forever for ever~太陽とつばさ~
映像・舞台企画集団ハルベリー
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/01/17 (木) ~ 2019/01/21 (月)公演終了
満足度★★★★
グリーンフェスタ2019参加作品。
冒頭から華やかなダンスシーンで観(魅)せ、舞台(キャバレー)とそこで働く娘の華麗で妖艶さを印象付ける。
説明からは、ファンタジーのようなイメージを持っていたが、少し違うような結末か?そのラストへの繋がりが解り難かった。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
セットはやや上手にカウンターとボトル棚、下手客席寄りにボックスシートを置き、中央にはパフォーマンススペースを確保する。天井にはシャンデリアを吊るし、蘭花、絵画等を飾り豪華な雰囲気を演出する。また客席の一部にスペースを設え、そこでもポールダンスを披露する。
梗概…時は平成31(2019)年1月。この公演に合わせているような。キャバレー「サンライズ」のオーナー・雄一の余命はあと数カ月。そして栄華を極めたサンライズも斜陽の一途を辿り閉店間際の状態である。そんな時、つばさ(塩月綾香サン)と名乗る女が入店する。彼女は30年前(1989年)にこの店で働いていた女・陽子(2役)と瓜二つであり気になる(好意を寄せていた)。そしてこの女の存在は雄一にしか見えず、つばさは誰かの体に憑依して行動をし言動を発する。
物語はつばさと陽子の関係は?、そして雄一と陽子の出会いと悲恋になった理由が、時代を往還しながらだんだん明らかにされる。陽子は当時妊娠しており、その養育費を稼ぐためにサンライズで働くことにした。となればおのずと つばさ の正体は分かるようだが…。
物語の展開はそれほど難しくはないが、序盤の憑依騒動との関連が解り難い。この物語は最初から夢物語であったのだろうか? 謳い文句に「場沫のキャバレーを舞台に、平成最後の年と最初の年が交錯する…」とあり、一世を風靡したキャバレー「サンライズ」の栄華を背景に、淡い恋心を抱いた30年前を夢みていたのだろうか。この時代往還の関連性をもう少し鮮明にしてほしかった。
演出は、わかばやしめぐみ(おぼんろ)で観(魅)せることには手馴れている。冒頭こそキャバレー=妖艶なダンスシーンという定番であった。もちろん、女優一人ひとりの”華”を引き出し華麗な雰囲気作りが前提の公演だからであろう。そして一転して つばさが入店するシーンではミステリアスな展開を予想させる。その手腕は見事であった。
次回公演をたのしみにしております。
清少納言
千夜一夜座
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/02/08 (金) ~ 2019/02/11 (月)公演終了
満足度★★★
グリーンフェスタ2019参加作品。
子役が出演していること、その演技から上質な学芸会といった雰囲気。一方で清少納言の「枕草子」に秘められた謎という大人物語という異なった劇風の公演で、感想を書くのが難しい作品である。
ネタバレBOX
セットはシンプル。BASE THERTERという舞台空間にしっかり作り込んでしまうと立ち居振る舞いに支障がありそうで、その意味で本公演は最小必要限に止めたようだ。また平安時代における和装は優雅、華やかさを演出しており楽しめた。
梗概…現代の小学生が「枕草子」に関わるような、一転して時は平安時代中期の宮中へ遡り、清少納言が慕い仕える (中宮)定子と和歌読み競いするシーンへ。この現代と平安時代を交差させ物語は展開するが、この公演で「現代の小学生」「漫画のような家庭」の場面は何を意図したものであろうか。現代と平安時代を特定人物が往還するわけでもなく、単に時代を交差させているだけのように思える。
清少納言が生きた時代、その時に起きた「長徳の変(花山院闘乱事件)」に関わった人物達のこと、当時の状況や心情などを密かに和歌に認めたというもの。そこにはこよなく愛した人を守るために隠された真実を「枕草子」の回想章段に秘めたと解釈している。現代と平安時代の繋がりが分からないが、一種の啓蒙作品であろうか。
演出は舞台中央に一段高くした畳の台座があり宮廷内もしくは貴族の屋敷内を思わせる。現代はもちろん洋服だが、平安時代を演じる役者は当時の衣装。特に女優陣は着物姿でその立ち居振る舞いが良かった。和歌の詠み競いは、知っている歌もあり久しぶりに学生時代に戻ったように思う。当日配付された「清少納言~千年のかくしごと~」で伝えたいこと、それは「ことば」だと書かれている。その意図は、和歌の詠み競いのシーンに昇華させているようだ。
演技は、現代と平安時代を演じた役者の間に演技力の差があり、場面転換というか時代交差のたびに集中力が途切れそうになる。出来れば物語は頻繁に現代・平安時代を交差させず、清少納言が生きた時代を中心に描いても良かった。
次回公演を楽しみにしております。
陽だまりの中で
林家畳
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
グリーンフェスタ2019参加作品。
実話を基に紡いだヒューマンドラマ。物語は平成時代から昭和時代へ遡り、基本的にはその時代での時間軸で順々に進む。その意味では分かり易い展開で、観劇歴が短い人でも十分楽しめる公演である。
全体的には人情物語であるが、ときどき享楽的な場面を入れ笑いを誘っている。どうにか笑いを取り入れたいのかもしれないが、流れとしては不自然または違和感のようなものを持ってしまう。
ネタバレBOX
舞台セットが素晴らしく、ある地方都市の街角を出現させている。もちろん中心はスナック「新月」店内。上手側にはカウンター、そこにピンク電話。ほぼ中央に赤いBoxシート席、ボトル棚など調度品を設えている。下手側には後景2層部への階段や街路樹などが見える。一目で物語の設定空間へ誘われる。
また音響効果は、場面転換時に当時の流行歌などが流れ、ある年齢以上の観客には懐かしかったと思う。もちろん若い人にも聞き覚えがあるかもしれず、観客の心を掴んで集中力を逸らさない工夫は良かった。また劇中カラオケで歌うなど、雰囲気を盛り上げる。また音量で店内・外の区別、例えば鳥の囀りなど細かい配慮をしている。
梗概…蕎麦屋「新月亭」の店主が開店準備をするところから物語は始まる。暗転後、店主が高校生の時代に遡り、店もスナック「新月」に変わる。時代設定は流れる歌謡曲から”昭和”と思われる。母と高校生の息子の2人暮らし。母はスナック「新月」を営み生計を立てているが、息子は水商売を快く思っていない。高校生という思春期の反抗、何かにつけて母の行うことが気に食わない。一方、母はそんな息子を温かく見守る。特に父親がいないという負い目を持たせないよう気遣う姿が印象的である。スナックには近所の常連客や歌手志望の女、さらにはヤクザのような男が出入りする。その意味で、このスナック「新月」という場所も重要な位置を占める。
サラリーマンの他愛ない話、息子の同級生との戯れ・喧嘩・淡い恋心、歌手志望の女の悲哀、ヤクザ男の金取り立てなど、脈略なく展開されるが、そこに日々の暮らしのリアリティが表され、自然な時間の流れを感じる。ラストは父不在の理由や母の思いが手紙という形で明かされ、愛情の深さに心が揺さぶられる。
