなら、やはり役者も一人芝居で演じてこそ、落語の芸に拮抗したといえるのではないだろうか。
八百長デスマッチ/いきなりベッドシーン
柿喰う客
タイニイアリス(東京都)
2010/04/15 (木) ~ 2010/04/18 (日)公演終了
満足度★★★
年齢不相応
玉置玲央と村上誠基の二人芝居&七味まゆ味の一人芝居。どちらも面白かった。男は小学生を、女は高校生を演じる。
ネタバレBOX
「八百長デスマッチ」は男優の2人芝居。上演時間は30分ほど。芝居の大半は二人が同じ台詞をしゃべっている。二人同時にしゃべるところでは、村上が玉置に合わせているようだ。まるで息の合った歌のデュオのよう。
演じる役はピカピカの小学1年生。何から何まで言動が瓜二つの二人。いわばドッペルゲンガー。
機会均等、人間みな平等。ピカピカの小学1年生を迎えるそんな理想主義がやがて現実によって打ち砕かれる。この芝居の場合だと、二人の好きになった女の子がどちらか一人を選んだのがそのきっかけ。
だけど、振られたあいつを選ばない女なんて、こちらから願い下げだといって、また男同士の関係が復活する。そんなストーリー。
「学芸会レーベル」では幼稚園児を登場させたくらいだから、小学生の生態を描くなどは作者の中屋敷法仁にとって朝飯前なのかもしれない。縦笛、おもらし。遠い記憶のひとコマ。
吉本興業の間寛平と池乃めだかのコントで、相手のいったことを必ず繰返すというルールを決めたうえで行われる可笑しなやりとりを見たことがあるが、あれをふと思い出したりした。
七味まゆ味の一人芝居「いきなりベッドシーン」はこれが2度目の観劇。明るく地獄へまっしぐら、青春残酷物語。そんなストーリー展開を多彩な台詞回しと動きで演じている。上演時間は40分ほどだが、役者にとってはかなり過酷なパフォーマンスだろう。担任教師や親友などほかの登場人物もきちんと演じ分けているし、照明も非常に効果的。物語の悲惨さが前回よりも強く迫ってきた。
バットシェバ舞踊団『MAX マックス』
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)
2010/04/15 (木) ~ 2010/04/17 (土)公演終了
満足度★★★★
面白さもマックス
3日間公演の真ん中に見て、見終わったとたんにまた見たくなったので、翌日の楽日にも見てきた。
ダンサーは男女5人ずつ。中身の濃い1時間。
客席側からの青みがかった緑の照明と、舞台両サイドからの朱色がかった赤い照明が、歓楽街のネオンを思わせる不健康な色でダンサーの体を染める。
前回の「テロファーザ」ともだいぶ趣が違う。音声もいくらかは入るが、無音で動く場面もけっこうある。
独特の動き。ダンスとはなんぞや、みたいなことを考えさせられたという意味で、久々に頭を刺激する作品。もちろん普通にダンスとして眺めても面白かった。
ネタバレBOX
終盤で、1から10までを外国の言葉でカウントする声に合わせて、ダンサーが踊るところがある。数え方は「1」「1、2」「1、2、3」というふうに、数えるたびに数字を一つ増やしていき、最後に1から10まで数えたところでまた「1」にもどるというもの。
いっぽうダンサーは、10個の数字に対応する10通りのポーズ(静止した状態での体のフォルム)を用意していて、カウントされる数字にしたがってそれに対応するポーズを次々に決めていく。
この一連の動きを見ていて感じたのは、この作品でオハッド・ナハリンがやっているダンスの振付が、通常のものとはちょっとちがうのではないかということ。
ダンスの振付というと普通は体のいろんな部位をどういう方向に、どういう速度で動かすかを決めることのように思うが、極端な話、ナハリンのこのダンス作品の場合は、10個のポーズさえ決めれば、あとはカウントするスピードに合わせてそれをつなげるだけで、ダンスの振りとして成り立っているように思えるのだ。
