エンドルフィン
モノモース
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/05/24 (水) ~ 2017/05/29 (月)公演終了
満足度★★★★★
一台のスマートフォン。そこに録音された音声を男が再生する。どうやらある会議の席上のようだ。
聴こえてくる声の主は、ゴミの島に捨てられた少年。「旧・希望の島」あるいは「絶望の島」と呼ばれるそこは、合法非合法の廃棄物におおわれた場所であった。
捨てられ、傷つき、飢えた少年の生きるための戦いが始まる。
スマートフォンに残された彼の声は、過酷な生と痛みをありありと描き出していく。
語られる出来事は無惨だけれど、舞台上での描き方はむしろ抑制が効いている。血糊が飛び散ったりしないし、たくさんの布が重なり合う美術はどこか寓話めいているし、照明も音響もむやみに感情を煽るものではない。
なのに、少年の言葉はあまりにも生々しく響いてくる。
会議室でその声を聴く人々の冷めた会話。聴かせる男の目的と作為。それらのざわつく肌触りと、少年の発する言葉のギャップにも揺さぶられる。
観ているうちに、ある場面で突然気分が悪くなった。目の前が暗くなり冷や汗が吹き出す。
精神の緊張がこんなにストレートに身体の反応を呼び覚ますなんて、自分にとっては初めてのことだった。
舞台上で起きている出来事そのものより、劇中の彼の孤独が、そして予想される行為のもたらす痛みが胸を締めつける。
席を立つ……という選択肢が一瞬頭をよぎったが、続きが恐ろしいのと同じくらいその先が気になって立ち上がることもできない。
彼の語る記憶は、過酷さを増しつつ、ひとつの出逢いを境にその性質を変えていく。
ニイナという少女。目の見えない彼女を、少年は守ろうとする。
それまでの彼の生と、彼女と出会ってからの日々は、まったく別のものとなっていた。
もう、孤独ではない。
少年を呼ぶ彼女の声、共に生きようとする彼女の意志、彼女の弾くピアノの音。
飢餓も痛みも耐えられる。彼女さえここにいてくれたら。
もっと惨い展開はいくらも考え得るだろう。けれどそういう道を選ばなかった少年の、想像を絶する痛みの向こうにある種の甘やかな想いがある。それを愛と呼ぶにはあまりに切実すぎるけれど。
わずか85分の中に、切り取られ鮮やかに浮かび上がるひとつの生命。ひとつの世界。言葉にできない確かなものを受け取った気がした。
誰がために壁はある
曲がり角ランデブー
新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)
2017/05/19 (金) ~ 2017/05/21 (日)公演終了
満足度★★★★
女性2人の魅力的なダンスから、物語は始まった。
客を送り出した風俗嬢が控え室で次の客を待とうとしているとき、後輩の女の子が助けを求めてくる。壁の向こうの人と恋に落ちて、店の金を持って逃げようとしているらしい。
壁によって西東に分断された近未来の日本……という設定について、劇中ではあまり説明はなくて、観客は物語の中でしだいに様子をつかんでいくこととなる。
『めごとの天使たちは』では、壁のある世界を背景にした古典的な「許されざる恋人たち」の物語を、2人の女性によるチャーミングな会話劇として描いていく。逃げ出そうとしているすみれの無邪気な一途さと、彼女の話を聴く姐御肌のれいかの男前な魅力が、観る者を物語に引き込んでいった。
続く『誰がために壁はある』では、不条理劇めいた会話を牽引する奇妙な男と、広場に来た男の語る恋の顛末が、「壁」に閉ざされた閉鎖的な社会の終焉と結びついていく。男1を演じる古市さんの飛び道具めいたキャラクターと台詞に圧倒された。
先の2つの短編は2人芝居だったが、3作目の『惑い人は還る』では、遠く宇宙を旅する少女と地球で待つ父親が、それぞれのかたわらにいる女性(型のアンドロイド)と交わす会話で進む2人芝居×2のような3人芝居であった。
宇宙を隔てた父と娘の孤独や迷いに手を差し伸べる、死んだ(妻=母)の姿と記憶を持ったアンドロイドの慈しみと、終盤で希望を語る少女のキラキラとした表情が、これまでの物語に登場したすべての壁を乗り越えていくチカラを持つように感じられた。
壁をテーマに描かれた3つの愛の物語はゆるくつながりながらそれぞれ綺麗に着地し、そして気がつけばまたつながってひとつの物語となっていた。笑いも多めの軽妙な会話とその奥の切なさを魅力的なキャスト陣が立体化して、小さな劇場に見えない壁と宇宙が立ち現れるように感じられた。
ミュージカル 人間の条件
劇作家女子会。
座・高円寺1(東京都)
2017/05/18 (木) ~ 2017/05/21 (日)公演終了