演出は、場内に入った途端、既にスナック「新月」の店内を思わせるほどしっかり作り込んでいる。BIG TREE THEATERの特長である高さを活かし、後景に街路を思わせる横長空間を作り出す。一方、店前(客席側)にも通路を設けているが、この2つの道は異空間であり、その間にある店を置くことで“街”を演出している。それゆえ、店に出入りする人々が顔見知りで会話に弾みが生まれ、生き活きとした人間活劇になっている。場面転換には当時の流行歌を流すなど観客の気を引き付けておく工夫をしている。全体的に丁寧な作りをしている。冒頭とラストが現在を現しているが、それは全体の中のほんの数分で、ほとんどは遡った時代の中で順々と時間が経過していくため、素直に展開を観ることが出来ることから感情移入がし易い。
演技は、登場人物の性格付けがしっかりされ、その役柄にあった心情表現は上手い。コミカルな演技、情感あふれる演技など、人の喜怒哀楽という感情が場面に応じてメリハリを付け際立たせる。観客からすれば、芝居と分かって一歩引いた目線で観ているはずが、いつの間にか演技+演出と相まって感情(心)を引っ張り込む”力”があった。もちろん役者の演技力のバランスもよい。
演出面であろうが、馴染めなかった場面を記しておく。
鞭等を用いた享楽的シーンは必要であったのか。展開の中では異質であり、流れが停滞したかのように感じる。またラストにも、風俗店の出店や店長になったなどの台詞が飛び出す。なぜ緩い笑いが必要だったのか疑問が残る。
次回公演も楽しみにしております。
WEEK END
劇団ピンクメロンパン
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/02/20 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了
満足度★★★★
グリーンフェスタ2019参加作品。
生死の境にいる人が他の人の体に憑依し、人間の本質を凝視するような物語。人が次から次に殺されるダーク、ノアールといった内容であるが、不思議な力強さ魅力がある。異様な空間(生死の境界、黄泉のような)から俯瞰することによって客観的な視点で観るようだ。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットは、2層構造にすることで場面・状況が分かり易い。上手側にある窓ある壁が折り畳むことで、街にある食堂へ早転換する。何となく上手側に洗濯物などが干してあり下町風情が漂い、下手側に陶台や絵画が飾られ富裕さを感じさせる。全体が廃屋らしく寂れた感じがするが、その中でも階層社会を暗示するような舞台セットは見事。深層表現としての照明技術は印象深い。固定照射ではなく、照明光を回転させることによって不安定・不安という情況を思わせる。スポットライトの多用は、観客をその人物に注視させ、しっかり伝えるべきことを印象付ける効果があった。
梗概…富豪家の息子とその花嫁が新婚旅行先の事故で亡くなった。その葬儀で新婦の姉は新郎の妹と出会う。2人はそれぞれ秘密を抱え、葬儀に参列する。 他方、車で人を引き殺したと思った医師と看護師、しかし轢かれた当人は何故か元気な姿を見せ同乗してくる。さらに別場面...ある街に劇団が訪れるが、看板俳優が突如その舞台を降板してしまう。この街には”家族スープ”という看板料理を掲げた店がある。一見無関係な人々がある街を目指してやって来る。そこで繰り広げられる人々の思惑、憎悪、狂気など負の感情で溢れる。死人から見た生者の営み、その滑稽で哀れな姿を俯瞰することで、人間とは...その本質を抉り描こうとしている。
気になるのは、設定が変わったのかという疑問である。富豪(ローナン産業会長)が生死の境を彷徨っているが、まだ亡くなってはいない。車に轢かれたのは若い男で、その男に会長が憑依したという設定だと思っていた。たしかに物語途中で会長は亡くなるが、それより前に黄泉へ逝ったようで判然としない。異体間による心と体の融合のような現象は、現世なのか来世なのか。また精神科医と偽看護師(実は精神疾患患者)の生死の関わり時点はいつなのかも解り難い。
生きている時には見えず、亡くなってから分かるという皮肉。生きること、そこに内在する野望・嫉妬・裏切などの感情が人の心(目)を曇らす。その描き方は、「出会いによって人々が混ざり合い、混沌と混乱が生まれる。孤独と矛盾を抱えつつそれでも生きる意味、存在証明のために足掻いて生きようとする人々を丁寧な会話劇とスピーディーな構成によって残酷なまでに見つめた物語」という謳い文句通り。しかし多くの登場人物、多くのエピソードを交錯させるため物語の展開を追うだけに終始し、先の謳い文句を十分吟味し楽しむには難しい。表層的に眺めるだけの公演では勿体ない視点と発想だと思う。
黄泉の住人か、その案内人は物語の展開に必要だろうか。ダークゆえに少し面白可笑しくユーモアを取り入れたかったのだろうか。逆に物語の世界観が中和されたようで中途半端な印象を残したように思う。もっと話の流れ、雰囲気を大事にしても良かった。
演技は、カタカナ表記の名前の役者17人が織り成す群像劇。名前は覚えきれず役柄で印象付けるしかないのがもどかしい。とは言え、役者1人ひとりの演技力は素晴らしく、ダークで醒めたような表情の裏に隠された悪意が見え隠れする。登場人物のほとんどが人間らしい厭らしさを持ち、人物の立場や状況によってその表れ方が違う。それを怒気、粘質ある台詞回しで上手く表現していた。表現的に適切かどうか分からないが、熱演だったと思う。
次回公演も楽しみにしております。
紡ぐ。
劇団ヨロタミ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/02/14 (木) ~ 2019/02/18 (月)公演終了
満足度★★★★
グリーンフェスタ2019参加作品。
「それぞれの人生が織りなす物語、の筈だった……。」という説明文にやられた。後日(4/8)、作・演出の坂本直季氏に詰め寄ったが、「筈だった...。」と書いてあったでしょ と切り返された。確かにそうだが、出だしは「舞台は北国の無人駅ー。」とあり、寂寥風景を想像した自分がヨロタミの人情劇にハマり先入観を持ったのが誤りだと気がついた。
しかしね~、説明と真逆のような公演は…。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
セットは「北国の無人駅」の構内のようで、上手に出札口や時刻表、下手に駅舎窓や今は珍しい伝言板が掛けられている。客席寄りにベンチやストーブが置かれ、このセットだけを見れば”しっとりとした”物語が紡がれると思った。もっとも、伝言板にはヨロタミらしく忘れ物-結婚指輪、教科書一式などユーモアな一面も見られた。
梗概…説明にある都会へと旅立つ若者、見送る父、救うことが出来なかった恋人、とあるがこれは芝居の稽古風景である。劇中劇として普段の稽古場の様子が面白可笑しく描かれる。劇中劇では俚言で話し、稽古中として見せる時には標準語?という台詞の切り替えは上手い。劇中のラーメン談や演奏(南井貴子サン)は場繋ぎか(失礼)。
