タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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第17回公演 『モラルハザード』 第18回公演 『Ctrl+z ダイアリー』

第17回公演 『モラルハザード』 第18回公演 『Ctrl+z ダイアリー』

劇団天然ポリエステル

キーノートシアター(東京都)

2016/11/24 (木) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い!【Ctrl+z ダイアリー】
現代社会の深刻な問題を取り上げた内容であるが、どちらかと言えばそこからの再生・再起といった描き方になっていた。その裏返しの人生で切なくなる感動シーンに泣ける。もちろんテーマをしっかり捉え問題の所在も確かに観える。
当日パンフの相関図は分かりやすく、物語に集中できるのが良い。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

素舞台...物語は中学時代の思い出したくもない出来事に立ち向かい、未来を変えるもの。もっとも自分の過去を直接変えられないが、他(愛しい)人の過去を刺激し自分の未来へ影響させる。

梗概...2036年の主人公・芥頼道(中澤隆範サン)は仕事も恋愛も順風満帆。ところが突然彼女(社長令嬢)から別れ話が出され逆上してしまい、清掃部署へ異動になってしまう。彼女には上辺だけの男のように思われた。意気消沈しているところへ科学者2人が現れ、過去(2016年)の中学時代の自分(ラフティ中山サン)に邂逅する。当時、見た目も存在感もパッとせずベンチーズという非モテグループに属していた。クラスにはいじめっ子・氷室晶(やんえみサン)等がいたが、一方正義感溢れる学級委員・御園葉子(碧さやかサン)が牽制していた。ひょんなことから頼道は葉子と親しくなるが...。正義感の強さは孤高によるものであったが、他人との関わる楽しさを知ったことで弱みも出来た。晶は頼道を苛めることで葉子を追い詰める。親しくなった仲間が自分を無視し、心の痛み淋しさを知らされ不登校になる。その後、転校し図書館経営(勤務)の中で科学者を育て上げる。

過去の自分の情けない姿と、現在の自分の姿が重なり上辺だけの努力をしていたことを知る。そこには人に影響を与える力・魅力が伴わない、という教訓臭さも感じられた。
素舞台であることから情景描写は弱くなるが、それを上回る印象付け...役者は登場人物のキャラクターをデフォルメする表現で、しっかりヒューマンドラマとして仕上ていた。ブラック・コメディとしての苛めの典型的な場面(親しい友人が無視・見ぬふり、教師による苛めの存在否定・屁理屈など)も挿入することで、物語に厚みを持たせているところが良い。

2036年(35歳)の自分、2016年(15歳)の自分を同時に登場させるという力技、20年後の自分が愛しい女性・葉子(15歳)を励ま(逃が)すような会話はご都合主義かも。そんなことは卑小とも思うが、この直接的な収束ではなく、もっと間接的な方法、その工夫があれば...その過程にもっと興味が持てたと思うが...。愛しい女性の過去を変え未来も変わる。その結果、自分の未来にも影響・変化しているリンケージが面白い。同時に別の世界で創られた科学者2人が存在しなくなるという切なさ。それを承知で手助けしたのも科学者である。

次回公演を楽しみにしております。
vol.18<DADDY WHO?>

vol.18<DADDY WHO?>

天才劇団バカバッカ

サンモールスタジオ(東京都)

2016/11/16 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い! 【木村昴バージョン】
父の通夜に集まった人々、単なる知り合いではなさそう。そもそも面識もなく、これから一波乱起きそうな雰囲気が漂っている。父は亡くなっているから登場しないが、ここにいる人たちの話を通して生前の人柄なりが明らかになって行く。その不思議な半生の悲喜交交(こもごも)が観る人の心を温かくする。
(上演時間2時間 途中休憩1分程)

ネタバレBOX

生前を回想するようなシチュエーションは、演劇に限らず映画(例えば「生きる」黒澤明 監督など)でもあり、珍しくはない。その多くが回想シーンを実際描き視覚化させているが、この公演では携帯電話による通話やメールといった手段を利用し、外部と交信することによってリアルタイムに思い出を掘り起こしてくる。それゆえ、時間の経過は現在を刻んでおり、物語の展開が分かりやすい。そしてテンポも軽快で観ていて心地よい。

舞台セットは、リビングルームといったところ。中央に白ソファー、その後方にガラス窓がある。上手側には外に通じるドアやダンボール箱、下手側には括り付けの棚が2つ並ぶ。そこには本、小箱など色々な雑貨のようなものが収納されている。後々この小物が重要な役割を持つ。

当初、亡父には遺産がありその相続で揉めるのか、といった定番のような始まり方である。また部屋にいるのは全員兄弟姉妹の関係にあることが、段々と明らかになっていく。何故こんなに子供が多いのか、父が職業を転々とする、血(血液型が不一致)のつながらないなどのミステリアスさが物語を牽引する。その謎が明らかになる過程を通して、登場しない父の人物像の輪郭が見えてくる。父は”ゲイ”...集まっている子供たちは、それぞれの母の連れ子である。その母が父と結婚(援助的意味合いが強い)したことで親子の縁ができた。それぞれの家庭事情(前夫の暴力・経済的困窮など)を承知で...いわば人助けというオチである。

役者は、登場人物のキャラクターを作り上げ、物語がうまく漂流するかのような演技が素晴らしく、全体のバランスも良かった。公演は、同じ脚本だが演出の違いで上演時間が120分(木村昴バージョン)と90分(白倉裕二バージョン)の2つを上演している。この長さが異なった物語をそれぞれのキャストがシャッフルしたバージョンもあった。この変形バージョンも観てみたかった。

次回公演も楽しみにしております。
荒野ではない

荒野ではない

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2016/11/23 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

社会と個人を描く
「青鞜」...今から約100年前に女性だけによる文芸誌が創刊された。そこに著された主張は現代にも通じる課題・問題でもある。それだけに、プロパガンダと受け取られそうであるが、当時の社会情勢・状況の中に巧く溶け込ませていた。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

「青鞜」の発刊は検閲とのたたかい、断続的に発禁処分になるなど、今にしてみれば理不尽な行いを受けたようだが、それに黙る(発表しない)ことによる危惧を訴える。公演は、当時の「情勢・状況」と雑誌に関わった「人物描写」の両方の視座から観せている。その意味で「骨太」でありながら「繊細」な感じもする。そこがこの公演の魅力のように思う。

舞台セットは、和室に座卓、その向こうに障子というシンプルなもの。座卓の鳥籠は女性の比喩か。青鞜の発行悪化から寺の一部を借り事務所代わりにしている。脚本は史実と虚構を綯い交ぜにすることで物語に厚みを持たせたようだ。その社会状況という史実に青鞜代表の平塚らいてうと、彼女を取り巻く人々の生き活きとした社会活動、その群像劇は観応えがあった。同時に彼女の”女性”という生身の人間臭さ、その断片が垣間見えるところに情感を覚える。

