春の花びら3回転!!
チームまん○(まんまる)
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2018/04/11 (水) ~ 2018/04/15 (日)公演終了
満足度★★★★
オムニバス3短編で、共通テーマが”下ネタ”ということらしい。もっとも下ネタというよりは、身の上・身の下相談という「人間」観察したような物語で、笑いの中に感情_その悲喜交々が紡がれている。タイトルはもちろん通俗性を意味しているのだろう。
(上演時間2時間強)
ネタバレBOX
基本は全て素舞台。物語によって小道具(Box椅子)が運び込まれる。3つの話の間に1~2分のリラックスタイム(単に少し体を動かすだけ)がある。
3つの話(タイトル)は次のとおり。
①「おめこ星」
人付き合いが苦手なサラリーマン、それが電子機器(スマートフォンか?)で検索・調査をさせているうちに、頼りきってしまう。一方、電子機器も男に彼氏のような感情を抱きだし…という物理的には非現実的であるが、人間心理の悲哀、狂気、恐怖が観える。そして生身の彼女との関係が絡んで嫉妬、懐疑という機械が人間並みの感情を抱き…。
②「じ まんげ~自慢気~」
もっぱら男性が持っているであろうアダルトDVDの所在、その隠蔽方法に観る男女の駆け引きを面白可笑しく描く。その男女は「母と息子」という親子関係であり「彼と彼女」という恋人関係という観点の違いを用い上手く表現している。演出では隠すベット下、本棚等の場所を擬人化させているが、これが体力演技で笑える。
③「うんKO」
便秘という生理的現象…現実(シチュエーション)場面において”便秘”がもたらす悲喜交々を面白可笑しく観せる。もちろん便秘は歓迎(排便はオートメーション、人の意識はあまり関係)されない、だから簡単に「うん KO」などという肯定した言葉は出ない。むしろ感覚的には「う~ん固」に近い描き方だった。
3回転とも人間の生きる姿を描いている。「おめこ星」は電子機器(AI搭載?)という”性能”に依存したサラリーマンの”知性”の不足。「じ まんげ~自慢気」は”性春”時におけるエロ媒体を巡る”理性”の不足。「うんKO」は”生理”現象という習性のコントロールの不足といった描きであろうか。普遍的な行為のようだが、その日常にある、またはありそうな情景・状況を笑いと甘酸っぱい感覚で観せるところは巧み。人間は完璧ではない、それが共通の”不足”であり、その特徴的なことを下ネタ(材料)として観せていると思えば頷ける。
素舞台であるにも関わらず、情景描写が上手くとても楽しめた。
次回公演も楽しみにしております。
山の上のHOTEL・別館~2018~
劇団カンタービレ
ウッディシアター中目黒(東京都)
2018/04/13 (金) ~ 2018/04/16 (月)公演終了
満足度★★★★
”山の上”のHOTEL・別館というタイトルは、観終わって納得。チラシ説明からは想像出来ない展開、そして秀逸なラストに感動する。
過去の記憶に囚われ彷徨い続ける魂…その人達が日本全国から集まって「第1回超常現象閣僚級会議」を開催するという。果たしてその会議の内容と行方は…
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、「山の上のHOTEL・別館」のフロアー。上手側に木棚とカウンター、下手側奥に窓、手前にソファー・テーブルのセット。メイン舞台以外に、出入り口脇に別スペースを設けている。HOTELは山奥にあり、ここなら津波で浚われる事もなかっただろう。
2つの物語が同時に進行し、ラストに交差し収束する展開である。まずチラシの説明にある、このホテルに特殊な能力を持つ若者が集まり「第1回超常現象閣僚級会議」を行う。その招集者はHOTEL支配人の妹・山中友里で、まず自己紹介を兼ねて、それぞれの超能力…透視、物体移動、念写、予知、スプーン曲げ、事象操作などが披瀝される。
一方、この山奥には刑務所があり脱獄犯が…。2つの物語は、東日本大震災・原発事故という共通した点で交わる。設定は事故4年後になっており、その傷が癒えていない。脱獄犯に拘束されたメンバーは、犯人の境遇や今後の行動を聞くことで、自分たちの思いと重なり…。
心痛に耐えない震災・原発事故を超常現象という比喩的な場(会議)を設け、その被害者をブラックユーモア、悲劇と喜劇を巧妙に混在させ観客の心を揺さぶる。特に物質・環境汚染によってもたらされた人、その普通の人の”思い”を神経を尖らせしっかり伝えようとしている。ちなみに会議開催にも意味(霊魂の昇天)があり、ラストに明かされる。
災害によって失われた夢・希望という未来、その悔しさが過去に捉われ、魂が彷徨し成仏できない。ラストは重い=想いを昇華させたようでホッとさせる。空想的な物語から社会的な物語に変化させ、面白さの中に今も、これからも考えさせるテーマをしっかり突き付けた秀作。
役者の演技は、それぞれの人物像を立ち上げ見事でバランスも良かった。また舞台技術、特に照明は時間経過を順々に感じさせ、雰囲気作りも巧みであった。
次回公演も楽しみにしております。
ドールズハウス
u-you.company
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2018/02/21 (水) ~ 2018/02/25 (日)公演終了
満足度★★★★
「グリーンフェスタ2018」参加作品。
家族という身近な人間関係を独特な観点から描いた作品で、雰囲気はメルヘン・ファンタジーといった感じであるが、内容は人間の深層心理…それも姉妹間の蟠り、確執を描くことで浮き彫りにする。全体の雰囲気はメルヘンチックに満ちているが、それは舞台技術、特に照明効果によってもたらされている。物語を強く印象付けるため、色違いの単色をスポット的に照射する。柄・文様ある照明で美しさで印象付ける等、照射バリエーションに富んでいる。
少しネタバレするが…。タイトルから連想できると思うが、登場するのは「人間」と「人形」という存在や役割の違いはあるが、人間を物理的に小さくし人形がいる空間へ投じることで、同じ世界観で物語が紡れていく。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、二元的に創出することで人間世界と人形世界を区別し、異次元ということを分かり易く観せている。上演前は中央の通路奥に照明で十字架を写しだし、両側は衝立のようなもので仕切っている。それが人形世界になると、衝立の奥が現れ左右対称の階段状の立体感ある空間を演出する。