興味深かったのは、別所役(坂本サン)が本公演同様、演出家という役割だが、その演出手法が秀逸だ。劇団員1人ひとりの性格や特徴を捉え、その人物に合わせた演出で動かす。そこには演出家として役者をどう使い、どう芝居を観せるかという演劇(職業)人としての顔が見えてくる。これは会社等の組織でも同じで、人材を適材適所に配し働かせるということに通じる。だだ、演劇は役者の意見の取入れが多く、時として演出家の思惑を大きく逸脱することがあるようだ。稽古と素に戻った場面を交錯しながら、普段の劇団内の様子や事情を曝け出していく。その一例として、劇団員は生活のためアルバイト等をしており、稽古に来られない時があるという。これも坂本氏から聞いた話であるが、座長(寺林伸悟サン)は海外へ出る職業(自分も同様の資格を得ているが、まだ活用していない)だから、稽古期間中は代役を立てることが多いという。苦労の一端が窺える。
さて、公演のジャンルは悲劇、喜劇、シリアス等、喧々諤々でその方向性が決まるのか?この公演は抒情的な物語から喜劇的な公演に変容させたような。当初の方向性(初めから喜劇か?)を劇中劇に追いやり、自分たちの日常をメインに据える、その自由度と発想の豊かさに感心させられる。今後も期待通りなのか、期待が良い意味で裏切られるのか、観届けたい。
次回公演(第31回池袋演劇祭参加)も楽しみにしております。
クレイジー☆ラブ
enji
吉祥寺シアター(東京都)
2019/04/26 (金) ~ 2019/04/29 (月)公演終了
満足度★★★★
本公演のテーマは「愛」であるが、その描き方は”歪な愛”である。二転三転する展開でラストはサスペンス風な結末で印象付ける。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台は2階建てのボロアパートというか診療施設であり、そこに住んでいる住人...犯罪者またはその予備軍の”歪な愛”を滑稽であり、時に悲哀を込めて描く。レンガ作りの2階建で1・2階にそれぞれ3室あり、2階中央の部屋が診療部屋のようである。上手奥に洗濯機、客席よりに花壇がある。下手には2階への外付け階段がある。またゴミ収集箱や空き缶入れの箱が置かれている。周りの風景は木の葉で囲われており、都会から隔離された場所をイメージさせる。
ここに住む男女の性癖のようなものが”愛”と言えるのか、その治療法と心理的な理屈が面白可笑しく表される。
純愛とストーカーの境界は何か?思い込みの度合いか行動性の違いか、その解釈は相手がどう感じ取るかという曖昧なもの。自分の気持の押し付けによってはストーカーとして訴えられ警察沙汰になる。この公演ではストーカーとして訴えられ、その性癖を治療するため強制的に引っ越しをさせられる男の無情と悲哀といったシーンから始まる。
この男は、自分が悪いことをしているという自覚はなく相手の女性とは恋愛関係にあると主張するが、警察は認めない。この件は状況は違うが、誤認による痴漢行為=警察での取調べ・裁判になった映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)を連想させ、チクリと警察批判をしているようだ。
この公演は、ストーカーと言われる人々を”治療施設”という一か所に集め、その人たちの典型的な思考と行動パターンを面白可笑しく観せる。それによって相手との恋愛が成り立っているのか、ストーカーなのかを観客に見極めさせているかのようだ。ストーカーの視点で描いていることから、何となくその気持に感情移入してしまう。相手がどう思っているかは描いておらず、欠落した描写ゆえにストーカーの強い思いが自由奔放に展開できている。
さて、冒頭の男がストーカーだと決めつけ、心理学的な話と治療が必要な説明があったが、特に動物的な本能行動の制御の無さがストーカー行為を引き起こすと…。その説明とラストの心療内科助手の行動が解り難い。冒頭、男とその彼女を引き離し、その後その彼女を自分の好きな男に引き合わせ、さらにその男が自ら諦めるように仕向ける。その深謀遠慮の行動こそが、違う意味でのストーカー行為のようで、タイトル「クレイージー☆ラブ」そのもの。理屈を考えると表層のコメディタッチが活きてこないので、ここは観たままを受け入れたほうが面白い。そしてラストはサスペンス風の深(怖)い愛を思わせる、見事な幕切れであった。
次回公演を楽しみにしております。
演劇♡顧問
神保町花月
神保町花月(東京都)
2019/04/26 (金) ~ 2019/05/06 (月)公演終了
満足度★★★★
久しぶりに神保町花月で観劇。その公演「演劇♡顧問」は、人の心の間隙を突くような面白さと、考えさせるを併せ持つような好作品。
高校演劇地区予選後の演劇顧問による打ち上げ会というワンシチュエーション。そこでは教師という聖職者(職業)ではなく、一人ひとりの生身の人間が描かれ会社組織のような一般的な社会組織にも通じる描き方で、多くの人に楽しめる内容になっている。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は居酒屋の座敷。壁にはビール会社のポスターや品書きが貼られている。上手にはカラオケセット、下手は出入口と下駄箱が据えられ、その上に片目が入ったダルマと大徳利オブジェがあり居酒屋の雰囲気は十分表している。
冒頭、「蒲田行進曲」をカラオケで歌っているシーンから始まるが、これによって宴会ということが一瞬にして解る導入の巧さ。この後の暗転が少し長いような。
この選曲は後々「演劇論」に発展したときの伏線になっている。またマイクを握り喋るシーンがあるが、それは議論が白熱し騒々しさの中で素に戻って激白する、その客観的な姿が滑稽という場面に流されず自己主張しているという硬質感を生む。
高校演劇の(東京都)地区予選の打ち上げ会といったバックヤードを描いた公演は、選ばれた高校(教師)への嫉妬と羨望に止まらず、演目テーマ(不倫)にケチを付け非難するような展開へ。そして議論は、いつの間にか現実の不倫(三角関係)や高校時代の同級生同士(しずる)の生き方、考え方の違いの言い争いから人間としての優劣に発展する(盗みはやり過ぎか?)。また演劇顧問になっているが、好き好んでなっている訳ではなく、押し付けられてやっているという愚痴と本音。たびたび出てくる台詞...「普通だよ」は、教職は特別ではなく、ここでの騒動原因のような醜態・色恋沙汰も起こすという自虐のようにも聞こえる。
演劇論はほとんど聞かれないが、それでも つかこうへい の名前が挙がる。しかしいやいや演劇顧問を引き受けている人にとってみれば、その人は誰?ということになる。劇中での無関心は、逆に つかこうへい をオマージュしたような騒々しさの中に「普通」の人間像が立ち上がってくるようで面白い。役名を言い間違えるのも愛嬌と思えるような親しみ溢れるものだ。でもこの人たち面白すぎて「普通」じゃないよな~。
しずる×ロ字ックの初コラボらしいが、実に自然な演技・バランスだ。熱量は つか作品を彷彿とさせるが、暗喩や皮肉は感じられず思い切り楽しんでいるといった印象だ。それは観客を楽しませると同時に、演劇に対する情熱の現れだろう。
次回公演も楽しみにしております。
ニュータウンの影
俺は見た
サンモールスタジオ(東京都)
