tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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もはやしずか

もはやしずか

アミューズ

シアタートラム(東京都)

2022/04/02 (土) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

自分にしては珍しく早々とチケットを取っていた公演。が、そういう時に限って職場で足止め、芝居の半分近くを見逃し、チケット代を厭わずリベンジの当日券に並ぶも果たせずであった。
リピートしても良いと思えるだけの緊迫した後半の芝居であり、大略この夫婦と家族の問題が見えては来たのだが、た組のKAAT公演が初であった作演出の作風と実力をジャッジするには穴が大きい。
舞台のあれは黒木華か、そうだっけ、うむナチュラリズムな芝居は秀逸だな、お、平原テツやっぱいい。あの声は上田遙。朝ドラで見たばかりの安達祐実は泣いてるんだかコメディ色出してるし(朝ドラで最初見せた大根女優を再現?)、芝居の全容を想像するも参照が先般のKAAT舞台のみでは類推は及ばずである。
細密リアリズム芝居と見た自分には、心が離れている相手から理詰めで復縁を迫られるラストの演出は、そこへ至る緻密に構築した芝居を想像させ、やはり是非とも最初から観たかったな、とそこへ戻ってくる。

ネタバレBOX

後半だけ見ると身勝手でどうしようもない男と、男の態度に傷つきながらも現実的な道を果敢に(子も授ったし)行く女、と見えるのだが、男が過去を語る言葉、これが真情の吐露であるのか(冒頭その問題のシーンがあったというから作者的には男の真実味を見せようとしたとも理解できる)、それとも口にすると如何にも軽薄で自分が惨めになり、説得されるのも必然、だったのか。
出産前検査で障害を持って産まれる可能性に打ちのめされた後、困難だが産む、と結論を出した女に対し、逡巡する男。二人は別れるが、健康な子を授かった女は、男の実の両親を連れ、復縁を迫る。何故なら、別れる原因となった障害の疑いは晴れたから。。劣等意識から解放された女の前で、しかも男は出張マッサージの悪くない相手と抜いた直後、一度解放されたはずの束縛の道へと連れ戻されて行く。と、やはり見えるのだ。男と女の間の「言質を取り合う」関係から窺える不毛な未来への予感に、作者は同意を求めているのか、否を共有したいのか。。
夜ふかしする人々

夜ふかしする人々

戯曲本舗

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地下劇場であった。天井は低く出ハケが中々の制約、照明もざっくりな仕込みで三劇団健闘。4列程度の客席でも勾配無しでは床辺の芝居は見づらく観客も健闘。今更だが普段見ている舞台が如何に劇場機構とスタッフワークで「作られている」かを痛感する。

ネタバレBOX

1本目は冒頭を見逃し芝居の全体が掴めなかったので他の2本について。「夜」縛りでの作はどれも新作だろうか(そうあって欲しい)。密度という点では二作目が具象の中に抽象性がひらめいて意味的に濃いものを感じる(元々こういう作風なのだろうか)。三本目はシチュエーションが明快で少し意表を突く展開があって種明かし的に会話が進む。ストーリー本位に見える所、妙な味が(意図的か偶然か)醸されていた。一本目にも触れると、「夜」の感覚と「夜」という場に重なるアジールへの憧憬といった辺りを語りたそうな。全体として公演は感じたく一本目は買った戯曲で確かめたい。
そのあとの教員室

そのあとの教員室

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現代座会館なんて渋い会場でやる劇団って・・と興味を持った前回公演では観劇果たせず、ただ実績ある俳優、割としっかりした脚本、という心象を持った程度だったが、この度吉祥寺シアターにて初観劇。敗戦の傷も生々しい占領下のある小学校の教員室で、GHQからの調査員(女性日系米国人)の訪問を受けた日の数時間が描かれる。
公職を追われ、荷づくりをする教員と、新体制下での教員として残る要領よく立ち回っていそうな教員、その狭間で苦しむ教員、という具合に「戦争責任」のテーマが冒頭の会話から横溢する。だが教員のキャラが上手く描き分けられ展開の運びもうまい。外部の者として女性調査員の他に、損壊した校舎を普請のため学校に縁のある大工が出入りし、スパイスを効かせている。ほぼワンテーマにしては面白く見せつつ本質に触れる濃い脚本である。

