オットーと呼ばれる日本人 公演情報 劇団民藝「オットーと呼ばれる日本人」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    木下順二の代表作である。3時間40分となれば今の民藝では夜公演は一回しか出来ない。珍しく、ほぼ満席、しかもいつもの老人ホームのお迎え待ち客ではなく、中年の客も、いつもは全くいない若い観客もいる。民藝の衰退は夜公演をあっさり諦めたところから始まったのではないか、という感じすらする。
    尾崎秀実伝だ。上海で、記者として世界の鼓動を感じながら活動している尾﨑がゾルゲと交流を深める一幕。帰国して疑われながらも、先見の明で近衛内閣の内閣参与となるが次第に追われるようになる二幕、捉えられ、回心を促されるが自己の主張を貫く拘置所拘留中の三幕。
    日本が列国帝国主義に遅れまいと国民を全体主義に押し込めていった軍閥時代の1930年から45年までの時代。コミュニズムにこの国の突破口を求めて、ソ連の情報機関に接触した才気ある日本人の物語である。この戯曲は62年に劇団民藝で初演、66年、2000年と再演され、その後、2008年に新国立で鵜山仁・演出で上演されている。
    見ていると、思い出す台詞もあるから多分、66年あたりの公演を見たのだろう、それから五十年たっているが、ホンは実にあの手この手で、困難な時代に生きた「日本人」を「妥当な」「人間的」スタンスで活写している。全く古びていない。この長丁場をダレさせない、
    これが今回公演の第一の驚きである。日本近代劇の代表作の名に恥じない名作であると改めて思った。
    第二は、尾﨑を演じた神俊政の快演である。ろくに調べもしないで行ったので、最初は岡本健一が客演しているのかと思った。周囲の民藝の俳優からは浮出さねばならない役だが、その任をガラでも、演技でもその役割を見事に果たしている。
    ほとんどこの二点につきる公演だが、一方では、改めて言うのは申し訳ないが、演出が古すぎる。今は同じような素材でチョコレートケーキなどが次々と新脚本で昭和を舞台の史劇の舞台を作っているのだから、時に新派風に見得を切って見せたりされると鼻白む。テキストは、まだ大きくはいじれないだろうから、これだけでも、よく整理したと思う(ほとんどいじっていないのではないか?)。しかし、現実に60年はたっているのだから、先人の舞台をコピーして伝統とすることから決別しないと観客がついていかない。リアリズムの解釈はいいとして、説明的な台詞や演技指定などは現代的に演出しないと戯曲を時代に取り残すことになってしまう。折角のラブシーンで繰り返される単調さには呆れるほどだ。生活も様式に埋もれているし、台詞にも日常性がもっと必要だ。演劇は時代とともに変わる。生身の人間がやるのだからその時代を生きた人ともにあるのはやむを得ない。いつまでも伝統と称して怠けるのは演劇への冒涜である。例えば、音楽。まるで昔の二流の松竹映画みたいな劇伴は舞台の品格を下げている。クレジットに作曲者の名を出すことも控えるような音楽は使うな!
    民藝の倉庫に入れておいて、半世紀に一度虫干しするのでは勿体ない戯曲だ。是非、優秀な若い人の手で、テキストレジして、せめて3時間以内で見せきれる真の新演出による上演があることを期待している。


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    2024/05/24 21:51

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