2019/04/23 (火) ~ 2019/04/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ニュータウンは2つの場所を意味するようだ。それが仙台-東京(多摩ニュータウン)であり、2か所または3か所を映画のカットバックのようにして描く。そして影とはもちろん人を指すが、自分のこと、家族のこと、そして第三者という色々な観点から描き出す。優しき隣人が実は狂気を…そんな緊張感ある公演は観応えがあった。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
セットは、この家族・一戸家のダイニングと居間がメインで、上手後方奥(2階)には、この家族と因縁のある男のアパート。下手客席寄りに、一色家の長男が暮らす東京のアパートをイメージさせる空間、そして舞台と客席の間は街路のようだ。この舞台には音響効果がない(アフタートークで説明)ため、居間にTV、長男が住んでいる部屋にもTVがあり、ときどき野球中継などを映し音を流し込む。ダイニングには食器棚(小物も収納されている)、テーブル等が置かれ雰囲気作りは上手いが…。
この公演、俚言で演技しているにも関わらず、生活感が伴わないのが不思議なところ。食卓を囲んだ食事や歓迎シーンは一家団欒をイメージするところだが、この家族にはそれぞれ思惑がり、本音で語り合えていない。仙台という土地柄のせいだけではなく、封建的な父親-自分が気に食わないことがあれば殴る。それにじっと耐えてきた母親、長男は東京で定職にも就かずモデルと称して年上の女の部屋に居候し金をせびるヒモのような生活。妹は外国人と付き合い、いずれアメリカで生活したいと思っている。弟は地元優良企業に就職したが、スターになりたい夢を諦め切れず、会社を辞めて出勤のふりをして街中をブラブラしている。日々をなんとかやり過ごしていたが、ある日それぞれが抱えていた鬱積が爆発し一気に家族崩壊へ向かう。
この地から出て自由なことをしたい、その根底にはその地方の閉鎖性、家庭内での暴力による押さえ付け(封建制)から解放されたいという思いの表れであろう。弟は長男が家を出て東京で暮らしているという嫉妬、羨望を抱く。妹は恋人が外国人(中東=イスラム過激派という印象⇒家族・本人もアメリカへ移住したが苛めにあう理不尽)ということでの偏見に悩む、子の気持ちを理解しない父、訳ありに子供に金を無心する母、それぞれの心の傷のようなものをしっかり描く。
この家族に長男の同棲相手や妹の恋人が絡み、夢と焦燥、差別と偏見といった「人間」と「社会」の問題を浮き彫りにしていく。一人ひとりの心の襞を撫でるような丁寧な描写は上手い。そして東京から来た謎の男が仕掛ける悪意が家族を崩壊させていく展開へうまく繋ぐ。
脚本は面白いが、演出と演技に弱い所があるように感じた。例えば、食卓は生活空間を表す重要な場面であるが、食器棚の小物を使用せずただ飾っているだけ。だから”生活感”というリアリティが感じられない。また家族(特にラストの母親の独白は圧巻)や謎の男の存在感は出ているが、ストーカー行為における加害者・被害者の関わりは、謎の男の狂気を引き出すため?もしくはラストの清算に向けた伏線であろうか。この演出と演技が弱いようで残念に思えた。
次回公演を楽しみにしております。
バラ色の人生
TEAM 6g
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/04/24 (水) ~ 2019/04/29 (月)公演終了
満足度★★★★★
特別養子縁組制度の制定のきっかけになった出来事を題材に描いた本公演、実に観応えがあった。物語は現在と特別養子縁組制度が出来る以前(1970年代?)を往還するような展開であるが、2つの時代はもちろん時間的に繋がっているが、それよりも”心”が繋がっているという思いが観ている人の感情を揺さぶる。
観せ方は、理由あって自分の出生を知りたい女性、その現在と生まれた時(過去)は時代も状況も違うし、まだ母・娘の関係の展開が出来ていないため場面の描き方が違う。その意味で、2つの時代は別々の物語で紡ぎ、”心”という目に見えない”絆”で時代を結ぶという巧みな演出は見事。
(上演時間2時間10分)
ネタバレBOX
セットは、上手・下手にBoxを不規則に積み上げたようなものがあり、客席寄りの上手にソファー、下手には水商売のカウンターがある。後景は白壁であるが、後半以降にスクリーンに代用される。Boxの不安定さは、人生そのものを思わせる。順風満帆と思っていても、主人公 吉沢カスミ(阿南敦子サン)のように癌が再発し、叔母から血の繋がりがないから相続放棄するよう言われたり、思ってもいない事が次々と...。
梗概、自分の実親とは? その思いを遂げるため自分探しを始める。特別養子縁組制度が制定される前のこと。戸籍上で辿ることが出来ないもどかしさ。一転して1970年代へ場面転換する。そこでは何らかの事情で妊娠し、我が子として育てられない問題を抱えた女性を何とか救済したい。堕胎させないで、生まれた子を逆に引き取り育ててくれる人に託す、当時としては非合法な行いをしている医師、それを取材しているジャーナリストが登場する。その場所がゲイバーであり、壁に貼られている映画ポスター2枚が重要な役割を果たす。それは「ローマの休日」「麗しのサブリナ」であり、特に「麗しのサブリナ」でサブリナに扮したオードリーヘップバーンの台詞「人生は自分の手でつかむのです。恋も同じです。」が繰り返し言われる。ゲイバーで働く女性とその恋人の悲恋、さらにカスミの実母が生まれてくる子を思う心情が実に細やかに描かれる。
タイトルはピアフの楽曲の原題ラ・ヴィ・アン・ローズ=「バラ色の人生」であり、ラストにはバラ5本にちなんだ我が子への思い - あなたに出会えて良かったと結ぶ。観客の心を揺さぶり余韻を残す見事な結末(この結末へ導いたのも”ラ・ヴィ・アン・ローズ”とあるペンダント)。この物語はカスミの夫、息子の心温まる家族愛も観せる。気弱であるが妻思い、ぶっきらぼうな息子だが、真実は告げない優しさ、見えているものがすべてではない。その約束は「ローマの休日」のアン王女に扮したヘップバーンの台詞「人と人の友情を信じるように」を連想してしまう。
脚本は面白いが、それを具現化する役者陣の演技力がなければ果たせない。それぞれのキャラクターや立場を立ち上げ、状況説明・情況表現をしっかり行う。そのバランスが絶妙であった。この公演では、特別養子縁組制度という重くなりがちな話を映画にちなんだ台詞や音楽の妙味を取り入れ(上映)、さらにゲイバーという少し異色な場所で展開(緩和)する絶妙な演出が素晴らしい。
次回公演を楽しみにしております。
Pancetta 9th performance “Plant”
PANCETTA
調布市せんがわ劇場(東京都)
2019/04/19 (金) ~ 2019/04/21 (日)公演終了
満足度★★★★
第9回せんがわ劇場演劇コンクール・オーディエンス賞受賞公演。昨年のコンクールを観ており、その時と違って公演時間は長く(2作品=受賞作品“Parsley”と昨年外部公演にて披露した“Hana”を新たなバージョンにし、本公演のタイトル“Plant”に)なり何となく伸び伸びと演じているように思う。やはりコンクールは制限時間の中で演じるという緊張感が漂うが、逆に開放感というか自由度が感じられない。コンクール形式または本公演であっても、シュールな印象は同じ。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
