タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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Re:quest!on

Re:quest!on

妖精大図鑑

シアターシャイン(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

少し長い船旅を経験したことがあるが、その期間、船内ではカードゲーム、ダンス、ミニシアターなど色々な催しがあったが、それを思い出すような宇宙(火星)旅行であった。
宇宙船の出発(兄と弟1)と到着(兄と弟4)を除くと、宇宙船内では20ステージ観られるというショートストーリーの綴り。ダンス、歌、コントが中心であるが、どれもエッジが利いており楽しめる。特にダンスパフォーマンス(被り物もあり)は新体操ならぬ”身体創”という造語が相応しいような、シーン毎に物語性を感じられる秀でたもの。
ちなみに、宇宙旅行は90分であり、上演時間そのものである。

ネタバレBOX

セットは、上手・下手側にほぼ対称に段差のあるスペース。横階段を上る正面壁に丸窓。舞台中央には四角いマンホール(縦孔-「安全第一」の標語あり)のようなもの。けっして広いスペースではないが、計算しつくしたムーヴメントで魅了する。ソロまたはアンサンブルという形は変わるが、全ての動きに意味があるように思わせるところが上手い。そしてダイナミックに繊細にという動きが色々な感情を表現しており、キャスト(ダンサー)達はシーンに応じた感性を知覚して踊っているかのようだ。

少し気になったのが、舞台効果としての照明が弱く印象に残らないこと。例えばミラーボールを抱えた演技などは小宇宙空間を思わせるようで素晴らしかったが、それ以外は…。
もう一つは、丸窓内での表情が見切れになっていたのではないかということ。自分はほぼ中央に座っていたから両丸窓内の演技(表情)が観えたが、当日は満席で増席していた。その隅席から対角位置の丸窓内は観えないのではないか。

当日パンフとともに「演目、キャスト名・役名」が書かれた一枚紙が配布されたが、そこには「このあてども無い宇宙を旅する冒険者達へ、ささやかながら手がかりをお送りします」とある。この気配りがあればなおさら窓内を観せてほしいような…。

次回公演を楽しみにしております。
aster

aster

創作集団Alea

劇場HOPE(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

映画「桐島、部活やめるってよ」を連想するような公演。
本公演は、少しずつ家族の微妙な関係に波紋が広がっていくさまを描いているよう。その生活に潜む歪さ、不穏な空気感を炙り出そうとしているが…。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、和室(縁側)、中央に丸卓袱台、奥に変形の衝立、下手側にレンガ壁と花壇。舞台上部は暗幕と放射状の白地で、何となく鯨幕を思わせる。全体的に歪み、不安定な感じである。先の放射状は当日パンフの中面イメージで、テーマ”絆”を表しているのだろうか。

まず登場人物は、家に居るのは本当の家族か、擬似家族・居候なのか、その関係性が不明確である。その奇妙さは、終盤に明らかになってくるが、それは登場しないダイスケの自殺に起因する。その原因も説明されるが、それまでの伏線も感じられず、設定の説明不足のようだ。また登場しない不在の人物造形不足が、話の面白さを引き出せていないのが残念だ。出来れば、登場人物一人ひとりとダイスケとの関わりを描き、周囲の人によって人物像を立ち上げる必要があったのではないか。
例えば、映画では桐島は最後まで登場しないが、観ている途中からどんな人物か気になってしょうがないという気持にさせる。本公演でも不在の人物をもっと気にさせるように持っていければ、違った印象の物語になったと思う。

気になったのは、千葉修・結衣夫妻の中年の息子・太郎の不自然さ、ダイスケ(この家に居たと思われる)とその弟(別に住んでいる)の関係の希薄なこと、4カ月前からの行方不明(失踪か?)に対する警察への相談事、自殺後の遺体処理、そしてダイスケと結衣の関係、その結果結衣の精神異常をきたしたという自責の念の描きが弱いこと。

物語(脚本)の説明は弱いように思うが、逆に演出効果は良かった。特に波紋・揺れるような流線形の照明、水が滴り落ちるような心細さ、不安にさせる音(ピアノの単音)の響き。照明・音響が全体の雰囲気をザワザワ落ち着かせず、不穏な空気感を助長しており実に巧みだ。
タイトル「Aster」は何気なく舞台の隅に…ラストのスポットライトが余韻を与える。

次回公演を楽しみにしております。
死神と9月のベランダ

死神と9月のベランダ

東京カンカンブラザーズ

ザ・ポケット(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

映画音楽「唐獅子牡丹」…♪義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界♪と歌われていたが、本公演、自分では理屈と感情を秤にかけたら”感情”の揺さぶりの方が上回った。
演劇らしい現実離れした設定であるが、人が持っている優しさ、厭らしさが端的に伝わる公演である。タイトルから明らかなように死神は登場するが、「死神」と「死に神」という表記では印象が違ってくる。物語は人と死に神の関係の変化、地域という風景の移ろいが感じられるヒューマンドラマである。1997年から2017年という20年間に亘る時間軸の長い物語であるが、時代を区切り(演出の工夫)分かり易く観せている。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

背景は、1997年、2000年、2007年、2017年という区切り。大阪の泉州地方の某町で地元でスーパーを営んでいる家族の居間兼事務所といった場所を出現させている。
セットは、中央にソファー、上手側に机と外へ通じる扉、その奥に二階へ上がる階段。下手側に窓、ソファー、その上部に別空間のベランダを設える。

物語は、関西空港が出来て町の開発が進み、従業員がこのスーパーの合併話を勧めているところから始まる。展開は先に書いた年代を順々に暗転で進め、それに伴って登場人物の演技や衣装も変化してくる。構成は時代ごとのトピックを描くことで全体を繋げていく。

理屈と感情の世界…。
まず理屈…本筋である「死神」の存在、その自体の在り方をどう解釈すればよいのか難しい。この地域の担当する死神は2神(浅村拓海、小田切優奈)、人の目に見えることから一時的に死人の身体を借りる、という憑依しているような描き方。成長することのない死人が死神の”力”によって記憶を無くした時代を生きている。死神が生きている女性と恋をし死の世界へ誘うが…。また長く行方知れずだった鷹山真二が一時的に記憶喪失になっていたが、死神との関係を期待したが何もなし。主筋の「死神」の描き方に広がりがないこと、不十分、説得力がないのが残念。
もっとも、主宰の川口清人氏は、当日パンフに「突っ込みどころが多々あることも十分承知しております。それでも(中略)人の優しさや温かさ、懐かしさなどを感じていただければ幸い」と書いている。その意からすれば理屈より感情を優先させても良いだろう。