2つの点を決めればその間に引かれる直線はおのずと決まる。通常の振付がどこへ線を引くかを考えることだとしたら、ナハリンの振付はむしろどこへ点を打つかが重要なのかもしれない。
その応用編として、たとえばダンサーがジャンプする場合は、空中でのポーズと、ジャンプの前後の着地点という3点を決めればいいわけだし、回転運動の場合は、上下左右あるいは前後左右の4点を決めれば、あとは体にもっとも負担の少ない、効率的な線がおのずと生まれてくる。
flat plat fesdesu
Crackersboat
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/04/07 (水) ~ 2010/04/13 (火)公演終了
満足度★★★
Cプロを見る
発起人:KENTARO!!とクレジットされているが、要するにKENTARO!!のプロデュース公演ということでいいのだろう。ABC、3つのプログラムのうち、Cプロを見る。
前半は白井剛とSKANKによる「THECO(ザコ)」という作品。以前、同じタイトルで別のミュージシャン7名と白井が共演したのを見たことがあるが、内容的にはまるで違うものだった。ダンサーの白井がいろんなミュージシャンをゲストに迎えて即興的なセッションをやるという企画なのだろう。ほかにも野村誠やアルディティ弦楽四重奏団とも共演している。ただし、今回がいちばん物足りなかった。舞台が狭いというのも一因かもしれない。
後半はKENTARO!!が主宰するダンスグループ、東京ELECTROCK STAIRSの「短い夜のS.F」、「ジョウネツたましい~B-DASHに捧ぐ~」とKENTARO!!のソロ「ゆうべのこと」という作品。
何組かが登場するダンス公演の、その出演者の一人という形で、KENTARO!!の作品は過去に3度くらい見ている。今回、たぶん大きく進化したんじゃないだろうか。初めて、単独公演を見たいと思うくらいに面白かった。秋にはアゴラ劇場で11日間のソロダンス公演をやるそうなので、今から大いに楽しみ。
TheStylezすたいるず+ 2010live
TheStylezすたいるず
アトリエフォンテーヌ(東京都)
2010/04/02 (金) ~ 2010/04/03 (土)公演終了
満足度★★★
バラエティ・ショー
前半は日本舞踊とHIPHOPの二人組、すたいるずの作品をいくつか。前に一度見ているので、内容はほぼ予想の範囲だったが、やっぱり見ているうちにニヤニヤしてしまう。同じ音楽、同じ振りで踊っているのだけど、日舞の動きには微妙なタメがあるようで、同時に踊りだすときでもわずかに遅れ気味になる。その辺のズレがHIPHOPとの対比でよくわかった。本人が真剣に踊れば踊るほど、組み合わせの突飛さがますます際立って、日舞の堅苦しさが一気に溶けてしまうところにカタルシスがある。そんな可笑しさ。
後半はいろんな分野からゲストを招いて、主にミュージカル仕立てのバラエティ・ショーを展開した。ミュージカル「コーラスライン」のオーディション形式を借りて、ゲスト紹介をしたのがうまいやり方。
笠井晴子はコンテンポラリー・ダンスの人で、先日の近藤良平の作品にも出ていたという。
岡本摩衣子はミュージカル「アニー」に出演したことがある。歌唱力のある人。
西川一右は日本舞踊の一派、西川流の若手で、すたいるずの花柳輔蔵の仲間。
片山"danny”茂樹は氷川きよしのステージでバックダンサーを務めたりして、すたいるずの古賀崚暉(りょうき)と同じくHIPHOPのダンスもこなす。
ウエストサイドやら雨に唄えばやらオペラ座の怪人やら、有名なミュージカル作品の名場面をいろんなアレンジで見せてくれた終盤が特に楽しかった。
雑貨屋のドン・キホーテで売っていたという電動式の笑い転げる虎の人形。これが思わぬ効果を発揮して、人間の演技を喰ってしまうくらいの絶大なインパクトがあった。
スリープ・インサイダー(ありがとうございました!またいつか!)
