タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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僕たちへ、ぬかるむ町

僕たちへ、ぬかるむ町

演劇チーム 渋谷ハチ公前

小劇場B1(東京都)

2019/07/24 (水) ~ 2019/07/31 (水)公演終了

満足度★★★★★

初日観劇。
父親の葬儀当日、25年ぶりに帰ってきた長兄が「この街は変わらねぇ」と呟く。もちろん街は開発され昔とは違っているが、呟きの意味するところは、人の心を揶揄しているようだ。底意地の悪さ、嘲り、裏切りなど人が持っているであろう醜悪な面を次々暴いていくような非人情劇。直接的には葬儀に集まった身近な人々の厭らしい部分をあぶり出しているが、真の狙いは人の懊悩を描くところにあるようだ。
観客の集中力を失わせないよう、”暗転なし”の工夫をするなど上手い観せ方。テンポの緩急、緊張をもたらすシーンなど観応えも十分だ。
なお、初日のためか演技が少し硬いこと、また冒頭は「ハッ?」「えっ?」などの感嘆詞のような応酬がくどく間が好くないところが気になったが…。
(上演時間1時間45分) 後日追記

しだれ咲き サマーストーム

しだれ咲き サマーストーム

あやめ十八番

吉祥寺シアター(東京都)

2019/07/19 (金) ~ 2019/07/24 (水)公演終了

満足度★★★★★

劇中劇ならぬ落語劇といった構成である。舞台は現代と江戸時代(吉原)が混然一体となっており、時代を行き来するといった時空間の往還ではない。噺家によって場面が自由自在に操られ、それが落語の世界なのか、噺の劇化なのか...実に不思議な世界観を築き上げており見事だ。同じ舞台に花魁姿の女性がいれば、現代ファッション?のyoutuberの女性も登場するが、不思議なことに違和感はない。
この世界観を支えているのが舞台美術だ。前に観た「ダズリング=デビュタント」の舞台美術も素晴らしかったことから、舞台造形には拘りがあるようだが…。
物語は、説明にある“嫐打ち”の漢字のような女・男・女の愛憎、また至芸への執念や嫉妬といった人間の業(ごう)などを、情感豊かに描き分ける巧みさ。上演時間は2時間35分(途中休憩10分)と長いが、飽きることなく集中して観られる秀作。 
後日追記

第10回せんがわ劇場演劇コンクール

第10回せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場

調布市せんがわ劇場(東京都)

2019/07/13 (土) ~ 2019/07/14 (日)公演終了

満足度★★★★

せんがわ劇場が主催する演劇コンクールで、予選(書類審査)を通過した6団体によって競われた。40分間という限られた時間の中で表現することになる。コンクールは2日間にわたって専門審査員、市民審査員および全公演を観劇した観客の投票によって審査する。専門審査員がグランプリおよび劇作家・演出家・俳優の各個人賞を選び、市民審査員と全公演を観劇した観客の投票(持つ票数は異なる)によってオーディエンス賞を決める。
今回のコンクールの特徴は、参加団体全ての公演がパフォーマンス系であったこと。この傾向(ここ数年は圧倒的にパフォーマンス主体)は、時間的制約が影響しているのであろうか?何となく見巧者向けで、演劇初心者には解り難いようにも思える。「演劇とは」という問いに正解はないかもしれないが、少なくとも観客が劇場に足を運ばなくては成り立たないだろう。多くの人に演劇を楽しんでもらうには敷居が高い内容に思えたのが残念だ。
(上演時間各40分)

ネタバレBOX

7月13日(土)【1日目】
①キュイ(東京)『蹂躙を蹂躙』13:30~14:10
ほぼ中央に電飾が吊るされており、椅子を次々倒す。チラシ説明と合わせると人を殴り倒す行為のようだ。そこには人の何とも言い表せない苛立ちのようなものが浮き上がる。不気味さは、何かが崩壊するような音響によって助長される。世界の崩壊、人の存在否定のなうなディストピアを思わせる。

②世界劇団(愛媛)『紅の魚群、海雲の風よ吹け』15:00~15:40 
大人になるって...繰り返されるフレーズを定型と非定型を比較しながら展開する。身近な教師は教えているようで、実は肝心なことは教えない。一方、スマホなど身近な媒体の方が役に立つというアイロニー。女の子の悩みを母親とドーパミンという比喩で描く。外観は歌舞伎風のメイクや衣装、そしてキューブも隈取のような柄が目をひく。

③イチニノ(茨城)『なかなおり/やりなおし』16:30~17:10 
茨城県愛を感じさせる内容。車が飛ぶ、人も飛ぶ、宇宙人が来るという夢物語。100年後の世界観と、何年経とうが変わらぬ故郷。その変わらぬ街には忘れたい事があり、強いて忘れたことにする。大胆な夢想の中に繊細な人の心、機微を描いた舞台。キューブを使用した上下運動が躍動感を生んでいた。

7月14日(日)【2日目】
④劇団速度(京都)『Nothing to be done.』13:30~14:10 
上手側に倒れるであろうことが一目瞭然な角材が立っている。そして倒れた時に当たるであろう花苗が舞台中央奥に置かれている。登場人物は男2人。1人は自分のからだの一部を指しながらもう1人の男に何かを訴えている。2人は言葉を交わすことなく、ラグビーのように体を押し付け合うだけ。何もない「ゴトーを待ちながら」を思う。

⑤ルサンチカ(京都)『PIPE DREAM』15:00~15:40
「理想の死に方」について、様々な職業、年齢の人々にインタヴューという形式で描いたモノローグ。中央に滑車があり、それに自ら吊り下がる女性、その周りにいる男性の2人芝居。滑車に吊るされた不自由な体から、身体障碍者の生への疑問、一方生への渇望を感じる。現実逃避、夢と現実の狭間で揺れ動く”何”かを描く。照明の陰影が印象的だ。
 
⑥公社流体力学(埼玉)『美少女がやってくるぞ、ふるえて眠れ』16:30~17:10 
グランプリ受賞。しかし正直、自分は好きではない。
表層的には「第10回せんがわ劇場演劇コンクール」のファイナルに選ばれて、コンクール当日までの公演制作の過程を美少女という存在を介して朗読、漫談、1人芝居?として面白可笑しく展開。単に分かり易いだけという印象。
幕末純情伝

幕末純情伝

★☆北区AKT STAGE

北とぴあ つつじホール(東京都)

2019/07/12 (金) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★★

未見だった つかこうへい作品。
「やってらんねえよ!」…憤慨しつつ、それでも明日を信じて奮起する、そんな力強い台詞が随所で聞かれ心に響く。そして、つか作品らしく弱く虐げられた人々への温かい応援歌のような物語は楽しめた。
(上演時間2時間10分)【浅野鼓由希★チーム】 

ネタバレBOX

セットはなく、段差だけの素舞台。大きな空間を確保しているのは殺陣シーンのため。
梗概…冒頭、沖田総司は女で勝海舟の妹という設定。ある事情で勝家を出奔し新撰組に入隊した。ここで沖田総司は土方歳三、坂本龍馬と男女の三角関係になるという奇抜な展開へ。そして彼女の実の正体とは...。

