タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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思想も哲学も過去も未来もない君へ。

思想も哲学も過去も未来もない君へ。

散策者

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2019/03/23 (土) ~ 2019/03/25 (月)公演終了

満足度★★★

抒情的な印象の公演。物語の内容は面白いと思うが、独特とも思えるような演出は、観客に相当の集中力が必要であり、それに耐えるのが難しかった。劇団名「散策者」そしてタイトル「思想も哲学も過去も未来もない君へ。」に合うかもしれないが、思索しているかのようなゆったりとした演技は、時として眠気を誘う。好みが分かれそうな公演、個人的にはもう少しメリハリのある演出・演技が望まれる。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

場内の壁は白色、やや下手側にスクリーンのような映写ポイントがある。素舞台で上手の幕を開け役者が出入りする。役者の手には、ポーチ、マグカップ、文庫本などを持ち、舞台上に置いていく。何もないのは舞台設定が廃画廊であり、その内部を探索する様子を描く。

梗概…冒頭「全6幕、10/12-12/29~或る一冊の日記より」と映されている。廃画廊内の観察と説明が順々に展開される。董子の部屋、その董子とは何者か?その軌跡を辿るような場面。僕が思いを寄せる女性(J)、その女性を巡り友人・堀田との微妙な関係にある心理的状態が綴られる。

当日パンフレットで主宰・演出の中尾幸志郎氏は「舞台作品というのは、新しい住まいのようなもの(中略)そこで幾人かの人間が、各々の時間を過ごしたということ。そういうことが痕跡として、どこかに刻まれ残るということ。」と記している。だから舞台上で人間が行き来するが、その匂いは人間ではなく街という生活の匂い。そこを散策する人間(登場人物)は全員がカバンを背負うまたは手に持っている。それは人生そのものに何かを背負っており、その大きさ、形状は人によって違うという暗喩のようだ。

ゆったりと一定のリズムで演じる。映写されて映る字が台詞の一部になる。一見、朗読劇でもよいと思うが、観客に何かしらの印象=痕跡を残したいらしい。台詞は詩のようであり”詩劇”のような感じであるが、”刺激”はない。絶え間なく流れる音楽、この心地良いリズム感や音楽が逆に眠気を…。
次回公演を楽しみにしております。
ウェイヴライン

ウェイヴライン

不定深度3200

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2019/03/21 (木) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★

物語の前提は、友人からの伝聞という間接話法のような話にしている。登場人物は全員大学生であり、それぞれの生活や行動から見える青春ドラマ。
観客を物語の中に引っ張り込む、または集中させるといった力強さが足りなく残念。話の内容は分かり易いが、全体的に坦々としており印象的でないような…。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

女性が、ある出来事がきっかけで引き籠りになった大学生の部屋に飲料を持って行くところから物語が始まる。その部屋からは海が見えるという設定である。
ほぼ素舞台(椅子1つ)だが、両側に白い衝立のようなものが2つずつ立ててある。この衝立には、テロップのような映像が映される。この映された内容が男の引き籠りの原因のようだ。

物語は、坦々と過ごし大学院へ進学する者、就職活動で忙しくしている者、海外留学している者、世界中を旅している者、そして引き籠りの大学生といった群像。現代的と思わせるのは海外にいる友人とインターネットを通じて繋がっていること。それぞれの生活・行動を描く時に行う、奇妙なパフォーマンスというかムーヴメントが何を意味するのか分からない。その動作はクロールのように腕を回す、または平泳ぎのように両手を左右に広げる。タイトルが「ウェイヴライン」であり、海が見える部屋という設定から”海”をイメージした動作であろうか?または、まだ何者でもないという学生を表す浮遊感のようなものであろうか?その独特の演技が少しわざとらしく鼻につく。

一部回想シーンが描かれるが、それは引き籠りになった原因(彼女が通り魔=無差別殺人で殺された事件)である。その内容(文字)が衝立に映され、そこにはチラシにある午前11時30分。実は事件が起きた時間である。ラスト...夢想の中の彼女は私のことは早く忘れてと言わんばかりに、男がデッサン用に使用しているエンピツで自分を刺す衝撃さ。この場面だけを見ると、男が再生するまでの空想劇のようでもある。

照明は印象にないが、音響は波の音や雑踏など、情景を思わせる効果を演出し好印象を受けた。
次回公演を楽しみにしております。
宴もたけなわ。【当日券あり〼】

宴もたけなわ。【当日券あり〼】

ひとりぼっちのみんな

王子小劇場(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★

なっちゃんの幼児期から大人になるまでの成長期を、その時々のエピソードを盛り込み情熱的に描いた青春ドラマ。1人の少女(女性)を描き出すため、その周りにいる多くの人々(友達)が絡み紡いでいく。全体的には明るく元気だが、青春期における悩みも...。
観劇日は公演折り返しの回で、終演後舞台にブルーシートを敷き、飲み物が振舞われた。まさしく”宴”である。宴をしながらアフターイベントが行われたが、半分以上はキャスト自らの質問だった。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

客席はコの字で、舞台となるところにはマットが敷かれている。基本的には素舞台であるが、シーンによっては楽器も持ち込み情景と心情を表現しているようだ。キャストは12名、その中の1人 福井夏さんをなっちゃんに見立てた成長譚。

物語は保育園児であったころから恋に悩む大人までの青春期を描く。その観せ方は音楽(楽器演奏)やダンスなど明るく元気に躍動感あるもの。物語には時々のエピソードを組み込むが、やはり大人になってからの三角関係のような場面が印象的になり、それより前のエピソードが翳んでしまう。
この場面は、1人の男を巡り、なっちゃんともう1人の女性の競い合い。男は、なっちゃんが好きだが、別れた元カノとは友達として付き合いたいという無神経さ。この男に対し女性2人の自意識の小競り合い。女の絶妙なマウンティングを取り合うようなディスる会話や姿は、純粋のようであり歪んだ思い込みがリアルで痛々しい。もっとも全体が明るく元気な劇風であるから険悪感はあまりない。それは作・演出の伊藤香菜さんの「お客様にとって楽しい時間になったらいいな」という思いの表れか。

