HIRAMEと呼ばれた男
シノハラステージング
芝浦港南区民センター(東京都)
2018/06/15 (金) ~ 2018/06/17 (日)公演終了
満足度★★★
沖田総司という人物が世に知られるようになったという劇中劇のような公演。その印象は舞台稽古またはゲネプロといった習作を観ているようだ。
物語の趣旨や構成は面白いと思うが、それをしっかり観客に伝えるという点では弱いと思う。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
公共施設のホール、基本的には素舞台で情景・情況は役者が体現していくことになる。少し誇張した演技は歌舞伎のようにも思えるが、全体的には典型的な大衆演劇。物語は幕末時代、沖田総司を中心とした新選組と女剣劇・桜千代之丞一座の興行を交錯させ、いつの間にか両方の人物が愛惜と哀惜を味わっていく。その展開を舞台化する過程を描いたものか。
明治時代には新選組は逆賊として扱われ、今ほど知られていなかった。いや抹消された存在であったが、昭和初期に小説・映画、そして演劇上演で紹介されたことが新選組認識の契機になったという。その当時の舞台が本公演における回顧劇のように思える。新選組を扱った映画や舞台では、沖田総司を二枚目俳優が演じ、時には女性が演じることもあったという。それが現在の沖田総司像に繋がっているという興味深い話。
沖田総司と恋仲になった桜千代之丞は、彼を主人公にした公演を催行するが自身も病に倒れる。新選組、剣劇一座ともに組織内情は思わしくない。その共通した情実を当時の上演場景…劇中劇仕立てで描いているようだ。公演はツケを打ち鳴らす、クラシック音楽(ドヴォルザーク交響曲第9番)などで見せ場を強調する。沖田総司を世に知らしめた当時の劇、それの再現という設定の演技なのか、そもそもの演技力なのか判然としないが物足りない。またTG公演としてTシャツ、Gパンという服装には違和感を持った。
この劇団、バリアフリープロジェクトとして、車いす席の確保、視覚障碍者用の音声ガイド生放送などの対応をしてくれる。上演前もその旨、しっかり伝え多くの人が観劇できるような工夫や条件整備に努めており、感心させられた。
次回公演も楽しみにしております。
沼田宏の場合。
グワィニャオン
シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)
2018/06/15 (金) ~ 2018/06/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
「12人の怒れる男」へのオマージュ、日本にも陪審員制度があったらという架空設定の法廷劇「優しき12人の日本人」(三谷幸喜作)を連想したが、本公演はさらに時空間をも操作した秀作。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
セットは横に並べられた陪審員席、その中央上部に白布で覆われた十字架。下手側に飲み物が置かれた小机というシンプルな作り。
物語は沼田宏(享年34歳)という男が事故死し、彼の逝き先を天国にするか地獄にするか、死者の国の陪審員が評決する冥界奇譚の物語。ここは死者(天国)であることから同時代の陪審員ではなく、時代に隔たりがあり其々の人生を生き逝きてきた人々である。その背負った人生訓のようなものが、沼田宏の人生を吟味・議論していく。
先に記した「12人の怒れる男」や「優しき12人の日本人」のように陪審員は全員合意による評決が求められている。当初、天国逝きのような雰囲気であったが、冒頭失神した男の「地獄逝き」(メモ)が発端で評決が不一致になるという緩さ。さらに男が復帰し「メモ」を書いた動機を聞いたところ曖昧のようだ。議論が二転三転する中で、陪審員1人ひとりの人生が明らかになり、公正が求められる陪審員としての立場の難しさが露呈していく。また真摯に議論しているか、それを監視する裏陪審員が紛れているのではという疑心暗鬼も持ち込む重層な作り。
現代の裁判員制度における対応の難しさのようなものを思わせる。物語は喜劇的だが、そこに潜む人が人を裁く過程に関わる難しさを考えさせられる深い内容。それは時代(公演では幕末志士、有名作家も登場)や亡くなった状況等で考え方も異なる。その人達をどうまとめて評決するか、そこに生前の人間性(優柔不断や理路整然など)を描き、緩急ある会話劇を紡ぐ上手さ。その典型が陪審員6号(平塚純子サン)であり、その演技は迫真あるもの。
さらに会話だけではなく、沼田宏の死の真相に迫る実証動作。陪審員室を縦横に動き、時に某映画のアイテムを使用し小難しくなる実証シーンを笑劇にすることで物語に集中させる巧みさ。そして地獄か天国か二転三転するシーンで、白布の十字架が赤・白に変わる照明も見事な演出であった。
次回公演も楽しみにしております。
希望のホシ2018
ものづくり計画
あうるすぽっと(東京都)
2018/06/13 (水) ~ 2018/06/17 (日)公演終了
満足度★★★★
刑事事件を推理し解決するというよりは、回想劇といった印象が強い。希望の”ホシ”は犯人を示しているのであろうか。内容と照らし合わせると意味深でもある。刑事物語にしては派手なアクションがなく、むしろ情緒豊かなヒューマンドラマといった感じである。
しっかり作り込んだ美術に比べると、演技はポップでコミカルな感じもするが…。物語は特別な設定で展開する訳ではなく、どちらかと言えば時間を順々に経過させるような分り易いもの。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は民宿「ふるさと」の広間・談話室と帳場のような場所。上手に2階への階段か。あうるすぽっと という劇場スペースにしては、少し簡素の造作のような気もする。それでも民宿ということはしっかり分かるし動線を意識したであろう舞台・美術設営は見事。
梗概…7年前、男性二人が銃撃される事件が起こった。犯人と見られる人物は逃走。被害者のうち、一人は死亡。もう一人、沢木純也(野村宏伸サン)は一命を取り留めたもの、過去の記憶を失った。沢木の記憶は戻らないまま時が過ぎ、事件は未解決のまま。その沢木、民宿で働き平穏な日々を送っていた。
しかし2018年、事件が新しい展開しだした時、沢木の元に刑事がやってきて...事件の裏に隠された物語に正義が揺れる!刑事はブレる。
刑事ドラマのようなサスペンスものと思っていたが、どちらかと言えば、地方の民宿を舞台にした庶民的な人情ドラマのような仕上がりになっている。登場人物24名中、民宿の従業員(沢木を除く)、宿泊客、そして宿泊の自主映画撮影隊で14名と半数以上が事件とは関係なさそう。もっと言えば警察関係は、新たに発生した事件担当(中原・上條)と前の事件を担当していた国東、そして井口(石渡署)だけである。