さらに公演では、女性の問題に止まらず、反戦・平和、(部落民)差別など、一種普遍的なテーマを取り上げており、現代に通じるところがある。ここに100年前の文芸誌を取り上げ、彼女を突き動かした時代背景と現代を重ね合わせ描き出したところが興味深い。特に女性の地位向上に関して、世界経済フォーラムが毎年、世界男女平等ランキングの結果を発表(統計手法の正否は別)しており、日本は100位前後であり、まだまだ改善が必要だと...。

物語は らいてうが映画「智恵子抄」を観て、帰宅したところから始まる。この冒頭シーンが秀逸である。電灯が点かず、月明かりの中で観てきた映画の感想...「あんなに美人ではなかった」と呟く。このモノクロの中に佇む構図は静謐といった感じである。
ちなみに記録映画「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(羽田澄子監督)として彼女自身が取り上げられたものがある。

登場人物は9人であるが、それぞれのキャラクターと立場・役割をしっかり表現しており物語の世界に浸れた。公演は叙情的な台詞回しが多く、難しいと思うが、見事に演じきっており観応え十分であった。

次回公演を楽しみにしております。
量子的な彼女

量子的な彼女

NICE STALKER

王子小劇場(東京都)

2016/11/19 (土) ~ 2016/11/23 (水)公演終了

満足度★★★★

観測したら輝いていた!
真の意味で「死」が怖いのは、その人の存在が忘れ去られてしまうこと。劇中のこの台詞が物語の構成のもとになっている。素朴でキュンとするような女子高生が登場するが、そんな彼女たちのミステリアスな経験を、タイトル「量子的」なことに絡めて描く。雰囲気は浮揚感に溢れているが、内容は地に足がついていた
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

客席はコの字型で、舞台を三方から囲む。シーンによっては客席左右のコーナーを利用して出入りする。コミカルな演技で魅せること、世界観の広がりを観せることを意識したようだ。舞台は中央奥に十字架の形をした間接照明の装置(BOX)が置かれている。天井には惑星をイメージした飾りが吊るされており、スペース・ファンタジーといった感じである。

梗概...未来から過去を回想、もしくは過去から未来に訪れたといった展開である。高校入学した時、少し変わった性格の池田萌子から話しかけられ友達になった私・藤本紗也香。その萌子が発起人になりオカルト研究部を創部したが、いつの間にか恋愛など青春期の出来事を通過しているうちに部には誰も来なくなる。この萌子は卒業アルバムの写真なども載せず「存在」していた形跡を残さない。

同窓(級)会などで、そんな「彼」や「彼女」がいたか?という記憶から抜け落ちてしまう「友達」を想う。記憶にある認識は時の経過とともに曖昧になる。文系としては「量子的」という専門用語と格闘しないため、手元にある国語辞典を利用する。そこには「それ以上に分割できない物理量の最小単位」とあった。「人」はそれぞれ個体であってそれ以上分割できない「存在」であり、その「存在」を誰かの記憶の片隅に置かれ(生かし)ていれば死んでも寂しくないかも…。

ミステリアスはオカルト研究部、ファンタジーはSF研究部、(力強く)足を地につけた屋上の先輩たち、その場面ごとに雰囲気が異なるシーンを演出し、登場人物が生き活きと描かれていた。色々な意味で濃い女優陣に、緩(淡)い男優陣が絡んで実に観(魅)せる公演であった。

次回公演を楽しみにしております。
お願いだから殴らないで

お願いだから殴らないで

MacGuffins

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2016/11/16 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★

熱演だが...
物語は分かり易いが、心に響くものが少なかった。演技は熱演のようでもあり、単に声が大きいだけだったのかもしれない。当日パンフに演出・古田島啓介 氏が、この作品は「家族の話」だと書かれており、子供への「愛情」に満ちた挨拶文が記載されている。そのテーマの感動が伝わらなかったようで残念だ。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは素舞台、中央奥に箱があり、時々そこに上がり宣言または俯瞰するような演技がある。

梗概...主人公・相沢譲治(夢麻呂サン)は50代会社員。妻と息子の三人家族である。突然 リストラされ、出た退職金(2000万円)も帰り道でひったくられて無くなる。激怒する息子、呆れる妻...。そんな危機的な状況下、怪しげな人物から、どん底人生からの一発逆転ゲームへ誘われる。優勝賞金は何と7億円。

人生は苦難の時ほど前を向いて「ヤッター!」と叫ぶと良いらしい。このゲームは漫画「賭博黙示録カイジ」を想起させる。もちろん設定等は違うが、どん底にいる男の逆転人生。本公演での賞金は宝くじ並みの高額。
トーナメント制ゲーム(参加者はリングネームのような名前=譲治は「愛情仮面」と名乗る)を通して、その大金に見合うもの、そしてスポンサーの目的は何か、という直裁的に描かれないところが気になる。不幸を愉悦するTV放映、そこに見え隠れする加虐性を刺激するのであれば、「愛情」というテーマとは逆に「残忍」というイメージを持ってしまう。参加者の中には親しくなった人、そして最後に対戦する相手は...。

演技は熱演であるが、その多くは譲治役によるもの。先に記した他人の不幸を喜ぶような感じが纏(まと)わりつくこと、譲治(または「愛情仮面」)の独壇場のようなブラック・コメディ?に終始していたようで勿体無い。

次回公演を楽しみにしております。
荒地に立つ

荒地に立つ

富岡英里子プロデュース公演

プロト・シアター(東京都)

2016/11/18 (金) ~ 2016/11/20 (日)公演終了

満足度★★★

想像力豊かにさせる
プロデュース公演ということが気になって観劇した。観客によって好き嫌いが分かれそうな描き方である。物語性や設定を重視する方にはどうか?個人的には好きな方であるが、気になるところも...。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台はコーナーを利用するため、客席は斜め(対角線上のような)にしている。最前列は桟敷(座布団あり)、2列目は丸椅子、3列目以降はひな壇に背凭れ椅子。自分が観た回はほぼ満席で盛況のようであった。
芝居は暗転なしで、劇場出入り口方向(客席後方)から たまこ(富岡英里子サン、本公演のプロデューサー)が下着姿で歩いてくる。舞台を半周し、置い(脱ぎ捨)てある衣服を身に着ける。その際、風船を膨らませ腹あたりに抱え服(上・下黒色と割烹着)で被う。見た目は妊婦姿である。小物としては炬燵、鍋ぐらい。
何度か繰り返される「東京オリンピック前夜」という台詞...現在を指し示すのだろうか。