説明文の「宴もたけなわ。は大変盛り上がっているという意味ですが」とあるが、楽しい芝居は嬉しいが、同時に主人公・なっちゃんの内面と彼女が精神的に成長していると思わせるような”物語性”が観られるともっと良かったと思うが…。
次回公演を楽しみにしております。
桜の森の満開のあとで

桜の森の満開のあとで

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/03/21 (木) ~ 2019/03/27 (水)公演終了

満足度★★★★

「桜の樹の下には 屍体 ( したい ) が埋まっている! 」は、梶井基次郎の短編「桜の樹の下」の冒頭の一文。その後に続くのが、「桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」。弱き者を切り捨て、その上にある見た目の幸福(美しさ)...この公演そのもののようだ。

公演は、大学のゼミの卒業をかけた模擬会議。そのテーマは”老人から成人としての権利を放棄させるという条例”の制定の是非を巡る論議である。模擬会議の喧々諤々を通して現代日本の諸政を抉る秀作。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

客席はコの字、空いているところには窓、その両側に紐が絡むように張られている。まさしく議論が絡むような。また喫煙場所でもある。この部屋で政治学科タケカワゼミの卒業試験を兼ねた模擬会議<モックカンファレンス>が行われていく。その12人 1幕会議劇は観応えがあった。

説明文から、舞台は日本海を臨む古い街道都市・安宅市。安宅市が独自に提出した、通称「姥捨山」条例…老人から選挙権を放棄させるという条例である。この条例の是非を問う会議の議論がされるが…。面白いがいくつか気になるところもある。

 テーマとして描く姥捨山条例の解決策。「老人」とは議論からすると65歳以上と思われる。この条例可決とセットで「若者(年齢定義は不明)」に被選挙権を与えない。これによってそれぞれ態度表明の機会が失われること、行動表明が制限されることになり、政治への関心を失わせることにならないか?「政治に答えはない」はゼミ内の常套句のようであるが、今後の安宅市政に誰が責任を持つのか。時代の情勢や状況に応じて最善の施策を施さなければならないのは自明の理であろう。そう考えた時、政治の答えに近づくための施策に責任を持つ者たちは誰か。
 大学ゼミにおける役割は年間を通して同じ。確かにその立場の理解力が深まり、また人物に同化できる。一方、政治学科の学生として色々な立場の経験(視野狭窄にならない)が必要ではないか。立場が変われば見方も違う。何となく政治とは別の意味で成績評価の平等性が保たれていないように思えるが…。

安宅市のこの種の会議は全会一致で可決という、一見、民主主義のお手本(連帯責任の押し付け)のようにも思えるが、そこに潜む問題が悩ましい。多数決では少数意見(意見表明)が残るが、全会一致では、何時までも少数意見(反対ばかり)を貫くことは難しいように思える。その特異性を国政レベルの思惑で”あるモデル市”にするという発想の提示は鋭い。
大学授業の模擬会議としつつも現実問題を考えさせ、同時に大学ゼミの成績に直結させ感情と思惑を煽るという巧みな構成は見事。
次回公演を楽しみにしております。
殺し屋ジョー

殺し屋ジョー

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

この公演の魅力は、サスペンスの雰囲気とバイオレンスな演技、その圧倒的な力強さであろう。上演時間2時間20分(途中休憩10分)と長いが、舞台から目が離せないほどの迫力があった。物語性、テーマ性など理屈っぽいことは卑小に思えてしまうほどだ。

ネタバレBOX

セットは、舞台となるテキサス州ダラス市郊外、そこにあるトレーラーハウス内。中央に玄関、上手にキッチンや冷蔵庫、下手にソファーやテーブルが置かれている。奥に窓があり、ガラスを通して外の金網が見える。この舞台美術だけでも荒んだ臨場感が漂う。それに加え、雨、雷といった不穏な音響、薄暗い照明が不気味さを増す。もっとも照明の暗さは別の意味もあるが…。

梗概…登場人物は5人(スミス一家、父アンセル、継母シャーラ、妹ドティーの3人が住んでおり、兄クリスは実母と一緒に別の場所に住む)。この人物たちのキャラクターがしっかり描かれ、濃密な会話が繰り広げられる。実母のせいで借金を抱え命が危なくなった兄クリスは、実母の多額の保険金を目当てに父アンセルと共謀して母の殺害を企てる。その依頼を昼の顔は警官だが裏の顔は殺し屋であるジョーにするが、思わぬ事態に展開していく。

5人の演技とそのバランスは見事で、エロチックでありバイオレンスという人間の本性を曝け出すようなもの。その表現・迫力は圧倒的で観客の目をくぎ付けにする。また表面的な迫力だけではなく、父の優柔不断のような性格、継母のしたたかな思惑や媚情、妹の純粋かつ惚けた行い、兄の歪んだプライド、そしてジョーの愛嬌と暴力の二面性など心憎いほどの心情描写。壊れかけた家族が殺し屋という乱暴者によって、歪なまとまりを見せるが…。

次回公演を楽しみにしております。
第27班 本公演9つめ『蛍』

第27班 本公演9つめ『蛍』

オフィス上の空

萬劇場(東京都)

2019/03/20 (水) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

表層的には2人の男の勝負の世界ではあるが、真は自分自身との人生勝負といった内面を描いた物語。2人の心情描写が実に上手い。
(上演時間2時間15分) 【Bチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は、スロープのようになだらかな傾斜を作り、上段にある家族の家(一見アトリエ風)、中段に大学の演劇部室(ただし将棋盤が置かれている)、下段上手にソファー、下手にテーブルと椅子といった区分けがされ、それぞれの居場所を示す。上演前には将棋の世界を思わせる障子もしくは格子のような照明、そして日暮が鳴くような音響。それが物語が始まると都会の雑踏のような音に変わり、現実の世界へ引き戻すような手法は見事。