ネタバレBOX

女性はGHQの調査委嘱をされただけでなく、幼い頃生き分かれてこの学校で育ち、教員になった弟の敗戦直後の自死について原因を探ってもいる。後半、そのきっかけと思われる「投書」に書かれた弟の勤務先の小学校での空襲時の目撃情報の真相究明へと展開する。書かれた「疑惑」の反証が出され、事の真相の凡そが皆の腑に落ちる、という所でこの話はぷっつりと終結してしまう。だが腑に落ちない前で留め置かれてしまうのが投書を出した本人であった大工の「本当」と「誤解」の腑分けと、それに伴う罪の所在。これがスルーされて話が進んでしまう。「謎の解明」(ミステリー要素)が芝居の中心ではなく、全体のバランスを考えた結果だとは思うものの、女性が大工の動機と行動の全容を含めた「事実」をどう受け取ったかというディテイルは重要で、どうあってもドラマは成立するがどれかを選ぶ必要はあったのではないかと思う。
『サロメ奇譚』

『サロメ奇譚』

梅田芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/03/21 (月) ~ 2022/03/31 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ペヤンヌ・マキの新作という事で発売後速攻予約していた。観劇前に発券をしたチケットの価格を見て思わずおやまァであったが、サロメ役が朝海ひかるだと遠目で判らず後で気づいた時もおやまァ、であった。この舞台は話を日本の風俗界に置き換えたのみでほぼ「サロメ」であった。
O・ワイルドの翻訳を随分前に読んだ時は、話のシンプルさと残酷さに得も言われぬ感覚を味わった。接吻をしたいから預言者の首を切ろ、とはどういう心理が言わせる台詞か・・自分の知識や経験を総動員したがサロメの「心」のカタチは想像の外。ただ、「人間を信じるべき」とは願望に過ぎず人間の肯定的な可能性を保証する根拠など無い、という真実を突きつけられたのは間違いなく、つまりサロメは擦れた成人ではなくもっと無垢な存在と理解した。
本作でもサロメは箱入り娘(母の)で生娘で、恋を知らず達観した氷のような透明な顔で佇む女性が預言者ヨカナーンを見た瞬間(正確には声を聞いた瞬間)初めて時めく少女となる。だが翻案に難があり、残酷さへ収斂して行かない。
この翻案はヘロデに当る人物を「風俗王」即ち界隈の実力者に過ぎない者とし、古代の国王(ローマ帝国支配下の一地方の総督に過ぎないにしても)とは権力の桁が違う。この桁違いの所へ持ってきて、ベンガル演じる王は兄を殺して社長の座に就いた事になっていながらそれは後妻となった元兄の妻(松永玲子)にそそのかされたからだという。ハムレットさながらの悪役かと思いきや、芝居の冒頭では絶対権力者的に振舞っていながら途中から弱々しくなる。後妻の前で臆面もなくその娘に色目を使い、それが公然と許されるような権力が現前していてこそ、サロメの要求は王を打ちのめす残酷なものになるのに。。「サロメ」の要素が殆どであるこの舞台では、翻案がそのエッセンスを薄めただけになってしまった。(強い原作をいじる難しさに正に直面したという事ではないかと勝手に想像。)
朝海ひかるのサロメは無垢な娘に見えづらかったが(風貌はともかく動きや踊りが)、コメディ調を狙えばそうなるだろうとも。
だがコメディ要素を入れるなら、それと残酷劇とを峻別し、大胆に転換する、あるいは原作を徹底的に茶化してパロディるか、どちらかに寄れなかったな、というのが正直な感想。ゴージャスな舞台ではあったが。

かもめ

かもめ

Art-Loving

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2022/03/24 (木) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「親の顔」でお馴染み?のユニットによる常小屋でのチェーホフ。「かもめ」はストーリーも知っており既視感もあるが観たという記録がなく、もしや初めてかも知れぬ(大幅翻案したものは観ている)。
とは言ってもやはり古典作品である本作、「比較」しつつの鑑賞となる。ただし対象は自分の中のイメージ(記憶も自分のアレンジが入ったイメージという事になるが)。名作の「再現」にとどまらず十分に咀嚼し手を加えた痕跡がそこここにあり、「味付け」という語を用いるなら創作料理に近い独自な仕上がりと感知させながら、原作からは決して外れていない「飲み込める」演出であった。
会場であるプラザソルは劇世界を作るのにちょうど良くない劇場という印象が強くあったのだが(実際この舞台でも上下のはけまでの距離が若干難点ではあったが)それを忘れる程役者の作る「場」の緊迫感に釘付けになっていた。
だがひねくれ者の私は、人物個々の感情=人間の状態の掘り下げ、そして大胆な具現においてここまで肉薄し、二時間を疾走した舞台にしては・・と思う。後を引く余韻が手からこぼれて薄らぐ理由は何かと考えるのだ。
舞台の快楽は十二分に味わい文句は無いが、この感覚は何かと考えている自分が居る。今は言葉にならないが。

三大劇作家、逮捕される!

三大劇作家、逮捕される!

