タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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本能寺夢絵巻 慚愧伝

本能寺夢絵巻 慚愧伝

夢劇

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

この物語は”夢物語”でもあり、それを慚愧と捉えるか。 そうであれば、自分などは慚愧に堪えないことが多すぎて…。
この劇団は未見であり、当然、戦国三部作はこの「本能寺の変」だけを観劇した。その印象は表層の事象は史実通説として描き、「本能寺の変」の謎を異聞として独自解釈し展開する。その発想、視点が面白い。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、二段構造で上段が(回)廊下、真ん中に階段を設え、後景は障子という和風作り。客席寄りは空間を作り中庭イメージであるが、もちろん殺陣アクションのスペースを確保するもの。

梗概…謎の人物が老人に向かって「本能寺の変」を回想して聞かせるという展開。
表層史実は、劇はもちろん小説・映画などで描かれる「本能寺の変」であるが、サブタイトルにある”本能寺夢絵巻”がこの公演の見所を支えている。信長・秀吉・光秀という三者三様の夢、そして夢かどうかは別にして成し遂げたいこと。その実現に向かって戦いを挑む。その果てを「本能寺の変」に帰結させる発想は面白く、それを迫真の演技で観せる。展開は、序盤が少し冗長に思えたが、後半になるにつれて引き込まれる。

戦国時代=殺戮の繰り返し。その怨嗟を断ち切るという壮大な夢物語。信長は武力をもって「天下布武」。「武」には「争いや戦いを止める」という意があり「七徳の武」…暴を禁じる 戦をやめる 民を安んじる 財を豊かにする等があるらしい。それを光秀の台詞として説明する。秀吉は出身から広大な土地を持ち、飢えを無くしたい、光秀は戦乱なき静かな世。信長近習の森蘭丸が思う、先の3人とは違う天下国家感の夢よりもう少し卑近な夢(叶えたいこと)?がこの「本能寺の変」の異聞。同時に具体的な夢が描き切れない光秀の苦悩が、現代日本の閉塞感ある状況下に通じるようでもあるが…。

夢は、信長正室・帰蝶が子を産めないことの苦悩への回答として、信長が一緒に夢適え育てていこうと諭す。信長の気性の荒さと優しさ、秀吉の機転と狡猾さ、光秀の実直さなど人物描写も上手い。演技(殺陣アクション含む)、照明(障子の影姿も)、音響(和太鼓等の生演奏)など、観(魅)せようと工夫しているところは好感が持てる。

次回公演を楽しみにしております。
プライムナンバーセブン

プライムナンバーセブン

teamDugØut

d-倉庫(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

現在と高校時代を往還させ、過去の忌まわしい出来事への復讐といったノアール劇。嫌悪感が半端ない物語、逆にそれだけ素晴らしい公演である。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは2階部を設け、1階では主人公ハルオが素数の研究と称し、パソコン製造にある仕掛けを施している作業場であり執務室。2階上手側はハルオの妻、そして寝たきりの愛人がいる部屋。真ん中にロボットスーツ、下手側に別スペース(ハルオの弟アキオの部屋のようだ)。

梗概…ハルオは高校時代に苛めにあっており、そのトラウマを抱えている。一方、弟アキオはそんな兄を軽蔑していた。時は流れ、ハルオは何時しか数式に秀でてパソコンの製造を生業にしていた。そのパソコン名は”プライムセブン”であり、盗撮機能を内蔵している。これによって人の弱みに付け込むなど、人格破壊へ陥れていくようだ。高校時代に苛めていた旧友の金銭的弱みに付け込み奴隷化する。また弟を廃人同様に追い込む。弟の恋人を無理やり自分の妻にする狂気。

一方、高校時代の苛めの1つ、ブスで誰にも相手にされないクラスメイトとキスをさせられる。その女は自分自身を変えたく整形外科へ。男・女ともに苛めという過去に囚われ鬱屈した人生を歩んでいる。整形で顔を変え、キスされた男・ハルオの事務所で働く女・サダコ。現代と高校時代を往還し人格変貌を浮き彫りにする。
また、ハルオが販売しているパソコンを購入したイソノ家の出来事を狂覗する。そこでは表面的には平穏を装う家族がいるが、心底では胡散臭いことを考えている。物語全体で人間の内面、ドロドロとした厭らしさを抉り出す。まさにノアールの真骨頂である。

パソコン、数学の難問(素数など)など理屈で生き、個人情報の不正取得、情報操作など現代社会に潜んでいる恐怖を垣間見せる。他方、復讐・横恋慕など人間の感情が奔流しているようだ。人間は「理」だけでは御せず「情」との間で揺れ動く”狭間の狂気”、それこそが人間が持つ本質を突いているのではないか。この難しい表現を、役者陣がしっかり熱演しており観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
「幸福の黄色い放課後」

「幸福の黄色い放課後」

オフィス上の空

萬劇場(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

高校の放課後という限られた場所と時間に関わらず、いつの時代にも見られる普遍的な青春の1ページが刻み込まれている。「観たい!」にも書いたが昭和時代に青春期を過ごした自分でさえ、あぁそんな会話をしたなと懐かしく思える物語。
(上演時間1時間30分) 【3-B初日】

ネタバレBOX

舞台セットは一段高くした場所を教室内に観たて、椅子背もたれを客席に向け教室後方から眺める感じ。周りは回廊形式で校外をイメージさせ、その外周は昔の板塀を思わせる。

物語は高校の放課後に交わされる会話。教室内はいくつかのグループで談笑している光景。文化祭や体育祭など行事絡みのイベントでなければ全員で話し合うことはないだろう。その意味で2~3人で話す光景はリアル。チャイムが鳴り、シーンが変わるが、それぞれに章立てサブタイトルがある。
始めは、教室内の後ろから眺めているが、いつの間にか180度転換し教室前からの光景になる。同じ教室内の会話が観点を変えることで違って観える。後ろからでは分からない光景、例えば会話に加わらない人物。友人の会話に関心があるのか無いのか、読書をして無関心を装っている姿が浮き上がってくる。

さらに時代設定の曖昧さ。いやスマートフォンが用いられているから現代であるが、ノストラダムスや震災(阪神淡路大震災、東日本大震災など)の台詞が聞かれるが、時代背景を鮮明にしないように思える。それは時代を越えて、ある意味普遍的な高校の放課後光景を連想させようとしているのではないか。授業から解放され、自由な時間・関心の話題、そこには何処にでも居そうな典型的な高校生像が立ち上がってくる。その姿は世代を越え、ある郷愁を誘うことで、観客を物語のいずれかの人物に同化させ感情移入してくる。

