みえないくに
公益社団法人日本劇団協議会
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/01/18 (木) ~ 2024/01/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「オデッサ」に引き続き言葉のドラマだ。同じ池袋の東京芸術劇場、大劇場のプレイハウスでは三谷幸喜、地下のシアターイーストでは、今年が楽しみな鈴木アツト。上がベテランの客受け狙いのコメディなら、地下はユニークな視点の現代劇だ。
こちらの素材になった言葉はグラゴニア共和国だけで話されているグラゴニア語。人口も60万と数が少なく、まだグ日辞典も日グ辞典もない。その言葉に魅せられた翻訳者(壮一帆)が小さな出版社で定年前最後の仕事にしようと熱意を燃やす編集者(土居裕子)とそれを引き継ぐ編集者(田中愛実)の応援を経て初の辞典を刊行しようとしている。この国にはこの言葉で書かれたノーベル文学賞級の女流作家の未紹介の作品もある。イメージだけで出てくるこの女流作家(岡千絵)が「みえないくに」の孤立言語の作家らしい味を出している。
翻訳者と出版社の出版契約が整ったところで戦争が起きる。グラゴニアが侵略国となって、世界の敵になったのだ。留学した翻訳者は、あのような善良な国民たちが侵略するとは信じられないというが、言葉も知られていない国のことゆえ、衆寡敵せず、国連の下でこの国はなかったことになってしまう。現代のSNS状況を張り付けた展開で、出版社も叩かれては存続も怪しいと社内論争の末、辞典の刊行も中断してしまう。
信頼できると思っていた現地の作家もあっさり侵略側に回ってしまって、その理由が不明なところなど、こういう事件にありがちの日本的空気をついている。話の展開はかなり乱暴なところもあるのだが、永井愛流の風俗模様で現在の世界情勢や、日本の国際音痴ぶりを面白くドラマ化していて、結構客も面白がってみている。1時間45分。文化庁の助成があったためか、俳優の配役も贅沢で、楽しんでみられる。文化庁が演劇に口を出すと、新国立劇場のようにむやみに金をばらまくだけで、ろくなことにならないが、助成金で演劇人たちに海外を体験させる事業は成功している。
せっかくの舞台の公演も上の劇場に比べればわずか五日ほどだし、小屋も小さく入りも七割ほどだったが、この作・演出の鈴木アツトは、頭でっかちになりがちのテーマも素材の取り方も、作劇術も、ダンスや舞台美術を芝居の中で生かす手法も新鮮で期待できる。
オデッサ
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2024/01/08 (月) ~ 2024/01/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
三谷幸喜らしいコメディで、そつはないがひねっただけのコクはない。
テキサスのオデッサという町の警察署が舞台の事件捜査の話である。アメリカ生まれの日系二世の女性警部(宮沢エマ)が取り調べを任された旅行者(柿沢英人)は日本人で英語が話せない。やむなく、アメリカ滞在中の日本人が臨時の通訳(迫田孝也)として雇われる。三人芝居で、日系二世の女性警部は日本語は話せない設定だから、苦しいが、全員日本人キャストでアメリカの田舎の話が不自然ではなくで舞台が進む。その苦し紛れも前半はずいぶん笑いにネタに使っているし、言葉のディスコミュニケーションのテーマも平易に伝わっては来る。
後半はストーリー設定に使われている、事件のミステリードラマ的な展開が主筋になって、田舎町の警察の事件を使いまわして笑わせながらサスペンスドラマの味も加えながら1時間45分飽きさせない。休憩なし。
細かい工夫もあって、舞台下手袖にピアノが一台、作曲者(萩野清子)が自分で弾き、劇伴もするし、柿沢、宮沢のミュージカルもどきの場もある。アメリカの話で言葉は一人は英語は話せるが、日本語はだめ。逆の人物もいるし、日英どちらもいけるという設定の人物もいる。聞き違えるとこんがらかるところだが、広く正面壁にスクリーンを張ってそこに字幕を出す。壁を押し抱いたり引いたりしたり、字幕の字を人物に寄せたり、説明に使ったり単なる字幕以上の効果を担っている。
笑いに加えて、サスペンス、謎解きをあの手この手と展開するのは間違いなく今一番人気の劇作家の腕ではあるが、全体としてはひねりすぎでおおらかに笑えない。人種差別問題や、言葉の問題も扱ってはいるが話の背景の一つになってしまって押しが足りない。正月早々野暮を言うようだが、三谷も喜劇とかエンタティメントの言い訳衣装を脱いで、奇想天外新境地の演劇を見せてもらいたいものだ。それはオデッサのように場所のひねりなどからは生まれないような気がする。
Strange Island
Nakatsuru Boulevard Tokyo
サンモールスタジオ(東京都)
2023/12/13 (水) ~ 2023/12/20 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
中津留はいろんな公演ブランド名で活動している。昔は商業演劇と新劇をかき分ける作者もいて「業者」と陰口を叩かれたものだが、現実には、そうしないと食べていけなかった。ブランド名というのはわかりやすいし、それぞれの良さはあるのだし、観客も面白い舞台がたくさん見られればいいのだから変に純粋にアート風に頑張ることもない。多作のできるこの作者にはさまざまに活躍してほしい。
