旗森の観てきた!クチコミ一覧

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諜報員

諜報員

パラドックス定数

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/03/07 (木) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ゾルゲ事件に関連して逮捕された四人(一人はおとりで実は三人)のゾルゲ側諜報員が、お互い何も知らず(あるいは知らないふりをして)尋問に立ち向かったか、という話で、実話がベースになっているが、少人数の腹の探り合いドラマである。事件は複雑ではあるが、かなり事実もわかってきている歴史ものだ。それを背景に内閣情報部と特高警察の捜査の張り合いを枠にドラマが進んでいく。もちろん新聞記者や医者、官僚など、一応その時代でも身分保障されている諜報員は拷問しにくいし、なかなか組織の秘密は口にしない。内報者も潜入されている。ドラマはこういうシチュエーションで描く人間ドラマである。この手の作品を書いたらもうイギリスものの独壇場であるが、野木も懸命に追うが、かなり苦しい。
落とし穴は意外なところにある。細かく見てみたいところだが、その前に、この舞台斜めに組まれていて声が客席に向いていないだけでなく、ひそひそ声の台詞が多く、ことに幕開きの場はほとんど聞こえない。後ろから3列目でこちらも老年だから、申し訳ありませんというのはこちらかも知れないが、周囲の年配の方はすっかり諦めて寝落ちしていた方もいたから、こちらのせいばかりではない。次の場になると声量は上がる場もあって、以後は聞き取れる場と、聞き取りにくい場が交互にやってくる。話の背景はある程度知っているから訳がわからないわけではないが、舞台としてはどうだろう。
というわけでとても批評できるほどには見ていないのだが、老年の方は補聴器をお忘れなく。劇場パンフによると演出の野木は、普通の生活のようにと芝居がかる役者を憲明に抑えたと言うが、台詞が通るようにするのと、日常会話を表現するのとは、俳優の訓練術のテクニックである。折角面白い素材なのに残念。

アンドーラ

アンドーラ

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/03/11 (月) ~ 2024/03/26 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


なじみのないスイスの作家の作品だが、著名な作品であるらしい。国家とそこに住む国民のすべての価値観や倫理観が同一であることは難しいもので、そこを統一させてドラマを作ろうとすれば無理が出てくる。スイスと言えばデュレンマットの「貴婦人の来訪」がよく上演されるが、それに似たタッチでもある。
きな臭い現状をみれば、永世中立国というのもウソっぽいよ、という作品はそれなりに意味はあるが、この程度のことはもう我が国の国民はご存じで、なにをいまさら、といった感じではないだろうか。休憩15分でほぼ、3時間、アトリエの椅子は苦行だが文学座の実力が良く出た寓話劇にはなっている。
作品の良いところは、あまり上部構造には立ち入らず、市井の市民を登場人物にしているところだ。国家が戦争をしようと言っても、国民の方は、さまざまな事情があるわけでそこが上手く描けている。役者も教師の主人公夫妻、阿呆の店の手伝い、神父、医者、宿の亭主など、皆ステレオタイプにひと味つけて役にしている。味のつけようもなかった武田知久とか、兵隊役の采澤靖起も舞台に出るとちゃんと役割を果たしている。この辺はさすが文学座。
疑問は主人公の兄妹をフィメールキャストでやっていることで、若手の女優さんは奮闘だが、意図がわからない。これでは大車輪の兄役かわいそう。
とはいっても、あまり見ていない新人の演出家(西本由香)はここまでベテランに個性をたてて役作ったのも、白一色の抽象舞台のステーよくできていて、文学座ガールズ(と言うにはベテランもいるが)演出家の一翼を担うだろうと楽しみだ.

御菓子司 亀屋権太楼

御菓子司 亀屋権太楼

MONO

ザ・スズナリ(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

遅ればせながら、作者には岸田戯曲賞を、という中身のある市井の小劇場作品である。
関西小劇場の老舗MONO、かつて「-初恋」でそのフレッシュなゲイたちの青春を見てからもう三十年。作者土田英生の下に集まった五六人のメンバーで独自の演劇世界を作り上げてきた。「ヨーロッパ企画」とともに東京でも固定客を持つ劇団MONOの年一度の東京公演だ。時代の変遷も感じる。
ドラマの世界は御菓子司 亀屋権太楼という京都あたりにある和菓子の老舗。そこで展開する一族の物語は、ちょっと手を入れれば松竹新喜劇でも上演できそうな「あるある」の内容なのだが、そこに巧みに現代を忍び込ませて、現代劇としては大きな冒険もしている。そこに作者と劇団の円熟も感じる。話は和菓子屋の当主が死んで残された家族と従業員のその後、五六年の物語なのだが、観客の予想通り、店はたたまなければならなくなる。
そのメインストーリーの組み方はさすがベテランだけあってうまいものだが、その中に現代的なドラマが見事に組み込まれている。
一つは、現代でよくあるSNSの評判と、歴史に対する加重な信頼への批判である。関西らしい地域社会のなかで「世間の評判」が、生活を押しつぶしていく様を喜劇的に描きながら、リアルを失っていない。特に、加害者・被害者と一方的になりがちな人々の現実社会で揺れる変化が多様に描かれている。
二つ目は関西を舞台とすると、タブーになりがちな同和問題を実態に目をそらさず、偏見を持たずに取り入れていることである。ここでも一方的な立場はとられていない。そのバランス感覚の良い良識の戦う姿勢は評価できる。昭和の時代にはさまざまな問題をはらみながら社会問題として常に採り上げられてきた同和問題も、紆余曲折を経て、現在はこういうことなのであろう。表向きにはすっかり消し去られている問題をあえて取り込んで、巧みにドラマ化している。
さらに言えば、この問題も含めて、劇団が関西を離れず、地方劇団としてのルーツ(現実には東京が劇団員の生活の場であろうが)を生かして演劇活動を続けていることも評価したい。東京にはこういう劇団はもう、喇叭屋だけになってしまった。
客席は9分の入り、週末は完売しているという。土田の作品は空振りも多いのだが、いつもどこか新しいところを見つけようとする。今回は作者の良さが詰まっている。この際忘れていた賞をあげたいものだ。