7年前の事件の記憶回復は事件解決のカギ、同時にこの地で平穏な日々を送る男の思い、この2つの心の葛藤? その個人的な追想と民宿の繁忙が対比・同調しながら展開するが、その観せ方は群像劇らしくポップのように思える。
やはり人間描写とその場の情調演出は上手い。その演出を上手く表現する役者陣、しっかり楽しませてもらった。
次回公演も楽しみにしております。
小公女セーラ
Japan Art Revolutionary
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2018/06/14 (木) ~ 2018/06/16 (土)公演終了
満足度★★★★
小学生か中学生の時に読んだ世界名作全集の1つ。観ていてずい分前の読書記憶がよみがえり楽しく観劇した。正確には少し違うかもしれないが、プロジェクトマッピングを使用した視覚、心象に訴える公演であった。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)【team エトワル】
ネタバレBOX
舞台技術(特に照明)は、プロジェクトマッピング(本作では平面造作に映像描写)によって情景・情況を”美しく”観(魅)せていたのが特長だ。セットは数階段の上に館の外観を思わせるような大きな張りぼて、中央に両引扉があり場面に応じて開閉させ、奥行き感を持たせる。
物語は富豪の娘が父親と離れて学園生活を送っていたが、父の事業の失敗でそれまで優雅に暮らしてきた生活が一転し、それまで親しくしていた人々の心も豹変して…。どん底の生活にありながら人のことを思い遣る、セーラの勇気と希望を高らかに謳い上げる。小説に忠実な展開であるが、文字だけではなく目と耳を楽しませる劇、それもミュージカルテンタテインメントとしての醍醐味が味わえる。
この原作はハッピーエンドになるが、現実にはそうならない悲惨なニュースが流れる。本公演、間違えれば「人への思い遣り」「自分自身の信念」といった表面的、俗説的な内容になるところであるが、現実社会における虐待などの悲惨さが「思い」「信念」といった言葉に重みを持たせる。もちろん演劇の面白さを堪能しつつ、現実社会への対応にも思いを馳せさせるような内容であった。
次回公演も楽しみにしております。
ピース
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2018/06/13 (水) ~ 2018/06/17 (日)公演終了
満足度★★★★
21日間の疑似家族を演じことで目覚める”実の家族への思い”というヒューマンドラマ。この芝居の面白さは設定、そしてその場所・状況をきめ細かい演技で具現化させているところ。また舞台美術はシンプルであるが、観客に配慮しつつ観せる工夫をしているのが良(酔)い。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは船上…光景は板状のものを吊下げ、微妙に揺らすことで船の動きを表す。中央にテーブルとBOX椅子がいくつか置かれているシンプルな造作である。船上という様子は、役者の動きにも”揺れている”という演技に現れている。上演後、秋葉舞滝子女史から揺らす動作は、やり過ぎると観客が船酔いを起こすため(手加減)調整が難しかったと聞いた。
政府の国家プロジェクトとして、船上で21日間疑似家族を演じて、その結果データを分析したいというもの。一度乗船すると途中で役割放棄できない、そして成功報酬が魅力的という設定である。始めのうちは見知らぬ同士ということもあり、ある程度距離を置いた接し方であったが、時間の経過とともに打ち解けてくる様子が微笑ましい。さて、集められたメンバーはお笑いタレント、トラック運転手、スナックのママ、主婦、美術の高校教師、引籠り大学生といった関連付けが想像できない人達である。冒頭、厚生労働者と総務省の官僚から本プロジェクトの趣旨なりの説明があったが、あまり理解出来なかった。この疑似家族に与えられた命題が鮮明でなかったことから、表層的には面白可笑しく観たが、物語の”芯”を捉えたか心許ない。
物語の柱を別にすれば、登場人物の背景は丁寧に描かれ、それぞれの関係性を幾つかのシーンで繋ぎ人間味を出すところは巧い。先に記した舞台美術のシンプルさは、それだけ役者の演技力がないと情景描写が伝わらない。その点、船上を意識させず、疑似家族という与えられた役割(柄)の人間性の深堀りと関わりを通じて、分かり合える心の温かさを感じることができた。緩々とヒューマンドラマ的に流れるところであるが、そこに唯一、船上を意識させる遭難?シーンを持ち込む。21日間という期間と同時に限定された場所であることを再認識させ、改めて物語に集中させる演出は上手い。
冒頭は21日間の疑似家族体験が終わり下船するシーン。ラストはこの冒頭シーンへ回帰するが、それまでの軽妙でコミカルなタッチから劇画調へというイメージを持った。別れを惜しむ、その哀感とこれからの人生への活路が見い出したような余韻が素晴らしい。
次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾弐『白煉〜びゃくれん〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2018/06/06 (水) ~ 2018/06/11 (月)公演終了
満足度★★★★
虚実綯い交ぜの保元の乱・平治の乱を背景に、源氏と平氏の若き棟梁が武士の世を築こうと模索する物語。日本史の史実を物語として分かり易く描いているが、さらに当日パンフは丁寧な解説(家系図や相関図等)を加え楽しませてくれる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは源義朝の屋敷であり、朝廷を思わせる造作。基本的には縁側または廊下と庭のような場所の高低差を利用し躍動感を表す作りになっている。横に展開させた作りは、舞台と客席の間に大きなスペースを空け殺陣等の動きをダイナミックに観せようと工夫している。
平安時代末期、朝廷(政治)における権力闘争に武士という集まりが巻き込まれ、いや積極的に関与することで武家社会の足掛かりにする。その姿を源義朝と平清盛に担わせている。この2人が保元の乱で協力し、平治の乱(公演では誤解による謀反のような)では敵対していく。時の権力争い(天皇家と摂関家)を背景に、時代に翻弄される漢(おとこ)を情感豊かに描く。争いは都で起き、舞台では炎が上がる戦禍として描いているが、そこに住む人々の暮らしは蔑ろであった。もちろん、庶民は登場しないが。