工藤俊作プロデュース プロジェクトKUTO-10

小劇場B1(東京都)

2022/03/22 (火) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

工藤俊作プロデュースを初観劇。後藤ひろひと、内藤裕敬、もう一名不知の作家と中々観れなかった関西三劇作家の作をまとめ見でき、工藤俊作Pなるユニットの正体も・・と興味津々で下北沢B1へ赴いた。オープニングと三作品の間とエンディングは三作家が生で出てきて半お芝居的に繋ぎ、体験談トーク的な時間もありサービス満点で「全部盛らなきゃ気が済まない」後藤氏の指向?と推されると共に、関西風も感じる。
作家三名は一応「刑事」として登場する。このたび事件を起こして逮捕されたのは劇作家であるにつき、演劇人なる人種を我々は知る必要がある、なんぞと真顔で話し、三つの短編が順次上演される。俳優は工藤氏を含めた関西役者ら(と思う)が動員され(役数の関係で全部に出ない人もあるが)、傾向の異なる三作品が十全に、面白く演られていた。タイトル縛りで演劇を作る側の理屈や事情、演劇あるあるに言及して笑わせながら、演劇愛を噛みしめる公演。
工藤俊作Pが毎度こういった公演を打っているのか、関西寄りなのか(今回たまたまなのか)等については不明のまま。

民衆の敵

民衆の敵

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

この作品は過去に二度、小山ゆうな演出、森新太郎演出(いずれも2015年)を観た。前者は小さな劇場で主人公=父役の寺十氏がびっくりする程噛みまくっていたが好感触、後者は囲み座席で「名作やってます!」な気合いの演出が膜になって内容が入って来なかった。演出が勝った芝居は趣向の中にメッセージを読み取る「高尚な娯楽」ではあるが、この演目に適合していたか・・。
以上を序としてハツビロコウの本作。「野鴨」にも言えたが、テキレジが恐らく優れていて、現代に刺さる(台詞には「同調圧力」等の現代語も散りばめられ、今日本のどこかで聞けそうなやり取りに一瞬眩暈を覚える)。
原作が持つ「古さ」は本筋である所の温泉水の「汚染」の科学的根拠のあたりだが、貧しい町に賑わいをもたらした温泉が「人の健康(生命)と経済」を両天秤に掛ける物議の対象となり、「正義」「正しさ」とは何かをシビアに突きつけるストーリーのリアリティの方にぐいっと関心を持って行かれる。資本主義が本格的に町を動かし始め、民主主義の下地を用意するマスメディア(情報こそ「選択」の材料となる)=新聞が市民権を持ち始めた時期だからこそ吐かれただろう生硬な台詞も、日本の現状を言い当てた言葉に聞こえてくる。主人公の「民衆を敵に回した」言葉を心の奥で噛みしめた。年度末の見納め。

オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当初予定の2020年から漂流の果てにようやく上演となった公演。先日の「彼女たちの断片」と同じく女性作家、演出家と女優のみによる舞台で、性暴力・被害、性の多様性を扱う舞台、ではあるが、三世代四人の家族と一人の他人の人間模様にとってその要素は「特殊」であるよりは、濃密な人間関係の中に立ち現れて来る要素=Xとして他に置換可能、つまり誰しもが持つ傷と重ねながら観る事が可能な、普遍性あるドラマになっている。人物たちの関係図と心の来歴が次第に現われて来る手触りは秀逸だった。
最後に「事件」という部分に収斂していく所、千秋楽という事もあってか罪責に苛む二人(母と祖母)が健気に生きる子たちを見ながら涙でボロボロだったが、個人的には役人物の「日常」を維持して踏み留まって欲しく思った。
性虐待事件は「性」の本質において通底しながらも形は多様で、実際に為された具体的行為、その状況、その感受のされ方(心理的な影響)にも違いがありそうである。この作品で扱われたものは小学生におフェラまでさせた事件とされ、被害者である双子の「姉」への影響は思春期以降の挑戦的な異性関係に表われ、一方姉を慮る妹には異性への頑なな態度として表れる。
話は失踪した姉を探しに姉と一時期交際した女性を妹が訪ねてくる場面に始まり、折々の出来事が回想される。観客の関心に沿って順次、過去に分け入っていく手順が優れ、一つの家族の歴史と現在に立ち会う事となる。
広く共感を持ち得る物語になった事がこの作品のレベルを一段押し上げていると感じた事が、ラストの「その場にいない」母と祖母の感情露出を抑制してほしく思った理由だが(出来事の「特殊性」を強調する要素は抑えたい)、少し醒めた見方すぎだろうか。