ネタバレBOX

ラスト近く、兄が弟の頭をなぜるとベタなベタなギャク照れずに消化しているところなぞ、実に関西劇団の基盤を見た思いだ。
「5seconds」「Nf3Nf6」

「5seconds」「Nf3Nf6」

ウォーキング・スタッフ

シアター711(東京都)

2024/02/24 (土) ~ 2024/02/29 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演出者として長いキャリアのある和田憲明が、野木萌黄の戯曲から再演したい作品を2作、上演したなかで、見ていなかった「5Seconds」を見た。
80年代初めに起きた日航機の機長の判断の誤りから着陸直前の海に墜落、20余名の死者を出した事件審判で行われた貴重と弁護士の面接のドラマである。もとなった事件は現役真っ最中だったからよく覚えている。ちょうどモンテカルロにいて海外と人たちと仕事をしていた。アメリカの人が、新聞を見て、これは間違いなくパイロット・エラーだな。といったのは覚えている。アメリカは飛行機社会なのだ。
その後の事件経過はよく知られていて、結局機長の心身障害が理由になったと思う。
そうなるとそれは個人の問題ではなくなる。この種の事件が、個人に加えて会社の責任も重く、問われることになる事件の一つでもあった。(いまは原発事故のように会社の判断をした個人もその責を問われることになる)。航空機操縦のコックピットの最終責任者はまず、機長、次いで副操縦士と技術責任者が二人、墜落の5秒間にその三人に何があったか。まだ現代社会の責任構造が単純であった時代の事件だが、現代にも通じる興味深い事件である。
野木の戯曲は、審問を前に機長の弁護を請け負った弁護士事務所の若い女性弁護士(難波愛・文学座)が、当日操縦した機長(中西良太)の主張の聞き取りを行う4場である。
機長は墜落後救助されて病院に収容されていて、回復すれば裁きの前に出なければならない。その前の4回の病院での面会がドラマになっている。若い女性弁護士は、機長にその操縦の理由を理性的に聞き出そうとする。機長は、事実、精神的に安定した状態ではなく対応は揺れる。弁護士としては心神耗弱に持っていけば成功(法で無罪と規定されている)なのだが、面会の中で、機長が年齢もあって、しだいに機長の場からは外されそうになっていることも解ってくる。そうなれば、彼のフライドや生きがいは奪われてしまう。
山場は、機長が、ごく普通の習慣的な着陸手法であった5秒間の「着陸」時の機長をやってみせるところだろう。
この戯曲は、現代社会のどこにでもある個人の責任問題を、ここにいる個人の問題と、そこにある集団との意識の違いから描いた面白い狙いの作品である。裁判では人間はなかなか裁けない。
テーマが面白いのも、1時間40分ほどにまとめられた二人芝居もよくできてはいるが、野木の戯曲によくあることだが、テーマが社会的には拡がりきれず、どうしても、そこにいる俳優たちが演じる二人の人間の問題になってしまう。野木は異色の小劇場劇作家で数年前まで、パラドックス定数でさまざまの社会の場に生きる人間の個人の姿を面白いドラマにして見せてくれていた。よく見ていた。なかでも「三億円事件」は大きな演劇賞にもなった優れた異色の作品で、三演公演の演出が和田憲明だった。
だが、その後、新国立劇場で新作を委嘱上演した頃から、野木には目立った変調があった。その理由が、新国立劇場以前に書かれていたこの作品で解った。野木も新国立で、機長のようにプライドを奪われたにちがいない。実につまらなかった新国立劇場の作品を強制されて(決して劇場側は強制したとは言わないだろう、JALのように)野木は立ち上がれないような大きな心の傷を負ったわのだ。創作者なら誰でも持っている精神の柔らかな部分を無神経に刺されたに違いない。再演の舞台から作者の芝居の魂の真実を見せられたような上演だった。

ワークショップから生まれた演劇 「マクベス」

ワークショップから生まれた演劇 「マクベス」

彩の国さいたま芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/02/17 (土) ~ 2024/02/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

角書きに「はえぎわX彩の国さいたま芸術劇場・ワークショップから生まれた演劇」とある。若い世代に向けた作品作りを目指し、試演を重ねて、親しみやすく、飽きさせない構成と演出で制作された、いままでいくつもの舞台を見てきた「マクベス」のニューヴァージョンである。リーダーは演出のノゾエ征爾。デビュー三十年になるベテランである。
特色としては、舞台がいかにも今時の若者好みにきれいに様式化されていること、演出者か音響担当者か、あるいはワークショップの民総意か解らないが、何曲か、現代作曲の音楽が使われていること。それに応じて(ひきずられて、といった方が良いかもしれない)ダンス的表現(美術での8X8の椅子を俳優全員が動きながら美術大小道具の役割をさせていくところも含め)が多用されていること、テキストは、現代に残る名台詞、名場面を残らず山場として強調してあり、今まで再演ではマクベス夫人(が最も多いだろう)や敵対する武将などの視点をとることが多かったが、この再演では原作通り、今となっては類型的な普通の人間、マクベスの原作に従っていること、制作に携わった俳優、制作など舞台の現場が(多分)平均年齢以下の若者ばかりだったこと。が上げられるだろう。それらが良くも悪くもこの公演を特徴付けていて、それに耐えるのも古典戯曲の役割だとも感じた。
もうずいぶん前になるが、中屋敷法仁が、 踊るシェイクスピア というシリーズを上演していて、オールフィメールキャスト(だったと思う)で、名作を踊り抜く舞台があった。確かに新しくはあった(それなりに愉快ではあったが)が、だからといって、シェイクスピアに新しい発見があったと言うことはなかった。そこが古典のしたたかなところで、ノゾエは、真面目に考える方の人らしく、やはり難物だなぁ、と感じた由で、客席には若者と同じくらい成人客層も見に来ていて、なかなか、観客世代を変えようとするほどの作品は作れない。上に挙げたような小手先ではどうにもならない。アノ、野田秀樹ですら、ずいぶん脇では使っているが、正面からはほとんど4大悲劇と戦っていない。入りは6分。