階段の上り下りという動作が躍動感を生み、軽快なテンポで展開していく。また役者の立つ位置、例えば姉妹(人間)は、立体空間に立たず板に居り、人形は階段を利用し色々な場所に出没し、空間の広がり=夢想をイメージさせる。
物語は、歌謡界のカリスマ的存在だった母が亡くなった。その葬儀に集まった四人姉妹は仲が悪く、嫌悪・憎悪に満ちている。その感情は母に対しても同様であり、四人の父親は全員異なり、母の奔放さが観てとれる。四人姉妹に葬儀を行わせたい、そんな思いから姉妹を宥めて仕切らせようとする亡母のマネージャー(脚本・杉山夕サン)、遺産相続で揉める事を心配し遺言を託した法律事務所の弁護士、この2人がストーリーテラー役を担っている。
母の葬儀で久し振りに会う姉妹であるが、葬儀より遺産相続のことが気になる。それぞれの性格が多少デフォルメして描かれるが、相容れないことがしっかり伝わる。葬儀の最中に落雷が…気が付いたら人形と同じ大きさになっており戸惑う姉妹。一方、マネージャーと弁護士は居なくなった姉妹たちが葬儀を放棄して逃げたか、誘拐されたか心配しだす。葬儀日程、マスコミ対策で探し出す猶予は3日間。物語は「期限」と「場所」を限定することで緊迫感を持たせる。
子供の時に遊んでいた人形、今ではその記憶も無くなっていた。姉妹の性格によって人形の好み種類(お姫様、兵隊など)が異なる。メルヘン・ファンタジーの世界観がリアルで地に足を付けた物語に変わる。元の人間(大きさ姿・形)に戻りたい思いを見透かすように一体の人形が囁く。その魅力的な言葉を信じて右往左往する姉妹の滑稽さ、悲哀さを思わせる姿が見所の1つ。
物語はハッピーエンドという予定調和で終わるが、底流には母の愛情、人間的成長を促す寓意的な要素も含んでいる。
少し気になったのは、人間・人形という括りで観れば動作・ダンスパフォーマンスの違いはある。しかし全員が女優という外見上の華やかさはあるが、物語の登場人物(人形)としての魅力(個性)は印象が薄くなったように思う。ストーリーテラーの役割を担う2人以外は同世代、濃いメイクという均一化したイメージを持ってしまったのが残念。
次回公演を楽しみにしております。
誰も寝てはならぬ
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2018/04/12 (木) ~ 2018/04/18 (水)公演終了
満足度★★★★
「『誰も寝てはならぬ』そんなオペラの一節の落書きがされた埃まみれの劇場跡で描かれる異色異端の楽屋モノ」という謳い文句…ミステリー・サスペンス仕立てにした多重構造の物語。
舞台セットと芝居セリフに”ある意味合い”を持たせ、ラストに観客に問い掛ける観せ方は実に巧みであった。
(上演時間1時間15分) 2018.4.29追記
ネタバレBOX
セットは、客席と同じようなパイプ椅子が雛壇状(客席に対して横4列×縦3列×2)に並んでいる。下手側壁にタイトルと同じ文字が落書きされている。
物語は、薄暗い廃劇場内に好条件のアルバイトで集められた男女7人と勧誘した女性の計8名、彼・彼女らによる取引会話から始まる。目的は「演劇が絶滅した世界を復活させる実験を行う」というもの。集められたのは遺伝子学的に演劇に適したDNAを持つ人達であり、何が何でも実験を成功させたいらしい。演劇とはどんなものか、台本の読み合わせから始まる。その台本がオペラ「トゥーランドット」の一部分を演じるもの。稽古を通じて演劇の魅力を感じ始めるが、次の台本は更に厚み(頁数)が増すが、翌日その台本が…。
公演は人間の本質を鋭く問う台詞「ありのまま映らない鏡」。この実験は演劇ワークショップという劇中劇という設定で、集まったのは現役役者ばかり。この実験を企てた人物は集められた中にいる。ラスト、その人物は観客に向かって「あたな以外は役者」という言う。セットは、客席と合わせ鏡のように配置されている。役者と観客は人間であるが、同じではない。人はそれぞれ違い本(音)質は分からず、信じられるのは自分だけ。人は役者に限らず見えない仮面を被り何らかの役を演じているのかもしれない。その意味で観客は他人-役名のない演技者として位置付けて実験に組み込まれていたのかもしれない。
一見、非現実の世界観のように思わせ、唐突に現実の世界に引き戻す。それまでの幻想・妄想というあやふやな雰囲気が一変し具体性を帯びる。公演全体にわたってどう展開するのか固唾を飲んで見守る、そんな緊張感に包まれていた。ひとつ間違えれば、白け通俗的になるかもしれない不明確な描写を極めて”劇的”に観せていた。
薄暗い廃劇場内、何もない空間に「誰も寝てはならぬ」という壁の落書き。空虚漂う中、流れるオペラ音楽は心地良く心に響く。しっかりとした構成とシンプルであるが情景・場景をイメージさせる演出、舞台装置は素晴らしかった。
次回公演も楽しみにしております。
円盤
BACK ATTACKERS
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2018/01/16 (火) ~ 2018/01/21 (日)公演終了
満足度★★★
「グリーンフェスタ2018」参加作品。
表層はコミカルであるが、内容は現代日本の社会問題、特に労働問題を鋭く批判するような物語である。いくつかのシーンを組み合わせた定型パターンの繰り返しは、既視化した感覚になり、意識が意識を飲み込むような錯覚に捉われる。いわゆるデジャ-ブュと呼ばれるもので、全体的な印象はブラック・コメディといったところである。
(上演時間 2時間弱)
ネタバレBOX
セットは舞台奥、横一面に平板の衝立のようなものが後景として立てられている。その形は幾何学的なもので、そのまま観ていても何を表現(意味)しているか解らない。なお、平板に照射すると、その形状が廃墟=戦後のように映るよう印象付けしている。
物語は、ヤマト(生命)保険会社の社員食堂もしくは休憩室であろうか、そこで食事をしている新人社員の会話から始まる。宇宙人は存在するか、そんな会話の中から宇宙人、UFO(円盤)は地球人の過去や現在と交信か介在する存在ではないか?