次に感情…時代毎の挿話が良かった。例えば、長女の難病治療(骨髄の提供)のために二女を産む親(祖父も含め)のエゴ。その姉妹のそれぞれの立場での苦悩と真心(妹のために死に神(拝む)ような)。児童施設育ちと裕福な家庭の子の優劣・差別意識などのエピソード、さらには施設の子を優先し実子の気持は後回しを思わせるような場面は泣ける。

公演は本筋、脇筋が逆転していること、挿話の面白さがうまく絡んでいないところが残念であった。それでもリンドウ、キンモクセイという花の香りがするような、そんな余韻が素晴らしく、感情が理屈を上回った。

次回公演を楽しみにしております。
暗闇演劇「イヤホン」

暗闇演劇「イヤホン」

大川興業

ザ・スズナリ(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★

大川興業の暗闇劇は3回目。以前観たものとは脚本が違うが、視覚ではなく聴覚を刺激するという基本的なスタイルは同じ。なお、先の2公演時はペンライトのみであったが、今回はタイトルにある「イヤホン」も借り受けることになる。これによって舞台(空間)上だけではなく、別の空間との交信が一層立体感ある公演になっていたと思う。
また、この状況になった経緯が分かり難いが、以降の展開は実に面白く楽しめた。
(上演時間2時間)2017.10.11追記

ネタバレBOX

「庶民テロ」、または「デモクラシー・テロ」集団によって監禁、人質にされた人々の心理と行動・行為を暗闇の中で描いたもの。閉じ込められた場所が暗闇という設定であろうが、ラストの数分間のみ明転し場所(室内)の様子が分かるというもの。大半の時間は暗闇の中で当事者の聞こえる声、イヤホンから聞こえる囁き声のみ。

演劇で第四の壁というのがあったと思うが、もともとこの公演では観えないから壁を意識(認識)することはない。むしろ、イヤホンを通じて舞台上のキャスト以外が、観客の聴覚を刺戟する。何となく第四の壁破りのような感じさえする。

芝居は、脚本・演出・演技を始め美術・技術など、人の視覚・聴覚などで楽しむものだが、聴覚だけが鋭くなり、情景・状況は観客のイメージに委ねられる。観客の数だけシーンが想像され、心象形成が異なる。観えることで流れてしまう意識が、観えないことで集中する。この集中させる”力”は、脚本の面白さがないと惹きつけられない。

公演は、今の日本が抱えている社会問題、それも喫緊の課題を提示(犯人の要求)している。人質、その家族に関係ない、そして対応が難しい事柄をどう解決して行くのか?大風呂敷的な要求は、実は一つひとつ丁寧に解きほぐし対応すれば解決の道が見えてくるというもの。それを置き去りにしている現代社会への痛烈な批判として描いているようだ。

その(監禁・人質)状況下にあって、他人を思いやる気持ち。気持に余裕がない情況下でこそ、人の真価が問われる。その意味で、登場人物の一人ひとりの性格や背景を丁寧に説明し、緊迫した状況の中で優しくなって行く過程にホッとする。その感情の揺れ動き、変化が聴覚を通じて伝わる。

最後に、公演内容に直接関係ないが、客席前後の間隔が狭いにもかかわず、後席の人が足を組みかえる都度、自分の背中に足が当たる(怒。暗闇で他観客も聴覚敏感で注意するのが憚れる状況だった)。またイヤホンを落とす人もいて、集中できない時があり残念であった。

次回公演も楽しみにしております。
きんかく九相

きんかく九相

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三島由紀夫の小説「金閣寺」と「九相」を題材に描いた公演は、美しい心象劇として印象に残る。小説は、1950年7月に実際に起きた「金閣寺放火事件」を基にしているのは周知のこと。
公演は小説同様、主人公である学僧(川口)が金閣寺の美に憑りつかれ、放火するまでの経緯を一人称の告白という形で展開して行く。
主人公の視点から観た美、死生観のようなものが静かに、時に荒々しく描いている。一方、戦時中の世相や無常さを京都の島原遊郭の芸妓達の視線を通して描かれる。学僧の内面、芸妓の外面という対照的な観せ方は、観念的に陥りそうな物語を公演として観(魅)せているところが好い。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側・下手側に障子戸・畳敷き、それを奥に三重張りしている。中央は通路であるが、障子戸の開け閉めで情景・状況が変化して行く。上演前は上部から赤い布が吊るされている。物語が始まると、女優陣の和装(朱色の薄い道行のようなものを羽織り)と赤い布を用い乱舞する様は、業火のように思える。

ずいぶん前に読んだ「金閣寺」は、吃音者の宿命、その学僧の前にある金閣寺に対し、色々な感情が入りじ 混じった名状しがたい心理や観念が書かれていたと思う。公演でも学僧(川口)が金閣寺に”思い”を廻らせていることは解る。そして戦中戦後という時代背景を取り込むことで、解り易くしている。金閣寺は美しくない、空っぽの存在である。日本の敗戦による無秩序、混乱は美しくもなく空虚の世界に投影している。自らの吃音という悩み、卑下した様子・姿は、小説とは違い生身の役者を通して立ち上がってくるようで面白い。また坊主(ごとうたくやサン)の飄々とした態度、そのやり取りも軽妙洒脱で肩の力がほどよく抜けて好かった。
女優陣がいる遊郭置屋での生活.…恋しい人(軍人の死)、敗戦による駐留軍人との恋など愛憎劇、それでも強かに生き抜く女の強さを垣間見せる。着物姿、日本髪結い、小物・簪など観せる魅力も十分楽しませてくれる。

さて、「九相」についての描きはどこか?登場人物の死生観そのもの、置屋での今まで(死んだような生き方)、これからの生き様が”(錯乱)死に様”となっていくことの暗示であろうか。公演全体が少し観念的(例えば「南泉斬猫(なんせんざんびょう)の話」でもあり、例えの話と同じように難しい解釈が含まれているようだ。もっとも、当日パンフの挨拶文にも「理解よりも『何かを感じる』ことをお楽しみいただき…」と書かれていた。

演技等は、女優陣は和装でその姿態は妖艶、艶かしい。男優はみな頭髪を短く刈り込んで時代や設定人物に近いようにしている。また和尚、学生服など外見でも違和感なく物語りに入り込める。