boku-makuhari
アトリエヘリコプター(東京都)
2010/03/26 (金) ~ 2010/03/31 (水)公演終了
満足度★★★★
化ける
観劇後、1週間が経ってしまった。どうも感想の書きにくい作品。
2部構成、どちらも上演時間は1時間強。役者は4人。奥田洋平、青山麻紀子、高屋七海、佐藤幾優。
役者がしゃべる台詞のやりとりを聞いていても芝居の状況や人物の設定が最後まではっきりわからないという意味では難解な作品だった。たとえば阿佐ヶ谷スパイダースの「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」なんかは、難解さが見る側にとってかなりストレスだったけれど、この作品のわかりにくさはそれほど苦痛ではない。
プログラムに載っている作者のあいさつ文によると、ストーリー(物語)を得ようとすると転覆するおそれのある作品らしい。音楽やダンスや絵画のように、全体を眺めてそこから浮かんでくる個人的な感覚や思いに浸ってほしいと作者はいっている。
青年団に在籍していた頃から、岩崎裕司の作品には青年団的なリアルさには収まらない、内省的な要素が強く感じられたので、舞台装置も抽象的な、あるいは簡素なものがいいと思っていたのだが、青年団を辞めてから4年ぶりとなる今回の作品では、こちらが期待した以上に抽象度が高まっていて、興業的、商業的にそれがプラスになるかどうかはわからないけれど、個人的にはものすごく魅力的な作品に仕上がっていた。特に前半の二人芝居は奥田洋平と青山麻紀子のベスト・アクトといってもいいのではないだろうか。
絵画にたとえれば、それまでずっと写実的な絵を描いてきた人が、ある日突然、抽象画を発表したような変身ぶりといえる。なにはともあれ、次回作が楽しみで仕方がない。
夕焼けとベル
カムヰヤッセン
王子小劇場(東京都)
2010/04/03 (土) ~ 2010/04/11 (日)公演終了
満足度★★★
罪深い島
初見の劇団。作・演出の北川大輔は、去年のクロムモリブデンの公演「不躾なQ友」で、帰国子女の刑事役を演じていた大柄な人。今回は出演していないが、刑事ドラマの要素が入っているところがクロムの芝居との繋がりを感じさせる。しかもかつてクロムモリブデンのメンバーだった重実百合が出ているので、ますます因縁を感じさせる両劇団の関係。
ネタバレBOX
ストーリーはけっこう面白いが、描き方にはちょっと変なところがある。
ある離れ小島が舞台。冬には雪も降るらしいから南のほうではない。たしか北陸だといっていた。いずれにしても架空の場所。島内の一区域には、独自の風習を持つ下賎なものとみなされている部落がある。
ローカル色を出すために、一部の役者は方言をしゃべっていた。しかもドラマの中の人物関係を無視して九州や関西の方言がアナーキーに入り乱れる。たぶん役者の出身地に合わせて彼らが得意な方言をしゃべっていたのだろう。親が九州弁なのに娘が関西弁をしゃべるというような場面があった。
にもかかわらず、それが芝居を楽しむ上であまり障害にはなっていないというのが逆に不思議だった。
島内の特殊地域では、近親相姦によって父親と娘の間に子供が生まれることも珍しくない。姉妹のうち、妹はそうやって父親の子供を産み、産めなかった(産めない体だった)姉は島を出る。この辺のおぞましい土俗的な雰囲気は、劇団乞局の作品を連想させる。
都会へ出た姉がやがてテロリスト?になり、事件を起こしたあと仲間とともに島へ逃走してくる。たまたま旅行で島に来ていた女刑事がそれに気づくが、島に駐在する警官の家族が人質になる。
奇妙な形の舞台装置。畳を敷いた座敷ふうの舞台の三隅に柱が立つ。座敷の周囲は海岸めいた岩場。さらに三方を客席が囲んでいる。話の展開にしたがって、舞台はいろんな場面に変わる。座敷として使われているぶんには別に変だとは思わないが、次の場面では土足のままで登場人物たちが畳の上を歩いたりするので、もう少し抽象的な、いろんな場面に応用可能なセットのほうがよかったのではないだろうか。
