タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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遠い国から来た、良き日

遠い国から来た、良き日

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2016/10/14 (金) ~ 2016/10/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

次代へどう語り継ぐか、それが問題だ
ずばりテーマは「平和」...プロパガンダになりそうな内容を中学3年生の視点から捉えることで、問題を素朴に浮き上がらせている。広島県は第2の故郷であり、夏に何度も行っている。そのたびに感じていること、特に原爆投下された日は、朝から地元TV、新聞はそのニュースが流れ続ける。

本公演は遠い国から来た転校生と、広島県の中学生が「平和」について向き合う場面が印象的である。「平和」が当たり前と思っている中学生、そのありがたさを自ら考える平和学習...。この公演は、観客も自ら考える、そんな投げかけがある。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

広島県の中学生にしても「平和」は空気のようなもので、その状況が当たり前のようである。一方イラクから来た男子転校生は自国での内戦で、平和のありがたさ、戦争の悲惨・痛みを十分すぎるほど体験してきている。しかし、そのギャップを際立った対立点として描かず、恋愛感情を織り込みプロパガンダを巧くコントロールしている。観客にも感性に訴える、または問いかけるという域に止めている。

日本国内の事情として、少し強引であるが大学生の就職活動を絡めている。一見無関係と思われる事柄を、国内の諸々の格差問題への不満を”イスラム国”への興味という形で結びつける。「ママの台所で爆弾を作ろう」...イスラム過激派組織が発行したとされる雑誌記事がインターネットで拡散。簡単に爆弾が出来るらしが、その蜂起を促すため、英語で書かれていたという。本公演でも英語で、という台詞があった。その平和を脅かす事(戦争とテロを同義語にできない)がこんなにも身近にあるという怖さ。

人は自分が見聞きした、その体験の範囲でしか実感できない。その先にある事を想像し我が事のように思いを馳せることは難しい。ましてや中学生では自国の悲劇を直視することは...。文献にあたり人の話を聞き、自分の中へ取り込む。机上学習のしたり顔になる怖さ、しかし現実に戦争を体験していないゆえの「平和」をどう次世代へ語り継ぐか、自分への問いかけでもある。

当日パンフにある作・演出の古城十忍氏の「『取りあえずやり過ごす』この処世術が自分がこれまで、どれほど大事なものを...」という思いは同感である。大きな感情の振幅があれば、と思う。

最後に、舞台セットは教室と山田家ダイニングキッチンがいとも簡単にイメージ転換する巧みさ。役者陣はワンツーワークス劇団員の確かな演技、若手役者の真摯な演技が光る。何より重くなりそうな言葉・台詞は方言(広島弁)という独特な柔らかさが緩衝の役割を果たしていたのも好ましい。
本公演は尻切れトンボ感のするラストシーン...過去の愚行・諦観から何を感じとるか、それを物語として描ききらず切って棄てたようだが、そこは思索と余韻として受け取ることにした。

次回公演を楽しみにしています。



ディギング・あ・ホール

ディギング・あ・ホール

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2016/10/08 (土) ~ 2016/10/09 (日)公演終了

満足度★★★★

好物な...
物語のシチュエーションは奇抜(妙)であるが、そこに居(入)るのは普通の人々。もっとも説明文では、変人のような紹介...自称ツキのない男、身寄りのない偏屈ババア、 無責任な介護士と 俺様何様な男らが登場することになっているが、それは人が持っている性格を登場人物一人ひとりに役割として担わせるようなもの。
自分では、冒頭シーンが意味深で、これから展開していくストーリーは、現在進行なのか、過去回想なのか判然としなくなった。
しかし、穴の中という土・埃(ほこり)、不衛生という状況・環境にも関わらず、その光景には清々しさを感じた。その不思議空間に集まっている人たちの騒々しくも切なく哀しい物語。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、穴を支える柱・板、コンクリート破片のようなものが乱雑に組み合わされている。
上手は少し広い空間...掘る進行方向のようである。下手にベットが置かれている。
この穴には、銀行強盗(地下金庫を目指)を企む男たちと、閉鎖された老人ホームに入居していた老女が、行き先がなく住みかにしている。この2グループの人たちと、その人たちに関わる人(老人ホームの介護職員など)との交流を通して、小市民の人生を浮き彫りにする。
    
地下金庫(ゴール)まであと10メートル...もう少しで目的達成できるにも関わらず、もたつく男たち。人生もあと少し、小さな幸福を掴みかけているが手に出来ない。そのもどかしい気持を穴掘りに準(なぞら)えた比喩として描く。

物語は、主人公・熊坂長次(ごとうたくやサン)の一人称語りのようだ。登場人物の紹介は、約束事のように冒頭シーン...全員が横たわっているが、亡くなっているような気にもさせる。終盤には爆発・崩落という設定であり、そのループするような展開を想起させる。

芝居では、この穴を寝ぐらにしている偏屈婆さん...梅田タエ子(浅井唯香サン)のお茶目、愛らしく、それでいて切なく哀しい演技が心に響く。実年齢よりはるかに上の年代を演じているが、メイクで老け役にしている。外見の違和感を超越した滋味ある老女の言葉...自分の実娘との確執、それを例にしながら「家族を持つことは山を登るようなもので、簡単には登れない。」、何か事を成し遂げようとすることにも通じる。
教訓のように聞こえる台詞だが、婆ちゃんが言うと...実に魅力的に聞こえる。
役者陣の演技力は確かであり、バランスも良かった。その中で熊坂・梅田役の二人の会話、本当に素晴らしかった。

次回公演を楽しみにしております。
本公演、下北沢上演であったが、穴掘り地図は大垣公演用のもの?                             
「66~ロクロク~」

「66~ロクロク~」

円盤ライダー

シダックス カルチャービレッジ6階(東京都)

2016/10/08 (土) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

渋谷シダックスで...面白い!
第2回渋谷総合文化祭の一環として参加...だから舞台は渋谷シダックス6階のオフィス。舞台と客席の区別はあるが、役者陣は客席内を動くこともあった。その一体感はドキュメンタリーという感じでもある。

ネタバレBOX

渋谷駅にほど近いシダックスビルに念願のオフィスを構えて喜ぶ男5人、というシチュエーションのようにも思える。仕事の未来を語り、過去を省みつつ、今この場所にいる。
この男たちには10年前に袂を分かち、アメリカンドリームを求めて渡米した仲間がいた。男たちのリーダーが今日の成功を見せたかったのか、相手の近況を知りたかったのか、その理由は定かではないが、いずれにしても音信不通になっている男へ連絡したところ...。
そういう心境になったことは理由が明らかにされないが、そんなことは矮小なことと一笑に付してしまうほど面白い。