ラスト…終結部分について、実際の事件と小説では異なるが、公演では事件(小刀で切腹した-未遂に終わる)に合わせていた。また、女優陣が冒頭同様、赤い布等を羽織り乱舞しながら障子を破いていく、同時に天井からは大量の細い金色紙が舞い落ち炎、金箔を思わせる。学僧の切腹シーン、女優陣の業火シーン、その視覚的効果は、緊迫感があり情緒的でもある見事な演出であった。

次回公演を楽しみにしております。
朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

トライストーン・エンタテイメント

あうるすぽっと(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

朗読劇…寺山修司と山田太一が過ごした学生時代から寺山が亡くなるまでの交わされた書簡と友情。その物語は心魂揺さぶられるほど感動した。正直、2人の関係は羨ましくも嫉妬してしまう、そんな思いを抱いてしまう。
寺山修司の死ぬことから逃れるために仕事する、仕事をすることで本音を隠すような。しかし、山田太一の前では素直になる、そんな姿(関係)が瑞々しくそして濃密に描かれる。今の時代、インターネットの普及でメール等で”待つ”ことは、2人の時代とは随分と違う感覚であろう。その意味で、これだけの書簡のやり取りは、2人の特別な(友情)関係をうかがい知ることができる。
個人的な書簡は、時とともに埋もれ逸失しまうモノ。2人の芸術家の魂の軌跡、消え入るような手紙(モノ)が時を超え、鮮烈な光をもってよみがえる奇跡。その構成・演出を手がけた広田淳一氏の手腕は見事であった。
今まで聞いた朗読劇(登場するのは2人だけではない)の中では最高に素晴らしかった!
(土屋シオン&長田成哉)
(朗読時間1時間45分)

BLUE ~龍宮ものがたり~

BLUE ~龍宮ものがたり~

teamオムレット

新宿シアターモリエール(東京都)

2017/10/04 (水) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★

伝説の浦島太郎…一見、幻想的な竜宮物語のように観えるが、実は今日的なテーマを含んでいる。夢、非日常の世界観は面白いが、観終わった後にはしっかり考えさせる余韻のようなものが残る。そんな観応えのある公演であった。

脚本・演出(林将平 氏)、演技(ダンス)・美術・音楽・照明・衣装などの絶妙なアンサンブル(調和)に加え、観ていて楽しいと思わせる雰囲気、その観(魅)せ方が上手い。
物語は、御伽噺の世界を借りて、人間社会の理不尽な差別、嫉妬、怒り、色恋などの衝動や葛藤を描く。不条理な人間(竜宮)模様が重層的に浮かび上がってくる。
(上演時間2時間) 2017.10.9追記

ネタバレBOX

紗幕で仕切り、舞台奥に観える龍宮の世界、手前(客席寄)は現実・人間の世界という設定で、視覚的に解らせる。
セットは、2階部を設え、簾のようなものが横一面に掛けられており、赤い欄干。上手側から下手側に斜めに階段が付けられている。正面から見える壁は白く、所々に海藻の絵が描かれている。上手側には出入り口で、赤い毛氈のようなもので囲われている。また天井には飾り提灯が吊るされている。

梗概…時は昭和、それも敗戦から立ち直り高度成長期を迎えようとしている時。今の乙姫:藍(立原ありさサン)が海洋汚染を防ぐため、人間界から次郎(釣舟大夢サン)を龍宮城へ招く。招いた当初は思惑もあったが、次郎の優しさ思いやりに恋心が…。一方、この龍宮城、海の中でも差別問題があり、嫉妬・羨望などの愛憎が渦巻いている。

テーマの重たさに比べ、観せ方が浮遊している感じだが、それは敢えて海中深い世界のこととして割り切ることが出来る。それよりも訴えたいテーマに注目し、表層的に見える体制維持・差別、一方、人間による海洋汚染・環境破壊という問題提起が大きく描かれる。一子相伝ではないが、浦島太郎から次郎へ投げかける言葉…「近々、水難の相が」に導かれて龍宮城へ行くことが示唆される。冒頭、その人物選眼が描かれるが、ラストはそれが回り廻るような構成で、取り組みには地道な活動が必要なことを見せる。何しろ今でも解決出来ずにいるのだから…。

この公演は、多くのキャスト(ダンサーも含め)が、それぞれの役割を持っているが、出番自体で観れば限られたメンバーで展開している。それゆえ多くのキャストがいても混乱することはない。人間界は太郎・次郎の2人だけ。多くは龍宮城にいる姫、官女、城外の海の生き物で成り立ち、その衣装は華やかで特徴(役柄と衣装色の調和)あるもの。また宴会と称して舞うダンスも優雅であり力強さも感じる。

誰もが知っている御伽噺をオムレット流にアレンジしたファンタジー・ヒューマンドラマは、テーマの捉え方、ビジュアル的に楽しませる、そうして照明・音響という技術効果を生かして観(魅)せる公演にしていた。その意味でエンターテイメントであろう。
ちなみに、龍宮と人間界では時間の流れの早さが違うと…見た目は、初代:乙姫と太郎との間にそんなに差がないと思うのだが…。

次回公演を楽しみにしております。
皇宮陰陽師アノハ

皇宮陰陽師アノハ

レティクル東京座

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/02 (月)公演終了

満足度★★★★

フィクションとして、非日常性が楽しめる公演。
物語のテーマ性、訴求性というよりは、純粋に観て楽しむ、そのエンターテイメントに徹したという印象である。サービス精神旺盛な演出、それを具現化する演技や技術(音響、照明等)が物語の世界へグイグイ引っ張り込む魅力がある。
(上演時間2時間40分)

ネタバレBOX

梗概.…説明文から、第三次世界大戦で大敗し『國家解体』され百年程経過した日本。最高権力者として首都・京都を治める天皇家はその一方で、日本を敗戦國に貶めたとし徐々に斜陽の時代を迎えていた。天皇・大瑠璃(おおるり)陛下に仕える皇宮(こうぐう)陰陽師・安倍アノハは終戦記念日の日、陛下に災厄と同時に僥倖(ぎょうこう)が訪れるという星をよみ解く。記念日当日、突如として錯乱した皇宮護衛官に襲われかけた陛下だったが謎の青年(不破ウシオ)により命を救われる。陛下は彼を直属の特別皇宮護衛官に任命し、アノハや幾人かの心許せる者たちと共に天皇家の威信復活のため静かに闘志を燃やす。
一方、陛下の弟・朱鷺皇子は、別の国家建設を企てる。こちらにも民間陰陽師・蘆屋ホクトが味方し、天皇家の争いが始まる。