公演の魅力は、沖田総司が女であることから、幕末志士(土方・坂本・高杉晋作等)たちとの情交を通じて日本の行く末を語る展開。多くの幕末の物語は男中心に描かれることが多いが、ここでは新選組一番隊長で人気抜群の人物を女という奇抜な設定にし、その視点で幕末という激動期を描いている。大義名分という大上段ではなく、男・女...人間としての生き様、その身近なところを生き活きと描いているところに つか作品への共感と魅力を感じる。
また沖田が女であるがゆえ他隊員に恋愛感情が芽生え、病が伝染すると疎まれるなど、人間臭い面も描き新選組が内部から崩壊していく過程を浮き彫りにする。人間讃歌を謳いながらも、他方では人間の弱さ切なさなどを描く。場面によっては下ネタを挿し入れながら、それが人間の愛すべきところと言わんばかりの迫力だ。もちろん つか作品に観られる啖呵を切るような威勢の良い台詞と相俟って自分の気持を清々しいものにしてくれる。

演技は前半、特に序盤の殺陣シーンは迫力があったが、徐々に殺陣というよりは演武的な観せ方になり、ある種のパフォーマンスといった印象を受ける。出来れば要所要所は序盤で観(魅)せた迫力ある殺陣シーンを見たいところ。それでも浅野鼓由希サンの股割のような姿は力強く、斬っているという感じがよく表されている。衣装が現代風なのは開脚など和装では不都合なシーンがあるためであろうか?見始めは違和感があったが、そのうち物語に引き込まれ気にならなくなった。観終わってみれば、むしろ視覚的に時代を特定せず、その時代に生きた”人”を描くことを強調した演出ということが解る。

閉塞した時代状況を自由な時代へ変える、その新時代の幕開けに相応しい元号「自由」へは叶わなかったが、「天下は明るい方向に向かって治まる」の「明治」時代へ。
そして「明治」からいくつかの元号を経て「令和」へ、「幕末純情伝」は つか作品では未見であったことから新鮮であったが、根底には時代は移れども「人」と「時代」への鋭い洞察があり、彼らしい切り口で観応えある内容であった。
次回公演を楽しみにしております。
アシュラ

アシュラ

平熱43度

ワーサルシアター(東京都)

2019/07/03 (水) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★★

「一人二役!」「小道具なし!」「転換スピード0秒!」このハイスピード演劇にアナタはついてこれるか!?...という謳い文句通りで心地良いテンポで観ることができた。一方、この謳い文句によって脚本の魅力が損なわれた面も観られ勿体なかった。
ディストピアに一筋の光明が…。
(上演時間2時間)【修チーム】

ネタバレBOX

セットは、舞台上部から観たら凸状で、客席に向かって突起し何か所かに白布が掛けられているだけ。ほぼ素舞台に近い作りはアクションスペースを確保すること、時間的空間の広がりをイメージさせるためだろう。小道具なしのパントマイムで状況・情況を表現する。また1人2役を演出するため、体を回転させるなどして場と人物をイメージ転換させる。その意味では「転換スピード0秒!」ということになる。

梗概…いつの日か、某研究所から開発中の新種ウイルス“ASHURA virus-アシュラウイルス-”が漏れた。そのウイルスの名前は20歳未満に感染し、遺伝子を変化させ「超能力」を扱う。この超能力者となった”新生人種”が反政府組織としてテロ行為を行いだす。政府は、新生人種の抹殺を秘密裏に実行するという社会ドラマ。一方、この部隊に配属された男の使命と彼女の思念(妖怪サトリのような相手の心が分かる)の切なさが人間ドラマとして描かれる。

1人2役は新生人種(子供時代)と旧人種(成長し抹殺組織)の間で行われるようで、謂わば、過去と現在の同一人物が殺し合う、もしくは過去と現在という異次元空間での闘争のように思える。その設定であれば大胆奇抜で面白いと思うが…。表層的には新旧の人種闘争で、アクション・超能力という見せ場でストーリーを牽引する。連続した時間上にある同一人物が殺し合ったらどうなるのか、または異次元間の闘争の果てはどうなるのか、といったことが解らない。なぜ新人種がテロ行為を行いだしたのか。設定の曖昧さが、ラストの女性の衝撃的な告白シーンの盛り上がりに繋がらない。謳い文句に捉われるあまり、脚本が伝えたかったことが おざなり になったように思える。

脚本は20年以上前に書かれ、2013年に再演したという。自分は新種ウイルスが漏れたという設定に、2011.3.11東日本大震災後の原発事故を連想してしまう。新人種の得体のしれない超能力の脅威=放射能汚染、その取り組みが遅々として進まない現状。蓋をして隠蔽する、その様子を新旧人種間の確執のように描く、そんな暗喩的な公演に思える。暗澹たる世界観にあっても、足元にある人と人の信頼関係、恋愛感情を掬い上げ物語に織り込む。社会+人間ドラマとして観(魅)せているところに好感を持った。
次回公演も楽しみにしております。
ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.7

ストアハウスコレクション・日韓演劇週間Vol.7

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2019/07/11 (木) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★★

「魯迅の『狂人日記』を原テクストとした韓国・日本の2劇団による上演。両劇団の切り口・アプローチを見比べる」という謳い文句に対しては、韓国の「狂人日記」は、連続したモノローグ、日本の「今日人。明日狂。」は個人を取り囲んだ群衆、といった印象の劇。どちらも演劇的な身体表現は豊か、そして原テクスト「狂人日記」の言わんとしていることが分かる優れもの。
(上演時間2時間30分 途中休憩含む)

ネタバレBOX

自分が観た回は日本「今日人。明日狂。」、韓国「狂人日記」という上演順。日本、韓国とも素舞台で、時にいくつかのキューブが用いられるのみ。印象的なのは、どちらも照明を駆使した演出、心象付けが素晴らしい。

〇日本「今日人。明日狂。」DangerousBox(日本)薄暗くした雰囲気の中で、演者・ダンサーは基本的にモノトーンファッションに身を包み、全体を通して妖しく時に荒々しいパフォーマンスを繰り広げる。狂人日記の核と思えるところは、冒頭で表現され、以降それを説明するかのような展開である。円陣の中心に足を向け、仰向けに寝ている演者の真ん中に立ち姿の女性2人。この2人が裏表・上下に重なり捩じらせることであたかも1人の人間を立ち上がらせるようだ。自分の中にある正邪・建前と本音といった2面性のような、しかし、そんな単純には表現しきれないもどかしい根源的なものが観てとれる。「人食い」というフレーズは、ある人の意識下にある誇大妄想かもしれないが、もしかしたら誰もが持っている繊細な感情のようにも思える。小説の行間に込められた思い、それを生身の身体表現で”感性””として表しているところが上手い。