出演者は14名。そのうち知っているのは重実百合と劇団競泳水着の川村紗也だけ。川村は競泳水着の前回公演に続いてちょっと怖い役を演じている。いっぽう、重実は小学生の子供役。これはあくまでも非常に個人的な印象だけど、なんとなくナイロン100℃の犬山犬子に似ている気がした。
止まらずの国
ガレキの太鼓
サンモールスタジオ(東京都)
2010/03/25 (木) ~ 2010/03/30 (火)公演終了
異国の空
初見。前回がマンションでの覗き見公演だったから、今回もさぞかしナチュラルな芝居が見られるんじゃないかと勝手に期待したのだが、残念ながらテンパったときの役者の演技が大袈裟すぎて、いささかゲンナリしてしまった。
ネタバレBOX
芝居が始まると、壁にかかっている肖像画にアラブの民族衣装を着た人物が描かれているのが見えたので、舞台が中東のどこかの国だろうということはわかったが、開演前に流れている音楽は、実際には中東の音楽なんだろうけど、なんだかスコットランドのバグパイプの演奏のように思えた。
芝居は平田オリザの「冒険王」に似た設定で、日本人旅行者が宿泊する旅先の宿が舞台になっている。平田作品では外国が舞台であるにもかかわらず外国人はまったく登場しなかったが、この作品では現地のアラブ人や旅行者の韓国人が登場するし、言葉も現地語や英語の入り混じったものをしゃべっている。珍しいと感じたのは、その外国人の役を日本の役者が演じていること。アラブ人を演じるときにはきちんとメイクで顔を黒く塗っている。
作者の舘そらみは1年間の世界一周の旅をした、とチラシに書いてある。実際、旅先の宿でのディテールにはその経験が反映されているようだった。旅行者同士が用不要になったいろんな品物をやり取りするというのもその一つだし、10年も前のガイドブックが持ち主を替えながら今だに活用されていたりする。これからその国へ出かける人と、その国からやって来た人との間で紙幣の交換が行われるというのも旅行者らしい知恵だ。パスポートと金銭を肌身離さず所持しておくというのは海外旅行者にとってはむしろ初歩的な教訓かもしれない。
いずれは日本に帰るという現実をどこまで引き伸ばせるか、そんなモラトリアムな時間を過ごしているのが、一般的な長期海外旅行者だとすれば、もはや故国が帰る場所ではなくなってしまった仙人のような旅人もいる。
作者の海外体験に基づいた芝居という意味で、前半はそれなりに楽しめたのだが、後半では旅先の政情がにわかに不穏になって、旅行者たちはまるで籠城するように宿泊施設で孤立してしまう。
外には戦車や兵士があふれ、ときには銃声めいた音が響く。さらには空爆のような轟音と光。宿を経営するアラブ人はいつのまにか姿を消し、上の階の宿泊客もみんないなくなっている。
アメリカ軍によるイラク戦争でのバグダッド空爆を連想させる場面だった。おそらくここは作者自身の実体験ではないだろう。一夜明けると街はお祭りムードに包まれて、昨夜の緊迫感がまるで夢のように思われる。
海外旅行者がいつ戦争に巻き込まれるかもしれない危険を抱えていること、それにひきかえ、そうした危険に対する日本人の意識の低いこと。作者が描きたかったのはその辺ではないだろうか。
ただ、政情不安な国を旅するとき、旅行者はその辺の情報にもっと敏感ではないのかという疑問を感じる。携帯電話を持っているなら、日本からの情報も得られるはずだし、宿のアラブ人経営者や上の階の宿泊客が何も告げずに姿を消すというのはちょっと水臭いのではないだろうか。昼間は平和そのもので、夜にいきなり戦争状態というのは、いくらなんでも唐突すぎると私には思えた。
モグラの性態
ぬいぐるみハンター
参宮橋TRANCE MISSION(東京都)
2010/03/25 (木) ~ 2010/03/31 (水)公演終了
満足度★★★
無料で観劇、略して観無料
初見の劇団。コリッチのチケットプレゼントに応募したら当たってしまった(しまったってこともないが)ので、早速見てきた。クジ運の悪い私が当たるくらいだから、席にはだいぶ余裕がある模様。ストーリーに勢いがあるし、役者も悪くないので、ただで見させてもらった御礼もかねて、オススメしときます。