場面は変わり、執務室を出現させ忙しく働く現場、取引先へのプレゼンテーション、またはクレーム対応などの日常風景が観える。突然に運動会シーンへ、さらに戦時中の戦闘シーンへ展開する。この社内・運動会・戦闘場面をワンセットとして繰り返す。企業戦士としての風景はプレゼン、ミスのフォロー、クレーム対応、パワハラ、セクハラそして長時間労働など、現在日本における企業風土の一端をデフォルメして描き出す。全体的な雰囲気はとにかく前に進めというもの。
場面転換した戦闘シーンは戦時中に使用されたであろう三八銃を構え敵前に進む、それは死を意味している。企業”戦士”と戦争”戦死”は掛け合わせたようで、共通した意識は逃避できないもの。その場面を繫ぐため運動会シ-ンを挟み込む。勝つのはいつも赤組で、白組(降参)が勝つことはない。同じパターンの繰り返しは既視感を生む。この風景・状況は前にも観たという記憶が掘り起こされるが、パターンは同じでも内容が少しずつ変化することで意識が意識を飲み込むように上書きされて行く。その結果、物語の核心に導かれる。
演出…奇妙な構成は、ごく普通の暮らしの中に深刻な内容を潜ませるが、それをビビッドな笑いで緩和させる。この深刻な問題を軽妙なタッチで描くギャップとユーモアが特長である。なお、場面ディテールには拘っておらず(乏しく)、それだけに伝えたい内容が鮮明・明確に表現できないと散漫だと思われる。
特に目立った個性ある人物は描いていない。その意味では社会(会社)の体制・組織の問題を抉る群像劇といった感じ。演出と演技は少し中途半端な感じがして感情移入をすることが出来なかったのが残念だった。
次回公演を楽しみにしております。
見よ、飛行機の高く飛べるを
ことのはbox
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
祝 「グリーンフェスタ2018 BOX in BOX THEATER賞」受賞。
チラシの「明治時代を生きる”新しい女性の生き方”を模索した少女達の青春群像劇」の謳い文句通り、今の時代には考えられないような事ばかり。しかし100年後は、今の時代とは違った女性像が…そんな事を考えれば、”今をどう生きるか”という足元を見つめた秀作。
(上演時間2時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央には別棟との扉・通路、その横は2階への半折返し階段、上手・下手にはそれぞれ部屋がある。特に下手は談話室になっており、芝居の中心になる場所である。上手側は給湯(調理)室に繋がる出入り口。また衣装や髪型は、当時を思わせる雰囲気を作り出していた。女性教師は着物、女子生徒は袴などを着ていた。
なお、初演も別の劇場で観ているが、この公演と劇場-シアターグリーンBOX in BOXの構造・空間はピタリを合っており、利用する劇場の重要性を思わせる。観応え十分であり劇場冠_BOX in BOX THEATER賞の受賞は肯ける。
梗概…1911(明治11)年10月。名古屋の第二女子師範学校の女子生徒は教師を目指し勉学等に励んでいた。そして一部の進歩的(良妻賢母教育に懐疑的)な生徒が、有志による回覧雑誌「バード・ウィメン」の発刊を企画するなど、談話室に思春期ならではの話題に花が咲くようだ。そんな折、女子寄宿舎の下働きの息子が寄宿舎に忍び込み、談話室に居た女子学生に社会情勢を話す。そして退散間際に1人の女子生徒に...、後日、その女子生徒が男と2人きりで会っていた。それが理由で放校されることになり、女子生徒たちが抗議行動を計画する。しかし、教師たちの切り崩しにあい、次々と脱落して...。
女子生徒の思索または憂いのある表情、また明るく快活な姿...そこにはその時代に生きた少女が確かに存在していた。また、男性教師、女性教師の目線や立場がしっかり描かれ、感情移入ができた。公演全体としては、クオリティが高く、観応えがあった。
テーマについて、現在では男女が単独で会っているだけでは処分(退学)にされないと思うが、物語から100年以上経ているが、男女差別は依然として存在しているだろう。また文学…自然主義文学の「蒲団」(田山花袋作)は隠れて読む時代である。
少し逸れるかもしれないが、公演では(明治)女性の視点で捉えた見方であるが、実は人間としての平等を考えることではないか。男女平等に関する課題は、女性側の視点だけで考えればよいというものではない。性別によって「男だから…、女だから…こうしなければならない」という、潜在的な行動・役割パターンがあると思う。むしろ性による決め付けは、逆に生(息)き苦しさを感じさせると思う。公演を観て、改めて人としての平等とは何かを考えた。
舞台技術は、時間経過(夕日)や感情変化を表現するために諧調照明、音楽・音響は飛行音や不気味な効果音により物語を一層印象深く観せており、観客の感情を揺さぶり見事な演出であった。
次回公演を楽しみにしております。
綾艶華楼奇譚 『晩餐狂想燭祭~死~』
Dangerous Box
浅草六区 ゆめまち劇場(東京都)
2018/04/11 (水) ~ 2018/04/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
物語は、場面毎に人が持つ色々な感情等を紡ぎ出し、それを1つの女の独特な世界の中で展開していく。その観せ方が素晴らしい。劇場に入った途端、そのフュージョンした独特の芝居空間に魅了される。
(上演時間1時間45分)後日追記
ネタバレBOX
場内は、凹客席・段差を設けた凸舞台で、正面に少し歪んだ四面体型ポールが組み立てられている。また空中パフォーマンスを観(魅)せるため、場面に応じてエアリアルシルクが天井から吊るされる。
物語は、閉鎖的な女の園…その不思議空間は衣装やメイクから、劇場(浅草六区ゆめまち劇場)近くにある吉原界隈を連想する。もちろん現実世界ではなく、架空の場所である。台詞が聞き取り難いこと、物語の場面転換とパフォーマンス等が錯綜するような演出であるため筋が捉え難いが…。それでもダンス等は素晴らしい。
ファミリィゲーム
劇潜サブマリン
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2018/02/08 (木) ~ 2018/02/12 (月)公演終了
満足度★★★★
「グリーンフェスタ2018」参加作品。
復讐という”負の連鎖”を人間関係における空しさだけではなく、ラストの全てを無に帰する出口のないというか救いようがない方向へ…。
少しネタバレするが、いくつかの場面転換は、ストーリーテラー(アクマ=悪魔)によって説明されるが、その存在がなくても無理なく展開出来ると良かった。案内人がいると安易になり易く、例えば演出の巧みさではなく説明的になり観客の想像する楽しさ面白さを奪う恐れがある。
(上演時間1時間45分) 【Aチーム】
ネタバレBOX