〇韓国「狂人日記」 劇団新世界(韓国)
個々人が持っている、少し偏執的な側面を狂人として強調する。1人ひとりの独白を基本に、それを連続させることでいつの間にかそれが普通なことと思わせる。日本とは逆に1人ひとりが個性豊かな衣装に身を包み、個々独自のスタイルで表現して行く。登場する狂人は、サムスン狂人、拘束狂人など9狂人であるが、その中に白ミニ姿の舞台狂人がいる。3番目に登場するが、出番が終わると舞台から消えるのが定めだが、黒いマントを羽織り闇に同化してでも舞台上に居続けたいと…。他人と違うことをことをすれば狂人扱いされる。狂人の思惟は、自己表現・主張が上手く出来ない自分自身への嫌悪や怒りかもしれない。その感覚表現は、狂人の偏執ぶりを可笑しみで包み、他人の目を意識し恐れた隠れ蓑のように思える。多数の中の個人という没個性こそが生き残れる、そんな社会への警鐘とも思える描き方。

冒頭に記した「両劇団の切り口・アプローチを見比べる」は、どちらも「狂気」というものは、誰もが気付かないだけで、本当は自分の中(心もしくは頭)の奥深くにある、狂人と自分との境界線が曖昧に思えてくる。同時に個性より集団という社会性のようなものが優先される。何となく人間の意識下を描き同時に社会という構図への批判、そんな個性=個人、集団=国家が個々に浮き彫りになるような両公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
楽屋ー流れ去るものはやがてなつかしきー

楽屋ー流れ去るものはやがてなつかしきー

藤原たまえプロデュース

千本桜ホール(東京都)

2019/07/10 (水) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

初日観劇。
「楽屋」は数多く上演され、自分も何度となく観ているが、本公演は丁寧で分かり易いという印象だ。女優という業に魅入られ身も心も苛まれるが、それでも女優であり続けたい執念、そんな世界観がしっかり描かれている。この有名な戯曲「楽屋」をどう観(魅)せるか、演出力が問われるが…。
その演出であるが、まず「楽屋」は、いくつもの2項対比をしていることから、それを意識した舞台セットの作りは見事。上手・下手側は死者と生者、鏡台の内側と外側(客席寄り)はまさしく楽屋と表舞台を表している。また女優の懊悩・心情を表すため、照明はモノクロ諧調による陰影付けという巧みさ。そして何といっても役者の動線を意識した演出は素晴らしい。
演技は、力のあるモノローグ、その意味で女優が”女優”になりきっており「楽屋」の世界観を堪能させてくれる。そして舞台と客席の間には楽屋の鏡があることをイメージさせ、鏡の中の自分に語りかける、同時に楽屋での回想・稽古風景を挿入する。もちろん鏡に向かうことは、常に客席側を向き演技し続けることになり、鏡という媒介を通して自分と観客という内外を意識すること。まさしく女優の存在そのものを表現している。初日のためであろうか演技が少し硬いように思えたが卑小なこと。
(上演時間1時間25分)【Aチ-ム】 後日追記

MITUBATU

MITUBATU

なかないで、毒きのこちゃん

OFF OFFシアター(東京都)

2019/07/02 (火) ~ 2019/07/09 (火)公演終了

満足度★★★★

何だこの面白さ味わい深さは…すぐに思い出せず悶々としたが、ハッと気が付いた。これはシェイクスピアの「マクベス」ではないか。
物語は、お下劣な場面もあるが、最後は有名な映画音楽で追憶を誘い、そして清々しい印象を残す。これってこの劇団「なかないで、毒きのこちゃん」のイメージだっけ?
今までに観た「こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん。」「おれたちにあすはないっすネ」、そして今回の公演、実にバリエーションがあり...。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

いつの日か、または異次元の下北沢にある廃劇場という設定。上手側はブルーシートで覆われ、メイン舞台は、ダンボールが重なり、下手側に木箱を重ね合わせたようなベットが置かれている。中央にはドンジャラの卓と牌。全体が廃墟といった雑然とした雰囲気を漂わす。また車の運転シーンを表すため客席後方の一部を使用する。

物語は、色々なキャラの人(スリ、生肉大好き、人殺し、出張デリヘル嬢など)がこの廃墟のような所に出入りしている。取り留めもない日常、そんな暮らしにさざ波が立つ出来事が。ここに住んでいる け太郎(政岡泰志サン)のところに娘とその夫が一緒に暮らそうと誘いに来て、皆、祝福と一抹の寂しさといった複雑な気持が溢れ出す。

奇妙な設定(廃墟・生肉からの想像)や奇抜な外見(例えば け太郎はおむつ姿)を除けば、中盤から殺人犯の逃亡先とそこを突き止めようとする警察、その刑事ドラマの概観を示す。この緩いストーリー性をベースに、奇妙な空間で暮らす人々のペーソスを織り込み、それを外見やオーバーアクションで笑いに包み、色んな味わいを感じさせる逸作。
この一見貧しき吹き溜まりのような場所も、脛に傷持つ人にとっては安住の地かもしれない。また出張デリヘル嬢・ちゃん(未来サン)の仕事とは別の、人柄-優しさ思い遣り-への思いを「きれいは汚い、汚いはきれい」と叫び、思いの丈を打ち明けるシーンは公演の真骨頂ではあるまいか。

この台詞、シェイクスピアの『マクベス』の「きれいは汚い、汚いはきれい」(邦訳)にあり、神様や善人にとっては美しくきれいなものも、悪魔や悪人にとってはかえって忌々しく醜い存在で、反対に、善な人々にとっては忌み嫌うべき汚らわしい悪徳が、悪な人々にとってはきれいな美徳として喜ばれる。このオクシモロン的な言葉、正しさは一つではない。人が持つ、または感じる気持は機械などと違って理屈や理論通りにならない矛盾が人間らしい面白さかも...。まさに公演そのもの。

この公演は喜劇だと思うけれど...男が女装して、しかも出産もするという冒頭のシーンはあれもこれもありという矛盾した世界観を示す。しかしラスト音楽「スタンド・バイ・ミー」は追憶を誘うと同時に、この物語に関連(秘密小屋へ集まり、タバコ、トランプ、特有の仲間意識など)付けるという巧みさ。そして祝祭性のある喜劇とは趣を違える結末と冒頭シーンへの帰結は見事。
次回公演も楽しみにしております。
ブアメード

ブアメード

Pave the Way

ブディストホール(東京都)

2019/07/04 (木) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★

公演の魅力はミステリーサスペンス風として物語を牽引するところ。本筋は観応えがあると思うが、展開がやや散漫で冗長に感じる。少し枝葉と思われるような脇筋・場面をカットし、物語をシャープにすることでテンポも良くなり印象付けも出来るのではないか。
また、前作「あの鐘を鳴らすのはあなた」ほどではないが、やはり怒鳴り声というか大声が多く、本当に大声で激白するシーンとの区別、そのメリハリが効かないところが残念だ。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

大学のサークル部室内。張りぼてに白黒ペイントで絵柄を施したセット。中央にテーブルと椅子、上手側に別場所をイメージさせるスペース。全体的に白っぽい感じであるが、照明(真偽判定の際の照射)効果を意識した配色であろうか。