このシリーズは,ヴォードヴィる・トーキョーと言っているから、大衆演劇を面白くやろうという趣旨なのだろうか。それなら新宿という場所にもふさわしい企画だ。
舞台ははっきり登場人物も設定も明確に決められた社会風刺劇である。金持ちは表町、貧乏人は裏町に住んで、表町が何事も支配していて豊かに暮らし、裏町の人々は貧しい生活を暮らしている。それが当然の社会だ。しかし、人間なら人情もあって、表町の男は裏町の女に心を奪われることも起きるし、逆もまた起きる。しかしそれらは、さまざまな形で封印せざるを得ないような仕組みになっている。
現実の日本の社会も重ねられるわけで、そこをヴォードヴィル風に舞台は進んでいく。展開も早く、話も大振りなので富裕側も貧民側も多くの人間が出てきてどんどん進む。
設定が設定だから、類型的な話もたくさんあるが、2時間半、とにかく飽きさせはしないが、話にコクがない。役者に華がない。若いカンパニーを育てようという意図も見えるが、やはり、小劇場なりの華のある役者がいれば少し違っただろう。そのあたりが課題だろうと思う。
閻魔の王宮
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2023/12/20 (水) ~ 2023/12/27 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
珍しく現代中国の地方(河南省)を舞台とした社会問題劇である。となると、現・中国で中国語で書かれるはずも。上演されるわけもなく、れっきとした英語でかかれたイギリスの芝居である。独裁国家のもとにあっては、かの地の生活の現実は知る由もなく、わずかにその地に地縁血縁のある作者によりこのような演劇が上演されるのは貴重な例と言っていいだろう。
1990年ごろまで、中国は文化革命による社会の混乱、保守化によってことに農村部は疲弊していた。そんな河南省の農村の兄弟は老父を抱え、ようやく生産性の低い馬鈴薯の栽培から花卉栽培に移行しようとしていたが、兄はさらに鄧小平の唱える、開放施策に乗って新しい仕事に挑もうとしていた。地を這うような農業を離れ、農民たちの売血センターを作り、そこから取り出す血漿を販売しようという計画である。計画は順調に進むが、センターの看護婦の知識の未熟から売血時の事故にあった弟は会社からの賠償金で生きるようになり、兄は専門家の研究者を妻にして会社を支配することになる。
つまりは、農民たちは農業労働で搾り取られる状態から直接自らの血液を売って、安楽な暮らすことになったのだ。しかし性急な施策は未成熟の医療環境もあって、売血によって感染が広まるHIVの感染を広げることになる。しかし、農民たちは一度味わった安逸な生活を捨てられないし、売血の商売を知った施政者たちはそれで生き続けようとする。(95年ごろ)ドラマの主人公たちの家族もまた、それぞれの自らの利益の思惑で分裂していく。幸せは、生命か、金か。
デュレンマットが1950年代に書いた「貴婦人の来訪」と同じテーマが、ここでも問われる。自らの欲望によって背負わされた重荷を持つ人々は破滅が待つ閻魔の王宮に引き出される。2004年には、中国の調査で3万人弱、海外のNGOの調査によれば50万人以上にお感染者がいるという。現状はよくわからない。
三つに分かれ、自在に移動できる円形の三つの一メール半ほどの高い平台とその前に置かれた机と数客の椅子だけの舞台で、破滅に向かう農民兄弟の家族の多くのシーンがほとんど直結でテンポよくつながれていく。中国で起きた事件の経緯は、情報封鎖されている国のことだから、ドラマとして知るだけなのだが、いかにもありそうな話、と感じるのは、日本でも売血によるこのような感染事故(B型肝炎事故)はあったからだ。
現に大きなコロナの感染があり、ドラマのような人為的な犯罪事件もあれば、人知が及ばないための事故もある。そのたびに、このように人間の知恵は良かれとも、悪知恵にも働いていくものだと、改めて知ることになる。これはまさにそういう警告のドラマである。日本人が知らない中国の人間家族関係は少し特殊でなじみがなく、そこは翻訳物ではあるが、もう少し整理してわかりよくしてもよいのではないかと思った。その点では、演出の真鍋卓嗣はこのところ腕を上げてきているのだから。
東京ローズ
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/12/07 (木) ~ 2023/12/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
こういうことはやってはならないことだと思う。
海外の演劇祭に出かけて行って、トライアウト中の日本素材の舞台をチラと見て日本で買って上演してしまう。完成してからでもいいではないか、仁義に反することだと思う。それを国立の劇場が?恥ずかしくないのか。これで協力していると考え違いをしている。
脚本は英米で散々作られてきた30年代から50年代にかけての、第二次大戦をめぐる国家と個人の葛藤がテーマである。戦時中偶然の機会でラジオトーキョーの海外短波宣伝放送のアナウンサーになり、東京ローズとして戦争アイドルになり、戦後は国家反逆罪に問われた不幸な女性の半世紀である。アメリカには赤狩りの歴史があり、イギリスには戦時中のスパイで問われた思想家たちがいる。(もちろん日本にもいるが、内容が違う)