満足度★★★★
ホモ・ミームスと名付けられ、宇宙人とか人モドキなどと呼ばれる人間によく似た別の生き物と人間が共存する社会が舞台である。……と言ってもSFではない。
ホモ・ミームスと人間が暮らす社会という背景を共有しながら、4人の作家がそれぞれ異なるシチュエーションで綴っていく。……けれど短編集でもオムニバスでもない。
4人の作家が描く4つの主人公と彼・彼女を取り巻く状況が平行し、ところどころ重なりながら進んでいく物語は、タイトル通り人間であることの意味を直球で問う骨太な寓話となっていた。
見た目では区別がつかない。本人でさえ自分が人間なのかホモ・ミームスなのかわからない。死んだ時に初めて何者であったか確認できる、というその仕掛けは残酷でもあるだろう。
深刻なアイデンティティの問題であり、差別の問題であり、宗教の問題であり、医療の問題でもあり、教育の、福祉の、そして男女の問題でもあった。
若き外科医 西本の勤務する病院では、ホモ・ミームスを治療していたため運ばれてきた人間の子どもを治療できず、子どもは死んでしまった。人間を優先すべきだという抗議が殺到し騒ぎが起こるが病院は反対に、いつでも人間とホモ・ミームスを同等に治療する、と言い始め……。
突然の事故で亡くなった恋人が、溶けて消えてしまったという。人間ではなくホモ・ミームスだった。それでも愛していたことや喪失感に変わりはなくて、でも、宇宙人とつきあっていた、と言われることにやや複雑な感情もあって……。
居場所のない少女たちの援助交際……いや、売春グループ。彼女たちと親しい男はホモ・ミームスであると自称している。学校でのいじめられて宇宙人と呼ばれていた仲間の一人が飛び降り自殺をし、大地と激突した瞬間溶けて消えてしまった。残された少女たちは……。
発達障害で仕事も続かない。自分は人間だろうか、そうではないのだろうか、と悩む女が、
ある日自分を受け入れてくれる場所を見つける。それは、ある宗教団体だった。そこで彼女は自信と強さを身につけようとするが……。
そういう4つの流れが、少しずつ関わりあい、ひとつのテーマを浮き彫りにしていく。書き手の違いによってややテイストを変えながら、4つの状況はどれも興味深い。なるほど、「劇作家女子会。」なのだと思った。彼女たちの書いた戯曲の面白さがまずは前提にある。
ストーリー自体に加えて、シンプルなセットの中でさまざまな場面を演じる工夫や休憩前後の遊び心を感じさせる仕掛けなども含め、観ていていろいろと楽しい舞台であった。
演出は赤澤ムックさんで、4つの物語の多彩な登場人物や場面を生かす手腕も見どころだ。重い題材に真っ正面にぶつかる部分もトリッキーな遊びの部分をも含め、戯曲を活かしたバランスのよさが感じられた。
加えて、ストレートプレイではなくミュージカルだ。
歌もダンスも予想以上にたっぷりあり、クォリティも一定以上で見応えがあった。特に、ヘルス嬢チームのダンスや2幕はじめのパレードのパワフルさが印象に残った。
音楽も生で、舞台の奥でバンドが演奏する様子も観ることができた。
キャストの人数も多く、それぞれに熱のこもった演技を見せてくれていっそう引き込まれた。
こうやって作品が立ち上がるまで、ずいぶん時間がかかっただろうなぁ、と観終わってから思う。
できれば、流れを把握した上でもう一度観たい作品であった。
不謹慎な家/佐藤さんは殴れない
MCR
OFF OFFシアター(東京都)
2017/05/12 (金) ~ 2017/05/17 (水)公演終了
満足度★★★★
『不謹慎な家』を拝見。
えっ、何これ?なんでこんなに可笑しいの?と思いつつ観ていた。まあ、この劇団の作品はおおむねそんな感じかもしれない。
恋人が人を殺して捕まった。みのりは彼を待つと言う。昔からみのりを想っている濱津は、彼女の論理に圧倒され、彼女の感情に翻弄れつつ、彼女を見守っている。
夫や恋人が刑事事件の犯人として刑務所にいるという境遇を同じくする女たちが集まって一緒に暮らすことになる。一人では揺らいでしまうかもしれない「待つ」行為は、客観的には共感を得難いことなのかもしれない。たとえばみのりの恋人に殺された人の遺族にしたら、犯人が早く自由になって欲しい、という彼女の想いは不謹慎なものなのだろう。
そんな中、みのりが一人の男を連れてくる。新しい恋人ではないし、浮気でもない、待ってることに変わりない、とみのりは言うが、男の側はそうは思っていない。彼はかつて刑務所に入っていて恋人に去られたことがあり、「君は待てないと思う」と言い切る。
待っている女たちもそれぞれの事情や複雑な想いを抱えている。その家にいるのはつらいけれど、彼女の抱えているものを理解してくれそうもにあ世の中にひとりで向かっていくのはもっと恐ろしい。