特典として送られた映像も観た。十数分のが2作で、まりの女史の筆が画面上で色を自在に塗りこめるのだが、最初スピーカの無いPCで視たため(背後でピアノが流れているらしい事はチラっと別媒体で覗いて判っていたが)、一つの絵画作品の完成に至るまでの試行錯誤に見え、凄く面白かった。が、音声を聞くと物語の朗読になっており、その物語に呼応して絵筆が動いたのだった。
最初の印象の方に関係する話だが・・、先日ある配信で障害を持つ人のアート製作の現場を撮った20年以上前のドキュメント映画を観た。アーティスト達が「やり直し」をせず一本線の道を行く如く作って(描いて)行くらしいのを見て、(障害者に限らずだろうが)「降って来るんだな」と感じた事と、その一つの作品完成までのプロセスがユニークで、完成形のイメージに向かうなら通るだろう道を必ずしも通らない紆余曲折の謎に眩惑した。完全に「自分には判らない」世界だが、しかし自分もその道を通ってみたい。創造=生み出す営為の中で。そこはどんな道行なのか、風景を見たいと思ったんである。毎回視覚的な快さを与えてる荒巻まりの作画にもある種の「謎」を感じていたので、私は大変興味深く見せていただいた次第。

ネタバレBOX

余談。最近観た性被害に向き合う女性を撮ったTVドキュメントのケースでは、小学六年時に担任から受けた性被害が「お泊り会」での同衾、体を触られキスをされたというものだった。「一年間被害を受けた」その全貌を番組は語ってはいないが、他の証言として修学旅行で夜その教員が部屋に入り、児童の服を脱がせ、自分も脱いだこと、他の元児童が証人として居る事なども紹介されていた。
女性がこの出来事と向き合う意志を持ったのは被害から30年後と言い、十代後半から薬漬け(向精神薬)となり就労もままならない期間を20年以上過ごした事になる。人間誰しも多くの時間を無駄にしたと振り返らざるを得ない事があるが(多くはそれを回避しようとするが)、幼少期に大人から受けた傷との闘いは勢い長くなる。自身への否定的感情に支配され、そこからこの朧げな記憶の中の「出来事」を振り返る時、「こんな自分だから仕方なかった」と低い自己評価の延長で理解してしまう。因果関係は混濁していたに違いないと想像される。その事が「おかしい」と気づいた後でさえ、習い性から、又は「今の自分はやはり現実的には低い位置にある」として低評価、ネガティブな歩みを続けてしまいがちである。
巨大な穴の中で足掻いた20年間に愕然とするが、似たような事は多くの人間が(とりわけ日本社会では)抱えているのだろう。
芝居の中の被害女性は、20代の時にあるグループに参加して「自分の中の性被害体験」と向き合い、闘うグループカウンセリングを行う。その事により、彼女はまずは過去の体験を現在に引き出す事に成功したようである。が、それをどう意味づけるか、という所でまた分岐点を迎えただろうと想像する。間が抜けて、彼女と付き合ったという一人の同性愛の女性の証言へと飛ぶ。そして彼女は少し前に出て行ってしまい、もうそこには居ない。彼女が自分というものと対話しながら人生を探って行く姿は、観客は想像の中に形成される。周囲の者は、彼女に声援を送り続けるしか無く、「解決」はやはり彼女自身が見つけ出すしかない。観客の手元に残されるのは、共感する心とその可能性、しかない。
変身

変身

江戸糸あやつり人形 結城座

「劇」小劇場(東京都)

2022/03/26 (土) ~ 2022/03/30 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「変身」のドラマ(ストーリー)を直截に表現して不条理を噛みしめる舞台になっていた。若干構成が原作と異なる部分もあるが、小説を立体化した感覚が大きい。ラストは原作とニュアンスが異なったと思えたが、演出なりのかみ砕き方と理解。

三木美智代ひとり芝居「業火 GOUKA」

三木美智代ひとり芝居「業火 GOUKA」

劇団 風蝕異人街

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/03/25 (金) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

こまばアゴラでの今年最後の演目。う~ん一人芝居・・どうかな?と正直躊躇があったが、時間が出来たので初日を観た。次いで翌日また時間が急遽できたのでリピートした。初日は遅れて入場し15分程逃したが、演じる人物(を具現する三木美智代も)の存在感、エピソードに見入り聞き入って目が離せなかった(場内を見渡せる席であったが寝落ちは一人もおらず)。ラストの処理がこなれない感じで(演出部分)、もう少し改善できそうに思ったが好感触。だが二度目、少し突っ込んだ見方になり、要望がもたげた。トークに呼ばれた若手演出家もその部分について演出に疑問を投げていた(中々嚙み合ってなかったが..本舞台の演出は喋りが長い(苦笑))。
二日目の女優の台詞がやや流れ(目立てが甘い)、一人芝居の難しさを思わされたが、十分に見せる舞台で三木女史が一人芝居の「出来る」女優だと認める。が、終わりよければで言えば、上記はやはり重要な部分に思ったのでいずれ書いてみる。