英米とは国家への忠誠心の質も内容も違うので、脚本も日本人にわからせようとはしていない。アメリカの国家への反逆が問われるに至った半世紀の長い物語である。それは全くと言っていいほど日本の事情は違う。わかりにくいところを無理やり、日本の事情を押し込んで、日本人の物語にしてまとめてしまう(最後の三十分)のは、全く理解に苦しむ。
さらに言えば、主人公を6人の俳優で次々と演じていくのも意味がわからないし、どう見ても無理なシーンが多いのに無理やりフィメールキャストでやる意味も分からない。舞台を見れば、まるで俳優が乗っていないのが見える。
そもそもこのテーマをミュージカルでやる意味もわからない。確かにこのような素材を最近はミュージカルでも取り上げるが、この舞台では楽曲もおおむね平凡で、これならストレートプレイで正面からやればいいのに、と思う。いい女優も出番が終わるとさっさと、お役御免という退場をしていく。
この素材は興味を引く素材で、日本でも海外でもかつて、何度も演劇・映画製作者が手を付けて挫折している。完結できたのはテレビのドキュメンタリー・ドラマ風のものだけではないか。すでにドウス昌代の優れたノンフィクション本以来50年、その後の裁判記録も公開されている。難しい素材に暢気に無手勝流で臨んで、やったつもりになっただけ。
その辺はよく客席も知っていて、いつものように半分も売れなかったのだろう、見た回は半分から後は、都内の演劇学校生徒の団体ががやがやと入っていた。
十二月八日
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2023/12/14 (木) ~ 2023/12/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
朗読劇の成功例である。
朗読はどうしても演劇の迫力に及ばない。そこをどうすれば対抗できるか、をよく考えてある。
まずは、企画がいい。
太宰治のこの短編を見つけてきたことが第一。背中から手を伸ばして人の心をつかみそうな太宰の言葉のうまさをちょっとあざといくらいに巧みに編集している。80分。
次に素材。朗読される内容に、現実にはいまは存在しない世界へ観客のイメージを飛ばす力がある。素材が今の現実を打つ力がある。しかも開戦月の十二月の公演。
12月八日のこの日は、もう私は物心はついていたから、記憶にある。太宰の文章の力はその記憶へ帰っていかせるだけの力を持っている。大きな嘆息とともに、あぁ嫌な時代だったなぁ、と思うし、国民が集団幻想に踊らされるとどんな悲劇が待っているかは、今の人の多くは知ろうともしないが、私の世代はその解釈は人それぞれとしても、生身の骨身に染みて知っている。朗読という形式はそこへ素直に帰っていかせる回路として、演劇よりも力がある。
朗読劇では、このような半分立ち芝居を混ぜた形で便宜的に処理することが多いが、この公演には必然性がある。音楽(歌)も同様。この朗読「劇」にとって、余計なものを周到に省いて独自の世界を作ろうとしている。一段高く平台を重ね、白布を覆った舞台と、周囲の椅子だけ舞台表現に手を抜いていない。時に象徴的にフリーズショットになるところも、あざといくらい決まっている。
難をいえば、選択した原文部分はこれはこれでまとまっているが、今の人にわかりやすいおセンチなエピソードでまとめすぎているところだろうか。太宰を掘ればもう少し苦いところも出てくるはずである。
俳優はみな柄をうまく生かされていて、この吉田小夏という作演出は初めて見たが、なかなかのタマである。五十隻くらいか、満席。
喜劇 二階の女
劇団NLT
博品館劇場(東京都)
2023/12/13 (水) ~ 2023/12/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
昔の新劇であるが、いろいろ考えさせるところがある公演だった。
こういうドラマを面白がってみていた時代は確かにあったのに、今はもうこういう芝居は上演されないし,見にもいかない、忘れられている。
原作獅子文六。戦前のフランス文学育ち。戦時中は、戦意高揚(とまではいかないまでも紛うことなき体制協力の)の新聞小説も書いていた。昭和二十年代の喜劇調ベストセラー作家。同時に戦後は文学座の支柱。
脚本・飯沢匡。戦争中は新聞記者であり同時に韜晦した喜劇作家、戦後は編集者として今でいえば「文春砲」を連発。ジャーナリストの意味を世間に知らせた。児童向けラジオテレビ脚本演出で当時の子供は誰でも知っている。文学座で戦後混乱期の新劇脚本家。
ともに文芸界の巨匠の名を得て世を去った。今「二階の女」を趣味的作品と批判することはたやすいが、この作品に込められた不幸な時代に遭遇した日本の知識人の苦い思いはいまの時代に、亡霊のように立ち上がってくる。
原作小説は終戦直後、疎開先の地方のローカル新聞、愛媛新聞に連載された新聞小説。脚本はもう戦後も落ち着いて、八十年代になって飯沢匡としては晩年の本である。
舞台は戦前の、戦争の空気が次第に濃くなっている時勢を背景にした当時の上層階級のホームドラマである。見どころを二つ。まず、
あの時代環境の中で、原作者が疎開先で書いた悠々迫らない時代観察がすごい。当時の左右極端な世論に全く動じていない。二階の女は、シンボルに逃げたのようにも見えるが、よく見るときちんと時代を見て痛烈に批判している。今の時代を見まわしてなかなかこういう知識人はいない。時宜を得た企画だと思う。