題材はそうとう深刻だし、展開だって明るいばかりじゃないし、そもそも登場人物がメンドくさいヤツばっかりだ。でも、破天荒な登場人物の破天荒な言動に翻弄され、呆れつつやっぱり笑ってしまう。
笑ってるうちに、行き場のない想いが積み重なって、ジンワリとあたたかい何かが胸を満たす。不安や孤独をアクの強い笑いで彩りつつ、彼らの見せる切実さが観客の胸を打つ。そして彼らがとても愛しくなる。この、じんわり愛しい感じが、MCRの魅力なのだろう、と思った。
インテリぶる世界
箱庭円舞曲
ザ・スズナリ(東京都)
2017/05/10 (水) ~ 2017/05/17 (水)公演終了
満足度★★★★
ガレージのような場所で、女が取材している。
その場所は、かつて人気を博したアーティスト集団「深八幡朱理子」の活動拠点だった。彼らのファンだったその女は、どうやら彼らの活動を再開させたいらしいが、リーダーだった男が今は自分一人でその名を引き継いでいる、という。
女が取材している「現在」と「深八幡朱理子」が活動していた「過去」が絡まりあうように物語は進む。
描かれる「過去」は、それほど遠い時代ではない。パソコンや携帯端末もあるが、まだインターネットが普及し始めたばかりのころだ。いまとは異なる当時の状況が懐かしく思えたりする。
観ているうちに、取材する女の語る「深八幡朱理子」の印象と、実際に描かれる「深八幡朱理子」のギャップ。
仲間の名前から1文字ずつ取ってグループ名にし、先生に無理矢理書かせた看板を無断でサイトに掲載し、パズルゲームの数学的な解法を示した式を、もっともらしいムーブメントにしたてあげる。
にじみでる、ある種の子どもっぽさと自己顕示欲。
グループのメンバーにも温度差や意識の差がある。加えてそこに人間関係や恋愛模様もある。
それが特に強く感じられたのは、先生との議論の場面だ。ひとりは先生とある程度同じ土俵で議論している。先生が若者をあおり、若者は先生を糾弾しつつ、それぞれの間に共感があり、一定の問題意識を共有し、客席にいてもその高揚感が伝わってくる。その傍らで、同じグループのメンバーのある者は憧れめいた視線を送り、ある者は疎外感と焦燥をあらわにする。
そういう人間関係等に頓着せず独自のスタンスでアートを探求している者もあれば、サークル活動めいた感覚で加わっていた男は堅実に就職しようとしたりする。
そこに、リーダーの家族が加わる。活動の場所が生活圏と隣接しているため、彼らの活動や人間関係に無関係ではいられない。今と過去。家族の変貌と喪失。
現在の場面では、彼らに執着して取材を続ける女の苛立ちやひとりでグループ名を引き継いでいるリーダーの模索、当時と変わらずマイペースにアートを探求し続けている男、そして現在の家族たちの様子が、そのガレージで描かれる。
そして、父。すでに亡くなったその人のある行動が、割り切れなさに似た余韻を残す。遠慮がちに応援していたように見えたその人は、彼らに対して、いや息子に対して何を求めていたのか。
生と死とパフォーマンス。
喪服。中毒。首吊り。飛び降り。死を想起させるモチーフが散りばめられつつ、それでも彼らは生きていくのだろうと思った。
個性的なキャスト陣が繰り広げる絶妙なやり取りが、共感とは異なるレベルで妙に身につまされる舞台であった。
『死なない男は棺桶で二度寝する』 &『オハヨウ夢見モグラ』
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2017/05/03 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了
満足度★★★★
『死なない男は棺桶で二度寝する』
タイトルのとおり、死なない男の話。『錆びつきシャックは死ぬほど死にたい』などとも共通する不死の哀しみを題材にした作品だ。
ヒロインである信子が、偶然(?)知り合った1人の男。名は六郎。とても優しくて、でもちょっと世間からズレているその男には、ある秘密があった……。
楽しいクリスマスパーティのはずが、半裸の男女が血まみれで飛び込んできたりする予想外の展開、破天荒なキャラクターたち、社会風刺すれすれのナンセンスさなど、笑いの要素をたくさん詰め込みつつ、物語はしだいに孤独や哀しみに寄り添っていく。
主演の吉田翔吾さんは、可愛らしいルックスとどこか浮世離れした演技で死なない男の孤独を描き出していく。
特に印象的だったのは、人魚の肉を喰らう場面だ。
グロテスクな姿の悪臭を放つソレを、たらいからつかみ出しナマのまま貪る。妹を守りたいという想いに突き動かされて。
ふだんの優しい印象からは想像できないほど壮絶な怒りと哀しみと焦燥と……。
圧倒された。