物語は先に記した権力抗争とそれに巻き込まれた武士という、特別な世界観である。時代絵巻AsHは、伝わらない”史実”の隙間に男たちの”物語”を想像させる。その観せ方が実に上手い。政治は市井の暮らしに影響を与えるが、その政治主導権争いは多くの人々の暮らしに関係ないところで行われる、という現代にも通じるもの。その批判的な視点と”物語”としての面白さ、そのバランス感覚が優れている。本公演の背景は「貴族の世」から「武士の時代」への過渡期であり、それゆえ”乱”という見せ場はあるが、それぞれの視点で描いていることから”史実”としての分かり難さはあった。
卑小かもしれないが、源義朝(黒崎翔晴サン)と平清盛(森ひであきサン)の衣装が気になった。例えば義朝が派手(桃色)な模様の上衣を羽織る、清盛が着流しのような着物姿に違和感を覚えた。場所設定が判然としないところもあるが、例えば大内裏のような場所では相応しくないような気がするのだが…。
次回公演を楽しみにしております。
鏡の星
劇団あおきりみかん
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2018/06/08 (金) ~ 2018/06/10 (日)公演終了
満足度★★★★
近未来の宇宙旅行、現実の時間と場所から距離を置くことによって、逆に客観的にある出来事が浮き彫りになる。脚本担当の鹿目由紀女史が、チラシに2018年3月、文化庁の新進芸術家海外研修制度でイギリスに行って、他文化に触れた驚き新鮮さといったことが書かれていた。本公演にもその刺激・影響のようなものが表れていた。また演出を外部の小林七緒女史に依頼し2人の化学反応のような公演が出来上がっている。
物語は、宇宙旅行と称した国家政策のような、大きな世界観などが比喩的に描かれた秀作。
自分では少し気になる、というか疑問が…。
(上演時間2時間) 【2018.6.18追記】
ネタバレBOX
ネタバレのようで恐縮だが、気になることを記してしまう。弓月(川本麻里那サン)がミラー星に残って子を産む決断をする。この星で育児はできるであろうが、その後この星で”人間”として生殖できるのか。
さらに、この子は地球にいる時に人工授精で授かったという。主人公が震災で家族を亡くした悲しみ、家族を成したいという気持から愛情なき人の子を宿す。"愛情”ない”生殖”、確かに自分の子、家族を持つことが出来るだろうが、何か釈然としない。物語の社会性のような世界観の広がりは感じるが、未来に広がる人間そのものの世界はどうなるのだろうか少し心配、不安に思った。
【2018.6.18追記】
物語の設定は40年後という近未来にしており、現実と距離を置くことによって現代社会にある問題・課題を近視眼的になることを避けている。しかし、地球に相似したミラー星での出来事や宇宙船-影法師船内の人間関係やロボットとの関わりは、どうしても現実問題を直に連想してしまう。この宇宙船に乗っているのは日本人ばかり。集まったのは東北、熊本という地震被災地、沖縄という基地問題、さらには愛知という南海トラフを連想させる人物を登場させる。未だにしっかりした対応がなされていない地域ばかり。さらにロボット法の成立。ロボットの存在を認めつつ、他方違和感・差別感を抱く感情、そこには色々な意味での人間差別が垣間見えてくる。もしかしたらイギリス留学で他文化に刺激されたことと、欧州における移民問題にも関心を持ったのだろうか。そんな問題意識を感じさせる骨太作品であった。
しかし観せ方はポップ、コミカル調で面白可笑しく物語に引き込まれる。物語内容(脚本)と演出の充実感が心地良い。”搭乗”人物の背景が語られ、その心情が豊かに描かれる。それは船内にあるミラーのような枠の中で独白するような形で綴られる。その苦しい胸中を癒してくれる人、そしてロボットも製造した博士にメンテナンスという形でケアしてもらう。悩みは1人では抱えきれず、相互理解のような関係を築くことが大切。それはミラー星で出会った自分自身(ミラー)を通じて知ることになる。異文化を知ることは改めて自国のことを知る、再認識することに繋がるのだと…。
さて、このプロジェクトの真の狙いは国策にあり、その成功のためには多少の犠牲はやむを得ないという怖い側面もあり、ミラー星の人達の正体も明らかになる。空想劇の中に社会風刺を織り込ませており、色々と考えさせられた。
次回公演を楽しみにしております。
幕末疾風伝MIBURO~壬生狼~
TAFプロデュース
かめありリリオホール(東京都)
2018/06/08 (金) ~ 2018/06/10 (日)公演終了
満足度★★★★
「生きる」とはを考えさせる時代劇。時代に翻弄されながらも誠実に生きようとする新選組隊士、一方平和な時代に生きることの意義を見出せない若者。エモーショナルな激しさ、ユーモアとドライな視点で観客の心を揺さぶる。
しっかり伝えようとする歴史フィクションは観応えがあった。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台は殺陣・剣舞・アクションスペースを確保するため、作りはシンプル。それでも骨組みだけの櫓を左右対称に設置し、その間に半円形の障子窓(和風)がある。
梗概…現代、明治期に絶滅したと言われているニホンオオカミを探すため、イヌ岳に入山し遭難した兄・妹。妹は一週間後に救助されたが、その間に経験した出来事を日記に残し、それを基(治療用)に回想する。兄・妹が再会したのは幕末の京都。兄は新撰組の八番隊長になっていた。妹は弟と性別を偽り入隊し、新撰組の盛衰(約4年、池田屋事件→分裂騒動)を目の当たりに見る。現代と回想・幕末期の時間の流れの早さが異なる。浦島伝説のように物理学で言うところのウラシマ効果で観せる。
明治維新から今年で150年。時代に翻弄されながらも、生きる価値を模索し続けた漢(おとこ)達をマジックリアリズムの手法で描く。タイト「MIBURO」は、新撰組の屯所があった場所。その暗殺集団と恐れられた新撰組を狼-ニホンオオカミに準えている。現代、「生きていく意味」に向き合うことを見失っている。本公演は新撰組の生き様を通じて、生きることへの価値・意義のようなものを、娘の体験を通して伝える。