梗概...自分には物語というよりも感覚的、観念的な描き方のようであった。それでも主張したい内容は何となく分かる。
”私”が生まれたこの世界、荒地(東京か)に立って見れば、そこは不条理に満ちたところ。例えば外国人労働者の増加に伴い就労先が少なくなっている、家族に(精神)疾病者がいれば隠匿(いんとく)する、という偏見。花火と称しながら砲声のような轟音、核(シェルター)・平和という言葉が断続的に聞かれる。壁に映し出される映像は雑踏中を歩く姿。それが早送りされノイズ状態で聞き取れなくなる。現代人の早い口調、それに追い付けなくなる。都会(人)へのアイロニーであろうか、東京砂漠(荒地)は掘っても何もない=漂流者はさすらうから未来がないと...。

気になるのは、演出が少し観念的で分かり難いこと。演技は、役者の登場シーンの多い・少ないも影響しているかもしれないが、力量差...富岡サンの圧倒的な存在感が凄い。このバランスが良くなかった。やはりプロデュース公演は難しい。

最後に風船を飛ばすシーンの意味は...生命の誕生、生きていくことの比喩であろうか、男優演じる路上生活者は刹那的に観えるが、それでも逞しく生きている。

次回公演を楽しみにしております。
Birthdays

Birthdays

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2016/11/16 (水) ~ 2016/11/20 (日)公演終了

満足度★★★★

テーマは同じだが、その描き方は違う面白さ【Aチーム】
本公演はテーマ「Birthdays」である。2作品との人の誕生を描いているが、その物語(脚本)、設定・雰囲気(演出)は対照的だったように思う。
どちらの作品にも気になるところが...。

この公演は演劇制作体V-NET創立15周年記念公演第2弾!という。この2作品を観てどちらのチームが面白かったかを投票し、2017年5月の「GK最強リーグ戦2017」への出場チームが決まるという。

1作品目「ららら」(内海伯太氏 作・演出)は平凡な日常に異常(異例)なことを描く。
2作品目「HAL」(マホロバ氏 作・演出)は特異な状況を作り出し、その中で平凡な暮らしを描く。
日常に非日常(またはその逆)を描くことで、その対比の面白さを出そうとしていたように感じた。
(55分×2作品 途中休憩10分) 

ネタバレBOX

舞台はどちらも同じようにホテルのロビー。上手側に横長ソファーとテーブル、下手側に受付カウンター、傘たて、マガジンラックが置かれている。

「ららら」
オーソドックスな観せ方...時間の流れが順方向という現在の世界の物語。嵐の夜という閉じた状況下、冒頭、台風情報が流れてくる。ホテルはオーナー・堤(江崎香澄サン)含め3人で運営している。宿泊客は商社マン1人、若い夫婦と夫の母親の3人家族の2組。その妻は妊娠しており臨月である。夫はマザコンで母親の言いなりである。嫁姑バトルというよりは姑に仕えている。客室(2階)にあるが、台風の影響で停電気味。そこで客を1階ロビーへ避難させる際、母親が嫁を落そうとしたと...。もちろん誤解である。勘違いで面白可笑しく見せるのはコメディの常套手法。ちなみに母親(門地ジル子サン)の嘆き、早く親を超えてほしいと呟く。一方、商社マンは同僚女性を妊娠させたが、結婚の意志がないため別れた。そのショックで女性は流産してしまう。この元彼女も現れて...。

気になったのは、宿泊客の人物像なりは描かれていたが、それに比べてホテルの人々の人物像の描きが弱い。3人がどういう経緯で知り合い、このホテルで働くことになったのか、その関係性が見えてこない。タイトル「Birthdays」であるが、生きるへ繋がるのであれば、生きてきた過去にも触れてもよかった(55分では短いのだろうか)。

「HAL」
近未来に向けたロボット工学・開発チームの学会発表前夜、ホテルロビーでの不思議な出来事。人工知能ハルの叛乱を描いた「2001年宇宙の旅」を想起する。究極にカスタマイズされた人工知能は人間のよき理解者であり交歓者にもなり得る。そこに量子コンピューターも登場させ最先端科学(技術)の議論が展開し出す。もちろん要約すると...そういう形で簡易説明も忘れない。さて、主人公夫妻には子がいない。妻の妊娠しにくい体質というのが原因である。夫・秋山丈太郎(西川智宏サン)は結婚する前に付き合っていた彼女との間に子供が生まれていたことを知る。この最先端の技術を利用し、生まれた子との関わりを見るが...。自分の都合の良い(夜泣きなど子育ての苦労は見たくない)ようにシュミレーションを変えるパラレルワールドのようだ。

気になったのは、妻が妊娠したと知った時、それまでシュミレーションしていた子(彼女)が新たな生命の出現によって上書きされたように感じる。そこには無かったこと、という虚の世界が観てとれて悲しかった。
救いはカーテンコール後、舞台の両袖で父と子が見つめ合う姿があったこと。

2作品はどちらかと言えば対極...常(王)道的な物語と斬新な作風のぶつかり合いが興味深かった。それだけ演劇制作体V-NETの層が厚いということ。

次回公演を楽しみにしております。
旅立ちの人

旅立ちの人

アンティークス

OFF OFFシアター(東京都)

2016/11/16 (水) ~ 2016/11/20 (日)公演終了

満足度★★★★

色々盛り込まれているような
人間ドラマをサスペンス・ミステリー風な展開で描く。主人公の少年時代のトラウマ、それを乗り越えた先の恐るべき反動、後々それに絡んでくる脇筋をともないながら歪な正義が物語の発端となる。
ミステリーとしては、伏線の張り巡らせ方は弱いように感じるが、サスペンスという点では迫力・緊張感があり楽しめた。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、段差があるだけのほぼ素舞台。正面は白い壁、両側には衝立のようなもの。置かれているのはいくつかの椅子。シーンによって椅子を動かし情景や状況を作り出す。それだけに役者の演技力が重要になってくる。全体的なバランスも良かったが、主人公・栗原真司(五島龍之介サン)の少年時代を女性キャスト(三品万麻紗サン)が演じているところに多少の違和感。

梗概...真司は元刑事で、強引(暴力的)な捜査、取調べで犯人やその家族から恨みをかい、妻が殺害された。その犯人と思しきグループに復讐し刑務所で服役している。そして元同僚から娘が難病で入院していることを聞く。囚人仲間1人と脱獄して会いに行く。その途中で不思議な青年・トモ(隆辺耕作サン-記憶喪失のよう)と出会い行動を共にすることになる。実は、真司の少年時代の親友という設定だ(ミステリアスにして異界感)。また妻を殺害した真犯人は、一緒に脱獄した男であることが明かされる(唐突感)など、ミステリーとしてはリアリティのなさ、ご都合的なところがある。

しかし、人間のドラマの観せ方としてミステリーという手法を用いていると思えば、その核となる人物(人生)の描き方はドラマチックであった。苛めというトラウマの反動は、その後の人生を狂わすほどの影響があった。一方、我が娘への愛しさ、会っても真実を打ち明けられない切なさ。