舞台セットは、四隅に柱を立て立体空間を2つ作り出す。もちろん確執がある「タチバナ家」「ウシゴメ家」を現す。その内側の床は黒色、同色のBox椅子がいくつか無造作に置かれているのみ。空虚感が漂う美術である。室内の様子を観せること、家族の心の在り様を象徴させるということを主眼としているようだ。両家の間にある空間が道路というイメージで、それは客席も同様である。冒頭は客席後方からこの2分された道路(通路)を下りてくるところから物語は始まる。
「タチバナ家」と「ウシゴメ家」はある地方都市の向かい同士だが、前々から確執があるようだ。その理由は判然としないが、いずれにしても溝は深い。そして、それぞれの家族にはちょっとした家庭内のトラブルもあり、家庭内の不満・鬱積が向かいの家への憂さ晴らしという形で解消させている面もある。だから関係がさらに悪化するという悪循環を繰り返している。例えば菜園の野菜を盗む、家庭菜園を荒らすという行為、一方それを防ぐ対抗手段として防犯カメラを設置し警備を強化する。
実は両家の諍いの原因は「タチバナ家」の嫁カオリ、「ウシゴメ家」の擬嫁ポンチーナの仕業であり、それを近所の女性が実行している。そして徐々に家庭内における夫婦の力関係が逆転し、今までの家庭内の鬱積が爆発するという皮肉が…。
家族同士の諍いをアクマが俯瞰(別次元)する、ストーリーテラー的な立場・役割で眺めている。そして交差点でのすれ違いを人生、人の感情(気持)に重ね合わせ、さらには自ら家族の諍いを助長するよう能動的に動く。
語りたい事を盛り込み過ぎのようで、テーマが暈やけ物語の繋がりが感じられない時がある。辛うじて現実的な人物描写、視覚的な表現を試みることで克服しようとしているようだ。ラストは、東日本大震災と原発の影響でその地域に住めなくなり、街が無になるような空虚感を漂わせる。その情景は人の心の空虚さと重なり合う。
演出…柱のみの家は、外見ばかり取り繕った家族の姿を反映しているようだ。もちろん室内を見せること、ラストの大震災での揺れを表現する必要性があったと思うが、家(族)という土台の不安定さが如実に表れている。両家の諍い、そこへ近所の女性を登場させることによって地域の閉鎖性や弱みに付け込んだ興味本位的な側面も観えてくる。家族(小単位集団)から街(大単位集団)の問題へ視座が広がる演出である。
総じて若い役者であるが、人の心が徐々に壊れ狂気に変貌していく姿がしっかり観て取れる。特に柱囲いの家庭内は、ある種の密室であり2人ないし3人による濃密な会話が緊迫感を生んでいた。大きなアクションはない、または出来ない限定空間での表現は難しいと思うが、一人ひとりのパフォーマンス力が強く、最後までテンポ良く観(魅)せていた。内容は”復讐にはf復讐を”という台詞に象徴されるように、暗く塞ぎ込むような気持にさせるが、コミカルな動きは現実から距離を置くような和らぎを覚える。
次回公演も楽しみにしております。
カチナシ!
ラビット番長
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2018/03/01 (木) ~ 2018/03/05 (月)公演終了
満足度★★★★★
祝「グリーンフェスタ2018 BEAS THEATER賞」受賞。
ラビット番長が得意としている「将棋」と「介護」をテーマにした公演…今まで「天召し」(将棋の世界)と「ギンノキヲク(シリーズ)」(介護の世界)を観ているが、例えば将棋という命がけの勝負の世界、一方人生における終末期の悲喜の世界という異なった世界観。夫々の味わい(感慨)深い世界を深堀りしていたが、この公演はそれらを上手く融合、纏め上げた内容になっていた。劇団のファンであれば先の独特な世界観を描いた公演を好むか、もしくは本公演のように分かり易く観せる方(初見者含む)を好むに分かれるかもしれない。
自分はプロ棋士の友人もおり将棋の世界は何となく知っていたこと、介護にも少し携わったこともあり、それらを纏めた物語では少し物足りなかった。しかし、将棋勝負(勝ちあり)と人生勝負(人生にカチナシ)を物語でしっかり伝える面白さ、そこにはタイトル「カチナシ」などではなく、観るに「価値あり」の公演である。
(上演時間2時間) 【Aチーム】 2018.4.11追記
ネタバレBOX
セットは、2層で1階部の上手側には介護施設内の食堂やマージャン部屋、下手側は施設内の作業場やTV大盤解説場、2階部中央は対局場、上手側は施設患者部屋といった異なる空間を作り出し、2つの物語を分かり易く観せようと工夫している。
梗概…新進気鋭の棋士・谷木と重鎮棋士・大原九段(井保三兎サン)の対局中、大原棋士が倒れ後遺症が残りその治癒のため介護施設に入ることになる。その施設には大原棋士の弟子・北島(元奨励会・会員)がおり、将棋界から去っていたがまだ未練が残る様子。大原棋士には愛人との間に娘がおり、この娘が施設内で大原の世話をしている。そこに正妻が乗り込んできて…。
新進気鋭棋士は話題の藤井六段(2018.4.10現在)を、大原九段と将棋連盟の米山会長は中原・米長棋士を連想させる。インターネットという仮想の将棋世界、生身の男女の恋愛模様、深夜勤務・交代制という介護現場の苦労、そして夫婦の深い愛情など盛り沢山の話で紡がれる。
物語は色々な場面へ転換していくが、先に記したセットや人間関係の分かり易さも手伝って典型的な芝居として楽しめるよう創られている。主要人物のバックボーンもそれとなく説明し役者がしっかり人物像を立ち上げている。そして大原がもう一度(将棋)を指そうとし、弟子の北島がもう一度将棋の世界で生き(勝負し)ようとする。その諦めない人生訓(教訓臭くならない)が描かれる。太陽のような人物と言われた大原、そして真摯に生きようとする人は皆が輝いている。単色の照明を諧調し印象付ける舞台技術も巧み。予定調和のハッピーエンド…最後までしっかり芝居に惹きつける面白さがあった。
ちなみに「ギンノキヲク」の介護施設「紀陽の里」やそこに登場する人物、例えば池田も台詞だけでリンクさせており、思わず微笑んでしまう。
次回公演も楽しみにしております。
星の王子さま
もぴプロジェクト
アトリエファンファーレ高円寺(東京都)
2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★
子供のための物語か大人のための物語か、その視点を意識した公演。
小説「星の王子さま」は1人称で書かれた物語、「僕」という語り手は物語の中である役割を担い、作中人物としての語り手となっている。聞き手の読者への問いかけのようであるが、本公演でも観客へ問い掛けている。もちろん読者=観客は幅広い(年代)層を想定しており、人それぞれの感性の受け止め方が異なるのは当たり前であろう。
自分はファンタジーの中にもしっかりとメッセージを伝えており、芝居の雰囲気も好かったと思っている。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
セットは、ファンタジー風な観せ方にするため、ブルー、ホワイトの蛍光塗料を点描したようなストーン型オブジェを置き、客席内にも台座の別空間を作り同じような蛍光塗料が塗られている。場内全体の雰囲気は宇宙空間といった感じで、所々に小惑星をイメージさせる球体が吊るされている。