梗概…それぞれの家庭事情や夫婦の問題によって心を病んだ2人の男性棋士が主人公。表層的には将棋の世界(女性の奨励会員を登場させ、将棋の厳しさ)の勝負事のように思えるが、棋士になるまでの辛苦は自分の生活環境を乗り越えるための試練のようでもある。2人の棋士、その年齢差は10歳ほど違うようだが、勝負の世界は年齢など関係ないことは現在の将棋界を見てもわかる。物語は現在と過去を往還させ、なぜ棋士になったのか、その理由などが順々に明らかにされる。

物語の展開は現在・過去を往還させるため、同一人物をそれぞれの時代で生きる2人の役者で演じる。そして役柄名ですぐ分からないよう過去と現在で変えている。例えば、幼少期はヤマト(市瀬美和サン)という名前、成人してからはオシダ(塩口量平サン)という苗字。また大学時代のエイジ(鈴木研サン)というあだ名、プロ棋士の現在はサトル(細身慎之介サン)という名前にする。それは演出する上で必要かもしれないが、序盤から中盤にかけては人物の関係性を理解しながら観るのは少し煩雑であり、話が散らばった印象を受ける。

基本的には2人のプロ棋士の成長譚。1人は小学生の時に別れた姉(実は母)を探すためのパフォーマンス、もう1人はいざという時に勝てない気の弱さへの自己鼓舞。それが現在の対局中に過去の自分が心情吐露するような叫び。この場面が圧巻で心が揺さぶられる。このシーンがクライマックスのようで、個人的にはこの場面で終えても良かったと思う。公演ではさらに、ヤマトが姉と行った公園にサトルの妻と一緒に行って蛍を見るが…。余韻付けかもしれないが、クールダウンのようで先の対局シーンの感動、高揚感が薄らいでしまったのが少し残念。

次回公演を楽しみにしております。
ELECTRIC GARDEN

ELECTRIC GARDEN

楽園王

d-倉庫(東京都)

2019/03/19 (火) ~ 2019/03/21 (木)公演終了

満足度★★★★

現実と夢想が交錯するような物語。それは行動と思索するような人間描写で表現しているが、少し解り難い展開もあった。全体的に勢いがあるが粗削りのような印象を受ける。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

客席はコの字型で、舞台を半囲いし中央に一段高い式台のようなものがある。客席がない所には建築現場で見られる(パイプ組)足場のようなものが立つ。
 
梗概…男が、不良とみられる人物を次々に殺害したという独白で始まる。殺害事実は認めているが、それでも自分の味方になってくれと懇願する。取り調べと並行して語りかけてくる死者たちの戯言。パイプ組の足場が死者らの居場所になる。一方、男とは別に彷徨い続ける女が引きずるような足取りで現れる。脈絡のない展開のように思えるが、後々繋がりを持つ。実はこの過程が多重交錯するようで解り難い。抗いきれない感情、それは加害者である男が死刑になるまで生かされ、一方被害者はすでに死へ、その理不尽な状態に対する不可解な叫び。

物語は、いくつものエピソードが組み込まれ多重化しているようにも思える。それは単にパイプの上部から見下ろし話しかけるという見た目のことではなく、”こちらの世界”と”あちらの世界”という異空間・異次元とでも言うのか、その雰囲気の違いが「現実」と「夢想」のように思える。男がいる世界が現実、女が彷徨っている世界が夢想、そして死者がそれぞれに語り掛ける。しかし男の取調室のシーンが夢想から醒めると病院での診察を思わせるシーンへ転換する。一瞬にして男は精神疾患患者を思わせる。全体が虚実交錯するような独特の世界観を形成している。

演出...卒業式で見られる”呼び掛け”のような台詞。会話という台詞ではなく、言葉の重ね合わせのようであり、メッセージでもある。音楽は抑揚のない低重音が坦々と流れる。それが何となく不気味な雰囲気を作り出す。現実と非現実を曖昧にし、混沌とした状態から現実を浮き彫りにする。その型に捉われない、粗削りだが勢いのある公演は観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
見よ、飛行機の高く飛べるを

見よ、飛行機の高く飛べるを

ことのはbox

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/03/13 (水) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

初演(旗揚げ)、再演(シアターグリーン2018 BOX in BOX Theater賞受賞)、そして今回が再々演となる。それぞれ違う劇場で上演しているため、その構造に応じて演出も変わる。その意味では同じ脚本でも違った印象を受けることになる。
さて、この公演の時代設定は明治44年であり、今から100年以上も前の状況でありながら、いまだ色褪せないテーマを描いている。
説明にある通り、名古屋の第二女子師範学校の女性徒がある事件をキッカケに当時の女子教育の在り方、学校校則による閉塞感に抗い戦いを挑むが…。
(上演時間2時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、基本的に同じで中央にこの宿舎とは別棟の扉・通路、その横は2階への半折返し階段、上手に舎監教員室や給湯室への出入口、下手は談話室があり、ここが芝居の中心になる場所である。また、衣装や髪型は、当時を思わせる雰囲気を作り出している。既に知っているセットであるが、やはり場内に入ると一瞬のうちに日常から非日常の世界へ誘われる。
さて、この劇場は横に広がり、初演・再演に比べ足早または大股に歩くことになる。それは女生徒の溌剌・活発とした動作として観ることもできるが、一方中盤(バードウィメン発行準備)以降の会話劇の緊密さという全体の流れと少し違う。

脚本が同じでも演出やキャストが違うと物語の印象が違い、新たな楽しみがある。今回は、それぞれ女生徒の出身(士族の出か否か)や立場の違いにより性格が明確に表現されていた。特に杉坂初江(小野寺ずるサン)は始めこそ上級生に向かって礼儀正しかったが、編集長になってからは胸を張り、いや少し反りかえるような鷹揚な態度に変貌する。その演技が印象的で、思わず立場が人(人格)を形成する典型的な過程を観(魅)せたようだ。

一方、台詞と照明は劇場の広スペースの影響であろうか、解り難いところがある。まず台詞は俚言で早口は聞き取りにくい。場面の流れで何となく自分で推測し納得させているような。また夜の談話室での会合シーンは少し暗く、談話室の対角にある自分の席からは観難い。初演、再演時の劇場であれば観えた明るさでも、今回は細かい動作が分からないのが残念だった。それでもシーン毎の照明効果(特にスポットなど)は素晴らしく、表情の陰影が心情を物語るようだ。