彼の秘密を知る男 大島。記者である信子は、精神病院で彼の話を聞く……。その内容の奇妙さと男の苦悩。横尾さんは他の作品でも似た感じの痛ましい役を演じて印象的だったが、ここでも物語の暗さを引き受ける役柄に説得力があった。
さまざまな出来事を重ねて、終盤に登場する、小岩崎さん演じる老女がとても好きだ。この方の老け役は他の作品でも何度か拝見しているが、いつもなんていうか、メイクや髪以上に声や仕草が重ねてきた年月を感じさせる。
この作品でも、過ごしてきた半生がにじみ出るような、素敵なおばあさんだった。
忘れてしまったその人との日々。それでも、運命に逆らうように刻みつけた名前。
いくつもの伏線が気持ちよくハマってラストの感動につながる。いろんな意味で綺麗な物語であった。
観終わったとき、すべての登場人物が懐かしく愛しく感じられるのは、六郎の孤独と思い出に気持ちを重ねているからかもしれない。
『オハヨウ夢見モグラ』
こちらは短編集だ。ただし、短編の外枠となる物語があって、全体ではひとつのストーリーとも言える構成となっている。
子どもの頃の事故が原因で、眠ったまま生き、年に1日だけ目覚めることとなった男の物語。目覚めた時に彼が語るいくつもの奇妙なお話がそれぞれ短編となっている。
『きみはぼくのやさしいともだち』
リストラされた武田が出会った若者 江尻の提案は、大金と引き換えに自分の友だちになってくれ、というものだった。
金を使い続け、引き返せないところまで来てしまった武田は妻や元上司にも裏切られ……。
武田を演じる加藤さんの、平凡な元サラリーマンとしてのとまどいや欲や打算に共感しつつ、その運命がどこへ向かうのか、ハラハラしながら観ていた。
『無音はお前の耳にも届いている』
マスター:渡辺裕太
バーのカウンターで、マスターと客が交わす何気ない会話からはじまるとっても怖い話←語彙力(^_^;)
マスターの静かな狂気と死んでいく正田の傍らで微動だにしない客。彼には聴こえているのか、いないのか。
ホントに怖いのは幽霊とかじゃなく人間なんだよな、などと改めて思う。
『いつでもいつもホンキで生きてるこいつたちがいる』
冴えないサラリーマンの松本には、かつて人間ではない大切なともだちがいた。ある日、人間に駆逐されたはずの彼らが蘇って……。
ま、なんていうかこういうの、この劇団らしいって気はする。怒られそうなスレスレの悪ふざけをしつつ、芝居も登場人物も一生懸命な感じにちょっとうるっときたりするのだ。
『黒豆』
これ一編で上演されても満足できそうな完成度とボリュームのある作品。
加藤さん演じるブラック・ビーンは、クールなエージェントとドラーグクイーンという2つの顔を持つ。決めポーズがばしばし決まるカッコいい昼の顔と、セクシーかつナイーブな夜の顔の振り幅が素敵。
妹のジェシカと同僚のソフィーを演じる増田赤カブトさんもタイプの違う役なのに、それぞれピタリとはまってチャーミング。
物語の中で2つの顔を持つ男と、2役での2つの顔を持つ女。トリッキーな構成で、たくさん笑いながら、実はとてもロマンティックだったりするのも面白かった。
『じかんをまきもどす』
星新一のショートショートみたいな、時間モノの洒落た短編。でも、まきもどす様子を目で観る面白さは舞台ならでは、かも。
そして、それぞれの短編をつなぐ軸となるストーリー。
『モグラの見た夢』
野口オリジナルさん演じるミツオは、年に1日だけ目覚めて、少年の精神のまま老いていく。
眠りの中で集合知にアクセスしているのかもしれない、という医師の説明を背景に、彼の語るたくさんの物語が、それぞれの短編となっていた。
目覚めるごとに、1年が過ぎている。気がつけば月日は過ぎ、自分も老いていく。無邪気な少年らしさは失わないまま、過ぎた時間は確実に彼の心にも積もっていったのだろう。そう感じさせる変化が切ない。
母役の高橋ゆきさんをはじめとする家族や幼馴染の様子も笑いを交えつつ丁重に描かれて、ミツオのいない時間の経過を感じさせた。
行き場のないそれぞれの想い。それでも、この物語は悲劇ではないのだと感じさせてくれる優しいラストがかえって涙を誘った。
同時上演の『死なない男……』ともつながって、二本のPMC野郎を堪能した一日の終わりにふさわしいエンディングとなった。
遠き山に陽は墜ちて
劇団肋骨蜜柑同好会
シアター風姿花伝(東京都)
2017/04/28 (金) ~ 2017/05/02 (火)公演終了
満足度★★★★
開演してまもなく、姉の述懐で過去のシーンへと遡る。弟がいなくなる一年前のことだという。
姉は、オレンジ色の髪の少年とも少女ともつかない奇妙な生き物と公園で出会う。正確に言えば、職務質問されていた「それ」を助ける形でともに団地に連れ帰ることになる。