物語は小説(章立)と少し異なった順で展開していく。大筋は順々に時が経過し、語り手であり”星の王子さま”は自分の経験を語りながら王子としてのエピソードを語る構成にしている。先に記したように語り手であり劇中人物であることから、長台詞は説明風であり朗読劇のように感じた。
「物事を考え続けること」「本当に大切なことは心で見ること」という台詞は、子供・大人という枠を超えたところにあるのでは…。その意味では原作が意図しているであろう、物事の本質を問いただす質問を投げ掛けて、そこに潜む事柄の重要性_表面に捉われてはいけないという隠喩は、場面を細切れにしつつも上手く紡いでいたように思う。
雰囲気作りとしての衣装に注目。芝居の役柄へ変化させる重要なアイテムの1つが”衣装”。衣装は情景や背景・雰囲気を如実に映し出す効果がある。例えば薔薇(バラ)の花のシーンでは紅い衣装、また男優陣は白っぽい浮遊感ある衣装、逆に女優陣は黒っぽい硬質イメージの衣装という対照的なもの。メイクも独特で現実から遠ざける工夫をしている。その全体がファンタジーで「星の王子さま」といったことを表していた。
なお後部席壁際(両端近く)では、壁に描く絵のシーンが見切れになる。その舞台配置か、観せ方に工夫が必要だと思われる。
次回公演を楽しみにしております。
母が口にした「進歩」その言葉はひどく嘘っぽく響いていた
東京演劇集団風
レパートリーシアターKAZE(東京都)
2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
硬調演出ながら抒情的な印象の公演。
紛争で死んだ息子の遺体を捜す父と母_息子の声に導かれ土地の瓦礫の下で重なり合う死者たちの無念が…。そして夫婦を取り巻く奇妙な隣人や泣き女、街灯に佇む1人の娼婦という、不可視と可視を対比するような姿や情景を観客の心象に刻むかのような物語である。
特に不可視の象徴である息子や各時代における無念の死者たちを描く時空間、その不思議なところに父・母を存在させ、地中から響く過去からの<挫折を余儀なくされた希望>に寄り添うような心の幻影を精緻な眼差しと言葉で追いかけていく。もっともタイトル副題からすれば「その言葉はひどく嘘っぽく響いていた」のかもしれない。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、客席側へ斜めに傾くような板敷き(八百屋舞台のような)。両側はポールのようなものが立ち、その上部に照明具がセットされ街灯を思わせる。後方は薄い布が張られている。テーブルや椅子が倒れ、藁くずが散乱し荒涼とした情景を出現させている。物語の進展に伴って、板敷きの一部が開いたり、手押し一輪車が持ち込まれる。
裏切、幻想、ユーモアを通して表現された過去(歴史)と現在(思索)の諸相を見事に表現していた。文献史的ではなく(観客の)記憶史として残るよう力強く訴えてくる。物語は決して派手に誇張するものではなく、どちらかと言えば抒情的で心に染み入るような演出である。
梗概…紛争が終わり、国の解体と同時に、新たな国境線が出来た故国に帰ってきた父と母。その後景には多くの瓦礫が築かれている。 死んだ息子を待ち続ける母親、息子の遺体を探すため穴を掘り続ける父親。そして亡霊の息子が語るのは、この土地で重なり合い死んだ者たちの姿である。それは終わることなく繰り返されてきた紛争・戦争、生きる人々の姿の中に認め合うことの出来ない価値観、その人間の愚かさが見え隠れする。
一方、街頭(灯)に立つ1人の娼婦、女装した男娼は現実の世界に生きる。重なり合う死者の遂げられなかった希望に対し、SEX・人種差別そしてマイノリティという観点で今を見つめる。人には「善・悪」「正気・狂気」「陽気・陰気」など対になる顔があるが、それは立場や状況によって変化し、一様に捉えることが難しい。その判別させない意味でのマスクやパペットの利用であろうか。黒衣装はまるで喪服のようであり、盥(たらい)での洗濯する姿(衣装)は生活感に溢れている。この公演は「生・死」、「現実・過去」という対比を強く感じさせ、この先(未来)に思いを馳せているのだろう。だからこそ「進歩」が強調されていると思う。
次回公演を楽しみにしております。
ピヨピヨレボリューション公演『Gliese』
オフィス上の空
ザ・ポケット(東京都)
2018/04/03 (火) ~ 2018/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★
寓意性ある公演だが、教訓的はなく華麗で楽しく元気がもらえるような公演。人の見た目は自分が思っているほどひどく(醜く)ない、個性を強調した描きは衆人をホッとさせるかもしれない。
本編後、アフタートークならぬカラオケ大会が披瀝された。
(約2時間)【春名風花チーム】
ネタバレBOX
セットは、左右非対称の階段状舞台で、上手側に試着室のような出入り口、下手側の出入り口にマネキン2体が不自然に傾いている。本公演、メインは女優で華があり、そこにピリッと男優陣が絡む絶妙さ。
物語は、モデルに憧れる主人公・河合由衣(大久保聡美サン)。 念願のオーディションに合格したものの、 そこは理想とかけ離れた世界があった。序々にスタッフやファンに支えられ人気を博していく、というサクセスストーリー。一方、この雑誌のボスであり、トップモデルの母親、その母娘の関係も絡む。この主人公の憧れを後押しする妄想、その分身とも言える女の子たちAmi、Bibi(macoサン、あずさサン)に話し掛け(独り言か妄想)、変人扱いされている。雑誌の撮影はGlieseという地球外の惑星で行うが、それには理由がある。
母と娘の関係は、父と息子や、父と娘の関係以上に難しいのだろうか。母は娘・流石可憐(<美>右手愛美サン、<醜>石川琴絵絵サン)を様々な仕方(今回はトップモデルの維持⇒意地?)で縛り、娘はそんな母の呪縛から逃れようとする。母娘の情景を女性の外見...美容(整形)技術というSF要素を取り入れて、ライトノベルのような観(魅)せ方をする。物語の所々でスタイリッシュなダンスパフォーマンスや歌が披瀝されるが、これが愛くるしい。こんなところが、ファンの心を掴むのであろう。そして客席通路を利用するなど身近に感じさせるファンサービス(親近感)が嬉しい。
美しさ(美人)の尺度は観る人によって違う。特別な材料を利用し顔面を変えてまで美しさに拘ること、そこには外見重視で本人意思が反映されない。もっと”私自身”を見てという切実な訴え、ユーモアを交えた観せ方の中に寓意性を潜ませる。
一方、公演としてはモデル雑誌という謳い文句から、外見…衣装変えも素早く華やか艶やかさも強調させるところは上手い。
次回公演を楽しみにしております。
Be My Baby
enji
吉祥寺シアター(東京都)
2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★
"生まれて来てくれて ありがとう”という愛しい台詞に凝縮された優しく心温まる公演。しかし現実には色々なことが…。