ネタバレBOX

演出について。
オープニングに流れる曲が、終盤そしてラストと3回流れるのだが、嗄れた米語の歌い手の歌(声からするとブルース・スプリングスティーン?)で曲調は「人生讃歌」。波乱の半生を送った主人公の前途を励ます意味合いになっているが、3回は多い。特に終盤の2回(だったか、音量が落ちて薄く流れ、また高まる、だったか)はつらかった。(一回目の観劇では冒頭を逃しているので気にならなかった。)
その「人生讃歌」であるが、正確には「応援」の意味合いになっている。傷付き倒れまた起き上がる彼女の半生は、放火というヘキによって相殺、バランス保持の現状にある。原作は独白で進むらしいが終着が「逮捕」なのかどうなのかは不明。ただ舞台ではカウンセラーに対して「語る」という形を取っており、放火は現在進行形でなく「過去」を語っていると観客は理解する(事実そう書かれていると思う)。
「放火」が破壊的な犯罪である、という世間的な通念を彼女が「知らない」のではなくそれをやってしまう精神を宿してしまった彼女という存在が、この話では焦点になる。報われない悲劇的人生を送った者の「絶望」には、何がしかに縋ってでも立ち上がり「生」へと向かうくドラマツルギーが成立するが、このドラマにはそぐわない。永山則夫の図式が妥当する。ドラマの主体が求めているのは応援ではなく、理解である。この人生の主人公は弱々しくはなく、(ある意味豪胆にも)火付け女になる必然があったと信じさせるだけの背景がある、そう思わせる証言がこの話の中味だ。放火によってその人生との精算を果たした彼女という存在に、少なくとも凡庸な人生を送る者の安易な同情や応援は必要としておらず、我々の方がその逞しさに畏敬を抱くべきなのであり、もっと言えばその存在に更生の余地があるか否かを見通す洞察力を、持つものであるのかが社会の方に問われている。
彼女たちの断片

彼女たちの断片

東京演劇アンサンブル

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

女性劇作家のオリジナルを女性が演出した女優のみによる舞台。
妊娠・中絶という女性専科なテーマを男性抜きに語る、その事により語りの真実味を試される場となり、事実真実味を取り戻していく。一夜の「出来事」の帰趨は重要ではあるがそれよりも語られる内容、語るという行為、そして繋がりの形成にも幾許か、スポットが当てられる。

ネタバレBOX

石原燃と言うと報道問題を人間ドラマ化したPカンパニーの「白い花を隠す」があり、問題理解の深さが優れたドラマ構成に表われる、クレバーな書き手という印象だったが、今作もその印象に違わずで、既成概念を一つずつ剥がす手付きは(台詞は人物になじんでいるが)頭脳派と感じさせる。客観的情報(どこで拾ったかも含め)と一個人の主観的意見を巧く組み合せて平らかな地平に地ならしをし、「その上で、どうしますか」と問いかけている。
ポストトゥルースの現在、「利益」の最大化という大義名分が議論上は「事実性(真実か否か)」と同等又はそれより上位ににある土壌では、「意外な事実」も既に出尽くした問題について、論を起こすのは難しい。本作では知られていない、あるいは改めて問い直す事のなかった制度上の問題も多く語られた。だが例えば夫婦別姓や、同性婚の公認、また日本の汚点とされる歴史上の事実について、凡そ反駁側の根拠が薄い案件が、平然と否定されている状況に、同じアプローチは通じそうにない。それだけに、この書き手に密かに期待を寄せている。
マリーバードランド

マリーバードランド

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇の劇団。口コミの評判から凡そ想像していた範囲ではあったが、予想以上に楽しく観られた(足が向いたのはその「想像」と違うコメントを目にしたからだったが..)。開幕時はウッと押し寄せる学生演劇の雰囲気に一瞬引いてしまったが、アンサンブル、的確なテンポで畳みか成行きを目で追ってしまう。程よく予想を裏切る展開が荒唐無稽な話にも注意を繋ぎ留め、人物の心情に関心を向けさせるのに成功している。
「問題」発生、その解決が常道から逸脱するのもシチュエーション(場所は南極)のなせる必然と納得(映画「The Thing」の悪夢も南極だった)、ドタバタあって又元鞘へと収束される時点で、揺れに揺れた「その他大勢」の中で唯一最初から姿勢一貫した一人=新婦が(照明を当てずとも)浮かび上がる。何という事もない話だが彼女の真情吐露に溜飲を下げ、余韻を残した。好きも嫌いも人を求める心も理屈でない、最後は心の声に従い、進むしかない・・的なメッセージ?が、殆どそんな説明も台詞も無いがじんわり滲んで来たのは中々痛快で。

『無表情な日常、感情的な毎秒』2022年2月公演

『無表情な日常、感情的な毎秒』2022年2月公演

エンニュイ

STUDIO MATATU(東京都)