二つ。たぶん、ノーカットで(少しは切っているかもしれないが)上演した勇断。よく調べて再演に臨んだ鵜山仁の演出。博品館で上演三時間は長いが、芝居の面白いところを逃さず飽きさせない。演劇では、今更時代をなぞっても仕方がない面もあり、今はこの時代の時代考証は、これだけ丁寧にはやらないし、内容中心である。(たとえば、チョコレートケーキの舞台は、あまり風俗考証にこだわらない)。俳優たちも現代風の受け芝居をやめて、戯曲に書かれた風俗描写に忠実に演じようとしている。この舞台は、戦争直前のあの時代に生きた市民生活をフォローすることにより、時代の実相を見せてくれた。
それにしても、苦い時代だった。芝居では珍しい温故知新であった。
空ヲ喰ラウ
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/11/28 (火) ~ 2023/12/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
iakuに続き、二週続けて日本の山林労働者を素材とした舞台を見た。
日本は国土の七割(だったか?)を山林に覆われていながら、そこで生活する人たちがドラマに登場する機会は少ない。iakuの素材は猟師、桟敷童子の「空ヲ喰ラウ」は森林保全の労働者が素材である。
山の労働者が、土建業のように、「組」で組織されていて、『空師」と呼ばれていることも知らなかったから、素材としては新鮮である。その仕事の作業実態も、日々の生活も、労働者不測の現状も知らなかった。そのような情報に関してはほとんどキャンペーンドラマのように整理されてせりふではっきり説明されるのでよくわかり、面白く飽きない。
しかし、ドラマがそこに住む人たちのリアルな心情を映して、下界で生きているものに訴えるかというと、そこが弱い。労働者たちの作業する山の領域を争う組の対立で、描かれる人々は、まるで落ち目になったやくざの組の勢力争いをする人々のようなキャラクター付けだし、異分子として山に入ってくる若い人たちも、よくあるテレビドラマ的な安易な設定と古めかしい物語展開である。パガニーニの選曲もどういうつもりが分からない。こけおどしか。
舞台がべた、割セリフのように進むのも興をそぐ。2時間弱。満席。
「空師」という言葉は確かに新鮮で、象徴性も訴迫力もありいい言葉だが、そこへもっていけば収まる、というところがつまらない。この劇団は、戦後一時流行った集団製作のような劇団制をとっていて、今の時代にどういう作品が生まれるが見てみたい気もするが、せっかくの素材を、セットでしか生かせないとすると、集団の創作力も鈍っていると自戒しなければならない。戦後のこの手の製作手法で活動した劇団は、その自戒を怠った所から自壊していった。
モモンバのくくり罠
iaku
シアタートラム(東京都)
2023/11/24 (金) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
久し振りのiaku公演である。自分も、周囲も納得し、生きたいように生きる、というのは現代に生きる人々の究極の幸福の理想だろう。だがそれを実際にやってみると、・・・というのが今回のテーマである。この作者らしい巧みなテーマ設定で、広い年代にアピールできる。ある意味では平凡なテーマなので、設定は飛んでいる。山中に独居して狩猟を生業とする夫婦(枝元萌・永滝元太郎)と娘(祷キララ)一家の物語、一夜半の一幕物である。(二場で1時間45分)
1年前から山中の生活に耐えられなくなった娘が、山の下で生業を持っている夫のもとから戻ってくる。山の下にも生活の拠点を持つ夫は新しくバーを開こうとして女性(橋爪未萌里)を雇おうとしている。山の上ではかつて妻を狩猟事故に巻き込んでしまった仲間の猟師(緒方晋)が、なにかと妻の面倒を見ている。今日は、動物園勤務で体験学習にきている猟師仲間の息子(八頭司悠友)もいる。普通の生活人には全くなじみのない生活設定なのに、今生きる人の、生きる悩みに正面から答えていてiakuらしい舞台になった。
ここでは、動物愛護、自然愛護、人生や職業選択の自由は、すべての登場人物が守ろうとしている原則なのだが、それが上手くいかない。こういうドラマではよく、そういう社会を囲む外の事情(國の条例とか、地域の習慣とか)や、セックスによる人間関係がドラマを動かすことになるのだが、この作品は見事にそこを切っている。
横山拓也の芝居作りの旨さはこの作品でも遺憾なく現われている。一つだけ例を挙げれば、娘(祷)が帰ってくる理由を明かすところ。笑いも交えながら、現代社会で本来の人間性に基づいて生きる難しさを見ることになる。小劇場にジワがたつ。
コロナの下で、スケールが小さくても大小のテーマをこなす横山拓也には注文殺到していると思う。今年も何本も見たし、中にはどうかと思う作品もなくはなかった。しかしこういう乱作の時期は劇作家が大きくなる過程で必ず超えなければならない尹壁でもある。今年はこの作品一本でも良い。あえて言えば、少し会劇劇になりすぎたところか。
「慈善家-フィランスロピスト」「屠殺人 ブッチャー」
名取事務所
「劇」小劇場(東京都)
2023/11/17 (金) ~ 2023/12/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