妊娠・出産に纏わる6組のカップルの物語、それを素朴な人物像として寄り添い、等身大で描写して行く。それぞれ置かれた立場・状況は異なるが、生(産まれてくる赤ん坊)に対し真摯に向き合うことによって生じる歓喜と悲哀、その悲喜交々が実によく描かれている。
ちなみに ♪歩こう 歩こう 私は元気~♪と劇中で歌われる「さんぽ」は、アニメ「となりのトトロ」でも歌われていた。その映画監督・宮崎駿と一緒にスタジオジブリ設立に参画した高畑勲監督が、自分の観劇日翌日に亡くなったのには驚いた。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、中央に大階段がありその上部に鈴鴨神社の赤い鳥居が見える。別名”子宝神社”と呼ばれ、祈願すると子宝に恵まれるという噂がある。その近くで だんご屋(いわき)を営んでいる岩城夫妻には皮肉にも子宝が授からない。どうやら妻・小梅に不妊の原因があるらしい。そのため”祈り”が”呪い”に思え、自分の名前も恨めしく思う始末(「小梅」=「子産め」)。この夫が優しく、子が授からないのは自分にも原因(乏精子症)があると言う。
一方、上手側には羽柴産婦人科の看板があり、そこに若夫婦、訳あり妊婦などが通院している。階段横に大きな木が立っており、”自然”と”生”を象徴しているようだ。
物語は、子宝に恵まれない岩城夫妻と小梅の両親、不実な男の子を妊娠した津村歩子とその両親、夫が仕事を辞めてしまい暮らしや出産の心配をする若い斉藤夫妻、そして産婦人科医の羽柴と看護師の織田信子(羽柴医師の内縁妻)という6組が起こす騒動。
それぞれの立場で出産に対する考えが異なり、そこに思惑や打算が絡んでくる。中心は岩城夫妻と望まない妊娠の津村歩子の赤ん坊の行く末が…。代理出産、特別養子縁組など、日本では法整備が進んでいない問題や生みの親・育ての親という、将来 子の感情に関わる課題等を含んだ公演。表層的には面白可笑しく観せているが、「全ての赤ん坊は望まれて産まれてくる」(小梅)に対し「記録に残らないが(出産)記憶に残る」(歩子)という子を手離す苦悩がリアルに伝わる。
物語は心情の変化、時の経過などを表すため照明に諧調工夫を凝らすなど巧み。この6組の各人物像の立ち上げは実に見事で、皆、はまり役で脚本・演出をしっかり体現させていた。特に歩子(平野尚美サン)の妊婦の歩く姿はリアルであった。
次回公演を楽しみにしております。
正しい顔面のイジり方
スマッシュルームズ
シアター711(東京都)
2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★
チラシの説明_欲望のままに生きる罪深き女の逃亡生活。整形を繰り返しては男を手玉に取り、嘘を塗り重ねていく_から当日パンフに書かれている、ある事件を連想するが…。もちろんフィクションであり、1人の女性が逞しく、強かに生きる様を分かり易く描いた物語。1人の女を違う観点で多角的に観せるため、舞台セットに工夫が凝らされている。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、セット中央にランウェイのような一段高い場所を設け、そこにBox4つ。上手・下手側に役者が座る(その場所は変わる)箱馬が置かれている。後ろ正面は収納Box棚のような壁面。演じる時以外は、両側の箱馬で待機し、第三者的立場もしくは俯瞰している感じだ。
梗概…5人の女が1人の女を描く、言い方を変えれば1人の女が生き延びるために色々な人生を経験する。その特異な生き様を先の舞台セットや演出でしっかり描き出す。本人_主婦・福田和子が殺人事件を起こし、逃亡生活を送ることになる。スナックのバイト、和菓子屋の若奥様、ラブホテルの従業員、保険外交員で寿司屋の常連客と姿を変えての逃亡劇。指名手配書(世間)を欺くため整形手術を繰り返し、男を手玉に取り嘘の上塗りをする。
当日配付された作・演出の中山純平氏の挨拶文にもあるとおり、「松山ホステス殺人事件」を元にしている。劇中では「整形は人生を謳歌するもの」と嘯く。
逃亡劇は必ずしも時の経過に沿って順々と展開する訳ではない。立場や暮らし、その時々の状況の変化に応じた女の強かさを印象付けるため、敢えてセットは作り込まずシンプルなものにしている。固定した舞台セットにすれば情景もそれに捉われ、時の経過や女の逃亡生活が浮き上がってこない。場面転換の容易さが、時々の女の逃亡生活_時間を行き来させ重層させ、テンポ良く観せるなどセットと演出を連携させる工夫は見事。
気になったのが、主人公・福田和子が逃亡期間(時間)中に子供と電話で会話をするが、逃亡期間と子の成長と辻褄が合っていたのか。もう1つは、目立つことを嫌い日陰者でいたいと自分で言いつつ、(地域)カラオケ大会へ出場するというある種の矛盾した行動が…。
次回公演を楽しみにしております。
丹青の三方一両損
深川とっくり座
江東区深川江戸資料館小劇場(東京都)
2018/03/30 (金) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★
落語、講談で馴染みの「三方一両損」を江戸っ子気質に自分たちの大事な妹や弟子の色恋を絡め、さらに仲裁役となる大店(大黒屋)の女将さんの不興をかうハラハラ、ドキドキ。そして、大岡(奉行)裁きならぬ決着はどうなるのか。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
落語ネタ。元は左官金太郎が3 両拾い、落とし主の大工吉五郎に届けるが、吉五郎は落とした以上、自分のものではないと受け取らない。大岡越前守は自分で1両足して、2両ずつ両人に渡し、三方1 両損にして解決する落語で馴染みの「三方一両損」。
本公演のセットは、根付職人・松吉が住んでいる長屋、松吉の妹が奉公している大黒屋、大黒屋に出入りしている大工・巳之助の親方・八五郎の家、その3場面で構成されている。それぞれ長屋塀・井戸・とっくり稲荷大明神、大黒屋の看板、親方の家内にある箪笥など特徴ある物を張りぼてや置物等で表し、それを絶妙なタイミングで暗転・場面転換させるところは見事。
物語の基本的な流れは落語と同じ。梗概…根付職人・松吉が大黒屋から根付代金6両を貰って長屋まで帰ってきたが、途中で財布を落としたことに気づく。その財布を拾ったのが大工の八五郎、そこで弟子の巳之助を松吉の所へ行かせるが、松吉は落としたからには自分の財布ではない、と受け取らない。一方、八五郎は礼欲しさに届けさせたのではないと言い張り…。
その2人が大事に思っている松吉の妹・おきみ 八五郎の弟子・巳之助の恋が絡み、江戸っ子の”意地”と大事な人を思う”人情”が交錯しハラハラさせる大衆演劇(喜劇)。定番劇の醍醐味をたっぷり味わえた。役者の表情・立ち居振る舞いは、それぞれ江戸庶民の気質と暮らし振りを十分観(魅)せてくれた。
次回公演を楽しみにしております。
生き返るなら早めに言って
劇団鴻陵座
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2018/03/28 (水) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★