基本は素舞台であるが、中央に四角い穴があり出入りにも使用する。この穴は地中をイメージさせるものであり、そこに”hana"がある。花が咲くまで”華”がないと嘆いているが、その開花するまでの悶々とした思いを描く。登場人物ならぬ5つの花びらは、中央の穴から上半身を出し次々と咲いては枯れていく。枯れると分かっているのに何故咲くのか?役者の咲き枯れの歓喜と落胆の表現が実に上手い。人は生まれた時から死に向かって歩みだす、まさに生まれ出ずる悩みであり、生きていく中での哀歓が描かれているようだ。
鶴の恩返しのような民話の筋書き...それは見ないこと→無関心を意味するような。もう一つの筋書きは合理的な考えの彼女との付き合い→無駄の排除を表す。この2つの筋書きが絡んだ物語は、どちらにも何となく潤いがなく味気ない。この感覚から”華”がない、可愛げがない=合理的とこじつけると納得できるような流れである。
役者のコミカルな動作、豊かな表情は観る者の気を逸らさない。素舞台だけに個々人の演技力とバランスの良さが印象付けられる。
この公演回は、就学前の子供の入場も可であった。敢えてこの回を申し込んでみたが、幼児の声や動き回る気配はするが、それでも芝居は楽しめた。舞台と客席の間にマットを敷き、父母と幼児が座って観られる。マットだから多少動き回っても音は気にならず、子供の自由を奪わない。そして暗転時も真っ暗にすることなく薄暗がりにし子供が怖がらないような配慮をする。なにより前説で脚本・演出の一宮周平氏が「子供が騒ぐのは当たり前、その声は音響の一部と思ってほしい」と...このような姿勢が、子育て中の方にも演劇を楽しんでもらえる機会を作るのだと感心した(子供の声が気になる人は別の回を観るだろう)。
次回の本公演も楽しみにしております。
注意書きの多い料理店
TOMOIKEプロデュース
ブディストホール(東京都)
2019/04/17 (水) ~ 2019/04/21 (日)公演終了
満足度★★★★
人や店のビジョン、コンセプトを底流に描いた喜劇は楽しめた。描きたい内容は何となくわかるが、演出が喜劇としての祝祭性というよりは騒々しいという印象をもったのが残念だ。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台は「レストラン風野」の店内…上手にカウンター、中央や下手奥の一段高くなったところにテーブル席。下手壁には切子細工が施されたガラス窓があり洒落ている。中央が出入口であり、外には蔦が絡まるような風景が見える。そしてカウンター傍にこの店の看板料理”高級ツナチーズハンバーグ”のメニューが掲げられている。
梗概…看板料理に虫が混入していたとクレームが、その対応のまずさからネットに誹謗中傷が書かれ店は閉店。その後、大手チェーンの傘下店として再びレストランを開業しよう…という始まり。その開店準備に忙しい時に幽霊騒動が起きる。幽霊が見える人、そうでない人がいるが、そこには緩い理由付けがある。その理由がこの公演の根幹を示す。
登場人物が一通り紹介されたところから、除霊、店長とバイトとの浮気、クレーマーと揉めて店を辞めた男との確執、店長の妻(この店の親企業・大手チェーン店の部長)の高慢さ等の挿話を絡めた騒動が起きる。誤解や勘違い、そしてエゴや自尊心など人の渦巻く感情をワンシーンへ放り込む。その観せ方は喜劇の賑やかさというよりは単に騒々しいだけといった印象だ。それを収束させたのが幽霊の想いという現実味(説得力)のない方法で、あまりに安易で残念だ。
冒頭のクレーム対応に観る、店(長)としての毅然とした姿勢のなさ、幽霊になった女の夢、見ているだけで元気になれるような女優を目指すといったあり触れた気持ち。両人に共通しているのは、確固たるビジョンとコンセプトを持ち合わせていないこと。くり返し出てくる「コンセプト」という台詞、そこに込められた信念のようなものがあれば、いろいろなことに振り回されることはない。そして誰もが望む、誰かの役に立っているという確認。幽霊女の曖昧な女優志望動機、幽霊が見えるレストラン店員のバンド活動の中途半端さ。そこにはまだ何者でもない人の不安定さ哀感を観ることができる。
物語は人の弱みを見せ、そこからスタートまたは再出発するような力強さ。何らかのかたちで人の役に立ったという自己肯定感を得て成仏するハッピーエンド?はしっかり楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
ミラクル祭’19(ミラフェス’19)
新宿シアター・ミラクル
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2019/04/20 (土) ~ 2019/04/29 (月)公演終了
満足度★★★★
短編の面白さが上手く表現されていた2作品。その作品はジャンルやキャスト数において異なり、1粒(公演)で二度美味(楽)しいといったお得感ある公演だ。上演開始が20時と少し遅めだが、上演時間75分とこちらも短め(手頃?)で、自分にとっては終電を気にせず観劇することができた。
A ver 観劇
『ペルソナ・サークル』(脚本・演出 目崎剛(たすいち))
『海月は溶けて泡になる』(脚本 加糖熱量(裃-這々)/演出 池田智哉(feblabo))
ネタバレBOX
『ペルソナ・サークル』
※決してネタバレしてはいけません…!の注意書きは守れているでしょうか?
セットは無しの素舞台。役者が状況に応じて小物を持って現れるだけ。説明だと山奥にある小さな村の大きなお屋敷ということだが、その情景は浮かんでこない。作品の根幹には影響しない。その山奥に探偵がやってきた時、偶然にも事件が起きる。その事件...密室・死体消失・奇妙な風習・目撃者は猫というクローズドサークルで起きたとある。
さて人は、自分自身の存在を客観的にどう証明するか。
生きていることは見ればわかるが、それ以外のことはどう実証するか。運転免許証・マイナンバーカード・パスポート等、何となく第3者(または公的機関)の証言等による。自分の存在を証明するのが人任せといったあやふや、不確かなものという不安を面白可笑しく描いた作品。
登場人物(13人)をキャスト(8人)が演じ分ける、そのコミカルで軽妙な演出に潜む世界は、逆に少し怖い気がする。
『海月は溶けて泡になる』
何を訴えているのか…最終的にはエリという女のプライドの高さ、傲慢な姿が浮き彫りになり、持って行きようのない口惜しさ、哀しみの叫びが浴室に響く。
話の流れから、男女の性別に対する固定観念、性的少数者(≒LGBT?)への偏見への批判のような理屈の世界に陥りそうになる。しかしこの話は普通にありそうな、恋人同士の同棲生活に姉弟という家族を放り込んで観せることで人の感情が泡(粟)立つ面白さを表現する。まるで親しい家族が闖入者のように思える怖さ。
セットは同棲男の部屋...腰掛高さの位置に敷布団、客席よりに折り畳み式のミニテーブル。登場人物は3人、室内空間での濃密な会話劇はある種の迫力と緊迫感が漂い楽しめた。
両方の作品に共通していると思われるのは”怖さ”であり、人が持っている潜在的な不安、裏返しのような傲慢をそれぞれの観せ方で演出しており上手いと感じた。
次回公演を楽しみにしております。
今、何時?