物語は、大学サークル内の人間関係を中心に自分と他人との関わり合いなど、表現し難い内容を浮き彫りにする。自分は友人から疎まれている、その被害妄想男・古幡翔(布施勇弥サン)と孤児院育ちで不思議な能力を持つ女子大生・伊地知月美(藤本かえでサン)を中心に織り成す青春群像劇。まず月美は人が嘘をついたかどうか分かるという能力を持つ。何となく妖怪覚(さとり)を思い浮かべる。人の心の内が分かるという点で共通していると思うが…。古幡は伊地知に好意を寄せていたが、その彼女は同じサークルメンバーと付合い始めた。2人の交際に古幡は疑問を浮かべ、悶々とした日々を過ごす。ある日、部室のテーブルに「お前たちの、秘密を暴く」と書かれた手紙が置かれていた。その夜、伊地知が姿を消し、彼女の行方を探すサークルメンバーが観た真実とは...。

伝えたいテーマは分かるし、楽しんで観てもらうようミステリーサスペンス仕立てにするなど工夫していることも解る。しかし描き方が粗く丁寧ではない。例えば、なぜ古幡翔が人間不信になったのか、原因なりキッカケが判然としない。これを描くことで苛めとの関わりの有無が鮮明になる。また興信所員兼アルバイトが探偵役になるが、ラストの月美との関係を表す伏線が弱い(この事件を格安で引き受けたことぐらい)。さらに月美の真偽の判定能力は一種の特殊能力のように描いているが、自分としては人に対する挙動の観察眼が鋭くなったほうが、より人間臭く魅力的に描けると思うが…。孤児院育ちを関連付けることが出来れば人間味を増すかもしれない、などが挙げられる。完全リアリティを求める必要はないが、ある程度の辻褄・納得性は必要だ。そうすることでバックボーンが明確になり人物造形に深味を増すことが出来るだろう。もっとも粗削りだが魅力ある公演があるのも事実だが。

公演の全体観は好きで、物語の展開や描き方も悪くはない。表層的と思えるような苦悩も人によって深刻さが異なり、人の捉えどころのない曖昧な感情を掬い上げ描こうとする試み。何が本質的で普遍的かはそれほど重要ではない。観客それぞれの面白いと感じるところは違うし、その最大公約数を求めるような公演を続ければ、劇団コンセプトが揺らぐ。
その上で、描きたい事(テーマ性)を明確に持ち、脚本は本当に必要な場面か、笑わすための繋ぎ場面(例えばサークル先輩OBとの遣り取り)なのかの区別(描き方の濃淡)、役者の台詞(大声が多い)の感情表現のメリハリなど辛口コメント(期待感を込め)はある。一方、真摯に公演に取り組んでいる姿(制作サイド等)も見ることが出来た。
次回公演も楽しみにしております。
バー・ミラクル

バー・ミラクル

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/06/29 (土) ~ 2019/07/08 (月)公演終了

満足度★★★★

3編のテイストが異なる作品。しかし何となく連作のようにも思えてしまう。公演の魅力は上演順が絶妙で、それぞれの作品の味わいを引き出し、全体構成として面白さを倍加させているようだ。
飲酒しながらの観劇は至福のひと時。
(上演時間1時間25分)【Dry編】(途中休憩10分程)

ネタバレBOX

コの字客席で、どの位置から観ても面白さは伝わるだろう。劇場出入口近くにバーカウンター、中央に脚高のラウンドテーブルと椅子があるのみ。

「悪魔のかいせつ」(萩原達郎)
椅子に座ったまま柱に縛り付けられた男。気が付くとウイスキーボトルを持った女、床に倒れた男とカウンターに伏した女、どうやらどちらも死んでいるようだが…。男は記憶がなく、女は思い出さないほうが良いと意味深なことを言う。男は小劇場の役者で、女も同業だという。しかし男の貧しさに比べ、女は裕福な家の生まれで経済的には困らないと言う。ここに貧富の格差が見え、男の憤懣が浮かび上がる。女が出て行き、男の独白が始まると死んでいると思われた2人が起き上がり、男の回想を再現しだす。出て行った女との会話、死んでいた男による浦島太郎の話などから詳解するまでもなくメタファーであることが解る。その幻想もしくは妄想話が”性”を連想させる。

「嘘つきな唇は、たぶんライムとジンの味。」(いちかわとも)
バーで離婚話をしている夫婦。妻は夫の隠し事を疑い、夫は素直に浮気を認めているが妻は納得しない。その様子をじっと窺うバーテンダーは2人の学生時代の友人でもある。妻が席を外した時、バーテンダーは夫に離婚したい真の理由を問うが…。夫は無精子症ではないが、精子数も少なくその運動力も弱いと医師から告げられた。妻や両親からの子(孫)授かり願望に応えられないという悲観した気持の表れ。その”生”への向き合い方の意識差を描く。こうアッサリ理解し合うと拍子抜けし、始めの深刻さはどうしたのかと思ってしまうが。

「力が欲しいか」(高村颯志)
飲み食い散らかして帰った客の後始末をしている従業員の脳に響く...「力が欲しいか」
それに対し興味のない返事に業を煮やして現れた悪魔。従業員のとぼけた言葉と悪魔の囁きは、すれ違って交わらない。人は誰かに怒りを覚えた時、咄嗟に「ブッ殺してやる!」と叫んだりする。決して本心ではなく、その場の勢いと鬱憤晴らしの暴言のようなもの。その虚言に反応したような悪魔の囁きは幻聴か夢想か...そこに本心ではなかった戯言に対する”正”もしくは”制”するような感情が働く。

2話目の夫の切実な生への思いと妻の包容力という現実的な会話劇を、1話目の性という妄想メタファーで暗示し、3話目で理性的な人間像を夢想させているようだ。この構成によって現実からの遊離・浮遊感だけではなく、地に足を着けた身近な内容に引き寄せる。そして何となく”命”という根源ワードを連想してしまうが…。
人間、アルコールが入ると本音や愚痴が出る、そんな設定のバー・ミラクル公演なのかもしれない。バーという狭い空間での濃密な、いや軽妙な会話劇は一時の安らぎであった。全体を通して人間の魅力なり面白さを観方を変えて表している。その表現を巧みに演出している上演順、その構成は実に見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
カテゴリーボックス:Re/描かれたテーブル:Re

カテゴリーボックス:Re/描かれたテーブル:Re

9-States

小劇場B1(東京都)

2019/06/27 (木) ~ 2019/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★

生きていく術に潜む優しき狂気のようなものが描かれた逸作。それを会社という組織の権力争いを通して浮き彫りにしていく展開は、分かり易く納得性もある。偽りと孤独は人の本質を突くのであろうか?
(上演時間1時間45分) 【描かれたテーブル:Re】

ネタバレBOX

この劇場は2方向から観劇できる。自分は出入口から左側の客席へ。その方向から見たセットは、白黒の市松模様ような床に丸テーブルと椅子、やや下手にソファーが置かれ、奥まった所にサークルフェンス。このエリア内は鳴海家具という会社のデザイン部という設定であり、外周を廊下等に見立てている。何となくセンスの良い調度品が配置されているような雰囲気だ。