公演は、得体の知れない憎しみをぶつけ合い、愛を求め合うような物語。全体的に不穏・不安な雰囲気に包まれているが、随所に挟み込まれる病院(室)や青年トモとの出合いと触れ合い場面が心を和ませてくれるのが救いであった。

次回公演を楽しみにしております。
風車〜かざぐるま〜

風車〜かざぐるま〜

ものづくり計画

萬劇場(東京都)

2016/11/16 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ふるさと三部作...完結篇面白かった!
瀬戸内海にある島...碧島(あおいじま)における過疎・活性化対策を面白可笑しく描いた物語。あくまで島民目線で見た場合で、移住してこようとする人々の気持は見えてこない。双方の視点から、それぞれの「不都合な事実」を描くという点では、納得性が弱いような気もする。それでも過疎化に悩む姿を痛々しくも滑稽に描き出す。
中盤までは誤魔化しとその綻びを繕うような緩いコメディタッチであるが、終盤に向けては、過疎化になった原因、現状、今後どうするかという展望までを一気に語る。
(上演時間2時間強 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、廃屋に近い公民館の講堂らしき場所。その舞台(壇)上の中央壁面に島民をイメージした漫画絵(ポップ調)がある。上手側に自転車、下手側にBOX、そこにサッカーボール、扇風機、酒瓶が置かれている。また2階へ通じる階段が見える。
この絵に描かれている人物、風景...青い海・太陽が明るく生き生きとしている。そのタッチは優しく、ラストシーンでその絵に照明が当てられ印象強い。その余韻演出は心憎いばかりである。

梗概...離島への移住希望者への説明会。少しでも島民が多くいる、そして島の印象を良くしようと知恵を絞る。その結果、主人公・祝広貴(池田努サン)の父・恒邦(雑賀克郎サン)が亡くなったことにし、その葬儀に託けて島を離れた者を呼び戻す。ウソの情報を流し、帰島した人々が久しぶりの再会を果たす。しかしウソがばれてドタバタ騒動が...。

前半は先の嘘を誤魔化すための緩いコメディタッチであるが、後半はなぜ深刻な過疎化が進んだのか、故郷の存続の危機に晒されることになったのかが明らかになる。そして主人公・広貴が父と喧嘩し島を離れたのか、その理由も明らかになる。島の活性化のため風力発電を誘致したが、その騒音・低周波は島民に悪影響を与えた。そんな時近くの島との合併話が持ち上がる。合併による交付金や原発誘致による経済活性化、一方吸収合併でメリットがなく原発危険と反対する島民、その争いが激化する。そして東日本大震災が発生し原発問題へ繋げる。

多くの登場人物、しかし、それぞれのキャラクターは立ち上がり見事な群像劇に仕上がっていた。特に広島県・瀬戸内海という設定であり、方言での会話はその土地という臨場感を醸し出す。広島県は第二の故郷であり、多少のイントネーションの違いはあるが、懐かしさを覚えた。

碧島(あおいじま)へ移住するかもしれない...そんな若夫婦は、今までの仕事のあり方を見直し、インターネットを通じた起業も模索。また広貴はNPO法人での業務経験を生かして新たな島の活性化に取り組もうとしている。ハッピーエンドという予定調和であるが、そこには故郷への想い、そして生活や労働形態への工夫によっては過疎化・高齢化対策が考えられる、という展望が見える。ここに未来を見据える生きるメッセージが込められていたようだ。
本公演では娯楽施設もない、コンビニもないなど悲観的な説明もあったが、それでも、島は「人の心がよく聞こえる」と...。

次回公演を楽しみにしております。
酔いどれシューベルト

酔いどれシューベルト

劇団東京イボンヌ

ムーブ町屋・ムーブホール(東京都)

2016/11/15 (火) ~ 2016/11/18 (金)公演終了

満足度★★★★★

観応えがあった!
「歌曲王」と言われ、生涯600曲ほど作曲したが、その曲が世に認められるまでの下積み生活が描かれる。劇団東京イボンヌはクラシック、演劇という独立したジャンルとは違い、その融合させるような公演スタイルである。その独特な公演はそれぞれのジャンルにおいて敷居が高いと思っている人々(観客)に楽しんでもらう、そんな試みを行っている。そこに描かれる世界...その描き方は、音楽曲だけでも、演劇の物語だけでもなく、主人公(本公演ではシューベルト)となる人物を通して見た人生、時代の背景・状況などを多重的に観せるところが魅力である。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、段差を設け、後方上手側(この劇団の特長、オーケストラをピットではなく舞台上に配置)に8人編成の楽団。下手側にピアノ(ピアニストは、音楽監督の小松真理女史)が置かれている。上手客席側は、バー・カウンターを作り物語の展開を促す場所としての役割を担う。舞台全体は焦げた平板を組み合わせたような壁・床で、その色彩は落ち着いた雰囲気を出している。そして、場面によって印象付を強調するため、照明を両方向から照らした際、両側の壁に役者の影が映り、妖(怪)しげな陰影(悪魔イメージ)が舞台上を被うようだ。

梗概...シューベルトは恋人との結婚を望んでいるが、なかなか世に認められる曲が作れない。そんな悶々、苛立ちの中にある。一方、恋人は家族(父の医療費、妹達の生活費)のために心ならずも金持ちバロンへ嫁ぐことを決心する。シューベルトの落胆と恨み、そんな時、酒場に悪魔が現れ、美しい曲をプレゼントする代わりにシューベルトの寿命(1カ月)を縮めるという。悪魔の誘いに乗り、多くの名曲を残したが...。寿命があと1カ月になった時、恋人の真心を知り、また自分自身による作曲でないことへの絶望が切ない。

さて、もともと悪魔などは存在せず、自分の心に巣くうもの。恋人はシューベルトのため神に祈っていたが、その行為こそ神との対話であるという。神も悪魔も自分の心の中。今まで作曲したものは全て自分の力であり、まさに命を削った結晶である。

時代との関連というか...バロン(この名前から意識していることは明らか)とハプスブルク家を登場させ、金の力で名誉(男爵)が買える、貴族階級という身分制度への批判が垣間見える。音楽への純粋な取組姿勢との関係から見た時、別の意味で悪魔との取引(金の力ではないが)は苦悩と悔悟が付き纏う。ラストシーンは余韻の残る見事なもの。後世に名曲を残し、夭折したがその人生は充実したものではなかっただろうか。

音楽...シューベルトということもあり、柔らかく優しい作品、またはパートを選曲しており、そのテンポは物語にマッチしていたと思う。先にも記したが、作曲家自身を題材にしているが、当然その作曲した音楽を演奏することになる。その意味で選曲と楽団編成が重要になっているが、本公演は声楽との調整・調和から8人編成もうなずける。