この男たちの名前が、なぜか東京-千葉間を走る総武線の駅名のような。リーダーは平井、以下...(下総)中山・船橋・大久保・市川、そして渡米した男が秋葉。台詞呼び名であるから漢字表記は分からないが、偶然か。そして秋葉...正確には秋葉原であり、少し違えるあたりに作為を感じる。

この舞台...本当のオフィスでの芝居は、男たちの熱演で時間の経過を忘れるほどであった。この熱き芝居を観やすくするため、椅子を自在に移動させることも出来た。舞台美術・技術(照明・音響)もない、まさに演技力勝負の芝居であったが観応え十分であった。「少人数、腕のある役者のみのガチ芝居 乞うご期待」という説明、謳い文句は嘘ではない。

この熱き男たちの企業理念...人の夢と希望を与えるような、または手助けしたいような趣旨を標榜する。そっくりそのまま観客(自分)の心を捉え、楽しませてくれた。

次回公演も楽しみにしております。
はい、カット!

はい、カット!

さるしばい

萬劇場(東京都)

2016/10/06 (木) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

昭和の雰囲気が漂うような...
劇場内に入ると商店街の舞台セットがしっかり作られており、それだけでワクワクし期待が高まる。タイトルから映画にちなんだ物語であることは容易に想像がつくが、描かれた物語は昔ながらの人情ものであった。

フライヤーはA3二つ折り(当日パンフは同様の絵柄でA4二つ折)で、その表裏一体で街風景が印刷されている。風景の中央にしめ縄がある神木、両面に街並み(大空商店街の看板)。そこを路面電車が走る...素朴な味わいの風景である。舞台はその街の一角を切り取って表しているようだ。

(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台中央に純喫茶店(さぼてん)、上手・下手側の対象するような店が並ぶ。店先には商品陳列棚、秤、黒電話などの小物も置かれちょっとしたリアリティが見られる。最近では地中化が進む電柱も見られる。

梗概...幼馴染で映画好きの女子高生2人が主人公。いつか自分たちの手で映画制作を夢見る乙女が、ある事故をキッカケに気まずい関係になる。それを気遣う周囲の人々、この街を訪れている観光客などを巻き込んで、何とか仲直りさせたい。その契機として映画制作...この自主映画制作の始まるまでのドタバタを面白可笑しく描く。もちろん全編を通してのヒューマンコメディというタッチの描きである。
いろいろなハプニングが起きるが、そこには市井の人々が抱える普遍的な悩み事や心配事が投影されている。それを街という大きな器の温もり、そこに住んでいる家族、近所の人々の見守り、その「地」と「血」の繋がりに、懐かしき日本の原風景を見るようだ。

公演のテーマらしき台詞「(本当の)優しさとは何か」、その人によって表し方が違うことを、それぞれの登場人物の悩みとして担わせ、柔らかく包み込むように(解決・氷解)導く。この劇団の真骨頂の観せ方である。

この公演、いや自分が観た過去公演も含め、会話の合間あいまに早戸裕サン(今回は権田恒二役)の軽妙洒脱なツッコミ発言が面白い。それが物語の展開に心地よいテンポをもたらしている。

次回公演も楽しみにしております。
~50とひとつの蝶結び~

~50とひとつの蝶結び~

Manhattan96

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/16 (日)公演終了

満足度★★★★

今回テーマは言葉...
観ながら、未知の世界への扉が開くような...いや色とりどりの千代紙で丁寧に包まれた小箱を一つずつ開けるような楽しみが感じられた。

上演時間1時間50分程の中に11本...物語、ダンス、手品という趣向の異なる演技が収められ、それぞれが完結しながら、ひとつの公演を成し綴っていく。しかし、ただの連作ではなく、あるメッセージが籠められているような。

少し気になることが...。

ネタバレBOX

11作は次のとおり。
①Scene1:Opening「ム、と、シ」 ②Scene2:Act「サイトウさんとサイトウさん」③Scene3:Dance「赤ずきんとその後」 ④Scene4:Tap1「14歳の娘と私」 ⑤Scene5:Act「問題と答え」 ⑥Scene6:Act「セミとキリギリス」 ⑦Scene7:Dance「記録と記憶」 ⑧Scene8:Tap2 「15歳の娘と私」 ⑨Scene9:Show 「カミとタブレット」 ⑩Scene10:Act 「ロミオとジュリエット ⑪Scene11:Ending「50とひとつ」

小作品は、白・黒、是・非を明確に線引きするようなものに感じられた。例えば、 「カミとタブレット」などは、それぞれを紙(アナログ)とタブレット(デジタル)の王国に見立て、相手を滅ぼすような描き方のようである。表層的な見方かもしれないが、それぞれの利用価値、用途は並び立つだろう。
「サイトウさんとサイトウさん」では、姉妹の確執が描かれているが、こういう人間でなければ、というステレオタイプ型人間を押し付けてくるようだ。もっとも、ラストは擬人化した蝶によってホッとするが...。

一方「問題と答え」は、夫婦がお互い謎なぞを出し合う、そんな他愛のない穏やかな会話。それは曖昧模糊とした雰囲気が漂い、対立するような光景は見られない。

物語またはダンス毎の演技はレベルが高く観応え十分であるが、公演全体(一貫性)を通じて伝えるべきもの、訴えるものは何か。当日パンフ、脚本・演出の今井夢子 女史は今回テーマについて「言葉」と書いている。Manhattanでは、「現代のレビューショウ」をコンセプトに掲げており、先に記したように夫々の内容は素晴らしい。もちろん 「カミとタブレット」などに観られる棘もあればポップで残酷な面も垣間見えた。

それだけに、もう少しテーマ「言葉」の心象が感じられればと思う。ちなみに、タップダンスは「14歳の娘と私」「15歳の娘と私」に年齢を経て上達した描きがあったのだろうか。細かい点であるが、(蝶)結びつきが気になるところ。ラスト、壁面を囲った布?を取ると...余韻があるのは、チラシの柔らかい雰囲気と相まって好きである。

次回公演を楽しみにしております。
奇テ烈な彼女

奇テ烈な彼女

奇テ烈と彼女

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/09 (日)公演終了

満足度★★★

奇テ烈彼女のようでもなかったけど...面白い!
本公演、常識をはずれた人物や異なる風景、異なる趣向の物語ではなく、女子会でのちょっと変った出来事を話している、そんな日常会話をそっと聞いている気分であった。