姉と弟の暮らしに突然加わった「それ」は、ある日花屋で薔薇を見かけて言葉を話し始める。
続く赤いワンピースの女性と「それ」の2度目の会話。(『星の王子さま』じゃないか!)とそこでようやく気がつく。
それまでにもいくつかのキーワードがあったのに、と前の場面が脳裏をよぎる。ついたて、毛布、水。
でも、『星の王子さま』だけじゃない。
ロズウェル事件(墜落した未確認飛行物体をアメリカ陸軍が回収したと言われる)との関連を思わせるプレートを身につけていた。
それから『ジギー・スターダスト』、あるいは『地球に落ちてきた男』、そしてロックンロール。昨年亡くなったスーパースターだ。
オレンジ色の髪の「それ」は、さまざまな寓意を抱えつつ、寂しげな声で話しかける。
哀しいくらい綺麗な夕焼け。むかし愛した一輪の薔薇。故郷を離れて出逢う人々。登場人物はみなどこか歪んでいて、この地上では生き難そうに見える。
モチーフとなっている童話より少し可笑しくて少し痛々しいのは、大人になってしまったからだろうか。
夕焼けに染められた屋上に太陽風が吹く。低緯度オーロラが空を染める。遠い星へ帰っていったロジー。姉弟のうちの弟も一緒に行ってしまった。
『星の王子さま』のラストと同様、それは死であり帰郷であった。
降りそそぐ薔薇の花びら。客席まで染め上げる紅い光。ロジーの髪は王子と同じ小麦に似た黄金色かと思っていたけれどそうじゃない。オレンジだと再三言われてたじゃないか。それは夕陽の色で、薔薇の色だった。
ダズリング=デビュタント
あやめ十八番
座・高円寺1(東京都)
2017/04/19 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
エレガントで情熱的で、仕掛けも技巧もふんだんに使われているけれど、大事なところは直球ど真ん中で決める作・演出の腕力とそれに応えるキャスト陣の魅力がしっかりと詰まった約2時間半。
日本画版・西洋画版という2つの演出で見せた振り幅も面白くて、刺激的な観劇であった。
天然痘と梅毒を足して症状を重篤にしたような架空の病気 柘榴痘が題材になっている。観る前に、性病と聞いたときはピンとこなかったが、観ながら(なるほど……)と思った。その病は、情を交わした相手にしかうつらない。だからこそ、そこに現れる人間関係が物語を牽引することになる。
主人公であり語り手でもある医師は、友人の呼び出しを受けてヌイエという小さな町にやってくる。
友人がなぜ彼を呼んだのか。友人が怯えている訳から見えてくる歪んだ人間関係。ダジュリング公爵夫妻を、いやダジュリング公爵夫人を頂点とするヌイエの社交界の構造。
退廃的な貴族のサロンで悪趣味な見世物にされている石榴痘の病人。女は息も絶え絶えで、別の檻に入れられている男は女をかばおうと声を荒立てる。
1幕では、そういう一癖も二癖もあるある人々の濃密なやりとりを、広い舞台を縦横に使いこなして描いていく。
2幕は、その大半が審問室での出来事だ。教会と呼ばれた娼婦と、彼女を尋問する憲兵、そして彼女からあることを聞き出そうとする医師。
女の過去と侯爵との関係。憲兵の過去。そして、石榴痘との戦いに勝利を得るための突破口を見い出そうとする医師。
2つのバージョンのうち、ベースとなるのは西洋画版でろう。医師を演じた島田大翼さんのよく響く声と端正な佇まいが、物語の語り手として観客を病魔に襲われた架空の町にいざなっていく。
一方の日本画版では、男女シャッフルを含むややクセのあるキャスティングと西洋人の名前や設定を和装で演じる違和感が、どこかアングラめいた独特の雰囲気を醸し出している。
同じ脚本、同じセットで、まったく色合いの異なる作品を同時に創り出す様子に、作・演出の堀越涼氏が、いや、あやめ十八番というユニットが、またひとつのステップをあがったという印象を受けた。
弁当屋の四兄弟【平成二十九年版】
スプリングマン
シアター711(東京都)
2017/04/12 (水) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
満足度★★★★
ごく身近な、当たり前の家族の物語の中でしっかりドラマがあり、最後には収まるべきところに収まったという印象があるのは、伏線の引き方や展開がよくできているからだろう。
散りばめられた伏線がちゃんと回収されていく気持ちよさと、それに対する登場人物の反応の確かさが物語を支えた。
それぞれのキャラクターに魅力も欠点もある。特に、三男のダメっぷりとしだいに見えてくる思いやりとか才能とかに納得。血の繋がりのない親子だからこそ、似ているという逆説が愛しかった。
Double Flat
ジャンクション