最後に劇団東京イボンヌは、小劇場公演の活性化を目指しているという。東京を中心とした大都市圏だけの公演ではなく、条件があえば地方公演など演劇の底上げを期待したい。それこそ劇場に足を運んで、演劇・声楽・器楽の融合によって生の臨場感が楽しめるのだから。

次回公演を楽しみにしております。
俺んちに神様!? 2016

俺んちに神様!? 2016

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2016/11/09 (水) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

味わいある芝居
神様が居候という、とんでもない笑い噺...このシチュエーションは、映画「生きる」(黒澤明監督)を思い出す。もっとも描き方や結末は違うが、自分の生き様を改めて考えさせるような…。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

余命数ヶ月と医師に宣告された青年(落語家)が味わう不思議な出来事を荒唐滑稽、脱力コメディとして描く。昭和の風情が漂うボロアパートが不思議な魅力に包まれた異界の場所へ変化していくようだ。

梗概...主人公は、落語家になりたくて親の反対を押し切って青森県から上京した青年・竹ノ条吉宗(佐々木優サン)、弟弟子にも昇進で抜かされるという覇気・気力のない流される生き方。そこへ余命宣告され...ありがちな設定であるが残された時間をどう過ごすか。それでも主人公は唯々諾々の暮らしぶり、さらには彼女・藤堂美咲(佐々木晴美サン)と思っている女性から適当にあしらわれ金だけ貢がされている。人生どん底であるが、神様は表立って助けてくれない。ただ飲み食いしているだけ。しかし、いつの間にか毎日の騒がしさに気が紛れ、死の恐怖を忘れているような可笑しみを覚える。
一方、故郷の母親の手紙を読み上げる場面はジーンときた。

舞台セットは、ボロアパートの和室...斜めに設営することで奇妙・歪な異空間をイメージさせる。押入れ・台所、隣室への戸。壁には三角ペナントが飾られている。途中で舞台が変形し宝船が出現する驚きを演出する。

登場する神々は七福神、オオノブクロノミコト(実は貧乏神)、そして座敷童・美代、河童。一時的に死神や鬼も姿を現す。余命わずかな青年の部屋に集まった神々などがそれぞれ青年を気遣い、茶化しながら好き勝手に飲み食いし喋り、実に奔放な感じである。一見、青年の悲しみとは縁遠そうな仄々とした雰囲気の中、神々は確かに其々のやり方で「死」という掴みようのない宿命に謙虚に向き合っている。もっとも神様であり「死」そのこと自体に切迫感はない。むしろ、悪者・彼女への反発の方が印象的であった。
ただ、中盤以降、暗転を多用した場面転換が少し気になった。

公演の展開は青年に寄り添うもので、語り手のようなオオノブクロノミコト(谷口 有サン)の目は柔らかく優しい。脱力系演技と滑稽な演出が相まって大らかで即興的な芝居は観応えがあった。

次回公演を楽しみにしております。
魔女と賢者と永久の薬師

魔女と賢者と永久の薬師

劇団ゴールデンタイム!

劇場HOPE(東京都)

2016/11/10 (木) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

物語として楽しむ
脚本の面白さを超える演技という印象であった。物語はプロローグ、エピローグへ繋げ、その間を劇中劇(回想)というオーソドックスな展開にしている。物語はダークファンタジーという謳い文句の通り人間の業(ごう)に起因した悲劇を壮大なロマン風に仕上げている。その観せ方、芝居という見世物としては面白かった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央にやや広い階段、上部は出入り口に引き幕。上手側・下手側にそれぞれ形の異なる屏風(衝立)のような仕切りがある。その壁面、上手側は剣・矛、盾が飾られ、下手側には書物(「ペン」のイメージ)が置かれている。ペンは剣より強し...という言葉を思い出す。正面左右の壁には大小のギアが飾られている。それが時計とは逆回転し回想シーンへ。

梗概...海洋暦692年 カルタグラは正体不明の疫病に苛まれていた。 勇者メディスの叛乱により、先代国王を失ったカルタグラを侵略しようとする周辺諸国。国王の娘・アンダリテが戦場で指揮を執るがカルタグラは敗走を続けている。人々は国の災いは、全て魔女の仕業とし、魔女と噂される者を処刑し心の安堵を保っていた。 今日は罪もない薬師の少女・サクリが処刑される、はずであったが彼女の前に紅蓮の魔女が現れる 魔女は少女に告げる 「この手を取りなさい」と...。

「魔女」という存在は、人間の業によって形成され、その魔女によって戦争(侵略)が起きているという皮肉。魔女狩りと称して国の不安定を人の人格に転化する。それも理由なき理不尽によるもので、その結果人々の怨念・怨嗟などの恨みの連鎖が生まれる。登場人物は次々に死んでいく、滅びの美学のような気もする。人間自身が招いた自業自得であるが、本公演ではそれも予定調和の内のようであった。

「魔女」が忌み嫌われていく過程、そこには人間の悪意がはたらき罪なき人が「魔女」に仕立て上げられる。もちろん公演はフィクションであるが、それは荒唐滑稽なことではなく、やがて来るかもしれない。架空の物語、それゆえ卑小なリアリティよりも壮大なフィクションとして楽しんで観た。ただ悪が渦巻く中、薬師だけが純真さを持ち続けるという出来すぎが白けてしまいそう。

役者は熱演...特にネスリム(井家久美子サン  「城に仕える錬金術師」)は憎々しげであり圧倒的な存在感・迫力があった。また殺陣というかアクション、それに顔面に施した妖しげなアートなどの印象付を意識したような演出は好かった。

次回公演を楽しみにしております。
つややかに焦げてゆく

つややかに焦げてゆく

Antikame?

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/11/10 (木) ~ 2016/11/14 (月)公演終了

満足度★★★

普通の人々(女性)の心情を...
作・演出の吉田康一氏の思いが溢れるような言葉...その伝え方が詩的な長台詞になって表現されている。少し観念的と思えるが、普通の人々、特に女性の心情の断片を切り取るかのように思えた。
物語はオムニバスから緩く繋がるような展開であるが、その詩的で朗々とした台詞回しが冗長に感じる。脚本は面白いが、演出によって物語の機微、面白さを失わせているかのようで勿体無かった。
(上演時間2時間20分)

ネタバレBOX

舞台は素舞台、ほぼ正方形の四隅に折りたたみ椅子があるのみ。全体的に暗く、舞台上の役者演技に集中させるかのようだ。客席はコの字でどの位置からでも均等に観えるよう工夫している。もっとも観る位置によって少し印象が異なるかもしれないが...。