表層的には、当時の女子教育...良妻賢母・温順貞淑などの台詞等にあるとおり、女性の生き方や男女差別を容認するような教育方針の押し付け。それに抗う姿勢に対し国権(警察権力等)を利用してでも圧する体制の理不尽さ。この体制には屈しないが、人の心情に胸打たれ…。友情と愛情という”情”の間に揺れ悩む、もう1人の主人公・光島延ぶ(廣瀬響乃サン)。再演時と役柄が変わったが、抱擁力ある優等生というよりは芯の強いリーダーという印象で、違った魅力を観せてくれた。やはり良い脚本に演出の妙が加えられ、演技という役者の力によって具現化される、改めて「演劇」の素晴らしさを伝える。そういえば、「ことのはbox」は、ほとんど毎回劇場を変え、演出の試行錯誤を繰り返して脚本の魅力を引き出そうとしているような…。

次回公演も楽しみにしております。
TOCTOC あなたと少しだけ違う癖

TOCTOC あなたと少しだけ違う癖

株式会社NLT

ザ・ポケット(東京都)

2019/02/28 (木) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

登場人物は7人「無くて七癖」…もちろん意味は違うが、うち6人が困り悩んでいる癖があるという悲観を題材にした喜劇。物語の展開も面白いが、何といっても独特な”癖”の設定、それを役者が十分表現する力は観応え十分。”癖”になりそうな公演、しっかり堪能させてもらった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットにスタイリッシュという表現が合うか分からないが、殺風景ではないが温かみも感じられない空間。中央に大きな雲形半円のようなテーブル、椅子が置かれ、中央奥に飾り棚、上手に本棚が置かれている。後景にはいくつもの線(紐)が張られ、舞台上(板)には白線が描かれている。もちろん癖に関係している。

梗概…神経精神科の専門医ステーンは、その道の世界的権威。患者は人には話せない癖、これを直したいという切実な願い。しかしこの医者は、同じ患者を2度診ない。ようやく予約を取りつけた悩み多き人々が、この医療施設を訪れている。本日の予約患者6人が待合室で待っているが、出先からの飛行機が遅れ先生が到着しないとの知らせが入る。途方に暮れる6人が取った行動とは…。

この公演の魅力は、その特異な癖とそれを演じる役者の演技力であろう。一人ひとりの癖とそれによって嫌な思いをしている心情が丁寧に描かれる。もちろん癖の特徴は独特で現実にそんな人が居るのだろうかと疑問に思うようなもの。人は本人が気づかない癖があり、公演ではその癖をオーバーに描くことで現実から距離を置く。劇中人物は少し漫画的になり、癖はその人の特徴になり全体像と捉えるようになる。癖=性格付けは物語を展開する上で重要であり、これが6人だけのグループワークの見せ場に繋がるという巧みさ。この中で、反復症の女・リリィを演じた井上薫サンの演技が素晴らしかった。

原作のローラン・パフィはフランス人。物語の中にはフランスの情景や特徴を織り込んだ場面も見られ、感覚的に解り難い所(人生ゲーム内⇒その場所が娼婦街というイメージ待てず、嫌悪感が伝わらない等)はあるが、”何か”をもって気持をまとめる。そこへの導きは巧み。それを契機に、一人ひとりが他者のアドバイス等を受け癖の直しに立ち向かう姿を描く。この人の痛みをデフォルメして悲劇を喜劇として観せる、実に面白かった。

次回公演を楽しみにしております。
グッバイ・ルサンチマン

グッバイ・ルサンチマン

劇団サラリーマンチュウニ

上野ストアハウス(東京都)

2019/02/21 (木) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

人の生き甲斐と街の存在、その関係を上手く繋いだ人情劇。何となく居そうな人物、そして数は少なくなったが憩いの場である銭湯、その身近な存在から生まれたものとは…。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台は、ある作家の講演会から始まる。衝立の前に演台が設けられ、少しの移動で風呂屋へ場面転換させる。演台はそのまま風呂屋の番台になり、左右の出入り口に男湯女湯の暖簾が吊るされる。

梗概…吉崎透はアンチリア充の作家である。その彼の所に突然、女性が押しかけてきて同棲生活が始まる。吉崎は彼女との満ち足りた生活で、作家としてのクリエイティビティを見いだせなくなった。一方、近所の玉の湯は、売上の減少傾向が続いており存続の危機に。
この公演、人間の存在(暮らし)は街(場所)によって明らかになり、逆に街は人間の営みによって活性化・繁栄するという相互関係を分かり易く描いた作品だ。登場する人物は身近に居るような人々、そして展開する内容は、今の日本の一面を切り取ったような出来事をコミカルに描く。それは人間関係、地域性、そして活性化に繋がり観客の同感を得ていくようなもの。

吉崎を利用した女(YouTuber[ユーチューバー])、彼を信奉するファン、銭湯の息子、その妹にしてビジネスウーマン、銭湯で働く訳あり男、怪しげな集団に属する母と引き籠り息子、その仲を取り持つ姉、地方出身の大学生など一見無関係な人々が交錯する。それぞれの人が抱えている問題は、典型的な今問題であろう。人を利用し安易な手段での売名行為、追っかけアイドルファン、行き当たりばったりの経営者、利益優先の合理主義者、リストラ、カルト信奉者、引き籠り、遣りたいことが見出せない若者などの代表例。

キッチリとした関係性で紡ぐのではなく、それぞれの独立した暮らしや境遇を散りばめながら、地域・街という括りで人々をまとめる。その場所が銭湯・玉の湯である。今、銭湯の数は減少し憩いの場が少なくなってきている。人は1人ひとり違い、独立した生活をしているが、1人では生きていけない。公演では個(性)人の特性を尊重しながらも、集いという纏まりの大切さも訴えているようだ。

基本的には、みんな善人というか普通の人々で、その人の温もりを感じる。色々なバックボーンの人を登場させたことで話が散らばったように思うが、それだけ問題意識が広範なのだろう。”街(銭湯)”の人々の物語も面白かったが、もう少し絞り込んだ関係性で緊密・濃密な芝居も期待したいところ。