赤坂RED/THEATER(東京都)
2017/04/13 (木) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
聖書のカインとアベルの物語をベースに、やや寓話的なストーリーをたっぷりのダンスや歌などパフォーマンス中心で見せる舞台。少数先鋭のキャストそれぞれの持ち味を生かす演出で質の高い歌やダンスを堪能した。
タイトルにもあるとおり、フラットを2つ重ねたダブルフラットという音楽記号をモチーフにしている。半音下げる記号が2つなら、一音下げればいいんじゃな
い?二つ並べたこの記号の意味はあるの?そんな素朴な問いかけと、兄と弟という近いと同時に対立もしうる関係を重ねていく。
この規模の劇場で拝見できる機会は貴重だと思える顔ぶれのパフォーマンスと兄弟のせつない物語を堪能する約90分となった。
グリーン・マーダー・ケース
monophonic orchestra
Geki地下Liberty(東京都)
2017/04/11 (火) ~ 2017/04/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
過去の因縁と故人の思惑でがんじがらめにされた大きな屋敷。住人はもとより、周囲の人々もそれぞれにどこか歪みを抱えている。一度は終わったかに見えた連続殺人にはまだ続きがあって、「全知全能までもう少し」だという名探偵と友人がその謎を解く。
まずこういう道具立てにゾクゾクしてしまうのは、古き良きミステリーの愛好者だからかもしれない。
ミステリーの古典をベースに、その先のもうひとつの回答を描き出す野心的な戯曲を、安定感のある演出で立体化したこの舞台。懐かしい本格ミステリーの登場人物が眼の前に姿を現し、こじんまりした劇場が古めかしい大邸宅やその他の場所を無理なく具現化する。
創りこまれた虚構性の高い世界観が心地よい。古典の雰囲気を丁寧に活かしながら、物語は原作の終わったところから進んでいく。(登場人物にとっての)現在、事件が起こり始めた昨年のできごと、そしてそれらの元になる過去、などへと時間を行き来し、場所もあちこちに移しながら、きちんと観客を物語に引き込んでいく。事件を通して描かれる人々の想いが細やかでせつない。
そしてとにかくキャストがそろっている。大奥様をはじめとするそれぞれゆがみを抱えたグリーン家の人々、ひとクセもふたクセもある使用人たち、医師、霊媒師、若々しい刑事、誠実な検事と颯爽と謎を解く名探偵のコンビ。よくこれだけの俳優を集めたなぁ、と観ていて感嘆する。
このサイズの劇場でこの作品を観られるゼイタクさについて、終演後に観劇仲間と語り合ったりした。何年後に、この舞台の初演をこの劇場で観たのだと、自慢できるようになるかもしれない。そういう舞台だった。
南島俘虜記
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/04/05 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了
満足度★★★★
ホントに1時間半だったのか、と観終わってまず思った。もっと長い時間、あの暑い島で過ごした気がしたから。
過去の戦争の話ではない。これから先のいつかの話である。
戦争が続き、捕虜となった日本人が収容されている南の島。気だるい暑さ、保証された衣食住、おきまりの作業もサボりがちだが、監視する者たちもそれを黙認している。
帰るべき祖国は、戦火が続き疲弊している。
見馴れた顔ぶれの中の人間関係。収容所内での恋愛やセックスは禁じられているけれど、時間を持て余す彼らの感情のはけ口はどうしても互いの関係へと向かっていく。新入りが加わることで、状況が見えてきたりもする。
気だるそうな会話からにじみ出す閉塞感。終わらない、というひと言が浮かび上がらせる絶望。それぞれの経歴や家族についての思い。帰る目処の立たない祖国。
観ていた時間が長く感じられたのは、彼らの倦怠を共有していたからだろう。
そして、明確なメッセージの下のさまざまなモチーフや寓意。
面白かった。
無隣館(こまばアゴラ劇場と青年団が設置している若い演劇人のための育成機関)の修了公演だと伺ったが、どの出演者も危なげない演技で作品の世界観を支えていた。トリプルキャストだそうなので、他のバージョンも観たかったな、と思ったりした。
『悪女クレオパトラ』
花組芝居
セーヌ・フルリ(東京都)
2017/03/26 (日) ~ 2017/03/31 (金)公演終了
満足度★★★★
開演時間が近づいたとき、演出助手の大野さんによる「この辺りのお席の方は、役者に足を踏まれないようお気をつけ……あ、リーディングですけど」という謎の前説があった。