高校生だった頃の家庭教師への思慕またはそれ以上の恋愛感情を秘めた女性・ともえ(大塚由祈子サン)、仕事を辞め旅に出る、自分探しのようなユリ(寺坂光恵サン)、夜景が見える駅ベンチに佇み、幸せに手が届きそうなキリコ(矢内久美子サン)、バイト先の後輩と旅行しているが、その友達以上、恋人未満のような関係を続けている女性・みふゆ(こいけサン)、自分の精神・肉体にフィットする男を求めていたが...平凡に落ち着くことになりそうな女性・みわ(野津恵サン)。そのどこにでもいそうな女性たちの心情を、日常の中に淡々と表現させる。他男性キャスト2人。

その表現は、一見瑞々(みずみず)しく繊細のように感じるが、精神先行で肉体的な面が置き去りになっているようだ。その点で淡々とした描きゆえに躍動感が弱く物語として140分を牽引するには厳しい。台詞は詩的で心象形成を意図していたようで、(若い)女性の孤独、不安、寂しさ、諦念のようなものから、相手(男)の気持に寄り添う、温もり、優しさを求める。その色々な思いの心の旅路を表現しようとしていたが、何となく整えた台詞のようで心への響きが感じられなかった。

孤独や不安を際立たせる都会の喧騒、群集の歩きをイメージさせる不規則な歩行、雨傘による寂しさ。そして役者へのスポットライト、場内全体を照らす照明の色彩など、台詞と同様に詩的なことを意識させる。
物語の構成や女性心情(オムニバス的)の描き、その坦々にして悠々とした雰囲気は好ましいが、もう少しテンポと力強さがあったら良かったと思う。

次回公演を楽しみにしております。
かもめー海に囲まれた物語ー

かもめー海に囲まれた物語ー

ノアノオモチャバコ

テアトルBONBON(東京都)

2016/11/09 (水) ~ 2016/11/14 (月)公演終了

満足度★★★★

脆く美しい人間像
A・チェーホフの「かもめ」を原案にした、寺戸隆之氏の脚本・演出による「かもめ-海に囲まれた物語」は、日本の芸能界と重ね合わせているようだ。もちろん、原作のかもめの”人生と芸術”に苦悩する者、その人物を取り巻く人々の思惑、喧騒が...。純粋で不器用な者の愛しくも狂おしいような青春が観てとれる。ただし、冒頭は少し観念的だったと思う。
その者だけではなく、人間誰もがその場所から飛び立てるのを信じているかのように。「現代日本に舞台を移した全く新しい物語に蘇らせます」は観応え十分であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央に回転サークル、その上部はドーム型の骨組み。サークル内には上からブランコ(孤独イメージ)が吊るされており、劇中で何度か座るシーンがある。上手側は奇形なロッカー、机・PCがある。下手側にこれも奇形ベンチが置かれている。全体的な印象は奇異でありながらファンタジー的な感覚でもある。ノアノオモチャバコの特徴である油絵のような空間造形が見られる。

梗概は、芸能界の大御所を母アキコ(松倉かおりサン)に持つ青年・カワタニケンタ(成瀬清春サン)は内気な性格。最近は鬱々とし話し相手はネコ(森口美香サン)のみ。バイト先の缶詰工場で女性ロッカーを開けてしまい、それを同僚女性コミヤ(伊藤あすかサン)に見られ弱みを握られる。この女性によりバンドを組まされ、女性の作詞作曲を歌うことになる。この活動支援のため母親の力を得る。バンド活動を通じ、芸能界アイドルのベッショキヌコ(早川紗代サン)と親しくなるが、コミヤによって悲劇へ...。
さて、登場人物は大御所/アキコ、MC/マツヲ、かもめ46などTVで見かける人物造形のようだ。

物語はカワタニケンタは売れっ子バンドボーカルになるが、その曲は自身が作ったものではない(世間的には作詞作曲を手がけていることになっている)。芸術における才能とは何か。自分の世界はどこにある。コピーではなくオリジナルの世界を模索、その苦悩が伝わってくる。芸術に必要なのは”忍耐”であると...原作「かもめ」の有名な台詞。

舞台セットの中は、カワタニケンタの心の内。いや芸術に関わる者の苦悩を吐露または咆哮するかのようだ。サークル外に多くの人々が囲み賑やか、その喧騒は心情とはかけ離れた遠い存在のようだ。このサークル内外の観せ方と第三者的な視座が独特な雰囲気を漂わす。ネコの存在であり、主人公の心に寄り添って見つめている。

冒頭の音響・音楽に台詞が重なり聞き取れないシーン...それは敢えて「人生はうるさいほど賑やかで、どうしようもなく孤独だ」というテーマ性を始めに描いているようだ。ラストは、白いかもめがゆっくり舞うダンス、一方、コミヤの黒ずくめの喪服のような色彩が対照的。エピローグの死は原作どおり。

役者は熱演...劇中劇の様相を入れるためか芸能記者が登場する。特にショウジ(大久保悠依サン)は迫力があった。
だた、パーカッションとして佐藤太志朗、野良人エリヲ両氏を迎えているが、その演出は音響効果としてのみの印象。もっと劇中の心情表現に関わる部分での演出があれば、と少し勿体無いと思った。

次回公演を楽しみにしております。
月が大きく見えた日

月が大きく見えた日

The Stone Age ブライアント

サンモールスタジオ(東京都)

2016/11/08 (火) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議な感覚だが面白い!
現代社会の大きく深刻な問題を小さな団地の一室で表す。物語の真の中心となる人物は登場しない。観せ方は、その人物の心情というよりは、周りにいる人々にどう影響を与えるのか、その問題の広がりに軸を置いたように思う。

帰り際、夜空を見上げていた。スーパームーンが見られるのは11月14日...そう教えてくれたのは徳永梓さん。ありがとうございます。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、都心郊外の団地5階の一室。上手側には整理タンス、ダンボール箱、そして隣部屋への出入り口。下手側はキッチン、冷蔵庫と風呂・トイレへ続く廊下。さらに客席内左側はこの部屋のドアがある。中央奥は大きなガラス窓で、その外にベランダ手摺が見える。壁にはシミが浮き出ており、はり紙の跡もくっきり。

梗概...母子家庭で育った一人っ子の少年は天文学者を夢見ていたが、今は 母(亡くなったばかり)が住んでいた団地を離れ、私立中学の理科教師になっていた。何でも他人のせいにして逃げてきた性格。この教師を慕い話しかけてくる生徒がいたが、その相手をする(話を聞く)のが面倒くさく億劫になっていた。その生徒は自宅通学ではなく、学生寮に入寮していた。そして寮で苛めにあっており、耐えかねて慕う教師の自宅で飛び降り自殺をした。教師の同僚で恋人・霧矢梨子(徳永梓サン)、学年主任であろうか栗生沢先生(アフリカン寺越サン)など、学校側の対応が問われる。そして生徒の母親が登場し、学校・教師の責任を追及し出す、という典型的な展開。