他愛ない話題…DV彼氏の話と同情・憤慨する友人、髪型(パーマや前髪切り過ぎ)とそれを揶揄う友人、才能ある友人と自分の比較、そして恋愛と嫉妬話など今でも交わされる話題だと思う。また学校に来ずバイトに精を出さざる得ない学生など、取り留めもない話、日常繰り返される、何の変哲もない情景に生きている実感が湧く。それを役者が生き活きと演じる。生命を宿し、教室内をダンスするシーンはまさに未来に向かっている姿のようだ。
次回公演を楽しみにしております。
はこづめ

はこづめ

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2019/01/12 (土) ~ 2019/01/14 (月)公演終了

満足度★★★★

”パンク-ロック”という表現が似つかわしいような公演。舞台は近未来を思わせるが、内容は反骨精神、粗削りと言った雰囲気が漂い、自分には懐かしく既視感のようなものがあった。そう言えば映画界に「爆音映画祭」というものがあり、映像と音楽をコラボさせより映画の魅力を高める効果があると…。
さてタイトル「はこづめ」は、箱という劇場で芝居の魅力を表現し伝え、(印象に)残したいという思いを込めているらしい。この思い、劇団名のハコボレ(刃毀れ)どころか鋭い切れ味(感性)を示していたが…。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台は荒廃した星。登場人物は廃品回収・処理が生業のロック好きの青年、廃品から何でも作る技術者。そしてある惑星から来た音楽家の3人。それぞれの特徴が舞台配置になっている。下手側にロック好きの青年-ドラム、上手側にアンテナ、諸々の機械類が置かれている。この配置はバンドの基本”隊形”で中央にボーカル、上手側・ギター、下手側・ドラムの立ち位置であり、それぞれの思惑が蠢く。

梗概…出身が異なる三者が出会い、音楽を教える代わりに宇宙船を修理する約束をする。互いに協力していたが、不穏に鳴り響くサイレンの音によって仲違いが…。3者にはそれぞれ隠し事があり、相互に絡んだ関係にある。その謎(問題)が露呈した時の思い、それは自分の気持と相手を思い遣る気持の間を揺れる、遣る瀬無い思いが熱く伝わる。

先に記したが、近未来の設定ながら昭和の時代を感じさせる。惑星の間に過疎星と過密星?という格差が生じ、例えば金星等は上位星になるという。その上位星の人々の気まぐれ娯楽で、下位(屑)星は消滅させられる運命にあるという。その消滅景色が愉悦を覚えるという厭らしさ。ラストのロックを奏でるシーンは、弱肉強食の経済社会への皮肉、体制への反骨といった構図のようで、ある時期の日本の若者風潮に通じるところがあるような…。この結末のままで良いのか、もう少し掘り下げた展開が好いのか。自分としては”音楽抵抗”のままでは既成の展開で面白み、印象が弱い。出来れば近未来の姿を借りて現代にある課題・問題を浮き彫りにし、もっとアイロニーを出してほしかった。

役者は3人のみ、21~22歳の同世代の若者が熱演。音楽が熱演(まさしく爆音演劇)に拍車をかけ、熱い思いがしっかり伝わる好公演であった。次回公演を楽しみにしております。
oboroge

oboroge

劇団ピンクメロンパン

シアター風姿花伝(東京都)

2018/09/05 (水) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★

異様な雰囲気、不思議な世界観を醸し出している公演。チラシでは「異色かつ定番、スタンダードなトリックプレー、怖くて可笑しい作品」としているが、タイトル「oboroge」は”朧気”のようであり実体が掴みにくい公演であった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台は白いモールがカーテンのように横展開で吊るされている。板は変形菱形のような台座が左右に置かれ、その上を駅ホームや室内に観たてる。張りぼての慰めのような世界。薄っぺらい自分、いや自分が何者かも分からない空虚さ。

梗概…私は、気が付けば古びた洋館におり、記憶を取り戻すためにそこに住み始めた。洋館の雰囲気は不気味で、そこで働く人々は奇妙な言動をする。怪しげな言葉の1つが、開けてはいけない部屋があると。そう言われると興味が湧き、そしてある存在と対面するが…。
物語は自分・女1:岩崎千尋(律人サン)の心の彷徨を本の世界へ姿を変えて展開する。その表現は、開けてはいけない部屋は、2つの世界を繋ぐ空間。現実なのか妄想なのか、パラレルワールドのようにも思えるが、1人の人間に内在する苦悩・問題等であれば同一時空にあるもの。その不思議な感覚がこの公演の見せ場であり魅力かもしれない。

さて、自分は第29回池袋演劇祭参加作品「量産型ガラパゴス」も観劇しているが、こちらの作品は世界観の広げ方と暗部を抉り出すような急転に驚かされた。それに対して本公演はこじんまりと女性の心象劇に止まったように思えた。もちろん世界観の壮大さで比較するのではなく、「oboroge」では千尋が心の彷徨をする確固たる理由付け、その果てに得たもの学んだことが解り難かった。人の心という主観だけを深堀しても観えてくるものは限られ、その周囲・状況などの客観的な事柄を同時並行して描き補強することが大切だと思う。

役者の演技は繊細かつ熱演であり、舞台技術(特に照明効果)は妖しく朧気な雰囲気をしっかり醸し出していた。その意味では空間処理は見事である。
次回公演を楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.10

昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.10

昭和歌謡コメディ事務局

ブディストホール(東京都)

2019/01/11 (金) ~ 2019/01/14 (月)公演終了

満足度★★★★

昭和期に青春時代を過ごした自分には、この「昭和歌謡コメディ」は懐かしく、そして楽しい公演であった。それがソバ屋シリーズファイナルとあって残念だな~と思っていたが、2019年9月から新シリーズが始まるという。安堵とともに新たな楽しみができた。
(上演時間約2時間 第1部55分・第2部50分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

この公演の構成は、基本的に1部が芝居、2部が昭和歌謡・ダンスになっている。これは公演のコンセプトが、お笑いと歌が融合していた昭和の時代のTVバラエティの熱気を、当時の公開放送の雰囲気で再現させることにあるため。