スナック来夢来人
北池袋 新生館シアター(東京都)
2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了
満足度★★★
若いキャストが一生懸命演じる姿は好感が持てる。現在・過去・さらなる過去という3つの時代の3人、その同一人物を9人のキャストで担う青春ドラマ。時代を往還し、今の状況に至った謎を順々に解き明かす展開にしたかったようだが、やはりラストに一挙に説明したという印象は拭えない。
お分かりの通り、本編にはスナックなど出てこない。マドカママの前説を含め、本編がスナック来夢来人におけるショーと捉えれば、劇中劇という設定にもなるが…。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
素舞台で3つ時代を表現することは難しかったようだ。3人の登場人物を3つの時代ごとにキャストを変えて時系列的に描く。そのためキャストのキャラクターだけでは表しきれないため、キャップを被ったり、メガネをかけたりして外見的な特徴で区別する。演技は、若いキャスト=経験が浅いのか、観客の感情を揺さぶることが出来ていない。もっともポップ調で感情移入させるような展開、雰囲気でもないが、それでも観入るという点では弱いと思う。
物語は①学生時代からの仲良し3人組。校長像へ悪戯した思い出話②それぞれの事情で経済的に困り、ヤクザがらみの闇金融から借金し、その返済に追われている。そこでオレオレ詐欺を企てるが…。③結果的に刑務所に入り、そこでの作業に従事している。3つの時代というか、先に書いた順番とは逆だが、さらなる過去・過去・現在という場面が、①・②・③という設定である。どうして刑務所に入ったのか、そのターニングポイントが②の詐欺行為を実行しようとしたところにあり、ラストで事件の真相を語る。
演技は拙いところもあるが、逆にそれだけ伸びしろがあるということ。現在の魅力は明るく元気、その若さ弾けるような躍動感にある。その表現がダンスであり、走り回る姿であろう。素舞台だけに、役者の演技を盛り上げるため、もう少し照明や音楽・音響といった舞台技術で工夫を凝らしてほしい。
次回公演を楽しみにしております。
チョコレートケイキ
春匠
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/04/12 (金) ~ 2019/04/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
無言劇ゆえ、沈黙の圧のような緊張感漂う作品。死刑執行までの粛々とした行為が逆に刺激的に感じられる。
さて、自分の席(2列目、中央やや下手寄り)から観えた気になることが…。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台は拘置所内、中央上部に監獄であり死刑台イメージ、上手側に小部屋を思わせるテーブルと椅子、下手側に刑務官控室、監視モニターがある。刑務官は制服を着て謹厳実直なイメージ。それ以外の人物は医師と宗教師か。全体的に薄暗く、冒頭は刑務官が暗闇の中をライトを照らしながら入ってくる。
心の叫びのような…唯一、刑務官が小声で喋るシーンは、彼の口を借りた死刑囚の贖罪うわ言のような…。それに連動して、それまで背中を見せていた女が正面を向き血まみれの姿を見せる。死刑囚、刑務官の終始無言は、ラストの贖罪というシーンを印象付ける効果をもたらしているかのよう。具体的に犯した罪の内容やそれに至った状況等は分からないが、むしろ死刑執行を待つだけの男の現在、その淡々とした姿、佇まいが緊張感を生む。もちろん、薄暗い照明、制服姿の刑務官の存在、そして始終無言という雰囲気は圧倒的な緊張感を漂わす。
演技には、刑務官の職制上の上下関係(徽章の違い)を表すような態度が観られ、細やかな動作にもリアリティが感じられた。実力者ぞろいの演技は迫力があり、物語への集中力を高めてくれる。
女-被害者(妻であろうか?)は死刑囚の心にある心象形、それゆえ実態がないと思うが、たまたま自分の席から刑務官控室の監視モニターが見え、そこに女の姿が映る(映画なら女が映らない別撮りしたものを使用するだろうが、演劇ではそれが出来ずやむを得ないか)。その見えないはずの女が映るという不自然さは勿体なかった。
他劇団に暗闇劇という、視覚ではなく聴覚を研ぎ澄ませて劇を愉しむものがある。この公演はその逆で、無言であるから視覚と役者の息遣いで芝居を堪能することになる。人間の五感のうち、聴覚がなくても芝居は堪能できる。その意味でライブという演劇の素晴らしさを再認識した。
次回公演を楽しみにしております。
検事と犯人のフィクション術
東京パイクリート
Geki地下Liberty(東京都)
2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
この公演の魅力は場面転換をスピーディに行い、物語をテンポ良く観せる。そして壁に飾ってある額縁内にピストブラムのような絵文字・記号があり、それが物語の場所や情景を暗示している。その額縁の変化(場所の移動や有・無)によってシーンのセットが変わるという関連付けが巧み。
基本的にコメディであるからテンポは重要で、この良さによって観客の集中力を引き付ける。もちろん物語の内容も面白い。
(上演時間2時間) 2019.4.28追記
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に出入口、左右の壁に小さな飾り額縁が掛けられ、その中にピストグラムのような絵記号。例えばタクシーの絵や検察官の徽章などである。冒頭、中央には変形の箱馬が積み重ねられている。場面転換ごとにそれを移動し、タクシーの中、スナックや接見室を作り出す。またこの会場の出入口の上部に別スペースを作り、場所や時間という空間の広がりを作り出す。全体的に状況設定の演出が巧みで、その結果良いテンポを生み、芝居を心地よく観せる。
梗概…実演販売員・猪戸 佐平次は、流れ者であるが出会う人間とすぐ仲良くなり北国・四色郡に居着いてしまった。ある日、佐平次は「銃刀法違反」で警察に捕らわれる。彼の部屋から拳銃が見つかったが、まったく身に覚えがない。四色郡で親しくなった人たちが佐平次の無実を証明しようと奮闘する?他方、佐平次を担当することになった検事・小田桐 啓も不自然に逮捕された佐平次を救おうか救うまいか、良識と組織の板挟みに遭って...という展開である。
公演の魅力は、何といっても登場人物のユニークなキャラクターとテンポの良さが観る人を飽きさせないところ。情景や状況は箱馬のようなセットの移動等で分かり易いし、人物造形は身近にいる人をデフォルメして、あぁそんな人いるなと納得させる。物語は謎の解明に近づいたり足踏みしたりするが、徐々に事件の核心に迫る。しかし逮捕された佐平次は拘置所内にいるから、その進捗がもどかしく接見時における説明と哀願に終始する。その心情は泣くではなく何故か笑ってしまう、という喜劇の醍醐味を感じる。何故か佐平次が外部の人と繋がっているように思える。それはピストグラムのような絵記号が場面構成の手助けを行い、今の場所と次の場所をしっかり繋ぎ、そこに居るのが当たり前という雰囲気を作るという見事な演出である。