「屠殺人ブッチャー」2017年度の読売演劇賞を受けた作品の、これは三演で、演出が生田みゆきに代わった。前舞台を見ていないので、つい比べたくなる悪い癖を免れている。新鋭の才女はご贔屓だか、一、二演は見ていないから偏見なく見られた。よくできている。見事な演出である。1時間半息をのむ間もないサスペンス劇である。それでいて3時間の芝居を観たような重さだ。
中東あたりの旧ソ連邦国家群の辺地にある警察署の、雨の降るクリスマスイブの話である。分裂している民族国家の一方の旗頭とみられている将軍(高山春夫)が拷問のあともあらわに担ぎ込まれる。言葉が通じない。急遽女性看護師(万里紗)が通訳として呼び出される。警察署の刑事(清水明彦)、その地域の弁護士(西尾友樹)が、将軍の身元を明らかにしようとするが、その裏には、恐るべき葛藤が秘められていた。
その仔細はスジを語るより、やはり芝居は目前で人間が演じるのを見るのが一番である。次々と明らかになっていくこの辺地の民族紛争に現代社会の災厄の根幹が隠されている。それが、現実になって吹き出すクリスマスの夜の事件だ。
この事件には、ウクライナの紛争にも、イスラエルの戦争にも共通する現代の災厄の原型がある。現代の世界に生きる人間にとっては、その存在を保証する生存の原則はない、いつかお互いに憎み合う、そして憎しみを忘れない。こうして紛争は多分無限に続く。
その現実を辺境の地の一夜の物語に圧縮してみせる。その仕掛けはなかなか周到で、カナダの地方演劇にこういう本が上演されていると言う事実に驚いた。「世界演劇」だな、と思う。俳優は皆訳をよくつかんで隙がない。
長年カナダの商社で普通の仕事をしてきたサラリーマンの芝居ずきの人(訳者・吉原豊司)がカナダ演劇を我が国の舞台に紹介してきたということにもある種の感慨がある。逆に、学生上がりの若いカナダ人が文楽に入れ込み70年代に文楽の舞台を映画撮影した作品が当時の良い時代の文楽の唯一のカラー映像だと言うこともある。現代に生きる市民にも文化に歴史を刻むことはある。言葉は安いが、一見を勧める舞台である。
ジャイアンツ
阿佐ヶ谷スパイダース
新宿シアタートップス(東京都)
2023/11/16 (木) ~ 2023/11/30 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ほとんど完璧な舞台観劇感想をヴァンフルーさんが述べられているので、付け加えることは何もない。長塚圭史が、このような作品で阿佐ヶ谷スイイダースを引っ張っていくことなんか、全く想像できなかった。人間年の功というものはあるものである。老獪な物語の構造が時々観客の手の外へ行くのが、唯一の欠点か。
グレンギャリー・グレンロス
演劇集団円
俳優座劇場(東京都)
2023/11/21 (火) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この芝居の面白さがなかなか解らなかった。話は、町の中小といった感じの不動産屋の社員たちの売り上げ競争でお互い足を引っ張り合って売り上げを競い合う。男ばかりの五人の社員、事件は起きて警察沙汰にもなるが、たいしたことが起きるわけでもない市中の日常の茶飯事、1時間45分である。何で、これがピューリッツア賞なの? 今回でこの芝居を見るのは三度目である。初演は1984年、早速文学座が今のパルコ劇場で江守徹の演出でやった(と思う)のを見て以来疑問だった。
この疑問、40年ぶりにかなり解消された。よくわからなかった理由。まず、当時の社員たちのモチベーションが把握できなかった。例えば、セールスマンにとっての顧客名簿(お客様名簿だがカモの一覧表である)の重要性の意味が理解できなかった。売り上げの歩合制やその社員同士のやりとりもなじみがなかった。セールスのシステムも違う。当時はすでに豊田商事事件などもあったから共通するところも多かったかったのに、そこが日米差で実感がなかった。一般的な社会情勢の変化で今はそこがよくわかる。
二つ目は翻訳が良くなった。滑舌の良い円の役者がまくし立てても、台詞の中身がよくわかる。これは若い訳者のお手柄だと思う。
この芝居に思い入れはほとんど必要ない。登場人物たちは、言ってみれば、おもいっきり我欲だけで突っ走る。なるほど、ここにアメリカを見たのだと、ピューリッツィア賞を納得した。このアメリカたっぷりの芝居に内藤裕子演出は、どうかと思ったが、日本で上演するにはちょうど良いさじ加減で、素直に舞台を楽しめた。しかし、今になって解るというのではそれはこちらの時代遅れで、今のアメリカでの評価はどうなってるんだろう。わかってみると、やはりたいしたはなしではないのだから。
無駄な抵抗
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/11/11 (土) ~ 2023/11/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一日中一つの電車も止まらなくなった街の駅前に円形劇場風の広場がある。そこに登場するのは黒い衣装の女性占い師と、駅の掃除管理員、何もしない大道芸人、探偵。四人の人物を軸にそれぞれの同級生や、探偵に探られる一家、孤児院から社会に出た兄妹などが現われて、それぞれの物語が、交差しながら語られていく。2時間の上演中、舞台は変わることはなく、登場人物は10人。
いつものイキウメと違うのは、この間舞台で天変地異(地震とか遊星が降るとか、登場人物によって起きる異常現象とか)は起きない。登場人物の境遇は、現在の社会から落ちこぼれた不幸な環境と経歴を持つ人たちだが、彼らは普通に暮らしている。で、何が起きるか?