物語は文献史ではなく記憶史として、個人の視点から描いている。真のサムライを夢みた隊士=その大志という大きな国家感と、二幕目に出現させる遊郭、花魁との遊興は人間臭さを感じさせる。その鳥のような俯瞰=社会観と虫のような地べた=庶民感の対比する見せ方も面白い。返り血をあび業火に焼かれても、赤い夕焼けを見ると明日は良い天気、希望が持てるような気持になる。その気概のようなものを持ち、生きることの喜びが伝わる内容である。
最後に、殺陣と剣舞を分けて観せる。またその演出として刀が交わる音響、幾何文様の照明など舞台技術も印象的であった。
次回公演を楽しみにしております。
フランケンシュタインー現代のプロメテウス
演劇企画集団THE・ガジラ
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2018/06/07 (木) ~ 2018/06/13 (水)公演終了
満足度★★★★★
「人間とは」、それを問うような無限に広がる心の世界観を描く秀作。可視化が難しい、いや出来ない人の心の中を家族や周りの人間関係を通して覗き込むような不思議な感覚。物語は不穏・不安にさせるような雰囲気の中で重厚に展開していく。
ある心理学者は、人は一般的に快を求め不快を避けると思っていたが、それだけではなく不快極まりないと分かっていても、敢えて向かう執拗な傾向が人間にはある”という。自分は不快は好まないが、本公演は別の”深い”を堪能した。
(上演時間2時間15分)
ネタバレBOX
客席はL字型ひな壇で舞台を半囲い。舞台は1798年の北極圏を目指す船内。古いテーブルと古机その上には地球儀が置かれ、壁際には姿見がある。全体的には薄暗く不穏な感じがする。物語は重層化された劇中劇、語りは日記を回想するような展開で、いつの間にか観客(自分)を物語に導き溶け込ませる導入手法は見事であった。
梗概…北極探検隊の隊長・ウォルトンの日記(手記)という形式。ウォルトンは北極点に向かう途中、北極海で衰弱した男性を助ける。彼の名はフランケンシュタインでウォルトンに自らの体験を語り始める。フランケンシュタインは大学の専攻とは別に生命を自在に操ろうという野心の下、”理想の人間”を創ろうとする。それが神に背く行為であると自覚しつつも墓を暴き人間の死体を手に入れ怪物の創造した。しかし創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの家族等を次々に殺害するが…。そして長い話を語り終えたフランケンシュタインは、ある願いをウォルトンに託し船上で息を引き取る。
ちなみに作者は男装した女性、その性にどう向き合い正直な気持になるのか。現代的にも通じ気になる。
一見、難解で抑圧されたような雰囲気は不快のように思えるが、自分は別の”深い”というか可視化が難しい心の中を覗き込んでみたいという衝動に駆られた。重層した物語の不思議な時空間、そこに在るであろう幻影をどう炙り出すのか。精緻にして魅力的な台詞や幻想的な舞台空間の作りに感心した。
例えば、神を認めないことは不完全な人間、自分の存在-自分を知る者がいなくなった時に、自分をどう証明するのか、という心の咆哮が聞こえるようだ。また夜中の語りという状況下、隠微な雰囲気を漂わせる。その中で蝋燭の火-ランタンは幻想的であり、実に上手い心象形成であった。照明は群衆と個人または対話時における照射を使い分けるなど印象的な観せ方は巧み。闇と寂寥そして残酷な感触をしっかり描く。
公演タイトルは「フランケンシュタイン-現代のプロメテウス」で、人間を創造したという共通点を並列している。その創造の動機や過程が違うことは、現代におけるITに向かう姿勢そのものに投影し警鐘を鳴らしているようだ。
時空間を行ったり来たりさせながら、主人公はフランケンシュタインなのか怪物なのか。つまりどちらの視点から捉えた”心”の中、深淵なのだろうか。自分が観えたのは狂気のような…。それを演じた役者の体現こそが驚喜であった。
次回公演を楽しみにしております。
レイニーレディー
ことのはbox
シアター風姿花伝(東京都)
2018/06/06 (水) ~ 2018/06/12 (火)公演終了
満足度★★★★
「雨」がキーワードであるが、公演初日も雨であり情緒的な印象を持った。現実にありそうな展開であり、身近な問題として興味深く観させてもらった。
(上演時間1時間40分) 【Team葉】
ネタバレBOX
セットは、中央に段差と2階部を設けそれぞれ公園や病院の屋上等をイメージさせる。上手側は喫茶店内、カウンターやテーブル席がある。下手側には生垣とBOX椅子。空間の配色は、中央部は灰色(道路や建物)、一方喫茶店は木製の温もりが感じられるもの。この配色は物語の展開、演出に大いに関わっている。
梗概は雨が強く降る、ある日のこと。櫻井玲子は婚姻届を出しに市役所に向かう途中、信号無視をした車に轢かれた。そして足が動かなくなった。車を運転していたのは、広告代理店勤務の春田みゆきで、連日連夜の残業でぼんやりとした意識の中運転していた。赤信号だと気付いた瞬間には手遅れだった。2人のレディーに降り注ぐ絶望の嵐。彼女たちを取り囲む家族・恋人・友達の悲喜交々のシリアスヒューマンドラマ。
身近に起きそうな出来事を正面から捉えた物語。幸福の絶頂から不幸のどん底へに落とされた玲子(篠田美沙子サン)のやる瀬無い気持、その捌け口を加害者のみゆき(田中菜々サン)へぶつける。一方みゆきは事故後、2年経過しているが精神的ショック、玲子の激感情に耐え兼ね心療内科へ通院している。被害者は非のない自分が受けた仕打ちへの苛立ち、加害者はそれに真摯に対応すればするほど苦しくなる。その情景・状況が痛いほど伝わる。
みゆきを心配する恋人や喫茶店の人々。さらには心療内科の医師、看護師の助言が救いであるが...。喫茶店・吉村店長(加藤大騎サン)が自分の過去を語ることによって みゆきを励ます件は抒情的で心が打たれる。この温かさは舞台美術で引き立てられているようだ。被害者の「恨むことで生きられる」という俗体としての姿、一方加害者でありながら「生きることに疲れた」という側々とした姿を対照的・印象的に描く。その両者の心情を舞台技術(照明の諧調や雨音の音響)が情緒的に表す、実に上手い演出である。演技は限られたスペースで車いすの操作をするのは難しいであろうが、実に巧く操っていた。
少し気になったのは、自分の好みでもあるが探偵のキャラがお調子者すぎて浮いた感じに思えた。例えば恋人の前田隼人がみゆきにプロポーズするシチュエーションを店長やウエイトレスの夏美に協力依頼する微笑ましいシーンのような軽いノリの方が好かった。
もう一つ、初日のせいもあろうがダンスシーンが不揃いであった。このダンスシーンは役者紹介もあろうが、冒頭の玲子の結婚祝福、ラストのみゆきの幸せを暗示する、その喜び表現だけに調和してほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