オムニバス8本、その物語は繋がっているようで独立した短編。しかし、説明にある「奇妙な女の子達は、臆せず真っ暗闇に飛び込んで、中から灯りを灯してくれます」と。人(女の子)という不思議ちゃん、話の中には、心の闇を苗床に見立てるようなものもあるが、一方それに敢然と立ち向かう可愛らしい姿も見ることが出来る。

旗揚げ公演ということであるが、次回公演も楽しそうだ、と思わせるものであった。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

当日パンフ、代表・脚本の小山耕太郎氏によれば、奇テ烈と彼女は「可愛く面白く」をテーマに立ち上げられたガールズコントユニットである。その目標とするような気持が、”何だかよくわからないものに飛び込む不安と、飛び込むワクワクだ”そうである。その思いは、「とぼけた」「誤解・勘違い」「羨望・嫉妬」などを可愛らしく描いているが、底流には人の本質的な感情が見え隠れするコント。単に、可愛く面白い、という表層ばかり観ていると足元をすくわれかねない、そんな淵に立たされそうである。

8短編のタイトル
①「断捨離イン・ザ・ダーク」 ②「ミケランジェロ・ロス」 ③ 「埋没少女」 ④「リメンバー・メンバー」 ⑤ 「目撃談」 ⑥ 「逆に」 ⑦ 「さるかに私たち合戦」 ⑧ 「放課後の教室で、13日の金曜日は」

各々の話に登場する人物は、現代の数寄者かもしれない。押し売りもどきの断捨離女、穴埋め女、13日の金曜日・ジェイソン仮面女など、尋常一筋縄ではくくりきれない謎の女・女・女...実に姦しい。

それでも頭でこねくり回し、ある種の寓話のような物語をイメージさせる。コント...その笑いを得るのは大変なことであろうが、彼女たちは表面の笑顔とは裏腹に苦渋の思いで紡ぎ出している、と想像するだけで楽しい(加虐的かな)。コントという一瞬の切断面に凝縮されるシビアな世界をこれからも堪能させてほしい。

次回公演を楽しみにしております。
アイムオールウェイズバッド

アイムオールウェイズバッド

荒川チョモランマ

高田馬場ラビネスト(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

平成的下流系純愛物語...昭和金銭的悪意かも...
ブスが主役というのも珍しいが、この主人公の肖像を彫り込みながら、その周りに登場する人物の描き方は表層的である。主人公の回想もしくは妄想した中で、見聞きした話と彼女がそれぞれの相手から受け取る感情から類推して物語は展開していく。
もっとも、全て受身であるが、それには理由が...。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

物語は彼女が病院(精神科)に入院しているところから始まる。なぜ病院に入院しているのか、記憶喪失ゆえに自分の名前すら覚えていない。この彼女の記憶を辿る旅路のような物語である。

舞台セット...段差ある舞台上は、市松模様の床、中央にベットが置かれ、その脇に点滴器具。上手側は病室出入り口がある。その段差下は病院外の道。病室下手側には大きな窓(ガラス)。ぬいぐるみが置かれ、ファンタジックな雰囲気も漂うようである。
物語はサスペンス・ミステリー風であるが、その描き方はコメディ・ポップ調で可笑し味があるもの。

一人芝居ではないが、主人公の一人称のような語りで、周りの人物達の思惑がその視線に入り混じり、彼女の過去、今の暮らしが次々炙り出される。終盤は、入院するまでの過程が怒涛の如く現れる。その謎解きが高揚と胸騒ぎを覚えさせ、観客に複雑な感情の揺さぶりを仕掛けてくるようだ。
ベットの上に横たわる姿は、現実(今)での回想シーン、ベットを下りて床で飛び跳ねる姿(アイドル)は過去の回想シーン、その虚実にも似たような、または綯交ぜにした描きは巧い。段々と現実に近づくにつれて楽しい空想(虚像)が、現在の暮らしに侵食され、哀しさが際立ってくる。それは、経済(金銭)的なことであるが、それは自ら招いたこと。

本公演、昭和テイストが所々に表れる。例えば、歌謡曲「昭和枯れすすき」、キャンディーズの最終公演から、アイドルから普通の女の子へ戻りたい、と言うフレーズ。更に、同情するなら金をくれ...。懐かしさと郷愁を感じる。

終演後、作・演出の長田莉奈 女史と話をした時、雲に隠れた空(素裸)模様を心配していたが、自分は気にならなかった。それよりも再演可能にするには、主人公・美直子役(今回は えみり-ゆうなサン)を確保できるかな。

次回公演を楽しみにしております。
マルカジット、マーカサイト

マルカジット、マーカサイト

やみ・あがりシアター

こった創作空間(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

近未来の世界と現代人
説明...宇宙飛行士は性欲が強い というイメージ。同時にヒーロー(HERO)でもあるような。その人間性を分析、いや分解すればHEROはH+ERO(エロ)である。そして「英雄、いろを好む」という言葉も聞く。どちらにしてもスケベのような...。

本公演、タイトルは人間の三大欲(性欲)と「石」という硬いを掛け合わせた、または何かに準(なぞら)えるような描き方であった。序盤は少し緩いテンポであったが、火星パワーストーン採掘を決定した以降は、テーマをしっかり意識した内容になっており面白かった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

この劇団は、人間の三大欲をテーマに公演と続けているようで、前作が”睡眠欲と鳥”、次回が”食欲と花”を予定しているという。
さて、三大欲のうち、睡眠と食欲は生命に直結するが、性欲はその危険は少ない。しかし、睡眠(健康)と食欲が確保できれば、性欲はその頭をもたげてくる。

物語は、近未来の私企業による火星での宝石、もしくは新宝石の採掘および火星での生活環境実験といったもの。その火星にあるオパールを採掘し、地球への帰還間際に発見したパワーストーン(マルカジット、マーカサイト)の更なる採掘を行うため、帰還を2年6カ月延長した。その期間にパワーストーンの不思議な力で性欲を感じるようになる。今まで経験せず、思念・観念として捉えていたことを実践し、その現実(結果)として妊娠する。同時にパワーストーンの力は、酸化という現象によって、その輝きは失せる。性欲の抑制またが減退をパワーストーンの輝きを通して表現しており、分かり易い。

物理宇宙と現実宇宙(下半身)の世界を出現させ、そこでは現実(愛)などなく、生殖行為も覚醒しない。精神をコントロールしミッションに集中させる。その現れとして各人に専門分野を負わせている。しかし、それをも乗り越えて押し寄せる(性)欲望を抑えることが出来ず、感情・肉体が支配される。その過程を面白可笑しく描き、知的エレガンスならぬ「痴的」行為をテーブルの上、下で繰り広げる。
Hey Baby...シーン転換の際、テーブルの上で観客に呼び掛ける台詞。暗転などを多用せず、観客の気を逸らさない工夫をしており好感が持てる。また、作庭の際、使用する丸石(色付けあり)を多く用い感情表現するのも巧い。