本公演、自殺した生徒は登場しない。苛め=本人の心情吐露などが描かれそうであるが、本公演ではその空(くう)にした設定にすることで、少年の人物像を観客に想像させる。どんな容姿、声なのか...共通して思うことは「宇宙、天文好き」で孤独なイメージではなかろうか。この現れない演出は、映画「桐島、部活やめるってよ」(2012年)を思い出す。そして最後までどんな人物だ、という興味を持たせる。本公演ではその演出効果ではなく、残された人物...気弱な教師の姿に人の一面が垣間見える。そこに「日々溜め込んだ切実な人間のマグマ」を観るような気がする。

本公演は舞台技術、特に照明は印象付けのため中央ガラス窓に時間を演出する。その照明色が時間、その経過を示す巧みさ。
登場人物はわずか5人。どの人物もキャラクターを際立たせバランスよく観(魅)せる。表層的には少し痛く、時にコミカルに演じている。だだ、会話が途切れた間(ま)が少し長い時がありテンポが緩くなるシーンが何箇所かあって勿体無かった。

次回公演を楽しみにしております。
震えた声はそこに落ちて

震えた声はそこに落ちて

劇団時間制作

劇場MOMO(東京都)

2016/11/02 (水) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

重い内容だが...【Bチーム】
加害者は信用を回復することは難しい。それ以上に被害者の苦しみが癒える事は、難しい(ない)。未成年による犯罪...その更生を見据えつつも、第二の人生はその家族をも巻き込んで...。説明にある「言葉にする事の重みと、言葉にならない思いの強さ。 直向きに幸せを追い求める圧倒的な現代劇」の謳い文句通り、素晴らしい公演であった。

敢えて明るく振舞う笑顔、しかしその顔は心底から笑っていない。そんな緊密した物語は飽きさせることなく力強く引っ張る。

(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台セットは、「たかまつ食堂」をしっかり作り込んでいた。中央奥にカウンター、客席側の上手・中央・下手側にテーブルセットが置かれている。この配置に誘拐・拉致監禁事件の加害者・被害者が上手・下手のテーブル席に座る。この対比構図による展開が物語を分かり易くしていたようだ。

梗概...「たかまつ食堂」には3姉妹がおり、結婚している長女が夫と経営している。誘拐されたのは次女・神崎琴子(はらみかサン)。そのショックで声が出なくなる。家族はこの事件には触れず忘れることを選択していた。そこに別事件の加害者となっている女性が現れ、どうしたら被害者(家族)から許しの言葉がもらえるのか。そして誘拐した犯人や共犯者が現れ、被害者の心情に踏み込んでくる。

本公演はドキュメンタリー風のように感じた。現実はもっと深刻であり、重たい展開にすることも出来たであろう。物語では監禁しても陵辱はしていない。犯人の誘拐動機...未成年者が逆恨みによる相手家族を困らせたい、そんな幼稚なもの。だから真に悪い事(犯罪)という認識が希薄である。もっと重たい事実を突き付けた場合、その先に見えるのは絶望。ここでは敢えて未来を見つめる方向にしている。

その見守り役が、冒頭のラジオパーソナリティ・三郷岬(真砂尚子サン)である。その立場を示すのであろうか、被害者(家族)・加害者(家族)の間に介在するかのように中央テーブルかカウンターに座る。物語のリアリティよりも人間の心情を抉り出すという展開で観(魅)せることに主眼を持たせたところに好感が持てる。そしてラストもけっしてハッピーエンド、予定調和ではなく、むしろ自分を苦しめた行為、犯罪に対する”怒り”を加害者(家族)にぶつける。

役者は熱演...登場人物のキャラクターや心情はしっかり体現しており、演技バランスもよい。また、舞台技術として照明はラストのスポットは印象付け、音響は棒説明にならないようラジオ番組を通じて興味を惹く。また食堂の出入り口を開けると外の喧騒・車の音が聞こえる。何気なく聞こえる「音」は今回テーマを意識しているのだろうか。この食堂内は事件を忘れるために立ち止まっている。その意味で非日常、対して外は日常の暮らしがイメージ出来る。とても細かいが効果的な演出であった。

次回公演を楽しみにしております。
Rock'n will~石の意志~

Rock'n will~石の意志~

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

ブディストホール(東京都)

2016/11/02 (水) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★

豊かな発想、大胆な設定
最近「影の者」だった忍者が話題になっている。2015年10月には忍者ゆかりの自治体などが参加した日本忍者協議会が発足しているという。

今年は、ずばり「真田十勇士」をモチーフにした映画があった。忍者ブームは何度かあって、その当時の社会情勢が反映されてもいたらしい。そういえば、小説、漫画、映画、TVドラマなどいろいろな媒体で登場してくる。

本公演は、忍者の特長である忍術、体術それに諜報術が紹介されていたが、劇団の真骨頂...殺陣・体術が素晴らしかった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、アクションスぺースを確保するため、下手側に数段高くした小広い踊場のようなスペース。イメージは物見所、その下に幕が掛かる抜け穴のみ。

登場人物は、歴史...特に戦国時代に興味を持っている人ならば聞いたことがある者が多い。冒頭は本能寺の変から始まる。暗躍する忍者は真田十勇士でもおなじみ、霧隠才蔵(金村美波サン)、猿飛佐助(夏上瑛助サン)が真田家に仕えて...ではなく別の方向へ物語は進む。
忍者は眩い黄金(小判)次第で仕える先を決めていたようだが、ここでの黄金は輝く稲穂に準(なぞら)える。乱世における弱き人々への目線。そこには城の上からでは分からない。才蔵が片膝立て穂の高さになり、撫でる場面は静的である。一方アクションは動的である。この観せ方、メリハリがあり印象付けが巧い。公演全体が魅力的な観せ方になっており、そこに現代における貧富の差など格差社会への皮肉が込められている。

さて、漫画に「カムイ外伝」(白土三平)というのがあったが、そこでは抑圧され、身分制度の外に生きる者」としての忍者像があった。まさしく時代は廻り現代日本の色々な問題に対峙するような...。

役者陣の熱演...特に殺陣などのアクションシーンは観応え十分である。物語も実に発想豊かで大胆な設定の裏日本史を観ているようで面白かった。
ただラストが放り出されたようにあっさりし過ぎて、諦念のような印象を持った。もう少し余韻があっても良かったのではないか

次回公演も楽しみにしております。
ドラマ>リーディング『近・現代戯曲を読む』

ドラマ>リーディング『近・現代戯曲を読む』

Minami Produce

ルーサイト・ギャラリー(東京都)