人物設定が少し違うが、日本史で学ぶ「壬申の乱」を思い出す。物語の結末は史実と違うが、何となく歴史を紐解くような感じになる。また京都の地へ入るには羅生(城)門を通らなければならないと…何だか文学的なことも含まれていたような。

物語は強いテーマ性、何か訴えるというよりは、観(魅)せる世界で楽しませるという感じである。劇団の真骨頂は、ハイスピードな台詞回しと独特なテンポ。そして大爆音、大閃光、華美衣装、耽美化粧という観せる力。歌って踊って演じるというテンターテイメント上演である。

舞台セットは、2階部に障子・欄間が見え、上階の左右から1階中央に向かって階段が設けられている。中央に暖簾のようなものがあり、そこを中心に出入りする。もちろんここが羅生門である。シンプルであるが、その上下の動きが躍動感を生みテンポよく見せる。そして陰陽師が使役する「式神」などのアクションも楽しめる。安倍アノハが使役するのは男優で力強い殺陣、蘆屋が使役するのは女優で妖艶な舞踊のようで、それぞれの役柄と特長を最大限引き出す演出は見事であった。

次回公演を楽しみにしております。
江戸川乱歩傑作シリーズ 恐怖王

江戸川乱歩傑作シリーズ 恐怖王

ミステリー専門劇団 回路R

北池袋 新生館シアター(東京都)

2017/09/15 (金) ~ 2017/09/17 (日)公演終了

満足度★★★

豊島区に縁のある江戸川乱歩作「恐怖王」が原作であるが、あまり人気のない作品だという。なぜ、その作品を第29回池袋演劇祭参加作品に選んだのか。それこそミステリーだが…。それには、書か(連載さ)れた時期が影響しているようだ。

未読の作品ゆえ、公演によってその概要を知ることになるが、その作品の魅力が十分伝わらないのが残念。もっとも「恐怖王」という原作自体が乱歩作品の中で人気がないためかもしれないが…。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、ほぼ素舞台。上手側の衝立と脚長の椅子。
梗概…説明文には「怪人ゴリラ男を操り、猟奇犯罪を繰り返す恐怖王。惨殺される美女たち。現場に残された赤いさそりの紋章。次の犠牲者は誰か。名探偵明智小五郎は事件を解決出来るのか。今まさに帝都は恐怖の坩堝と化す。」と書かれている。

この小説が書かれたのが昭和6~7年で、軍靴の響きが高くなってきた頃である。恐怖に陥れる目的は、原作では不明確らしいが本公演では明確にしている。公演では”本格推理”と”変格推理”といったような台詞があったが、その定義は今一つ解らなかった。その曖昧さが”恐怖”に繋がるという。

殺人鬼=ゴリラ男を操り世間を恐怖に陥れる。恐怖恐怖と畏怖させることは、流言飛語の類である。根拠が明確ではないのに言いふらす風説。ある事件(当事者になるのは限られた人達)が起きた時、具体的な問題を変則的な報道形態で流す。内容の断片と断片の溝や矛盾があって首尾一貫して正確に伝えきれない。そしてそれが人から人への口伝として伝達されていく。不確実な情報伝達、その連鎖的コミニュケーションの結果、次第に歪曲の度合いが増していく。
本公演での恐怖は、軍靴の足音が大きくなり不安になってきた国民の気持をさらに不安にさせ、戦争という恐怖を誤魔化し感じさせないため。人気のない作品をベースに、物語の世界観を鋭くさせる脚本は見事。

しかし素舞台で、推理劇というには観せ方が不足しているように思う。物語の展開は演技とともに視覚的に面白い、そして納得感がほしい。

次回公演を楽しみにしております。
ふぐの皮

ふぐの皮

中央大学第二演劇研究会

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2017/09/01 (金) ~ 2017/09/03 (日)公演終了

満足度★★★

吃音に悩む男とその友人たち(現在25~26歳)の回想劇。数年ぶりに帰郷しての中学時代の同級会。しかし、出席してくると思われた男の弟が現れ、吃音の兄の学生時代の思い出を聞き出していく。薄らいだ思い出を辿ると、そこには意識しないだけで苛めを行っていたと認識させられる。サスペンスとはいかないが、記憶の掘り起こしを通じて明らかになる吃音者への軽蔑、憐ぴなどの深層が浮かび上がる。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、左右両側に客席に向かって傾斜または段差のある通路。真ん中に台座スペースを確保しテーブルを置くなど、家族風景を持ち込む。下手側に和戸があり、それを開けると水の音(さざ波又はせせらぎ)、そして風が流れているかのような微風を感じさせ、別空間をイメージさせる。形象したセットは、物語を会話劇で進めることを意識しているようだ。

会話は深刻、軽妙を繰り返し、その結果吃音者への行為が醜類だったことが露になる。一人ひとりが行った行為は他愛ないもの、そう認識しているのは当事者で、相手の気持ちなど考えてもいない。物語の主張は、タイトルにある「ふぐの皮」のごとく幾重にも描かれるが、全体的に理屈っぽい説明風に思えてしまうところが残念。また吃音者=差別=苛めという単純な構図ではないだろうが、それでも物語の世界観が広がらず、元同級生たちの悔悟のみがクローズアップされる。
また、前説では差別的ではないと言いつつ「ふぐ(不具)の皮」として吃音を描いていたようだ。人の皮とは何か、厚顔無恥を示すのだろうか。

学校や家庭でのこと、また同級生の彼女とのことが交錯して描かれる。いくつかの観点を通した客観的な彼の姿は、いつの間にか主観的な彼の視点と同化しているが、本当の彼の気持を表しているのだろうか。その描きたい事は何か、テーマのようなものが見えてこないが…。

次回公演を楽しみにしております。
木の葉オン・ザ・ヘッド

木の葉オン・ザ・ヘッド

超人予備校

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/09/22 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了

満足度★★★

タイトル「木の葉 オン・ザ・ヘッド」の通り、頭に木の葉をのせた登場動物。この劇団は演技力と動物(今回はタヌキ)に拘る作風から、旗揚げ当初は「学芸会」と言われていたらしい。今では自ら「大人の学芸会」と名乗っているという。

本作品は街とお金にまつわるコメディであるが、タヌキ=化かすという俗説を逆手に取った寓意ある内容だった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、木または葉脈をイメージさせるオブジエ。その後景に高層ビルのような影絵が見える。下手側奥には黄金色に輝く月、客席寄りに木製ベンチがある。