次回公演も楽しみにしております。
鈍色(ニビイロ)のヘルメット

鈍色(ニビイロ)のヘルメット

KUROGOKU

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2019/02/20 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人の記憶の曖昧、人心の移ろいを思わせるような…三島由紀夫割腹事件から来年で50年。この公演は1968-69年を中心にした学生運動を主軸に、当時の時代状況を高らかに謳った群像劇のようであったが…。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、タイトルにある鈍色を背景に、上手側にバリケードを思わせるパイプ椅子や長テーブルが積み上げられている。違和感は卓袱台が置かれていることで、後々に別場面で使用するであろうことは容易に分かる。中央に階段があり、上ったところは演説場(実際 演説もする)を思わせる。もちろん階段の上り下りの動作は躍動感を生み、学生運動の動的場面を支えている。

梗概…1968年から69年にかけて起きた全国各地での学生運動、その中心として東大・日大闘争で集まった学生の主義主張と行動を描く。特に東大・安田講堂籠城事件を通してこれからの日本の行く末、己の生き様を問う姿はある意味、時代を越えて考えていることだろう。
この公演は時代状況や情況を歌で表しており、その選曲は巧い。上演前から♪シュプレヒコールの波 通りすぎていく♪(世情)で学生運動の高揚・陶酔した雰囲気を出し、その後学生の1人が東大安田講堂での攻防で心に負った傷、その日々に流れる(或る日突然)、そしてラストの登場人物全員による(翼をください)等、さらに電車が高架を通るような騒音など聴覚という演劇の特長を生かした演出は見事。

物語は時代・時間を順々に展開しており分かり易いが、構成的には頭でっかちのようだ。始めは学生運動の高揚・緊迫感あるシーンの群像劇であるが、東大安田講堂闘争鎮静以降は、ほぼ根本順平(スヅキハヤツ サン)と恋人の広瀬桜子(伊藤はるかサン)の2人芝居になる。しかも順平は安田講堂闘争で機動隊員への火炎瓶投で焼死させたかもしれないという恐怖と自責の念から無為な日々を過ごしている。そのため会話というよりは桜子の今後の生活不安・焦燥や順平への愛情確認という心情吐露といった光景。伊藤さんは熱演しているが、やはり学生運動という群像劇に比べると印象が弱くなったのが残念だ。また安田講堂へ機動隊が突入する前日に脱出した城戸義朗(古俣晨サン)、その後自己確立できたのかも気になる。

さて三島由紀夫割腹自殺が1970年、同年には大阪万博が開催されている。この公演の学生運動は1968~69年であり、現在の状況に似ているような気がする。来(2020)年は東京オリンピックが開催されようとし、一方今でも震災や事故等で苦しむ人々がおり、また貧富の格差拡大など時代状況の明暗のようなものを思わせる。自分は世代的に少し若いが、実に感慨深い作品だと思う。
次回公演も楽しみにしております。
幕が上がるなら

幕が上がるなら

演劇商店 若櫻

ひつじ座(東京都)

2019/02/16 (土) ~ 2019/02/21 (木)公演終了

満足度★★★★

初日観劇。当日は雨が降り肌寒い日であった。
タイトルから推測できると思うが、劇の幕が上がるまでの自信、いや自身劇といった物語。立場によるキャラクー設定の面白さは、経験的な発想だろうか。誇張しているが、そのリアリティは観客までもハラハラドキドキさせる臨場感…本公演を通して楽屋裏を見る楽しさを堪能した。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは楽屋という設定で、上手側に小道具が置かれている台、ほほ正面に衣装が吊るされ、下手側奥に別場への出入り口や雑多な棚等がある。舞台への通路が2箇所ありそれぞれ表示が書かれており、初めて知った。ちなみに、置かれている小道具は劇中劇「ロミオ&ジュリエット」ですべて使用するという拘り。

物語は劇団「万歳一礼」内での不協和、アクシデントや思わぬ人物によって掻き乱されるといった騒動をテンポよくコミカルに描く。演劇…観客にとっては日常の中の非日常空間であるが、演じている役者にとっては、それが日常茶飯事のことである。それだけに手馴れた感じである。
物語の所々に小演劇に携わる面白さ、醍醐味が語られるが、一方生活は潤わず苦しいとの本音もチラリ。表層はコミカルであるが、演劇への「情熱」と「生活」という夢と現実が交差するような悲哀(30歳という微妙な年齢も関係)も感じられる。その意味で飄々とした劇風の中に骨太さが垣間見られる。

物語は照明担当のスタッフが産気づき病院へ行き、その夫が手伝いに来るが劇関係の経験はまったくない。しかし本人はやる気満々で「さあ、何から始めましょうか」と言うが、この件が少し長く身内受けのように感じた。この人物は唯一劇関係者ではなく、一歩引いた立場で見ており、その人物がドタバタ騒動にも関わらず演劇(裏方も含め)の面白さを実感していく。だからこそ冗長にならず心地良いテンポを意識、継続してほしかった。公演全体を通じて演劇-小演劇への愛情に溢れた作品であることが分かる。

観劇後、外に出ると雨が止んでおり、このタイトルに似た「雨あがる」という映画を思い出した。それは、浪人が雨で川を渡れず足止めされるが、雨上がると晴れやかな気分で…本公演はそんな思いを抱かせる好作品であった。
次回公演を楽しみにしております。
最期の作戦行動

最期の作戦行動

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2019/02/15 (金) ~ 2019/02/17 (日)公演終了

満足度★★★

1970年代後半から80年頃、ある港町にある喫茶ドルフィンに集う常連客による会話劇。タイトルは「最期の作戦行動」とあり戦争を巡る物語であることは容易に連想できるが…。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

昭和という時代を感じさせる喫茶店内。上手側が店出入口、ピンクの公衆電話があり、下手側にあるカウンター上にはレコードプレーヤーが置かれている。店内中央にテーブルや丸椅子が置かれ当時の雰囲気をそれとなく醸し出している。