あたしのあしたの向こう側
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2018/05/30 (水) ~ 2018/06/04 (月)公演終了
満足度★★★★★
再演であるが、劇場が異なると公演の魅力が違って観える。初演の劇場はd-倉庫、天井が高い特長を活かしピラミッドのような立体美術を上り下りするという動作でテンポと躍動感を表していた。今回は客席と舞台が近く臨場感がビンビンと伝わってくる。d-倉庫は客席-舞台に距離があり、まさしく観劇だが、今回の「劇『小劇場』」は役者の息遣いが感じられるほどの至近距離であり、こちらは”感劇”という観せ方になっていた。いずれにしても同じ脚本でありながら演出の違いでこうも印象が異なる作品になるところが(小)演劇の魅力であろう。それを十分に味あわせてくれた公演は素晴らしかった。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは中央に交番建物、その中に机が1つ、折りたたみ椅子が3つというシンプルな造作。交番勤務の警察官が科学雑誌を読んでいるところから物語は始まる。
時空を管理する組織(局)の誤操作により、パラレルワールドが出現する。その結果、現在の私も含め8人(同じ名前のため女1~8という番号で識別、全員が縦縞の洋服)の自分が現れる。私以外の自分の存在が理解できないという不思議感覚。そこで起こるコミカル騒動は、笑いが渦巻くにも関わらず哀切を感じてしまう。選択が違った結果、ベクトルが拡散し勝手な会話(思い出話)になる。過去に選択した結果が今の私...しかし、今の私はやりたいことが分らない(明確にできない)。恋人と思っている人との関係も進展しない。もどかしく思う過去の自分たちが今の私を叱咤激励する。
女優8人が同一人物であるにも関わらず、個性豊かに”私”もしくは”自分”を演じる。特に女8(前田綾香サン)の存在感には圧倒される。この女優陣を始め、取り巻く登場人物の生き活きとした演技力がこの公演の魅力だと思う。
時事ネタとして安保法が絡んでくる。初演時は安保法(案)であったが、今回は成立しており成立前後の違いを表す工夫をしている。恋人が自衛隊員で後方支援として海外派遣されているが行方不明になり帰還していない。
現実には派遣活動に関する日報の紛失(実は存在の隠ぺいか)、さらに憲法論議まで行われている。何となく嫌な風潮の昨今である。その時事ネタをサラッと織り込む深さも巧みである。
次回公演も楽しみにしております。
連鎖の教室
甲斐ファクトリー
OFF OFFシアター(東京都)
2018/05/30 (水) ~ 2018/06/03 (日)公演終了
満足度★★★★
社会問題になっている「いじめ」がテーマ。分かりやすい展開、内容的にはニュース等で知らされる典型的な組織(学校)対応、家庭環境などが描かれ興味深く観劇させてもらった。物語の展開は「ソロモンの偽証」(宮部みゆき著)を連想させるところもある。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台は高校の教室内、スチール机・椅子が並び下手側に黒板。正面に出入り扉と窓ガラスというシンプルな造作であるが十分雰囲気は伝わる。
梗概…何気なく慕っている教師に友達の行いを喋ったところ、それが原因で友達が教師から注意された。そのことを恨んだ友達が いじめを始め出した。それを苦にして登校拒否になり、果てには自殺してしまう。今度は いじめをしていた生徒が、いじめに加担していないという主張する生徒に いじめ出される。生徒の中に いじめを見て見ぬふりをしたのは いじめをしていたのと同罪であると言い出す。そしてその生徒にも いじめが…。
憎しみも悲しみも、鎖のようにつながっている連鎖の教室。救われたのはその教室に天使がいたこと。
関係悪化や不安定な状況になると多数の側に組するほうが安全・安心という傾向になる。その立場から排他的な動き、他者への不寛容な行動をとるという典型的な展開であった。現実の”いじめ”に関するニュース等では、学校の体面・隠蔽、家庭環境の悪影響が言われるが、本公演でもその内容を指摘している。
さらに「いじめ」=世界各地の紛争等に関連付けて負の連鎖を断ち切ることの重要性を説いている。しかし、学校でのいじめと世界で起きている紛争を同一に並べて語ることが出来るのだろうか。物語では天使の自己犠牲のような形で不幸な連鎖を断ち切ったようだが…。それを紛争等にどう適用できるのだろうか。そもそも個人の犠牲で解決することがどうなのか疑問である。主体的にいじめに向き合うという姿勢ではない。
天使の犠牲でいじめが無くなったようだが、その平穏な日々も長く続かないような、そんな暗示もある。いじめをしていた生徒が改心し、その背中に小さな天使の羽根が…。人の悪意ある心、その芽がまた見えてくるという怖さ。
演技は熱演で物語の世界観を形成していた。それゆえテーマ(少し強引なところもある)を鮮明に体現しており観応えがあった。また校長のいじめを隠蔽するシーンは、多少コミカルにして現実と距離を置くことで、より不誠実さが鮮明になるという巧みさに感心した。
次回公演も楽しみにしております。
大正浪漫に踊る~天空を翔るハイカラ姫たち~
劇団Brownie
小劇場B1(東京都)
2018/05/30 (水) ~ 2018/06/03 (日)公演終了
満足度★★★★
テーマは現代にも通じる"女性への応援劇"といったところ。「大正浪漫を生きた実在の人物と史実、フィクションを織り交ぜた大正浪漫喜劇」という謳い文句で繰り広げられる物語は分かり易く、そして楽しめる内容になっている。設定等に矛盾するようなところもあるが、日本史学習をする訳ではない。公演は上演後、近くに座っていた小学生らしき子が「あー面白かった!」という言葉に端的に表されていると思う。
(小)演劇界は商業的に厳しいということを聞くが、このような子供も大人も楽しめる公演によって活況になればと思う。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
この劇場の特徴である二方向の客席ではなく、客席と演奏者席(キーボード、ヴァイオリン)にしている。セットは段差を設けただけで、基本的には素舞台である。衣装や髪型は大正時代を思わせるもので、特に女学生は襠高袴、束髪(そくはつ)ではないがリボンを付け雰囲気を出している。