2022/02/25 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

配信で鑑賞。いずこかの狭い空間で、居酒屋の座敷とテーブル席のエリアを設え、その居酒屋の店長(恐らくチェーン店の)の葬儀の帰りに現・元従業員の男女6名程が実質「貸し切り」状態でそこに居る。最初客席に向かって並び、気恥かしそうに「始めます」的な挨拶をしてズルっと芝居に入るのが端緒。現実の時間と地続きで境界を消している。超リアルなやり取りゆえ、当然音楽も効果音も無し、ハケはトイレの中座のみ。あとは現従業員が脇の方で駄弁りながら(一人は飲みながら)待機、途中からは店仕舞いして仲間に入る。
殆どが会話で進むが、所謂舞台上の即興というのでなくきちんと作られている。次第に見えて来る「店長の死」が当然軸になっているが、その事実と各人の受け止め、距離感がまたリアル。殆ど感傷がない。「死」を軸に劇の骨格は有りつつも、目を引くのは情景のリアルさ。その事は「脚本のよく出来た」ドラマと違い、「生きてる」人間の様そのものが醸す面白さの勝利に導いている。観客は秘密を共有した感覚になった事だろう。
映像ではこの「リアル」は、突如でかい声を出す野郎の存在と低い声の振り幅がかなりあって鑑賞にとってきつい要素。だが、二度目はイヤホンをして改めて見始めたらほぼ巻き戻しマークをクリックする事なしに「芝居を鑑賞」できた。
感傷を最大限抑制した「劇」では、リアルの純度の高さにより、僅か0.1%濃度の「厳粛さ」でもアルコールのように血を熱くする効果を持つ。過去二度観たエンニュイとは色の異なる、挑戦の姿勢を見受け、好感。

京時雨濡れ羽双鳥/花子

京時雨濡れ羽双鳥/花子

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2022/03/16 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

「マリアの首」の作者、田中千禾夫(ちかお)による戯曲の上演を初めて観た(「マリアの首」は観ず終い)。
実はこの日は未見の若手劇団を観劇するぞと決めた矢先に初日が中止になったので、無理に出掛ける事も無いっちゃ無かったんであるが、「口が芝居の口になってた」のでこれを選んで六本木まで出掛けた。
日本の古典戯曲には惹かれるものがある。当時の人々にとってはレトロでも何でも無かっただろう木造家屋や、着物や路地や、口調が、「前時代的」ではなく「いい感じ」になっている。もっとも田中千禾夫は主に戦後活躍し注目された人だから今言った範疇から若干ズレるのかも知れぬが。
この所海外戯曲の秀作舞台を打っている俳優座、果たして今回は・・

ネタバレBOX

申し訳ないが正直を言えば、残念感が。
私としては「花子」を見せ、その後「京時雨」で真っ向勝負して欲しかった思いである。
その心は「花子」が持つ強み、詩と言い換えても良い短編劇の魅力は、喩えるなら出し物やドラマで動物か子供を使う所謂「ズルい」手。実際この劇は自然讃歌でもあり、通ずるものがある。
一方「京時雨・・」は敗戦何年後かを舞台に、橋下に棲む女の目と存在とを媒介に、人間の姿を点描する作品。残念ながら新劇団の「ちょっと演技が違う」パターンの典型という感じで、見続けたいと思えるフックが見つけられないままに芝居の終盤を迎えてしまった。二作目の「花子」は一作目のダメージをカバーするに至らずであった。