内容は小劇場に若手劇団が存在するかぎり永遠になくならないんじゃないかと思う、いわゆる童貞コメディ。
ネタバレBOX
壁をおおいつくすポスターやチラシ。ゴミが散らかり、古びた家具が置いてある、そこは学校の部活の部室。なんの部活かは部員たちにもわからなくなっている。いきなりフォアグラだかフェラチオだかの場面から始まるあたりは、ポツドール的な内容かと思ったが、舞台下手の盛り土からモグラの着ぐるみを着たキャクラターが現れたので、最初の予想は裏切られた。
童貞部員4人(安藤理樹、川口聡、平舘宏大、猪俣和磨)の熱くて愚かしいやりとりを軸にしつつも、話の設定にはちょっとSF的というか荒唐無稽なところがある。学校には援助交際をする女子グループが校長の許可を得て部活に昇進したり、フロリダではコンドームの開発チームが男女関係のもつれから全世界にエイズを広めてしまったり。
周りの役者の反応から判断して、一部にはアドリブで台詞をしゃべっている役者もいるようだった。演技のスタイルも話の展開も、いろんな要素が混じっていてちょっとつかみ所がないのだが、役者陣の好演もあって、最後まで面白く見られた。
アンナ・カレーニナ
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2010/03/21 (日) ~ 2010/03/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ダイナミック
トルストイの小説を原作にしたバレエ作品。ボリス・エイフマンの振付で2005年に発表されたもの。
「アンナ・カレーニナ」はずいぶん昔、ソ連の映画を見たっきりで、内容もよく覚えていなかったので、開演前にプログラムを買ってあらすじに目を通しておいた。要するに、ヒロインが夫と幼い息子を捨てて、不倫相手のもとへ走るが、一時の情熱が過ぎるとしだいに後悔が湧いてきて、それによって精神に異常をきたして自殺するという話らしい。
主要な登場人物は妻、夫、愛人の3人。彼らのソロ、デュオ、トリオによる踊りによってドラマが進行する。一方、背景となる群集の場面もそれぞれが群舞になっていて、3人のドラマの背後や合間に踊って雰囲気を盛り上げた。
ヒロインのアンナ役はニーナ・ズミエヴェッツ。大柄で骨太。バレリーナにしては肉付きが良く、一見重そうな印象だが、体は非常にやわらかくて、テンポのいいエイフマンの振付を的確にこなしていく。多彩なリフトが素人目にはずいぶんむずかしそうに見えるのだが、相手役の男性ダンサー2人(夫:セルゲイ・ヴォロブーエフ、愛人:オレグ・ガブィシェフ)との息もぴったりで、上げるほうも上げられるほうも楽々とやっているように見えた。
音楽はチャイコフスキーの曲を中心に、場面ごとにちがう曲を流していた。ナマのオーケストラはなく、音は録音。
女1人男2人の三角関係という設定がもともと非常にドラマチックなので、おおまかなストーリーさえ頭に入れておけば、今がどういう状況設定かということはダンサーの踊りだけで十分に伝わってくる。初めて見るボリス・エイフマンの振付が面白いし、群舞を含めたダンサーの動きも良かったので、期待せずに見始めたわりには最後まで飽きずに引き込まれた。
プログラムによると、ボリス・エイフマンの振付作品にはドストエフスキーの「白痴」や「カラマーゾフの兄弟」、チェーホフの「かもめ」などロシア文学を原作にしたものがいくつかある。面白いかどうかはわからないけど、いったいどんなふうにバレエ化しているのかという興味だけでとりあえず見てみたくなる。
ブロウクン・コンソート
パラドックス定数
SPACE EDGE(東京都)
2010/03/19 (金) ~ 2010/03/22 (月)公演終了
犯罪ドラマは熱さよりもクールさを旨とすべし
SPACE EDGEという場所は、もともと工場かなにかだったのだろうか。五反田のアトリエヘリコプターの雰囲気にちょっと似ている。これまでに2度ほど、パラドックス定数の芝居で来たことがあるが、今回はこれまでの上演場所だった奥へは入らずに、以前は受付があった手前のスペースに客席を設けている。