梗概…舞台は下田歌子が校長を務める「広尾女学園」。女学生達は、恋・勉学・芸術など自由な空気の大正浪漫を謳歌していた。そんな中、3人の大柄な転校生がやってきたことから、平和な学園が一変する。ある日、在校生の江良嘉代の代わりに平塚はる(後の「らいてう」)が誘拐される。次々に起こる事件に仲間が巻き込まれだしたことから、大正のハイカラ姫達が立ち上がるが…。
主人公の平塚はる(百瀬歌音サン)は無気力、無関心、無感動のように学園生活を送っていたが事件を通じて人間的な成長をしていく過程が描かれる。これは歴史的な人物を介して女性だけではなく、切っ掛けがあれば男女問わず開眼・成長することを示唆しているようだ。
物語は実在の人物や史実を織り交ぜた虚実綯い交ぜのフィクション。年代や登場人物の相関関係は辻褄が合わないが、それよりも現代に通じるテーマ”女性の社会進出”が鮮明に描かれている。登場する女性は、板垣退助夫人の絹子、下田歌子(現在の某女学園=劇中では「広尾女学園」の創始者)、鳳(与謝野)晶子、江良嘉代(加代)、市川房枝(演じたのは小学5年生と紹介されている)等、自分でも名前は知っている人達である。大正時代を背景にして、女性の活躍を暗示させる内容。しかし100年ほど経った現代においても女性の社会進出等が声高に叫ばれる。例えば、世界経済フォーラムによるジェンダー不平等状況を分析した「世界ジェンダー・ギャップ報告書」では、ここ数年日本は100位(対象国140国強)あたりである。
何人かがいくつかのシーンで言い直したり、噛んだりしていたのが気になり勿体無かった。また、役者間の演技力に差があることが分かってしまうのが残念であった。それでも先に記した子供も大人も楽しめる公演は好かった。
次回公演を楽しみにしております。
あたみ殺人事件
獏天
Geki地下Liberty(東京都)
2018/05/29 (火) ~ 2018/06/03 (日)公演終了
満足度★★★★
「熱海殺人事件」(つかこうへい作)は多くの劇団で上演しており、特徴を持たせないと陳腐化して見えてしまう。本公演(脚色・演出 イデヨシフサ氏)では配役を男女逆にするという試みだ。発想的には面白いが、それを表層的な観せ方だけではなく、内容にその特長をどう落とし込むか。そのことによって独自性が生まれると思うのだが…。
(上演時間1時間45分) 【アマゾネス編】
ネタバレBOX
セットは大きな両袖机。その上に黒電話や調書が置かれている。冒頭は大音量で流れる「白鳥の湖」のBGM、そして受話器を握り大声で喋っている木村伝兵衛カトリーヌ部長刑事(木許舞由サン)の立ち姿はお馴染みのもの。あたみのシーンは2階部や取り付階段で演じるなど工夫を凝らしている。
物語は警視庁の木村部長刑事が あたみの殺人事件の概要をなぞりながら、その過程で事件の底流にある社会問題を抉るものと思っていたが、その場景は弱い。つかこうへい のペンネームの由来と言われている”い つか公平 にを”意識させる描き方が弱く、物語に深みのようなものが感じられなかった。
原作は在日への人種差別への思い、故郷を追われた慟哭。また性への偏見差別、職業・職場、社会進出における男女差別、権力至上への揶揄など、色々な問題・課題を浮き彫りにしていた。一方、人が感じ持つ優しさ、哀しさ、孤独などの人間讃歌とも受け取れるシーンの数々。容疑者を一流に仕立て上げることで、事件の底流にある本質を炙り出すという醍醐味があった。
確かに先に記したようなオープニングシーンや、新任刑事に渡す書類を床にわざと落とし、木村が「拾ってください」という台詞、木村が成長した犯人を花束で何度も打ち据えるシーンなど、この作品の名物となっている部分は取り入れており、表面的には面白い。
つかこうへい の思いは、やはり役者の演技力という体現なしでは伝わらない。特に主人公の木村部長刑事の力強く凛とした姿と愛嬌ある仕草、富山県警から派遣されてきた熊田留刑事(吉留明日香サン)の野望と哀切、そして木村部長刑事の男娼的存在の水野朋和刑事(汐谷恭一サン)との遣り取り。容疑者・大山金子(林彬サン)の哀歓。役者は熱演であるが、その人物像が抱えている人間的な深み、さらにはその人々が直面している社会情景・状況、そこに内在する問題や課題が描けていない。それが人物に反映出来ていないことが人間的魅力の欠如になっていると思う。
表層的な観せ方も大切でその試みは十分伝わるが、原作の意を表した脚本、それがもう少し反映された脚色になっていれば…。
エンゼルウイング シングルウイングズ
Sky Theater PROJECT
駅前劇場(東京都)
2018/05/31 (木) ~ 2018/06/03 (日)公演終了
満足度★★★★
自分自身に正直に生きようと模索する姿、それを家族との関わりの中で見出していくヒューマンドラマ。同時にあの時こうしてい"たら"、こうしてい"れば"という「たら・れば」という誰しも一度は思ったことがある願望がある出来事を通じて鮮明になる。
観せ方は、この現実とは別にもう1つの現実が存在するというパラレルワールドのようであり、また時空間を往還するような生活(世界)が繰り広げられる。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台は矢野家。この矢野家の娘・夏子の2011年と1995年を往還することで自分自身に正直に向き合う姿を描く。2つの時代はもちろん東日本大震災と阪神淡路大震災の年であることは解る。さらに室内の壁に「伊勢志摩」「白浜」のペナントが飾られ、昨今話題になっている「南海トラフ」を連想させる怖さ。
セットはどちらの時代もリビング。ただし1995年は、まだ父が家業の電器屋を営んでおり戸を開けると電気製品が置かれているという丁寧な見せ方。2011年は母と2人暮らし、幼い頃に父を亡くし母と二人暮らしをしている夏子は体調を崩し、今後の仕事や暮らし方に悩んでいる。1995年は父は生きているが母は亡くなっている。離婚して2人の娘と実家に戻りと他界した母の変わりに父の世話をする主婦の夏子は順調と思っていた娘達との関係が実はうまく行っていないことに気づく。別の時間軸、違う人生を生きる夏子と夏子。その2人の私がある日の地震を境に人生を交換するが…。
人は何らかに縛られて生きている、それが家族という”関係性”の中にある。家族に心配をかけたくない、家族(娘達)のためという思いが相手に伝わらない。自分自身を見失い、自分勝手な行動が回りの迷惑や重荷になることが分からない。そんな自分を変えることができるのは自分だけである。それを2つ時代を往還して客観的に見つめる。心を解放し本音で語ることによって信頼できる関係性を保てる。大学生の長女・優羽(佐伯さやかサン)の縁談をコミカル・シリアスに描くこと、その短期間で人間の喜怒哀楽がしっかり表現させる演出は巧み。
