1
かもめ
Art-Loving
久しぶりに演劇を観て震えるほど感動した。2022年のナンバーワンだ。
動的で明るく分かりやすい「かもめ」である。
最初の劇中劇は「リベルタンゴ」に乗って瑞生桜子さんが踊りまくる。ああこのまま永遠に続いてくれと祈ったものの当然ながらアルカージナの茶々が入って中止となってしまう。ミュージカルではないので歌は無く、ダンスもあとは最後の別れの踊りがあるだけなので苦手な方も安心である。
細やかな陰影には欠けるかもしれないがそれが許せる方には絶対のお勧め。
もう日曜14:00のステージしか残っていないので皆さま是非に。当日券も99%あるでしょう。
冒頭の劇中劇はニーナに「生きた人間がいない、動きが少なくて読むだけ」と散々に言われ、アルカージナにも「なんだかデカダンじみている」とけなされる失敗作というのが本来の設定だが、本舞台ではダイナミックに躍動する人間をこれでもかと表現していてプロデューサーが入口に立てた挑戦状となっている。私は120%支持するのだが、トレープレフが新しく魅力的な作劇法を見出したように見えてしまうので、これが初めての『かもめ』の観客は混乱してしまうかもしれない。そこがちょっと心配ではある。「こんなの『かもめ』じゃないよ」と嫌う人もいるだろうなあ。
原戯曲のサブタイトルに「喜劇」とあることが昔から論争の的となっている(『桜の園』もそう)。文字通りの喜劇なのか斜に構えた喜劇なのか字面を追っても判断は付かない。
トリゴーリン(梶原航)は喜劇方向に寄せている。ニーナの人生を狂わせた悪党のはずだが本舞台では親しみの持てる人物となっている。もっとも原作からして当人も周りも悪いことをしたとは思っていないようだし、そもそもそんな道徳的善悪物語ではない。
医師ドールン(水上武)は落ち着いた良識のある人物であるが、こんな人でもずっと不倫中であるとは人間って本当に困ったものですねという意味では喜劇的であり、逃れられない人間の業を背負っていると見れば悲劇的でもある。
トレープレフ(佐山尚)は繊細で理想を追い求め悩む青年であり、自死してしまうのは悲劇的であるが、彼の求めたものは母の愛、ニーナの愛、独創的な才能そして世間(とくにトリゴーリン)からの賞賛という一つを得ることすらも難しいものばかりである。肥大した自我に押しつぶされたと見るか、理想を追及してかなわなかったと見るか、お好きにどうぞである。
配役で唯一不満なのはドールン+ポリーナ+マーシャのラインがバラバラなことだ。ポリーナ+マーシャは友達のようでとても母娘には見えない。ドールン+ポリーナは不倫関係にあって深刻な会話をするのだが世間話のようである。実はマーシャはこの不倫の子なのだという説があり、それを信じて読み直すと腑に落ちるところが多々あって、このラインは結構重要だと思う。
全体が「分かりやすい」と感じたのはトレープレフとニーナに焦点が置かれ、それ以外の様々な想いの描写が薄味だったからかもしれない。まあ単に私がそういう目で観たというだけかもしれないが。
瑞生桜子さんとラゾーナ川崎プラザソルというと『ロミオとジュリエット』を思い出すが、そのときは少女の雰囲気が色濃く残っていてそれが魅力でもあり欠点でもあった。あれから3年余りが経ち、様々な現場をくぐりぬけてきたのだろう、メジャーな世界で通用する大人の顔つきになっていた。最近のNHK総合のドラマ『恋せぬふたり』でも出番は短いがNHKドラマの世界にしっかり溶け込んでいた。来年は朝ドラか大河ドラマに出演するに違いない。並行してシアタークリエでのミュージカルもワンチャンあるのではないかと期待している。
2
悪いのは私じゃない
MONO
宣伝文からは「あいつが悪い」「こいつが悪い」で怒号が飛び交うようにも想像されるが、実際はこのように始まる。
『退職した社員が社内でのいじめを訴えてきて調査が始まった。急遽研修を受けた総務部長が会議室に社員を一人ずつ呼び出してヒアリングをするのだが、退職した社員の上司は会議室にやってきて出て行かないし、最初の社員は二人一緒でないと嫌だと言い出したりで前途多難である…。』
こんな調子で全編マイルドで笑いの絶えない舞台である。小さな会社内でありながら多方面に話は脱線し飛躍しで飽きることなくあっという間の2時間が過ぎる。
特に何か主張があるわけでもないし、斬新な手法がとられているわけでもないが、リラックスして(爆笑でも微笑でもなく)適度に笑いたいという方には超お薦めである。