ラスト...地球への帰還後の記者会見で、AVタイトルの台詞を連呼していたようだが、これには痴性しか感じられず、逆にここは知性を持った締め括りにしてほしいところ。

次回公演を楽しみにしております。
売春捜査官

売春捜査官

稲村梓プロデュース

中野スタジオあくとれ(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

濃密な舞台!
上演前には中島みゆき の「ファイト」が流れ、この物語の応援歌のように聞こえる。もちろん冒頭、お馴染みの「白鳥の湖」や黒電話が鳴り響くというシーンは観られる。

この公演、人間の五感を大いに刺激する。舞台セットは中央に古びた大きな机、その上には黒電話、洋酒ボトル・グラス、タバコ・灰皿、そして捜査資料がある。それを目で見、音響は耳で聞き、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で食を味わう。その個別化した”感”を全て感じることができるが、さらに「触感」という感覚まで意識させる素晴らしいもの。この作品は多く上演されており、その中でどう観(魅)せるか、それは演技力にかかると思う。

本公演...中野スタジオあくとれ、という小空間が、昨今バーチャルな世界が加速する中、五感すべてを刺激し感動するようなものに仕上がっている。

そして、つかこうへい の思いであり想いの「 い”つか公平”に」がしっかり描かれていた。その最大の要因は、役者陣の熱演であることは間違いない。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

「熱海殺人事件」の女性部長刑事・木村伝兵衛(稲村梓サン)バージョン。全体的には前半・後半といった二部構成のように感じた。前半は登場人物のキャラクター、関係性を重視した説明シーンと、笑いの小ネタ(クレヨンしんちゃんの物真似、鮟鱇に似せた変顔=どちらも稲村梓サン)などを取り入れて後半との違い(落差)を鮮明にする演出のようであった。物語の構図は、つまらないありふれた犯罪・犯人である大山金太郎を、木村伝兵衛が一流の犯人に仕立て、その過程において社会的な問題の投げかけ...登場人物がそれぞれ自立、成長していく。

さて五感であるが、見る、聞くはもちろん、匂いはタバコや大根(もちろん、役者のことではない)、食は駄菓子をほおばり、熊田留吉(篠原功サン)に吐き掛ける。触るは、役者同士はもちろん、観客(客席・自分の隣々席の女性を立たせ、両肩が露出するまで脱がせて口にキスをする。実にセクシーで迫力満点。キスされた女性は劇団員かと思ったが)まで触る(困惑した顔で終演と同時に席を立った)。

後半の事件再現シーン...熱海海岸での大山金太郎(半野雅サン)と山口アイコのシーンから迫力を増す。特に絞殺場面の金太郎がアイコを追いかけて首を締めるところはリアリティがある。このシーン以降、つかこうへい の思いである、人種差別や性少数者・万平(世志男サン)への偏見への批判、人への温かい見守り、郷愁といった滋味溢れる台詞が心に染み入る。
今まで観た公演は、電話の向こうの警視総監しか感じられなかったが、本公演では実際登場した。稲村さんの乳房を揉み、股間を触るというエロう素晴らしい演技であった。

表現は相応しくないかもしれないが、芝居という見世物でありながら、五感全てから現実感を生み、その実感を通して生きているという喜びが感じられる。そんな広がりと深みを感じさせる観応えある公演であった。

次回公演を楽しみにしております。
---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

---黄離取リ線---【ご来場いただき誠にありがとうございました!】

劇団えのぐ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

愛情を管理できるか...
「黄離取り線」という「黄」こそ注意を促す色、今作は現代社会が抱える子育て問題へ「親権免許制度」が導入されたら、という一石を投じる。

親権の捉え方、それは親の持つ権利ではなく、子を守る権利として存在すると...。
愛情という計測できない不確かさは、制度という管理社会よりも計り知れない慈愛に満ちている。その理屈世界では説明出来ない親子関係とは...改めて考えさせる公演である。
この制度の瑕疵を含め、理屈としては物足りないが、「制度」と「愛情」というハードとソフトの両方をバランスよくというには時間が足りないし、散漫になるかもしれない。自分ではこの展開、好きである。

この計り知れない物語は、分かり易く観せる秀作だと思う.。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

上演前は、タイトル「「黄離取り線」の文字と点線が書かれた白い布が吊るされている。始まるとその線に沿って切り取られていく。そして現れた舞台セットは、真ん中が出入り口、金網状の衝立2台、上手・下手に段差がある小台。客席に向かってと客席に平行に木道のように長板が置かれている。
今まで観た「劇団えのぐ」公演に比べると、物語を巧く魅せるという点では物足りなかった。高みからは覗く行為のみで、俯瞰でも立場でもないような中途半端な気がする。

冒頭は少年が父親から暴力を受け、倒れているところに姉が帰宅...そんなシーンから始まる。それから2年、両親の元を離れ、母の兄(伯父)の児童養護施設で暮らしている。この施設には、姉弟の他に5人の子供たちがいる。この施設が事例「親権免許教習所」とし、入所子供たちの同意がなければ、親権免許が交付されない。
この5人は、実親からの暴力、期待過多、育児放棄など様々なトラウマを抱えている。「愛情」という表現し難いことを、エピソードを挿入することで外形していく。その構成は、なぜ「親権免許制度」が必要なのか納得度を高めている。
なお、予定調和は分かっているが、もう少しラスト近くまで”何か”思惑がありそうだ、と思わせても良かった。

親子の距離は子の年齢(成長)とともに伸び縮みするが、いずれにしても永遠の難問ではなかろうか。幼き頃の縮んだ距離は愛情、伸びた距離は自立の証として測(計)るのだろうか。その量る制度として「免許」という管理制度が必要か?