何も起きないのである。これはネタバレでも何でもない。そう解っていても、人はこういう止まらない電車の駅のある場所に生きているのだ、いや生きざるを得ない。
「孤独な抵抗」は、いままでのイキウメとは違う舞台で、現代社会で課せられる個人のテーマが描かれている。
ちょっといつもと勝手が違っていつもは生き生きと演じている俳優たちもちょっと勝手が違う感じであろ。現代の「ごど待ち」である。しかし、こは次の展開を見たいものだ。駅の設定とか、駅で起きる唯一大きな事件とか、いままでのイキウメらしいところを生かして新しいファンタジーが現われることを期待したい。大入り満員だから観客もそろそろ、地球が動く、とか太陽がどうなった、とか言う話に飽きて次を大いに期待しているのだ。
君は即ち春を吸ひこんだのだ
新国立劇場演劇研修所
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/11/07 (火) ~ 2023/11/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
新美南吉の短い青年期を描いた伝記劇。先に金田一京助の伝記劇を見たが、最近、戦前の危うさが泡立ってくるような時期を生きた人々がよく取り上げられる。同盟通信はその歴史的証明か。日々、周囲を見れば、いやな時代だなぁとメディアに接するたびに気が萎えるいまの時代である。人々にはやはり動物的予感があるのかも知れない。
この原田ゆうの作品は旧作で、新国立の研修所の卒業公演に選ばれた。こんな難しいものをやらなくても良いのに。
先の金田一の本のような凡なわかり良さがない、というより、わかりやすくなるところを本が避けている。演出も避けている。宮沢賢治の場合は作品に謎めいたところが多いが、この本の場合は、南吉そのものが日常の家族にも社会からも浮いてしまう謎を描いている。戦前の地域社会が実に巧みに書かれているのだが、これを今の人々が表現するのは難しい。地域社会にすり込まれた土霊のようなものに取り込まれていく南吉の姿は隔靴掻痒である。今もこれに似た実態もなくはないだろうが、なんだか女子マンガの理解でも良いか!となっているシーンもある。これはこれで研修生は皆よくやったと思うが、タイトルに合わせて細かく作り込んだセットの庭と、押さえ込んだ音楽が一番の出来というのでは卒業公演としてはどうだろうか。
やはりこの作品は、もっと上級者の本だと思う。タイトルに背き、ゾッとするような上演が見たいともった。
BILOXI BLUES
東宝
シアタークリエ(東京都)
2023/11/03 (金) ~ 2023/11/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ニールサイモンの1985年の作・芝居の中身は1943年の新兵暮らしの兵隊六人の青春もの。ビロキシーは新兵訓練所のある街。若者の主役は作家志望の若者で、生き残ること、作家になること、童貞を失うことが人生の希望である。1幕は新兵訓練の中で若者たちがお互いを知っていく兵営のなか、2幕は童貞喪失は、小島聖の夫がありながらのバイト売笑婦にあっさり夢は果たされ、失望するが、カトリック信者の少女に出会い恋をする、という回想録。
これだけ書けば十分のような筋立てとドラマの進行で、おなじみの挿話ばかりだ。古いなぁと苦笑しながらも見てしまう理由は二つ。新兵たちが一人ひとりきちんと類型的ながら書き込まれ、演じられている(演出・小山ゆうな。小細工していないところが良い)のと、不器用な少女役の岡本夏美が最近は見ることがなくなった恐る恐る女を試す年齢を上手く演じていたことだ。男優は一人一人を粒立てることを優先していて、こういうところにも時代が現われる。二つ目、やはり40年という年月は作品を彩る大きな役割を果たすと言うことだ。舞台とされた年から40年たって書かれた戯曲。それから40年たって東京で演じられた東宝公演。二つの時代を超えていて、演じる人たちも、見る人たちも、このささやかな青春劇には歴史を重ねて時代を見たと思う。芝居の出来よりも、その方が「演劇」の役割としては大きい。兵士役の男優たちも鬼軍曹役もジャニーズなくとも大丈夫。この中身で九割は大健闘。日本青年館のような役者たよりで愚にもつかない芝居をやって満席と言うよりずっと良い。
ビロクシー・ブルース
東宝
シアタークリエ(東京都)
2023/11/03 (金) ~ 2023/11/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ニールサイモンの1985年の作・芝居の中身は1943年の新兵暮らしの兵隊六人の青春もの。ビロキシーは新兵訓練所のある街。若者の主役は作家志望の若者で、生き残ること、作家になること、童貞を失うことが人生の希望である。1幕は新兵訓練の中で若者たちがお互いを知っていく兵営のなか、2幕は童貞喪失は、小島聖の夫がありながらのバイト売笑婦にあっさり夢は果たされ、失望するが、カトリック信者の少女に出会い恋をする、という回想録。