2人の夏子の情報交換の手段がノートというところは情緒があって好い。時空間が違うからインターネットのような電子機器は利用できないと思うが、そのような現代的な手段を利用すると興醒めしたかもしれない。
演技は登場人物のそれぞれの立場や性格を立ち上げ、バランスよく演じており安心して観ていられた。また2つの時代は登場人物だけではなく、照明(暖色を諧調)で違いを表しており上手い。
次回公演も楽しみにしております。
寂しい時だけでいいから
劇団フルタ丸
浅草九劇(東京都)
2018/05/30 (水) ~ 2018/06/03 (日)公演終了
満足度★★★★
住宅展示場で繰り広げられる幻影、幻想(偽装)家族の団欒物語。主人公が見る幻影を通して「孤独」や「家族」の問題が浮き彫りになって行く。その観せ方はユーモアの中にペーソスが感じられる、そう人生の哀歓を思わせる不思議な公演。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台は理想のマイホームが並ぶ住宅展示場。セットの中央はダイニング、楕円形のテーブルに椅子、上手側はベランダが見えるガラス戸、下手側は別スペースとして子供部屋であり屋外の喫煙スペースを現す。正面上部に住宅展示場の警備員の詰め所があり事務机が2つ置かれている。所々に観葉植物が置かれ高級感溢れる仕様の展示場になっている。
梗概…この住宅展示場の警備員・林トキオ(宮内勇輝サン)は仕事にあまり責任も誠意も持たず唯々諾々とした仕事、生活態度である。日中の賑わいが消えて住宅展示場という街が闇に包まれ、孤独なトキオは展示場を歩く。
ある日、煙草を喫うため先輩からもらったマッチを擦ると、夜中にも関わらず展示場に明かりが灯る。そこでは家族の楽しい語らいがあり、いつの間にか自分も招き入れられて…。
現実と幻想の世界が交差し、心の内にある混沌とした感情が…。可視化できない感情は、それまでの暮らしぶりと現在の展開し出した生活の間に表れる思索と諸相によって浮き彫りになる巧みさ。実家とは距離を置き、帰省もしないトキオが幻想家族の一員であることで心の安らぎを覚えている。もちろん仕事振りにも好影響が出てきた。
家族は単なる遺伝子で繋がる人の集まりと言ったシニカルな捉え方のようにも思える。表層的にはマッチを擦ることで現れる幻影は、「マッチ売りの少女」を連想させる。マッチ売りの少女は金銭的な貧しさ、一方トキオは心が満たされない貧しさという「物」「質」の違いはあるが、どちらも救いがあれば…。そんな寂しさにホッとした安らぎを思わせる公演であった。
また、先輩警備員・岩切(フルタジュン氏 作・演出)と展示場の来訪客が大学の同級生であり、就職活動を通して生き方の違いが説明される。そこに人間が持っているちよっとした意地悪、嫉妬、羨望等が垣間見えて先に記した可視化できない”心”というものが見えてくるような気がする。とても意味深であり観応えある作品であった。
次回公演も楽しみにしております。
はこぶね
劇団おおたけ産業
新宿眼科画廊(東京都)
2018/05/25 (金) ~ 2018/05/30 (水)公演終了
満足度★★★
何気ない集まりが、段々と新興宗教色を帯びてくる。ある出来事によって人々の生身の人間臭さが浮き彫りになってくるブラックユーモア。
(上演時間1時間25分)【Bチーム】
ネタバレBOX
素舞台、ときどき腰高の棚のような所に座るなど単調にならないような工夫が観られる。場内は明るい淡色で、現実感・生活感がなく浮遊感に包まれている。シーンに応じて衣装を変えるなど、室内に変化がないだけに観せる工夫は好かった。
物語はヨガまたは精神修養の教室のような集会に連れて来られた女子大生・鳩山(石井智子サン)が戸惑いながら、言われたポーズをするところから始まる。この冒頭シーン、数人に囲まれ強要ではないと言われるが暗に断れない雰囲気にさせるところは、新興宗教の勧誘を連想させ面白い。その光景を後押しするように、タイトル「はこぶね」に絡め旧約聖書の「ノアの箱舟」が朗読される。雰囲気は宗教色を帯びているが、実際は友達感覚の緩い集まりである。たまたまリーダー的な男・庵野タロウ(藤原拓弥サン)が人の前世が分かるという特別な存在として描かれる。グループ内の女・烏丸(西出結サン)がタロウを教祖のように別次元へ押し上げようと「メシア」「ガーディアン」などと言う独特な呼び方を始める。一方「グル」など別の呼び方をする者も現れ、チグハグな会話が緩い笑いを誘う。
鳩山は自分が見る夢とタロウがいう自分の前世がリンクしているようで、気になっている。タロウと2人で外出・散策しながら聞きだす姿がデート・恋愛に発展しているように誤解される。鳩山の友達感情と烏丸がタロウに抱く特別な存在の感情、鳩・烏の白黒感情が衝突したときに、不可解な感情が沸き起こり「悪魔」呼ばわりになる。普通に存在するようなグループが何かの拍子にカルト集団に変容する。それは判断、決断しない人々が回りの環境、状況、または風潮、雰囲気といった抽象的な事柄で流されてしまう危うさ、怖さを面白く観せている。
内容的には面白いが、籠められた”思い”のようなものがフワッとしてインパクトが弱く感じられたのが勿体無かった。好みとしてはもっとエッジが利いたほうが良かった。
次回公演を楽しみにしております。
Silent Majority
劇団龍門
サンモールスタジオ(東京都)
2018/05/23 (水) ~ 2018/05/27 (日)公演終了
満足度★★★★
人生の”羅針盤”はどこを向いているのか。目標、夢に向かっていく経路は人様々、その道筋をたどる羅針盤は自分自身の選択と決断に委ねられている。自分の人生だから当たり前かもしれないが、時に悩み苦しむことがある。それをいくつかのシチュエーションで描き、全体を優しく包んだような公演。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
本公演は「羅針盤」(2015年)の再演。セットも同じような作りで、後景に鉄道の陸橋、客席寄は事務所(探偵事務所または取立屋)内で事務机・椅子が置かれている。上手側が事務所出入り口、下手側はゲイバーの休憩室といった設定である。
探偵事務所にはインコ探し、アイドル(または女優)の悩み相談など千差万別な依頼事が舞い込む。さらにゲイバーの4人の生き難い世の中や心の葛藤、数千万円をかけて整形手術したゲイバーママの割り切った人生訓、ハリウッド俳優を目指す若者の不安定な精神状態、取立屋の更生姿などが、オムニバスのように描かれているようだ。表層的には先に記したシーンを交錯させて1つの物語として構成している。観せ方はある程度悩み事などの小話が完結し、次の話に繋がる展開である。テンポよく感じるのは映画のカット割のようにシーンごとのメリハリが利いているからだろう。