話の内容も、今回は歴史的、社会的な事件を背景にして男たちのドラマが展開するという得意のパターンではなく、拳銃の密造工場に出入りするヤクザ、刑事、工員、殺し屋のやりとりを描いている。
私が見始めた当初、パラドックス定数の芝居の登場人物はもっぱら黒いスーツの男たちだった。その辺のこだわりから、クェンティン・タランティーノ監督の映画「レザボア・ドッグス」を連想したこともある。そして今回は拳銃が絡んだ悪いやつらの物語だということで、いよいよ「レザボア・ドッグス」みたいなギャング物が見られるのではないかと期待したのだが、残念ながら本編はクールな犯罪アクションからは程遠い内容だった。別に作り手のせいではなく、勝手にそういうものを期待した私が悪いんだけど・・・
それに、人物や状況の設定がちょっと現実離れしすぎている気がした。青山学院大学に通う学生の殺し屋というのもちょっとぶっ飛びすぎているし、日本にも悪徳警官はいるかもしれないが、拳銃の密売を賄賂をもらって黙認するというのはちょっと考えにくい。仮にいたとしても相棒の刑事までがそれをとがめないというのはありえない気がする。劇中では銃声も何度か響き渡るが、それに対しても登場人物たちはみんな警戒心が薄い。警察に通報される危険があるということに無頓着すぎる。拳銃の密造をする工員にしても、たとえ家族だからといって知恵遅れの兄を犯罪行為に引き込むのはリスクが大きいとは考えないのだろうか。犯罪に手を染める者は犯罪が露見する危険性に対して、もっともっと過敏で用心深くなければ、見ているほうも面白くない。
イデソロリサイタル
青山円形劇場
青山円形劇場(東京都)
2010/03/18 (木) ~ 2010/03/22 (月)公演終了
コスプレ・ダンスショー
井手茂太のソロダンス。約1時間ほど。ちょっと変わったステージのかたち。普段は客席になっている部分の半分がステージで、残りの半分はふつうに客席。そして中央の円形舞台も客席になっている。
だからステージは弧を描いていて、背後の壁には普段は観客が出入りする両開きのドアが4つも5つも並んでいる。それを盛んに利用して、神出鬼没のコスプレショーを展開した。
最初は映像でもみたことがあるスーツを着たサラリーマン。次は歌舞伎で見かける白い獅子の毛皮を頭にかぶり、ふさふさの長い尻尾をぐるぐると回してみせる。次はキャリーバッグを引きずりながら仕事に向かう飛行機パイロット。並べた椅子は機内の客席に見立ててある。あぶない操縦で事故った模様。今度は長いテーブルの前で会社側の謝罪会見。ジャンパーの色を変えれば被害者の代表にもなる。壁に立てかけたモップは仕事を終えてテレビを眺める清掃員か。そのほか着物姿の演歌歌手、ぬいぐるみを抱えたラグビー選手、マントとマスクのレスラーめいた怪人などにも扮装した。
踊りそのものは少なめで、ちょっと物足りない気もしたけれど、本格的な踊りはイデビアン・クルーのほうで、と割り切って、半ばコントのようなダンスショーを気軽に楽しんだ。
公演中に舞台から落ちたという情報も耳にしたが、楽日のこの日は元気そうに動いていた。
ショーメン
Co.山田うん
スパイラルホール(東京都)
2010/03/13 (土) ~ 2010/03/14 (日)公演終了
満足度★★★★
赤シャツ茶髪
舞台の四方に客席を設けるという、なかなか珍しい形のダンス公演。舞台は長方形の白い床。客席は長い辺に3列、短い辺に4列。開演前、どこに座ろうかとかなり迷った。
ネタバレBOX
ダンサーの編成は男6女5。全員が金髪茶髪で、形はいろいろだが一様に赤いシャツを着ている。開演の15分くらい前に登場して、ウォームアップを兼ねた感じで開演時間まで動き回った。白い床に金茶の髪、赤いシャツというのがなかなかポップな色彩感。
雑然と、思いおもいにダンサーが動いているその中央付近で、任意の二人が激しく動きながら体を接近させる。近づきつつ、接触・衝突をかわしながらの相当すばやい動き。