第1部
ソバ屋シリーズは、舞台が築地(笑福寺門前)を背景にしていることから、現実の築地と豊洲の関係を重ねてシリーズファイナルにしたようだ。市場移転に伴う客足が減少し、この老舗ソバ屋”ひろや”、近所の商店などの存続が危ぶまれる。そんな状況下にも関わらず昨年5月以降、店主ヒロトシ(江藤博利サン)は行方知れず。ところが突然帰ってきて妹まるみ(白石まるみサン)の結婚相手を見つけ、店の売却まで決め…そのドタバタ騒動の末に幸せが…。とにかく安心して楽しめる、その気楽さがこの公演の最大の魅力。そして脚本・演出通りなのかアドリブなのか判然としない可笑しみ。穏やかな新春に相応しい公演だ。

第2部 昭和歌謡
常連客…ファンの方たちが最前列に並び出演者と一体になって舞台を盛り上げる。いつもの光景であるが、その影響もあってか会場内が一体となって楽しむ。もちろん違和感を持つ観客もいるだろうが、自分は知っている歌謡が聞け、楽しめ満足した。何より驚かされたのが、舞台上のテープが出演者の足に絡まることを防ぐため、最前列の客(ファン)が適宜(もちろん演目の邪魔にならないよう配慮)ステージ外に取り去っている。出演者が芝居、歌、ダンスで観客を楽しませようとし、同時に観客がそれをしっかり受け取る、まさに公開放送…ライヴ感を愉しませてもらった。
今回は、後方で一番端のため、少し観難かったのが残念だったかな。

次回、新シリーズを楽しみにしております。
島田のかなまら祭りDX

島田のかなまら祭りDX

宇宙論☆講座

スタジオ空洞(東京都)

2018/12/28 (金) ~ 2018/12/30 (日)公演終了

自分はこの公演で宇宙論☆講座は3作品目。今まで観てきた内容に比べると、”下ネタ”というキャッチにしてはインパクトが弱く印象に残らない。また内容は取り留めもなく散らばりどう収拾するのかと思えば、芝居でよく見かける典型的なラスト。前2公演も同様に散らばっていたが訴える”モノ”があり、その意味で今作は少し残念。
この芝居に★を付けるのは不粋のような、よって満足度評価なし。
(上演時間2時間弱)

ネタバレBOX

上演前、役者が暗幕を持ちセットを隠しており、上手の柱に「島田くん」だけが寄りかかって寝ている。下手に機材が設置されているが、主宰の五十部裕明氏が出演したり操作のため行き来する(舞台と段差がない)。そして舞台はシーンに応じて色々な小道具が持ち込まれるが、基本的には素舞台。周りは役者の座る椅子が並んでいるが、全体的に雑然とした感じ。

梗概は、島田くんが関東3大奇祭のひとつ「かなまら祭」行く話。役者が入れ代わり立ち代わり登場し、色々な話・演奏をする、その取り留めのない展開がどう収束していくのか?何となく童貞君の性に対する妄想かなと思って観ていたが、それがそのままラストシーンに直結してしまい拍子抜けしてしまった。
確かに”観た”が”印象に残らない”という不思議な芝居。「宇宙論☆講座の強みである〖音楽〗および〖音楽的音響〗〖音楽的照明〗の力をフルに使う」という見せ方はあったかもしれない。

暮れの慌ただしい時期、笑いおさめにはピッタリで、そこは満足。しかし自分の中では予定調和のようで少し物足りない。いや下ネタが「少ない」、「無い」ということが不満なわけではなく、舞台と客席が一体化した劇場空間を活かした”濃密なもしくは洒落たオチ”、それを生演奏の音楽劇として楽しみたかったのだが…。
次回公演を楽しみにしております。
円盤屋ジョニー

円盤屋ジョニー

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

上野ストアハウス(東京都)

2018/12/19 (水) ~ 2018/12/25 (火)公演終了

満足度★★★★★

短編3本のオムニバス形式の公演。
当日パンフに作・演出の堤泰之氏が「旗揚げ以来、2時間の1本モノと3話オムニバスを交互に行って来ました。」とあり、「お客様に毎回、スタイルとテイストの違う作品を楽しんで頂きたい」と記してある。そのサービス精神溢れるような思いがしっかり作品に表れていた。
芝居であるから多少誇張した面はあるにしても、それぞれの作品は現実にあるようなシチュエーションで、思わず頷いてしまう。
(上演時間1時間45分 各作品は約30分)

ネタバレBOX

チラシにも当日パンフにもそれぞれのタイトルと粗筋が(親切にも)書かれている。
第1話「晩秋に吠えろ」
テニス教室の女性の間でちょっとした騒動が起き、隣コートのさえない男たちが仲裁のような役割を買ってでるが…。
第2話「円盤屋ジョニー」
南の島にやって来たカップルがはぐれ、偶然にも円盤屋という怪しいBarで再会するが、何とそこで繰り広げられる犯罪に巻き込まれ…。
第3話「父を叩く」
余命幾ばくも無い父が入院している病室、そこで家業を継いだ息子(長男)と嫁、そして小演劇に携わる次男が久しぶりに帰って来たが…。

それぞれは、ラブコメディ、ノアール、ヒューマンといった感じでテイストが異なる短編。そしてこの順番での上演が、違う(印象落差の大きい)テイストとして作品の持つ味(魅力)の相乗効果を高めていたと思う。
作品に共通しているのは、現実に起こり得る事柄を芝居ならではのデフォルメを施して、笑い・緊張・哀しみなど、人が持っている違った感情に揺さぶりをかけるところ。物語の内容が分かり易いだけに直接的に響き、アッという間に感情移入させてくる。脚本は繊細・絶妙。演出は丁寧で、舞台セットは順々に設えを多くし、物語間の舞台転換に時間を要しない工夫をしている。そして物語を一層面白くしているのが、役者陣の熱演とチームワークの良さ。

公演タイトルの「円盤屋ジョニー」は第2話のタイトルと同じ。そのジョニー…物語では探しに行ったが見つからない。肝心なジョニー、何らかの理由または意味があって登場しないのか、正体が気になるなぁ~。
次回公演も楽しみにしております。
還るなら、ハラ

還るなら、ハラ

張ち切れパンダ

オメガ東京(東京都)

2018/12/22 (土) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★★★

人は、多かれ少なかれ悩み苦しい時、あぁ あの時は良かったと回想することがある。この公演はそんな情景を面白可笑しく観せるハートフルコメディ?のような物語。
小学校・中学校時代などへ往還させ、その都度役者が衣装等を変え、演技の技量を観(魅)せる。普通にいる人々の日常の坦々とした暮らし、そんなあり触れた光景に、ふっと昔のことを懐かしむ思いが入ってくる。何となく「もどかしい」「たゆたう」心情、物語はそんな思いが漂流し何処へ行くのか。この公演、言葉で説明し難いことを上手く表現し伝える、そんな芝居ならではの魅力溢れる作品であった。