物語は喫茶店に集う常連客のそれぞれの思いが語られるが、主に戦艦大和の元乗組員と自衛隊員の話、芸能関係の仕事に関する話という2つの流れに大別できる。その話の間には(有機的)繋がりがあったのだろうか。確かに戦争の悲惨さを実体験を踏まえ語り伝える世代が少なくなる中で、平和に対する危機感を訴えることは必要だと思う。しかし、その主張を今から約40年前の時代に設定する必然性は何であろうか。今の”改憲論議”に対する思いを観客に委ねたのであろうか? 物語では戦争の語り部である大和乗組員・杉山秀雄が亡くなってからも、芸能関係の話が続く。平和ゆえに出来る仕事という比喩であろうか。

2つの話がどのような関係で繋いでいたのか分からない。単なる喫茶店での談話の域に止まったと思う。その意味で元戦艦大和乗組員の語りに込めた主張が弱く、もっと言えば伝わらないのが残念であった。理屈を並べることは出来ると思うが、杉山は理屈ではなく心情を吐露し、聞いていた自衛隊員・水野にしても隊員としての任務と現場感情での戸惑いは、あくまで”心情”。この”情”が機微に触れてこない。

卑小かもしれないが、父と息子の邂逅のきっかけ…元戦艦大和乗組員は新聞の死亡記事に掲載されるほどの人物であったのか。台詞から身寄りもなく、高級士官でもない人物の死亡記事はどうしてか(地方紙_訃報欄ならあり得るか)。
演出では、場面転換における暗転時間が少し長いと思う。その間に昭和歌謡を流し雰囲気を出しているが、もう少しテンポよく出来ないだろうか(時の刻みは丁寧)。
そして演技に関しては、力量差がありバランスを欠いていたように思う。
以上、辛口コメントをさせていただいたが、全体的に当時の喫茶店で話していたであろう談話、時代という雰囲気は十分感じられた公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
カーテンを閉じたまま

カーテンを閉じたまま

Ammo

シアター風姿花伝(東京都)

2019/02/14 (木) ~ 2019/02/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

硬質、骨太といった印象で観応え十分な作品。何となくスタンフォード大学のある実験を思い出してしまうが…。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは冒頭、引っ越しの荷造りで色々なものが乱雑に置かれている。中央に丸テーブル・椅子、上手壁には暖炉があり、その傍のソファー。下手に書棚が置かれている。その中で老婦人(前園あかりサン)がソファーに座り引っ越し光景をぼんやりと眺めている。中央奥にはカーテンが閉められた窓がある。すぐにパリでの留学場面へ転換する。

梗概…サロト・サル(ポル・ポト)とパリの大学で一緒だった老婦人の回想として展開していく。この時代(1950年前後)はカンボジアからフランスへ留学できるのはごく一部のエリートだった。この公演は、1952年のフランス留学中と2006年のカンボジア特別法廷が開かれた年を往還する。
今年も新たに同国から新入生迎えるため、慣例に従って催しをすることになった。そして選んだのがシェークスピアの「リア王」である。ここでポル・ポトが演出を担うことになり、同級生たちを演出という名目で指導していく。この指導によってポル・ポトの主義主張である思想(共産主義)に洗脳していく。この過程が舞台稽古と称して軟禁状態にし一人ひとり理屈で追い込む。この場面における役者陣の演技は素晴らしい。

この演出家という立場の利用が何となくスタンフォード大学で行われた実験を連想する。それは心理学者の指導の下に、刑務所を舞台にして特別な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験。強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走するというもの。

この演出という行為は、一見正当性があるように見えポル・ポトの潜在的な革命家としての姿をくらます=敵に見つからないという巧妙な手段のようだ。主義や立場が人格を形成する、逆にそれらを持ちえない人は人格崩壊に陥りやすい。この件は、現代のインターネット社会で目に見えない情報、それによって人心が操作されるような危惧を感じる。印象的なのは、裁判記録は記憶を残すが、悪夢を断ち切るための記憶も必要だ。骨太作品というイメージは、人物造形と物語の展開、そこに散りばめられた強く印象的な台詞である。

この公演は照明効果による演出が巧みで、その状況に応じた照度、情況変化に応じた諧調など人物造形に寄り添っているようだ。例えば特定人物の心情(表情)描写のスポットライト、白、朱などの色彩照明による衝撃描写、また窓枠を刳り貫いたような印象付けなど見事。また音響は不安、不穏、不気味などそのシーンを支えている。
次回公演を楽しみにしております。
SHOOTING PAIN

SHOOTING PAIN

ピヨピヨレボリューション

スタジオ空洞(東京都)

2019/02/01 (金) ~ 2019/02/10 (日)公演終了

満足度★★★★

今まで観たピヨピヨレボリューションとは別公演のようだ。歌&ダンスなどのライブ感なしのストレートプレイは、別の意味(ヒューマンドラマとしての情感頂)で面白かった。全体イメージは抒情的な風景に心象的な思いが紡がれていく。心(思い)に寄り添い、浸み入るような味わい深い物語である。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

客席はL字のような2方向の設え。舞台壁は全体的に白っぽく、その所々に小枝・豆電飾、床には鉄道線路が描かれている。シンプルで浮遊感漂う空間は、物語が始まって間もなく、心療内科病棟ということが分かる。冒頭に登場する3人の女性が主人公で、よく観かける1人3役ならぬ…ラストの余韻が素晴らしい。

梗概…マツリ(渡邊安理サン)小春(macoサン)、小山田(あずさサン)を中心に、心療内科病棟の入院患者、医師・看護師等の病院スタッフが織り成すヒューマンドラマ。舞台セットはもちろん、冒頭に呟かれる”雨”などに象徴される言葉は抒情的で、物語全体を優しく包み込む見事な台詞運び。ちなみに、”雨”はキーワードであった。心の彷徨、その受け止め方は観客1人ひとりによって異なる。その滋味は…。

物語の背景には「苛め」「育児」などの社会問題を据えている。しかし視点を少しずらし、直接的な社会批判として観せていない。苛めは人としての悩み、その心の叫びを切り取り、問題の深刻さを痛いほど伝える心象劇にしている。また育児は、一夫多妻という独善(ユーモア)世界の中で、他婦(多夫)人の助けを得て子育てする。育児の不安・悩みを1人で抱え込まないで、地域社会の共助として育児を、というメッセージが込められているようだ。