本公演での作・演出の松下勇 氏の役であるが、LGBTなどの性的少数者を演じているが、そのキャラを登場させている意味は何か。新聞などでは、その人たちも子供(家族)を持ちたいような記事があったが...「親権免許」を持たない者は親になれない。その意味からの問題批評も内包し、社会派ポップに仕上げたのであれば鋭い。

さて物語は、幼き幸太(さいとう えりなサン)の男と男(父)の約束...おぼろげな記憶(意識)を辿り、その約束を破ることによって現実の世界に目を向けた。おぼろげな記憶と真実の境が明確になり、薄雲の世界の向こうに希望が観えるようだ。そんな期待溢れる物語、松下氏の「絵の具」で描き出したようだ。

次回公演を楽しみにしております。
三人姉妹vol.1

三人姉妹vol.1

テラ・アーツ・ファクトリー

サブテレニアン(東京都)

2016/09/29 (木) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★

生きる痛み
愛を捨てた長女、愛を求める次女、愛を諦めた三女...戦争という最悪な不条理を経てもなお痛みを伴う世界。それでも慈しみを肯定して生きる、しかしその生きる痛みから滲み出る膿のような諦念、絶望が伝わるが...。

(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

舞台はほぼ素舞台、上手客席側にストーリーテラー的な役者が座る椅子・テーブルのみ置く。黒を基調にした色彩は守旧のイメージ、効果的な音響が閉塞感を漂わせるようで、間然する所のない舞台のように思えたが...。

舞台全体は抒情的。脚本の故・岸田理生の世界...その詩的な表現をダンスという身体的表現で特徴付けているような公演。それは心象を意識したものであろう。音響は、時計の秒針を刻む音、汽車の走る音、波と海鳥の鳴声など場面を印象付ける。

戦後、疎開先の家にいる三姉妹。その性格や異性関係などを通して人間の不条理をみる。長女は守旧という立場を貫き、妹達を手元から飛び立たせない。いい子を演じ、自分の考えに固執する。次女は出征した恋人(影)の復員を信じ、東京へ行きたいと。三女は恋人を長女に見殺しにされた屈折した思いから精神的な病へ。
戦争が終結しても時間が止まったままで、新しい人生が歩めない姉妹。それはこの時代の多くの人が味わった感覚かもしれない。物語はフラッパーであり長女自身が、自らを見つめる形で展開していく。そして長女の人生を顧み、将来を見る...その暗示的な台詞は、右手に過去、しかし左手の将来は何も見えない。
この大きな時代の変化の中で、これからどう生きていくのかを探る、それを濃密な会話で描き出すだけでよかったと思う。

本公演では、あえて現代、といってもバブル最盛期の東京を描き出す。それを不規則に動く人々(役名)4名で表現している。忙しく、それでいて交わらない人々、そしてディスコミュージックが流れ、合コンという流行(はやり)行為。
しかし、この戦後とバブル期の享楽的な状況の対比は、脚本を陳腐なものにしたように思う。このシーンを描くのであれば、長女と次女、長女と三女だけでなく、次女と三女の関係をもう少し描いてほしかった。

先にも書いたが、身体的表現など独創性があるだけに、勿体無い公演に思えた。
次回公演も楽しみにしております。
かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

かえってきた不死身のお兄さんー赤城写真館編ー

演劇企画ハッピー圏外

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2016/09/26 (月) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

余韻ある芝居
昭和25(1950)年の地方都市...本公演は戦後の爪痕を残し、高度成長期はまだ先という、はざ間の時代を背景に、地域に根ざした人々の暮らしを温かく見守るような物語。
この劇団の特長、舞台セットがその時代へタイムスリップしたかのような錯覚になる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側に赤木写真館スタヂヲの看板が掛けられた土蔵、中央に物干し竿、植木、下手側に家の廊下、縁台・三和台がある。

登場人物は脱力感溢れる善男善女、ほろ酔い機嫌のような曖昧模糊(あいまいもこ)のような輪郭の虚像。それでいて地べたに足がつき過ぎた生活感、息遣いが伝わる実像。その背景には苛烈な戦場の光景と、目の前の日々淡々とした暮らし。それらをかき回すのが復員してきた、不死身のお兄さん・赤城茂助役(田口大朔サン)という存在である。もっともそう多く登場する訳ではなく、戦中と今(戦後5年)を繋ぐ役どころのようである。戦争の酷さ、それは人の運命を変えるほどの影響、そしてこの時代にも戦死誤報があったということ。何の変哲もない市井の人の日常が温かく描かれているが、その底流には戦後5年経ても誤報が届くなど戦争の傷痕を引きずっていることへの批判が込められているようだ。

キャストの演技はハッピー圏外団員はもちろん、客演陣も人物造形をしっかり体現しており楽しめた。特に赤城みよ役(北ひとみサン)と女学校時代からの友人・野々村千恵役(天野耶依サン)の婚活を巡る騒動が、公娼制度の存在や兄の(恋愛)感情を暴発させる誘因になっている。
また、その昔あった万屋(多種類の物を売る=公演では「三角商店」)、今で言うコンビニの存在も懐かしい。当時あった原風景、さらには戦争の光景を現実の向こうに想像する。街は変わり、今では見かけることが少なくなった光景...舞台セットの風景から、人は現在だけを生きている存在ではなく、時空を超えて過去の人々と心を通わせることができる、その仲立ちしているのが街の風景であることを改めて思った。

一方、当時にしたら高級品であるカメラが、一人一台持つ時代が来る、そして電話と機能一体となった機器が出来るかも...そんな平和な世に自分たちがいるということを思い起こさせる秀作。

気になるところ...
劇場「てあとるらぽう」にしては、全体的に少し大きすぎる声のようで、テンポが単調に思えてしまう。人情、その機微が観えるシーンもあり、そのやわらかくやさしい雰囲気との兼ね合いが大切。それによってメリハリの利いた印象になると思う。

次回公演を楽しみにしております。
ミニチュア

ミニチュア

シアターノーチラス

新宿眼科画廊(東京都)

2016/09/23 (金) ~ 2016/09/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

濃密な会話劇
鳥のように高みからの俯瞰と虫が地を這うようにして見る巨視・微細という世界観。それらを舞台セットで表現している。
舞台は女性一人住まいのワンルーム。
公演が始まって明転すると、テーブルの上に白いミニチュアの街模型が置かれている。俯瞰するのがテーブル上の模型(住んでいる街)、虫の目がこの部屋(個人の生活)そのものであり、大・小逆転させている。その心象形成は、公演の不思議さ、不気味さを強くしている。
(上演時間75分)

ネタバレBOX

客席はコの字型。中央の舞台には、ベット、ミニ整理タンス、カラーBOXに本、机に本、テーブルが配置され、それらの上に小物が適度に散らかっている。壁には洋服が...。

この部屋の主・朝倉文枝(登場しない)は、突然出勤しなくなり、仕事で使用する写真データが入ったUSBを持って蒸発もしくは事件・事故に巻き込まれたようだ。この部屋での探し物をしながらの会話...ルーペを近づけて解像度を上げるような生々しさが迫ってくる。姿なき女性の同僚やカメラマン(荒牧、水沢、西原、岡田、池谷)や姉・朝倉和枝、友人・門脇の証言を通して女性の姿=人物像が浮かび上がってくる。この設定の巧みなところは、大手出版社ではなく、地域のミニコミ誌制作プロダクションであること。これによって対人関係が苦手、パソコンの陰に隠れるようにして仕事をする。終業すれば自宅へ直行、そして友人といえば...。