う蝕

う蝕

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2024/02/10 (土) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

もともと作者・横山拓也がもっているファンタジー志向に、今回は大きく振り切ってみた作品だ。初めての演出になる(多分)瀬戸山美咲がそこを合わせたところが幕開きで、四角の角封筒が空いて荒廃の島が轟音とともに現れるいくという趣向はなかなか見せる。しかし内容はこの作者らしくいろいろなファンタジーの筋を組み合わせていて、なかなか全体のファンタジーの構造が読めない。そこがこの作品の評価の分かれるところだろう。
終末ものばやりの昨今に合わせてもいて、不気味な地盤沈下で沈みゆく島を虫歯になぞらえて「う蝕」と例えて見せたところなどさすが。そこに現れた男ばかりの6人のキャストにそれぞれ役割が降られているが、これがすっと頭に入ってこないところから舞台は横山作品には珍しく渋滞する。
島で犠牲になった人々を救助しようと来島する準備隊のひとびとよ、犠牲者を歯で決定づけようとする歯医者の人々、次第に見捨てられていく島の運命、がミステリアスに進行していくのだが、話がうまくつかめない。どこかで見たような気がするのは、ベテランでは、岩松了、ちょっと上では前川知大、若いところでは加藤拓也が良く使う芝居の枠取りファンタジーの世界だからだろう。しかし、彼らのようにどこかですっきり割って見せるというがないから、若い男の子の俳優見物で見に来た満席の三十歳前後の若い女性客は、帰り道に、しきりにスジの答え合わせをしていた。
それも芝居見物の面白さだから悪い風景ではないが、それほど深い意図は読めなかった。
横山としては少しひねった世相ファンタジー。休憩なしの二時間。三週間に及ぶ30回以上の公演数なのに、もう補助席に立ち見まで出て大入りである。

掟

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2024/02/15 (木) ~ 2024/02/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 昨年、復調ぶりを見せてくれた中津留章仁の地方都市の若い新市長と、旧態依然の市議会の対立を素材にした問題劇。22年にも地方都市の閉塞ぶりを描いた作品〈出鱈目〉があったが、過疎化の中で出口のない地方都市は、日本の縮図としては格好の材料で、何とかしなければ、と皆思ってはいてもどうにもならないところを見せる。
汚職で市長ら首脳陣が退陣した地方都市の市長選に、地元出身のデータコンサルタントが故郷帰りする。さっそく初当選するが、新市長(森下庸之)は地方自治法を盾に(占領軍が基本を作ったので結構、住民本位。それをいいことの政府は手を抜く。能登地震でもそこは丸見え)旧勢力の市議会員たちと対立しながら改革を試みる。背景にほっておけば十年もすれば過疎でどうにもならなくなる地方都市の現実のデータがある。三権分立を立て前にまずは、議会に根回しなしで財政改革を進める手法(道の駅に都市企業を誘致する)、次に議会運営のなれ合い手法(この辺りは「堕ち潮」)、さらには地方新聞、ローカルテレビの地方政治癒着が争点にあがる。対立構図は、いままでふつうに取られる善悪の構造とは半逆転しているほかは、さほど新鮮味があるわけではないが、こうして地方の実情を露骨に見せられると、出口がないだけに暗然となる。結構新人も出ている地方の現実もこうなのだろう。
中津留は多作の人で、トラッシュマスターズだけで、もう39回公演というから、ほかに書いた社会問題、風俗劇も作品は多く、数えればそろそろ百になるのではないか。問題の素材だけが面白いという作品も少なくないが、なかには「絶海の孤島」のような傑作もあるし、何よりも、多作して(テレビのような他愛ない娯楽作もある)なかには昨年の「入管収容所」のように実話を巧みに芝居にした見るべき作品もある。とにかく、戦後新劇の社会問題劇作者たちとは比べ物にならない馬力のある現在の演劇界では異色の作者なのである。そこは評価すべきだと思う。
今回は、地方議会の対立勢力の議員たちに新劇大劇団の幹部級のいい俳優を呼んできたのが成功した。青年座の山本竜二の田舎大名さながらの無神経ぶり、女性議員と言えばいい役が多いのだが、気位だけは高く横暴で勝手なだけの女性議員(斎藤深雪・俳優座)、取りまとめが取りまとめにならない議長(葛西和雄・青年劇場)、立て前だけで結局頼りにならない良心派(小杉勇二・民芸)と主演級が巧みに役を肉付けしていて、なんと、3時間(間に休憩10分)飽きさせないのだ。みな面白そうにやっている。
ドラマの結末はお察しの通りで、変なアジ劇になっていないところがいい。だが、作者の馬力を考えればやはりここも面白いだけでなく、一度は本気で取り組んでみるべきテーマであることは忘れないでほしい。