これだけ書けば十分のような筋立てとドラマの進行で、おなじみの挿話ばかりだ。古いなぁと苦笑しながらも見てしまう理由は二つ。新兵たちが一人ひとりきちんと類型的ながら書き込まれ、演じられている(演出・小山ゆうな。小細工していないところが良い)のと、不器用な少女役の岡本夏美が最近は見ることがなくなった恐る恐る女を試す年齢を上手く演じていたことだ。男優は一人一人を粒立てることを優先していて、こういうところにも時代が現われる。二つ目、やはり40年という年月は作品を彩る大きな役割を果たすと言うことだ。舞台とされた年から40年たって書かれた戯曲。それから40年たって東京で演じられた東宝公演。二つの時代を超えていて、演じる人たちも、見る人たちも、このささやかな青春劇には歴史を重ねて時代を見たと思う。芝居の出来よりも、その方が「演劇」の役割としては大きい。兵士役の男優たちも鬼軍曹役もジャニーズなくとも大丈夫。この中身で九割は大健闘。日本青年館のような役者たよりで愚にもつかない芝居をやって満席と言うよりずっと良い。
未踏
wonder×works
座・高円寺1(東京都)
2023/11/01 (水) ~ 2023/11/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
国語学者の金田一京助は、啄木の舞台では、学友の役でよく脇役登場する。後年辞典編纂でも高名になった。この舞台は最近珍しい実話に沿った金田一京助の伝記劇である。金田一は日本のアイヌ語の未踏の分野に踏み込んだ学者で、言語と差別問題が賑やかな昨今、上演企画が上がったらしい。戯曲作者(八鍬健之助)は始めて見る人で北海道の出身という。あまり経験のないグループの新しい挑戦にあれこれ言うのも気が引けるが、二三感想を。
皆が実生活を話生半可に知っている時代を舞台に上げるのは実に難しいものだが。まず、斜めに正面をとって横長に組んだ舞台にちょっと張り物を出しただけで明治から昭和までの舞台を見せるのは、伝記劇は実録が基盤だからリアリティに欠けすぎる。登場人物はほぼ五十年も劇中年をとるのに、金田一を始め時代と共に変わっていかない。奥さんは旅館の若女将みたいだし、反抗する息子はタウンボーイである。見た目だけでなく年をとれば人間変わる。そこの面白さも伝記劇のポイントである。
日本家屋の上下(カミシモ)の設定’(皆無意識に配慮するものである)で演技するのは常識だが、出入りを始めまるで配慮がない。
脚本が焦点を見失っていて、アイヌの言語の研究秘話なのか、金田一本人の伝記なのか、学者の家庭のホームドラマなのか、大きく構えて言語を巡る歴史もの社会劇なのか、締まりもなければデコボコもない。アイヌ語を始め、日本辺境言語の研究(これは面白い話題だった)の研究の進捗もよくわからない。各エピソードが団子刺しになってしまっている。
肝心のアイヌ語の代表的なユーカラを語るところは、あるに違いないと大いに期待していたのにほんの一節おざなりにあるだけだ。言語伝承の話だけにたとえ三分でも上手くやれば全編大いに締まるのにと残念に思った。
と、目をつむりたいところも少なくないが、井上ひさし亡き後、久し振りに正統な伝記劇を目指す若いグループが出てきたことは今後に期待しなければなるまい。目新しく効果があったのはマッピング風のサンドアートの映像。客席は半分足らず、の反応だった。
検察側の証人
俳優座劇場
俳優座劇場(東京都)
2023/10/22 (日) ~ 2023/10/28 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
クリスティはフーダニット劇と名付けられている犯人探し劇を作り発展させた作家だが、それはもう半世紀以上以前。「検察側の証人」は犯人探し、というより、裁判劇として知られているが、いかにも古い。いまでもロンドンでは上演されている名作と言うが、昔の実際の法廷を使ったロケ舞台として上演されている由だから、半分は遊園地の名物興行だろう。
作品が知られるようになったのは、多分、チャールス・ロートンと、ドイツ女のマレーネ・デイトリッヒ、若手随一の人気だったタイロン・パワーの大顔合わせでビリーワイルダーが監督した喜劇タッチの映画が大当たりしたからだろうし、日本でその後当たったのは、フランス帰りの大女優岸惠子に、売れ筋監督の市川崑の舞台初演出で流行り物として西武劇場が、上演したからだろう。当時の翻訳現代劇としては珍しく、一月近く上演していた。多分これがクリスティ劇としては最高の当りである。
やはり、役者とか、仕掛けとか、もう一つのプラスワンの要素がないと、ミステリ劇はなかなかお客を呼べない。よく知られている割りには上演の機会も少ないし、やってみると客は薄い。今回の「検察側の証人」は俳優座プロデュースの制作で、ここは、ミステリ劇系の上演を長年やっている。東京で新劇系の中堅の俳優をキャステキィグして、それで地方を回る。「罠」(トマ)とか「夜の来訪者」(プリーストリ)とか、スタッフ・キャストを入れ替えながら長年やっている。いまは文学座始め各新劇団も中堅の俳優・演出を出し合ってそれなりの座組になっている。台詞はしっかりしているし、地方で新劇を見てももらえるし新人教育にもなるだろう。生活の基盤にもなる。良い企画だ。これに、「検察側の証人」が加わったわけだ。