クレオパトラを題材にしたリーディング公演、いや花組芝居のHON-YOMI芝居がおとなしくリーディングにおさまるはずはないと思ってはいたが……それにしても、踊る!歌う!義太夫にJ-POPに立ち回り!!という、予想を大きく上回る奇想天外な舞台だった。
笑いも多めの破天荒な物語に、じんわり忍び込む切実さと怖さ。歴史や人物の解釈も濃くて、いったい加納氏の頭の中はどうなっているのかと思ったりもする。
加えて、多くの奇妙な登場人物を男女問わず魅力的に演じ分けるキャスト陣。
なんでもありの大盤振る舞いな怪作だった。
身毒丸
演劇実験室◎万有引力
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/03/16 (木) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★★
圧倒的な音と、壮麗な舞台のさまざまな階層でうごめく異形の者たちが、しんとくと継母との関係だけでなく、それを取り巻く奇妙に猥雑で禍々しい世界を浮かび上がらせる。
いろいろな意味で観る者を圧倒するような作品であり、語り継がれてきたというのも頷けるインパクトがあった。
観ることができてよかった、と思う。
ラクエンノミチ/ボディ
日本のラジオ
シアターシャイン(東京都)
2017/03/16 (木) ~ 2017/03/20 (月)公演終了
満足度★★★★★
愛と暴力のみっしりと詰まった、濃密で切実な85分と35分。
いや、「愛と暴力」とひと口に言ってしまったけれど、愛にも暴力にもさまざまな形があった。
『ラクエンノミチ』
ファッションヘルスの待合室で交わされる、奇妙な人々の奇妙なやり取り。
軸になるのはタケの愛。十年経っても二十年経っても変わらない初恋。報われることを求めない、ただかたわらを歩き続けるだけで幸福だった。
彼だけでなく、彼ら彼女らはそれぞれそういう道を歩いていたはずなのに。いつのまに落ちてしまっている奈落の底。死ぬことも殺すこともそれ自体が悲劇なのではない、すがってきたものを失ったとき世界はこんなにも虚ろになってしまうのだ、と思った。
女たちの抱く孤独や閉塞感がじんわりと切なかった。
それと、村上さんが演じた篠原がものすごく怖かった。最初に登場した場面の温厚そうな見た目を裏切る突然の暴力。人を傷つけることをまったくためらわない人間がこんなに恐ろしいんだと思った。
ホントは痛そうなのとか見るのもイヤだし、観てる間はずっと手を握りしめていたけど、それでも観てよかった、と思う。
『ボディ』
愛することがそのまま殺すこととなってしまう不幸な男。劇中には登場しない父親の庇護のもとで、死体は処理され彼の行為は隠蔽されてきたけれど、罪の意識がない彼は何度も同じことを繰り返してしまう。
生きている人間とは思いを交わすことができず、死体に寄り添い語りかけるときだけ人を愛することができる。
彼の見せるある種の無垢と一途、そしてその終わり。底の見えない亀裂をのぞきこむような、ごく短い物語。
親愛ならざる人へ
劇団鹿殺し
座・高円寺1(東京都)
2017/03/02 (木) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★★
多少誇張されてはいるけれど、当たり前の人々の当たり前の想いがそれぞれに滑稽で、でも温かい。
母親役の久世星佳さんがとても魅力的だった。
披露宴はめちゃめちゃになってしまったけど、それでもそこから新しい暮らしを始めるのだ。
馬鹿馬鹿しさと切実さ、そして家族というどうしようもないけれど大切なもの。
観終わって温かいものが胸の内に残る、そういう作品だった。
炎 アンサンディ
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2017/03/04 (土) ~ 2017/03/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
初演を見逃して残念に思っていたので、再演と聞いて喜んで観に行った。
レバノンでの内戦を背景に、母を亡くした男女の双子が、自らの家族のルーツを解き明かしていく物語だ。
麻実れいさんがその母として、1人の女性の10代から60代までを演じる。
カナダで暮らしていた年老いた女性。彼女は5年前のある日、突然心を閉ざし、言葉を失ったまま生きて死んだ。いや、5年の間に一度だけ、言葉を発したことがあった。その言葉の意味もあとになってからわかるのだけれど。
公証人から彼女の奇妙な遺言を聞かされた娘と息子は、反発や不本意な気持ちを抱きつつ母の言葉に従い、会ったこともない父と兄の消息を求めて母の母国を訪れる。