梗概…人間の世界に憧れタヌキの街(茶ガ町)を作ったが、若いタヌキは町から出て行き町が衰退してきている。人間社会にける過疎化問題そのものの縮図である。そんな茶ガ町に人間が現れて…。
説明を要約すると、「タヌキは漢字で書くと『狸』。「けものへん」に「里」である。人間と近いところにいた。今もゆるキャラなどに姿を変えて、我々人間と共にいるのかもしれない。タヌキとの結びつきを無くした今の日本。「里」というものが無くなっていきた。失われつつある懐かしい日本の風景を、タヌキの存在を通じて描いてみたい」と…。

一方、タヌキの町に紛れ込んだ男は借金苦、金が欲しい。町にある”金の成る木”、そこにある葉が「金」に化けることから、若いタヌキを唆し手に入れるが…その結末は予定調和のような展開である。もちろん寓意を含んでいるが全体的に緩くピリッとしない結末に思えてしまう。大人の学芸会と言われる所以であろうか(少し子供向けか、それとも関西・東京の笑いのツボが違うのか)。

せっかく現代社会への警鐘と思えるようなことを、タヌキの社会に投影し見せている。そこに人間の狡さ、金亡者という醜さを織り込んで社会(街)と個(人間・狸)という縦・横の話の面白さが十分伝わらないのが残念。

役者は若手、ベテランを配しているが、その力量に差が見られ少しバランスが良くなかったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
人魚秘め

人魚秘め

ガラ劇

萬劇場(東京都)

2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★

梗概はアンデルセン童話「人魚姫」であるが、タイトルの「秘め」は現代日本の深刻な問題を示すもの。幻想的な舞台演出であるが、これは”幻”ではなく、”現”であるから切なく悲しい。「姫」が個人的な”思い”であるとすれば、「秘め」は社会的な”重い”である。内容の重さを演出で観(魅)せている。少しネタバレするが、深海の生き物を被り物で微笑を誘う。
全体的には観客の心象に訴える公演で、観る人の感性、またこの問題に直接・間接に関っている人は思い入れが強いのではないか。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

客席の挟み舞台。中央に薄い半透明の青布(工事現場用のブルーシートではない)を何枚か敷き、シーンに応じて持ち手が変わり波打つように揺らめかせる。その布の揺れ(波間)に人物や魚介類などの姿が見え隠れし、海上・海中をイメージさせる。そこに照明(色彩)が照射され幻想的な雰囲気を漂わせる。一方、周囲の壁は灰色で、まるでコンクリートを連想させる。

梗概…恋する人には妻がおり、その人の弟から思慕されるという三角関係のような展開。この恋焦がれるのは「人魚姫」をモチーフにしているからで、本公演のテーマは東日本大震災による原発事故の後始末を巡るもの。海の生き物たちが次々に変調をきたし死んでいくが、それは核汚染物質を海洋投棄したことが原因である。汚染された水を海へ、しかし、水が汚染されていることを知らない。一見何の問題もないように見える行為に隠された恐ろしい真実。うたかた(泡沫)の夢=泡→灰をイメージさせる。秘め事は、人間の手には負えなくなった文明(原発)への警鐘を意味するようだ。

人間界(兄)における秘密、隠蔽、焦燥などの苦悩。一方、人魚姫に恋する弟は純粋な愛に殉じようとしている。

人魚姫の悲恋と原発汚染水で死んでいく、その悲劇をダイナミックに繋げるのは、アナグラムの機知、笑いと逸脱(被り物)を盛り込んだ脚本・演出と、詩的な台詞の印象付けであろう。そして役者たちは海中にいる生き物となり舞台を水流のように横切りシーンを転換したりする。それには多くの役者が、本来の役柄以外にアンサンブルとしての役割を担っている。

問題を闇に葬るのか、聞かせる相手もなく海の底で横たわる物たちの怨嗟が聞こえてくるようだ。
次回公演を楽しみにしております。
犬神家の反則

犬神家の反則

演劇ユニットちょもらんま

北池袋 新生館シアター(東京都)

2017/09/28 (木) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトル、もちろん「犬神家の一族」をもじっているが、内容は重厚ならぬ軽妙な感じで、肩の凝らない娯楽作品。とは言え、描いているテーマのようなものは、カルト的で少し怖く思える。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、衝立で仕切られているが、その奥に何か作られていることを思わせる。上手側に彼岸花が咲いており、上演前からスポットライトで照らされている。冒頭、殺傷現場のシーンから始まるが、暗転後、先に記した衝立が折りたたまれ、山奥の邸宅(居間)と思われる空間を作り出す。襖や中央に座卓が置かれている簡素なものだが、雰囲気は十分でている。

物語は説明の通りであるが、探偵はマザコンのようでもあり頼りない。事件解決に向けて知的な素振りは全然見えない。表層的にはスラプスチック・コメディのようだが、実はカルト集団の内実と脱会という深刻な内容を描いている。何となくオウム真理教の一連の出来事を連想してしまう。その家の家族は、どこか”ぎこちなく”違和感を覚えるが、その理由が徐々に分かってくる。その過程が緩い推理になっており、先に記した表層コメディと相まって面白楽しく観ることができる。

また、アクセントのように咲いていると思われた彼岸花の意味も説明され、謎を回収していく。その本来の推理を当初の緩い依頼事や車の故障という脇筋で包みながら展開する巧みさ。

演技は、一人何役(性格の違う姉妹)も行う前野鳩子さん以外は、犬神家の家族と探偵とその母親という登場人物で分かり易く、人物造形が出来ていた。ただ、何となく探偵と母親が部屋内を走り(何度か一周または半周)回って退室している印象が強く、逆に言えばそれ以外の人物のシーンや動作が暈けてしまったように感じたのが残念。

次回公演も楽しみにしております。
量産型ガラパゴス

量産型ガラパゴス

劇団ピンクメロンパン

シアター風姿花伝(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

表層的には民族差別のような内容だが、ラストに明かされる真実はもっと暗黒なもの。それを重層的に描き、ラストまで目が離せない秀作。

「息をも吐かせぬ怒涛の展開と、現代日本にも通じる静かで無感情な怖さを描いた今作。鑑賞後、心に残るは希望か絶望か、孤独か絆か。是が非でも刮目もせし劇団史上最も壮大且つ緊密な作品」という謳い文句。物語は仮想、未来という設定であるから、現実問題に重ねても理解出来ない。しかし訴えようとするテーマは鋭く、物語性を併せて観応え十分であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、上演前は客席に張出した半円形の紗幕(暖簾のように切り込みあり)。開演するとそれが左右に開いて、異次元的な雰囲気を醸し出す。上手側上部には別スペースを設け、会見場所のように見せる。他にBOX椅子が数個置かれ、情景・状況に応じて並びを変える。