インヘリタンス-継承- THE INHERITANCE

インヘリタンス-継承- THE INHERITANCE

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/02/11 (日) ~ 2024/02/24 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

欧米では時に、こういう大長編劇が出てくる。英米で著名な賞も受賞した大作の翻訳上演である。日本でも、田中角栄伝・四部作なんて作もあるが英米の場合は、この作品も、前の例では、エンジェルス・イン・アメリカでも、長編大河ドラマを一つの架空の劇的世界に設定し切ってしまう構想力がすごい。この大作の素材はアメリカ・ゲイ社会の三年間(前編だけ)である。コロナ直前の2015年から17年まで。新しい作品である。
前世紀末に同性愛者の間にエイズの猖獗があって、欧米では病気という以上に、性関係をもとに築かれる家庭を基盤とした社会を揺るがす衝撃があった。アメリカ社会は同性愛についてかなり神経質になった。それはヨーロッパも同じだが、日本はその圏外にあった。理由はすでに様々な社会学者によって分析されているが、日本は欧米ほど深刻ではなかったことは事実だろう。この芝居を見ているとそういう日・欧米差が良くわかる。(念を押すと、そのことの良い、悪いを言っているのではない)。まだ若い日本の演出者(熊林弘高・2010年デビュー)に気合が入っていて、大劇場の舞台の3時間余を見せ切った、ここが第一点。
舞台は、ニューヨークの高級アパートメントに長年暮らすゲイカップル、エリック(福士誠治、徒食の人?)とトビー(田中俊介・孤児出身・作家)を軸に、エイズを生き抜いた不動産の資産家ヘンリー(山路和弘)と、作品助言者のウオルター(笹井英介・大学の先生?)の高中年の二人、若い世代で、田舎から出てきた美少年アダム(新原泰佑)。この五人を軸に集まったゲイたちの三世代のドラマを描いている。長年のゲイカップルが結婚式を挙げるかどうか思案するところとか、家を持つかどうするか、とか前の時代の家族が一族の柱とした家庭の事情に、今も悩まされるところなどリアリティがある。人間なかなか変わろうとしても変われない。いかにもニューヨークのゲイ同士のこじゃれたパーティシーンから始まり、アブナ絵的なゲイカップル・シーンもある。演出のテンポもシーンのつくりもいいので、つい見てしまうが、物語はやはり日本とはかけ離れた世界なので、今少し登場人物が何をして食っているか、ちょっとした説明があってもいいのではないかと思う。ウオルターなど、せっかく斧語りの説明役的な役回りになっているのに、この人物そのものが良くわからない。アダムを演じた新原の二役のように単純な役割なら、これで成功と言えるだろうが、ドラマの中でもこのゲイ社会はもっと複雑に入り組んでいる。
ドラマは2015年おぱーてーから始まって、16年、17年と同じような場面がメインて、
なかにはトビーの小説あたって、ブロードウエイで上演されるというアメリカンドリームの話も組み込まれ、一つの軸になっている。
この前編の最期はヘンリーが死後に残す家をウオルターとともに訪れるところで終わっている。最後に出てくる家が、いかにもアメリカン・ドリームの家でこういうところにタイトルの人間の継承の面白さを見せたのか、とまぁ、納得はする。しかし、アメリカ社会の現実はもっと荒々しく荒れているのではないか。もう二十年近くあの地に足を踏み入れていないのでよくわからないが、この作品のヒントになったというフォスターの「ハワーズ・エンド」も結局家(家屋)の争いになったことを考えてしまう。この典型的なアメリカのi家庭の家を、いったどう超えようとしているのか、は後編待ちということなのか?


兵卒タナカ

兵卒タナカ

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2024/02/03 (土) ~ 2024/02/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日本人が書けば、どういう立場からもこういう物語にはならないが、ドイツの亡命作家が書くとこういう作品になるところが、面白いと言えば、面白いが、この舞台が興味を引くのは、そういう珍品掘り出しの上に、このところ注目を浴びている文学座の若い女性演出家たちの一人、五戸真理恵がスタイリッシュな演出で新鮮な舞台表現を成立させているところである。そこに尽きる。
一段高くなっている黒に覆われたノーセットの舞台に登場する俳優たちは、全員が白一色のギリシャ劇のような無国籍の衣装である。伴奏音楽は和風を織り交ぜた前衛音楽風で、効果音と相まって、不思議なリズム感を舞台に作る。一幕、二幕は50分そのあと10分の休憩三幕は45分。結構長いが、舞台の面白さに引きずられて飽きない。
全体がリアリズムではない新鮮な様式感で統一されている。がある。しかし様式がありながら現実感のあるリアルを舞台に残していて、見事である。たとえば、一幕の帰郷の場。村人たち、それぞれが、タナカに与えられた軍装を珍しげに触ってみるところ。
村人一人一人にちゃんと芝居がつけてあるだけでなく、全体の動きもタナカと同僚兵士ワダと村人たちの対比もよくできていて、兵士となったタナカと村が別の世界に住むようになったことがよくわかる。両者の間に起きる距離感(羨望や憎しみを含めた)がセリフにない演出をされている。
二幕で言えば、いわゆる売春宿のマワシをとるところ、前半はコミカルに様式的にできているが、この後に、兄妹の再会を持ってきて、喜劇から悲劇への急転の効果を上げている。うまい。ここまでに比べると、三幕の軍事裁判はいささかご都合主義に議論も進むので、残念なところではあるが、そこはやはり戦前の戯曲で、それを考えれば、あの国際情勢の中ではよく日本の状況を把握していたといえるだろう。
プロダクション制作で集められた俳優が主演のタナカをはじめみなすっきりと好演している。演出・五戸は前のパルコがうまくなかったが、今回は復調。やはり期待の新人である。