登場する人の人物造形がしっかり描かれ、人間関係がいろいろ見えてくる。友人とはマイノリティという配慮した表現よりは、あえて「同性愛」の関係とする。また姉妹の関係は、姉の気持からすれば、幼少の頃から「お姉ちゃんだから妹の面倒を見るの」という刷り込みに辟易している。何年も会っていなく、他人より疎遠のような存在のようである。
用事に託(かこつ)けて人を出入させ、登場人物を巧みに組み合わせる。職場における立場や恋愛関係も絡めてトゲや悪意ある会話、先に記した同性愛者の誤解による嫉妬、姉の苛立ちなどが痛いほど伝わる。

この比較的小さな劇場に漂う空気...本音の会話がもたらす緊張・緊迫感が息苦しくなるようだ。この逃げ場のない空間において、役者の演技が不穏な雰囲気を作り出している。

白いミニチュア模型はよく見ると歪んで作られている。模型の中心にひときわ高い高層の建物。この公演は現実に似たような事件・出来事を想起させるが、あくまでフィクションであり架空の話であるという。それでも高い所に上がると何か(悪戯)したくなる。

本公演、いつの間にかサスペンスの様相へ変化してくる。登場しない朝倉文枝が模型を作ったという設定であるが、その人物の心の中が見えてくるような、そして心が疲れ病んで消沈いるように思えるのだが...。その一方で、登場人物のドロドロとした感情が溢れ出すようだ。
ラストシーン、模型を見つめ、「こんなところに居たの」とポツリ言うのは誰か。

次回公演を楽しみにしております。

水沢名緒子役の木村香織サンから他劇団の公演「雨夜の月に 石に花咲く」を観に行った際、偶然にも隣席になり、本公演の情報を聞いた。
自分では好きな公演で楽しめた。
雨の日と月曜日のレヴュー

雨の日と月曜日のレヴュー

劇団回転磁石

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2016/09/02 (金) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★

もう少し物語性があれば...
物語は大きく2つの流れを交錯するように展開するが、その紡ぎ方が粗いように感じる。そもそも話を交わせるのが難しい、というか強引に関連付けているように思われたのが残念である。
この物語は、約50年前に人気を博した公演に「インスピレーションを受けて、現代の一つの親子の形を描き出した」と当日パンフに記されている(主宰・五十嵐朋江女史)。
セットは、キャバレーの雰囲気を醸しだし、役者も熱演していただけに勿体無い。特に、女優陣は妖艶な衣装にポールダンスまで披露していた。

ネタバレBOX

「毛皮のマリー」にインスピレーションを受けての現代版・歪な親子関係を描き出す。一方、缶詰工場における連続失踪(誘拐)事件を追う刑事...その変質的性格を歪な親子の話に重ね合わせる。しかし、2つの話を交錯する必然性が弱い、または強引に繋いでいるように感じる。

客席は凹字、舞台床は市松模様、その中央奥に赤い長ソファー、支柱のように4つの台座にポール。その天井部には金モールが吊るされゴージャスに彩られている。ミラーボールが妖しく光り輝く。舞台技術(照明・音響)も雰囲気あり。

梗概は、キャバレーに半ズボン姿の少女。男娼マリーに、わが子以上に過保護に可愛がられ、外の世界やキャバレーの何たるかも知らず育てられた。そこに同級生少女がいろいろな誘惑を企て、見たこともない未知の世界へと誘う。儚くも妖しく哀しい話が、頽廃美あふれ魅惑的な世界として描かれる。

一方、缶詰工場を中心に小学生が行方不明になる事件が連続している。それを追う刑事が、キャバレーを乗っ取ろうとしている、そしてキャバレーの小学生の養父になってその子の遺産を奪う...そんな男に接触してくる。

先にも記したが、この話の結びつけがよく分からない、そして事件解決に至るのも単純すぎて物語が流れた、という印象である。毛皮のマリーを土台にしても、その時代性が異なると思う。本公演では、現代への環境・状況に対する抵抗としての退廃的でもなければ享楽的でもない。
劇団回転磁石として、現代がどのように映っているのか、そして移っているのか、そんな独自性を持った公演に期待したいところ。

次回公演を楽しみにしております。
The Light of Darkness

The Light of Darkness

大川興業

ザ・スズナリ(東京都)

2016/09/22 (木) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

満足度★★★★

神経が集中する
暗闇演劇は2度目であるが、何回観ても面白いと思わせる。前回は、長時間(2時間)暗闇が続くので、暗所恐怖症の方などはご遠慮下さいという注書が気になったが、今回は公演に集中できた。
観えないことが当たり前なので、台詞や時々薄明かりになった時に観える演技が研ぎ澄まされた感じ。もちろん、描かれる内容も鋭く観応え十分である。
前回も書いたが、これをDVD化しても面白味は伝わらない。実際劇場で体験するしかないのが残念であるが...。

ネタバレBOX

新潟県にあるリゾートマンションが舞台。舞台セットはむき出しの鉄パイプのような造作物。突然暗闇になって...。以降、セットは殆ど目にすることはない。
3つの話がしだいに収斂し、最後には心温まるような大輪を咲かせるような物語。

 第1話。バブル期のマンションは売れ残り、住居者も疎ら。ゴーストタウンのようなマンションにいる売れない芸人の不安と焦燥。一方、その物件部屋を安く買い叩き、いずれ高額で売ろうとする強かさも垣間見える。2人の体外形に蛍光テープが貼られ、動きがコミカルに見える(ガイコツのよう?)。
 第2話。学校でイジメられ、屋上から自殺しようとしている学生と担任教師。校長は、学校はもちろん担任教師にも問題はなかったと(管理)責任回避。そして回り回って教師も自殺を図ろうとする。この2人の体の中心が光っており立ち位置(屋上と校庭か)が確認できる。
 第3話。既婚男性の妻と愛人との間で心が揺れ動く、というよりは優柔不断な態度が招く悲劇。愛人が癌になり妻が身を引くことにしたが、実は妻も末期癌で他界...その心情を知った男の号泣。この男が所持しているのが妻と出会った(スキー場)救命ロープが電飾に光る。

光の位置が時間軸として描かれるようだ。この3話は過去、現在、未来という異なった時間軸にあるようだ。そして、これらの話は交錯し一つの話を紡いでいく。
途中に男全裸の電光映像が紗幕(暗くてわかりにくいが)に映し出されるなど、大川興業らしい笑いも挿入されるが、全体的に深みのある内容で…。

次回公演も楽しみにしております。
次回作!