梗概…物語はおじいさんが子供たちに童話を読み聞かせているところから始まる。その寓意ある内容がそのまま公演のテーマに置き換わってくる。
舞台は地球以外の星、その近未来という設定である。その国では一部の特権階級(ランチャー)と市民(グラス)の間に大きな差別・格差があった。グラスのヴェイン(律人サン)は現状から脱するために中央官庁に入り、立身出世を果たすが、彼女は国が抱える大きな闇と陰謀に巻き込まれる。ヴェインの幼馴染はこの差別格差を崩壊させるため革命を企てるが、殺され頓挫する。一方ヴェインは権力を握り、いつの間にか差別する側に立ち、被差別者を圧政するようになる。立場が人を形成するのか、人の行為が立場を作るのか…人の立場が顔つきを含め性格が変わる恐ろしさを見せる。

実は、この国ではもっと恐ろしいことを行っており…。その世界観の広げ方と暗部を抉り出すような急転に驚かされる。現代日本では完全な犯罪行為(臓器売買・移植⇒クローンへ)である。それを差別・被差別という表面的なところに隠蔽する。目に見えていることだけに囚われると事の本質が見抜けないという寓意を思わせる。

セットはあまり作り込んではいないが、役者の演技力で物語の中にグイグイ引っ張り込んでいく。童話の読み聞かせは、その後の展開にあまり絡んでこないようだ。寓意性を示唆する冒頭シーンとしてはインパクトが弱い。
演技は、律人さんの変貌ぶりに圧倒される。その姿はある首長を務める女性をイメージするが、その旨を帰りがけに話したところ、意識しモデルにしたとのこと。全体的に幻想と現実の世界が混じり溶け合った物語は観応え十分であった。

次回公演を楽しみにしております。
メビウス‐201709-

メビウス‐201709-

リンクスプロデュース

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

2組(A・Bチ-ム)の演技の違いが物語の印象を変える。そこに脚本の力、演出の妙を感じる。

Aチーム(田代圭佑&今池由佳) 9月27日
Bチーム(三浦 求&澤井里依) 10月1日
ちなみに、第29回池袋演劇祭公式パンフレットに載っている写真は、Bチームの2人であった。

演技力の甲乙を付ける記載はしない。それぞれのチームに特長があり、今回観られなかったC・Dチームも違った雰囲気で物語を紡いだであろうから。
また、演じるチームの数だけ物語は違って見え、変化し続けるだろう。その意味で、自分勝手に今後の楽しみと期待を込めて☆4つとしている。【演技】

ネタバレBOX

時空に生きる生命(いのち)…アンデルセン「マッチ売りの少女」を思い出す。その中で「流れ星は消えようとしている誰かの命」と言っていたことを思い出す。最後のマッチに火をつけた時、祖母が現れ少女を抱きしめ空へ昇って行く。人の魂は永遠であり、人は死して星になる。この公演では廃棄されるために送られてきた、この星こそ…そんなことを連想した。

エネルギーが切れる寸前、2体のアンドロイドが交わした「思い出してくれてありがとう」…その言葉を巡って記憶の旅路が始まる。そして旅を通して忘れないという”約束事”が思い出される。それは人間にとって原始的、そして極めて単純な取り決めという。日々の小さな幸せが戦争によって壊され離れ離れになる。その瞬間交わされる言葉、手を離さない、ずっと待っているに哀切が…。

【Aチーム】
場面ごとに今起きていることが一瞬のうちに過去になる儚さ。先に待っていることに不安が募る。そんな静的の繋がりが滲み溢れる。
男女ともロボットパフォーマンスは、その動作が大きく今の技術レベルを思わせるもの。また人間としての戦闘アクションは、切れ・勢い・ダイナミックさが感じられ迫力があった。今池さんの湖の畔場面は、絵画の中の水汲みシーンのようで静謐感漂う。一方戦闘シーンは椅子に乗るなど一変して激しい動作。その時の語り口調(口跡)が強く、何故かショウダウンの女優さんを連想してしまった。硬質・透明で美しい宝石、そして孤高といったイメージ。

【Bチーム】
愛という目に見えない概念を、具体的な細部によって具現化する。日常の感覚にピタッと寄り添っている感じである。例えば、何を食べたいか?食べるという生活、そこにささやかな営みが見える。その視線と描写を生き活き(動的)とポップに演じる。
2人のロボットパフォーマンスや、人間の戦闘アクションは小さい。楽しい生活の思い出の断片が紡がれるイメージ。澤井さんの落ち着きのある口調、緩い笑いを交える楽しませ方(桃太郎物語-三浦さんの 犬、雉(隼)、猿(ゴリラ)という変顔)で和ませる。アクションでもBOXへは1回しか上らない。それでも物語を動かす力を感じる。

A・Bチームそれぞれに特長があり、物語の雰囲気が違って感じられる。その演技は音響・照明効果も違って感じられるほど影響させる。しかし両チームとも紗幕の向こうに見える白い花…その余韻は見事に引き出していた。

次回公演を楽しみにしております。
メビウス‐201709-

メビウス‐201709-

リンクスプロデュース

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

本公演は、男女2人芝居を4組が上演(A・B・C・Dチーム)。池袋演劇祭公式パンフレットには、これまで大阪のみで上演し、初の東京公演とある。
原作はナツメクニオ氏(劇団ショウダウン)であり、同一脚本であっても演じるメンバーによって、その数だけ物語が違って紡がれるようだ。自分はA・Bの2チームを観劇したが、その物語感の違いに驚かされた。
舞台セットはシンプルであるが、そこで描かれる物語は、自分の脳内に浮かぶ場面が登場人物の記憶なのか、自分の思い入れなのか、観客の共通認識なのか。一つの脚本がこれだけ印象の異なる作品として生まれる、という演劇の楽しさ素晴らしさが実感出来る。2人の心象劇の奥深さ、底知れなさを”静視”した。
(上演時間1時間30分)【脚本】