最高の家出

最高の家出

パルコ・プロデュース

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/02/04 (日) ~ 2024/02/24 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度

反面教師の舞台である。大きくは三つ。
まず、本がだらしがない。この作家はメタシアター作りが得意の様だが、外枠もできていなければ、内枠もできていない。結婚生活に飽き足らない若い女性が、家出をして人里離れた山中の劇場(演劇)と出会う物語だが、ファンタジーなのか、青春後期モノなのか、色々取り揃えてやっているが、結局何をやっているのかさっぱりわからない。かつて新興都市の読書クラブという面白い設定の同じつくりの作品(ロマンチック・コメディ)があったから手慣れているのかもしれないが、これではメタにする意味も分からなければ、その効果もわけがわからい。同じ構造の」KERAの再演(スラップスチックス)もやっているが、こうしてみると、KERAの劇的構成力との間には天地ほどの違いが分かる。
二つ目。キャスティング。際立つ軸がない場合に、軸を作る努力がスタッフ全体にかけている。物語が頼りないうえに、観客がついていける主人公に魅力がない。周囲も一部の若者の人気だけでそろえているから、脇でまとめられる役者がいない。これでは2.5ディメンションと同じで、それならそうと、もっと腹をくくって、ロビーをグッズ専門売り場とサイン会場にするくらいの覚悟がなければ、これでは関係者すべてに不満が残ってしまうだろう。
三つ。パルコ劇場は、都市演劇の新しいジャンルを開拓してきた実績もあり、制作部もある劇場である。劇場改築のころから、梅コマのように複数のプロデュースも行ってきているが、制作の方向が見えていない。2.5は本腰を入れれば、独自の領域が開けるかもしれないのに、制作部に方向性と情熱が見えない。これで、9千円で三週間打って客が来ると思っているなら、本や役者を読める人がいないということである。まだ始まったばかりなのに、半分がやっとでは先が思いやられる。
興行には失敗はつきものであるが、ほかにも、パルコ主催でまず、初歩の基本的取り組みでちょっとどうかと思う舞台が続いたので憎まれ口。

ガス灯は檸檬のにほひ

ガス灯は檸檬のにほひ

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2024/01/25 (木) ~ 2024/02/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

いかにも椿組らしい舞台である。
素材は明治時代の開化時代を素材にしたバラエティ・ショーといったところか。
廃藩置県になって故郷にいられなくなった小さな藩の藩主とその一族が開花期の東京に出てきて時代の波に翻弄される。よくある明治幻燈ものの道具立てでにぎやかに展開する2時間のショーである。
中央に盆を置いてだけの裸舞台で目まぐるしく変わる、地方の藩、追いやられた東京の下町長屋。生きる道があった横浜のラシャメン屋敷の各場面を軸に様々な場面を多くの出演者(20名くらいか)がストーリーを展開していく。開化モノのよくある話で、ずいぶん省略されているが通じてしまう。そこが残念ながら薄味なところで、結局多くのキャストがデハケを間違えないで、どんどんやるところが見どころと言えば見どころだろう。必要以上に舞台上は騒がしいが、そこが軽く楽しめるかというと、そこまではいっていないので、見ていると疲れてくる。ご苦労様という感じだ。秋之桜子らしい味のある情緒的な場面がなかったのも残念なところである。

短編3傑作

短編3傑作

Nana Produce

テアトルBONBON(東京都)

2024/01/24 (水) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

見たことのあるタイトルだナと思ったら、一年ほど前に見たシリーズに続く短編集だった。前の作品は初期作品らしく、短編を生かした素直なつくりでよかったが、今回はだいぶ大人になった短編集だ。中でも「人の気も知らないで」は昨年小さな新人公演で見ている。そのときは初演のままだったらしいが、今回は少し手を入れていて、登場人物もかなり大人になっている。そういう手の入れ方もできるのが短編の面白さだ。
今回はチョコレートケーキの日澤雄介(演出)が役者で出ているというので、首尾やいかんと出かけた。「さらば鎌玉」 は比較的新しい作品の様だが、日澤の役回りが、ステロタイプの喜劇性を強調する役だったので、出演者としての日澤雄介の器量はわからなかった。まぁ、止めといたほうがいいとは思ったが、横山もチョコレートケーキに出てみると何か発見があるかもしれない。目が行き届く、という点では若い劇団としては両劇団とも、鈍感な旧劇団よりずっと敏感なので役立つかもしれない。しかし、金を払う観客としては、あまり、そこは見なくてもよかった気がする。現代若者風俗劇としては生な感じはよかった。
戯曲の見本市みたいな上演で、それはそれで意味はあるが、それなら、今少し、役者にはどこかもっと見どころのある俳優を選ぶのがプロデュース公演をやる事業者としての心掛けだろう。シスカンパニーを見習えとは言わないけど、それぞれのレベルで、もっとキャスティングのやりようがあるだろう。戯曲の出来を考えると、ヘタな役者はいなかったが、抜け出すだけの器量があるかどうかは疑問だった。独特のヘタウマのマッピングがなければ、この公演かなりつらかったのではないか。
 

ネタバレBOX

t寺十吾が、三作とも現実感のあるリアルを外したところで演出していて、その意味もよくわからない。横山は基本的にはリアリズムの作家で、笑劇にするにはリアルすぎるシチュエーションだから。
パートタイマー・秋子【石川公演中止】