演技は、心療内科病棟にも関わらず明るく生き活きと、時に騒々しい人物像をしっかり立ち上げている。特に3女優のそれぞれの心内表現と3人の演技バランスは見事。とても愛らしく寂しさが、グッと観客の心に迫る。
アフタートークから、衣装や小物類にも意味合いや工夫が施されているらしい。その衣装の変化が情景や心境変化などを現しており、楽しめる。
さて、自分の観劇位置からは、舞台壁が白く、また病院スタッフの衣装が白っぽいことから照明角度によっては暈けるような場面が…。
次回公演を楽しみにしております。
夜曲

夜曲

アカズノマ

新宿村LIVE(東京都)

2019/01/31 (木) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

悩める現代人が何百年も前の亡霊との関わりを通して成長もしくは自我が変化していく物語。現代と記したが、脚本(横内謙介氏)は1986年に初演しており、今から約30年前の現代である。何度となく上演された作品らしいが、自分は未見であった。
演出は七味まゆ味女史である。直近の別作品「を待ちながら。」では役者として観させてもらったが、本作では演出家、役者として存在感を示していた。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

説明にあるとおり、主人公ツトムは放火魔である。その舞台セットは黒焦げになった焼柱が立ち、上手側から下手側に川が流れるように緩い傾斜の回り込んだ路がある。上手側に焼けた階段等、上下の動きができる造作。全体的にほの暗いが、情景描写と同時に登場人物の衣装の引き立て効果を持っているようだ。現代人はともかく、亡霊は派手な衣装や化粧で見栄えがする。舞台美術と衣装等は見事。すでに”生”はなく、しかしこの場所(古びた幼稚園跡)に居付く疑問、不思議さは解明されないままだったが、本筋が現代人・放火魔のツトムであり、その心の変容に重点を置いているからだろう。もう一人重要人物は、放火現場で出会うサヨという少女との関わりである。ツトムが幼稚園を放火したことを喜ぶサヨ。このサヨの存在も意味深であった。

梗概…放火魔ツトムは、旧幼稚園を放火しサヨと話すところから物語は始まる。そのうち数百年前の亡霊が次々と現れ、古の封建的なしがらみや理不尽な行為、争いごとが表出する。怨霊によって呪いをかけられた人間、身分違いの恋、武士や貴族の主従関係、有象無象の人間関係に振り回されるツトム。いつの間にかその諍いなどの制止・仲裁をするツトム、1986年当時の現代では考えられない不条理を通してツトムの心に変化が生じ…。

さて、80年代といえば「しらけ世代」という言葉を思い出す。世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞うような、そんな代名詞的な言葉。政治的な議論、社会的な出来事など何にしても冷め、無関心になり、ある種の個人主義のような傾向。放火という愉悦犯行はその象徴のようにも思え、別意のシラケ…”真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者”を示しているような。ツトムの心境変化は、時空間を超えて目撃する理不尽さ、それを現在の自分の姿を投影し、といった「自己変革」。同時にシラケに示される無関心に対する「社会(世相)警鐘」といった思いが込められた作品のようだ。

ツトム(石塚朱莉サン)は、概して明るくポップな現代人像。それに対し亡霊たちは独特な 出で立ち化粧で観せ、そこに本音(真実)は見せない。いわば虚構・虚飾の世界観である。この外見対比は重要で、同一場面に居ながらツトムの心象形成のシーンでもある。その意味で、石塚朱莉さんの演技は良かったと思うが、全編通じて同調子の(心境変化が弱い)ように思えたのが少し残念。出来ればいくつかの場面を経ることによって心境変化が顕著になるともっと素晴らしく、観応えがあったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
PARTY PEOPLE

PARTY PEOPLE

艶∞ポリス

駅前劇場(東京都)

2019/01/31 (木) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

富裕層によるパーティを通して”お金”のあれこれを描く。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは大きく2分割(と言っても大部分は富豪家のもの)で、上手側にその富豪、下手側に貧乏アパートの一室。お金の価値は人それぞれであろうが、無いよりはあったほうがよいと思う。物語ラストではお金で買えないものがあり、わだかまりも見えてくる。
さて、100万円争奪のドタバタ騒動…必死になる者、100万円なんてはした金と言い切る者などお金の価値は様々。何故か富豪の享楽的な趣向に踊らされている。お金なんてという建前と欲しいという本音の人間の二面性、土壇場で駆け引きの虚々実々も見事。

物語は富豪:万田家の次男の誕生パーティに集まった人々によって「お金」「恋愛」「生き甲斐」などが語られるが、本筋がどこにあるのか。集められた人々の関係もハッキリしない。「PARTY PEOPLE」というタイトルに相応しい、無関係と思わる中でお金を通して描いた人間の滑稽・悲哀などが浮き上がってくる群像劇。
解り難かったのは、なぜ貧乏画家の五十嵐類(谷戸亮太サン)が万田家のパーティに招待されたのか?ラストシーン、彼の絵画を買ったのが万田氏であり、その縁であろうか。さらに五十嵐と同棲していた一色早希(川村紗也サン)と気まずい関係になったのは、彼女をモデルに描いた絵画を売った、という複雑な思いであろうか。愛する人の成功は望みたいが、自分との思い出でを売(無くな)るという淋しさ。お金は大事、欲しいがそれだけではない。そしてお金で買えないものは、万田家の嫁・アリサ(岸本鮎佳サン)の苦悩として語られる。物語は人それぞれが持っているお金に対する思いや考え方を表現するため、登場人物の組み合わせを多くしたため漂流したようで少し勿体なかった。

登場人物は、多少デフォルメしているが居そうな人物像を立ち上げていた。役者は熱演で自分もパーティ参加者として俯瞰しているような気分である。お金を完全否定している場面はない。かと言ってお金至上主義でもない。脚本・演出もあろうが、役者のお金に対する姿勢が垣間見られたような…。
次回公演も楽しみにしております。
ストアハウスコレクション・タイ週間Vol.3