五階稽古場のL字配置の客席のちょうど角、ステージを見やすい座席からの眺めが、芝居に入り難くさせたのかな、とも考える。長方形のステージの長辺に木の橋が渡され、上手、下手の端の階段から昇り降りでき、道行が長い。橋下には野宿モノの住まいが橋の端=庇からはみ出て箪笥が置かれたりしている。人間が十分潜れる高さの橋の前面には、美術の志向だろう、くすんだ色の広い布(質感は皮革っぽい)が天井から垂れ下がり、橋を歩く者の顔が見えない。顔を出す時はその布幕を暖簾のように手で除ける。竹邊奈津子の装置だが、外観の色彩はともかく装置としての機能美が醸されて来ない。「京時雨」の冒頭、女が箪笥から舞台中央に向かって何着もの衣を乱暴に投げ出し、布が広がるのだが、これが意味不明。女は元高貴な家の出らしく、最後には盲目の帰還兵の謡いに合わせて能を舞う展開になるが、そのためか「橋」の縁の下あたりからほぼ正方形に黒い大理石か、濡れた石の設定か判らぬが黒光りする平らな面がある。それを埋め尽すようにぶん投げるのだが、装置としてそこが河原の砂利場なのか土なのか、彼女にとって住まいの中なのか外なのか、リアルに空間を想像して良いのか象徴的な空間と見るべきなのかそこからまず混迷する。四角のエリアの途切れ目からこっち、橋の詰めへ線を引いた三角のエリアには白い玉砂利を敷き詰めた風になっている。硬質で整然としたな黒とラフな白の馴染みも悪い(見た目がいまいち)。
リアルに見ようとすると、女が衣を投げる平らなエリアは雨に濡れている加工された石に見える。だから「時雨」との関係で捉えるべきかとも思うがそれにしては現代的なので単に「地面」を象徴しているのかやはり不明。衣を投げる行為は天日干しをしようというのか何か自棄になって衣に当っているのか、と想像してしまうが、そのどれでもなく、ただ芝居の冒頭をインパクトあるものにしたかったのかと勘繰れば合点の行く、装置の(床の)「見方」が観客の脳内で固まる前にそれをただ分からなくしただけの無駄な行動に見えてしまった。
また女の言葉遣い、発声がただ元気の良い健康な発声で「曰くあり気」な雰囲気が微塵もない。物語構造としては女は当面「観察者」、橋を渡る男女のエピソード、盲目の負傷兵のエピソードを言わば目撃し、彼女が幾許かの接点を持つ様子を通して観客に紹介される格好になる。後者は、妻が警官を客にとって男を養っている、その妻の「仕事」の間にこうやって河原に出てこの身を嘆いている、という形。詠嘆の謡いに女は共鳴して舞いを舞う、という訳である。
この芝居に出て来るエピソードが3でなく、2である事(女自身のを加えれば3になるのだろうが、「語られる」話の当事者の佇まいとは一線を画したただ陽性な存在は数に加えられぬ)、となれば、2である。基本情景描写が二点のみでは、作り手が見せたかった面が定まらない。社会の貧困、戦争の遺産、不条理を、ここ橋の下の住人の眼差しがとらえ、眼差しの対象らに作者の観点を語らせるには、駒がしょぼい。かといって観察の対象に過ぎぬ彼らが観察者に剣を突きつけて来る訳でもなく、身に迫って来ない。という事は、初演時にあって今はないもの、それは敗戦後の社会状況や風景という人々が共有していた感覚だろう。そうした戯曲の場合、どういう息を吹き込むか、何が新たに作られねばならないか(演出によって、役者によって)が重要に思うが、私には明確な視点が見えずその点で淋しく思えた舞台だった。
休憩を挟んで「花子」。独特な世界観は悪くなかったが、「京時雨」で必要十分性が見えなかった美術、中でも邪魔に思えた橋に掛かったボロ布が、何と「花子」のオープニングの後、ガバっと剥がされ、剥き出しのキレイな橋が現われる。これは演出上のサプライズなのだろうが、「京時雨」で人の姿を隠す邪魔をしてただけの装置だったか、と、私的には落胆。
この作品は子供から女性へと花開く蛹の季節にある娘が、さてこれから複数の男性に誘われて夜の町に繰り出す事になっている、その時間、母ののどかな方言の語りから始まる。母とのやり取り、仕事から帰った鷹揚な父とのやり取り、やがて「声」がする。「はなこさ~ん」。母から、飼っている(卵を産まない)鶏に譬えられる花子は、いつか卵を産むようになる可能性を秘めた、神秘性に満ちた「今」を生きる女性の姿として、ただただ愛でる対象として作者は描き切っている。男性に囲まれて恥じず、己を全肯定する「自然が祝福した」存在を清々しく描き、この対極にあるものを舞台上に上げて言及する事なく批評性高い、不思議な作品。
サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春

サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2022/03/11 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

秩序の縁辺に生きる生を多く描いた大竹野氏が、実在の人物を描いた本作は異色作か、代表作か・・舞台を観ての結論は「大竹野正典らしい作品」。役者、演出申し分なく、後方席からほんのり暖かい気の塊のような舞台を眺めて座席に座る感覚を忘れた。

透き間

透き間

サファリ・P

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/03/11 (金) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

過去観た二作は「悪童日記」「怪人二十面相」と著名な原作だったが今作は知らない作品。舞踊の色が強いユニットであるが今回は舞台上の「現象」をただ鑑賞した。パンフには場面割りが書かれていて、事前に読んでおくのが正解だったかも知れぬ。が、慷慨を知らなくとも面白かった。と言っても最後はストーリー的な着地をしたと見え、純粋舞踊作品というよりやはり「原作の舞台化」を志向するユニットであるのだな、と。

裸の町

裸の町

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場付属養成所

青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/03/15 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