パートタイマー・秋子【石川公演中止】

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/01/12 (金) ~ 2024/02/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

以前に青年座の公演のために書いた本を本人演出で書き直して、全く感じが変わった作品になったという。その良し悪しは別にして、今回の上演は主演に商業スターの沢口靖子、わきに小劇場出身ながら商業劇場経験も多い生瀬勝久を配することで新しい娯楽演劇に道を開いた。二人へのギャラは苦しいかもしれないが、東芸の地下も、これだけ満席になれば、新商業演劇になるのではないかと希望が持てる。
内容は、大スーパーに押され気味(それでなくとも苦しい)の中小スーパーのバックヤードの一杯セットで、そこの古株、新入り入り混じったアルバイトたちと新任会社側経営店長(亀田佳明)が、何とか身過ぎ世過ぎで日々を送っていく風俗劇で、生活をよく調べてあって、いかにもの、面白さである。
作劇の構成は、新店長の就任セールが成功するか否かの大売り出しへ向かってサクセスストーリーで組んである。その中に、中高年採用とか、万引き(社員も含め)対策の苦労とか。上も下も苦しいスーパー経営とか、現実を巧みに織り込んでいる。永井愛の作品としては、どこかで顔を出す青臭い正義感とか、政治的主張を今回は抑えて裏側へもっていったのが成功した。こうしてみれば、言われなくても作者の意図は十二分にわかる。俳優の力も新生面を引き出している、沢口靖子は経験も十分のスターだが、文学座の舞台でこそ期待されてきたが一般にはそれほどなじみのない若手主演俳優の亀田佳明が特にいい。この新店長の裏にも表にも人物的なふくらまし方がうまい。それが単に風俗劇としてだけでなく、新しい商業演劇にもなっている。休憩を入れて2時間45分。
この劇場でほぼ一月28公演、そのあと全国公演14ヵ所。

ヘルマン

ヘルマン

ティーファクトリー

吉祥寺シアター(東京都)

2024/01/18 (木) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

はじめ、演劇で芝居になりやすいヘルマンなら、リリアン・ヘルマンに違いないと思い込んでいた。チラシをよく見て小説家のヘルマン・ヘッセと知った。こちらも読んではいるが、もう七十年も前、生意気盛りの中高校生のころだから、同級生とも今時甘ったるい青春ものだ、と言い合ったものだが、実は、みな同世代の青春ものに生々しく感動していたのだった。
川村毅の「ヘルマン」は、ヘルマンヘッセの作品の少年期の思い出を原文をもとに詩的に構成演劇にしたものを老人(麿赤児)が回想していく形で、名作「車輪の下」や「少年時代の思い出」を、ほぼ4場面を軸にまとめて構成している。
吉祥寺シアターのホリゾントいっぱいにスクリーンを張り、その前で演じられる台本は原文の構成もありダンスもあり、そこに映像投影もある。川村毅の舞台によくあるスタイルだが、いつも感心するのはそのまとまりが非常にスマートでアングラ風の泥臭さや貧乏たらしさがないことで、もちろん小劇場だから至らぬ所は見えるのだが、それに怖じずスタイリッシュな演出スタイルを崩さない。1時間20分ほど。意外なことに中年のインテリ風女性が多く、満席。
なぜ、今突然ヘッセなのかはわからないが、チラシに「僕の魂の本当の居場所を探している」といわれると、同世代だけにその気分になることはよくわかるし、それが舞台に結実している。第三エロチカからここまで、この演劇人はあまり時代にぶれず、自分の演劇を通して時代を生きてきたのだ。その自信が見える舞台だった。


死ねばいいのに

死ねばいいのに

舞台「死ねばいいのに」製作委員会

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/01/20 (土) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ミステリ小説が劇化される機会は意外に少ない。小説を書くときは初めから劇のことを考慮していない。劇には劇のつくり方もあって、筋は同じでも小説とは作りが違う。脚色物は、本格謎解き物は別にして、小説の面白さが劇に乗り移っていかない。
京極夏彦のミステリ世界は劇になじみやすいとは思うが、小説的な技巧的を好んで使う作家だけに、完成した小説から劇場の演劇ファンを満足させる作品を作るのはかなり難しい。京極夏彦三十周年をうたったこの劇化にもその苦しさは付きまとう。
今回は、中堅の地歩を固めつつあるシライケイタの脚本。演出。原作者の周年イベントを意識したのか、原作を立てた舞台である。
紀伊国屋サザンの舞台は、ヤオヤの舞台に階下のニトリのショールームかという感じでソファやイス、テーブルが雑然と並べられている。最初の三分の二は、絞殺された若い女性の生前の実像を、生前関係のあった男女に、男(新木宏典)がきいていくインタビュー形式である。速いテンポで、現代的な勝手な男女たちに死んだ女性が翻弄されながら生きていたことがわかる。年上の不倫男、女性マンションの隣室に住む同じ職場の上司の女性。女を売買する暴力団の男。産みっぱなしだった実の母親。最後のあっていた男。小説で作者の筆で書かれれば読めるこれらの類型的人物も演じる役者によってはしらける(ありていに言えばヘタな)役者もいる。それらの人物は最後に「死ねばいいのに」と結論付ける。
そこからが面白いところで、ここまで来るのが長すぎる。ここから後はネタバレになるので控えるが、予想できるスジながら見せ場はある。
興業のつくりが2.5演劇のつくりでもあるので、あまり多くは言えない。客席は半分。

シラの恋文

シラの恋文

シス・カンパニー

日本青年館ホール(東京都)