初めて行く劇場であったが、新装オープンしてから間もないらしい。そしてこの公演は「オメガ東京オープニングフェスティバル」参加作品という。2018年師走、個人的には色々あったが嫌なことは忘れ、おめでたい所でハッピーいや癒やされるような気持になれたのは良かった。
(上演時間1時間55分) 2018.12.27追記

ネタバレBOX

舞台は賃貸住宅の一室。ほぼ中央にダイニングテーブルとソファー、その後ろに飾り棚が見える。中央奥に玄関に通じる扉、下手側はキッチンへ通じる出入口。ここは あかり(中島愛子サン)が借りているが、兄の家が火事になり一時的に同居している。

梗概…あかりは36歳、最近会社を辞め起業(パッチワーク教室)をしたが、生徒が集まらず焦り気味。そんな あかりの所に学生時代の友人が遊びに来る。それぞれの人生を歩んでいるが、情緒不安定な時にあの頃は良かったなと懐かしむ。中学時代、高校時代を回想するかのようだ。一方現実は、何とか生徒を集めようとWebデザインを凝らしたり工夫をしている。この部屋に出入りする知人等との交わりを通して心の平静を保っているような。

物語に特別な結末を用意している訳ではなく、30代半ばの女性の恋愛観、仕事観という個人の思い、それに寄り添うように家族・友人との関係を繋ぐ。人生は自分のもの、しかし1人で生きていくことは出来ない、そんなことを思わせるような構成である。舞台はその両方の観点をバランス良く観せ、そして伝える。身近な人物が遠慮なく本音を言う。そこには観ている観客も頷いてしまうリアリティがある。人が時として持つ、モヤモヤとした感情を実に上手く表現する。文字、言葉にして説明することが難い内面や人との関わりの機微のようなものが、あぁそうだなと納得してしまうような表し方である。

登場する人物は、主人公あかり だけではなく、それぞれに違う問題を抱え悩み・不安な気持でいる。役者陣はその多様な人物像をしっかり立ち上げ、ポップ調であるが内面の微妙な感情表現を巧みに演じていた。ランドセルを背負ったり、セーラー服になったりする妙着替え。公演は人間讃歌のような描き方で、その最たる喜び…あかりは妊娠しているが、その相手は誰、そして現実は…。クリスマスシーズンに相応しい心温まる作品であった。
次回公演も楽しみにしております。
私が死んでも空は青い

私が死んでも空は青い

空想実現集団TOY'sBOX

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2018/12/19 (水) ~ 2018/12/23 (日)公演終了

満足度★★★★

オムニバス形式のような感じもするが、最後はうまく回帰させた心温まる物語。チラシにも書かれているが「魂の救済」…物語は「生」と「死」の狭間で彷徨する魂を昇天いや昇華させていくが…。プロローグにあたるシーンは、少し説明調で緩いテンポのように思たが、本編部分に入るや否やどんどん引き込まれるほど観応えのある作品。
(上演時間1時間50分) 2018.12.24追記

ネタバレBOX

セットはシンプルで、中央後景に階段状の絵、その前に櫃のような物がおかれ、その両側に衝立がある。下手側奥に階段があり、場景は地下室であり土の下を表している。
物語は亡くなっても、まだ現世に未練があり成仏できない魂を救済するというもの。概観は死者の世界であるが、冒頭のダンスシーンは生者として生きている喜び、躍動を表しているようだ。

梗概…死神(外観はテディベアの姿という設定)と女子高生の出会い。”ここは何処と彷徨う””女子高生に死神は見えない。見えない理由、そもそも此処にいる理由等を説明する件がくどい。後々この場面があったことなど忘れさせるほど2人は自然に話し合っている。そして20年前にあった3つの話に繋いでいく。
1つ目は、名家の令嬢とその家の庭職人のなさぬ恋、2つ目は養護施設で育った仲良し3人組の哀れ、3つ目は苛めにあっていた女子高生とその子に寄り添う女子高生の思いのすれ違い。それぞれに未練を残して亡くなったが、その魂を昇華させるというもの。人のためという美しい生き方は良い。が、自己犠牲=自己満足になっていないか?など含蓄ある台詞も魅力的だ。

冒頭の死神と女子高生がストリーテラーとなって、2つ目以降の話を牽引する。もちろん冒頭シーンは物語全体の状況設定を説明する重要な場面であり、ラストシーンへ繋げ収斂させていく。この物語の魅力は、分かり易い展開、観客の心を揺さぶり続けるところ。それをオムニバス的構成で次はどうなるのか興味を持たせ、想像力を掻き立てさせ物語の中へグイグイ引っ張り込むところは巧い。

役者は人物像を立ち上げ、心情豊かに表現していた。ダンスシーンで全員登場しているが、以降は死神と女子高生の2人だけが全編に関わり、それ以外の役者はそれぞれの話の中で存在する。あの世の世界では時間感覚がなく間隔もないことから往還もしないのだろうか。その割り切った観せ方が物語を分かり易くしていたと思う。
演出は、特に照明が印象的。人物へのスポットライト、その立柱照射のような照明効果によってその時の心情が浮き立つようだ。見事でした。

次回公演を楽しみにしております。
happiest

happiest

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/12/14 (金) ~ 2018/12/18 (火)公演終了

満足度★★★★★

みどり人は、2018年 この新宿眼科画廊(東京都)で3公演行っており、すべて観させていただいた。本公演は、日常という身近な世間話に、人が持つ「孤独」と「触れ合い(ふれ愛)」といった感情、その計り知れない人生観を取り込んだ滋味溢れる内容。少しネタバレするが、某劇団の活動という等身大の設定である。また、いくつかの小ネタが仕込まれており、それを物語にしっかり取り込む巧みさ。
3公演に共通した魅力は、人間観察をしっかり行い、人の感情や心情をシャープに切り取って観せる、その面白さである。その脚本・演出をしっかり具現化していたのが役者陣、実に観応えのある作品であった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、入口反対側の奥に古アパートの一室、その部屋の中は乱雑で寝に帰るだけといった場所。他に布切れを縫い付けたBox。
ラストの舞台転換は見事で、後述する見た目(ピンク色のカーテン=女性)という先入観を指摘している。