料金に7,600円とあってびっくりするがこれはペアチケットのお値段で、二人で行っても一層親密になることはあれ、気まずくなるなんてことは絶対にない。
3
きっとこれもリハーサル
エイベックス・エンタテインメント
分かっていたこととはいえ余に不自然な設定に「無理のある芝居だなあ」と観に来たことを少し後悔したが、終わってみれば王道の泣かせる喜劇だった。最初のうちの居心地の悪さも作者の仕掛けの一部なのだ。今から振り返れば「葬式の練習をしたい妻」という設定から流れは読めたのではないかとちょっと残念。まあそう思わせるのも作者の計算の内なのだろう。
石野真子さんが素晴らしい。出だしから気持ちをすっかり持っていかれてしまった。
アフタートークの司会をした吉本ピン芸人の あべこうじ さん、こんな仕事は初めてではないかと思うが中々うまく回していた。そして、娘に葬儀屋がきつめに当たる理由がこのトークで分かったのだが、あべさんも(私も)その伏線をすっかり忘れていたというか気にしていなかった。葬儀屋役の しゅはまはるみ さんが残念そうに裏設定がしっかりあることを説明してくれたのが印象に残った。
4
横濱短篇ホテル
劇団青年座
かずさんの巧みな文章に誘われて予約を入れ、出発前にTakashi Kitamuraさんも5ツ星であることで大きな期待をもって新宿へ。いやあ参った、お二人のおっしゃる通りだ。文句をつけることも忘れているうちにカーテンコールに。
普通の状態なら「そんなバカな」となるはずの誕生日の話に抵抗なく侵入を許したのは魔法に掛けられていたということなのだろう。まあそれに限らず良いように転がされたのでかなり悔しいが、もちろんその100倍楽しく嬉しい。どなたにもお勧めしたいところだが残念ながらこれが千秋楽。公演回数が少なすぎるよ。
Takashi Kitamuraさんも書かれている角田萌果さんだが、声優の訓練もしているのだろうか、驚愕の声質の変化だった。インターネットに「憑依型カメレオン女優ランキング」というのがある。彼女もそのうち入ってくることを期待したい(ちなみに1位は綾瀬はるかさん)。
ところで『街の灯』くらいは知っておきなさいよという注文がちょっと耳に痛い。もちろん、手を握った時に思い出すというところは覚えているんですよ…もちろんですよ…
5
貴婦人の来訪
新国立劇場
シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話...の物語」の第3弾。
前2作と違い有名な戯曲で初演は1956年、今までに映画とミュージカルにもなっている。正統的で万人向けの作品である。第1弾2弾との連続性、関連性は全く感じられない。あの二つは何だったの??
「金で恨みを晴らす」のは(必殺)仕事人だが、少し状況を変え「金で正義を買う」と言い換えると誰もが仕事人になるかもしれないというお話(詳しくは「説明」にある)。生贄とか人柱の現代版であるし「罪と罰」にも通じるところがある。人を殺すというのは極端なたとえであるが、最後の町長の演説と町民の熱狂は今も昔も国レベルでもご近所さんレベルでもよくあることだよなあと考えさせられた。
出演者も秋山菜津子さんと相島一之さんという有名実力者をそろえていて、この怪しい童話を親しみやすいものにしている。町民が貧しいようには見えないのが不満だったけれど「これはあなたの話なのですよ」と思わせるためにわざとそうしているのかもしれない。
チラシに描かれた町の様子が想像力を補ってくれるでしょう。
6
かもめ
ハツビロコウ
ぽっちゃりのコースチャと低音のニーナ、いきなり主役二人のイメージを壊されてしまう。これはこの舞台が二人だけの物語ではないのだよという宣言なのだろう。元々恋人どうしに限らない色々な組み合わせの二人の対話の場面が多いのだから原作の正しい実現ではある。
意外性もあるが分かりやすい楽しめる舞台だった。しかし、私の芝居理解力の問題なのだが、相変わらずシンボルとしての「かもめ」の意味するところが腹落ちしなくて困る。あと何回観たらすっきりするのだろうか。
ややハスキーなニーナの声は知性を感じさせ(我ながら偏見だなあ)トリゴーリンにホイホイとついて行くのがちょっと不思議である。そして後半の境遇の悲惨さが増している気がする。私の(というか普通の)ニーナのイメージはアホっぽい(これは余計か)女の子がどん底に落ちながらも耐えることを学び力強く生きて行こうとするもので、変わることのできないコースチャと対比されている。この舞台ではそんなあからさまな違いを嫌ったのかこの後のニーナには不安しか感じない作りになっている。