警察内の悪事と隠蔽、それを検察上層部も見て見ぬふり、それどころか庇おうとするような動きをする。権力側と小市民といった対立構図、圧倒的に不利な状況下で何とか事件解明に尽くす人々、その荒唐無稽とも思えるような姿や行動に清々しさを覚える。また検察内部における良識派検事も覚醒していく過程が痛快である。弱気を助け強気を挫く、という物凄く分かり易い物語であるが、十分楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
薄布
天ノ川最前線
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/04/11 (木) ~ 2019/04/14 (日)公演終了
満足度★★★
公演は生活感のない、どこか乾いた印象をうける。フライヤーには現代的なアングラを模索してきたが、今回はヒップポップな新境地といったことが書かれている。何となくスタイリッシュで、感情というよりは自分を見つめる心象劇のようだ。しかし悪くはないと思う。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
セットはタイトルの薄布のような映写幕があるだけ。シーンに応じてテーブルや椅子が運び込まれる。説明からすると舞台は”東京の街”のどこかということになるが、その情景は浮かんでこない。ただ乾いた印象から、”東京砂漠”というフレーズを思い出す。
梗概…平々凡々なサラリーマン生活を送っている主人公、その友人で起業して成功している者やカフェバーを経営している者、さらにはひょんなことで知り合ったラッパー仲間など、様々な人々との触れ合いを通して自分自身を見つめ成長しようとする。ラップという韻律を利用して、自分の気持を吐露する。普通の言葉で言い表せない、それをラップに乗せることによって心の自由が得られるという。
ラッパー仲間と自分の本音表現を言い争う場面は、その気持(心)の正当性を相手に押し付ける、またはマウントするようで本音=自分勝手のように思える。また心の問題を捉えていることから、心療内科のカウンセリングシーンはシュールだ。
友人との関係も親しくありたい、しかしある程度の距離も保ちたいという微妙な心理。若者の日常断面を切り取り、瑞々しく描いた一種のサブカルチャーのようだ。
自分の気持に正直であること、同時に相手(友人)の話にも耳を傾ける。それぞれがグループを成し勝手に喋っている場面がある。芝居の台詞としては聞き難いが、実際にはこの騒然とした場面の方がリアル。芝居と現実、どちらの観せ方に重きを置くか、または優先するかは劇作家の思い、そこに観客の理屈は不要かもしれない。この公演、序盤は緩いテンポで説明調の台詞回しに違和感を覚えたが、中盤以降は相手の気持と言いながらも自分勝手な人間の本性が見え隠れする。そんな物語性がはっきりして面白くなった。
次回公演を楽しみにしております。
ヒトハミナ、ヒトナミノ
企画集団マッチポイント
駅前劇場(東京都)
2019/04/10 (水) ~ 2019/04/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
タイトルが公演を端的に表している。説明文にある「一人の職員が利用者に対して性的な介護をしているという噂が…」とあるが、公演の底流にあるのは、介護施設における介護者・利用者の苦悩や介護施設が抱えている様々な問題を鋭く突いた人間ドラマ。
随所に可笑しみも散りばめられているが、圧巻は心情優先と規範順守という相容れない感情のぶつかり合い。どちらの言い分も解るような…。
(上演時間1時間40分) 2019.4.28追記
ネタバレBOX
セットは隙間のある板塀のような後景、客席寄りにテーブルと椅子が2セット並んでいる。上手にはこの作業場の仕事である黒インゲン豆が入った箱がある物入が置かれている。あまり障碍者支援施設併設の作業場という生活空間は感じられない。セットは作り込まず、むしろ簡素にすることで、逆に人間の在りようを強調させているかのようだ。
梗概…ある地方都市にある障碍者支援施設併設の作業場で、社会参加とこの施設の運営費を賄うために、近所の窓岡農園から黒インゲン豆の芽を取る作業を請け負っている。納期が明日に迫り、過密労働になっているから職員は疲労と不満でピリピリしている。そんな中、夜勤明けの職員が施設の利用者と外出したことから、以前からあった良からぬ噂が噴出し...。
公演の見所として、新人職員とこの妙な噂のあるベテラン職員の議論が生々しい。介護施設を利用する人、そこに健常者と障碍者における”性”の扱いに違いはない。確かに新人職員が言う施設のルールは守らなければ人は行き場を失い、施設は信用を失うだろう。一方、障碍者も人であり性欲もある。ベテラン職員は、この施設とは別の施設で勤務していた時に、そこの利用者の母親から切実な相談を受けた。きれいごとだけでは解決できない問題をルールとの間でどう折り合いをつけるか、それは自分自身へ自問自答であり言い訳でもある。その葛藤が痛々しく伝わる。2人の立場と心情は問題を鮮明にすると同時に、どちらも障碍者に真摯に向き合っていることが窺える。繊細で丁寧に救い上げるような台詞が観ている人の感情を揺さぶる。
演出と演技が実に良い。新人職員・美並(税所ひかりサン)と噂の職員・崎田(加藤虎ノ介サン)の丁々発止。特に加藤サンは現場における理不尽や矛盾、一方で情に揺れる内面を丁寧に演じる好演。また重苦しくなる雰囲気を安澤職員(竹内郁子サン)の軽妙な存在感で緩和させている。障碍者施設というと当たり障りのない描き方になりそうだが、本公演は正面から向き合い、矛盾・差別・偏見などをしっかり問いかけた力作。実に観応えのある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
YESTERDAY ONCE MORE
劇団アルファー
武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)
2019/04/11 (木) ~ 2019/04/15 (月)公演終了
満足度★★★★★
2018年12月(現在)から1988年12月(30年前)へタイムスリップし、あの時こうしてい”たら”、こうしてい”れば”という「たら れば」の世界。誰もが一度は思う、「あの日あの時に戻れたら」という夢のような出来事が…。その時代の世相を現し、必死に生きていた自分と身近な人々に邂逅する。日本経済が激変したと言われる節目の年、未来の自分が客観的に見ていることに苛立ちやもどかしさを覚える。そして思わず行動してしまう姿に可笑しみと悲哀が観える秀作。
少し外見的なことで気になったが、卑小なことだろう。
(上演時間 第1部:1時間10分、第2部50分 途中休憩10分) 2019.4.16追記
ネタバレBOX