梗概…部屋の住人・丸茂照実(そぎたにそぎ助サン)は独身、職業は警備員、楽しみは演劇鑑賞という平凡な暮らしをしている。少し変わっていると言えば、蜘蛛の巣に興味を持っているところ。一方、この男が贔屓にしているのが、「劇団ビリジアン」(小ネタかと思った)で、劇団公演に向けて活動している様子が描かれる。
また、丸茂の隣人・表駆流(山﨑由布子サン)はFemale to Maleという設定で、別の意味で孤独を感じている。この丸茂・劇団員・表の生活を交錯させ、それぞれの持っている悩みを浮き彫りにする。特に「孤独」と「触れ合い」といった反対の心理、その心の機微を上手く表現している。

台詞から、この場所は東京。そこで身寄りのない丸茂と表が触れ合う。2人とも敢えて孤独を求めている訳ではなく、触れ合いの機会が少なく、積極的に交際範囲を広げることもしない。自分の居心地の良い世界観にいる、その自然体は頷ける。もう1つ、外見という、こちらは目に見える悩みであり不安である。表はもちろん、劇団内では団員間の役柄争い、人間関係を通して見栄えを気にする。本公演の人間観察は、目に見えない「感情」と見える「外見」の奥深さを探り抉ったところ。見事であった。

小ネタと思ったのは、みどり人=「劇団ビリジアン」(緑色の顔料の意)であり、同劇団の公演日程は、本公演同様(上演後、作・演出の さいじょうゆきサンに確認したら笑いながら頷いていた)。また丸茂の死因は、興味を示していた虫の名が…。
最後に、この回だけだと思うが、2役の辻川幸代サンの 嗚呼勘違い?笑い?の台詞が(ある意味貴重)…。
次回公演も楽しみにしております。
夜の来訪者

夜の来訪者

劇団Player's World

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2018/12/14 (金) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

物語はラストでどんでん返しするという典型的なミステリー作品。しかし、公演そのものがミステリーで誰が何のためにという疑問を観客に投げかけていた。

説明には「夜の来訪者」---J・B・プリーストリーの傑作ミステリー戯曲(1946年)を、劇作家・内村直也が日本に紹介するべく舞台を戦後の日本に置き換えて翻案し、と書かれている。当日パンフには内村直也(1976年作)と書かれているから、日本の高度成長期を背景に書かれた作品のようだ。

この公演の魅力は、高度成長を通じて、いや現在でも顕著な貧富、格差問題が根底にあり、それをある家族の一夜を通して痛烈に批判するところ。その見せ方は、人の知りたいという知的好奇心を刺激する”推理”という手法を用いているところが巧み。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

セットは、中流家庭のダイニング・リビングルームといったところ。上手側にテーブル、その上に飲食物。壁際に食器棚、中央奥が別室への通路、下手側客席寄りに応接、サイドボード、玄関に通じるドアになっている。現代であれば携帯電話等を使用するが、本公演では屋内の固定電話を使用していることから年代は推し量ることが出来る。さて、女中はいるが大社長の邸宅ではないな~。

梗概…説明から、秋吉家の娘の婚約者を招き結婚前の食事会を開いていた、ある大会社の社長一家。幸福でいっぱいの家族のもとに、一人の刑事が訪ねてくる。刑事は、自殺したある女性について、事情を聞きにやってきた…というもの。秋吉家の両親、娘その弟、娘の婚約者はそれぞれに自殺した女と知り合いという、出来過ぎた設定。
いくつかの違和感(身分確認、事実確認など)が結末に先回りし、聴収内容も後々綻んでしまい興味は半減。とは言え、刑事の事情聴収という、一種の緊張、緊迫感を漂わせる雰囲気で進む。時に感情が高ぶり大声で、時に咽び泣きなど人それぞれの反応が異なる。その濃密な演技は素晴らしい。

当日パンフに、登場する人物を日本社会、その時代の社会構造を象徴しているかのようだと。例えば父親は、資本家もしくはブルジョワを代表、娘は戦後リベラルに代表される”悔恨共同体”など、思わず頷いてしまう批評眼である。この社会的な見方と、やはり人間の心理を深く突いたテーマが共存するもの。刑事は「人間はひとりでは生きていけないのです。」そう言い残して刑事は去る。しかし、残された家族の本当のドラマはそこから始まるような、新たな電話が…。

「物語」はミステリー内容・構成であるが、この「公演」こそ誰(刑事?)が何の(不和を持ち込む)ために行ったのか、という根本の疑問を観客に投げ掛けたまま終わっている。その意味で「夜の来訪者」は観客・自分自身への”考える又は感じる”メッセージを発していたようだ。同時に、娯楽性と社会性を両立させ、推理劇としても社会劇としても観客が二重の面で楽しめるようにしている。
上演後の役者挨拶には刑事は現れず、玄関口に人影が…本当に刑事のような人物が居たのか、幻影を観ていたのでは、と考えてしまう実に意味深な幕切れであった。
次回公演も楽しみにしております。
「熱海殺人事件」「青春かけおち篇」

「熱海殺人事件」「青春かけおち篇」

★☆北区AKT STAGE

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2018/12/11 (火) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

【青春かけおち編】
「昭和」という時代を彷彿させる熱い芝居。もちろん、劇中で流れる曲も昭和歌謡曲であり自分には懐かしく思えるものばかり。
さて、結婚を反対されたり、何か障害があるわけでもないのに“かけおち”という古典的な愛の行為に出た恋人たちのその後を面白可笑しく描いた物語。つか作品では未見の作品で楽しませてもらった。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

ほとんど素舞台。そこを縦横無尽に駆け回る熱い芝居が展開される。

梗概…冒頭は映画「卒業」シーン、 花嫁を奪って逃げるような場面から始まる。主人公・原口康夫は実家の板金工場で名目だけの社員で給料を貰い、写真家気取り。その康夫は恋人の北城セツ子の家で気ままな生活を続けていた。そして康夫は、実家の相続権は弟・義郎に譲り、セツ子と結婚して北城家の婿養子へ。北城家は代々女系家族でセツ子は一人娘。セツ子の母や父は康夫の婿入りを望んでいた。そんな時、セツ子に見合い話が持ちこまれ、相手は年商30億を商うという貿易商の早乙女。彼は15年間もセツ子を思い続けていたという。早乙女の態度に感動し、セツ子も早乙女とデートを重ね心を動かされていく。状況打破のため康夫とセツ子は”かけおち”するが…。