梗概…カリスマ経営者であった先代社長が亡くなり、兄・妹がそれぞれ社長・副社長に就任したが、経営方針の違いという名目に隠された家族間の確執が会社を危うくしている。物語は会社の存続を左右する家具のデザインを担当する部署にいる人々と会社経営陣の思惑を絡めて展開する。もっとも表層的には勧善懲悪的な感じで分かり易い。
主人公の渋谷優香(坂本未緒サン)はデザイン部の新人社員。彼女が信頼している先輩社員でデザイン部のエース、しかも兄の友人が、実は兄を自殺に追い込んだ人物であると知った時の驚きと怒り...それまで内気で本心を言わない彼女が豹変した態度に偽善人の姿を見ることが出来る。
亡くなった兄との夢想シーンで人を赦すことを仄めかしていたが、何となく違和感を覚えていた。しかし、土下座して謝る先輩を亡くなった兄と生きている妹が見下ろすラストシーンにリアリティを覚える自分は心狭き人間だろうか、と考えてしまう。

他人には寛容を求めるが、自分は相手の理不尽な行為を許さない。そんな本音を隠して暮らしているうちに、自分の本心はどこにあるのか、それさえも見失って偽りの気持ちがいつの間にか本心と刷り込まれ、すり替わってしまう。憤り、怒り、失望など負の感情を押さえ付け、偽りの優しさで相手に接する。それは自分自身の醜さを表さず”大人の対応”という甘美な言葉に飲み込まれ、自分の器の大きさを誇示する自己満足そのもの。人は誰しも他人には良く思われたい、出来れば敵を作りたくないという一種の保身が働く。そのうち正面から向き合わない、もしくは本音を言わない表面的な付き合い。個々人が持つ外面似菩薩内心如夜叉のような心持を中心に描きながら、それを会社の経営方針、そこに潜む権力争いになると本心剥き出しの感情が溢れ出す。兄と妹の確執が今一つ伝わらないような。それでも見えない”心”の機微を社会的な関心事を絡めることによって浮き彫りにさせる脚本、その演出は見事。

脚本・演出は素晴らしかったが、キャストの演技力に少し差があってバランスを欠いていたように見えたのが残念なところ。
次回公演も楽しみにしております。
山兄妹の夢

山兄妹の夢

桃尻犬

シアター711(東京都)

2019/06/26 (水) ~ 2019/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

虚実綯い交ぜの世界観の中で、これまた曖昧模糊とした会話が交わされる。物語は何んらかの整合を図るわけではなく、あえて漠然・不確かなままで芝居全体の雰囲気というか”力”で観せる。キャストは皆、怪演でキャラクターがしっかり立ち上がり、息もバランスもピッタリ。特に会話が成り立っているのか否かはっきりしない台詞、それでも表現し難いモヤモヤした気持(芯)がしっかり伝わるという不可思議さ。自分好みな公演。
(上演時間1時間35分) 

ネタバレBOX

セットは、上手側に2段ほど段差を設けたスペースがあるのみ。シーンによって客席寄りの下手側にテーブル・椅子が持ち込まれるが、基本的に素舞台に近い。

冒頭は、タイトルにある山兄妹の兄たかのり がその恋人から別れ話をされているという回想シーンから始まる。別れる理由は、兄の無目的なような生き方が気に入らないというが、それが本当なのか判然としない。別れるための常套句”性格の不一致”と同じような曖昧な理由付けのようにも聞こえる。その回想話をしている妹ナナ、この兄妹の従兄、兄の工業高校の先輩の3人に回想シーンの兄が突然入ってくるという突飛な展開。その時空間の違いや現世・来世などの生死に関係なく、登場人物が縦横無尽に出現する。交わされる会話も自己中心的な勝手話であるが、それが何故か心に響くという奇妙な感じ。
CINEMATIC

CINEMATIC

Lady Bunnies Burlesque

Studio Freedom(東京都)

2019/06/26 (水) ~ 2019/06/26 (水)公演終了

満足度★★★★

自分らしさを表現するLady Bunnies Burlesqueと、夢の世界の物語を描くGN.BBs。
それぞれのコンセプトを活かした2つのグループが初タッグを組んだCINEMATIC公演。

その公演日はたった1日の豪華・贅沢なもの。妖艶という行儀のよい言葉よりはもっと色っぽさを強調した内容である。それは出演者が女性として、その肢体・姿態を十分意識し強調して観せようとしている。この公演は理屈的なことは抜きにし、その場の雰囲気を楽しんだほうが好いと思ったが…。

この公演の最大の魅力は、観(魅)せること、観客に楽しんでもらうこと。それがしっかり伝わり、1時間30分がアッという間に過ぎた。まさしくエンターテイメントと呼ぶに相応しいショーであった。
実際観て体験しなければ、その楽しさは分からないが、少なくとも会場内は大盛り上がりであった。
(上演時間1時間30分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

公演は司会であり道化師でもある りんたろう氏の前説の後すぐ公演が始まる。メンバー構成はシンガー、ダンサー合わせて10名。その全員が妖艶・セクシーまたはダイナミックなダンスで大人の世界観や子供心のようなキュートでハッピーな演出で魅了していく。またセクシーな衣装(替えも楽しみ)に身を包み、ステージ上だけでなく、時には会場に降り立ち、客席の間を体をくねらせ踊(躍)り抜ける。
歌は、キューティーハニーなど全22曲を聴かせる。その曲の間の話も面白く会場・観客の気を逸らせない。観客・出演者やスタッフが一体となって熱狂と興奮を演出したワン・ナイト。商魂逞しく、出演者へチップ(Carrot)を衣装等に挟み込んだりして渡すシステムが…バーレスクショーのような、遊び心を誘うもの。

気になった点が2つ。
1つは、歌やダンスの振り付けと後景に映し出す映像の雰囲気が合わない。例えば黒い衣装にダーク系の映像は遠くから(Standing席で)観る人にとっては人物が埋没してしまう。また海と夕陽の風景の映像をバックにダンサーが後ろ向きで踊るシーンは、映像をワザと手振れまたはコマ送りをしているようで、せっかくのダンスに集中できない。人物(衣装等)やダンスの魅力と映像や照明のコントラスト、調和に工夫が必要ではないか。
2つ目は、冴月里実さんの歌唱が弱く、第1回の「Lady Bunnies Burlesque Live vol.1」の時に比べると元気がないように思えたのが心配であり残念でもある。

それと制作サイドは、入場時の対応をもう少しスムーズに行わないと開演時間が遅れる。

次回公演も楽しみにしております。
オフィス上の空プロデュース・トルツメの蜃気楼

オフィス上の空プロデュース・トルツメの蜃気楼

オフィス上の空

ザ・ポケット(東京都)

2019/06/19 (水) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

アイドルを目指した女性を通して夢と現実とは、というある意味普遍的な問題を示している公演。すべて女性キャストで描くことで恋愛話を排除し、問題を逸らさず夢と現実に焦点を当てることによってテーマが鮮明になる。
自分はまだ何者でもない、いや、やりたいことすらも定まらず、何となく目の前の与えられた仕事を行うだけ。モヤモヤとした心の内に鬱積してくる不安や苛立ちを、親友の死や職場の状況から浮かび上がらせた心象が観る人の共感を誘う。
(上演時間1時間45分)【Aチーム】