俳優座で上演するのは二十数年ぶりと言うが、確かに最近見てはいない。地方周りの企画にするにはミステリ劇は8人前後の出演者でこじんまり娯楽劇に作らなければいけないのに、二十人以上の出演者がいる。舞台も裁判所法廷を始め何杯もあって、座組が大きい。
昔の戯曲だから、当世風に変えざるを得ない。俳優座劇場で2時間45分、これでも十分長いが、かなり原作を切っている。それも時代にあわせて上手くテキストレジして上演台本にしている。今回一番の上手い工夫は問題の核になる検察側の証人・ローマインを原作の出を大幅に遅らせて1幕の幕切れに登場させて、そこで休憩を入れたことだろう。
この工夫で、前半犯人探しのミステリ劇、後半は国境を越える男女のロマンス犯罪劇の二つのカラーを判然と見せて、楽しめるようになった。演出は文学座の高橋正徳、この人の演出では古川健の「60‘sエレジー」というすぐれた現代劇があった。時代を芝居の中から上手くつかみ出して表現する。「検事側の証人」でも、東西冷戦時代のヨーロッパという広くもない地域で出会った男女のが犯罪に惹かれていくところが、ことによると原作よりも上手く表現されている。
すっかり古びてしまったクリスティの芝居を生き返らせた功績も評価したい。
金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima
東京芸術劇場
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2023/10/20 (金) ~ 2023/10/26 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
二十年ぶりとなる太陽劇団の来日公演は時事ネタから、世界中の言葉と伝統芸能もどきまで演劇ごった煮の華やかな大興行。前回の新国立劇場の普段は客席としては使わない裏の道具部屋(?)で上演した文楽もどきの公演から、プレイハウスの大舞台へ、時代の変化を実感させる公演だった。
かつての禁欲的な辛気くささは全くなく、時代表現のためには何でも取り入れる。
舞台は種々雑多、何でもあり、音楽、伝統芸、浮世絵から西欧絵画のドロップに世界各地(中東からアメリカの懐メロまで)あらゆる種類の現代に生きる人のどこかにひかかりそうな表現手段と、人種を越えた俳優を総動員したエネルギッシュな現代の演劇表現である。これが世界演劇の潮流だとよくわかった。確かに、昨年来日したルーマニアのブルカレーテの「スカーレット・プリンセス」(櫻姫)にも、野田が海外で試みた公演にも、国内公演では、それと知らずに足並みが揃ったのか知らないが、KERAの「カフカ第4の長編」にもこのように何でもありの手法で、演劇がこの世の真実つかもうとしている現代演劇の最先端の姿があった。
二十世紀演劇から次の時代への足音が着実に聞こえる大公演である。
舞台の上(俳優)だけで五十人ほど、裏方まで入れると百人はいようかという引越し公演である。これで6回しかやらない? 赤字はフランスのシャネル、日本の京セラなどが支援する。これでは官僚天下りの公立劇場で税金をチマチマ分け合って身内のことしか考えない公立劇場では太刀打ちできない。フランスまで行かなくても良いし、字幕(読みやすい)まである客は大もうけである。
自国民となってみると、ヨーロッパの日本ファンの、こそばゆいような誤解もあるが、そこも又今の世界に生きる人間としては受け入れてさらに、理解を福かめていかなければならないと思う。その過程が大事なのだ。フィナーレの甘ったるい音楽ではないが、そうして人間は僅かな幸せや希望をもって今の世に生きている。
多重露光
(株)モボ・モガ
日本青年館ホール(東京都)
2023/10/06 (金) ~ 2023/10/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
これはなんと呼べばいい出し物なのだろうか。
舞台で演劇として進行するし、作者は演劇界若手の星、横山拓也、演出は今や俳優座の代表的演出家である真鍋卓嗣。ほぼ千をこえる二階まである観客席は満席である。その観客は三十歳代から五十歳代の女性観客ばかりで、2時間10分ほど、休憩なしの公演である。
しかし、舞台の上で演じられるのは、演劇では全くない。ファンタジーでもなければ、世態劇でもない。演劇としてみればただただ空疎な台詞の声が飛び交う時間が過ぎていくだけなのだが、会場にきている観客は満足し、一万円を超える料金を惜しげもなく払う。数回見る客も少なくないと聞く。
横山、真鍋という日本の演劇を預かる逸材が関わって、形としては演劇なのに、演劇の客はまるでいない。会場で販売しているのはグッズで配役表すらない。中堅の俳優もお役目は果たしているが面白がってやっているようには見えない。これが、演劇の一面を具体的に顕わしていることは疑うことの出来ない事実である、目前でジャニーズに始まる事件のほんとうの姿を見ているとすれば、なんだか空恐ろしくなる。そうかこれが実態だったのか、と腑に落ちる。教訓もある。一種独特の宗教的雰囲気と合わせ一度は経験しておくべきものだろう。