見所は”かけおち”した先、駆け落ち旅館・花鳥風月でのドタバタ。追い詰められた状況下で見えてくる相手の本音と本性、そのギャップを乗り越えて真に解り合えるという喜劇的寓話。
淑やかと思われたセツ子の豹変ぶり、ヘビースモーカー、平然と放屁する姿に唖然とする。一方、優柔不断であった康夫も自己主張し出す。その2人を周りの人々(家族)が思惑を孕みながらも優しく包み込むような心温まる展開。今となっては古き良き時代?=昭和の家族的団欒がしっかり描かれる。

ちなみに、つかこうへい と言えば何らかの強烈なメッセージが込められていると思うが、本作品は敢えて言えば”家族制度”であろうか。女系家族、長男が婿養子へという拘り、そして孫に女の子が生まれた途端、義母が冷淡になる、など落ち着かない展開を思わせる。

最後に役者陣は役柄にはまり、物凄い熱量の演技を観(魅)せてくれた。熱演だけにセツ子役(浅野鼓由希サン)は少し声枯れのようで聞き取りにくいシーンがあって少し残念。
次回公演を楽しみにしております。
あゆみ

あゆみ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/12/15 (土) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★★

初日観劇。
平凡な女性の一生を8人の女優で紡いでいく物語。演出(池田智哉氏)は、1人の女性を表出するため丁寧にしかも抒情豊かに描いていた。もちろん、時間の流れ、女性らしい成長過程も観て取れる。そこは「人間」という括りではなく、あくまで「女性」を意識した展開で、あぁそうなのかと納得しそうだ。
脚本、演出は良かったが、演技が少し硬く平面的のような(悪くはないが)…。

(上演時間1時間30分 途中休憩1分_飲み物、ストレッチ時間)【てくてくver】

ネタバレBOX

囲み客席、舞台は張り合わせカーペットを敷き詰め、中央に一段高くした2畳大の台座。冒頭、出演者は丸椅子を持って四方の客席前に2脚ずつ計8脚を置き、それぞれ違った楽器(ピアニカ、リコーダー等)を演奏し出す。
劇中歌は「さんぽ(歩こう 歩こう わたしは元気♪)」など懐かしく、また物語に添った上手い選曲である。

梗概…1人の女性の生涯を全員のキャストで紡ぐが、まずは立ち歩きの”一歩”が記される。小学校・高校・就職・結婚・出産そして老後を”あゆみ”という道程に時々の心情・情景を織り交ぜる。その平凡なエピソードの積み重ねを観客自身の記憶と重ね合わさせて心を揺さぶるという巧みな構成。四方の客席に沿って歩く姿が”あゆみ”であり、中央の台座は、年齢を経ても家族・家庭といった拠り所になっているようだ。

この見せ方、例えば時の経過は学校とか就職という状況で説明されるが、さらに記念撮影でのフィルムカメラ、デジタルカメラという時代間隔で想像させる。照明にしてもシャッターに合わせてフラッシュ閃光のような変化をつけるなど細かい配慮が好い。また1人の女性を全員で演じることから、全員が白っぽい衣装を着て個人を特定させないような配慮。しかし、女性主人公の心理状態など心情変化にも対応できるよう、同色だが、デザイン等は異なる工夫を施している。

総じて若い役者の演技は、元気ある躍動感で清々しいが、人の一生の歩みは同一ではない。年齢を取れば歩みは遅くなり、例えば施設(病院)に入所しているであろう主人公が散歩(認知による徘徊か判然としない)の歩み幅など。また子供連れの時は子の歩みに合わせると思う。
時代(学生、OL,母など)ごとの心情表現の変化があまり見られない。主人公が母親になった時、自分と母、自分とその子の3代に亘る関係の変化が見られない。そこは幅広い年齢層の役者が演じれば、作品の奥行きが増すかもしれないところ。
初日ということもあるのかもしれないが、少し硬く、深みある女性描写に乏しかったように思えたのが残念。内容的には面白く楽しめる作品である。
次回公演も楽しみにしております。
群盗

群盗

劇団俳小

d-倉庫(東京都)

2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

冒頭は劇中劇のような感じで、陽気な若者たちが居酒屋で将来談議、談笑しているような場面から始まる。舞台美術は奥行きがあり、将来という時間空間を表し、タイトル「群盗」として行動する場所的空間をも表しているようだ。もちろん、主人公カールの出身地・家にも関係してくる。上演時間2時間30分(途中休憩15分)と長いが、原作・フリードリッヒ・シラー、脚色(菊池准 氏)はもちろん、演出もピアノの生演奏・歌などで観せる工夫をしている。
当日パンフにも記されているが、原作者はシェイクスピア作品に影響を受けたとあり、本公演でもその雰囲気は感じられた。

ネタバレBOX

舞台は、やや上手側に両開き扉、そこから斜めに客席側に向かって敷台のようなもの、一見変形した遠近法的造作である。冒頭はその敷台にテーブル、椅子が置かれているが、物語シーンごとに動かし情景を変化させる。下手側にはピアノ、車いすが置かれ、壁には絵画が飾られ物語で使用する物の概観を見せる。全体的に重厚な感じを受ける。

梗概…モオル伯爵の長男カールは自分の正義感を貫くため,社会の秩序や人権抑圧に反抗するため盗賊団の頭になる。しかしそれによって生じた混乱は、自分の犯した罪が原因であると認識する。世の不正と戦うために,自ら不正を行なった者の皮肉な運命が叙情豊かに描かれる。

兄弟の悪_兄カールは自分勝手な考え方、生き方を貫き通すという歪んだ人生美学、弟フランツはあくまで自分の欲望を満たすために平気で他人を犠牲にする。この芝居は表層的にはフランツの悪行が目立ち、カールが肯定されそうだが…。しかし自由を求め、仲間との信義を守るためとは言え、病人・老人・子供を多数殺す行為、だが実行直後に悔悟することもない。それこそ「無法によって法律を壊す」の表れであろう。そして「一度壊したものは、元に戻せない」とも。
さらに、カールは自分を信じ、愛してくれている婚約者アマリアさえも、仲間との約束を果たすため殺してしまう。自分の生き方に悩み苦しむ姿、それこそ人間が生きる過程そのもの。生きるべきか死ぬべきか、カールは、自死は神への冒涜と信じ思い止まり、フランツは最期に神に救いを求めるが、自死を選ぶ。
群像劇であるが、その中にあって兄弟それぞれの生き様がしっかり描かれ、”人間臭さ”を浮き彫りにする見事な演出であった。