2024/01/07 (日) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2035年、コロナの後に力を取り戻した結核が再蔓延。昔日のように高原のサナトリウムには患者が隔離されている。日中戦争も予感されるし、地球温暖化も目前、サナトリウムでは自然農法に患者も医師たちも精を出すがこの施設を出、地上に生還できるものは数少ないと。
そこにギター片手にテンガロンハットで現れた新しい介護士(草薙剛)の見る近未来の災厄の数々と、一目で落ちいった恋の行方はどうなる。
いつものように北村想戯曲らしく、諦観している病院長(檀田安則)は古来の剣術が治療に役立つといい、府院長(鈴木浩介)は輪廻転生を説く。未来予測、宗教や先端科学のかみ砕いた(中には落語の一節もある)解釈などを織り込んで、俳句で筋を転がして、一瞬の恋こそが救済のきっかけになるロマンスものの1時間45分。満席の客席のほとんどは草薙ファンの女性たちだが、そういうファン・サービスの少ない北村戯曲である。
しかし、北村戯曲になじんでいれば、これはまた、道具だてが変わるだけで処女作の傑作「寿歌」の現代版と見て取れる。
大八車を引く浮浪者じみたゲサク、ヤスオ、キョウコの頭上に原子核戦争の放射能雪が舞う終末は、雄大な山麓を望む大きな山のスロープに降る雪になり、シラは戦争に駆り出されていく。シンプルな話でこのような韜晦趣味がなくても十分観客に訴える内容はある現代劇ではある。だが、年末に、関西・中部を回わり東京で打ち上げる二か月にわたる大興行となれば、舞台(の内容)と観客をつなぐものが、草薙の人気頼りというのはいかにも苦しかった。さすが何でもできる現代第一級の主演者も、これはなにもしないほうがいいのではないかと戸惑っているようでもあった。

みえないくに

みえないくに

公益社団法人日本劇団協議会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/01/18 (木) ~ 2024/01/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「オデッサ」に引き続き言葉のドラマだ。同じ池袋の東京芸術劇場、大劇場のプレイハウスでは三谷幸喜、地下のシアターイーストでは、今年が楽しみな鈴木アツト。上がベテランの客受け狙いのコメディなら、地下はユニークな視点の現代劇だ。
こちらの素材になった言葉はグラゴニア共和国だけで話されているグラゴニア語。人口も60万と数が少なく、まだグ日辞典も日グ辞典もない。その言葉に魅せられた翻訳者(壮一帆)が小さな出版社で定年前最後の仕事にしようと熱意を燃やす編集者(土居裕子)とそれを引き継ぐ編集者(田中愛実)の応援を経て初の辞典を刊行しようとしている。この国にはこの言葉で書かれたノーベル文学賞級の女流作家の未紹介の作品もある。イメージだけで出てくるこの女流作家(岡千絵)が「みえないくに」の孤立言語の作家らしい味を出している。
翻訳者と出版社の出版契約が整ったところで戦争が起きる。グラゴニアが侵略国となって、世界の敵になったのだ。留学した翻訳者は、あのような善良な国民たちが侵略するとは信じられないというが、言葉も知られていない国のことゆえ、衆寡敵せず、国連の下でこの国はなかったことになってしまう。現代のSNS状況を張り付けた展開で、出版社も叩かれては存続も怪しいと社内論争の末、辞典の刊行も中断してしまう。
信頼できると思っていた現地の作家もあっさり侵略側に回ってしまって、その理由が不明なところなど、こういう事件にありがちの日本的空気をついている。話の展開はかなり乱暴なところもあるのだが、永井愛流の風俗模様で現在の世界情勢や、日本の国際音痴ぶりを面白くドラマ化していて、結構客も面白がってみている。1時間45分。文化庁の助成があったためか、俳優の配役も贅沢で、楽しんでみられる。文化庁が演劇に口を出すと、新国立劇場のようにむやみに金をばらまくだけで、ろくなことにならないが、助成金で演劇人たちに海外を体験させる事業は成功している。
せっかくの舞台の公演も上の劇場に比べればわずか五日ほどだし、小屋も小さく入りも七割ほどだったが、この作・演出の鈴木アツトは、頭でっかちになりがちのテーマも素材の取り方も、作劇術も、ダンスや舞台美術を芝居の中で生かす手法も新鮮で期待できる。

オデッサ

オデッサ

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/01/08 (月) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三谷幸喜らしいコメディで、そつはないがひねっただけのコクはない。
テキサスのオデッサという町の警察署が舞台の事件捜査の話である。アメリカ生まれの日系二世の女性警部(宮沢エマ)が取り調べを任された旅行者(柿沢英人)は日本人で英語が話せない。やむなく、アメリカ滞在中の日本人が臨時の通訳(迫田孝也)として雇われる。三人芝居で、日系二世の女性警部は日本語は話せない設定だから、苦しいが、全員日本人キャストでアメリカの田舎の話が不自然ではなくで舞台が進む。その苦し紛れも前半はずいぶん笑いにネタに使っているし、言葉のディスコミュニケーションのテーマも平易に伝わっては来る。
後半はストーリー設定に使われている、事件のミステリードラマ的な展開が主筋になって、田舎町の警察の事件を使いまわして笑わせながらサスペンスドラマの味も加えながら1時間45分飽きさせない。休憩なし。
細かい工夫もあって、舞台下手袖にピアノが一台、作曲者(萩野清子)が自分で弾き、劇伴もするし、柿沢、宮沢のミュージカルもどきの場もある。アメリカの話で言葉は一人は英語は話せるが、日本語はだめ。逆の人物もいるし、日英どちらもいけるという設定の人物もいる。聞き違えるとこんがらかるところだが、広く正面壁にスクリーンを張ってそこに字幕を出す。壁を押し抱いたり引いたりしたり、字幕の字を人物に寄せたり、説明に使ったり単なる字幕以上の効果を担っている。
笑いに加えて、サスペンス、謎解きをあの手この手と展開するのは間違いなく今一番人気の劇作家の腕ではあるが、全体としてはひねりすぎでおおらかに笑えない。人種差別問題や、言葉の問題も扱ってはいるが話の背景の一つになってしまって押しが足りない。正月早々野暮を言うようだが、三谷も喜劇とかエンタティメントの言い訳衣装を脱いで、奇想天外新境地の演劇を見せてもらいたいものだ。それはオデッサのように場所のひねりなどからは生まれないような気がする。