たとえばストリートダンスで、大勢が円陣を作り、その輪の中でダンサーが一人ずつ踊りを披露して技を競うというスタイルがある。開演前のパフォーマンスにはそれに近いものを感じた。
今回はなにしろ、ダンサーの周り全部が正面だというコンセプトでダンスを作っているので、見る側もついそういう意識で見てしまう。
開演前のかなり活発な動きに反して、開演直後は意外なほど静かな展開になる。いろんな向きで静止したままのダンサーたち。そのうちの二人、三人が動きを合わせて徐々に動き出す。
四方の客席の角のところが4つの通路になっていて、ダンサーはそこを通って盛んに出入りを繰り返す。
開演前のパフォーマンスを除けば、上演時間は60分ほど。前半はダンサーの動きも緩やかで、まるで白い床に配置されたオブジェのよう。
舞台にいるダンサーというのは、人間の形をしているという意味では具象そのものだが、床の上で丸まって蠢いたり、抱き合った二人がまるでダンゴ虫のように転がることで俄然、抽象性を帯びてくる。四方に観客がいるという観点からすると、白い床の上でゆっくりと変化するダンサーの体を見せるこの前半は美術のインスタレーションに近いのかもしれない。美術館に展示された彫刻などは、どこが正面というわけでもなく、観客が作品の周囲を移動しながら眺めることが多い。ダンスの場合は観客が移動しなくても作品のほうが動いてくれる。
後半になるとだんだん動きが活発化する。シンプルな、力強いリズムで全員が踊りだす終盤では、民族舞踊というか盆踊りというか、作品として特に正面を意識することもない、ワイルドな群舞になる。
実際のところ、舞台の四方に客席を設けるというのは、観客よりもダンサーの意識への影響のほうが大きいだろう。
一観客としては、踊る側の心理などはなかなか想像もつかないが、ステージを客席が囲む形のパフォーマンスについて、この作品を見た後であれこれと考えた。
演劇では青山円形劇場というのが周囲客席型の代表だろう。ただ、演劇は台詞をしゃべるので、役者が後ろ向きになったりすると声が聞きづらくなるし、役者の表情が見えなくなるので、四方が客席というのは基本的には演劇向きではない。
スポーツ観戦の場合は、相撲にしろ、野球にしろ、アイススケートにしろ、体操にしろ、周囲どこから見てもそれなりに楽しめるし、正面をそれほど意識することもない。
ダンス作品の場合は、声は基本的に発しないから正面に観客がいる必要はない。ただ、ダンサーの表情が作品にどれほどの重みを持つかによって、正面の重要さは変わってくるかもしれない。とはいえ、終始後ろ向きで踊られたら、それはかなりイヤだろう(笑)。
山田うんのダンス作品の場合は、感情表現よりも、体の形と動きの面白さを追求するという面が強いので、今回のような四方客席型の上演でも不足感なく見られたのだと思う。
赤い薬
MONO
赤坂RED/THEATER(東京都)
2010/03/06 (土) ~ 2010/03/16 (火)公演終了
満足度★★★
現代丁寧語演劇
今年の1月末に、青年団リンク・二騎の会が「F」という芝居を上演した。内容は新薬開発のための臨床実験に被験者として志願した娘の話。偶然だろうけど、MONOが12年前に初演した今回の芝居にも、やはり臨床実験の被験者たちが主人公として登場する。
MONOの芝居では、役者の言葉使いに独特なところがある。
独自の方言を使うというのもその一つだが、今回は方言ではなく、「です、ます」調の丁寧語をしゃべっている。「あなた」「わたし」を使い、ものを頼むときには「~ください」という。
青年団の芝居を現代口語演劇だとすれば、MONOの芝居はさしずめ現代丁寧語演劇といえるかもしれない。もともと京都を本拠地とする劇団だし、メンバーにも関西(というか西日本)出身が多い。関西で現代口語演劇をやろうとすればそれは関西弁になるわけで、MONOの芝居を見ていると現代口語演劇というのが関東のものだということをあらためて意識させられる。
ネタバレBOX