兄弟は己の信じた道、生き方をしており、 見方によれば独善・自分勝手と思われるが、それこそが人間の本能であり在るべき姿なのかもしれない。カールの自己矛盾した生き方に気づき、それでも(仲間と)生きようとする姿、そこに滅びの美学を感じてしまう。
ちなみに冒頭、若者が理想・持論を声高にアピールする場面、それはカールだけが持っている特別性ではなく、人は誰でも内在しているということか。
次回公演を楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾参『紫雲〜しののめ〜』

時代絵巻AsH 其ノ拾参『紫雲〜しののめ〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

「白煉~びゃくれん」「水沫~うたかた」そして本公演「紫雲~しののめ」をもって平安時代末期の朝廷・公家中心の時代に武士が台頭してきた社会…その叙事詩(題材は平家物語中心)は完結したかのようだ。朝廷・公家による政治と武家社会を確立しようとする、卑近な例で言えば階級闘争または改革のような守旧・新興勢力の主導権争いといった社会情勢、その潮流に飲み込まれた人々の心情を柱に描いた三部作のようだ。
物語は人物の心情情景に重きを置き、時代の趨勢はあまり感じられない。あるとすれば、「白煉~びゃくれん」にも登場する後白河院の動静であろうか。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台美術は「水沫~うたかた」と同じ、邸内中庭といったところで客席寄りが庭で殺陣シーンに配慮した空間がある。なお、照明は明暗陰影という単調なもののように思えた。

物語は冒頭、牛若丸と弁慶の出会い、京の五条大橋の場面。それから奥州平泉の藤原家、源頼朝との兄弟再会、平家滅亡、奥州藤原家の滅亡という教科書的な史実を順々に伝える。先にも記したが、社会云々よりはその時代を生きた人々の立場と心情に重きを置いた描き方のため、時代の趨勢といったダイナミックな変化は感じ取れない。ただ政(まつりごと)の主導権、それを後白河院と頼朝の権謀術策を思わせる遣り取りは、緊迫感があり現代政治にも通じそうな蠢きを思わせ興味深かった。

全体的(三部作とも)に、悪役は登場せず立場や思惑、感情の行き違いが人間関係、特に兄弟という身内の不信感、疑心暗鬼へと深まり操られるという悲劇に向かう。前作「水沫~うたかた」同様、いやそれ以上に心情描写が厚く熱く語られ、ハンカチを握りしめる人が多く、終演後もその余韻に浸っていた様子。その意味では情感豊かな演出が上手く、それに応える役者陣の熱演が素晴らしかった。
一方、殺陣シーンは少なく、本公演に限ってみれば観たという印象はほとんどない。

公演の見所として、その時代を懸命に生きようとした男(漢or武)のロマン、主従という縦関係を別にすれば、信頼と信義という人間の尊い一面を描き出そうとしているところ。ゆえに基本的に悪者は見当たらず、立場・思惑等が人の心を支配していると…。そこに時代を超えた、この芝居の主張があるのかもしれない。
次回公演を楽しみにしております。
CONNECT

CONNECT

TEAM 6g

APOCシアター(東京都)

2018/12/12 (水) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

TEAM6g番外公演は実に面白く、最後まで飽きさせない観応えあるもの。本公演は何作か観ているが、番外公演は初めてだった。5人の男優が何役も変幻自在に演じ分ける観せ方、確かにコメディらしいが、描かれる内容は案外身近で、もしかしたら自分にも…そんな怖い事が起き得ることがある。
脚本・演出はもちろん役者の演技力が素晴らしい。舞台美術は、APOC THEATERという小空間(小劇場らしさ)をダイナミックにそしてテンポ良く観せる工夫、物語の展開を分かり易くしており好感が持てる。
自分が観た回、暗転時に少し舞台裏の物音がしたが、それも手作り感として許容してしまうほどだ(上演後、脚本の阿南敦子女史と話してその思いを感じた)。
さて、この内容、ある映画を連想してしまう。
(上演時間1時間45分) 2018.12.17追記

ネタバレBOX

舞台は2階部を設け、左右に非対称の階段がある。中央1階部には出入り口。上手上方にスクリーンがあり、冒頭に登場人物=役者紹介が行われる。そして、スクリーンを使用しての本編導入シーンは物語全体に関わる重要なメッセージ。

梗概…痴漢行為をした男が警察に捕まり、取り調べを受けるが…。満員電車内という逃げ場のない、そして顔見知りがいない状況下で、行為をしていないことをどう証明するのか。警察に捕まることで世間の目は厳しくなり、会社の人間関係の不信感、会社という組織の信頼性を守るため見捨てられるという現実。表層はコメディタッチだが、内容は極めて深刻でリアル。この事件には裏があり、冒頭のシーンへ。そして姿は現さないが、劇中にたびたび出てくる人物が鍵を…。個人的にはブラックコメディの傑作だと思っており、再演を希望することから詳細は省略。

良く練られたプロット、5人の俳優で多くの人物を演じ分け、状況・情景を分かり易く変化させる面白さ。ある時限を設定することで心地良い緊迫感を生み、さらに何故その電車のその車両に乗ったのかというミステリー要素を盛り込み、観客(自分)を物語の中にグイグイ引き込んでいく。また、現代世相と言えるのか。直接顔見知りではない仮想空間での出会い、いわゆるインターネットを通じた人間関係によって救われていく。そこに潜む情報過多にも関わらず孤独な現代人が浮き彫りにされる怖さ。その意味で社会劇+推理劇という二重の面白さが味わえる公演。

また演出は、山なりのような舞台の上り下りが時間の経過と場所移動という状況を作り出す。また躍動感が生まれ、心地良いテンポで展開していく。そのための役者の運動量は、想像に難くない。演技力+熱演が物語の面白さを支えていることは間違いない。
最後に、映画は「それでもボクはやってない」(2007年 周防正行監督)である。

次回公演を楽しみにしております。
『光の音:影の音』

『光の音:影の音』

あうるすぽっと

あうるすぽっと(東京都)

2018/12/07 (金) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

ろう者である南村千里が感じる音と、きこえる人が感じる音は どこが同じで、どこが違うのか。そして「光の音」「影の音」のように、誰にも「きこえない音」はどのように表現されるのか…そんな説明文であるが、”分(解)かろう”とする公演ではなく、”感じる”という印象である。全体的には身体表現、そのパフォーマンスを通して「音」を表現していたのだろうか、その具象化は難しい。
一方、明快な表現は出来ないが、”何か”があり感じるのは確か。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