ネタバレBOX

舞台セットは、バックに紗暗幕。ほぼ中央に白いBOX2つ。四方に無機質感を出した断鉄骨風なもの。シンプルなだけに、役者の演技力が問われる舞台。
梗概は、チラシ表面全部を利用し細かい字で書かれているが…。

地球から遠く離れた星で出会った港湾労働型と家事労働型のアンドロイド2体(製造が50年以上で経年劣化している)。「どこかで会ったことがありませんか?」という問いかけが物語の始まり。その問いを確かめるため記憶の旅路へ。それは1991年、1840年そして遥か昔のローマ人・ガリア人が登場する争いにまで遡る。3000年という時を遡行する旅路で観たものとは…。
出会いは、その都度夫婦、敵味方の兵士、人間と動物などの関係性に変わるが、確かに出会っていた。そしてその時々の戦争などによって別離が繰り返される。

”愛の記憶”の象徴として描かれる白い花。それを2人が握り合うことで記憶を確かめ合い、今に至っていることを知る。エネルギーが切れるまでの僅かな時間…その瞬間までが愛おしくなる。戦争によって引き裂かれた愛、それは、かつて人間であった2人がアンドロイドという存在に変わっても、なお悠久の時を経て確認できた”愛”。

物語は、役者の演技、多少の演出の違いによって異なる雰囲気を醸し出すように思う。その意味で映画映像と違って生身の役者が演じている芝居の面白さ、醍醐味が感じられた。

次回公演を楽しみにしております。
無料公演「ギンノキヲク」&介護福祉フェス!

無料公演「ギンノキヲク」&介護福祉フェス!

ラビット番長

あうるすぽっと(東京都)

2017/09/29 (金) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

第28回池袋演劇祭「優秀賞」受賞記念…無料公演(介護福祉フェス同時開催)。
クラウドファンディング支援者を含め、多くのサポーターの支えもあって実現したという。千穐楽に観劇したが、ほぼ満席状態という盛況ぶりであった。

物語は特別養護老人ホームを利用する人々、ホームで働く職員、さらに行政・企業の関わり方など多面的な観点から描く。それも制度・施策的な観点というよりは、感情があらわになる人の目を通して描いているため心が揺さぶられる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台は特別養護老人ホーム「紀陽の里」。ヘルパーの視点を通して観た介護の問題を笑いと涙で描いたシリーズ作。
舞台セットは、段差ある前面をカーテンで仕切り、それを開けると上手・下手側に部屋が現れる。上手側が「紀陽の里」の事務室。下手側が訪問介護するお宅イメージ。特に事務室内は小物も含めそれらしい雰囲気を出している。

物語は、特別養護老人ホームでの介護活動を事例的に取り上げ、介護と言っても一様ではないことを描く。公演ではショートスティ、訪問介護(寝たきり、認知症)等を挙げ、それぞれに応じた介護支援を行っている。そのシーンを通して24時間体制の介護、日常生活支援サービス、リハビリ(紙ヒコーキ作り)を織り込んでくる巧みさ。
一方、介護に携わる職員の厳しい労働実態も観えてくる。安い給料(あと5万円欲しいという嘆き)、交代制勤務(シフトの難しさ)が、単に遣り甲斐、使命感だけでは解決出来ないという現実を付き付ける。

さらに物語は、ホームで働いている職員の肉親の介護という、それこそ「介護とは」という根本を問うような場面を用意する。仕事としての介護と肉親を介護する、そこには心情という大きな壁があるようだ。肉親をホームに入居させるには、やるせ無いという思いの一方、介護の厳しい現実の狭間に揺れる心。この公演の”人の視点”からというのが伝わるシーンである。

さて、ギンノキオクシリーズは全作品観ているが、時を意識して少しずつ展開を変えている。例えば、過去公演では介護の一環としてリクリエーション場面が描かれていたが、本作では介護用コミュニケーションロボット「テレノイド」を登場させ時代に即応させている。
高齢社会に伴い、介護問題は普遍的なテーマになってきている。そのテーマが色褪せることなく観る人の心を揺さぶり続けるためには、時代を意識した内容に進化させることが大切だろう。

次回公演を楽しみにしております。
めいじゅたなごころにあり。

めいじゅたなごころにあり。

遊々団★ヴェール

TACCS1179(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★

物語は、温泉旅館の新米主人の成長と家族再生を横軸に、地域活性化を縦軸に交差させた人情劇。ハッピーエンドという予定調和であるが、その過程が実に面白く描かれる。
もっとも時間軸は父親の一周忌から三回忌迄。また会話(台詞)には俚言を取り入れて情緒感たっぷりで楽しめる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台背景は岡山県緑町のあづま(温泉)旅館。そのセットは、中央に横長ソファー・BOX椅子、上手側に変わり兜・赤韋威大鎧(?)の甲冑、その奥は浴室へ通じる暖簾が見える。ほぼ中央奥に2階への階段。その横に兜・洋画が飾られている。下手側奥の(孟宗)竹林、食堂への通じる暖簾。観光パンフレットのラツク等も置かれ雰囲気作りは素晴らしい。

梗概…父の一周忌に集まった兄弟姉妹(名前に春・夏・秋・冬の文字が付けられている。季節、性格の違いということか)。長男が老舗温泉旅館・あづまの跡を継いだが、その経営は思わしくない。「湯守り」として真摯に温泉と向き合うが客足は遠のくばかり。ある日、町役場に勤める幼馴染・和馬からある提案を持ちかけられ……。

この町を経済特区にして地域活性化を図りたい。そのためには旅館の土地が必要で立ち退いて欲しいというもの。旅館の経営が厳しいことも相まって苦慮する主人。懐かしい風景(故郷)を残すこと、一方、過疎化など街の活性化が必要なことも分かる。今、地方都市に見られる典型的な問題を提示し、温泉旅館としてどう生き残るか。
この温泉旅館の従業員や宿泊客などを巻き込んだドタバタコメディは、典型的な娯楽演劇として楽しめた。

気になったのは、主人公が「湯守り」という設定であることから、なぜ温泉が出なくなり、再び出るようになったのか。温泉旅館の主人は「湯守り」として一生懸命取り組んでいたが、経営的なことは妹や従業員任せ。そんな時、温泉が出なくなり大騒ぎとなる。主人が(帰省していた弟から)経営の重要性を認識させられ、皆の力(協力)が必要であると懇願をする。この主人の成長が、などというスピリチュアルな現象として解決するのは安易だと思うのだが。それとも自分が見逃したのだろうか?