その国で双子は多くの人と出会い、話を聞く。双子はそれぞれに母の生涯を見出していく。そこで出会った真実。
世界はこんなにも残酷なのか。生きることはこんなにも過酷なのか。誰かを断罪して済むのなら、その方がよっぽど楽だと思えるのだけれど。
それでも。
知ることは残酷だ。しかし彼女はそれを乗り越えて、彼女自身に戻ったのだ。双子もまた真実を知り、真実を乗り越え、彼女をも乗り越えて、生きるだろう。
観終わったあと、胸の痛みとともにある種のカタルシスを感じたのは、そのためかもしれない。
赤い金魚と鈴木さん~そして、飯島くんはいなくなった~
九十九ジャンクション
王子小劇場(東京都)
2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
うんざりするほど平凡な風景に、混じり始める不協和音。過去の連続殺人事件。残虐な連続殺人鬼はどういう人物だったのか。そして殺人犯の家族であるということはどういうことか。
急速に緊張感が高まり、観る側も身じろぎすらできなくなっていった。
いくつもの重い課題を抱えつつ迎えたラストシーンでの殺人犯の弟と、知らずに結婚したその妻の会話が鮮やかだった。
怒っても迷っても投げ出すのではなく、やるせない現実に眼を背けず、逃げ出しもせず、現状を見つめ考えようとする。平凡な人間の中の強さが描かれて、観る者の胸にある種の安堵感を与えた。
中盤の展開からは予想外の後味のよさがうれしく、同時に重い課題も忘れることなく抱えたまま、劇場をあとにした。
LoveLoveLove20
劇団扉座
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/02/14 (火) ~ 2017/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
扉座研究生の卒業公演として上演された作品であり、芝居もダンスも歌も必ずしもうまい人ばかりとは言えない。
しかし、未熟であることや必死であることすら、観客が目撃する枠組みの中にある。たとえ間違ってもヘタクソでも声を枯らしても、それでもいい、いや、いっそその方がいい、と言ってしまったら語弊があるかもしれないが、彼らのがんばりこそが、この公演の最大の見せ場のように思えるのだ。
その汗や息づかいを魅力的に見せようとする演出や振付、そして照明や音響もある。
公演の最後は『スクラム』という演目だ。ラガーシャツに身を包んだ彼らが、それぞれ最大の愛の言葉を叫びながら体当たりをする。
準備から公演までたくさんの汗を流し、その日の公演でも力を振り絞って、スクラムの頃にはもう、叫ぶ言葉もほとんど聞き取れない。
それでも、これも演劇なのかもしれない、と毎年思う。……というか、実はこの辺りはもう毎年泣きながら観ているのだ。
ほとんどが初めて拝見する役者さん(のタマゴ)ばかり20人、序盤のタップからラストのスクラムまで、彼らが踏みしめる劇場の振動に共鳴し、彼らの「愛」と喜怒哀楽に寄り添い、2時間10分の上演時間が終わる頃には、いつの間にか彼らに親しみを感じるようになっている。
この先彼らがどんな道に進んでいくのかはわからない。扉座に残る方もいるだろうし、他で役者や舞台に関わる仕事をなさる方もいるだろう。あるいは、もう2度とステージに上がることのない方もいるかもしれない。
淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について
カムヰヤッセン
ワテラスコモンホール(東京都)
2017/02/16 (木) ~ 2017/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
誰も観たことのない犬の鳴き声。困窮しつつ借金のない暮らし。要介護度の軽さ。
そういういくつかの違和感と3人の刑事の取り調べの様子が、本当は何があったのか、ということへの興味をそらさず、それが解かれていく時間の生々しい痛みだけでなく、物語としての(こう言ってよければ)面白さ感じさせた。
ナイフで人を殺すより、借金を重ねて踏み倒す方が容易だろう、という意味のことを一人の刑事が言った。
それができなかった母と息子の繊細なやり取りを、3人が交互に語る終盤の場面。痛みと優しさが胸にしみた。
どうしようもない現実。それでも、その淵を渡らずに済むためには……。
答えを出すのではなく、あなたもそして私自身もそれぞれに立ち止まり引き返せますように、という祈りのような何か。
身につまされる、などという安易な共感ではなく、もう少し丁寧に考えてみたい気がする舞台であった。