「"視覚的に音を表現する可能性"を追及するアーティスト南村千里と、個性あふれる活動で注目される、伊藤キム、捩子ぴじん、aokid。 初顔合わせとなる4人が、ワークショップを積み重ね、試みを繰り返し、身体を使って、手話や字幕も舞台を彩るアイテムとして、『きこえない音』を鮮明に描き出します」とある。舞台で”光と影”が強調されていたが、光があれば影がある、その対のような関係はあって当たり前。人間は五感が働いて当たり前か?本公演の南村千里さんはろう者であるが、その分、他の機能・感性が鋭くなっているのではないか(そうでない自分には計り知れないが)。だからこそ世界中で公演ができる。例えば言葉が通じなくとも公演を成功させている例もある。

舞台内容を解ろうとしていたのか、場内に張り詰めた緊張感があった。その雰囲気を一瞬和ませる場面、敢えて客席に問いかけ肩の力を抜かせる。さて南村千里さんが冒頭とラスト、それと中盤あたりに登場するが、この一連(連続性があるのか)の登場の仕方は何かを描く、または訴えているのか判然としない。ただ何か伝えよう、表現しようとする行為であることは分かるが…。当日パンフレットにはSceneが10書かれている。

舞台上には可動式の衝立が3枚。それに照明をあて反射させたりパフォーマーを映し込んだり多様な使い方をしていた。もちろん演者はその衝立を利用しながら独特の身体表現を行うが、コミカルな動きの中に躍動感が溢れる。まさしく息づいている、生きているという実感が伝わる見事なもの。

次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 特別公演『水沫〜うたかた〜』

時代絵巻AsH 特別公演『水沫〜うたかた〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/12/05 (水) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

平家物語を題材にした時代絵巻、もちろん虚実綯い交ぜで構成されているが、今回は物語という流れよりは人物描写に重点を置いたように思えた。情緒的であり泣かせる場面、盛り上げる場面など演出は上手い。しかし、ベタな青春ドラマ…友情と武門・戦の板挟みに苦悩する若者を描いたようにも観え、少し”時代絵巻”という歴史の物語としては弱さを感じる。物語の流れか人物描写か、その観点によって好みが分かれそうな気がする。自分は前者が好み。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

邸内中庭といった舞台、客席寄りが庭で殺陣シーンに配慮した空間がある。冒頭、中庭で遊ぶ子供たちが飛石(石が八つ)を跨ぐようにしているが、何となく義経の八艘飛びを連想させる。
物語は平氏が栄華を極めた時期から後白河から平氏追討院宣が発せられ、壇ノ浦で滅亡するまでを、後世に伝わるエピソード(一ノ谷の戦い 鵯越の逆落とし 、那須与一の扇の的など)も織り込み場面を面白く観(魅)せる工夫をしている。殺陣は斬り合いというには美しすぎるもので、それまでの”心情”表現を損なわないよう配慮したもの。
また、この間に次回公演に繋がる奥州藤原氏と義経の関わりに触れるあたりは巧みだ。

物語は平氏の栄華を極めた場面、貴族との確執を経て後白河の追討院宣後、壇ノ浦で滅亡するまでを描く。しかし物語の中心は、牛若丸(義経の幼名)と呼ばれていた時、平教盛・資盛と友情を育み、知盛との信頼といった心情が厚く熱く描かれている。もちろん平家物語という流れは分かるが、平氏追討院宣が出されたのか、その経緯を切り捨て焦点を絞ったようだ。そのため”時代という社会性“は個々人の関係性に委ねられた形になり、壮大さは感じられない。

一方、時代を乗り越え、現代にも通じる人と人の繋がり、信頼関係にみる心情描写は豊かで、枳殻文様のようなモノクロ照明が舞台板に映え効果的であった。生垣に植える枳殻、源氏・平氏という武門、それが並び立つ(綺麗ごと事過ぎる?)ような武家社会を夢見た平清盛の思いは果たせず…。この心情描写はしんみり泣かせるシーンで、ハンカチを握っている人も多い。

基本的な舞台美術、平安時代後・末期における貴族と武士が登場する混沌とした時代を切り取った公演、それがマンネリ化にならないための工夫が垣間見られた。劇団そして作・演出の灰衣堂女史の試行錯誤がより高みある公演を制作しそうだ。

次回公演を楽しみにしております。
オイディプス=罪名

オイディプス=罪名

クリム=カルム

新宿眼科画廊(東京都)

2018/11/30 (金) ~ 2018/12/05 (水)公演終了

満足度★★★

観客はテ―バイの民に見立てられ、席に座りオイディプス王の登場を待つことになる。王は立ち姿で座っている観客、民を見渡すという光景である。そこで本来であれば入場券代わりの”嘆願の小枝”に見立てた飾り物を差し出すのだろうが…。大筋は覚えていたつもりだが、劇としてみると印象が違う。説明にもあったが少し前衛的なところがそう思わせるのかも知れない。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

場内は白色で統一し、壁には役者のパネル写真が飾られている。またいくつかの小物が置かれ、視点・角度によって見え方が違って見えるという科学的趣向のもの。本公演も観る場所によって演技が違って見えるということだろうか。
客席は場内中央にそれぞれ壁側を向き、観客は背中合わせに座る。正面方向の演技は観やすいが後ろでの演技は振り向くことになる。客席を回るようにして演技を行うが、とても至近距離で全体を見渡せないのが不便だ。

梗概…相当前に読んだが大筋は覚えていた。話は分かり易くするため時間を遡行させ、謎解きとして興味を持たせる構成にしていた。内容的には概ね原作通りだったと思うが、運命の悪戯、真実と絶望、悔悟と救済という心情の訴えが弱く思えた。物語の結末に一筋の光明(目では見えない)、救いがあったのだろうか。その結末部分(最高潮シーン)が曖昧で解りにくかった。

同一の役柄を他の女優が演じる、そのリレーのような人物表現の演技は一体感がなく、今どの役柄を担っているのか考えながら観ることになる。また役柄を特定させないため、全員が黒い衣装を着ている。
同一人物を複数の女優で演じる劇は何回か観たことがあるが、その時は場面の状況を違えたり、時代設定の変化等で納得するもの。本公演は時間的経過は感じられず、また状況変化は台詞説明で具現化に乏しいのが残念。演技は身体表現(パフォーマンス?)に近く、メイン(物語を紡ぐ)演技と民衆の声なき声を表現する役割が分担させているが、その交代がない。

最後に、新しい試みにチャレンジしており、その姿勢は持ち続けてほしい。
次回公演も楽しみにしております。

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