先にも記したが、分かり易い人情劇で楽しめたが、この件は卑小なこととして置き去りに出来ないのだが…。
次回公演を楽しみにしております。
寺島浴場の怪人

寺島浴場の怪人

シアターキューブリック

墨田区・寺島浴場(東京都)

2017/09/30 (土) ~ 2017/10/11 (水)公演終了

満足度★★★★

銭湯で観る公演は初めてであったが、その内容は十分楽しめる珠玉作。タイトルにある寺島浴場は東向島駅近くにあるが、そこに現れる怪人たちの物語は抒情的。東向島は、かつて賑わった玉ノ井遊郭など、現在の東向島を舞台にした永井荷風の小説「墨東奇譚」の街。この街興しの一環も兼ねている公演らしい。観劇した日は良い天気であり、浅草から会場(浴場)まで歩いてみた。その途中に小梅小学校というのがあったが、チラシの見返り女性の役名は小梅と言う。まさしく地元愛が感じられる。
なお、この作品は2010年上演「曳舟湯の怪人」のリメイク公演とのこと。

チラシには「ノスタルジック・ファンタジー音楽劇」と謳っているが、その内容は秘匿性が命。
公演は10月11日まで続くため、ネタバレには配慮してほしいと…2017.10.9追記。

こちらのスタッフはとても親切で、上演前後も含めて対応は湯に浸かったような気持ち良さ。
(上演時間50分)

ネタバレBOX

庶民の憩いの場である銭湯で演劇を行う、そのアイデアは街興しや小演劇界の活性化のためにも意義があると思う。

舞台は(女)浴場であるが、脱衣所も使用し演劇空間を広げて観せる。客席は浴場と脱衣所にパイプ椅子等を置いた2箇所。それぞれ一長一短があり、浴場は湯ぶねに湯が張ってあることから蒸暑い。脱衣所は、寺島浴場が水戸街道という大通りに面していることから、大型車両が通過する際、台詞が聞取り難くなる。

セットは特に作り込まない。時間の経過を表すため、昔懐かしい置時計を持込み、女・男湯の仕切り壁の上部に置く。この時の経過が上演時間を思わせるようだ。キャストの衣装-女優陣は湯あみ着、男優陣は褌または短パンといったもの。
湯ぶねの縁に腰かけ、時にカランの洗い場を回り跨ぐなど立体的な動作で観せる。

梗概は、再演することがあることを考慮し、チラシを引用…「気がつくと、そこは下町の銭湯。小梅は何が起きたの分からない。柱時計がボーンボーンと時を告げる。小学生時代の仲間たちがリコーダーを吹いてやってくる。クラスメイトのミサキは病気がちで、遊ぶのもいつも一人。ある日小梅は、女子リーダーの目を盗んで、ミサキに話しかける。わだかまりが溶けてゆく2人。「オペラ座の怪人」風に言えば、醜い顔ならぬ”わだかまりの心”から開放されるといったことだろうか。だが事件は唐突にやってきた。あの頃毎日繰り広げられた楽しい時間。しかし、それは二度と戻ってこない時間.…。あの頃は2017年、それから19年の時が経った将来。小学校時代の回想…商店街、駄菓子屋、路地裏など昔懐かしい風景が脳裏に浮かぶ。この場所はどこ…。私は、友達はどうなっているの?という謎がこの公演の肝。

この長居できない場所にいるのは…。
少しネタバレするかもしれないが、自分は1945年春の東京大空襲を想像してしまう。そんな世界観の広がりを思わせるもの。実にこの”ノスタルジック・ファンタジー音楽劇”は観応えがあった。

次回公演も楽しみにしております。
囚人

囚人

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/02 (月)公演終了

満足度★★★★

林灰二(脚本)、村田充(主演)のコラボ公演。舞台という額縁に林氏が入り物語が始まり、途中で額縁から抜け出し、普通に喋り出す。演出は自由であり、お喋りも楽しめるが、集中力が途切れ再び物語の世界に入るにはけっこう”力”がいる。その意味で好みが分かれそうな公演だと思う。
タイトル「囚人」は収監されていることではなく、口⇔人のように囲われの中に出入りする。人は何かに囚われ柵(しがらみ)の中で生きている。それが無くなった時は、もしかしたら”死”を意味する。

少しネタバレするが、舞台セットは暗幕で囲い中央・上手・下手側に白い紗幕が吊るされている。まるで鯨幕のようだ。
自分が観た回は満席で、通路に増席までする盛況ぶりであった。
(上演時間2時間) 

ネタバレBOX

舞台全体が白黒で、先に書いた鯨幕以外にベンチ、工事現場のコーンが白色。舞台背景は、丘の上に建つ病院。その中庭かrら眺める風景は格別なもの。その風景も衣装を変えることで季節の移ろいを表し情緒感を漂わせる。また照明効果で海中風景を見せるなど素晴らしい演出が観られた。

梗概…男は重篤な病の治療のため長く入院している。 街から離れ不便な場所にも関わらず度々訪問者が来る。皆、男の持つ《力》を頼りにして来る。男は寿命の残り少ない者を嗅ぎ分ける力があった。死が近ければ近いほど、その者の身体からある華の香りが強く漂うと言う。しかし、男は自分の寿命だけは分からなかった。そんな日々の中、あることをキッカケに男は異変に気づいた。あの華の匂いが、全員からする…。
丘の上、すぐそこまで津波が来る。生き残ったのは、あそこに見える奇跡の桜のおかげである。この病院に入院している患者とその家族を通して生と死を見詰めるが、事前に死期を知ることでその心の準備等が出来るか、本当に知る勇気があるだろうか?公演では主人公以外に4組の家族がその自問自答を行う。そこに家族の形態や繋がり方によって対応が違うことが描かれる。ラスト…隠されたというか明かされた関係に驚かされる。

「囚人」は漂う華の匂いを嗅ぎ分けて、他人の残りの寿命を知る特殊な力がある主人公由利太郎(村田充サン)が、死に向かう訪問者達と触れながら、自らも病に冒され最後の日へと近づいていくという、悲しみの漂う物語。
「囚人」という文字に準えれば、舞台という囲いの中では”神様”である林氏が自由に描くが、囲いの外、つまり観客はどう思うか。
全体的に幻想的なシーン、抒情的な雰囲気は、物語の心象形成に大いに効果的な演出であった。紗幕へのテロップや華の映しも神秘的で印象に残る。その中で緩い笑いを取り入れ緊張感を緩衝させるなど見事であった。

次回公演を楽しみにしております。

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