ネタバレBOX

セットは、(木)枠のようなものが重なり合った不可思議な造作。それは不安定であり重なり合うことによって補完(助け合い)するような心の内であり、また主人公の故郷である富山県・立山や今住んでいる東京・高層ビルの風景をイメージすることができる。その意味を持っているのかいないのか分からない後景、一方前景には現実に働くオフィスを思わせる机・椅子、パソコンが四方に配置されている。この舞台美術が物語のイメージを醸し出しているようで面白い。

梗概…編集プロダクション・サニーサイド舎で働く横井ユリ(27歳)が、先輩からアイドルにならないかと誘われることによって物語が動き出す。本人は自分がアイドルになれるのか半信半疑、しかし心は揺れ動く。実は高校時代の親友が自分の名前・横井ユリを名乗り芸能活動をしていたが、TV画面の華やかさの裏にある厳しい現実のため自殺をした悲しい出来事があった。親友の心情を探るため、自分自身も短期間アイドルを目指した時期があったが…。ラスト、誰のためでもない、自分の人生を歩み出す。
現在と自分の心にある親友との思い出・幻影、その交差するような展開は現実的と抒情的といった違いで観せる演出の巧みさ。

登場人物のキャクターと立場をしっかり描くことで、物語の展開とそこで交わされる台詞の応酬に観応えが生まれる。プロダクションで働く取締役は経営責任、一方アルバイトは気楽、正社員は副業や校閲業務に拘りを持つ者。そして主人公は何事にも自信を持てない派遣社員、いわゆる普通の人々を描く。他方、容姿・年齢に関わらずアイドルを目指すユニットは、夢・希望を諦めず信じる道を進むという夢追い人(親友アヤも含め)のような。そして芸能プロデューサーは現実的考え方の持ち主。考え方や立場の違いによって発せられる台詞、それには正解も不正解もなく、あるのは今ある現状のみ。人の生き方は人それぞれだが、自分の意思のようなものが見出せないもどかしさ。何者でもない、それどころか何者になりたいのかさえ見つけられない迷い人...しかし人は皆”明確”な意思を持って人生を歩んでいるのだろうか?

物語の圧巻は、芸能プロデューサーとアイドルユニットの愛梨(通称あいりん)の夢・アイドル議論。醒めたビジネス感覚と熱き思いのぶつかり合いは、どちらの言い分も分かるような気がする。あくまでアイドルを介在させているが、この議論は夢ばかり追い求め、いつまでも現実を見ないという夢と現実の狭間で悩む普遍的なテーマが透けて見えてくる。台詞の応酬、そこで発せられる言葉は鋭く、そして輝いている。それが手の指の間から零れ落ちるようで勿体ない気がしたが、文字で読んでも...。やはり体内から発した言葉には魂、言霊の力があり物語を観応えあるものにしていた。
「好きなことは仕事にしない、でも好きなことからは離れられない」⇒自分にとって演劇は好きだが仕事には出来ない。でも観劇し続けたい...なんて含蓄ある台詞だろうか。
次回公演も楽しみにしております。
ものがたるほしのものがたり

ものがたるほしのものがたり

激弾BKYU

駅前劇場(東京都)

2019/06/14 (金) ~ 2019/06/20 (木)公演終了

満足度★★★★

未見の劇団。来(2020)年には創団35周年を迎えるという歴史ある劇団。
さて、本公演は七夕と2020東京オリ・パラを絡めたハートフルコメディ。時節にあったテーマ設定であるだけではなく、登場人物のそれぞれのキャラ、抱えた苦悩等を描きながら物語が展開する。時にファンタジーとして見せつつ、現実をしっかりと突きつける、その妄想と現実を交互に観せるが交わることはない。強いて交わるとすれば、この街に住んでいる爺さんだが…。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは、上手側に2020東京オリ・パラで立ち退きを迫られている街角にあるパブ「パパスママス」。戦前からある店はレンガ作りで、レトロな看板や窓ガラスから明りがこぼれる。下手側は坂になっており街路や山頂をイメージさせる。その後景には高層ビル群が立ち並び、夜は星々が輝くような演出。公演全体を通して照明効果が上手く、現実世界と七夕モチーフの区別がしっかり行われている。

物語は立ち退きに反対する店の人や常連客、立ち退きを迫る役所との対立。とは言っても喜劇ゆえ緩いバトルらしきもの。一方、七夕というファンタジックな物語、それを天界を取り仕切る”西王母娘娘”の登場や織姫が輪廻転生するというスパイラルとして描く。しかしそれは現実世界と接点があるような無いような曖昧な展開である。唯一あるとすれば浮浪者である彦星ジジィの妄想か。
物語は、この界隈を取材するノンフィクションライターの目を通して見た人間模様と彦星ジジィの戯言を交差して紡いでいるが、2つの劇を観ているような感じがする。人々は彦星ジジィの姿を見ており、戦前の生まれでこの地に来るまでの経緯を調べた結果を報告する場面もある。しかしラスト、彦星ジジィの存在自体居(経歴も)なかったという台詞に戸惑う。敢えてファンタジー性を持たせようとしたのか?

現実の世界は、2020東京オリ・パラの繁栄とこの街のように立ち退きを迫られる明暗。立場弱き人々、そしてパブで働くオカマとオナベという性少数者、独特な立ち位置の神社の神主など個性豊かな人々が紡ぐ心温まる物語は心が洗われるようだ。同時に芝居的には先にも記した彦星ジジィの妄想話がうまく絡まず中途半端な印象で勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾四『紺情〜こんじょう〜』

時代絵巻AsH 其ノ拾四『紺情〜こんじょう〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/17 (月)公演終了

満足度★★★★

本公演は近作と違い、歴史教科書で学ぶ人物ではなく、歴史が詳しいまたは好きな人が知る人物に焦点を当てている。物語の主人公は島津豊久、島津家宗家の縁戚ではあるが当主ではない。そのような人物を描くからには何らかの理由(わけ)、例えば人間的魅力などが挙げられよう。説明文には「主を重んじ、忠を尽くし、義に篤く、情深き、薩摩の戦人」とある。そんな男の半生を描いた武骨劇。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは、この劇団の基本的な造作(家屋と中庭のような)は変えていないが、その雰囲気は平安時代末期と戦国時代を描いた今作とでは違う。源平物語の時は、寝殿造りのようであったが、今回は書院造りのように思える。欄間には雲形や流水といった形、襖は朝顔の絵柄が描かれ時代感覚の違いを観せるような工夫が好い。