2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★

新たな試みを...【夜の部】
古民家は、日本の伝統的な建築様式や文化、そこで暮らした人(ここの家は市丸さん)のぬくもりを色濃く残している。その昔ながらの佇まいの中で演じるのは、古典的な「能」を三島由紀夫が「近代能楽集」に収められている2作品(班女」「葵上」)をドラマ/リーディングという新しい試みで演じる。その観た目はリーディングであるが、仕草(動作)もしっかり見て取れる。その作品からは、女の情念という感情が伝わってきた。
(上演時間70分)

ネタバレBOX

梗概(上演順)..
「班女」は、画家・本田実子は、自分が愛おしく思っている女性・花子が、男に恋焦がれている。その男が現れることへの不安、そして嫉妬と焦燥が狂おしい。
「葵上」は、入院して毎夜うなされ苦しむ妻・葵のもとへ、夫・若林光が見舞いに来る。そこに六条康子が生き霊となって現れる。葵を呪い殺しその夫を奪う。その激情した姿は棘(おどろ)髪を振り乱しているかのようだ。

公演では、三島の近代能に新たな息を吹き込んだようだように人物(像)が立ち上がり滋味を感じさせる。そのドラマ/リーディングは十分楽しめた。しかし、夜公演は昼公演に比べ静寂になっている分、電車の走る音が気になる。それが台詞と台詞の間に聞こえる時は、集中力が途切れる。
一方、夜景の効果として窓ガラスの向こうの灯り、それがガラスに反射し役者の姿が幻影のように映る。

役者によるドラマ/リーディングは、その力量を十分発揮し物語の醍醐味を伝えてくれた。自分が過去に聞いた公演(媒体でも聞いた)では想像力を豊かにして楽しんだが、この公演では視覚にも入ってくる。その演技が中途半端であれば白けるところであるが、ドラマとリーディングを絶妙なバランスで表現していた。

三島は、彼以前の能を自分なりに「近代能」として練り直したと思う。本公演では、それを更にドラマ/リーディングとして描いていることから、既に三島の翻訳というよりは新たな能の精神ともいうべき”心”を入れているようだ。この「人」の「心」の有り様を見事に抉り出していると思う。三島の古典に対する思いと挑戦同様、文字(言葉)一辺倒の世界から一歩踏み出してドラマを観せることにより、能の世界を楽しませてくれた(なぜ、この2作品を選択したかは分からないが)。

次回公演を楽しみにしております。
フィーリアル

フィーリアル

発条ロールシアター

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★

心情の(泥棒)日記
説明文から、くだらない出来事(犯罪ではある)に必死な男の悶々を描いた性春物語かと思っていたが、作中には文学・哲学的な言葉(せりふ)が溢れている。
心の彷徨という観念的なものを、即物的なパンティ...その下着泥棒という気を引く内容にしている。しかし、その狙いが十分繋がるところまで伝えきれていないところが勿体無い。

公演の中には、多くのパロディ台詞が散りばめられ可笑しさを覚える。当日パンフには、「特に目新しいこともなく、とりたてて懐かしいこともない、信念もない、根性もないけれど、ただ目の前にあるものに向かっていくような」とあったが、謙遜であろう。

(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台はいくつかのブース毎に紗幕で覆われている。場面展開に応じて照明によって役者(陰影)を映し出す。そこは、高層マンションの一室であり、スポーツジムである。

一見不可解な展開で混乱しそうになるが、主人公にフォーカスしてみると面白可笑しさが伝わって観えてくる。男の心情を通して運命的なもの、その抗いきれない哀れと、表層として描かれるパンティ泥棒という行為にみる歓び、その哀歓を共にするような人生。

また、元刑事と詐欺師の男2人は、普通の暮らしというよりは地べたを這いずり回るような生き方。1人は、警察という強固(規律の厳しい)な組織を退職する。もう1人は人を騙す生き方に内心不安であろうが拘束されることはない。その両者に共通するのが「自由」という言葉...その台詞に引用されたのが、サルトルの「自由と存在」の”自由という刑に処される”である。人によって捉え方が異なる抽象なこと。
それを江戸時代の腰巻泥棒と現代の下着泥棒の追・逃を人物配置の逆転で宿命・関連付ける。その場面になぜか、森鴎外の「高瀬舟」の引用。さらに、西条八十の詩「帽子」...母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ...などの有名句を引用している。

現実と非現実の混沌とした世界観、宿命に翻弄される人間の哀歓。また下着泥棒の生真面目さ、元警官と詐欺師のいい加減さという人物対比も面白いが...。その描き方がもう少し分かり易ければ好かった。

最後に、チラシに「発条ロールシアターが送る、21世紀の『泥棒日記』!」とあった。この件、映画:ゴダール作品を思う。他人の映像、他人の音響、他人の言葉によって活気し引用やパロディーの手法を多用している。それゆえ「(映画)泥棒日記」と言われていたようだが、それでも評価があるのだから...。

次回公演を楽しみにしております。
『曇天プラネタリウム』

『曇天プラネタリウム』

ラチェットレンチF

Geki地下Liberty(東京都)

2016/10/26 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★

サスペンス・ミステリーが謳い文句であるが、犯人は早い段階で解る。特に強い警察機構や名探偵が登場し、事件を解決していく訳ではない。この劇団の物語は単に謎解きの面白さだけではなく、人間観察、心に巣食う闇のようなものを浮き彫りにするところが魅力である。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、変形階段で段差を設け立体的な作り。そしてブロック・衝立で怪しげな雰囲気を出している。その造作イメージは、天体観測に相応しい丘の上といったところ。また客席側は平地または建屋(病院)内を連想させる。演技の上・下の動作が躍動感と心地良いテンポを生み出す。

物語は連続殺人事件が発生している地域…動画サイトにアップされ「殺人を犯す、その瞬間」、その殺害(レンチで撲殺)シーンから始まる。犯人からの宣戦布告である。衝撃的なシーンで印象付を行い、物語へ引き込む力と手法は見事である。
場面転換し、天体観測をしているアベックの仲睦まじい場面が描かれるが、そのうち女性が殺害され、そのショックで男性は記憶障害になる。この男性は事件現場にいたこともあり、犯人と思われ犯罪者扱いされる。

登場人物は元刑事とその刑事を慕う現職警官メンバー、キャリア警察官僚、スクープをものにしたいジャーナリスト(マスコミというよりは個人的な)の三つ巴のような捜査・追跡。型通りのプロファイリングでは犯人像に迫れないが…。先にも書いたが犯人は早い段階で明かされるが、その犯行動機が不明である。そこに人の深奥への探索のようなものが始まるのだが、その描きが弱いと思う。

役者陣は、登場人物の性格・役割そして立場をしっかり体現し、生き活きと動いている。その演技とバランスの良さは安定しており、感情移入もし易い。
自分は、ジャーナリストが何故あそこまで捜査に執着するのか、単にスクープ目的ではない、という言葉を劇中で喋っていたと思うが…。

次回公演を楽しみにしております。

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