コースチャ作の劇はラゾーナ川崎版と同じくニーナの踊りとしている。本来は普通の芝居でニーナのセリフが当然あるのだがここではコースチャが読み上げる。音楽はラゾーナ版の「リベルタンゴ」に対してベートーベンの「月光」を持ってきた。これは二つの舞台共に全体の雰囲気を表す看板なのである。
*「リベルタンゴ」は完全に演出家の好みだろうが「月光」はコースチャが最後の自分の原稿を読みながらトリゴーリンと比較するときの表現の対象ということで根拠のあるものである。
他にも特徴的な場面があった。
まずあげるべきはラストである。原作ではニーナが帰ったあとアルカージナらが再び居間に戻って騒いでいるときにコースチャの寝室から銃声が聞こえるのだが本作では一行が戻ってくる前にコースチャが居間でピストルを取り出すと舞台は暗転して銃声となる。これは非常に印象的で星が一つ増えてしまった。
次に、マーシャがトリゴーリンに依頼した本のサインは
神西清訳「身もとも不明、なんのためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
原卓也訳「素性不明、何のためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
となっているのだが今作では
ハツビロコウ訳「誰が親かも分からない、何のためにこの世に生きるかも知らぬマーシャへ」
となっていた(と思う)。マーシャはマリヤのニックネームなのでそこはいいのだが「マーシャの父親はドールンじゃないか」問題を考えるとき原作では80%くらい正しく思えるが今作のこのセリフはハツビロコウは100%断定した(と私は捉えた)。…と書いていると段々皆同じにも思えてきた(汗)。「親」という単語に過剰反応しただけかもしれない。
そして意図的に「芝居じみた」演出を入れている。
トリゴーリンが机を叩くのは良しとして、まあそれもかなり激しいのだが。アルカージナも机をつかみ椅子を投げつける。そしてアルカージナがトリゴーリンにケチをつけたコースチャを激しく貶すところは原作以上に長く激しく攻撃したように思えた。…原作を読み返してみたがもう舞台の方を忘れている(汗)。
7
abc♢赤坂ビーンズクラブ
エヌオーフォー No.4
コントに歌とダンスそしてクラリネットとアルトサックスまで出て来てこれはもう令和の「シャボン玉ホリデー」だ。まあでも曲は懐メロではなくオリジナルで昭和の番組と一緒にしては叱られるかも。いやでもギターの弾き語りはあいみょんよりは山崎ハコに近かったなあ、でも恨み節ではないから吉田拓郎か。休憩なしの85分。
出演は17歳から30歳までの10人の粒ぞろいの美女群団。芝居の発声もしっかりしていてダンスもキレッキレッ。私の守備範囲では全く見かけたことのない方々で素晴らしい才能に出会えてとても嬉しい。*私が知らないだけで結構有名な方々らしい。
まだ2ステージ目でこなれていないところもあるがどんどん改善されて行くことだろう。
点数をつけるならコントは80点、歌は75点、ダンスは85点、そして大野まりかさんのクラリネットは120点である。芝居全体の満足度はこれからの期待も込めて星5つ。
拍手のするしないが難しいのでもっと分かりやすい演出にしてほしい。お客さんの拍手を引き出すのも演出の技術だ。前に観た韓国発のミュージカルではどんなに短い曲でもド派手にジャジャジャーンと終わるので拍手せざるを得なかった。まあそれはちょっとやりすぎ感があったけれど。
ラインダンスがあれば更に良いのだけれど衣装代で大赤字確実だ。あとは誰かキーボードの基礎のある人を特訓してキーボード+クラリネット+アルトサックスのインストルメンタルとコーラスを入れたものも欲しい…きりがないね(笑)
昭和のおじさんが大好きな「シャボン玉ホリデー」はこちら
「すずかけの道 鈴木章治、ザ・ピーナツ、安田伸」
https://www.youtube.com/watch?v=Rhk6ah-x-90
おまけ:「説明」でプロデューサーである難波利幸さんが
『キャスティングは昔から好きな彼女たち。ライザ・ミネリ、ゴールディ・ホーン、 ヴィヴィアン・リー、ベッド・ミドラー、 フェイダナウェイ、ミア・ファロー、モンロー…に、一番近いところにいる日本の女優。』
と書いている。この「一番近いところにいる」の意味が分からなかったがどうやら見た目のことらしい。彼の眼にはそう見えるということなのだ。10人対7人で数が合わないが重複可ということで考えながら観るのも一興かも。「…」を独自に補うのもありだ。