次回作!

こわっぱちゃん家

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2016/09/16 (金) ~ 2016/09/18 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い!
「好きなこと」と「仕事」の垣根を低くし、新しいライフスタイルを模索するために集まった仲間の共同生活。「劇団こわっぱちゃん家」の”ロジカルポップのスタイルでアットホームな空気を作り出す”は見事に表現されていた。

自分の好きなこと、それが仕事になって生活できればそれに越したことはない。しかし世の中そんなに甘くないよ、という辛口も登場人物に負わせて描く。それでも仲間が居る、その共同生活の中で夢に向かって進む群像劇...次回作が楽しみになる?
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

この在りそうな生活...共通しているのは「ネット投稿での生活」と「同じ家に住む」である。この仮想世界を通じて実生活をする、一軒家に住みながら日常会話(ゆげ坊・山藤桃子サン)が少ないという不思議さ。

ネット投稿する人(ニューチューバー)という耳慣れなかった言葉、しかしそこに居るのは紛れもなく人である。その一人ひとりに個性があり、その表れがネット投稿する内容の違い。簡単には成功しない(ユーザー登録が伸び悩む)という現実も描かれる。またこの共同生活者以外のニューチューバーも登場させ、その世界の広がりを示す。
漢字の「人」は背を向けるように2本の線が左右逆方向に払われながら、互いに支え合っている。この公演の設定そのものではないだろうか。

見せ場は、このニューチューバーたちのユーザー登録者数を競う雄武会なるイベントに向けて切磋琢磨する様子。そこに仮想の世界を描きつつ、その一方で、恋愛や生き甲斐などの人間臭さを観(魅)せる。この真逆のような設定は巧み。
役者は、登場人物それぞれのキャラを立ち上げ、その立場に応じた悩み・不安や葛藤を表現していた。

少し残念であったのが、次のところ。
イベントに向けた盛り上がりについて、その対象がバーチャルであるがゆえ、現実感(観えない)が伴わず緊張感のようなものが感じられなかった。
ラスト、米山(外山達也サン)は、ウルトラC的なネット投稿(物語)を仕上げたか、亡くなっている、という予想がつくような展開で、結果は後者となっていた。
タイトル「次回作」は亡くなった男への追慕のような...。

次回公演も楽しみにしております。
【公演終了】CONNECT 『ご来場ありがとうございました!』

【公演終了】CONNECT 『ご来場ありがとうございました!』

劇団C2

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2016/09/15 (木) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★

蠢く異世界へ...
突然に奇怪な情景へ引き込まれる。常識を超えた異形なる人物もしくは物の怪。徐々に異なる光景、異なる趣向が現れる時代伝奇。
その観(魅)せる印象は、スピード感溢れる「C2体感エンターテイメント」といった謳い文句そのもの。

ただ、何となく観た事があるような...。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

舞台は段差を設けた2層空間。中央に幅広い階段、上手・下手側にも幅は狭い階段がある。その段差を利用したアクションが、この劇団の魅力の一つであろう。

梗概は、真日本と正日本の争い。元は幕末争乱期に旧幕軍が封印を解いて”結鬼”(高見瑠夏サン)の力をもって官軍は敗れる。そして建国したのがこの真日本(北日本と今の北海道)。一方、破れた官軍が建国したのが正日本(関東以南)である。この2つの国は争いを起こさず50年経てきたが、正日本が科学技術を発展させ真日本と争いを起こす。
それぞれの国の特徴は、真日本は妖怪と人間が存在するようだ。一方、正し日本は”結鬼”に氷漬された子供たち。この子を”ケガレ”という。そして氷が融けだし、大いなる力(頭脳・身体能力・感性など)を発揮する。
妖怪(生あるもの)と機械文明...その蠢く物と物質文明が争う。それを物語の展開で実証していくようなもの。そこに強く訴えるようなテーマ性は感じられなかった。

まずメイク、衣装などの外見的ビジュアルに目を奪われる。そして、ダンス・パフォーマンスで魅せる。必ずしも”殺陣の力”ではなく、”剣舞”のような観せ方である。その意味では観客の気を逸らさないよう観せる工夫をしている。
この物語で、大きく感情を揺さぶられたというシーンはなかった。エンターテイメント性、観客に観てもらうというサービス精神に溢れた公演...そこが最大の魅力であったと思う。

この公演、グリーンフェスタ2016において 【BIG TREE THEATER賞】を受賞した作品「BRAKE」に似ているような...。本作だけ観る人には面白いかもしれないが...。

次回公演を楽しみにしております。
桜舞う夜、君想ふ  ※全公演終演しました。『観てきた!』ご記入頂けましたら幸いです。

桜舞う夜、君想ふ ※全公演終演しました。『観てきた!』ご記入頂けましたら幸いです。

STAR☆JACKS

南大塚ホール(東京都)

2016/09/16 (金) ~ 2016/09/18 (日)公演終了

満足度★★★★

殺陣があるが美しい芝居
導かれ操られるように、幕末の世界へ旅する...そんな股旅物語を体験したような。この旅(回想)は、説明にある「田舎の村に住む老人のところへ 帝都新聞の記者が訪ねてきて、清水一家の侠客の一人、 森の石松の死の真相」について尋ねるところから始まる。

この公演は、浪曲・講談で耳にする「森の石松」の最期にあたるところであるが、その話の中心は恋花のようで微笑ましい。有名な「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言われた男の純情が見える。そして物語全体に滋味を与え観応え十分であった。

少し気になるのは...。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

知られる森の石松の最期は、清水次郎長親分の名代で、讃岐の金毘羅代参の帰り、浜松の都田で都鳥一家のだまし討ちに遭う。浜北の小松村七五郎にかくまってもらうが、浜北の道本の子安堂、 通称閻魔堂で休んでいるところを親分や自分の悪口を言われ、出て行き斬られる、というもの。こちらは単純。

本公演は、話を聞くことになった老人が、石松と因縁を結ぶことになった小松村の七五郎、石松が恋したさくらの兄であった。この兄は、都鳥一家の賭場の回し者のような存在であった。しかしそこはヤクザの世界。七五郎に賭場で借金を作らせて、女衒に女(女房や娘)を売り飛ばさせる。兄の窮状を知り、妹は自ら借金の形に女郎になる決心をする。この妹を見た石松が一目惚れ。そこで借金を何とか工面しようと...。こちらは一本気。