Strange Island

Strange Island

Nakatsuru Boulevard Tokyo

サンモールスタジオ(東京都)

2023/12/13 (水) ~ 2023/12/20 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

中津留はいろんな公演ブランド名で活動している。昔は商業演劇と新劇をかき分ける作者もいて「業者」と陰口を叩かれたものだが、現実には、そうしないと食べていけなかった。ブランド名というのはわかりやすいし、それぞれの良さはあるのだし、観客も面白い舞台がたくさん見られればいいのだから変に純粋にアート風に頑張ることもない。多作のできるこの作者にはさまざまに活躍してほしい。
このシリーズは,ヴォードヴィる・トーキョーと言っているから、大衆演劇を面白くやろうという趣旨なのだろうか。それなら新宿という場所にもふさわしい企画だ。
舞台ははっきり登場人物も設定も明確に決められた社会風刺劇である。金持ちは表町、貧乏人は裏町に住んで、表町が何事も支配していて豊かに暮らし、裏町の人々は貧しい生活を暮らしている。それが当然の社会だ。しかし、人間なら人情もあって、表町の男は裏町の女に心を奪われることも起きるし、逆もまた起きる。しかしそれらは、さまざまな形で封印せざるを得ないような仕組みになっている。
現実の日本の社会も重ねられるわけで、そこをヴォードヴィル風に舞台は進んでいく。展開も早く、話も大振りなので富裕側も貧民側も多くの人間が出てきてどんどん進む。
設定が設定だから、類型的な話もたくさんあるが、2時間半、とにかく飽きさせはしないが、話にコクがない。役者に華がない。若いカンパニーを育てようという意図も見えるが、やはり、小劇場なりの華のある役者がいれば少し違っただろう。そのあたりが課題だろうと思う。

閻魔の王宮

閻魔の王宮

劇団俳優座

俳優座劇場(東京都)

2023/12/20 (水) ~ 2023/12/27 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

珍しく現代中国の地方(河南省)を舞台とした社会問題劇である。となると、現・中国で中国語で書かれるはずも。上演されるわけもなく、れっきとした英語でかかれたイギリスの芝居である。独裁国家のもとにあっては、かの地の生活の現実は知る由もなく、わずかにその地に地縁血縁のある作者によりこのような演劇が上演されるのは貴重な例と言っていいだろう。
1990年ごろまで、中国は文化革命による社会の混乱、保守化によってことに農村部は疲弊していた。そんな河南省の農村の兄弟は老父を抱え、ようやく生産性の低い馬鈴薯の栽培から花卉栽培に移行しようとしていたが、兄はさらに鄧小平の唱える、開放施策に乗って新しい仕事に挑もうとしていた。地を這うような農業を離れ、農民たちの売血センターを作り、そこから取り出す血漿を販売しようという計画である。計画は順調に進むが、センターの看護婦の知識の未熟から売血時の事故にあった弟は会社からの賠償金で生きるようになり、兄は専門家の研究者を妻にして会社を支配することになる。
つまりは、農民たちは農業労働で搾り取られる状態から直接自らの血液を売って、安楽な暮らすことになったのだ。しかし性急な施策は未成熟の医療環境もあって、売血によって感染が広まるHIVの感染を広げることになる。しかし、農民たちは一度味わった安逸な生活を捨てられないし、売血の商売を知った施政者たちはそれで生き続けようとする。(95年ごろ)ドラマの主人公たちの家族もまた、それぞれの自らの利益の思惑で分裂していく。幸せは、生命か、金か。
デュレンマットが1950年代に書いた「貴婦人の来訪」と同じテーマが、ここでも問われる。自らの欲望によって背負わされた重荷を持つ人々は破滅が待つ閻魔の王宮に引き出される。2004年には、中国の調査で3万人弱、海外のNGOの調査によれば50万人以上にお感染者がいるという。現状はよくわからない。
三つに分かれ、自在に移動できる円形の三つの一メール半ほどの高い平台とその前に置かれた机と数客の椅子だけの舞台で、破滅に向かう農民兄弟の家族の多くのシーンがほとんど直結でテンポよくつながれていく。中国で起きた事件の経緯は、情報封鎖されている国のことだから、ドラマとして知るだけなのだが、いかにもありそうな話、と感じるのは、日本でも売血によるこのような感染事故(B型肝炎事故)はあったからだ。
現に大きなコロナの感染があり、ドラマのような人為的な犯罪事件もあれば、人知が及ばないための事故もある。そのたびに、このように人間の知恵は良かれとも、悪知恵にも働いていくものだと、改めて知ることになる。これはまさにそういう警告のドラマである。日本人が知らない中国の人間家族関係は少し特殊でなじみがなく、そこは翻訳物ではあるが、もう少し整理してわかりよくしてもよいのではないかと思った。その点では、演出の真鍋卓嗣はこのところ腕を上げてきているのだから。



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