脚本は精緻さに欠け、演出は魅力不足、演技は荒削りで全体的には難が多いと思ったが、人が持つ曖昧さ、不確実性を如実に示す訴えに不気味な魅力を感じた。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
冒頭、登場人物の衣装は黒っぽく、セットでは白boxがいくつかあり鯨幕の様相である。床には切り紙が散乱しており心内荒涼といった演出であろうか。
当日パンプで、脚本の根太一氏が「お話は あだち充原作の漫画『タッチ』の和也が終盤で生き返ったら…という発想から書きはじめました」とあり、冒頭のいくつかの台詞でそれとなく解る。
物語は達樹の死後3年の後、彼の本を出版するため周囲の人たちに取材をするところから始まる。編集者は彼の”印象等が弱い所”を補うため、取材した人たちに美談的なことを無理やり聞きだそうとする。さらに編集者は、霊媒能力を持つという女性まで呼ぶが…。達樹が生き返ったが、本当に本人かという疑問が出てくる。それを試し、彼から当事者しか知らないことまで語られた。そのことから彼が本物であることが確認された。
一方、周囲の人たちの証言は達樹を印象付けるための誇張、虚偽によって編集者が、嘘を真実と思い込み、逆に現れた人物は偽物だと判断する。そして生き返ったとすれば、事故の賠償金を返還する必要があるかもしれない。
作劇は何をどう書くか、定義付けや決まり事という制約はあまりないと思うが、それを観客にどう観せるかということを考えれば、具体性というか納得性が大事ではなかろうか。人物の動き、会話、物事や情景の描写、回想や意識の変化など、それらの具体性の積み上げで何かを伝えることになる。本公演では、その具体性・納得性に欠ける。大きなところでは火葬や埋葬許可証が存在するにも関わらず、本人(身体)が生き返ること。所々の雑な情景描写(説明)が観客に受け入れられていないのでは…。
それでも自分が感じ入るのは、編集者の取材に対し周りの嘘が本物(本人)を否定し、真実が歪められる怖ろしさに注目したからである。フェイクやデマに踊らされて真実を見誤る、もっと言えばインターネットの発達した現代、情報・表現の”多様化”が進んだように見える一方、誤った”情報構造の画一化”に繋がる怖れを思ったからである。そのためには、自分自身、リテラシーを見につける必要がある。本公演について言えば、”劇における茶番、奇跡などは人の勝手な解釈”と思い込む。
それでも展開は、妄想やドッペルゲンガーなのか、それとも現実として描いたのか判然としない。もう少し観せ方(脚本も含め)に工夫が必要であろう。
次回公演を楽しみにしております。
小栗上野介忠順
劇団め組
劇場MOMO(東京都)
2018/03/28 (水) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
め組は、2018年が明治維新150周年ということで春・夏・秋に幕末維新シリーズの公演を予定しているという。本公演はその第一弾「小栗上野介忠順」である。幕末幕臣では勝海舟と共に有名人物であるが、その実績はあまり知られていないかもしれない。
物語は、西南の役の前_ある春の夜に語られる回想形式にして小栗の人物像を描き出していく。
(上演時間1時間40分) 【Bチーム】
ネタバレBOX
セットは、立体的に迫り出した壁に世界地図イメージのオブジエが飾られているだけのシンプルなもの。その中で「 小栗上野介忠順」という人物が生き活きと描かれる。それだけ物語の展開が、人物歴を順々と説明するだけではなく、その人柄なり当時の状況が実に分かり易く描いている。
物語は上州権田村の東善寺(小栗の墓がある場所)に賊が侵入し何やら探している。小栗は徳川の埋蔵金を江戸城から持ち出し隠したという逸話があった。賊はそれを狙っていたが、その日は官軍によって打ち落とされた小栗の首が寺に戻された供養の日であった。その場に現れた勝海舟と元薩摩藩士・柴基次郎から小栗の人物像が語られていく。
アメリカへ修好通商条約交換のため差遣された。その帰路、彼は日本人で初めての世界一周を果たす。さらに横須賀製鉄所(造船所)の建設、陸軍伝習所(洋式軍隊の養成のため)を開くなど幕府だけではなく、後の「日本」の近代化のために数々の偉業を成し遂げたという。幕臣の2傑(小栗上野介忠順と勝海舟)を対比するような描き方で、先に記した業績を踏まえ、主人公の魅力を強調 している。無責任な態度が国を滅ぼす、時の中に命を刻む、自分の未来・人生を生きる等真摯に生きた人物ということが分かる。それは現代にも通じるところであろう。教科書的にならず芝居という生きた役者の中に”小栗上野介忠順”の魂を観た。
また、徳川埋蔵金はアメリカから持ち帰った「ネジ」を示唆するようでウイットに富む。表からは見えないが、それ(ネジ)がなければ全てがバラバラになってしまう大切なもの。足元と未来をしっかり見据えた人物像が立ち上がってくる。
セットは、例えば渡航シーンはサークルを船先のようにしたり、対米交渉はサークル内といったシンプルなもの。一方、音響は汽船・波濤また雄大な音響・音楽効果が印象的であった。
最後に、人物像の中で、将軍・慶喜の覚悟を促すため江戸決戦を主張したとあったが、その結果、江戸城下を戦禍(渦)にし庶民が犠牲になることも…。そこに幕臣という立場が垣間見えたが、その立場こそが人を形成していると言えばそうなのかもしれない(完璧な人間ではない)。
次回公演を楽しみにしております。
荒天~こうてん~
劇団黒胡椒
上野ストアハウス(東京都)
2018/03/29 (木) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★
2017年、江戸。政府も一切関与する事が出来ない独立国家のような存在…それが”吉原遊郭”という浮世離れした治外法権区域である。物語は2017年という設定であるが、江戸という封建社会の様相を色濃く残している仮想国のようにも思える。そして救いのないような…。
(上演時間2時間20分)
ネタバレBOX
舞台は上手側に生バンド(Sp&Ba、Dr、Gt)、下手側は2段にした芝居スペース。そこは緋毛氈が敷かれ、両端に「大門妓楼」の大提燈が掛けられ雰囲気を醸し出している。
物語は、吉原遊郭という特別な地域、その閉鎖された場所では独自の法体系を有し、そこで生きている者を拘束している。その支配者:弥人が足抜けする者には厳罰を下すが、基本的には安寧に暮らせるよう善政をしている。しかし息子・一弥が父を殺害し自分が支配することで暮らし向きは一変する。一弥は両親の愛情を感じられず育ち、確執があったという設定である。
この地域の自警団のリーダー・真白は、人望もあり皆をまとめていたが、一弥の行いに疑問を抱き、好意を寄せている政府直属部隊の相良純と連絡を取り合うが…。
さらに、この地域の特殊性を取材しようと記者が潜入してくる。為政者によって庶民の暮らし向きが左右されるというのはいつの時代も同じか?