この公演では、森の石松という侠客のあまり描かれない場面を強調し、人間ドラマとして仕上げている。名前から幕末という設定であることは知れるが、その時代設定を鮮明に説明していないようだ。森の石松をあまり知らない観客であっても、その人物の人柄に訴えるような観せ方である。それゆえ物語(人物像)の面白さ、魅力付けに力点を置いているようであった。だから人物造形、動く後景(舞台セット・キャスター付の磨ガラスか障子の衝立が数枚)での展開、そうすることで立体的に仕立てた印象付けの強い公演のようだ。
物語プロローグ...不思議な縁に導かれ、明治から江戸・幕末へ血の源流を遡行させる。そして先に記した石松と祖母(記者に同行したのは孫にあたる)の恋花を知る、という滋味に繋がる。

気になるのは、殺陣でありながら剣舞。その観(魅)せる場面を美し過ぎるように演出しており、叙情的のように感じた。それは印象付けにも現れている...ラスト桜舞い落ちる中での殺陣シーン。美しい絵(場面)であるが、その中にある石松という生身の人間の魅力が美シーンに追いやられたように思えるのだが...。せっかく立ち上げた人物像を大切にしてほしかった。

次回公演を楽しみにしております。
ゴミ屑の様に可愛い我が儘の為に。

ゴミ屑の様に可愛い我が儘の為に。

劇団milquetoast+

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2016/09/15 (木) ~ 2016/09/18 (日)公演終了

満足度★★★

両方観れば面白いだろう【抒情詩編】
当日パンフには「彼方になってからが『はじまり』です」とある。判然としなくなったのが、劇創作そのものなのか、その創作を彼方から観ているのか、その視座というか視点が分からなくなった。
抒情詩(リリック)と叙情詩(エピック)ということは、虚・実ループするような作りになっているのであろうか。スケジュールの関係で「抒情詩(リリック)編」のみ観させていただいた。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

梗概...元演出家・故三橋譲慈(植松俊サン)は不慮の事故で亡くなる(享年32)。その劇団は公演に向けて稽古しているが、今一つ魅力に欠ける。その劇中創作に成仏できずに彷徨っている故人。生前は不完全燃焼で、芝居演出に未練が残っているようだ。もっとも本公演ではその演出ぶりは観せず、物語の進展そのものが演出しているという設定のようだ。そして劇中劇が魅力付けされ、完成に近づくにつれ自身が彷徨える浮遊霊から本当に彼方(来世)へ旅立つような...。

その観せる舞台セットはシンプル。下手側にカーテンで仕切った奥に飾り棚があるのみ。上手・下手にある柱に映し出される陰影、それが現世(尖塔窓的文様)と来世(幾何学的文様)を区別しているようだ。

未練な想いが、劇団員相手へ凭(もた)れるような虚実の「からみ」として交じり出す。実際、この公演の作・演出の長野恵美女史の抒情の原点がここにあるのかもしれない。劇中芝居を動かし回すのが、スバル(うめいまほサン)と とみて(長野恵美サン)という主人公・故三橋の先祖と子孫である。この道化のような存在がラストの余韻に繋がる。しかし遊び心なのか、印象付けなのか先・子を逆転させるようで複雑・混乱してしまう。

芝居は脚本家・演出家の思いを役者の体を通して観客に伝える。自分がいて相手がいて、その先に第三者(観客)がいる。役者という他者の障壁がどう語りを紡ぐか、その不確かな表現の中で芝居は成り立っている。そんなギリギリの地点から じわっと立ち上げた抒情詩。不思議な感覚で面白いと思うが、観客(自分)として感情が動かなかった。
演技は比較的小さい劇場であるにも関わらず、絶叫するような大声には閉口した。熱演であろうが、出来れば抒情的な表現にしてもらえれば...勿体無い。

次回公演を楽しみにしております。
the Answer

the Answer

FUTURE EMOTION

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2016/09/15 (木) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★

前作に続いて...面白い!
本作と少し事情が違うが、映画「イミテーション・ゲーム」を想起した。それは第二次世界大戦時、ケンブリッジ大学の特別研究員が英国政府の機密作戦に参加し、ドイツの誇る世界最強の暗号機に挑む、というもの。
日本で軍事上の「特定秘密」を、と言われて歴史的な事例を即座に想い出せる人はそう多くいないであろう。
この公演は、暗号解読など科学的専門用語が多く使用され、その理解に拘っていると物語について行けない。公演全体を包んでいる緊迫感・緊張感に身を委ね、物語(筋)を楽しむことにした。

(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

父の遺した研究成果...量子コンピュータを利用して成そうとしていた謎を解くこと、娘としての使命感のようなもの。一方、その解読によって迫り来る危険な香りがする。この不穏な空気・雰囲気は、舞台を暗幕で囲い薄暗い中で物語が展開していく。そして時折怪しげに照射する照明効果が印象的である。

この量子コンピューターを巡り、父・娘の思い、研究成果の隠匿、それに国家的な思惑・陰謀が絡み合い、物語が輻輳していく。まず、量子コンピューターの利用価値が台詞で説明されるが、その現実が想像し難い。そして国家機関として絡む内閣府調査室、警察機構(公安)が漠としている。そして早口で喋る専門用語など...。その分かり難いシーンを補うかのように、娘と母(父と同じ研究者)が喫茶店で回想するシーンがホッとする。この安心するシーンが現在で、多くを占める不穏なシーンは回想。この過去・現在を交錯させながら物語は徐々に真相へ近づき、ラストでは父、そして母の娘への切ない思いが胸を打つ。

さて、物語の展開は過去・現在の交錯、そして時(もしくは解き)を繋ぐ研究成果の目的は、極めて個人的なようだ。母の不妊...その治療のような遺伝子操作を以って子供を授かる。そして生まれたのが自分であると...。科学的な用語、そこには機械的な響きしかないが、喫茶店での母・娘の会話は人間的な観せ方、という対比が面白い。

個人的な思いと絶対に秘密にしなければならなかった理由も分かる。科学進歩とそれによってもたらされる繁栄、その一方で人類の不幸も垣間見えてくる。そして娘が決断したこととは...。量子コンピュータの初期化、それによって恣意的な国家戦略(そこに「特定秘密」のような)の恐ろしさが存在するように思えた。研究の中心にいた人間(父)やその共同開発に携わった人たちに及ぶ理不尽な悲劇があるような。
在りそうなリアリティと創作芝居としての面白さが十分感じられる公演であった。

次回公演を楽しみにしております。

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