舞台は居酒屋げんの店内。上手にカウンター、中央にテーブル席、下手が店出入口になっている。1988年の店内の壁はうす汚れているが、2018年には小綺麗になっている。昔の方が店も新しく逆のような気もしたが、この間に改装したのだろう。店内に日めくりカレンダーが掛けられ、壁の汚れ具合と相俟って時代の違いを演出する。この舞台転換をスムーズに行う。
梗概…遠野(60歳)と山田(60歳)は幼なじみ。それぞれ定年退職、結婚周年記念を祝うために旧友が集まり祝賀会を始める。店の暖簾を掛けるために外に出た2人に雷が…気が付いたら30年前にタイムスリップしていた。昭和63年12月22日、バブルが崩壊する契機となった株の大暴落の数日前。友人に株を買わせ儲けさせようとしていたが、それが裏目になった。それを回避するため遠野は30年前の自分を説得しようとするが…。
過去・現在・未来という一方行の時間の流れは、時間軸の移動があっても同一人物=自分には出会わないという理屈からすれば、この公演は不自然に思えるかもしれない。また過去を変えると、その影響で未来に変化をもたらしてしまうという、時空間移動の物語ではよく聞かれる理屈。物語ではいろいろ行動するが、結果的に(未来を)変えられなかったが。演劇自体がフィクションであるから、理屈抜きに虚構の世界を楽しみたい。
この公演の魅力は、それぞれの時代背景・環境下でしっかり生きる人の姿を描いているところ。1988年...バブル最盛期の華やかな時代、しかしそこで生きる若者は未来を展望できず悩み、また世間知らずでもある。一方、2018年は震災の影響、貧富等の格差拡大という世相的にはあまり明るくない。しかしここに登場する人々は還暦を迎えても、まだまだ意気軒高といったところ。2つの時代を往還し、それぞれの時代と人物の関係に相似と相異を見せ、一定年齢以上の人には懐かしさ、当時を知らない年齢層には憧憬?を思わせるような公演。そこに共通するのは人の人情、その温かさ。そこにこの公演の面白さ魅力があると思う。
次回公演を楽しみにしております。
南吉野村の春
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2019/04/10 (水) ~ 2019/04/14 (日)公演終了
満足度★★★★
脚本、演出、演技等、演劇的要素は丁寧に制作し好ましい。その丹誠のような公演は、何かピリッとするものが足りないように思う。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは奈良県の南吉野村にある杉本家の居間。上手に縁側、下手に仏壇などが据えられ、本当に生活出来そうな作り込みである。この村は桜の名所で名高い、奈良県吉野村の隣村...観光名所もない過疎地として描かれている。登場人物が5人ということもあり、過疎の雰囲気は出し切れていない。主人公にあたるこの家の次男・杉本龍はヤクザで刑務所で服役していた。村人の地元愛と前科者に対する警戒心、嫌悪感といった閉鎖的な感情表現は観られない。
梗概…杉本家の兄弟…兄の雄一は真面目な公務員、弟の龍はヤクザの世界へ。龍は対立するヤクザの幹部を襲撃。服役後は兄が一人で暮らしている実家に帰って来る。雄一は、龍が田舎で生活ができるよう、仕事探しや嫁探しに奔走。そして偏屈な隣人、元舎弟の便利屋、お見合い相手など、いろいろな人に翻弄されながらも龍はある決断を…。
脚本は性格の違う兄弟...ヤクザになった奔放な弟を甲斐甲斐しく面倒見る兄の可笑しみ、隣人のおばちゃんの毒舌と愛嬌、舎弟の律義さ、お見合い相手の色気と愛嬌、そして龍の孤独と遣る瀬無さといったキャラがしっかり描かれ、物語の展開を面白くしている。演出は舞台セットと相俟って情況と状況を描き出す。場面転換にしても映写幕を下ろし村の風景であろうか、季節に応じ向日葵や桜の花を映し出す。観客の気を逸らさない工夫が好い。演技はそれぞれのキャラクター、人物表現を確かにし、脚本・演出内容を具現化(可笑しみ、色気、そして緊張-龍の銃撃のシュミュレーションシーン)していた。技術にしても明け方、夕方など時間を意識した照明の諧調など細かい配慮。全体的に丁寧でレベルが高い。
さて、書くのが難しいが、端的に言えばインパクトが乏しい。料理に例えればフルコースのようで、運ばれた料理の数々(演劇要素)は美味(上手)い。一方、激辛ラーメンを食した場合、その一品でも印象は強烈である。料理も人によって好みが違えば、食べたい気分によって異なる。芝居も好きなジャンルは人によって違い、観たい演目も気分によって異なる。自分はこの公演を巧いと思うが、淡泊な印象を受けた。
次回公演を楽しみにしております。
コマギレ
ラビット番長
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/02/28 (木) ~ 2019/03/04 (月)公演終了
満足度★★★★★
グリーンフェスタ2019 BASE THEATER賞受賞作品。
この劇団の魅力、笑わせ泣かせるという人間の感情を揺さぶるのが上手い。将棋の世界を描いた過去の作品群とは少し趣が異なる。今まではプロ将棋の世界=男中心であったが、本作は女性棋士とその師匠対決がクライマックス。また今までは将棋の世界、その勝負の厳しさを中心に描いており社会性も垣間見えたが、本作では人間性に力点を置いたように思える。
物語は劇場規模、舞台美術と相俟って分かり易く、人情味豊かに描かれた秀作。
(上演時間2時間)【Bチーム】
ネタバレBOX
セットは二階部を設え、二階上手に対局室や小料理屋和室(障子)、下手に将棋解説用の大盤、一階はプロ棋士の将棋道場といった設定。BASE THEATERでは多くの場所を設定するよりは、本作のように道場と対局場という二元場面、現在と過去といった往還場面という緊密さをしっかり演出し物語が分かり易く展開したのが好かった。その意味で奇抜さよりは、万人受けするような しっかり観(魅)せる芝居に仕上がっていたと思う。
梗概…女性で初めて四段に昇段してプロ棋士を目指す天野。一方、彼女の師匠である熊谷棋士は引退を迫られる状況にいる。この2人が主人公で現実の将棋世界でも師弟対決が話題になった。順風満帆と思われた彼女に異変が…。師匠は、何故プロ棋士になったのか、その生い立ち境遇を影絵仕立ての演出で情感豊かに描く。過去と現在を往還させ、将棋への思いや人の人情の有難さを身をもって知っていることから弟子育成にも情熱を傾ける。その2人が勝負の世界で生きる宿命から...。
熊谷学を演じたのが劇団主宰の井保三兎氏、天野桂子を演じたのが雪島さら紗さんであり師弟の間柄である。そしてこの公演をもって彼女は退団することから、花道を用意したとも言える。本作での彼女は将棋盤に向かう目力、それは鬼気迫る迫力があった。そこに勝負師としての彼女がしっかり存在していた。一方、井保氏は包容力に溢れた演技で、こちらはいつも通りの人情味を醸し出していた。
さて気になるのが、得意としている介護や将棋の世界を描き続けるのか、他の分野に転じるのか。同じ介護や将棋にしても、またその2つを絡めた公演もあった。何となくシリーズ化、マンネリ(同パターンでも映画「男はつらいよ」シリーズなど人気を博すことはよくある)という声があるのかどうか分からないが、いずれにしても素晴らしい芝居を上演し続けてほしい。
次回公演を楽しみにしております。