治外法権的な特殊(閉鎖的)社会における弊害、そこで生きる者の保身と郷という感情を縦軸とし、遊郭自警団リーダーと政府直属部隊リーダーの なさぬ恋を横軸に紡いで行く。そこに特ダネを狙う第三者が絡む重層するような展開。
舞台は客席寄りの前、全面を利用し華やかなダンス・パフォーパンスを行うが、横列だけではなく、客席通路を利用するなど縦横に動き回り躍動感を出す工夫が良い。通路を真白が花魁道中として通るなど観客サービスも忘れない。艶やかでスタイリッシュなダンス、そしてラストの一弥対相良純の殺陣シーンは壮絶にして悲愴、その救いのない展開に心が痛む。
少し笑ったのは、支配する法が「労働基準法」という既存の労働法の1つであったこと。仮想の地域ならば、もっと独特の法制を考えてもよかった。もう1つは、音楽(音響)に興味がある者は、生演奏する演者の姿も気になるところ。ダンス等の観(魅)せ場こそ、音楽も同調するので、その場合は目線をどちらに向けるか迷うが…。
次回公演を楽しみにしております。
WHEREABOUTS
ピウス
萬劇場(東京都)
2018/03/28 (水) ~ 2018/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
最近、映画では見かけなくなったヤクザの世界…本公演では、ヤクザの世界をフリージャーナリストの目を通して見ているが…。ラストはサスペンス風になり観応え十分であった。この公演では、一時期人気を博した”仁侠(任侠)”映画(特定の映画会社をイメージさせるが)のような”仁侠道”ではなく、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律 (通称:暴力団対策法)」施行後の”ヤクザ”の閉塞した状況を背景に、”男”の生き様を描いた力作。
(上演時間2時間5分) 2018.4.3追記
ネタバレBOX
セットは、1階が小料理屋、2階が竹本組というヤクザの事務所。1階店内は上手側にカウンター席、奥は厨房への通路(暖簾が掛け)、下手側は出入り口で外に暖簾が見える。店内中央と下手側にテーブル・椅子。2階は中央にソファー、その後ろは窓。桜が咲いていることが分かる。下手側に事務机が置かれている。
梗概…東京でフリーライターをしている木津。彼は十数年ぶりに故郷に帰り、辺り一帯を仕切る指定暴力団の下部組織・竹本組の黒瀬を訪ねる。木津は黒瀬からヤクザの内情聞き出し記事にしようという思惑があった。しかし、黒瀬は暴力団対策法の前に衰退気味のヤクザ世界だが、通すべき義理を感じて惰性で続けている。
一方、竹本組が馴染みの居酒屋の女将は、ヤクザと繋がりがあることを理由に地域の世話役・久保輝義から嫌がらせを受ける。これにキレた黒瀬の舎弟・久保琢磨は暴行事件を起こす。実は世話役と舎弟・琢磨は実の父子で確執があった。その結果、竹本組は警察から目をつけられ、より窮屈な状態に陥る。黒瀬は琢磨を庇うが、次第に組の者との溝が明らかになって…。
暴力団出入りを禁止するステッカーを貼る様、街世話役から要請される。しかし先代の竹本組組長の情婦であった女将・花山灯はそれを拒む。世間の良識や善意に追い詰められていく様が実にリアルに描かれる。ヤクザが生き辛くなっている閉塞状況を縦軸に、ヤクザ(組員)としての矜持、生き甲斐などが見出せない苛立ちのような心情を横軸として紡いでいく。そこに幼馴染のフリーライターが取材という第三者的な視線を交える。ヤクザ世界からのメッセージ性は感じられないが、裏社会で生きていく”男”の世界を観(魅)せる。
緊張感みなぎる演技は、公演全体を通して重厚で深みがあり、その表現力は素晴らしい。特にヤクザの世界に対峙する刑事・中越俊道(和興サン)のふてぶてしい厭らしさに凄みがある。ヤクザ、刑事という立場の違いはあっても、惰性・自堕落な生活がフリーライターの登場によって徐々に不穏な雰囲気へ変わり漂わせる演出は上手い。
次回公演も楽しみにしております。
病気だからね。
冗談だからね。
OFF OFFシアター(東京都)
2018/03/23 (金) ~ 2018/03/26 (月)公演終了
満足度★★★
物語は何となく分かるが、その観せ方は演劇通、見巧者向けのようで、幅広い演劇ファンに馴染むのだろうか?という疑問が…。自虐的なタイトル「病気だからね。」は、一見「狂気だからね」の間違えでは、という印象を持つ。
表層的には、一幕を多元中継で観るような”芝居”といったところ。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
セットは段差を設けた2つ。奥の数センチ高い所にテーブルと椅子、そこは職員が(高校)演劇を上演させるか否かを議論している。客席寄りはその演劇部が練習している所。こちらも横長テーブルに椅子というシンプルなもの。床には切り刻んだ紙クズのようなものが散乱している。
物語は、演劇部の台本が実名のため上演するのに相応しくない…という教師の会合の見解。唯一、部外者であるが、演劇部のアドバイザー的立場の者が抵抗しており、議論が続く。
一方、生徒(演劇部員)は、教師の思惑など知らず稽古に励んでいる。時々、映画「霧島、部活やめるってよ」などのパロディなども盛り込み、面白く見せようとしている。
さらに姿なき第三者的に父・母が(楽屋で?)稽古風景に突っ込み、ダメ出し等をラジオのDJ風に喋り続ける。プロンプターのようにも思えてしまう。
この3つのシーンが同時進行し、台詞は敢えて被せるかのようにしており、聞き取り難くしている。通常観るようなシンクロ・共鳴するような効果は考慮していない。それを青春期における自由奔放なやり方と捉えるか。ただし物語は何となく分かるが、観る側にとっては優しくないと思う。さらにアンケートの感想をテロップとして後ろの壁に流し続けている。全体的に落ち着きがなく雑然としている印象である。
自分はこの劇団の公演を何回か観ており、観慣らされてしまったかもしれない。一見雑然としているが、逆に伸び伸びと新鮮味を感じるところが魅力…冗談だからね。しかし、この魅力がもう少し上手く観客に伝わることが大切…これ本当だからね。いずれ「狂喜(驚喜)だからね」に変貌することを期待したい。
ラスト、アンケート箱から用紙を取り出し切り刻み、花吹雪のように撒き散らす。どんな悪評も関係ないとの意思表示か?公演全体を通してフェイクのような仕立て方である。
次回公演を楽しみにしております。