人生の究極…「生」と「死」の狭間にあるのが悩み苦しみ等であり、何かを選択することだろう。そのキッカケの手助けになっているのが探偵事務所(イメージは悩み相談なども行う何でも屋)での独白・激白。後景(陸橋上=自殺)が「死」、前景(事務所内=快活)が「生」といった描き方で、それら全体に見える全景が人生の選択といった構成で巧い。
底流にある筋は、元刑事が悪徳刑事の後輩を裏切り刑事事件にして服役させたこと。そのため刑事を辞め探偵事務所を開設、そして出所した元刑事の復讐が…。彼ら自身もそれぞれの立場で生き方を選択している。この元刑事同士の演技が緩い笑いとビターな味わいと深みが感じられ良かった。他の役者も登場人物をデフォルメして演じているが、その心内は十分伝わる熱演であった。
卑小なことかもしれないが、「人生はやり直せる」「人生から逃げない」などの台詞は、あえて言わなくても劇中に溶け込んでおり、十分伝わるのではないか。劇として骨太感を観せるためかもしれないが、逆に教訓臭のようなものが出てきてしまうのが残念であった。
ラスト、陸橋の上から主宰の村手龍太氏が、この物語には主人公がいないと言う。劇中の人物一人ひとりの選択を描くと同時に、観客に向かって貴方の人生、どう生きるかの選択は貴方自身で という投げ掛けが…。
次回公演も楽しみにしております。
「ムイカ」再び
コンブリ団
駅前劇場(東京都)
2018/05/25 (金) ~ 2018/05/27 (日)公演終了
満足度★★★
贅沢な空間…場内の半分近くを舞台にし、客席も隣席との間隔を広くしゆったりとしている。この空間で心象劇のような世界観の広がりを持たせるようだ。何となく読み聞かせのような感じもする不思議な公演であった。
(上演時間1時間30分弱)
ネタバレBOX
舞台は素舞台に近い。真ん中に真ちゅう棒のような物を立たせ、三角形の頂点のような所に台座の一部が繋がっている。登場人物によって台座が半円を描くように動かされる。台座に座るまたは寝ることによって、そこが自宅内であり病院内のベットの上といった情景をイメージさせる。場内はモノトーンで落ち着いた雰囲気に包まれている。衣装…色を感じさせない白い服は「過去」であり「死」、赤など色彩鮮やかな服は「現在」であり「生」を連想する。時の経過の中に生・死が淡々と描かれるようだ。
物語の概要を記すのは難しい。公演タイトル「ムイカ」は広島への原爆投下の8月6日を表しているが、その投下によっての影響を感じることは出来ない。もちろん投下の是非を問うような説明もなく、ある家族の視点から断片的に語られる話。それが語りかけといった印象を持たせる。祖母が孫に地図を見せながら原爆投下地点を説明する。それは自宅が原爆地から離れており、原爆による影響を受けないこと。原爆被害のあまり好くない風評を気にしているような語りである。それは醒めた客観的な見方。
物語は終戦から数年後と現在を往還するような展開で、明確に何かを訴えるという描き方ではない。どちらかと言えば、原爆投下の事実を家族(孫)に聞かせることによって、孫に考えさせるもの。それは孫への語り=観客への投げ掛けのようでもある。”8月6日”という日を回想する記憶の情景、その”思い”を想像させる。観客の想像する感性、情景によって世界観の広がりと深度が違ってくる心象劇である。
その観せ方は抽象的であり自分の感覚に合わなかったのが残念であった。劇を通して、もう少し制作(劇団)側と観客が”思い”のキャッチボールをしても好いと思う。その意味でもっと伝えるべきことを明確に打ち出した方が良いのではないか。
次回公演を楽しみにしております。
通る夜・2018
劇団芝居屋
劇場MOMO(東京都)
2018/05/23 (水) ~ 2018/05/27 (日)公演終了
満足度★★★★
普遍的なテーマ「家族愛」、それも父の死によって気づかされる深い愛情を、庶民という観点で観せる好公演。現実にいるであろう等身大の登場人物が心情豊かに描かれる。そして芝居屋らしい丁寧な舞台セットの作り、安定した演技力は観ていて安心する。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台は、ヘラ絞り加工を専門とする霧島製作所の事務所内。上手側は出入り口、入ってすぐ応接セット、下手側は自宅への通路、事務机が置かれている。正面にはスケジュール表や掲示板。
梗概…霧島製作所の社長霧島宗一郎が入院して数日であっけなく他界した。そして自宅で息子の一郎を喪主に宗一郎の通夜が営まれた.。通夜の段取りは初めてのことであり戸惑いと不安な気持ちが上手く表現されている。さて、この家には娘・霧島寿々子(増田恵美サン)がいるが、亡父と確執があり通夜にも来ないようだが…。
通夜という一夜劇。通夜の手伝いをする従業員や近所の人などが帰った後の事務所内。中小企業、いや零細企業かもしれないが、そこは日本経済を支えている人々の暮らしが垣間見えてくる。まさしく芝居屋の「覗かれる人生芝居」というコンセプトが浮き上がってくる。妻が亡くなり、仕事も忙しく娘と触れ合う時間が持てない情けなさ、不憫さが伝わる。 一方、娘は父から相手をしてもらえず見捨てられたという思いを抱く。幼心が傷つき、早くに家を出て生活を始める。思い出を手繰り寄せ、父の思いを知ることによって…。通夜に現れた娘は喪服ではなく、水商売風の派手な着物姿。父の”真情”を知り「あの人」から「お父さん」という呼び方へ変わる、娘のこみ上げる”心情”が切ない。その体現は、幼稚園時の遊戯会で歌って踊った「アブラハムの7人」を着物姿で跳ねるように踊る。やるせない気持が痛いほど伝わる。
亡き父は登場しないが、通夜に集まった人々の思い出話を通じて、不器用、頑固一徹といった人物像が立ち上がってくる。それは家族、従業員、取引先、隣人などが遺影に向かって献杯し独白する。そこに父、社長、ご近所といういろいろな顔が見えてくる。
また通夜という慌しさが踏切音や救急車のサイレン音に共鳴しているかのようだ。いつの間にか終電になり、始発までの静寂な時間帯で交わされる心魂震える会話、そして始発電車が走り出すという時間経過の表現が上手い。
少し残念なのが、娘が一人遊びする場面を写真に収めていたことが兄嫁を通じて明かされるが、その写真姿が見えないこと。説明台詞だけではインパクトが弱く感情を揺さぶるまでにはならないこと。
次回公演を楽しみにしております。