医療センターの休憩室みたいな場所が舞台。雰囲気的には青年団の「S高原から」に近いかもしれない。
身寄りがなく、経済的にも困っている男4人(水沼腱、奥村泰彦、尾方宣久、土田英生〉が被験者。いじっぱりの水沼と、お城マニアの奥村が変な人で、尾方と土田は常識派。4人とも派手な柄のパジャマを着ている。
新人の医師(金替康博〉と看護婦(山本麻貴〉を加えた総勢6名の芝居。医師と看護婦は10年来、不倫の関係にある。金替の演じる医師の駄々っ子ぶりはかなり誇張されていて、普通ではちょっとありえない漫画っぽさ。イライラが高じるとすぐにスリッパを脱ぐ癖がある。
ある日、実験用の薬が赤い色のに変わる。するとその効果で被験者たちは異様にポジティブになる。お城マニアの奥村などはもともと看護婦に気があったのだが、いきなり婚姻届を作成してしまうという暴走ぶり。
ところがその薬の効果が消えたとき、今度は一転して廃人のような無気力状態が襲ってくる。
被験者のうち、奥村、尾方、土田にそんな症状が現れるいっぽうで、日ごろから薬の服用や採尿をわすれることの多い水沼だけは難をまぬかれる。
登場人物の中でいちばんまともかもしれない看護婦が病院の実験に疑問を持ち、彼らを救おうとする。
医師に睡眠薬を飲ませ、そのすきに病院から脱出させようとするのだが・・・
10年来の不倫関係も、被験者を廃人に追い込むかもしれない臨床実験も、描きようによっては悲惨な話だが、MONOの芝居ではあくまでもコメディ・タッチ。医師と看護婦が演じる愛憎の修羅場では、二人の間にお城マニアの奥村がポツンと取り残されて、動くに動けず呆然としてしまうところがやたらと可笑しかった。
木佐貫邦子+néoダンス公演 -空、蒼すぎて-
木佐貫邦子
吉祥寺シアター(東京都)
2010/03/11 (木) ~ 2010/03/13 (土)公演終了
満足度★★★
約90分
木佐貫邦子と彼女の教え子6名の公演。上村なおかと入手杏奈は前に見たことがある。楠美奈生、板垣朝子、井上大輔、辻田暁は初。
これまでにも何度か見ているはずだが、木佐貫邦子のダンス作品としては今回がいちばん面白かった。
すべてのダンスを木佐貫が振付しているわけではなく、木佐貫メソッドみたいなものを学んだうえでダンサーそれぞれが自分のダンスを踊っているという感じだった。ソロやデュオのダンスを並べながら、ところどころで群舞が入る。また群舞でも各自が自由に動くところと、ユニゾンで動きをそろえるところがある。ダンサーの動きそのものとは別に、ダンスの見せ方というか構成の面で、飽きさせないように工夫されていた。
ハコブネ【作・演出 松井周(サンプル)】
北九州芸術劇場
あうるすぽっと(東京都)
2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了
過剰な毒
人間模様を毒気たっぷりにサンプリングする松井周の作品。今回は工場の単純作業に従事する人々がそのターゲットだった。
北九州芸術劇場プロデュース公演ということで、いつものサンプルの作品に比べると、古舘・古屋が出演しているとはいえ、出演者の演技面ではイマイチな感じがあった。
ネタバレBOX
舞台の奥には積み上げられたコンテナ。工場の作業時間にはローラ-式のコンベヤーが舞台中央に設置される。
仕事の具体的な内容は不明。コンベヤーをひたすら往復するダンボール箱の動きが作業の単調さを強調する。
舞台装置を見ているうちに、ヨーロッパ企画が上演した芝居「火星の倉庫」や「インテル入ってる」を思い出した。どちらもSF的な設定ではあるが、単純な肉体労働に従事する若者たちの姿をコミカルに描いたものだった。
単純な肉体労働がつまらないことは誰だってわかっている。それをトホホな感じでコミカルに描くか、みじめな状態として皮肉をこめて描くかは、作り手の資質・気質の違いによるところが大きいのだろう。
政治権力とかカルト宗教といった大きな力を持つ存在に対しては、風刺や戯画化という表現は有効だと思うが、単に工場の労働者の生態を描くのに、これほどの毒気や悪意は必要だろうかという疑問を感じた。