衝撃の「動員挿話/骸骨の舞跳」以来、日本の近代古典戯曲を舞台化する青年劇場のアトリエ公演を毎度楽しみにしている。真船豊の作品世界は「鼬」を二回、目にしたのみで他に二三作を戯曲で読んだが本作は初めて。損得ずくの世の中、孤高ではいられない生身の人間の本質を透徹した真船らしい作品で、クラシックを中心にチョイスされた音楽と、暗転で浮かぶ(目線は上の方になる)「町」のシルエットが、作品世界を裏で捉えて秀逸(美術:佐々波雅子)。役者は特に夫婦の二人の比重が大きいが、妻役の形象には目が釘付けであった。真船が刻んだ彫像のような力強い人物像たちを皆が好演した。

実は数場の芝居で最初の一場を見逃し、二場の途中に滑り込んで見始めたのだが、椅子に座るや瞬殺で劇に引き込まれ、あれよと最後まで連れて行かれた。優れた舞台である。

リムーバリスト―引っ越し屋―

リムーバリスト―引っ越し屋―

劇団俳小

萬劇場(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前々作がやはり暴力描写のある芝居で、同じくオーストラリア産の、入植白人とアボリジニの確執の話だった。今作は現代(携帯電話が出てこないので20世紀の戯曲と推測)のメルボルンの荒廃地区に勤務する二人の警官が、とある日の数時間に体現する暴力とその心理構造を炙り出すような作品。
役者の負荷が大きい戯曲で、violenceが暴発する狂気の瞬間だけでなくそこに至る精神状況の過程を辿る。戯曲の台詞がそれを誘導している。破滅的な結末は、告発的作品な色を帯びなくもないが、カタストロフに浸るだけでは済まさない要素がある。
観たばかりの青年劇場「裸の町」は真船豊による昭和前期の、小さな人間たちを描いた作品だったが、「鼬」と同じく金銭、引いては当時浸透の過程にあった資本制の持つ暴力性を描き、システムの中の人間の闇に触れる。両者全く違う作風だが似た風景を見る感覚を覚えた。

ネタバレBOX

この回は噛みが多く注意を削がれ台詞を逃した。故に星一つ減。
ネオンキッズ

ネオンキッズ

OFFICE SHIKA

座・高円寺1(東京都)

2022/03/03 (木) ~ 2022/03/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

OFFICE SHIKAには三度目(位)のお目見え。鹿殺しもそうだがディストーションの掛かったギターでダークな世界観を盛り上げ、照明暗めの印象は今回も通じる。音量大きめ、照明は「ネオン」の青赤緑が基調。つい最近見たトー横キッズを撮ったTVドキュメンタリーの題材がそのまま出て来てオヤ?と思う。だがドキュメントにも登場していた(無論同一人物な訳はないが)面倒見の良い兄貴の「実像」が明らかになる所から芝居はダークサイドへ。
音楽劇ではあるが、それにしても女子がソロを聴かせる歌が多く、歌い終わると拍手の音が大きくやや長。なんだか芝居仕立てのコンサートにコアファンが来てる風な雰囲気だな、と終演後にパンフを見るとAKBメンバーが3名出演していた。芝居も歌も若干3人フィーチャーした感じを持ったがそうだったのねと納得。あの演技で良しとした(演出がOKした)事情にも納得。(いや納得したくはないのだが、容姿の貢献と相殺されてる感は序盤からあると言えばあって、大詰めでもそれは変わらなかったというだけの話。ただ欲を言えば悲しみ絶望自棄っぱちな気分を彼女らが実在のキッズに心寄せて追体験することが出来たなら、それは舞台の感動とリンクした事だろうに、と惜しく思うのみ。)

夜の来訪者

夜の来訪者

俳優座劇場

俳優座劇場(東京都)

2022/03/06 (日) ~ 2022/03/12 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

以前文字で読んだ時は古い、硬い作品だと印象を持ったが、中々どうして面白く観た。新劇スタイルが避けられない作品に思えるが、仰々しさが回避されナチュラルに見れたのは何故かな、と考えてみるが、やはり「謎の男」の不思議な説得力という所だろうか。地味ながら謎を「謎」とする小間使いの存在だろうか(家政婦は見たではないが「語らぬが見ている存在」は深層部分に影響しそうだ)。
ストーリーも二転三転という所があって楽しく見れる。だがストーリー展開に依存するにはラストあたりに不要な台詞が一つ混じっていて(名作と言われる作品に何故そんなものが・・テキレジの際にうっかり残したか)、禍しそうだがそれオンリーにならない味わい(人物の形象)もあった。
経済的に恵まれ、自己完結した集団であるこの家族が「他者」にどうあるべきか、要は富者は貧者に対し道義的責任はないのかといった種類の問いが根底にあって、そう私がこれを本で読んだ頃(8年位前の感覚だ)には「古い」と感じさせた訓示が、今の新自由主義の時代には根源的な問いになってしまったという事かも知れぬ。

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