物語は、関ヶ原の合戦を経験した老人の回想話として展開する。老人が仕えた武将が島津豊久で、本公演の主人公である。その豊久の元服時から関ヶ原の合戦で戦死するまでの半生を情緒豊かに描いている。公演は、一武将の生涯を通して当時の封建制度をしっかり描く。封建制度の象徴が”家”であるとすれば、島津家という家(殿)を守るために忠義を尽くす。公演では2度の合戦シーンがあり、初陣の戸次川の戦い、2度目が関ケ原の戦いである。そのどちらの戦いでも大将は死んではならない。大将が死ねば家臣は後追い自害したり混乱を来し多くの兵士が死ぬ、その台詞によって島津”家”を通して封建制度の理不尽さを鮮明にさせる。当時にしてみれば、それが忠であり義であろうが、現代から見れば不条理の極み。また時が前後するが、豊久の父が独断で豊臣方と和議(実質的な降伏)をした際、実兄(当主)に非が及ばぬよう自刀して責任を取る。そこにも島津家という家の存続が見える。

さて、勇猛果敢な武将ぶりを描くだけでは、近作の源平物語の時代という流れに身を投じた武士のスケール的な魅力に及ばない。豊久という武将の魅力は何か?彼にとって関ケ原の戦いは何だったのか?といった「存在」と「意義」が示されれば、物語にある”時代”とそこに生きた”人物(武将)”としてもっと深みが出たと思う。冒頭の老人に対して関ヶ原の戦いは、という問いに豊久の名をあげるだけで…やはり薩摩隼人を伝え続けるためか。観客にはさらに幕末まで思いを馳せさせるのだろうか。

その薩摩隼人の在り方、武将としての心構え、親子の情と非情など人間的魅力をしっかり引き出すところは見事。その場面は情感に溢れ、実に印象的である。そしてこの劇団の魅力である殺陣シーンでは敵味方を区別する工夫を凝らす。例えば関ケ原の戦いでは、目前の敵が赤揃え甲冑の井伊軍、豊久率いる薩摩は黒軍団であることから交戦(殺陣)シーンでは一目瞭然である。殺陣シーンは2度の合戦に絞り、豊久の勇猛ぶりは台詞(例えば「朝鮮の役」は思い出話)で補う。本公演はどちらかと言えば、一武将としての人間的魅力を前面に出し感情移入させるような描き方で観客の心を捉えたと思う。
次回公演を楽しみにしております。
暁の帝〜朱鳥の乱編〜

暁の帝〜朱鳥の乱編〜

Nemeton

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2019/06/13 (木) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★

夜明け前、暁に光を照らすことを願った鸕野讃良(うののさらら)、後の持統天皇の苦難とそれを乗り越えていく姿を描いた叙事詩的公演。
(上演時間2時間強)【藍チーム】

ネタバレBOX

セットは中央に斜めに傾いた円形台(八百屋舞台のよう)。表面は板を張り合わせた幾何学的文様のように見える。天井部には暖簾のような紗幕が吊るされ、舞台を前後する。上手・下手側に役者用の椅子が置かれ、舞台に登場しない場面では控えている。
衣装は全員、黒作務衣・道着のような上下に色違いのマントを羽織っている。舞台美術、衣装等は何となく抽象的な感じを受ける。それは飛鳥時代、それも宮中という空間に現実感を持たせない工夫であろうか。

物語は、壬申の乱に勝利し大海人皇子(おおあまのおうじ)が天武天皇として即位し、本作の主人公である鸕野讃良(うののさらら)も皇后となり天武天皇のサポートしている。そして後継者として、讃良は自らが産んだ草壁皇子を推したいが、知力・体力共に優れた大津皇子の存在があった。その大津皇子は後継者として認められたい一心から無理をし貴族たちの反感を買ってしまう。やがて、讃良の願い叶って草壁が次期天皇を約束されるが、天武天皇が病死する。それを機に大津皇子がクーデターを起こそうとし国は混乱していく。その渦中で鸕野讃良が自らの使命を果たすため帝になる決意をする。

壬申の乱という歴史上の大事件後の世を描くことは難しい。大事件という不幸こそ劇的な物語になり、平時は物語にし難いかも。その意味で政治社会として盛り上がりに欠けるのはやむを得なく、どちらかと言えば人間ドラマとして展開させる必要がある。歴史学者でなければ詳しく知らない、飛鳥時代という歴史的事実の真が解りかねる背景、そして宮中というこれまた世間になじみ難い情況下で紡ぐ。だからこそ大胆に解釈しダイナミックに展開することが出来る。
「三種の神器」のひとつである草薙剣は、天皇の”証”として描かれている。平穏を願う気持ちと剣を手放せない矛盾。その葛藤が草薙剣=呪いの剣と言わしめ、宮中らしい描きになっている。
一方、人の感情...皇后として政治社会全般、今後の国運営を思う気持ちと母としての情愛の間に揺れる心。どちらにしてもきれいに描き過ぎで切迫感や母性愛が感じられないところが残念。

本公演の魅力は、不詳のような時代背景、宮中事情を演劇的な想像力で紡ぐ。歴史教科書的な事実とその裏に隠れた真実…誰も知らない世界観を、こうなのではという仮定を上手く溶け込ませ物語を展開させている。本公演はその虚実綯い交ぜの大胆な解釈が魅力的なところ。時代・社会という巨視的感覚の描きは優れているが、そこで蠢く人間模様が表層的な描きで平凡過ぎる。中盤以降、単純な勧善懲悪的な展開で飛鳥時代と宮中という魅力的なバックボーンを活かしきれていないのが勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
五右衛門

五右衛門

弌陣の風

テアトルBONBON(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

浄瑠璃や歌舞伎で義賊として人気を博している石川五右衛門、時の権力者である豊臣秀吉との騙し合いなど俗説を含め面白可笑しく描いた痛快時代劇。何となく歌舞伎の「見得」を切り、多くの殺陣シーンは大衆剣劇を思わせるような。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

セットは上手側に階段状のスペースが設けられているだけのシンプルなもの。客席側前面を広くしているのは殺陣シーン、階段は上下の躍動感、それぞれアクションをダイナミックに観せるための工夫。照明は多影を演出する照射、諧調させ情景に変化をもたらすなど巧み。

梗概…豊臣秀吉が天下統一を果たした時代、富豪等から盗んだ金を貧しい庶民にばら撒き義賊として慕われた石川五右衛門の俗説、そこに五右衛門の隠された素性、生い立ち、恋愛模様を織り込み魅力あふれる人物像として描く。五右衛門が戦災孤児で、忍者の里で育ったという設定。孤児たちに生きる術を与えたのが織田信長であり、信奉している。そのため信長の妹・お市の方の窮地(浅井や柴田といった敗戦武将)から救い相思相愛に。一方、本能寺の変に隠された秀吉の企みを暴き...。

公演の魅力は、五右衛門の素性やお市の方、秀吉との確執など奇想天外(お市の方=娘・茶々、信長殺しは秀吉の仕業、五右衛門は伊賀の里者等)な設定をすることで物語を面白可笑しく展開させるところ。同時にその観せ方は歌舞伎仕立てのような衣装やメイク、所作など演出にも拘りが観える。もちろん殺陣等のアクションも観応えがあり時代劇ファンならずとも楽しめる。五右衛門は浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、創作の中で次第に義賊として扱われ、時の権力者である秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたという。その大筋は変わらない。