ストアハウスコレクション・タイ週間Vol.3

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2019/01/30 (水) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

ストアハウスコレクションは何度か観ているが、今回はより身体表現に拘った作風になっていると感じた。
タイ、日本の両演目とも言葉は発しないといっても過言ではないだろう。確かに短い鼓舞するような掛け声は聞かれるが、それは音(響)として舞台上に流れているようだ。
さて、身体表現を観るのは、観客にしてみれば自分の自由な感性に委ねられるはずだが、何故か制作側の意図は?という勘繰り斟酌をしてしまう。本公演はそんな理屈的なことは関係なく、観たままの熱き創作が伝わった。
(上演時間2時間40分(途中休憩15分)

ネタバレBOX

素舞台、そこで男女の演者が熱く激しく躍動するダンス、パフォーマンス。タイと日本の共通した表現は言葉を発しない、人数こそ違うが男女で構成されている。上演の順番は日によって違うみたいだが、自分が観た回はタイ、日本の順であった。
共通しているのは、「生」ということだろうか。

タイのダンスパフォーマンスは、力強さというよりは技巧的な印象を受ける。男3、女2による飛び、跳ね、回転、反るなどの身体表現がシャープ。そしてシャボンなどを使い身体の動きを幻想的に観せる工夫が面白い。
日本のダンスパフォーマンスは、大地を踏み鳴らし男3名女4名が力強く抱きしめる。抱擁というよりは叩き抱くという表現が相応しい。客席通路から舞台に上がるが、その時の表情は無表情であり、不規則に(回転)歩き回る行進が、いつの間にか鞄・衣装を脱ぎ、互いの生存を喜ぶような仕草になる。

素舞台で暗幕で囲われた空間は、身体での表現に相応しい。小細工するようなものはなく、自分自身の力量と演者間のバランスが試される。そこには「生」という表現し難いものを、極めてシンプルに感じさせる。
タイ、日本という言語はもちろん文化も異なる国で、人の根源を真摯に表現する見事な公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
こちらなかまがり署特捜一係3

こちらなかまがり署特捜一係3

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★

公演の魅力は、サブステージを有効に活用し、作り込んだメインステージを素早く転換させる。それによって観客を一瞬のうちに現場情景に引き込む。物語は少しご都合的なところもあるが、分かり易く気楽に楽しめる。ただ序盤を中心に遊びシーンが多く、その印象が残ってしまうのが残念なところ。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

セットは、大別して3場面。第1に「なかまがり署特捜1係の室内」第2に「旧滝ケ瀬村の家屋内」、第3に「街頭等」である。それぞれに情感漂い、演劇という最大の効果である視覚に訴え、瞬く間に物語の世界に誘う。

公演は、タイトルからTV刑事ドラマ「太陽にほえろ」のパロディであることは推察できる。通常、刑事ドラマは事件とその犯人に焦点が当てられ、刑事達は狂言回しに追いやられる。しかし公演では捜査一係の刑事の1人ひとりに愛称(あだ名)と性格設定をし楽しませようとしている。この刑事の遣り取りが、少し遊び過ぎで緩慢に思えた。

梗概…放火が続き、その見回り警備に駆り出された特捜1係。捜査はしなくてよいという命令であったが、いつの間にか事件の核心に迫り、21年前の悲劇・怨嗟にたどり着く。捜査開始後は事件の背景と犯人の心情描写に焦点が移行する。全体はコメディ調であるが、猟銃(暴発)や犯人の余命という緊迫場面も盛り込んでくる。

セット転換も含め観客を楽しませようとする工夫には好感が持てるだけに、もう少し冗長場面は少なくても…。
次回公演を楽しみにしております。
本能寺夢絵巻 慚愧伝

本能寺夢絵巻 慚愧伝

夢劇

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

この物語は”夢物語”でもあり、それを慚愧と捉えるか。 そうであれば、自分などは慚愧に堪えないことが多すぎて…。
この劇団は未見であり、当然、戦国三部作はこの「本能寺の変」だけを観劇した。その印象は表層の事象は史実通説として描き、「本能寺の変」の謎を異聞として独自解釈し展開する。その発想、視点が面白い。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、二段構造で上段が(回)廊下、真ん中に階段を設え、後景は障子という和風作り。客席寄りは空間を作り中庭イメージであるが、もちろん殺陣アクションのスペースを確保するもの。

梗概…謎の人物が老人に向かって「本能寺の変」を回想して聞かせるという展開。
表層史実は、劇はもちろん小説・映画などで描かれる「本能寺の変」であるが、サブタイトルにある”本能寺夢絵巻”がこの公演の見所を支えている。信長・秀吉・光秀という三者三様の夢、そして夢かどうかは別にして成し遂げたいこと。その実現に向かって戦いを挑む。その果てを「本能寺の変」に帰結させる発想は面白く、それを迫真の演技で観せる。展開は、序盤が少し冗長に思えたが、後半になるにつれて引き込まれる。

戦国時代=殺戮の繰り返し。その怨嗟を断ち切るという壮大な夢物語。信長は武力をもって「天下布武」。「武」には「争いや戦いを止める」という意があり「七徳の武」…暴を禁じる 戦をやめる 民を安んじる 財を豊かにする等があるらしい。それを光秀の台詞として説明する。秀吉は出身から広大な土地を持ち、飢えを無くしたい、光秀は戦乱なき静かな世。信長近習の森蘭丸が思う、先の3人とは違う天下国家感の夢よりもう少し卑近な夢(叶えたいこと)?がこの「本能寺の変」の異聞。同時に具体的な夢が描き切れない光秀の苦悩が、現代日本の閉塞感ある状況下に通じるようでもあるが…。

夢は、信長正室・帰蝶が子を産めないことの苦悩への回答として、信長が一緒に夢適え育てていこうと諭す。信長の気性の荒さと優しさ、秀吉の機転と狡猾さ、光秀の実直さなど人物描写も上手い。演技(殺陣アクション含む)、照明(障子の影姿も)、音響(和太鼓等の生演奏)など、観(魅)せようと工夫しているところは好感が持てる。

次回公演を楽しみにしております。

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