伊賀の里を攻撃したのは織田信長ではなかったか?などは卑小なこと。あくまで創作演劇の中のこと。五右衛門の生き様とともに戦国時代という戦乱の世に翻弄された女性の悲哀。生きるためには何でもやるという強かな姿が印象的だ。また庶民の暮らしを脅かす殺戮や強奪、そして年貢の取立ての厳しさ。理不尽な時代に一筋の光明をもたらす義賊・五右衛門の大胆にして痛快な行為は庶民の味方。その娯楽性を十分堪能させてくれた公演。
次回公演も楽しみにしております。
幸せのかたち

幸せのかたち

+ new Company

調布市せんがわ劇場(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

「待つこと」「思いを伝えること」、何となく矛盾したような行動にある共通点...それはどちらも自分の意思表示であり愛を示す行為である。
登場人物全員が善人で、この店に集うことによって癒され優しくなれる、そんな喫茶店フュージョンでの心温まる物語。
(上演時間1時間40分) 【FLOWERチーム】

ネタバレBOX

セットは、客席に対して斜めに喫茶店内を作る。上手側がテラスになっており、この公演のテーマと言えるカランコエの鉢植えが置かれ、その後方に木が植えられている。中央に丸テーブルと椅子、下手側に店の出入口とカウンターがある。全体が2段ほど高く設えているが、店の周りは1段低くして街路イメージ。

物語は店員の まなみ(生粋万鈴サン)の観点で展開する。何の変哲もない暮らしの中に幸せがある、そんな足元を見つめた珠玉作。
まなみは恋人が海外に行ったきり帰ってこない。それでも彼を信じて待ち続ける。一方そんな彼女に思いを寄せる郵便局員ピンさん、それから大学生の愛やすずの切ない恋愛話、地域の話題店を取材する記者等が織り成すヒューマンドラマ。この店に集う人々を優しく見守る店長、その店長にも辛い思い出が…。

この公演に温かみを感じるのは、思いを伝えるのが手紙という手段を用いているところ。現代のインターネット社会では、メールという手軽な手段で伝達できる。送信し一定の時間内に返信がなければ落ち着かなくなり、場合によってはイラッとしたりする。スピードが求められる社会にあって、この公演は待つ=大らかな気持ちでいることの大切さを伝える。一方、身近に恋愛相手がいる場合は、自分の気持ちを素直に伝える。自分の気持ちを押し込め蓋をしない。大学生2人のそれぞれの恋愛模様に まなみが実直なアドバイスをするが、それは叶わぬ自分の身の上の裏返しの行為。またラブラブと思われていたカップルが些細なことで喧嘩別れすることに。そこには相手を慮る気持ちで溢れている。愛、幸せのかたちは人それぞれ違う。
店長は妻に先立たれ、2人の子供(兄・妹)の面倒を見ながら働いている。父に負担をかけないようにしているのか、兄は妹の面倒を見るという建前で小学校に行ったり行かなかったり。この兄・妹が亡き母の思い出であるカランコエの花に水を注す。子供や動物が登場する映画には敵わないと聞くが、本公演も子役の素晴らしい演技が光る。

舞台美術も素晴らしいが、劇中歌や優しく流れる音楽。人物の心情表現としてのスポットライト、暖色彩の諧調照明も心温まる雰囲気を表す。
これら全ての喫茶店での出来事を小説に、その物語を劇中劇にしたような気もするが…。
最後に、カランコエの花言葉...「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」、全てがこの公演に当てはまるような。
次回公演を楽しみにしております。
夜のジオラマ

夜のジオラマ

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

物語としては面白いが、時間軸を想像し整理しながら観るのは少し煩わしいような気もするが…。逆に言えば、脚本が示した時間軸が自分なりに結合し、演出もそのように観せていると納得できれば面白さが倍加するだろう。
描かれた世界観は、家族の視点、社会の視点という、虫が地を這うような観察眼と鳥が大空から見る俯瞰眼を併せ持つような重層的な公演。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは隠れ家的な一室。壁の一部が剥がれレンガが剥き出しになっている。上手側が玄関に通じ、中央にテーブルと椅子、その後ろはキッチンに通じる通路。下手側に引き違い戸、サンルームのようなガラス張り、外に見える蔦とロッキングチェアー。荒廃した人工造作と自然とが調和した空間は、この公演そのものをイメージさせる見事な舞台美術だ。

物語は4つの時間軸(2000年、2007年、2019年、2040年)で構成されている。もっとも2000年は母子手帳+育児日記のようなメモ書きを読み回想するだけである。冒頭2007年、荻野目三果(秋葉舞滝子サン)はこの隠れ家的な一室に引っ越してくる。離婚し2人の子供のうち、娘・アヤは夫が養育している。そして自分は息子・圭吾と暮らしていたが…。物語は、主に2019年と2040年を往還するように展開していく。
2019年、圭吾が2040年から遡行してきて物語が動き出す。社会的な視点...巨視的には近未来は磁気嵐、死に至る伝染病などによって地球的規模で滅亡(既に人口は半減)の危機を迎えている。その時に至るまでの社会不安下にカルト教団が出現、そこに蔓延る悪行がサスペンス風に展開する。
2019年(時間軸の中心)、家族(夫は登場しない)3人は事情により離れて暮らす。三果はジャーナリストとして活躍しており、圭吾は留学中といったところか。アヤはシグマなるカルト教団に属しているが、これには高校時代の親友の死が関わっていることが後々判明してくる。
家族の視点であるが、母は娘でありながらアヤを苦手というか毛嫌いをしているようだ。それは自分が持っている女の愛欲というか性(さが)のようなものが娘も持っており、遺伝、同質”性”のためだと告白する。その娘が所属しているシグマの研修会なるものに潜入し記事を書こうとしていたが、アヤが潜入していた母を見つけ逃すという親子であるがゆえの情。母が断筆した謎が明らかになってくる。
2040年の圭吾と2019年のアヤが邂逅し、母の思い出話をする。その際、圭吾から母はある絵画を大事にしていると聞かされる。それはアヤが小学生の時に描いた抽象画(タイトル「夜のジオラマ」)で、この部屋に飾ってあった。その額裏に母の育児メモが挿まれ、子への情愛が切々と書かれていた。これが2000年の頃の話であり、母・三果がロッキングチェアー(冒頭の台詞で”安楽椅子”とも)に揺られながら薄れゆく記憶を手繰り寄せ回想していく。実に情感溢れるシーンである。

家族や友人との関わりといった身近な問題を提示しながら、社会事情や環境状況を鋭く描く重層的な構成。それを時間軸の違いという手法で観せるため、今がどこなのかといった自分(観客)位置を確認しながら観ることになり少し煩雑だ。とは言え、始めのうちは脈略なく繰り出されているような場面も、後々の展開で重要なことを示す巧みさ。またアンドロイドも引き違い戸から登場するが、時に引き違い戸を左・右開けて中を見せるが居ないというマジック的演出も上手い。

突拍子もなく、一見解り難い点は、SFというジャンルの特長であろうか。だからこそ現実離れし、自由な劇的な語りの”力”によって観客を圧倒し魅了する。そこにSFらしい面白さ、醍醐味があるのではないか。その意味で自分の想像力をフル回転させながら観た公演は、実に面白かった。
次回公演も楽しみにしております。

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